梅の花咲く湯島天満宮(東京都文京区)参拝(下)―「夫婦坂」・東大本部棟・菊坂、裏口入学は嫌いだ!

[第393回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(30)-3
   湯島天満宮は、やっぱり、御茶ノ水の方から北上して南の東寄りの銅鳥居から入るのが王道だと思うのだ。他にも入口はある。 社殿のすぐ前の東側に出入り口があって、「男坂」・「女坂」という階段がある。 南側でも西よりにもう1カ所出入り口はあり、「唐門」と言うらしい。 そして、北側にも、旧岩崎邸とか本富士警察署とかが向こう側にある切通しの道にでる出入り口があり、その階段は「夫婦坂」と言うらしい。
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  しかし、だ。 俺、裏口から入るの嫌いなんだよ。 裏口入学みたいで。 世の中、何が嫌いと言うて、裏口入学ほど嫌いなものはない! 裏口入学は人間のすることやおまへん!  父の親友の「医者」がいたのだが、そのおっさんの息子が関西医大に裏口入学だったのだ。 で、それを自慢にしていたのだ。 「思考が柔軟やから、裏口入学なんや」と。 で、父はその話を聞かされて、「そうや。その通りや。 M先生の息子さんは、思考が柔軟なんや。思考が柔軟やから関西医大裏口入学なんや。 おまえとは違うんやぞ、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ。おまえとは違って思考が柔軟やから、M先生の息子さんは関西医大裏口入学やねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、このチャンコロ、ちゃんころ、チャンコロめがあ!」と私に毎日、毎日言い続けてきたのだ。 なんで、裏口入学する人間が「思考が柔軟」なのか、さっぱりわからんのだ。 それで、言ったのだ。 「なんで、裏口入学する人が『思考が柔軟』なんですかあ?」「『思考が柔軟』なら、裏口で大学に入らなくても、その柔軟な思考を生かして、実力で国立大学に入ればいいのと違うんですかあ~あ?」と。 そうすると、「そういうところがおまえは思考が堅いんじゃ。わかっとんのんか、チャンコロ。 M先生の息子さんはなあ。おまえとは違って思考が柔軟やねんぞ、チャンコロ。思考が柔軟やから裏口入学されたんやぞ。 崇拝しろよ。そういう偉い人を尊敬しろよ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、このチャンコロ。チャンコロめが、わかっとんのんか!」と毎日毎日、鼻の頭を指さされて言われたものだ。 慶應に在学中は、宿舎の電話に四六時中電話をしてきて、「M先生の息子さんは、おまえとは違うんやぞ、チャンコロ。おまえとは違って裏口入学やねんぞ、チャンコロ。おまえとは違って裏口入学っちゅうことは、思考が柔軟やっちゅうことやねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロ。M先生の息子さんはチャンコロとは違うんやぞ、チャンコロ」と何度も何度も朝昼晩と電話してきて言い続けた。 もっとも、そんなに関西医大裏口入学http://www.kmu.ac.jp/ がエライのなら、私だって、もしも希望すれば、その裏口関西医大とやらに「思考が柔軟な裏口入学」とかいうやつをさせてもらえるのかというと、父にはそんなカネもコネもなかったのだ。 裏口入学したり内部進学したりするようなカネとコネのない者は、合格最低点より高い点数をいかにしてとるかを考え努力するしかないではないか! そうやって努力してきた者が、なにゆえに、裏口入学の医者屋のドバカ息子なんぞを「思考が柔軟」だの何だのと言われて「崇拝しろよ、尊敬しろよ。思考が柔軟な裏口入学のお方を尊敬しろよ」だのと言われなきゃならんのだ?!? 〔「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌♪」⇒《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕 「弱者が勝者となるために」という「弱者の戦術」でも、「I D野球式学習法」でも、「ドラゴン桜式受験術」でもやって通ってみせるしかない! と思うのだが、そういう考え方は、「思考が堅い」のであって、「ちゃんちゃんころころちゃんころころ」の考え方だそうだ。その「えっらいえっらいえっらいえっらい神さまのごときえらいM先生」がおっしゃるには。 そういう「神さまのごときえらいえらいお方」とかいう胡散臭い新興宗教の教祖みたいのに洗脳されたというのか毒されたというのかのおっさんを父に持つと・・・・、まあ、なんと言いましょうか・・、疲れる。 で、神社でも寺でも、正門以外から入るのは好きではなくなったのだ。 でも、出るのはどこから出ても悪くはないので、 今回は、北側から「夫婦坂」を経て出ることにした。 ↓  もっとも、湯島天神の場合は、宝物館は入場料が要るが、湯島天神の敷地に入るにはどの入口から入っても、拝観料・入場料といったものは求められないので、裏口関西医大みたいに高額のカネを用意する必要はないし、その為に、「患者」を薬漬け毒漬けにする必要もない。
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   湯島天満宮の北側、湯島天満宮と旧岩崎邸などがある所との間の道は谷のようになっているが、これは、いつできたものかわからないが、切り通しとして、その道の部分を削って通したものらしい。
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↑  これは、鳥居はあるが、湯島天満宮の敷地へ入る場所ではなく、道に鳥居があって、この鳥居をくぐって行くと、湯島天満宮の南側の西よりの門の所に行く。
   で、もう一度、言っておくが、私は「思考が堅い」と言われようが何と言われようが、大学というものは、努力して勉強して合格最低点より高い点数をとって行くものだと思っている。裏口入学などというものは、もし、する人があっても、恥ずかしそうにして行くものであって、「裏口入学ということは、思考が柔軟っちゅうことや」とか言って自慢するものではないと思うのだ。 これは、人それぞれに考えがあるのかもしれないが、私は、最終的に合格できるか否かにかかわらず、なんとか努力して合格最低点より高い点数をとろうと努力する者こそ「思考が柔軟」であって、人を薬漬け毒漬けにしたカネで裏口入学する者というのが「思考が柔軟」かというと、私は違うと思う。 私立裏口金権医学部なんぞに行くような人間はそう考えないのかもしれないけれども。

   清原の息子は、慶應幼稚舎に入れてもらったようだが、あれは、おそらく、誰か慶應と相当のコネクションを持っている人で清原のブレーンになってあげようと考えた人がいて、その人が慶應義塾に口をきいたのでしょう。小学校の入試なんてあってないようなものですから、相当強いコネクションを持っている人が口をきいてこそ慶應幼稚舎なんてものは入れるはずです。 ところが。 せっかく、口をきいてくれる人があっても、せっかく、ブレーンになってあげようという人があっても野球バカというのか、シャブ中バカというのかは、「週刊新潮」の記事によると、慶應幼稚舎の運動会に、「いかにもチンピラ」という男2人と「水商売風の女」1人を取り巻きとして連れてきて周囲から異様な目で見られていた・・というのですから、アホはどうしようもない、ということでしょうか。 せっかく、紹介の口をきいてくれる人があったのに、その紹介者の顔をつぶす行為をしているわけですから、こういう行為が重なるようでは、そのうち、誰も協力しなくなるでしょう。 慶應幼稚舎に息子を行かせて、清原も慶應幼稚舎に息子・娘を行かすような人たちとつきあうようになればと思って口をきいた人があったのではないかと思うのだが、野球バカのシャブ中バカにとっては、「いかにもチンピラの男」「見るからに水商売風の女」の方がつきあいやすかったということでしょうか。 そんな口きいてくれるような人のコネなんて、つかめるものなら私も欲しいわあ! ほんまあ。 しかし、野球バカのシャブ中バカは、誰か口きいてくれるような人をお願いできないだろうかと考えてお願いして口きいてもらったのと違って、単に野球やってただけで、慶應幼稚舎なんて誰もが入れるもんじゃない、それを親戚でもないのに口きいてもらえるというのは相当ありがたいことだ、なんてちっともわかってなかったのではないか。 だから、そういう紹介を粗末にしたということではないでしょうか。 アホですね。 そんなアホに口きいて紹介するくらいなら、俺に紹介してくれたらいいのに。 慶應幼稚舎は別に息子も娘も行かせたいとも思わないけれども、そんなコネクションつかめるなら、欲しいわ、そんなええコネ。 ほんま。俺やったら、少なくとも、運動会にチンピラ連れて行ったりは、少なくともさすがにそこまではせんもん・・・・と思うのだが・・・・。そんなええコネ、誰かつかましてくれんかいなあ、ほんまに。 だから、片方で、裏口入学する人間は、決して、実力で大学に入ろうとする人間よりエライのでもなければ「思考が柔軟」でもないと思うけれども、一方、ありがたい「コネクション」は粗末にしないというのも、それも入試の実力ではないかもしれないが、人間が生きていく上での「実力」ではないかと思う。 野球バカのシャブ中バカの半ヤク馬鹿はそういう「実力」がなかったということでしょう。おそらく。

   少し、西に歩くと、北に東大の本郷キャンパスの竜岡門と丹下健三設計の東大 本部棟(1979年)が見えます。↓
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(「i」マークの場所は竜岡門)
※《ウィキペディア―丹下健三》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E4%B8%8B%E5%81%A5%E4%B8%89
《丹下都市建築設計 東京大学本部庁舎》http://www.tangeweb.com/popup.php?id=124

   湯島天神(湯島天満宮)や東大本郷キャンパスのある文京区は、文京区と言うだけあって、大学がいくつもある区で博物館もいくつかある区ですが、昔むかしから「文京地区」だったのかというと、御茶ノ水駅の北側に湯島聖堂があり、その付近に昌平坂学問所があったとかいうと、「文京地区」だったのかなという感じがしますが、一方で、「学問の神さま」の湯島天神の門前は「湯島のかげま」という男色を売る少年のいた場所だったと夏目漱石『坊ちゃん』にも出てくる所です
   東大の農学部の北に根津神社があるが、「根津」という地名も≪東京都文京区東部の地名。根津権現社がある。もと遊郭があったが、明治21年(1888)洲崎 (すさき) (江東区)へ移転した≫(《goo!辞書 根津(デジタル大辞泉)》http://dictionary.goo.ne.jp/jn/170214/meaning/m0u/ )という。
  東大の本郷キャンパスの西側のあたりは旅館街であったわけで、なぜ、あのあたりが旅館街だったのかよくわかりませんが、そのうちのいくつかは今はビジネスホテルに変わっているようです。
  本郷通りから西にのびる「菊坂」という通りは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』では、岡場所があった所として出ています。 ≪旗本の子川田宗太郎は菊坂の岡場所の女(玉屋のおせん)に通いつめるが親にとがめられ心中してしまう。≫(《鬼平犯科帳の坂 》http://www.sakagakkai.org/contri/onihei.html  )
  さらに、そう言えば、『鬼平犯科帳』には、東大本郷キャンパスの東にある不忍池の南のあたり、池之端に、男女がひとときを過ごす「茶屋」があり・・とかいう話があったような。 今も、かつての用語で「連れ込みホテル」、最近の用語で「ラブホテル」があったような。
   文京区というのは、学問の神さま 湯島天神の周囲を北に東大、東に東京芸大、南に駿台予備校や明治大ほかが取り囲む大学と予備校の街・・・かと思っていたら、もしかして、東大本郷キャンパスを 陰間茶屋と岡場所と遊郭と連れ込み茶屋が取り囲む町・・・だった???

 その「菊坂」ですが、
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  かつて、菊畑があって、菊を作っていた人がいたから「菊坂」だということですが、
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↑ 「きくさかとおり」と書いてあるからには、こちらの通りを言うのか。




 それとも、その下の↓
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↑ こちらの細い通りの方を言うのか。
どちらなのかよくわかりませんが、たしか、30年ほど前に「菊坂」に来たとき、昔からの家並みが残っていて、いい風情の通りだなあと感心したのを覚えているのですが、どっちの方だったかよくわかりませんが、今は多くの建物が建替えられたのか、30年前に感動した昔ながらの風情のある通りは見つかりません。
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↑ 上の方(北の方、広い方)の「きくさかとおり」と書かれている方の道です。 30年前は、菊坂にはこの右手に見えるお宅のような板壁の家が多く残っていたように思うのですが、今は上の「きくさかとおり」と書かれた道沿いにも下の細い通り沿いにもほとんど見られません。
  なお、今は、どちらの通りにも「岡場所」はありません。
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   実力で大学に入ろうと努力する者と、患者を薬漬け毒漬けにして稼いだカネで裏口入学する者とどちらが「思考が柔軟」か。 私は実力で入ろうとする者の方だと思う。 高校を卒業する年、東大の試験に落ちたところ、父から、「高校は義務教育と違うんやから、おまえなんか、高校行ったのは余計じゃ。甘ったれるな、チャンコロ。甘ったれるな!」と何度も何度も耳鳴りがするくらいに言われたものだが、それなら、薬漬け毒漬け金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に行く人間はどうなのか。 私の場合は、小学校・中学校・高校と公立の学校に行って来たのだが、私からすれば、金権裏口関西以外に行ったヤツの方こそ、義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのは余計じゃ!と言ってやりたい。 実際、その「えらいえらい神さまのごとくえらい特別の人」と父が言うM先生の息子というのが行った中学校は私立の中学校だったということだから、中学校が義務教育というのはあくまで公立中学校の話であって、私立の中学校に行く義務なんかないわけであり、それから考えると、金権裏口薬漬け関西医大なんぞに行くようなヤツが私立の中学校に行ったのは、これはどう考えても絶対に余計だと思う。
   もっとも。 世の中にはいろいろな考え方をする人があるらしい。 私が卒業した北野高校というのは慶應の教授には嫌われている高校だった。 どんな感じにかというと、「北野高校の人というのは、高校でも大学でも私立の学校というものを低く見てませんか。 だいたい、大阪の人間というのは、私立よりも国公立の学校の方が上だと思ってませんか。 何を考えとるんだろうね。 大阪は商人の街なんだから、もっと、民間のものを大事にすればいいのに。 大阪の人間てのは、どうかしてんじゃないか」と教授が講義の最中に教壇でお話しになる大学なんです。慶應という大学は。それは「東京もん」の発想なんですよ。「私学は民間で国公立は官立」だから「民間」の私学を大事にするべきだというのは「東京もん」の発想で、大阪人の考え方はそうではなく、「商人の街」だからこそ、「一生懸命勉強した人間が、カネのかからない国公立に行かせてもらうのは当然じゃないか。勉強しなかった人間がカネのかかる私学に行くのはしかたがない。もっと勉強しなかった医者屋のドバカ息子が裏口入学するのにドカンとカネがかかるというのもしかたがない。なんで、一生懸命勉強して成績をあげた者がカネのかかる私学に行かなあきまへんねん」というのが大阪人の考え方のはずだ。 さらに、「北野高校の人間は、『私立だったら、どうしていいのですか?』なんて言うでしょ。 バカか! 私学だってことは『いい』ってことじゃないか。 こんなこともわからんのか、北野高校の人間は!」とか講義の最中に教授が教壇でマイク持っておっしゃるんです。 慶應という大学では。 慶應の日吉の教室の机に、「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 京都大学 これこそ、最高のエリート」と書かれた落書きがあり、その横に「慶應幼稚舎→慶應中等部→慶應義塾高校→慶應義塾大学経済学部 これこそ最高のエリート」と別の字で書かれた落書きがあったのを見ました。 この2つは正反対の思想だと思います。 そういうことを考えると、「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 京都大学 これこそ、最高のエリート」というタイプの人間は、何もわざわざ、教授が「北野高校の人間は、『私立だったら、どうしていいのですか?』なんて言うでしょ。 バカか! 私学だってことは『いい』ってことじゃないか。 こんなこともわからんのか、北野高校の人間は!」と教授が教壇で叫ぶ大学に行かなくても、京都大学かそうでなくても、国立大学に行った方がいいのではないか、その為に入学するために1年余計にかかってもよいのではないのか、という気が今もします。 もっとも、飲み屋で叫ぶのならまだしも、講義の最中に教壇でそういうことを叫ぶ教授って、どんなものかとも思いますけれどもね・・・。

   今回、上~下 で掲載した写真は、2016年2月28日(日)の撮影です。 湯島天満宮の梅は咲いてはいましたが、梅の花については、もう少し早い方がよりきれいだったかもしれないような気がします。
    (2016.2.29.)

☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 
東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 〔今回〕
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html   永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html  


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≪ ・・・・5月6日になって、被害者宅の元・使用人の奥留剛二(仮名=当時30歳)氏が自身の結婚式を翌日に控えていたにもかかわらず突如自殺する。
   この人物は、犯人と血液型が同じで、筆跡も似ていたほか、死体発見現場近くに新居を建てたばかりで、アリバイも一部不明であったことなどから、当初より重要参考人のリストにも挙がっていた。
   意外にも翌日には警察から「シロ」と発表されるが、自殺の知らせを聞いた篠田国家公安委員長(当時)が「こんな悪質な犯人は、なんとしても生きたままフンづかまえねば・・・・」などと発言していたため、一部では「“ 死んだ犯人” に用は無かったのではないか」とも囁かれた。  ・・・・・
   この事件の最大の謎とされているのは、何といっても前出の奥留氏の自殺後も関係者の自殺・変死が相次いだことである。
   まず、事件の10日後には「事件当日、薬研坂付近で怪しい人影を見た」と警察に届け出た、畠中昇(仮名=当時31歳)氏が突如自殺している。 畠中氏は石川一雄氏の競輪仲間だった人物で、警察から逆に犯人扱いされ、厳しい取り調べを受けたことが自殺原因だったとされている。
   さらに、事件翌年には、被害者の姉であの「佐野屋」で犯人と会話を交わした登美恵さんも、入籍直後でありながらなぜかノイローゼとなり、自殺している。
   その2年後には一部から「真犯人ではないか」と囁かれていた村田登志造(仮名=当時36歳)氏も、西武線の踏切で轢死体となって発見されている。
   また、その11年後には被害者のすぐ上の兄も自宅で命を絶ってしまった。
   彼らはなぜ自殺したのか。 果たして事件と関係なかったのか。 それはいまなお完全に解明されていない。・・・・≫
≪  石川氏は以前、筆者に対して「国はたぶん私が死ぬのを待っているんだと思います」「このまま、うやむやになって終わればいいと考えているんでしょうけれども、そんなことは絶対許しません」とも語っていた。・・・≫
( 伊吹 勇人「 「狭山事件」の深き謎と「真犯人」と疑われた男たちの半世紀」 〔↑『別冊宝島 昭和史開封! 男と女の大事件』2016年1月21日発行 宝島社↑ 所収 〕 

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