忙しい者に手間をかけさせてチャラける痴漢支店長―自分が働いていない時は見えない場所で[4]
[第386回]保養所雑務と住宅営業[4] 営業と会社の話(84)-4
≪B≫
【3】 最も忙しい人間に、菓子パンを買いに行かせて、それを「ほい、差し入れ」「はい、差し入れ」と一番忙しいわけでない従業員にちゃらけてみせる白痴支店長
1992年(平成1年)、現在ではヤマダ電機に買収してもらって、ヤマダエスバイエルホーム(株)としてかろうじて後継会社が存続している旧・小堀住研(株)は、「客の女に手を出したらいけないけれども、会社の女にはいくら手を出してもかまわない会社」と従業員の間で言われる会社でした。 1992年7月、千葉支店長に赴任したW邊は、赴任早々、歓迎会の席において、何人もの千葉支店従業員が見ている前で、女性社員の尻をなでまわした。 「男性がさわりたいと思うお尻をしているということはいいことだねえ」と言いながら。
これ、「酒の場のことだろうがあ」と渡邊は言うのですが、彼は自分では「いたって酒の好きな男」と自分のことを言うのですが、実際に「飲み会」になると、ほとんど酒を飲まないのです。 私は彼の目の前の席に座っていたから、そして、新しく支店長となってきた人というのはどういう人だろうと思って彼をずっと見ていたのでわかります。 彼は、ほとんど酒を飲まずにやったのです。 「酒の上でのことだろうが」と言いますが、嘘です。
小堀住研(株)は1990年に社名をエスバイエル株式会社に変更し、その後、業績を悪化させ、富士銀行は破産管財人のような人間を社長に送り込み、取れるだけ取って手を引いたのか、その後、富士銀行(現・みずほ銀行)出身の役員は消え、その後、積水ハウス(株)出身の男が社長になったので、かつて、もっぱら軽量鉄骨軸組構法の会社だった積水ハウス(株)が在来木造のトーヨド建設を買収して積水ハウス木造(株)とし、それが「積水シャーウッド」という商品名で定着した後、積水ハウス(株)に合体させて、積水ハウス(株)が鉄骨造と在来木造の両方を扱う会社としたのに続き、木質パネル構法で、又、かつては「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」として評価された小堀住研(株)の後継会社であるエスバイエル(株)も買収しようという考えで社長として人を送り込んだのか? とも思いましたが、積水ハウス(株)としては社内のガラが悪い会社で、そして、すでにかつての「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」と言われた頃の人材は消え、かつての入居者からも見放され、むしろ、相当イメージの悪いエスバイエル(株)を傘下に入れてもメリットはないと判断したのか、積水ハウス(株)に買収されることはなく、積水ハウス(株)出身の男も社長から去り、そして、ヤマダ電機が買収してヤマダエスバイエルホーム(株)となったようです。
「ハリコの虎」理論というものがあります。 誰が命名したかというと私が命名したのです。 かつて、中国の毛沢東主席は、「帝国主義者とすべての反動ははハリコの虎である」とおっしゃったわけです。 「ハリコの虎」とはどういう意味かというと、「見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。」というものらしい。 そして、「帝国主義者と反動はには2つの面がある。 1つは恐ろしい本物の虎という面で、もう1つは実力のないハリコの虎という面である」というのです。 これは、カール=マルクスさんが、「生産力と生産関係の矛盾によって」「客車が機関車に引っ張られるように」資本制経済の社会は社会主義に移行すると予測したものと通じる部分もあります。 歴史の歯車を力で逆にまわそうとする者どもはハリコの虎であっていずれ打倒される、と言うのです。 しかし、経済体制として、資本制経済が社会主義経済に移行するのかというと、今現在そうなっていませんし、そうなりそうな状況にも少なくとも今現在はありません。 そして、かつて、社会主義とソビエト連邦に対して好意的に見た人でも、現実に出現したソビエト連邦を見て幻滅した人もいるわけです。 文学者のアンドレ=ジッドは、スターリンが常に正しいと言うのであれば、スターリンがすべての権力を持っているというのと同じではないか。 スターリンが常に正しいとされてしまうソビエト連邦においては、レーニンですらもスターリンに気に入らないとされれば牢獄に入れられるかシベリア送りにされるかする危険がある、と言います。 ジャン=ポール=サルトルは、一時、社会主義とソビエト連邦に好意的で、フランス国内においても「共産党の同伴者」と見られていた時期があったものの、サルトルが言うには、共産党の人間と話をすると、サルトルは自分自身の意見・考えを述べるのに対して、共産党の人間はあくまで「党の見解」を述べ、自分自身の考えを述べない。 こういった状況が良いのか、と疑問を感じるわけです。 ヴィルヘルム=ライヒはドイツ共産党員であったけれども、ロシア革命後のソビエト連邦に行き、これでは国営資本主義だと絶望します。 毛沢東も最初はソ連を支持していたものの、すべての社会主義国の問題をソ連が決めるというのはおかしいのではないのかと疑問を呈するようになります。 こういった真面目に社会主義について考えた人たちの批判・疑問を考えても、「客車が機関車に引っ張られるように」「資本制経済は社会主義に移行する」のか? というと、そうとも言えないかもしれないと思えてくるのです。
しかし、「ハリコの虎」理論というのは間違いということではない。 千葉支店長の渡辺士直は「この俺は会社の女の尻をさわったけれども、俺は会社からそれを何とも言われてないんじゃ。 俺が支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわんのじゃあ。 俺は今後も会社の女の尻をさわるが、これは中島(昭午)社長から認められとるんじゃ。 中島社長から支店長は会社の女の尻はさわってもかまわんと認められとるんじゃあ。わかったか、バカたれがあ。 支店長が会社の女の尻をさわるのはいかん、というようなことを言うような人間が会社を辞めんといかんのじゃあ。小堀住研はそういう会社なんじゃあ」と大声で怒鳴ったのですが、「そういう会社」というのは、要するに「長い目で見るとハリコの虎であって、その実力はたかがしれている」会社だということです。 その会社に実際に勤める従業員にとっては、そういう痴漢人間であっても、社長の中島昭午がそんなアホを評価して支店長にならせている以上、そして、中島が「支店長は会社の女の尻はいくらさわってもかまわんと認めている」以上、そういう痴漢人間と痴漢人間を支店長にする会社は「おそろしい本物の虎」であるのですが、社会全体におけるその会社の存在として考えると、そういう会社が業績を残せるかという点で考えると、長い目で見てそういう会社が発展するかという目で考えると、「そういう会社」は「ハリコの虎であってその実力はたかがしれている」ということになるのです。 そして、「そういう会社」である小堀住研(株)の後継会社 エスバイエル株式会社はつぶれた。 かつて、大阪駅の目の前にあった本社も売り飛ばした。 かつては新宿センタービル・池袋サンシャイン・大宮ソニックシティといった一等地のビルに持っていた支店もずっと便利の悪いよくわからない場所に引っ越した。 やはり、「ハリコの虎」は「その実力はたかがしれている」ようだった、ということです。 資本制経済が社会主義に移行するのかどうかという問題はよくわかりません。移行することがあるとしても、ここしばらくのことではなく、何百年か後のことであって今しばらくは資本制経済は変わらないかもしれません。 しかし、「この俺は会社の女の尻をさわったけれども、俺は会社からそれを何とも言われてないんじゃ。 俺が支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわんのじゃあ。 俺は今後も会社の女の尻をさわるが、これは中島(昭午)社長から認められとるんじゃ。 中島社長から支店長は会社の女の尻はさわってもかまわんと認められとるんじゃあ。わかったか、バカたれがあ。 支店長が会社の女の尻をさわるのはいかん、というようなことを言うような人間が会社を辞めんといかんのじゃあ。小堀住研はそういう会社なんじゃあ」という「そういう会社」は「長い目で見るならばハリコの虎」であったように、というよりそれほど長くない間に、つぶれました。ヤマダ電機が買収してヤマダエスバイエルホーム(株)として後継会社があるとはいえ、いったん、つぶれたものをヤマダ電機が買収して再興したということでしょう。 なお、小堀住研(株)の社長・中島昭午は「支店長は会社の女の尻はいくらさわってもかまわん」と認める権利が社長にあると確信していたようですが、社長にそんな「権利」はありません。 ありもしない「権利」が社長にあると勘違いしているアホが社長になっていた会社はどうなったかというと、つぶれました。
それで。 1989年のことです。 締日直前のこと。 見込客に提出する図面と見積書を千葉支店の設計課と工務課から受け取るべく千葉支店に行っていました。 設計課と工務課から渡されたものを見て内容を確認していたのです。 その当時、千葉支店には、支店の他に、松戸・柏という常磐線沿線の展示場と、市川・千葉市幸町・千葉市天台の総武線沿線の展示場がありました。 常磐線沿線から総武線の千葉まで行き来するのはなかなか大変で時間がかかり、体力的にも疲れます。 私が、図面と見積書の確認をしていたところ、営業課長の石井が、私に、「支店長から、パンを買ってきてくれと頼まれた。 つきあって」と言ってきたのです。 「なんで、そんなもの、私たちが買いに行かなければいけないのですか」と言いました。 要するに、痴漢支店長の渡邊は、締日前に、支店に終業時刻以降も残って仕事をしている人間に、菓子パンを買って「支店長の差し入れ」だと言って渡してカッコつけたいらしかったのですが、支店にいた人間でも、忙しくしている人間、忙しくてひいひい言っている人間もおれば、「お付き合い」のように残っているがそれほどは忙しいわけでもないという人間もいるわけです。 私はその時、松戸展示場からはるばる千葉支店まで行って、それからまた松戸まで戻らないといけなかった人間であり、翌日以降、締日までに契約にもっていくために、大忙しで図面と見積書の内容を確認していた人間なのです。 もしも、「支店長の差し入れ」と言って「しょーもないもの」を渡したいのであれば、「残っている人間でもそれほど大忙しでない方の人間」で、かつ、松戸など遠くから来てまた遠くまでこれから帰らないといけない人間に頼むのではなく、「それほど忙しくしていない人間」で、かつ、千葉支店に普段からいる人間に頼むか、そうでなければ、渡邊は支店長といえども、その時には支店長というのは何もしていないのですから、「支店長の差し入れ」とかやりたかったのなら、自分で買いに行けばよかったのです。 一番、忙しくしている人間に、それほどでもない人間に「支店長の差し入れ」をするために、向かいのコンビニまで菓子パンを買いに行けというのは、本末転倒も甚だしいのです。
松戸営業課長の石井は、かつて、石井が営業課長であった営業チームにいた従業員から、「石井課長はいいよ。 よく知っているし、優しいし」と言われていたのです。 これは間違いというわけではありません。 小堀住研(株)の営業課長でも、「営業ひとすじ」というような人には、「柱と梁の違いもわからずに売ってるのではないのか」というような人もいたようで、実際には柱と梁の違いくらいはわかるでしょうけれども、住宅・建築についての知識もなく売ってきたような人がおり、そういう人には質問しても答えてもらえないのに対し、石井さんは、建築専門学校を卒業して一級建築士の資格を持っており、設計事務所で設計をやっていたこともある人なので、建築・住宅についてはよく知っているし、営業としての進め方も良心的であり、そして、営業担当者に対しても「優しい」ので、所属の営業担当者としてはつきあいやすい課長だというのですが、たしかにそういうところはありました。私は、小堀住研(株)に入社した1年目に最初に配属になった営業課の課長であったUさんと次の営業課の課長の石井さんの2人から教えてもらったことは今も役立っており、そういう点で、「部下を教えることのできる課長」であり「部下の世話をすることのできる課長」ではあったのです。 しかし、そういう面だけ見ていた人は、十分に人を見ていたとは言えません。
私が担当者として契約いただいた 松戸市の I 様から家相と気学の専門家の所に一緒に行ってほしいと言われ、営業課長の石井さんと私と実施設計担当のKさんの3人が同行したことがあります。 その時、家相と気学の専門家という西日暮里のその方は、私たちに対しても、この人はこういう人で、今後こういうことがあるかもしれませんといったことを、ひとりひとり言われたのです。 私は「この人は、真面目な人ですが、本来は営業の世界に入らない人です。 しかし、いったん、営業の世界に入ると、お客様のためにも営業成績の上でも悪くない人になるでしょう」と言ってもらいました。 その一方で、石井さんは「この人は要注意です。 この人には気を付けた方がよろしい」と言われたのです。 帰り道、石井さんは「おまえはいいよなあ。ほめてもらって。 俺なんか、『要注意の人間』だからなあ~あ」とぼやいていました。 石井さんは私が担当とはいえ、新人の私に対応できないものをカバーして、私より石井さんの方が I さんのために動いていたくらいでしたが、しかし、「要注意」のところもある人だったのです。 その家相と気学の専門家の方は、初対面なのによく見ていたなあと感心します。
どこが「要注意」か? ひとつには、何かを教えてほしいとかお願いすると石井さんはもったいつけることもなく親切に教えてくれるのです。 「優しい」といえば優しいかもしれません。 しかし、一方で、支店長とかそういう人に課長として意見を言うことができない人なのです。 千葉支店で、支店長の渡邊が、「支店長の差し入れ」とかやりたいと思ったのなら、自分で買いに行くか、そうでなければ、比較的忙しくない人間で、かつ、一番遠くの松戸営業所から来ている人間ではなく、普段からそこにいる人間に買いに行ってくれと言うべきものであり、それを、わざわざ、一番遠い所から来ている人間で、そこにいる人間の中でも忙しさで一番か二番くらいの人間に、それほどでもない人間に「支店長の差し入れ」をするために買いに行けというのはとんでもない話なのです。支店長にそういうことがわからない人間がなっている以上、営業課長になっている人は、そういう本末転倒の支店長から部下を守らないといけないはずであり、「すいませんが、今、私たちは大変忙しくしていまして、買いに行く時間はありません。また、ここでやっていることが終わればすぐに松戸まで帰らなければならないのです。だから、申し訳ありませんが、そういうのは、私たちよりも忙しくない人に頼んでいただけませんか」と、石井さんは言わないといけなかったはずなのです。 また、引き受けてしまったなら、それならそれで、忙しくて頭をかかえていた私に「パンを買いに行ってくれと支店長から頼まれた。つきあって」と私に言うのではなく、ひとりで買いに行けば良いのです。 向かいのヤマザキデイリーストアまで菓子パンを買いに行くなどということは、2人で行かなければならない問題ではないのです。1人で十分できることのはずなのです・・が、「つきあって」と言う人なのです。 石井さん自身、なんでこんなことさせられなければならないのかと不快感を覚えていたようで、向かいのヤマザキデイリーストアに行くと、石井さんは、「これでいいだろ」と言って、ふてくされたように、菓子パンを買い物かごの中に投げつけたのですが、パンにあたるのではなく、はっきりと支店長に言うべきだったのです・・・が、言えない人で、言わない人だったのです。 「支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわん、と中島社長が認めておるんじゃ」という会社ですから、たかだかその程度のことを言っただけでも、「支店長に逆らった」とか言い出されるおそれがあると思ったのかもしれません。
もう1つ、石井さんには問題点があります。 それは、石井さんは「裏切る」のです。 住宅展示場の事務所で、その営業課の人間だけで話をしている時に、石井さんが、支店長の渡邊について、「あの人は・・・・」と話したのに相槌をうったとします。石井さんはそう思っているのだと考えます。 ところが、いつのまにか、その石井さんが言ったことを私が言ったことにされて、石井さんは他に話していたりすることがあるのです。 自分が言ったことを私が言ったとして他に話すのです。 石井さんとかつて同じ営業課にいて、「石井課長はいいよ。 よく知っているし、優しいし」と私に話してくれた人は、石井さんの良い一面の方を見ていたのであり、それは間違っていないのですが、別の一面もあったのですが、それが見えていなかったのです。西日暮里の家相と気学の専門家の方はそれを初対面で見抜いたのです。 私には見えました。 そういう人なんだな、と見えました。 一方で、住宅・建築についていろいろと教えてもらったし、そのあたりは親切な人でしたし、直接つきあうには気難しいところもないつきあいやすい人かと思いがちな人でしたが、一方で、プラスに評価できない面もある人だったのです。
そして、石井と私が買って来た菓子パンを支店長の渡邊はどうしたかと言いますと。 それを持って、私たちより忙しくしていない従業員の所に回って、「ほい、差し入れェ! はい、差し入れェ♪ ほい、支店長の差し入れェ!」と言ってちゃらけて見せたのです。 アホです。
私はそれを見て、この渡邊士直という人は、やっぱり、支店長としては資質に問題がある。 支店長の適正に欠ける人だと認識しました。
なぜ、渡邊が支店長になっているのか。 それよりも、渡邊がそこにいるのが間違っているのです。 小堀住研(株)は「大卒しかとらない会社」だったはずなのです。 なぜ、高卒の渡邊士直がそこにいるのでしょうか。
小堀住研(株)の求人票には、「技術系」(設計・工事管理・積算・アフターサービスなど)は4年制大学の建築学科か土木学科卒の人というのが応募条件で、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部卒が応募条件と書かれていたはずなのです。 なぜ、その応募条件を満たしていない渡邊がそこにいるのでしょうか。 おかしいのと違いますか。 小堀住研(株)に応募した人間は、「大卒しかとらない会社」に応募したはずなのです。 「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者」の勤務先に応募して採用されて「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者」の勤め先に入社したはずなのです。なにゆえ、応募条件を満たしていない品行の悪い人がそこにいるのでしょうか? なにゆえ、高卒の痴漢人間がそこにいるのですか?
公務員の場合は、「応募条件」と指定されているものを満たしていない人を採用すると、「裏口」とでもいった評価となり非難されます。〔実際には、司法試験に合格していないのに、なぜか、「検察官」になっている「副検事」とか、なぜか「簡易裁判所 裁判官」になっている「カンパン」とかいますけれども。〕 それに対して、民間企業の場合は、「応募条件」は、あくまで、こういう人を採用したいと考えていますという表明であって、その条件を満たしていない人でも、会社の経営者・採用担当者が、この人は役に立つであろうと判断したならば、採用するということはありえますし、それは違法でもありません。 私が、過去に勤めた会社では、基本的には「大卒しかとらない」と言っていた会社ですが、東大中退の人がおり、その人は東大を卒業はしていないらしいのですが、東大で専門とするものを必要とする仕事ではなく、むしろ、基礎学力と思考力の方が求められる仕事でしたので、「その会社にいる限り、『大卒に準ずる』」という評価をされていました。 小堀住研(株)に同期で入社した人の中でも、建築学科卒の人は「技術系」の応募条件は満たしていますが、「営業系」の応募条件には該当しないのですが、建築学科卒だが設計や工事管理ではなく営業をやりたいという人が1人あって、営業として採用されていました。 これなどは、個々に、応募条件と少々はずれているが採用してよいかどうか検討した上で、採用してよいと判断されたようです。 そういうのは悪くはないと思います。
しかし、応募条件を満たしていないと同時に痴漢人間で高卒の渡邊はなにゆえそこにいるのでしょうか。 応募条件を満たしていないにもかかわらず、採用される理由があるとは思えません。 そういう人を採用するとなると、「秩序を乱す」ことになります。
小堀住研(株)に入社した人間には、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」「住研とは? 住宅を建設するのではなく、住宅を研究する」という小堀住研(株)に入社したいという気持ちで4年制大学に行き卒業した人もいるはずなのです。 それなのに、入社してみると、高卒の人がいる。 高卒であるが、この人は大卒の人と比べて劣らないものを持っていると特に認定されて悪くないという人ならともかく、高卒の痴漢人間がそこにいるわけです。 おかしいですね。 こういうことをやっていると、「会社の秩序を乱す」ことになります。
渡邊は、私のことを「使いにくいやつだ」などと言っていたと東京支店長の高倉から聞いたのですが、私は渡邊に使ってくれと頼んだ覚えはないのです。 渡邊が私を使おうというのがそもそもおかしいのです。 私は「大卒しかとらない会社」に入社したはずであり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者のコース」に入ったはずなのです。 「高卒の痴漢人間のコース」に入社した覚えはないし、そういうコースに応募していないし、そういう人に上役になってくれと頼んだ覚えもないのです。 これは私だけではありません。小堀住研(株)に応募した人間、入社した人間は誰しもそのはずなのです。 よく言ってくれると思います。 私が「使いにくい人間」ではなく、渡邊さんが私を使おうとするのがそもそも間違っているのです。思い上がりも甚だしいのです。
「たたきあげ」とか称しているような中卒であったり高卒であったりする経営者には、日本の小学校から大学まででやっていることは価値がないと決めつけたくてしかたがないという人がいます。 中には、内容のないもの、かえって害があるのではないかとも思えるものもあるかもしれませんが、私は全体としては、日本の小学校から大学まででやっていることは、そんなに有害無益なものだとは思っていません。 まず、なによりも、小学校から大学まで人並みに学んできた人間なら、渡邊さんのように、その支店で一番忙しくしているのではないかと思える人間、しかも、一番遠くから来ていてまた一番遠くまで帰らなければならない人間に、それほど忙しくしているわけではない人間で、支店に普段からいる人間や支店の近くの営業所の人間に、「支店長の差し入れェ、ほい、差し入れ! はい、差し入れェ♪」とちゃらけてもせるために、忙しくしている仕事を中断して菓子パンを買いに行ってこいなどと非常識なことは言いません。 そういう判断力を「教養」と言います。 渡邊さんにはそれがないのです。
締日直前、千葉支店においても、支店長というのは、そういう時に特にやることはないのです。 やることはないから、1人だけ、さっさと帰るのか、それとも、他の従業員が勤務時間終了後も忙しく働いているのであれば、特にやることがなくても、支店長という役職につかせてもらっている以上、いるだけでもそこにいるべきなのか。 いた方がよいと判断して渡邊さんがそこにいたのなら、それは悪くないでしょう。 しかし、だからと言って、何かをしようと思って、一番忙しくしているのではないかと思える人間で、一番遠くから来ていてまた一番遠くまで帰らなければならない人間に、それほどでもない人間に「ほい、差し入れェ♪ ほれ、差し入れェ!」と渡邊さんがちゃらけてみせるための菓子パンを買いに行けとか言い出すのであれば、渡邊さんがそこにいるのは「仕事の邪魔」ということになります。
渡邊さんは、支店長として各展示場を見に行くことがあった際、展示場の掃除が行き届いていないと、「ほれ、ここ、ホコリがたまってますよお。 ほれ、ここもぉ」とかやるのですが、その展示場の従業員が遊んでいる、怠けているのならそれをやっても悪くないかもしれませんが、そんなこと言われなくてもわかっているが、忙しくて、十分に掃除できずにいるというような場合には、特に忙しくしておらず、むしろ、暇な人間から、「ほれ、ここホコリ、それ、そこにも」とかやられると、あなた、暇なんだったら、とりあえず、自分でそこ拭いてもらえませんか、と言いたくなるのです。そして、実際、そうなのです。 その展示場にホコリがたまっているのに従業員が暇そうにしているというのなら、「ここにホコリがたまってますよ。暇なら掃除くらいしてください」と言ってよいでしょうけれども、全員が忙しくひいひい言っている状態であれば、渡邊さん1人だけ暇なのですから、とりあえず、たとえ1カ所でもそのホコリを拭いて、その上で、「どこそこにホコリがたまっていました」と言うべきです。そうでなければ、「ほれ、ここにホコリがたまってますよ。 ほれ、そこにも」とか言うのは、「ほい、差し入れェ! ほい、差し入れェ♪ それ、支店長の差し入れェ!」というのと同じく、「ちゃらけているだけ」です。
今回のテーマは「自分が働いていない時は見えない場所で」でしたね。 もしも、渡邊さんが、支店長なのだから、自分は特にやることがなくても、その支店に所属の従業員が終業時刻後も働いている限り、そこにいよう、そこにいて、もしも、何か手伝えることがあったなら手伝おうというのなら、いて悪くないのですが、「ほい、差し入れェ♪ それ、差し入れェ!」とちゃらけて見せて、アホを演じるのであれば、「そこにいない方が良い」のです。 そういう醜態は見せない方がよろしい。
そういうアホを演じない方がよい、そういうアホを演じるところを従業員に見せない方がよいと言っても渡邊さんは理解できない人でしょうから、となると、「自分が働いていない時は見えない場所で」ということで、渡邊さんは、渡邊さん自身がやる仕事がない時には、むしろ、他の従業員から見えない場所にいるようにした方が良かった、自分の用事がないなら終業時刻と同時に帰宅して支店にいないようにした方がよかったということになるでしょう。
もっとも、「ほい、差し入れェ♪ ほれ、差し入れェ! それ、支店長の差し入れェ♪」と最も忙しくしていた従業員にその仕事を中断させて買いに行かせた菓子パンをそれほど忙しくしていない人間に運んでちゃらける、というのは、あんまりそんなことする人ないと思いますけれども、ね・・・・。 その菓子パンは石井がふてくされて買い物かごに投げつけて入れたパンだ、ということに気づくこともできずに・・・。
(2016.2.15.)
☆ 「やったことないことはできるか」シリーズ
1. 負けパターンの感知 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_5.html
2-1 保養所で働いて「実感した」、待機している時は、忙しくしている人から見えない位置で https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_2.html
2-2 「完成現場見学会」の準備をしている人の脇で両手をポケットにつっこんでふんぞりかえる新人類 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_3.html
2-3 1人では片づけられないものに途方に暮れている同僚を、手伝いに行くのではなく見物に行くパーマン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_4.html
2-4 締日前に、最も忙しく仕事をしている人間、最も遠くから来ている人間に、わざわざ、それほど忙しいわけでない人間、地元の人間に「差し入れェ!」とやるためのパンを買いに行かせる痴漢人間 〔今回〕
2-5 自分の担当の仕事を担当外の従業員に押し付け、それで空いた時間にPTA役員やってますとわざわざブログで公開するエイリアン(異星人) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_6.html
≪B≫
【3】 最も忙しい人間に、菓子パンを買いに行かせて、それを「ほい、差し入れ」「はい、差し入れ」と一番忙しいわけでない従業員にちゃらけてみせる白痴支店長
1992年(平成1年)、現在ではヤマダ電機に買収してもらって、ヤマダエスバイエルホーム(株)としてかろうじて後継会社が存続している旧・小堀住研(株)は、「客の女に手を出したらいけないけれども、会社の女にはいくら手を出してもかまわない会社」と従業員の間で言われる会社でした。 1992年7月、千葉支店長に赴任したW邊は、赴任早々、歓迎会の席において、何人もの千葉支店従業員が見ている前で、女性社員の尻をなでまわした。 「男性がさわりたいと思うお尻をしているということはいいことだねえ」と言いながら。
これ、「酒の場のことだろうがあ」と渡邊は言うのですが、彼は自分では「いたって酒の好きな男」と自分のことを言うのですが、実際に「飲み会」になると、ほとんど酒を飲まないのです。 私は彼の目の前の席に座っていたから、そして、新しく支店長となってきた人というのはどういう人だろうと思って彼をずっと見ていたのでわかります。 彼は、ほとんど酒を飲まずにやったのです。 「酒の上でのことだろうが」と言いますが、嘘です。
小堀住研(株)は1990年に社名をエスバイエル株式会社に変更し、その後、業績を悪化させ、富士銀行は破産管財人のような人間を社長に送り込み、取れるだけ取って手を引いたのか、その後、富士銀行(現・みずほ銀行)出身の役員は消え、その後、積水ハウス(株)出身の男が社長になったので、かつて、もっぱら軽量鉄骨軸組構法の会社だった積水ハウス(株)が在来木造のトーヨド建設を買収して積水ハウス木造(株)とし、それが「積水シャーウッド」という商品名で定着した後、積水ハウス(株)に合体させて、積水ハウス(株)が鉄骨造と在来木造の両方を扱う会社としたのに続き、木質パネル構法で、又、かつては「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」として評価された小堀住研(株)の後継会社であるエスバイエル(株)も買収しようという考えで社長として人を送り込んだのか? とも思いましたが、積水ハウス(株)としては社内のガラが悪い会社で、そして、すでにかつての「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」と言われた頃の人材は消え、かつての入居者からも見放され、むしろ、相当イメージの悪いエスバイエル(株)を傘下に入れてもメリットはないと判断したのか、積水ハウス(株)に買収されることはなく、積水ハウス(株)出身の男も社長から去り、そして、ヤマダ電機が買収してヤマダエスバイエルホーム(株)となったようです。
「ハリコの虎」理論というものがあります。 誰が命名したかというと私が命名したのです。 かつて、中国の毛沢東主席は、「帝国主義者とすべての反動ははハリコの虎である」とおっしゃったわけです。 「ハリコの虎」とはどういう意味かというと、「見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。」というものらしい。 そして、「帝国主義者と反動はには2つの面がある。 1つは恐ろしい本物の虎という面で、もう1つは実力のないハリコの虎という面である」というのです。 これは、カール=マルクスさんが、「生産力と生産関係の矛盾によって」「客車が機関車に引っ張られるように」資本制経済の社会は社会主義に移行すると予測したものと通じる部分もあります。 歴史の歯車を力で逆にまわそうとする者どもはハリコの虎であっていずれ打倒される、と言うのです。 しかし、経済体制として、資本制経済が社会主義経済に移行するのかというと、今現在そうなっていませんし、そうなりそうな状況にも少なくとも今現在はありません。 そして、かつて、社会主義とソビエト連邦に対して好意的に見た人でも、現実に出現したソビエト連邦を見て幻滅した人もいるわけです。 文学者のアンドレ=ジッドは、スターリンが常に正しいと言うのであれば、スターリンがすべての権力を持っているというのと同じではないか。 スターリンが常に正しいとされてしまうソビエト連邦においては、レーニンですらもスターリンに気に入らないとされれば牢獄に入れられるかシベリア送りにされるかする危険がある、と言います。 ジャン=ポール=サルトルは、一時、社会主義とソビエト連邦に好意的で、フランス国内においても「共産党の同伴者」と見られていた時期があったものの、サルトルが言うには、共産党の人間と話をすると、サルトルは自分自身の意見・考えを述べるのに対して、共産党の人間はあくまで「党の見解」を述べ、自分自身の考えを述べない。 こういった状況が良いのか、と疑問を感じるわけです。 ヴィルヘルム=ライヒはドイツ共産党員であったけれども、ロシア革命後のソビエト連邦に行き、これでは国営資本主義だと絶望します。 毛沢東も最初はソ連を支持していたものの、すべての社会主義国の問題をソ連が決めるというのはおかしいのではないのかと疑問を呈するようになります。 こういった真面目に社会主義について考えた人たちの批判・疑問を考えても、「客車が機関車に引っ張られるように」「資本制経済は社会主義に移行する」のか? というと、そうとも言えないかもしれないと思えてくるのです。
しかし、「ハリコの虎」理論というのは間違いということではない。 千葉支店長の渡辺士直は「この俺は会社の女の尻をさわったけれども、俺は会社からそれを何とも言われてないんじゃ。 俺が支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわんのじゃあ。 俺は今後も会社の女の尻をさわるが、これは中島(昭午)社長から認められとるんじゃ。 中島社長から支店長は会社の女の尻はさわってもかまわんと認められとるんじゃあ。わかったか、バカたれがあ。 支店長が会社の女の尻をさわるのはいかん、というようなことを言うような人間が会社を辞めんといかんのじゃあ。小堀住研はそういう会社なんじゃあ」と大声で怒鳴ったのですが、「そういう会社」というのは、要するに「長い目で見るとハリコの虎であって、その実力はたかがしれている」会社だということです。 その会社に実際に勤める従業員にとっては、そういう痴漢人間であっても、社長の中島昭午がそんなアホを評価して支店長にならせている以上、そして、中島が「支店長は会社の女の尻はいくらさわってもかまわんと認めている」以上、そういう痴漢人間と痴漢人間を支店長にする会社は「おそろしい本物の虎」であるのですが、社会全体におけるその会社の存在として考えると、そういう会社が業績を残せるかという点で考えると、長い目で見てそういう会社が発展するかという目で考えると、「そういう会社」は「ハリコの虎であってその実力はたかがしれている」ということになるのです。 そして、「そういう会社」である小堀住研(株)の後継会社 エスバイエル株式会社はつぶれた。 かつて、大阪駅の目の前にあった本社も売り飛ばした。 かつては新宿センタービル・池袋サンシャイン・大宮ソニックシティといった一等地のビルに持っていた支店もずっと便利の悪いよくわからない場所に引っ越した。 やはり、「ハリコの虎」は「その実力はたかがしれている」ようだった、ということです。 資本制経済が社会主義に移行するのかどうかという問題はよくわかりません。移行することがあるとしても、ここしばらくのことではなく、何百年か後のことであって今しばらくは資本制経済は変わらないかもしれません。 しかし、「この俺は会社の女の尻をさわったけれども、俺は会社からそれを何とも言われてないんじゃ。 俺が支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわんのじゃあ。 俺は今後も会社の女の尻をさわるが、これは中島(昭午)社長から認められとるんじゃ。 中島社長から支店長は会社の女の尻はさわってもかまわんと認められとるんじゃあ。わかったか、バカたれがあ。 支店長が会社の女の尻をさわるのはいかん、というようなことを言うような人間が会社を辞めんといかんのじゃあ。小堀住研はそういう会社なんじゃあ」という「そういう会社」は「長い目で見るならばハリコの虎」であったように、というよりそれほど長くない間に、つぶれました。ヤマダ電機が買収してヤマダエスバイエルホーム(株)として後継会社があるとはいえ、いったん、つぶれたものをヤマダ電機が買収して再興したということでしょう。 なお、小堀住研(株)の社長・中島昭午は「支店長は会社の女の尻はいくらさわってもかまわん」と認める権利が社長にあると確信していたようですが、社長にそんな「権利」はありません。 ありもしない「権利」が社長にあると勘違いしているアホが社長になっていた会社はどうなったかというと、つぶれました。
それで。 1989年のことです。 締日直前のこと。 見込客に提出する図面と見積書を千葉支店の設計課と工務課から受け取るべく千葉支店に行っていました。 設計課と工務課から渡されたものを見て内容を確認していたのです。 その当時、千葉支店には、支店の他に、松戸・柏という常磐線沿線の展示場と、市川・千葉市幸町・千葉市天台の総武線沿線の展示場がありました。 常磐線沿線から総武線の千葉まで行き来するのはなかなか大変で時間がかかり、体力的にも疲れます。 私が、図面と見積書の確認をしていたところ、営業課長の石井が、私に、「支店長から、パンを買ってきてくれと頼まれた。 つきあって」と言ってきたのです。 「なんで、そんなもの、私たちが買いに行かなければいけないのですか」と言いました。 要するに、痴漢支店長の渡邊は、締日前に、支店に終業時刻以降も残って仕事をしている人間に、菓子パンを買って「支店長の差し入れ」だと言って渡してカッコつけたいらしかったのですが、支店にいた人間でも、忙しくしている人間、忙しくてひいひい言っている人間もおれば、「お付き合い」のように残っているがそれほどは忙しいわけでもないという人間もいるわけです。 私はその時、松戸展示場からはるばる千葉支店まで行って、それからまた松戸まで戻らないといけなかった人間であり、翌日以降、締日までに契約にもっていくために、大忙しで図面と見積書の内容を確認していた人間なのです。 もしも、「支店長の差し入れ」と言って「しょーもないもの」を渡したいのであれば、「残っている人間でもそれほど大忙しでない方の人間」で、かつ、松戸など遠くから来てまた遠くまでこれから帰らないといけない人間に頼むのではなく、「それほど忙しくしていない人間」で、かつ、千葉支店に普段からいる人間に頼むか、そうでなければ、渡邊は支店長といえども、その時には支店長というのは何もしていないのですから、「支店長の差し入れ」とかやりたかったのなら、自分で買いに行けばよかったのです。 一番、忙しくしている人間に、それほどでもない人間に「支店長の差し入れ」をするために、向かいのコンビニまで菓子パンを買いに行けというのは、本末転倒も甚だしいのです。
松戸営業課長の石井は、かつて、石井が営業課長であった営業チームにいた従業員から、「石井課長はいいよ。 よく知っているし、優しいし」と言われていたのです。 これは間違いというわけではありません。 小堀住研(株)の営業課長でも、「営業ひとすじ」というような人には、「柱と梁の違いもわからずに売ってるのではないのか」というような人もいたようで、実際には柱と梁の違いくらいはわかるでしょうけれども、住宅・建築についての知識もなく売ってきたような人がおり、そういう人には質問しても答えてもらえないのに対し、石井さんは、建築専門学校を卒業して一級建築士の資格を持っており、設計事務所で設計をやっていたこともある人なので、建築・住宅についてはよく知っているし、営業としての進め方も良心的であり、そして、営業担当者に対しても「優しい」ので、所属の営業担当者としてはつきあいやすい課長だというのですが、たしかにそういうところはありました。私は、小堀住研(株)に入社した1年目に最初に配属になった営業課の課長であったUさんと次の営業課の課長の石井さんの2人から教えてもらったことは今も役立っており、そういう点で、「部下を教えることのできる課長」であり「部下の世話をすることのできる課長」ではあったのです。 しかし、そういう面だけ見ていた人は、十分に人を見ていたとは言えません。
私が担当者として契約いただいた 松戸市の I 様から家相と気学の専門家の所に一緒に行ってほしいと言われ、営業課長の石井さんと私と実施設計担当のKさんの3人が同行したことがあります。 その時、家相と気学の専門家という西日暮里のその方は、私たちに対しても、この人はこういう人で、今後こういうことがあるかもしれませんといったことを、ひとりひとり言われたのです。 私は「この人は、真面目な人ですが、本来は営業の世界に入らない人です。 しかし、いったん、営業の世界に入ると、お客様のためにも営業成績の上でも悪くない人になるでしょう」と言ってもらいました。 その一方で、石井さんは「この人は要注意です。 この人には気を付けた方がよろしい」と言われたのです。 帰り道、石井さんは「おまえはいいよなあ。ほめてもらって。 俺なんか、『要注意の人間』だからなあ~あ」とぼやいていました。 石井さんは私が担当とはいえ、新人の私に対応できないものをカバーして、私より石井さんの方が I さんのために動いていたくらいでしたが、しかし、「要注意」のところもある人だったのです。 その家相と気学の専門家の方は、初対面なのによく見ていたなあと感心します。
どこが「要注意」か? ひとつには、何かを教えてほしいとかお願いすると石井さんはもったいつけることもなく親切に教えてくれるのです。 「優しい」といえば優しいかもしれません。 しかし、一方で、支店長とかそういう人に課長として意見を言うことができない人なのです。 千葉支店で、支店長の渡邊が、「支店長の差し入れ」とかやりたいと思ったのなら、自分で買いに行くか、そうでなければ、比較的忙しくない人間で、かつ、一番遠くの松戸営業所から来ている人間ではなく、普段からそこにいる人間に買いに行ってくれと言うべきものであり、それを、わざわざ、一番遠い所から来ている人間で、そこにいる人間の中でも忙しさで一番か二番くらいの人間に、それほどでもない人間に「支店長の差し入れ」をするために買いに行けというのはとんでもない話なのです。支店長にそういうことがわからない人間がなっている以上、営業課長になっている人は、そういう本末転倒の支店長から部下を守らないといけないはずであり、「すいませんが、今、私たちは大変忙しくしていまして、買いに行く時間はありません。また、ここでやっていることが終わればすぐに松戸まで帰らなければならないのです。だから、申し訳ありませんが、そういうのは、私たちよりも忙しくない人に頼んでいただけませんか」と、石井さんは言わないといけなかったはずなのです。 また、引き受けてしまったなら、それならそれで、忙しくて頭をかかえていた私に「パンを買いに行ってくれと支店長から頼まれた。つきあって」と私に言うのではなく、ひとりで買いに行けば良いのです。 向かいのヤマザキデイリーストアまで菓子パンを買いに行くなどということは、2人で行かなければならない問題ではないのです。1人で十分できることのはずなのです・・が、「つきあって」と言う人なのです。 石井さん自身、なんでこんなことさせられなければならないのかと不快感を覚えていたようで、向かいのヤマザキデイリーストアに行くと、石井さんは、「これでいいだろ」と言って、ふてくされたように、菓子パンを買い物かごの中に投げつけたのですが、パンにあたるのではなく、はっきりと支店長に言うべきだったのです・・・が、言えない人で、言わない人だったのです。 「支店長である限り、会社の女の尻はいくらさわってもかまわん、と中島社長が認めておるんじゃ」という会社ですから、たかだかその程度のことを言っただけでも、「支店長に逆らった」とか言い出されるおそれがあると思ったのかもしれません。
もう1つ、石井さんには問題点があります。 それは、石井さんは「裏切る」のです。 住宅展示場の事務所で、その営業課の人間だけで話をしている時に、石井さんが、支店長の渡邊について、「あの人は・・・・」と話したのに相槌をうったとします。石井さんはそう思っているのだと考えます。 ところが、いつのまにか、その石井さんが言ったことを私が言ったことにされて、石井さんは他に話していたりすることがあるのです。 自分が言ったことを私が言ったとして他に話すのです。 石井さんとかつて同じ営業課にいて、「石井課長はいいよ。 よく知っているし、優しいし」と私に話してくれた人は、石井さんの良い一面の方を見ていたのであり、それは間違っていないのですが、別の一面もあったのですが、それが見えていなかったのです。西日暮里の家相と気学の専門家の方はそれを初対面で見抜いたのです。 私には見えました。 そういう人なんだな、と見えました。 一方で、住宅・建築についていろいろと教えてもらったし、そのあたりは親切な人でしたし、直接つきあうには気難しいところもないつきあいやすい人かと思いがちな人でしたが、一方で、プラスに評価できない面もある人だったのです。
そして、石井と私が買って来た菓子パンを支店長の渡邊はどうしたかと言いますと。 それを持って、私たちより忙しくしていない従業員の所に回って、「ほい、差し入れェ! はい、差し入れェ♪ ほい、支店長の差し入れェ!」と言ってちゃらけて見せたのです。 アホです。
私はそれを見て、この渡邊士直という人は、やっぱり、支店長としては資質に問題がある。 支店長の適正に欠ける人だと認識しました。
なぜ、渡邊が支店長になっているのか。 それよりも、渡邊がそこにいるのが間違っているのです。 小堀住研(株)は「大卒しかとらない会社」だったはずなのです。 なぜ、高卒の渡邊士直がそこにいるのでしょうか。
小堀住研(株)の求人票には、「技術系」(設計・工事管理・積算・アフターサービスなど)は4年制大学の建築学科か土木学科卒の人というのが応募条件で、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部卒が応募条件と書かれていたはずなのです。 なぜ、その応募条件を満たしていない渡邊がそこにいるのでしょうか。 おかしいのと違いますか。 小堀住研(株)に応募した人間は、「大卒しかとらない会社」に応募したはずなのです。 「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者」の勤務先に応募して採用されて「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者」の勤め先に入社したはずなのです。なにゆえ、応募条件を満たしていない品行の悪い人がそこにいるのでしょうか? なにゆえ、高卒の痴漢人間がそこにいるのですか?
公務員の場合は、「応募条件」と指定されているものを満たしていない人を採用すると、「裏口」とでもいった評価となり非難されます。〔実際には、司法試験に合格していないのに、なぜか、「検察官」になっている「副検事」とか、なぜか「簡易裁判所 裁判官」になっている「カンパン」とかいますけれども。〕 それに対して、民間企業の場合は、「応募条件」は、あくまで、こういう人を採用したいと考えていますという表明であって、その条件を満たしていない人でも、会社の経営者・採用担当者が、この人は役に立つであろうと判断したならば、採用するということはありえますし、それは違法でもありません。 私が、過去に勤めた会社では、基本的には「大卒しかとらない」と言っていた会社ですが、東大中退の人がおり、その人は東大を卒業はしていないらしいのですが、東大で専門とするものを必要とする仕事ではなく、むしろ、基礎学力と思考力の方が求められる仕事でしたので、「その会社にいる限り、『大卒に準ずる』」という評価をされていました。 小堀住研(株)に同期で入社した人の中でも、建築学科卒の人は「技術系」の応募条件は満たしていますが、「営業系」の応募条件には該当しないのですが、建築学科卒だが設計や工事管理ではなく営業をやりたいという人が1人あって、営業として採用されていました。 これなどは、個々に、応募条件と少々はずれているが採用してよいかどうか検討した上で、採用してよいと判断されたようです。 そういうのは悪くはないと思います。
しかし、応募条件を満たしていないと同時に痴漢人間で高卒の渡邊はなにゆえそこにいるのでしょうか。 応募条件を満たしていないにもかかわらず、採用される理由があるとは思えません。 そういう人を採用するとなると、「秩序を乱す」ことになります。
小堀住研(株)に入社した人間には、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」「高級住宅の小堀」「小堀ならではのデザイン」「住研とは? 住宅を建設するのではなく、住宅を研究する」という小堀住研(株)に入社したいという気持ちで4年制大学に行き卒業した人もいるはずなのです。 それなのに、入社してみると、高卒の人がいる。 高卒であるが、この人は大卒の人と比べて劣らないものを持っていると特に認定されて悪くないという人ならともかく、高卒の痴漢人間がそこにいるわけです。 おかしいですね。 こういうことをやっていると、「会社の秩序を乱す」ことになります。
渡邊は、私のことを「使いにくいやつだ」などと言っていたと東京支店長の高倉から聞いたのですが、私は渡邊に使ってくれと頼んだ覚えはないのです。 渡邊が私を使おうというのがそもそもおかしいのです。 私は「大卒しかとらない会社」に入社したはずであり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部出身者のコース」に入ったはずなのです。 「高卒の痴漢人間のコース」に入社した覚えはないし、そういうコースに応募していないし、そういう人に上役になってくれと頼んだ覚えもないのです。 これは私だけではありません。小堀住研(株)に応募した人間、入社した人間は誰しもそのはずなのです。 よく言ってくれると思います。 私が「使いにくい人間」ではなく、渡邊さんが私を使おうとするのがそもそも間違っているのです。思い上がりも甚だしいのです。
「たたきあげ」とか称しているような中卒であったり高卒であったりする経営者には、日本の小学校から大学まででやっていることは価値がないと決めつけたくてしかたがないという人がいます。 中には、内容のないもの、かえって害があるのではないかとも思えるものもあるかもしれませんが、私は全体としては、日本の小学校から大学まででやっていることは、そんなに有害無益なものだとは思っていません。 まず、なによりも、小学校から大学まで人並みに学んできた人間なら、渡邊さんのように、その支店で一番忙しくしているのではないかと思える人間、しかも、一番遠くから来ていてまた一番遠くまで帰らなければならない人間に、それほど忙しくしているわけではない人間で、支店に普段からいる人間や支店の近くの営業所の人間に、「支店長の差し入れェ、ほい、差し入れ! はい、差し入れェ♪」とちゃらけてもせるために、忙しくしている仕事を中断して菓子パンを買いに行ってこいなどと非常識なことは言いません。 そういう判断力を「教養」と言います。 渡邊さんにはそれがないのです。
締日直前、千葉支店においても、支店長というのは、そういう時に特にやることはないのです。 やることはないから、1人だけ、さっさと帰るのか、それとも、他の従業員が勤務時間終了後も忙しく働いているのであれば、特にやることがなくても、支店長という役職につかせてもらっている以上、いるだけでもそこにいるべきなのか。 いた方がよいと判断して渡邊さんがそこにいたのなら、それは悪くないでしょう。 しかし、だからと言って、何かをしようと思って、一番忙しくしているのではないかと思える人間で、一番遠くから来ていてまた一番遠くまで帰らなければならない人間に、それほどでもない人間に「ほい、差し入れェ♪ ほれ、差し入れェ!」と渡邊さんがちゃらけてみせるための菓子パンを買いに行けとか言い出すのであれば、渡邊さんがそこにいるのは「仕事の邪魔」ということになります。
渡邊さんは、支店長として各展示場を見に行くことがあった際、展示場の掃除が行き届いていないと、「ほれ、ここ、ホコリがたまってますよお。 ほれ、ここもぉ」とかやるのですが、その展示場の従業員が遊んでいる、怠けているのならそれをやっても悪くないかもしれませんが、そんなこと言われなくてもわかっているが、忙しくて、十分に掃除できずにいるというような場合には、特に忙しくしておらず、むしろ、暇な人間から、「ほれ、ここホコリ、それ、そこにも」とかやられると、あなた、暇なんだったら、とりあえず、自分でそこ拭いてもらえませんか、と言いたくなるのです。そして、実際、そうなのです。 その展示場にホコリがたまっているのに従業員が暇そうにしているというのなら、「ここにホコリがたまってますよ。暇なら掃除くらいしてください」と言ってよいでしょうけれども、全員が忙しくひいひい言っている状態であれば、渡邊さん1人だけ暇なのですから、とりあえず、たとえ1カ所でもそのホコリを拭いて、その上で、「どこそこにホコリがたまっていました」と言うべきです。そうでなければ、「ほれ、ここにホコリがたまってますよ。 ほれ、そこにも」とか言うのは、「ほい、差し入れェ! ほい、差し入れェ♪ それ、支店長の差し入れェ!」というのと同じく、「ちゃらけているだけ」です。
今回のテーマは「自分が働いていない時は見えない場所で」でしたね。 もしも、渡邊さんが、支店長なのだから、自分は特にやることがなくても、その支店に所属の従業員が終業時刻後も働いている限り、そこにいよう、そこにいて、もしも、何か手伝えることがあったなら手伝おうというのなら、いて悪くないのですが、「ほい、差し入れェ♪ それ、差し入れェ!」とちゃらけて見せて、アホを演じるのであれば、「そこにいない方が良い」のです。 そういう醜態は見せない方がよろしい。
そういうアホを演じない方がよい、そういうアホを演じるところを従業員に見せない方がよいと言っても渡邊さんは理解できない人でしょうから、となると、「自分が働いていない時は見えない場所で」ということで、渡邊さんは、渡邊さん自身がやる仕事がない時には、むしろ、他の従業員から見えない場所にいるようにした方が良かった、自分の用事がないなら終業時刻と同時に帰宅して支店にいないようにした方がよかったということになるでしょう。
もっとも、「ほい、差し入れェ♪ ほれ、差し入れェ! それ、支店長の差し入れェ♪」と最も忙しくしていた従業員にその仕事を中断させて買いに行かせた菓子パンをそれほど忙しくしていない人間に運んでちゃらける、というのは、あんまりそんなことする人ないと思いますけれども、ね・・・・。 その菓子パンは石井がふてくされて買い物かごに投げつけて入れたパンだ、ということに気づくこともできずに・・・。
(2016.2.15.)
☆ 「やったことないことはできるか」シリーズ
1. 負けパターンの感知 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_5.html
2-1 保養所で働いて「実感した」、待機している時は、忙しくしている人から見えない位置で https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_2.html
2-2 「完成現場見学会」の準備をしている人の脇で両手をポケットにつっこんでふんぞりかえる新人類 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_3.html
2-3 1人では片づけられないものに途方に暮れている同僚を、手伝いに行くのではなく見物に行くパーマン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_4.html
2-4 締日前に、最も忙しく仕事をしている人間、最も遠くから来ている人間に、わざわざ、それほど忙しいわけでない人間、地元の人間に「差し入れェ!」とやるためのパンを買いに行かせる痴漢人間 〔今回〕
2-5 自分の担当の仕事を担当外の従業員に押し付け、それで空いた時間にPTA役員やってますとわざわざブログで公開するエイリアン(異星人) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_6.html
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