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[第395回]営業と会社の話(85)-2
【9】 小堀住研 → エスバイエル と ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/
   小堀住研(株)は、1970年前後においては、関西地域では「高級住宅の小堀」として評価を得ており、営業は「ミサワなんかと違って、きっちりとした木造の家を作っている会社です」と言っていた。 中より上のサラリーマンにとっては、「小堀で家を建てた」というのがひとつのステータスのようになっていた。 その後、在来木造から木質パネル構法に主力がシフトし、1970年代なかばに、「高品質低価格」の「ハウス55」を始め、「高級住宅」と「高品質低価格」タイプの2本立てになった。  私は小学生であった時に、テレビで、「住研(じゅうけん)とは。 住まいを建設するのではなく、研究する」と言う、建設する会社よりハイレベルな研究する会社だと言いたいらしいコマーシャルを聞いたことがある。 「小堀」というのは、創業者の小堀林衛という人の名字をつけただけらしいのだが、16~17世紀の茶人で建築家・作庭家で桂離宮の設計にも関与したのではないかとも言われる小堀遠州と関係があるのかと顧客が勝手に勘違いする名字である。(実際は、たまたま、名字が一緒だっただけらしいが。) 小堀遠州と関係があるのかと顧客が勝手に勘違いする名前と、「住まいを建設するのではなく、研究する」と「建設する会社」よりもレベルが上の会社なのだとアピールする「住研」を会社名につけた高級感のある名称だった。
※小堀遠州を知らない方は、たとえば⇒《ウィキペディア―小堀政一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A0%80%E6%94%BF%E4%B8%80
   「住研(じゅうけん)」は、1980年代の終わりに私が小堀住研(株)に入社した時、新卒社員研修で、講師役で来た人が「『住研』という名前は、小堀だけの名前で、他に『住研』という会社はないはずです」と話したのだが、そうか?と思って見まわすと、千葉県柏市に「柏住研」という不動産屋があった。 「柏住研」はあったが、その頃は、不動産屋は「××地所」「××不動産」「××土地」といった名称の店が多く、「○○住研」という名前を名のる不動産会社は多くなかったのだが、その後、不動産屋で「××住研」という名を名のる不動産屋が続出し今では「住研」は“ 不動産屋の名前 ”になり、建築屋で「住研」と名前をつけていると、「住まいを建設する会社よりも格上の研究する会社」というイメージではなく、「不動産屋と一緒」の扱いで、むしろ、評価は下がってしまう名前になってしまった。
   1990年に、小堀住研(株)は「エスバイエル(株)」に会社名を変更し、会社名を変更した頃から、業績悪化が目立ち、社長の中島昭午が「超低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかあっちやらこっちやらで言いまくることで、それまでに「小堀の家」「小堀ならではのデザイン」「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」にあこがれのようなものを持ってくれていた「小堀ファン」とでもいうような客層を中島が必死になってドブに捨てた。 最近、エスバイエル(株)を買収してヤマダエスバイエルホーム(株)にしたヤマダ電機が、「小堀の家」とかいって、かつての「高級住宅の小堀」の客層を取り戻そうとしているようだが、一回、自分でドブに捨てたものは、そう簡単には戻ってこないはずだ。 1970年頃、関西の読売テレビ、東京の日本テレビで放映された花登筐(はなと こばこ)の小説『銭の花』をテレビドラマとした『細うで繁盛記』で、大阪宗右衛門町で「南地楼」という高級料亭を築いた ゆう が孫娘で伊豆熱川の旅館「山水館」の女将になる加代に「加代ちゃんなあ。 店の格というものは、上げるのは大変だすけれども、落とすのは簡単に落ちるものだすで」と語る場面があったのだが、小堀住研(株)の中島昭午は『細うで繁盛記』見てなかったのかねえ・・・・〔⇒《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館 》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U 〕。
   1980年代、小堀住研(株)は、木質パネル構法での高級住宅志向のタイプを「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨で「桂」と名前をつけ、その改良版「新 桂」という商品名で売り出していた。 桂離宮は誰の設計かというのは説がいくつかあってはっきりと誰と断定までできないらしいが、小堀遠州ではないかという説もあり、遠州の設計ではないが小堀遠州が何らかの関りを持っていたのではないかという説もあるらしい。 だから、たまたま、創業者の名字が小堀遠州と一緒だっただけであっても、「小堀」という名称は小堀遠州を思わせる名字であり、建築屋には、特に高級住宅を建てようという建築屋にはプラスになる名前なのに、なにゆえに、会社名から「小堀」をとりたいのか? というと。 2代目の社長になった中島昭午は、初代の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたのだが、実際はそうではなく、「メカケの子」という説と「メカケの娘の婿」という説があり、そのどちらかだったようだが、そのあたりに理由がありそうだった。
   1990年前後、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の社長だった中島昭午は、従業員の間で「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていた。 「天婦羅」とは何かというと、ニセ大学生のことを「天婦羅」とかつて言ったらしいのだ。 今では「大学」の数も「大学生」の数も多くなったが、かつて、明治から大正にかけての頃は、大学も大学生も少なく、今と違って「大学生」はエリートであり、「将来、お国を背負って立つ大学生さんを大事にしなければならない」というような風潮が社会にあり、鉄道においても「学割」などといったものが今でもあるのはそのなごりらしい。 だから、「大学生」だということにすれば、優遇してもらえるということから、大学生でもない者が、大学生の服装をどこかから手に入れて大学生になりすますようなヤカラがいたらしい。 今は、中学校・高校と違って大学に制服なんてないし、あっても誰も着て行かないが、かつてはあったそうで、そういう中身は大学生ではないのに大学生の「衣(ころも)」を着てごまかすやつのことを、「天婦羅」と言ったらしい。食べ物の天婦羅を見ると、ネタが衣(ころも)を着ているが、中身は大学生ではないくせに格好だけ大学生の格好をしてごまかすやつのことを言ったらしい。 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の社長の中島昭午は、社内報に「『俺は一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志をあきらめ、大学進学を辞めて叔父と一緒に小堀住研を始めた」と書いていたのだが、その文章を見て、多くの従業員が言っていたのだ。 「また、でた」と。 普通に考えればわかることだが、「一国一城の主になる」のなら、慶應の経済学部なり商学部なり、そうでなくても、なんかそういう系統の大学に行っておいた方がよいではないか。 「一国一城の主になる」という言葉に動かされて、それで、医学部にでも行こうと思っていたのを変更して経済学部とか商学部・経営学部に行くことにしたとかいうならわからんでもないが、「一国一条の主になる」のに、大学進学を辞める必要はないだろうが。 そうだろ。
   実際には、社長の中島昭午が最終学歴が高卒であるのは、「一国一城の主」になるために「向学の志をあきらめた」とかあきらめなかったとかではなく、単にできが悪かったから行ける大学がなかっただけで、小堀林衛が運転するトラックの助手席に「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの中島昭午が乗って、2人で運送屋をやってカネを稼ぎ、そのカネで工務店を始めて、それが大きくなって、小堀住研(株)になったというもので、「トラック屋の助手」だったのであって、「向学の志をあきらめた」だのなんだのとよく言うわ・・・・というのが、従業員の間での「通説」だった。
   たとえ、大学に行かなくても、高校卒業まで、旧帝大系国立大学に進学してもおかしくないくらいの成績を残せるだけの勉強をしてきた人間なら、大卒の人間でも使っていくことができたであろう。 初代の小堀林衛という人は、自分は高校しかでていなくても、「小堀住研は大卒しかとらない会社」として、そして、1960年代後半に小堀住研(株)で家を建てた私の両親が言うには、その頃から入居後にかけて、小堀住研(株)には、阪大や神戸大あたりを卒業したという従業員がいて、そういう人はしっかりしていたというのだが、小堀林衛という人はそういう人を努力して使ったのだろう。 ところが、高卒でしかない2代目の中島昭午さんにとってはそういう評価の高い大学卒の従業員を使うのは「しんどい」ということだったのだろう。小堀林衛が会長になって「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの中島昭午が社長になり、小堀林衛は会長になって、さらに相談役になっていた1980年代の終わり、すでに、(銀行から出向で来ていた人間は別として)阪大や神戸大なんか出たような人は会社にいなかった。 私が小堀住研(株)を辞めて、一条工務店に移り、1990年代の終わり、栃木県佐野市の営業所にいた時に、予算が厳しい人に、結局、エスバイエル(株)〔← 小堀住研(株)〕の「ハウス55」で契約されてしまったことがあったのだが、その時にも、「本当は○○さんと一緒に家を作りたかったのですが、うちは予算の上でどうしようもないのです。 そりぁあ、安い所の会社は営業の人だって、○○さんなんかと違って、もっと格下の人ですよ。 ○○さんみたいな人じゃないですよ。 でも、しかたがないんです。うちは一条さんで建てるだけのお金はどうしても出せないんですから」と言われたことがあった。 1992年に一条工務店に入社した時、この会社、レベル低いなという印象を受けたのだが、10年弱のうちに逆になっていた。 「天婦羅」で何でも解決するものではなく、「天婦羅ばっかりの高卒昭午」が社長になると、本体の「高卒正午」にあった会社にしてしまう、ということだろう。 小堀住研(株)の千葉支店の支店長になっていた「高卒の痴漢人間」の渡邊士直が中島昭午に矢鱈と大事にしてもらっていて、なぜ、こんな程度の低い男が大事にされるのかと思ったものだが、というよりその前に、「大卒しかとらない会社」のはずの小堀住研(株)になぜ「高卒の痴漢人間」がそこにいるのか???と強く疑問に思ったものだが、「天婦羅ばっかり」の「高卒昭午」にはそういう男が良かったということなのだろう。 「家造りらが、要らぬものだと捨てた石。 それが隅の頭石になった」という言葉が聖書にあるが、「天婦羅ばっかりの高卒昭午」が捨てた従業員と大事にした従業員を見比べてみると、その会社の行く末は見えてくる。
   そして、天婦羅男が「小堀」という小堀遠州を思わせる会社名を捨ててつけた「エスバイエル」という何かよくわからん名称は、「実際の建物よりも安物のイメージ」をまとい、そして、つぶれた。 つぶれるべくして、つぶれた。 というよりも、社長の中島が必死になってつぶした。 先代の名字を社名からとりたいという2代目の個人的理由を優先したのがつぶれた原因の1つでしょう。 中島昭午がつけた「エスバイエル」という名称にはマイナスのイメージしかついていないから、ヤマダ電機は適切なタイミングで「ヤマダエスバイエルホーム」の名称から「エスバイエル」を削除した方がよいかもしれない。

【10】 「工務店」 と 「林業」 と 「ハウス」 と 「ホーム」
   1992年に在来木造の一条工務店に入社した頃、一条工務店 http://www.ichijo.co.jp/ は、東京では、浜松出身の人とかでない限りほとんど誰も名前も知らない会社だった。 江東区亀戸の城東マイホームセンター(今はない)に新しく展示場を建設中の土日に、お客様を呼び込もうと詰めていた時、同じ総合住宅展示場に出展していた三井ホームに勤めていたおばさんが帰りがけに「浜松からこんな遠くまで来て大変ねえ。 がんばってね」などと別に浜松出身でもない私に言って帰ったことがあったが、そのおばさんには「一条工務店」という名前を聞くと、そういう印象だったのだろう。
   住宅会社の営業には「自分が売った」と思っている人がいるが、それは正しくない。 その会社の評価、認知度と商品の評価、それに営業担当者の努力が加わって、それで売れたり売れなかったりしているのだ。 営業の努力だけで決まっているのではない。 それがわかっていない人というのは、営業として未熟で経験の浅い人か、さもなくば、知名度・認知度があって評価が高い地域・営業所でしか仕事をしてきていない人だろう。 1992年、苦戦していた東京営業所の従業員の間で、「なぜ、『工務店』という名前なのだろう」という話が出たことがあった。「◇◇ハウス」とか「▽▽ホーム」という名称である場合に比べて、「△△工務店」という名称では、「ハウス」「ホーム」の会社より下に見られたり、「田舎の会社」に見られたりして、営業上、プラスではないというのを、東京地域の営業は東京で仕事をして肌で感じていたのだ。 「××林業」なら、木質系の会社の場合、実際にどうであるかにかかわらず、なんだか、国産材のいいものを使ってくれるのか? というイメージがする。 そういったことを考えると、竹中工務店のようにすでに相当大きくて、今さら宣伝しなくても誰もが会社名を知っているというような「工務店」はよいとして、その頃の一条工務店のような東京では浜松出身の人間でもなければ知っている人間はほとんどない、という会社では「プラスにならない社名」だった。
   「ハウス(house)」と「ホーム(home)」はどこが違うかというと、小堀住研(株)の新卒社員研修で講師役で来た人の説によると、「『ハウス』というのは、柱があって梁があって屋根があって、雨風を防ぐ建物というのが『ハウス』であり、それに対して、『ホーム(home)』は、単に雨風を防ぐものではなく、そこに家族の団欒があり、家族が人間として夢を持って生きていける場である、というもののことで、『ホーム(home)』は単に雨風を防ぐだけではない」というのだ。 だから、「他の会社を見ても、『ハウス』と名前をつけている会社と『ホーム』と名前をつけている会社では、『ホーム』と名前をつけている会社の方が、内容のあるものを作っている場合が多いように思います」とその人は話したのだが、そうであるのかどうかはよくわからないところもある。 住宅建築業の会社を見ると、ツーバイフォー工法の会社には、三井ホーム・三菱地所ホーム・東急ホームなど「ホーム」の会社が多いようなところもある。
   「××林業」は、実際にその会社が持っている森林で取れた材木を使っているわけではなくても、いくらかなりとも森林を所有しているか、今現在は林業は不振であっても、もともとが林業の会社だったという会社が在来木造で建てている場合につけていることが多い社名であり、「なんか、いい木を使ってくれそう」とか「伝統を尊重した家をつくってくれそう」とかいうイメージを客の側が勝手に持ってくれる可能性のある名前であった。( もっとも、輸入材の使用が多いにもかかわらず、「住友林業は日本の森林の○パーセントを所有しています」と書かれた住友林業のカタログはどんなもんか、と思ったけれども・・・。)
   一条工務店がなぜ「工務店」という社名をつけていたか。 結論を言えば、「地方」を重視していた会社だからだ。 私は一条工務店で、福島県で勤め、栃木県で勤めたが、福島県の兼業農家の人と話をすると、総合住宅展示場に出展している「◇◇ハウス」「☆☆ホーム」といった会社名をつけている会社というのは、「(たとえ、在来木造で建てていても)プレハブみたい」とか「東京あたりの都会の会社で福島県のことなんかわかってないのと違うか」とか、「高いのじゃないか」とかいう印象があるというのだ。 そもそも、家というものは在来木造で建てるもので、ムク材で建てるものだという意識が相当に強い地域で、「大工さま」に頼むか工務店に頼むかといった思考をしている人にとっては、総合住宅展示場に出展している会社でも、「◇◇ハウス」「☆☆ホーム」という名前をつけている会社というのは、馴染みにくいし、敷居が高くて入りにくいそうだ。 だから、そういう場所で営業するには「◇◇工務店」の方がよいのだ。 そういう地域では、「工務店」の方が敷居が低くて入りやすいし、自分たちに合ってるという印象があるようだ。 だから、一条工務店も、今は東京でも認知度は高くなったが、認知度が低かった時代においては、東京では「工務店」という社名はプラスにならなかったが、「工務店」は、家というものは在来木造で建てるもので、ムク材で建てるもので、「大工さま」か工務店に頼むものだという意識が強い地域で売れるようにと考えてつけられた社名だったのだ。 (ついでに、一条工務店の社内誌には「一条」というのは、「木造住宅ひとすじ」の「ひとすじ」で「一条」だなどと書かれていたが、従業員の間で言われていた「通説」によると、そんなものは嘘っぱちで、実際は、昔、京都の三条通りに「税金対策」のための会社を持っていて、その会社の名前を三条通りにあるから「三条工務店」にしようかと考えたが、「三条工務店」よりは「一条工務店」の方が聞こえがいいだろうというので「一条工務店」にしただけであって、「『木造住宅ひとすじ』の『ひとすじ』から『一条』」などというお話は後から考えた創作だそうだ。 )

【11】 住友林業 http://sfc.jp/
   住友林業という会社は、在来木造で戸建住宅を建てようという人の中には、地域によっては「住友林業教の信者」みたいな人がいたりする会社で、そういう人というのは、もはや、宗教の信者であり、理論で打ち破ろうとしても難しいところがあった。〔⇒〔第321回〕《「やったことない」ことはできるか?《A》―住宅建築業の営業(1)「負けパターン」の感知。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_5.html 、[第255回]《「加圧注入木材を構造材に使用した家に住むと住人は健康を害する」という住友林業が何度も言った嘘について》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
   その一方、「関東」「東京圏」においては、「住友」は関西の会社であり、「関西」の人間はあつかましいという信念を持っている「東京もん」がいて、そういう「東京もん」は、「住友はがめつい」「住友はあつかましい」と実際にどうかと関係なく決めつけているようなところがあった。 1992年に、一条工務店に在籍していた時、私が実際に接した方だが、茨城県出身で東京都に住み東京の会社にご主人は勤めているという人だったが、「住友林業は、大阪の会社だけあって、あつかましいわよねえ。 やっぱり、関西の人間というのは、人間的にがめついのよ」と言いまくり、さらには「あなたはどこの出身なの?」と言うので、「私は大阪の出身です」と言ってやったのだが、話を聞いていると、住友林業という会社がどうであるかの問題ではなく、その人の方がよっぽどあつかましかった。 実際のところ、東京圏在住の人間には、自分の要求する値引きとかが、相場を超えたものできける内容ではなかったりして、相手がきいてくれないような時に、その会社が大阪発祥とか大阪本社だったり、担当者が関西出身だったりすると、自分の方があつかましいのに、「関西の人間だから、やっぱりあつかましいわ」だのと「関西」「大阪」のせいにするというのを得意技にしている人というのがいるのだ。
   関西人がなぜ「東京もん」に嫌われるかというと。 イナカモンが東京に出てきて何年か過ごし、自分は「東京もん」になったぞ、「シティーボーイ」「シティギャル」になったぞと思っているところに、関西人がやってきて、その付け焼刃の「シティー」を見て、「アホちゃうか」と思いよるわけだ。もしくは、イナカモンが「死にたいくらいにあこがれた、花の都の大東京♪」〔清原が好きだったとかいう長渕剛の「とんぼ」とかいう歌、変な歌詞だと思いませんか?〕 とか思って喜んでいたやつを、関西人は「そこまでええもんかあ~あ?」とか言いよるわけだ。 そうすると、「シティボーイ」「シティギャル」になったと勝手に思っている男・女からすると、そういう関西人というのはおもしろくないわけだ。 又、 「東京もん」には、人と議論して負けそうになった時、切り札として「いなかも~ん!」と相手をののしれば、東北人は「ぎくっ」とすることがあるらしく、その文句で勝つ! という切り札・十八番があるらしいのだが、関西人に向かって「いなかも~ん!」と言っても、関西人にはそれが効かない。 「何が田舎やねん。おまえの方こそ田舎やろうが。自分の方がイナカモンのくせに、なんや、けったいなこと言うやっちゃな」とか思われるだけなのだ。 だから、「東京もん」の切り札である「いなかも~ん!」というセリフが効かない関西人は「東京もん」としてはおもしろくないのだ。 だから、実際は自分の方がよっぽどあつかましいのに、「関西の人間だからあつかましい」だのなんだのと言いまくるのだ。そういう相手に値引きなんかしようものなら、はてしなく値引きを要求されてしまうことになるから、そんな値引きをするわけにはいかない。 かつて、20代の時に京都の下宿屋で少し住んだ時があり、その家主のおばさんが亡くなったご主人のことを、「うちの人は商売がうまかったですよ。 どこがうまいかと言いますと、ね。 値引きをさせるのがうまいというのもあるのですが、どのくらい引いてもらうかという判断がうまかったですね。 私なんかは、引いてくれると思うと、引いてくれるのだからもっと引いてもらえばとか思ってしまうんですけれども、うちの人は違いました。 『これ以上はひかせてはいけない。 あの人にもこのくらいは利益をとらせてあげないといけない』といったことを言いました」という話を聞かせてもらったことがある。 「東京もん」で「関西人だからあつかましい」とか人をののしる人間というのは、自分が買い手の時にはこの「引いてもらえると思えばいくらでも引かそうとする」ような人間で、逆に自分が売り手の時には少しでも値引きを求められると、もう対処できなくなって、「関西人だからあつかましい」と「関西人」のせいにする人間であり、「東京もん」の中でも商売下手の方の人間である。 そういう見込客というのは、どの会社にとっても、あまり、客質としては良い方の客ではないのだが、そうであっても見込客は見込客であり、「住友」という名前をつけていると、名前で得する時があるだけではなく、損をする時も時にはあるようだ。

【12】 ロッテ http://www.lotte.co.jp/
   製菓会社の「ロッテ」の経営者は在日韓国人らしいが、会社名をつける時に、日本人に受け入れられる名称として、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に登場する女性の名前「シャルロッテ」から、「ロッテ」という名前をつけたらしい。 韓国で商売をするのに韓国の名前をつけるのは悪いことは何もないし、韓国の商品を日本で売ろうというのなら、韓国の名前をつけて悪いこともないが、製菓会社としては日本で日本人に売ることを考えると、日本人に受ける名前をつけないと行けない。 在日韓国人だったロッテの経営者はそれを考えて、「ロッテ」ならいいだろうと判断したらしい。 また、ロッテの菓子は、和菓子か洋菓子かというと、基本的には洋菓子だから、欧米風の名前にした方がよいということもあって、「シャルロッテ」から「ロッテ」としたということもあるのかもしれない。 〔 もっとも、ゲーテは「文豪」と言われるけれども、『若きウェルテルの悩み』については、「小学校高学年から中学生・高校生に向けての推薦図書」のように言われてきたが、私も読んだけれども、要するに、「ひとの嫁はんに恋して自殺したアホな男の話」でしかないのと違うのか・・という気がするのだが、すばらしい小説だともっと褒めなきゃならないのだろうか・・・。 〕


【13】  新華ハウジング(有) と ビルダーズジャパン(株)、ジャムズグローバルスクエア(株)
   千葉市中央区鵜の森町 にあった 新華ハウジング(有)〔建設業〕 ・ ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕 ・ ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕は、実質、同じ男が経営する同じ会社で、会社名だけいくつもあったのだが、名前の付け方がトンチンカンである。
   「新華」という名称は、中国人にとってはものすごい「ブランド」である。 ≪新華社(しんかしゃ)は、中華人民共和国の国営通信社である。正式名称は新華通訊社。≫(《ウィキペディア―新華社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%8F%AF%E7%A4%BE )であり、日本人でもたいてい知っているが、ましてや中国人で「新華社」を知らない人はない。 それで、千葉市中央区鵜の森町 にあった「新華ハウジング(有)」が中国の通信社の「新華社」とどう関係があるかというと、何もない。 社長の名前から1字「新」をとり、社長の嫁はんの名前から1字「華」をとって、その2つをくっつけて「新華」にしただけで、社長は別に中国人でもないらしい。 それだけ・・・・だが、もしも、日本国内で中国人を相手に商売をするのなら、「社長の名前と社長の嫁はんの名前から1字ずつとってつけただけ」ですと言っても、それでも、中国人は新華社と何か関係があるのかと勝手に思ってくれる可能性が期待できる名前である・・・・が、中国人を相手に商売するのにはよくても、日本人を相手に商売をするたいして大きくもない工務店としては、その地域に住む日本人の住人としては、なにもわざわざ中国人の会社に頼まなくても日本人の会社に頼んだ方がいいのじゃないの~と思うだけのことであって、日本人を相手に商売をする工務店にとってはプラスになる社名ではない。 在日韓国人の人で、日本で日本人を相手に商売していくには日本名を名のっていた方がやりやすいということで日本名で商売している人もいるはずだが、日本人なのに、日本人を相手に商売をする工務店に、なにゆえ、中国人がやってるような名称をつけるのか疑問だった。 新華ハウジング(有)は大東建託や新昭和の木工事部分の下請けの仕事をしていたが、下請けの工事をやっている限り、会社の名称はそれほど関係ないが、一般消費者から直接契約をもらおうとするならば、会社名をどうするかは大事であって、社長の名前と嫁はんの名前から適当につけるというのでは良くないのではないか。
   そして、「ハウジング」という部分だが、一般に「◇◇ハウジング」という社名は建築屋ではなく不動産屋が名のることが多い名称である。 不動産屋だが建築もやっているという会社はあるが、建築と不動産のどちらに重心があるかという問題で、不動産の方に重心のある会社、「不動産屋」の建てる建物というのは、一般に質が良くない、ということになっている。 だから、建築屋の名前としては「・・・ハウジング」ではなく、「・・・ハウス」でも「・・・ホーム」でも「・・・建設」でも、「・・・ハウジング」でないものをつけた方が良いはずなのだ。
   さらに、2011年4月から、新華ハウジング(有)の社長の長谷川は、不動産の会社として ビルダーズジャパン(株)を作ったが、こちらは、むしろ、不動産屋ではなく建築屋を思わせる名称である。 英語のもとの意味を考えてみよう。 『新英和中辞典』研究社から引用する。
buirder (名詞)建築(業)者。 建造者。
a master builder 《大工の》棟梁。
だから、「ビルダーズジャパン」の「ビルダーズ」は、builder(建設業者)の複数形の builders なのか、それとも、「builder(建設業者)の」という意味の builder’s なのか。 いずれであったとしても、建設業者の名前、もしくは、不動産屋でも建売分譲をやるような不動産屋の名前なのだ。 実状と離れた名称をなにゆえつけたがるのか。
   そして、なにゆえ、カタカナ名にしたがるのか、という問題もある。 社長の知能程度、文化的水準が低いからか?  カタカナ名が絶対に悪いということではないが、絶対にいいわけでもない。 そこでカタカナ名にする必要があったか?
   福島県いわき市から栃木県佐野市に引っ越す時に頼んだ引っ越し屋は、「日本引っ越しセンター」だったか何かそんな名前だった。 よく考えずに、職業別電話帳(タウンページ)で見て電話をして頼んだのだが、どうも対応がしっくりしないところがあると思っていたら、実際はいわき市内郷の小さい業者だった。 大きい会社、全国企業に見せた方が仕事を頼んでもらえるだろうと考えてそういう名前をつけていたようだ。 岩手県と北海道だけで建築をしている会社で、「日本住宅」という会社もあったと思う。 10年弱前に見て、なんだか、名前だけ大きな名前をつけているという印象だったが、今は、千葉支店も設け、全国企業とまでいかないが、ともかく営業所はけっこう持っていて、「岩手県ローカルの会社」というわけでもないようだ。 実状よりも全国的という印象を与える名称を会社名につけるのがいいか悪いかは何とも言えない。 あまり、実状から離れた大きな名前をつけていると、それを見て大きな会社かと思った人が実状を知った時に「騙された」という印象を持ってしまい、マイナスになる可能性もないとは言えない。 「ビルダーズジャパン(株)」の場合は、不動産業の会社を千葉県で作りました、というもので、そして、千葉市から市原市あたりを中心としてその付近に力を入れてやっていこうということだったはずであり、そうであるなら、「ジャパン」といった広い地域の名前をつけるよりも、実際に力を入れてやっていこうという地域の名前を付けた方がよいのではないかと思えた。
   「ジャムズ グローバル スクエア(株)」に至っては、何の会社かもわからない。 もう一度、『新英和中辞典』(研究社)を引いてみよう。
global (形容詞)球場の、眼球の、 地球の、 世界的な、 全世界にわたる(worldwide)、 すべての、 全体的な(entire) 
squere (名詞) 正方形、4角なもの、広場、街区・・・・
何を言いたいのかよくわからない。 さらには、jam には、故障・停止、窮地・困難 といった意味もあるが、まさか、「故障した世界的な街区」でもないだろう。 食パンにつけるジャムでもないだろうし。 会社名は何を言いたいのか、何をやる会社なのかわかりやすい名称で、どういう地域で仕事をしたいのかわかる名称で、そして、見た人、聞いた人が好印象を受ける名称にするべきだ。 又、「新華ハウジング(有)」と「ビルダーズジャパン(株)」と「ジャムズグローバルスクエア(株)」では、普通の人間は、これらが関連会社だとはわからない。 関係があるとわかる名称にした方がよいだろう。
    大学の学部では、文学部は大学に残って文学の研究者になるか、中学校や高校の国語か社会の先生にでもなるのなら良いが、一般の会社に勤めるのなら、法学部や経済学部・商学部・経営学部などに比べて歓迎されない学部とされてきたが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川のカタカナ名好みを見ると、そこには、文学的素養の不足、文学的教養程度の低さがあるように思える。 慶應の商学部で、労務管理論を担当されていた教授が、「ぼくは、大学では商学部の専門科目は3割くらいで、むしろ、文学・哲学・宗教学・人類学・歴史学・社会学といった一般教養の方を7割くらい学んだ方がいいのじゃないかと思っている」と講義の中で言われたことがあったのだが、就職を考えると、専門科目の方を重視して採否は判断されてしまうことが多いのではないかとも思うのだが、一般教養は確かに大事であり、それは、「会社」というところで業務につく場合にも表に出てくるということは言えるだろう。
   私は、「新華ハウジング(有)」という名前の「新華」は、中国人を相手に商売する会社なら良いが、日本人を相手にして、しかも、地域密着の仕事の場合はプラスになる名前ではなく、「ハウジング」は不動産屋を思わせる名前で、建築屋なら「ハウジング」はやめた方がいいと思ったし、「ビルダーズジャパン(株)」は地域密着で伸びようという不動産部門の会社としては適切と言えない名称で、「新華ハウジング(有)」とのつながりもわからないものであり、不動産屋よりも建築屋、もしくは、建築部門を含む不動産屋の名前という印象を受けるもので、そのあたりを考えた方が良いのではないかと思ったが、会社のためを思ってでも言うと社長は怒るかなとも思って、本当は言って上げた方がいいのだけれどもと思いながら言わずにいたところ・・・・・、それだけが原因ではないが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)はつぶれた。直接の原因ではないとしても、いいかげんな名前をつけている、ということはつぶれる要因の1つと言ってよいと私は思う。

【14】  東日本ハウス → 日本ハウスホールディングス(株)http://www.nihonhouse-hd.co.jp/
   「東日本ハウス」という名前をあまり聞かなくなったが・・・と思っていたら、日本ハウスホールディングス(株)と名称を変更したらしい。在来木造の会社で、社長が右翼で、日本歴史研究所だかそんな感じの名称の、要するに戦前の「神話から説く天皇中心の人物中心の日本史」を復活させてやろうという団体を作り、社長の息子が青年自由党なる右翼政党で岩手県の選挙区で選挙に出て小沢一郎の息子だかに負けたが後に当選したとかいう話があって、東日本ハウスの仕事をやっている業者は選挙の時に青年自由党という右翼政党に協力を強制されていたらしかったが、在来木造の会社としては、1990年代前半くらいにおいては(株)一条工務店とどっこいどっこいくらいの会社であったが、同じように伸長し、(株)一条工務店は「浜松の会社」「イナカの会社」として「地方」ではそれでいいだろうけれども都会ではちょっとお~お・・という姿勢を貫いていたのに対し、東日本ハウスは「一条よりは都会的」というくらいの“スタンス”だったが、1990年代後半、福島県いわき市で勤務していた時、東日本ハウスの所長だか店長だかに東京圏から来て赴任したというおっさんに「東日本さんは、一条に比べれば都会的な姿勢だから、東京圏なんかでも対応しやすいということはないですか」と言うと、「いやあ。うちも同じですよ。やっぱり、木造(在来木造)の会社は地方に比べて都会ではやりにくいですよ」と言っていたので、そう変わらなかったのかもしれない。 岩手県盛岡市に本社を置いて、東日本地域で建てる会社であった時は東日本ハウスで悪いことはなかったが、西日本地域にも事業展開していきたいと考えると「東日本ハウス」という名前では具合が悪いと判断したのだろう。 しかし、「日本ハウス」ではあまりにもありきたりで特色がない名称で、「インパクトがない」とも言える名称でもある。名称変更前と後では、変更後より名称変更前の方が存在感があったような気がするのだが・・。
    2000年代、住宅建築業の営業として「トップセールス」だった人とか「営業所長」だった人にインタビューをして語ってもらったビデオを、他の会社にも販売するということをしていた会社があり、東日本ハウスの「トップセールス」だというおっさんと、積水ハウス(株)の営業所長だか支店長だかいうおっさんの話のビデオを(株)一条工務店で見せてもらったことがあった。そこで、東日本ハウスの「トップセールス」というおっさんが「新人に同行して客宅に行く時には、クルマの中で、必ず、軍歌をかけて強制的に軍歌を聴かせて気持ちをたかぶらせるようにしています。」と発言していたのだ。やっぱり、東日本ハウス〔→日本ホールディングス(株)〕は右翼の会社だけあって、気色悪いというのか、なんだか「ほとんどビョーキ」て感じがした。 まず、音楽というものは好みがあり、ひとに強制して聴かせるものとは違う。
   それから、私もお客様宅に向かう時、特に、ここで決めてもらえるかどうかということでの訪問の時、クルマの中で音楽をかけながら行ったことはあるが、そういう時に聴く音楽というのは、「気持ちをたかぶらせる」音楽ではなく、逆に、「気持ちを落ち着ける」音楽だった。 おっさんには、時々、交渉事に臨む時、酒を一杯ひっかけてくるおっさんというのがいる。大事な交渉事なのに、なぜ、酒飲んでくるのかと思うのだが、「勢いをつけてくる」という考え方らしいが、気持ちの小さい、本来、肝の座ってないおっさんが無理をしているということなのだろう。人間である以上、腹が立つこともあれば緊張することもあるし、言葉が荒くなってしまう時だってあっておかしくはないが、しかし、交渉事においては、「言葉は穏やかに」かつ「主張するべきことはきっちり主張する」というのが基本で、「酒のんで勢いつけて」というのは、物事の考え方として違うと思う。ここで決めてもらえるかどうかという大事な商談に向かうクルマの中で、「気持ちを高ぶらせる音楽」を聴く・聴かせるというのは、「交渉事の前に一杯酒をひっかえて行く」というのと考え方は共通するもので根本的に間違った発想だと私は思う。
   又、「気持ちをたかぶらせる音楽」なら、軍歌でないといけない理由はないはずだ。 「六甲おろし」だっていいのじゃないかい?〔《YouTube―六甲おろし 唄:立川清登 》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕もし、阪神が好きじゃないなら他のチームの応援歌でもいいけど。 オペラでも、たとえば、ベルディ『イル=トロヴァトーレ』の中のマンリーコのアリア《Luciano Pavarotti "Di quella pira" Il Trovatore Firenze 1991 》https://www.youtube.com/watch?v=J3BhMYAgdrE とか、私は悪趣味だと思うのだがリヒァルト=ワグナーのオペラ『ワルキューレ』の「ワルキューレの騎行」などというのも「気持ちを高ぶらせる音楽」かもしれない〔《YouTube―楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」 ゲルギエフ》https://www.youtube.com/watch?v=ONfSjfTWJJU 〕。 「ロシア民謡」の「ポーレシュカ ポーレ」(日本語に訳すと「野原」)なんかも「気持ちを高ぶらせる音楽」かも〔《YouTube―【ロシア音楽】ポーリュシカ・ポーレ (Полюшко-поле) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=ydqCslwtthk 〕。但し、「ポーレシュカ ポーレ」は日本では仲雅美が歌って「人畜無害な恋の歌」みたいなイメージを広めてしまったが、もともとの「ポーレシュカ ポーレ」はそうではなく、ロシア革命の時、社会主義革命を妨害するべくソビエト連邦に侵攻した外国軍と闘う赤軍の歌だか、「大祖国戦争」とロシア連邦では言っている第二次世界大戦の際、ソ連邦に攻め込んだナチスドイツとの戦いにおける歌だかで、「必ず勝って帰ってくるからと愛する娘に言って出かける若い戦士の歌」だったはずだが、たぶん、黙ってると東日本ハウスのおっさんなんかにはわからんと思うぞ。「野こえ、山こえ」という、ロシア革命へ干渉するためシベリアに攻め込んだ日本軍と闘う抗日パルチザンの歌というのも「気持ちを高ぶらせる音楽」かも〔《Partisanen vom Amur - (Japanisch) - 野こえ山をこえ》https://www.youtube.com/watch?v=Mk6yk6-DoSk 〕。 さらに、「ワルシャワ労働歌」とかも「気持ちをたかぶらせる音楽」かもしれん〔《YouTube―「ワルシャワ労働者の歌」》https://www.youtube.com/watch?v=qtslGbYKMoQ〕。 「赤旗の歌」とかもそうかもしれん。「卑怯者、去らば去れ!」というの〔《YouTube―「赤旗の歌」 》https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg 〕。 東日本ハウスの「トップセールス」というおっさんは、「軍歌というのは気持ちを高ぶらせる音楽なんです。だから、お客様の家に行く時には、クルマの中で新人に必ず軍歌を聴かせるようにしているのです」と、軍歌を聴かせる理由を述べたのですが、 「気持ちを高ぶらせる音楽」だからというのなら、「赤旗の歌」でも「ワルシャワ労働歌」でもいいわけですが、右翼東日本ハウスの「トップセールス」のおっさんは「赤旗の歌」をクルマでかけるか? かけんだろ。やっぱり、「気持ちを高ぶらせる」かどうかより、軍歌を無理矢理ひとに聴かせたかったのだろ。
   もし、「気持ちをたかぶらせる音楽」というのなら、軍歌とか労働歌とかである必要はないのだ。『仮面ライダー』の歌〔《YouTube―戦え!仮面ライダーV3/子門真人ver 》https://www.youtube.com/watch?v=B8Ka4dRejwg 〕でも「ガメラマーチ」〔《YouTube―【MAD】 昭和ガメラVSバルゴン・ギャオス・ギロンで "ガメラマーチ"》https://www.youtube.com/watch?v=Lg-ucf6SHxs〕だっていいわけだ♪ だいたい、東日本ハウスの「トップセールス」というのは、お客さんの家に戦いに行くのかあ?なんか、そのへんが東日本ハウスの「トップセールス」は勘違いしてるんじゃないか。
   何か、東日本ハウスの「トップセールス」というのは、商談に行くのに、レスリングかボクシングでもしに行くかと勘違いしてるような感じがするのだが、もし、レスリングかボクシングでもするつもりなら、むしろ、「ミル=マスカラスのテーマ」「スカイハイ」なんていいのじゃないかい?〔《YouTube―ジグソー** スカイ・ハイ》https://www.youtube.com/watch?v=ZxuwEmtekeI 〕なんか、お客さんち行って、フライングクロスチョップ!とかやりそうな・・・・。「イノキ、ボンバイエ」というのは、もともとは「アリ、ボンバイエ」というモハメド=アリのテーマソングだったらしいね〔《YouTube―モハメド・アリ入場曲(アリボンバイエ) 》https://www.youtube.com/watch?v=GHbEBvEqf6c 〕・・・で、右翼東日本ハウスの「トップセールス」て、いったい、誰をやっつけるの? なんか、こわそ・・・。
   経済学者の大塚久雄は、何かあった時にはバッハの『マタイ受難曲』を繰り返し繰り返し聴いてきたと『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)で述べていたが〔《YouTube―J.S.バッハ《マタイ受難曲》第1部全曲 カール・リヒター(1958)》https://www.youtube.com/watch?v=ba9TMBUAmMc 〕、「マタイ受難曲」を聴いて心を落ち着ける人を見ると、その気持ちがわかるが、軍歌を自分が聴くだけでなく、望んでもいない他人に無理矢理聴かせるという男を見ると、野蛮人! て感じがする。 だいたいね。 私の父が軍歌が好きだったのだ。戦中世代でしたから。それで、子供の頃から、「どんがんどんがらがった♪」とか「とってちってたあ~あ!」とか毎日のように言われてきたのです。子供の頃は特別何とも思わなかったけれども、成人する頃になったら、もう嫌になった。 そして、父を見ていて気づいたのです。「どんがんどんがらがった」とか「とってちってたあ~あ」とかが好きな人というのは、あくまで自分がひとに「どんがんどんがらがった」とか「とってちってたあ~あ」と言うのが好きなのであって、決して自分が言われるのが好きなのではないということに〔《YouTube―《軍歌》軍艦マーチ("Gunkan māchi "~March "Man-of-War"~) RemakeVer. with Eng/Sub 》https://www.youtube.com/watch?v=iDcvlV0Lb8s 〕。 で、私は、自分がひとに言うのも自分がひとから言われるのも嫌いなんです、「どんがんどんがらがった」とか「とってちってたあ」とか。 野蛮人! だいたい、東日本ハウス〔→日本ホールディングス(株)〕のおっさんというのは、なんで、客宅に行くのにクルマの中でパチンコ屋の音楽かけなきゃいかんのだ、なんか知能程度低いな、て感じがする。
   だいたい、「気持ちを高ぶらせる音楽」て、お客様と対決するつもりなのか? そのあたりが間違っていると思う。お客様と同じ方向を向いて家づくりをおこなう為に行くのと違うのか? そのあたりをその「トップセールス」は勘違いしていないか?
   社名変更した「日本ハウスホールディングス(株)」という名称の「日本」とは、日本生命・日本ハム・日本車輛・日本航空・日本銀行・日本大学・日本橋などの普通の意味での日本か、それとも、「日本会議」のような戦前回帰・維新体制復活・国粋主義的・右翼反動の「日本」か。右翼青年自由党東日本ハウスが名のった以上は後者か・・・・。


【15】  フリーダム アーキテクツ デザイン(株) http://www.freedom.co.jp/
   長すぎる。 舌かみそうで発音しにくい。 名前を聞いただけでは、何やってる会社かわかりにくい。
   住宅建築の設計会社とわかったとして、デザインに重心があるということは、構造については重視していないということか? とひとによっては考える名称(実際、構造に問題が多いが)。  デザイン重視の割に、外観は箱型のコンテナ倉庫か公衆便所みたいな家ばっかり作っている。

  今回の稿は、適切な会社名と不適切な会社名 の≪上≫https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_1.html とワンセットでのものです。 ≪上≫ とともにお読みください。 よろしく。 
     (2016.3.4.)  

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