アクビ の松嶋みどり と職場の「新人類」家庭の教育の悪い女 。及、生命保険屋の異星人女は帰れ!
[第409回]営業と会社の話(87)
2016年3月9日の衆院外務委員会で、岸田文雄外相(58)の隣の席で、元法務大臣で自民党所属の 松嶋みどり 衆議院議員が、いねむり・大あくび・読書・携帯いじり と繰り返し、それがテレビカメラに映像として映され、顰蹙をかった。 この点について、本人は「弁解のしようもありません」「反省しております」と素直に謝ったというのはエライ? そんな問題ではない。 その実態は、インターネットで検索しても、文章でも大量に出ている。
たとえば、
《YAHOO!ニュース―大アクビに携帯ピコピコ、答弁者の横で堂々読書 国会映像大ヒンシュク・松島元法相が読んでいた本とは 》http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160318-00000002-jct-soci ↓
≪ J-CASTニュース 3月18日(金)18時51分配信
豪快にアクビをし、ウツラウツラと舟をこぐ。目を覚ましたかと思えば、携帯電話をピコピコいじり、読書にふける――。元法相で自民党の松島みどり衆院議員(59)の審議中の態度があまりに「ひどすぎる」としてネット上で批判が相次いでいる。 松島氏は事務所を通じて「弁解の余地もございません。深く反省しております」との謝罪コメントを出した。 問題となったのは、2016年3月9日の衆院外務委員会だ。席は岸田文雄外相(58)の隣。松島氏の姿は、岸田氏が答弁に立つたび国会のネット中継のカメラにしっかりと映ることになった。
松島氏は開始直後から眠たそうな表情を浮かべ、5分後にはウトウトし始めた。疲労が溜まっていたのか、朝8時30分という開始時間が早すぎたのか。口を手で隠すこともなく、大きなアクビをすることも何度かあった。
起きていても審議内容は上の空。約30分後には携帯電話を取り出して、ボタンをカタカタカタ...。ピンク色のガラケーはその後も度々登場し、よく見えないのか、時おり画面にじっと目を凝らす場面もあった。
開始から1時間経った頃には、なんと本を読み始めた。岸田氏が真横で真剣に答弁しているにもかかわらず、背もたれに寄りかかりながら読書にふける。途中、熟睡状態に陥ったり、ボーっとしたりすることもあった、「読書タイム」は中継に映っていただけでも20分以上はあったようだ。 ≫
《Infoseek楽天NEWS 大アクビに携帯ピコピコ、答弁者の横で堂々読書 国会映像大ヒンシュク・松島元法相が読んでいた本とは》http://news.infoseek.co.jp/article/20160318jcast20162261806/ 〕、
動画でもYouTube その他で出ている。
※ 《 YouTube―松島みどり(自民)【つまみ出せよw】携帯いじり→大あくび→読書【 国会 衆議院 外務委員会】2016.3.9 》 https://www.youtube.com/watch?v=TPk65caGkB8
実際のところ、いくらなんでも、ひどすぎる。 ↑の動画だが、これが本当の国会の中継ではなく吉本新喜劇であったなら、けっこうおもしろいと思うのだ。真面目くさって答弁している大臣のすぐ横で、これだけやってのけるというのは、吉本新喜劇なら大うけじゃないかと思う・・・・が、吉本じゃないのだ、これは。
過去に、松嶋みどり さんは、選挙期間中に、自分の選挙チラシを「うちわ」にして配ったということが問題にされたことがあった。 マンションの販売の広告を駅前で配っているマンション販売の営業マンがいるが、マンションのチラシだけでは受け取ってもらえない場合でも、それを厚紙にして「うちわ」にして配れば受け取ってもらえることがあり、そうして配っている人がいる。 選挙のチラシもそうやれば受け取ってもらえて、「うちわ」として使ってもらえば、常に手元にあって、立候補者の氏名が有権者の頭にすりこまれることになるので、厚紙で「うちわ」にして配るというのはいい知恵ではないかと思いがちだが、これは、「利益供与」に該当するのかどうか、セーフかアウトかというと、アウトらしい。 しかし、これは、誰しもやりたくなることで、良いわけではないとしても、「しょせん、うちわ」であり、「たかが、うちわ。 されど、うちわ」であっても、良いわけではないということで、法務大臣を辞職したが、そうはいっても、「しょせん、うちわ」であって、追及する方としても、あまりにも強く追及したのでは、「おまえら、他に言うことないのか」ということになるところであり、「しょせん、うちわ」でもあったのだ。
その後、「フライデー」であったと思うが、松嶋みどり さんが、東大に合格した時に、エール出版社から発行されている『東大入試合格作戦』という本に合格体験記を書いていたのだが、そこに、私は東大でこんなに優秀なんだと自慢たらしく書いていた、というのが、何十年も前の本を引っ張り出して批判されていたのを見たが、まあ、人によっては、この女、感じの悪いやつ・・とか思うかもしれないが、「しょせんは、はたち前の若気の至り」というのか、まだ未熟な年代の時に書いたものであり、誰しも、40過ぎて、あるいは、30過ぎてでも、10代の時に自分が書いたものを見ると、「ギャッ」と言ってひっくり返りたくなるようなものがあったりする、もしくは、かつては「名文」のつもりで書いたものが、何十年か経って読むと、この程度のものを「名作」「名文」と思っていたのかとその頃の自分の未熟を感じてしまうということもあるのではないかと思う。 たとえ、10代の時に書いたものが最適なものでなかったとしても、人間にとって大事なのは過去よりも現在であり、そういった未熟な時代を経て人間的に成長して今現在の人間があるというのなら、10代の時に最適でないことを述べていたとしても、特に問題にするようなものではないと私は思う。だから、へ~え、そんなこと書いてたのか~とおもしろかったけれども、その「フライデー」の記事の批判は特に問題にするものではないと思った。
「松嶋みどり さん」と、なぜ、この人を「さん」づけにするかというと、私は、この人が議員に立候補するより何十年か前から名前を知っていたのだ。 どこで知っていたかというと、1970年代後半、私が大阪府立 北野高校の学生であった時、文化祭の運営委員が、文化祭に、誰か、OBに講演に来てもらおうと思うが、誰に来てほしいかというアンケートをとった時、来てもらえるかどうかはともかく、手塚治虫(漫画家)とか森繁久弥(俳優)・野間宏(文学者)といった有名人の名前が出やすいのだが、そういった有名人に並んで「松嶋みどり」という名前があがっていたので、「松嶋みどり て、いったい誰やの?」と同級生にきいたところ、「前の学生自治会の委員長らしい」ということだった。 松嶋みどり さんは、私が北野高校に入学する前くらいに在籍していた、私が入学する年だったかその前だったかに卒業して東大に進学したようで、卒業しても、後輩に人気があったのか、馬鹿にされていたのかどちらかわからないが、そういうところで名前が出たことから、そういう人がいたということを知った。 しかし、大学なら何千人といるので、同じ大学にいても、「ああ、そう」というくらいだが、高校の場合、私がいた頃の北野高校は1学年、450人で、それに3をかけると、1350人しかいないので、自分が在籍した時にいた人なら、どこかで見かけたこともあっただろうけれども、私が在学した3年間では、彼女はすでに卒業していなかったのだが、妹さんが在籍していたのだ。 だから、あの人のお姉さんなんだと思って、特別につきあいがあったわけでもないが、松嶋みどり さんが選挙に出たときには、なつかしさを感じた・・・・が、その後、墨田区のあたりで彼女の選挙ポスターを見た時、そこに書かれていた主張は、小泉政権の言うことそのままであり、自分自身としての考えが何ら見られず、東大でてもこんなものかと思ってがっかりした、ということがあったが、それでも、自分が行った高校で、少し前に卒業した人だということで、その分、他の議員よりは親しみのようなものは感じていたところがあって、だから、他の議員なら「敬称略」のところを「さん」づけにしているのだが、しかし、それにしても、この醜態はいくらなんでもひどすぎる・・・・・。 吉本新喜劇の芸人がやるならともかく、実際に国会で、答弁している大臣のすぐ脇でやったのでは、いくらなんでも・・・な・・・・・・。↓
↑ この写真は、インターネットからコピーして貼り付けたが、著作権がどうのといったこともあるのかもしれないが、現職の議員の国会での非常識な態度は、より多くの国民が知るべきものであり、それは、著作権どうこうより優先されるべきものだと思うので、ここに貼り付けることにした。
この写真をプリントして、90を過ぎた母に見せたたところ、「この人、家庭がよくないね」↑ 「育ちが悪いね」↑というのが、母の感想だった。 言われて、たしかに、そうかもしれないと思った。
学校で良い成績を残すことができるかどうかについては、本人の努力だけでなく、家庭の環境も関係あると私は思っています。 我が家の場合は、母の家系に学校の先生が多く、勉強する人が好きな家系であったという点で条件は良かったと思いますが、母の叔母の夫が小学校の先生で私が小学校の低学年の時、近くに住んでいたこともあって、母は小学校の先生をしていた叔父(私の母の叔母のつれあい)から小学生の勉強をきいてきたりしたようですが、その影響を私は受けたおかげで、小学校・中学校の時はプラスになるものが多かったのですが、高校から大学受験になると、小学生型の勉強法が身につきすぎてしまってマイナスになったものも部分的にはありました。 どういうことかというと、「学校の勉強というものは、どこの大学に合格できるかできないかにかかわらず、価値があるものだ」「学校の勉強というものは、どれだけ出世できるかといったことのためにするものではなく、出世しようがしまいが学校の勉強というものは価値があるものだ」といった考え方は間違いではないと思いますし、それは小学校の勉強に限らず、高校でも大学でもそうだとは思いますが、高校、及び、大学受験においては、どの大学のどの学部に行こうとするのかということを考えて、「試験にでる」部分を「出る順」に学習する、「どこが出るか」だけでなく「どこはでないか」を考え、そして、「何をするか」とともに「何をしないか」といったことも考える、という姿勢でやった方が合格しやすい、ということを認識して、「何でも全力でやる」のではなく、「試験にそれほどでないものは手を抜く」ということも考えた方が大学入試においては合格しやすい、又、自分が行きたいと思う大学学部の試験問題で合格最低点を超える点数をとるためには何をすればよいか、という視点、同時に、何はしなくともよいかという視点をもっての学習というそういう意識での学習法というのが高校時代の私には不足していたと思うのです。そういう思考というのは「小学生型の学習」にはないものです。そういった点で、親が東大なり京大なりを卒業している人、もしくは、東大なり京大なりに行きたいと思ったが行けなかった、息子には行かせてやりたいという意識をもっているという親の息子、娘というのは、うらやましいなあと思いました。週刊誌の記事によると、大王製紙の2代目社長は、北野高校から東大に行きたかったけれども合格することができずに慶應に行ったが息子にはなんとしても東大に行かせたいと思って東大に行かせたが、その東大に行った三代目の社長が「しょーもないことしい」になってしまった・・らしいが、大学受験に関しては、そういう父親の息子はうらやましいと大学に進学するかしないかの頃、私は思いました。 何十年か前の自分というのは、他人ではないけれども、今の自分と同じではない面があります。自分自身が大学に進学するくらいの息子があってもおかしくない年齢になって、もしも、10代から20代の頃の私のようにあれだけものすごい努力をすることができる息子なら、私が父親なら絶対にものにしてやる・・と思うのですが、私の父はそういう人間ではなかった。 よその父親を見てうらやましいと思ったことは何度もあったが、よその親はよその親であって自分の親ではないので、しかたがない。 で、もしかして、だが、松嶋みどり さんのお父さんというのは、なんとしても息子を東大に行かせたいという気持ちを持っていたような人だったのではないか。 ところが、娘はできても息子はできなかったので、それで、長女の方に息子の役をさせて東大に行かせた・・・というところか?・・・というような感じがします。 大阪府豊中市に住んでいたのに、なぜ、東京都の墨田区あたりから選挙にでるのかと、最初、思ったのですが、もともと、東京の人だったのではないでしょうか。「フライデー」に載っていた『東大入試合格作戦』の松嶋みどり 東大合格体験記によると、松嶋みどりさんは、学力水準が高いと言われる北摂地区の中でも学力水準が高いと言われる豊中市立なんとか小学校に行って、そこでほとんど「5」だったそうで、それから、大阪教育大付属池田中学校をへて大阪府立北野高校へ行って東大に進学したというのですが、もともと東京の人が大阪で住むのに、大阪府で一番の進学校の北野高校の学区で、その学区でもどの地域が学力水準が高いかを調べて、ここがいいかと考えて豊中市立なんとか小学校の学区を選んで住んだのと違いますか。 私の父などはそういったことを考える頭はなかった。 私の父は「子供は女が育てるもんや。 茄子でもキュウリでもそうやろ。女は畑であって、男が種を植えたら、それを育てるのは畑の役目や。畑が育てて大きくなって実を結ぶようになったら、それに対しての権利は種を植えた者にあるんや。畑にあるのとちがうんや。ましてや茄子やキュウリに権利があるわけがない」「種を植えてあげていただいてあげてくださってもらってあげてやってやあってやってあげてくださった方に感謝せえよお」とか言っていました。 「茄子やキュウリ」の立場からすると、そんなたいそうな「種」なんか植えていらんわ、と思いましたが、そういうおっさんでした。 松嶋みどり さんの東大入試合格体験記によると、豊中市立なんとか小学校で、ほとんどの科目が5段階相対評価で「5」だったとか書いていたらしいのですが、私だってそんなものですよ。そもそも、北野高校は男性は大阪府で最難関だが「小学校型の男女共学」のため、女性は誰でも入れる学校でしたが、男性もしくは男性でも合格できる点数で入学した女性で北野高校に進学した人間では松嶋さんに限ったことではなく、珍しいことではありません。 私が小学校の3年の頃だったのではないかと思うが、母が他の小学校の先生をしている叔父に私の通知表(成績表)を見せたところ、「えらいええ成績やねんなあ」とびっくりしたと言っていたのですが、そんなものです。 ただ、私の場合、小学校の頃については、比較的勉強しやすい環境が家庭にあったと思いますが、高校から大学受験においては好ましい環境があったとは言い難い。それが、松嶋みどり さんの家庭では、特に「東大に進学しやすい」「東大に進学させたい」環境があったのではないでしょうか。 その点では、「好ましい家庭環境」があったのではないかという感じがしますし、今思っても、うらやましいと思います。
しかし、その一方で、↑のあくび! 「お里が知れる」↑と言います、こういうのを。
※ 御里(おさと)が知(し)・れる ・・・・ 言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる。よくない意でいう。 〔デジタル大辞泉の解説〕
おさとがしれる【御里が知れる】 ・・・・ その人の言葉つきや態度で,生まれや育ちのよしあしが分かる。〔大辞林 第三版の解説〕
( 《コトバンク 御里が知れる オサトガシレル》https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E9%87%8C%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%8C%E3%82%8B-452154 )
大学進学という点、特に東大への進学という点では松嶋みどりさんの家庭には「好ましい家庭環境」があったのではないか、少なくとも我が家なんかよりは「好ましい家庭環境」があったのではないかと思いますが、↑のあくびを見ると(「あくび」だけではない。 ↑の動画を見ると、いくらなんでもここまでやるか?・・・・・て感じ)、そういった品のなさというのか、マナーの悪さというのか、どう考えても、「好ましい家庭環境」とは言えませんね。 これは、金持ちか貧乏かとは別の問題です。
私などでも、あるいは、多くの人間が、大事な場、礼儀ただしくしないといけない時に、どうしても眠気がしてしまうということはあります。 我慢していても、どうもできない。 あくびがでそうになる。 そういう時はあるとは思うのですが、たとえ、あくびが出るとしても、下の方を向いて手で口を押えて人から見えにくいようにしてするとか、なんなりと目立たないように工夫をするのが普通ではないかと思います。 なんでしょうね、↑の松嶋のおばはんの態度は。 やっぱり、「御里が知れる」と言いますか、「家庭がよくない」「育ちがよくない」ということでしょうか。進学には熱心でも、こういったマナーを教えるということをしない家庭で育った人なのでしょうか。
私でも、あるいは、多くの人間が、相当に気をつかって対応しなければならない時に、そうであるにもかかわらず、体調がよくないという時はあります。 しかし、それならそれで、「すいません。・・・・で、体の具合が悪いもので失礼なことで、申し訳ありません」とでも言って先に謝り、そして、その体調でできる限りのことをさせていただきますという態度をとります。 ↑の松嶋のおばはんの態度は、体調もよくなかったのかもしれませんが、体調のよくない人間が、国会で答弁している大臣の脇の席で、携帯をいじるは、本を出して読むは。 体調の悪い人間が、なぜ、そこで本を読まなければならないのか。 たいした本でもないのに。
1970年代後半、私が北野高校の1年の時、「地理A(系統地理)」の授業で、H先生が「日本のサラリーマンは、遠くに出張に行って電車に乗った時、何をしとる? 週刊誌読んだりしてないか? せっかく、自分が普段いる所と違う所に行ったのだから、窓から外を見ておれば、『ああ、あそこにこんなものがある。 ああ、あそこがどうなっている』とわかっておもしろいのに。 週刊誌みたいなもん、帰ってから読めばいいだろうに。 どうして、そこで読まないといけないのか」と話されたことがありました。 私より3年かそこら上の松嶋みどりさんが同じ先生の授業を受けたのか別の先生の授業を受けたのかはわかりませんが、「何がなんでもその時に読まなければならないような本でもないのに、大きな口あけてあくびしなければならないほど、国会で答弁している大臣の脇で机にほおづえついてこらえなければならないほど疲れているのに、わざわざ、テレビカメラに映っている位置で、しょーもない本、読まんでもええやろ。 読みたかったら、帰ってから家で読め」と私は思う・・・し、たいていの人間はそう思うと思う。 違いますか?
【職場の新人類女 1】
1990年(平成2年)のことだ。 今は、ヤマダ電機に買収されてヤマダエスバイエルホーム(株)という会社になった木質系住宅建築請負業の小堀住研(株)の東京都目黒区の自由が丘営業所(展示場)にいた時のことだ。 営業が営業課長のT橋と私とあと2人の計4人、それに「営業補助」として女性のK宮山の計5人で自由が丘展示場は運営していた。 1990年前半、土曜日のことだ。 私は折衝中の見込客に、その日の夜、見積書を提示する予定になっていた。 その日にアポイントをとったのは、営業課長のT橋K一郎と一緒に見込客と会った際に、T橋がその日を指定したのである。 土曜日の昼は、新規の来客を応対するために空けておきたいということもあったけれども、それよりも、その見込客を早くに契約に結びつけるようにした方がよいからというT橋の主張により、土曜の夜にアポイントをとり、土曜日の昼間にそのための見積書と提示するためのツールを作成することになった。 「来客はどうするのですか」と言うと、「ぼくもおれば、N橋くんもK藤くんもいるから」と営業課長のT橋は言っていたのだが、前日、私とT橋以外の2人も追客中見込客や契約客の仕事のために外出すると言い、営業課長のT橋も新宿の東京支店に行くと言い出したので、私は「展示場はどうしますか。 私は◇◇さんの見積書や提示資料を作成しないと、今晩、行けませんから接客はできませんが」と言うと、T橋は「K宮山さんに接客してもらっておけばいいから」と言ったのです。 営業が4人いるのに、土曜日に、新規の来場客を接客できる営業が1人も展示場にいないというのは、営業課長のT橋の調整ミスで、T橋の職務怠慢もしくは能力不足ですが、T橋はそういう人でした。
ともかくも、T橋が営業課長ですから、営業課長の指示により、新規来場客は「営業補助」の女性社員であるK宮山に対応してもらうことにして、私は展示場にてその日の夜に訪問する見込客のための見積書その他の作成に従事することになりました。 ところが。 1990年においては、午前9時30分から午後6時00分までが勤務時間だったはずですが、K宮山(女。当時、20代後半)は始業時刻を過ぎても来ないのです。無断で。
営業課長のT橋に、「どうしますか」と対応策を聞こうと思っても、当時は携帯電話などというものを持っている人間はおらず、新宿の東京支店に行くといっていたT橋は、どこに行ったか電話でも話せない。自由が丘展示場は営業4人で交代に接客するなら来場客の多い方の展示場ではありませんが、1人だけで接客したなら、土日は、ほとんど接客しっぱなしになってしまう危険があり、その日の夜に訪問の予定がなければ多く接客できた方がいいけれども、その日の夜に訪問する人のために見積書その他を大急ぎで作成しなければならない者にとっては、接客して、その時点での最重要見込客をつぶすわけにはいきません。 それで、やむなく、展示場を閉めて、見積書等の作成作業に従事しました。
午前11時を過ぎた頃、K宮山がやってきました。 午前9時30分始業の会社で、無断で1時間半以上遅刻してきて。 そして、来るなり、「玄関、閉まってましたけど、どうして閉まってるんですかねえ」と私に文句を言ったのです。 無断で1時間半遅刻してきた女が。
そして、自分の机に向かって坐ったと思うと、なんだか、「ボリッ、ボリボリボリボリッ!」と大きな音がする。 いったい、何の音か? と思って見ると・・・・・・。
びっくりした。 びっくらこっこびっくらこっこした・・・・。 無断で1時間半遅刻してきた女が、来るなり、机に向かって弁当箱を拡げて、「ボリッ、ボリボリボリボリッ!」と大きな音を立てて弁当食っていたのです。 ・・・・・まさか、そこまでする女が自分の勤め先にいるとは思いませんでした・・・・が、いたのです。 そこに。
営業課長のT橋K一郎(男。当時、30代なかば)に言っても、T橋はなんとかK宮山をかばおうとするのですが、そのあたり、もしかすると、K宮山は会社の誰かの縁故だったのかもしれません。 「無断で1時間半以上も遅刻してくるというのは、会社として、困るのではありませんか」と言うと、T橋は「そんなことない。K宮山さんは自律神経失調症だから、医者に行かないといけないことがあって、きょうは遅刻してくるとあらかじめ聞いていた」と言うのですが、嘘です。 前日、T橋は「K宮山さんが来るから、新規のお客さんはK宮山さんに接客してもらって」と彼自身がはっきりと言ったのです。 自分が言ったことには、まがりなりにも営業課長という役職をもらった人間は責任を持たないといけません・・・・が責任を持たないのが自由が丘営業課長のT橋K一郎でした。 K宮山は東京支店の従業員からも「変わっている」と言われていて、実際、「自律神経失調症」だったのかもしれませんが、遅刻するなら遅刻するで電話の1本くらい入れるべきで、又、遅刻してきたなら、その為に迷惑を被った従業員に「すいませんでした」の一言くらいあるべきで、また、昼の休憩時間は、就業規則上、午後0時00分から午後1時00分である会社で、午前11時過ぎに出社してくると同時に、「ボリッ、ボリボリボリッ!」と音を立ててタクアンをかじって弁当食うことないのじゃないか? 「新人類」というのか「異星人(エイリアン)」というのか、いくらなんでもそれはないのじゃないか?
また、遅刻してきて朝食を食べてないから腹がへってるのかもしれないが、早弁するならそれならそれで、せめて、こっそりと、音を立てずに食べたらどうなのか? 「ボリッ、ボリボリボリッ!」・・・・て、いくらなんでも、ちょっと、おかしいのではないのか? 「ほとんどビョーキ!」というより、ビョーキと違うのか、それは!!! ・・・・で、実際には、「自律神経失調症」というのは、「精神科医」が「診断書」に書く場合、実は「精神分裂病」(現在では「統合失調症」)であるか、「ノイローゼ」であるかする場合に、かつて、羽田沖で日航機が墜落した時、「逆噴射」した片桐機長にその状態から考えて心身症ではないはずであるのに「心身症」と病名がつけられたごとく、“病名を和らげて”「自律神経失調症」と「診断」されることがあり、そもそも、「医者」の「診断」などいいかげんなものであり、「精神科医」「精神医学」の「診断」など全体がほとんどでまかせであるが、K宮山も、「自律神経失調症」ではなく、他のものであったのかもしれないが、それならそれで、家族なり会社なりが周囲の従業員が迷惑を被らないように配慮するべきであったと思われるが、配慮はなかった。 「ボリッ、ボリボリボリッ!」というのを、朝、いきなりやられた私に、営業課長のT橋賢一郎は「申しわけなかった」の一言も言わなかった。
【職場の新人類女 2】
2011年(平成23年)4月。 千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に、社長 長谷川の妻の友人だというT口 恵(女。当時、30代前半)が入社してきた・・・・が、入社2日目、昼休みは1時間のはずだが、出かけて無断で2時間以上戻ってこない。 どこに行ったかわからない。
そして、入社4日目か5日目のこと。 勤務時間内に、職場事務所内で、せんべいを、やはり、「ボリボリ」と音を食べて食っている。 アホちゃうか?!?
T口と同時に入社した男性社員の I 村が、「すごいなあ。 いい根性してる。 入社して1週間も経ってないのに、勤務時間中にせんべい食うなんて・・・」と言っても、それでも止めない。 実際、「いい根性してる」。 この場合、「いい根性してる」というのは、ほめているのではない。 T口はほめられたと思うかもしれないが、ほめているのではない。 T口は、自分は縁故入社だから認められて当然だと思っていたのかもしれないし、実際、社長の長谷川はT口は縁故だからということで特別扱いにしていたのだが、よくやるなあと思う。 また、社長の嫁もまた、そんな女を、単に子供が学校で一緒だというだけのことで、よく縁故入社させるな、とあきれる。
せんべい だけならまだよいのだ。 せんべい だけではないのだ。 入社以来、次から次へと、あきれることだらけだったのだ。 T口 恵 の「新人類」症状を列挙しようとするときりがない。 ブログの字数制限は間違いなくオーバーする。 このブログでもそのうちいくらかは述べたが、まだまだその程度ではない。
まず、「ありがとうございます」と「すいませんでした」という言葉は、この女の辞書には存在しない。この女の担当で、この女がそれに対しての報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に押しつけて勤務時間外に無賃労働でさせた上、自分は子供があるからと、「子供」を大義名分にして終業時刻ピッタリに毎日退社していたのだが、普通、自分が担当の仕事を担当外の従業員にやってもらったならば、「どうも、すいませんでした」とか「ありがとうございました」とか、せめて、その程度のことは言うものではないか?!? 言わないのだ、このウルトラ新人類女は。 絶対に。
それだけではなく、自分が定時に帰ろうとした上で、担当外の従業員に「やっておいてちょうだいよ」とか言い出すのだ。 「ほとんどビョーキ」ではなく、完全にビョーキだと思う。
「私は子供があるんですからねえ」と言うのだが、子供がある従業員は他にもいるし、子供以外にも世話しなければならない家族のある従業員はいるし、すでに結婚していてよい年齢で結婚できずにいる者は「婚活」の時間が必要であるし、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる従業員には「妊活」の時間が必要であるはずだが、「子供」を大義名分にすれば、あくまで自分だけが定時に退社させてもらって、自分が担当としてそれに対する報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせる権利があると確信していたのだ、このウルトラ「新人類」女は。
この女、滝口恵(めぐみ)を匿名にする必要があるとは思えない。私はこの女の被害者の1人なのだ。 この女は、「子供」を大義名分にして定時に帰り、担当外の従業員に、自分のために、すでに結婚していてよい年齢でまだ結婚できておらず「婚活」の時間が必要な者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる従業員から「妊活」の時間を奪ったあげく、その時間に、おのれは、3人目の子供をはらむための活動(=性交)を夫として3人目をはらみ、出産したのだ。 あつかましくも。 その3人目、およそ、祝福される子供ではない。
さらに、あきれかえったことに。 担当外の従業員に時間外労働の無賃労働でおのれがそれに対して報酬をもらっている仕事をさせて、おのれは「子供」を大義名分にして定時に退社し、そして、そうやってあけた時間に、子供の小学校(千葉市の幕張の小学校)のPTA役員をやりました、PTA役員も悪くないかな♪ などと、会社のホームページとリンクしたブログに書いたりしたのだ。 アタマおかしいのと違うか?!? というより、間違いなく異常である。 ここまでいったら精神病理学上の問題である。〔⇒[第286回]《担当外の者に自分の仕事をさせPTA役員やりブログで公開女-自分が働いていない時は見えない場所で[5]》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_6.html 〕
この女の社内での異常な言動に注意せず放置した、社長の長谷川新二と嫁で後にビルダーズジャパン(株)〔不動産業部門〕の代表取締役になった長谷川利華(倒産する際に、形式上、離婚して、河野利華)は、私たち従業員に対して、「保護義務違反」であり、「債務不履行責任」が問われるものである。
この女の夫の男も異常である。 自分の嫁がこういった異常な態度を職場でとっているのに、おのれは平気でいるというのは、社会人としておかしい。 この女は「私は子供があるんですからねえ」と言うのだが、その文句は、まず、夫に言うべき文句であり、夫に言わずに、職場の周囲の男性従業員に言うというのは言う相手を間違えている。 子供を作ったなら、夫婦は協力して育てるべきものであり、嫁を働きに行かせて、夫の男がかぶるべき負担をよその男、嫁の勤め先の男に負担させて、おのれは平気でいるというのは、男性として異常な態度であり、実際のところ、「殴られても文句は言えない」態度である。
私は、住宅建築請負業の会社に長く勤めてきたが、「住宅の建築業」と「住宅の不動産業」では、隣接する業界でありながら、その体質は大きく違う。 「住宅の建築業」に勤めてきた人間には、「不動産屋とつきあうと不快指数が上昇する」と言う人間が少なくない。 「世間の常識は不動産屋の非常識」みたいなところがある。 この女が勤めていたという 千葉リハウス(株)http://www.rehouse.co.jp/makuhari-baytown/ という会社も、「ヤクザとつながりがある」という話も聞いたことがあるし、今は、「三井」という冠をつけているが、もともとは、あまり程度の高い会社ではないと言われている。 そう思ってホームページを見ると、所長だという男も、「なんか、不動産屋みたいな顔」をしているようにも見えるが、そのあたりはよくはわからない。 「三井のリハウス」は「三井」という冠をつけているが、その多くが、「小規模の地域の不動産屋が三井不動産と提携しただけ」であって、勤務している従業員は、「そのへんの不動産屋の従業員と一緒」のようだ。 私自身が客の立場で「三井のリハウス」の店員と接したこともあるが、「『三井』と言うほどのものではない」というのが実態であるし、「不動産屋だけあって、建築についてはまったくわかっていない」人間である。
「生命保険屋のおばはん」はもっとひどい。 これは「人によっても違いがある」ので決めつけない方がいいとは思うが。 福島県いわき市に在住していた時、私が加入した明治安田生命の保険について、いわき市の営業所のおばさんが私の自宅までやってきて、「担当の人、どんな人? 若い人?」と言うので、入った担当の女性はその時、23歳だと聞いていたので、「まあ、若いのじゃないですか」と言うと、「辞めるわ。 その人、きっと辞めるわ。 そういう年齢の人は結婚すると辞めるわ。そんな辞める人と契約してない方がいいから、私を担当に変えた方がいいから。 その人、絶対辞めるわ」とか言うのだ。 私は自分が営業の仕事をしていたので、なんとか契約をもらおうと努力する人については、少々しつこいとかそういったことについては寛容というのか、誰しもなんとか契約もらおうとするのであって、なんとか契約もらおうと努力する人については、少々しつこいとかその程度については少なくとも何の努力もしない人よりも良いに決まっているので、「営業の仕事をしていない人よりも理解がある」と思うが、逆に、おのれが努力しないでひとが努力して取った契約を横取りしてやろうとするような人は嫌いなのだ。 だいたい、自分のところの保険会社の人間のことを、「その人、辞めるわ、絶対辞めるわ」とかそういうことを言うか? 私は、そういうことを言う営業が嫌いなのだ。 営業とは、そういうことを言ってはならないと私は認識している。
さらに。 千葉県船橋市にて。 私は生命保険会社で、生命保険と個人年金の2つを加入していたのだが、生命保険に入った時の担当の女性はすでに退職しており、それを引き継いだ人から個人年金を入った。 ところが、その担当の女性が2人目を出産する時に産休をとっていた時、船橋市の営業所の女性が電話をしてきて、「担当者が退職しましたので、担当が変わりました。ご挨拶にうかがいたいと思います」と言ってきたのだ。 個人年金を加入した担当の女性は、結婚しても仕事を続け、1人目を出産する時には産休はとっても仕事は続けたが、2人目を出産する時点で辞めることにしたか、しかし、辞めるのなら、人にはそれぞれ事情があるのだから、辞めてもしかたがないけれども、ずっと長くつきあってきたのだから、辞めるなら辞めるで、一言くらい挨拶して辞めてくれてもよかったのではないのかと思ったが、黙って辞めてしまったのか、と思い、まあ、しかたがないと考えた。 ところが、その後、すでに退職した担当者から入った生命保険の方を解約して、新しく生命保険に入れと船橋市の担当者が再三再四にわたって言って来たのだ。 「私はもう保険金をもらいたい年齢であって、これから新たに入る年齢ではありませんから」と言っても、「新しくできた保険の方が有利ですから、解約して入りなおした方が得です」と言う。 私は言ったのだ。「もしも、今の保険を解約して新しく別の保険に入ったとしたら、入ってすぐに自殺した場合に保険金は出ますか?」と。 「別に、今、自殺しようということではないけれども、人間、何があるかわかりませんでしょ。 自殺でも、首をくくって死ぬ人は、相当に考えた上で自殺する場合が多いのではないかと思うのですが、電車に飛び込んで死ぬような人は、衝動的に飛び込むようなケースが多いのではないかと思うのです。 別に、今、私が自殺しようと考えているということではないけれども、もしも、電車に飛び込んだとかいうようなことがあっても、明治安田生命さんには悪いけれども、家族に保険金だけは残してほしいのです。ずっと保険料を払ってきた保険なら、自殺の場合でも保険金は出るはずですが、それを解約して入りなおしたのでは保険金はでないのと違いますか」と言いました。 すると、「自殺の場合、保険に加入して3年間は出ませんね」と言うので、「だから、保険に入りなおすということはしたくないのです」と言いましたが、それでもわかってくれないのです。 自分がなんとか契約をもらおうとして努力する人については、私自身が営業の仕事をしてきましたので、少々しつこいとかいうことがあっても、少なくとも何の努力もしない人よりはいい、と考えますが、顧客の利益なんかどうでもいい、自分さえよければいいというこういう態度をとる人は好きではないのです。 そして、損害保険も始めたというので、一度だけ、彼女から家の火災保険に入ったことがあるのですが、その際、「・・・という場合には保険金はでるのですか」ときくと、「さあ。どうなんでしょうねえ。 たぶん、出るんじゃないですかあ」などと言うのです。 あんたが「たぶん」どう思うかなんてきいてないのです。 生命保険屋が損害保険についてよくわからないならそれはしかたがないから、わかる人にきいて再度連絡するか、そうでなければ、わかる人間をつれてくるかするべきですが、彼女は自分のでまかせで「たぶん、・・・だと思いますよお」とか言うのです。 そして、「金とかプラチナとかの塊を自宅においていた場合、火災で焼失したとか紛失したという場合、保険金はどうなりますか」と尋ねたところ、彼女はなんと言ったか。 「金の塊て、そんなの持ってても二束三文ですよお。入れ歯の金とかでしょ。そんなの持ってても価値ないですよ。そんなもの、捨ててしまった方がいいですよ」と、そう言ったのです。 「この人にこういう話をしてもレベル的に無理だ」と思いました。 そして、我が家から帰る時、私が、「クルマをUターンさせたいなら、そこにT字路があるからそこでUターンできます」とわざわざ教えてあげているのに、それをわざわざよその家のカーポートにつっこんでUターンして帰る。 顧客は近所の人と仲がいいとは限らないんです。仲が悪くなくても、自分の家のカーポートでUターンされるのを嫌がる人もあるのです。 うんと離れた所でよその家のカーポートにつっこんでUターンするなら、あくまでその人の問題であって私には関係ありませんが、我が家の2軒隣りとか3軒隣りとかの家のカーポートにつっこんでUターンするのはやめてもらいたいのです。特に、私がはっきりと「T字路の道でUターンできますから」と言っているのに。 そして、しばらくすると、個人年金をその人から入った「退職した」はずの担当者から、「産休のためにご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。○月より復帰しましたので、これからもよろしくお願いします」と連絡が来た。 え? 「退職したから」と言って生命保険の方の担当を変えさせたのではないのか? いるの? 産休が終わったから復帰したの? え?・・・・・。 どうなっていたかというと、個人年金の方は、その担当者から入ったので、たとえ、産休中といえども、加入した時の担当者が担当で、他の営業がそれを動かすことはできなかったらしい。 それに対して、生命保険の方は、加入した時の担当がすでに辞めているので、それを引きついた人が産休中である場合、他の営業が「担当が変わりました」と言ってそれをぶんどることができるらしいのだ。 但し、もう1つ別の保険に入った場合(この場合、「個人年金」に)、新しく別のものに入ったくらいだから、その担当者と人間関係もできており、同じ保険会社から2つ保険に入っているのに、その2つの担当が別の人間になったのでは不便であって、わざわざ、2つの保険の担当を別の人間にしたいと考える顧客はないので、それで、「◇◇さんは、今、産休中ですが、△△の保険は◇◇さんの担当ですが、☆☆の方だけ私の担当に移しませんか」などと言っても、そうしましょうと言う客はないので、それで、「◇◇さんは出産のために退職しました。それで、担当が変わりました」と言ってきたのだ。 その結果、契約時の担当者がすでに退職していた生命保険の方は船橋の人が担当になり、個人年金の方は契約時の女性が担当と、同じ生命保険会社で2つのものに加入しているのに担当が別という、顧客にとって極めて不便な状態にされてしまったのだ。さらに、「◇◇さんは退職しましたから」と嘘を言ってぶんどった船橋市の担当者は、生命保険の額を増やしましょうと言ってきたので、「私は、もう、将来に備える年齢ではなく、今欲しいくらいの年齢なんです。 私は年収も多くないので、今現在の保険料でも払うのがきついくらいなんです。これ以上払うことは無理です」と言いましたところ、「それなら、個人年金の方を辞めれば、個人年金に払っている保険料の分で払えますよ」と言い、さらに、「個人年金を解約するといいですよ。今、個人年金を解約すると、相当払ってきてるからけっこうもらえますよ。そのお金で生命保険を増やす分を払いましょう。それがいいです」と言ってきた。 「それは、私にとって何かメリットがありますか」と言いましたが、それでも理解しない。顧客のためなんかちっとも考えない、自分さえよければいいという態度であり、このクソババ、いいかげんにしろよと腹が立ってきた。この人が最初に来たなら相手にしないところだが、「担当が変わりました」と言って来るので帰れと言えない。そこにつけこむこの態度。営業とは、顧客のためになることを提案し、顧客のためになることをして契約をいただき、それに対しての報酬をいただくものだ。 終始一貫して自分のためしか考えない、顧客の利害なんかどうでもいいというこの態度は、まず、これは営業ではない。
生命保険の営業をやっている女性がどういうものかといっても、人によっても違うと思います。 しかし、実際に、私はこういう経験をしてきたし、明治安田生命は、自分の会社で2つの保険に入っている顧客から、担当者が産休で休んでいる間に、営業が「◇◇さんは退職したため、担当が変わりました」と言って片方だけぶんどるということは、会社としてさせないようにするべきだと思いますが、明治安田生命はとるべき措置をとっていないのです。
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に縁故入社した T口 恵 が不動産屋にいて生命保険屋にいたといっても、年齢から計算するとどちらもたいした年数勤めてないのですが、「不動産屋のあつかましさ」と「生命保険屋のおばはんのあつかましさ」の「あつかましさ」2大コンビだけ身につけたようで、営業としてのマナーといったものはまったく身についていない。職場の協調性といったものがまったくない。
なんで、こんな非常識な女をわざわざ雇わないといけないのか、社長の嫁も、従業員のことを少しも考えない、自分の友人が得することなら、従業員をいくら犠牲にしてもよいという身勝手な考えの女であり、従業員として許しがたい態度です。
中谷彰宏という人が『オヤジにならない60のビジネスマナー』という本で、「オヤジ」というのは、その年代のその性別の人が「オヤジ」ではない、「オヤジ」と言われるような行為をする人が「オヤジ」であり、その年代でなくとも、その性別でなくとも、「オヤジ」はいます、と述べていたが、私もそう思う。 「おばはん」とか「オバタリアン」とかいうのもそうではないかと思う。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)のT口の場合は、「オバタリアン」どころではない。 「ほとんどビョーキ」というより、間違いなくビョーキ!である。 私たちが犠牲になった時間と引き換えにPTA役員やったという千葉市幕張の小学校の教師・親ども、私たち新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に土下座でもして謝罪してもらいたい。 T口が自分の仕事をせずに、担当外の従業員に仕事を無賃労働で押しつけて、おのれは定時に帰ってカネだけ強奪した分のそのカネを、幕張のなんとか小学校の親と教師ども、私たち従業員に払って欲しい。
国会で、答弁する人のすぐ脇の席というのは、「真面目そう」「誠実そう」「なかなかセンスがいい」「頼りになりそう」といった格好で座っておれば、座っているだけで自分にプラスになる有利な席のはずだ。アクビをするにしても、下を向いて口に手をあててわかりにくいようにしてするなら、人間、誰しも眠気がすることもあればアクビを我慢できないこともあるのだからしかたがないと思われるところを、わざわざ大きな口をあけて上むいてアクビをする・・・というあたり、松嶋みどり さんも、「ええ家庭の子やないねえ」となるとともに、今までの職場でそういうことをしてはいけないということを学んできていないのか? ということになる。 鼻のあたりを指でこすっているところも映像に映っていたが、鼻くそほじらなかっただけでもまだマシ?
遅刻してきていきなり弁当箱ひろげて「ボリッ、ボリボリッ」の女、入社1週間未満で勤務時間中にせんべいかじり、おのれの仕事を担当外の者にさせて「PTA役員も悪くないかな♪」とか言う女。こんな人、どうしたらいいですか?
(2016.4.16.)
2016年3月9日の衆院外務委員会で、岸田文雄外相(58)の隣の席で、元法務大臣で自民党所属の 松嶋みどり 衆議院議員が、いねむり・大あくび・読書・携帯いじり と繰り返し、それがテレビカメラに映像として映され、顰蹙をかった。 この点について、本人は「弁解のしようもありません」「反省しております」と素直に謝ったというのはエライ? そんな問題ではない。 その実態は、インターネットで検索しても、文章でも大量に出ている。
たとえば、
《YAHOO!ニュース―大アクビに携帯ピコピコ、答弁者の横で堂々読書 国会映像大ヒンシュク・松島元法相が読んでいた本とは 》http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160318-00000002-jct-soci ↓
≪ J-CASTニュース 3月18日(金)18時51分配信
豪快にアクビをし、ウツラウツラと舟をこぐ。目を覚ましたかと思えば、携帯電話をピコピコいじり、読書にふける――。元法相で自民党の松島みどり衆院議員(59)の審議中の態度があまりに「ひどすぎる」としてネット上で批判が相次いでいる。 松島氏は事務所を通じて「弁解の余地もございません。深く反省しております」との謝罪コメントを出した。 問題となったのは、2016年3月9日の衆院外務委員会だ。席は岸田文雄外相(58)の隣。松島氏の姿は、岸田氏が答弁に立つたび国会のネット中継のカメラにしっかりと映ることになった。
松島氏は開始直後から眠たそうな表情を浮かべ、5分後にはウトウトし始めた。疲労が溜まっていたのか、朝8時30分という開始時間が早すぎたのか。口を手で隠すこともなく、大きなアクビをすることも何度かあった。
起きていても審議内容は上の空。約30分後には携帯電話を取り出して、ボタンをカタカタカタ...。ピンク色のガラケーはその後も度々登場し、よく見えないのか、時おり画面にじっと目を凝らす場面もあった。
開始から1時間経った頃には、なんと本を読み始めた。岸田氏が真横で真剣に答弁しているにもかかわらず、背もたれに寄りかかりながら読書にふける。途中、熟睡状態に陥ったり、ボーっとしたりすることもあった、「読書タイム」は中継に映っていただけでも20分以上はあったようだ。 ≫
《Infoseek楽天NEWS 大アクビに携帯ピコピコ、答弁者の横で堂々読書 国会映像大ヒンシュク・松島元法相が読んでいた本とは》http://news.infoseek.co.jp/article/20160318jcast20162261806/ 〕、
動画でもYouTube その他で出ている。
※ 《 YouTube―松島みどり(自民)【つまみ出せよw】携帯いじり→大あくび→読書【 国会 衆議院 外務委員会】2016.3.9 》 https://www.youtube.com/watch?v=TPk65caGkB8
実際のところ、いくらなんでも、ひどすぎる。 ↑の動画だが、これが本当の国会の中継ではなく吉本新喜劇であったなら、けっこうおもしろいと思うのだ。真面目くさって答弁している大臣のすぐ横で、これだけやってのけるというのは、吉本新喜劇なら大うけじゃないかと思う・・・・が、吉本じゃないのだ、これは。
過去に、松嶋みどり さんは、選挙期間中に、自分の選挙チラシを「うちわ」にして配ったということが問題にされたことがあった。 マンションの販売の広告を駅前で配っているマンション販売の営業マンがいるが、マンションのチラシだけでは受け取ってもらえない場合でも、それを厚紙にして「うちわ」にして配れば受け取ってもらえることがあり、そうして配っている人がいる。 選挙のチラシもそうやれば受け取ってもらえて、「うちわ」として使ってもらえば、常に手元にあって、立候補者の氏名が有権者の頭にすりこまれることになるので、厚紙で「うちわ」にして配るというのはいい知恵ではないかと思いがちだが、これは、「利益供与」に該当するのかどうか、セーフかアウトかというと、アウトらしい。 しかし、これは、誰しもやりたくなることで、良いわけではないとしても、「しょせん、うちわ」であり、「たかが、うちわ。 されど、うちわ」であっても、良いわけではないということで、法務大臣を辞職したが、そうはいっても、「しょせん、うちわ」であって、追及する方としても、あまりにも強く追及したのでは、「おまえら、他に言うことないのか」ということになるところであり、「しょせん、うちわ」でもあったのだ。
その後、「フライデー」であったと思うが、松嶋みどり さんが、東大に合格した時に、エール出版社から発行されている『東大入試合格作戦』という本に合格体験記を書いていたのだが、そこに、私は東大でこんなに優秀なんだと自慢たらしく書いていた、というのが、何十年も前の本を引っ張り出して批判されていたのを見たが、まあ、人によっては、この女、感じの悪いやつ・・とか思うかもしれないが、「しょせんは、はたち前の若気の至り」というのか、まだ未熟な年代の時に書いたものであり、誰しも、40過ぎて、あるいは、30過ぎてでも、10代の時に自分が書いたものを見ると、「ギャッ」と言ってひっくり返りたくなるようなものがあったりする、もしくは、かつては「名文」のつもりで書いたものが、何十年か経って読むと、この程度のものを「名作」「名文」と思っていたのかとその頃の自分の未熟を感じてしまうということもあるのではないかと思う。 たとえ、10代の時に書いたものが最適なものでなかったとしても、人間にとって大事なのは過去よりも現在であり、そういった未熟な時代を経て人間的に成長して今現在の人間があるというのなら、10代の時に最適でないことを述べていたとしても、特に問題にするようなものではないと私は思う。だから、へ~え、そんなこと書いてたのか~とおもしろかったけれども、その「フライデー」の記事の批判は特に問題にするものではないと思った。
「松嶋みどり さん」と、なぜ、この人を「さん」づけにするかというと、私は、この人が議員に立候補するより何十年か前から名前を知っていたのだ。 どこで知っていたかというと、1970年代後半、私が大阪府立 北野高校の学生であった時、文化祭の運営委員が、文化祭に、誰か、OBに講演に来てもらおうと思うが、誰に来てほしいかというアンケートをとった時、来てもらえるかどうかはともかく、手塚治虫(漫画家)とか森繁久弥(俳優)・野間宏(文学者)といった有名人の名前が出やすいのだが、そういった有名人に並んで「松嶋みどり」という名前があがっていたので、「松嶋みどり て、いったい誰やの?」と同級生にきいたところ、「前の学生自治会の委員長らしい」ということだった。 松嶋みどり さんは、私が北野高校に入学する前くらいに在籍していた、私が入学する年だったかその前だったかに卒業して東大に進学したようで、卒業しても、後輩に人気があったのか、馬鹿にされていたのかどちらかわからないが、そういうところで名前が出たことから、そういう人がいたということを知った。 しかし、大学なら何千人といるので、同じ大学にいても、「ああ、そう」というくらいだが、高校の場合、私がいた頃の北野高校は1学年、450人で、それに3をかけると、1350人しかいないので、自分が在籍した時にいた人なら、どこかで見かけたこともあっただろうけれども、私が在学した3年間では、彼女はすでに卒業していなかったのだが、妹さんが在籍していたのだ。 だから、あの人のお姉さんなんだと思って、特別につきあいがあったわけでもないが、松嶋みどり さんが選挙に出たときには、なつかしさを感じた・・・・が、その後、墨田区のあたりで彼女の選挙ポスターを見た時、そこに書かれていた主張は、小泉政権の言うことそのままであり、自分自身としての考えが何ら見られず、東大でてもこんなものかと思ってがっかりした、ということがあったが、それでも、自分が行った高校で、少し前に卒業した人だということで、その分、他の議員よりは親しみのようなものは感じていたところがあって、だから、他の議員なら「敬称略」のところを「さん」づけにしているのだが、しかし、それにしても、この醜態はいくらなんでもひどすぎる・・・・・。 吉本新喜劇の芸人がやるならともかく、実際に国会で、答弁している大臣のすぐ脇でやったのでは、いくらなんでも・・・な・・・・・・。↓
↑ この写真は、インターネットからコピーして貼り付けたが、著作権がどうのといったこともあるのかもしれないが、現職の議員の国会での非常識な態度は、より多くの国民が知るべきものであり、それは、著作権どうこうより優先されるべきものだと思うので、ここに貼り付けることにした。
この写真をプリントして、90を過ぎた母に見せたたところ、「この人、家庭がよくないね」↑ 「育ちが悪いね」↑というのが、母の感想だった。 言われて、たしかに、そうかもしれないと思った。
学校で良い成績を残すことができるかどうかについては、本人の努力だけでなく、家庭の環境も関係あると私は思っています。 我が家の場合は、母の家系に学校の先生が多く、勉強する人が好きな家系であったという点で条件は良かったと思いますが、母の叔母の夫が小学校の先生で私が小学校の低学年の時、近くに住んでいたこともあって、母は小学校の先生をしていた叔父(私の母の叔母のつれあい)から小学生の勉強をきいてきたりしたようですが、その影響を私は受けたおかげで、小学校・中学校の時はプラスになるものが多かったのですが、高校から大学受験になると、小学生型の勉強法が身につきすぎてしまってマイナスになったものも部分的にはありました。 どういうことかというと、「学校の勉強というものは、どこの大学に合格できるかできないかにかかわらず、価値があるものだ」「学校の勉強というものは、どれだけ出世できるかといったことのためにするものではなく、出世しようがしまいが学校の勉強というものは価値があるものだ」といった考え方は間違いではないと思いますし、それは小学校の勉強に限らず、高校でも大学でもそうだとは思いますが、高校、及び、大学受験においては、どの大学のどの学部に行こうとするのかということを考えて、「試験にでる」部分を「出る順」に学習する、「どこが出るか」だけでなく「どこはでないか」を考え、そして、「何をするか」とともに「何をしないか」といったことも考える、という姿勢でやった方が合格しやすい、ということを認識して、「何でも全力でやる」のではなく、「試験にそれほどでないものは手を抜く」ということも考えた方が大学入試においては合格しやすい、又、自分が行きたいと思う大学学部の試験問題で合格最低点を超える点数をとるためには何をすればよいか、という視点、同時に、何はしなくともよいかという視点をもっての学習というそういう意識での学習法というのが高校時代の私には不足していたと思うのです。そういう思考というのは「小学生型の学習」にはないものです。そういった点で、親が東大なり京大なりを卒業している人、もしくは、東大なり京大なりに行きたいと思ったが行けなかった、息子には行かせてやりたいという意識をもっているという親の息子、娘というのは、うらやましいなあと思いました。週刊誌の記事によると、大王製紙の2代目社長は、北野高校から東大に行きたかったけれども合格することができずに慶應に行ったが息子にはなんとしても東大に行かせたいと思って東大に行かせたが、その東大に行った三代目の社長が「しょーもないことしい」になってしまった・・らしいが、大学受験に関しては、そういう父親の息子はうらやましいと大学に進学するかしないかの頃、私は思いました。 何十年か前の自分というのは、他人ではないけれども、今の自分と同じではない面があります。自分自身が大学に進学するくらいの息子があってもおかしくない年齢になって、もしも、10代から20代の頃の私のようにあれだけものすごい努力をすることができる息子なら、私が父親なら絶対にものにしてやる・・と思うのですが、私の父はそういう人間ではなかった。 よその父親を見てうらやましいと思ったことは何度もあったが、よその親はよその親であって自分の親ではないので、しかたがない。 で、もしかして、だが、松嶋みどり さんのお父さんというのは、なんとしても息子を東大に行かせたいという気持ちを持っていたような人だったのではないか。 ところが、娘はできても息子はできなかったので、それで、長女の方に息子の役をさせて東大に行かせた・・・というところか?・・・というような感じがします。 大阪府豊中市に住んでいたのに、なぜ、東京都の墨田区あたりから選挙にでるのかと、最初、思ったのですが、もともと、東京の人だったのではないでしょうか。「フライデー」に載っていた『東大入試合格作戦』の松嶋みどり 東大合格体験記によると、松嶋みどりさんは、学力水準が高いと言われる北摂地区の中でも学力水準が高いと言われる豊中市立なんとか小学校に行って、そこでほとんど「5」だったそうで、それから、大阪教育大付属池田中学校をへて大阪府立北野高校へ行って東大に進学したというのですが、もともと東京の人が大阪で住むのに、大阪府で一番の進学校の北野高校の学区で、その学区でもどの地域が学力水準が高いかを調べて、ここがいいかと考えて豊中市立なんとか小学校の学区を選んで住んだのと違いますか。 私の父などはそういったことを考える頭はなかった。 私の父は「子供は女が育てるもんや。 茄子でもキュウリでもそうやろ。女は畑であって、男が種を植えたら、それを育てるのは畑の役目や。畑が育てて大きくなって実を結ぶようになったら、それに対しての権利は種を植えた者にあるんや。畑にあるのとちがうんや。ましてや茄子やキュウリに権利があるわけがない」「種を植えてあげていただいてあげてくださってもらってあげてやってやあってやってあげてくださった方に感謝せえよお」とか言っていました。 「茄子やキュウリ」の立場からすると、そんなたいそうな「種」なんか植えていらんわ、と思いましたが、そういうおっさんでした。 松嶋みどり さんの東大入試合格体験記によると、豊中市立なんとか小学校で、ほとんどの科目が5段階相対評価で「5」だったとか書いていたらしいのですが、私だってそんなものですよ。そもそも、北野高校は男性は大阪府で最難関だが「小学校型の男女共学」のため、女性は誰でも入れる学校でしたが、男性もしくは男性でも合格できる点数で入学した女性で北野高校に進学した人間では松嶋さんに限ったことではなく、珍しいことではありません。 私が小学校の3年の頃だったのではないかと思うが、母が他の小学校の先生をしている叔父に私の通知表(成績表)を見せたところ、「えらいええ成績やねんなあ」とびっくりしたと言っていたのですが、そんなものです。 ただ、私の場合、小学校の頃については、比較的勉強しやすい環境が家庭にあったと思いますが、高校から大学受験においては好ましい環境があったとは言い難い。それが、松嶋みどり さんの家庭では、特に「東大に進学しやすい」「東大に進学させたい」環境があったのではないでしょうか。 その点では、「好ましい家庭環境」があったのではないかという感じがしますし、今思っても、うらやましいと思います。
しかし、その一方で、↑のあくび! 「お里が知れる」↑と言います、こういうのを。
※ 御里(おさと)が知(し)・れる ・・・・ 言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる。よくない意でいう。 〔デジタル大辞泉の解説〕
おさとがしれる【御里が知れる】 ・・・・ その人の言葉つきや態度で,生まれや育ちのよしあしが分かる。〔大辞林 第三版の解説〕
( 《コトバンク 御里が知れる オサトガシレル》https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E9%87%8C%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%8C%E3%82%8B-452154 )
大学進学という点、特に東大への進学という点では松嶋みどりさんの家庭には「好ましい家庭環境」があったのではないか、少なくとも我が家なんかよりは「好ましい家庭環境」があったのではないかと思いますが、↑のあくびを見ると(「あくび」だけではない。 ↑の動画を見ると、いくらなんでもここまでやるか?・・・・・て感じ)、そういった品のなさというのか、マナーの悪さというのか、どう考えても、「好ましい家庭環境」とは言えませんね。 これは、金持ちか貧乏かとは別の問題です。
私などでも、あるいは、多くの人間が、大事な場、礼儀ただしくしないといけない時に、どうしても眠気がしてしまうということはあります。 我慢していても、どうもできない。 あくびがでそうになる。 そういう時はあるとは思うのですが、たとえ、あくびが出るとしても、下の方を向いて手で口を押えて人から見えにくいようにしてするとか、なんなりと目立たないように工夫をするのが普通ではないかと思います。 なんでしょうね、↑の松嶋のおばはんの態度は。 やっぱり、「御里が知れる」と言いますか、「家庭がよくない」「育ちがよくない」ということでしょうか。進学には熱心でも、こういったマナーを教えるということをしない家庭で育った人なのでしょうか。
私でも、あるいは、多くの人間が、相当に気をつかって対応しなければならない時に、そうであるにもかかわらず、体調がよくないという時はあります。 しかし、それならそれで、「すいません。・・・・で、体の具合が悪いもので失礼なことで、申し訳ありません」とでも言って先に謝り、そして、その体調でできる限りのことをさせていただきますという態度をとります。 ↑の松嶋のおばはんの態度は、体調もよくなかったのかもしれませんが、体調のよくない人間が、国会で答弁している大臣の脇の席で、携帯をいじるは、本を出して読むは。 体調の悪い人間が、なぜ、そこで本を読まなければならないのか。 たいした本でもないのに。
1970年代後半、私が北野高校の1年の時、「地理A(系統地理)」の授業で、H先生が「日本のサラリーマンは、遠くに出張に行って電車に乗った時、何をしとる? 週刊誌読んだりしてないか? せっかく、自分が普段いる所と違う所に行ったのだから、窓から外を見ておれば、『ああ、あそこにこんなものがある。 ああ、あそこがどうなっている』とわかっておもしろいのに。 週刊誌みたいなもん、帰ってから読めばいいだろうに。 どうして、そこで読まないといけないのか」と話されたことがありました。 私より3年かそこら上の松嶋みどりさんが同じ先生の授業を受けたのか別の先生の授業を受けたのかはわかりませんが、「何がなんでもその時に読まなければならないような本でもないのに、大きな口あけてあくびしなければならないほど、国会で答弁している大臣の脇で机にほおづえついてこらえなければならないほど疲れているのに、わざわざ、テレビカメラに映っている位置で、しょーもない本、読まんでもええやろ。 読みたかったら、帰ってから家で読め」と私は思う・・・し、たいていの人間はそう思うと思う。 違いますか?
【職場の新人類女 1】
1990年(平成2年)のことだ。 今は、ヤマダ電機に買収されてヤマダエスバイエルホーム(株)という会社になった木質系住宅建築請負業の小堀住研(株)の東京都目黒区の自由が丘営業所(展示場)にいた時のことだ。 営業が営業課長のT橋と私とあと2人の計4人、それに「営業補助」として女性のK宮山の計5人で自由が丘展示場は運営していた。 1990年前半、土曜日のことだ。 私は折衝中の見込客に、その日の夜、見積書を提示する予定になっていた。 その日にアポイントをとったのは、営業課長のT橋K一郎と一緒に見込客と会った際に、T橋がその日を指定したのである。 土曜日の昼は、新規の来客を応対するために空けておきたいということもあったけれども、それよりも、その見込客を早くに契約に結びつけるようにした方がよいからというT橋の主張により、土曜の夜にアポイントをとり、土曜日の昼間にそのための見積書と提示するためのツールを作成することになった。 「来客はどうするのですか」と言うと、「ぼくもおれば、N橋くんもK藤くんもいるから」と営業課長のT橋は言っていたのだが、前日、私とT橋以外の2人も追客中見込客や契約客の仕事のために外出すると言い、営業課長のT橋も新宿の東京支店に行くと言い出したので、私は「展示場はどうしますか。 私は◇◇さんの見積書や提示資料を作成しないと、今晩、行けませんから接客はできませんが」と言うと、T橋は「K宮山さんに接客してもらっておけばいいから」と言ったのです。 営業が4人いるのに、土曜日に、新規の来場客を接客できる営業が1人も展示場にいないというのは、営業課長のT橋の調整ミスで、T橋の職務怠慢もしくは能力不足ですが、T橋はそういう人でした。
ともかくも、T橋が営業課長ですから、営業課長の指示により、新規来場客は「営業補助」の女性社員であるK宮山に対応してもらうことにして、私は展示場にてその日の夜に訪問する見込客のための見積書その他の作成に従事することになりました。 ところが。 1990年においては、午前9時30分から午後6時00分までが勤務時間だったはずですが、K宮山(女。当時、20代後半)は始業時刻を過ぎても来ないのです。無断で。
営業課長のT橋に、「どうしますか」と対応策を聞こうと思っても、当時は携帯電話などというものを持っている人間はおらず、新宿の東京支店に行くといっていたT橋は、どこに行ったか電話でも話せない。自由が丘展示場は営業4人で交代に接客するなら来場客の多い方の展示場ではありませんが、1人だけで接客したなら、土日は、ほとんど接客しっぱなしになってしまう危険があり、その日の夜に訪問の予定がなければ多く接客できた方がいいけれども、その日の夜に訪問する人のために見積書その他を大急ぎで作成しなければならない者にとっては、接客して、その時点での最重要見込客をつぶすわけにはいきません。 それで、やむなく、展示場を閉めて、見積書等の作成作業に従事しました。
午前11時を過ぎた頃、K宮山がやってきました。 午前9時30分始業の会社で、無断で1時間半以上遅刻してきて。 そして、来るなり、「玄関、閉まってましたけど、どうして閉まってるんですかねえ」と私に文句を言ったのです。 無断で1時間半遅刻してきた女が。
そして、自分の机に向かって坐ったと思うと、なんだか、「ボリッ、ボリボリボリボリッ!」と大きな音がする。 いったい、何の音か? と思って見ると・・・・・・。
びっくりした。 びっくらこっこびっくらこっこした・・・・。 無断で1時間半遅刻してきた女が、来るなり、机に向かって弁当箱を拡げて、「ボリッ、ボリボリボリボリッ!」と大きな音を立てて弁当食っていたのです。 ・・・・・まさか、そこまでする女が自分の勤め先にいるとは思いませんでした・・・・が、いたのです。 そこに。
営業課長のT橋K一郎(男。当時、30代なかば)に言っても、T橋はなんとかK宮山をかばおうとするのですが、そのあたり、もしかすると、K宮山は会社の誰かの縁故だったのかもしれません。 「無断で1時間半以上も遅刻してくるというのは、会社として、困るのではありませんか」と言うと、T橋は「そんなことない。K宮山さんは自律神経失調症だから、医者に行かないといけないことがあって、きょうは遅刻してくるとあらかじめ聞いていた」と言うのですが、嘘です。 前日、T橋は「K宮山さんが来るから、新規のお客さんはK宮山さんに接客してもらって」と彼自身がはっきりと言ったのです。 自分が言ったことには、まがりなりにも営業課長という役職をもらった人間は責任を持たないといけません・・・・が責任を持たないのが自由が丘営業課長のT橋K一郎でした。 K宮山は東京支店の従業員からも「変わっている」と言われていて、実際、「自律神経失調症」だったのかもしれませんが、遅刻するなら遅刻するで電話の1本くらい入れるべきで、又、遅刻してきたなら、その為に迷惑を被った従業員に「すいませんでした」の一言くらいあるべきで、また、昼の休憩時間は、就業規則上、午後0時00分から午後1時00分である会社で、午前11時過ぎに出社してくると同時に、「ボリッ、ボリボリボリッ!」と音を立ててタクアンをかじって弁当食うことないのじゃないか? 「新人類」というのか「異星人(エイリアン)」というのか、いくらなんでもそれはないのじゃないか?
また、遅刻してきて朝食を食べてないから腹がへってるのかもしれないが、早弁するならそれならそれで、せめて、こっそりと、音を立てずに食べたらどうなのか? 「ボリッ、ボリボリボリッ!」・・・・て、いくらなんでも、ちょっと、おかしいのではないのか? 「ほとんどビョーキ!」というより、ビョーキと違うのか、それは!!! ・・・・で、実際には、「自律神経失調症」というのは、「精神科医」が「診断書」に書く場合、実は「精神分裂病」(現在では「統合失調症」)であるか、「ノイローゼ」であるかする場合に、かつて、羽田沖で日航機が墜落した時、「逆噴射」した片桐機長にその状態から考えて心身症ではないはずであるのに「心身症」と病名がつけられたごとく、“病名を和らげて”「自律神経失調症」と「診断」されることがあり、そもそも、「医者」の「診断」などいいかげんなものであり、「精神科医」「精神医学」の「診断」など全体がほとんどでまかせであるが、K宮山も、「自律神経失調症」ではなく、他のものであったのかもしれないが、それならそれで、家族なり会社なりが周囲の従業員が迷惑を被らないように配慮するべきであったと思われるが、配慮はなかった。 「ボリッ、ボリボリボリッ!」というのを、朝、いきなりやられた私に、営業課長のT橋賢一郎は「申しわけなかった」の一言も言わなかった。
【職場の新人類女 2】
2011年(平成23年)4月。 千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に、社長 長谷川の妻の友人だというT口 恵(女。当時、30代前半)が入社してきた・・・・が、入社2日目、昼休みは1時間のはずだが、出かけて無断で2時間以上戻ってこない。 どこに行ったかわからない。
そして、入社4日目か5日目のこと。 勤務時間内に、職場事務所内で、せんべいを、やはり、「ボリボリ」と音を食べて食っている。 アホちゃうか?!?
T口と同時に入社した男性社員の I 村が、「すごいなあ。 いい根性してる。 入社して1週間も経ってないのに、勤務時間中にせんべい食うなんて・・・」と言っても、それでも止めない。 実際、「いい根性してる」。 この場合、「いい根性してる」というのは、ほめているのではない。 T口はほめられたと思うかもしれないが、ほめているのではない。 T口は、自分は縁故入社だから認められて当然だと思っていたのかもしれないし、実際、社長の長谷川はT口は縁故だからということで特別扱いにしていたのだが、よくやるなあと思う。 また、社長の嫁もまた、そんな女を、単に子供が学校で一緒だというだけのことで、よく縁故入社させるな、とあきれる。
せんべい だけならまだよいのだ。 せんべい だけではないのだ。 入社以来、次から次へと、あきれることだらけだったのだ。 T口 恵 の「新人類」症状を列挙しようとするときりがない。 ブログの字数制限は間違いなくオーバーする。 このブログでもそのうちいくらかは述べたが、まだまだその程度ではない。
まず、「ありがとうございます」と「すいませんでした」という言葉は、この女の辞書には存在しない。この女の担当で、この女がそれに対しての報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に押しつけて勤務時間外に無賃労働でさせた上、自分は子供があるからと、「子供」を大義名分にして終業時刻ピッタリに毎日退社していたのだが、普通、自分が担当の仕事を担当外の従業員にやってもらったならば、「どうも、すいませんでした」とか「ありがとうございました」とか、せめて、その程度のことは言うものではないか?!? 言わないのだ、このウルトラ新人類女は。 絶対に。
それだけではなく、自分が定時に帰ろうとした上で、担当外の従業員に「やっておいてちょうだいよ」とか言い出すのだ。 「ほとんどビョーキ」ではなく、完全にビョーキだと思う。
「私は子供があるんですからねえ」と言うのだが、子供がある従業員は他にもいるし、子供以外にも世話しなければならない家族のある従業員はいるし、すでに結婚していてよい年齢で結婚できずにいる者は「婚活」の時間が必要であるし、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる従業員には「妊活」の時間が必要であるはずだが、「子供」を大義名分にすれば、あくまで自分だけが定時に退社させてもらって、自分が担当としてそれに対する報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせる権利があると確信していたのだ、このウルトラ「新人類」女は。
この女、滝口恵(めぐみ)を匿名にする必要があるとは思えない。私はこの女の被害者の1人なのだ。 この女は、「子供」を大義名分にして定時に帰り、担当外の従業員に、自分のために、すでに結婚していてよい年齢でまだ結婚できておらず「婚活」の時間が必要な者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる従業員から「妊活」の時間を奪ったあげく、その時間に、おのれは、3人目の子供をはらむための活動(=性交)を夫として3人目をはらみ、出産したのだ。 あつかましくも。 その3人目、およそ、祝福される子供ではない。
さらに、あきれかえったことに。 担当外の従業員に時間外労働の無賃労働でおのれがそれに対して報酬をもらっている仕事をさせて、おのれは「子供」を大義名分にして定時に退社し、そして、そうやってあけた時間に、子供の小学校(千葉市の幕張の小学校)のPTA役員をやりました、PTA役員も悪くないかな♪ などと、会社のホームページとリンクしたブログに書いたりしたのだ。 アタマおかしいのと違うか?!? というより、間違いなく異常である。 ここまでいったら精神病理学上の問題である。〔⇒[第286回]《担当外の者に自分の仕事をさせPTA役員やりブログで公開女-自分が働いていない時は見えない場所で[5]》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_6.html 〕
この女の社内での異常な言動に注意せず放置した、社長の長谷川新二と嫁で後にビルダーズジャパン(株)〔不動産業部門〕の代表取締役になった長谷川利華(倒産する際に、形式上、離婚して、河野利華)は、私たち従業員に対して、「保護義務違反」であり、「債務不履行責任」が問われるものである。
この女の夫の男も異常である。 自分の嫁がこういった異常な態度を職場でとっているのに、おのれは平気でいるというのは、社会人としておかしい。 この女は「私は子供があるんですからねえ」と言うのだが、その文句は、まず、夫に言うべき文句であり、夫に言わずに、職場の周囲の男性従業員に言うというのは言う相手を間違えている。 子供を作ったなら、夫婦は協力して育てるべきものであり、嫁を働きに行かせて、夫の男がかぶるべき負担をよその男、嫁の勤め先の男に負担させて、おのれは平気でいるというのは、男性として異常な態度であり、実際のところ、「殴られても文句は言えない」態度である。
私は、住宅建築請負業の会社に長く勤めてきたが、「住宅の建築業」と「住宅の不動産業」では、隣接する業界でありながら、その体質は大きく違う。 「住宅の建築業」に勤めてきた人間には、「不動産屋とつきあうと不快指数が上昇する」と言う人間が少なくない。 「世間の常識は不動産屋の非常識」みたいなところがある。 この女が勤めていたという 千葉リハウス(株)http://www.rehouse.co.jp/makuhari-baytown/ という会社も、「ヤクザとつながりがある」という話も聞いたことがあるし、今は、「三井」という冠をつけているが、もともとは、あまり程度の高い会社ではないと言われている。 そう思ってホームページを見ると、所長だという男も、「なんか、不動産屋みたいな顔」をしているようにも見えるが、そのあたりはよくはわからない。 「三井のリハウス」は「三井」という冠をつけているが、その多くが、「小規模の地域の不動産屋が三井不動産と提携しただけ」であって、勤務している従業員は、「そのへんの不動産屋の従業員と一緒」のようだ。 私自身が客の立場で「三井のリハウス」の店員と接したこともあるが、「『三井』と言うほどのものではない」というのが実態であるし、「不動産屋だけあって、建築についてはまったくわかっていない」人間である。
「生命保険屋のおばはん」はもっとひどい。 これは「人によっても違いがある」ので決めつけない方がいいとは思うが。 福島県いわき市に在住していた時、私が加入した明治安田生命の保険について、いわき市の営業所のおばさんが私の自宅までやってきて、「担当の人、どんな人? 若い人?」と言うので、入った担当の女性はその時、23歳だと聞いていたので、「まあ、若いのじゃないですか」と言うと、「辞めるわ。 その人、きっと辞めるわ。 そういう年齢の人は結婚すると辞めるわ。そんな辞める人と契約してない方がいいから、私を担当に変えた方がいいから。 その人、絶対辞めるわ」とか言うのだ。 私は自分が営業の仕事をしていたので、なんとか契約をもらおうと努力する人については、少々しつこいとかそういったことについては寛容というのか、誰しもなんとか契約もらおうとするのであって、なんとか契約もらおうと努力する人については、少々しつこいとかその程度については少なくとも何の努力もしない人よりも良いに決まっているので、「営業の仕事をしていない人よりも理解がある」と思うが、逆に、おのれが努力しないでひとが努力して取った契約を横取りしてやろうとするような人は嫌いなのだ。 だいたい、自分のところの保険会社の人間のことを、「その人、辞めるわ、絶対辞めるわ」とかそういうことを言うか? 私は、そういうことを言う営業が嫌いなのだ。 営業とは、そういうことを言ってはならないと私は認識している。
さらに。 千葉県船橋市にて。 私は生命保険会社で、生命保険と個人年金の2つを加入していたのだが、生命保険に入った時の担当の女性はすでに退職しており、それを引き継いだ人から個人年金を入った。 ところが、その担当の女性が2人目を出産する時に産休をとっていた時、船橋市の営業所の女性が電話をしてきて、「担当者が退職しましたので、担当が変わりました。ご挨拶にうかがいたいと思います」と言ってきたのだ。 個人年金を加入した担当の女性は、結婚しても仕事を続け、1人目を出産する時には産休はとっても仕事は続けたが、2人目を出産する時点で辞めることにしたか、しかし、辞めるのなら、人にはそれぞれ事情があるのだから、辞めてもしかたがないけれども、ずっと長くつきあってきたのだから、辞めるなら辞めるで、一言くらい挨拶して辞めてくれてもよかったのではないのかと思ったが、黙って辞めてしまったのか、と思い、まあ、しかたがないと考えた。 ところが、その後、すでに退職した担当者から入った生命保険の方を解約して、新しく生命保険に入れと船橋市の担当者が再三再四にわたって言って来たのだ。 「私はもう保険金をもらいたい年齢であって、これから新たに入る年齢ではありませんから」と言っても、「新しくできた保険の方が有利ですから、解約して入りなおした方が得です」と言う。 私は言ったのだ。「もしも、今の保険を解約して新しく別の保険に入ったとしたら、入ってすぐに自殺した場合に保険金は出ますか?」と。 「別に、今、自殺しようということではないけれども、人間、何があるかわかりませんでしょ。 自殺でも、首をくくって死ぬ人は、相当に考えた上で自殺する場合が多いのではないかと思うのですが、電車に飛び込んで死ぬような人は、衝動的に飛び込むようなケースが多いのではないかと思うのです。 別に、今、私が自殺しようと考えているということではないけれども、もしも、電車に飛び込んだとかいうようなことがあっても、明治安田生命さんには悪いけれども、家族に保険金だけは残してほしいのです。ずっと保険料を払ってきた保険なら、自殺の場合でも保険金は出るはずですが、それを解約して入りなおしたのでは保険金はでないのと違いますか」と言いました。 すると、「自殺の場合、保険に加入して3年間は出ませんね」と言うので、「だから、保険に入りなおすということはしたくないのです」と言いましたが、それでもわかってくれないのです。 自分がなんとか契約をもらおうとして努力する人については、私自身が営業の仕事をしてきましたので、少々しつこいとかいうことがあっても、少なくとも何の努力もしない人よりはいい、と考えますが、顧客の利益なんかどうでもいい、自分さえよければいいというこういう態度をとる人は好きではないのです。 そして、損害保険も始めたというので、一度だけ、彼女から家の火災保険に入ったことがあるのですが、その際、「・・・という場合には保険金はでるのですか」ときくと、「さあ。どうなんでしょうねえ。 たぶん、出るんじゃないですかあ」などと言うのです。 あんたが「たぶん」どう思うかなんてきいてないのです。 生命保険屋が損害保険についてよくわからないならそれはしかたがないから、わかる人にきいて再度連絡するか、そうでなければ、わかる人間をつれてくるかするべきですが、彼女は自分のでまかせで「たぶん、・・・だと思いますよお」とか言うのです。 そして、「金とかプラチナとかの塊を自宅においていた場合、火災で焼失したとか紛失したという場合、保険金はどうなりますか」と尋ねたところ、彼女はなんと言ったか。 「金の塊て、そんなの持ってても二束三文ですよお。入れ歯の金とかでしょ。そんなの持ってても価値ないですよ。そんなもの、捨ててしまった方がいいですよ」と、そう言ったのです。 「この人にこういう話をしてもレベル的に無理だ」と思いました。 そして、我が家から帰る時、私が、「クルマをUターンさせたいなら、そこにT字路があるからそこでUターンできます」とわざわざ教えてあげているのに、それをわざわざよその家のカーポートにつっこんでUターンして帰る。 顧客は近所の人と仲がいいとは限らないんです。仲が悪くなくても、自分の家のカーポートでUターンされるのを嫌がる人もあるのです。 うんと離れた所でよその家のカーポートにつっこんでUターンするなら、あくまでその人の問題であって私には関係ありませんが、我が家の2軒隣りとか3軒隣りとかの家のカーポートにつっこんでUターンするのはやめてもらいたいのです。特に、私がはっきりと「T字路の道でUターンできますから」と言っているのに。 そして、しばらくすると、個人年金をその人から入った「退職した」はずの担当者から、「産休のためにご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。○月より復帰しましたので、これからもよろしくお願いします」と連絡が来た。 え? 「退職したから」と言って生命保険の方の担当を変えさせたのではないのか? いるの? 産休が終わったから復帰したの? え?・・・・・。 どうなっていたかというと、個人年金の方は、その担当者から入ったので、たとえ、産休中といえども、加入した時の担当者が担当で、他の営業がそれを動かすことはできなかったらしい。 それに対して、生命保険の方は、加入した時の担当がすでに辞めているので、それを引きついた人が産休中である場合、他の営業が「担当が変わりました」と言ってそれをぶんどることができるらしいのだ。 但し、もう1つ別の保険に入った場合(この場合、「個人年金」に)、新しく別のものに入ったくらいだから、その担当者と人間関係もできており、同じ保険会社から2つ保険に入っているのに、その2つの担当が別の人間になったのでは不便であって、わざわざ、2つの保険の担当を別の人間にしたいと考える顧客はないので、それで、「◇◇さんは、今、産休中ですが、△△の保険は◇◇さんの担当ですが、☆☆の方だけ私の担当に移しませんか」などと言っても、そうしましょうと言う客はないので、それで、「◇◇さんは出産のために退職しました。それで、担当が変わりました」と言ってきたのだ。 その結果、契約時の担当者がすでに退職していた生命保険の方は船橋の人が担当になり、個人年金の方は契約時の女性が担当と、同じ生命保険会社で2つのものに加入しているのに担当が別という、顧客にとって極めて不便な状態にされてしまったのだ。さらに、「◇◇さんは退職しましたから」と嘘を言ってぶんどった船橋市の担当者は、生命保険の額を増やしましょうと言ってきたので、「私は、もう、将来に備える年齢ではなく、今欲しいくらいの年齢なんです。 私は年収も多くないので、今現在の保険料でも払うのがきついくらいなんです。これ以上払うことは無理です」と言いましたところ、「それなら、個人年金の方を辞めれば、個人年金に払っている保険料の分で払えますよ」と言い、さらに、「個人年金を解約するといいですよ。今、個人年金を解約すると、相当払ってきてるからけっこうもらえますよ。そのお金で生命保険を増やす分を払いましょう。それがいいです」と言ってきた。 「それは、私にとって何かメリットがありますか」と言いましたが、それでも理解しない。顧客のためなんかちっとも考えない、自分さえよければいいという態度であり、このクソババ、いいかげんにしろよと腹が立ってきた。この人が最初に来たなら相手にしないところだが、「担当が変わりました」と言って来るので帰れと言えない。そこにつけこむこの態度。営業とは、顧客のためになることを提案し、顧客のためになることをして契約をいただき、それに対しての報酬をいただくものだ。 終始一貫して自分のためしか考えない、顧客の利害なんかどうでもいいというこの態度は、まず、これは営業ではない。
生命保険の営業をやっている女性がどういうものかといっても、人によっても違うと思います。 しかし、実際に、私はこういう経験をしてきたし、明治安田生命は、自分の会社で2つの保険に入っている顧客から、担当者が産休で休んでいる間に、営業が「◇◇さんは退職したため、担当が変わりました」と言って片方だけぶんどるということは、会社としてさせないようにするべきだと思いますが、明治安田生命はとるべき措置をとっていないのです。
千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に縁故入社した T口 恵 が不動産屋にいて生命保険屋にいたといっても、年齢から計算するとどちらもたいした年数勤めてないのですが、「不動産屋のあつかましさ」と「生命保険屋のおばはんのあつかましさ」の「あつかましさ」2大コンビだけ身につけたようで、営業としてのマナーといったものはまったく身についていない。職場の協調性といったものがまったくない。
なんで、こんな非常識な女をわざわざ雇わないといけないのか、社長の嫁も、従業員のことを少しも考えない、自分の友人が得することなら、従業員をいくら犠牲にしてもよいという身勝手な考えの女であり、従業員として許しがたい態度です。
中谷彰宏という人が『オヤジにならない60のビジネスマナー』という本で、「オヤジ」というのは、その年代のその性別の人が「オヤジ」ではない、「オヤジ」と言われるような行為をする人が「オヤジ」であり、その年代でなくとも、その性別でなくとも、「オヤジ」はいます、と述べていたが、私もそう思う。 「おばはん」とか「オバタリアン」とかいうのもそうではないかと思う。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)のT口の場合は、「オバタリアン」どころではない。 「ほとんどビョーキ」というより、間違いなくビョーキ!である。 私たちが犠牲になった時間と引き換えにPTA役員やったという千葉市幕張の小学校の教師・親ども、私たち新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に土下座でもして謝罪してもらいたい。 T口が自分の仕事をせずに、担当外の従業員に仕事を無賃労働で押しつけて、おのれは定時に帰ってカネだけ強奪した分のそのカネを、幕張のなんとか小学校の親と教師ども、私たち従業員に払って欲しい。
国会で、答弁する人のすぐ脇の席というのは、「真面目そう」「誠実そう」「なかなかセンスがいい」「頼りになりそう」といった格好で座っておれば、座っているだけで自分にプラスになる有利な席のはずだ。アクビをするにしても、下を向いて口に手をあててわかりにくいようにしてするなら、人間、誰しも眠気がすることもあればアクビを我慢できないこともあるのだからしかたがないと思われるところを、わざわざ大きな口をあけて上むいてアクビをする・・・というあたり、松嶋みどり さんも、「ええ家庭の子やないねえ」となるとともに、今までの職場でそういうことをしてはいけないということを学んできていないのか? ということになる。 鼻のあたりを指でこすっているところも映像に映っていたが、鼻くそほじらなかっただけでもまだマシ?
遅刻してきていきなり弁当箱ひろげて「ボリッ、ボリボリッ」の女、入社1週間未満で勤務時間中にせんべいかじり、おのれの仕事を担当外の者にさせて「PTA役員も悪くないかな♪」とか言う女。こんな人、どうしたらいいですか?
(2016.4.16.)
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