綱敷天神社(大阪市北区神山町)参拝【2】社殿と桜、堅魚木と千木で見る「男の神様」、牛の像と「涎かけ」

[第406回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(32)-2
   大阪市北区の綱敷天神社は、本社が北区神山町九番十一号 にあり、御旅社が北区茶屋町十二番五号 にあり、末社の歯神社が大阪市北区角田町二番八号 にあります。
   綱敷天神社の「御本社」には、嵯峨天皇と菅原道真を祭神とする社殿が中央にあり、左手前に喜多埜稲荷神社、右手前に白龍社と2つの摂社・末社があります。 御旅社には玉姫稲荷神社が摂社・末社としてあります。
画像

↑ 西から入ります。 前回、北西側からの写真を公開しましたので、ここでは南西側からの写真を掲載します。
画像

↑ 拝殿。 拝殿の西に花が咲いているのは、梅ではなくです。 菅原道真を祀る神社では、梅と松を植えている神社が多いのですが、ここで桜が植えられているのは、道真とともに嵯峨天皇が祀られており、『日本後紀』に、≪弘仁3年(西暦812年)に、京都の神泉苑にて観桜の宴を催されたと記録があり、文献上確認できる最古の花見の記録とされています。≫と説明書きが出ており、嵯峨天皇が桜の花見を最初におこなった人だという説があり、桜を愛したというところから桜が植えられているようです。
画像

   社殿は、拝殿・幣殿・本殿の3部構成です。 綱敷天神社のHPhttp://tunashiki.com/ の「社殿と境内 御本社本殿」には≪ この御本社のある町の名を神山町と称するのも、この御本殿裏手にあった小山がその元々の由来でしたが、先の大戦の折に被弾の為に山はなくなり、土だけになってしまいました。≫と書かれていますが、今は「小山」はありません。本殿の後ろ(東側)は道になっています。

画像

画像

画像

↑ 拝殿・幣殿・本殿。 南側から見たもの。
≪ 現在の社殿は、昭和31年(1956年)に竣工したもので、平成18年(2006年)には復興50年になります。≫とHPhttp://tunashiki.com/ の「社殿と境内」「御本社本殿」には出ています。
≪社殿の造りはいわゆる権現造りと呼ばれる社殿形式に属しますが、拝殿、幣殿、本殿と徐々に高さがあがっていく形は一般の権現造りとは異なり、御祭神に嵯峨天皇をお祀りする由縁であろうといわれています。≫と書かれています。 そう言われて見ると、たしかに、本殿は拝殿より高くなっています。

   松浦昭次『宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技―』(2007.9.5.祥伝社 黄金文庫)に、≪ ・・・御上神社の本殿の屋根の上には、苗村神社や大笹原神社にはないものがあります。 堅魚木(かつおぎ)(読みは同じで勝男木とか鰹木とも書きます。)と千木(ちぎ)です。 どれも神社にだけあるものです。
  堅魚木というのは棟の上にあって、棟と直角になるように載せる部材です。 御上神社の本殿の棟には三本の堅魚木が載っています。 また、千木というのは棟の両端に左右から交差するように載せた部材です。
  この千木の上のほうの先端断面が地面と垂直になっていたら、その神社が祀っている神様は男の神様、地面と水平になっていたら女の神様とも言われています。
  また、男の神様の千木は、側面に穴が開けてあるとも言われます。 さらに、堅魚木についても同じことが言われていて、奇数なら男の神様、偶数なら女の神様ということです。・・・・
  しかし、・・・・堅魚木の偶数奇数や千木の先端の切り方で、男の神様か女の神様か必ず見分けがつくということもないようで、お話の種というぐらいに思っておいたほうがいいかもしれません。 ≫ と出ています。 そう思って、綱敷天神社の本殿の屋根を見て見ますと、↓
画像

↑ 堅魚木(かつおぎ)は5本と奇数、 千木(ちぎ)は先端が地面と垂直で、側面に穴があいています。 嵯峨天皇も菅原道真も男ですが、本殿の屋根はたしかに男の神様の条件に該当しています。

    本殿の後ろ(東側)は道になっていますが、その道から見ると↓
画像

本殿の背後には、もう少し、道路との間に樹木か何かあってもいいかな、とも思うのですが。 一方、天神社の場合、京都の北野天満宮でも大阪の大阪天満宮でも、本殿の後ろからも拝むようになっていて、神社によっては本殿の後ろにはまわらないものという神社もあるようですが、北野天満宮や大阪天満宮ではそういう考え方はないようですが、大阪市北区の綱敷天神社も、本殿の後ろから拝むようにはなっていないけれども、↑の写真を見ると、本殿の後ろの道からも「業務用」かもしれないけれども出入口が設置されているあたりは、その傾向なのか・・・、単に裏手にも出入口があった方が便利だからというだけなのか・・・どちらなんだろ・・・・。

画像

↑  渡り廊下がある建物は、天神社に限らず、神社・寺では見かけますが、大阪天満宮でも拝殿から右手(東)に渡り廊下があり、こういう渡り廊下が天神社に多いような気がするのですが、私の思い込みなのか、実際にそうなのか・・・。 どちらでしょうね・・。

    牛の像がいる天神社といない天神社があり、社殿の手前左右に同型の牛が2匹いる天神社があるかと思うと〔たとえば、東京都千代田区の平河天満宮〕、2匹いても、その2匹が別の形態の牛の神社〔たとえば、東京都文京区の湯島天神〕があります。 大阪市北区神山町の綱敷天神社では、門をくぐってすぐ右手に1匹、そして、右奥(南東)、社殿の右(南)にもう1匹います。 ↓
画像

↑  門をくぐってすぐ右(南)の牛の像。 
↑  クリックすると大きくなるので大きくして見てください。牛がかけている「新田ふとん店」が奉納の布ですが、「涎掛け(よだれかけ)」と書かれていますが、あれって、「涎掛け(よだれかけ)」だったのでしょうか? 牛って、涎(よだれ)たらすのかな・・・・?
画像

↑  社殿の右(南)の牛の像。 カエルみたいに見えないこともないけれども、牛です。

   (2016.4.9.)

※ 綱敷天神社(大阪市北区)HP http://tunashiki.com/
綱敷天神社(大阪市北区)HP 末社 歯神社 http://www.hagamisan.com/
綱敷天神社(大阪市北区)HP 御旅社  http://tunashiki.com/
《ウィキペディア―綱敷天神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE

   次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html 、狛犬、筆塚 について述べます。

綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。〔今回〕
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
    

☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。〔今回〕
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html   永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html  



≪ ▼検視・解剖の具体例
  70年(1970年)2月25日、全共闘学生中村克己が右翼に襲撃されて殺された。 権力は事故死をデッチ上げて、立会いなしに遺体を司法解剖に付した。 解剖室は機動隊が警備し、返却された遺体は脳が抜かれていた。
  73年(1973年)1月1日、連合赤軍の森恒夫が東京拘置所で「自死」。 検事は密室で遺体を解剖。 火葬場で灰にされる寸前を関係者が実力阻止し、腹わたのぬかれた遺体を奪還した。 
  75年(1975年)5月19日、東アジア反日武装戦線逮捕の直後、斎藤和が警察の手中で急死した。 検視段階で地検検事が弁護士の立会いを拒否、その後遺体はたらい回しにされ、死因は隠蔽された。 ≫
(反弾圧・反権力連絡会議 編『権力と闘うための法律知識 必携・反弾圧!』1979.1.31.三一新書)
   連合赤軍の森恒夫は、≪ 1973年元日、初公判を前に東京拘置所の独房で首吊り自殺しているところを発見された。発見時まだ心臓はかすかに動いており、ただちに蘇生措置が講じられたが間もなく心停止し、死亡した。28歳没。塩見と坂東國男宛に遺書が残されており、発見された遺書には「自己の責任の重さに絶望…自らに死刑を下す」と綴られていた。≫≪森の死を獄中で聞いた永田は「ずるい!」と絶叫したという。≫(《ウィキペディア―森恒夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%81%92%E5%A4%AB と言われてきたが、しかし、≪火葬場で灰にされる寸前を関係者が実力阻止し、腹わたのぬかれた遺体を奪還した。≫ということは、警察署内で警察官から腹を蹴られるなどの暴行を受けて内臓破裂などで殺された? ということが可能性として考えられるのではないか。 実際に、警察署内において、警察官から暴行を受けて怪我をさせられた経験のある者として、十分に可能性としてありうることと私は考える。 



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック