綱敷天神社(大阪市北区神山町)参拝【3】「戦災の狛犬」、筆塚
[第407回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(32)-3
神社では、社殿の前、左右に狛犬がいるのが普通・・・と思っていたら、『これだけは知っておきたい 神社入門』(2007.7.27.洋泉社ムック)の「狛犬ひとコマ話 ①石工の想像力は自由奔放! 「おもしろ」狛犬あれこれ」 を見ると、≪ 今では当たり前のように見る狛犬だが、神社に置かれるのが一般的になったのは、江戸時代だという。 神社の長い歴史を考えると、「新しい」習俗なのだ。・・≫そうで、そう昔からのものではないらしい。
さらに。 ≪ じつは狛犬と呼び慣わされているけれども、右と左は別の生き物だとする説がある。 すなわち、頭に角があって口を閉じているのが狛犬 で、角がなく口を開いているのが獅子だというのである(開口を「阿形(あぎょう)」、閉口を「吽形(うんぎょう)」ともいう)。 「角の生えた犬?」と驚かれるかもしれないが、古社に遺された木造の古い狛犬にはこの形式が多い(京都・八坂神社、東京・大国魂神社など)。・・・・ ≫と出ている。
大阪市北区神山町の綱敷天神社の「狛犬」を見てみてみましょう。 ↓
↑ 拝殿に向かって左側(北側)。 ≪頭に角があって口を閉じているのが狛犬≫≪閉口を「吽形(うんぎょう)」≫ということは、「狛犬」「吽形(うんぎょう)」ということになります。
拝殿に向かって右側(南側)はどうでしょうか。↓
↑ 拝殿に向かって右側(南側)。 ≪角がなく口を開いているのが獅子≫≪開口を「阿形(あぎょう)」≫ということは、右側(南側)は「獅子」「阿形(あぎょう)」ということになります。
綱敷天神社での説明書きでは、右側(南側)に、「戦災の狛犬」と書かれた説明書きがあります。
≪ この狛犬は大正4年(1915年)11月に、大正天皇さまのご即位を記念して、鋳物師 房本辰之助氏の手により制作され、地域の有志の方々から、ご奉納いただいたものです。
しかし、ご奉納いただいた30年後の昭和20年(1945年)6月の大阪大空襲により、当宮は焼夷弾により罹災を被り、本殿は全焼。 この狛犬はその頃本殿間近に設置されていた為、燃え上がる本殿の炎の直撃を受け、そのあまりもの熱で、尾の部分が溶解してしまいました。
戦後、焼け野原となった当宮には、御神宝の御綱と御影と、一部の石造物、そして、この尾の溶けた狛犬だけが残っていたと言われています。 その後、尾の部分をコンクリートで補修し、現在の位置に再度置かれましたが、戦後すぐの頃のコンクリートであるので、非常に粗雑なものであることがわかります。 平成27年(2015年)11月で、この狛犬も奉納から百年となり、所々老朽化が目立ってまいりましたが、戦後、日本人が如何に苦しい時代を乗り越え、今日まで戦火にまみれずに在る泰平の尊さを、この狛犬は私たちに伝えています。≫ と述べられ、そして、
≪ ちなみに、「狛犬」の正式な呼称は、「獅子・狛犬」で、この戦災を被った方は本来は「獅子」と呼ぶべきですが、慣習的に狛犬と表記させていただいております。 ≫と書かれています。
[第225回]《露天神社(つゆのてんじんじゃ)(お初天神)参拝【上】鳥居・社殿・露の井・お初 徳兵衛の像・梅新ビル他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html で、この綱敷天神社の少し西にある露の天神社(お初天神)で、≪拝殿前の石柱には、大東亜戦争(太平洋戦争)で大阪駅方向から飛来したP-51による機銃掃射の跡が残されている。≫と説明書きに書かれ、その跡が残る石柱の写真を公開しましたが、綱敷天神社では社殿他が焼失し、鋳物製の「獅子・狛犬」の獅子の方の尾の部分が溶解したようです。
↑の下の方(「戦災の狛犬」、拝殿に向かって右手(南側)の「獅子」「阿形」の後ろ姿を見ても、ぱっと見ただけでは、どこが焼けたのかよくわからないかもしれませんが、上の「狛犬」「吽形」の後ろ姿と見比べてみると、確かに、体の前と後ろでは、前の方が鋳物製であるのに対し、後ろはコンクリート製であるのがわかります。
社殿の右側(南側)に「筆塚」があります。↓
天神社には、「筆塚」があることが少なくありません。 それは、菅原道真が書道にも優れていたというお話しからですが、大阪市北区神山町の綱敷天神社の場合は、祭神は菅原道真だけでなく、嵯峨天皇も祭神で、嵯峨天皇もまた、書道の大家とされている人物です。
世間では、日本史上、「三筆」と言われる人がいるのですが、それが誰かというと、とりあえず、思いつくのが、空海(弘法大師)ですね。 なぜ、「とりあえず、思いつく」かというと、「弘法にも筆の誤り」という諺があるからです。
「弘法にも筆の誤り」・・・弘法大師のように字の上手な人でも書きそこなうことがあるということで、名人上手といわれる人でも時にはしくじることがあるものだ。 ただし、これは好意をもって人の過失を弁護するときにいい、自分の過失にはいわない。
「弘法筆を撰ばず」・・・・名人は道具えらびをしないということ。 弘法大師は嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆といわれるほどの名筆であったから、筆のよしあしは問題にせず、どんな粗末な筆を使っても上手に書くことができるということ。
(折井英治 編『暮らしの中の ことわざ辞典』1962.9.20. 集英社)
三筆(さんぴつ)・・・・平安初期、唐風の力強い筆跡を特色とする三人の能書家。 嵯峨天皇・空海・橘逸勢をいう。
(全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.2.28.新版 山川出版社)
・・・・ということで、「三筆(さんぴつ)」とは、「弘法も筆の誤り」「弘法筆を撰ばず」の空海(弘法大師)と嵯峨天皇と橘逸勢の3人でした・・・となると、菅原道真は何なんだ?
≪ 書道の神という信仰も広く行われた。 江戸時代の寺子屋が、天神を祭り、天神講を行ったことは、学問の神ということもあろうが、より多くは書道の神と考えたからであろう。 もともと道真の筆跡を神筆と称し、空海と小野道風とに並ぶ能書家とする説は、藤原頼長の『台記(たいぎ)』にあるから、かなり古くからのことであるが、道真の書の実物は一つも伝わらないのであるから、その事実か否かを立証することはできない。 むしろ道真在世当時の文献には、かれの書がすぐれていたことを示すものは一つもない。 これも歴史的事実というよりも、信仰の所産ではないかという気がするのである。≫(坂本太郎『菅原道真』1962.第1版。 1990.新装版。 吉川弘文館 人物叢書 新装版)
≪ <寺子屋>における<天神信仰>の様態は、だいたい富山地方の例と大同小異とみてよいと思われますが、寺子たちが最初に、“ 天神さん ” にお祈りするのは “ 手習い ” つまり書道の上達です。
菅公の確実な墨蹟というものは、残念ながら今日、伝わっておりませんが、詩文の神というところから、いつのまにか “ 書道の神 ” と仰がれるようになってきました。 そして、弘法大師や小野道風とともに、天下の三筆と称する伝説も生まれております。
各地の天満宮には、 “ 筆塚 ” が築かれ、子どもたちが書道の上達を祈願して、古い筆を供える風習が伝わっていますし、菅公が硯の水として使われたという井戸(道明寺天満宮の夏水井ほか)や、硯(同=国宝「青白磁円硯」)なども遺っています。 ・・・・≫(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』1994.12.20. (株)鎌倉新書)
ということで、菅原道真の書の実物は見つかっていないということで、道真が書道に優れていたという話は、詩文の神・寺子屋の神として祀られた結果、書道の神にもなったというところかららしい・・・・が、ここで問題として出てきたのは、「三筆」は嵯峨天皇・空海(弘法大師)・橘逸勢の3人で決まり・・・かと思ったら、「空海(弘法大師)・小野道風・菅原道真」で「天下の三筆」という説が出てきたわけで、さて、困った。
そこで、「困った時はウィキペディア」で、ウィキペディアの「三筆」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%AD%86 を見ると、≪三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称であり、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢の3人を嚆矢とする。≫とあり、さらに、
≪その他、三筆と尊称される能書は以下のとおりであるが、単に三筆では前述の3人を指す。
世尊寺流の三筆(藤原行成・世尊寺行能・世尊寺行尹)
寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)
黄檗の三筆(隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一)
幕末の三筆(市河米庵・貫名菘翁・巻菱湖)
明治の三筆(日下部鳴鶴・中林梧竹・巌谷一六)
この中で最も有名なのは、平安時代初期の三筆と寛永の三筆である。なお、三筆ではないが、平安時代中期の三跡もこれに比肩する。 ≫とある。 こんなにいっぱいあげられたのでは、頭が混乱する。 ≪平安時代中期の三跡≫とは、《ウィキペディア―三跡》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B7%A1 として、≪ それぞれ、和様の大成者。名のとなりのカギカッコ内は有職読み。
小野道風(おののみちかぜ「トウフウ」)- 小野の「野」をとって、野跡(やせき)と呼ばれる。
藤原佐理(ふじわらのすけまさ「サリ」)- 佐理の「佐」をとって、佐跡(させき)と呼ばれる。
藤原行成(ふじわらのゆきなり「コウゼイ」) - 権大納言であったので、権跡(ごんせき)と呼ばれる。三蹟の覚え方としては、有職読みを使った「サリー(サリ)ちゃんのパパが豆腐(トウフウ)を買うぜい(コウゼイ)」が有名である。≫とある。もっとも、「サリーちゃんのパパが・・・・」とかいうのは知らんけど・・・。
道真はどこにもないのか? というと、そうではなく、《ウィクショナリ― ―書の三聖》https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B8%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%81%96 に、≪書 の 三 聖(ショのサンセイ) 1. 3人の書の名人のことで、空海、菅原道真、小野道風の3人を指す。 ≫とあり、ここで菅原道真が出てきました。
まあ、「三大なんとか」というのは、そもそも、自分のところとあと2つ有名なのをくっつけて「三大○○」にしているケースが多く、自分のところ以外の2つなんて、結論を言うとどこでもいいようなところがあります。 嵯峨天皇の場合は歴史上の天皇の中で中程度の知名度の天皇ですが、どう知られているかというと「三筆の1人」として知られているのであって、それ以外で有名である人ではないわけです。 道真の方は「寺子屋の神さん」ですから、国語の先生なら書道だってできるだろうと期待されたみたいなものでしょうか? ポリテクセンター千葉の建築CAD科に通った時、「CADができるならワードやエクセルくらいできるだろう、と思われてしまうことがありますが」と先生が話されたことがありましたが、ワードやエクセルは本当に基本的なことならほとんど誰でもできるわけですが、ワード・エクセルの機能を十分に活用できるかどうかとなると別問題で、CADはCAD、ワードはワード、エクセルはエクセルですが、「詩文の神さん」なら「書道の神さん」だっていいだろ・・てのは、「CADができるならワード・エクセルくらいできるだろ」みたいなもん?・・かな・・・。
(2016.4.9.)
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html 、白龍社、歯神社 と 綱敷天神社の周囲 について述べます。
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。〔今回〕
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。〔今回〕
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
(佐藤優 原作・伊藤潤二 作画・長崎尚志 脚本『憂国のラスプーチン 6』2013.1.1. 小学館 ビッグコミックス ↑)
神社では、社殿の前、左右に狛犬がいるのが普通・・・と思っていたら、『これだけは知っておきたい 神社入門』(2007.7.27.洋泉社ムック)の「狛犬ひとコマ話 ①石工の想像力は自由奔放! 「おもしろ」狛犬あれこれ」 を見ると、≪ 今では当たり前のように見る狛犬だが、神社に置かれるのが一般的になったのは、江戸時代だという。 神社の長い歴史を考えると、「新しい」習俗なのだ。・・≫そうで、そう昔からのものではないらしい。
さらに。 ≪ じつは狛犬と呼び慣わされているけれども、右と左は別の生き物だとする説がある。 すなわち、頭に角があって口を閉じているのが狛犬 で、角がなく口を開いているのが獅子だというのである(開口を「阿形(あぎょう)」、閉口を「吽形(うんぎょう)」ともいう)。 「角の生えた犬?」と驚かれるかもしれないが、古社に遺された木造の古い狛犬にはこの形式が多い(京都・八坂神社、東京・大国魂神社など)。・・・・ ≫と出ている。
大阪市北区神山町の綱敷天神社の「狛犬」を見てみてみましょう。 ↓
↑ 拝殿に向かって左側(北側)。 ≪頭に角があって口を閉じているのが狛犬≫≪閉口を「吽形(うんぎょう)」≫ということは、「狛犬」「吽形(うんぎょう)」ということになります。
拝殿に向かって右側(南側)はどうでしょうか。↓
↑ 拝殿に向かって右側(南側)。 ≪角がなく口を開いているのが獅子≫≪開口を「阿形(あぎょう)」≫ということは、右側(南側)は「獅子」「阿形(あぎょう)」ということになります。
綱敷天神社での説明書きでは、右側(南側)に、「戦災の狛犬」と書かれた説明書きがあります。
≪ この狛犬は大正4年(1915年)11月に、大正天皇さまのご即位を記念して、鋳物師 房本辰之助氏の手により制作され、地域の有志の方々から、ご奉納いただいたものです。
しかし、ご奉納いただいた30年後の昭和20年(1945年)6月の大阪大空襲により、当宮は焼夷弾により罹災を被り、本殿は全焼。 この狛犬はその頃本殿間近に設置されていた為、燃え上がる本殿の炎の直撃を受け、そのあまりもの熱で、尾の部分が溶解してしまいました。
戦後、焼け野原となった当宮には、御神宝の御綱と御影と、一部の石造物、そして、この尾の溶けた狛犬だけが残っていたと言われています。 その後、尾の部分をコンクリートで補修し、現在の位置に再度置かれましたが、戦後すぐの頃のコンクリートであるので、非常に粗雑なものであることがわかります。 平成27年(2015年)11月で、この狛犬も奉納から百年となり、所々老朽化が目立ってまいりましたが、戦後、日本人が如何に苦しい時代を乗り越え、今日まで戦火にまみれずに在る泰平の尊さを、この狛犬は私たちに伝えています。≫ と述べられ、そして、
≪ ちなみに、「狛犬」の正式な呼称は、「獅子・狛犬」で、この戦災を被った方は本来は「獅子」と呼ぶべきですが、慣習的に狛犬と表記させていただいております。 ≫と書かれています。
[第225回]《露天神社(つゆのてんじんじゃ)(お初天神)参拝【上】鳥居・社殿・露の井・お初 徳兵衛の像・梅新ビル他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html で、この綱敷天神社の少し西にある露の天神社(お初天神)で、≪拝殿前の石柱には、大東亜戦争(太平洋戦争)で大阪駅方向から飛来したP-51による機銃掃射の跡が残されている。≫と説明書きに書かれ、その跡が残る石柱の写真を公開しましたが、綱敷天神社では社殿他が焼失し、鋳物製の「獅子・狛犬」の獅子の方の尾の部分が溶解したようです。
↑の下の方(「戦災の狛犬」、拝殿に向かって右手(南側)の「獅子」「阿形」の後ろ姿を見ても、ぱっと見ただけでは、どこが焼けたのかよくわからないかもしれませんが、上の「狛犬」「吽形」の後ろ姿と見比べてみると、確かに、体の前と後ろでは、前の方が鋳物製であるのに対し、後ろはコンクリート製であるのがわかります。
社殿の右側(南側)に「筆塚」があります。↓
天神社には、「筆塚」があることが少なくありません。 それは、菅原道真が書道にも優れていたというお話しからですが、大阪市北区神山町の綱敷天神社の場合は、祭神は菅原道真だけでなく、嵯峨天皇も祭神で、嵯峨天皇もまた、書道の大家とされている人物です。
世間では、日本史上、「三筆」と言われる人がいるのですが、それが誰かというと、とりあえず、思いつくのが、空海(弘法大師)ですね。 なぜ、「とりあえず、思いつく」かというと、「弘法にも筆の誤り」という諺があるからです。
「弘法にも筆の誤り」・・・弘法大師のように字の上手な人でも書きそこなうことがあるということで、名人上手といわれる人でも時にはしくじることがあるものだ。 ただし、これは好意をもって人の過失を弁護するときにいい、自分の過失にはいわない。
「弘法筆を撰ばず」・・・・名人は道具えらびをしないということ。 弘法大師は嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆といわれるほどの名筆であったから、筆のよしあしは問題にせず、どんな粗末な筆を使っても上手に書くことができるということ。
(折井英治 編『暮らしの中の ことわざ辞典』1962.9.20. 集英社)
三筆(さんぴつ)・・・・平安初期、唐風の力強い筆跡を特色とする三人の能書家。 嵯峨天皇・空海・橘逸勢をいう。
(全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.2.28.新版 山川出版社)
・・・・ということで、「三筆(さんぴつ)」とは、「弘法も筆の誤り」「弘法筆を撰ばず」の空海(弘法大師)と嵯峨天皇と橘逸勢の3人でした・・・となると、菅原道真は何なんだ?
≪ 書道の神という信仰も広く行われた。 江戸時代の寺子屋が、天神を祭り、天神講を行ったことは、学問の神ということもあろうが、より多くは書道の神と考えたからであろう。 もともと道真の筆跡を神筆と称し、空海と小野道風とに並ぶ能書家とする説は、藤原頼長の『台記(たいぎ)』にあるから、かなり古くからのことであるが、道真の書の実物は一つも伝わらないのであるから、その事実か否かを立証することはできない。 むしろ道真在世当時の文献には、かれの書がすぐれていたことを示すものは一つもない。 これも歴史的事実というよりも、信仰の所産ではないかという気がするのである。≫(坂本太郎『菅原道真』1962.第1版。 1990.新装版。 吉川弘文館 人物叢書 新装版)
≪ <寺子屋>における<天神信仰>の様態は、だいたい富山地方の例と大同小異とみてよいと思われますが、寺子たちが最初に、“ 天神さん ” にお祈りするのは “ 手習い ” つまり書道の上達です。
菅公の確実な墨蹟というものは、残念ながら今日、伝わっておりませんが、詩文の神というところから、いつのまにか “ 書道の神 ” と仰がれるようになってきました。 そして、弘法大師や小野道風とともに、天下の三筆と称する伝説も生まれております。
各地の天満宮には、 “ 筆塚 ” が築かれ、子どもたちが書道の上達を祈願して、古い筆を供える風習が伝わっていますし、菅公が硯の水として使われたという井戸(道明寺天満宮の夏水井ほか)や、硯(同=国宝「青白磁円硯」)なども遺っています。 ・・・・≫(『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』1994.12.20. (株)鎌倉新書)
ということで、菅原道真の書の実物は見つかっていないということで、道真が書道に優れていたという話は、詩文の神・寺子屋の神として祀られた結果、書道の神にもなったというところかららしい・・・・が、ここで問題として出てきたのは、「三筆」は嵯峨天皇・空海(弘法大師)・橘逸勢の3人で決まり・・・かと思ったら、「空海(弘法大師)・小野道風・菅原道真」で「天下の三筆」という説が出てきたわけで、さて、困った。
そこで、「困った時はウィキペディア」で、ウィキペディアの「三筆」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%AD%86 を見ると、≪三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称であり、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢の3人を嚆矢とする。≫とあり、さらに、
≪その他、三筆と尊称される能書は以下のとおりであるが、単に三筆では前述の3人を指す。
世尊寺流の三筆(藤原行成・世尊寺行能・世尊寺行尹)
寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)
黄檗の三筆(隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一)
幕末の三筆(市河米庵・貫名菘翁・巻菱湖)
明治の三筆(日下部鳴鶴・中林梧竹・巌谷一六)
この中で最も有名なのは、平安時代初期の三筆と寛永の三筆である。なお、三筆ではないが、平安時代中期の三跡もこれに比肩する。 ≫とある。 こんなにいっぱいあげられたのでは、頭が混乱する。 ≪平安時代中期の三跡≫とは、《ウィキペディア―三跡》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B7%A1 として、≪ それぞれ、和様の大成者。名のとなりのカギカッコ内は有職読み。
小野道風(おののみちかぜ「トウフウ」)- 小野の「野」をとって、野跡(やせき)と呼ばれる。
藤原佐理(ふじわらのすけまさ「サリ」)- 佐理の「佐」をとって、佐跡(させき)と呼ばれる。
藤原行成(ふじわらのゆきなり「コウゼイ」) - 権大納言であったので、権跡(ごんせき)と呼ばれる。三蹟の覚え方としては、有職読みを使った「サリー(サリ)ちゃんのパパが豆腐(トウフウ)を買うぜい(コウゼイ)」が有名である。≫とある。もっとも、「サリーちゃんのパパが・・・・」とかいうのは知らんけど・・・。
道真はどこにもないのか? というと、そうではなく、《ウィクショナリ― ―書の三聖》https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B8%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%81%96 に、≪書 の 三 聖(ショのサンセイ) 1. 3人の書の名人のことで、空海、菅原道真、小野道風の3人を指す。 ≫とあり、ここで菅原道真が出てきました。
まあ、「三大なんとか」というのは、そもそも、自分のところとあと2つ有名なのをくっつけて「三大○○」にしているケースが多く、自分のところ以外の2つなんて、結論を言うとどこでもいいようなところがあります。 嵯峨天皇の場合は歴史上の天皇の中で中程度の知名度の天皇ですが、どう知られているかというと「三筆の1人」として知られているのであって、それ以外で有名である人ではないわけです。 道真の方は「寺子屋の神さん」ですから、国語の先生なら書道だってできるだろうと期待されたみたいなものでしょうか? ポリテクセンター千葉の建築CAD科に通った時、「CADができるならワードやエクセルくらいできるだろう、と思われてしまうことがありますが」と先生が話されたことがありましたが、ワードやエクセルは本当に基本的なことならほとんど誰でもできるわけですが、ワード・エクセルの機能を十分に活用できるかどうかとなると別問題で、CADはCAD、ワードはワード、エクセルはエクセルですが、「詩文の神さん」なら「書道の神さん」だっていいだろ・・てのは、「CADができるならワード・エクセルくらいできるだろ」みたいなもん?・・かな・・・。
(2016.4.9.)
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html 、白龍社、歯神社 と 綱敷天神社の周囲 について述べます。
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。〔今回〕
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。〔今回〕
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
(佐藤優 原作・伊藤潤二 作画・長崎尚志 脚本『憂国のラスプーチン 6』2013.1.1. 小学館 ビッグコミックス ↑)
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