市民プール的でない市川市市民プール―市民プールのあり方を考える+大人の入場を嫌がる「こどもの国」
[第436回]
千葉県市川市には、「北方」「本北方」と「北方町」があって、「北方」「本北方」は「きたかた」「もときたかた」であるのに対し、「北方町」は「4丁目」のみがあって、1丁目から3丁目まではなく、そして、「きたかたまち」ではなく、「ぼっけ」と読むらしい。
その「北方(ぼっけ)町4丁目」に何があるかというと、市川市の市民プールhttp://www.city.ichikawa.lg.jp/pub06/1531000003.html がある。 7月16日から9月4日まで、午前9時から午後5時まで開場らしい・・・が、必ずしも、市民プール的ではない。どこが市民プール的ではないかというと、まず、第一に高い。大人1人750円というのは、市民プールの値段ではなく、私立、民営の娯楽用のプールの値段だ。かつ、市民プールというのは、来場する人がどういうつもりで来場しようがそれは勝手であろうが、基本的には、「泳ぐ人」、あるいは、「健康増進」「体力づくり」を目的として来る人を中心として運営するのが市民プール・・・と私は長年思ってきたのだが、市川市市民プールはどうもそんな感じじゃない。
(↑ 「プール」というマークがあるが、↓に述べたが、市川市市民プールは、「泳ぐ人」向けのプールではなく、プールサイドにテントはって寝っ転がったり、流水プールで子供とはしゃいだり、「彼女」とくっついたりする「プール」であって、「泳ぐ人」「健康増進、体力増強、腰痛改善の為の人」向けのプールではないようなので、私の定義ではそういうものは「プール」ではない為、「プール」ではなく「その他」のマークをつけた。)
逆に、千葉県で、市民プール的な市民プールとしては、船橋市夏見台の運動公園の中の市民プールは、値段も安く、小学生とか中学生とかが夏休みの間、毎日、行っても大丈夫というくらいの値段。そして、50メートルの本格的なプールと、小学生用プールと、幼児用プールがあった。「あった」というのは、その気に入っていた船橋市の市民プールが改装工事中で利用できない。かつ、どんな改装をするのかというと、流水プールとかウォータースライダーとか作るらしいのだ。 なんで、そんなことすんのかなあ・・・と私なんかは思うのだが。但し、今から考えてみると、船橋市市民プールの50メートルプールはすいていてよかった・・・と私は思ったが、すいていたということは、その状態で利用していた私なんかにはよかったとしても、運営者としてはもっと混んでほしかった、ということかもしれない。今、改装工事中で利用できない(http://www.city.funabashi.lg.jp/kids/facilities/p025444.html )。船橋市には年中利用できる室内温水プール(25メートル)が船橋アリーナhttp://www.f-bunspo.or.jp/arena/ にあるが、こちらは、年配者と子供が多く、現役世代は少ない。 20年くらい前には、「美容と健康のため」なのか来ているおねーちゃんもたまにいたが、最近は本当に年寄の割合が多い。その点、夏見台の屋外プールは、子供連れは子供用プール、幼児用プールで楽しみながら、泳ぎたい者、体力づくり、健康増進、腰痛改善にプールに入りたい者には、50メートルプールはすいていていいし、それに、水着のねーちゃんといちゃつきたいというタイプの人はあまりいないので、泳ぐこと、健康増進、体力増強、腰痛改善を目的とする者にとって良かった。船橋市には、かつては船橋市大穴にも市民プールがあり、三番瀬の方に海浜公園プールもあったが両方ともなくなり、屋外プールは夏見台だけになっていたがそれが閉鎖中なのだ。習志野市のJR京葉線「新習志野」駅の南に国際総合水泳場http://www.chiba-swim.gr.jp/ があるが、これはあまりにも本格的すぎて・・・。 他に、千葉市の犢橋の温水プールhttps://www.kotehashi-onsuipool.com/pool/pool.html とかあるが夏は混むし。夏は屋外プールに入る方が王道で、7月8月に屋内プールに入るというのは、なんかわびしい。
で、市川市市民プールは同じ市民プールでもかつての船橋市の夏見台とは状況が違う。 流水プールとかあって、私立、民営の娯楽用プールに近い。50メートルプールもあるが、水深が浅い。 なぜ、浅いのだろうかと思うと、水深の設定を「110cm~130cm」とするか「130cm~150cm」とするか2段階に設定できるらしいのだが、かつての船橋市の市民プールはその深い方くらいだったのだが、市川市市民プールは、小学生くらいにも入れるように、その浅い方の設定にしてあるのだ。 だから、かつての、船橋市市民プールは、「泳ぎたい人」には良かったのだが、市川市の市民プールはそのタイプではないのだ。そして、何より、750円というのは、「毎日、来る値段」ではない。娯楽用のプールは私立、民営のものであるのだから、市民プールは「泳ぐ人」用のものとしてもらいたいと私は思うのだが、市川市市民プールはそうではない。テントの設置場所とかもあって、みぞれとかの売店とかもあるようで、なんか、市民プールとしての王道をはずれているような気がする・・・・が、夏見台の船橋市民プールに入れた時は、基本は船橋市の市民プールを利用して、その夏に1回くらいなら、市川市市民プールに行ってもいい・・と思っていたのだが、まさか、夏見台の運動公園内の船橋市の市民プールまで市川市市民プール型の王道をはずれたプールになってしまうなんてことないか? と思うと不安である。
市川市市民プールで、特に、気分を害したのは、券売所で入場券を購入しようとすると、おばさんから、「なんですか」と言われたのだ。こちらは千円札を出しているのに。750円の券を買おうとして千円札を出している人間に「何ですか」と、普通、言うか?
今、思い出したのだが、横浜市と町田市の境目付近に「こどもの国」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/ という施設があり、2003年だったと思うが、近くに行った時、時間があったので、入ってみたことがあった。
ところが、入口で、駐車場はあるかときいて教えてもらった場所に行くと、「停められません」と空きスペースが十分にあるのに係員に言われた。「有料ですか」ときくと、「カネはらえばいいというものじゃないですよ。停めてもらっては困りますよ。当然でしょ」と言うのだ。そこは「こどもの国」に来た人間用の駐車場のはずなのだが、なんで、「停めてもらっては困る」のだろうか。断固として「絶対に停めさせるわけにはいきませんから」と言うのだ。それなら、入口の係員は私に嘘を言ったのだろうか。もう一度、入場口に戻って尋ねると、やっぱり、駐車場はそこらしい。「こどもの国」には、イサム=ノグチの設計の施設などがあって、見学したいと思ったのだが、もし、附属の駐車場がないのなら、付近で時間パーキングがないか捜すしかないのだが、入場口の係員はそこに駐車場があるからそこに停めてくれと再度言うので、再度、駐車場に行って、「入場口の係の人からここに停めてくれと言われたのですけれども」と言うと、「どうして、停めるんですか。常識で考えてくださいよ。だめに決まってるでしょ。常識でしょ」と言うのだ。なんで、「こどもの国」の駐車場に「こどもの国」に来た人間が停めてはいけないのか、「常識で考えて」もわからなかったし、入場口の係員がそこの駐車場に停めてくれと言うからその場所に行ったのに、なぜ、「停めさせるわけにはいきませんよ。常識でしょ」と、なぜ、言われなければならないのか、「常識で考えて」さっぱりわからなかったのだが、結局、「わかりました。じゃあ、停めりぁ、いいでしょ。ほんとはだめなんですからねえ」と捨て台詞みたいなことを言われて停めたのだが、あれはいったい何だったのかと思ったのだが、後から考えてみると、大人の男が1人で行ったので、子供を連れずに「こどもの国」に行くバカはないだろうが、ふざけんな! と言いたかったということらしい。横浜市の「こどもの国」というのはそういう所だったのだ。帰ってから、なんか、感じ悪かったが、あれは何なのだろうと思って考えて見て、「こどもの国」に行きたかったら子供を連れて来い、大人が1人で「こどもの国」に入園しようとはけしからんという考えだったようだ。 だから、もう、今後は「こどもの国」http://www.kodomonokuni.org/ には行かない。無理して入れてもらわなければならないほどのものでもない。
で、市川市の市民プールの券売所のおばさんも、それに似た意識だったのではないか。大人の男が1人で市民プールに入るのはおかしいという認識、市民プールというのは、子供連れで入園するか、さもなくば、「彼女」を連れて来るかどちらかのもののはずだ、という「常識」を持っていたのではないか。それで、「何ですか」と不服そうに言ったのではないか。・・・まあ、いいわと思ったのだが、それは市民プールの王道に反するように思うのだが、市川市に市民プールは「市民プールの王道をはずれたタイプの市民プール」なのかもしれないから、それなら、あえて、そういう所に行く必要はないのかもしれない。 プールサイドにテントをはって寝転がったり、売店でなんか買って食ったり、「流水プール」でふざけたり、浮き輪でただよったりという、そういう「プール」にはそのタイプの人たちが行くべきで、特に水泳が上手いか下手かにかかわらず・・というより、下手だっていいじゃないか、下手な者が泳いで何が悪いか・・という認識の者が行く場所ではないのかもしれない、と帰り道々思ったのだ。だから、今後はその場に不似合な者は他のプールに行くことにしよう・・かな、と。
元・阪神タイガースの井川投手が、アメリカ合衆国のヤンキースに移籍する前、阪神で活躍していた頃、「ナンバー」だったか何だったかの表紙に写真が掲載されていて、カメラマンが「女の子のファンだっているんだから、カッコよく撮らないとね」と言うと、井川が「あ、しまった、ヒゲそってくるんだった」と言った上、「ぼく、あんまりそういうタイプじゃないんでえ」と言ったと書かれていたので、こいつ、おもしろいにーちゃんだなと思ったことがあった・・・が、私の場合、「文武両道の北野高校」の影響を受けたということもあるかもしれないけれども、もともと人間は「文武両道」であるべきもので、「学識がある人は体力が劣っている、体が優れている人は頭脳が悪い」という考え方は間違っていると、すべての国民がスポーツマンであるとともに自ら考える哲学者であるべきだ、と中国の毛沢東主席も『体育の研究』(ベースボールマガジン社)でおっしゃっておるし、別に毛沢東さんが言わなくてもそうだと思う。毛沢東は特に水泳を好み、高齢になっても揚子江を遠泳で泳ぎ渡った・・・というニュースが出たけれども、さすがにそれは揚子江の写真に毛沢東の頭の写真をセロテープで貼り付けて合成したものではないかとか言われたが、健康増進に特に水泳を好んだというのは嘘ではないらしい。
それで、それなら、おまえはそこまでものすごい運動の能力があるのか? と言われれば、ないよ。だから、特別の運動選手でなかったら、スポーツしちゃいかんのか? ものすごく上手くなければ、水泳とかスポーツしちゃいかんのか? そうではあるまい。下手な人間がバイオリンひいちゃいかんか? 下手な人間がチェロを弾いてはいかんか? そうではあるまい。井川投手は、なんで、ヤンキースに行ってだめになってしまったのか。 阪神ではあんなに活躍していたのに、と残念に思うのだが、活躍している時に見ると、あの「落ち武者ヘアー」も、おもろいやっちゃな、と感じるものが、成績が出ないと、散髪くらいしろよなあ~あ・・・て、なんか、だらしない印象を受けてしまうのだが、ともかく、「ぼく、あんまりそういうタイプじゃないんでえ」という返答は、なんだか親しみを感じたのだが、私自身も、どっちかというとそっちのタイプだから、売店が出て、氷金時だのフランクフルトソーセージだのが売られていて、プールサイドで寝っ転がったり、流水プールではしゃいだり、ビーチボールで遊んだり、「彼女」とくっついたりという、そういう「プール」と、「泳ぐプール」とどっちが好きかというと、「泳ぐプール」の方が好きな人間だ。かつ、井上靖の『あすなろ物語』には、あすなろの木の話が出ていて、「あすなろ」という木は、「明日は桧になろう」といつも思っている木だそうで、そう思っていても、いつまで経っても桧になることはできずにいる。 しかし、それでも、「明日は桧になろう」と思い続けている、というそういう木だという。かつて、20歳前後の頃、運動選手になりたいとは思わなかったけれども、それでも、運動をする時には、たとえ、運動選手と競争したって負けるもんか、というくらいの気持ちでやった・・・が、当然、勝てるわけないけれども、それでも、そういう気持ちでやってきた。それで、誰かが迷惑するわけでもないだろうが。だから、そういう者としては、「プール」というものは、子供連れで来てビーチボールで遊んだり、「彼女」つれてきてくっついたりする場所だという認識のプールは不似合だ。だから、市川市の市民プールに行くのは、もう、今後はやめようかな・・・という気持ちにいくらかなった。
冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(34)として、市川市北方町4丁目の天神社参拝 と合わせて、市川市市民プールについて論じた。で、天神社参拝に、なぜ、市民プールの話が出てきたかというと、今回については、天神社・天満宮に参拝しようとして来たのではなく、市川市市民プールにクルマで来て、市民プールはどっちだったかなと思いながら付近を走らせていたところ、「天神社 ↑」というような看板が見えたので、それで寄ってみたのだ。
セットで述べるつもりで書きかけたが、けっこう長くなってきたので、分けることとする。天神社参拝は次回、[第437回]《市川市北方(ぼっけ)町4丁目の天神社 参拝+遠回りして有料道路を使う男を認め、一方で人権侵害する会社》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html に公開する。
(2016.7.31.)
≪ 資本主義的なスポーツの概念は、後進国に存在すべき概念とは根本的に異なるものだ。アフリカの政治家は、スポーツマンの養成に専心してはならず、自覚的な、しかもその上にスポーツマンでもある人間の養成に専心すべきだ。もしスポーツが民族の生活のなかに、すなわち民族建設の仕事に、統合されていないなら、もし民族のスポーツマンだけが作られて、自覚的な人間が作られないならば、そのときたちまちにしてスポーツが、職業選手養成(プロフェッショナリスム)と商業主義とで腐敗するのを人は見るだろう。・・・・≫
(フランツ=ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳 1969.11.20. みすず書房)
≪ ところが、このとき同時に人間の弱さがあらわれます。疑問の永遠性、永続性に耐えることはつらい。出来るだけ早く、簡単な解決をのぞむか、乃至は考えることを放棄する、いや別のことを考えるのです。パスカルはさきの言葉のつづきとして、「舞踊をすること、フリュートを吹くこと、輪遊びをすること、戦争すること」等をあげていますが、こういうことに考えを向け換えて、人間の何であるかを考えようとはしなくなる。その条件はそろっています。たとえば、今日のスポーツは、精神にとって危険な存在化しました。私はスポーツを否定はしませんが、そのために新聞や雑誌の特別版が必要だということになると、これは知性のために危険だと言いたいのです。一種の阿片的役割を果たしかねない。 ≫
(亀井勝一郎『愛の無常について』講談社文庫↑ 「第1章 精神について」)
≪ それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれまくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。 人に見せべきものではない。 あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。・・・・≫
(夏目漱石『三四郎』 角川文庫 他)
≪ 気がつくと、二人の死体の右手に、杉の木の木立に混じって、翌檜(あすなろう)の老樹が一本だけ生えていた。鮎太はいつか冴子が家の庭にある翌檜の木のことを、
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。 でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
と、多少の軽蔑をこめて説明してくれたことが、その時の彼女のきらきらした眼と一緒に思い出されて来た。
あすなろうの木の下で二人が横たわっているそのことに何の意味もあろう筈はなかったが、その木の命名の哀れさと暗さには、加島の持つ何かが通じているように鮎太には思われた。・・・≫
(井上靖『あすなろ物語』新潮文庫 「深い深い雪の中で」 )
☆ リオデジャネイロでの オリンピックが始まった。そのおかげで、スポーツ新聞だけでなく一般新聞までが連日、一面をスポーツ記事で埋め、一般新聞がスポーツ新聞になったみたいだ。「パンとサーカス」という言葉があって、国民には余計なことを考えないように「生かさぬよう、殺さぬよう」ぎりぎり生活できるだけの収入と、ふぅわぁ~あっと頭がなってしまって他のことを考えなくなるような「サーカス」を与えておけば、政治家にとっては実に統治しやすい、という説があるのだが、まさに、「パンとサーカス」の「サーカス」としてのオリンピックが始まってしまった。
1970年の大阪万国博覧会がなぜ大阪で開催されたか、知ってますか? その頃の大阪は、まだ、政治的にも経済的にも東京に準ずるくらいの力を持っていたので、1964年のオリンピックを東京でやったのだから万国博覧会は大阪で・・・というのもいくらかはあったかもしれませんが、それよりも、ちょうど、安保改定の年だったもので、それで、西の大阪で、「ばんぱく、バンパク、ばんぱっく、バンパック!」と叫び通し、「こ~んにっちわあ~あ、こ~んにっちわあ~、にし~いのぉ~くにから~♪」〔《YouTube―「世界の国からこんにちは」》https://www.youtube.com/watch?v=XrBnFCwJSUk 〕とか言って叫びまくっている間に、東の東京で安保改定を通しちゃった! というものだった、て知ってましたか? さて、読売はもとから「バカ新聞」だからどうしようもないとして、朝日・毎日までもが、連日、一面をオリンピックの記事で埋めてしまっている。さて、「人畜無害」なスポーツの記事が一面を埋めている間、本来なら一面に載っているはずの記事はどこに行ったのだろう? 国民全体を「アタマがスポーツ」にしてしまえば、ファシズム政治家にとっては実に都合がいい、という考えで、朝日も毎日もその動きに加担している、加担させられているということだろうか?
今は昔、徳弘匡也の『シェイプアップ乱』という上品ではないがなかなかおもしろい漫画があって、そこに、「走るためだけに生まれてきた女 カール=ルイ子」という女が登場していた。「人は彼女のことを、こう呼ぶ。『走るため だけ に生まれてきた女』、『走るために生まれてきた女』ではなく、『走るため だけ に生まれてきた女』と。『だけ』・・・・・・」
1980年代、慶應大の学生であった時、必修科目の「基本体育」で水泳が担当の体育の先生は、すでに相当高齢の方だったが、「年寄の冷や水で泳いで見せるからな」と言って、高齢でもプールサイドで見物して「ああせえ、こうせえ」と言うのではなく、このように泳ぐんだよと自分で泳いで見せてくださる方だった。、「体育会系」にありがちな「殴るの大好き人間」ではなく、教え方も親切だった・・・・が、ただ、気にかかったのは、「俺は幼稚舎から慶應に行ってるんだけれども、幼稚舎の時から水泳をやって、一貫して水泳部で俺の人生の大部分はプールの水の中で過ごした」と言われたのだ。 その方がそういう人生を送られたことで私は何か迷惑を蒙ったわけでも何でもないのだが・・・・、しかし、それを聞いた時、なんだか、せっかく生まれてきたのに、大事な人生の大部分を全部まとめて水の中にどぼ~ん!と捨ててしまったような、なんかそんな印象を受けてしまったのだ。体育の先生としては親切な方だったのに、こんなところで悪口みたいなことを書くのは申し訳ない気がするが、しかし、なんか、人生の大部分を水の中にどぼ~ん!と捨ててしまったような、そんな印象を受けた。
私は、もともと、テレビはあまり見ない方の人間なのだが、食べ物屋に入っても、テレビでオリンピックが写っていたりするので、特に見ようとしなくても、オリンピックの競技や選手の表情が映るのを見るのだが・・・、な~んか、「◇◇するため だけ に生まれてきた女」「○○するため だけ に生まれてきた男」という印象を受けてしまう選手が多いのが気にかかってしまう。
(2016.8.10.)
[プールのトイレについて、他]
市川市 市民プールは、トイレが少ない。ロッカー室横の室内トイレとプールサイドのトイレの2カ所のうち、男性用室内トイレが故障しているようだが、他のものならともかく、トイレは故障したなら緊急に直すべきもので、混雑期においては、直すまでの間、建築現場などで設置するような仮設トイレでも用意するべきだ。
又、シャワー室がプールへの出入口と別の場所にある為、十分にシャワーで体を流さずにプールに入ってしまっている人がいるのではないか。更衣室からプールに出る付近にシャワーを設置するようにした方がよいと思う。
ついでに、入口付近から、女性用のロッカー室付近も、見ようと思わなくても視野に入ってしまう。「海の家」みたいな売店を作るより、そのあたりの方を、改善した方が良いのではないかと思う。のぞいたわけでもないのに、見ただの見られただのと言われては、かなわん。
まだ、若いと思うのに、男性用更衣室に平気で入ってくる女性を見かけた。年齢はまだ若くても、子供ができると、そういったことを平気でするようになるのか・・? しかし、そういう無神経な行動は「おばさんへの第一歩」だと思うので、できれば、やめた方がいいと思う・・・・と思ったのだが、もしかして、女性用トイレが混雑していて待てなかった為、男性用トイレの大便用を使いたいと考えたが男性用室内トイレは故障していた、ということだったのか。その可能性はある。市川市市民プールには、屋外(プールサイド)に男性用1カ所・女性用1カ所のトイレがあり、室内に女性用更衣室の脇に1カ所あるはずで、男性用更衣室の脇に1カ所あるトイレが故障している。女性用室内トイレは故障はしていないはずだが、屋外(プールサイド)のトイレを見ると、女性用も男性用と同程度に混んでいるようだ。
(1) 入学試験などの時は、男性用トイレの大便用が混む。女性用が混まないことはないとしても男性用の大便用が特に混む。 普段なら、自宅以外で大便をする者はそれほど多くないが、試験の時など、緊張すると、腹の具合が悪くなる者が多いようで、かつ、女性用トイレは小便用も大便用もないが、男性用トイレは小便用と大便用が別であり、大便用は女性用トイレに比べて数が少ない為、男性用トイレの大便用が混む。
(2) 演奏会の休憩時間などでは、男性用もそれなりに混むが、女性用の方が混む。 なぜなら、男性の小便に要する時間は女性より短いので、さっさと回転するからである。
(3) 高速道路のサービスエリアで見ていると、「おばさん」というのは、なんだか、男性用トイレを使うのが大好きみたい。それ以上、待つと「もれるぅ~う」というのなら、やむをえないと許容してもよいのではないかと私などは思うが、それほどでもなく、女性用がちょっと混んでるだけという場合に男性用トイレを使いたがるおばさんがけっこういる。 こういおばさんと、新宿あたりのニューハーフショーを見たがるおばさんは、かなりの程度、重複しているような気がするのだが、厳密に調査したわけではない。
(4) 義理の兄がお母さんを連れて外出した時、高齢のお母さんがトイレを使用するのに、1人では不安だから一緒に来てくれと言ったそうだが、一緒に来てくれと言われても、男性が女性トイレの中まで入ることはできない。それでも、お母さんは一緒に来てくれないと困ると言って、その為、義兄が困ったと聞いた。 こういうことは現実にある。私の母は、トイレの中まで一緒に来てくれとまでは言わないが、脳卒中と脳出血をやったことがあって体がふらつく為、1人で入らせるのは不安ではある。どこかに外出してトイレを使用する際、女性用トイレの前で待つが、人から見れば、女性用トイレの前に男性が立っているというのは、男性用トイレと女性用トイレが隣接している場合はよいが、まったく別の場所にある時には、この人、なんなのだろうと不審に思われることもあるかもしれない。はっきりと尋ねてくれれば答えればよいし、むしろ、その施設の係員の女性であれば、中でどうしているか見ていただけませんかとお願いすることもできるが、何も言われず、不審に思われている時ももしかするとあるかもしれない。 今後、本当に1人で女性用トイレに入らせるのが困難になった時には、その時には、男性用トイレの大便用を使わせるようにしたいと私は考えたし、それは認めてもらいたいと思うのだが、高速道路のサービスエリアで男性用トイレを使いたがるオバサン一行のおかげで、女性が男性用トイレを使用することに対する拒絶が厳しくなされるようになったようだが、「これ以上待ったら『もれるぅ~う』という場合」と「高齢で1人で中まで入らせるのは不安な母親を息子が同行しているという場合」などは女性が男性用トイレの大便用を使用することは認めてほしいと思う。
(5) 子供なら、どうしても待てないという場合、「はじっこの方の土の所でさせる」という方法がある。 これは、無暗にやるのはマナー違反であるが、本当に、これ以上待たせたら「もれる~う」という場合はやむをえない。
(6) 海外旅行に行った時など、言葉が日本国内と同等には通じず、かつ、トイレがどこにあるか見つけにくいという場合など、男性用トイレを使用する日本人の大人の女性を見かけることがあった。 これは、高速道路のサービスエリアで男性用トイレを使いたがるオバサンとは事情は違う。待てずに「もらす」くらいなら男性用トイレを使わせてもらった方がよいという判断だと思うし、これも、女性用トイレが少し混んでいるという程度の時に、無暗にこの方法はとってもらいたくはないが、やむをえない時は認めてよいと思う。
特に、プールにおいては、トイレは多めに用意するべきだと思うし、混雑時、女性用トイレが混んでいて「待てない」という時には、女性が男性用トイレの大便用を使用するのも、やむをえない場合には認めてよいと思う。 又、そういうことを考えると、男性用更衣室を通らないと行けない男性用トイレよりも、男女共用スペースから男性用トイレと女性用トイレに行けるようにした方がよいと思う。 父親が一人で着替えはできる女児を連れて来るというケースもあると思うが、そういう際、着替えは一人でさせるしかないとしても、トイレの中まで一緒に入るわけにはいかないとしても前で待つくらいはできた方がよいのではないか。
プールの場合、特に、トイレは多めに用意するべきだという理由として、もしも、「どうしても待てない」という時、子供なら「はじっこの方で、土の所にしなさい」とさせるという選択肢があるが、大人の女性はできない・・・となると、・・・・・「水の中でやる」という選択肢を実行するやつが出てくるのではないかと思う。 そういう事態は避けたいし、極力避けてもらいたい。それなら、まだしも、「シャワーのところでシャワーを浴びながらやればわからない」という選択肢の方がましだ・・・・が、そういう選択肢を実行せざるをえない事態になりかねない。 だから、
<1> トイレは故障したなら、緊急に直す。(住宅においても、電気・ガス・電話よりもトイレと水道は緊急性が高い。)
<2> 故障していなくても、その施設が混雑時においては、既存のトイレの数では不足していると思えたら、仮設トイレ(「レンタルのニッケン」http://www.rental.co.jp/product/house.php とかが扱っている工事現場やイベント会場に設置する仮設のものがあるはず。)を設置して不足を補う。
<3> 特に、プールにおいては、「水の中でやる」という「非常手段」をとられないためにも、重要性は高い。(「水の中でやる」くらいなら、「シャワーを浴びながらやる」方がまだよい。)
こういったことをプールの運営者は考えてほしいと思う。
(8.14.)(8.21.)
(追加)
建築現場の「仮設トイレ」について。
2010年から2011年にかけて、新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区鵜の森町。不動産業としてはビルダーズジャパン(株)。2013年に倒産。〕が、千葉県東金市日吉台で、「枠組壁構法」(「ツーバイフォー工法」)による戸建住宅を建設した際、すでに基礎工事が終わった段階で、まだ、仮設トイレと仮設水道を出していなかった。私は、それを自称「工事責任者」の「ブタクサA」(仮名)に指摘した。指摘すれば大急ぎで設置するであろうと思って。しかし、それからしばらくしても、まだ、設置しない。それで、再度、指摘した。(株)一条工務店に在籍した時、(株)一条工務店の工事課担当者は、基礎工事を始めるより前には仮設水道は設置したいと言っていた。但し、基礎は鉄筋コンクリートで作り、コンクリートというのは、「セメント+砂(などの細骨材)+砂利(などの粗骨材)+水」を混ぜて作るので、そこで絶対に水が必要ではないかと思いがちであるが、今は、基礎を作るのに、現場で「セメント+砂(などの細骨材)+砂利(などの粗骨材)+水」を混ぜて作るのではなく、生コン車でできあいのコンクリートを工事現場に持って来て、どぼどぼと型枠に注ぐ方法の方が一般的なので、仮設水道が出ていなくても絶対に基礎工事はできないということはない。基礎工事の前にQCB杭を施工する場合には、水を相当に使うので、仮設水道は必要である。新華ハウジング(有)の東金市日吉台の工事現場では、「べた基礎+高基礎(深基礎)」でQCB杭の施工はしなかったので、仮設水道を出さなくても基礎工事はできた。
しかし、やはり、工事現場においては、仮設水道を用意するのは当然であろう。又、仮設トイレも用意するのは当然であろう。工事現場において作業する人は体が汚れることもある。怪我をすれば、まず、傷口を洗って清める必要がある。2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原発の事故で放射性物質が放散され千葉県にも放射性物質は放散されたが、屋外で作業をすれば多いか少ないかはさておき放射性物質を浴びることになる。水道で洗い流す必要もあったはずだ。仮設水道・仮設トイレなしで、どうやって工事を進めるのか。どうしていたかというと、小便は立小便。水道は近くのスーパーかコンビニの水道からペットボトルに水を入れて運んできて作業を進めたらしい。 よく、そういうことをすると思う。
私は、自称「工事責任者」である「ブタクサA」(仮名)に何度も何度も、「まだ、出さないのですか」「まだ、設置されていませんでしたよ」と言い続けたが、その度に、「すぐ、出します」「大急ぎで設置します」「大丈夫です」と言って、そして、出さない、設置しない。それで、「新華ハウジング(有)では、仮設水道や仮設トイレを設置しないようにして、その分の費用を節約しようという考え方なのですか?」と。そうすると、「ブタクサA」(仮名)は「いえいえ、違います。そんなことないです。出しますよ。速攻で出しますよ」と言って、出さない。
結局、いつ、仮設トイレと仮設水道を出したかというと、最後まで、建物が完成するまで設置しなかった。 よくやると思う。水道も、1回や2回、ペットボトルに入れさせてもらうくらいならともかく、家1軒分建てるに至るまでの水を、公園の水道だとかスーパー・コンビニのトイレの水道からペットボトルに入れて使うとなると、それは窃盗罪に該当するのではないか。そして、たとえ、分譲地で空地があり、横に山があり土の部分があったとしても、家1軒を完成させるまで、一貫して立小便を続けているというのは、みっともない話である。
立小便したからといって、それで建築中の家がつぶれるものでもないとか思っているなら、その認識は間違いだ。 洋家具のダニエル(株)の会長さんから聞かせてもらった話だが、かつて、アメリカ合衆国で今よりも人種差別が激しかった時代に、アメリカ合衆国の家具の工場を見せてもらったところ、白人の工場では家具を作る際に接着剤をヘラを使ってつけていたのに対し、黒人の工場では接着剤を手でつけていた。そして、完成した家具は、へらを使ってつけていた工場の方ができばえは良かった、というのです。仮設水道も出さない、仮設トイレも設置せず、工事に携わる従業員に最後まで立小便させる、そんな工事で良い建物が建つわけがない・・・と思ったら、極めていいかげんな建物ができていた。
また、たとえ、工事のできばえに影響がなかったとしても、近隣の人の印象は異なるはずだ。 私の船橋市の自宅の近所でアーネストワン(株)が8区画の建売分譲をおこなったが、特に急ぎの時だけならともかく、毎日夜8時頃まで音を立てて作業をする、道路を塞いで道路上で作業をし、しかも、道路占用使用許可もとらず、安全監視員を配置することもなくやる、道路を掘削する際にはカッターで切ってユンボでトラックに載せるのではなくユンボで叩いて割ろうとするので振動が激しい、その他、まず、工事の前に元請け会社の工事担当者が近隣に挨拶に顔を出さない。工事においては相当迷惑を蒙ったはずだが、建売住宅を購入して入居した人にはそういう意識はない。
たしかに、建売住宅を購入した入居者には購入より前のことに法的には責任はないだろう。しかし、まったく、関知しませんという態度でよいのだろうか。新築を購入した入居者は、入居時に近隣に顔を出したなら、「工事でご迷惑かけたりしませんでしたか」の一言くらいあっても悪くないのではないか、と思った。 新華ハウジング(有)が建てた家を購入した人は、工事中にどうであったか知らない。しかし、近所の人は見ている。工事中、立小便を続けて建てた家だということを。 そんな事で良いか? 私は良いとは思わない。私が見込客なら、「立小便して建てた家」などというのは、基本的に、買いたくないな。「ブタクサA」(仮名)は、仮設水道なし・仮設トイレなしで家1軒建てた、うまくやった・・と思っているのかどうなのかわからないが、もし、そう思っているなら、その認識は間違っていると思う。
もとより、「工事責任者」というのは、人から言われなくても、自分が担当の工事現場はどうなっているか把握して、時期遅れにならないよう対処するものであり、仮設トイレ・仮設水道くらい、人から言われなくてもきっちりと設置するべきであり、指摘されて「すぐ設置します」と言ったならすぐに設置するべきであり、指摘されて「すぐ設置します」と言っておきながらいつまでも設置しないというのは指摘した人間に対して失礼であり、設置しないのならそれならそれで「すぐ、設置します」と言うべきではない。そんな「工事責任者」はない。そんな対応をする人間を「工事責任者」とは言わない。工事現場を見に行かない、どうなっているか把握していない、指摘されても「すぐ、対処します」と口だけで絶対に対処しない、そういう勤務態度であるならば、「工事責任者」は辞めた方がよい。「ぼく、忙しいんです」などと「ブタクサA」(仮名)は言うのだが、もし「ブタクサA」(仮名)が忙しかったとしても、俺だって忙しいわ。それなら、工事現場を見に行って問題点に気づいて指摘してくれた人間というのは暇人だと言いたいのか、ということになる。そんな失礼な発言はない。そもそも、自分が担当の工事現場がどうなっているか把握していない、問題点を指摘されても「すぐ、対処します」と言って対処しない、そういう「工事責任者」としてやるべきことをやらない自称「工事責任者」というのは、いったい、何に忙しいんだ!?! ということになる。 仕事以外のものに忙しいということか?
そういえば、2011年、「ブタクサA」(仮名)は、私に、クルマで送ってほしいと言うので、幕張まで乗せていくと、幕張の工事現場に寄った後、JR京葉線「海浜幕張」駅で降ろしてくれといい、海浜幕張で、勤務時間中に、社長の長谷川と一緒に倫理研究所(=倫理法人会)の集会に行ったようだが、倫理研究所(=倫理法人会)の集会に行く時間はあっても人が再三再四にわたって指摘した仮設水道・仮設トイレは「すぐに出します」「速攻で設置します」と何度も何度も言い続けても設置するように対処する時間はないということか。倫理研究所の集会に参加するのに忙しくて、その為に、仮設トイレ・仮設水道の設置を手配する時間がない、ということか。やっていることを見ると、そういうことになる。その時に、「高速道路使ってください」と「ブタクサA」(仮名)が言うので高速道路を通って行ったのだが、その時に立て替えた高速道路代を、私は、今もって、新華ハウジング(有)からも長谷川からも植草からも倫理研究所からも払ってもらっていないのだが、そういうのが「倫理」なのか。「倫理研究所」というのは、そういう態度を「倫理」だと主張する方法を「研究」している「所」か!?! 「倫理法人会」というのは、そういうことをやっている「法人」の「会」なのか!?!
(8.21.)
その後
男性用室内トイレは修理が完了したようだ。但し、男性用屋外トイレの手洗い場の水道は2つあって、今だに片方は不良で使えない。 そのくらい、さっさと直せば~あ・・・て感じがするのだけど。 それから、「ロッカー室」って、男女の境目に簡単な壁もないのだけど、見ただの見られただの言われたら嫌なので、なんとかした方がいいと思うのだけどね・・・。
気温が下がってきて、夏休みも終わりに近づいたからか、ずいぶんとすいていた。50mプールは、自分以外に3、4人しかいなかった。 幼児用プールとか流水プールなんて誰も入っていなかった。ひとつには、ヤフー天気予報とかだと、雨の予報なのだが、電話の気象通報(177)で銚子地方気象台の降水確率を聞くと降水確率は高くなかったのだが、ヤフー天気予報とかで雨だと思って行くのをやめた人もあったのかもしれない。
涼しくなってきて、プールの日和じゃないと思った人もあったのかもしれないが、私の場合、高校2年の時には10月の半ば過ぎまでプールに入った経験があるので、8月の終わりで少し涼しいくらいなら、そんなのたいしたことないじゃ~ん・・て感じで、すいてて快適快適♪ て感じでした。高校2年の時、なにゆえ、10月の半ば過ぎまでプールに入ったかというと、今もそうかどうかはわからないが、私が行っていた頃、1970年代後半の北野高校では、1学期の前、夏休みの前、に課題を出されたのだ。覚えているのは、50mプールの、短い方、25mを行って帰っての合計50mを背泳ぎで1分以内に往復する、というもの。夏休みあけ、2学期の最初の体育の授業で試験をして、1分以内に戻ってこれなければ、1週間後に追試。追試のたびに合格ラインを10秒ずつ伸ばす。 だから、1回目の追試だと、1分と10秒以内に戻ってこれれば合格というもの。な~んだ、それなら、1回か2回、追試を受ければそれでいいのでしょ・・・と思うのは、1分と10秒とか1分と20秒とかで戻ってこれる人の話。2分以上かかってみい。仮に2分で往復できたとして、60秒÷10秒/週間=6週間。6週間ということは、1ヶ月が4週とするなら、1ヶ月と2週。2分で往復できたらまだいいが、3分以上かかってみい~い。12月までプールに入らにゃならん計算になる。・・・で、私の場合、10月の半ば過ぎまでプールに入って、結局、合格できなかったのだが、それでも、2分以上かかっても往復したのだ。涙ぐましい努力、というのか、10月にプールに入ると、そもそも、プールの循環設備がとまってしまって、プールの底に足をつけると、ぬるっとするし、何がうれしゅうて、10月の半ば過ぎに屋外のプールに入らにゃならんのかと思うが、その経験のおかげで、8月の終わりだの9月だので少々気温が低いなんて、それがどうしたっての? て感じ。むしろ、すいてて快適快適。それも、ビキニのねーちゃんなんてのは、そういう日は来ないから、泳ぐのが目的の人間にとっては、むしろ、その方がよろしい! てとこで、快適にすごしてきた。係員のおねえさんが、「本日は気温と水温が低いので・・」とか説明してくれたが、10月の半ば過ぎに比べたら、あったかいじゃないのお~お♪ プールの底だって、それほど、ぬるっとしないし。考えてみれば、あの体育のおかげで、9月の終わりくらいにプールに入るなんて、どうってことないって意識になって、よかった♪ ・・・・かどうか、まあ、悪かったということはないわな。 8月のかんかん照りの日にプールに入るのとはまた違った面白さがある。 市川市市民プールは9月の4日までだったか、あと、もう少しで市川市市民プールは今年はおしまい。せっかく、抜け道を覚えたが、その後は、どこかの温水プールに行こう。
(8.28.)
一時はもう行くのやめようかと思った市川市の市民プールに、結局、その後も何度か行ったが、その後も券売所のおばねーちゃん(上記とは別人)から「何ですか」と言われた。工事に入る前の船橋市夏見台の船橋市市民プールではそんなこと言われたことは一度もなかった。「市民プール的市民プール」だと水泳をしたいと思う人間が1人で入るのは自然なことだが、「市民プール的でない市民プール」には大人の男が1人で入るのはおかしいという認識なのか。
室内用男性トイレの故障は治ったが、屋外男性用トイレの水道が2つあるうちの1つが故障しているのは直っていないし、シャワー室も水が出ないものがある。そのくらい、さっさと直せばどうかと思う。750円も料金とってるのだし。工事前の船橋市市民プールはずっと料金は安かったが、そのあたりは故障していなかった。「市民プール的でない娯楽的プール」になると、そうなるのだろうか・・。
(9・3)
室内男性用シャワー室の故障していたシャワーは直っていた。しかし、プールサイドの屋外男性用トイレの2つある手洗いのうち故障していた片方の水栓は、結局、夏季プール開場中に直らなかった。そのくらい、さっさと直せばと思うのだが・・。特に、シャワー室のシャワーとトイレの水栓は工事をするのはどちらも水道屋のはずなので、2回に分けて修理するより一度に一緒に工事をした方が費用も安くすむのではないかと思うのだが・・・、まあ、もしかすると、親方日の丸だから、カネ余ってるのかもしれんけど・・・。
(9.4.)
2016年は改装工事の為、閉鎖されていた船橋市市民プールが2017年7月17日より再開した。娯楽用・子供用のプールが拡充されたが、50メートルの「泳ぐプール」も健在である・・が、いくらか値段は前より高くなった。不思議なことに、市川市民プールでは、ほぼ毎回、券売所で大人が1人でお金を出すと不満そうに「何ですか」と言われたのだが、船橋市民プールでは「何ですか」と言われたことは一度もない。
(2017.8.7.)
千葉県市川市には、「北方」「本北方」と「北方町」があって、「北方」「本北方」は「きたかた」「もときたかた」であるのに対し、「北方町」は「4丁目」のみがあって、1丁目から3丁目まではなく、そして、「きたかたまち」ではなく、「ぼっけ」と読むらしい。
その「北方(ぼっけ)町4丁目」に何があるかというと、市川市の市民プールhttp://www.city.ichikawa.lg.jp/pub06/1531000003.html がある。 7月16日から9月4日まで、午前9時から午後5時まで開場らしい・・・が、必ずしも、市民プール的ではない。どこが市民プール的ではないかというと、まず、第一に高い。大人1人750円というのは、市民プールの値段ではなく、私立、民営の娯楽用のプールの値段だ。かつ、市民プールというのは、来場する人がどういうつもりで来場しようがそれは勝手であろうが、基本的には、「泳ぐ人」、あるいは、「健康増進」「体力づくり」を目的として来る人を中心として運営するのが市民プール・・・と私は長年思ってきたのだが、市川市市民プールはどうもそんな感じじゃない。
(↑ 「プール」というマークがあるが、↓に述べたが、市川市市民プールは、「泳ぐ人」向けのプールではなく、プールサイドにテントはって寝っ転がったり、流水プールで子供とはしゃいだり、「彼女」とくっついたりする「プール」であって、「泳ぐ人」「健康増進、体力増強、腰痛改善の為の人」向けのプールではないようなので、私の定義ではそういうものは「プール」ではない為、「プール」ではなく「その他」のマークをつけた。)
逆に、千葉県で、市民プール的な市民プールとしては、船橋市夏見台の運動公園の中の市民プールは、値段も安く、小学生とか中学生とかが夏休みの間、毎日、行っても大丈夫というくらいの値段。そして、50メートルの本格的なプールと、小学生用プールと、幼児用プールがあった。「あった」というのは、その気に入っていた船橋市の市民プールが改装工事中で利用できない。かつ、どんな改装をするのかというと、流水プールとかウォータースライダーとか作るらしいのだ。 なんで、そんなことすんのかなあ・・・と私なんかは思うのだが。但し、今から考えてみると、船橋市市民プールの50メートルプールはすいていてよかった・・・と私は思ったが、すいていたということは、その状態で利用していた私なんかにはよかったとしても、運営者としてはもっと混んでほしかった、ということかもしれない。今、改装工事中で利用できない(http://www.city.funabashi.lg.jp/kids/facilities/p025444.html )。船橋市には年中利用できる室内温水プール(25メートル)が船橋アリーナhttp://www.f-bunspo.or.jp/arena/ にあるが、こちらは、年配者と子供が多く、現役世代は少ない。 20年くらい前には、「美容と健康のため」なのか来ているおねーちゃんもたまにいたが、最近は本当に年寄の割合が多い。その点、夏見台の屋外プールは、子供連れは子供用プール、幼児用プールで楽しみながら、泳ぎたい者、体力づくり、健康増進、腰痛改善にプールに入りたい者には、50メートルプールはすいていていいし、それに、水着のねーちゃんといちゃつきたいというタイプの人はあまりいないので、泳ぐこと、健康増進、体力増強、腰痛改善を目的とする者にとって良かった。船橋市には、かつては船橋市大穴にも市民プールがあり、三番瀬の方に海浜公園プールもあったが両方ともなくなり、屋外プールは夏見台だけになっていたがそれが閉鎖中なのだ。習志野市のJR京葉線「新習志野」駅の南に国際総合水泳場http://www.chiba-swim.gr.jp/ があるが、これはあまりにも本格的すぎて・・・。 他に、千葉市の犢橋の温水プールhttps://www.kotehashi-onsuipool.com/pool/pool.html とかあるが夏は混むし。夏は屋外プールに入る方が王道で、7月8月に屋内プールに入るというのは、なんかわびしい。
で、市川市市民プールは同じ市民プールでもかつての船橋市の夏見台とは状況が違う。 流水プールとかあって、私立、民営の娯楽用プールに近い。50メートルプールもあるが、水深が浅い。 なぜ、浅いのだろうかと思うと、水深の設定を「110cm~130cm」とするか「130cm~150cm」とするか2段階に設定できるらしいのだが、かつての船橋市の市民プールはその深い方くらいだったのだが、市川市市民プールは、小学生くらいにも入れるように、その浅い方の設定にしてあるのだ。 だから、かつての、船橋市市民プールは、「泳ぎたい人」には良かったのだが、市川市の市民プールはそのタイプではないのだ。そして、何より、750円というのは、「毎日、来る値段」ではない。娯楽用のプールは私立、民営のものであるのだから、市民プールは「泳ぐ人」用のものとしてもらいたいと私は思うのだが、市川市市民プールはそうではない。テントの設置場所とかもあって、みぞれとかの売店とかもあるようで、なんか、市民プールとしての王道をはずれているような気がする・・・・が、夏見台の船橋市民プールに入れた時は、基本は船橋市の市民プールを利用して、その夏に1回くらいなら、市川市市民プールに行ってもいい・・と思っていたのだが、まさか、夏見台の運動公園内の船橋市の市民プールまで市川市市民プール型の王道をはずれたプールになってしまうなんてことないか? と思うと不安である。
市川市市民プールで、特に、気分を害したのは、券売所で入場券を購入しようとすると、おばさんから、「なんですか」と言われたのだ。こちらは千円札を出しているのに。750円の券を買おうとして千円札を出している人間に「何ですか」と、普通、言うか?
今、思い出したのだが、横浜市と町田市の境目付近に「こどもの国」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/ という施設があり、2003年だったと思うが、近くに行った時、時間があったので、入ってみたことがあった。
ところが、入口で、駐車場はあるかときいて教えてもらった場所に行くと、「停められません」と空きスペースが十分にあるのに係員に言われた。「有料ですか」ときくと、「カネはらえばいいというものじゃないですよ。停めてもらっては困りますよ。当然でしょ」と言うのだ。そこは「こどもの国」に来た人間用の駐車場のはずなのだが、なんで、「停めてもらっては困る」のだろうか。断固として「絶対に停めさせるわけにはいきませんから」と言うのだ。それなら、入口の係員は私に嘘を言ったのだろうか。もう一度、入場口に戻って尋ねると、やっぱり、駐車場はそこらしい。「こどもの国」には、イサム=ノグチの設計の施設などがあって、見学したいと思ったのだが、もし、附属の駐車場がないのなら、付近で時間パーキングがないか捜すしかないのだが、入場口の係員はそこに駐車場があるからそこに停めてくれと再度言うので、再度、駐車場に行って、「入場口の係の人からここに停めてくれと言われたのですけれども」と言うと、「どうして、停めるんですか。常識で考えてくださいよ。だめに決まってるでしょ。常識でしょ」と言うのだ。なんで、「こどもの国」の駐車場に「こどもの国」に来た人間が停めてはいけないのか、「常識で考えて」もわからなかったし、入場口の係員がそこの駐車場に停めてくれと言うからその場所に行ったのに、なぜ、「停めさせるわけにはいきませんよ。常識でしょ」と、なぜ、言われなければならないのか、「常識で考えて」さっぱりわからなかったのだが、結局、「わかりました。じゃあ、停めりぁ、いいでしょ。ほんとはだめなんですからねえ」と捨て台詞みたいなことを言われて停めたのだが、あれはいったい何だったのかと思ったのだが、後から考えてみると、大人の男が1人で行ったので、子供を連れずに「こどもの国」に行くバカはないだろうが、ふざけんな! と言いたかったということらしい。横浜市の「こどもの国」というのはそういう所だったのだ。帰ってから、なんか、感じ悪かったが、あれは何なのだろうと思って考えて見て、「こどもの国」に行きたかったら子供を連れて来い、大人が1人で「こどもの国」に入園しようとはけしからんという考えだったようだ。 だから、もう、今後は「こどもの国」http://www.kodomonokuni.org/ には行かない。無理して入れてもらわなければならないほどのものでもない。
で、市川市の市民プールの券売所のおばさんも、それに似た意識だったのではないか。大人の男が1人で市民プールに入るのはおかしいという認識、市民プールというのは、子供連れで入園するか、さもなくば、「彼女」を連れて来るかどちらかのもののはずだ、という「常識」を持っていたのではないか。それで、「何ですか」と不服そうに言ったのではないか。・・・まあ、いいわと思ったのだが、それは市民プールの王道に反するように思うのだが、市川市に市民プールは「市民プールの王道をはずれたタイプの市民プール」なのかもしれないから、それなら、あえて、そういう所に行く必要はないのかもしれない。 プールサイドにテントをはって寝転がったり、売店でなんか買って食ったり、「流水プール」でふざけたり、浮き輪でただよったりという、そういう「プール」にはそのタイプの人たちが行くべきで、特に水泳が上手いか下手かにかかわらず・・というより、下手だっていいじゃないか、下手な者が泳いで何が悪いか・・という認識の者が行く場所ではないのかもしれない、と帰り道々思ったのだ。だから、今後はその場に不似合な者は他のプールに行くことにしよう・・かな、と。
元・阪神タイガースの井川投手が、アメリカ合衆国のヤンキースに移籍する前、阪神で活躍していた頃、「ナンバー」だったか何だったかの表紙に写真が掲載されていて、カメラマンが「女の子のファンだっているんだから、カッコよく撮らないとね」と言うと、井川が「あ、しまった、ヒゲそってくるんだった」と言った上、「ぼく、あんまりそういうタイプじゃないんでえ」と言ったと書かれていたので、こいつ、おもしろいにーちゃんだなと思ったことがあった・・・が、私の場合、「文武両道の北野高校」の影響を受けたということもあるかもしれないけれども、もともと人間は「文武両道」であるべきもので、「学識がある人は体力が劣っている、体が優れている人は頭脳が悪い」という考え方は間違っていると、すべての国民がスポーツマンであるとともに自ら考える哲学者であるべきだ、と中国の毛沢東主席も『体育の研究』(ベースボールマガジン社)でおっしゃっておるし、別に毛沢東さんが言わなくてもそうだと思う。毛沢東は特に水泳を好み、高齢になっても揚子江を遠泳で泳ぎ渡った・・・というニュースが出たけれども、さすがにそれは揚子江の写真に毛沢東の頭の写真をセロテープで貼り付けて合成したものではないかとか言われたが、健康増進に特に水泳を好んだというのは嘘ではないらしい。
それで、それなら、おまえはそこまでものすごい運動の能力があるのか? と言われれば、ないよ。だから、特別の運動選手でなかったら、スポーツしちゃいかんのか? ものすごく上手くなければ、水泳とかスポーツしちゃいかんのか? そうではあるまい。下手な人間がバイオリンひいちゃいかんか? 下手な人間がチェロを弾いてはいかんか? そうではあるまい。井川投手は、なんで、ヤンキースに行ってだめになってしまったのか。 阪神ではあんなに活躍していたのに、と残念に思うのだが、活躍している時に見ると、あの「落ち武者ヘアー」も、おもろいやっちゃな、と感じるものが、成績が出ないと、散髪くらいしろよなあ~あ・・・て、なんか、だらしない印象を受けてしまうのだが、ともかく、「ぼく、あんまりそういうタイプじゃないんでえ」という返答は、なんだか親しみを感じたのだが、私自身も、どっちかというとそっちのタイプだから、売店が出て、氷金時だのフランクフルトソーセージだのが売られていて、プールサイドで寝っ転がったり、流水プールではしゃいだり、ビーチボールで遊んだり、「彼女」とくっついたりという、そういう「プール」と、「泳ぐプール」とどっちが好きかというと、「泳ぐプール」の方が好きな人間だ。かつ、井上靖の『あすなろ物語』には、あすなろの木の話が出ていて、「あすなろ」という木は、「明日は桧になろう」といつも思っている木だそうで、そう思っていても、いつまで経っても桧になることはできずにいる。 しかし、それでも、「明日は桧になろう」と思い続けている、というそういう木だという。かつて、20歳前後の頃、運動選手になりたいとは思わなかったけれども、それでも、運動をする時には、たとえ、運動選手と競争したって負けるもんか、というくらいの気持ちでやった・・・が、当然、勝てるわけないけれども、それでも、そういう気持ちでやってきた。それで、誰かが迷惑するわけでもないだろうが。だから、そういう者としては、「プール」というものは、子供連れで来てビーチボールで遊んだり、「彼女」つれてきてくっついたりする場所だという認識のプールは不似合だ。だから、市川市の市民プールに行くのは、もう、今後はやめようかな・・・という気持ちにいくらかなった。
冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(34)として、市川市北方町4丁目の天神社参拝 と合わせて、市川市市民プールについて論じた。で、天神社参拝に、なぜ、市民プールの話が出てきたかというと、今回については、天神社・天満宮に参拝しようとして来たのではなく、市川市市民プールにクルマで来て、市民プールはどっちだったかなと思いながら付近を走らせていたところ、「天神社 ↑」というような看板が見えたので、それで寄ってみたのだ。
セットで述べるつもりで書きかけたが、けっこう長くなってきたので、分けることとする。天神社参拝は次回、[第437回]《市川市北方(ぼっけ)町4丁目の天神社 参拝+遠回りして有料道路を使う男を認め、一方で人権侵害する会社》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html に公開する。
(2016.7.31.)
≪ 資本主義的なスポーツの概念は、後進国に存在すべき概念とは根本的に異なるものだ。アフリカの政治家は、スポーツマンの養成に専心してはならず、自覚的な、しかもその上にスポーツマンでもある人間の養成に専心すべきだ。もしスポーツが民族の生活のなかに、すなわち民族建設の仕事に、統合されていないなら、もし民族のスポーツマンだけが作られて、自覚的な人間が作られないならば、そのときたちまちにしてスポーツが、職業選手養成(プロフェッショナリスム)と商業主義とで腐敗するのを人は見るだろう。・・・・≫
(フランツ=ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳 1969.11.20. みすず書房)
≪ ところが、このとき同時に人間の弱さがあらわれます。疑問の永遠性、永続性に耐えることはつらい。出来るだけ早く、簡単な解決をのぞむか、乃至は考えることを放棄する、いや別のことを考えるのです。パスカルはさきの言葉のつづきとして、「舞踊をすること、フリュートを吹くこと、輪遊びをすること、戦争すること」等をあげていますが、こういうことに考えを向け換えて、人間の何であるかを考えようとはしなくなる。その条件はそろっています。たとえば、今日のスポーツは、精神にとって危険な存在化しました。私はスポーツを否定はしませんが、そのために新聞や雑誌の特別版が必要だということになると、これは知性のために危険だと言いたいのです。一種の阿片的役割を果たしかねない。 ≫
(亀井勝一郎『愛の無常について』講談社文庫↑ 「第1章 精神について」)
≪ それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれまくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。 人に見せべきものではない。 あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。・・・・≫
(夏目漱石『三四郎』 角川文庫 他)
≪ 気がつくと、二人の死体の右手に、杉の木の木立に混じって、翌檜(あすなろう)の老樹が一本だけ生えていた。鮎太はいつか冴子が家の庭にある翌檜の木のことを、
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。 でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
と、多少の軽蔑をこめて説明してくれたことが、その時の彼女のきらきらした眼と一緒に思い出されて来た。
あすなろうの木の下で二人が横たわっているそのことに何の意味もあろう筈はなかったが、その木の命名の哀れさと暗さには、加島の持つ何かが通じているように鮎太には思われた。・・・≫
(井上靖『あすなろ物語』新潮文庫 「深い深い雪の中で」 )
☆ リオデジャネイロでの オリンピックが始まった。そのおかげで、スポーツ新聞だけでなく一般新聞までが連日、一面をスポーツ記事で埋め、一般新聞がスポーツ新聞になったみたいだ。「パンとサーカス」という言葉があって、国民には余計なことを考えないように「生かさぬよう、殺さぬよう」ぎりぎり生活できるだけの収入と、ふぅわぁ~あっと頭がなってしまって他のことを考えなくなるような「サーカス」を与えておけば、政治家にとっては実に統治しやすい、という説があるのだが、まさに、「パンとサーカス」の「サーカス」としてのオリンピックが始まってしまった。
1970年の大阪万国博覧会がなぜ大阪で開催されたか、知ってますか? その頃の大阪は、まだ、政治的にも経済的にも東京に準ずるくらいの力を持っていたので、1964年のオリンピックを東京でやったのだから万国博覧会は大阪で・・・というのもいくらかはあったかもしれませんが、それよりも、ちょうど、安保改定の年だったもので、それで、西の大阪で、「ばんぱく、バンパク、ばんぱっく、バンパック!」と叫び通し、「こ~んにっちわあ~あ、こ~んにっちわあ~、にし~いのぉ~くにから~♪」〔《YouTube―「世界の国からこんにちは」》https://www.youtube.com/watch?v=XrBnFCwJSUk 〕とか言って叫びまくっている間に、東の東京で安保改定を通しちゃった! というものだった、て知ってましたか? さて、読売はもとから「バカ新聞」だからどうしようもないとして、朝日・毎日までもが、連日、一面をオリンピックの記事で埋めてしまっている。さて、「人畜無害」なスポーツの記事が一面を埋めている間、本来なら一面に載っているはずの記事はどこに行ったのだろう? 国民全体を「アタマがスポーツ」にしてしまえば、ファシズム政治家にとっては実に都合がいい、という考えで、朝日も毎日もその動きに加担している、加担させられているということだろうか?
今は昔、徳弘匡也の『シェイプアップ乱』という上品ではないがなかなかおもしろい漫画があって、そこに、「走るためだけに生まれてきた女 カール=ルイ子」という女が登場していた。「人は彼女のことを、こう呼ぶ。『走るため だけ に生まれてきた女』、『走るために生まれてきた女』ではなく、『走るため だけ に生まれてきた女』と。『だけ』・・・・・・」
1980年代、慶應大の学生であった時、必修科目の「基本体育」で水泳が担当の体育の先生は、すでに相当高齢の方だったが、「年寄の冷や水で泳いで見せるからな」と言って、高齢でもプールサイドで見物して「ああせえ、こうせえ」と言うのではなく、このように泳ぐんだよと自分で泳いで見せてくださる方だった。、「体育会系」にありがちな「殴るの大好き人間」ではなく、教え方も親切だった・・・・が、ただ、気にかかったのは、「俺は幼稚舎から慶應に行ってるんだけれども、幼稚舎の時から水泳をやって、一貫して水泳部で俺の人生の大部分はプールの水の中で過ごした」と言われたのだ。 その方がそういう人生を送られたことで私は何か迷惑を蒙ったわけでも何でもないのだが・・・・、しかし、それを聞いた時、なんだか、せっかく生まれてきたのに、大事な人生の大部分を全部まとめて水の中にどぼ~ん!と捨ててしまったような、なんかそんな印象を受けてしまったのだ。体育の先生としては親切な方だったのに、こんなところで悪口みたいなことを書くのは申し訳ない気がするが、しかし、なんか、人生の大部分を水の中にどぼ~ん!と捨ててしまったような、そんな印象を受けた。
私は、もともと、テレビはあまり見ない方の人間なのだが、食べ物屋に入っても、テレビでオリンピックが写っていたりするので、特に見ようとしなくても、オリンピックの競技や選手の表情が映るのを見るのだが・・・、な~んか、「◇◇するため だけ に生まれてきた女」「○○するため だけ に生まれてきた男」という印象を受けてしまう選手が多いのが気にかかってしまう。
(2016.8.10.)
[プールのトイレについて、他]
市川市 市民プールは、トイレが少ない。ロッカー室横の室内トイレとプールサイドのトイレの2カ所のうち、男性用室内トイレが故障しているようだが、他のものならともかく、トイレは故障したなら緊急に直すべきもので、混雑期においては、直すまでの間、建築現場などで設置するような仮設トイレでも用意するべきだ。
又、シャワー室がプールへの出入口と別の場所にある為、十分にシャワーで体を流さずにプールに入ってしまっている人がいるのではないか。更衣室からプールに出る付近にシャワーを設置するようにした方がよいと思う。
ついでに、入口付近から、女性用のロッカー室付近も、見ようと思わなくても視野に入ってしまう。「海の家」みたいな売店を作るより、そのあたりの方を、改善した方が良いのではないかと思う。のぞいたわけでもないのに、見ただの見られただのと言われては、かなわん。
まだ、若いと思うのに、男性用更衣室に平気で入ってくる女性を見かけた。年齢はまだ若くても、子供ができると、そういったことを平気でするようになるのか・・? しかし、そういう無神経な行動は「おばさんへの第一歩」だと思うので、できれば、やめた方がいいと思う・・・・と思ったのだが、もしかして、女性用トイレが混雑していて待てなかった為、男性用トイレの大便用を使いたいと考えたが男性用室内トイレは故障していた、ということだったのか。その可能性はある。市川市市民プールには、屋外(プールサイド)に男性用1カ所・女性用1カ所のトイレがあり、室内に女性用更衣室の脇に1カ所あるはずで、男性用更衣室の脇に1カ所あるトイレが故障している。女性用室内トイレは故障はしていないはずだが、屋外(プールサイド)のトイレを見ると、女性用も男性用と同程度に混んでいるようだ。
(1) 入学試験などの時は、男性用トイレの大便用が混む。女性用が混まないことはないとしても男性用の大便用が特に混む。 普段なら、自宅以外で大便をする者はそれほど多くないが、試験の時など、緊張すると、腹の具合が悪くなる者が多いようで、かつ、女性用トイレは小便用も大便用もないが、男性用トイレは小便用と大便用が別であり、大便用は女性用トイレに比べて数が少ない為、男性用トイレの大便用が混む。
(2) 演奏会の休憩時間などでは、男性用もそれなりに混むが、女性用の方が混む。 なぜなら、男性の小便に要する時間は女性より短いので、さっさと回転するからである。
(3) 高速道路のサービスエリアで見ていると、「おばさん」というのは、なんだか、男性用トイレを使うのが大好きみたい。それ以上、待つと「もれるぅ~う」というのなら、やむをえないと許容してもよいのではないかと私などは思うが、それほどでもなく、女性用がちょっと混んでるだけという場合に男性用トイレを使いたがるおばさんがけっこういる。 こういおばさんと、新宿あたりのニューハーフショーを見たがるおばさんは、かなりの程度、重複しているような気がするのだが、厳密に調査したわけではない。
(4) 義理の兄がお母さんを連れて外出した時、高齢のお母さんがトイレを使用するのに、1人では不安だから一緒に来てくれと言ったそうだが、一緒に来てくれと言われても、男性が女性トイレの中まで入ることはできない。それでも、お母さんは一緒に来てくれないと困ると言って、その為、義兄が困ったと聞いた。 こういうことは現実にある。私の母は、トイレの中まで一緒に来てくれとまでは言わないが、脳卒中と脳出血をやったことがあって体がふらつく為、1人で入らせるのは不安ではある。どこかに外出してトイレを使用する際、女性用トイレの前で待つが、人から見れば、女性用トイレの前に男性が立っているというのは、男性用トイレと女性用トイレが隣接している場合はよいが、まったく別の場所にある時には、この人、なんなのだろうと不審に思われることもあるかもしれない。はっきりと尋ねてくれれば答えればよいし、むしろ、その施設の係員の女性であれば、中でどうしているか見ていただけませんかとお願いすることもできるが、何も言われず、不審に思われている時ももしかするとあるかもしれない。 今後、本当に1人で女性用トイレに入らせるのが困難になった時には、その時には、男性用トイレの大便用を使わせるようにしたいと私は考えたし、それは認めてもらいたいと思うのだが、高速道路のサービスエリアで男性用トイレを使いたがるオバサン一行のおかげで、女性が男性用トイレを使用することに対する拒絶が厳しくなされるようになったようだが、「これ以上待ったら『もれるぅ~う』という場合」と「高齢で1人で中まで入らせるのは不安な母親を息子が同行しているという場合」などは女性が男性用トイレの大便用を使用することは認めてほしいと思う。
(5) 子供なら、どうしても待てないという場合、「はじっこの方の土の所でさせる」という方法がある。 これは、無暗にやるのはマナー違反であるが、本当に、これ以上待たせたら「もれる~う」という場合はやむをえない。
(6) 海外旅行に行った時など、言葉が日本国内と同等には通じず、かつ、トイレがどこにあるか見つけにくいという場合など、男性用トイレを使用する日本人の大人の女性を見かけることがあった。 これは、高速道路のサービスエリアで男性用トイレを使いたがるオバサンとは事情は違う。待てずに「もらす」くらいなら男性用トイレを使わせてもらった方がよいという判断だと思うし、これも、女性用トイレが少し混んでいるという程度の時に、無暗にこの方法はとってもらいたくはないが、やむをえない時は認めてよいと思う。
特に、プールにおいては、トイレは多めに用意するべきだと思うし、混雑時、女性用トイレが混んでいて「待てない」という時には、女性が男性用トイレの大便用を使用するのも、やむをえない場合には認めてよいと思う。 又、そういうことを考えると、男性用更衣室を通らないと行けない男性用トイレよりも、男女共用スペースから男性用トイレと女性用トイレに行けるようにした方がよいと思う。 父親が一人で着替えはできる女児を連れて来るというケースもあると思うが、そういう際、着替えは一人でさせるしかないとしても、トイレの中まで一緒に入るわけにはいかないとしても前で待つくらいはできた方がよいのではないか。
プールの場合、特に、トイレは多めに用意するべきだという理由として、もしも、「どうしても待てない」という時、子供なら「はじっこの方で、土の所にしなさい」とさせるという選択肢があるが、大人の女性はできない・・・となると、・・・・・「水の中でやる」という選択肢を実行するやつが出てくるのではないかと思う。 そういう事態は避けたいし、極力避けてもらいたい。それなら、まだしも、「シャワーのところでシャワーを浴びながらやればわからない」という選択肢の方がましだ・・・・が、そういう選択肢を実行せざるをえない事態になりかねない。 だから、
<1> トイレは故障したなら、緊急に直す。(住宅においても、電気・ガス・電話よりもトイレと水道は緊急性が高い。)
<2> 故障していなくても、その施設が混雑時においては、既存のトイレの数では不足していると思えたら、仮設トイレ(「レンタルのニッケン」http://www.rental.co.jp/product/house.php とかが扱っている工事現場やイベント会場に設置する仮設のものがあるはず。)を設置して不足を補う。
<3> 特に、プールにおいては、「水の中でやる」という「非常手段」をとられないためにも、重要性は高い。(「水の中でやる」くらいなら、「シャワーを浴びながらやる」方がまだよい。)
こういったことをプールの運営者は考えてほしいと思う。
(8.14.)(8.21.)
(追加)
建築現場の「仮設トイレ」について。
2010年から2011年にかけて、新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区鵜の森町。不動産業としてはビルダーズジャパン(株)。2013年に倒産。〕が、千葉県東金市日吉台で、「枠組壁構法」(「ツーバイフォー工法」)による戸建住宅を建設した際、すでに基礎工事が終わった段階で、まだ、仮設トイレと仮設水道を出していなかった。私は、それを自称「工事責任者」の「ブタクサA」(仮名)に指摘した。指摘すれば大急ぎで設置するであろうと思って。しかし、それからしばらくしても、まだ、設置しない。それで、再度、指摘した。(株)一条工務店に在籍した時、(株)一条工務店の工事課担当者は、基礎工事を始めるより前には仮設水道は設置したいと言っていた。但し、基礎は鉄筋コンクリートで作り、コンクリートというのは、「セメント+砂(などの細骨材)+砂利(などの粗骨材)+水」を混ぜて作るので、そこで絶対に水が必要ではないかと思いがちであるが、今は、基礎を作るのに、現場で「セメント+砂(などの細骨材)+砂利(などの粗骨材)+水」を混ぜて作るのではなく、生コン車でできあいのコンクリートを工事現場に持って来て、どぼどぼと型枠に注ぐ方法の方が一般的なので、仮設水道が出ていなくても絶対に基礎工事はできないということはない。基礎工事の前にQCB杭を施工する場合には、水を相当に使うので、仮設水道は必要である。新華ハウジング(有)の東金市日吉台の工事現場では、「べた基礎+高基礎(深基礎)」でQCB杭の施工はしなかったので、仮設水道を出さなくても基礎工事はできた。
しかし、やはり、工事現場においては、仮設水道を用意するのは当然であろう。又、仮設トイレも用意するのは当然であろう。工事現場において作業する人は体が汚れることもある。怪我をすれば、まず、傷口を洗って清める必要がある。2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原発の事故で放射性物質が放散され千葉県にも放射性物質は放散されたが、屋外で作業をすれば多いか少ないかはさておき放射性物質を浴びることになる。水道で洗い流す必要もあったはずだ。仮設水道・仮設トイレなしで、どうやって工事を進めるのか。どうしていたかというと、小便は立小便。水道は近くのスーパーかコンビニの水道からペットボトルに水を入れて運んできて作業を進めたらしい。 よく、そういうことをすると思う。
私は、自称「工事責任者」である「ブタクサA」(仮名)に何度も何度も、「まだ、出さないのですか」「まだ、設置されていませんでしたよ」と言い続けたが、その度に、「すぐ、出します」「大急ぎで設置します」「大丈夫です」と言って、そして、出さない、設置しない。それで、「新華ハウジング(有)では、仮設水道や仮設トイレを設置しないようにして、その分の費用を節約しようという考え方なのですか?」と。そうすると、「ブタクサA」(仮名)は「いえいえ、違います。そんなことないです。出しますよ。速攻で出しますよ」と言って、出さない。
結局、いつ、仮設トイレと仮設水道を出したかというと、最後まで、建物が完成するまで設置しなかった。 よくやると思う。水道も、1回や2回、ペットボトルに入れさせてもらうくらいならともかく、家1軒分建てるに至るまでの水を、公園の水道だとかスーパー・コンビニのトイレの水道からペットボトルに入れて使うとなると、それは窃盗罪に該当するのではないか。そして、たとえ、分譲地で空地があり、横に山があり土の部分があったとしても、家1軒を完成させるまで、一貫して立小便を続けているというのは、みっともない話である。
立小便したからといって、それで建築中の家がつぶれるものでもないとか思っているなら、その認識は間違いだ。 洋家具のダニエル(株)の会長さんから聞かせてもらった話だが、かつて、アメリカ合衆国で今よりも人種差別が激しかった時代に、アメリカ合衆国の家具の工場を見せてもらったところ、白人の工場では家具を作る際に接着剤をヘラを使ってつけていたのに対し、黒人の工場では接着剤を手でつけていた。そして、完成した家具は、へらを使ってつけていた工場の方ができばえは良かった、というのです。仮設水道も出さない、仮設トイレも設置せず、工事に携わる従業員に最後まで立小便させる、そんな工事で良い建物が建つわけがない・・・と思ったら、極めていいかげんな建物ができていた。
また、たとえ、工事のできばえに影響がなかったとしても、近隣の人の印象は異なるはずだ。 私の船橋市の自宅の近所でアーネストワン(株)が8区画の建売分譲をおこなったが、特に急ぎの時だけならともかく、毎日夜8時頃まで音を立てて作業をする、道路を塞いで道路上で作業をし、しかも、道路占用使用許可もとらず、安全監視員を配置することもなくやる、道路を掘削する際にはカッターで切ってユンボでトラックに載せるのではなくユンボで叩いて割ろうとするので振動が激しい、その他、まず、工事の前に元請け会社の工事担当者が近隣に挨拶に顔を出さない。工事においては相当迷惑を蒙ったはずだが、建売住宅を購入して入居した人にはそういう意識はない。
たしかに、建売住宅を購入した入居者には購入より前のことに法的には責任はないだろう。しかし、まったく、関知しませんという態度でよいのだろうか。新築を購入した入居者は、入居時に近隣に顔を出したなら、「工事でご迷惑かけたりしませんでしたか」の一言くらいあっても悪くないのではないか、と思った。 新華ハウジング(有)が建てた家を購入した人は、工事中にどうであったか知らない。しかし、近所の人は見ている。工事中、立小便を続けて建てた家だということを。 そんな事で良いか? 私は良いとは思わない。私が見込客なら、「立小便して建てた家」などというのは、基本的に、買いたくないな。「ブタクサA」(仮名)は、仮設水道なし・仮設トイレなしで家1軒建てた、うまくやった・・と思っているのかどうなのかわからないが、もし、そう思っているなら、その認識は間違っていると思う。
もとより、「工事責任者」というのは、人から言われなくても、自分が担当の工事現場はどうなっているか把握して、時期遅れにならないよう対処するものであり、仮設トイレ・仮設水道くらい、人から言われなくてもきっちりと設置するべきであり、指摘されて「すぐ設置します」と言ったならすぐに設置するべきであり、指摘されて「すぐ設置します」と言っておきながらいつまでも設置しないというのは指摘した人間に対して失礼であり、設置しないのならそれならそれで「すぐ、設置します」と言うべきではない。そんな「工事責任者」はない。そんな対応をする人間を「工事責任者」とは言わない。工事現場を見に行かない、どうなっているか把握していない、指摘されても「すぐ、対処します」と口だけで絶対に対処しない、そういう勤務態度であるならば、「工事責任者」は辞めた方がよい。「ぼく、忙しいんです」などと「ブタクサA」(仮名)は言うのだが、もし「ブタクサA」(仮名)が忙しかったとしても、俺だって忙しいわ。それなら、工事現場を見に行って問題点に気づいて指摘してくれた人間というのは暇人だと言いたいのか、ということになる。そんな失礼な発言はない。そもそも、自分が担当の工事現場がどうなっているか把握していない、問題点を指摘されても「すぐ、対処します」と言って対処しない、そういう「工事責任者」としてやるべきことをやらない自称「工事責任者」というのは、いったい、何に忙しいんだ!?! ということになる。 仕事以外のものに忙しいということか?
そういえば、2011年、「ブタクサA」(仮名)は、私に、クルマで送ってほしいと言うので、幕張まで乗せていくと、幕張の工事現場に寄った後、JR京葉線「海浜幕張」駅で降ろしてくれといい、海浜幕張で、勤務時間中に、社長の長谷川と一緒に倫理研究所(=倫理法人会)の集会に行ったようだが、倫理研究所(=倫理法人会)の集会に行く時間はあっても人が再三再四にわたって指摘した仮設水道・仮設トイレは「すぐに出します」「速攻で設置します」と何度も何度も言い続けても設置するように対処する時間はないということか。倫理研究所の集会に参加するのに忙しくて、その為に、仮設トイレ・仮設水道の設置を手配する時間がない、ということか。やっていることを見ると、そういうことになる。その時に、「高速道路使ってください」と「ブタクサA」(仮名)が言うので高速道路を通って行ったのだが、その時に立て替えた高速道路代を、私は、今もって、新華ハウジング(有)からも長谷川からも植草からも倫理研究所からも払ってもらっていないのだが、そういうのが「倫理」なのか。「倫理研究所」というのは、そういう態度を「倫理」だと主張する方法を「研究」している「所」か!?! 「倫理法人会」というのは、そういうことをやっている「法人」の「会」なのか!?!
(8.21.)
その後
男性用室内トイレは修理が完了したようだ。但し、男性用屋外トイレの手洗い場の水道は2つあって、今だに片方は不良で使えない。 そのくらい、さっさと直せば~あ・・・て感じがするのだけど。 それから、「ロッカー室」って、男女の境目に簡単な壁もないのだけど、見ただの見られただの言われたら嫌なので、なんとかした方がいいと思うのだけどね・・・。
気温が下がってきて、夏休みも終わりに近づいたからか、ずいぶんとすいていた。50mプールは、自分以外に3、4人しかいなかった。 幼児用プールとか流水プールなんて誰も入っていなかった。ひとつには、ヤフー天気予報とかだと、雨の予報なのだが、電話の気象通報(177)で銚子地方気象台の降水確率を聞くと降水確率は高くなかったのだが、ヤフー天気予報とかで雨だと思って行くのをやめた人もあったのかもしれない。
涼しくなってきて、プールの日和じゃないと思った人もあったのかもしれないが、私の場合、高校2年の時には10月の半ば過ぎまでプールに入った経験があるので、8月の終わりで少し涼しいくらいなら、そんなのたいしたことないじゃ~ん・・て感じで、すいてて快適快適♪ て感じでした。高校2年の時、なにゆえ、10月の半ば過ぎまでプールに入ったかというと、今もそうかどうかはわからないが、私が行っていた頃、1970年代後半の北野高校では、1学期の前、夏休みの前、に課題を出されたのだ。覚えているのは、50mプールの、短い方、25mを行って帰っての合計50mを背泳ぎで1分以内に往復する、というもの。夏休みあけ、2学期の最初の体育の授業で試験をして、1分以内に戻ってこれなければ、1週間後に追試。追試のたびに合格ラインを10秒ずつ伸ばす。 だから、1回目の追試だと、1分と10秒以内に戻ってこれれば合格というもの。な~んだ、それなら、1回か2回、追試を受ければそれでいいのでしょ・・・と思うのは、1分と10秒とか1分と20秒とかで戻ってこれる人の話。2分以上かかってみい。仮に2分で往復できたとして、60秒÷10秒/週間=6週間。6週間ということは、1ヶ月が4週とするなら、1ヶ月と2週。2分で往復できたらまだいいが、3分以上かかってみい~い。12月までプールに入らにゃならん計算になる。・・・で、私の場合、10月の半ば過ぎまでプールに入って、結局、合格できなかったのだが、それでも、2分以上かかっても往復したのだ。涙ぐましい努力、というのか、10月にプールに入ると、そもそも、プールの循環設備がとまってしまって、プールの底に足をつけると、ぬるっとするし、何がうれしゅうて、10月の半ば過ぎに屋外のプールに入らにゃならんのかと思うが、その経験のおかげで、8月の終わりだの9月だので少々気温が低いなんて、それがどうしたっての? て感じ。むしろ、すいてて快適快適。それも、ビキニのねーちゃんなんてのは、そういう日は来ないから、泳ぐのが目的の人間にとっては、むしろ、その方がよろしい! てとこで、快適にすごしてきた。係員のおねえさんが、「本日は気温と水温が低いので・・」とか説明してくれたが、10月の半ば過ぎに比べたら、あったかいじゃないのお~お♪ プールの底だって、それほど、ぬるっとしないし。考えてみれば、あの体育のおかげで、9月の終わりくらいにプールに入るなんて、どうってことないって意識になって、よかった♪ ・・・・かどうか、まあ、悪かったということはないわな。 8月のかんかん照りの日にプールに入るのとはまた違った面白さがある。 市川市市民プールは9月の4日までだったか、あと、もう少しで市川市市民プールは今年はおしまい。せっかく、抜け道を覚えたが、その後は、どこかの温水プールに行こう。
(8.28.)
一時はもう行くのやめようかと思った市川市の市民プールに、結局、その後も何度か行ったが、その後も券売所のおばねーちゃん(上記とは別人)から「何ですか」と言われた。工事に入る前の船橋市夏見台の船橋市市民プールではそんなこと言われたことは一度もなかった。「市民プール的市民プール」だと水泳をしたいと思う人間が1人で入るのは自然なことだが、「市民プール的でない市民プール」には大人の男が1人で入るのはおかしいという認識なのか。
室内用男性トイレの故障は治ったが、屋外男性用トイレの水道が2つあるうちの1つが故障しているのは直っていないし、シャワー室も水が出ないものがある。そのくらい、さっさと直せばどうかと思う。750円も料金とってるのだし。工事前の船橋市市民プールはずっと料金は安かったが、そのあたりは故障していなかった。「市民プール的でない娯楽的プール」になると、そうなるのだろうか・・。
(9・3)
室内男性用シャワー室の故障していたシャワーは直っていた。しかし、プールサイドの屋外男性用トイレの2つある手洗いのうち故障していた片方の水栓は、結局、夏季プール開場中に直らなかった。そのくらい、さっさと直せばと思うのだが・・。特に、シャワー室のシャワーとトイレの水栓は工事をするのはどちらも水道屋のはずなので、2回に分けて修理するより一度に一緒に工事をした方が費用も安くすむのではないかと思うのだが・・・、まあ、もしかすると、親方日の丸だから、カネ余ってるのかもしれんけど・・・。
(9.4.)
2016年は改装工事の為、閉鎖されていた船橋市市民プールが2017年7月17日より再開した。娯楽用・子供用のプールが拡充されたが、50メートルの「泳ぐプール」も健在である・・が、いくらか値段は前より高くなった。不思議なことに、市川市民プールでは、ほぼ毎回、券売所で大人が1人でお金を出すと不満そうに「何ですか」と言われたのだが、船橋市民プールでは「何ですか」と言われたことは一度もない。
(2017.8.7.)
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