金沢神社(金沢市)参拝-冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(36)
[第445回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(36)
「北陸新幹線が通って来やすくなりましたね」と、兼六園の前から金沢駅まで乗ったタクシーの運転手は言うのだが、新幹線なんか乗ってまへん。 貧乏人は夜行バスで金沢まで行ったのだ。
金沢城の南東側に兼六園がある。 兼六園の南西側に成巽閣があり、成巽閣の西に金沢神社がある。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20. (株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、石川県の「天神」「天満」「北野」「菅原」系神社としては、金沢市野田町の泉野菅原神社、金沢市天神町の田井菅原神社の2社が掲載され、《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、金沢神社・椿原天満宮・玉泉寺天満宮の金沢市の3社と小松天満宮(小松市)・輪島前神社(輪島市)が掲載されている。
金沢と言えば・・・、最も有名なのは日本三名園の1つ、兼六園、建築・インテリア関係の仕事についている者にとって次いで有名なのは成巽閣(せいそんかく)でしょう。 その兼六園の南、成巽閣の西隣に金沢神社はあります。


金沢神社HPの「由緒」http://kanazawa-jj.or.jp/about/entry-56.html を見ると、≪ 加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。 ≫と出ており、≪ 加賀百万石第11代藩主治脩公が寛政6年(1794年)に藩の学校 明倫堂、経武館の鎮守として菅公の御舎利を祀る天満宮を創建されたのが始まりで・・・・≫と現地での説明書きには書かれています。
≪・・・ その後、兼六園が整備されるにあたり、藩校は他の地に移転したが、神社は12代藩主前田斉広のときに建てられた竹沢御殿の鎮守として災難除けの神・商売繁盛の神・交通安全をあわせまつり朝夕兼六園を散策された藩公が領内の平和と繁栄を祈願された。 ≫
≪ 災難除けの神である白蛇竜神の御神体の1体は神社に1体は江戸屋敷にて奥方に代々奉斉されていたが、昭和21年神社に移された。・・・・
商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神は明治維新の後、前田家が東京に移住する時その邸内に移されたが、旧藩士の懇願により再び神社に移された。
一般の人々が自由に神社を参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園が一般公開されてからである。 ・・・・ ≫(金沢神社HP 「由緒」http://kanazawa-jj.or.jp/about/entry-56.html )
「御祭神」は、
菅原道真公
白蛇竜神
白阿紫稲荷大明神
琴平大神
前田斉広公(第12代藩主)
前田斉泰公(第13代藩主)
と、現地での説明書きには出ています。
《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」に金沢神社は出ていますが、神社名に「天神」「天満」「北野」「菅原」という言葉が入っておらず、菅原道真とともに、いくつもの神さんを祀っている神社のようです。
前田家の先祖が菅原道真であったという話は、今回、ここで聞きましたが、もともと、戦国武将のデショウというのは、実際にどうであるかにかかわらず、誰もが由緒ある人物の末裔だと言い張ることが多いわけですが、実際にどうであったのでしょう。
『都市地図 金沢市 野々市・かほく市 津幡・内灘町』(2016年6版 昭文社)を広げて見ると、金沢市は「菅原神社」がけっこう多いように思えます。
1. 前田家の先祖が菅原氏だったということで、前田家の祖先でもある菅原道真を祀る菅原神社がいくつも造られたのか。 そう考えると、「天神」「天満」「北野」「菅原」という名称のうち、金沢では他の地域よりも「菅原神社」の比率が大きいようにも思えるが。
2. この後、訪問した 田井菅原神社(金沢市天神町)の説明書きには、田井菅原神社の御神体である菅原道真の自画像は≪ 菅原道真が大宰府(福岡県太宰府市)に左遷される途中、河内国の道明寺(大阪府藤井寺市)の伯母を訪ねた際、田邊左衛門に与えたもの≫で、≪後の田邊喜兵衛の代に、加賀三代藩主・前田利常より十村役(大庄屋)を命ぜられ、代々その職を継いだが・・・・≫と書かれていたのだが、そうすると、前田利家が加賀の藩主となるより前に、菅原道真が大宰府に流される時に自画像を受け取ったという河内の伯母の縁者か? という田邊某が金沢にいたということか。 となると、金沢は菅原道真の縁者がいた所なので、菅原道真の子孫だと称していた前田利家を領主にしたのか。 しかし、前田利家は織田信長の家臣であったが、北陸方面においては柴田勝家の配下で動いていたのであり、賤ケ岳の戦いなどで羽柴秀吉と柴田勝家が争うようになった際、柴田勝家が甥の佐久間盛政を特にとりたてたのに対し、同じく甥の柴田勝豊が不満を持ち秀吉に懐柔され、同様に、前田利家も柴田勝家から離れ、秀吉の側につき、その結果として、加賀・能登の領主となったという経緯であって、金沢に菅原道真の縁者がいるから加賀の領主にしたということではなさそうにも思えるが。 それとも、
3. 加賀の領主になったのは、菅原道真の子孫であるかないかは関係のないことだったが、戦国武将にとっては、誰の子孫だということにすれば都合がいいかを考えて、先祖を決めるところがあるので、金沢には菅原道真の縁者が住んでいたことから菅原道真の子孫だということにした・・・・という方なのか。 かつて、横山ノックの後に大阪府知事になった太田なんとかいう女性の知事が、大阪人に受けるように「阪神ファン」ですということにしたみたいに。
拝殿の屋根の上に載ってるのが、↓
ウサギみたいだけれども、牛。 ↓
↑ 牛って、こんなに体が曲がるのか? て気がしないでもないが、牛・・・だろうな。 蛇じゃないよな。
《ウィキペディア―金沢神社》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE には、≪ 平成16年(2004年)には、本殿および拝殿が登録有形文化財として登録された。≫と書かれている。 ↑ の朱塗りの社殿が拝殿だが、本殿はどうなっているかというと、↓
↑ (左奥)本殿、 (中)幣殿、 (右)拝殿。
↑ 拝殿・幣殿は朱塗りだが、本殿はそうではない。 それはいいとして、登録有形文化財のわりに、板壁がはがれてきていても、補修されずにそのまま・・・というのは・・・、どうだろ。 兼六園のある一角にあって、成巽閣の隣、兼六園管理事務所(旧 津田玄蕃邸)の目の前、金沢霊沢の隣にある神社ですから、私らと違って「お金ないねん」てことはないと思うのだが。 登録有形文化財なら壁の補修くらいしたらどうかな・・・・。
そう思って、拝殿の方を見ると、拝殿も朱塗りの部分がはげてきていたりはするのですが・・・・・ ↓
↑ 「放生池」の鳥
金沢神社の前というのか横というのかにある池が「放生池」らしい。 で、「すぐ前に、由緒ありげな建物があるのだが、地図を見ると、「管理事務所 分室」と書いてあるので、兼六園の管理事務所を、周囲の景観に馴染むようなデザインで作ったものか、なかなかよくできている・・・・と思って、帰ってから、金沢城でもらった「金沢城・兼六園 ガイドマップ」の方を見ると、「金沢城・兼六園 管理事務所分室 (旧 津田玄蕃邸)」書かれており、兼六園でもらったリーフレットの中の地図を見ると、「旧 津田玄蕃邸」と記載されている。 管理事務所として作ったものではなく、津田さんのおうちだったものを管理事務所に使用していたようだ。で、津田玄蕃て誰なの?
《コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plus の解説 津田玄蕃》https://kotobank.jp/word/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E7%8E%84%E8%95%83-1092146 によると、≪ 1651-1724 江戸時代前期-中期の武士。 慶安4年生まれ。加賀金沢藩士。藩主前田綱紀(つなのり)につかえ,若年寄,定火消をへて貞享3年家老となる。元禄(げんろく)3年市内大火のおり,鷹狩りをしていたため罷免されるが,享保(きょうほう)5年ふたたび家老となり世子前田吉徳(よしのり)の養育係をかねた。・・・≫ という人らしい。
《兼六園図鑑 津田玄蕃邸》http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/zukan/cont/0078.html
≪ 加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。 ≫と、金沢神社HPの「由緒」に書かれているのですが、「金沢霊澤」とは何ぞや? そういえば、金沢神社の北西側に金沢神社の社殿よりも小さい祠のようなものがあったが、「霊澤」とは、霊が現れる沢???
インターネットで検索すると、
《るるぶ ドットコム 金城霊澤(きんじょうれいたく)》http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A3200340
《金城霊澤の秘密》http://reitaku.web-kanazawa.com/
《カイトフォトと博物館散歩 金城霊澤》http://www2s.biglobe.ne.jp/~west_v/kei-23.html
など、金城霊澤について、述べられているものが見つかりました。 砂金を洗った沢 なのか、芋を洗ったら砂金が出てきたのか、そういうお話がある所のようです。
↑ こういう「斗供」の組みかたとか、そういったものが気になるというのは、建築屋の職業病でしょうか。 しかし、斗供というのは、神社とか寺とかでけっこう見てきたのですが、見ても考えても、なかなかよくわからん・・・・。
※ 金沢神社HP http://kanazawa-jj.or.jp/
《ウィキペディア―金沢神社》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html は、椿原天満宮 へ行きます。
(2016.10.9.)
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
石川県
金沢神社(金沢市) 〔今回〕
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
≪ ・・・佐藤元被告と「ブルーグループ」幹部AとBの二人が愛知県警の警部に対する脅迫容疑で逮捕された事件(Bは脅迫罪で不起訴処分、犯人隠避罪で有罪)は、弘道会の資金源の中でも最大といわれた同グループの正体だけでなく、愛知県警と弘道会との底知れぬ癒着を暴き出すものとなった。・・・
ことの始まりは、10年7月16日午後1時過ぎから8月10日午後10時40分過ぎまでの間、前後5回にわたり、名古屋市昭和区内の公衆電話から、愛知県警暴力団担当警部であるK氏(以下、K警部)の携帯電話や自宅電話に、正体不明の人物から「絶対お前をつぶしてやるからな」などと脅迫電話がかかってきたことだった。 ・・・
(7月16日)この夜10時18分にも、何者かがK警部の自宅電話に電話をかけ、警部の妻の名前を口にするなどして脅迫が行われた。
また、同じ月の17日午後5時42分頃、何者かが名古屋市千種区の公衆電話からK警部の携帯電話に電話をかけ、K警部宅で、「警察官が警戒態勢を取っている」などといったことを口にして、脅迫した。さらに同月27日午前10時58分頃にも、何者かが名古屋市北区の公衆電話から、K警部が担当している事件を挙げ、警部の次女について口にしながらこう脅迫した。
「どうなっても知らないよ。責任はとれない。よく覚えておけよ」 ・・・・
・・・・・明らかに警察内部に内通者がいなければできない一連の脅迫だった。 ≫
≪ 愛知県警とブルーグループの癒着疑惑は、早くから指摘されていた。 捜査情報の漏えい疑惑が最初に取り沙汰されたのは08(平成20)年1月。 報道によると、暴力団を担当する捜査4課の捜査員が佐藤元被告から850万円を借りていたことが発覚。 ・・・・公判で元捜査員は、捜査情報を漏らす見返りに飲食接待や数十万円単位の現金を受け取っていたことを認め、「情報を流していた警察官はほかにもいる」と証言した。≫
(一ノ宮 美成(いちのみや よしなり)、グループ・K21『山口組 分裂の真相 知られざる「利権抗争」の聖域』2016.6.10. 宝島社 ↑)
「北陸新幹線が通って来やすくなりましたね」と、兼六園の前から金沢駅まで乗ったタクシーの運転手は言うのだが、新幹線なんか乗ってまへん。 貧乏人は夜行バスで金沢まで行ったのだ。
金沢城の南東側に兼六園がある。 兼六園の南西側に成巽閣があり、成巽閣の西に金沢神社がある。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20. (株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、石川県の「天神」「天満」「北野」「菅原」系神社としては、金沢市野田町の泉野菅原神社、金沢市天神町の田井菅原神社の2社が掲載され、《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、金沢神社・椿原天満宮・玉泉寺天満宮の金沢市の3社と小松天満宮(小松市)・輪島前神社(輪島市)が掲載されている。
金沢と言えば・・・、最も有名なのは日本三名園の1つ、兼六園、建築・インテリア関係の仕事についている者にとって次いで有名なのは成巽閣(せいそんかく)でしょう。 その兼六園の南、成巽閣の西隣に金沢神社はあります。
金沢神社HPの「由緒」http://kanazawa-jj.or.jp/about/entry-56.html を見ると、≪ 加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。 ≫と出ており、≪ 加賀百万石第11代藩主治脩公が寛政6年(1794年)に藩の学校 明倫堂、経武館の鎮守として菅公の御舎利を祀る天満宮を創建されたのが始まりで・・・・≫と現地での説明書きには書かれています。
≪・・・ その後、兼六園が整備されるにあたり、藩校は他の地に移転したが、神社は12代藩主前田斉広のときに建てられた竹沢御殿の鎮守として災難除けの神・商売繁盛の神・交通安全をあわせまつり朝夕兼六園を散策された藩公が領内の平和と繁栄を祈願された。 ≫
≪ 災難除けの神である白蛇竜神の御神体の1体は神社に1体は江戸屋敷にて奥方に代々奉斉されていたが、昭和21年神社に移された。・・・・
商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神は明治維新の後、前田家が東京に移住する時その邸内に移されたが、旧藩士の懇願により再び神社に移された。
一般の人々が自由に神社を参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園が一般公開されてからである。 ・・・・ ≫(金沢神社HP 「由緒」http://kanazawa-jj.or.jp/about/entry-56.html )
「御祭神」は、
菅原道真公
白蛇竜神
白阿紫稲荷大明神
琴平大神
前田斉広公(第12代藩主)
前田斉泰公(第13代藩主)
と、現地での説明書きには出ています。
《ウィキペディア―天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE の「主な天満宮」に金沢神社は出ていますが、神社名に「天神」「天満」「北野」「菅原」という言葉が入っておらず、菅原道真とともに、いくつもの神さんを祀っている神社のようです。
前田家の先祖が菅原道真であったという話は、今回、ここで聞きましたが、もともと、戦国武将のデショウというのは、実際にどうであるかにかかわらず、誰もが由緒ある人物の末裔だと言い張ることが多いわけですが、実際にどうであったのでしょう。
『都市地図 金沢市 野々市・かほく市 津幡・内灘町』(2016年6版 昭文社)を広げて見ると、金沢市は「菅原神社」がけっこう多いように思えます。
1. 前田家の先祖が菅原氏だったということで、前田家の祖先でもある菅原道真を祀る菅原神社がいくつも造られたのか。 そう考えると、「天神」「天満」「北野」「菅原」という名称のうち、金沢では他の地域よりも「菅原神社」の比率が大きいようにも思えるが。
2. この後、訪問した 田井菅原神社(金沢市天神町)の説明書きには、田井菅原神社の御神体である菅原道真の自画像は≪ 菅原道真が大宰府(福岡県太宰府市)に左遷される途中、河内国の道明寺(大阪府藤井寺市)の伯母を訪ねた際、田邊左衛門に与えたもの≫で、≪後の田邊喜兵衛の代に、加賀三代藩主・前田利常より十村役(大庄屋)を命ぜられ、代々その職を継いだが・・・・≫と書かれていたのだが、そうすると、前田利家が加賀の藩主となるより前に、菅原道真が大宰府に流される時に自画像を受け取ったという河内の伯母の縁者か? という田邊某が金沢にいたということか。 となると、金沢は菅原道真の縁者がいた所なので、菅原道真の子孫だと称していた前田利家を領主にしたのか。 しかし、前田利家は織田信長の家臣であったが、北陸方面においては柴田勝家の配下で動いていたのであり、賤ケ岳の戦いなどで羽柴秀吉と柴田勝家が争うようになった際、柴田勝家が甥の佐久間盛政を特にとりたてたのに対し、同じく甥の柴田勝豊が不満を持ち秀吉に懐柔され、同様に、前田利家も柴田勝家から離れ、秀吉の側につき、その結果として、加賀・能登の領主となったという経緯であって、金沢に菅原道真の縁者がいるから加賀の領主にしたということではなさそうにも思えるが。 それとも、
3. 加賀の領主になったのは、菅原道真の子孫であるかないかは関係のないことだったが、戦国武将にとっては、誰の子孫だということにすれば都合がいいかを考えて、先祖を決めるところがあるので、金沢には菅原道真の縁者が住んでいたことから菅原道真の子孫だということにした・・・・という方なのか。 かつて、横山ノックの後に大阪府知事になった太田なんとかいう女性の知事が、大阪人に受けるように「阪神ファン」ですということにしたみたいに。
拝殿の屋根の上に載ってるのが、↓
ウサギみたいだけれども、牛。 ↓
↑ 牛って、こんなに体が曲がるのか? て気がしないでもないが、牛・・・だろうな。 蛇じゃないよな。
《ウィキペディア―金沢神社》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE には、≪ 平成16年(2004年)には、本殿および拝殿が登録有形文化財として登録された。≫と書かれている。 ↑ の朱塗りの社殿が拝殿だが、本殿はどうなっているかというと、↓
↑ (左奥)本殿、 (中)幣殿、 (右)拝殿。
↑ 拝殿・幣殿は朱塗りだが、本殿はそうではない。 それはいいとして、登録有形文化財のわりに、板壁がはがれてきていても、補修されずにそのまま・・・というのは・・・、どうだろ。 兼六園のある一角にあって、成巽閣の隣、兼六園管理事務所(旧 津田玄蕃邸)の目の前、金沢霊沢の隣にある神社ですから、私らと違って「お金ないねん」てことはないと思うのだが。 登録有形文化財なら壁の補修くらいしたらどうかな・・・・。
そう思って、拝殿の方を見ると、拝殿も朱塗りの部分がはげてきていたりはするのですが・・・・・ ↓
↑ 「放生池」の鳥
金沢神社の前というのか横というのかにある池が「放生池」らしい。 で、「すぐ前に、由緒ありげな建物があるのだが、地図を見ると、「管理事務所 分室」と書いてあるので、兼六園の管理事務所を、周囲の景観に馴染むようなデザインで作ったものか、なかなかよくできている・・・・と思って、帰ってから、金沢城でもらった「金沢城・兼六園 ガイドマップ」の方を見ると、「金沢城・兼六園 管理事務所分室 (旧 津田玄蕃邸)」書かれており、兼六園でもらったリーフレットの中の地図を見ると、「旧 津田玄蕃邸」と記載されている。 管理事務所として作ったものではなく、津田さんのおうちだったものを管理事務所に使用していたようだ。で、津田玄蕃て誰なの?
《コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plus の解説 津田玄蕃》https://kotobank.jp/word/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E7%8E%84%E8%95%83-1092146 によると、≪ 1651-1724 江戸時代前期-中期の武士。 慶安4年生まれ。加賀金沢藩士。藩主前田綱紀(つなのり)につかえ,若年寄,定火消をへて貞享3年家老となる。元禄(げんろく)3年市内大火のおり,鷹狩りをしていたため罷免されるが,享保(きょうほう)5年ふたたび家老となり世子前田吉徳(よしのり)の養育係をかねた。・・・≫ という人らしい。
《兼六園図鑑 津田玄蕃邸》http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/zukan/cont/0078.html
≪ 加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。 ≫と、金沢神社HPの「由緒」に書かれているのですが、「金沢霊澤」とは何ぞや? そういえば、金沢神社の北西側に金沢神社の社殿よりも小さい祠のようなものがあったが、「霊澤」とは、霊が現れる沢???
インターネットで検索すると、
《るるぶ ドットコム 金城霊澤(きんじょうれいたく)》http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A3200340
《金城霊澤の秘密》http://reitaku.web-kanazawa.com/
《カイトフォトと博物館散歩 金城霊澤》http://www2s.biglobe.ne.jp/~west_v/kei-23.html
など、金城霊澤について、述べられているものが見つかりました。 砂金を洗った沢 なのか、芋を洗ったら砂金が出てきたのか、そういうお話がある所のようです。
↑ こういう「斗供」の組みかたとか、そういったものが気になるというのは、建築屋の職業病でしょうか。 しかし、斗供というのは、神社とか寺とかでけっこう見てきたのですが、見ても考えても、なかなかよくわからん・・・・。
※ 金沢神社HP http://kanazawa-jj.or.jp/
《ウィキペディア―金沢神社》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html は、椿原天満宮 へ行きます。
(2016.10.9.)
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
石川県
金沢神社(金沢市) 〔今回〕
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html
≪ ・・・佐藤元被告と「ブルーグループ」幹部AとBの二人が愛知県警の警部に対する脅迫容疑で逮捕された事件(Bは脅迫罪で不起訴処分、犯人隠避罪で有罪)は、弘道会の資金源の中でも最大といわれた同グループの正体だけでなく、愛知県警と弘道会との底知れぬ癒着を暴き出すものとなった。・・・
ことの始まりは、10年7月16日午後1時過ぎから8月10日午後10時40分過ぎまでの間、前後5回にわたり、名古屋市昭和区内の公衆電話から、愛知県警暴力団担当警部であるK氏(以下、K警部)の携帯電話や自宅電話に、正体不明の人物から「絶対お前をつぶしてやるからな」などと脅迫電話がかかってきたことだった。 ・・・
(7月16日)この夜10時18分にも、何者かがK警部の自宅電話に電話をかけ、警部の妻の名前を口にするなどして脅迫が行われた。
また、同じ月の17日午後5時42分頃、何者かが名古屋市千種区の公衆電話からK警部の携帯電話に電話をかけ、K警部宅で、「警察官が警戒態勢を取っている」などといったことを口にして、脅迫した。さらに同月27日午前10時58分頃にも、何者かが名古屋市北区の公衆電話から、K警部が担当している事件を挙げ、警部の次女について口にしながらこう脅迫した。
「どうなっても知らないよ。責任はとれない。よく覚えておけよ」 ・・・・
・・・・・明らかに警察内部に内通者がいなければできない一連の脅迫だった。 ≫
≪ 愛知県警とブルーグループの癒着疑惑は、早くから指摘されていた。 捜査情報の漏えい疑惑が最初に取り沙汰されたのは08(平成20)年1月。 報道によると、暴力団を担当する捜査4課の捜査員が佐藤元被告から850万円を借りていたことが発覚。 ・・・・公判で元捜査員は、捜査情報を漏らす見返りに飲食接待や数十万円単位の現金を受け取っていたことを認め、「情報を流していた警察官はほかにもいる」と証言した。≫
(一ノ宮 美成(いちのみや よしなり)、グループ・K21『山口組 分裂の真相 知られざる「利権抗争」の聖域』2016.6.10. 宝島社 ↑)
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