兼六園 《中》雁行橋、根上松(ねあがりのまつ)、山崎山、御室の塔、成巽閣赤門
[第454回]
霞ヶ池の唐崎の松から南に少し進んだあたり、小川に「雁行橋」 ↓があります。
↑ ≪ がんが夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の石で表現した橋。 石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれる。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
さらに南に進んで、西側、兼六園の中央部に目をやると、「根上松(ねあがりまつ)」↓。
↑ ≪ 十三代藩主 前田斉泰(1822~1866)が、稚松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根を表したものと伝えられる。≫(現地の説明書き)という。 なるほど、他の所でも、このように根が見える木を見たように思うのですが、どうやって根の部分が地面より上にはったのかと思ったのですが、盛土に植えて土を取り除けたのですね。

↑ 「 i 」マークが、根上松(ねあがりのまつ)
そこからさらに南に進むと、↓
↑ 上から読んでも「山崎山(やまざきやま)」、下から読んでも「山崎山」。
上から読んでも山本山、下から読んでも山本山の、いくら相撲取りでも、こんなぶよんぶよんの肥満体の運動選手あるかあ~あ・・・と思った山本山はやめちゃったよなあ~あ・・・・。
≪ 昔、この付近一帯を「山崎の荘」と呼んでいた。 また、カエデなどが多いので「紅葉山(もみじやま)」とも言われる。≫と現地の説明書きに書かれている。 椿原天満宮(金沢市天神町1丁目)は、≪ 永仁5年加賀国主富樫義親京都北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請す。 観応年間一向一揆により金浦郷田井村へ遷座され、・・・・・≫(《石川県神社庁 神社を探す 椿原天満宮》http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=121 )とあり、最初、「丹波屋敷と称する山崎」に作られ、その後、今現在の天神町1丁目のかつて一向一揆の椿原山砦であった場所に移されたらしいが、「山崎」というのはそれほど珍しい地名でもないので、2か所以上あってもおかしくないとは思うのですが、『都市地図 金沢市 野々市・かほく市 津幡・内灘町』2016年6版 の「町名索引」で見ても、「山崎」という町名はなく、「丹波屋敷」という町名もない。 「丹波屋敷と称する山崎」というのは、兼六園の中の↑の「山崎山」のあたりだったのか、それとも他の山崎なのか。
(⇒[第446回]《椿原天満宮(金沢市)参拝-冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(37)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html )

↑ 「 i 」マークが、上から読んでも「山崎山」、下から読んでも「山崎山」
※ 《YouTube-山本山 CM 1990年頃 》https://www.youtube.com/watch?v=gKhWtcsHQ-o
東よりで南の端の方まで来ましたので、もう一度、西の方に行きます。
↑ 「御室の塔」 。
≪ ・・・京都の御室御所(仁和寺)の塔を模したものといわれ、この名がある。≫(現地での説明書き)そうです・・・・が、私、小学校の4年だったか5年だったかの時、1960年代の終わりに仁和寺に行ったことがありますが、仁和寺の塔とそんなに似てるかなあ~あ・・という気もするのですが、どうでしょうか。 それとも、≪御室御所(仁和寺)の塔≫というのは、仁和寺でも五重塔とは別のものを言っているのでしょうか。
※ 仁和寺HP 「境内のご案内」http://www.ninnaji.or.jp/precincts.html
兼六園と石川県立伝統産業工芸館や成巽閣(せいそんかく)は同じ区画にあっても別かと思っていたら、兼六園から外に出ずに石川県立伝統産業工芸館や成巽閣に入ることができるようです。
↑ 成巽閣の赤門の唐門。
≪赤門であり唐破風屋根の門は、高貴な女性を表す型だ≫( 西ヶ谷恭弘「金沢城の構成 現存建物(石川門以外)をめぐる」〔西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009.11.13.PHP研究所 PHPムック 所収〕 )

↑ 「 i 」マークが、成巽閣の赤門の唐門。
※ 成巽閣HP http://www.seisonkaku.com/
↑ 梅林の近くの小川。
↑ この松の木の傷は、≪ ・・・昭和20年(1945年)の6月頃、政府の指示で軍用航空機の燃料にするために松脂(まつやに)を採取したあとである≫(現地での説明書き)という。
※ 石川県HP 兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/
次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html は、夕顔亭・瓢池・翠滝、時雨亭などに進みます。
(2016.10.17.)
☆ 兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 〔今回〕
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
霞ヶ池の唐崎の松から南に少し進んだあたり、小川に「雁行橋」 ↓があります。
↑ ≪ がんが夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の石で表現した橋。 石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれる。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
さらに南に進んで、西側、兼六園の中央部に目をやると、「根上松(ねあがりまつ)」↓。
↑ ≪ 十三代藩主 前田斉泰(1822~1866)が、稚松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根を表したものと伝えられる。≫(現地の説明書き)という。 なるほど、他の所でも、このように根が見える木を見たように思うのですが、どうやって根の部分が地面より上にはったのかと思ったのですが、盛土に植えて土を取り除けたのですね。
↑ 「 i 」マークが、根上松(ねあがりのまつ)
そこからさらに南に進むと、↓
↑ 上から読んでも「山崎山(やまざきやま)」、下から読んでも「山崎山」。
上から読んでも山本山、下から読んでも山本山の、いくら相撲取りでも、こんなぶよんぶよんの肥満体の運動選手あるかあ~あ・・・と思った山本山はやめちゃったよなあ~あ・・・・。
≪ 昔、この付近一帯を「山崎の荘」と呼んでいた。 また、カエデなどが多いので「紅葉山(もみじやま)」とも言われる。≫と現地の説明書きに書かれている。 椿原天満宮(金沢市天神町1丁目)は、≪ 永仁5年加賀国主富樫義親京都北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請す。 観応年間一向一揆により金浦郷田井村へ遷座され、・・・・・≫(《石川県神社庁 神社を探す 椿原天満宮》http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=121 )とあり、最初、「丹波屋敷と称する山崎」に作られ、その後、今現在の天神町1丁目のかつて一向一揆の椿原山砦であった場所に移されたらしいが、「山崎」というのはそれほど珍しい地名でもないので、2か所以上あってもおかしくないとは思うのですが、『都市地図 金沢市 野々市・かほく市 津幡・内灘町』2016年6版 の「町名索引」で見ても、「山崎」という町名はなく、「丹波屋敷」という町名もない。 「丹波屋敷と称する山崎」というのは、兼六園の中の↑の「山崎山」のあたりだったのか、それとも他の山崎なのか。
(⇒[第446回]《椿原天満宮(金沢市)参拝-冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(37)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html )
↑ 「 i 」マークが、上から読んでも「山崎山」、下から読んでも「山崎山」
※ 《YouTube-山本山 CM 1990年頃 》https://www.youtube.com/watch?v=gKhWtcsHQ-o
東よりで南の端の方まで来ましたので、もう一度、西の方に行きます。
↑ 「御室の塔」 。
≪ ・・・京都の御室御所(仁和寺)の塔を模したものといわれ、この名がある。≫(現地での説明書き)そうです・・・・が、私、小学校の4年だったか5年だったかの時、1960年代の終わりに仁和寺に行ったことがありますが、仁和寺の塔とそんなに似てるかなあ~あ・・という気もするのですが、どうでしょうか。 それとも、≪御室御所(仁和寺)の塔≫というのは、仁和寺でも五重塔とは別のものを言っているのでしょうか。
※ 仁和寺HP 「境内のご案内」http://www.ninnaji.or.jp/precincts.html
兼六園と石川県立伝統産業工芸館や成巽閣(せいそんかく)は同じ区画にあっても別かと思っていたら、兼六園から外に出ずに石川県立伝統産業工芸館や成巽閣に入ることができるようです。
↑ 成巽閣の赤門の唐門。
≪赤門であり唐破風屋根の門は、高貴な女性を表す型だ≫( 西ヶ谷恭弘「金沢城の構成 現存建物(石川門以外)をめぐる」〔西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009.11.13.PHP研究所 PHPムック 所収〕 )
↑ 「 i 」マークが、成巽閣の赤門の唐門。
※ 成巽閣HP http://www.seisonkaku.com/
↑ 梅林の近くの小川。
↑ この松の木の傷は、≪ ・・・昭和20年(1945年)の6月頃、政府の指示で軍用航空機の燃料にするために松脂(まつやに)を採取したあとである≫(現地での説明書き)という。
※ 石川県HP 兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/
次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html は、夕顔亭・瓢池・翠滝、時雨亭などに進みます。
(2016.10.17.)
☆ 兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 〔今回〕
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
この記事へのコメント