兼六園 《下》夕顔亭・瓢池・翠滝・海石塔、時雨亭、時雨亭跡、他
[第455回]
もう一度、西側を北寄りに戻ります。 霞ヶ池より下に「瓢池(ひさごいけ)」という池があります。↓
↑ ≪ 池の中ほどがくびれて瓢箪に似ている≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)というので「瓢池(ひさごいけ)」と言うらしい。
左奥が「翠滝(みどりだき)」。 右端に見えるのが「瓢池の海石塔」(『新版 名城を歩く3 金沢城』「日帰りコース 古都・金沢の事始めは、冒頭から濃厚な史実が待ち構える」)。
≪ 瓢箪の形をした池には、霞ヶ池から6.6mの翠滝(みどりだき)を経て、流れ落ちる水がつねに注がれている。≫ ≪翠滝は1774(安永3)年に完成したといわれる≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
(↑ クリックすると大きくなります。)
↑ 「夕顔亭」
≪ 1774(安永3)年の創建当時の姿を今に伝える茶亭で、本席は小間ながら本格的な茶事が催せる。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
≪ 石川門の外隣り、まだ兼六園が造営される以前、第十一代 治脩 により造営された≫(西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009.西ヶ谷義弘「金沢城の構成 成巽閣と金沢城ゆかりの建築」)
↑ 「時雨亭(しぐれてい)」は補修工事中。

生菓子と抹茶をごちそうになってきましたが(もちろん、カネは払ってるぞ)、≪ 兼六園作庭の初期に建設された藩主の別邸を再建した≫という時雨亭は工事中で、別室でいただきました。 別室も悪くないのですが、2017年の3月頃、工事は終わるそうなので、それ以降にまた来れたらと思います。
もともとは、「噴水」の向かいあたりに時雨亭はあったが、それを、今現在の場所、霞ヶ池や栄螺山より西、瓢池の上の場所に、もともとの時雨亭と同じようなものをひと回り大きめで復元したというものらしい。
↑ 「噴水」の向かいの位置に、「時雨亭跡」の札が立っている。
↓ は時雨亭の前にあるトイレなのですが、兼六園の周囲の景観を阻害しないよう配慮された建物になっています。
↓ のように屋根は金属製の屋根材で雪止めがついています。
↑ 霞ヶ池の西側から東の方向を見る。
案内係の方が団体さんに説明されていたのですが、兼六園のいいところとして、兼六園の周囲は市街地であるが、兼六園の中からは周囲のビルがまったく見えない。 これは兼六園の場所が丘になっていて、周囲よりも高いので、それで、周囲にビルがあっても見えないのだ、と。
なるほど、とは思ったのですが、兼六園の周囲のビルというのは、東京都庁とかアベノハルカスとか千里タワーとか横浜ランドマークタワーとかスカイツリーとかそういう高層建物ではなく、せいぜい7階建てか8階建てかそこらのはずなんです。 東大の本郷は、私が高校を卒業するころ、東京の街中にありながら静かでいい環境だと思いましたし、夏目漱石の『三四郎』の中でも野々宮君がそう述べている場面がありますが、それから30年以上経ち、最近、東大の本郷に行ってみると、人口密度は高くなっていないはずですが、建物密度は高くなり、高層建物が多くなるとともに、周囲にも高層のマンションとかができて、かつては、東大の本郷キャンパスの中を歩くと周囲の建物は見えなかったのが、今は周囲の無粋なマンションが見えます。 たとえ、丘にあっても、周囲の建物が通天閣くらいのものならなんとかなっても、スカイツリーだのアベノハルカスだのというものを作られてしまったあかつきには・・・・・、見えます。 ですから、高層ビルとかいったものは、作る方が文化的でもなければ先進でもないのです。 要らないと思えば作らないという方が文化的であり、先進国の発想です。 高さを競う、負けるもんかと高いものを作るなんて、そんなものは後進国の発想です。 案内係のおじさんは、兼六園のいいところとして、丘の上にあるから周囲のビルが見えないと言われたのですが、今のところ、周囲の市街地に野蛮な高層ビルはないということで、金沢の人間は、今のところ、その点で文化的だからということだと思います。今後、どうなっていくかはわかりません。 静岡県浜松市のJR浜松駅のすぐ脇の高層ビルについて、あんなもの要らないのと違うかとヤフーニュースのコメント欄に入れたら、浜松人らしきにーちゃんから怒りのコメントを入れられたが、なんで怒るんでしょうね。 要らんと思うけどね。東京あたりではしょーことなしに作っている高層ビルを高層ビルなんて作らなくてもやっていける地方都市で作りたがるほしがる、高層ビルを作ることで都会の仲間入りしたみたいに思いたがるというのは、それは「イナカモン根性」だと思いますね。 東京あたりで土地の値段も高ければ人口密度も高く、上に伸ばすしかない所では、しょーことなしに高層ビルを建てるわけで、「地方」の都市でそんなことしなくてもやっていける所は、アベノハルカスとかランドマークタワーとかいうようなそんな野蛮なもの作らない方がいいのです。ブルーノ=タウトさんも『建築とは何か』(鹿島出版会)の中で、高層ビルについて否定的に述べていますが、高層ビルというのは、地下鉄と一緒で、高層ビルにしないとやっていけない場所で作るものであって、高層ビルにしなくてもいい所であえてやるものではないと思います。
今は昔、1990年代半ば、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいたおっさんS(当時、40代)が仙台に行ってきたといい、「仙台はすっげえどお~お。ち~かてつがあるんだどお~お。おら、仙台で地下鉄乗ってきたんだどお。」と言い、私に「おめえ、地下鉄見たことねえだろ。おら、仙台で地下鉄乗ってきたんだどお。どうだ、おめえ、地下鉄見たことねえだろ」と言うので、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と言うと、「おめえ、地下鉄、見たことあるのけ? 乗ったことはねえだろ?」と言う。「ありますよ」というと、「え、おめえ、地下鉄乗ったことあるのけ? いったい、どこで乗ったんだ?」と言うもので、「東京でも大阪でも名古屋でも横浜でも乗りましたよ」と言うと、「え、乗ったことあるのけ。 おめえもなかなかたいしたもんだなあ」と感心されたということがありました・・・・が、「ち~かてつ乗ってきた」などということを自慢されても困ってしまうのですが、地下鉄も高層ビルと一緒で、東京あたりは、地下でも電車を走らせるしかないからしょーことなしに地下を走らせているのであって、地下を走らせる必要がない地域は無理に地下鉄なんて作らなくていいし、地下鉄があるなんてことを自慢するのは愚かなことです。 「ち~かてつ乗ってきたんだどお」と自慢するおっさんは、そのまま言わせておいた方がおもしろいから、言わせておくとして・・・。
↑ 鳥。 カメラを向けても逃げない。 今は昔、鎌倉の山を登ったというのか、登山というほどでないが登山のような気持でひとりハイキングをした時、建長寺の上のあたりとあともう1箇所でリスを見かけた。 え、リスがいるのかと思って、なおもよく見ようと思って近づいたら、リスは逃げて行った。 その後、2000年のこと、ロンドンのハイドパークに行くと、やっぱり、リスがいたのだが、近づくと逃げるだろうと思って、逃げられないようにとゆっくりと静かに近づいていくと、なんと、ハイドパークのリスは人が近づくと寄ってきたのだ。 『地球の歩き方 ロンドン』(ダイヤモンド社)には、ハイドパークのカラスは観光客がカメラを構えるとポーズをとるという話が載っていたが(さすがにそれは「お話」だろうけれども)、兼六園の鳥は、寄ってこないけれども、兼六園の中では人は鳥に危害を加えないので、逃げもしないようだ。
兼六園というと、「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)が有名ではあるのですが、ほかにも、↓
↑ の灯籠もそうですし、
↑ の橋など見ると、柔らかな、優しいカーブを描いた構造物がいくつかあります。 「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)の手前の虹橋もそうですし、「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)に限ったことではなく、全体をこの傾向で作っていると思えます。
ブルーノ=タウトは『日本美の再発見』の中で、桂離宮は、その建築に見られる精神性がすばらしく、その設計者が小堀遠州であるのか他の誰かであるのかはわからないが、間違いなく、1人のすばらしい天才によって全体の調和がはかられているといったことを述べていますが、実際に桂離宮に行って、見て感じてしますと、たしかに、ブルーノ=タウトが言うように、すべてのものを1人の設計者が考えて作ったわけではないとしても、全体の調和を責任を持って考える人間がいたということはおそらく間違いないであろうと思えます。 兼六園も、個々のものがどうというのではなく、全体の調和を考えて作られているところがあり、もし、その調和をはかったのが金沢城の前田のお殿様であったのなら、そのお殿様は造園と庭園内の建築について造詣のある人であったということでしょうし、誰か無名の造園家・建築家に命じてさせたのなら、有能な人を指名する判断力があったということでしょう。 日本には、アホばっかし大事にする経営者の会社はいっぱいありますけどね・・・。
※ 石川県HP 兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/
(2016.10.17.)
☆ 兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 〔今回〕
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
もう一度、西側を北寄りに戻ります。 霞ヶ池より下に「瓢池(ひさごいけ)」という池があります。↓
↑ ≪ 池の中ほどがくびれて瓢箪に似ている≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)というので「瓢池(ひさごいけ)」と言うらしい。
左奥が「翠滝(みどりだき)」。 右端に見えるのが「瓢池の海石塔」(『新版 名城を歩く3 金沢城』「日帰りコース 古都・金沢の事始めは、冒頭から濃厚な史実が待ち構える」)。
≪ 瓢箪の形をした池には、霞ヶ池から6.6mの翠滝(みどりだき)を経て、流れ落ちる水がつねに注がれている。≫ ≪翠滝は1774(安永3)年に完成したといわれる≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
(↑ クリックすると大きくなります。)
↑ 「夕顔亭」
≪ 1774(安永3)年の創建当時の姿を今に伝える茶亭で、本席は小間ながら本格的な茶事が催せる。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.昭文社)
≪ 石川門の外隣り、まだ兼六園が造営される以前、第十一代 治脩 により造営された≫(西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009.西ヶ谷義弘「金沢城の構成 成巽閣と金沢城ゆかりの建築」)
↑ 「時雨亭(しぐれてい)」は補修工事中。
生菓子と抹茶をごちそうになってきましたが(もちろん、カネは払ってるぞ)、≪ 兼六園作庭の初期に建設された藩主の別邸を再建した≫という時雨亭は工事中で、別室でいただきました。 別室も悪くないのですが、2017年の3月頃、工事は終わるそうなので、それ以降にまた来れたらと思います。
もともとは、「噴水」の向かいあたりに時雨亭はあったが、それを、今現在の場所、霞ヶ池や栄螺山より西、瓢池の上の場所に、もともとの時雨亭と同じようなものをひと回り大きめで復元したというものらしい。
↑ 「噴水」の向かいの位置に、「時雨亭跡」の札が立っている。
↓ は時雨亭の前にあるトイレなのですが、兼六園の周囲の景観を阻害しないよう配慮された建物になっています。
↓ のように屋根は金属製の屋根材で雪止めがついています。
↑ 霞ヶ池の西側から東の方向を見る。
案内係の方が団体さんに説明されていたのですが、兼六園のいいところとして、兼六園の周囲は市街地であるが、兼六園の中からは周囲のビルがまったく見えない。 これは兼六園の場所が丘になっていて、周囲よりも高いので、それで、周囲にビルがあっても見えないのだ、と。
なるほど、とは思ったのですが、兼六園の周囲のビルというのは、東京都庁とかアベノハルカスとか千里タワーとか横浜ランドマークタワーとかスカイツリーとかそういう高層建物ではなく、せいぜい7階建てか8階建てかそこらのはずなんです。 東大の本郷は、私が高校を卒業するころ、東京の街中にありながら静かでいい環境だと思いましたし、夏目漱石の『三四郎』の中でも野々宮君がそう述べている場面がありますが、それから30年以上経ち、最近、東大の本郷に行ってみると、人口密度は高くなっていないはずですが、建物密度は高くなり、高層建物が多くなるとともに、周囲にも高層のマンションとかができて、かつては、東大の本郷キャンパスの中を歩くと周囲の建物は見えなかったのが、今は周囲の無粋なマンションが見えます。 たとえ、丘にあっても、周囲の建物が通天閣くらいのものならなんとかなっても、スカイツリーだのアベノハルカスだのというものを作られてしまったあかつきには・・・・・、見えます。 ですから、高層ビルとかいったものは、作る方が文化的でもなければ先進でもないのです。 要らないと思えば作らないという方が文化的であり、先進国の発想です。 高さを競う、負けるもんかと高いものを作るなんて、そんなものは後進国の発想です。 案内係のおじさんは、兼六園のいいところとして、丘の上にあるから周囲のビルが見えないと言われたのですが、今のところ、周囲の市街地に野蛮な高層ビルはないということで、金沢の人間は、今のところ、その点で文化的だからということだと思います。今後、どうなっていくかはわかりません。 静岡県浜松市のJR浜松駅のすぐ脇の高層ビルについて、あんなもの要らないのと違うかとヤフーニュースのコメント欄に入れたら、浜松人らしきにーちゃんから怒りのコメントを入れられたが、なんで怒るんでしょうね。 要らんと思うけどね。東京あたりではしょーことなしに作っている高層ビルを高層ビルなんて作らなくてもやっていける地方都市で作りたがるほしがる、高層ビルを作ることで都会の仲間入りしたみたいに思いたがるというのは、それは「イナカモン根性」だと思いますね。 東京あたりで土地の値段も高ければ人口密度も高く、上に伸ばすしかない所では、しょーことなしに高層ビルを建てるわけで、「地方」の都市でそんなことしなくてもやっていける所は、アベノハルカスとかランドマークタワーとかいうようなそんな野蛮なもの作らない方がいいのです。ブルーノ=タウトさんも『建築とは何か』(鹿島出版会)の中で、高層ビルについて否定的に述べていますが、高層ビルというのは、地下鉄と一緒で、高層ビルにしないとやっていけない場所で作るものであって、高層ビルにしなくてもいい所であえてやるものではないと思います。
今は昔、1990年代半ば、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいたおっさんS(当時、40代)が仙台に行ってきたといい、「仙台はすっげえどお~お。ち~かてつがあるんだどお~お。おら、仙台で地下鉄乗ってきたんだどお。」と言い、私に「おめえ、地下鉄見たことねえだろ。おら、仙台で地下鉄乗ってきたんだどお。どうだ、おめえ、地下鉄見たことねえだろ」と言うので、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と言うと、「おめえ、地下鉄、見たことあるのけ? 乗ったことはねえだろ?」と言う。「ありますよ」というと、「え、おめえ、地下鉄乗ったことあるのけ? いったい、どこで乗ったんだ?」と言うもので、「東京でも大阪でも名古屋でも横浜でも乗りましたよ」と言うと、「え、乗ったことあるのけ。 おめえもなかなかたいしたもんだなあ」と感心されたということがありました・・・・が、「ち~かてつ乗ってきた」などということを自慢されても困ってしまうのですが、地下鉄も高層ビルと一緒で、東京あたりは、地下でも電車を走らせるしかないからしょーことなしに地下を走らせているのであって、地下を走らせる必要がない地域は無理に地下鉄なんて作らなくていいし、地下鉄があるなんてことを自慢するのは愚かなことです。 「ち~かてつ乗ってきたんだどお」と自慢するおっさんは、そのまま言わせておいた方がおもしろいから、言わせておくとして・・・。
↑ 鳥。 カメラを向けても逃げない。 今は昔、鎌倉の山を登ったというのか、登山というほどでないが登山のような気持でひとりハイキングをした時、建長寺の上のあたりとあともう1箇所でリスを見かけた。 え、リスがいるのかと思って、なおもよく見ようと思って近づいたら、リスは逃げて行った。 その後、2000年のこと、ロンドンのハイドパークに行くと、やっぱり、リスがいたのだが、近づくと逃げるだろうと思って、逃げられないようにとゆっくりと静かに近づいていくと、なんと、ハイドパークのリスは人が近づくと寄ってきたのだ。 『地球の歩き方 ロンドン』(ダイヤモンド社)には、ハイドパークのカラスは観光客がカメラを構えるとポーズをとるという話が載っていたが(さすがにそれは「お話」だろうけれども)、兼六園の鳥は、寄ってこないけれども、兼六園の中では人は鳥に危害を加えないので、逃げもしないようだ。
兼六園というと、「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)が有名ではあるのですが、ほかにも、↓
↑ の灯籠もそうですし、
↑ の橋など見ると、柔らかな、優しいカーブを描いた構造物がいくつかあります。 「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)の手前の虹橋もそうですし、「徽軫灯籠(ことじどうろう)」(「琴柱灯籠」)に限ったことではなく、全体をこの傾向で作っていると思えます。
ブルーノ=タウトは『日本美の再発見』の中で、桂離宮は、その建築に見られる精神性がすばらしく、その設計者が小堀遠州であるのか他の誰かであるのかはわからないが、間違いなく、1人のすばらしい天才によって全体の調和がはかられているといったことを述べていますが、実際に桂離宮に行って、見て感じてしますと、たしかに、ブルーノ=タウトが言うように、すべてのものを1人の設計者が考えて作ったわけではないとしても、全体の調和を責任を持って考える人間がいたということはおそらく間違いないであろうと思えます。 兼六園も、個々のものがどうというのではなく、全体の調和を考えて作られているところがあり、もし、その調和をはかったのが金沢城の前田のお殿様であったのなら、そのお殿様は造園と庭園内の建築について造詣のある人であったということでしょうし、誰か無名の造園家・建築家に命じてさせたのなら、有能な人を指名する判断力があったということでしょう。 日本には、アホばっかし大事にする経営者の会社はいっぱいありますけどね・・・。
※ 石川県HP 兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/
(2016.10.17.)
☆ 兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 〔今回〕
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html
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