金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館、泉鏡花記念館、金沢別院 他
[第456回]
【1】 アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』(2013.1.1. 中経出版 中経の文庫)に掲載されている金沢駅の写真2枚のうち、特に、「鼓門」の方は、斬新といえば斬新、奇抜といえば奇抜だが、グロテスク、悪趣味という感じがしないでもなかった。 で、金沢駅には東口と西口があり、北陸本線・IRいしかわ鉄道・北陸新幹線というのは富山から金沢をへて福井へと東西に走っているのに、南口と北口ではなく、東口と西口とはこれいかに、というと、金沢駅の付近では、南西から北東に走っており、南東側の入口が東口、北西側の入口を西口と言っているらしい。 ややこしいのは、高速バスだが、東京のバスタ新宿から乗った夜行バスは金沢駅では西口(北西側)に着くのだが、高速バスの発着はすべて西口かというとそうではなく、白川郷・高山方面行のバスは東口(南東側)から出る。 金沢城・兼六園・成巽閣・金沢21世紀美術館とか、主計(かずえ)茶屋町・ひがし茶屋町・にし茶屋町、それから、野村家などの武家屋敷跡とか、泉鏡花記念館も室生犀星記念館も東口側(南東側)にあり、『築地魚河岸三代目』に登場した近江町市場も東口側(南東側)、検察庁も裁判所も市役所も東口側(南東側)にあるが、西口側(北西側)はさびれているのかというとそうでもなく、石川県庁は西口側(北西側)にある。 かつて、内灘闘争がおこなわれた内灘町は、日本海沿いにあるので、当然、西口側(北西側)だが、金沢駅から内灘駅まで行く北陸鉄道浅野川線の金沢駅はJRより東口側(南東側)に駅がある。 そういえば、私が子供の頃、内灘闘争について新聞に載っていたのを見た記憶があるが、ここしばらく忘れていたが、内田康夫の浅見光彦シリーズで内灘闘争の後の話が出ていたので、思い出した。
※ 《ウィキペディア―内灘闘争》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%81%98%E9%97%98%E4%BA%89


↓の≪ 金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をモチーフにした「鼓門」≫(アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』2013.中経出版)は金沢駅のどちら側にあるのかというと、金沢城・兼六園・成巽閣・金沢21世紀美術館などががる東南側、金沢駅東口にある。
アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』では、鼓門をアップで写真に収めているので、実際以上に鼓門が強調され、実際以上に大きく見えて、グロテスクとも見えたのですが、実際に行って見ると、そうでもない。
駅を出てすぐの所には、↓のドーム、≪ 雨や雪の多い金沢で「駅を降りた人に傘を差しだすもてなしの心」を表現した、金沢駅東口広場の「もてなしドーム」。 アルミフレーム6000本、強化ガラス3019枚を使用した明るく開放的な空間だ。≫(『絶対に行きたい! 世界の現代建築』)
駅を出てすぐにあるこのドームというのか、透明屋根はここちよく、そして、鼓門はこのドームに比べるとずっと小さく、自己顕示欲が強すぎでグロテスクという感じでもありません。 『絶対に行きたい! 世界の現代建築』の写真にしても、インターネットで写真をアップしている人の写真でも、鼓門を大きくアップで写したものを載せるから、グロテスクな感じがしてくるのです。 むしろ、↑のように、透明なドームの向こうに一部分に鼓門がある、というように写せば、もしくは、その角度、視点で見れば、けっこうデザインのいい門で、グロテスクではないと思います。
鼓門ですが、木材を斜めに組んでいるのですが、その内側に何かの配管があるようで、それを隠す意味で木材を斜めに組んでデザインとして鼓にしたというもののようです。 『絶対に行きたい!世界の現代建築』(中経出版)には、≪ ドーム前に建つ木造ゲートは、金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をモチーフにした「鼓門」。 鼓形の柱に緩やかなカーブを描く格子状の屋根がかかり、木材は強度や耐久性に優れた大断面集成材を用いている。 ≫と書かれているのですが、木材はあくまで斜めの「格子」の部分で、これは装飾用であって構造は木造ではないと現地で見て私は思ったのですが、『絶対に行きたい! 世界の現代建築』では、「木造ゲート」「木材は強度や耐久性に優れた大断面集成材を用いている。」と書かれています。 はて。
『絶対に行きたい! 世界の現代建築』によると、
≪ 建築家 白江建築研究所
竣工 2005年
建材 アルミ合金、ガラス、木材 ≫
≪ 2014年予定の北陸新幹線の延伸を見越し、金沢駅に建設されたドーム。 駅のホームスペース増設に合わせて1988年より着工し、総工期は7年。 アルミ合金の建築物としては日本最大規模を誇る。≫
≪ 3次元の空間をもつ立体トラス構造とは?
トラスとは、三角形を基本に組んだ骨組み構造。 立体トラスは、部材を立体的に組み合わせた構造形式。 通常よりも細い部材を立体的に組むことで、曲面をもつドームなどの大空間が生み出せる。 ≫
ということで、ガラス屋根のドームの部分については、アルミ合金による立体トラスというのはわかりましたが、鼓門の部分はどうなのか。 大断面集成材を使ったというのはわかりましたが、斜めの木材がこの門を支えているのではないと思うのです。 支えるなら斜めにはしないでしょう。
↑ 鼓の斜めの木材が集成材だというのは、見ればわかります。 また、普通、こういうところで使う木材は集成材ですね。
白江建築研究所のホームページの「WORKS」の「金沢駅東広場計画」http://www.shirae-associates.com/を見ても、構造が何といったことは書かれていません。 書けばいいと思うし、書くべきだとも思いますが。
白江建築研究所というのはどういう団体なのか検索してみますと、「PROFILE」に、
≪ 白江建築研究所は、エコロジー技術や高度技術を使って 高性能で美しい建築をデザインする建築設計事務所です。 個人住宅から都市計画までの広範なプロジェクトに 取り組みながら、様々な夢を実現します。≫と書かれていますが、これでは自己紹介したことになりません。 まず、誰が所属しているのか、所長は何という人間なのか、所長は何年にどこで生まれて、どこの大学の何学部を卒業したのか、大学院には行ったのか学部卒なのか、その後、どういう所に勤めて、どういう仕事をしてきたのか、資格はどのようなものを持っているのか、所長以外の構成員は誰がいて、それぞれ、何年どこ生まれで、何大学の何学部卒でどういう仕事をしてきた人間なのか、資格は何を持っているのかといったことを書かないと「PROFILE」を書いたことになりません。
白江建築研究所のHPの「PROFILE」に、なんで、学歴の欄がないか、インターネットでさらに検索してるうちに、わかった! 会社でも、株主あての重役紹介とかで、学歴の欄がある会社とない会社があるでしょ。 な~んでか? ・・・・(答え)オーナー企業で、社長とか社長の息子とかが、高卒かあんまりええ大学でてない会社は「学歴」の欄がない。 東大・京大か慶應・早稲田卒の社長・社長の息子の会社は「学歴」の欄がある。 そういうこと!
で、《ウィキペディア―白江龍三》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B1%9F%E9%BE%8D%E4%B8%89 を見ると、
1952年、埼玉県生まれ。
白江建築研究所主宰。
日本大学理工学部建築学科卒業、同大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1998年〜2003年、前橋工科大学非常勤講師。 2000年、日本大学理工学部非常勤講師。2005年から前橋工科大学大学院非常勤講師就任。 ・・・・
!!! なんじゃ、ポン大か~い!!! てことだ。 だから、ホームページに学歴の欄がないのだ・・・、な♪ そんなもんだ。
たいそうなもん、作ってからに、ポン大かい、このおっさ~ん!!! ということなんだわ。
1952年生まれというと、年齢は私よりも年上だけれども、それほどかわらない。 私なんか、高校卒業する頃、「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。 甘ったれなさんな」と父は言っていた。 「国立大学なら、何学部でも学費は同じのはずや」と私は言ったのですが、母は「絶対に国立大学に通るとは限らないでしょうよ。 落ちたら私立に行かないといけませんでしょ。 私立の工学部なんか、なんで、行かさないけませんの。甘ったれなさんな、あんた」と言った。 父は「てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ」「木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ~あ! とってちってたあ~あ! 会社のために、死ぬほど働く、会社のために死んでもはたら~く! とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、一億火のたまあ~あ! 欲しがりません、勝つまでは! ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ~あ!」と、毎日毎日、私に言っていました。 それでいて、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい仕事につけるようにと思って小さい頃から無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていました。そんなことを子どもの頃から聞かされてきたので、そういうものだと嘘を信じてしまい、無い夢を追っていました。高校の3年の時、どうも、「文科」でも文学部には行かせたくないようだと感じ、ともかく、家を出ることが大事で、家を離れて暮らせば、大学に入学してから転部なり何なりできるだろうと考え、経済学部と法学部法律学科と法学部政治学科なら、政治学科と経済学部はその時代の政治の影響をもろに受けるし、特に、経済学部は、マルクス経済学を学び、人民の盾となって浅間山荘に立てこもるのか、それとも、近代経済学を学び、ピーナツ・ピーシズとか言ってえげつない商売をしてトルストイの『イワンのバカとその2人の兄弟とおしの妹の話』に出て来る2番目の兄の商人でほてい腹のタラースみたいになるのかというと、どちらも気が進まないと思ったので、法律学科ならその時の政治の流れをモロには受けないだろうと考えて、それで、法学部でということに話をしていたはずが、ある時、父が私に無断で神戸大の経済学部の願書をとってきて、「はい」と言って私につきつけたので、「何ですか、これは」と言うと、「とってきてやってやってやってやってやったったんやないか」と言ったことがありました。 北野高校の模擬試験で1回目の時、あと少しで京大に合格圏という成績だったのですが、「あと少しで」というのは、簡単そうで必ずしも簡単と言えるものでもないのですが、高校3年の時の担任の先生との親子懇談の時、父が「あと少しで京大に合格できる点数ということは、神戸大ならまず通ると考えてよろしいかなあ」と言い出したので、担任のOは父がその時に言った意味を理解せず、「いや、そんなことないですよ。 仮に、京大なら通った人4人、落ちた人6人というくらいの成績だったとして、阪大なら絶対通るか、神戸大なら絶対通るかというと、そんなものじゃないですよ。 京大なら通った人4人、落ちた人6人というくらいの成績でも、せいぜい、阪大なら通った人5人、落ちた人5人、神戸大なら通った人6人、落ちた人4人というくらいのものでしょう。」と言い、「こう言うと、たいていの生徒は、それなら、京大にするわ、と言うのですが」と話した。 それを父は聞いていたはずで、そのやり取りに納得していたはずであり、神戸大などという名前は私と担任と父との間でまったく出ていなかったにもかかわらず、私に一言も断りなく、無断で神戸大の、しかも、まったく話に出ていなかった経済学部の願書を取得してきて、そして、何の説明もなく、「はい、これ、あんたあ」と言ってつきつけたのです。そういう家でした。我が家は。
さらに、高校3年の1月の後半になって、父は突然、「練習のために、早稲田でも受けてみたらどうや」と言い出し、「今、勉強時間が少しでも欲しい時だから、そんな『練習のために』なんか受けることない」と私が言うにもかかわらず、「受けた方がええで、練習のために、練習のために」としつこいしつこいしつこいしつこいので、もういいかげんうるさい為、受ければそれで納得するのなら受ければいいだろうと思って早稲田大の法学部に願書を出したところ、今度は、「早稲田は通ったら行くべきやで」と、これも突然に言い出したので、ふざけんな! と思い、そして、もし、通ったら行かされてしまう。早稲田みたいなもん、行かされてたまるか! と思って、氏名と受験番号だけ書いて白紙で答案を出してきたので、当然、早稲田は落ちた。 そりぁ、落ちるわなあ。 関西の高校の人間は、東大は評価するが、早稲田は「早稲田みたいなも~ん」という感覚があるが、実際には、早稲田大は試験科目が国立大学に比べてずっと少ないし、試験の出題傾向も国立大学と違って少々くせがあったので、真面目に答案を書いたとしても通ったか落ちたかはわからない。 かのウチワとアクビの松嶋みどりさんだって、『東大入試合格作戦』に正直に早稲田大は落ちたと書いていたわけで、東大に通る人でも早稲田大に落ちるということはよくあることで、落ちたとしても特別に恥でもないしするのだが、白紙で出してきたのだから、落ちて当然で、落ちてもショックでも何でもなく、むしろ、早稲田みたいなもん、行かされなくてよかったあ~あ、とほっとしたものだ。 そして、願書を出させる時には、「あくまで、練習のために受けたらどうや」としつこいしつこいしつこいしつこいで願書を出させて、いったん、願書を出すと、今度は「早稲田は通ったら行くべきやで」とか言い出すというのは、このおっさん、いったい何なんだ! と思ったが、その時点ではまだ気づいていなかったが、私の父はもともとそういうおっさんだったのだった。
父は、そのうち、はっきりと言い出した。 「あんたは、どこでも行けるような点数をとりなさい。 そしたら、わしが、どこにせえいうて決めたるわ」と。 さらに、その後、東大の試験に落ちてしまって、いやいや、慶應大に行かされてしまった後、「結婚でもそうやで。 わしいみたいな、世の中のことは何でも何でも知ってる、百戦練磨、海千山千、えらいえらいえらいえらい、キリストか聖徳太子かヒットラー総統のようにえらいえらいえらいえらい人間に、決めてもらうもんや。 そやろ。それが誰のためにも一番ええことなんや。そやからやなあ。 あんたは、この女とつきおうてええかいなあと思うたら、つきあう前にわしいの所に連れていらっしゃい。そしたら、この女はええ~え! とか、あかん~ん! とか言うて決めたるわ。 もしくは、つきあう前に、何人か、女を用意しなさい。何人か女を用意してわしいの所に連れていらっしゃい。 そしたら、わしいが、こいつがええ~え、こいつにせええ! 言うて決めたるわ。 もし、そん中にええのがおらんかったら、みんな、あか~ん、て言うたるから、そしたら、あんたは、また、何人か女を連れてきなさい。そうやって、わしが決めたる」と言い出したので、「決めていらんけど」と言うと、「何を言うとるんや。何を! 甘ったれるなよ、チャンコロ! おまえはチャンコロやねんぞ。わしとおまえとは民族が違うねんぞ、おまえはチャンコロの民族、わしはドイツ人の民族やねんぞ。 わしとお前とは人間としての階級が違うねんぞ。 わしは人を支配する階級、あんたは支配される階級として神さまから作られた人間やねんぞ。 階級の違いを忘れてはならんぞ。民族の違いを忘れるな、チャンコロ! わしのような謙虚な人間の言うことは、何でも何でも何でも何でも、どんなことでもどんなことでも、絶対服従やぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ! おまえはチャンコロやぞ、チャンコロ。わしはドイツ人やねんぞ〔⇒《YouTube―楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」 ゲルギエフ 》https://www.youtube.com/watch?v=ONfSjfTWJJU 〕、わかっとんのんか、チャンコロ! わしほど謙虚な人間はおらんねんぞ。 わしは聖人やぞ。 わしはキリストやぞ。わしは聖徳太子やぞ。わしはヒットラー総統やぞ。わしは英雄やぞお。〔⇒《YouTube―ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》 カラヤン / ベルリン・フィル 1962 》https://www.youtube.com/watch?v=zJXPnSt7wK4 〕 わかっとんのんか、おまえはチャンコロやねんぞ。おまえはイタコやぞお。おまえはロスケやぞお。おまえは支配されるための民族、おまえは統制を受けるための民族やぞお。おまえはロスケじゃ。〔⇒《YouTube―Russian Red Army Choir(赤軍合唱団) - Song of the Volga Boatmen(ヴォルガの舟唄) (1965) 》https://www.youtube.com/watch?v=8WD0WVL-HjE 〕 世の中っちゅうもんは、自分ではやらずに、人にああせえこうせえと命令する人間ばっかりでもいかんしやなあ、人から命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけでやなあ、人に命令する人間、人に統制を加える人間、人を支配する人間と人から命令される人間、人から統制を受ける人間、人に支配される人間の2種類の人間がいてこそ、世の中は成り立つわけや。 神さまは大変賢明なお方であってやなあ、すべての人間をこの2種類に分けてお造りになっているわけや。 はっきりと人間はどっちかに分かれるねん。まん中はないねん。 そんで、わしいは典型的な人を支配する人間、人に命令をする人間、人を統制する人間でやなあ、あんたあは、人に支配される人間、人に命令される人間、人から統制を受ける人間として、神さまから作られた人間やねん。 これは生まれる時点で神さまがお決めになったことであって、どんなにあがいても、絶対に変えることはできないものやねん。わかっとんのんか、チャンコロ、おまえはチャンコロやねんぞ、ちゃんころ。 そんでやなあ、神さまは大変あわれみ深い方であってやな、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっているわけや。 即ち、常に人に支配されるための人生というものを、あんたあには神さまは用意してくださっているわけや。神さまに感謝しろ! チャンコロ! ええなあ。わかっとんねんなあ。おまえはチャンコロやねんぞ。すべて、物事を決めるのはドイツ人が決めるねんぞ。 わしのようなドイツ人に何でも決められて、あんたあはチャンコロやねんから、何でもわしいに決められたことを、せえっせ、せえっせとやるのがあんたには一番の幸せなんや。わかっとんねんなあ、チャンコロ。そやからやねえ、結婚する相手も、あんたが何人か女を用意してわしの所につれてきなさい。そしたら、ドイツ人のわしが、その中から、こいつがええ~え! と決めたるわ。 わかったなあ、チャンコロ!」と何度も何度も毎日毎日、私の鼻を人差し指で指さして言っていました。 我が家はそういう家庭でした。
「階級の違いを忘れたらいかんぞ」「民族の違いを忘れるな」と言われると、言われた側としては、
「 階級の苦しみを忘れるな」・・・「不忘階級苦」
「民族の恨みを忘れるな」・・・・・「不忘民族恨」
「反逆には理由がある」・・・・・・・「造反有理」
「革命は無罪だ」・・・・・・・・・・・・・「革命無罪」
とでも言いたくなってくるのですが、なんか、そういう家庭だったのです。我が家は。
だいたい、「つきあう前に、女をわしのところにつれていらっしゃい」とか言われても、普通、つきあった上で、結婚しようということになった場合なら、男でも女でも相手の親に会いに行くでしょうけれども、つきあってもいない相手に、親に会いに来てくれと言われても、「なんでやのお~ん?」と、普通はなるのじゃないかと思うのだが、なんか、そういうおっさんでした、うちの父親は。
高校の3年の時、なんとか現役で通りたいと思っていたところ、父が「浪人した人間の方が社会で役にたつ。 浪人した方がええ」と私に言ってきたので、普通、そんなこと、高校3年生に言うかなあ・・・と思ったものですが、高校を卒業する年に東大を落ちたところ、今度は、あんたが浪人したおかげでやなあ、その1年間の生活費が・・で、二重に受けることになる受験の願書代が・・で、東京の大学を受けるための交通費が・・で、ホテル代が・・で、願書を出す時の封筒代が・・で、切手代が・・で、それから、予備校に払うカネが・・で、それから、・・・・と、それからと」と電卓もちだして計算をはじめ、「電卓、でんたっくう、デンタック、でんたっくう、デンタク、電卓、でんたく、デンタク」と毎日、言うようになりました。 そして、「高校は義務教育と違うんやから、あんたが高校行ったのは、余計や。 おまえは、高校行ったのは余計じゃ! おまえみたいなもん、高校行かんでええんじゃ。 おまえは、高校行く必要のない人間じゃ! クズカス人間は高校行くのは余計じゃ!」と、毎日毎日言うようになりました。
「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたとともに、「うちは大学院なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日何度も何度も鼻の頭を指さされて言われてきました。 「ちゃんちゃんころころちゃんころころ」と。 慶應大の学生相談室に行って、大学院について質問したこともあります。日本育英会奨学金は、成績と親の年収で支給されるかどうか決まりますが、高校・大学の場合、主に親の年収で支給されるかどうかが決まるのに対し、大学院の場合は、ほぼ成績だけで支給されるかどうか決まり、親の年収は関係ないと聞きました。それも話しましたが、母は「これまで、育てるのにお金がかかってるでしょ。大学卒業したらすぐに働いてそれを返してもらわんといかんでしょ。大学院なんて、そんなもん、絶対に行かせてたまるかあ」と言いました。
毎日毎日、このように言われてきて、その文句が今も耳鳴りのように聞こえます。 ですから、そう言われてきた人間からしますと、ポ~ンダイの建築学科みたいなもん、あつかましくも行ったようなヤツ、ちょっと、頭おかしいのと違うのかあ、と思いますし、ましてや、ポン大みたいなもん、行ったような甘ったれたヤツが、なんで、大学院なんて、行くんだあ、いっぺん、精神科の診察うけた方がええのとちゃうかあ~あ。 いっぺん、入院した方がええやろ、間違いなく。 ポン大の人間なんぞ、義務教育であろうがなかろうが、小学校行く必要ないやろ。 なんで、そんなもん、小学校行ったんやあ。ポン大の人間が小学校行くのは余計じゃ! と考えるべきと違うのかあ~あ・・という気になりますね。 なんで、ポン大の建築学科なんてものに行くのか。なんで、ポン大の建築学科なんぞ行くようなウルトラ甘ったれたヤツが大学院なんて行くのか。 義務教育であろうがなかろうが、そんなヤツ、小学校行ったのは余計じゃ、と思いますね。 なんで、この白江とかいうおっさん、小学校行ったのでしょう。 行かなくていいでしょ、ポン大なんか行くようなクズのカスのカスカスカスは!
そう思うと、金沢駅東口のドームも鼓門も、議論する必要なし。 論外。 ということで、腹立つだけなので、金沢駅東口については、これでおしまい。
インターネットで検索すると、《tenki.jp-世界で最も美しい駅14選に国内で唯一選ばれた「金沢駅」。鼓門のおもてなし力.》 http://www.tenki.jp/suppl/m_nakamura/2015/05/16/3921.htmlに、≪ この鼓門には米松の構造材が使われており、≫と書かれており、《ねとらぼ 世界で最も美しい14選に国内で唯一選ばれた「金沢駅」。鼓門のおもてなし力》http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1505/18/news032.html にも同じ文章があります。 2つに書かれているから信用できるかというと、そういう問題ではなく、ネタ元は同じだということでしょう。 こういうところで集成材に使われるというのは、米松が使われる可能性は小さくないので、たぶん、そうなのでしょう。
まあ、ポン大卒のおっさんが、えらそうに大学院なんか行きやがってからにとか、そういうところは、腹立つだけですし、私立大学しか行けない人間が、何もカネのかかる工学部なんか行かなくていいじゃないかと我が家なら考えますが、ポン大なんか行くような人はそう考えないようですし、又、「コストと利益を比較衡量して考える」ならば、建築業界の場合は、建築学科卒と社会科学系学部卒では、本来は、どちらが上でも下でもないはずですし、両方の人間が会社という所には必要なはずなのですが、どうも、建築業界では、建築学科卒の人間が大きな顔をするような面があり、これは、病院に勤めるなら、医学部を出て医者として勤めないと、それ以外の学部を卒業した者が病院なんか勤めたらあほくさい、というのと似たところがります。 だから、「コストと利益を比較考量して」、学費の高い私立大学の、さらに学費の高い工学部・理工学部に行かせてもらったということは大金持ちの息子だったのでしょうけれども、貧乏人も含めて市民の税金からなる金沢市の会計から出したカネでこういう工事の設計をして儲けるなら、「元とれた」ということになるのかもしれません。
それから、白江建築研究所 のホームページhttp://www.shirae-associates.com/ を見て思ったのだが、だいたい、日本人が日本人に見せるためのホームページに、なんで、「PROFILE」とか「THOUGHTS」「WORKS」「SOLUTION」とかタイトルだけ英語で書かなあかんねん。 アホちゃうか。 どうも、「建築家」とか「建築事務所」「設計事務所」とか名のると、タイトルだけ英語で書きたくなるらしいが。なぜ、「タイトルだけ」かというと、本文を英語で書くだけの英語力はないからだ。(本文を英語で書ける英語力があったら、ポン大やのうて、せめて、どこか国立大学に通ってるだろ) かつ、なぜ、フランス語とかドイツ語とかイタリア語とかスペイン語とかロシア語とかデンマーク語とか、あるいは中国語とかタイ語とかアラビア語とかじゃないかというと、「タイトルだけ」外国語で書くことができるのは、英語くらいだからだ。 まあ、そんなとこだろ。 そういうしょーもないことはやめた方がええと思うぞ・・・と私は思う・・・・が、そういうしょーもないことをやりたがる、自称「建築家」「デザイナー」とかいうヤツが多い。
【2】 で、金沢駅の西口(北西側)も、けっこう屋根というのか軒というのかがあります。 ↓
その前のロータリーが↓
【3】 こういった軒の長い建物というのは、金沢駅だけではない。
どこで見たかというと、金沢大病院(金沢市宝町)の建物が、↓

私は、金沢には、今回、初めて行きましたし、今回の訪問日は晴天で、雪が降るような季節ではなかったわけで、冬の金沢にいたことがないのですが、こういう軒の相当深い建物が作られるというのは、これは、冬場の積雪が半端じゃないということなのでしょうか。 軒の深い建物にしておかないと、積雪で歩けなくなってしまうということなのでしょうか。 それを確かめるために、冬場に行ってみたいような気もしますが、温暖地の生まれの者がうかつに寒冷地積雪地に冬場に行かない方がいいでしょうか。 2000年8月、ロシア連邦イルクーツク州イルクーツクに行った時、日本よりちょっと涼しいというくらいで、朝晩は長袖が欲しいかなというくらいで快適でしたが、それは8月に行くからで、バイカル湖に近いイルクーツクはシベリアではまだしも暖かい方で、冬場の平均気温はマイナス15度、冷凍冷蔵庫の上の方(冷蔵の下の方ではなく冷凍の上の方)の温度くらいだという話なので、平均気温マイナス15度なんてところへは行ってみたいようなみたくないような・・・・。 そこまでのものではないとしても、温暖地の生まれの者にとっては、寒冷地積雪地の冬は一度は経験してみた方がいいのかもしれないが、「なめたらいかんぜよ」てことになってしまわないか・・・・・という心配も。
【4】 ↓ は、金沢駅構内の郵便ポストなのですが、最初、え、何これ? と思いました。
最近、交番がけっこうデザインに凝ったものがありますが、交番というものは、本来、少なくとも、たてまえとしては、市民の緊急事態のための存在ですから、もしも、暴漢に襲われた・・といった場合に交番にかけこめば・・・、なおさら、警察官に苛められるからやめた方がいい? かもしれないが、たてまえとしては、交番はそういう際に市民を助けるための施設・機関ということになっていたような気がしますので、凝ったデザインの外観ではなく、パトカーが見てすぐパトカーだとわかる外観をしているのと同じく、交番も外観は誰もがすぐに交番だとわかる外観にするべきではないか。郵便ポストも、見ただけで、これは郵便ポストだと誰もが認識できる外観にするべきではないか。 これでは、はたして、ここに投函していいのかどうか、迷う人が出てくるのではないでしょうか。
【5】 さて、金沢駅を出て近江町市場の方へ歩いて行くと、道端に↓ なんてのがありました。
↑ 「街角彫刻」の入選作だという説明書きがありましたが、これって、「彫刻」なのだろうかと、ふと考えました。
この作品がいいとか悪いとかいう問題ではありません。 「彫刻」というものは、すばらしいデザインを考案する頭とともに、木なり石なりを彫刻刀とかノミとかで刻み削り彫りしていって求める形にする能力が発揮され、その2つによって作品ができたものが「彫刻」じゃなかったか、という気がしたのです。 ↑は、造形の発想の能力は発揮されたかもしれませんが、鉄鋼でこのような形を作ったのは、作成者ではなく、鉄の工場だと思うのです。 そう考えると、これは、芸術作品としていいか悪いかという問題ではなく、「彫刻」とは別のものではないのか。 ふと、そんなことを考えました。
【6】 ↓ 金沢暮らしの博物館(金沢市飛梅町)

※ 金沢暮らしの博物館HP http://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/
≪ 明治32年(1899)に「石川県第二中学校」(通称・金沢二中)の校舎として建てられた木造校舎を活用した博物館≫(同館HP)だそうです。
【7】 ↓ 泉鏡花記念館(金沢市下新町 ) 左側の建物。

※ 泉鏡花記念館HP http://www.kanazawa-museum.jp/kyoka/index2.html
泉鏡花の≪生家跡に建てられた記念館≫らしい。 内田康夫『砂冥宮』にも、泉鏡花記念館は登場しますね。
【8】 ↓真宗大谷派 金沢別院(金沢市安江町)

※ 真宗大谷派 金沢別院HP http://www.oyama-net.jp/
(2016.10.18.)
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
金沢駅・金沢大病院・金沢暮らしの博物館 他 〔今回〕
【1】 アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』(2013.1.1. 中経出版 中経の文庫)に掲載されている金沢駅の写真2枚のうち、特に、「鼓門」の方は、斬新といえば斬新、奇抜といえば奇抜だが、グロテスク、悪趣味という感じがしないでもなかった。 で、金沢駅には東口と西口があり、北陸本線・IRいしかわ鉄道・北陸新幹線というのは富山から金沢をへて福井へと東西に走っているのに、南口と北口ではなく、東口と西口とはこれいかに、というと、金沢駅の付近では、南西から北東に走っており、南東側の入口が東口、北西側の入口を西口と言っているらしい。 ややこしいのは、高速バスだが、東京のバスタ新宿から乗った夜行バスは金沢駅では西口(北西側)に着くのだが、高速バスの発着はすべて西口かというとそうではなく、白川郷・高山方面行のバスは東口(南東側)から出る。 金沢城・兼六園・成巽閣・金沢21世紀美術館とか、主計(かずえ)茶屋町・ひがし茶屋町・にし茶屋町、それから、野村家などの武家屋敷跡とか、泉鏡花記念館も室生犀星記念館も東口側(南東側)にあり、『築地魚河岸三代目』に登場した近江町市場も東口側(南東側)、検察庁も裁判所も市役所も東口側(南東側)にあるが、西口側(北西側)はさびれているのかというとそうでもなく、石川県庁は西口側(北西側)にある。 かつて、内灘闘争がおこなわれた内灘町は、日本海沿いにあるので、当然、西口側(北西側)だが、金沢駅から内灘駅まで行く北陸鉄道浅野川線の金沢駅はJRより東口側(南東側)に駅がある。 そういえば、私が子供の頃、内灘闘争について新聞に載っていたのを見た記憶があるが、ここしばらく忘れていたが、内田康夫の浅見光彦シリーズで内灘闘争の後の話が出ていたので、思い出した。
※ 《ウィキペディア―内灘闘争》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%81%98%E9%97%98%E4%BA%89
↓の≪ 金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をモチーフにした「鼓門」≫(アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』2013.中経出版)は金沢駅のどちら側にあるのかというと、金沢城・兼六園・成巽閣・金沢21世紀美術館などががる東南側、金沢駅東口にある。
アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』では、鼓門をアップで写真に収めているので、実際以上に鼓門が強調され、実際以上に大きく見えて、グロテスクとも見えたのですが、実際に行って見ると、そうでもない。
駅を出てすぐの所には、↓のドーム、≪ 雨や雪の多い金沢で「駅を降りた人に傘を差しだすもてなしの心」を表現した、金沢駅東口広場の「もてなしドーム」。 アルミフレーム6000本、強化ガラス3019枚を使用した明るく開放的な空間だ。≫(『絶対に行きたい! 世界の現代建築』)
駅を出てすぐにあるこのドームというのか、透明屋根はここちよく、そして、鼓門はこのドームに比べるとずっと小さく、自己顕示欲が強すぎでグロテスクという感じでもありません。 『絶対に行きたい! 世界の現代建築』の写真にしても、インターネットで写真をアップしている人の写真でも、鼓門を大きくアップで写したものを載せるから、グロテスクな感じがしてくるのです。 むしろ、↑のように、透明なドームの向こうに一部分に鼓門がある、というように写せば、もしくは、その角度、視点で見れば、けっこうデザインのいい門で、グロテスクではないと思います。
鼓門ですが、木材を斜めに組んでいるのですが、その内側に何かの配管があるようで、それを隠す意味で木材を斜めに組んでデザインとして鼓にしたというもののようです。 『絶対に行きたい!世界の現代建築』(中経出版)には、≪ ドーム前に建つ木造ゲートは、金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をモチーフにした「鼓門」。 鼓形の柱に緩やかなカーブを描く格子状の屋根がかかり、木材は強度や耐久性に優れた大断面集成材を用いている。 ≫と書かれているのですが、木材はあくまで斜めの「格子」の部分で、これは装飾用であって構造は木造ではないと現地で見て私は思ったのですが、『絶対に行きたい! 世界の現代建築』では、「木造ゲート」「木材は強度や耐久性に優れた大断面集成材を用いている。」と書かれています。 はて。
『絶対に行きたい! 世界の現代建築』によると、
≪ 建築家 白江建築研究所
竣工 2005年
建材 アルミ合金、ガラス、木材 ≫
≪ 2014年予定の北陸新幹線の延伸を見越し、金沢駅に建設されたドーム。 駅のホームスペース増設に合わせて1988年より着工し、総工期は7年。 アルミ合金の建築物としては日本最大規模を誇る。≫
≪ 3次元の空間をもつ立体トラス構造とは?
トラスとは、三角形を基本に組んだ骨組み構造。 立体トラスは、部材を立体的に組み合わせた構造形式。 通常よりも細い部材を立体的に組むことで、曲面をもつドームなどの大空間が生み出せる。 ≫
ということで、ガラス屋根のドームの部分については、アルミ合金による立体トラスというのはわかりましたが、鼓門の部分はどうなのか。 大断面集成材を使ったというのはわかりましたが、斜めの木材がこの門を支えているのではないと思うのです。 支えるなら斜めにはしないでしょう。
↑ 鼓の斜めの木材が集成材だというのは、見ればわかります。 また、普通、こういうところで使う木材は集成材ですね。
白江建築研究所のホームページの「WORKS」の「金沢駅東広場計画」http://www.shirae-associates.com/を見ても、構造が何といったことは書かれていません。 書けばいいと思うし、書くべきだとも思いますが。
白江建築研究所というのはどういう団体なのか検索してみますと、「PROFILE」に、
≪ 白江建築研究所は、エコロジー技術や高度技術を使って 高性能で美しい建築をデザインする建築設計事務所です。 個人住宅から都市計画までの広範なプロジェクトに 取り組みながら、様々な夢を実現します。≫と書かれていますが、これでは自己紹介したことになりません。 まず、誰が所属しているのか、所長は何という人間なのか、所長は何年にどこで生まれて、どこの大学の何学部を卒業したのか、大学院には行ったのか学部卒なのか、その後、どういう所に勤めて、どういう仕事をしてきたのか、資格はどのようなものを持っているのか、所長以外の構成員は誰がいて、それぞれ、何年どこ生まれで、何大学の何学部卒でどういう仕事をしてきた人間なのか、資格は何を持っているのかといったことを書かないと「PROFILE」を書いたことになりません。
白江建築研究所のHPの「PROFILE」に、なんで、学歴の欄がないか、インターネットでさらに検索してるうちに、わかった! 会社でも、株主あての重役紹介とかで、学歴の欄がある会社とない会社があるでしょ。 な~んでか? ・・・・(答え)オーナー企業で、社長とか社長の息子とかが、高卒かあんまりええ大学でてない会社は「学歴」の欄がない。 東大・京大か慶應・早稲田卒の社長・社長の息子の会社は「学歴」の欄がある。 そういうこと!
で、《ウィキペディア―白江龍三》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B1%9F%E9%BE%8D%E4%B8%89 を見ると、
1952年、埼玉県生まれ。
白江建築研究所主宰。
日本大学理工学部建築学科卒業、同大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1998年〜2003年、前橋工科大学非常勤講師。 2000年、日本大学理工学部非常勤講師。2005年から前橋工科大学大学院非常勤講師就任。 ・・・・
!!! なんじゃ、ポン大か~い!!! てことだ。 だから、ホームページに学歴の欄がないのだ・・・、な♪ そんなもんだ。
たいそうなもん、作ってからに、ポン大かい、このおっさ~ん!!! ということなんだわ。
1952年生まれというと、年齢は私よりも年上だけれども、それほどかわらない。 私なんか、高校卒業する頃、「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。 甘ったれなさんな」と父は言っていた。 「国立大学なら、何学部でも学費は同じのはずや」と私は言ったのですが、母は「絶対に国立大学に通るとは限らないでしょうよ。 落ちたら私立に行かないといけませんでしょ。 私立の工学部なんか、なんで、行かさないけませんの。甘ったれなさんな、あんた」と言った。 父は「てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ」「木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ~あ! とってちってたあ~あ! 会社のために、死ぬほど働く、会社のために死んでもはたら~く! とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、一億火のたまあ~あ! 欲しがりません、勝つまでは! ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ~あ!」と、毎日毎日、私に言っていました。 それでいて、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい仕事につけるようにと思って小さい頃から無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていました。そんなことを子どもの頃から聞かされてきたので、そういうものだと嘘を信じてしまい、無い夢を追っていました。高校の3年の時、どうも、「文科」でも文学部には行かせたくないようだと感じ、ともかく、家を出ることが大事で、家を離れて暮らせば、大学に入学してから転部なり何なりできるだろうと考え、経済学部と法学部法律学科と法学部政治学科なら、政治学科と経済学部はその時代の政治の影響をもろに受けるし、特に、経済学部は、マルクス経済学を学び、人民の盾となって浅間山荘に立てこもるのか、それとも、近代経済学を学び、ピーナツ・ピーシズとか言ってえげつない商売をしてトルストイの『イワンのバカとその2人の兄弟とおしの妹の話』に出て来る2番目の兄の商人でほてい腹のタラースみたいになるのかというと、どちらも気が進まないと思ったので、法律学科ならその時の政治の流れをモロには受けないだろうと考えて、それで、法学部でということに話をしていたはずが、ある時、父が私に無断で神戸大の経済学部の願書をとってきて、「はい」と言って私につきつけたので、「何ですか、これは」と言うと、「とってきてやってやってやってやってやったったんやないか」と言ったことがありました。 北野高校の模擬試験で1回目の時、あと少しで京大に合格圏という成績だったのですが、「あと少しで」というのは、簡単そうで必ずしも簡単と言えるものでもないのですが、高校3年の時の担任の先生との親子懇談の時、父が「あと少しで京大に合格できる点数ということは、神戸大ならまず通ると考えてよろしいかなあ」と言い出したので、担任のOは父がその時に言った意味を理解せず、「いや、そんなことないですよ。 仮に、京大なら通った人4人、落ちた人6人というくらいの成績だったとして、阪大なら絶対通るか、神戸大なら絶対通るかというと、そんなものじゃないですよ。 京大なら通った人4人、落ちた人6人というくらいの成績でも、せいぜい、阪大なら通った人5人、落ちた人5人、神戸大なら通った人6人、落ちた人4人というくらいのものでしょう。」と言い、「こう言うと、たいていの生徒は、それなら、京大にするわ、と言うのですが」と話した。 それを父は聞いていたはずで、そのやり取りに納得していたはずであり、神戸大などという名前は私と担任と父との間でまったく出ていなかったにもかかわらず、私に一言も断りなく、無断で神戸大の、しかも、まったく話に出ていなかった経済学部の願書を取得してきて、そして、何の説明もなく、「はい、これ、あんたあ」と言ってつきつけたのです。そういう家でした。我が家は。
さらに、高校3年の1月の後半になって、父は突然、「練習のために、早稲田でも受けてみたらどうや」と言い出し、「今、勉強時間が少しでも欲しい時だから、そんな『練習のために』なんか受けることない」と私が言うにもかかわらず、「受けた方がええで、練習のために、練習のために」としつこいしつこいしつこいしつこいので、もういいかげんうるさい為、受ければそれで納得するのなら受ければいいだろうと思って早稲田大の法学部に願書を出したところ、今度は、「早稲田は通ったら行くべきやで」と、これも突然に言い出したので、ふざけんな! と思い、そして、もし、通ったら行かされてしまう。早稲田みたいなもん、行かされてたまるか! と思って、氏名と受験番号だけ書いて白紙で答案を出してきたので、当然、早稲田は落ちた。 そりぁ、落ちるわなあ。 関西の高校の人間は、東大は評価するが、早稲田は「早稲田みたいなも~ん」という感覚があるが、実際には、早稲田大は試験科目が国立大学に比べてずっと少ないし、試験の出題傾向も国立大学と違って少々くせがあったので、真面目に答案を書いたとしても通ったか落ちたかはわからない。 かのウチワとアクビの松嶋みどりさんだって、『東大入試合格作戦』に正直に早稲田大は落ちたと書いていたわけで、東大に通る人でも早稲田大に落ちるということはよくあることで、落ちたとしても特別に恥でもないしするのだが、白紙で出してきたのだから、落ちて当然で、落ちてもショックでも何でもなく、むしろ、早稲田みたいなもん、行かされなくてよかったあ~あ、とほっとしたものだ。 そして、願書を出させる時には、「あくまで、練習のために受けたらどうや」としつこいしつこいしつこいしつこいで願書を出させて、いったん、願書を出すと、今度は「早稲田は通ったら行くべきやで」とか言い出すというのは、このおっさん、いったい何なんだ! と思ったが、その時点ではまだ気づいていなかったが、私の父はもともとそういうおっさんだったのだった。
父は、そのうち、はっきりと言い出した。 「あんたは、どこでも行けるような点数をとりなさい。 そしたら、わしが、どこにせえいうて決めたるわ」と。 さらに、その後、東大の試験に落ちてしまって、いやいや、慶應大に行かされてしまった後、「結婚でもそうやで。 わしいみたいな、世の中のことは何でも何でも知ってる、百戦練磨、海千山千、えらいえらいえらいえらい、キリストか聖徳太子かヒットラー総統のようにえらいえらいえらいえらい人間に、決めてもらうもんや。 そやろ。それが誰のためにも一番ええことなんや。そやからやなあ。 あんたは、この女とつきおうてええかいなあと思うたら、つきあう前にわしいの所に連れていらっしゃい。そしたら、この女はええ~え! とか、あかん~ん! とか言うて決めたるわ。 もしくは、つきあう前に、何人か、女を用意しなさい。何人か女を用意してわしいの所に連れていらっしゃい。 そしたら、わしいが、こいつがええ~え、こいつにせええ! 言うて決めたるわ。 もし、そん中にええのがおらんかったら、みんな、あか~ん、て言うたるから、そしたら、あんたは、また、何人か女を連れてきなさい。そうやって、わしが決めたる」と言い出したので、「決めていらんけど」と言うと、「何を言うとるんや。何を! 甘ったれるなよ、チャンコロ! おまえはチャンコロやねんぞ。わしとおまえとは民族が違うねんぞ、おまえはチャンコロの民族、わしはドイツ人の民族やねんぞ。 わしとお前とは人間としての階級が違うねんぞ。 わしは人を支配する階級、あんたは支配される階級として神さまから作られた人間やねんぞ。 階級の違いを忘れてはならんぞ。民族の違いを忘れるな、チャンコロ! わしのような謙虚な人間の言うことは、何でも何でも何でも何でも、どんなことでもどんなことでも、絶対服従やぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ! おまえはチャンコロやぞ、チャンコロ。わしはドイツ人やねんぞ〔⇒《YouTube―楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」 ゲルギエフ 》https://www.youtube.com/watch?v=ONfSjfTWJJU 〕、わかっとんのんか、チャンコロ! わしほど謙虚な人間はおらんねんぞ。 わしは聖人やぞ。 わしはキリストやぞ。わしは聖徳太子やぞ。わしはヒットラー総統やぞ。わしは英雄やぞお。〔⇒《YouTube―ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》 カラヤン / ベルリン・フィル 1962 》https://www.youtube.com/watch?v=zJXPnSt7wK4 〕 わかっとんのんか、おまえはチャンコロやねんぞ。おまえはイタコやぞお。おまえはロスケやぞお。おまえは支配されるための民族、おまえは統制を受けるための民族やぞお。おまえはロスケじゃ。〔⇒《YouTube―Russian Red Army Choir(赤軍合唱団) - Song of the Volga Boatmen(ヴォルガの舟唄) (1965) 》https://www.youtube.com/watch?v=8WD0WVL-HjE 〕 世の中っちゅうもんは、自分ではやらずに、人にああせえこうせえと命令する人間ばっかりでもいかんしやなあ、人から命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけでやなあ、人に命令する人間、人に統制を加える人間、人を支配する人間と人から命令される人間、人から統制を受ける人間、人に支配される人間の2種類の人間がいてこそ、世の中は成り立つわけや。 神さまは大変賢明なお方であってやなあ、すべての人間をこの2種類に分けてお造りになっているわけや。 はっきりと人間はどっちかに分かれるねん。まん中はないねん。 そんで、わしいは典型的な人を支配する人間、人に命令をする人間、人を統制する人間でやなあ、あんたあは、人に支配される人間、人に命令される人間、人から統制を受ける人間として、神さまから作られた人間やねん。 これは生まれる時点で神さまがお決めになったことであって、どんなにあがいても、絶対に変えることはできないものやねん。わかっとんのんか、チャンコロ、おまえはチャンコロやねんぞ、ちゃんころ。 そんでやなあ、神さまは大変あわれみ深い方であってやな、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっているわけや。 即ち、常に人に支配されるための人生というものを、あんたあには神さまは用意してくださっているわけや。神さまに感謝しろ! チャンコロ! ええなあ。わかっとんねんなあ。おまえはチャンコロやねんぞ。すべて、物事を決めるのはドイツ人が決めるねんぞ。 わしのようなドイツ人に何でも決められて、あんたあはチャンコロやねんから、何でもわしいに決められたことを、せえっせ、せえっせとやるのがあんたには一番の幸せなんや。わかっとんねんなあ、チャンコロ。そやからやねえ、結婚する相手も、あんたが何人か女を用意してわしの所につれてきなさい。そしたら、ドイツ人のわしが、その中から、こいつがええ~え! と決めたるわ。 わかったなあ、チャンコロ!」と何度も何度も毎日毎日、私の鼻を人差し指で指さして言っていました。 我が家はそういう家庭でした。
「階級の違いを忘れたらいかんぞ」「民族の違いを忘れるな」と言われると、言われた側としては、
「 階級の苦しみを忘れるな」・・・「不忘階級苦」
「民族の恨みを忘れるな」・・・・・「不忘民族恨」
「反逆には理由がある」・・・・・・・「造反有理」
「革命は無罪だ」・・・・・・・・・・・・・「革命無罪」
とでも言いたくなってくるのですが、なんか、そういう家庭だったのです。我が家は。
だいたい、「つきあう前に、女をわしのところにつれていらっしゃい」とか言われても、普通、つきあった上で、結婚しようということになった場合なら、男でも女でも相手の親に会いに行くでしょうけれども、つきあってもいない相手に、親に会いに来てくれと言われても、「なんでやのお~ん?」と、普通はなるのじゃないかと思うのだが、なんか、そういうおっさんでした、うちの父親は。
高校の3年の時、なんとか現役で通りたいと思っていたところ、父が「浪人した人間の方が社会で役にたつ。 浪人した方がええ」と私に言ってきたので、普通、そんなこと、高校3年生に言うかなあ・・・と思ったものですが、高校を卒業する年に東大を落ちたところ、今度は、あんたが浪人したおかげでやなあ、その1年間の生活費が・・で、二重に受けることになる受験の願書代が・・で、東京の大学を受けるための交通費が・・で、ホテル代が・・で、願書を出す時の封筒代が・・で、切手代が・・で、それから、予備校に払うカネが・・で、それから、・・・・と、それからと」と電卓もちだして計算をはじめ、「電卓、でんたっくう、デンタック、でんたっくう、デンタク、電卓、でんたく、デンタク」と毎日、言うようになりました。 そして、「高校は義務教育と違うんやから、あんたが高校行ったのは、余計や。 おまえは、高校行ったのは余計じゃ! おまえみたいなもん、高校行かんでええんじゃ。 おまえは、高校行く必要のない人間じゃ! クズカス人間は高校行くのは余計じゃ!」と、毎日毎日言うようになりました。
「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたとともに、「うちは大学院なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日何度も何度も鼻の頭を指さされて言われてきました。 「ちゃんちゃんころころちゃんころころ」と。 慶應大の学生相談室に行って、大学院について質問したこともあります。日本育英会奨学金は、成績と親の年収で支給されるかどうか決まりますが、高校・大学の場合、主に親の年収で支給されるかどうかが決まるのに対し、大学院の場合は、ほぼ成績だけで支給されるかどうか決まり、親の年収は関係ないと聞きました。それも話しましたが、母は「これまで、育てるのにお金がかかってるでしょ。大学卒業したらすぐに働いてそれを返してもらわんといかんでしょ。大学院なんて、そんなもん、絶対に行かせてたまるかあ」と言いました。
毎日毎日、このように言われてきて、その文句が今も耳鳴りのように聞こえます。 ですから、そう言われてきた人間からしますと、ポ~ンダイの建築学科みたいなもん、あつかましくも行ったようなヤツ、ちょっと、頭おかしいのと違うのかあ、と思いますし、ましてや、ポン大みたいなもん、行ったような甘ったれたヤツが、なんで、大学院なんて、行くんだあ、いっぺん、精神科の診察うけた方がええのとちゃうかあ~あ。 いっぺん、入院した方がええやろ、間違いなく。 ポン大の人間なんぞ、義務教育であろうがなかろうが、小学校行く必要ないやろ。 なんで、そんなもん、小学校行ったんやあ。ポン大の人間が小学校行くのは余計じゃ! と考えるべきと違うのかあ~あ・・という気になりますね。 なんで、ポン大の建築学科なんてものに行くのか。なんで、ポン大の建築学科なんぞ行くようなウルトラ甘ったれたヤツが大学院なんて行くのか。 義務教育であろうがなかろうが、そんなヤツ、小学校行ったのは余計じゃ、と思いますね。 なんで、この白江とかいうおっさん、小学校行ったのでしょう。 行かなくていいでしょ、ポン大なんか行くようなクズのカスのカスカスカスは!
そう思うと、金沢駅東口のドームも鼓門も、議論する必要なし。 論外。 ということで、腹立つだけなので、金沢駅東口については、これでおしまい。
インターネットで検索すると、《tenki.jp-世界で最も美しい駅14選に国内で唯一選ばれた「金沢駅」。鼓門のおもてなし力.》 http://www.tenki.jp/suppl/m_nakamura/2015/05/16/3921.htmlに、≪ この鼓門には米松の構造材が使われており、≫と書かれており、《ねとらぼ 世界で最も美しい14選に国内で唯一選ばれた「金沢駅」。鼓門のおもてなし力》http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1505/18/news032.html にも同じ文章があります。 2つに書かれているから信用できるかというと、そういう問題ではなく、ネタ元は同じだということでしょう。 こういうところで集成材に使われるというのは、米松が使われる可能性は小さくないので、たぶん、そうなのでしょう。
まあ、ポン大卒のおっさんが、えらそうに大学院なんか行きやがってからにとか、そういうところは、腹立つだけですし、私立大学しか行けない人間が、何もカネのかかる工学部なんか行かなくていいじゃないかと我が家なら考えますが、ポン大なんか行くような人はそう考えないようですし、又、「コストと利益を比較衡量して考える」ならば、建築業界の場合は、建築学科卒と社会科学系学部卒では、本来は、どちらが上でも下でもないはずですし、両方の人間が会社という所には必要なはずなのですが、どうも、建築業界では、建築学科卒の人間が大きな顔をするような面があり、これは、病院に勤めるなら、医学部を出て医者として勤めないと、それ以外の学部を卒業した者が病院なんか勤めたらあほくさい、というのと似たところがります。 だから、「コストと利益を比較考量して」、学費の高い私立大学の、さらに学費の高い工学部・理工学部に行かせてもらったということは大金持ちの息子だったのでしょうけれども、貧乏人も含めて市民の税金からなる金沢市の会計から出したカネでこういう工事の設計をして儲けるなら、「元とれた」ということになるのかもしれません。
それから、白江建築研究所 のホームページhttp://www.shirae-associates.com/ を見て思ったのだが、だいたい、日本人が日本人に見せるためのホームページに、なんで、「PROFILE」とか「THOUGHTS」「WORKS」「SOLUTION」とかタイトルだけ英語で書かなあかんねん。 アホちゃうか。 どうも、「建築家」とか「建築事務所」「設計事務所」とか名のると、タイトルだけ英語で書きたくなるらしいが。なぜ、「タイトルだけ」かというと、本文を英語で書くだけの英語力はないからだ。(本文を英語で書ける英語力があったら、ポン大やのうて、せめて、どこか国立大学に通ってるだろ) かつ、なぜ、フランス語とかドイツ語とかイタリア語とかスペイン語とかロシア語とかデンマーク語とか、あるいは中国語とかタイ語とかアラビア語とかじゃないかというと、「タイトルだけ」外国語で書くことができるのは、英語くらいだからだ。 まあ、そんなとこだろ。 そういうしょーもないことはやめた方がええと思うぞ・・・と私は思う・・・・が、そういうしょーもないことをやりたがる、自称「建築家」「デザイナー」とかいうヤツが多い。
【2】 で、金沢駅の西口(北西側)も、けっこう屋根というのか軒というのかがあります。 ↓
その前のロータリーが↓
【3】 こういった軒の長い建物というのは、金沢駅だけではない。
どこで見たかというと、金沢大病院(金沢市宝町)の建物が、↓
私は、金沢には、今回、初めて行きましたし、今回の訪問日は晴天で、雪が降るような季節ではなかったわけで、冬の金沢にいたことがないのですが、こういう軒の相当深い建物が作られるというのは、これは、冬場の積雪が半端じゃないということなのでしょうか。 軒の深い建物にしておかないと、積雪で歩けなくなってしまうということなのでしょうか。 それを確かめるために、冬場に行ってみたいような気もしますが、温暖地の生まれの者がうかつに寒冷地積雪地に冬場に行かない方がいいでしょうか。 2000年8月、ロシア連邦イルクーツク州イルクーツクに行った時、日本よりちょっと涼しいというくらいで、朝晩は長袖が欲しいかなというくらいで快適でしたが、それは8月に行くからで、バイカル湖に近いイルクーツクはシベリアではまだしも暖かい方で、冬場の平均気温はマイナス15度、冷凍冷蔵庫の上の方(冷蔵の下の方ではなく冷凍の上の方)の温度くらいだという話なので、平均気温マイナス15度なんてところへは行ってみたいようなみたくないような・・・・。 そこまでのものではないとしても、温暖地の生まれの者にとっては、寒冷地積雪地の冬は一度は経験してみた方がいいのかもしれないが、「なめたらいかんぜよ」てことになってしまわないか・・・・・という心配も。
【4】 ↓ は、金沢駅構内の郵便ポストなのですが、最初、え、何これ? と思いました。
最近、交番がけっこうデザインに凝ったものがありますが、交番というものは、本来、少なくとも、たてまえとしては、市民の緊急事態のための存在ですから、もしも、暴漢に襲われた・・といった場合に交番にかけこめば・・・、なおさら、警察官に苛められるからやめた方がいい? かもしれないが、たてまえとしては、交番はそういう際に市民を助けるための施設・機関ということになっていたような気がしますので、凝ったデザインの外観ではなく、パトカーが見てすぐパトカーだとわかる外観をしているのと同じく、交番も外観は誰もがすぐに交番だとわかる外観にするべきではないか。郵便ポストも、見ただけで、これは郵便ポストだと誰もが認識できる外観にするべきではないか。 これでは、はたして、ここに投函していいのかどうか、迷う人が出てくるのではないでしょうか。
【5】 さて、金沢駅を出て近江町市場の方へ歩いて行くと、道端に↓ なんてのがありました。
↑ 「街角彫刻」の入選作だという説明書きがありましたが、これって、「彫刻」なのだろうかと、ふと考えました。
この作品がいいとか悪いとかいう問題ではありません。 「彫刻」というものは、すばらしいデザインを考案する頭とともに、木なり石なりを彫刻刀とかノミとかで刻み削り彫りしていって求める形にする能力が発揮され、その2つによって作品ができたものが「彫刻」じゃなかったか、という気がしたのです。 ↑は、造形の発想の能力は発揮されたかもしれませんが、鉄鋼でこのような形を作ったのは、作成者ではなく、鉄の工場だと思うのです。 そう考えると、これは、芸術作品としていいか悪いかという問題ではなく、「彫刻」とは別のものではないのか。 ふと、そんなことを考えました。
【6】 ↓ 金沢暮らしの博物館(金沢市飛梅町)
※ 金沢暮らしの博物館HP http://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/
≪ 明治32年(1899)に「石川県第二中学校」(通称・金沢二中)の校舎として建てられた木造校舎を活用した博物館≫(同館HP)だそうです。
【7】 ↓ 泉鏡花記念館(金沢市下新町 ) 左側の建物。
※ 泉鏡花記念館HP http://www.kanazawa-museum.jp/kyoka/index2.html
泉鏡花の≪生家跡に建てられた記念館≫らしい。 内田康夫『砂冥宮』にも、泉鏡花記念館は登場しますね。
【8】 ↓真宗大谷派 金沢別院(金沢市安江町)
※ 真宗大谷派 金沢別院HP http://www.oyama-net.jp/
(2016.10.18.)
☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
金沢駅・金沢大病院・金沢暮らしの博物館 他 〔今回〕
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