洞雲院・洞雲院子安地蔵堂・素玄寺・松倉観音堂(高山市)参拝-東山遊歩道前半を歩く(4)

[第462回] 高山シリーズ第4回≪6≫
   「東山遊歩道(及び、城山周辺)」の寺社はリーフレットには、16の寺社が載っているが、国道258号がL型2つのクランクで曲がって西から東に進むそのラインよりも北東側に6つの寺社がある。
仮称「北東グループ」
(1) 雲龍寺・・・曹洞宗
(2) 久昌寺・・・曹洞宗
(3) 栄鏡院・・・曹洞宗
(4) 東山白山神社
(5) 大雄寺・・・浄土宗
(6) 洞雲院・・・浄土宗

   又、国道258号より南側でも、南北の位置で見た時、高山陣屋や市政記念館(旧市役所)と同じくらいの位置(緯度と言うとおおげさな感じがするので「位置」)にある宗猷寺までが、6寺社ある。
仮称「東グループ」
(7) 素玄寺・・・曹洞宗
(8) 東山神明神社
(9) 天照寺・・・浄土宗(←天台宗)
(10) 法華寺・・・法華宗
(11) 善応寺・・・曹洞宗
(12) 宗猷寺・・・臨済宗

   これより南、はっきりと「城山の東側」という位置にあるのが、
仮称「南東グループ」
(13) 清傳寺・・・高野山真言宗
(14) 荏名神社

   「東山」と言うよりも、「城山」の位置にあるのが、
仮称「城山グループ」
(15) 大隆寺・・・曹洞宗
(16) 照蓮寺・・・真宗

と、地域により4つに分けられるのではないかと思う。 「仮称」は誰がつけたかというと、私がここで仮につけたのだが、この4つを「北東グループ」「東グループ」「南東グループ」「城山グループ」と分けるとすると、今回、「北東グループ」と「東グループ」に訪問したことになる。 「全長約5.5㎞」ということなので、ともかく、歩いて回るだけなら、1時間ちょっとあればまわれるのではないかと思うが、寺や神社というものは、「ともかく、歩いて回る」ものではないと思うので、今回は、半分だけで終了したが、むしろ、半分では多すぎたくらいに感じた。

    さて、その「北東グループ」で5寺社を訪ねたが、あと1寺は、
東山遊歩道(6) 護法山 洞雲院(とううんいん、どううんいん)
≪ 1614年創立。 子安地蔵が祀られている。 この縁起は、天明の大飢饉によって命を落とした多くの 乳幼児を憐れみ、当寺の住職が供養したことに始まる。 ≫(『東山遊歩道』リーフレット)
   現地での案内板には、
≪ 護法山 洞雲院(ごほうざん どううんいん)
宗派 浄土宗     本尊 阿弥陀如来
慶長19年(1614) 大雄寺中興の源誉受徳上人の弟子である専宗和尚が創立した。 ・・・≫とある。
現地での説明板には「ううんいん」と「と」に濁点がついているが、『東山遊歩道』リーフレットには、「 Tounin Temple 」と書かれている。「とうにん?」。 「 u 」が1つ不足していたとすると、「ううんいん」で、この場合、「と」に濁点はないことになる。 2つで異なる読みが書かれているということは、どちらでもかまわないということ?

画像

↑ 洞雲院 本堂。 左奥が子安堂。
画像

↑  正面中央には、「浄土宗 洞雲院」と書かれています。

   ≪ この寺には子安地蔵が祀られている。 この縁起は、天明3年7月6日(1783)信州浅間山の大噴火により大凶作となり諸国に飢饉が起こった。 このため悪病が広がり、多くの乳幼児が死んだのを哀れみ、当寺 眞龍和尚が子安地蔵大菩薩を安置し供養したのに始まる。 ≫
と現地の案内板には書かれている。 その子安堂が↓か。
画像


   大雄寺とこの洞雲院との間の道を東に行くと、しばらくして国道258号に合流するが、国道258号は歩道はあるけれども、クルマの通りが多く、かつ、相当スピードを出して走っており、国道258号でも大雄寺より西側と東側でクルマの運転のしかたが大きく違うので、大雄寺・洞雲院より東に歩いて行く場合は、大雄寺と洞雲院の間の道を通った方がいいと思う。 こちらは、自動車通行禁止というわけではないが、自動車はほとんど通らないので歩行者は歩きやすい。↓
画像

↑  日の出天満神社・大八賀神社の方へ歩いて行く場合も、この道を通った方がいいと思う。

   大雄寺と洞雲院の間を東西に走る道から見た洞雲院。↓ 奥が本堂、左手前が子安堂。
画像

まっすぐ撮ったつもりで、今、見ると写真が傾いているのは、ヤフーの天気予報で見て晴天の日に行ったはずなのに、行くと雨が降り、傘をコンビニで買って持ちながら撮影したため、かつ、荷物は少な目にしたつもりで、傘をさした状態で考えると、やはり持ち過ぎていたためということがあると思う。 荷物は絶対必要でないものまで持って行くと、かえってマイナスになってしまう。 毎度、反省しても繰り返すというのは情けない。
画像

   南側の国道258号から洞雲院を見ると、↑。
国道248号は大雄寺の前より東側ではクルマの運転が荒いというのか相当スピードを出して走っており、洞雲院の南側あたりでもけっこうスピードが出ているので、洞雲院に行く場合も南側からではなく、北側から行った方がいいと思う。





   「子安」という地名はところどころにあり、昔、同級生でも「子安」という名字の男がいたが、どういう意味なのだろう、「子どもを安んずる」「子どもの安全を守る」という意味なのだろうか、と思っていたのだが、「子安地蔵」とは、《コトバンク 大辞林第三版 コトバンク 子安地蔵》 には≪ 安産をかなえるといわれる地蔵尊。子安。 ≫と出ている。
   「子安観音」なるものも存在し、《コトバンク 大辞林第三版 子安観音》https://kotobank.jp/word/%E5%AD%90%E5%AE%89%E8%A6%B3%E9%9F%B3-504982 には、≪ 安産をかなえ、幼児の無事を守るとされる観世音菩薩。子安。≫ と出ている。
   地蔵も観音も、いずれも、子供のためだけの存在ではないはずだが、特に、子供を守ってほしいという願いがこもったものが子安地蔵・子安観音なのだろう。

   30代までは、「水子」や亡くなった子供というのは私には関係ないと思っていた。しかし、それ以後になると、少々、感じ方が変わってきた。 中学校の時、「理科 第二分野」でだったか「保健体育」でだったか、子供は男性の精子と女性の卵子が結合することでできるということを学んだ時、それなら、精子を受精させることなく捨てるなら、それは生命を殺していることになるのだろうか、と考えたことがあった。 それなら、すべての精子を受精させるというわけにもいかないはずだが、しかし、生命の源として動いて活動しているものを殺すというのは、やはり、生命を殺すことではないのかと考えた。 精子だけで子供ができるのではなく、精子が卵子に合体することで子供ができるのだとすると、精子は活発に動くのに対し、卵子は精子のように動かないとしても、やはり、卵子も生命体ではないか。 いったん、妊娠したにもかかわらず、それを人工中絶するというのは、生命を殺すことになるということで、その女性の健康にも良いと言えないとともに、倫理的に好ましくないというのはそうであろうけれども、妊娠する前ならいいのだろうか、受精する前ならいいのだろうか、といったことを考えたことがある。
   最近、「子供手当」と称するものを、結婚できて子供もできたという人間に、まだ、ふさわしい相手と巡り合うことができず、結婚できていない男女、結婚はできたけれども、子供が欲しいと思いながらできずにいる男女が払った税金からくれてやるのが福祉だ、福利厚生だと考える人が出てきたようだ。 それはおかしいのではないか。 結婚したいと思いながら、ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる人間はどうでもいいのか。

   2011年、建築業の新華ハウジング(有)〔千葉市中央区。不動産業としては、ビルダーズジャパン(株)。他に不明業として、ジャムズグローバルスクエア(株)〕に、社長の嫁の友人だというT口 恵(女。当時、30代前半)が入社すると、本来ならT口の仕事であるものを放置して定時に帰る。 労働基準法と就業規則から考えて定時に帰って悪くないと思っているらしく、又、はっきりと「いjったい、何が悪いの」と発言したのだが、たしかに、労働基準法と就業規則から考えてT口が定時に帰ること自体は悪いことはないことになるのだが、T口がやるべき仕事をやらずに定時に帰ることにより、他の従業員が、労働基準法違反の時間外労働を無賃労働でさせられているというのは、「いったい、何が悪いの」と言われなければならない筋合いはないはずなのだ。 実際、T口にはあきれたのだ。 たとえ、他の従業員にT口の仕事を押しつけて先に帰るとかではなく、他の従業員がその従業員の担当の仕事のために、時間外まで仕事をしているというような場合でも、人よりも先に退社する者は、帰る際には、「すいません。お先、失礼します」と挨拶して帰るものだ。私が、最初に「正社員型」で勤務した、コンピュータのソフトウェアの会社T社の新卒社員研修では、最初にそう教えられた。ところが、T口は30過ぎて、帰る時に、「お先、失礼します」といった挨拶をして帰ったことが一度もない。社会人が、「か~えろ」て、そういう口をきいて帰るものだろうか。 T口は自分が担当の仕事をこなさずに、それを担当外の者に押しつけて帰っていたのである。 T口は「営業」という名目で入社したが、そんな営業があるだろうか。 営業は、ポスティング用のチラシを作ってもらったなら、それを自分が投函して、その反響を受けて来場してもらえたら、接客し、追客し、そして、契約に結びつけ、契約していただいたなら、住宅建築業なら引渡しまで無事に進行させ、その全体に対して報酬を受け取るのである。 時間としてみて労働基準法と就業規則の上から定時に帰ってもよいとしても、自分が担当の仕事をやらずに放棄して帰って良いのだろうか。 特に用事がある時に帰るのは良い。 又、時間内だけ働いて、それで、自分の仕事をこなせるのであるならば、毎日、定時に帰っても良い。 しかし、こなせていないならば、そのこなせていない仕事はどうするのか。 私は、困った人が入社してしまったものだと思い、住宅建築業の業界においてはベテランの部類に入る者として、困った新人のためを思って、無理をしてT口の担当の仕事を時間外に無賃労働でやってきた。 私にも家族の用事はあるし、他に個人としての用事もあるのだが、それでも、困った新人のためを思って、翌日などに配布期限が迫った迫ったチラシが何千枚と床の上に積み上げられていても平気で定時に帰る、「か~えろっと」と言って帰るバカ女を見て、営業の仕事を長くやってきた者として、積み上げられた何千枚のチラシを紙屑にするのはしのびないと思って、自分の担当の仕事でもないのに、時間外に無賃労働で無理をしてポスティングをしたりということをずいぶんとやってきてあげた。 しかし、T口 恵は「ありがとうございました」も「どうも、すいませんでした」も、一言として言ったことがない。 こういう人にはやってあげるとかえってよくないのではないかと思うようになった。
    そして、T口の仕事を、新華ハウジング(有)では、昼間、大工仕事をやっている工事部の人たちにも、時間外に無賃労働でさせていたのだが、T口はその人たちにも、「どうも、すいません」「申しわけありません」といった言葉を口にしたことが一度もない。 又、昼間、大工仕事をしているような人に、夕食時間以降に時間外労働、サービス残業、無賃労働でポスティングなどさせたのでは、その結果として疲れが蓄積し、そうでなければしないような怪我をすることにつながる可能性もある。 そうなると、新華ハウジング(有)の経営者は、業務上過失傷害ということになるはずだ。 もちろん、1日8時間、1週40時間の労働基準法上の労働時間制限も違反している。
    あきれたことに、T口 恵は、自分の子供が行っている千葉市の幕張の小学校でPTA役員をやったといい、会社のホームページとリンクしたブログにおいて、「PTA役員も悪くないなと思いました」などと入れて公開したのだ。 いったい、どういう神経しているのか。 T口の担当の仕事、T口がそれに対して報酬を受け取っている仕事を他の従業員が時間外労働、サービス残業、無賃労働でさせられている、当然のことながら、労働基準法と就業規則から考えれば、そういったことをする必要はないし、必要がないだけでなく、労働基準法という日本国の法律に違反するというのは日本国民として反社会的であることになるのだが、それを周囲の他の従業員にさせて、そうやって空けた時間に「PTA役員やってます」と、それをこそっとやるのならまだしも、会社のホームページとリンクさせたブログにおいて、自分自身で書いて公開した。 あきれた。 これは、もはや、ビョーキである。 そういうビョーキの人間が「営業に向いている」かというと、私は向いていないと思う。
   私もそうだが、T口が「私は子供があるんですからねえ」と言って定時に帰ったことから、T口が担当の仕事を押しつけられた新華ハウジング(有)〔千葉市。 2013年11月に倒産。〕の従業員は、T口の仕事を労基法違反で時間外に無賃労働を押しつけられたことにより、「婚活」の時間、「妊活」の時間を奪われたのである。 ところが、そうやって他の従業員の「婚活」の時間、「妊活」の時間を奪って定時に帰ったT口は、そうやって帰宅した上で、オットと性交をやって3人目をはらんだ!!!周囲の担当外の従業員が時間外無賃労働でT口の仕事をさせられて「婚活」「妊活」の時間を奪われたまさにその時間にT口 恵はオットと「妊活」やって3年目を孕んだ! びっくらこっこびっくらこっこしました。 あきれた。 どういう神経をしているのか・・・→ そういう神経をしていたようだ。 そういう状態を放置していた新華ハウジング(有)の代表者・代表取締役・社長・長谷川新二(男。当時、40代前半)は、保護義務違反でもあり、そして、当然のことながら、労働基準法違反であり、そして、管理者としての職責をこなしていないのであり、職務怠慢である。
     「子安地蔵」「子安観音」と「水子地蔵」であるが、私は、無責任に女性に孕ませて人工中絶させたことなど一度もない。 だから、水子は関係ないと思っていた。 しかし、そうではないと思うようになった。  「私は子供があるんですからねえ」と言って、自分が担当で自分がそれに対する報酬を受け取っている仕事を他の従業員に押しつけて、他の従業員に、無賃労働で時間外サービス残業をさせた女、その女の子供、その女の夫に、実質上、私がその時間に「婚活」「妊活」をやっていたならば産まれたかもしれない子供を、その女とその女の子供とその女のオットの男とに、殺されたのである。 そいつらは、私にできたかもしれない子供を殺した殺人犯なのである。
    自分と自分の子供と自分のオットさえよければいいという信念を持っている女というのは、そういう女が「営業に向いている」のかというと、世の中には、そういった超人的にあつかましいところを「営業に向いている」とか思う人もあるらしいが、私はそういう人の気持ちを理解しないアブノーマルに無神経で自分さえよければよいという協調性のない人間というのは「営業に向いていない」と判断する。
   いつからか、子安地蔵・子安観音・水子地蔵を見かけた時には、私にできていたかもしれない子供を、自分と自分の子供と自分のオットさせよければいいという信念を持った女、及び、それと同様の男に、殺されたのだ、と認識し、私にできていたかもしれない、そして、今いるかもしれない、そいつらに殺された子供のためを思って、手を合わせるようになった。 自分と自分の子供と自分のオットさえよければよいという信念を持っている鬼畜女とその子供とそのオットの男に対し、「地獄へ落ちろ!」と念じながら。 いや、「こいつらには、地獄すらも生ぬるい!」と念じながら。 

    1990年代なかばのことだが、住宅建築業の(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ において、私が在籍した営業所(住宅展示場)に営業本部長の天野隆夫が電話をしてきて、突然、何の脈絡もなく、「まだ、結婚相手決まらんのか」と言い出したことがあった。 「はい、まだです」と言ったところ、天野は何を言ったか。・・・→「男が好きなのか!」、そう言ったのだ。 創業者の初代社長の大澄賢二郎の義理の弟で営業本部長になっている天野隆夫は、いきなり、何の脈絡もなく、そう言ったのだ。
    もしも、自分の知人の女性で「適齢期」の人がおり、この人と合うのではないかと思って、会ってみないかという話をしようと思って、「まだ、結婚相手決まらんのか」と言うのなら、言って悪いことはないだろう。 しかし、そういうことでもないのに、「まだ、結婚相手決まらんのか」などとは、大きなお世話である。 「私生活介入」「プライバシー侵害」と評価される不法行為である。
   別の時、天野隆夫は、私に、「女の子は、気をつけて気をつけてしてやらないと辞めてしまうから、口のききかたに気をつけるようにしないといけない。 その点、男は何を言っても辞めないから、男には何を言ってもいいんだけどな」と、彼はそう言ったのだ。 しかし、彼は「男には何を言ってもいい」と思っているらしかったが、言っている側は「何を言ってもいい」と思っていたとしても、言われている側は何を言われてもいいとは少しも思っていない。 彼が、あんな男でも会社の上役だからと思ってずっと我慢してきたが、言われてきた側は何を言われてもいいなどとは少しも思っていない。 むしろ、天野が何を言ったかは、地獄の底まで決して忘れはしない。もとより、そんなところで、男も女も関係ない。
   天野隆夫のそういう言動を放置しているという点については、(株)一条工務店は、「保護義務違反」であり、人権侵害である。 会社として責任があることである。
   私は彼らにやられたことを決して忘れはしない。 これは、忘れまいと思って一生懸命記憶しているとかではない。 忘れようと思っても忘れられないことなのだ。
   天野隆夫はそういった発言をすることを「営業本部長の権利」のように思っていたようだが、営業本部長にそんな「権利」なんか、ない!
   子安地蔵が、子供を守る地蔵なら、子供や結婚に関して傷つけられた男、傷つけられた女も守ってくれていいのではないかと思う。 そう思って、手を合わせてきた。


東山遊歩道(7) 飛騨三十三観音霊場 第4番
高隆山 素玄寺(そげんじ)
 (曹洞宗)
≪ 1609年、初代高山城主であった金森長近の菩提寺として、金森可重(2代)が建立。 長近の法号にちなんで素玄寺とした。 ≫(『東山遊歩道』リーフレット)
≪ 1609年(慶長14)、2代藩主金森可重(よししげ)が父長近の菩提寺として建立。 曹洞宗の寺で寺名に長近の法号、素玄をとっている。・・≫(『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004. るるぶ社、JTB)
画像

↑ 「高隆山」という山号が書かれている。

画像

↑ 素玄寺 本堂。 高山市指定文化財。
≪ 寛永年間(1624~1644年)に炎上したが、1635年に高山城三ノ丸にあった評議場が移築され、本堂になったと伝わる。≫(『東山遊歩道』リーフレット)
≪ 書院造の流れをくむ主殿造(しゅでんづくり)の本堂は、高山城二の丸にあった評議場を移築したもの。≫(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004. るるぶ社、JTB)
    『東山遊歩道』のリーフレットでは「三ノ丸」で、『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』では「二の丸」と書かれているのだが、三なのか二なのか、どっちかわからんが、どっちかなのだろう。
実際、現物を見ると、立派な建物である。 「東山遊歩道」としてワンセットにするべき寺、お堂ではないようにもったが、今回は、「ワンセット」でまわってしまった。 もし可能なら、また、1か所か2か所だけを落ち着いて訪問するといいかもしれない。

    様式としては、「書院造」かと思ったのだが、『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.るるぶ社、JTB)には、「主殿造」と書かれている。 インターネットで検索すると、《ウィキペディア-主殿造(しゅでんづくり)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%AE%BF%E9%80%A0 には、≪ ・・・足利義政の東山殿になると、「主殿」と呼ばれる常御所が造られた。主殿には対面や仏事を行う部屋、寝室などがあり、一つの完結した生活の場となっていた。この形式は、渡り廊下で寝殿と対屋をつなぐ寝殿造や、玄関・大書院・小書院などを連ねる書院造とも異なっており、一つの独立した様式であるとして「主殿造」と呼ぶことがある。≫と出ている。

画像

↑ 素玄寺 鐘堂

   飛騨三十三観音霊場の第4番 で、『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)には、
≪ 観音  馬頭観世音菩薩
   宗派  曹洞宗
   所在地 高山市天性寺町39 ≫
と出ている。 《飛騨三十三観音霊場 第4番 素玄寺》http://hidakannon.jp/temple_guide/no4_sgn.html によると、素玄寺の本尊は釈迦如来で、円空仏として不動明王が存在するらしい。そして、三十三観音の第4番の馬頭観音は、素玄寺より低い位置に配置されている松倉観音堂におられる観音のことらしい。

   この後、東隣の天照寺に訪問するが、天照寺の説明板には、
≪ ・・・(天照寺は)寿永元年(1182) 七堂伽藍をもった天台宗の巨刹として創建され、天照皇寺と称したが、中世に衰退した。 元和年間(1615年頃)に源誉受徳上人が天照寺と改め浄土宗に改宗し開山となった。明治3年(1870)まで裏山の神明神社の別当でもあったが、神仏分離の際に天照寺を天性寺に字を変更させられた。 昭和17年(1942)に寺号は旧字に改称したが、町名は変更することができなかった。・・・≫と書かれており、天照寺としては、町名が「天性寺町」であって「天照寺町」ではないのが不服のようだが、しかし、素玄寺だって天性寺町にあるわけだし、天性寺町には天照寺以外にもお寺はあるわけだから、まあ、町名はいいんじゃない・・・なんて言ったらいかんかな・・・・。
   素玄寺も天照寺も天性寺町にあるが、町名に天照寺に由来する「天性寺町」が採用されたということは、町名がつけられる時点で、素玄寺より天照寺の方が力を持っていたのだろうか。 しかし、素玄寺は≪ 2代藩主金森可重(よししげ)が父 (初代)長近の菩提寺として建立≫した寺なので、政治的にそう弱くはなかったのではないかとも思えるが、金森氏は江戸時代も早いうちに領主から追われて、高山は天領になり、かつ、明治維新後においては、前領主の菩提寺というのはそれほど力はなかったのか。 しかし、それなら、天照寺も神仏分離の際に名称変更を求められたというあたり、それほど強い立場でもなかったようにも思えるが。 裏山の神社の別当寺でもあったという裏山の神社が神明系、伊勢神宮・アマテラスの系統であったというところから、明治維新政権の時代においてはそちらの方が力が強かったのか・・・・?




↑ 「 i 」マークが素玄寺。 隣に「飛騨高山天性寺ユースホステル」と書かれているが、天照寺がユースホステルに変わってしまったのではない。 天照寺の庫裏をユースホステルとしているらしい。 ≪ (天照寺の)庫裏はユースホステルとして利用され、若い観光客に人気がある。≫(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.るるぶ社、JTB)



(番号なし) 松倉観音堂 
画像

  「松倉山 馬頭観世音菩薩」と書かれた幟が立っている。
  素玄寺のすぐ下、西側の道路沿いにある。
  ≪ (素玄寺の)山門下の松倉観音では8月9、10日に絵馬市が開かれる。 ≫(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.るるぶ社、JTB) と「素玄寺」のところに書かれている。 《飛騨三十三観音霊場 第4番 素玄寺》http://hidakannon.jp/temple_guide/no4_sgn.html にも、素玄寺の馬頭観音とは松倉観音堂の観音だと記されているので、松倉観音堂は、素玄寺の一部と考えてよいか。
画像

   ↑の写真では隠れた位置だが、リュックサックを背負った白人の女性が松倉観音堂で座って休息をとっていた。 実際、私なども、この「東山遊歩道」を歩くと、途中のどこかで休息をとりたい気持ちになったものだが、この「東山遊歩道」の寺社というのは、商売気がないのか、「授与所」というものを開設していないとともに、「門前の茶店」というものがない。ちょっと休憩したいと思っても、その場所がないのだ。
   誰でも使用できるトイレは、宗猷寺にあり、私も使用させてもらったのだが、宗猷寺の他では、「城山グループ」の大隆寺と照蓮寺にあるらしいのと、川上邸史跡公園にあるくらい。 「東山遊歩道」ではないが、その近くとしては、真宗高山別院の方の照蓮寺にもあり、高山市図書館・近代文学館(煥章館)の中にもあるので図書館会館中は利用できる。 そうでなければ、鍛冶橋の脇の安川交番の後ろに公衆便所がある。(東山遊歩道のルートからははずれるが、大八賀神社にもトイレはあった。)
   「東山遊歩道」として、市役所の商工観光部観光課と飛騨高山観光案内所が無料のリーフレットを配ったりしているのだから、東山遊歩道のルートの途中にも、食堂や喫茶店があってもよさそうに思えるのだが、「さんまち」と言われる「古い町並み」の地域には食堂や喫茶店等はいくらでもあるにもかかわらず、東山遊歩道のルートにはない。 かつ、各寺社にはベンチのようなものも、ほとんどない。まったくないのかどうか調べつくしたわけでもないが、私がまわった所にはなかったと思う。 市役所が「東山遊歩道」ということにして売り出そうとしたけれども、お寺や神社としてはどうでもいい、もしくは、観光客なんか来ていらないと思っているということなのだろうか。 なんかそっけないような感じがするし、商売熱心すぎてその宗教の教えなんかどうでもいいみたいになってしまうのは良いとは思わないが、ベンチと清涼飲料水の自動販売機くらいでも置けば、それだけでも、月にいくらかの収入になると思うのだが、それもない。 「さんまち」と言われる地域は、もとから、商業地であって、よそから人に来てもらいたい地域だったのに対し、東山のお寺の街はそういう場所ではなかった・・のかもしれないが、それにしても、そっけない。 実際に、「東山遊歩道」として、白人の観光客が歩いている(東山遊歩道で出会ったのは、白人が多く、次いで日本人で、韓国人・中国人は今回は見かけなかった)のだから、ベンチと屋根と清涼飲料水の自販機とトイレくらい用意すれば、それだけでも月にいくらかの収入になると思うし、そういう算盤をはじくのは別に反宗教的でもないと私は思うのだが、どうなのだろうか。 前回、述べたように、賽銭箱のないお寺もあったわけだが、賽銭箱を置いて悪いということは、別にないと思うし。

   (2016.10.22.)
   
☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 〔今回〕
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃 (10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆☆☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック