新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社について
[第471回] 高山シリーズ第4回≪15≫ 「東山遊歩道」と日の出天満神社・大八賀神社以外の(3)
【4】 JR高山本線「高山」駅
金沢から乗ったバスで、白川郷のバスターミナルで降り、高山行きに乗って高山バスターミナルに着いて、ふと見ると・・・・・→ なんだ、これは!
※《YouTube-「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」 岡本太郎は何者? 2/2》https://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk
十六銀行 高山支店もそうなのですが、俺に無断で・・・なんて言うと、あんた、何様や・・ということになるでしょうけれども、1年前はこんなの↑↓じゃなかったわけです。 かつ、1年前までの駅舎はけっこう気に入っていたのです。 それで、別に私に断らないといけないという決まりなんてないのですが、飛騨高山まちの博物館http://www.city.takayama.lg.jp/machihaku/ に行ったところ、そこに、高山駅もまた由緒ある木造駅舎で・・・といったことが書かれて、何年も前からの高山駅の写真が展示されていたのを見たことがあり、そうか、あの駅舎は高山にとってはなくてはならない建物と評価されているのか、ということは、旧高山市役所が「市政記念館」http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000026/2000211.html として保存されて公開されているのと同じく、あの駅舎も長く保存されていくのだろうなあ・・・・と思っていたら。 高山駅駅舎を解体し、新駅舎を作ります・・・と、地元の新聞くらいには出たのかもしれないが、ここしばらく、毎年、高山に運んできたものの、高山に住んでいるわけではない者としては、建て替えるなどという話を耳にすることはまったくなかったわけですが、バスで高山に着くと、あのなつかしい駅舎が・・ない! そして、あるのは・・→ なんだ、これは!
↑ は東口の北よりで、JR高山本線への入口、兼、駅の西側への通路。 東口の南よりは↓
一般に、建物の外観は、昼、見たものを主とし、夜の見え方は従として考えるのではないかと思いますが、今現在、真夜中でなくても、日没後でも人は活動しており、この駅の付近でも日没後でも人はいるわけです。愛知産業大の守屋先生が設計をされた都営大江戸線「六本木」駅を見に行き、1回目は、悪いということはないのですが、どうも「暗い」という印象を幾分受けたのに対し、2回目に行った時には、それほど暗いとは思わなかったのです。1回目は昼間で、特に、六本木ヒルズの森タワーの上まで登って来てその帰りに地下に入ったので、明るい所から地下の暗い所に入ったので、地下駅でありながら黒を基調としたデザインに、「悪いことはないけれども、幾分暗い」という印象を受けたのに対し、2回目は日没後に外を歩いてきて地下の駅に入ったので、日没後の屋外の歩道よりも、照明がある地下駅の中の方が明るいくらいであり、そこで、2回目は1回目と違った印象を受けたのではないかと思うのです。建築は時間帯を変えて2回は見に行くものだと思いました。又、2回目に行って、昼の方を主として設計されることの方が一般に多いのですが、都営大江戸線「六本木」駅は、夜の方を基本に設計されたのではないのかと思ったのです。そして、設計する場合だけでなく、日没後も利用される施設の場合、昼を先に考えて夜も考えるというのが当たり前ではなく、夜を先に考えて昼も考えてみるという姿勢もまたありではないのかと考えるようになったのです。〔⇒[第377回]《大江戸線「六本木」駅―色彩のある白黒、「夜の前提」の建築、暗くなりすぎない配慮、エスカレーターの天井 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201601article_2.html 〕 それで、高山駅の場合、たまたま、乗ったバスが到着したのが日没後であったからでもあり、日没後も活動している場所とはいえ、夜の街ではなく昼が中心の街ですが、この建物は昼と夜の両方を考えて作られた建物のようでもあり、今回は、夜の外観の方を先に掲載させていただき、昼を後に掲載することにしてみました。
昼、見ると、↓


(↑ 「グーグル」の写真は、高山駅が新築工事中の写真のようです。)
2階の改札口がある場所へはエスカレーターで上がれます。 内側の壁面には、木の国飛騨 だけあって、木材が使用されています。↓
かつての駅舎は、落ち着いた建物で好きではあったのですが、東側にのみ駅への入口があり、西側からはぐるっとまわってこないと高山本線に乗れない。 又、駅の西側から東側へは迂回しないと来れない状態でした。 それが、エスカレーターで2階(周囲の建物の高さで考えるなら3階くらいでしょうか)に上がり、そこから、鉄道に乗るためのプラットホームへ降りるようになり、西側へは、エスカレーターで降りることができるようになり、駅の西側からも駅に入って高山本線に乗ることができ、又、西側から東側へ人はエスカレーターを使用して行き来できるようになりました。 西側にもロータリーができたようです。↓
↑ 左の出っ張りは、駅舎の「出窓」。
大都市近郊では、電車が通って駅ができ、その駅の周囲が開けていったという街がありますが、高山はそういう所ではなく、もともと、安土桃山時代に、金森長近によって現在の城山に高山城が築かれ、その北側に武家屋敷と商工業者の街とが作られ、それがさらにその周辺に伸びて行ったという街で、飛騨国分寺などは、金森家の統治より前からあったようですが、金森家の高山城とその周辺にできた武家屋敷と商工業者の街の西側くらいに位置する場所だったようです。
既成の市街地に鉄道を通す時、街のまん中を鉄道が通られてはかなわないと周辺の位置を通して駅も既成市街地の端のあたりに設けるということはよくあったわけで、大阪駅も、船場と言われた大阪の商人の街の北側である堂島付近に当初は設けられる予定であったのが、そんな所にまで蒸気機関車を走らされては困るとさらに北に駅を動かされて現在の大阪駅の付近に駅の場所が決まったらしいし、山口県の萩市では、萩の旧市街の周囲をぐるっとまわるように山陰本線が走っており、旧市街地の南側に萩駅、東側に東萩駅ができ、今は、益田より西の山陰本線は普通しか走らない線にされてしまいましたが、かつて、特急「まつかぜ」とかが益田から山陰本線を経由して下関から博多まで走っていた時代においては、東萩駅に特急が停まり、萩駅には各駅停車しか停まらなかったというのは、駅を設置する時点では萩駅を萩市の代表的な駅のつもりで作っても、東萩駅の方が市街地に近いとなると東萩駅の方が「特急の停まる駅」になったということのようでした。鹿児島市には鹿児島駅と西鹿児島駅があって、西鹿児島駅の方が特急の停まる駅で鹿児島本線・日豊本線の終着駅だったが、今は西鹿児島駅が「鹿児島中央」駅になったというのも、そうのような経緯のように思われます。 逆に、既成市街地に近い場所に駅を作って欲しかったが、〇〇本線の全体の路線の経路を考えると、市街地に近い場所を通すと遠回りになるので、既成市街地からはかなり遠い所に駅ができたという所もあるようです。 〇〇本線の駅の駅名がその都市の名前で、そこから出ている支線に「本〇〇」という名前の駅があるというような場合、それに該当することが多いのではないでしょうか。
高山駅の場合、既成の市街地より少し西に駅ができて、そして、既成市街地と駅との間の場所が開けていって今の状態になったという街のようですから、駅の出入口が東側にあって、東側の方が開けているというのは不思議ではなかったわけですが、しかし、西側にも人は住んでいるわけで、西側から東に行くのに迂回しないと行けない、鉄道があることで、むしろ、西側は東側と分断されているという状態は解消したかったのではないでしょうか。
新駅舎は、けっこう考えて作られていると思います。
1. 木の国飛騨の駅であるということで、内部の壁面に木を使用するなどしている。
外観の色合いも、「さんまち」など伝統的建造物群保存地区の町屋の外観に合わせてそれと同じ「黒っぽい色」にしており、周囲の町並みとの調和を考えている。
2. 2階建て(周囲の建物と高さの比較をすると、高さとしては3階建てくらいか)にして、それ以上の高層ビルにはしていないというのは、京都などもそうですが、あまりにも高い建物は、古くからの町並みが残っている街においては害があると思われます。 高山駅はそれを考えて、この高さに抑えたのではないでしょうか。
「古くからの町並み」だけではなく、高山は盆地であり、周囲の山の高さとの兼ね合いを考えると、盆地の中央部においては、あまり高い建物は、その地域全体の景観を損ねることになると思われますが、その点も考えて、2階建て(高さとしては3階程度か)に抑えたのではないかと思われます。 愛知産業大建築学科でのスクーリングの際、守屋先生が「高さを競うなどというのは、後進国の発想だ」と話されたことがありましたが、私もそう思います。 実際問題として、↓
↑ なんて、ブサイク、悪趣味、下品、下劣だと思いませんか? ↑の高層ビルは大阪府豊中市新千里東町1丁目 の「ザ・千里タワー」で、撮影地点は大阪府箕面市の山の中腹、海抜150mくらいの場所からで、ビルの向こうに見える山は信貴山(しぎさん)のあたりです。

大阪平野は平野といっても、北に老坂山地、東に生駒山地・金剛山地、南に和泉山脈、北西部に六甲山地があって、山がないのは南西側の大阪湾だけで、盆地に近い平野であり、かつ、周囲の山はそれほど高くない。 そういう場所に、↑の千里タワーのような高層建物を、もともと、低い場所ではなく、千里丘陵といって、丘になっていくらか高い場所に建てるとどうなるかというと、「向こう側の山」よりも高い建物になってしまうのです。 アラブ首長国連邦のブルージュハリファーという世界一高い建物などは、片方は海、片方は砂漠という高さを比較する自然構築物がない場所に作られた建物です。 東京都庁舎とかですと、東京の場合、まだしも、関東平野は大阪平野などよりずっと広いので、周囲の山と比較はしにくいのですが、大阪平野のような狭い平野で周囲の山よりも高い建物を建てると↑のようになるのです。 私は、↑のような周囲の山よりも高い建物というのは、それは、それだけ高い建物を作るに際して技術はあったのかもしれないけれども、精神的文化的には野蛮で下劣だと思います。
3. そして、この「屋根」の形状ですが、軒がこれだけ深いというのは、積雪時の出入りのことを考えたということか。 JR金沢駅の東口は(白江建築研究所。 竣工 2005年。 建材 アルミ合金、ガラス、木材。)、「もてなしドーム」「鼓門」と称して作られたものは、≪雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出すもてなしの心」を表現した≫(アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』2013.1.1.中経出版 中経の文庫)というものらしく、金沢駅は東口(南東側。山側。金沢城、兼六園、成巽閣などがある側。)だけでなく、西口(北西側。海側)もまた、軒が深い建物になっています。 〔 金沢駅については、[第456回]《金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館、泉鏡花記念館、金沢別院 他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html 参照。〕
高山に訪問するのは5回目ですが、8月に1回、9月に3回、10月に1回と真冬には行ったことがないので、冬場どういう気候になるのか、よくわからないところもあるのですが、建っている建物の屋根などを見ても、少なくとも、東京や大阪などよりも雪は多く振り、そして、積もるのではないか。 そういったことを考えた屋根ではないのか。 金沢と同じく、駅を出てすぐの場所には雪が積もらないように、そこまで軒を出したということか。
真冬に行ったことがない者が推測で述べるのは限界があるでしょうし、それよりも、冬、寒そうな地域、けっこう雪が降りそうな地域に、温暖地に住んでいる人間が春から秋にかけての季節にだけ訪問するというのも、その地域の人に失礼な気もするのですが、やはり、この軒は、駅を出てすぐの場所に雪が積もらないように、駅を出てすぐの場所は普通に歩けるようにという配慮からのものかな、と思いましたが、どうでしょうか。
又、屋根が寄棟や切妻のような形状ではない。 東京国立博物館などは戴冠様式といって、鉄筋コンクリート造の建物の上に和風の屋根を載せているが、高山駅は壁面は高山の「古い町並み」の町家の外観と色彩を合わせているが、屋根については「ぺったんこの屋根」になっている。 これは、東京や大阪などと違って、冬場、雪が積もった場合、その量が半端じゃないので、寄棟・切妻の屋根にして、一般の建物なら3階建てくらいの高さの屋根から凍った雪の塊が落下して通行している人の上に落下すると危険なので、それで、雪が落下しないように、わざと、「ぺったんこの屋根」にした・・ということなのか?
雪というものは、落とすものなのか止めるものなのか。 これは、けっこう難しい問題のようで、落とすにしても、人が屋根に登って雪かきの作業をする場合には、人が屋根から落ちないよう、雪かきの作業ができるように緩やかめの勾配にすることもあるようです。 札幌の住宅建築業の会社のカタログを見ると、ほとんどの建物が「ぺったんこの屋根」でできていたので、「これは、こういうデザインがいいと考えて、陸屋根でも大丈夫だという判断でされたものなのですか」とその会社の人に質問したことがあるのですが、デザインからそうしたのではなく、雪が落ちたら危ないので、それで、雪を落とさないように陸屋根にしているのであり、北海道ではそういう屋根にしている家が多いのだという返事でした。 その地域によっても考え方に違いはあるのかもしれません。 高山の家を見ると、金属の屋根材を使用している家が多いけれども、金属の屋根材であって、同時に雪止めがついている家も多い。瓦だと、水分がしみ込んで行って、そこで凍ると瓦が割れるといったことがあるが、金属の屋根材は、そういうことはない。 又、瓦や彩色スレートよりも勾配が緩やかでも雨は流れる。 雪を止めるものではなく、落とすものだと考えるならば、金属の屋根材の方が雪は落ちやすいはずだ・・・・が、金属の屋根材で、かつ、雪止めがついている家もある。 そのあたり、考えがあってされているのでしょうけれども、よくわからないところもあります。 [第283回]《飛騨国府駅・国府交流センター・「耳付き片流れ屋根」-高山シリーズ第2回(6)、 屋根の形状の適否 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html で、高山市国府町で、『耳』付き片流れ」の屋根のの賃貸アパートかと思われる建物を見て、なるほどと思ったことを述べました。 高山駅の場合、雪が屋根に積もった場合、下に落下させないという前提で「ぺったんこの屋根」にしたのではないのか、と思いました。 私よりよくわかっている方、もし、違うようなら、お教えください。
高山では、屋根の形状について、考えて作られていると思った建物をいくつも見ました。 それに対し、私が今までにかかわった会社でも、
屋根、軒というものを、
(1)雨や風、雪を防ぎ、
(2)軒は夏場、太陽が高い位置にある時は日差しを遮り、冬場、太陽が低い位置にある時は日光を部屋の中まで入れる調節装置である、
(3)夏場、屋根が日に照らされた時、小屋裏部分が温度の緩衝帯となって最上階の温度の変化を和らげるものであり、又、
(4)小屋裏と軒は壁体内の湿気を外に出す経路でもある
(5)小屋裏は最上階、2階建なら2階の部屋の電気などの配線が通る場所である、
という屋根の機能をまったく考えず、単に建物の頭の上についている飾りのように考えて建てている会社がありました。
東海住宅(株)〔本社 千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ は、建築もやっているとはいえ、不動産業の方が中心の会社なので、もともと、建築業としてのレベルが低い。 私が在籍した時、建築部の担当の取締役で後に社長になった(が今は社長は別に人間になった)当時は常務取締役であった人相が悪くて目つきが悪いいかにも不動産屋て感じの大澤(男。 2008年当時、50代)が、「うちだって、カネさえかければ、小堀住研や一条工務店と同等のもんはできるんだ」と発言したことがあったが、この文句は、2010年、新華ハウジング(株)〔本社 千葉市中央区。 2013年に倒産〕の社長の長谷川(男。2010年当時、40代前半)も似たことを口にしたことがありましたが、「安物屋」の社長が口にすることが多い文句であって、普段、問題の多い建物ばかり作っている安物屋の工務店が、カネさえかければできるかというと、実際にはできません。 また、東海住宅(株)で設計を担当していたシンは、2級建築士を自慢にしていた男でしたが、普通、「いっきゅうけんちくしい~い」というのは日本には言いたいアホがいっぱいいるのですが、2級建築士の場合、「2級建築士なんだぞお」などと言っても、「なんだ、1級じゃないのか」と言われるのが関の山なので言わないものなのですが、それを言う男でしたが、「彼らが言うことを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインが言ったという言葉を方針として考えると、即ち、実際に設計したものがどういうものかを見て判断すると、「しろうと以下」でした。 「しろうと以下」の「2級建築士なんだぞお」の実態を見抜くことができない、「まるで不動産屋みたいに人相が悪い」常務が「建設部の責任者」をやっていた会社でしたから、だから、屋根とは何かなんて、考えもせず、無茶苦茶なものを作っていたのです。
アイダ設計(株)〔本社 埼玉県上尾市〕http://www.aidagroup.co.jp/ もひどいものでした。見込客・契約客はしろうとです。しろうとさんがいいと思うものでも、そういう屋根にして建てたのでは、入居後、いいことないですよと思ったら、少なくとも、黙ってそのまま建ててはいけない。 どういう長所短所があるのかといったことをきっちりと説明して、その上で計画を進めないといけない。ところが、アイダ設計(株)の担当者にはその当たり前のことをする実力がない。特に、営業担当者に、こういう対応をしたのでは後から問題が発生する、そうならない為にはどうしないといけないか、といったことを考える能力がない。
また、誰が誰々の縁故でといった採用が多いようで、その為、実力もないのにおのれの実力以上の役職についているという人もいたようであり、そのあたりにも原因がありそうに思えました。アイダ設計(株)の場合、経営者がそのあたりについて、まったく気づいていないというわけでもないらしいと思えるところもありましたが、改善されるかどうかの見通しはあまりいいとは思えませんでした。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社 東京都中央区〕https://www.freedom.co.jp/ はもっとひどい。構造を考えて、その上でデザインも優れたものを作るのがプロの設計者のはずであるが、これまで、構造を考えるとやらない方がよいとして多くの建築業者が避けてきたものを、そういったことをちっとも考えずにやる。それを「世界でただひとつの家」とか思っている。「しろうと」のやることです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)がやっていることは。
ひとつには、建築専門学校というものに問題があると思います。もともとは専門学校というものは、短大と違って、そこで身に着くものはあっても「学歴」にはならなかったはずなのですが、最近、建築会社では建築の専門学校を卒業したという者に、建築の専門学校を「学歴」に準ずるような扱いにする会社が増えてきたのですが、「学歴」と評価するほどの内容を学んできていない、もしくは、むしろ、害があるようなことを学んできている人間を、大学に準ずるような扱いをするものだから、つけあがってしまって、それで、無茶苦茶なことをする。
もうひとつ、建築基準法という法律は、あくまでも、この法律に違反するような建物は建ててはいけませんよという法律であって、建築基準法を守りさえすれば間違いのない建物ができますと国が保証したわけでもないし、建築基準法を守ってさえすれば、竣工後に問題が出ても建築業者は免責されますという法律でもないのです。ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では、登録1級建築士になった石塚(男。2015年当時、60代前半?)が、「うちは違法はやってないから、うちは悪い所はない」などと発言し、「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」とぬけぬけと発言するという態度をとっていました。 又、幹部社員であるアフター課の山本大輔(男。2015年当時、20代前半)は、構造上、問題だらけの建物のことを、「うちは、構造に問題のあるものは一切建てていませんから」と居直るという態度をとっていました。おまえ、この建物の設計に構造上、問題があるということ、そんなこともわからんのかとあきれました。山本は、入居後1年の「点検」に行くと、壁や天井のクロスが割れまくっている家に行って、「クロスは、入居後1年ではどうしても割れますから」とデタラメをどこの家に行っても言っていましたが、確かに、入居後1年以内というのは、それより後に比べて、壁や天井のクロスは割れやすいのですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した建物で壁や天井のクロスが割れまくるというのは、それだけではないのです。 構造を十分に考えた設計をやっていないから、構造上、無理があるから、無理がある所でクロスが割れているのです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」がデタラメの設計をしているから割れたのです。はっきりしています。 私がこれまでに勤めてきた会社では、入居後1年くらいにおいて、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した家みたいに割れまくったりしていないのです。 アフター課として、言い訳せざるをえないという立場もあるとしても、これは、設計が無茶苦茶だなと認識した上で、言い訳としてしかたなしに言っていたのか、それとも、本当にそんなことを思っていたのかというと、山本の場合、後者のはずです。おまえ、そんなこと、本気で思ってるのかとあきれました。 そういう態度ですから、たとえば、2015年には、東京都八王子市の高尾で建てたお宅で、竣工後、1年も経たないのに、陸屋根の下に入れた断熱材(グラスウール)が湿気て黒くなっているという事態になったことがありましたが、これなども、陸屋根にするだけでなく、屋根と壁のとりあいの部分において、屋根を壁より外に出すのではなく、壁の方を屋根より上に出すという非常識な方法をとったことをおこなっており、こういうことをやっていたのでは雨漏れを起こすのは当然だと思われました。そのお宅の屋根の下の断熱材(グラスウール)が湿気て黒くなった原因が何かははっきりと究明できなかったようですが、未熟な設計担当者が「こんなことやっていたら問題がでるのは当然」という設計を得意になってやっていた、会社が平気でさせていたのは明らかであり、直接的原因が何であるかにかかわらず、それが本質的原因です。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計会社で、施工会社は別であるという点のも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に構造に問題がある設計が多い原因があると考えられます。 東海住宅(株)などという基本的には不動産屋であって建築会社としては相当いいかげんな会社でも、私が在籍した2008年においては、土台にLVL(ラミネイティッド べニア ランバー)を使用していたのですが、過去においては「ボリデン」(「注入土台」)(べいつが〔ヘムファー〕に防腐防蟻剤ACQを加圧注入したもの)を使用していたが、土台が「ボリデン」(「注入土台」)では、というより、べいつが(ヘムファー)では、壁の窓回りでクロスが割れて困るということで、LVLに土台を変えたというのです。 そして、LVLに変えると窓回りでのクロスの割れはほとんどなくなったというのです。 戦前の木造住宅では、「束立て方式」といって、連続基礎ではなく、建物の周囲にも内部と同じように床束(ゆかづか)が立ってその上に土台が載っていたのですが、戦後、連続基礎の上に土台を寝かせてアンカーボルトで接合し、鉄筋コンクリートの基礎の上に乗せた土台の上に柱を立てるという方法になったので、土台はそれまでほど頑強な材料でなくてもあくまで腐り・白蟻に強いものであればよいということになったのですが、そうはいっても、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したという土台材の場合、べいつが(ヘムファー)は「やわい」、柔らかいので、土台がめり込むことがある・・と言われたのです。 しかし、(株)一条工務店に在籍した時、上棟の作業に参加して、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を加圧注入した「注入土台」と柱との間に鎹(かすがい)を打ち込む作業と、鎹が柱のツラ(表面)に収まるように、柱と土台を鎹の大きさにノミで削る作業をやりましたが、べいつが(ヘムファー)はノミで削ってみると、決して柔らかくなかったのです。杉の方がよっぽど柔らかかったし、桧と比べてもべいつが(ヘムファー)は柔らかくはなかった。 しかし、現実問題として、東海住宅(株)では、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したという「注入土台」を土台に使用したという家では窓回りでのクロスの割れが多かったのが、LVL(ラミネイティッド べニア ランバー)に土台を変更したら、窓回りでのクロスの割れはほとんどなくなったというのですから、やはり、「注入土台」〔べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したもの〕はLVLなどに比べて、「柔らかい」のかどうかわかりませんが、柱がめり込むのか何か、そういった問題が発生しやすいところがあったのかもしれません。 東海住宅(株)のような建築会社としてはいいかげんな会社でも、自社で設計をして自社で施工をして引き渡すということをやっているとそういうことを考えるのです。 それに対して、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の場合は、設計会社であって、施工会社は別の会社ですから、「うちは違法なことはやってないからうちは悪くない。悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」と登録一級建築士の石塚が発言するようなそういう姿勢になるようです。 だから、構造に問題があると思われる設計をおこなっても、建築基準法違反でさえなければ、「悪いのは施工した工務店かお施主さんだ」という主張になってしまうため、構造を考えた設計をしようという姿勢にはなかなかならないようでした。 設計会社と施工会社が別の会社である場合、「うちは悪くない」と互いに言いあう、特に「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」と設計会社が言い張るというのを目の前で見ると(一般的には、設計に問題がありすぎるとしても、設計会社としては建築基準法違反でない限り「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」という認識であるのを見ると)、又、自社で施工しないことから施工者から学ばない、問題の無い施工ができる設計をしようという姿勢が欠落した未熟な若造の設計者を見ると、設計会社と施工会社は別でない方がいいのかという印象を受けました。
不動産屋で建築も自分の所でやれば建築でも利益をあげられるという程度の認識で建築を始めた会社がいいかげんなのはわかります。 「設計事務所の先生」「設計士さま」と、わけのわからん入学試験なんか何もないようなカネさえあれば誰でも入れる建築の専門学校を出ただけというにいちゃんに名乗らせれば、人は言うことをきくと思っているような設計会社がいいかげんな設計をするというのもわかります。 そういう会社を見抜くことができない客は、基本的には被害者かもしれないけれども、見抜くことができなかった、という点では、まったく責任がないとも言えない。 一般消費者もまた、自分自身でそのあたりを考えて、この相手に頼んでいいのかどうかということをよく考える必要があると思います。
前の高山駅は平屋で、向こう側のホームから乗車する場合に跨線橋を通ることはあったわけですが、高山本線に乗ることがなければ、跨線橋に登ることもありません。 それに対し、今度の建物では、高山本線に乗らなくても駅の向こう側へ移動するのに通行することができます。 そして、2階(高さとしては一般の建物で3階くらい?)から向こうを見えることができる・・・・ことから、あれ・・・・、なんだ、これは? というものを見ることも出てきました。 ↓
↑ 駅の西側に見えるこれは何だろう?
雨天の為、けぶっていますが、デジカメのズーム機能を使って撮影しました。
「フライデー」2011.7.1.号(講談社)の「フォトルポ なぜかくも奇怪な姿をしているのか――研究 日本の宗教建築」に何なのか載っていました。
高山駅の西側に見える↑は、「崇教真光」(すうきょうまひかり)だそうです。
≪ 大きなカーブを描く、輝く屋根が度肝を抜く。 中央の上部には赤い玉が乘り、屋根の下には木造建築を思わせる柱やイスラム風の尖頭アーチ(頂部を尖らせたカーブ)が連続する。・・・≫
≪ 1974年、世界真光文明教団の教祖・岡田光玉が亡くなった後、団体は分裂、養女の岡田恵珠(けいしゅ)が崇教真光(すうきょうまひかり)を創立した。 飛騨高山を“ 人類創世の聖地 ” とみなし、1984年にこの「世界総本山・主神神殿」を彼の地に建立。 これによって、本来起こるはずだった天変地異の時期が延ばされた、と教団は説明している。 ≫
≪ 屋根の曲線は「天地の抱擁」を、赤い玉は「天祖降臨」を意味する。 また、外壁などの細部には、多くのシンボルマークを配置。 2つの三角形から成る籠目紋、菊花紋、鉤(かぎ)十字、十字形など、宗教的な装飾に溢れている。 ≫
というものらしい。
「崇教真光(すうきょう まひかり)」とはどういう宗教団体なのか。島田裕巳(しまだ ひろみ)『日本の10大新宗教』2007.11.30.幻冬舎新書)の「7.世界救世教、神慈秀明会と真光系教団」によると、
≪ 世界救世教が分裂や分派をくり返してきたことについてはすでにふれたが、そうした分裂や分派とは区別されるものの、浄霊や聖地の建設、自然農法への関心といったところで共通しているのが、世界真光文明教団(せかいまひかりぶんめいきょうだん)や崇教真光(すうきょうまひかり)といった真光系教団である。 実際、その創立者となる岡田光玉(おかだ こうたま)は、一時世界救世教の有力な信者、布教師であった。 ただ、光玉が世界救世教の影響を受けていることは間違いないにしても、教会ごと脱退しているわけではないので、分派とは言えない。
光玉は、1901(明治34)年、陸軍少将主計総監までつとめた岡田稲三郎(いなさぶろう)の七人姉弟のただ一人の男の子として東京に生まれた。 本名は良一であった。 父親は54歳でなくなっており、その後、光玉は、陸軍士官学校へ入学し、日中戦争では仏領インドシナで実戦に加わり、陸軍中佐までのぼりつめたものの、胸椎カリエスと腎臓結石を患い、予備役に編入された。
その後、実業界に転じるが、・・・・
・・・光玉は、五日間高熱にうなされ、人事不省に陥った中で神の啓示を受ける。 「天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。 厳しき世となるべし」という啓示だった。・・・・
光玉は、L・H陽光子友之会(ようこうしとものかい)を創立し、事業化としての活動をつづけながら、宗教活動を展開するようになる。 1963年には、組織の名称を世界真光文明教団に改めている。そして、次第に信者を増やしていくことになるが、その教えがシンプルで、教義や戒律をほとんど問題にしないことが広く受け入れられた原因だった。
新宗教に入信する動機として、一般に「貧病争」ということが言われる。 光玉は、そうした不幸の原因が悪霊による憑依によるものだととらえ、浄霊によってその霊障を取り除くことができると説き、浄霊を「真光(まひかり)の業(わざ)」と呼んだ。 具体的には、霊障に苦しむ者の前に、「(神)組み手」と呼ばれる信者が座り、右手を額の前にかざすと悪霊が動き出す霊動が起こり、それによって浄化され、不幸の原因が取り除かれるというのである。 組み手になるには三日間の研修を受ければいい。
基本的には、これがすべてで、その救済のシステムは極めてシンプルである。 真光の業と霊動との関係は、野口晴哉(はるちか)の創始した「野口整体」における「愉気(ゆき)」と「活元(かつげん)」を宗教的、霊的に解釈したものである。 さらに、光玉は、1962年から、神による裁きである「火の洗礼」がはじまったとする終末論的な予言を行った。 こうした予言は、73年のオイル・ショック以降、世の終わりに対する恐れを抱いた若者を教団のなかに取り込んでいく上で重要な役割を果たすことになった。
しかし、1974年に光玉が73歳で亡くなると、後継者が決まっていなかったため、内紛が起こる。それは、裁判沙汰までなり、教団は高弟の関口榮が継承し、光玉の養女であった岡田恵珠(けいしゅ)が独立して、崇教真光(すうきょうまひかり)を名乗ることになった。 世界真光文明教団からは、依田君美(きみよし)の神幽現(しんゆうげん)救世真光文明教団が独立している。 心霊劇画を描いている黒田みのる は、同時に ス光光波世界神団(ひかり こうは せかい しんだん)の開祖でもあるが、黒田は、一時 世界真光文明教団の信者で、手かざしも取り入れている。
世界真光文明教団と崇教真光の場合、世界救世教、さらには大本の影響は、聖地の建設というところに示されている。 世界真光文明教団では、伊豆の修善寺近くの山中に高さ60メートルの首座世界総本山をかまえている。 また、崇教真光の場合には、飛騨高山に高さ50メートルの首座黄金神殿をかまえている。
首座黄金神殿は、屋根に亜鉛と銅の合金である丹銅板が使われ、金色に輝いている。 俳優の丹波哲郎が映画『大霊界』の撮影を行ったとき、霊界のロケ地に使われたのが、この神殿だった。
また、崇教真光では、神殿から近い丹生川(にゅうかわ)村(現 岐阜県高山市)に陽光農園を作り、無農薬、有機肥料の農園を営んでいる。 こうした自然農法への関心も、世界救世教の場合と似ている。 ・・・≫
という。
《ウィキペディア-岡田恵珠》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%81%B5%E7%8F%A0 によると、岡田光玉の養女で分派して崇教真光 を名乗った「教え主」の岡田恵珠は、2016年9月18日に亡くなったらしい。 高山市内に、他に、1999年に 光ミュージアム、2002年に高山市久々野町に 真光隊訓練・修練施設「真光青年会館」が作られたらしいが、岡田恵珠の住居は「静岡県熱海市」と出ており、特に高山の生まれとか育ちといったことは書かれておらず、これらの施設の場所として、なぜ、高山が選ばれたのかは書かれていない。
新装「高山駅」は様々なことを考慮して工夫して作られていると思うのですが、前の駅舎に愛着があった者としては少々寂しい思いがします。千葉市立美術館・中央区役所の建物は旧 川崎銀行千葉支店の建物を覆う「鞘堂方式」で建てられたようなのですが、何かそういう方法でもできなかったのかとか思ったりもしますが、もう、建て替えられたものはしかたがない・・のかもしれないが、知らない間に無くなってしまったというのは少々ショックでした。
新「高山駅」で高架部分に東側の出入口のことを「乗鞍口」と表記されていました。たしかに乗鞍岳は高山駅の東側に位置しますが、乗鞍岳は高山と長野県の松本・塩尻の中間付近にある山で、そこまで遠くのものの名称をつけなくてもという気がしましたが、どうでしょうか。

「崇教真光」という団体ですが、菅野完『日本会議の研究』(2016.5.1.扶桑社新書)に掲載の「日本会議本部の役員に名を連ねる宗教団体関係者」という表を見ると、 「崇教真光 教え主 岡田光央」 が日本会議本部の代表役員になっているのが見えます。 ・・・・「古い町並み」を「売り」にしている高山市で、 「飛騨高山まちの博物館」において、由緒ある木造建築のひとつなのですと紹介されていたJR高山駅を壊し、今までは最も東寄りのホームに停車する列車には階段もエスカレーターも登らずにそのまま乗り降りできたのに高架の部分に改札口を作った新駅舎を造って上り下りが必要にし、かわりに西口から出入りすることができるようにしたというのは、駅の西側にある崇教真光のため・・・なんてこと、ないだろうな・・・・?
高山シリーズ第4回≪16≫https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html では、高山市内で見かけた分譲地における片流れ屋根の住宅展示場について述べたいと思います。
(2016.10.30.)
☆高山シリーズ第4回
1.2.3.4.5.6.
7. 東山遊歩道(5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃 (10)川上家別邸跡史跡公園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、無人交番についてhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新 「高山駅」 〔今回〕
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
【4】 JR高山本線「高山」駅
金沢から乗ったバスで、白川郷のバスターミナルで降り、高山行きに乗って高山バスターミナルに着いて、ふと見ると・・・・・→ なんだ、これは!
※《YouTube-「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」 岡本太郎は何者? 2/2》https://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk
十六銀行 高山支店もそうなのですが、俺に無断で・・・なんて言うと、あんた、何様や・・ということになるでしょうけれども、1年前はこんなの↑↓じゃなかったわけです。 かつ、1年前までの駅舎はけっこう気に入っていたのです。 それで、別に私に断らないといけないという決まりなんてないのですが、飛騨高山まちの博物館http://www.city.takayama.lg.jp/machihaku/ に行ったところ、そこに、高山駅もまた由緒ある木造駅舎で・・・といったことが書かれて、何年も前からの高山駅の写真が展示されていたのを見たことがあり、そうか、あの駅舎は高山にとってはなくてはならない建物と評価されているのか、ということは、旧高山市役所が「市政記念館」http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000026/2000211.html として保存されて公開されているのと同じく、あの駅舎も長く保存されていくのだろうなあ・・・・と思っていたら。 高山駅駅舎を解体し、新駅舎を作ります・・・と、地元の新聞くらいには出たのかもしれないが、ここしばらく、毎年、高山に運んできたものの、高山に住んでいるわけではない者としては、建て替えるなどという話を耳にすることはまったくなかったわけですが、バスで高山に着くと、あのなつかしい駅舎が・・ない! そして、あるのは・・→ なんだ、これは!
↑ は東口の北よりで、JR高山本線への入口、兼、駅の西側への通路。 東口の南よりは↓
一般に、建物の外観は、昼、見たものを主とし、夜の見え方は従として考えるのではないかと思いますが、今現在、真夜中でなくても、日没後でも人は活動しており、この駅の付近でも日没後でも人はいるわけです。愛知産業大の守屋先生が設計をされた都営大江戸線「六本木」駅を見に行き、1回目は、悪いということはないのですが、どうも「暗い」という印象を幾分受けたのに対し、2回目に行った時には、それほど暗いとは思わなかったのです。1回目は昼間で、特に、六本木ヒルズの森タワーの上まで登って来てその帰りに地下に入ったので、明るい所から地下の暗い所に入ったので、地下駅でありながら黒を基調としたデザインに、「悪いことはないけれども、幾分暗い」という印象を受けたのに対し、2回目は日没後に外を歩いてきて地下の駅に入ったので、日没後の屋外の歩道よりも、照明がある地下駅の中の方が明るいくらいであり、そこで、2回目は1回目と違った印象を受けたのではないかと思うのです。建築は時間帯を変えて2回は見に行くものだと思いました。又、2回目に行って、昼の方を主として設計されることの方が一般に多いのですが、都営大江戸線「六本木」駅は、夜の方を基本に設計されたのではないのかと思ったのです。そして、設計する場合だけでなく、日没後も利用される施設の場合、昼を先に考えて夜も考えるというのが当たり前ではなく、夜を先に考えて昼も考えてみるという姿勢もまたありではないのかと考えるようになったのです。〔⇒[第377回]《大江戸線「六本木」駅―色彩のある白黒、「夜の前提」の建築、暗くなりすぎない配慮、エスカレーターの天井 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201601article_2.html 〕 それで、高山駅の場合、たまたま、乗ったバスが到着したのが日没後であったからでもあり、日没後も活動している場所とはいえ、夜の街ではなく昼が中心の街ですが、この建物は昼と夜の両方を考えて作られた建物のようでもあり、今回は、夜の外観の方を先に掲載させていただき、昼を後に掲載することにしてみました。
昼、見ると、↓
(↑ 「グーグル」の写真は、高山駅が新築工事中の写真のようです。)
2階の改札口がある場所へはエスカレーターで上がれます。 内側の壁面には、木の国飛騨 だけあって、木材が使用されています。↓
かつての駅舎は、落ち着いた建物で好きではあったのですが、東側にのみ駅への入口があり、西側からはぐるっとまわってこないと高山本線に乗れない。 又、駅の西側から東側へは迂回しないと来れない状態でした。 それが、エスカレーターで2階(周囲の建物の高さで考えるなら3階くらいでしょうか)に上がり、そこから、鉄道に乗るためのプラットホームへ降りるようになり、西側へは、エスカレーターで降りることができるようになり、駅の西側からも駅に入って高山本線に乗ることができ、又、西側から東側へ人はエスカレーターを使用して行き来できるようになりました。 西側にもロータリーができたようです。↓
↑ 左の出っ張りは、駅舎の「出窓」。
大都市近郊では、電車が通って駅ができ、その駅の周囲が開けていったという街がありますが、高山はそういう所ではなく、もともと、安土桃山時代に、金森長近によって現在の城山に高山城が築かれ、その北側に武家屋敷と商工業者の街とが作られ、それがさらにその周辺に伸びて行ったという街で、飛騨国分寺などは、金森家の統治より前からあったようですが、金森家の高山城とその周辺にできた武家屋敷と商工業者の街の西側くらいに位置する場所だったようです。
既成の市街地に鉄道を通す時、街のまん中を鉄道が通られてはかなわないと周辺の位置を通して駅も既成市街地の端のあたりに設けるということはよくあったわけで、大阪駅も、船場と言われた大阪の商人の街の北側である堂島付近に当初は設けられる予定であったのが、そんな所にまで蒸気機関車を走らされては困るとさらに北に駅を動かされて現在の大阪駅の付近に駅の場所が決まったらしいし、山口県の萩市では、萩の旧市街の周囲をぐるっとまわるように山陰本線が走っており、旧市街地の南側に萩駅、東側に東萩駅ができ、今は、益田より西の山陰本線は普通しか走らない線にされてしまいましたが、かつて、特急「まつかぜ」とかが益田から山陰本線を経由して下関から博多まで走っていた時代においては、東萩駅に特急が停まり、萩駅には各駅停車しか停まらなかったというのは、駅を設置する時点では萩駅を萩市の代表的な駅のつもりで作っても、東萩駅の方が市街地に近いとなると東萩駅の方が「特急の停まる駅」になったということのようでした。鹿児島市には鹿児島駅と西鹿児島駅があって、西鹿児島駅の方が特急の停まる駅で鹿児島本線・日豊本線の終着駅だったが、今は西鹿児島駅が「鹿児島中央」駅になったというのも、そうのような経緯のように思われます。 逆に、既成市街地に近い場所に駅を作って欲しかったが、〇〇本線の全体の路線の経路を考えると、市街地に近い場所を通すと遠回りになるので、既成市街地からはかなり遠い所に駅ができたという所もあるようです。 〇〇本線の駅の駅名がその都市の名前で、そこから出ている支線に「本〇〇」という名前の駅があるというような場合、それに該当することが多いのではないでしょうか。
高山駅の場合、既成の市街地より少し西に駅ができて、そして、既成市街地と駅との間の場所が開けていって今の状態になったという街のようですから、駅の出入口が東側にあって、東側の方が開けているというのは不思議ではなかったわけですが、しかし、西側にも人は住んでいるわけで、西側から東に行くのに迂回しないと行けない、鉄道があることで、むしろ、西側は東側と分断されているという状態は解消したかったのではないでしょうか。
新駅舎は、けっこう考えて作られていると思います。
1. 木の国飛騨の駅であるということで、内部の壁面に木を使用するなどしている。
外観の色合いも、「さんまち」など伝統的建造物群保存地区の町屋の外観に合わせてそれと同じ「黒っぽい色」にしており、周囲の町並みとの調和を考えている。
2. 2階建て(周囲の建物と高さの比較をすると、高さとしては3階建てくらいか)にして、それ以上の高層ビルにはしていないというのは、京都などもそうですが、あまりにも高い建物は、古くからの町並みが残っている街においては害があると思われます。 高山駅はそれを考えて、この高さに抑えたのではないでしょうか。
「古くからの町並み」だけではなく、高山は盆地であり、周囲の山の高さとの兼ね合いを考えると、盆地の中央部においては、あまり高い建物は、その地域全体の景観を損ねることになると思われますが、その点も考えて、2階建て(高さとしては3階程度か)に抑えたのではないかと思われます。 愛知産業大建築学科でのスクーリングの際、守屋先生が「高さを競うなどというのは、後進国の発想だ」と話されたことがありましたが、私もそう思います。 実際問題として、↓
↑ なんて、ブサイク、悪趣味、下品、下劣だと思いませんか? ↑の高層ビルは大阪府豊中市新千里東町1丁目 の「ザ・千里タワー」で、撮影地点は大阪府箕面市の山の中腹、海抜150mくらいの場所からで、ビルの向こうに見える山は信貴山(しぎさん)のあたりです。
大阪平野は平野といっても、北に老坂山地、東に生駒山地・金剛山地、南に和泉山脈、北西部に六甲山地があって、山がないのは南西側の大阪湾だけで、盆地に近い平野であり、かつ、周囲の山はそれほど高くない。 そういう場所に、↑の千里タワーのような高層建物を、もともと、低い場所ではなく、千里丘陵といって、丘になっていくらか高い場所に建てるとどうなるかというと、「向こう側の山」よりも高い建物になってしまうのです。 アラブ首長国連邦のブルージュハリファーという世界一高い建物などは、片方は海、片方は砂漠という高さを比較する自然構築物がない場所に作られた建物です。 東京都庁舎とかですと、東京の場合、まだしも、関東平野は大阪平野などよりずっと広いので、周囲の山と比較はしにくいのですが、大阪平野のような狭い平野で周囲の山よりも高い建物を建てると↑のようになるのです。 私は、↑のような周囲の山よりも高い建物というのは、それは、それだけ高い建物を作るに際して技術はあったのかもしれないけれども、精神的文化的には野蛮で下劣だと思います。
3. そして、この「屋根」の形状ですが、軒がこれだけ深いというのは、積雪時の出入りのことを考えたということか。 JR金沢駅の東口は(白江建築研究所。 竣工 2005年。 建材 アルミ合金、ガラス、木材。)、「もてなしドーム」「鼓門」と称して作られたものは、≪雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出すもてなしの心」を表現した≫(アフロ『絶対に行きたい! 世界の現代建築』2013.1.1.中経出版 中経の文庫)というものらしく、金沢駅は東口(南東側。山側。金沢城、兼六園、成巽閣などがある側。)だけでなく、西口(北西側。海側)もまた、軒が深い建物になっています。 〔 金沢駅については、[第456回]《金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館、泉鏡花記念館、金沢別院 他 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html 参照。〕
高山に訪問するのは5回目ですが、8月に1回、9月に3回、10月に1回と真冬には行ったことがないので、冬場どういう気候になるのか、よくわからないところもあるのですが、建っている建物の屋根などを見ても、少なくとも、東京や大阪などよりも雪は多く振り、そして、積もるのではないか。 そういったことを考えた屋根ではないのか。 金沢と同じく、駅を出てすぐの場所には雪が積もらないように、そこまで軒を出したということか。
真冬に行ったことがない者が推測で述べるのは限界があるでしょうし、それよりも、冬、寒そうな地域、けっこう雪が降りそうな地域に、温暖地に住んでいる人間が春から秋にかけての季節にだけ訪問するというのも、その地域の人に失礼な気もするのですが、やはり、この軒は、駅を出てすぐの場所に雪が積もらないように、駅を出てすぐの場所は普通に歩けるようにという配慮からのものかな、と思いましたが、どうでしょうか。
又、屋根が寄棟や切妻のような形状ではない。 東京国立博物館などは戴冠様式といって、鉄筋コンクリート造の建物の上に和風の屋根を載せているが、高山駅は壁面は高山の「古い町並み」の町家の外観と色彩を合わせているが、屋根については「ぺったんこの屋根」になっている。 これは、東京や大阪などと違って、冬場、雪が積もった場合、その量が半端じゃないので、寄棟・切妻の屋根にして、一般の建物なら3階建てくらいの高さの屋根から凍った雪の塊が落下して通行している人の上に落下すると危険なので、それで、雪が落下しないように、わざと、「ぺったんこの屋根」にした・・ということなのか?
雪というものは、落とすものなのか止めるものなのか。 これは、けっこう難しい問題のようで、落とすにしても、人が屋根に登って雪かきの作業をする場合には、人が屋根から落ちないよう、雪かきの作業ができるように緩やかめの勾配にすることもあるようです。 札幌の住宅建築業の会社のカタログを見ると、ほとんどの建物が「ぺったんこの屋根」でできていたので、「これは、こういうデザインがいいと考えて、陸屋根でも大丈夫だという判断でされたものなのですか」とその会社の人に質問したことがあるのですが、デザインからそうしたのではなく、雪が落ちたら危ないので、それで、雪を落とさないように陸屋根にしているのであり、北海道ではそういう屋根にしている家が多いのだという返事でした。 その地域によっても考え方に違いはあるのかもしれません。 高山の家を見ると、金属の屋根材を使用している家が多いけれども、金属の屋根材であって、同時に雪止めがついている家も多い。瓦だと、水分がしみ込んで行って、そこで凍ると瓦が割れるといったことがあるが、金属の屋根材は、そういうことはない。 又、瓦や彩色スレートよりも勾配が緩やかでも雨は流れる。 雪を止めるものではなく、落とすものだと考えるならば、金属の屋根材の方が雪は落ちやすいはずだ・・・・が、金属の屋根材で、かつ、雪止めがついている家もある。 そのあたり、考えがあってされているのでしょうけれども、よくわからないところもあります。 [第283回]《飛騨国府駅・国府交流センター・「耳付き片流れ屋根」-高山シリーズ第2回(6)、 屋根の形状の適否 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html で、高山市国府町で、『耳』付き片流れ」の屋根のの賃貸アパートかと思われる建物を見て、なるほどと思ったことを述べました。 高山駅の場合、雪が屋根に積もった場合、下に落下させないという前提で「ぺったんこの屋根」にしたのではないのか、と思いました。 私よりよくわかっている方、もし、違うようなら、お教えください。
高山では、屋根の形状について、考えて作られていると思った建物をいくつも見ました。 それに対し、私が今までにかかわった会社でも、
屋根、軒というものを、
(1)雨や風、雪を防ぎ、
(2)軒は夏場、太陽が高い位置にある時は日差しを遮り、冬場、太陽が低い位置にある時は日光を部屋の中まで入れる調節装置である、
(3)夏場、屋根が日に照らされた時、小屋裏部分が温度の緩衝帯となって最上階の温度の変化を和らげるものであり、又、
(4)小屋裏と軒は壁体内の湿気を外に出す経路でもある
(5)小屋裏は最上階、2階建なら2階の部屋の電気などの配線が通る場所である、
という屋根の機能をまったく考えず、単に建物の頭の上についている飾りのように考えて建てている会社がありました。
東海住宅(株)〔本社 千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ は、建築もやっているとはいえ、不動産業の方が中心の会社なので、もともと、建築業としてのレベルが低い。 私が在籍した時、建築部の担当の取締役で後に社長になった(が今は社長は別に人間になった)当時は常務取締役であった人相が悪くて目つきが悪いいかにも不動産屋て感じの大澤(男。 2008年当時、50代)が、「うちだって、カネさえかければ、小堀住研や一条工務店と同等のもんはできるんだ」と発言したことがあったが、この文句は、2010年、新華ハウジング(株)〔本社 千葉市中央区。 2013年に倒産〕の社長の長谷川(男。2010年当時、40代前半)も似たことを口にしたことがありましたが、「安物屋」の社長が口にすることが多い文句であって、普段、問題の多い建物ばかり作っている安物屋の工務店が、カネさえかければできるかというと、実際にはできません。 また、東海住宅(株)で設計を担当していたシンは、2級建築士を自慢にしていた男でしたが、普通、「いっきゅうけんちくしい~い」というのは日本には言いたいアホがいっぱいいるのですが、2級建築士の場合、「2級建築士なんだぞお」などと言っても、「なんだ、1級じゃないのか」と言われるのが関の山なので言わないものなのですが、それを言う男でしたが、「彼らが言うことを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインが言ったという言葉を方針として考えると、即ち、実際に設計したものがどういうものかを見て判断すると、「しろうと以下」でした。 「しろうと以下」の「2級建築士なんだぞお」の実態を見抜くことができない、「まるで不動産屋みたいに人相が悪い」常務が「建設部の責任者」をやっていた会社でしたから、だから、屋根とは何かなんて、考えもせず、無茶苦茶なものを作っていたのです。
アイダ設計(株)〔本社 埼玉県上尾市〕http://www.aidagroup.co.jp/ もひどいものでした。見込客・契約客はしろうとです。しろうとさんがいいと思うものでも、そういう屋根にして建てたのでは、入居後、いいことないですよと思ったら、少なくとも、黙ってそのまま建ててはいけない。 どういう長所短所があるのかといったことをきっちりと説明して、その上で計画を進めないといけない。ところが、アイダ設計(株)の担当者にはその当たり前のことをする実力がない。特に、営業担当者に、こういう対応をしたのでは後から問題が発生する、そうならない為にはどうしないといけないか、といったことを考える能力がない。
また、誰が誰々の縁故でといった採用が多いようで、その為、実力もないのにおのれの実力以上の役職についているという人もいたようであり、そのあたりにも原因がありそうに思えました。アイダ設計(株)の場合、経営者がそのあたりについて、まったく気づいていないというわけでもないらしいと思えるところもありましたが、改善されるかどうかの見通しはあまりいいとは思えませんでした。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社 東京都中央区〕https://www.freedom.co.jp/ はもっとひどい。構造を考えて、その上でデザインも優れたものを作るのがプロの設計者のはずであるが、これまで、構造を考えるとやらない方がよいとして多くの建築業者が避けてきたものを、そういったことをちっとも考えずにやる。それを「世界でただひとつの家」とか思っている。「しろうと」のやることです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)がやっていることは。
ひとつには、建築専門学校というものに問題があると思います。もともとは専門学校というものは、短大と違って、そこで身に着くものはあっても「学歴」にはならなかったはずなのですが、最近、建築会社では建築の専門学校を卒業したという者に、建築の専門学校を「学歴」に準ずるような扱いにする会社が増えてきたのですが、「学歴」と評価するほどの内容を学んできていない、もしくは、むしろ、害があるようなことを学んできている人間を、大学に準ずるような扱いをするものだから、つけあがってしまって、それで、無茶苦茶なことをする。
もうひとつ、建築基準法という法律は、あくまでも、この法律に違反するような建物は建ててはいけませんよという法律であって、建築基準法を守りさえすれば間違いのない建物ができますと国が保証したわけでもないし、建築基準法を守ってさえすれば、竣工後に問題が出ても建築業者は免責されますという法律でもないのです。ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では、登録1級建築士になった石塚(男。2015年当時、60代前半?)が、「うちは違法はやってないから、うちは悪い所はない」などと発言し、「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」とぬけぬけと発言するという態度をとっていました。 又、幹部社員であるアフター課の山本大輔(男。2015年当時、20代前半)は、構造上、問題だらけの建物のことを、「うちは、構造に問題のあるものは一切建てていませんから」と居直るという態度をとっていました。おまえ、この建物の設計に構造上、問題があるということ、そんなこともわからんのかとあきれました。山本は、入居後1年の「点検」に行くと、壁や天井のクロスが割れまくっている家に行って、「クロスは、入居後1年ではどうしても割れますから」とデタラメをどこの家に行っても言っていましたが、確かに、入居後1年以内というのは、それより後に比べて、壁や天井のクロスは割れやすいのですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した建物で壁や天井のクロスが割れまくるというのは、それだけではないのです。 構造を十分に考えた設計をやっていないから、構造上、無理があるから、無理がある所でクロスが割れているのです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」がデタラメの設計をしているから割れたのです。はっきりしています。 私がこれまでに勤めてきた会社では、入居後1年くらいにおいて、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した家みたいに割れまくったりしていないのです。 アフター課として、言い訳せざるをえないという立場もあるとしても、これは、設計が無茶苦茶だなと認識した上で、言い訳としてしかたなしに言っていたのか、それとも、本当にそんなことを思っていたのかというと、山本の場合、後者のはずです。おまえ、そんなこと、本気で思ってるのかとあきれました。 そういう態度ですから、たとえば、2015年には、東京都八王子市の高尾で建てたお宅で、竣工後、1年も経たないのに、陸屋根の下に入れた断熱材(グラスウール)が湿気て黒くなっているという事態になったことがありましたが、これなども、陸屋根にするだけでなく、屋根と壁のとりあいの部分において、屋根を壁より外に出すのではなく、壁の方を屋根より上に出すという非常識な方法をとったことをおこなっており、こういうことをやっていたのでは雨漏れを起こすのは当然だと思われました。そのお宅の屋根の下の断熱材(グラスウール)が湿気て黒くなった原因が何かははっきりと究明できなかったようですが、未熟な設計担当者が「こんなことやっていたら問題がでるのは当然」という設計を得意になってやっていた、会社が平気でさせていたのは明らかであり、直接的原因が何であるかにかかわらず、それが本質的原因です。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計会社で、施工会社は別であるという点のも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に構造に問題がある設計が多い原因があると考えられます。 東海住宅(株)などという基本的には不動産屋であって建築会社としては相当いいかげんな会社でも、私が在籍した2008年においては、土台にLVL(ラミネイティッド べニア ランバー)を使用していたのですが、過去においては「ボリデン」(「注入土台」)(べいつが〔ヘムファー〕に防腐防蟻剤ACQを加圧注入したもの)を使用していたが、土台が「ボリデン」(「注入土台」)では、というより、べいつが(ヘムファー)では、壁の窓回りでクロスが割れて困るということで、LVLに土台を変えたというのです。 そして、LVLに変えると窓回りでのクロスの割れはほとんどなくなったというのです。 戦前の木造住宅では、「束立て方式」といって、連続基礎ではなく、建物の周囲にも内部と同じように床束(ゆかづか)が立ってその上に土台が載っていたのですが、戦後、連続基礎の上に土台を寝かせてアンカーボルトで接合し、鉄筋コンクリートの基礎の上に乗せた土台の上に柱を立てるという方法になったので、土台はそれまでほど頑強な材料でなくてもあくまで腐り・白蟻に強いものであればよいということになったのですが、そうはいっても、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したという土台材の場合、べいつが(ヘムファー)は「やわい」、柔らかいので、土台がめり込むことがある・・と言われたのです。 しかし、(株)一条工務店に在籍した時、上棟の作業に参加して、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を加圧注入した「注入土台」と柱との間に鎹(かすがい)を打ち込む作業と、鎹が柱のツラ(表面)に収まるように、柱と土台を鎹の大きさにノミで削る作業をやりましたが、べいつが(ヘムファー)はノミで削ってみると、決して柔らかくなかったのです。杉の方がよっぽど柔らかかったし、桧と比べてもべいつが(ヘムファー)は柔らかくはなかった。 しかし、現実問題として、東海住宅(株)では、べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したという「注入土台」を土台に使用したという家では窓回りでのクロスの割れが多かったのが、LVL(ラミネイティッド べニア ランバー)に土台を変更したら、窓回りでのクロスの割れはほとんどなくなったというのですから、やはり、「注入土台」〔べいつが(ヘムファー)に防腐防蟻剤を注入したもの〕はLVLなどに比べて、「柔らかい」のかどうかわかりませんが、柱がめり込むのか何か、そういった問題が発生しやすいところがあったのかもしれません。 東海住宅(株)のような建築会社としてはいいかげんな会社でも、自社で設計をして自社で施工をして引き渡すということをやっているとそういうことを考えるのです。 それに対して、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の場合は、設計会社であって、施工会社は別の会社ですから、「うちは違法なことはやってないからうちは悪くない。悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」と登録一級建築士の石塚が発言するようなそういう姿勢になるようです。 だから、構造に問題があると思われる設計をおこなっても、建築基準法違反でさえなければ、「悪いのは施工した工務店かお施主さんだ」という主張になってしまうため、構造を考えた設計をしようという姿勢にはなかなかならないようでした。 設計会社と施工会社が別の会社である場合、「うちは悪くない」と互いに言いあう、特に「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」と設計会社が言い張るというのを目の前で見ると(一般的には、設計に問題がありすぎるとしても、設計会社としては建築基準法違反でない限り「悪いのは施工した工務店かお施主さんかどっちかだ」という認識であるのを見ると)、又、自社で施工しないことから施工者から学ばない、問題の無い施工ができる設計をしようという姿勢が欠落した未熟な若造の設計者を見ると、設計会社と施工会社は別でない方がいいのかという印象を受けました。
不動産屋で建築も自分の所でやれば建築でも利益をあげられるという程度の認識で建築を始めた会社がいいかげんなのはわかります。 「設計事務所の先生」「設計士さま」と、わけのわからん入学試験なんか何もないようなカネさえあれば誰でも入れる建築の専門学校を出ただけというにいちゃんに名乗らせれば、人は言うことをきくと思っているような設計会社がいいかげんな設計をするというのもわかります。 そういう会社を見抜くことができない客は、基本的には被害者かもしれないけれども、見抜くことができなかった、という点では、まったく責任がないとも言えない。 一般消費者もまた、自分自身でそのあたりを考えて、この相手に頼んでいいのかどうかということをよく考える必要があると思います。
前の高山駅は平屋で、向こう側のホームから乗車する場合に跨線橋を通ることはあったわけですが、高山本線に乗ることがなければ、跨線橋に登ることもありません。 それに対し、今度の建物では、高山本線に乗らなくても駅の向こう側へ移動するのに通行することができます。 そして、2階(高さとしては一般の建物で3階くらい?)から向こうを見えることができる・・・・ことから、あれ・・・・、なんだ、これは? というものを見ることも出てきました。 ↓
↑ 駅の西側に見えるこれは何だろう?
雨天の為、けぶっていますが、デジカメのズーム機能を使って撮影しました。
「フライデー」2011.7.1.号(講談社)の「フォトルポ なぜかくも奇怪な姿をしているのか――研究 日本の宗教建築」に何なのか載っていました。
高山駅の西側に見える↑は、「崇教真光」(すうきょうまひかり)だそうです。
≪ 大きなカーブを描く、輝く屋根が度肝を抜く。 中央の上部には赤い玉が乘り、屋根の下には木造建築を思わせる柱やイスラム風の尖頭アーチ(頂部を尖らせたカーブ)が連続する。・・・≫
≪ 1974年、世界真光文明教団の教祖・岡田光玉が亡くなった後、団体は分裂、養女の岡田恵珠(けいしゅ)が崇教真光(すうきょうまひかり)を創立した。 飛騨高山を“ 人類創世の聖地 ” とみなし、1984年にこの「世界総本山・主神神殿」を彼の地に建立。 これによって、本来起こるはずだった天変地異の時期が延ばされた、と教団は説明している。 ≫
≪ 屋根の曲線は「天地の抱擁」を、赤い玉は「天祖降臨」を意味する。 また、外壁などの細部には、多くのシンボルマークを配置。 2つの三角形から成る籠目紋、菊花紋、鉤(かぎ)十字、十字形など、宗教的な装飾に溢れている。 ≫
というものらしい。
「崇教真光(すうきょう まひかり)」とはどういう宗教団体なのか。島田裕巳(しまだ ひろみ)『日本の10大新宗教』2007.11.30.幻冬舎新書)の「7.世界救世教、神慈秀明会と真光系教団」によると、
≪ 世界救世教が分裂や分派をくり返してきたことについてはすでにふれたが、そうした分裂や分派とは区別されるものの、浄霊や聖地の建設、自然農法への関心といったところで共通しているのが、世界真光文明教団(せかいまひかりぶんめいきょうだん)や崇教真光(すうきょうまひかり)といった真光系教団である。 実際、その創立者となる岡田光玉(おかだ こうたま)は、一時世界救世教の有力な信者、布教師であった。 ただ、光玉が世界救世教の影響を受けていることは間違いないにしても、教会ごと脱退しているわけではないので、分派とは言えない。
光玉は、1901(明治34)年、陸軍少将主計総監までつとめた岡田稲三郎(いなさぶろう)の七人姉弟のただ一人の男の子として東京に生まれた。 本名は良一であった。 父親は54歳でなくなっており、その後、光玉は、陸軍士官学校へ入学し、日中戦争では仏領インドシナで実戦に加わり、陸軍中佐までのぼりつめたものの、胸椎カリエスと腎臓結石を患い、予備役に編入された。
その後、実業界に転じるが、・・・・
・・・光玉は、五日間高熱にうなされ、人事不省に陥った中で神の啓示を受ける。 「天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。 厳しき世となるべし」という啓示だった。・・・・
光玉は、L・H陽光子友之会(ようこうしとものかい)を創立し、事業化としての活動をつづけながら、宗教活動を展開するようになる。 1963年には、組織の名称を世界真光文明教団に改めている。そして、次第に信者を増やしていくことになるが、その教えがシンプルで、教義や戒律をほとんど問題にしないことが広く受け入れられた原因だった。
新宗教に入信する動機として、一般に「貧病争」ということが言われる。 光玉は、そうした不幸の原因が悪霊による憑依によるものだととらえ、浄霊によってその霊障を取り除くことができると説き、浄霊を「真光(まひかり)の業(わざ)」と呼んだ。 具体的には、霊障に苦しむ者の前に、「(神)組み手」と呼ばれる信者が座り、右手を額の前にかざすと悪霊が動き出す霊動が起こり、それによって浄化され、不幸の原因が取り除かれるというのである。 組み手になるには三日間の研修を受ければいい。
基本的には、これがすべてで、その救済のシステムは極めてシンプルである。 真光の業と霊動との関係は、野口晴哉(はるちか)の創始した「野口整体」における「愉気(ゆき)」と「活元(かつげん)」を宗教的、霊的に解釈したものである。 さらに、光玉は、1962年から、神による裁きである「火の洗礼」がはじまったとする終末論的な予言を行った。 こうした予言は、73年のオイル・ショック以降、世の終わりに対する恐れを抱いた若者を教団のなかに取り込んでいく上で重要な役割を果たすことになった。
しかし、1974年に光玉が73歳で亡くなると、後継者が決まっていなかったため、内紛が起こる。それは、裁判沙汰までなり、教団は高弟の関口榮が継承し、光玉の養女であった岡田恵珠(けいしゅ)が独立して、崇教真光(すうきょうまひかり)を名乗ることになった。 世界真光文明教団からは、依田君美(きみよし)の神幽現(しんゆうげん)救世真光文明教団が独立している。 心霊劇画を描いている黒田みのる は、同時に ス光光波世界神団(ひかり こうは せかい しんだん)の開祖でもあるが、黒田は、一時 世界真光文明教団の信者で、手かざしも取り入れている。
世界真光文明教団と崇教真光の場合、世界救世教、さらには大本の影響は、聖地の建設というところに示されている。 世界真光文明教団では、伊豆の修善寺近くの山中に高さ60メートルの首座世界総本山をかまえている。 また、崇教真光の場合には、飛騨高山に高さ50メートルの首座黄金神殿をかまえている。
首座黄金神殿は、屋根に亜鉛と銅の合金である丹銅板が使われ、金色に輝いている。 俳優の丹波哲郎が映画『大霊界』の撮影を行ったとき、霊界のロケ地に使われたのが、この神殿だった。
また、崇教真光では、神殿から近い丹生川(にゅうかわ)村(現 岐阜県高山市)に陽光農園を作り、無農薬、有機肥料の農園を営んでいる。 こうした自然農法への関心も、世界救世教の場合と似ている。 ・・・≫
という。
《ウィキペディア-岡田恵珠》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%81%B5%E7%8F%A0 によると、岡田光玉の養女で分派して崇教真光 を名乗った「教え主」の岡田恵珠は、2016年9月18日に亡くなったらしい。 高山市内に、他に、1999年に 光ミュージアム、2002年に高山市久々野町に 真光隊訓練・修練施設「真光青年会館」が作られたらしいが、岡田恵珠の住居は「静岡県熱海市」と出ており、特に高山の生まれとか育ちといったことは書かれておらず、これらの施設の場所として、なぜ、高山が選ばれたのかは書かれていない。
新装「高山駅」は様々なことを考慮して工夫して作られていると思うのですが、前の駅舎に愛着があった者としては少々寂しい思いがします。千葉市立美術館・中央区役所の建物は旧 川崎銀行千葉支店の建物を覆う「鞘堂方式」で建てられたようなのですが、何かそういう方法でもできなかったのかとか思ったりもしますが、もう、建て替えられたものはしかたがない・・のかもしれないが、知らない間に無くなってしまったというのは少々ショックでした。
新「高山駅」で高架部分に東側の出入口のことを「乗鞍口」と表記されていました。たしかに乗鞍岳は高山駅の東側に位置しますが、乗鞍岳は高山と長野県の松本・塩尻の中間付近にある山で、そこまで遠くのものの名称をつけなくてもという気がしましたが、どうでしょうか。
「崇教真光」という団体ですが、菅野完『日本会議の研究』(2016.5.1.扶桑社新書)に掲載の「日本会議本部の役員に名を連ねる宗教団体関係者」という表を見ると、 「崇教真光 教え主 岡田光央」 が日本会議本部の代表役員になっているのが見えます。 ・・・・「古い町並み」を「売り」にしている高山市で、 「飛騨高山まちの博物館」において、由緒ある木造建築のひとつなのですと紹介されていたJR高山駅を壊し、今までは最も東寄りのホームに停車する列車には階段もエスカレーターも登らずにそのまま乗り降りできたのに高架の部分に改札口を作った新駅舎を造って上り下りが必要にし、かわりに西口から出入りすることができるようにしたというのは、駅の西側にある崇教真光のため・・・なんてこと、ないだろうな・・・・?
高山シリーズ第4回≪16≫https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html では、高山市内で見かけた分譲地における片流れ屋根の住宅展示場について述べたいと思います。
(2016.10.30.)
☆高山シリーズ第4回
1.2.3.4.5.6.
7. 東山遊歩道(5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃 (10)川上家別邸跡史跡公園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、無人交番についてhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新 「高山駅」 〔今回〕
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
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