金沢城 2-「出窓」兼「石落とし」、隠狭間、塀の控え・・・

[第449回]
   今まで、いくつかの城郭を見てきましたが、他で見たことはなく、金沢城においてのみ見たものに、↓の「出窓」があります。
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↑ ≪ 要所要所に唐破風の出窓が石落となって並ぶ ≫(西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』(2009.11.13. PHP研究所 PHPムック)ということで、もしも、敵が攻めてきて石垣をよじ登ろうとする者がいたら、この出窓の下から石を落として墜落させるためのものだというのです。 
   城郭の建物に出窓がついている場合と、塀に出窓がついている場合があります。 塀の内側は、↓ のようになっています。 内側は唐破風のものと切妻のところがあります。
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   「出窓」を下から見ると、↓
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のような状態。 下から見ると、出幅はそれほど大きくありません。
   熊本城は城の建物全体が石垣からいくらかオーバーハングしており、石垣をよじ登ろうとする者がいた場合にはオーバーハンブした部分から石を落とすようになっていたようですが、金沢城は建物自体は石垣の外面(そとづら)と一致して建っていますが、その建物から外に出た出窓の下が開閉するようにできていて、出窓の下部から石を落とせるようになっているというのです。

   しかし、もしも、本当に石垣をよじ登ってきた者がいた場合に、出窓から石を落としたとして、そんなにうまく命中するのでしょうか。 熊本城のようにすべての場所がオーバーハングしておれば、上から石を落とそうとすればどこにでも落とせるとしても、金沢城のように≪要所要所に≫石落としの出窓があるという場合、はたして、うまく命中するものかどうか。 金沢城は、そこで実際に戦闘がおこなわれることはなかったようなので、この「石落とし」の出窓が機能したのかどうかはわからないようです。
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↑  塀の内側で、出窓と出窓の間に、四角形の枠があるのは、≪長塀に切られた隠狭間。≫(西ヶ谷恭弘「金沢城の構成」〔西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』〔PHP研究所〕所収)だそうです。 出窓の方は、実際には石落としのためというよりも意匠上のものかもしれないとも思ったのですが、塀の外側から見ると、その存在がわからないので、これはあくまで軍事上の機能を考えてのものでしょう。
※「狭間」・・・・狭間(さま)とは、おもに日本の城の天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のこと。銃眼、砲門とも。内側から外側に向かって円形・三角形・正角形・長方形などの穴が開けられており、戦闘の際はそこから弓矢や鉄砲などで攻撃した。(《ウィキペディア―狭間》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E9%96%93 )

   金沢城で初めて見たものに、↓の「控え」は、≪ 上の横材(飛貫)にスノコか歩板を渡して、上からの攻撃を可能にした≫(西ヶ谷恭弘「金沢城の構成 金沢城の構造と仕組み」〔西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009.PHP研究所〕所収)という。 このあたりを見ると、金沢城は、実際に戦闘になった場合のことを考えた城になっています。
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一方で、≪ 慶長7年(1602)に天守が落雷で焼失するも、天守台には小規模な三重櫓を再建しただけで大規模な天守は再建していない。≫(下條一郎「金沢城の歴史」 〔西ヶ谷恭弘監修『新版 名城を歩く3 金沢城』2009. PHP研究所〕所収)といっても、もとより、天守閣といったものが、城において、戦闘の際にどれだけ役に立ったかというと、それほど役に立つものでもなく、何のためにあるかというと、「こけおどし」だという説もあるくらいであり、一方で、天守は焼失した後は再建せず、徳川家康を神と祀る東照宮を金沢城内に作って徳川に恭順の姿勢を見せながら、もしも、いざという時には闘えるように、塀の内側には、塀を支える「控え」だということにしてその上から攻撃できるように用意し、石落としも「出窓」だということにして設置し続けた・・・ということか。 もしくは、「仮想敵国」は徳川ではなく近隣の他大名か、あるいは、一揆の勢力だったのか。 天守を設けないあたりは、武装解除したかのように見せて、必ずしもそうではなかったのかもしれません。 縁組を続けて徳川の親戚のようになったといっても、そもそも、明治維新の時、御三家の尾張徳川家は討幕側についたわけで、縁戚だから味方だとは限らないわけです。 天守閣は「こけおどし」として設けて威圧した方がいい場合は設けてよいが、武装解除したかのように見せかけたい場合は、なければないでいいというものだったので設けなかったが、塀の内側の「控え」とかは、いざという場合に備えて作られていた、ということなのか・・・・。 そう考えると、「出窓」も今はそれが「石落とし」だと書物で知ることができますが、江戸時代においては、単に外から見た限りでは、意匠上のものか、あるいは中から外を見るための機能のものかと思わせておいて、実際には軍事上の機能を持っているというように作ったものだったか、とも思えてきます。

   ↓は、橋爪門の所の「出窓」ですが、これなどは、地面から出窓までの高さが対してありませんから、「石落とし」はやってもたいして意味はないと思われます。 すべての「出窓」が石落としの機能から設けられたものではなく、もっぱら意匠上のものとして設けられたものもあるのではないでしょうか。 もしくは、意匠上のものとして設けられているが、いざという時には「石落とし」として役立つようにするには、石落としとしての役割が特に必要でない場所にも同じ意匠の「出窓」を設けておいてこそ、それが「石落とし」であると、外見上、気づかれないようにできるということで、石落としの機能が必要でない場所にも設けられたのか。
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    小堀住研(株)にいた時、和風の家を建てたいが、娘が出窓を設置して欲しいと言われて設けたことがあります。 (株)一条工務店にいた時、やはり、和風の家を建てたいが出窓を設置して欲しいと娘が言うという方がありました。 その際、「出窓は洋風のものではないか」「和風の家に出窓は合わないのではないか」と言われたのを覚えています。
    和風で建てたいと言いながら、同時に、屋根に「リカーノン」「ドーマー」をつけたいと言われる方も過去にあったのですが、無茶言うなと言いたいところですが、何を目的につけたいのかにもよります。 家族でデザインについての希望が異なっており、全体として和風で建てたいという主人と、洋風でドーマーのある家がいいという誰かとがいて、それを両方かなえてほしいと言われても、その前にもう少し家族で話し合った方がいいのじゃないのかということになりますが、そういうことではなく、最上階(2階建てなら2階)の面積がある程度以上広く、中廊下がある場合に、中廊下への採光のために「ドーマー」「リカーノン」をつけたいということであれば、あるいは、隣家と接していて、最上階の部屋に側窓を大きくとると隣家の窓と面してプライバシーを保てないので、上から採光を採りたいということであれば、「ドーマー」「リカーノン」という言葉は欧米の建物の用語ですが、日本の昔からの家でもそれに該当するものが設けられたことはあるわけで、和風の家で「ドーマー」「リカーノン」に該当するものを設けることは可能だと思うのです。 (株)一条工務店の経営者などは、「注文住宅ですから、間取りやデザインはどうにでもなります」と契約前は言った上で、契約後になると、少しでも変わったことをするのを嫌がりますが、そうでなければ、可能なはずです。(株)一条工務店の場合、少しでも変わったことをするのを嫌がるというのは、設計担当と工事担当の実力が不足しているから、少しでも変わったことをすると施工ミスがでるということもあるようですが、同時に、そういった対応をする能力がない営業が営業本部長とかになっていたからということもあるようです。おのれが対応能力がないからといって、他の将来がある従業員にまで対応させないようにしようというのは、いかがなものかと思いますね。 [第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html で、岐阜県高山市の「さんまち」と言われる伝統的建造物群保存地区の家屋の「リカーノン」「ドーマー」に該当するものの写真を掲載しています。御覧ください。
※《ウィキペディア―ドーマー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC
《ドーマー 画像》http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC
《住宅建築専門用語辞典 ドーマー》http://www.what-myhome.net/20to/doumaa.htm 

    和風の家で出窓を設けるということはデザイン上可能か。 一般に戸建住宅で出窓を設ける場合に、出窓には、建築工事として作る出窓と、アルミ製・鋼製の既製の出窓があり、アルミ製・鋼製の出窓の場合、洋風の家でも和風の家でも対応できるデザインのもの、もしくは、どちらかといえば洋風用だが和風の家に設けてもそれほど変ではないというものと、最初から洋風の家、それも、「和洋折衷の洋寄り」とかではなく、また、「日本の町並みに適応するように考えられた洋風」ではなく、「欧米の家をそのまま持ってきたような洋風」の家にとりつけることを前提として作られたものがあります。 「欧米の家をそのまま持ってきたような洋風の家」につけることを前提として作られたアルミ製・鋼製の出窓を和風の家につけろと言われても、それで違和感がないように考えてくれと言われても、無茶言うなと言いたくなりますが、そうではなく、和風の外観の家だが、デザイン上悪くない出窓を設けたいということならば、この金沢城の「出窓」を考えれば、和風の家で出窓を設けるのは決して変ではないし、ありうることであり、そのデザインをうまくできないという設計がいるならば、それはおのれの実力の不足を恥じるべきでしょう。 (株)一条工務店のように、少しでも変わったことはさせてたまるかという営業本部長の会社では、「構造が大事であって、間取りをどうするかとかデザインをどうするかなんてことは、どうにでもなることなんですね」とぶっさいくな家ばっかり作ってる会社の人間が言って契約させて、いったん、契約すると、「浜松型イナカ風のヨーフー」か「1階部分にタイル貼ったヨーフー」か「日本瓦が屋根に載ってるから和風」かの3種類しか、実質、外観デザインはない、ということになりますが、なんで、そんなことしたがるかなあ~あ・・と思いますね。 センスが悪い、頭の中身がじじむさい、経営者が貧困な精神ということが原因でしょう。

   次回、橋爪門・橋爪門続櫓・菱櫓・五十間長屋から、三十間長屋・本丸跡へ進みます。

   大学は正規の入試を経て入る者と裏口入学で入る者で、どちらが「思考が柔軟」でどちらが「思考が堅い」かというと、薬漬検査漬毒盛+裏口入学大好き人間は、正規の入試を経て入る者の方が「思考が堅い」、金権裏口入学する者が「思考が柔軟なんじゃあ」と考える、「診断」するようですが、私などは、そうではなく、「思考が柔軟」なら、その柔軟な思考を生かして、正規の入試を経て入るべきだと思いますね。 世の中いろいろ、人間いろいろ、なのかもしれませんが、金権裏口関西医大に裏口入学するヤツのおかげで、薬漬検査漬毒盛でいじめられる「患者」が何人でることかと考えると・・・、と思っても、裏口入学大好き人間には、そういう思考はない、そういう思考をする人間は「思考が堅い」と主張するのでしょう。

   大手門から河北門を経て、三の丸広場まで来ました。 三の丸広場から橋爪門を経て二の丸広場、二の丸から本丸へと、正規のルートで進みます。
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↑ 三の丸広場から見た、菱櫓・五十間長屋(復原)。

   重要文化財に指定されている石川門を見たいということなら、「兼六園下・金沢城」バス停から直行してもいいでしょうけれども、この城はどういうものだったのだろうかと考えるには、やはり、大手門から入った方がいいと思います。 大学も裏口からではなく正規のルートで入った方がいいと思います。

   次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html 、橋爪門・橋爪門続櫓・菱櫓・五十間長屋に行きます。
   (2016.10.16.)

☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」 〔今回〕
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_9.html
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html


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