兼六園 《上》桂坂口から琴柱灯籠・虹橋・霞ヶ池・栄螺山、噴水、内橋亭、唐崎の松

[第453回]
    金沢城は大手門から入って搦手門(裏口門)の石川門から出ました。 お城も大学も入るのは正門から入るべし、と思うのですが、一方、出るのはどちらから出てもいいのです。 大学だって、正規の入試に合格して入れば、進級・卒業については、「どうにでもなる」かというと、そんなことはない。 コネとカネで入ったような人は入学後も「どうにでもなる」かもしれませんが、一般入試で入った人間はそんなことはない。 今は昔、「朝日ジャーナル」に載っていた話ですが、慶應義塾大学には進級が危ないという時、3つの方法があるといい、1つ目は落としそうな科目の教授の家に一升瓶を持って行くというもの、2つ目は福沢諭吉の墓参りをするというもので、その2つより強力な3つ目があって、日本橋の三越本店の入口の前に座っているライオンに、三越の営業時間中に人が見ている前でまたがると留年しないという話があると書かれていたのですが、私は、三越本店まで行ってそのライオンを見てきたのですが、三越本店の入口にライオンは座っていましたが、そこの説明書きによると、そのライオンはロンドンのトラファルガー広場にあるライオンを真似て作られたもので、「このライオンに人に見られることなくまたがることができれば願いがかなう」であって、実際には人通りが多いところなので人に見られることなくまたがるということは簡単ではないというものであって、「人が見ている前でまたがると留年しない」ではなかったのです・・・・が、誰が考えたのか知りませんが、ジョークとしてはセンスは悪くないジョークだと思いますが、さすがに、実際にまたがる人間は見たことがない。 で、それはさておき、いったん、入学すると、大学の先生もできるだけ留年させたくないし、卒業させてあげたいと考えるようで、特に、今もそうかどうか知りませんが私が行っていた頃、1980年前後、東大は教養4年まで・学部4年までで1年から2年、3年から4年は特に問題なく進級できるという話で、京大・早稲田・関学は全体で8年までで1年から4年までは進級できるらしく、卒業できるかどうかだけが問題であるのに対し、慶應は各学年2年までで、2年かかって進級できないと「放校処分」となってしまうので(そのかわり、早稲田大でまったく単位を取得せずに4年まで進級しても、4年分を1年で取得することはできないので、まず、卒業できない。慶應大は4年で卒業できない場合でも、4年になった人間は1年から3年までの分は取得できているので、不足はあくまで1年分なので、1年、留年すれば卒業できる可能性はあるという制度。だから、広末涼子なんてのは、あれは、4年までは進級できても卒業はまず無理で、「早稲田大中退」の芸能人が多く、「早稲田大卒」ではなく「早稲田大野球部卒」などの野球選手他運動選手がけっこういるらしいとかいう話はそのあたりに原因があるようです)、その学年を2回目やっている人(留年生)については、よっぽどのことがない限り「D」はつけない(今もそうかどうか知りませんが、私が行っていた頃は、A・B・Cが合格でDが不合格でした)という方、留年生は出席さえしておれば試験の成績が悪くてもDはつけないという方もおられました。私自身も、あの科目はそれほど勉強したわけではないけれどもAがついたのは少々おまけしてもらったかなという感じの科目もあり、CとDの境目付近だったかと思うがCにしてもらったかなという科目もありました。逆に、Aでおかしくないはずなのに、なんか、あの人に嫌われたか、あのおっさん、嫌いだと思った学生にはAでもCをつけるのかという感じの教授もおられましたし、千人から受ける試験の採点をいちいちやってられないので、机の上に答案をすべて重ねて置いて、「ここだ!」と思ったところを片手でつかんで引っ張り出して、引っ張り出した片手でつかめる量の答案だけ真面目にA・B・C・Dと採点して、残りはぜ~んぶ、C! だという噂がある教授もおられ、その話を聞いた時は、話としてはおもしろい話ではあるが、受ける方だって真剣に答案書いてるんだから、いくらなんでもそれはないだろ、そこまではしないだろう・・・と思って、そう言われている教授の科目を1年間、全出席で前の方の席で聞いて試験を受けて、Aの答案書いたどお~お・・・・・と思って、成績表が送られてきたら・・・・・・→Cだった・・・・。もしかして・・・・、なんてこともありました。語学などは、教授の息子と同じクラスになると成績が上がるという話もあり、それは、教授の息子にはいい成績をつけたいので、かつ、大学の成績の評価は相対評価ではなく絶対評価なので、もしも、そのクラスに教授の息子がいると、そうでなければ、BのものがA、CのものがB、DのものがCになるという話です。全体的に採点が甘くなるというのです。 東京地裁での労働問題の裁判は地方の裁判所に比べて会社寄り・使用者寄りだという話があって、これは、東京は大企業が多いから、裁判所は大企業に有利なように判決を出す存在であり、その結果、当事者の会社が大企業ではない中小企業・零細企業でも、大企業が当事者である裁判の影響を受けて使用者寄りの判決になるので、たとえば、裁判に訴える問題が地方のA県からB県に不当な移動をさせられたという件で会社の本店が東京にあるというような場合は原告の労働者はその3都県のどこに訴えてもよいので、東京地裁でないどちらかの地裁に訴えた方がよいという説がありますが(実際には、担当する裁判官にもよるでしょうし、裁判官にも転勤はありますし、いちがいに言えないかもしれませんが)、そんな感じで、教授の息子と同じクラスになると、全般的によい成績がつく♪ という話がありました。野球にたとえれば、教授の息子がピッチャーである時、教授の息子のためにストライクゾーンをひと回り広くした時、他のピッチャーにも教授の息子ほどでないにしてもストライクゾーンは広めになる・・というようなそんな感じでしょうか。真偽のほどはよくわかりませんし、「わからん程度にやる」というのが巧妙なところ?なのかもしれませんし。そのあたりのことを考えると、まったく何の問題もなく卒業できた方がいいのでしょうけれども、卒業のために1科目危ないというような時、いったん、成績をつけてから成績を変えてくださいと言われても先生も困るでしょうけれども、それより前に、「どうぞ、よろしくお願いします」と頭を下げて頼んでおけば、大学の先生だって人の子、CとDの境目付近なら、セーフかアウトかぎりぎりのところなら、「セーフ!」ということにしてあげようかな・・・と考えてもらえるかもしれない、とそういうのは、それは私立金権裏口毒盛医大の「裏口入学」とは別だと思うのです。新卒入社で会社に入ると、同期で入った人間から、「俺だって、先生にまけてもらったのあるんだよ」とかいう話を聞くことがありましたし、それは、別に教授に1000万円渡したとかではなく、1円も渡してないでしょうし、「裏口入学」とは別のものだと思います。
   で、金沢城は大手門から入って搦手門から出たのですが、兼六園は、入口は、桂坂口・桜ヶ丘口・上坂口・小立野口・随身坂口・真弓坂口・蓮池門口と7カ所もあって、別にどれが正門とか裏口とかいうことはないようです。 で、もともとは、金沢城のお殿様の庭園だったらしく、お殿様はお城の方から来るでしょうからということで、金沢城の搦手門である石川門から石川橋を渡った所にある桂坂口↓から入りました。兼六園は最初から今の兼六園の全域が一気にできたわけではなく、最初はお城に近い場所が庭園としてできたらしいので、お城に近い側から入れば、古くから庭園としてできた区域から入ることにもなるのでよかったかと思います。
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↑ 兼六園、桂坂口

   ここを入って、坂を登って行きますと、霞ヶ池という池があって、兼六園で最も有名な・・・といっても、私が有名だと思っているだけかもしれませんが、「琴柱灯籠〔徽軫灯籠〕(ことじどうろう)」があります。↓
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↑ ≪ 徽軫灯籠(ことじどうろう)は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでその名がついたといわれています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.6メートル。 かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。≫(「兼六園の見どころ」) ということです。
  東京都江東区の亀戸天神にも、この兼六園の「琴柱灯籠〔徽軫灯籠〕(ことじどうろう)」を真似た琴柱灯篭があり、亀戸天神の方がひと回り大きいと亀戸天神では書かれていたのですが、実際に行って片方だけ見ると、どちらが大きいかはよくわかりません。〔亀戸天神の琴柱灯籠については、[第157回]《亀戸天神社 訪問~冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第3回、及、エスカレーターの不合理 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html  参照。〕 亀戸天神の琴柱灯籠を見て、「ことじ」は「琴」という字に形状が似ているから「琴字灯籠」というのかと最初は思ったのですが、そういうことではなく、楽器のお琴の部分で、≪和琴(わごん)および箏(そう)で、胴の上に立てて弦を支え、その位置によって音の高低を調節するもの。和琴では二股状のカエデの枝を切って逆さにして用い、箏では紅木・象牙や合成樹脂製のものを用いる。≫(《コトバンク デジタル大辞泉の解説 琴柱/箏柱 コトジ》https://kotobank.jp/word/%E7%90%B4%E6%9F%B1-503071 というものを指しているようです。
   手前の石の橋が「虹橋」。 右端、池の向こう側に見えるのが「内橋亭」です。
   ≪かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。≫というので、「虹橋」という石の橋も一緒に写るようにと苦労して撮ってみたのですが、↓ですと「虹橋」の方が主役になります。
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   「日本経済新聞」2016.10.1.(土)の「NIKKEI プラス1」「何でもランキング 年経た景観 映える錦繍 夜に浮かぶ紅葉 庭園ぐるり堪能」で、「西1位」として兼六園(金沢市)が選ばれているのですが〔「西2位」は御船山楽園(佐賀市)、「西3位」は栗林公園(高松市)、「東1位」は六義園(東京都文京区)、「東2位」は弘前公園(青森県弘前市)、「東3位」は弥彦公演(新潟県弥彦村)〕、今回、訪問は10月初旬で、歩いてみると、紅葉はまだ始まっておらず、もう少し後で来ればよかったのかなと思ったのです・・・が、↑の写真で見ると、紅葉が少し始まっていますね。 実際に現地で感じた印象と、そこで撮影してきた写真を後で見たものとで、異なるところがあった場合、どちらが正しいというものでもないと思います。 それほど余裕のある旅程ではなかったので、現地で見落としたのか、写真では、肉眼よりも紅葉の部分が強く映るのか・・・。




(↑「 i 」マークが「徽軫灯籠(ことじどうろう)」〔「琴柱灯籠」〕 )

   この「徽軫灯籠(ことじどうろう)」「琴柱灯籠」は、「霞ヶ池」という池の桂坂口に近い側にあるのですが、桂坂口から坂を登って行った所に霞ヶ池という大きな池があるので、池というのは低い所にあるものと思っていたら、坂を登て行った高い所にあるので、驚きます。 今現在なら、人工的に水を汲み上げて高い所に池や水の流れを設けたりしている所がありますが、兼六園は江戸時代からあるものですから、そうではないでしょう。 兼六園は丘の上にあるのですが、周囲より丘になっているのは東側のことで、南側は県立能楽堂や金沢医療センターなどとほぼ同じ高さにあります。そして、南側から辰巳用水という用水路が流れてきており、どうやら、その用水が兼六園にも引かれて池になり、霞ヶ池から滝になってその下の瓢(ひさご)池に流れていっているようです。

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↑  「噴水」
   霞が池より北側、霞ヶ池よりも低い位置にあります。 この噴水をもっと若いうちに見たかったと思いました。なぜなら、人工的な噴水を今まで見てきたために、噴水というのはモーターか何かで水を吹き上げるものだという感覚を身につけてしまったからです。 この噴水はモーターで水を吹き上げるようにしているのではなく、≪霞ヶ池を水源としており、水面との落差で、高さ3.5メートルにまで吹き上がっている。 日本庭園では大変珍しく、19世紀中ごろに作られた日本最古のものと言われている。≫と現地での説明書きには書かれています。
≪ 霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差を利用した「逆サイホンの原理」によって水が3.5mまで吹き上がる仕組みだ。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.7.昭文社)

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↑  霞ヶ池の琴柱灯籠の対岸にある「内橋亭」です。 兼六園には時雨亭・夕顔亭とこの内橋亭という3つの茶屋があった、と時雨亭でうかがったのですが、内橋亭の場合、今も、茶菓子と抹茶の店として営業しているようですが、それは池の上の建物ではなく、どうも、「陸地」の方の建物の方ようです。
    1960年代後半、小学校4年の時、広島県の宮島の厳島神社に行った時には、厳島神社は浜辺にあり、鳥居など、海水の中から建っていたのを見ました。 木製なのに水につかっていても腐らずに建っているんだと感動しました。 その翌年、小学校の5年の時、滋賀県の浜大津から竹生島まで船に乗った時、浮御堂が見えました。 湖の水面の上に御堂が見え、すごいと思ったのです。 浮御堂も水中から建っているのだろうと思って。遠くの船の上から見ると、水中から建っているように見えたのです。 しかし、今、滋賀県・琵琶湖の見どころといった本などで浮御堂の写真を見ると、浮御堂は水中から水面の上まではコンクリートで柱が建っており、コンクリートの柱の上に木製の建物が載っているのです。 な~んだという気がしてしまいました。 で、兼六園の霞ヶ池の内橋亭も、水中から木の柱が建っているわけではないのです。 この池の上に建つ内橋亭は、いつ作られたものなのか。 もし、江戸時代からあるならば、鉄筋コンクリート造などというものが日本には伝わっていない江戸時代に、どうやって作ったのでしょう。
※ 厳島神社について、
厳島神社HP http://www.itsukushimajinja.jp/index.html
浮御堂について、
《堅田観光協会 堅田》http://katatakankokyokai.com/katata.php

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↑ 霞ヶ池 の中の 「蓬莱島」。 亀島とも言われるというが、たしかに、右端の石が亀の頭で、島全体が亀の甲に見えなくもない。
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↑ 内橋亭の後ろにある小山が「栄螺山(さざえやま)」。 栄螺(さざえ)のように円を描きながらこの小山を登る道がついていることから名付けられたという・・・・が、要するに、単なるの小山やんけ・・なんて言うと無粋か・・・・・。

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↑ ≪ 霞ヶ池の水面にはうようにせり出す ≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.)「唐崎の松」
≪ 13代藩主・斉泰が、近江八景のひとつ「琵琶湖の唐崎」から趣旨を取り寄せ、熱心に育てたとされる唐松。≫(『タビッテ 金沢 北陸』2016.)
   今は昔、1980年代後半、小堀住研(株)に入社した年、松戸営業所の営業課長のIさんとお客様宅に一緒に行った際、どういう話の中だったか、I さんが「松は、たいてい曲がっていますから」と話したことがあったので、それ以来、松はたいてい曲がっていると思ってきたのですが、ある時、気づいたのです。 曲がっている松というのは、お寺の庭か兼六園などの庭園にある松であって、松は松でも山に生えてる松はあんまり曲がってない、という事実に。 かつ、お寺の庭の松は、あれは、人が手を入れて一生懸命曲げているのであって、松が勝手に曲がったのではないはずだ、という事実に・・・・・。 まあ、桧とか杉とかは曲げようと思っても曲がらないし、桧とか杉に比べれば山に生えてる松も、いくらかは曲がってるかもしれませんけれども。
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↑ これなんかでも、人が手を加えて曲げたのだと思いますよ。 人が手を加えなければ、かつ、周囲に日光を遮る大きな木などがなければ、松だって、何も好き好んで曲がったりしません・・・・よね。
≪  わが生は、下手な植木師らに
   あまりに夙く(はやく)、手を入れられた悲しさよ!

   由来わが血の大方は
   頭にのぼり、煮え返り、滾り(たぎり)泡立つ。

   おちつきがなく、あせり心地に、
   つねに外界に索めん(もとめん)とする。
   その行ひは愚かで、
   その考へは分ち難い。

   かくてこのあはれなる木は、
   粗硬な樹皮を、空と風とに、
   心はたえず、追惜のおもひに沈み、
   懶惰にして、とぎれとぎれの仕草をもち、
   人にむかっては心弱く、諂いがちに、かくて
   われにもない、愚事のかぎりを仕出來(しでか)してしまふ。≫
( 中原中也「詩集 山羊の歌」より「つみびとの歌 阿部六郎に」
 中村稔編『中也のうた』1970.9.30.社会思想社 現代教養文庫)
この中也のうたは、息子に干渉する父親との生活を「蟻地獄」のような少年時代と回想したものらしいが、実際、松だって、どんな木だって、木の立場に立てば、何も曲がりたくて曲がったりしませんわなあ、普通は。

※ 石川県HP 兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/

   次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html は、雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 などに進みます。

   (2016.10.17.)

☆ 兼六園
上 琴柱灯籠・霞ヶ池・内橋亭・噴水・唐崎の松 〔今回〕
中 雁行橋・根上松・山崎山・成巽閣赤門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_10.html
下 夕顔亭・瓢池・翠滝・時雨亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_11.html

☆ 金沢シリーズ
金沢神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
金沢城
1.大手門から新丸公園、河北門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_5.html
2.「出窓」「石落とし」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_4.html
3.橋爪門・菱櫓・五十間長屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_6.html
4.極楽橋、三十間長屋、本丸の森、鶴丸倉庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_7.html
5.石川門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_8.html
金沢駅「鼓門」「もてなしドーム」、金沢大病院、金沢暮らしの博物館 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_12.html


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