紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝
[第476回] 冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(40)
大阪府箕面市の西江寺(さいこうじ)〔箕面聖天〕と天満天自在天神に参拝してきました。
↑ 本堂。 左手前から見たもの。 紅葉がきれいです。
箕面は紅葉がきれいだとは昔から言われてきました。京都の高雄、大阪の箕面が紅葉の名所! と昔から言われていた・・と思ったのですが、誰が言っていたのかと落ち着いて考えてみると・・・・うちの父親だったような気が・・・・。 東京人には「箕面」を読めない人がいるかもしれませんので解説しますと、「箕面」は「みのお」と読みます。箕面駅から約2km歩いた先に箕面大滝がありまして、これが蓑ににているということから「蓑の滝」と言われて「箕面(みのお)」になったという説があるようです。 「明治の森 箕面国定公園」というものがありまして、東京の「明治の森 高尾国定公園」と結んだ「東海自然歩道」というのがあり、その起点というのか終点というのかが箕面です。 箕面の紅葉はきれいだとは東京人は知らないかもしれませんが、関西では有名でしたが、しかし、西江寺の紅葉がここまできれいとは思わなかった・・・・というより、子供の頃、近くに住んでいた為、「遠くの神さん、ありがたい」とか「預言者、故郷に入れられず」とかいう言葉があるように、近くにあるものだから、たいしたことないみたいに思っていたのです。あらためて参拝してみると、お堂もけっこうそろっています。
私は小学校の途中から箕面市に住んだのですが、箕面は阪急電鉄が「箕面有馬電気軌道」とか「箕面電車」とか言った頃から観光地でしたので、それまでにも来たことがあったのですが、箕面駅から箕面大滝まで、片道約2キロメートルのまん中より手前くらいに滝安寺があって、滝安寺には箕面大滝に行く途中、もしくは、帰る途中に立ち寄ったことがあったものの、西江寺には立ち寄ったことがなかった、というより、箕面に住んで箕面の住人に「聖天さんのお祭り」に誘ってもらって初めて存在を知ったのでした。 で、箕面の昔からの住人は「聖天さん」と言っているものの、箕面市の地図を見ると「西江寺」と書かれているのです。 「聖天さん」なのか「西江寺」なのか、どっちなのだろうと思ったのですが、どっちもです。 「聖天さん」であって「西江寺」です。
「聖天さんのお祭り」というのは、私が箕面に引っ越してくる前に住んでいた大阪市東住吉区の近所にあった神社のお祭りとはずいぶん違ったのです。 どこが違うかというと、東住吉区の近所にあった神社のお祭りでは、出店が出て、金魚すくいとかヨーヨー釣りとか、パチンコとか綿菓子とかの店が出るのがお祭りだったのですが、ここのお祭りは、そういった店も出ましたが、それだけではなく、「天狗」が出たのです。 天狗が出て棒みたいの持って子供を追いかけまわして、子供の頭をポンポン叩くのです。 怖かった!・・・ あれは、いったい、何なんだとびっくりしました。 私なんかは怖くて逃げ回っていたのですが、天狗に叩かれると頭がよくなる、というお話があったようです。 もっとも、小学校の先生は「酒飲んで子供の頭たたいたら、頭がよくなるのなら小学校の教師は苦労せんわ」と言ってましたが(でも、あんた、酒も飲まずに腹立ちまぎれに思いっきり俺の頭なぐったことあったじゃねえかよお)、それまで、「天狗」が出てきて子供の頭を叩きに追いかけて来る「お祭り」なんて知らなかったので、びっくりしました。 西江寺のホームページhttp://www.nanokaichi.com/saikouji/index.html に「天狗まつり」http://www.nanokaichi.com/saikouji/tengumatsuri/tengumatsuri.html というタブがあるので、今もやっているのかもしれませんが、伝統行事で、私は怖かったのですが、天狗をやっていた人は子供をいじめようと思ってやっていたわけではなかったのですが、頭をたたくのは、万一、それで怪我してどうこうなってもいけませんから、時代とともに、多少、変化していっても悪くないのではないかなと私などは思います。
箕面駅から箕面大滝に至る中間より手前付近にある滝安寺には何度も立ち寄ったのに対し、箕面駅からすぐの西江寺は箕面に住むまで存在を知らなかったというのはなぜかというと、「滝道」からはずれていたというのか、箕面駅から滝へ行く両側に土産物店が並んだ通りよりひとつ東側の南北の通りから東に入るようになっている為、両側に土産物店が並ぶ通りを進むと、西江寺の方に行かずに往復することになったからでした。
しかし、「みのおサンプラザ1号館」の地下に、かつては、スーパーの「エース」があった所に「郷土資料館」ができて、そこで見ると、かつては、阪急箕面線・・というより、箕面有馬電気軌道というのか箕面電車というのかは、箕面駅でぐるっと一回転していたようで、それも、機関車だけターンテーブルで向きを変えるようなのが国鉄の機関区とかにありましたがそういうのではなく、線路が細長い輪のようになっていて、先頭がそのままで先頭になって元来た方に進めるようになっていたようです。 その為、箕面駅は今よりももっと東西の幅が広くて、今、箕面駅の東側にあるロータリーの付近から南にかけてが箕面駅だったようです。その西よりに今の土産物店が並ぶ滝道があり、東よりの滝の方に向かう道沿いに西江寺があったわけです。 西側の道の方が平坦だからか、阪急箕面線が箕面駅でぐるっと一回転するのをやめて、西よりの方が駅になったからか、いつしか、西側の平坦な道が「滝道」になって、東側の道は「地元の人の通路」みたいになりましたが、それだけに、秋の混雑時でも静かです。
※ みのおサンプラザ1号館 http://www.minoh-wave.net/business/sunplaza/sunplaza.html

↑ 「みのおサンプラザ1号館」
箕面駅に近い方が「みのおサンプラザ2号館」で、その東側にあるのが「みのおサンプラザ1号館」です。 「みのおサンプラザ1号館」の地下にある郷土博物館はなかなか興味深い展示がされていますが、観光客で立ち寄る人は少ないようです。 立ち寄ればいいのにねえ・・・と私などは思うのですが。無料だし。
で、そのサンプラザ2号館と1号館の間の信号がある所(地図では「箕面駅東」と書かれている所)を北に進むのが西江寺の方へ行く道です。↓ 西江寺の「参道」というわけでもないようで、比較的昔からの箕面の住人の家が並んでいます。 「比較的昔からの」と言っても、最近は、箕面市の人口はずいぶんと増えて、1960年代の終わりに住み始めた私などは最近住むようになった人からすれば「相当昔からの住人」になってしまうかもしれませんが、その程度の「昔からの」ではなく、それよりもっと前からのというのか、先祖から箕面に住んできたと思われる人たちの住宅が今もあります。(最近は、静岡県出身で箕面と特に縁もなさそうなのに、東大まで出てからに、なぜか、箕面市の市長なんかになっているという変な男もいるようですけれどもね・・・・)
↑ この坂を「中ノ坂」というそうで、西側の両側に土産物店が並んだ通りに比べると坂が急ですが、静かで私はこちらが好きと言えば好きなのですが、西江寺に行くのでなければ西側の土産物店が並んだ通りの方が歩くのは楽です。
↑ の左側に↓の水路があり、これなんかも風情があって好きです。
↑ ≪ 大井堰水路は、平尾・西小路・桜・牧落村により設置された大井堰から取水し、四か村の農業生産を支えてきた重要な用水路です。・・・・≫といった説明書きが出ています。 今は「平尾」という住居表示はありませんが、現在の住居表示では箕面市箕面 となっているこの箕面駅のすぐそばのあたりは、かつては、「平尾」と言ったようです。
この坂を登って行くと、右手に西江寺(聖天宮西江寺)があるが、11月後半だと、↓
↑ こりぁ、きれいわ♪


西側の道から東に入る入口が2つあります。 南側が↓
↑ 鳥居がありますでしょ。
そのすぐ北にも、こちらは階段の入口がありまして、↓
↑ 右側の石碑には「元 摂津国神宮寺 真言宗 聖武天皇勅願所 西江寺」と書かれ、左側の石碑には「日本最初 歓喜天出現 霊場 聖天宮」と書かれています。
お寺としては真言宗のお寺で、「歓喜天」とはインドの神である「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」のことで略称が「聖天(しょうてん)」「歓喜天」。 その大聖歓喜天が日本で最初に出現した霊場がここだというのです。滝道の途中、箕面駅と箕面大滝との中間より駅に近いくらいの滝の方に向かって左側(西側)にある滝安寺は、もともとは箕面大滝のそばにあったらしく、役行者(えんのぎょうじゃ)〔役 小角(えんのおづぬ)〕が箕面大滝で修行をして、弁才天の助けをえて悟りを開いたという、その滝のそばで修行をした場所が移転したのが滝安寺だということらしいのですが、その役行者(役小角)が箕面の山で白髪の老人と出会ったがこの白髪の老人が箕面山の地主神だったそうで、その白髪の老人が実はインドの神である大聖歓喜天だった、ということで、大聖歓喜天と箕面の山の地主神とが習合したようです。「大聖歓喜天」を祀っているお寺に行くと、たいてい、「秘仏」になっています。岐阜県高山市の飛騨国分寺の本堂でも大聖歓喜天は扉の向こうにいらっしゃっったようでした。大聖歓喜天は大変なパワーを持つ神だというのですが、どういうお姿なのかというと、《ウィキペディア-歓喜天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 を見ると、象の頭と人の体を持った2人というのか2体が抱き合っているという姿で、よい子に見せたい姿でもないので秘仏になっている・・・のか、見てもありがたみを感じる姿ではないので秘仏にしているのか、大変なパワーを持つ神だけに、逆に、見ると災いが起こるというお話がある聖天もあるようですが、どういう理由づけかはさておき、秘仏になっている場合が多いようです。、《ウィキペディア-歓喜天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 にも西江寺は、歓喜天を祀っている寺として名前は出ていますが、「三大聖天」には入れてもらえていないのですが、西江寺では、日本で最初に大聖歓喜天が出現したのはここだと言っているようです。
地元で「しょうてんさん」と言っているのは、その大聖歓喜天を祀っているというその大聖歓喜天の略称の「聖天」に敬称の「さん」をつけて「聖天さん」。地域によっては、神社に「○○さま」と呼ぶ地域があるようですが、大阪では「○○さん」と神さんは「さん」づけが多いようです。「さま」づけがいかんということはありませんが、「○○さん」という神社の方が庶民的な感じがします・・・・。でも、「真言宗」と書いてありますから、お寺なんですよね。 《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82) によると高野山真言宗 に属しているようです。 でも、
↑ こっちも鳥居がありますよね。神社みたいですよね。そう思いません?
この階段の途中、左手にあるお堂は、「弁財天」と「役行者(えんのぎょうじゃ)(円小角 えんのおづぬ)」を祀るお堂のようです。↓
弁財天・役行者を祀るお堂の向かい、階段の右手には摂社というのか末社というのかが並んでいます。↓
↑ 紅葉がきれいです。 長屋形式の摂社3社の右手前にお地蔵さんが並んでいます。
一番左が「天満大自在天神」 ↓
・・・ということは、菅原道真さんの天神でしょうね。≪ 天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家である菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん)の御霊を神格化した神。≫(《ウィキペディア-天満大自在天神》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9%E7%A5%9E ) どうか、恨み晴らしてください、と、冤罪を晴らす神さま、怨念を晴らす神さま、菅原道真、天神様にお願いしてきました。 多めにお賽銭も入れてきました。
まん中は「吉野大明神」「吉竹大明神」、右は「金毘羅大権現」↓。
「金毘羅」は香川県の金毘羅さんでしょう。 「吉野大明神」は、奈良県の吉野山の神さんでしょうか。《ウィキペディア-勝手神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%89%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE には≪吉野大峰山の鎮守社である吉野八社明神の一でかつては「勝手明神」≫と書かれています。 吉野八社明神のことでしょうか。 もっとも、インターネットで検索すると、宮崎県にも吉野宮神社があるようです。 吉野大明神はおそらく奈良県の吉野山の神のことだと思うのですが、「吉竹大明神」とはどこの神様なのだろう・・・。 インターネットで検索すると、《ひまつぶし-大谷神社へ行く(大阪府大東市寺川)》http://umitanagon.blog.fc2.com/blog-entry-107.html に、大阪府大東市の大谷神社の摂社というのか末社というのかでも「吉竹大明神」が祀られているというのが見つかりましたが、どういう由緒の神様なのかは、なかなか見つかりません。 「吉野大明神」と同じ祠で祀られているということは「吉野の竹」なのでしょうか。
それで、です。 摂社があるんですから、ここは神社なんだろうなという気がしませんか・・・・。 私はそんな気がしてしまったのです。 鳥居をくぐって来て、階段の右手に「摂社」「末社」があるからには神社・・・て気になりませんか。
↑ 摂社3社の手前にも、「日本最初 大聖歓喜天 出現之霊場」と書かれた石碑が建っています。
階段を登って行きますと、 右手にある「寺務所」とつながった建物があり、ここで祀られているのは、「大黒天」と「弘法大師」のようです。↓
↑ 紅葉がきれいでしょ。 でも、紅葉がきれいに写るように、撮り方もけっこう工夫したのですよ。
で、鳥居をくぐって、摂社に立ち寄ってきたもので・・・・。 普通は、神社では、先にご本社に参拝してから摂社に参拝するのですが、天神さんがいらっしゃったので、ここでは先に摂社の天神さんに参拝させていただいて、それから、「御本社」に参拝するつもりで来て、2礼2拍手1礼させてもらったのです。 なにしろ、建築屋に勤めてきましたもので、上棟式とか地鎮祭とかで、2礼2拍手1礼する機会が多かったし、地鎮祭なんか、鍬と鍬を施主さんと建築屋とで持って、「エイ、エイ、エイ」と掛け声を出して入れてくださいと神主さんから言われて、最初は恥ずかしいというのか照れくさいというのかだったのが、2回目3回目くらいから後になると、何か、その掛け声をかけるのに快感を感じ出したりしてきましたもので、柏手打つのも、いい音だして、「どんなもんじゃ~い」て感じで・・・・だから、なんやねんて思う人もあるかもしれませんが、いい音だすぞおて気持ちで打ったのですが・・・。
ここで気づいたのです。 あ、ここ、お寺だった・・・・と。 でも、鳥居ありましたよね。 何より、階段の右手に「摂社」だか「末社」だかありましたよね。 金毘羅さんだけじゃなくて、天神さんもいらっしゃいましたよね。 神社にありそうな長屋建てで3社並んでましたよね・・・・。
↑のお堂で祀られている大黒天は、「阪急沿線 西国七福神」の第3番の大黒天 とされているそうで、「阪急沿線西国七福神」とは、阪急宝塚線・箕面線の沿線の7寺社で、
1. 萩の寺(東光院)(最寄駅「曽根」)・・・毘沙門天
2. 円満寺(最寄駅「蛍池」)・・・福禄寿
3. 西江寺(最寄駅「箕面」)・・・大黒天
4. 滝安寺(最寄駅「箕面」)・・・弁財天
5. 呉服神社(最寄駅「池田」)・・・恵比寿
6. 中山寺(最寄駅「中山観音」)・・・寿老人
7. 清荒神清澄寺(最寄駅「清荒神」)・・・布袋
「北摂 第三十一番 ・・・ 大和講箕面支部」という額も出ていますが、インターネットで検索すると、「大和講」というのは、どうも、真言宗の組織のようですね。
≪ 室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られている。≫と《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82) には書かれていまして、「阪急沿線七福神」の大黒天を祀っているのはこのお堂のようなのですが、しかし、これが本堂ではないのです。
このお堂に向かって左側に階段がありまして、その階段の上に本堂があります。↓
↑ こちらの方が本堂で、本堂で祀られているのが、大聖歓喜天(聖天)なのです。
よく見てください。 手前の左右に狛犬がいますでしょ。 厳密には「獅子」と「狛犬」だという話もありますが、いずれにしても、いますでしょ。 だから、二礼二拍手一礼したくなる人間の気持ちもわかるでしょ・・・と思いませんか。
最初に掲載した写真を、もう一度、見てください。 本堂の左手前から見たものですが、紅葉とともに見た本堂。 西江寺の本堂には何度も来たのですが、11月後半の紅葉の季節になるとここまできれいだとは思いませんでした。
↑ 本堂の右手前から見たもの。 箕面川の対岸の山に見えるのはスパーガーデンの建物ですが、この建物を、山の景観に合わせて作ったものでいいと評価する人もあるようですが、こちらから見た限りでは、自然な山そのものの方が景観としてはいいように私は思います。 どうも、高校卒業してすぐに大学の建築学科に行って卒業した人と私のように社会科学系学部に行った者とでは、建築学科に行った人には、自然なままよりも建築物がそこに加わったものがいいと思う人が多く、非建築学科卒の人間には、建築物が加わることによって自然の景観が損なわれたと感じる人が多いように感じるのですが、どうでしょうか。 スパーガーデンの風呂がいいとけっこう遠くから入りに来る人がいるのですが、「遠くの神さん、ありがたい」というのと同じ原理というのでしょうか。 近くに住んでいたもので、あんまり入ったことないのです。 自宅が近くにあると、自宅の風呂に入ればいいじゃん! て思ってしまうこともあるようで。
↑ 本堂の右側。 普段は、特にどうと思わない場所ですが、紅葉の季節に見ると、なかなか♪ でも、撮り方もけっこう工夫してるんですよ♪ 左に見えるのは本堂の軒です。
本堂の左手から上の山に登る道があります。 小学校・中学校の時に、「歩く遠足」というのがあって、西江寺の後ろから背後の山に登って行くと、展望台を経て箕面ドライブウェイ(府道43号)にたどり着き、箕面山荘の方に行った記憶があります。 その西江寺の背後の山に登る登山道? が本堂の右奥あたりから出ていたように思ったのですが、右奥↑ は塀で塞がっていますから、左奥のこちらの道がそれだったのでしょうか。↓
西江寺から北に進んで滝道に合流する道(といっても、もしかすると西江寺の前の道の方がもともとの「滝道」だったのかもしれませんが)も、普段は何気ない道でも、紅葉の季節に見るときれいです。↓
箕面川の周囲も紅葉がきれいです。↓
で、よくわからんのが西江寺の前の道ではなくその西側の滝道の東側にある↓の像です。
箕面というと、「滝がある」「猿がいる」「紅葉がきれい」「紅葉の天ぷらがおいしい」「昆虫科学館がある」「滝安寺と西江寺と勝尾寺がある」「役小角が修行した修験道の地」「スパーガーデンがある」とか、「明治の森 箕面国定公園」「東海自然歩道の西の起点」「阪急の前身、箕面有馬電気軌道の発祥の地」とかで有名ですが、もうひとつ、「元A級戦犯 笹川良一先生の地元」↑でもあったのです。 ↑は、その笹川先生が、ご自身もかなり高齢であるのに、さらに高齢のお母さんをおぶって金毘羅さんの石段を登って参拝した姿の像だという話で、「わしはこんなに親孝行やねんぞお。おまえも親孝行せんか、コラ!」という像らしいのですが、ご自身も高齢なのですから、そんな像のためにさらに高齢のお母さんを利用して、もしも、転んでお母さんを怪我させたら、そっちの方が親不孝じゃないのかという気もします。
特に、自分が親であっておかしくない年齢になりますと、私と私の息子との関係は私たちが考えてやることであって他人に口出される筋合いはないことで、余計なこと口出さないでちょうだいと言いたくなります・・・が、そういうことを言うと、なんか怖そう・・・だから、黙ってよか・・。
で、この像を造るのにけっこうおカネかかってるのじゃないかと思うのですが、そこは船舶振興会会長の笹川先生ですから、そこからカネが出た? としますと、要するに、競艇ですって首くくって死んで母親泣かせた親不孝な男のカネで作られた像なのか? とならないか??? とか、あなた、そういうこと、考えたことない~い? これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね。
そういえば、今は昔、千代大海が大関に昇進した頃、千代大海の得意技が「親孝行」だったようで、おまえ、相撲取りなら「親孝行」なんて「売り」にするのじゃなくて、相撲の技を売りにしろよなと思ったものですが、そのうち、引退前になると、千代大海の得意技は「親孝行」から「ムーンウォーク」に変わった。 十両以上の相撲取りで八百長を一度もやったことない力士というのは少ないらしい。ガチンコ力士にもいろいろあって、「週刊現代」に載っていた若の鵬の話によれば、高見盛は口が軽いものだから、あいつとやったらばれそうで危ないと誰も誘わないという。他の記事で匿名力士が述べていたのによると、若の鵬は全体としての身体能力が優れていることから相撲の技術はそれほど身に着けていないにもかかわらず上に上がってきた為、演技が下手でばれそうで危ない。その点、魁皇・千代大海・琴光喜は実にうまい! 特に、千代大海は、上半身は激しいつっぱりをしながら、腰から下は自分から後ろに下がるという、なかなか難しい技を見事にやってのけるということで、「千代大海のムーンウォーク」と呼んで「誰もが尊敬している♪」という話だった・・・が、「親孝行」を「売り」にするよりは「ムーンウォーク」で尊敬された方がいい? かな?・・・
↑ 箕面駅の前には、箕面の ゆるキャラ 「ゆずるくん」がいました。 箕面市は、かつて、箕面町・萱野村・豊川村・止々呂美村が合併して箕面市になったのですが、止々呂美地区でユズを栽培しているらしく、フナッシ―が船橋の梨であるように、「ゆずるくん」はユズに由来するキャラクターのようです。 右後ろに見えるのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ の家とそっくりの箕面駅前交番の建物です。〔⇒[第362回]《高槻と箕面の交番と公衆便所。交番と公衆便所とフリーダムアーキテクツデザインの家はそっくり(^^♪ 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_12.html 〕
※ 西江寺HP http://www.nanokaichi.com/saikouji/index.html
《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82)
西江寺は、寺だというわりに神社みたいなところがありますでしょ。 二礼二拍手一礼したくなる人間の気持ち、わかりますでしょ。 滝安寺は修験道本山と入口に石碑が建っていたように、今は天台宗に属しているものの、もともと、修験道だったらしいのですが、西江寺もそうなのかと思って、ホームページを見てもそうは書かれていませんが、修験道の開祖の役行者(役小角)と大聖歓喜天が出会った場所だということですから、関係はあるのでしょう。 なんだか、「寺のようでも寺でない、ベンベン♪ 神社のようでも神社でない、ベンベン♪ それは、何かと尋ねたら、ベ~ンベン♪」て感じ・・などと言うと不謹慎かもしれんが、そんな感じ。
摂社3社でも、吉野山の神さんは山岳系で大聖歓喜天と習合した箕面山の神さんと同系統とも思えますし、金毘羅さんというのも修験道系に近い感じがします。 関裕二氏の本など読みますと、修験道というのは、乙巳の変で中大兄と中臣鎌足に暗殺された蘇我入鹿など蘇我・物部など藤原氏に退けられたヤマト政権をもともと構成していた豪族とかかわりが深いところがあって、反藤原・反権力の伝統があり、又、菅原道真の祖先の土師氏は蘇我氏とつながりがあったのではとも言われているらしく、天満大自在天神=菅原道真を祀っているというのも、蘇我とつながりがある菅原道真としてか、あるいは反藤原で退けられた者同士としてのつながりなのか? とも思えてきます。
寺には「○○山◇◇寺」と寺号とともに山号がある寺が多く、もともとは禅宗の寺が山にあったことから他の宗派の寺でも平地にある寺でも山号をつけるようになったらしいが、箕面でも滝安寺http://www.nanokaichi.com/ryuanji/ は「箕面山 滝安寺」と言っているようですが、西江寺も「箕面山 西江寺」と言うのかと思ったら、西江寺のHPを見ても、「聖天宮 西江寺」と書いてあっても「○○山」という記載はない。
西江寺は、大聖歓喜天を祀っているということで、地元では西江寺(さいこうじ)というよりも「しょうてんさん」と言った方が通りがいいようですが、ややこしいのは、箕面には、箕面駅から東側の如意谷地区に「ひしょうてん」という学校があって、「しょうてんさん」と「ひしょうてん」はどういう関係かというと、聖天(しょうてん)〔大聖歓喜天〕はインドの神で、「ひしょうてん」は「聖母被昇天学院」http://www.assumption.ed.jp/ と書き、私が高校に通う時、阪急電車で被昇天学院の女の子が同校の制服を着て乗っているのを見かけた記憶がありますが、カトリックの女子校で、同校HPによると「被昇天」とは「神様がマリアを天に上げられた」いう意味らしく、まったく別です。 ややこしいのですが、いずれも由来があって名づけられたもののようですからしかたがない。
↑ 箕面駅前ロータリー と サンプラザ2号館。
クリックすると大きくなるので大きくして見てもらいたい。「北野ゼミ」という塾の看板が出ており、少なくとも10年以上は前から続いている。 かつて、「開成ゼミナール」という塾と2つの看板が出ていたが、「開成ゼミナール」はいつしか見なくなったが、「北野ゼミ」はその後も続いている・・というだけ、大阪では北野高校は評価が高いのだが、それだけ、高く評価されている高校で、「君が代」の強制がなされているというのは嘆かわしいと言わざるをえない。
〔 今回、掲載の写真は、11月20日撮影。 「ゆずるくん」のみ、19日撮影です。〕
(2016.11.21.)
大阪府箕面市の西江寺(さいこうじ)〔箕面聖天〕と天満天自在天神に参拝してきました。
↑ 本堂。 左手前から見たもの。 紅葉がきれいです。
箕面は紅葉がきれいだとは昔から言われてきました。京都の高雄、大阪の箕面が紅葉の名所! と昔から言われていた・・と思ったのですが、誰が言っていたのかと落ち着いて考えてみると・・・・うちの父親だったような気が・・・・。 東京人には「箕面」を読めない人がいるかもしれませんので解説しますと、「箕面」は「みのお」と読みます。箕面駅から約2km歩いた先に箕面大滝がありまして、これが蓑ににているということから「蓑の滝」と言われて「箕面(みのお)」になったという説があるようです。 「明治の森 箕面国定公園」というものがありまして、東京の「明治の森 高尾国定公園」と結んだ「東海自然歩道」というのがあり、その起点というのか終点というのかが箕面です。 箕面の紅葉はきれいだとは東京人は知らないかもしれませんが、関西では有名でしたが、しかし、西江寺の紅葉がここまできれいとは思わなかった・・・・というより、子供の頃、近くに住んでいた為、「遠くの神さん、ありがたい」とか「預言者、故郷に入れられず」とかいう言葉があるように、近くにあるものだから、たいしたことないみたいに思っていたのです。あらためて参拝してみると、お堂もけっこうそろっています。
私は小学校の途中から箕面市に住んだのですが、箕面は阪急電鉄が「箕面有馬電気軌道」とか「箕面電車」とか言った頃から観光地でしたので、それまでにも来たことがあったのですが、箕面駅から箕面大滝まで、片道約2キロメートルのまん中より手前くらいに滝安寺があって、滝安寺には箕面大滝に行く途中、もしくは、帰る途中に立ち寄ったことがあったものの、西江寺には立ち寄ったことがなかった、というより、箕面に住んで箕面の住人に「聖天さんのお祭り」に誘ってもらって初めて存在を知ったのでした。 で、箕面の昔からの住人は「聖天さん」と言っているものの、箕面市の地図を見ると「西江寺」と書かれているのです。 「聖天さん」なのか「西江寺」なのか、どっちなのだろうと思ったのですが、どっちもです。 「聖天さん」であって「西江寺」です。
「聖天さんのお祭り」というのは、私が箕面に引っ越してくる前に住んでいた大阪市東住吉区の近所にあった神社のお祭りとはずいぶん違ったのです。 どこが違うかというと、東住吉区の近所にあった神社のお祭りでは、出店が出て、金魚すくいとかヨーヨー釣りとか、パチンコとか綿菓子とかの店が出るのがお祭りだったのですが、ここのお祭りは、そういった店も出ましたが、それだけではなく、「天狗」が出たのです。 天狗が出て棒みたいの持って子供を追いかけまわして、子供の頭をポンポン叩くのです。 怖かった!・・・ あれは、いったい、何なんだとびっくりしました。 私なんかは怖くて逃げ回っていたのですが、天狗に叩かれると頭がよくなる、というお話があったようです。 もっとも、小学校の先生は「酒飲んで子供の頭たたいたら、頭がよくなるのなら小学校の教師は苦労せんわ」と言ってましたが(でも、あんた、酒も飲まずに腹立ちまぎれに思いっきり俺の頭なぐったことあったじゃねえかよお)、それまで、「天狗」が出てきて子供の頭を叩きに追いかけて来る「お祭り」なんて知らなかったので、びっくりしました。 西江寺のホームページhttp://www.nanokaichi.com/saikouji/index.html に「天狗まつり」http://www.nanokaichi.com/saikouji/tengumatsuri/tengumatsuri.html というタブがあるので、今もやっているのかもしれませんが、伝統行事で、私は怖かったのですが、天狗をやっていた人は子供をいじめようと思ってやっていたわけではなかったのですが、頭をたたくのは、万一、それで怪我してどうこうなってもいけませんから、時代とともに、多少、変化していっても悪くないのではないかなと私などは思います。
箕面駅から箕面大滝に至る中間より手前付近にある滝安寺には何度も立ち寄ったのに対し、箕面駅からすぐの西江寺は箕面に住むまで存在を知らなかったというのはなぜかというと、「滝道」からはずれていたというのか、箕面駅から滝へ行く両側に土産物店が並んだ通りよりひとつ東側の南北の通りから東に入るようになっている為、両側に土産物店が並ぶ通りを進むと、西江寺の方に行かずに往復することになったからでした。
しかし、「みのおサンプラザ1号館」の地下に、かつては、スーパーの「エース」があった所に「郷土資料館」ができて、そこで見ると、かつては、阪急箕面線・・というより、箕面有馬電気軌道というのか箕面電車というのかは、箕面駅でぐるっと一回転していたようで、それも、機関車だけターンテーブルで向きを変えるようなのが国鉄の機関区とかにありましたがそういうのではなく、線路が細長い輪のようになっていて、先頭がそのままで先頭になって元来た方に進めるようになっていたようです。 その為、箕面駅は今よりももっと東西の幅が広くて、今、箕面駅の東側にあるロータリーの付近から南にかけてが箕面駅だったようです。その西よりに今の土産物店が並ぶ滝道があり、東よりの滝の方に向かう道沿いに西江寺があったわけです。 西側の道の方が平坦だからか、阪急箕面線が箕面駅でぐるっと一回転するのをやめて、西よりの方が駅になったからか、いつしか、西側の平坦な道が「滝道」になって、東側の道は「地元の人の通路」みたいになりましたが、それだけに、秋の混雑時でも静かです。
※ みのおサンプラザ1号館 http://www.minoh-wave.net/business/sunplaza/sunplaza.html
↑ 「みのおサンプラザ1号館」
箕面駅に近い方が「みのおサンプラザ2号館」で、その東側にあるのが「みのおサンプラザ1号館」です。 「みのおサンプラザ1号館」の地下にある郷土博物館はなかなか興味深い展示がされていますが、観光客で立ち寄る人は少ないようです。 立ち寄ればいいのにねえ・・・と私などは思うのですが。無料だし。
で、そのサンプラザ2号館と1号館の間の信号がある所(地図では「箕面駅東」と書かれている所)を北に進むのが西江寺の方へ行く道です。↓ 西江寺の「参道」というわけでもないようで、比較的昔からの箕面の住人の家が並んでいます。 「比較的昔からの」と言っても、最近は、箕面市の人口はずいぶんと増えて、1960年代の終わりに住み始めた私などは最近住むようになった人からすれば「相当昔からの住人」になってしまうかもしれませんが、その程度の「昔からの」ではなく、それよりもっと前からのというのか、先祖から箕面に住んできたと思われる人たちの住宅が今もあります。(最近は、静岡県出身で箕面と特に縁もなさそうなのに、東大まで出てからに、なぜか、箕面市の市長なんかになっているという変な男もいるようですけれどもね・・・・)
↑ この坂を「中ノ坂」というそうで、西側の両側に土産物店が並んだ通りに比べると坂が急ですが、静かで私はこちらが好きと言えば好きなのですが、西江寺に行くのでなければ西側の土産物店が並んだ通りの方が歩くのは楽です。
↑ の左側に↓の水路があり、これなんかも風情があって好きです。
↑ ≪ 大井堰水路は、平尾・西小路・桜・牧落村により設置された大井堰から取水し、四か村の農業生産を支えてきた重要な用水路です。・・・・≫といった説明書きが出ています。 今は「平尾」という住居表示はありませんが、現在の住居表示では箕面市箕面 となっているこの箕面駅のすぐそばのあたりは、かつては、「平尾」と言ったようです。
この坂を登って行くと、右手に西江寺(聖天宮西江寺)があるが、11月後半だと、↓
↑ こりぁ、きれいわ♪
西側の道から東に入る入口が2つあります。 南側が↓
↑ 鳥居がありますでしょ。
そのすぐ北にも、こちらは階段の入口がありまして、↓
↑ 右側の石碑には「元 摂津国神宮寺 真言宗 聖武天皇勅願所 西江寺」と書かれ、左側の石碑には「日本最初 歓喜天出現 霊場 聖天宮」と書かれています。
お寺としては真言宗のお寺で、「歓喜天」とはインドの神である「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」のことで略称が「聖天(しょうてん)」「歓喜天」。 その大聖歓喜天が日本で最初に出現した霊場がここだというのです。滝道の途中、箕面駅と箕面大滝との中間より駅に近いくらいの滝の方に向かって左側(西側)にある滝安寺は、もともとは箕面大滝のそばにあったらしく、役行者(えんのぎょうじゃ)〔役 小角(えんのおづぬ)〕が箕面大滝で修行をして、弁才天の助けをえて悟りを開いたという、その滝のそばで修行をした場所が移転したのが滝安寺だということらしいのですが、その役行者(役小角)が箕面の山で白髪の老人と出会ったがこの白髪の老人が箕面山の地主神だったそうで、その白髪の老人が実はインドの神である大聖歓喜天だった、ということで、大聖歓喜天と箕面の山の地主神とが習合したようです。「大聖歓喜天」を祀っているお寺に行くと、たいてい、「秘仏」になっています。岐阜県高山市の飛騨国分寺の本堂でも大聖歓喜天は扉の向こうにいらっしゃっったようでした。大聖歓喜天は大変なパワーを持つ神だというのですが、どういうお姿なのかというと、《ウィキペディア-歓喜天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 を見ると、象の頭と人の体を持った2人というのか2体が抱き合っているという姿で、よい子に見せたい姿でもないので秘仏になっている・・・のか、見てもありがたみを感じる姿ではないので秘仏にしているのか、大変なパワーを持つ神だけに、逆に、見ると災いが起こるというお話がある聖天もあるようですが、どういう理由づけかはさておき、秘仏になっている場合が多いようです。、《ウィキペディア-歓喜天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 にも西江寺は、歓喜天を祀っている寺として名前は出ていますが、「三大聖天」には入れてもらえていないのですが、西江寺では、日本で最初に大聖歓喜天が出現したのはここだと言っているようです。
地元で「しょうてんさん」と言っているのは、その大聖歓喜天を祀っているというその大聖歓喜天の略称の「聖天」に敬称の「さん」をつけて「聖天さん」。地域によっては、神社に「○○さま」と呼ぶ地域があるようですが、大阪では「○○さん」と神さんは「さん」づけが多いようです。「さま」づけがいかんということはありませんが、「○○さん」という神社の方が庶民的な感じがします・・・・。でも、「真言宗」と書いてありますから、お寺なんですよね。 《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82) によると高野山真言宗 に属しているようです。 でも、
↑ こっちも鳥居がありますよね。神社みたいですよね。そう思いません?
この階段の途中、左手にあるお堂は、「弁財天」と「役行者(えんのぎょうじゃ)(円小角 えんのおづぬ)」を祀るお堂のようです。↓
弁財天・役行者を祀るお堂の向かい、階段の右手には摂社というのか末社というのかが並んでいます。↓
↑ 紅葉がきれいです。 長屋形式の摂社3社の右手前にお地蔵さんが並んでいます。
一番左が「天満大自在天神」 ↓
・・・ということは、菅原道真さんの天神でしょうね。≪ 天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家である菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん)の御霊を神格化した神。≫(《ウィキペディア-天満大自在天神》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9%E7%A5%9E ) どうか、恨み晴らしてください、と、冤罪を晴らす神さま、怨念を晴らす神さま、菅原道真、天神様にお願いしてきました。 多めにお賽銭も入れてきました。
まん中は「吉野大明神」「吉竹大明神」、右は「金毘羅大権現」↓。
「金毘羅」は香川県の金毘羅さんでしょう。 「吉野大明神」は、奈良県の吉野山の神さんでしょうか。《ウィキペディア-勝手神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%89%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE には≪吉野大峰山の鎮守社である吉野八社明神の一でかつては「勝手明神」≫と書かれています。 吉野八社明神のことでしょうか。 もっとも、インターネットで検索すると、宮崎県にも吉野宮神社があるようです。 吉野大明神はおそらく奈良県の吉野山の神のことだと思うのですが、「吉竹大明神」とはどこの神様なのだろう・・・。 インターネットで検索すると、《ひまつぶし-大谷神社へ行く(大阪府大東市寺川)》http://umitanagon.blog.fc2.com/blog-entry-107.html に、大阪府大東市の大谷神社の摂社というのか末社というのかでも「吉竹大明神」が祀られているというのが見つかりましたが、どういう由緒の神様なのかは、なかなか見つかりません。 「吉野大明神」と同じ祠で祀られているということは「吉野の竹」なのでしょうか。
それで、です。 摂社があるんですから、ここは神社なんだろうなという気がしませんか・・・・。 私はそんな気がしてしまったのです。 鳥居をくぐって来て、階段の右手に「摂社」「末社」があるからには神社・・・て気になりませんか。
↑ 摂社3社の手前にも、「日本最初 大聖歓喜天 出現之霊場」と書かれた石碑が建っています。
階段を登って行きますと、 右手にある「寺務所」とつながった建物があり、ここで祀られているのは、「大黒天」と「弘法大師」のようです。↓
↑ 紅葉がきれいでしょ。 でも、紅葉がきれいに写るように、撮り方もけっこう工夫したのですよ。
で、鳥居をくぐって、摂社に立ち寄ってきたもので・・・・。 普通は、神社では、先にご本社に参拝してから摂社に参拝するのですが、天神さんがいらっしゃったので、ここでは先に摂社の天神さんに参拝させていただいて、それから、「御本社」に参拝するつもりで来て、2礼2拍手1礼させてもらったのです。 なにしろ、建築屋に勤めてきましたもので、上棟式とか地鎮祭とかで、2礼2拍手1礼する機会が多かったし、地鎮祭なんか、鍬と鍬を施主さんと建築屋とで持って、「エイ、エイ、エイ」と掛け声を出して入れてくださいと神主さんから言われて、最初は恥ずかしいというのか照れくさいというのかだったのが、2回目3回目くらいから後になると、何か、その掛け声をかけるのに快感を感じ出したりしてきましたもので、柏手打つのも、いい音だして、「どんなもんじゃ~い」て感じで・・・・だから、なんやねんて思う人もあるかもしれませんが、いい音だすぞおて気持ちで打ったのですが・・・。
ここで気づいたのです。 あ、ここ、お寺だった・・・・と。 でも、鳥居ありましたよね。 何より、階段の右手に「摂社」だか「末社」だかありましたよね。 金毘羅さんだけじゃなくて、天神さんもいらっしゃいましたよね。 神社にありそうな長屋建てで3社並んでましたよね・・・・。
↑のお堂で祀られている大黒天は、「阪急沿線 西国七福神」の第3番の大黒天 とされているそうで、「阪急沿線西国七福神」とは、阪急宝塚線・箕面線の沿線の7寺社で、
1. 萩の寺(東光院)(最寄駅「曽根」)・・・毘沙門天
2. 円満寺(最寄駅「蛍池」)・・・福禄寿
3. 西江寺(最寄駅「箕面」)・・・大黒天
4. 滝安寺(最寄駅「箕面」)・・・弁財天
5. 呉服神社(最寄駅「池田」)・・・恵比寿
6. 中山寺(最寄駅「中山観音」)・・・寿老人
7. 清荒神清澄寺(最寄駅「清荒神」)・・・布袋
「北摂 第三十一番 ・・・ 大和講箕面支部」という額も出ていますが、インターネットで検索すると、「大和講」というのは、どうも、真言宗の組織のようですね。
≪ 室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られている。≫と《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82) には書かれていまして、「阪急沿線七福神」の大黒天を祀っているのはこのお堂のようなのですが、しかし、これが本堂ではないのです。
このお堂に向かって左側に階段がありまして、その階段の上に本堂があります。↓
↑ こちらの方が本堂で、本堂で祀られているのが、大聖歓喜天(聖天)なのです。
よく見てください。 手前の左右に狛犬がいますでしょ。 厳密には「獅子」と「狛犬」だという話もありますが、いずれにしても、いますでしょ。 だから、二礼二拍手一礼したくなる人間の気持ちもわかるでしょ・・・と思いませんか。
最初に掲載した写真を、もう一度、見てください。 本堂の左手前から見たものですが、紅葉とともに見た本堂。 西江寺の本堂には何度も来たのですが、11月後半の紅葉の季節になるとここまできれいだとは思いませんでした。
↑ 本堂の右手前から見たもの。 箕面川の対岸の山に見えるのはスパーガーデンの建物ですが、この建物を、山の景観に合わせて作ったものでいいと評価する人もあるようですが、こちらから見た限りでは、自然な山そのものの方が景観としてはいいように私は思います。 どうも、高校卒業してすぐに大学の建築学科に行って卒業した人と私のように社会科学系学部に行った者とでは、建築学科に行った人には、自然なままよりも建築物がそこに加わったものがいいと思う人が多く、非建築学科卒の人間には、建築物が加わることによって自然の景観が損なわれたと感じる人が多いように感じるのですが、どうでしょうか。 スパーガーデンの風呂がいいとけっこう遠くから入りに来る人がいるのですが、「遠くの神さん、ありがたい」というのと同じ原理というのでしょうか。 近くに住んでいたもので、あんまり入ったことないのです。 自宅が近くにあると、自宅の風呂に入ればいいじゃん! て思ってしまうこともあるようで。
↑ 本堂の右側。 普段は、特にどうと思わない場所ですが、紅葉の季節に見ると、なかなか♪ でも、撮り方もけっこう工夫してるんですよ♪ 左に見えるのは本堂の軒です。
本堂の左手から上の山に登る道があります。 小学校・中学校の時に、「歩く遠足」というのがあって、西江寺の後ろから背後の山に登って行くと、展望台を経て箕面ドライブウェイ(府道43号)にたどり着き、箕面山荘の方に行った記憶があります。 その西江寺の背後の山に登る登山道? が本堂の右奥あたりから出ていたように思ったのですが、右奥↑ は塀で塞がっていますから、左奥のこちらの道がそれだったのでしょうか。↓
西江寺から北に進んで滝道に合流する道(といっても、もしかすると西江寺の前の道の方がもともとの「滝道」だったのかもしれませんが)も、普段は何気ない道でも、紅葉の季節に見るときれいです。↓
箕面川の周囲も紅葉がきれいです。↓
で、よくわからんのが西江寺の前の道ではなくその西側の滝道の東側にある↓の像です。
箕面というと、「滝がある」「猿がいる」「紅葉がきれい」「紅葉の天ぷらがおいしい」「昆虫科学館がある」「滝安寺と西江寺と勝尾寺がある」「役小角が修行した修験道の地」「スパーガーデンがある」とか、「明治の森 箕面国定公園」「東海自然歩道の西の起点」「阪急の前身、箕面有馬電気軌道の発祥の地」とかで有名ですが、もうひとつ、「元A級戦犯 笹川良一先生の地元」↑でもあったのです。 ↑は、その笹川先生が、ご自身もかなり高齢であるのに、さらに高齢のお母さんをおぶって金毘羅さんの石段を登って参拝した姿の像だという話で、「わしはこんなに親孝行やねんぞお。おまえも親孝行せんか、コラ!」という像らしいのですが、ご自身も高齢なのですから、そんな像のためにさらに高齢のお母さんを利用して、もしも、転んでお母さんを怪我させたら、そっちの方が親不孝じゃないのかという気もします。
特に、自分が親であっておかしくない年齢になりますと、私と私の息子との関係は私たちが考えてやることであって他人に口出される筋合いはないことで、余計なこと口出さないでちょうだいと言いたくなります・・・が、そういうことを言うと、なんか怖そう・・・だから、黙ってよか・・。
で、この像を造るのにけっこうおカネかかってるのじゃないかと思うのですが、そこは船舶振興会会長の笹川先生ですから、そこからカネが出た? としますと、要するに、競艇ですって首くくって死んで母親泣かせた親不孝な男のカネで作られた像なのか? とならないか??? とか、あなた、そういうこと、考えたことない~い? これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね。
そういえば、今は昔、千代大海が大関に昇進した頃、千代大海の得意技が「親孝行」だったようで、おまえ、相撲取りなら「親孝行」なんて「売り」にするのじゃなくて、相撲の技を売りにしろよなと思ったものですが、そのうち、引退前になると、千代大海の得意技は「親孝行」から「ムーンウォーク」に変わった。 十両以上の相撲取りで八百長を一度もやったことない力士というのは少ないらしい。ガチンコ力士にもいろいろあって、「週刊現代」に載っていた若の鵬の話によれば、高見盛は口が軽いものだから、あいつとやったらばれそうで危ないと誰も誘わないという。他の記事で匿名力士が述べていたのによると、若の鵬は全体としての身体能力が優れていることから相撲の技術はそれほど身に着けていないにもかかわらず上に上がってきた為、演技が下手でばれそうで危ない。その点、魁皇・千代大海・琴光喜は実にうまい! 特に、千代大海は、上半身は激しいつっぱりをしながら、腰から下は自分から後ろに下がるという、なかなか難しい技を見事にやってのけるということで、「千代大海のムーンウォーク」と呼んで「誰もが尊敬している♪」という話だった・・・が、「親孝行」を「売り」にするよりは「ムーンウォーク」で尊敬された方がいい? かな?・・・
↑ 箕面駅の前には、箕面の ゆるキャラ 「ゆずるくん」がいました。 箕面市は、かつて、箕面町・萱野村・豊川村・止々呂美村が合併して箕面市になったのですが、止々呂美地区でユズを栽培しているらしく、フナッシ―が船橋の梨であるように、「ゆずるくん」はユズに由来するキャラクターのようです。 右後ろに見えるのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ の家とそっくりの箕面駅前交番の建物です。〔⇒[第362回]《高槻と箕面の交番と公衆便所。交番と公衆便所とフリーダムアーキテクツデザインの家はそっくり(^^♪ 》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_12.html 〕
※ 西江寺HP http://www.nanokaichi.com/saikouji/index.html
《ウィキペディア-西江寺(箕面市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82)
西江寺は、寺だというわりに神社みたいなところがありますでしょ。 二礼二拍手一礼したくなる人間の気持ち、わかりますでしょ。 滝安寺は修験道本山と入口に石碑が建っていたように、今は天台宗に属しているものの、もともと、修験道だったらしいのですが、西江寺もそうなのかと思って、ホームページを見てもそうは書かれていませんが、修験道の開祖の役行者(役小角)と大聖歓喜天が出会った場所だということですから、関係はあるのでしょう。 なんだか、「寺のようでも寺でない、ベンベン♪ 神社のようでも神社でない、ベンベン♪ それは、何かと尋ねたら、ベ~ンベン♪」て感じ・・などと言うと不謹慎かもしれんが、そんな感じ。
摂社3社でも、吉野山の神さんは山岳系で大聖歓喜天と習合した箕面山の神さんと同系統とも思えますし、金毘羅さんというのも修験道系に近い感じがします。 関裕二氏の本など読みますと、修験道というのは、乙巳の変で中大兄と中臣鎌足に暗殺された蘇我入鹿など蘇我・物部など藤原氏に退けられたヤマト政権をもともと構成していた豪族とかかわりが深いところがあって、反藤原・反権力の伝統があり、又、菅原道真の祖先の土師氏は蘇我氏とつながりがあったのではとも言われているらしく、天満大自在天神=菅原道真を祀っているというのも、蘇我とつながりがある菅原道真としてか、あるいは反藤原で退けられた者同士としてのつながりなのか? とも思えてきます。
寺には「○○山◇◇寺」と寺号とともに山号がある寺が多く、もともとは禅宗の寺が山にあったことから他の宗派の寺でも平地にある寺でも山号をつけるようになったらしいが、箕面でも滝安寺http://www.nanokaichi.com/ryuanji/ は「箕面山 滝安寺」と言っているようですが、西江寺も「箕面山 西江寺」と言うのかと思ったら、西江寺のHPを見ても、「聖天宮 西江寺」と書いてあっても「○○山」という記載はない。
西江寺は、大聖歓喜天を祀っているということで、地元では西江寺(さいこうじ)というよりも「しょうてんさん」と言った方が通りがいいようですが、ややこしいのは、箕面には、箕面駅から東側の如意谷地区に「ひしょうてん」という学校があって、「しょうてんさん」と「ひしょうてん」はどういう関係かというと、聖天(しょうてん)〔大聖歓喜天〕はインドの神で、「ひしょうてん」は「聖母被昇天学院」http://www.assumption.ed.jp/ と書き、私が高校に通う時、阪急電車で被昇天学院の女の子が同校の制服を着て乗っているのを見かけた記憶がありますが、カトリックの女子校で、同校HPによると「被昇天」とは「神様がマリアを天に上げられた」いう意味らしく、まったく別です。 ややこしいのですが、いずれも由来があって名づけられたもののようですからしかたがない。
↑ 箕面駅前ロータリー と サンプラザ2号館。
クリックすると大きくなるので大きくして見てもらいたい。「北野ゼミ」という塾の看板が出ており、少なくとも10年以上は前から続いている。 かつて、「開成ゼミナール」という塾と2つの看板が出ていたが、「開成ゼミナール」はいつしか見なくなったが、「北野ゼミ」はその後も続いている・・というだけ、大阪では北野高校は評価が高いのだが、それだけ、高く評価されている高校で、「君が代」の強制がなされているというのは嘆かわしいと言わざるをえない。
〔 今回、掲載の写真は、11月20日撮影。 「ゆずるくん」のみ、19日撮影です。〕
(2016.11.21.)
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