新幹線に乗ると思いだすこと-おばはん帝国主義に隣に乗られるのは苦痛で恐怖。おばはんの「治療」は困難
[第477回] 営業と会社の話(97)
新幹線に乗ると、毎度、思い出すことがある。 1980年代、私が「大学生」で20代前半だった時のことだ。 その頃は「のぞみ」などというものはなく、「ひかり」と「こだま」だった時代。 東京から新大阪まで「ひかり」に乗った時、東京駅で、私よりいくつか年上、20代後半の後半か30過ぎくらいの夫婦が赤ん坊を母親の方が抱いて乗ってきた。私が3人掛けの窓際の席に座っていたところに2人で来たので、2人で乗っていくのかと思ったら、発車間際に男の方は降りて、女の方だけが赤ん坊を抱いて私の隣の席に座ったのだ。女の方が生まれてたいして経たない子供、要するに赤ん坊を連れて里帰りでもするのだろうか。 まあ、それはかまわない・・・・が、ここから、恐ろしいことが起こるのだ。
↑ 東海道新幹線 「のぞみ」。 新大阪駅にて。
結婚して子供ができても、それでも「女」である女性と、子供ができると母親ではあっても女でなくなる女性がある・・・のかもしれない。 むしろ、「女」でないだけでなく、「おばはん」になってしまう女性もいるのではないか。 結論として、「おばはん なんて、人間じゃねえ!」と言いたいくらいなのだ。
子供が、といっても、口をきくような子供ではなく、赤ん坊である。 それがむずがると、「もう、あなた、うるさいわねえ。いいかげんにしてちょうだい」とか言うのだが、誰に言ってんだよ、そいつ、まだ、言葉わからないはずだぞ。
そのあたりはまだいい。我慢もしよう。 そのうち、哺乳瓶を赤ん坊の口にくわえさせて、水鉄砲みたいにギュっと押さえつけて子供の口の中に噴射すると、子供が苦しがって泣きながら吐き出す。 「何すんねん」て感じ。 あんた、そんなことしたら、子供が苦しがって吐き出すのは当たり前じゃないかと横にいて思ったのだが、ところが。 その女は何と言ったかというと、「くさっ。 なんて臭いの。 まあ、あなた、何てことしてくれるの。うわっ、くさっ。 臭いわねえ。 もう、何てことしてくれるのよ」と、そう言ったのだ。
「何てことしてくれるの」て、それは、あんたが言う文句じゃないだろうが。 赤ん坊の側からすれば、赤ん坊の方こそ、「何てことしてくれるの」と言いたいところだろうが。 哺乳瓶を赤ん坊の口にくわえさせて、そこからは、本人が本人のペースで吸うものと違うのか。 それを、水鉄砲みたいにギュ~ッと赤ん坊の口の中に噴射させるて、普通、そんなことするかあ? 「何てことしてくれるの、あなたは」て、赤ん坊の方がそう言いたいのと違うか!?!
そして、何より、こっちが言いたかった。 「くさっ。 なんて臭いの」て、それは、あんたが赤ん坊に文句を言う文句じゃないだろうが。 こっちの方こそ、あんたに言いたいわ。 本当に臭かった。 普通の人間なら、「どうも、すいません」の一言くらい、隣の席の人間に言うものと違うか!?! と思うのだが、子供を抱いたら、まるで、水戸黄門の印籠でも持ったみたいに思う女(時として男)が世の中にはいるものだ〔⇒《YouTube-水戸黄門 印籠》https://www.youtube.com/watch?v=UhiFUCPJ3i0 〕。水戸黄門の印籠もってる以上、何やったっていい、周囲は自分のために。自分(と自分の子供と自分の夫)のために世界はあるの!みたいな発想!〔⇒《YouTube-佐良直美 世界は二人のために(1973) https://www.youtube.com/watch?v=HLpzXc0As_Y》 〕 この「子供帝国主義」というのか、「おばはん帝国主義」という態度。 かんべんしてほしいわ、ほんま・・・・なんとも、困ったおばはんの隣の席になってしまったものだと思っていたら・・・、それだけではなかった。
周囲の乗客も私と似たことを思ったようなのだが、「なんだ、こいつらは」という眼で周囲の乗客が見ていたのだが、その見ている先がどこを向いているか。 え?????
なんで、俺の方を向いて、「なんだ、こいつらは」という非難の眼をして見てるの? 俺は関係ないぞ、俺は。俺は被害者だぞ、俺は・・・と思ったのだが、20代の後半の後半か30代の前半くらいの女がひとりで赤ん坊を抱いて新幹線の座席に座っていて、その隣に20代の前半の男が座っていたら、なんか、夫婦みたいに見えた???
やめてくれよなあ~あ。 俺、このおばはんのダンナじゃないんだよなあ、かんべんしてくれよなあ~あ、と思ったのだが、はっきりと口に出して言ってくれたなら「私の連れじゃないんですよ」と弁解もできるが、「何、考えてんだ、こいつら」ととげとげしい非難の眼をこちらに向けるだけで口に出して言わない以上、弁解もできない。 なんで、このバカ女のために、臭い思いをさせられたあげく、こちらが非難の眼を向けられなきゃならないんだよお!!! 東京から新大阪まだの間、今は「のぞみ」は2時間33分で行くようだが、その当時、開業時の3時間10分よりちょっとだけ短くなっていたかもしれないが、3時間は切ってなかったと思う。その時間、なんで、俺が非難の眼を向けられなきゃならないんだよお~お! と情けない思いをして過ごした。臭い思いもしながら、横で、「あなた、何てことするのよ」「困った人ねえ、あなたは」とかうるさい文句をギャースカ言われながら。
それ以来、新幹線で、赤ん坊を抱いた女に1人で隣に座られると恐怖を感じるようになった。
千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業。 2013年11月に倒産。 不動産業としての、ビルダーズジャパン(株)も2011年11月に倒産。 他、不明業として、ジャムズグローバルスクエア(株)。〕で、2011年4月に、社長の長谷川の妻の友人だとして、T口 恵(女。当時、30代前半)が入社してきたが、この人は、「病気」だと私は思う。
ここで、「病気」と、カッコ(「」)に入れたが、このカッコ(「」)は単なる装飾ではなく意味がある。 ニューヨーク州立シラキュース大学精神科教授のトマス=サズが『「精神医学」という神話』( 岩崎学術出版社)という本を出している。 日本語訳では『精神医学の神話』と訳されているが、これは英語の「of」を「~の」と誤訳してしまったことによるもので、この「of」は本来は「~という」と訳すべき「同格のof」であるが、体制精神医学の脅威におびえた訳者が、あえて、紛らわしい訳名にした可能性が考えられる。 トマス=サズの著書では他に『「精神医学」という狂気の思想』( 新泉社)という本も出版されているが、こちらも、日本語訳の訳名は『狂気の思想』とされており、この訳名では「精神病患者の思想」という意味かと勘違いしそうな訳名であり、これも体制精神医学の圧力に屈してぼやけさせられたような訳名であるが、内容はそうではなく、「精神医学」こそ「狂気の思想」だというもの。サズは「精神医学」こそ「神話」であり「狂気の思想」だと言っているのである。
私は、もともとは、心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学に関心があった人間である。 しかし、そういったものを学んでいるうちに、又、なんらかの経緯でそういう関係者と接する機会を持った上においては、というてい肯定できかねるように思うようになった。 私が心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学に関心を持った際に読んだ書物としては、なだ いなだ『娘の学校』『パパのおくりもの』(中公文庫)・『人間、この非人間的なもの』(筑摩書房)、池見酉次郎『心身医学』(講談社現代新書)、宮城音弥『精神分析学入門』(岩波新書)、マルデルシュタイン『世界文学で学ぶ大脳生理学』(講談社ブルーバックス)、シグモンド=フロイト『精神分析学入門』(中公文庫)、遠藤周作『松葉杖の男』(『月光のドミナ』新潮文庫 所収)などであり、それらの本には、一般の人間が読んで役立つと思われるものが書かれていたし、心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学といったものは、人民に役立つ学問だと思えた。 しかし、疑問を感じ出したのは小此木啓吾の「モラトリアム人間」論あたりからである。 小此木の批判をしだすと字数オーバーになるので、それは別の機会にするとして、簡略に言って、小此木の主張は、「精神適応か民主主義か」「自己飼育か自主権か」という問題において、「精神適応」「自己飼育」に励むのが人間として「正常」であり、それをためらう人間を「モラトリアム人間(病)」と病気扱いして加工しようというものである。いかにも、慶應の内部進学の人間の主張という感じである。
トマス=サズの『「精神医学」という神話』(日本語訳としての出版名は『精神医学の神話』 岩崎学術出版社) ・ 『「精神医学」という狂気の思想』(日本語訳としての出版名は『狂気の思想』 新泉社)は名著であるが、残念ながら絶版になっているのだが、図書館で置いている所も中にはあるであろうし、中古書籍ではインターネットでも手に入るようなので、この書物の内容は実際に読んでいただくのが良いと思うが、特に『「精神医学」という神話』の方でサズはどういうことを言っているのかというと、まず、「精神疾患」「精神病」というものを「病気」「医学」「医者」「病院」といった用語で表現するところから誤解を招いており、「精神疾患」「精神病」というものは「身体疾患」「身体病」とは性質がまったく違う。 たとえば、梅毒の3期症状で脳が侵されたというケース、アルコール中毒、ニコチン中毒、覚せい剤中毒といったもの、あるいは、交通事故その他の事故による外傷で脳が外傷を受けたケース、そういった原因で行動に「異常」をきたしたようなものは「病気」として扱うのは不適切ではない。 しかし、そういった原因があるわけではないもの、「精神分裂病」(現在では「統合失調症」と呼ぶ)・「ノイローゼ」といったものは、「医者」は「診断」したと称しているけれども、これは結核とか肺炎とか膵臓炎とかいった身体疾患・身体病を診断したケースとは性質が異なり、原因をつきとめて診断したのではない。そういうケースにおいて、「患者」とされた人は、「何かを持っている」のではなく「何かをしている」というものである。 「医者」は「診断」と称してその人間を「病気」であると「宣告」しているのである。 「精神分裂病」(「統合失調症」)・「ノイローゼ」と「診断」された「病気」「患者」「病人」の場合、その原因は人間関係のもつれがあるケースが考えられる。 そういったものは、人間関係について解きほぐして問題点を解消していくのが解決への道であるはずであるが、ところが、「病気」でありその人間が「患者」であると「医者」が「診断」してしまうことにより、悪いのはそいつ! と認定されてしまうことになる。そのために「治らない」ことになる。 「鬱病」「躁病」「躁鬱病」というのも微妙。 これらに、何か器質的な原因があるのなら「病気」として扱っても良いが、器質的な原因がつきとめられたとは言い難い。 また、「不眠症」などというものについては、誰しも寝つきにくいことはあるわけで、寝つきにくいという人があってもはたしてこれを「病気」と考えるべきなのか難しい。 「精神病質」と言われるものに至っては、その時の政治権力・体制が自分たちにとって都合が悪いと考える人間を「精神病質」と「診断」するものという傾向がある。 シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学-ソビエト連邦の場合』(みすず書房)などで、「精神医学の悪用」と取り上げられることがあるが、それは「悪用」と取り上げるべきではなく、むしろ、「精神医学の本質」と考えるべきではないのか。
体制精神医学の問題点を指摘したのはトマス=サズだけではない。 ロナルド=レインやデビッド=クーパーも、特に、「精神分裂病」と「診断」された人たちには人間関係における抑圧が原因であるケースが考えられ、中でも家族の人間関係に問題があるケースが多いと指摘する。 ロナルド=レイン『家族の政治学』・デビッド=クーパー『家族の死』(みすず書房)などで、家族の人間関係の問題が指摘されている。 森山公夫『現代精神医学解体の論理』( 岩崎学術出版社)では、精神分析学についても、体制精神医学に対する反逆児としてヨーロッパで生まれた精神分析学が大西洋を渡ってアメリカ合衆国に行くと体制に飼いならされて体制側・抑圧側の道具となったと指摘している。 そして、フロイトは偉大な発見をしたがすべてにおいて成功はしていない。フロイトの大発見とフロイトの間違いを分けて考えるべきであり、そして、フロイトとフロイト以降の「精神分析家」と称するエピゴウネンによる間違いの拡大再生産とを分けて考えるべきであると指摘する。 そのフロイト以降の「精神分析家」と称するエピゴウネン、フロイトの失敗・間違いを拡大再生産している「精神分析家」と称するエピゴウネンの日本における代表格が元 慶應義塾大学医学部助教授の小此木啓吾である。
「精神分裂病」(「統合失調症」)・「ノイローゼ」といったものは「人間関係のもつれ」に原因があり、それは「医学」として扱うべき問題ではなく、本来は「哲学」「文学」「社会学」といった次元の問題であるはずであるのに、「医学」「病気」「病院」「医者」という表現をしてしまうことから問題の扱い方を間違えてしまうのであるとサズは指摘するが、ましてや、小此木啓吾が大量生産した「モラトリアム人間」だの「ピーターパンシンドローム」だの「ウェンディジレンマ」だの「青い鳥症候群」だのなんだのかんだのといった小此木が作成した「精神医学的レッテル」は、それは、「医学」「医者」「患者」「病気」「病院」として扱うべき問題ではない。何より大きな問題は、「医学」「医者」「患者」といった用語を使用して扱うことによって、「診断する側」「治療する側」と「診断される側」「治療される側」が別れてしまうことであり、そもそも、人間を「診断する側」「治療する側」と「診断される側」「治療される側」に分けるということ自体、民主主義に敵対する動きである。
「精神医学」と「心身医学」とは、本来は一続きのものだと高校生くらいの頃、私は思っていた。 心身医学というのは「心で起こる体の病」というもので、入学試験の当日、下痢をする人が多いとか、運動選手で練習の時には成果を出すが試合になると緊張して実力を発揮できないとかそういったものも「心身医学」の対象であり、私はそういうものに関心があった。それは「異常」と「診断」された人を対象とする「精神医学」と一続きのものであろうと思っていたのだ。 しかし、実はそうではなく、「心身医学」と「精神医学」は正反対の性質を持っている。どこが正反対かというと、「心身医学」は本人の意志によって受診され、本人が納得いかない治療であれば断ることができる。それに対して「精神医学」は本人の意志に反して「治療」され、本人が納得いかない「治療」でも拒否することはできず、「病院」に入れられたが最後、そこで何をされても「きちがいのたわごと」と「診断」され黙殺される。 この点で、「心身医学」は本人の立場に立った学問で「精神医学」は本人に敵対するものであると言えるのだが、最近、「精神科・心療内科」と看板を出している店というのか医者屋を街で見かける。 何なんだ、これは? というと、どうやら、「精神科」と看板を出したのではかかりたくないと思う人間を「心療内科」と看板を出すことで呼び込もうという「戦略」らしいが、胡散臭いことこのうえない。
それで。 今回は、「精神医学」「精神分析学」の胡散臭さを取り上げることを主たる目的としていないので、その問題は別の機会にまわすとして、「ほとんどビョーキ!」というような人、「ほとんどビョーキ!」という言動について述べたいと思うのだ。 特に、「おばはん帝国主義」の「ほとんどビョーキ!」についてである。
2011年4月に、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業。いずれも、2013年11月に倒産。〕に社長の嫁の友人だということで縁故入社したT口 恵(女。当時、30代前半)は異常であり、「ほとんどビョーキ」であった。小此木啓吾流の対応をするならば、「◇◇シンドローム」「▽▽症候群」と「準病名」をつけても悪くないところであろう。
このあたりの小此木の対応は、「精神科医」と称する胡散臭い人間が「慶應義塾大学医学部助教授」とかいう肩書を振り回して「診断」する限りにおいて、それは害があるが、一般の人間が、文学・哲学・社会学といった次元において論じるにおいては、何ら問題はない。問題は、「T口 恵 症候群」「T口 恵 シンドローム」の「患者」の方である。
1. 滝口恵(女。2011年当時、30代前半)は、入社2日目からして、昼休みは1時間であるにもかかわらず、昼休みに出かけて行って無断で2時間超、戻らない。
2. 入社1週間未満において、勤務時間中に、ボリボリ音をたてて煎餅をかじる。 女性が男性に比べて間食をしたがる傾向があるのはわかるとしても、それでも、勤務時間中である。 又、営業の職種においては、来客があった際に、口から煎餅のにおいをさせて対応するのか? 私などは、歯磨きは朝夕2回なら良いが、3回磨くと磨きすぎで歯が磨滅するという説もあるようだが、それでも、昼食後に歯磨きをするようにしてきた。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)ではやらない時もあったが、歯磨きをしない時でも昼休みに食事をした後、口をゆすぐようにはしていた。 食事時間以外には、お茶やコーヒーくらい飲むことはあっても間食はしないようにしていた。私は餃子がけっこう好きなのだが、勤務終了後の夕食では食べても朝食・昼食、及び、夕食後も客と会う場合は夕食でも食べないようにしてきた。 (株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ では店が狭い店舗があり、狭い店舗内で食事をすると食事のにおいが店の中に充満するということで、客から見えない場所でも店舗内で食事はしないようにとしていた店もあった。縁故のT口はそういうことを少しも考えていない。 T口恵は同僚のI村から指摘されてもやめない。
3. 普通、自分が帰る時に、まだ、仕事をしている人がいる時には、たとえ、その人の担当の仕事をしているのであっても、「すいません。お先、失礼します」と言って帰るものだが、T口は口にしたためしがない。
4. 工事中建物の問題点を、私が、自称「工事責任者」のU草に話していると、現場を見にも行かずに、横から口出して邪魔をする。先輩社員が話している内容について、教えて欲しいと思ったなら、話しているところを横から邪魔をするのではなく、後で、「さっき、話しておられたのは・・・という意味なのですか」と質問するべきであり、これは社会人として当然のことであるが、社会人として当然のことが認識できていない。
5. T口とI村が担当としてやっていたもののポスティングを工事部の人たち(大工)に、勤務時間外に労基法違反の無賃労働でやってもらいながら、おのれは定時に帰る。 「どうも、すいません」とも言わない。 それだけでなく、「いったい、何が悪いの」とふんぞりかえって公言する。 縁故の滝口が入社するまで、印刷屋に依頼してのカラー刷りチラシなど新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)では作成しなかったにもかかわらず、縁故の滝口が入社すると滝口のためにカラー刷りチラシを大量に刷り、かつ、滝口はポスティングせず、配布期限が迫っているにもかかわらずそれを床の上に積み上げて定時に退社して平気な顔でいる。 担当外の私が見兼ねて、困った新人のために、無賃労働で夜遅くまで無理をしてポスティングをして入れてあげても、「ありがとうございます」も「すいません」「申しわけありません」も言わない。
6. 工事部の人たちに、労基法違反・無賃労働で滝口のためのポスティングをしてもらっておきながら、ポスティングをしてもらうチラシを用意もしないで帰っている。 工事部の人間が怒っていても平気でいる。
7. 昼間、大工仕事をしているような人に、夕食時間以降に無賃労働でポスティングをさせるといったことをさせたなら、疲労がとれないことから、昼間の作業において、事故・労働災害が発生しやすくなるといったことが考えられ、建築会社においては、そういったことは避けなければならないはずであるが、まったく頓着しない。
8. 損害保険募集人試験を受けるといって、損害保険会社が実施する講習を受講すると言いながら遅刻してくる。それも、普段の勤務先よりも自宅に近い場所にある講習会場に遅刻してくる。 遅刻してきて講師の人に「遅れました。すいません」の一言も言わない。 同じ会社から出席していた私にも「すいませんでした」の一言も当然のように言わない。
9. 営業会社において、来客用入口の目の前に、入社早々、ばかでかいクルマを入口に接して駐車する。営業妨害であることは明らかであるが理解しない。
10. 営業に向くクルマ、向かないクルマといったものがあるが、営業に不向きなばかでかいクルマに平気で乗ってくる。
11. 現場見学会を日曜日に実施しようとすると、「私、日曜日なら出ませんあ」と言い出す。 普通の建築会社なら、営業の職種の人間がそのようなことを言い出すなら、「それなら、あなた、来なくてよろしい。あなた、接客しなくてよろしい」と言われるところであるが、びっくらこっこしたことに新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川の子分であまり会社に出てこない長谷川の代理のように動いていた、かつて、多額の横領をしたことがある植草が「ええ~え。滝口さんに出てもらえないと困りますう。わかりました。それでは、土曜日に日を変更しますから、どうか、お願いですから出ていただけないでしょうか」とアホなことを言い出す。
12. その現場見学会の前日、現場の準備に I 村とかじ○と3人で行ったのはいいが、I 村と かじ○がまだ準備をしているのにひとりだけ先に事務所に戻って来て定時に帰ろうとする。 労働基準法と就業規則から考えて定時に帰って悪くないはずだという主張らしいが、労働基準法と就業規則から考えて自分は定時に帰ってよいはずだと主張して実行しながら、他の従業員に労基法違反の時間外労働を無賃労働でさせるということについては「いったい、何が悪いの」と大威張りで発言する。
さらに、他の担当者のI 村と かじ○に時間外労働で準備をさせておきながら、1人だけ先に帰って来て、「準備するなら作業服くらい着て来るものなのに、着てこないで、この会社の男どもはどうかしてんじゃないのお」と叫ぶ。 一番「どうかしている」のは自分であると気づいていない。
自分が作業服を着てきて、それで、作業服を着てこない人間に、「作業服くらい、着て来るものじゃないの」と言うなら、まだわかるが、自分も着てきていないにもかかわらず、である。 「この女、頭、おかしい」と普通の人間は思うはずである。 「精神医学」の対象とするべきかどうか。
13. 人に自分の仕事をやってもらうと、「ありがとうございます」「すいません」と言うべきであるのに、逆に、やってもらって当たり前と思うようになっている。
14. 現場見学会の前日、「私は明日はぎりぎりしか行かないけれども、他の人は早めに行って準備しておくこと」と大声で叫ぶ。 異常としか言いようがない。 私は担当外であり、関係なく、最初から翌日は行く予定にしていなかったので私に言ったのではないであろうけれども、誰に言ったつもりであれ、
(ア) 自分がぎりぎりしか行かない人間は、他の人間がぎりぎりに行くか余裕を持って行くかといったことに口出す権利がないのは当然である。 その社会人としての会社人としての常識を理解できていない。
(イ) 現場見学会の開催開始時刻は滝口の勤務時間の始業時刻よりも1時間後であり、現場見学会の開始時刻「ぎりぎりしか行かない」のなら滝口は遅刻である。 誰も滝口に始業時刻よりも1時間遅刻して良いなどと認めた覚えはない。それを理解せず、自分はいつでも好きな時に好きなだけ遅刻・早退してよいと決めてしまっている。
(ウ) 前日、滝口は他の担当従業員に準備をさせて先に事務所に戻り、定時に帰ろうとしていたのである。前日、他の担当者に遅くまで準備をさせた者は、当日は早めに行くべきである。 前日も先に帰り、当日もぎりぎりしか行かないような営業には接客して自分が担当の見込み客を取得する権利はない・・・・にもかかわらず、自分が接客して見込客を取得するつもりでいる。 「ほとんどビョーキ」と言うしかない。
(エ) 滝口は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員としては新人であり、住宅建築業においても、その営業の仕事においても、実績も何もない人間であり、年齢も他の従業員より若く、普通は、(A)社歴が浅い者は社歴が古い者よりも早く行くものであり、(B)経験がない者は経験がある者より早く行くものであり、(C)年齢が若い者は年齢が上の者より早く行くものである・・・・が、滝口は他の者より、(A)社歴が浅く、(B)経験がなく、(C)年齢も若く、その滝口が「私はぎりぎりしか行かないけれども」と大声で大威張りで宣言するというあたりからして異常である。かつ、「他の人は余裕をもって早めに行くこと」などと、新人が口に出すこと自体、ビョーキである
15. 自分は、自分が担当の仕事がまだ残っていても定時に帰ろうとしておきながら、担当外で先輩社員の私に、見学会会場に、時間外に無賃労働でカラーコーンを持って行ってくれなどと言い出す。 私が、困った新人のためにそれまで助けてきてやったところ、それだけでなく、おのれが時間外労働をしない者が、おのれの仕事を担当外の者に労基法違反で時間外に無賃労働にてやってもらおうと「要求」までしてきた。
私は、住宅建築業の会社の仕事においては、いわば、大関クラスの人間です。 それに対して、滝口は序の口ですらない。 序の口ですらない人間は、序の口ですらない人間の態度というものがあるのではないかと思う。社長の嫁の友人であり縁故入社だから自分は特別だという意識があったようだが、そういう「特別」を認めていると、会社はつぶれる・・・・と思ったら、つぶれた!
16. おのれが担当のチラシのポスティングをせず、定時に帰宅して、そして、労基法違反の時間外労働・無賃労働を工事部の人たちにさせておきながら、又、有効期限が迫ったチラシが大量に床に積み上げられているのを見て、見かねて、担当外の私が時間外に無賃労働でポスティングをしてあげたのだが、定時に帰った滝口は、その時間に滝口のためにポスティングをして、「婚活」「妊活」の時間を奪われた従業員がいるにもかかわらず、まさにその時間に、オットと「妊活」をやって3人目をはらんだ。 「私は子供があるんですからねえ」「あたりまえでしょおお」と言って帰宅して、オットと「妊活」やっていたわけである。 自分さえよければよいという態度であり、「しまいに殺されるぞ」という態度である。 「男なら殴られるぞ」という態度をとっても女は殴られない権利があると認識している女が職場には時々いるが、「男なら殴られるぞ」という態度をとった者といえども、たとえ、男でも殴ってよいというものでもないとしても、だから、「男なら殴られるぞ」という態度を女はとる権利があるのか?!? というと、そんな「権利」などないはずである。
17. これは間違いなくビョーキだ! と思ったのは、滝口恵は、おのれの担当の仕事を、担当外の従業員に時間外に無賃労働で労基法違反においてさせておきながら、そうやって空いた時間に、子供の学校、千葉市の幕張の小学校らしいが、PTA役員をやり、おまけに、新華ハウジング(有)のホームページとリンクしたブログで、PTA役員やってますだの、PTA役員も悪くないかなと思いました、だのと述べていた。 ここまで行くと、「病気」である。
但し、問題は、こういう「病気」は、いったいどうやって「治療」すればいいか。 「治療」法はなかなかないのではないか。 「作業療法」させようとしても、おのれの担当の仕事を担当外の人間におしつけて定時に帰って「妊活」(要するに、性交)して3人目の子供をはらむ女、担当外の者に時間外におのれの担当の仕事をさせて空いた時間にPTA役員やるだけでなく、「PTA役員やってます」とわざわざ会社のホームページとリンクしたブログに書く女に「作業療法」させようとしても、やるわけない! ハンマーか何かで頭を強打してやれば、実質的に「精神外科」(「ロボトミー」など)と同じことをやったことになるかもしれないが、「精神科医」と称する人間が「精神病院」という場所でやれば「治療」として報酬を取れるが、そうでない人間がうかつにやると「傷害罪」に問われるおそれがある。 こういう女は、蚊取り線香を粉にして蕎麦にふりかけて食わせた上で、通天閣から突き落とすしかないのではないか? 〔⇒《YouTube-アホの坂田》https://www.youtube.com/watch?v=nyNnvSRNgY4 〕 しかし、実際問題として、こういう異常な女の「治療」は「精神外科」しかないのではないか?!?
18. 私は、ポリテクセンター千葉の建築CAD科で、AutoCAD、Jw cad、マイホームデザイナープロなどとワード・エクセル・パワーポイントなどを学習してきた者で、その後、建築CAD検定2級(AutoCAD2013で受験)とWord文書処理技能認定3級(Word2010で受験)に合格した。 その私が新華ハウジング(有)に入社した時、パソコンがなかった。 せっかく、そういったものを学んできた者が入社したのだから、それを生かせるようにパソコンの1台くらい用意するべきだと思うのだが、新華ハウジング(有)の社長の長谷川はそれを用意しなかった。 ところが、縁故の滝口が入社すると、滝口のために即刻新しいパソコンを購入した。 ところが、滝口は、新しいパソコンに入っているワード・エクセルの最新パージョンでは使いにくいと、せっかくの最新バージョンを前のものに戻そうとしだした。前のものの方が使いやすいというのなら、おのれのパソコンを持って来て使用するべきであろう。 そうでなければ、実際のところ、「バージョンアップ」というものが、はたして使いやすくなっているのか使いにくくなっているのかよくわからないケースもあるけれども、他社と資料をやりとりする場合を考えると、ワードやエクセルは最新バージョンを使えるように自分が変化していくしかないはずである。 会社に最新のパソコンを購入させて、その内容を古いバージョンに変更させようとする人間というのは初めて見た。 相当高齢の人で、新しいものを今さら学びたくないということで、最新のパソコンを若い人に使わせて、自分は古いパソコンでいいと言う人は時々いるが、他の従業員よりも若い年齢の人間で、新入社員でありながら、最新のパソコンを自分は使いたい、かつ、ワード・エクセルは前のバージョンにしたいなどと要求する人間というのは初めて見た。あんまり、そういうこと言う人ないと思うし、それ以上に、そういう人間を認める会社というのはあんまりないと思うし、縁故入社の人間だからとそういう態度を認めているようでは、その分だけその会社はつぶれる傾向を持っているということであろう・・・・と思ったら、つぶれた。
19. 一般に、会社の終業時刻というのは、その時刻まで働くという時刻ですが、滝口は、常にそれより前に勤務を終了させて、終業時刻ぴったりにタイムカードを押して退社していたが、終業時刻より前に帰る準備をしているという状態を認める会社というのは、アブノーマルに労働組合が強い会社とかでまったくないことはないとしても、普通はそういうことはしないはずだ。
20. 滝口は「こんなの、パートのおばさん にさせればいいんだ」とびっくりする発言をしたことがあった。
「おまえが、『パートのおばさん』だろうが!」
自分がパートタイマー以下の勤務状態でありながら、「パートのおばさんにさせればいいんだ」とはあきれた。 その発言はパートタイマーで働いている人に対して失礼である。
これらは「例示」です。滝口の「異常」「病気」は例示はできても列挙なんかしようとしたあかつきには字数オーバーで書ききれません。
アイダ設計(株)http://www.aidagroup.co.jp/ では、応募の面接の際に「エントリーシート」というものを書かせ、そこに「既婚の女性の場合、子供が熱を出したという場合はどうしますか」という質問項目があった。 これはやりすぎだと私は思う。 「子供が熱を出した」という時に、突然、休みますから自分が担当の仕事を誰かやってくださいと要求されたのでは、周囲に従業員が迷惑するということで、子供が熱を出したという場合には、母なり義母なり(子供からすれば祖母)に見てもらいますとか答えれば採用されるところを、そういう場合は休ませてくださいと言うと不採用にされる可能性があるということだと思える。 しかし、家族の用事というのは、子供の用事だけではないし、子供というものは、母親だけ、女性だけが見るものではなく、男性も協力して育てるべきものであるし、子供がある女性が「子供が熱を出した」という時に、他の従業員がその人が担当の仕事を代わりに負担してやることが時としてあっても、「お互いさま」として、逆に他の従業員の家族が体調を崩したとか、あるいは、家族の誰かが体調を崩したとかではなく、本人が資格試験を受けに行きたいから試験日に休みたいとかいった場合にでも、今度は、子供がある女性の方が逆に負担を払って助けるということをやればよいのではないのか、と私は思った・・・・・が。
しかし、だ。 かつては、男性は誰もが男性の扱いで働くものだが、女性は特に「キャリア」と言われるような人、「スーパーウーマン」と評価されるような人だけが男性と同じ条件で働き、そうでない女性は働くとしても「補助的な立場」で勤めることが多かったので、「補助的な立場」で勤める女性の場合、未婚の人でも既婚の人でも既婚で子供がある人でも、男性よりも軽い負担の勤め方で認められた。 ところが、最近は、女性でも男性と同じ処遇で勤める人が多くなった。ところが、処遇は男性と同じ条件を要求しながら、「子供が熱をだしましたので」と言えば、「子供」を大義名分として口にすれば、いつでも好きなだけ休める、その間の仕事の負担は周囲の従業員が負担して当然という態度をとる人が出てきた。 そうなると、「お互いさま」ではなくなるのだ。
千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)http://www.10kai.co.jp/ の花見川店にいた時、私は住宅建築業の会社に長く勤務してきたので、男か女かにかかわらず、来客にお茶を入れて持って行くということは当たり前のことと思ってやってきたのだが、しかし、花見川店の店長になっていた「ゆうこりん」(仮名)は、冬場、雪が降って積もると、「雪かきは男性がやるのが当たり前でしょ」と主張したのだ。 男性が雪かきをして、その間に女性は他の事をやるというなら、まだわかる。ところが、「ゆうこりん」(仮名)はそうではなく、私が雪かきをすると、その間におのれは部屋の中に入って座ってコーヒー飲むのだ。 この女、どうかしているのではないかと思った。 もしも、それが認められるなら、男性が10人いる職場なら、10人で分担して雪かきをすることになるが、男性が5人で女性が5人の職場なら、雪かきは5人で分担して、部屋中に入って座ってコーヒー飲むヤツが5人ということになる。男性は2人分の雪かきをさせられることになる。3人の職場で男性が1人、女性が2人なら、1人で雪かきさせられて、その最中に2人は部屋中に入って座ってコーヒー飲むことになる。 かつ、人が外で雪かきしている最中に部屋中に入って座ってコーヒー飲むヤツも「男女平等」「雇用機会均等」として同じ待遇を要求することになる。「当たり前でしょお~お」と言って。(雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html は労働者の敵だ!)「女が働くのは大変なんだからねえ」とか言って。なんで、部屋中入って座ってコーヒー飲むヤツが大変なのか、よくわからんが・・・・。
私は、今でも、アイダ設計(株)が「エントリーシート」でやっていたことは適切とは言えないと思っているが、しかし、「子供が熱を出した時にはどうしますか」と質問したい人間の気持ちもまったくわからないことはないのです。 「子供が熱を出したので」という大義名分を認めてしまうと、はてしなく、その大義名分を使われてしまうことになりかねないからです。 「子供が熱を出したので」という大義名分を認めると、その負担を他の従業員が被り、「お互いさま」にならず、結局、その人を雇ったことで他の従業員の労働条件が低下することになる可能性がある。 もしも、「子供がある女性ばかりの職場」なら「お互いさま」になるかもしれないが、そうでない従業員に負担をかけるのが当然という態度を取られるなら、何もわざわざそういう人を雇う必要はないのではないか、ということにもなる。
特に、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)〔千葉市中央区鵜の森町 〕に2011年4月に縁故入社した滝口 恵のように、おのれが担当の仕事を担当外の従業員に押しつけて、「私は子供があるんですからねえ」「当たり前でしょお~お」と大威張りで行って定時に帰り、担当外の従業員が滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせられているまさにその最中に、オットと「妊活」(要するに、性交)やって3人目を孕む女、担当外の従業員におのれの仕事を押しつけて労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせて空けた時間に「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかなと思いました」などと傍若無人な文句を会社のホームページとリンクしたブログでわざわざ述べる女がいると、やっぱり、そういう人は採用時に見抜いて、会社に入れないようにするべきであった、と考えざるをえない。
私は、住宅建築業の会社の従業員としては、特に、戸建住宅の新築の営業の職種においては、大関クラスの人間ですが、縁故の滝口は序の口ですらありません。 序の口ですらない人間が、熱心さもない、縁故だから特別扱いしてもらって当然という態度では、それでは、最初から勤めない方が良かったのではないのかということになります。
新華ハウジング(有)〔建設業部門〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業部門〕は2013年11月に倒産しましたが、同社は私に対しても、賃金債権を何百万円も払わずに逃げました。 裁判所の債権者会議に、社長の長谷川新二は来ましたが、にやにやして座っているだけで、「すいません」も「申しわけありません」も、一言も言いませんでした。 その際の書類を閲覧しましたが、多くの業者や契約客に対して多額の債務があり、それらを支払わずに倒産させたのですが、縁故の滝口恵の名前はそこにはありませんでした。 ということは、従業員でも縁故の滝口には、賃金をきっちりと支払って倒産させたということでしょうか。 日本の裁判所はあてになりません。頼りになりません。 法で裁けぬ悪を絶つ! ということをしてくれる「仕事人」にでも頼むしかないのでしょうか。
〔⇒《dailymotion-月が笑ってらぁ 藤田まこと 》http://www.dailymotion.com/video/x24jajd_%E6%9C%88%E3%81%8C%E7%AC%91%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%89%E3%81%81-%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8_music〕
長谷川は、会社の「倒産」、おのれの「破産」をやれば、カネ払わずに逃げることが合法的にできるとにやけているようですが、それは逃げた側の意識であり、逃げられた側はそうは思っていないのです。 「相互主義の原則」という言葉もあります。 人に害を加えても、合法的に逃げる方法があるならば、そういう態度を取った者には「相互主義の原則」を適用する、という選択もありうるわけです。
2010年に私が新華ハウジング(有)に入社した時、職安の求人票には給与額を「15万円~25万円」と記載されており、その幅がずいぶんと広かく、かつ、月15万円では生活できないので応募対象外ですが、私は自分の経験・実績、年齢、学歴、資格といったものから考えて、その範囲の中では上の方で採用か不採用かどちらかであって、下の方での採用ということはありえないと考えて応募しました。 しかし、面接に行くと、社長の長谷川新二は「求人票に書いてあるのは違って」と言い出したのです。 求人票に実際と違うことを書いていたと言うのです。 長谷川は「誰でも一律に15万円プラス歩合で、不動産屋とコネクションがあって分譲地の代理販売の話をつけられる人に、部長・課長ということにして月5万円プラスして払ってるんです。 ○○さんは不動産屋とコネクションがあってそういう話を持ってこれますか。持ってこれるなら月5万円プラスして払いますが」と言うので、「15万円プラス歩合」として入りました。かじ○ とS井は経験・資格・学歴・年齢はいずれも私より下でしたが、不動産屋とコネクションがあって代理販売の話を継続的につけられるということで月あたりプラス5万円受け取っていたようです。しかし、入社してみると、不動産屋とのコネクションがあって、そういった話を持ってこれるということで月5万円プラスして払っていると言っていた かじ○ は、結局のところ、市原市の かじ○ の知り合いの不動産屋の光栄(株)http://www.chiba-takken.or.jp/shop/1-7907 の持っていた土地のうち、「売れやすい土地」ではなく「売れない土地」の方を新華ハウジング(有)に買わせていただけであり、S井に至ってはそれもなかったのです。 だから、私は、社長の長谷川に、私にもプラス5万円支払うか、かじ○ と S井にプラス5万円払うのをやめるかどちらかするべきだと求めたのですが、長谷川ははぐらかしたのです。
2011年4月に縁故の滝口が入社した時、滝口には、四国・徳島市の「(株)フィットhttp://www.fit-group.jp/ のやり方」として、「固定給制」だとして、滝口には契約があがろうががるまいが関係なく歩合給部分もプラスして「固定給」として支払うということをしました。 「固定給」として、契約がある程度あがった場合の賃金をもらっている以上は、契約があがるような動きをしなければならないはずです。 ところが、滝口は契約があがろうがあがるまいが、「当たり前でしょおお~お」と言って自分だけ定時に帰っていたのです。 そして、おのれが、歩合給部分を合わせて固定給として受け取っておきながら、その給与に該当する仕事を担当外の従業員に押しつけていたのです。
私は知らなかったし、もしも、聞いていたならば抗議しましたが、滝口は経験もない「序の口以下」の人間でありながら、縁故入社だからということで、「部長」という肩書をつけてもらっていたという話があるのです。もしも、そういうことであるならば、こちらは困りません。滝口は、おのれが担当の仕事を担当外の従業員に時間外・無賃労働でさせようと強要したわけです。 それは、刑法上、強要罪に該当するとともに、労働基準法違反でもあります。労働基準法違反は犯罪です。 軽くみてもらっては困ります。 序の口以下でパートタイマー以下の勤務態度の人間を縁故だからという理由で「部長」にする会社などあまりありませんが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)がそうしたのなら、労働基準法違反に「部長」は当然のことながら責任はありますから、滝口恵犯罪者にはそれに対して責任をとってもらわないといけないことになります。
中谷彰宏(あきひろ)『オヤジにならない60のビジネスマナー』(2003.1.20.PHP文庫)には、
≪ オヤジは、年齢によってオヤジになるのではありません。
実は年齢は関係ないのです。
その年齢できわめて多く分布するというだけで、20代の若者にもオヤジはたくさんいます。
男性に限りません。
女性にもオヤジはたくさんいます。 ≫
と述べられています。 この点において、「おばはん」「オバタリアン」も「オヤジ」と同じではないかと思います。
そういう人を、どうすれば「治療」できるか、といっても、実際のところ、「精神外科療法」(即ち、ハンマーで頭を叩いて脳みそをえぐり取るとか)とか「薬物療法」(毒物を飲ませる)くらいしか「治療法」はないのではないかという感じがしてきます。 「患者」にではなく、その「患者」の女が「私は子供があるんですからねえ」と言って定時に帰った後、担当外の従業員に「作業療法」(無賃労働・労働搾取)させても、「しまいに殺されるぞ」という気持ちに周囲の従業員がなるだけであって、「患者」の「病気」は治りません。
ここしばらく、東京-大阪間は夜行バスか飛行機に乗ることが多かったのですが、今回、新幹線に乗る機会があったもので、思い出しました。 かつて、20代で「大学生」であった時、東京から新大阪まで乗って「ひかり」号で、隣の席に乗った、年齢はまだ20代後半か30代前半くらいではないかと思われた女性の「おばはん」ぶりを。 すべての女性が、結婚して子供ができると「おばはん」になるというわけではないはずですが、しかし、「おばはん」になる人はいます・・・・・し、結婚するか子供ができるかにかかわらず、「おばはん」である人も・・・・、現実にいますよね・・・・。 ならない人もいるでしょうけれども。 それも、「病的」な人もいますし、小此木啓吾流の「診断」をするならば、「・・・症候群」「・・・シンドローム」と「診断」する対象になりそうな人が。
(2016.11.24.)
新幹線に乗ると、毎度、思い出すことがある。 1980年代、私が「大学生」で20代前半だった時のことだ。 その頃は「のぞみ」などというものはなく、「ひかり」と「こだま」だった時代。 東京から新大阪まで「ひかり」に乗った時、東京駅で、私よりいくつか年上、20代後半の後半か30過ぎくらいの夫婦が赤ん坊を母親の方が抱いて乗ってきた。私が3人掛けの窓際の席に座っていたところに2人で来たので、2人で乗っていくのかと思ったら、発車間際に男の方は降りて、女の方だけが赤ん坊を抱いて私の隣の席に座ったのだ。女の方が生まれてたいして経たない子供、要するに赤ん坊を連れて里帰りでもするのだろうか。 まあ、それはかまわない・・・・が、ここから、恐ろしいことが起こるのだ。
↑ 東海道新幹線 「のぞみ」。 新大阪駅にて。
結婚して子供ができても、それでも「女」である女性と、子供ができると母親ではあっても女でなくなる女性がある・・・のかもしれない。 むしろ、「女」でないだけでなく、「おばはん」になってしまう女性もいるのではないか。 結論として、「おばはん なんて、人間じゃねえ!」と言いたいくらいなのだ。
子供が、といっても、口をきくような子供ではなく、赤ん坊である。 それがむずがると、「もう、あなた、うるさいわねえ。いいかげんにしてちょうだい」とか言うのだが、誰に言ってんだよ、そいつ、まだ、言葉わからないはずだぞ。
そのあたりはまだいい。我慢もしよう。 そのうち、哺乳瓶を赤ん坊の口にくわえさせて、水鉄砲みたいにギュっと押さえつけて子供の口の中に噴射すると、子供が苦しがって泣きながら吐き出す。 「何すんねん」て感じ。 あんた、そんなことしたら、子供が苦しがって吐き出すのは当たり前じゃないかと横にいて思ったのだが、ところが。 その女は何と言ったかというと、「くさっ。 なんて臭いの。 まあ、あなた、何てことしてくれるの。うわっ、くさっ。 臭いわねえ。 もう、何てことしてくれるのよ」と、そう言ったのだ。
「何てことしてくれるの」て、それは、あんたが言う文句じゃないだろうが。 赤ん坊の側からすれば、赤ん坊の方こそ、「何てことしてくれるの」と言いたいところだろうが。 哺乳瓶を赤ん坊の口にくわえさせて、そこからは、本人が本人のペースで吸うものと違うのか。 それを、水鉄砲みたいにギュ~ッと赤ん坊の口の中に噴射させるて、普通、そんなことするかあ? 「何てことしてくれるの、あなたは」て、赤ん坊の方がそう言いたいのと違うか!?!
そして、何より、こっちが言いたかった。 「くさっ。 なんて臭いの」て、それは、あんたが赤ん坊に文句を言う文句じゃないだろうが。 こっちの方こそ、あんたに言いたいわ。 本当に臭かった。 普通の人間なら、「どうも、すいません」の一言くらい、隣の席の人間に言うものと違うか!?! と思うのだが、子供を抱いたら、まるで、水戸黄門の印籠でも持ったみたいに思う女(時として男)が世の中にはいるものだ〔⇒《YouTube-水戸黄門 印籠》https://www.youtube.com/watch?v=UhiFUCPJ3i0 〕。水戸黄門の印籠もってる以上、何やったっていい、周囲は自分のために。自分(と自分の子供と自分の夫)のために世界はあるの!みたいな発想!〔⇒《YouTube-佐良直美 世界は二人のために(1973) https://www.youtube.com/watch?v=HLpzXc0As_Y》 〕 この「子供帝国主義」というのか、「おばはん帝国主義」という態度。 かんべんしてほしいわ、ほんま・・・・なんとも、困ったおばはんの隣の席になってしまったものだと思っていたら・・・、それだけではなかった。
周囲の乗客も私と似たことを思ったようなのだが、「なんだ、こいつらは」という眼で周囲の乗客が見ていたのだが、その見ている先がどこを向いているか。 え?????
なんで、俺の方を向いて、「なんだ、こいつらは」という非難の眼をして見てるの? 俺は関係ないぞ、俺は。俺は被害者だぞ、俺は・・・と思ったのだが、20代の後半の後半か30代の前半くらいの女がひとりで赤ん坊を抱いて新幹線の座席に座っていて、その隣に20代の前半の男が座っていたら、なんか、夫婦みたいに見えた???
やめてくれよなあ~あ。 俺、このおばはんのダンナじゃないんだよなあ、かんべんしてくれよなあ~あ、と思ったのだが、はっきりと口に出して言ってくれたなら「私の連れじゃないんですよ」と弁解もできるが、「何、考えてんだ、こいつら」ととげとげしい非難の眼をこちらに向けるだけで口に出して言わない以上、弁解もできない。 なんで、このバカ女のために、臭い思いをさせられたあげく、こちらが非難の眼を向けられなきゃならないんだよお!!! 東京から新大阪まだの間、今は「のぞみ」は2時間33分で行くようだが、その当時、開業時の3時間10分よりちょっとだけ短くなっていたかもしれないが、3時間は切ってなかったと思う。その時間、なんで、俺が非難の眼を向けられなきゃならないんだよお~お! と情けない思いをして過ごした。臭い思いもしながら、横で、「あなた、何てことするのよ」「困った人ねえ、あなたは」とかうるさい文句をギャースカ言われながら。
それ以来、新幹線で、赤ん坊を抱いた女に1人で隣に座られると恐怖を感じるようになった。
千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業。 2013年11月に倒産。 不動産業としての、ビルダーズジャパン(株)も2011年11月に倒産。 他、不明業として、ジャムズグローバルスクエア(株)。〕で、2011年4月に、社長の長谷川の妻の友人だとして、T口 恵(女。当時、30代前半)が入社してきたが、この人は、「病気」だと私は思う。
ここで、「病気」と、カッコ(「」)に入れたが、このカッコ(「」)は単なる装飾ではなく意味がある。 ニューヨーク州立シラキュース大学精神科教授のトマス=サズが『「精神医学」という神話』( 岩崎学術出版社)という本を出している。 日本語訳では『精神医学の神話』と訳されているが、これは英語の「of」を「~の」と誤訳してしまったことによるもので、この「of」は本来は「~という」と訳すべき「同格のof」であるが、体制精神医学の脅威におびえた訳者が、あえて、紛らわしい訳名にした可能性が考えられる。 トマス=サズの著書では他に『「精神医学」という狂気の思想』( 新泉社)という本も出版されているが、こちらも、日本語訳の訳名は『狂気の思想』とされており、この訳名では「精神病患者の思想」という意味かと勘違いしそうな訳名であり、これも体制精神医学の圧力に屈してぼやけさせられたような訳名であるが、内容はそうではなく、「精神医学」こそ「狂気の思想」だというもの。サズは「精神医学」こそ「神話」であり「狂気の思想」だと言っているのである。
私は、もともとは、心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学に関心があった人間である。 しかし、そういったものを学んでいるうちに、又、なんらかの経緯でそういう関係者と接する機会を持った上においては、というてい肯定できかねるように思うようになった。 私が心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学に関心を持った際に読んだ書物としては、なだ いなだ『娘の学校』『パパのおくりもの』(中公文庫)・『人間、この非人間的なもの』(筑摩書房)、池見酉次郎『心身医学』(講談社現代新書)、宮城音弥『精神分析学入門』(岩波新書)、マルデルシュタイン『世界文学で学ぶ大脳生理学』(講談社ブルーバックス)、シグモンド=フロイト『精神分析学入門』(中公文庫)、遠藤周作『松葉杖の男』(『月光のドミナ』新潮文庫 所収)などであり、それらの本には、一般の人間が読んで役立つと思われるものが書かれていたし、心理学・精神医学・心身医学・精神分析学・大脳生理学といったものは、人民に役立つ学問だと思えた。 しかし、疑問を感じ出したのは小此木啓吾の「モラトリアム人間」論あたりからである。 小此木の批判をしだすと字数オーバーになるので、それは別の機会にするとして、簡略に言って、小此木の主張は、「精神適応か民主主義か」「自己飼育か自主権か」という問題において、「精神適応」「自己飼育」に励むのが人間として「正常」であり、それをためらう人間を「モラトリアム人間(病)」と病気扱いして加工しようというものである。いかにも、慶應の内部進学の人間の主張という感じである。
トマス=サズの『「精神医学」という神話』(日本語訳としての出版名は『精神医学の神話』 岩崎学術出版社) ・ 『「精神医学」という狂気の思想』(日本語訳としての出版名は『狂気の思想』 新泉社)は名著であるが、残念ながら絶版になっているのだが、図書館で置いている所も中にはあるであろうし、中古書籍ではインターネットでも手に入るようなので、この書物の内容は実際に読んでいただくのが良いと思うが、特に『「精神医学」という神話』の方でサズはどういうことを言っているのかというと、まず、「精神疾患」「精神病」というものを「病気」「医学」「医者」「病院」といった用語で表現するところから誤解を招いており、「精神疾患」「精神病」というものは「身体疾患」「身体病」とは性質がまったく違う。 たとえば、梅毒の3期症状で脳が侵されたというケース、アルコール中毒、ニコチン中毒、覚せい剤中毒といったもの、あるいは、交通事故その他の事故による外傷で脳が外傷を受けたケース、そういった原因で行動に「異常」をきたしたようなものは「病気」として扱うのは不適切ではない。 しかし、そういった原因があるわけではないもの、「精神分裂病」(現在では「統合失調症」と呼ぶ)・「ノイローゼ」といったものは、「医者」は「診断」したと称しているけれども、これは結核とか肺炎とか膵臓炎とかいった身体疾患・身体病を診断したケースとは性質が異なり、原因をつきとめて診断したのではない。そういうケースにおいて、「患者」とされた人は、「何かを持っている」のではなく「何かをしている」というものである。 「医者」は「診断」と称してその人間を「病気」であると「宣告」しているのである。 「精神分裂病」(「統合失調症」)・「ノイローゼ」と「診断」された「病気」「患者」「病人」の場合、その原因は人間関係のもつれがあるケースが考えられる。 そういったものは、人間関係について解きほぐして問題点を解消していくのが解決への道であるはずであるが、ところが、「病気」でありその人間が「患者」であると「医者」が「診断」してしまうことにより、悪いのはそいつ! と認定されてしまうことになる。そのために「治らない」ことになる。 「鬱病」「躁病」「躁鬱病」というのも微妙。 これらに、何か器質的な原因があるのなら「病気」として扱っても良いが、器質的な原因がつきとめられたとは言い難い。 また、「不眠症」などというものについては、誰しも寝つきにくいことはあるわけで、寝つきにくいという人があってもはたしてこれを「病気」と考えるべきなのか難しい。 「精神病質」と言われるものに至っては、その時の政治権力・体制が自分たちにとって都合が悪いと考える人間を「精神病質」と「診断」するものという傾向がある。 シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学-ソビエト連邦の場合』(みすず書房)などで、「精神医学の悪用」と取り上げられることがあるが、それは「悪用」と取り上げるべきではなく、むしろ、「精神医学の本質」と考えるべきではないのか。
体制精神医学の問題点を指摘したのはトマス=サズだけではない。 ロナルド=レインやデビッド=クーパーも、特に、「精神分裂病」と「診断」された人たちには人間関係における抑圧が原因であるケースが考えられ、中でも家族の人間関係に問題があるケースが多いと指摘する。 ロナルド=レイン『家族の政治学』・デビッド=クーパー『家族の死』(みすず書房)などで、家族の人間関係の問題が指摘されている。 森山公夫『現代精神医学解体の論理』( 岩崎学術出版社)では、精神分析学についても、体制精神医学に対する反逆児としてヨーロッパで生まれた精神分析学が大西洋を渡ってアメリカ合衆国に行くと体制に飼いならされて体制側・抑圧側の道具となったと指摘している。 そして、フロイトは偉大な発見をしたがすべてにおいて成功はしていない。フロイトの大発見とフロイトの間違いを分けて考えるべきであり、そして、フロイトとフロイト以降の「精神分析家」と称するエピゴウネンによる間違いの拡大再生産とを分けて考えるべきであると指摘する。 そのフロイト以降の「精神分析家」と称するエピゴウネン、フロイトの失敗・間違いを拡大再生産している「精神分析家」と称するエピゴウネンの日本における代表格が元 慶應義塾大学医学部助教授の小此木啓吾である。
「精神分裂病」(「統合失調症」)・「ノイローゼ」といったものは「人間関係のもつれ」に原因があり、それは「医学」として扱うべき問題ではなく、本来は「哲学」「文学」「社会学」といった次元の問題であるはずであるのに、「医学」「病気」「病院」「医者」という表現をしてしまうことから問題の扱い方を間違えてしまうのであるとサズは指摘するが、ましてや、小此木啓吾が大量生産した「モラトリアム人間」だの「ピーターパンシンドローム」だの「ウェンディジレンマ」だの「青い鳥症候群」だのなんだのかんだのといった小此木が作成した「精神医学的レッテル」は、それは、「医学」「医者」「患者」「病気」「病院」として扱うべき問題ではない。何より大きな問題は、「医学」「医者」「患者」といった用語を使用して扱うことによって、「診断する側」「治療する側」と「診断される側」「治療される側」が別れてしまうことであり、そもそも、人間を「診断する側」「治療する側」と「診断される側」「治療される側」に分けるということ自体、民主主義に敵対する動きである。
「精神医学」と「心身医学」とは、本来は一続きのものだと高校生くらいの頃、私は思っていた。 心身医学というのは「心で起こる体の病」というもので、入学試験の当日、下痢をする人が多いとか、運動選手で練習の時には成果を出すが試合になると緊張して実力を発揮できないとかそういったものも「心身医学」の対象であり、私はそういうものに関心があった。それは「異常」と「診断」された人を対象とする「精神医学」と一続きのものであろうと思っていたのだ。 しかし、実はそうではなく、「心身医学」と「精神医学」は正反対の性質を持っている。どこが正反対かというと、「心身医学」は本人の意志によって受診され、本人が納得いかない治療であれば断ることができる。それに対して「精神医学」は本人の意志に反して「治療」され、本人が納得いかない「治療」でも拒否することはできず、「病院」に入れられたが最後、そこで何をされても「きちがいのたわごと」と「診断」され黙殺される。 この点で、「心身医学」は本人の立場に立った学問で「精神医学」は本人に敵対するものであると言えるのだが、最近、「精神科・心療内科」と看板を出している店というのか医者屋を街で見かける。 何なんだ、これは? というと、どうやら、「精神科」と看板を出したのではかかりたくないと思う人間を「心療内科」と看板を出すことで呼び込もうという「戦略」らしいが、胡散臭いことこのうえない。
それで。 今回は、「精神医学」「精神分析学」の胡散臭さを取り上げることを主たる目的としていないので、その問題は別の機会にまわすとして、「ほとんどビョーキ!」というような人、「ほとんどビョーキ!」という言動について述べたいと思うのだ。 特に、「おばはん帝国主義」の「ほとんどビョーキ!」についてである。
2011年4月に、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業。いずれも、2013年11月に倒産。〕に社長の嫁の友人だということで縁故入社したT口 恵(女。当時、30代前半)は異常であり、「ほとんどビョーキ」であった。小此木啓吾流の対応をするならば、「◇◇シンドローム」「▽▽症候群」と「準病名」をつけても悪くないところであろう。
このあたりの小此木の対応は、「精神科医」と称する胡散臭い人間が「慶應義塾大学医学部助教授」とかいう肩書を振り回して「診断」する限りにおいて、それは害があるが、一般の人間が、文学・哲学・社会学といった次元において論じるにおいては、何ら問題はない。問題は、「T口 恵 症候群」「T口 恵 シンドローム」の「患者」の方である。
1. 滝口恵(女。2011年当時、30代前半)は、入社2日目からして、昼休みは1時間であるにもかかわらず、昼休みに出かけて行って無断で2時間超、戻らない。
2. 入社1週間未満において、勤務時間中に、ボリボリ音をたてて煎餅をかじる。 女性が男性に比べて間食をしたがる傾向があるのはわかるとしても、それでも、勤務時間中である。 又、営業の職種においては、来客があった際に、口から煎餅のにおいをさせて対応するのか? 私などは、歯磨きは朝夕2回なら良いが、3回磨くと磨きすぎで歯が磨滅するという説もあるようだが、それでも、昼食後に歯磨きをするようにしてきた。 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)ではやらない時もあったが、歯磨きをしない時でも昼休みに食事をした後、口をゆすぐようにはしていた。 食事時間以外には、お茶やコーヒーくらい飲むことはあっても間食はしないようにしていた。私は餃子がけっこう好きなのだが、勤務終了後の夕食では食べても朝食・昼食、及び、夕食後も客と会う場合は夕食でも食べないようにしてきた。 (株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ では店が狭い店舗があり、狭い店舗内で食事をすると食事のにおいが店の中に充満するということで、客から見えない場所でも店舗内で食事はしないようにとしていた店もあった。縁故のT口はそういうことを少しも考えていない。 T口恵は同僚のI村から指摘されてもやめない。
3. 普通、自分が帰る時に、まだ、仕事をしている人がいる時には、たとえ、その人の担当の仕事をしているのであっても、「すいません。お先、失礼します」と言って帰るものだが、T口は口にしたためしがない。
4. 工事中建物の問題点を、私が、自称「工事責任者」のU草に話していると、現場を見にも行かずに、横から口出して邪魔をする。先輩社員が話している内容について、教えて欲しいと思ったなら、話しているところを横から邪魔をするのではなく、後で、「さっき、話しておられたのは・・・という意味なのですか」と質問するべきであり、これは社会人として当然のことであるが、社会人として当然のことが認識できていない。
5. T口とI村が担当としてやっていたもののポスティングを工事部の人たち(大工)に、勤務時間外に労基法違反の無賃労働でやってもらいながら、おのれは定時に帰る。 「どうも、すいません」とも言わない。 それだけでなく、「いったい、何が悪いの」とふんぞりかえって公言する。 縁故の滝口が入社するまで、印刷屋に依頼してのカラー刷りチラシなど新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)では作成しなかったにもかかわらず、縁故の滝口が入社すると滝口のためにカラー刷りチラシを大量に刷り、かつ、滝口はポスティングせず、配布期限が迫っているにもかかわらずそれを床の上に積み上げて定時に退社して平気な顔でいる。 担当外の私が見兼ねて、困った新人のために、無賃労働で夜遅くまで無理をしてポスティングをして入れてあげても、「ありがとうございます」も「すいません」「申しわけありません」も言わない。
6. 工事部の人たちに、労基法違反・無賃労働で滝口のためのポスティングをしてもらっておきながら、ポスティングをしてもらうチラシを用意もしないで帰っている。 工事部の人間が怒っていても平気でいる。
7. 昼間、大工仕事をしているような人に、夕食時間以降に無賃労働でポスティングをさせるといったことをさせたなら、疲労がとれないことから、昼間の作業において、事故・労働災害が発生しやすくなるといったことが考えられ、建築会社においては、そういったことは避けなければならないはずであるが、まったく頓着しない。
8. 損害保険募集人試験を受けるといって、損害保険会社が実施する講習を受講すると言いながら遅刻してくる。それも、普段の勤務先よりも自宅に近い場所にある講習会場に遅刻してくる。 遅刻してきて講師の人に「遅れました。すいません」の一言も言わない。 同じ会社から出席していた私にも「すいませんでした」の一言も当然のように言わない。
9. 営業会社において、来客用入口の目の前に、入社早々、ばかでかいクルマを入口に接して駐車する。営業妨害であることは明らかであるが理解しない。
10. 営業に向くクルマ、向かないクルマといったものがあるが、営業に不向きなばかでかいクルマに平気で乗ってくる。
11. 現場見学会を日曜日に実施しようとすると、「私、日曜日なら出ませんあ」と言い出す。 普通の建築会社なら、営業の職種の人間がそのようなことを言い出すなら、「それなら、あなた、来なくてよろしい。あなた、接客しなくてよろしい」と言われるところであるが、びっくらこっこしたことに新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川の子分であまり会社に出てこない長谷川の代理のように動いていた、かつて、多額の横領をしたことがある植草が「ええ~え。滝口さんに出てもらえないと困りますう。わかりました。それでは、土曜日に日を変更しますから、どうか、お願いですから出ていただけないでしょうか」とアホなことを言い出す。
12. その現場見学会の前日、現場の準備に I 村とかじ○と3人で行ったのはいいが、I 村と かじ○がまだ準備をしているのにひとりだけ先に事務所に戻って来て定時に帰ろうとする。 労働基準法と就業規則から考えて定時に帰って悪くないはずだという主張らしいが、労働基準法と就業規則から考えて自分は定時に帰ってよいはずだと主張して実行しながら、他の従業員に労基法違反の時間外労働を無賃労働でさせるということについては「いったい、何が悪いの」と大威張りで発言する。
さらに、他の担当者のI 村と かじ○に時間外労働で準備をさせておきながら、1人だけ先に帰って来て、「準備するなら作業服くらい着て来るものなのに、着てこないで、この会社の男どもはどうかしてんじゃないのお」と叫ぶ。 一番「どうかしている」のは自分であると気づいていない。
自分が作業服を着てきて、それで、作業服を着てこない人間に、「作業服くらい、着て来るものじゃないの」と言うなら、まだわかるが、自分も着てきていないにもかかわらず、である。 「この女、頭、おかしい」と普通の人間は思うはずである。 「精神医学」の対象とするべきかどうか。
13. 人に自分の仕事をやってもらうと、「ありがとうございます」「すいません」と言うべきであるのに、逆に、やってもらって当たり前と思うようになっている。
14. 現場見学会の前日、「私は明日はぎりぎりしか行かないけれども、他の人は早めに行って準備しておくこと」と大声で叫ぶ。 異常としか言いようがない。 私は担当外であり、関係なく、最初から翌日は行く予定にしていなかったので私に言ったのではないであろうけれども、誰に言ったつもりであれ、
(ア) 自分がぎりぎりしか行かない人間は、他の人間がぎりぎりに行くか余裕を持って行くかといったことに口出す権利がないのは当然である。 その社会人としての会社人としての常識を理解できていない。
(イ) 現場見学会の開催開始時刻は滝口の勤務時間の始業時刻よりも1時間後であり、現場見学会の開始時刻「ぎりぎりしか行かない」のなら滝口は遅刻である。 誰も滝口に始業時刻よりも1時間遅刻して良いなどと認めた覚えはない。それを理解せず、自分はいつでも好きな時に好きなだけ遅刻・早退してよいと決めてしまっている。
(ウ) 前日、滝口は他の担当従業員に準備をさせて先に事務所に戻り、定時に帰ろうとしていたのである。前日、他の担当者に遅くまで準備をさせた者は、当日は早めに行くべきである。 前日も先に帰り、当日もぎりぎりしか行かないような営業には接客して自分が担当の見込み客を取得する権利はない・・・・にもかかわらず、自分が接客して見込客を取得するつもりでいる。 「ほとんどビョーキ」と言うしかない。
(エ) 滝口は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員としては新人であり、住宅建築業においても、その営業の仕事においても、実績も何もない人間であり、年齢も他の従業員より若く、普通は、(A)社歴が浅い者は社歴が古い者よりも早く行くものであり、(B)経験がない者は経験がある者より早く行くものであり、(C)年齢が若い者は年齢が上の者より早く行くものである・・・・が、滝口は他の者より、(A)社歴が浅く、(B)経験がなく、(C)年齢も若く、その滝口が「私はぎりぎりしか行かないけれども」と大声で大威張りで宣言するというあたりからして異常である。かつ、「他の人は余裕をもって早めに行くこと」などと、新人が口に出すこと自体、ビョーキである
15. 自分は、自分が担当の仕事がまだ残っていても定時に帰ろうとしておきながら、担当外で先輩社員の私に、見学会会場に、時間外に無賃労働でカラーコーンを持って行ってくれなどと言い出す。 私が、困った新人のためにそれまで助けてきてやったところ、それだけでなく、おのれが時間外労働をしない者が、おのれの仕事を担当外の者に労基法違反で時間外に無賃労働にてやってもらおうと「要求」までしてきた。
私は、住宅建築業の会社の仕事においては、いわば、大関クラスの人間です。 それに対して、滝口は序の口ですらない。 序の口ですらない人間は、序の口ですらない人間の態度というものがあるのではないかと思う。社長の嫁の友人であり縁故入社だから自分は特別だという意識があったようだが、そういう「特別」を認めていると、会社はつぶれる・・・・と思ったら、つぶれた!
16. おのれが担当のチラシのポスティングをせず、定時に帰宅して、そして、労基法違反の時間外労働・無賃労働を工事部の人たちにさせておきながら、又、有効期限が迫ったチラシが大量に床に積み上げられているのを見て、見かねて、担当外の私が時間外に無賃労働でポスティングをしてあげたのだが、定時に帰った滝口は、その時間に滝口のためにポスティングをして、「婚活」「妊活」の時間を奪われた従業員がいるにもかかわらず、まさにその時間に、オットと「妊活」をやって3人目をはらんだ。 「私は子供があるんですからねえ」「あたりまえでしょおお」と言って帰宅して、オットと「妊活」やっていたわけである。 自分さえよければよいという態度であり、「しまいに殺されるぞ」という態度である。 「男なら殴られるぞ」という態度をとっても女は殴られない権利があると認識している女が職場には時々いるが、「男なら殴られるぞ」という態度をとった者といえども、たとえ、男でも殴ってよいというものでもないとしても、だから、「男なら殴られるぞ」という態度を女はとる権利があるのか?!? というと、そんな「権利」などないはずである。
17. これは間違いなくビョーキだ! と思ったのは、滝口恵は、おのれの担当の仕事を、担当外の従業員に時間外に無賃労働で労基法違反においてさせておきながら、そうやって空いた時間に、子供の学校、千葉市の幕張の小学校らしいが、PTA役員をやり、おまけに、新華ハウジング(有)のホームページとリンクしたブログで、PTA役員やってますだの、PTA役員も悪くないかなと思いました、だのと述べていた。 ここまで行くと、「病気」である。
但し、問題は、こういう「病気」は、いったいどうやって「治療」すればいいか。 「治療」法はなかなかないのではないか。 「作業療法」させようとしても、おのれの担当の仕事を担当外の人間におしつけて定時に帰って「妊活」(要するに、性交)して3人目の子供をはらむ女、担当外の者に時間外におのれの担当の仕事をさせて空いた時間にPTA役員やるだけでなく、「PTA役員やってます」とわざわざ会社のホームページとリンクしたブログに書く女に「作業療法」させようとしても、やるわけない! ハンマーか何かで頭を強打してやれば、実質的に「精神外科」(「ロボトミー」など)と同じことをやったことになるかもしれないが、「精神科医」と称する人間が「精神病院」という場所でやれば「治療」として報酬を取れるが、そうでない人間がうかつにやると「傷害罪」に問われるおそれがある。 こういう女は、蚊取り線香を粉にして蕎麦にふりかけて食わせた上で、通天閣から突き落とすしかないのではないか? 〔⇒《YouTube-アホの坂田》https://www.youtube.com/watch?v=nyNnvSRNgY4 〕 しかし、実際問題として、こういう異常な女の「治療」は「精神外科」しかないのではないか?!?
18. 私は、ポリテクセンター千葉の建築CAD科で、AutoCAD、Jw cad、マイホームデザイナープロなどとワード・エクセル・パワーポイントなどを学習してきた者で、その後、建築CAD検定2級(AutoCAD2013で受験)とWord文書処理技能認定3級(Word2010で受験)に合格した。 その私が新華ハウジング(有)に入社した時、パソコンがなかった。 せっかく、そういったものを学んできた者が入社したのだから、それを生かせるようにパソコンの1台くらい用意するべきだと思うのだが、新華ハウジング(有)の社長の長谷川はそれを用意しなかった。 ところが、縁故の滝口が入社すると、滝口のために即刻新しいパソコンを購入した。 ところが、滝口は、新しいパソコンに入っているワード・エクセルの最新パージョンでは使いにくいと、せっかくの最新バージョンを前のものに戻そうとしだした。前のものの方が使いやすいというのなら、おのれのパソコンを持って来て使用するべきであろう。 そうでなければ、実際のところ、「バージョンアップ」というものが、はたして使いやすくなっているのか使いにくくなっているのかよくわからないケースもあるけれども、他社と資料をやりとりする場合を考えると、ワードやエクセルは最新バージョンを使えるように自分が変化していくしかないはずである。 会社に最新のパソコンを購入させて、その内容を古いバージョンに変更させようとする人間というのは初めて見た。 相当高齢の人で、新しいものを今さら学びたくないということで、最新のパソコンを若い人に使わせて、自分は古いパソコンでいいと言う人は時々いるが、他の従業員よりも若い年齢の人間で、新入社員でありながら、最新のパソコンを自分は使いたい、かつ、ワード・エクセルは前のバージョンにしたいなどと要求する人間というのは初めて見た。あんまり、そういうこと言う人ないと思うし、それ以上に、そういう人間を認める会社というのはあんまりないと思うし、縁故入社の人間だからとそういう態度を認めているようでは、その分だけその会社はつぶれる傾向を持っているということであろう・・・・と思ったら、つぶれた。
19. 一般に、会社の終業時刻というのは、その時刻まで働くという時刻ですが、滝口は、常にそれより前に勤務を終了させて、終業時刻ぴったりにタイムカードを押して退社していたが、終業時刻より前に帰る準備をしているという状態を認める会社というのは、アブノーマルに労働組合が強い会社とかでまったくないことはないとしても、普通はそういうことはしないはずだ。
20. 滝口は「こんなの、パートのおばさん にさせればいいんだ」とびっくりする発言をしたことがあった。
「おまえが、『パートのおばさん』だろうが!」
自分がパートタイマー以下の勤務状態でありながら、「パートのおばさんにさせればいいんだ」とはあきれた。 その発言はパートタイマーで働いている人に対して失礼である。
これらは「例示」です。滝口の「異常」「病気」は例示はできても列挙なんかしようとしたあかつきには字数オーバーで書ききれません。
アイダ設計(株)http://www.aidagroup.co.jp/ では、応募の面接の際に「エントリーシート」というものを書かせ、そこに「既婚の女性の場合、子供が熱を出したという場合はどうしますか」という質問項目があった。 これはやりすぎだと私は思う。 「子供が熱を出した」という時に、突然、休みますから自分が担当の仕事を誰かやってくださいと要求されたのでは、周囲に従業員が迷惑するということで、子供が熱を出したという場合には、母なり義母なり(子供からすれば祖母)に見てもらいますとか答えれば採用されるところを、そういう場合は休ませてくださいと言うと不採用にされる可能性があるということだと思える。 しかし、家族の用事というのは、子供の用事だけではないし、子供というものは、母親だけ、女性だけが見るものではなく、男性も協力して育てるべきものであるし、子供がある女性が「子供が熱を出した」という時に、他の従業員がその人が担当の仕事を代わりに負担してやることが時としてあっても、「お互いさま」として、逆に他の従業員の家族が体調を崩したとか、あるいは、家族の誰かが体調を崩したとかではなく、本人が資格試験を受けに行きたいから試験日に休みたいとかいった場合にでも、今度は、子供がある女性の方が逆に負担を払って助けるということをやればよいのではないのか、と私は思った・・・・・が。
しかし、だ。 かつては、男性は誰もが男性の扱いで働くものだが、女性は特に「キャリア」と言われるような人、「スーパーウーマン」と評価されるような人だけが男性と同じ条件で働き、そうでない女性は働くとしても「補助的な立場」で勤めることが多かったので、「補助的な立場」で勤める女性の場合、未婚の人でも既婚の人でも既婚で子供がある人でも、男性よりも軽い負担の勤め方で認められた。 ところが、最近は、女性でも男性と同じ処遇で勤める人が多くなった。ところが、処遇は男性と同じ条件を要求しながら、「子供が熱をだしましたので」と言えば、「子供」を大義名分として口にすれば、いつでも好きなだけ休める、その間の仕事の負担は周囲の従業員が負担して当然という態度をとる人が出てきた。 そうなると、「お互いさま」ではなくなるのだ。
千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)http://www.10kai.co.jp/ の花見川店にいた時、私は住宅建築業の会社に長く勤務してきたので、男か女かにかかわらず、来客にお茶を入れて持って行くということは当たり前のことと思ってやってきたのだが、しかし、花見川店の店長になっていた「ゆうこりん」(仮名)は、冬場、雪が降って積もると、「雪かきは男性がやるのが当たり前でしょ」と主張したのだ。 男性が雪かきをして、その間に女性は他の事をやるというなら、まだわかる。ところが、「ゆうこりん」(仮名)はそうではなく、私が雪かきをすると、その間におのれは部屋の中に入って座ってコーヒー飲むのだ。 この女、どうかしているのではないかと思った。 もしも、それが認められるなら、男性が10人いる職場なら、10人で分担して雪かきをすることになるが、男性が5人で女性が5人の職場なら、雪かきは5人で分担して、部屋中に入って座ってコーヒー飲むヤツが5人ということになる。男性は2人分の雪かきをさせられることになる。3人の職場で男性が1人、女性が2人なら、1人で雪かきさせられて、その最中に2人は部屋中に入って座ってコーヒー飲むことになる。 かつ、人が外で雪かきしている最中に部屋中に入って座ってコーヒー飲むヤツも「男女平等」「雇用機会均等」として同じ待遇を要求することになる。「当たり前でしょお~お」と言って。(雇用均等室http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html は労働者の敵だ!)「女が働くのは大変なんだからねえ」とか言って。なんで、部屋中入って座ってコーヒー飲むヤツが大変なのか、よくわからんが・・・・。
私は、今でも、アイダ設計(株)が「エントリーシート」でやっていたことは適切とは言えないと思っているが、しかし、「子供が熱を出した時にはどうしますか」と質問したい人間の気持ちもまったくわからないことはないのです。 「子供が熱を出したので」という大義名分を認めてしまうと、はてしなく、その大義名分を使われてしまうことになりかねないからです。 「子供が熱を出したので」という大義名分を認めると、その負担を他の従業員が被り、「お互いさま」にならず、結局、その人を雇ったことで他の従業員の労働条件が低下することになる可能性がある。 もしも、「子供がある女性ばかりの職場」なら「お互いさま」になるかもしれないが、そうでない従業員に負担をかけるのが当然という態度を取られるなら、何もわざわざそういう人を雇う必要はないのではないか、ということにもなる。
特に、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)〔千葉市中央区鵜の森町 〕に2011年4月に縁故入社した滝口 恵のように、おのれが担当の仕事を担当外の従業員に押しつけて、「私は子供があるんですからねえ」「当たり前でしょお~お」と大威張りで行って定時に帰り、担当外の従業員が滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせられているまさにその最中に、オットと「妊活」(要するに、性交)やって3人目を孕む女、担当外の従業員におのれの仕事を押しつけて労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせて空けた時間に「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかなと思いました」などと傍若無人な文句を会社のホームページとリンクしたブログでわざわざ述べる女がいると、やっぱり、そういう人は採用時に見抜いて、会社に入れないようにするべきであった、と考えざるをえない。
私は、住宅建築業の会社の従業員としては、特に、戸建住宅の新築の営業の職種においては、大関クラスの人間ですが、縁故の滝口は序の口ですらありません。 序の口ですらない人間が、熱心さもない、縁故だから特別扱いしてもらって当然という態度では、それでは、最初から勤めない方が良かったのではないのかということになります。
新華ハウジング(有)〔建設業部門〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業部門〕は2013年11月に倒産しましたが、同社は私に対しても、賃金債権を何百万円も払わずに逃げました。 裁判所の債権者会議に、社長の長谷川新二は来ましたが、にやにやして座っているだけで、「すいません」も「申しわけありません」も、一言も言いませんでした。 その際の書類を閲覧しましたが、多くの業者や契約客に対して多額の債務があり、それらを支払わずに倒産させたのですが、縁故の滝口恵の名前はそこにはありませんでした。 ということは、従業員でも縁故の滝口には、賃金をきっちりと支払って倒産させたということでしょうか。 日本の裁判所はあてになりません。頼りになりません。 法で裁けぬ悪を絶つ! ということをしてくれる「仕事人」にでも頼むしかないのでしょうか。
〔⇒《dailymotion-月が笑ってらぁ 藤田まこと 》http://www.dailymotion.com/video/x24jajd_%E6%9C%88%E3%81%8C%E7%AC%91%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%89%E3%81%81-%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%93%E3%81%A8_music〕
長谷川は、会社の「倒産」、おのれの「破産」をやれば、カネ払わずに逃げることが合法的にできるとにやけているようですが、それは逃げた側の意識であり、逃げられた側はそうは思っていないのです。 「相互主義の原則」という言葉もあります。 人に害を加えても、合法的に逃げる方法があるならば、そういう態度を取った者には「相互主義の原則」を適用する、という選択もありうるわけです。
2010年に私が新華ハウジング(有)に入社した時、職安の求人票には給与額を「15万円~25万円」と記載されており、その幅がずいぶんと広かく、かつ、月15万円では生活できないので応募対象外ですが、私は自分の経験・実績、年齢、学歴、資格といったものから考えて、その範囲の中では上の方で採用か不採用かどちらかであって、下の方での採用ということはありえないと考えて応募しました。 しかし、面接に行くと、社長の長谷川新二は「求人票に書いてあるのは違って」と言い出したのです。 求人票に実際と違うことを書いていたと言うのです。 長谷川は「誰でも一律に15万円プラス歩合で、不動産屋とコネクションがあって分譲地の代理販売の話をつけられる人に、部長・課長ということにして月5万円プラスして払ってるんです。 ○○さんは不動産屋とコネクションがあってそういう話を持ってこれますか。持ってこれるなら月5万円プラスして払いますが」と言うので、「15万円プラス歩合」として入りました。かじ○ とS井は経験・資格・学歴・年齢はいずれも私より下でしたが、不動産屋とコネクションがあって代理販売の話を継続的につけられるということで月あたりプラス5万円受け取っていたようです。しかし、入社してみると、不動産屋とのコネクションがあって、そういった話を持ってこれるということで月5万円プラスして払っていると言っていた かじ○ は、結局のところ、市原市の かじ○ の知り合いの不動産屋の光栄(株)http://www.chiba-takken.or.jp/shop/1-7907 の持っていた土地のうち、「売れやすい土地」ではなく「売れない土地」の方を新華ハウジング(有)に買わせていただけであり、S井に至ってはそれもなかったのです。 だから、私は、社長の長谷川に、私にもプラス5万円支払うか、かじ○ と S井にプラス5万円払うのをやめるかどちらかするべきだと求めたのですが、長谷川ははぐらかしたのです。
2011年4月に縁故の滝口が入社した時、滝口には、四国・徳島市の「(株)フィットhttp://www.fit-group.jp/ のやり方」として、「固定給制」だとして、滝口には契約があがろうががるまいが関係なく歩合給部分もプラスして「固定給」として支払うということをしました。 「固定給」として、契約がある程度あがった場合の賃金をもらっている以上は、契約があがるような動きをしなければならないはずです。 ところが、滝口は契約があがろうがあがるまいが、「当たり前でしょおお~お」と言って自分だけ定時に帰っていたのです。 そして、おのれが、歩合給部分を合わせて固定給として受け取っておきながら、その給与に該当する仕事を担当外の従業員に押しつけていたのです。
私は知らなかったし、もしも、聞いていたならば抗議しましたが、滝口は経験もない「序の口以下」の人間でありながら、縁故入社だからということで、「部長」という肩書をつけてもらっていたという話があるのです。もしも、そういうことであるならば、こちらは困りません。滝口は、おのれが担当の仕事を担当外の従業員に時間外・無賃労働でさせようと強要したわけです。 それは、刑法上、強要罪に該当するとともに、労働基準法違反でもあります。労働基準法違反は犯罪です。 軽くみてもらっては困ります。 序の口以下でパートタイマー以下の勤務態度の人間を縁故だからという理由で「部長」にする会社などあまりありませんが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)がそうしたのなら、労働基準法違反に「部長」は当然のことながら責任はありますから、滝口恵犯罪者にはそれに対して責任をとってもらわないといけないことになります。
中谷彰宏(あきひろ)『オヤジにならない60のビジネスマナー』(2003.1.20.PHP文庫)には、
≪ オヤジは、年齢によってオヤジになるのではありません。
実は年齢は関係ないのです。
その年齢できわめて多く分布するというだけで、20代の若者にもオヤジはたくさんいます。
男性に限りません。
女性にもオヤジはたくさんいます。 ≫
と述べられています。 この点において、「おばはん」「オバタリアン」も「オヤジ」と同じではないかと思います。
そういう人を、どうすれば「治療」できるか、といっても、実際のところ、「精神外科療法」(即ち、ハンマーで頭を叩いて脳みそをえぐり取るとか)とか「薬物療法」(毒物を飲ませる)くらいしか「治療法」はないのではないかという感じがしてきます。 「患者」にではなく、その「患者」の女が「私は子供があるんですからねえ」と言って定時に帰った後、担当外の従業員に「作業療法」(無賃労働・労働搾取)させても、「しまいに殺されるぞ」という気持ちに周囲の従業員がなるだけであって、「患者」の「病気」は治りません。
ここしばらく、東京-大阪間は夜行バスか飛行機に乗ることが多かったのですが、今回、新幹線に乗る機会があったもので、思い出しました。 かつて、20代で「大学生」であった時、東京から新大阪まで乗って「ひかり」号で、隣の席に乗った、年齢はまだ20代後半か30代前半くらいではないかと思われた女性の「おばはん」ぶりを。 すべての女性が、結婚して子供ができると「おばはん」になるというわけではないはずですが、しかし、「おばはん」になる人はいます・・・・・し、結婚するか子供ができるかにかかわらず、「おばはん」である人も・・・・、現実にいますよね・・・・。 ならない人もいるでしょうけれども。 それも、「病的」な人もいますし、小此木啓吾流の「診断」をするならば、「・・・症候群」「・・・シンドローム」と「診断」する対象になりそうな人が。
(2016.11.24.)
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