疑問を感じる あべのハルカスの設計思想。親近感を覚えた宗教と嫌悪感を持たされた宗教。飛鳥の街並み、他

[第502回] あすかシリーズ5
   さて。 「飛ぶ鳥のアスカ」へ行くにはどうすればいいか・・・。 今は昔、ゴダイゴという何かと日本語の中に中途半端な英語をまぜた歌を作って歌うのが好きで格好も日本人のはずなのに欧米人に近そうな格好をして外人の日本語みたいな歌い方をしたがる変なグループが「ガンダーラ」という歌を歌っていました。 『西遊記』というテレビ番組のオープニングソングが「モンキーマジック」でエンディングが「ガンダーラ」だったのですが、「そこに行けば、どんな夢もかなうと言うが、誰も皆、行きたがるが、はるかな世界」・・・・。 実は、今はむかし、大学入試の時、ホテルの部屋のテレビを何気なしにつけると、テレビでこれやっていたのです。 なんとも、身につまされる歌であり身につまされる文句です。〔⇒《YouTube―GODIEGO「Gandhara」(TV drama「Saiyuki(Journey to the West)」ending music)ゴダイゴ「ガンダーラ」 ( ドラマ「西遊記」エンディング曲) 》https://www.youtube.com/watch?v=9gOAH6jL1Pc 〕

   それで、「飛ぶ鳥のアスカ」に行くにはどう行けばいいか。 ガンダーラよりは行きやすい。
1. 大阪から。
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↑  「阿部野橋」駅(大阪市阿倍野区)にて。今回、帰路、近鉄「樫原神宮前」駅から乗った急行。
   実は、「近鉄特急」てのに乗ってみたかったのです。 何しろ、私が子供の頃、東海道新幹線が開通するまでは、近鉄特急ビスターカーというのは、これは電車界のスーパースターみたいなものでしたもの。 特に、大阪上本町-名古屋間の特急はあこがれでした。 あの紺とオレンジ色のツートンカラーの車体。 もっとも、大阪難波・上本町・鶴橋と名古屋、あるいは、大阪難波・上本町・鶴橋と賢島とかの間を乗るのなら「ちょうどいい」のですが、京都-奈良間とか大阪難波・上本町・鶴橋-奈良間とかですと、別に有料特急乗らんでも普通運賃だけで乗れる急行で十分なところがあるのです。 阿部野橋-吉野間の特急でも、普通運賃だけで乗れる急行は樫原神宮前駅からは停車駅が多くなるけれども、阿部野橋-樫原神宮前間なら、普通運賃だけで乗れる急行でも、停車駅は、阿部野橋-古市-尺度-高田市-樫原神宮前 とたいしてとまらないし、けっこう速い・・・・のですが、それでも、あの紺とオレンジ色の電車に乗りたかった・・・・・のだけれども、最近は「青のシンフォニー」という名称の座席がゆったりした有料特急が走っていて紺とオレンジの色の特急の割合が減っているようで、また、時刻によっては、特急料金の要らない急行の方が早かったりもします。 で、今回は、それ。 特急料金が要らない急行の方が先に来て先に着きそうだったのでそれに乗りました。 樫原神宮前駅から座れました・・・・が、今も思いは残る。 あの紺とオレンジの近鉄特急に・・・・。
   で、「十三」を「じゅうさん」と読み、「吹田」を「ふいた」と読み、「西中島南方」を「にし なかのしま なんぽう」と読む東京もん のためにご説明いたしますと、近鉄の「阿部野橋」駅とJRの「天王寺」駅は道をひとつ隔てた向かいにあります。 なんで、向かいなのに別の駅名にしてんの? と私も子供の頃、思いました。 近鉄の駅とJRの駅とはその間の道を境にして、近鉄「阿部野橋」駅は大阪市阿倍野区にあり、JR「天王寺」駅は大阪市天王寺区にあるから・・・という説もありますが、そうであるからかどうか、なんか知らんけど、そうなっています。基本的には同じ場所ですから、近鉄「阿部野橋」駅で降りて、JR「天王寺」駅、大阪市地下鉄御堂筋線「天王寺」駅・谷町線「天王寺」駅と乗り換えできます。
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 「あべのハルカス」  なんか、たいそうに言いますが、要するに近鉄の駅ビルですな・・・・。
   私は小学校の途中まで大阪市の東住吉区に住んでいたので、「天王寺」「阿部野橋」駅付近はなつかしい場所なのですが、天王寺駅の「ステーションビル」もアベノ近鉄百貨店の看板がかかっていた駅ビルもなくなってしまいました。・・・・通天閣はある・・・・けど。
〔  私が慶應義塾大学に在籍した時、ある教授が講義の中で、1985年の「つくば科学万博」を「あんなものは、あくまでも技術万博であって、科学万博じゃない」と言われたことがあった。 竹中工務店は「省エネ立体都市 あべのハルカス」http://www.abeno.project-takenaka.com/ とインターネット上で掲載しているが、同社の設計担当者というのは、向こう側の山より高いビルというものに抵抗を感じないのだろうか・・・。それが、技術的に優れた点があったとしても、文化的に愚劣だと感じる感性は持たないのだろうか・・・。 そういう感性を持たない人間であれば、技術的にいかに優れたものがあっても、人間的にイナカモンと評価するしかないかもしれない・・・。
   かつて、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)〕は、「創業者の小堀林衛がゼネコン大手5社の中でもデザインに優れた(株)竹中工務店の設計室にいた」と言っていて、それがプラスの評価になると思っていたらしいものの、どうも、それは嘘らしいのだが、(株)竹中工務店の設計の建物でもいいと思えるものもあるけれども、↑のアベノハルカスなんか見ると、愚劣としかいいようがないように思うが、どうだろう。 小堀住研(株)も創立直後は小さい会社だったから、大手にいて設計をしていたということにしたかったのかもしれないが。 「竹中工務店で設計をやっていた」という文句がプラスの評価されると思うから「嘘でも百回言えば真実」みたいに言いまくっていたようだが、現実の(株)竹中工務店の建物を見ると、「そんなにいいかあ?」と思えるものもある。
[ 小堀住研(株)は、その後、2代目の社長になった「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午が、社名から「小堀」をとってエスバイエル(株)と名称変更した後、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくって、創業以来、「嘘でも百回言えば真実」として獲得してきた高級価格帯の顧客を積極的にドブに捨て、「ハウス55」で獲得した「高品質低価格」の客層の顧客もまたドブに捨てた。今度は、「高品質低価格」の「ハウス55」よりもまだ下の価格帯専門の会社ですよとその価格帯の商品があるわけでもないのに「嘘でも百回言えば真実」と言いまくったわけだ。その結果・・・→つぶれた。 富士銀行が盗れるだけ盗って去った後、ヤマダ電機に買い取られることになった。富士銀行が「盗る」と「盗む」という字をあてたのは、同社をつぶしたのは富士銀行もそこに原因があるからだ。自分がつぶした上で、取れるだけ取って去るというのは、あまり御立派な商売ではないように思えるのだが、どうだろうか。自分が意図的に積極的につぶした会社から取れるだけ取って去ったというのを「盗った」と言われて文句があるか? 何社かの銀行から出向できて能無しのくせに本来より高い役職について高給盗っていた者どももいたし。「創業者の小堀林衛が竹中工務店の設計室にいた」というもの以外にも、「小堀住研は大卒しか採らない会社」「ミサワあたりの営業は高卒の営業ですが、小堀の営業は大卒の営業です」と言い、「小堀は建売はやらない。請負でしか建てない会社」と言い、商品名にも、設計者は小堀遠州ではないかとも言われる桂離宮に由来する「新 桂」とつけたり、住宅展示場も、他とは違うセンスのものを建て、本社・支店は一等地に持って会社の格を上げようとした時期があったが、1990年以降、逆に「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」と「最低価格帯」の商品があるわけでもなく、かつ、「最低価格帯」の会社はすでに他にあるのに、アホなことを言いまくった結果、ここでも、「嘘でも百回言えば真実」になって、高給価格帯の顧客、「ハウス55」で得た「高品質低価格帯」の顧客を失い、「程度の低い不動産屋」とのつきあいだけが残り、そして、つぶれた。 小堀住研(株)がつぶれたのは、富士銀行→みずほ銀行が破産管財人のような社長を立てた時、その破産管財人のような社長が去った時、積水ハウス(株)出身の男が社長になった時、そういう過程を経てつぶれたのだが、中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことを言いだしたその時点で、「高級住宅の小堀」「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」は自殺したと言えるだろう。そこから後は、墓場への迷走を続けただけということだろう。  ]
   あべのハルカス(というより、近鉄の駅ビル)で食事をしようとしたところ、食堂街がある上の方の階に上がるエレベーターが行列をして待ち、その整理をしている女性従業員がいた。その女性従業員は手際よく対応していたとは思うが、エレベーター乗り場の前に従業員を常駐させて整理しないといけないくらいエレベーターの量が不足していたということは、これは設計者のミスと考えるべきではないか。 そのあたり、(株)竹中工務店は、自分の所の設計に問題がないか再検討する必要があるのではないだろうか。〕
※ あべのハルカス HP http://www.abenoharukas-300.jp/
《ウィキペディア-あべのハルカス》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%B9%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B9
《竹中工務店HP 建築作品 あべのハルカス》http://www.takenaka.co.jp/majorworks/4192001AAAA.html

   念のため、「解答編」を掲載いたしますと、
「十三」・・・・「じゅうそう」
「吹田」・・・・「すいた」
「西中島南方」・・・・「にしなかじまみなみかた」 です。

   「樫原神宮前」駅に行くには、近鉄「阿部野橋」駅から、吉野行き急行、もしくは、特急料金が要る特急のいずれかに乗れば、それほどかかりません。
   「難波」「上本町」「鶴橋」の付近にいる場合は、近鉄の大阪線に乗って「大和八木」駅まで行って、上下に立体交差している下側の樫原線のホームから樫原神宮前行きに乗りかえて「樫原神宮前」駅まで行くという方法もあります。

2. 京都から。
   JRと同じ「京都」駅から近鉄京都線は出ています。 ややこしいのは、阪急の京都線は大阪梅田と京都四条河原町の間を走っているのに対し、近鉄の場合、京都と奈良の間を走っているのが京都線。 かつ、JRは京都と奈良の間を走っているのが奈良線で、近鉄は京都と奈良の間を走っているのが京都線。
   近鉄の京都駅から奈良市の西大寺駅を経て近鉄奈良駅の方に行く電車と樫原神宮前駅の方に行く電車があるようです。 これも、有料特急に乗るのか特急料金の要らない電車で十分と考えるか難しいところですね。

3. 名古屋から。
   近鉄特急の名古屋から大阪難波・上本町・鶴橋までの特急は、私が子供の頃、近鉄は難波(なんば)まで伸びていなくて、上本町か鶴橋から乗ると名古屋までノンストップで、すげえ! と感動したのですが、新幹線が開通すると、新幹線と比べると「遅い!」と言う人が出たのですが、新幹線と比べるのはちょっとかわいそう。 近鉄特急はきょうも、新幹線を相手に、「負けるもんかあ」とけなげに走ってるのです。 けなげやわあ~あ、ほんまに。 東武の日光行き「けごん」号なんて、国鉄→JRの在来線の東北線・日光線経由の急行「日光」号との競争に勝った、勝ったと喜んでるのに、近鉄特急は国鉄→JRの東海道本線の急行「比叡」とか、関西本線の急行「かすが」とかかつてあった急行相手に競走しようとは考えず、あくまで、新幹線相手に「負けるもんかあ」ときょうも一生懸命走ってる・・・・て、なんかこう、「がんばってなあ」と応援したくなりますよね・・・。
   今は、大阪難波・上本町・鶴橋-名古屋間の特急料金が要る特急は、ノンストップというのではなく三重県の「津」にとまる電車が多くなったみたいですが、それとは別に、名張とか「大和八木」駅にとまる電車があるのです。 それで「大和八木」駅まで来て、樫原線に乗りかえて「樫原神宮前」駅までというのが一般的じゃないでしょうか。
   今は昔。 1964年、東海道新幹線が開通してすぐの時、新幹線に乗りたくて、新大阪から名古屋まで乗せてもらいました。 帰りは名古屋から近鉄特急で鶴橋まで乗りました。 近鉄特急は乗り心地もよく快適。乗りごたえもありました。 途中、窓から車外を見ていると、自分が乗っている電車と立体交差して下を走っている電車があるのです。 国鉄や他の私鉄と立体交差するならわかりますが、同じ近鉄の色の電車で、紺とオレンジのツートンカラーの電車が走っているのが見えます。 なんで、同じ近鉄なのに上と下で別の所を走っているのだろうと不思議に思ったことがありましたが、それが「大和八木」駅だったのです。(もうひとつ、長野県の中央線「塩尻」駅で、乗った電車が逆向いて走り出したのに感動したこともありましたが、そういうのって、それから何年経ってもその感動は忘れないものですね。)
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↑ 近鉄「大和八木」駅。 樫原線のホームから高架の大阪線ホームを見る。
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↑ 近鉄「樫原神宮前」駅の樫原線のホーム

4. 東京から。 これが問題なのです。 大阪から飛鳥に行くのはそう苦労しない。 しかし、東京から行くには、どこからまわって行ったものか・・・・。
(ア) 新宿駅の南口にできた「バスタ新宿」を夜の11時過ぎに出る夜行バスに乗ると、「大和八木」駅に朝7時に着きます。 奈良交通と関東バスが運行しています。
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↑ 「大和八木」駅の南口。 ややこしいのは、近鉄樫原線の「大和八木」駅の樫原線のひとつ南側の駅の駅名が「八木西口」駅。 長距離バスが着くのは、「大和八木」駅の南口。
   「大和八木」駅で樫原線に乗って「樫原神宮前」駅まで行きます。 途中、右側(西側)の窓から畝傍山がきれいに見えます。畝傍山というのは特別高い山ではないのですが、独特の形をしていると思います。
    問題は、朝、7時では大和八木駅の付近、店が開いていない。 樫原神宮前駅まで行けば、駅の前あたりに吉野家・すき家・松屋みたいな牛丼屋とかモーニングサービスやってる喫茶店とかるのじゃないか、なかったらコンビニくらいあるだろ・・・・と思って行きました。 樫原神宮前駅の構内にファミリーマートがありました。 しかし、できれば、座って何か食べたいので、駅前に何かそういう食べ物屋があってもよさそうと思いました。なかったらなかったで、樫原神宮前駅から飛鳥寺・飛鳥資料館・山田寺跡付近まで行く途中にコンビニの1軒くらいはあるだろう・・・・と予想して行くと・・・・・、なかった! 「歴史的風土特別保存地区」を なめたらいかんぜよ!て感じです。

   もう若くなくなってしまった今となっては、夜行バスなんて乗らなくてもという気にならないこともないのですが、夜行バスのいいところは、早朝に着くという点、それだけ時間を有効につかえるとかいう話ではなく、その場所の早朝の雰囲気を味わえるという点です。 

(イ) 名古屋まで新幹線で行って、名古屋で近鉄特急に乗りかえて「大和八木」駅まで行き、樫原線に乗りかえて「樫原神宮前」駅まで。 京都まで新幹線で行って京都で乗り換えるよりも名古屋で乗り換えた方がいくらかなりとも早くて安いと思われます。 でも、合計するとけっこう時間はかかります。

(ウ) もう1つ。 関空と大和八木駅との間の奈良交通のバスhttp://www.narakotsu.co.jp/kousoku/limousine/yagi_kanku.html があるみたいです。 羽田から関空まで飛行機で行って、関空から大和八木駅まで行き、樫原線に乗り換える。

   「飛ぶ鳥のアスカ」とか言い、高松塚古墳があったりキトラ古墳があったり、橘寺があったり飛鳥板葺宮跡があったり石舞台があったりする所ですが、大阪から、特に阿部野橋からはそう不便ではありません・・・・が、東京から行くにはけっこう苦労します・・・が、少々苦労した方がいいかもしれません。 誰でも簡単に行けるようになったらありがたみもなくなるし、俗化してしまうおそれもありますから。

   2001年、フランスのルールドゥへ行きました。 成田空港を昼過ぎに出たシンガポール航空で夜6時くらいだったと思うがシンガポールに着き、夜11時くらいにシンガポールを出た飛行機は早朝にパリのシャルル=ドゴール空港に着きました。 そこから、別の空港からエールフランスの飛行機を乗り換えてピレネー空港へ。ピレネー空港からバスに乗ると、思ったよりも楽にルールドゥまで着きました。
   それに対し、1999年8月、青森県の恐山へ行きました。 その時、栃木県佐野市に住んでいましたが、JR両毛線「佐野」駅を、朝の7時前位に乗り、小山で東北新幹線の各駅にとまる「なすの」に乗って宇都宮で「八戸」行きに乗りかえ、「八戸」で特急「はつかり」に乗りかえ「野辺地」まで。 「野辺地」からJR大湊線で「下北」、「下北」駅でプラットホームの逆側にとまっている下北交通の気動車に乗って「田名部(たなぶ)」駅まで。 「田名部」からバスに乗って恐山菩提寺の前まで行った時は、すでに夕方の4時を過ぎていた。 栃木県佐野市から青森県の恐山に行こうとすると、行くだけで1日かかった。 でも、簡単に行けてしまうなら、恐山は恐山でなくなってしまうかもしれない。 恐山菩提寺には参拝者が利用できる温泉があり、そこに入った時、10年前に来たという男性から聞いた話では、10年前はもっと「おどろおどろしい感じ」だったと。 まだまだ、十分「おどろおどろしい感じ」でしたけれども。
   子供の頃、岐阜県の飛騨地方の白川郷て、一回、行ってみたいなあと思ったものの、時刻表で見ると、行き方としては、その頃は国鉄だった越美南線で「美濃白鳥」まで行ってそこからバスに乗ってえっちらおっちら行くしかないみたいで、心して計画立てないとなかなか行けないみたいな感じでしたし、同じ飛騨地方でも高山本線が通っている高山とは山を隔てて別の地域のようでした・・・・が、今や「白川郷」は高速道路が通り「白川郷」インターチェンジができ、名古屋から、あるいは高山から、北陸の金沢、富山への中継地点みたいになり、白人の観光客やら中国人・韓国人の観光客やらがいっぱい! 日本人より韓国人の方が多いのではないかという感じ。〔⇒[第474回]《白川郷バスターミナルは10月から荻町に移動。合掌造・切妻屋根の造りと「ドッキング片流れ」屋根の強弱 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_3.html 〕 それがいいのかどうか。 最近の白川郷は「世界遺産」に指定されたこともあってか外国人がずいぶんと多い。 外国人が来て悪いということもないのだけれども、どうも、違和感がある。
   そういうことを考えると、アスカ地方も、「大阪からはそう行くのは難しくないが、東京からはちょっと行きにくい」くらいで「ちょうどいい」のかもしれない。 それでも、ガンダーラよりは行きやすいし。〔⇒《YouTube―GODIEGO「Gandhara」(TV drama「Saiyuki(Journey to the West)」ending music)ゴダイゴ「ガンダーラ」 ( ドラマ「西遊記」エンディング曲) 》https://www.youtube.com/watch?v=9gOAH6jL1Pc 〕


   さて。 ↓ の文句。 なかなかいいですね・・・・
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↑ どこに書いてあったかというと、近鉄「樫原神宮前」駅の東口を出て南に少し行った東側にある天理教畝傍分教会↓の入口に掲げてあったのです。
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↑ 天理教畝傍分教会

≪ 天理教は、現世中心、人間本意の民衆救済をうったえた。「おふでさき」は、人間は神の子として平等であり、兄弟であるとし、高山(権力者)の没落と谷底(民衆)のせりあげを予言した。 その教義は、死を出なおしと見る徹底した現世主義、男女平等、夫婦中心の家族観など、封建社会の宗教がもちえなかった新しい性格をそなえていた。 また、「おびやたすけ」とよぶ安産のたすけには、封建社会において不当な犠牲と屈従を強いられていた女性にたいする人間的な開放の願い が籠められていた。≫
( 村上重良『新宗教-その行動と思想』2007.2.16.岩波現代文庫。 「1.新宗教の成立と展開」〔初出 柳川啓一・安斎紳編『宗教と社会変動』1979.東京大学出版会 所収〕)
   実は、私は「新宗教」と言われる宗教について、天理教だけは悪いようには思っていないのです。 なぜかというと、実は小学生の頃、天理教の支部というのか何というのかそういう所でしょっちゅう遊んでいて親しみを感じていたのです。 天理教の信者でもないのに、なぜ、そういう所でしょっちゅう遊んでいたかというと、小学校の同級生で天理教の人の息子がいて、しょっちゅう遊んでいたからです。 この場合、「天理教の人」というのは、天理教の信者のことではなく、天理教のお坊さんでもなし宮司さんでもなしなんというのかわかりませんが、そういう役職をその友達の親がやっていたのです。 だから、そいつの家に遊びに行くと、そこが天理教の支部というのか何と言うのかわかりませんが、そういう場所だったのです。 そして、子供の頃、私は天理教というのはお寺だとばっかり思っていたのです。建物も似てますでしょ。で、「新興宗教」で「危ない」とかそういう感覚はまったくなかった。 小学校の1年の時、天理教の人が奈良県の天理市の本部なのかにバスで行かれる時に一緒に連れて行ってもらったことがあります。 その際、何か布教されたか、入信するように強制されるようなことがあったかというと一切ありません。 プールがあって入らせてもらって泳ぎ、友達と一緒に走りまわって遊んで帰ったのです。 それで、ああ、おもしろかった・・・・と思って帰ってきたのです。 そして、帰った後、天理教に入れとか言って強制されるとかいうことも一切ありません。 あくまで、同級生として遊んできただけです。 本部にバスで行くのに信者でもない子供を連れて行って、それでは何の効果もないのかというと、そうではありません。 それ以来、天理教の人には、「新宗教」だといえども、抵抗を感じるようなことはなく生きてきましたし、「新興宗教は危ない」と言う人があっても、危ない新興宗教もあるでしょうけれども、天理教はそういうことはないと思ってきました。 ですから、信者として獲得することはできなかったとしても、それだけでも、バスで本部へ行くのに連れて行った効果はあったと考えられるかもしれません。
 
   それに対して、2001年頃、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所におりました時、同じ営業所に創価学会員のT木Y夫(男。 当時、50代)がいて、聖教新聞を購読しろとしつこく、選挙の時になると、「選挙は公明党だからね。他の所には絶対に入れちゃだめだからね」と執拗に追いかけてくる。 (株)一条工務店の本社から営業所に送ってきた「通達」を従業員が回覧する際に、T木はその通達の間の公明党のチラシを挟んでまわしたりもしました。実際のところ、迷惑なんですよね。 「T木さん、会社の通達の間に公明党のチラシを挟んでまわすのはやめてもらえませんか」と言ったことがあるのですが、すると、「なんだと、てめえ、この野郎」と怒声を発して掴みかかってきました。〔暴行罪〕〔それを防止しようとしない(株)一条工務店は「保護義務違反」です。「債務不履行責任」が問われる問題です。〕 そういうことをして、信者を増やすことができるでしょうか? 私はT木Y夫を見て、この男、営業力ないなあ~あ・・・と思いました。 そういうことをやって、それでひとの気持ちを掴めるわけないではありませんか。 そんなことしても、嫌われるだけ、嫌がられるだけでしょう。 実は、私、「聖教新聞」てどんなことを書いているのか、読んでみたいと思ったことがあるのです。定期購読したいと思ったことはありませんが、「一般商業新聞」ならば、定期購読しなくても、コンビニとか駅の売店とかで1部買って読むことができますが、「聖教新聞」はコンビニや駅の売店では売っていないのです。 聖教新聞の販売店というのが、朝日や読売の販売店と同じようにところどころにありますが、信者でない人間には少々入りにくい。 創価学会の系列の出版社としては、聖教新聞社の他に潮(うしお)出版社 と 第三文明社がありますが、我が家の本棚には、第三文明社発行の河合隼雄『ユングの生涯』とか秋元駿『小林秀雄と中原中也』といった本があり私の愛読書です。 潮出版社はかつて潮文庫という文庫本を出していて、私は小学生の時、「新」がない新潮文庫かと思って、太宰治『走れ、メロス ・ 正義と微笑』なんて本を購入して読んだことがあります。さらに、本多勝一編『ペンの陰謀 (山本七平式ペテンの技術)』なんて本も出版されており、おもしろく読みました。実にためになる本だと思いました。 潮出版社と第三文明社は創価学会の系列の出版社といっても、創価学会と直接関係はない本も出版しています。 キリスト教の研究者である田川健三がどこかで書いていたのですが、かつて、「月間 潮(うしお)」から執筆を頼まれて、創価学会を批判的に述べたような文章を書いたところ、創価学会を批判するようなものは掲載を断られるかと思ったら、そうではなく、「月間 潮」は、こういった批判にもまた我々は耳を貸さなければならないとして掲載してくれたということがあったらしく、田川健三はその時の「月間 潮」の態度には感動し、創価学会の人というのは決して偏狭で自分と異なる考えの人間の言うことには耳を貸さないなどということではないようだと思ったと述べていたのをどこかで読みました。 第三文明社や潮出版社が発行している単行本の場合は、一般の書店で購入することができますから、読みたいと思えば、信者でなくても購入して読むことはできます。 それに対して、「聖教新聞」の場合は、信者でない人間が手に入れるのは難しい。 「どうぞ、ご自由にお持ちください」と新聞受けに書いておられる方が近所にもあるのですが、ひとさまが購読料を払って購読されているものを新聞泥棒みたいに持ち去るわけにもいきません。 創価学会の人は、創価学会員でない人間にも「聖教新聞」を読んでもらいたいと考えているのであれば、定期購読ではなく、1部ずつ購入できる方法を考えた方がいいと思います。 で、創価学会員のT木Y夫のおっさんは、もしも、私に「聖教新聞」を読ませたいと考えたのであるならば、「学会員」であるT木のおっさんを通して、1部いくらで「聖教新聞」を売ってくれれば、定期購読はしないとしても、1回、2回、買って読んでみたいと思ったりもするのです。 もしくは、おっさんがいつも会社の机で読んでいる「聖教新聞」を、「もし、よかったら見てもらってもいいですよ」と言えば、見せてもらうのです。 ところが、「聖教新聞」の定期購読をしろと後を追いかけてきて、し~つこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこい・・・・・(中略)・・・・しつこいしつこい、はてしなくしつこいしつこい・・・・。 街頭で勧誘されたなら逃げるところですが、職場という逃げられない場所だと思うものだから、し~つこいしつこい、徹底的にしつこいしつこい・・・・。 「ストーカー」ですよ、「ストーカー」!!!
   私の小学校の時の同級生の天理教の両親は、バスで天理教の本部(だったと思う)へ信者でもないのに一緒に連れて行ってもらっただけで、信者になれえなんて一言も言わなかった結果、信者にはならなかったけれども、比較的好意的に見るようになった(というのか、行った先の「本部」でも同級生の友達が走りまわって遊んでいたので同じように走りまわって遊ばせてもらったわけで、そうやって遊ばせてもらって文句を言う理由はないわけですが)のに対し、(株)一条工務店の栃木県佐野市の営業所にいた創価学会のおっさんT木の場合は、聖教新聞を定期購読しろだの公明党以外には入れてはだめだとか言って後を追いかけて来るし、会社の通達の間に公明党のチラシを挟んでまわしたりするわで、そういったことをすることによって、創価学会に入信するような人間ではないけれども、だからといって別に敵対していたわけでもない人間の創価学会に対する印象を悪くしたのです。 このくらい、営業の仕事をしたことのある人間ならわかってよさそうにも思うのですが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ のT木のおっさんは理解できないのです。
   そして、T木のおっさんは「聖教新聞というのは、他と違って、絶対に間違ったことは書かないから。 絶対に正しいことしか書かないから」と言うのです。それなら要りませんね。 私は、何新聞を読む時でも、「絶対に正しい」なんて思って読んでませんから。 正しいか正しくないか、常に、その都度、おのれで考えて判断しながら読んでいます。 読む以前から、「絶対に正しい」と信仰を持って読むようなそんな「新聞」なら害がある。そのあたりを理解できていない人が、実際問題として創価学会の信者の人には少なくないのと違いますか?

   千葉県で5店舗を持つリフォーム業のウッディホーム(株)http://www.woodyhome.com/ の社長の細木さんは倫理研究所(=倫理法人会)〔旧・「ひとのみち」〕の熱心な信者で、本人が熱心なのは自由ですが、従業員に強制しようという点が困りものでした。 従業員にだけではありません。 ウッディホーム(株)でリフォームをやってもらったというお客様から、 「リフォームの仕事は悪くなかったけれども、倫理研究所を勧められたのにはまいった!」という評判を伝え聞いたこともあります。 おのれの事業にマイナスになっても、それでも、その宗教をひとに押しつけないとおれないというあたり、「新興宗教」にはそういう宗教がけっこうあります。 特に、「倫理研究所」(=「倫理法人会」)の場合は、自営業のオーナー経営者に取り入って、オーナー経営者から従業員に倫理研究所(=倫理法人会)の「研修」への参加を「社長の命令だあ」と強制することで、拡張していこうという団体であり、そのために、「宗教ではないんです。あくまでも道徳の団体なんです。宗教を強制したのでは信教の自由の侵害になりますが、あくまで、道徳の団体ですから、信教の自由の侵害ではありません」と詭弁を弄するために、あえて、宗教団体にならず、「修養団体」などと言ってカマトトやってる団体です。 「宗教ではないんです」などと勝手なこと言っていますが、「倫理研究所」の内容は、皇祖アマテラスだという設定の「太陽を拝みなさい」と要求する、戦前の「ひとのみち」そのものです。 そして、「丸山先生に親孝行を教えてもらいなさい」などと言うのですが、 「親孝行」といったようなものをどう考えるかということは、国民それぞれが自分自身で考えるべきものであって、理事長の丸山なんとかが決めて国民に「教える」ものとは違うのです。 「親孝行」といったようなものを、「教える側」と「教えられる側」に国民を分けようというそういう思想のことを何と言うかといいますと、 「ファシズムの思想」と言います。
   倫理研究所(=倫理法人会)は、戦前の「ひとのみち」であり、神道系の新興宗教団体です。 かつ、「日本会議」に加入している政治団体であり、反動の団体です。 倫理研究所(=倫理法人会)の最大の問題は、その拡張の方法にあります。ここで述べたようなことを理解できないあまりインテリでない自営業のオーナー経営者にとりいって入信させ、その上で、その会社の従業員に対して、「社長の業務命令」だと言って倫理研究所(=倫理法人会)の「研修」への参加を強制する。その方法で拡張をはかっている団体であり、もとより、「信教の自由の侵害」をすることによって成り立っている団体であり、その意味において、反社会的な団体、「反社会的勢力」です。 倫理研究所(=倫理法人会)のような拡張戦略をとると、それではまる人も中にはあるのかもしれませんが、そういうまっとうでない拡張方法に嫌悪感を持つ人もいるはずであり、ある程度以上の判断能力がある人間ならそういう反社会的な拡張をとることに対して日本国市民として認められないと判断することになります。 「聖教新聞」を定期購読しろと逃げようがない職場において勤務時間内において後を追いかけまわして業務妨害するというのが、創価学会の勢力拡大につながるかというとそうではないのと同じく、倫理研究所(=倫理法人会)のもともと「信教の自由の侵害」をすることによって成り立っているその団体の性質は、それが原因で嫌われることにもなります。

   ≪ 天理教は明治10年代末から、国家神道に従属して活動を合法化する道を歩み始め、教義の根幹をなす「こふき」神話を蔽い、国家神道に忠実に沿った教義をかかげた。 日露戦争後の1908(明治41)年、天理教は教派神道の一派として独立を許され、国家神道体制下で最後の公認宗教となった。 ≫
( 村上重良『新宗教-その行動と思想』2007.2.16.岩波現代文庫。 「1.新宗教の成立と展開」〔初出 柳川啓一・安斎紳編『宗教と社会変動』1979.東京大学出版会 所収〕)
    天理教は、中山みき さんが最初に始めた時の教義はすばらしいものだったのですが、日本という国で生き残るために相当の妥協をして、かなり変質してしまった点もあるようです・・・・が、小学校の時、そこで遊んだ場所であり、別に「危ない」ような場所じゃないと思ってきたし、本部へのバス旅行に連れて行ってもらってプールに入らせてもらったりしたけれども、そういったものに参加させてもらったからといって入信を強制されるようなことはなかったし、創価学会のT木のおっさんみたいに「聖教新聞」を定期購読しろと後を追いかけてくるとかはなかったし、倫理研究所(=倫理法人会)のH木のように「社長が太陽を拝みなさいと言ってるんだあ!」「社長が太陽を拝みなさいと言う以上、従業員は『はい~』と言って太陽を拝むもんだあ!」と絶叫される〔「信教の自由の侵害」〕こともなかったので、私は天理教には安心感のようなものを持っています。


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↑ 「雷(いかづち)の丘」の少し西のあたりの町並み。
  明日香村はかなり広い範囲が「歴史的風土特別保存地区」に指定されています。 「第1種歴史的風土特別保存地区」と「第2種歴史的風土特別保存地区」に分かれますが、この2つの中では規制が緩い方の「第2種」でもけっこう厳しい規定があるはずで、それだけに、「普通の道」を歩いていても、街並みは素敵です。↑
    今回、用事があって行ったこともあり、荷物を少な目にしたつもりでそれでもけっこう多くなってしまったのですが、荷物は少な目にして、「どこに行くというのではなくとりあえず歩く」というのが、アスカではいいのではないかと思いました。
   (2017.1.21.)

☆ あすか シリーズ
1. 法興寺(飛鳥寺)(安居院)と蘇我入鹿首塚≪上≫本堂、塔跡。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_9.html
     〃  ≪下≫思惟殿、鐘楼、蘇我入鹿首塚、西門跡。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_10.html
2. 山田寺跡と飛鳥資料館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_11.html
3. 飛鳥坐神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_12.html
4. 「孝元天皇陵」、飛鳥川、雷の丘 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_13.html
5. 大和八木駅、阿部野橋駅、アベノハルカス、天理教樫原支部、雷の丘の西のあたりの町並み〔今回〕

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