長岡天満宮(長岡京市)参拝【2】拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他-冤罪を晴らす神様・菅原道真第43念‐2
[第533回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(43)‐2
鳥居をくぐり、八条ヶ池を東から西へ横断して左折します。
右手に「錦景園」という庭園があり秋には紅葉が見られるらしいけれども、3月ではそれはわかりません。
天神社・天満宮には牛の像があることが多いのですが、長岡天満宮では、拝殿の左前に1匹、拝殿の右手前、手水舎の西に2匹。 そして、拝殿の手前の鳥居の脇に子牛の像が1匹と4匹の牛の像がいます。
↑ 子牛の像。
階段を登り、右手に「子牛の像」を見ながら鳥居をくぐると広場のようになっていて、奥に拝殿が見え、右手前に手水舎があります。↓
↑ この手水舎は、「長岡天満宮の建造物」という現地での説明書きによると、「旧 祝詞舎」で、大正2年(1913年)建築、昭和16年(1941年)移築で、長岡京市指定有形文化財 となっているもののようです。
手水舎(旧 祝詞舎)の後ろに、2匹の牛の像。↓
拝殿 ↑ 手前両側に梅が咲いています。

北側から見た 本殿。 祝詞舎。 ↑
北側から見た 本殿、祝詞舎、透塀(ゆうべい)。↑
南側から見た 本殿、祝詞舎。↑
拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成の社殿を、拝殿と本殿の間に「石の間」があるということで「石の間造り」と言い、又、日光東照宮がこの形式をとっているということから「権現造り」と言われますが、長岡天満宮の社殿もこの3部構成でできていますが、「長岡天満宮の建造物」という現地での説明書きを見ると、「幣殿」「石の間」の建物を「祝詞舎」と表記しています。
長岡天満宮の建物では、本殿・祝詞舎と透塀(ゆうべい)の正面の部分は、1888年(明治21年)〔日清戦争の6年前〕に平安神宮にて建築されたものを、1941年(昭和16年)〔12月に真珠湾攻撃がされた年、盧溝橋事件の4年後、「敗戦」の4年前〕に移築したもので、そのうち、本殿は 京都府指定有形文化財に、祝詞舎と透塀は長岡京市指定有形文化財に指定されているそうです。 その他に、
透塀の後ろの築地塀は、1941年(昭和16年)建築、正面部分は平安神宮から移築。
神饌所は、1935年(昭和5年)建築で、1941年(昭和16年)に移築。
社務所に使われている建物は、連歌所の建物で、1914年(大正3年)〔第一次世界大戦開始の年〕に建築。
↑に写真を掲載した手水舎の建物は、旧祝詞舎で、1913年(大正2年)建築、1941年(昭和16年)に移築。
御本社の右にある摂社の八幡宮神社本殿・春日大明神本殿の建物が最も古くて江戸時代の建築らしい。
本殿が京都府指定有形文化財で、
祝詞舎・透塀3棟・築地塀・神饌所・手水舎(旧・祝詞舎)・社務所(連歌所)・八幡宮神社本殿・春日大明神本殿の10棟が長岡京市指定有形文化財となっているらしい。
平安神宮というのは、明治維新後、国家神道と天皇制を国民の意識に植えつけるために、楠木正成を祀る湊川神社(神戸市)・楠正行を祀る四条畷神社(大阪府四条畷市)・大塔宮護良親王を祀る鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)などの「建武中興15社」とともに、神武天皇を祀る樫原神宮(奈良県樫原市)・天智天皇を祀る近江神宮(大津市)など天皇・皇族を祀る神社として建立された神社の1つとして桓武天皇を祀る神社として京都市に建てられたもので、歴史は古くないので、そこから他の神社に移築するような建物はないだろうと思っていたら、長岡天満宮には平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されたというので、え? と思ったのですが、平安神宮は建てられたのは古くないといっても、伊勢神宮とか出雲大社とか住吉大社とかと比べると古くないものの、≪明治28年(1895年)の平安奠都(てんと)1100年記念祭の時に京都の始祖、桓武天皇を奉祝する神宮として創建し、京都総鎮守の社とされた。≫(京都商工会議所編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)というもので、すでに今年で122年目となっているわけで、伊勢神宮や出雲大社と比べて新しいのは間違いないし、北野天満宮と比べても新しいのは間違いないものの、それほど造られたばっかりというわけではないので、他の神社に移築する建物があっても、おかしな話ではないわけです。
↑ 拝殿の左手前、4匹目の牛。
今まで、何か所か、天神社・天満宮に参拝してきたが、牛(の像)が2匹いる神社はあったが、さすがに、4匹いる神社はここが初めて。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html 、社務所(連歌所)・紅梅殿・白梅殿・梅園などについて述べます。
※ 長岡天満宮HP http://www.nagaokatenmangu.or.jp/
長岡京市観光協会 長岡天満宮 http://www.nagaokakyo-kankou.jp/html/sightseeng/s01.html
《ウィキペディア-長岡天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
(2017.3.31.)
☆長岡天満宮(長岡京市)4部作
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.〔今回〕
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.〔今回〕
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
≪ ・・・・左大臣藤原時平とそのブレインは、国政改革の最後の仕上げとなる土地改革が開始される前に、なんとしても道真を政治の舞台から引きずり下ろさなければならなかったのである。 そうしなければ、道真は新しい国家体制の生みの親として、その権力は不動のものとなり、藤原氏は権力の座から滑り落ちることになる。 ということは、時平のブレインとなった氏族や文人・学者の凋落も決定的になる。
こうして道真の国政改革は、藤原氏の陰謀によって業半ばにして潰えた。 しかし、道真によって周到に計画された国政改革をいま実施しなければ、国政は停滞し、律令国家の崩壊は時間の問題となる。 時平は道真を追放した翌年、延喜2年の3月12日に1通、13日に4通、計5通の官符を公布し、道真によって準備された国政改革を宣言した。のちに「延喜の治」と賞賛される延喜の国政改革である。 ・・・・・≫
( 平田 耿二(ひらた こうじ)『消された政治家 菅原道真』2000.7.20.文春新書 ↑)
+
鳥居をくぐり、八条ヶ池を東から西へ横断して左折します。
右手に「錦景園」という庭園があり秋には紅葉が見られるらしいけれども、3月ではそれはわかりません。
天神社・天満宮には牛の像があることが多いのですが、長岡天満宮では、拝殿の左前に1匹、拝殿の右手前、手水舎の西に2匹。 そして、拝殿の手前の鳥居の脇に子牛の像が1匹と4匹の牛の像がいます。
↑ 子牛の像。
階段を登り、右手に「子牛の像」を見ながら鳥居をくぐると広場のようになっていて、奥に拝殿が見え、右手前に手水舎があります。↓
↑ この手水舎は、「長岡天満宮の建造物」という現地での説明書きによると、「旧 祝詞舎」で、大正2年(1913年)建築、昭和16年(1941年)移築で、長岡京市指定有形文化財 となっているもののようです。
手水舎(旧 祝詞舎)の後ろに、2匹の牛の像。↓
拝殿 ↑ 手前両側に梅が咲いています。
北側から見た 本殿。 祝詞舎。 ↑
北側から見た 本殿、祝詞舎、透塀(ゆうべい)。↑
南側から見た 本殿、祝詞舎。↑
拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部構成の社殿を、拝殿と本殿の間に「石の間」があるということで「石の間造り」と言い、又、日光東照宮がこの形式をとっているということから「権現造り」と言われますが、長岡天満宮の社殿もこの3部構成でできていますが、「長岡天満宮の建造物」という現地での説明書きを見ると、「幣殿」「石の間」の建物を「祝詞舎」と表記しています。
長岡天満宮の建物では、本殿・祝詞舎と透塀(ゆうべい)の正面の部分は、1888年(明治21年)〔日清戦争の6年前〕に平安神宮にて建築されたものを、1941年(昭和16年)〔12月に真珠湾攻撃がされた年、盧溝橋事件の4年後、「敗戦」の4年前〕に移築したもので、そのうち、本殿は 京都府指定有形文化財に、祝詞舎と透塀は長岡京市指定有形文化財に指定されているそうです。 その他に、
透塀の後ろの築地塀は、1941年(昭和16年)建築、正面部分は平安神宮から移築。
神饌所は、1935年(昭和5年)建築で、1941年(昭和16年)に移築。
社務所に使われている建物は、連歌所の建物で、1914年(大正3年)〔第一次世界大戦開始の年〕に建築。
↑に写真を掲載した手水舎の建物は、旧祝詞舎で、1913年(大正2年)建築、1941年(昭和16年)に移築。
御本社の右にある摂社の八幡宮神社本殿・春日大明神本殿の建物が最も古くて江戸時代の建築らしい。
本殿が京都府指定有形文化財で、
祝詞舎・透塀3棟・築地塀・神饌所・手水舎(旧・祝詞舎)・社務所(連歌所)・八幡宮神社本殿・春日大明神本殿の10棟が長岡京市指定有形文化財となっているらしい。
平安神宮というのは、明治維新後、国家神道と天皇制を国民の意識に植えつけるために、楠木正成を祀る湊川神社(神戸市)・楠正行を祀る四条畷神社(大阪府四条畷市)・大塔宮護良親王を祀る鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)などの「建武中興15社」とともに、神武天皇を祀る樫原神宮(奈良県樫原市)・天智天皇を祀る近江神宮(大津市)など天皇・皇族を祀る神社として建立された神社の1つとして桓武天皇を祀る神社として京都市に建てられたもので、歴史は古くないので、そこから他の神社に移築するような建物はないだろうと思っていたら、長岡天満宮には平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されたというので、え? と思ったのですが、平安神宮は建てられたのは古くないといっても、伊勢神宮とか出雲大社とか住吉大社とかと比べると古くないものの、≪明治28年(1895年)の平安奠都(てんと)1100年記念祭の時に京都の始祖、桓武天皇を奉祝する神宮として創建し、京都総鎮守の社とされた。≫(京都商工会議所編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)というもので、すでに今年で122年目となっているわけで、伊勢神宮や出雲大社と比べて新しいのは間違いないし、北野天満宮と比べても新しいのは間違いないものの、それほど造られたばっかりというわけではないので、他の神社に移築する建物があっても、おかしな話ではないわけです。
↑ 拝殿の左手前、4匹目の牛。
今まで、何か所か、天神社・天満宮に参拝してきたが、牛(の像)が2匹いる神社はあったが、さすがに、4匹いる神社はここが初めて。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html 、社務所(連歌所)・紅梅殿・白梅殿・梅園などについて述べます。
※ 長岡天満宮HP http://www.nagaokatenmangu.or.jp/
長岡京市観光協会 長岡天満宮 http://www.nagaokakyo-kankou.jp/html/sightseeng/s01.html
《ウィキペディア-長岡天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
(2017.3.31.)
☆長岡天満宮(長岡京市)4部作
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.〔今回〕
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.〔今回〕
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
≪ ・・・・左大臣藤原時平とそのブレインは、国政改革の最後の仕上げとなる土地改革が開始される前に、なんとしても道真を政治の舞台から引きずり下ろさなければならなかったのである。 そうしなければ、道真は新しい国家体制の生みの親として、その権力は不動のものとなり、藤原氏は権力の座から滑り落ちることになる。 ということは、時平のブレインとなった氏族や文人・学者の凋落も決定的になる。
こうして道真の国政改革は、藤原氏の陰謀によって業半ばにして潰えた。 しかし、道真によって周到に計画された国政改革をいま実施しなければ、国政は停滞し、律令国家の崩壊は時間の問題となる。 時平は道真を追放した翌年、延喜2年の3月12日に1通、13日に4通、計5通の官符を公布し、道真によって準備された国政改革を宣言した。のちに「延喜の治」と賞賛される延喜の国政改革である。 ・・・・・≫
( 平田 耿二(ひらた こうじ)『消された政治家 菅原道真』2000.7.20.文春新書 ↑)
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