長岡天満宮(長岡京市)参拝【4】梅園、錦景園と菅原定義・白太夫。開田城跡。写真で見る建築「ほおづえ」

[第535回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(43)‐4
  長岡天満宮の御本社は東向きにあり、ひとが東から西に向かって参拝する配置になっている。その左手前(南東)側に紅梅殿(神楽殿)があり、紅梅殿(神楽殿)の手前(東側)に社務所があり、授与所もそこにあるが、紅梅殿(神楽殿)と社務所との間を御本社に向かって左(南)に進むと梅園があり、梅の木が何本も植わっており、3月下旬においては花が咲いている。 ↓
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↑ 「ユウコウバイ」
( ↑ 撮影は、3月25日です。)
   梅にも種類があるようで、それも、「紅梅」と「白梅」との2種類なんてものではないらしく、札にその名前がいろいろと書いてあるのですが、「梅研究家」でもない私としては、実際のところ、ようわからん。

   梅園と御本社の間に、摂社として、長岡稲荷、菅竜神・松尾竜神、山神社 の祠がある。↓
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↑ 「長岡稲荷」
   長岡天神の右(北側)に菅竜神・松尾竜神の祠、その右手前に山神社の祠がある。
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↑ (左)菅竜神・松尾竜神、 (右)山神社

    御本社の右、末社 春日神社・八幡宮社の前を道に行くと、その下に「錦景園」がある。 秋には紅葉するらしいが、紅葉がない3月でも、なかなかの庭園です。 ↓
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    ↑左奥に見える 高足の建物は、「白梅殿」(絵馬殿)だが、御本社の側から見た印象と、錦景園の側から見た印象がまったく異なる、いわば、二毛作デザイン建築である。 ちなみに、「二毛作デザイン建築」という名称は誰が命名したかというと、私が命名した。 東京都港区の、「グリコつぶしたる」「森永ゆるしたる」の怪人21面相のお友達の森永の本社がある三田、JR「田町」駅、都営浅草線「三田」駅から慶應義塾大学の三田キャンパスの方へ向かうと、途中に「建築会館」があるが、慶應義塾大学の方へ行く慶應仲通りという細い道の側から見たものと、田町駅に近い広い道、建築会館に入る場合の一般の入口の側から見たものとで、印象がまったく異なる。




( ↑ 東京都港区三田 の 建築会館。 北側の慶應仲通りという細い商店街の側と南側の地下を都営浅草線が通っている広いクルマが通る通りの側とで異なる顔をしている。 )
さ~すが、「建築会館」だけあって、建築やってる♪ と感心したのだが、意図的にそうしたのか、たまたま、結果としてそうなったのか、どちらかはわからないが、「二毛作建築」というのは、おおっ! と気づいて感動するところがいい。 他に、東京 上野の前川國男設計の東京都美術館、あれも多くの人間はJR上野駅か京成上野駅の側から行ってそちらの側だけ見て帰っているのではないかと思うが、逆側、上野動物園がある西側や北側から見ると、また、違った顔をしている。 そこに気づくと、さ~すが!と感動するのだが、さすが!というのは前川國男がなのか、そのあたりに気づく「違いがわかる男」の私がなのか・・・・。〔⇒《YouTube-ネスカフェ ゴールドブレンド》https://www.youtube.com/watch?v=fYd2qsugZx4 〕 いずれにせよ、2つ、あるいは3つの顔がある建物というのは、「建築とは感動だ」という基準から考えるならば、評価されてよいものではないか。
  「白梅殿」(絵馬殿)は、御本社の側から見ると↓
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↑ というものだったわけだ。 まったく、印象が違うでしょ♪  ハウスメーカーの設計担当者、敷地を見て、玄関側と南面の外観だけ考えて、南道路なら北側の外観をちっとも考えずに図面作るヤツが多い。 その流れで、北側からも見える敷地でも、北面の見た目をまったく考えずに設計しようとするヤツがけっこう多い。特に、(株)一条工務店の設計担当なんてのは、間取りを決める際に、平面図だけで決めて、決めた後で立面図を作ってみたりするが、その態度・認識は改めるべきだと思う。図面は平面図だけで考えて作るものではなく、少なくとも、平面図と立面図を同時に書きながら考える、もしくは、たとえ、実際に書くのは平面図だけであったとしても、頭の中では平面図と立面図を同時に考えながら作成するものだ。 (株)一条工務店が、建築工事が始まってから建物のコーナー部分で、換気扇の穴と筋交いがぶつかって、どうしよう~、とかやっていたならまだしも、平気で筋交いを切断して、「間違いのない家づくり」とか言うておったのは、それは、ひとつには平面図だけ頭に描いて図面を作っていたからだ。 そんなやり方が「間違いのない家づくり」だとか経営者が認識していたからだ。 図面は平面図と立面図、屋内のものなら平面図と展開図は同時に想定して作るものだ。 

   この錦景園を整えるのに社務所の脇に胸像があった中小路なんとかさんが貢献したという説明書きがあったように思うが、詳しい内容は書きとめてこなかったので、ここに述べることはできない。 知りたい方は現地に見に行ってもらいたい。
   錦景園の入口側から見て右奥(北西側)にある祠↓ は、
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↑  左側の祠が、和泉殿社〔御祭神 菅原定義郷(すがわらのさだよしきょう)〕
   菅原定義て、誰やねん? と多くの人は思うのではないかと思う。 平田耿二『消された政治家 菅原道真』(2000.7.20.文春新書)を見ると、菅原道真には何人かの息子・娘がいたのだが、≪ 道真の息子のうち、大学頭 高視(たかみ)は土佐介に、式部丞 景行(かげゆき)は駿河権介に、右衛門兼茂(かねしげ)は飛騨権掾に、文章得業生 菅原淳茂(あつしげ)は播磨にというように、父と子は五ヵ所にちりぢりとなった。 妻と年長の娘は家に残ったが、幼い二人の男女は道真とともに西海に下った。・・・≫ ということだ。
   右衛門兼茂が飛騨権掾に左遷されたというのが、[第202回]《飛騨天満宮(高山市)上‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)。松本家住宅。飛騨の家具館》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html 、[第203回]《飛騨天満宮(高山市)中‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。「天神」考察。居酒屋はいいかげん》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html 、[第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html でとりあげた飛騨天満宮らしい。
   播磨に左遷された文章得業生 菅原淳茂が後に相模に移ったというのが、[第196回]《永谷天満宮(横浜市港南区)参拝~冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(11)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html でとりあげた永谷天満宮らしい。
   平田耿二『消された政治家 菅原道真』(2000.7.20.文春新書)同書に掲載の「菅原氏略系図(2)」によると、土佐介にされた大学頭 高視(たかみ)が長男で、≪ 長男の高視(たかみ)は貞観18年(876)の生まれで、『菅家御伝記』によると「博学冾聞(こうぶん)」(深い学識と物事を広く知ること)であった。 文章得業生兼三河掾(じょう)から、方略試(ほうりゃくし)を受けずにいきなり従五位下を授けられて貴族に列し、大学頭兼左少弁を兼ねた、頭脳明晰とはいえ、父道真の威光によるところも大きかった。 道真の政治力は、一般に知られているよりはるかに強く、藤原氏のそれに迫る勢いであったとしてよかろう。 高視(たかみ)は大学頭のとき、父の左遷に連座して土佐介に左降りされたが、延喜6年(906)の冬に赦されて本官に復し、位一階を進められた。 その後、累進して従四位上右大弁となったが、延喜13年(913)、惜しくも、38歳の若さで亡くなった。・・・・ ≫らしい。 高視の息子の雅規とその息子の資忠も文章博士になったが、資忠の息子の孝標(たかすえ)は文章博士にはならなかったものの、「菅原」で菅原道真に次いで世間一般に知名度が高いのはこの菅原孝標(たかすえ)でしょう。 なにしろ、その「菅原孝標の女(むすめ)」というのが更級日記の作者として古文必出ですから。 その更級日記の作者である「菅原孝標の女(むすめ)」の父親である菅原孝標の息子がここの祭神の菅原定義らしく、菅原定義も文章博士になっているようだ。
   西尾実・猪野謙二・秋山虔『新版 日本文学史』(1971.1.20.秀英出版)には、≪ ・・・上総(かずさの)国の受領の娘として育った作者が、都に上って生活するにつれて少女時代の夢が破れ、けっきょく受領の後家としてのわびしい境地に落ち着いてしまう生涯を回顧してしるした、菅原孝標女(たかすえのむすめ)の「更級日記」がある。≫と出ています。 「菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)」は、「菅原」では菅原道真に次ぐ有名人です・・・・が、「すがわらたかすえのむすめ」と読んでほしいなら、なんで、「菅原孝標の娘」と書かずに「菅原孝標女」と書くのか、なんか、この書き方では菅原孝標のメカケか何かみたいな感じがするのではないかと、最初、思ったのだが、「古文」とか「文学史」とかの本にはどの本にも「菅原孝標女」と書かれていて、見なれていると「そんなもん」みたいに思ってしまうが、なんで、こういう書き方をするのだろう・・な。
   「ひ孫の子」というのは《YAHOO!知恵袋―子・孫・ひ孫・・・ 》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112022201?__ysp=44Gy5a2r44Gu5a2Q によると玄孫(やしゃご。げんそん)と言うらしいのだが、菅原道真の玄孫(やしゃご)にして、古文必出 『更級日記』の作者「菅原孝標の女(むすめ)」の兄弟らしい菅原定義という人が、なにゆえ、神さまとして祀られているのか・・・は、インターネットで検索しても、よくわからん。 長岡天満宮は、桂離宮の造営者である八条宮智仁親王が社地を整備したといったことがあったように、皇族が帰依したというのか、大事にした神社らしく、インターネットで検索すると、今の天皇は菅原定義の子孫だという話(すべて男系ではなく、女系もところどころに含んでのこと)が出ていたが、それなら、菅原定義のみでなく、定義の親も祖父も子も孫も天皇の祖先だということになる。
※《ウィキペディア―菅原定義》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E7%BE%A9
   ここで、
【 高校生・受験生のための古文・文学史講座 】
   今は昔、1970年代後半、YMCA予備校の古文の講師で「北野高校卒、京大文学部卒、元天王寺高校教諭」だという山之内というおっさんが、平安時代の「日記」の覚え方として、「『トカイムサジサ』と覚える。 都会には、ムササビやのうて、ムサジサとかいうのが住んどって、それが平安時代の日記である」と言うておった。
ト・・・土佐日記    紀貫之
カ・・・蜻蛉日記  藤原倫寧(ともやす)の女(むすめ)、道綱の母
イ・・・和泉式部日記 和泉式部
ム・・・紫式部日記   紫式部
サ・・・更科日記    菅原孝標の女(むすめ)
ジ・・・成人阿闍梨(じょうじんあじゃり)日記 成人阿闍梨の母
サ・・・讃岐典侍(さぬきのすけ)日記 讃岐典侍(さぬきのすけ)
と、私も覚えたのだが、残念ながら、大学入試においては、どこの大学学部の試験においても、これが役立つことはなかった。 又、建築屋なんてものに勤めると、トカイムサジサとか、せっかく、覚えても、それが仕事に役に立つことはなく、1円でもカネになることはない。 つくづく、残念なことだが。
 「『菅原孝標女』の『女』は『菅原孝標のスケ』とちゃいまんねん。『菅原孝標のむすめ』と読む」とも言うとったが、さすがに、「スケ」と読む者はないだろうけれども、なんで、「菅原孝標の娘」と書かずに「菅原孝標女」と書くのか、今でもよくわからない。

    右側の祠が、白太夫社〔御祭神 度会春彦命(わたらいはるひこのみこと)〕
    度会春彦とは誰か? ヤクルトスワローズの選手で、YouTubeに出ていた少年野球教室で、プロ野球選手の物マネやって小学生が大喜びしていた選手のことか? ・・・たぶん、それは違うだろ。それは度会博文。
≪ 白太夫信仰は、菅原道真に随行し、最期を看取ったとされる伊勢神宮神主の度会春彦を天満宮の随神とする信仰。 ≫と《白太夫信仰》http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E4%BF%A1%E4%BB%B0 に出ている。
    『大宰府天満宮の謎』(2002.2.1. 祥伝社 黄金文庫) には、
≪ 大宰府で流人同様の暮らしを送る道真の側に、白太夫(しらたゆう)とよばれる神官がいたという伝承がある。 味酒安行(うまさけ やすゆき)とともに、白太夫の名を忘れるわけにはいかない。
   白太夫とは、どんな人物であったのか。
   京都の北野神社の摂社のひとつ、白太神社のそばに説明板がたっている。 長い参道をすすんで石段をのぼり、本殿へゆく道の右手である。
「文章博士菅原是善郷は、世継ぎの誕生を伊勢神宮の青年神官 度会春彦(わたらい はるひこ)に託して豊受大神宮に祈願された。 そしてお生まれになったのが道真公である。
   それ以来、数十年にわたって守役として菅公に仕え忠義を尽くした。 翁は若い頃より髪が白く、人々より白太夫と呼ばれた、
各地の天満宮に白太夫と称えて、かならず翁を祀るのはこのようないわれによる」
   白太夫社の神徳は子授け、例祭日は一月九日ということだ。
   伊勢神宮と天満宮との組み合わせは、ちょっとかんがえただけではまことに不思議な感じがする。 ≫
≪  北野天満宮の説明には、白太夫(しらたゆう)は大宰府へ行ったとは書かれていない。 別の伝承によると、白太夫は土佐で亡くなったことになっている。
   高知市の天神町は潮江天満宮にちなんでつけられた地名である。 福岡市の天神とおなじだ。 菅原道真が右大臣から大宰権帥に左遷されたとき、道真の子の高視(たかみ)は土佐介に左遷された。高視が住んだ地がいまの高知市の高見町と北高見町のあたりだという。
   高見町に住んでいた高視のところに、老人がおとずれてきた。 大宰府で道真の世話をしていた白太夫だと名乗り、道真の遺品の御衣を父の霊として祀り、それが潮江天満宮になったという伝承だ。
   白太夫はそのまま土佐に住み、高知の大津で亡くなったという。 大津には白太夫を祀った白太夫社がある。 この白太夫は伊勢神宮の度会春彦(わたらいはるひこ)なのだということになっている。 ≫
≪  (度会)春彦は江戸時代の初期に書かれた『菅家瑞応録(かんけずいおうろく)』という名の書物によって登場してくるのだが、この書が『天神記』や『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の下地であることは中村幸彦氏の研究によってあきらかにされている。
   度会春彦が実在の人物であったのか、どうか、はっきりしない。 (伊勢神宮が)北野天満宮と提携し、吉田神道の誘いを拒絶する途をえらんだ意志とちからの持ち主としての期待をうけて登場した伝承の人物である可能性が強い。

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↑ 「 菅公御歌
この度は 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま)
     紅葉(もみじ)の錦 神のまにまに

      【古今和歌集羇旅収録 】」
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↑ 「至誠」の碑

   長岡天満宮HPの「境内散策案内図」http://www.nagaokatenmangu.or.jp/keidai.html によると、八条ヶ池の北西側には、ショウブ・アヤメ・カキツバタ・ハスが植えられているらしい。
  アヤメは、≪ 5月ごろに径8cmほどの紺色の花を1-3個付ける。 ≫(《ウィキペディア―アヤメ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%83%A1 )らしい。
  ≪ カキツバタは湿地に群生し、5月から6月にかけて紫色の花を付ける。≫(《ウィキペディア―カキツバタ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%BF らしい。
  ハスは、≪ 花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせる。 早朝に咲き昼には閉じる。≫(《ウィキペディア―ハス》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B9 らしい。
   これらを季節の順番に並べてみると、
3月   梅(拝殿の前あたり と 梅園)
4月   桜(八条ヶ池の東側の堤)
      キリシマツツジ(八条ヶ池の中央を東西に横断する参道)
5月   アヤメ(八条ヶ池の北西側)
5月~6月 カキツバタ(八条ヶ池の北西側)
7月~8月 ハス(八条ヶ池の北西側)
11月頃?  紅葉(錦景園)
・・ということになるでしょうか。

  
   阪急 京都線「長岡天神」駅を西側に降りて、北に少し進み左折して西に進むと、「八条ヶ池」と書かれた交差点、八条ヶ池の北東側にたどりつくが、その途中の南側に、「開田城(かいでんじょう)跡の土塁」↓がある。
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↑  現地での説明書きによると、≪ 開田城(かいでんじょう)は、戦国時代(15世紀後半~16世紀)に活躍した国衆(くにしゅう)の一人である中小路(なかのこうじ)氏の居館(居城)≫らしい。 今、見ることができる土塁は、白の北西のあたりの南北方向のもののようです。


  ここで、
【写真で見る 建築用語辞典】 「ほおづえ」
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( ↑ 阪急 京都線「長岡天神」駅にて。)
↑ 鉄骨のH鋼では、Hの両側の縦棒にあたるものを「フランジ」、フランジをつなぐHの横棒にあたるものを「ウェブ」と言います。 木は質量あたりで見ると強いが、鉄は体積当たりで見ると強い。 体積あたりで見て強いのはいいのですが、体積あたりで見て強い素材は長いものの場合、「座屈」することがあり、それを防ぐために「スチフナー」と言われるものを入れることがあり、特に≪小梁取りつけ部など集中荷重が作用する部分に取りつけたものを、荷重点スチフナーという。≫( 青木博文ほか7名『最新建築構造入門』2004.4.15. 実教出版)
≪ ・・・H形鋼を例にあげれば、この鋼材は、二枚の鍔(つば)状の部分すなわちフランジと、このフランジを中央でつなぐ帯状の部分すなわちウェブと呼ばれる部分からなり、フランジはおもに曲げモーメントを、ウェブはおもにせん断力を負担します。 セルロイドのものさしの両端を固定し、圧縮力を加えると、薄い側に曲がってしまいますが、このような現象を座屈(ざくつ)といいます。 H形鋼にかかる曲げモーメントが大きすぎると、梁の上面を構成するフランジに圧縮力が加わり、座屈を起こす危険があります。 フランジはウェブと一体に成形されたものですので、座屈によってフランジは局部的に波形に変形をしたりふくれたりするので、注意しなければなりません。
   ・・・ウェブのせん断座屈を防止するために、在軸と直角にスチフナーと呼ばれる補強鋼板を入れることがあります。・・・・≫(山口廣 監修・江口敏彦 著『東京の近代建築 建築構造入門』1990.11.25.理工学社)
   在来木造では、横方向の荷重を受けるために、「筋交い」を柱・梁・土台の間に入れます。その際、筋交いは柱と梁・柱と土台の交点と交点を結ぶように入れるべきで、もし、柱の中間に筋交いがとりつくように筋交いを入れたとすると、いわゆる「K字筋交い」と言われるものですが、その筋交いは、地震や台風で横方向の力が加わった時に、筋交いが柱に取りついた場所で、もし、筋交いと柱との接合が弱ければ筋交いがはずれますが、筋交いと柱との接合が強ければ柱をへし折ることになる、柱が十分に太く強ければへし折られるところまでいかないとしても、へし折る方向で力が加わることになります。 在来木造でも「ほおづえ」を入れることがありますが、気をつけて入れないと、在来木造における「ほおづえ」は、「K字筋交い」と同じことで、横方向の力が加わった際に柱をへし折る方向で力が加わることになります。
   基本的な原理は在来木造でも鉄骨造の軸組構法でも同じですが、鉄骨造の場合、使用する鉄骨を、使用する場所によって、力が強く加わる所では厚みがあるものを使うこともできれば、何より、力が加わると思える所に、「スチフナー」を入れてその部分だけより強度があるものにするということができます。
   ↑の鉄骨のH鋼による柱・梁を見ると、「ほおづえ」がとりついている箇所において「荷重点スチフナー」という≪集中荷重が作用する部分に取りつけ≫る「スチフナー」がとりつけられているのが見えます。


   「冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り」も、今回で43回になりました。 社殿に向かい、2礼2拍手1礼して、「神さま、道真さま、天神さま。 どうか、わたしの恨み、家族の恨み、晴らしてください」とお願いしてきましたが、それだけではまだ足らないように思いますので、ここで、怨念を晴らしていただきたいと願う歌として、モーツァルトのオペラ『魔笛』の中の夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃えて」でも歌おうかと思うのですが、これを歌うのはけっこう大変ですし、これはソプラノの歌ですししますので、インターネットで検索すると、ルチア=ポップによるものが見つかったので、ここでは、ルチア=ポップにかわりに歌っていただき、それを聴かせていただくことにいたしましょう。⇒《YouTube―モーツァルト 《魔笛》 「夜の女王のアリア」 ルチア・ポップ 》https://www.youtube.com/watch?v=lItCcJzwx7E

   (2017.4.1.)

☆長岡天満宮(長岡京市)4部作
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 〔今回〕

☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 〔今回〕


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