深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由侵害【10】 鐘楼・本堂。裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢様
[第554回] 会社と営業の話(127)
深奥山 方広寺(浜松市北区引佐町)では、拝観受付が2カ所あるようですが、バスで行って「奥山」バス停で降りて歩いていくか、もしくは、自家用車で行ったとしても、「奥山」バス停の付近に無料駐車場があるので、そこに停めて行くかすれば、「黒門」をくぐり、赤い「山門」の手前の拝観受付で拝観料を払って入ることになります。 もう1カ所は、三重塔の脇に拝観受付がありますが、これは、三重塔の前に駐車場があるので、そちらに駐車した人向けということかと思います。
私、世の中で何が嫌いと言いまして、「裏口入学」ほど嫌いなものないんです。 裏口入学は人間のすることやおまへん。 父の親友の医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りにして苦しめて稼いだカネでドバカ息子を金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に金権裏口入学させた! というのを自慢にしていた男Mがいたのです。 「わしなんか、バカ息子は関西医大、裏口入学させた。これは、思考が柔軟やからじゃ」とか言っていたのです。 なんか、わけわかんないよお~お! と思いました。 普通、裏口入学って、たとえ、やるにしても、もうちょっと、恥ずかしそうにするものと違うんですかあ~あ? と思ったのです。裏口入学した、させたって、そんなもん、自慢することかあ~あ??? と思ったのですが、「裏口入学てことは、きみなんかと違って思考が柔軟やからということなんじゃ」なんて、私、言われたんです。 父は言われると信じやすい人間でして、「信じる者は救われる」とかいうタイプなんでしょうか、そのまんま、信じまして、「そうじゃ、そうじゃ。 M先生は思考が柔軟やねんぞ。M先生の息子さんは裏口入学やねんぞお~お。 おまえなんかとは違うねんぞ、おまえなんかとは。 おまえとは違って、思考が柔軟やねんぞ」と、毎日、毎日、私の鼻の頭を指さして叫んでいました。 ある時、はっきりと言ったことがあるのです。「なんで、裏口入学する人が思考が柔軟なんですかあ~あ?」と、そうすると、父は「わからんのか!」と言うのです。 「頭が悪いからなんか、なんか、ようわからんのですけれどもねえ~え」と言いましたところ、「裏口入学っちゅうことは、思考が柔軟ちゅうことなんじゃ」と言うのです。 「ですから、なぜ、裏口入学ちゅうことは思考が柔軟なのか、それを教えていただきたいんですけれども、教えていただけんもんでしょうかねえ。そんなに思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を生かして、狂徒大学の医学部でも頭狂大学の理科三類でもさっさと現役で実力で通らはったらよろしいのとちゃいますのおん? なんで、狂徒大学の医学部とか頭狂大学の理科三類とか行かはれへんのですかあ~あ? なんでですのおん?」とそう言ったわけです。父は「それは思考が柔軟やから関西医大裏口入学やいうことなんじゃ。」と言うのです。 なんや、ちっとも説明してもらったことにならんように思うのですが、父は、私が浪人中、その新興宗教の教祖みたいな医者屋の言うことを信仰して、そういうことを言いまくっていました。 私は、結局、2年も浪人したあげく、東大の試験には落ちました。後から振り返ると、父も母も東大には行かせたくなかったようで、かつ、それを正直に話して、どこにしてくれないかと言うことができない人間でした。そして、世間知のない人間でしたので、そういう人間につけこむ人間にしてやられる人間でした。医者屋のM川は、父は息子が「自分より上の大学」に行きそうだということに恐怖を感じているということを見抜いていました。私は、父親というものは、息子には自分が行けなかった大学に行かせたいと思うもので、「自分より上の大学」に行けば喜ぶものだと勝手に思い込んでいたのですが、我が家の父親はそうではなかった。 かつ、母親は、息子が現役で東大なり京大なりに行くと、親の言うことをきかなくなるのではないか、思い通りに大学に進学することなく、浪人させて、格下の大学に行かせた方が、「親の言うことをきく」ようになるのではないかという意識があったようで、これもまた、そういう意識がある女には、そういう人間につけこむような人間が、何やら吹き込んだりするようでした。 今から考えると、うちの両親は私が大学受験の際に、ずいぶんと妨害を企てたもので、よくあそこまで妨害すると思います。 少々、条件が悪くてもそんなものに負けずにやらなければ、とか思ってやりましたが、それから何十年か経ち、自分が「親」の側の年齢になって考えると、まあ、あれだけ条件が悪くて、よくあそこまで頑張ったと思い、若い頃の自分について、あれだけ頑張ったのに、かわいそうになあ~と思います。
結論として言えば、どう考えても「格下の大学」である慶應にいやいや行かされました。そして、父は言ったのです。「おまえは自分は慶應に行ったと思ってるかもしれんけれども、やなあ。 ええか。おまえは慶應に行くために、何ひとつ、努力はしとらんねんぞ。すべて、わしがえらいから慶應に行けたんやぞ。わかっとんねんな、わかっとんねんな、わかっとんねんな、チャンコロ。おまえは何の価値もないねんぞ。おまえが努力したから慶應に行けたんとは違うねんぞ。わしがえらいえらいえらいえらい人間やから、おまえは慶應に行かせてもらえてんぞ。わかっとんねんな、チャンコロ! わかっとんねんな、チャンコロ!」と、父は、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けました。〔⇒《YouTube-およげたいやきくん》https://www.youtube.com/watch?v=zNC1SpEqcxw 〕 どうやら、その言い回しは、父の親友の医者屋のM川が「わしは、息子に言うたりますねん。 おまえが大学に行けたのは、すべてわしがえらいからやぞ。おまえは大学に行くために、何ひとつ、努力も何にもしとらんねんぞ。わかっとんねんな、と」と言ったようなのですが、父はそれを聞いて、「そうや。その通りや」と思い、そして、わしも言うたろ、と思ったようなのです。そして、その文句をその通り、私に言い続けた、言いまくったようなのです。新興宗教の教祖みたいな医者屋の言い回しを。 しかし、ここで1つ、そのドバカ息子と私とは違いがあるのです。 私は、実際問題として「格下の大学」であったとしても、慶應義塾大学に裏口入学させてもらったのとは違うのです。私は、東大には結局落ちてしまいましたが、慶應には実力で通ったんですよ。そもそも、父は慶應に裏口入学させるようなコネもカネも持ってないのです。
いつであったか、朝日新聞に載っていた話ですが、ある代議士秘書の話として、代議士の秘書をやって何が嫌といって裏口入学の世話を頼まれることほど嫌なものはない、ある時、後援会会長から息子を慶應大学に裏口入学させたいと頼まれたが、嫌で嫌でたまらなかったが、後援会会長の頼みなので、むげに断るわけにもいかず、知り合いの学生部長に話してみたところ、学生部長から「親の顔が見たい」と言われた。「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がある。実物を見せたところ、「今年は無理だが、有力教授を紹介するから、その教授に家庭教師になってもらったということで、教授に1000万円渡してください。そうすれば、来年、入ることができるでしょう」と言われ、教授に1000万円渡して裏口入学させた、という。 そうやって入ったバカ息子であれば、それは、「おまえが努力したから入れたのとは違うんやぞ。わかっとんねんな」と一言くらいは言ってやった方がいいと思います。そうやって入った人というのは、少なくとも過半数は、その裏口入学のために、ひとがどれだけ嫌な思いをしたかなんてわかってませんから。その後援会会長にしても、息子がわかってないだけではなく、後援会会長もよくわかっていなかったようです。その代議士秘書は言ったそうです。「教授に1000万円渡すだけではだめですよ。口をきいてくれた学生部長さんにも同じだけ渡してください」と。しかし、裏口入学できたとなると、教授には渡しても、学生部長さんに渡す方は、「もったいないですから」とその後援会会長は渡さなかった、と。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことか! そのために、ひとがいったいどれだけ嫌な思いをしたと思ってるんだ、とその代議士秘書は書かれていたようです・・・・・が、私、何もそういうことをさせてもらったのと違うんですよ。2浪した年、東大の試験を駒場で受けた後、帰ろうと京王帝都電鉄井の頭線の「駒場東大前」の駅に向かった時、駅に上がる階段の下で、女性の受験生が泣いているのを見かけましたが、それを見て思いました。女は、泣けていいよな・・・・と。男は泣いても誰も同情してくれないし、泣くわけにもいかないのですが、しかし、泣いても泣ききれないし、泣いたからといってどうなるものでもないけれども、しかし、どうなるものでもないとしても泣きたいくらいの気持ちになる時もある・・・わな。 試験は駒場で受けましたが、合格発表は本郷でありました。 何度も見返しましたが、私の番号はありませんでした。 横で、「胴上げ」なんてやってるのがいましたが、悪趣味だと思います。 誰もが「いいお父さん」を持っているわけでもないとしても、父親が東大や京大を出ているという人、あるいは、東大や京大に行きたいと思ったが行けずに他の大学に行ったという人の息子というのは、大学受験に親が理解があるし、また、受験に際しての知恵を親が持っていることがあります。うらやましいと思ったことは何度もありましたが、それに対して、私が高校3年の時や浪人中、おかしなことばっかりやって、おかしなことばっかり言ってきた男が何をぬかすか、と思ったのですが、そのおっさんが私の父親でしたので、そうはいっても、そのおっさんが成人するまでの生活費を出してくれたわけですし、しかたがない・・・・とも思いましたが、しかし、やっぱり、私は何も裏口入学させてもらったわけではないので、「おまえは自分は慶應に行ったと思ってるかもしれんけれども、やなあ。 ええか。おまえは慶應に行くために、何ひとつ、努力はしとらんねんぞ。すべて、わしがえらいから慶應に行けたんやぞ。わかっとんねんな、わかっとんねんな、わかっとんねんな、チャンコロ。おまえは何の価値もないねんぞ。おまえが努力したから慶應に行けたんとは違うねんぞ。わしがえらいえらいえらいえらい人間やから、おまえは慶應に行かせてもらえてんぞ。わかっとんねんな、チャンコロ! わかっとんねんな、チャンコロ!」という文句はそれは事実に該当しませんし、今も不愉快に思っています。 ですから、寺でも神社でも、ともかく、「裏口から入る」というのは、これは、他の人は何とも思わないかもしれませんが、私は気が進まないのです。 ほんと、裏口入学は嫌いなんです、そういうことをするやつというのが。 ましてや、裏口入学をした、息子に裏口入学させた、とかを自慢する人間というのは、もっと嫌いですので・・・というより、裏口入学なんて、たとえ、するにしても、もうちょっと、恥ずかしそうにしろよ! なんで、自慢するんだよ!?! と思うのですが、それで、神社でも寺でも、ともかく、2回目以降に行く時はどこから入ってもいいと思いますが、一度目に行く時は、正門から入るようにして、王道を歩みたいのです。 まったくつくづく、裏口入学は人間のすることやおまへん! それだけでなく、大学入試が終わったあと、何年か経った時、思い出します。合格発表を見て自分の名前がなかった時の情けない思いを。 バックミュージックとしては、ロシア民謡の「バイカル湖のほとり」なんて合うでしょうか。その思いをせずに裏口で入った人というのは、その思いを経験せずに人生を前に進んだ人、ということなのでしょうね。そして、それから何十年かして、その裏口入学男が、輪廻のように、またもや、患者を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネでその息子を裏口入学させるのでしょうね・・・・。その時、言うのかもしれません。「わしなんかは思考が柔軟やから、息子は関西医大裏口入学なんじゃ」と。〔⇒《YouTube-По диким степям забайкалья Xор им. Пятницкого Pyatnitsky Choir》https://www.youtube.com/watch?v=jB5MMfCpj88 、⇒《YouTube-"По диким степям Забайкалья", Хор им.Пятницкого 》https://www.youtube.com/watch?v=kRP8AR6ROVU 〕
・・・・ということで、深奥山方広寺も、クルマを「奥山」バス停の付近の無料駐車場に停めたからということもありますが、本来の入口である「黒門」⇒「山門」から入りました。
深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)で、受付でもらった「方広寺・半僧坊 拝観コース」には、地図に、このように進んでくださいという矢印が書いてあって、それは、 黒門 ⇒ 拝観受付 ⇒ 弁天堂 ⇒ 山門 ⇒ 石橋と羅漢 ⇒「哲学の道」を通り ⇒ 延命半僧杉 ⇒ 鳥居 ⇒ 五百羅漢 ⇒ 椎河龍王 ⇒ 三重塔 ⇒ 亀背橋 ⇒ 七尊堂 ⇒ 開山堂 ⇒ 半僧坊 ⇒ 鐘楼 ⇒ 本堂 ⇒ 大庫裏から内部へ ⇒ 大庫裏内部 宝物展 ⇒ 本堂内部 ⇒ 観音堂 ⇒ 開山堂内部 ⇒ 半僧坊内部 ⇒ 上天台舎利殿 ⇒ 本堂・大庫裏を経て ⇒らかん坂を通り ⇒ 半僧杉 ⇒ 山門 ⇒ 黒門
と進むのが「順路」のように書かれています。今回、時間がなかったので、というより、思っていたよりも広くて予想よりも時間がかかったので行けませんでしたが、半僧坊の左後ろに、奥の院に登る道があります。それほど遠いわけではないようです。 現地の案内看板を見てもそう進むようになります。 しかし、寺の本来の参拝の経路としては、これは妥当ではないのではないか、と帰ってから思いました。 本来の参拝としては、黒門 ⇒ 山門 ⇒ そこからは、「哲学の道」の方に進むのではなく、「らかん坂」の方を進んで、鐘楼 ⇒ 本堂 と進むのが本来ではないか。 その上で、開山堂、半僧坊を参拝して、その後に、七尊堂や椎河龍王、三重塔に足を運べばいいことで、本堂を後回しにして、先に、椎河龍王や七尊堂に行くのは、その経路を取ると霊障が起こるとかそういうことはないとしても、本来ではないのではないか、と。 正月か縁日か何かそういう日に、もしも、ものすごく混雑しているというような時は、指定の経路を誰もがとるようにしてもらわないと、身動きとれないということになってしまうのかもしれませんが、そうでなければ、山門をくぐれば、鐘楼から本堂へ進む方が先ではないかと思います。
山門から進んで道が二俣に分かれた所で、「らかん坂」という名をつけられた右手の道は舗装された道で、左手の「哲学の道」と京都の「哲学の道」のパクリみたいな名前をつけられた道は土の道です。 寺は宗教施設ですから、あまりにもふざけた格好で訪問するのはいかがなものかと思いますが、深奥山方広寺などのような山岳系の寺の場合、「登山」というほどではありませんが「ハイキング」に準ずるような道もありますので、あまりにも形式ばったフォーマルな格好で行くよりも、多少、ラフな格好、カジュアルな服装と靴で行くようにした方がいいかと思います。 クルマで通る場合、アスファルト舗装の道と土の道であれば、舗装された道の方が走りやすく、ハイヒールはいたおねーちゃんが歩く場合は、舗装された道なら歩けても土の道ではかかとがめりこんだりすることがあるかもしれません。 そういう場合は、舗装された道の方がいいでしょうけれども、そうでなければ、たとえば、『あしたのジョー』では、丹下段平が矢吹丈にロードワークとして外を走らせる際に、裏道のような細い道ばかり走らせるので、「おっつぁん、なんで、こんな細い走りにくい道ばっかり走らせるんだ」と矢吹丈が言うと、段平のおっさんは、「今の広い道は、みんな、舗装されてしまって、舗装された道を走ると膝に負担がかかってよくねえんだ」と言う場面がありましたが、「ハイキング」でも行けるような靴とまで行かなくても、カジュアルシューズ、もしくは、フォーマルシューズでも歩きやすい靴であれば、足腰膝には土の道の方が歩いた時の感触はいいはずで、土の道である「哲学の道」はそれに該当すると思います。 土の道である「哲学の道」は、谷あいで、樹木が直射日光を遮り、横を小川が流れてここちよい環境です。 もしも、正月か縁日か何かでものすごく混雑して「順路」通りに進まないと出るに出れないとかいうような状況でないならば、舗装された道である「らかん坂」を進んで本堂をまず訪ねて、その後に、「哲学の道」の方に立ち寄ってそこで時間を過ごすという方がいいのではないかと思います。
今回、実際には、「哲学の道」を進んで、そこから三重塔へ行き、三重塔の所から降りてきて、亀背橋・七尊堂とその隣の稲荷社へ行き、そこから、半僧坊、開山堂と進んで、本堂の方へ行きましたが、ここでは、本来の進みかたであろうと思う、鐘楼・本堂の方を先にふれることとします。 但し、先に三重塔の方へ行くと、坂の途中から、本堂・鐘楼・上天台舎利殿・開山堂・勅使門・半僧坊真殿の全景を見ることができます。 三重塔へ進む道の途中から見た、本堂・鐘楼・上天台舎利殿・開山堂・勅使門・半僧坊真殿の全景は、なかなかのものです・・・が、ここでは、先に、鐘楼と本堂の方を述べます。
↑ 鐘楼 です。 「寺の参拝のしかた」というような本を読むと、「寺を訪ねたら、まず、鐘楼に行って鐘をつく」と書いてある本があったりしますが、そういう寺もあるようですが、そうではなく、一定の時刻に鐘をつくように決めていて、お寺の従業員が鐘はつくので、一般の参拝者が無断でつかないでくださいと書かれている寺もあります。 中には、鐘をつくのは、1回いくら、と書いてある寺もあります。 深奥山方広寺の場合、鐘楼の入口は閉まっており、一般参拝者はそこから中に入れませんから、鐘はつけません。
帰って来てから気づいたのですが、ここのお寺、手水舎がなかった。 あれ? ・・・・・。 ないものはしかたがないし、特別に汚い手をしているわけではありません。 従業員の給料をへつったカネで「座禅研修」なんて勝手なものをやってやろうという会社経営者は手も心も汚れているでしょうけれども、私ら、その点、純真なもので、手も心も汚れていませんから、だから、いいんじゃない? てところですが、私が見つけられなかったのでしょうか。 一生懸命、探して見つけるような性質のものでもないと思うのですが、見当たりませんでした。
本堂は相当大きい。 本尊は釈迦如来とウィキペディアにも書かれていますが、本尊というからには本堂におられるのでしょう。 拝観受付でもらった「大本山方広寺 半僧坊総本殿」の由緒書によると、
≪ この本堂は明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので 間口32m 奥行27m の東海屈指の建物です。 中央の大額「深奥山」は山岡鉄舟居士の書によるものです。 ≫
と書かれている。
本堂の前はそれほど広くなく、すぐに谷となって低くなっているので、本堂全体を撮ろうとすると、谷の向こう側から撮るしかありません。↓
〔 ↑ (正面)本堂。 (右手前)鐘楼。 〕
〔 ↑ 本堂。 〕
〔 ↑ 本堂。 開山堂の前から見た側面。 〕
明治38年と言われても、元号で言われてわかるのは平成か昭和の後半くらいまでで、それより前は西暦で行ってもらわないとわかりまへ~ん。 だいたい、(株)日本能率協会マネジメントセンター が発売している「能率手帖」というやつの後ろの方についている元号・西暦・年齢・十二支が対象できる「年齢早見表」でも、大正の途中までしか掲載されていない。 明治までわからんがな、特に、昭和は昭和何年と西暦何年が5と10が対応するので換算しやすかったが明治はそうではないし、ということで西暦にするためには、
明治1年 ・・・・ 1868年 明治維新。
明治6年 ・・・・ 1873年 「岩波(1873)ほど大きくない明六社」 明六社 結成。
ということで、
明治1年 ・・・・ 1868年
明治11年・・・・ 1878年
明治21年・・・・ 1888年
明治31年・・・・ 1898年
明治41年・・・・ 1908年
・・・・・・・・・・
明治6年 ・・・・ 1873年
明治16年 ・・・・ 1883年
明治26年 ・・・・ 1893年
明治36年 ・・・・ 1903年
というところから対象すると、明治38年というのは、明治36年の1903年の2年後ですから、1905年、日露戦争が終結した年。 ポーツマス条約の年ですね。
大正7年の方は、大正には明六社みたいのがないので、これは「能率手帖」の元号・西暦・年齢・十二支対照表を見ると、1918年。 「ひどくいい名(1917)」のロシア革命の1917年の翌年。 明治6年が明六社で、大正6年がロシア革命と覚えておくと換算しやすいかもしれませんね。 昭和6年は「ひどく災(1931)」の満州事変。
ついでに、1985年は昭和60年で阪神タイガース優勝日本一。これ、覚えやすいですよ。きりのいい数字であるとともに、巨人なんてしょっちゅう優勝してるのに対して、阪神が優勝したのは私が物心がついてから星野で1回・岡田で1回と合わせて3回だけで、日本シリーズでも勝ったのなんて、この吉田監督で当時、常勝 西武を破っての日本一の1985年・・・昭和60年 しかありませんもの。ほんと、わかりやすい♪ 〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登 》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕 しかし、たいして優勝せんわりに、それでも応援してくれるファンがいっぱいいるて、昔、オマリーが「阪神ファンは一番やあ」と言ったことがあったと思うが、ほんま、ええファンやな・・・・。
新しそうに見えますが、明治の後半から大正にかけて造られた建物なので、古くはないとしても、ごく最近の建物ではないようです。 日露戦争から第一次世界大戦までの間に建てられた建物、と理解していいでしょうか。
よくわからないのは、普通、本堂て、正面から入りませんか? この本堂て、もともとはどこから入るようにできているのでしょうか。 今、大庫裏から靴を脱いで上がって渡り廊下を通って入っていますが、それは、観光目的の人とかを対象とした仮のものだと思うのです。 で、本来はどこから入るように、この本堂は作られているのでしょうか。 なんか、ようわからん本堂です。
西から東に流れる小川がある谷の北側に半僧坊がありますが、↓
(↑ 旗マークが、現在の「本堂」、その西に「開山堂」、さらに西に「半僧坊」。)
最初に半僧坊が作られた頃はこの谷を渡る亀背橋なんて鉄骨造の橋を作る技術はなかったはずであり、谷の南側の椎河龍王や七尊堂・稲荷社は北側の半僧坊とともに存在した別個のもので、「本堂」なんてもともとはなかったのではないか。あったとしても半僧坊に附属の小さなものがあっただけであったのが、明治維新後に権力・財力にすり寄ることででっかい「本堂」他をでっちあげた・・・なんてことないか???
本堂の右手にある大庫裏から、中に入らせてもらうことができます。 深奥山方広寺に入る際に、山門の手前で拝観料を求められますが、大庫裏から中に入る際に新たに別に料金を求められるということはありません。
↑ (手前)鐘楼。 (その左奥)大庫裏。 (右奥)円明閣。
「円明閣」は、「方広寺・半僧坊 拝観コース」によると、≪ 平成2年6月竣工した宿坊 収容人員100名≫だそうです。 平成2年は1990年。 昭和と西暦は5を足したり引いたりだが、平成と西暦は、西暦に2を足すと平成、平成から2を引くと西暦。
で、本堂の足元、上に「深奥山」と山岡鉄舟が書いたという額がかかっているあたりの下に、↓があるわけです。
↑ 「一体 20万円」。 やっぱり、なんちゅうても、世の中、カネや。ホトケの沙汰もカネ次第!!! ・・・・てことでっかいなあ~あ・・・・・?↑↓
で、ここをもう少し下に下って行ったあたりに、↓
↑ なんて書いてあるわけや。
はごろも缶詰株式会社 金500万円
静岡新聞 静岡放送 金400万円 ・・・・
「はごろも缶詰」に恨みがあったわけでも恩があったわけでもない。 たまたま、目についた有名会社が「はごろも缶詰」やっただけのことやが。 やっぱり、世の中、なんちゅうても、カネやいうことか・・・・・。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ と書いたものは見つからんかった。 どこかにあるのかないのか知らんけど。あったら、蹴り飛ばしたい気持ちになる人間、けっこうおるのとちゃうかと思うが・・・・。
そう言えば、静岡放送というと、 (株)一条工務店が、東京とかの営業所の人間には、「一条工務店は、テレビ広告といったもんは一切やらないようにして、その分の費用を建てていただくお客様の建物の方にかけようという方針でやってきた会社なんです」などと「研修」で嘘を教えた上で、静岡県西部・愛知県の人間だけ得することならどんなことでも「やらまいか」という「やらまいか精神」を発揮して、静岡県西部と愛知県にだけは、ドカンと一発、テレビ広告やりまくり〔⇒《YouTube-真心ブラザーズ / どか~ん 》https://www.youtube.com/watch?v=hI40tHlHcxM 〕、かつ、テレビの番組のスポンサーもやるということをしていたが、そのテレビ局が、静岡放送ではなかったか。杉山英男先生が出演したりしていた住宅についての番組も、(株)一条工務店 提供で、たしか、静岡放送がやっていたのではなかったか・・・、その静岡県西部・愛知県だけドカンドカンとテレビ広告やったカネが、めぐりめぐってここに来ているのか、さらに言えば、東京の新橋駅のすぐ北に、丹下健三設計のひょっとこみたいな静岡新聞・静岡放送のビルが建っているが、あれも、(株)一条工務店が全国に平等に広告やテレビ番組の提供をやるのではなく、静岡県・愛知県だけ限定でドカンと一発テレビ広告やってかけたカネが、それが丹下健三設計のビルに化けたということか? とか思ったが、インターネットで検索すると、《ウィキペディア―静岡放送》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%94%BE%E9%80%81 には、≪静岡放送株式会社(しずおかほうそう、Shizuoka Broadcasting System Co., Ltd.)は、静岡県を放送対象地域とするラテ兼営の特定地上基幹放送事業者である。略称はSBS。ラジオ(中波放送(AM放送))はJRNとNRNのクロスネット局。テレビはJNNに加盟。テレビのリモコンキーIDは「6」。 ≫と書いてあるが、他にも静岡県のテレビ局はあるので、それかどうかはよくわからない・・・・が、新橋の丹下健三設計の静岡放送・静岡新聞ビルは、斬新なデザインと言っても1967年竣工のものなので、その頃、(株)一条工務店はまっだなかったはずだから、(株)一条工務店がテレビ広告に払った広告代が化けたのは新橋の静岡新聞・静岡放送ビル↓ではなさそうだ。 どか~ん!
〔↑ 静岡新聞・静岡放送ビル (東京 新橋。 設計:丹下健三 1967年) 〕
次回、 【11】上天台舎利殿・観音堂 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
(2017.7.9.)
☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? 〔今回〕
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
※ 《一条工務店の白旗山メガソーラー乱開発の説明会 日本共産党嘉飯地区委員会》http://jcp-kahan.info/archives/194
深奥山 方広寺(浜松市北区引佐町)では、拝観受付が2カ所あるようですが、バスで行って「奥山」バス停で降りて歩いていくか、もしくは、自家用車で行ったとしても、「奥山」バス停の付近に無料駐車場があるので、そこに停めて行くかすれば、「黒門」をくぐり、赤い「山門」の手前の拝観受付で拝観料を払って入ることになります。 もう1カ所は、三重塔の脇に拝観受付がありますが、これは、三重塔の前に駐車場があるので、そちらに駐車した人向けということかと思います。
私、世の中で何が嫌いと言いまして、「裏口入学」ほど嫌いなものないんです。 裏口入学は人間のすることやおまへん。 父の親友の医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りにして苦しめて稼いだカネでドバカ息子を金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に金権裏口入学させた! というのを自慢にしていた男Mがいたのです。 「わしなんか、バカ息子は関西医大、裏口入学させた。これは、思考が柔軟やからじゃ」とか言っていたのです。 なんか、わけわかんないよお~お! と思いました。 普通、裏口入学って、たとえ、やるにしても、もうちょっと、恥ずかしそうにするものと違うんですかあ~あ? と思ったのです。裏口入学した、させたって、そんなもん、自慢することかあ~あ??? と思ったのですが、「裏口入学てことは、きみなんかと違って思考が柔軟やからということなんじゃ」なんて、私、言われたんです。 父は言われると信じやすい人間でして、「信じる者は救われる」とかいうタイプなんでしょうか、そのまんま、信じまして、「そうじゃ、そうじゃ。 M先生は思考が柔軟やねんぞ。M先生の息子さんは裏口入学やねんぞお~お。 おまえなんかとは違うねんぞ、おまえなんかとは。 おまえとは違って、思考が柔軟やねんぞ」と、毎日、毎日、私の鼻の頭を指さして叫んでいました。 ある時、はっきりと言ったことがあるのです。「なんで、裏口入学する人が思考が柔軟なんですかあ~あ?」と、そうすると、父は「わからんのか!」と言うのです。 「頭が悪いからなんか、なんか、ようわからんのですけれどもねえ~え」と言いましたところ、「裏口入学っちゅうことは、思考が柔軟ちゅうことなんじゃ」と言うのです。 「ですから、なぜ、裏口入学ちゅうことは思考が柔軟なのか、それを教えていただきたいんですけれども、教えていただけんもんでしょうかねえ。そんなに思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を生かして、狂徒大学の医学部でも頭狂大学の理科三類でもさっさと現役で実力で通らはったらよろしいのとちゃいますのおん? なんで、狂徒大学の医学部とか頭狂大学の理科三類とか行かはれへんのですかあ~あ? なんでですのおん?」とそう言ったわけです。父は「それは思考が柔軟やから関西医大裏口入学やいうことなんじゃ。」と言うのです。 なんや、ちっとも説明してもらったことにならんように思うのですが、父は、私が浪人中、その新興宗教の教祖みたいな医者屋の言うことを信仰して、そういうことを言いまくっていました。 私は、結局、2年も浪人したあげく、東大の試験には落ちました。後から振り返ると、父も母も東大には行かせたくなかったようで、かつ、それを正直に話して、どこにしてくれないかと言うことができない人間でした。そして、世間知のない人間でしたので、そういう人間につけこむ人間にしてやられる人間でした。医者屋のM川は、父は息子が「自分より上の大学」に行きそうだということに恐怖を感じているということを見抜いていました。私は、父親というものは、息子には自分が行けなかった大学に行かせたいと思うもので、「自分より上の大学」に行けば喜ぶものだと勝手に思い込んでいたのですが、我が家の父親はそうではなかった。 かつ、母親は、息子が現役で東大なり京大なりに行くと、親の言うことをきかなくなるのではないか、思い通りに大学に進学することなく、浪人させて、格下の大学に行かせた方が、「親の言うことをきく」ようになるのではないかという意識があったようで、これもまた、そういう意識がある女には、そういう人間につけこむような人間が、何やら吹き込んだりするようでした。 今から考えると、うちの両親は私が大学受験の際に、ずいぶんと妨害を企てたもので、よくあそこまで妨害すると思います。 少々、条件が悪くてもそんなものに負けずにやらなければ、とか思ってやりましたが、それから何十年か経ち、自分が「親」の側の年齢になって考えると、まあ、あれだけ条件が悪くて、よくあそこまで頑張ったと思い、若い頃の自分について、あれだけ頑張ったのに、かわいそうになあ~と思います。
結論として言えば、どう考えても「格下の大学」である慶應にいやいや行かされました。そして、父は言ったのです。「おまえは自分は慶應に行ったと思ってるかもしれんけれども、やなあ。 ええか。おまえは慶應に行くために、何ひとつ、努力はしとらんねんぞ。すべて、わしがえらいから慶應に行けたんやぞ。わかっとんねんな、わかっとんねんな、わかっとんねんな、チャンコロ。おまえは何の価値もないねんぞ。おまえが努力したから慶應に行けたんとは違うねんぞ。わしがえらいえらいえらいえらい人間やから、おまえは慶應に行かせてもらえてんぞ。わかっとんねんな、チャンコロ! わかっとんねんな、チャンコロ!」と、父は、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けました。〔⇒《YouTube-およげたいやきくん》https://www.youtube.com/watch?v=zNC1SpEqcxw 〕 どうやら、その言い回しは、父の親友の医者屋のM川が「わしは、息子に言うたりますねん。 おまえが大学に行けたのは、すべてわしがえらいからやぞ。おまえは大学に行くために、何ひとつ、努力も何にもしとらんねんぞ。わかっとんねんな、と」と言ったようなのですが、父はそれを聞いて、「そうや。その通りや」と思い、そして、わしも言うたろ、と思ったようなのです。そして、その文句をその通り、私に言い続けた、言いまくったようなのです。新興宗教の教祖みたいな医者屋の言い回しを。 しかし、ここで1つ、そのドバカ息子と私とは違いがあるのです。 私は、実際問題として「格下の大学」であったとしても、慶應義塾大学に裏口入学させてもらったのとは違うのです。私は、東大には結局落ちてしまいましたが、慶應には実力で通ったんですよ。そもそも、父は慶應に裏口入学させるようなコネもカネも持ってないのです。
いつであったか、朝日新聞に載っていた話ですが、ある代議士秘書の話として、代議士の秘書をやって何が嫌といって裏口入学の世話を頼まれることほど嫌なものはない、ある時、後援会会長から息子を慶應大学に裏口入学させたいと頼まれたが、嫌で嫌でたまらなかったが、後援会会長の頼みなので、むげに断るわけにもいかず、知り合いの学生部長に話してみたところ、学生部長から「親の顔が見たい」と言われた。「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がある。実物を見せたところ、「今年は無理だが、有力教授を紹介するから、その教授に家庭教師になってもらったということで、教授に1000万円渡してください。そうすれば、来年、入ることができるでしょう」と言われ、教授に1000万円渡して裏口入学させた、という。 そうやって入ったバカ息子であれば、それは、「おまえが努力したから入れたのとは違うんやぞ。わかっとんねんな」と一言くらいは言ってやった方がいいと思います。そうやって入った人というのは、少なくとも過半数は、その裏口入学のために、ひとがどれだけ嫌な思いをしたかなんてわかってませんから。その後援会会長にしても、息子がわかってないだけではなく、後援会会長もよくわかっていなかったようです。その代議士秘書は言ったそうです。「教授に1000万円渡すだけではだめですよ。口をきいてくれた学生部長さんにも同じだけ渡してください」と。しかし、裏口入学できたとなると、教授には渡しても、学生部長さんに渡す方は、「もったいないですから」とその後援会会長は渡さなかった、と。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことか! そのために、ひとがいったいどれだけ嫌な思いをしたと思ってるんだ、とその代議士秘書は書かれていたようです・・・・・が、私、何もそういうことをさせてもらったのと違うんですよ。2浪した年、東大の試験を駒場で受けた後、帰ろうと京王帝都電鉄井の頭線の「駒場東大前」の駅に向かった時、駅に上がる階段の下で、女性の受験生が泣いているのを見かけましたが、それを見て思いました。女は、泣けていいよな・・・・と。男は泣いても誰も同情してくれないし、泣くわけにもいかないのですが、しかし、泣いても泣ききれないし、泣いたからといってどうなるものでもないけれども、しかし、どうなるものでもないとしても泣きたいくらいの気持ちになる時もある・・・わな。 試験は駒場で受けましたが、合格発表は本郷でありました。 何度も見返しましたが、私の番号はありませんでした。 横で、「胴上げ」なんてやってるのがいましたが、悪趣味だと思います。 誰もが「いいお父さん」を持っているわけでもないとしても、父親が東大や京大を出ているという人、あるいは、東大や京大に行きたいと思ったが行けずに他の大学に行ったという人の息子というのは、大学受験に親が理解があるし、また、受験に際しての知恵を親が持っていることがあります。うらやましいと思ったことは何度もありましたが、それに対して、私が高校3年の時や浪人中、おかしなことばっかりやって、おかしなことばっかり言ってきた男が何をぬかすか、と思ったのですが、そのおっさんが私の父親でしたので、そうはいっても、そのおっさんが成人するまでの生活費を出してくれたわけですし、しかたがない・・・・とも思いましたが、しかし、やっぱり、私は何も裏口入学させてもらったわけではないので、「おまえは自分は慶應に行ったと思ってるかもしれんけれども、やなあ。 ええか。おまえは慶應に行くために、何ひとつ、努力はしとらんねんぞ。すべて、わしがえらいから慶應に行けたんやぞ。わかっとんねんな、わかっとんねんな、わかっとんねんな、チャンコロ。おまえは何の価値もないねんぞ。おまえが努力したから慶應に行けたんとは違うねんぞ。わしがえらいえらいえらいえらい人間やから、おまえは慶應に行かせてもらえてんぞ。わかっとんねんな、チャンコロ! わかっとんねんな、チャンコロ!」という文句はそれは事実に該当しませんし、今も不愉快に思っています。 ですから、寺でも神社でも、ともかく、「裏口から入る」というのは、これは、他の人は何とも思わないかもしれませんが、私は気が進まないのです。 ほんと、裏口入学は嫌いなんです、そういうことをするやつというのが。 ましてや、裏口入学をした、息子に裏口入学させた、とかを自慢する人間というのは、もっと嫌いですので・・・というより、裏口入学なんて、たとえ、するにしても、もうちょっと、恥ずかしそうにしろよ! なんで、自慢するんだよ!?! と思うのですが、それで、神社でも寺でも、ともかく、2回目以降に行く時はどこから入ってもいいと思いますが、一度目に行く時は、正門から入るようにして、王道を歩みたいのです。 まったくつくづく、裏口入学は人間のすることやおまへん! それだけでなく、大学入試が終わったあと、何年か経った時、思い出します。合格発表を見て自分の名前がなかった時の情けない思いを。 バックミュージックとしては、ロシア民謡の「バイカル湖のほとり」なんて合うでしょうか。その思いをせずに裏口で入った人というのは、その思いを経験せずに人生を前に進んだ人、ということなのでしょうね。そして、それから何十年かして、その裏口入学男が、輪廻のように、またもや、患者を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネでその息子を裏口入学させるのでしょうね・・・・。その時、言うのかもしれません。「わしなんかは思考が柔軟やから、息子は関西医大裏口入学なんじゃ」と。〔⇒《YouTube-По диким степям забайкалья Xор им. Пятницкого Pyatnitsky Choir》https://www.youtube.com/watch?v=jB5MMfCpj88 、⇒《YouTube-"По диким степям Забайкалья", Хор им.Пятницкого 》https://www.youtube.com/watch?v=kRP8AR6ROVU 〕
・・・・ということで、深奥山方広寺も、クルマを「奥山」バス停の付近の無料駐車場に停めたからということもありますが、本来の入口である「黒門」⇒「山門」から入りました。
深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)で、受付でもらった「方広寺・半僧坊 拝観コース」には、地図に、このように進んでくださいという矢印が書いてあって、それは、 黒門 ⇒ 拝観受付 ⇒ 弁天堂 ⇒ 山門 ⇒ 石橋と羅漢 ⇒「哲学の道」を通り ⇒ 延命半僧杉 ⇒ 鳥居 ⇒ 五百羅漢 ⇒ 椎河龍王 ⇒ 三重塔 ⇒ 亀背橋 ⇒ 七尊堂 ⇒ 開山堂 ⇒ 半僧坊 ⇒ 鐘楼 ⇒ 本堂 ⇒ 大庫裏から内部へ ⇒ 大庫裏内部 宝物展 ⇒ 本堂内部 ⇒ 観音堂 ⇒ 開山堂内部 ⇒ 半僧坊内部 ⇒ 上天台舎利殿 ⇒ 本堂・大庫裏を経て ⇒らかん坂を通り ⇒ 半僧杉 ⇒ 山門 ⇒ 黒門
と進むのが「順路」のように書かれています。今回、時間がなかったので、というより、思っていたよりも広くて予想よりも時間がかかったので行けませんでしたが、半僧坊の左後ろに、奥の院に登る道があります。それほど遠いわけではないようです。 現地の案内看板を見てもそう進むようになります。 しかし、寺の本来の参拝の経路としては、これは妥当ではないのではないか、と帰ってから思いました。 本来の参拝としては、黒門 ⇒ 山門 ⇒ そこからは、「哲学の道」の方に進むのではなく、「らかん坂」の方を進んで、鐘楼 ⇒ 本堂 と進むのが本来ではないか。 その上で、開山堂、半僧坊を参拝して、その後に、七尊堂や椎河龍王、三重塔に足を運べばいいことで、本堂を後回しにして、先に、椎河龍王や七尊堂に行くのは、その経路を取ると霊障が起こるとかそういうことはないとしても、本来ではないのではないか、と。 正月か縁日か何かそういう日に、もしも、ものすごく混雑しているというような時は、指定の経路を誰もがとるようにしてもらわないと、身動きとれないということになってしまうのかもしれませんが、そうでなければ、山門をくぐれば、鐘楼から本堂へ進む方が先ではないかと思います。
山門から進んで道が二俣に分かれた所で、「らかん坂」という名をつけられた右手の道は舗装された道で、左手の「哲学の道」と京都の「哲学の道」のパクリみたいな名前をつけられた道は土の道です。 寺は宗教施設ですから、あまりにもふざけた格好で訪問するのはいかがなものかと思いますが、深奥山方広寺などのような山岳系の寺の場合、「登山」というほどではありませんが「ハイキング」に準ずるような道もありますので、あまりにも形式ばったフォーマルな格好で行くよりも、多少、ラフな格好、カジュアルな服装と靴で行くようにした方がいいかと思います。 クルマで通る場合、アスファルト舗装の道と土の道であれば、舗装された道の方が走りやすく、ハイヒールはいたおねーちゃんが歩く場合は、舗装された道なら歩けても土の道ではかかとがめりこんだりすることがあるかもしれません。 そういう場合は、舗装された道の方がいいでしょうけれども、そうでなければ、たとえば、『あしたのジョー』では、丹下段平が矢吹丈にロードワークとして外を走らせる際に、裏道のような細い道ばかり走らせるので、「おっつぁん、なんで、こんな細い走りにくい道ばっかり走らせるんだ」と矢吹丈が言うと、段平のおっさんは、「今の広い道は、みんな、舗装されてしまって、舗装された道を走ると膝に負担がかかってよくねえんだ」と言う場面がありましたが、「ハイキング」でも行けるような靴とまで行かなくても、カジュアルシューズ、もしくは、フォーマルシューズでも歩きやすい靴であれば、足腰膝には土の道の方が歩いた時の感触はいいはずで、土の道である「哲学の道」はそれに該当すると思います。 土の道である「哲学の道」は、谷あいで、樹木が直射日光を遮り、横を小川が流れてここちよい環境です。 もしも、正月か縁日か何かでものすごく混雑して「順路」通りに進まないと出るに出れないとかいうような状況でないならば、舗装された道である「らかん坂」を進んで本堂をまず訪ねて、その後に、「哲学の道」の方に立ち寄ってそこで時間を過ごすという方がいいのではないかと思います。
今回、実際には、「哲学の道」を進んで、そこから三重塔へ行き、三重塔の所から降りてきて、亀背橋・七尊堂とその隣の稲荷社へ行き、そこから、半僧坊、開山堂と進んで、本堂の方へ行きましたが、ここでは、本来の進みかたであろうと思う、鐘楼・本堂の方を先にふれることとします。 但し、先に三重塔の方へ行くと、坂の途中から、本堂・鐘楼・上天台舎利殿・開山堂・勅使門・半僧坊真殿の全景を見ることができます。 三重塔へ進む道の途中から見た、本堂・鐘楼・上天台舎利殿・開山堂・勅使門・半僧坊真殿の全景は、なかなかのものです・・・が、ここでは、先に、鐘楼と本堂の方を述べます。
↑ 鐘楼 です。 「寺の参拝のしかた」というような本を読むと、「寺を訪ねたら、まず、鐘楼に行って鐘をつく」と書いてある本があったりしますが、そういう寺もあるようですが、そうではなく、一定の時刻に鐘をつくように決めていて、お寺の従業員が鐘はつくので、一般の参拝者が無断でつかないでくださいと書かれている寺もあります。 中には、鐘をつくのは、1回いくら、と書いてある寺もあります。 深奥山方広寺の場合、鐘楼の入口は閉まっており、一般参拝者はそこから中に入れませんから、鐘はつけません。
帰って来てから気づいたのですが、ここのお寺、手水舎がなかった。 あれ? ・・・・・。 ないものはしかたがないし、特別に汚い手をしているわけではありません。 従業員の給料をへつったカネで「座禅研修」なんて勝手なものをやってやろうという会社経営者は手も心も汚れているでしょうけれども、私ら、その点、純真なもので、手も心も汚れていませんから、だから、いいんじゃない? てところですが、私が見つけられなかったのでしょうか。 一生懸命、探して見つけるような性質のものでもないと思うのですが、見当たりませんでした。
本堂は相当大きい。 本尊は釈迦如来とウィキペディアにも書かれていますが、本尊というからには本堂におられるのでしょう。 拝観受付でもらった「大本山方広寺 半僧坊総本殿」の由緒書によると、
≪ この本堂は明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので 間口32m 奥行27m の東海屈指の建物です。 中央の大額「深奥山」は山岡鉄舟居士の書によるものです。 ≫
と書かれている。
本堂の前はそれほど広くなく、すぐに谷となって低くなっているので、本堂全体を撮ろうとすると、谷の向こう側から撮るしかありません。↓
〔 ↑ (正面)本堂。 (右手前)鐘楼。 〕
〔 ↑ 本堂。 〕
〔 ↑ 本堂。 開山堂の前から見た側面。 〕
明治38年と言われても、元号で言われてわかるのは平成か昭和の後半くらいまでで、それより前は西暦で行ってもらわないとわかりまへ~ん。 だいたい、(株)日本能率協会マネジメントセンター が発売している「能率手帖」というやつの後ろの方についている元号・西暦・年齢・十二支が対象できる「年齢早見表」でも、大正の途中までしか掲載されていない。 明治までわからんがな、特に、昭和は昭和何年と西暦何年が5と10が対応するので換算しやすかったが明治はそうではないし、ということで西暦にするためには、
明治1年 ・・・・ 1868年 明治維新。
明治6年 ・・・・ 1873年 「岩波(1873)ほど大きくない明六社」 明六社 結成。
ということで、
明治1年 ・・・・ 1868年
明治11年・・・・ 1878年
明治21年・・・・ 1888年
明治31年・・・・ 1898年
明治41年・・・・ 1908年
・・・・・・・・・・
明治6年 ・・・・ 1873年
明治16年 ・・・・ 1883年
明治26年 ・・・・ 1893年
明治36年 ・・・・ 1903年
というところから対象すると、明治38年というのは、明治36年の1903年の2年後ですから、1905年、日露戦争が終結した年。 ポーツマス条約の年ですね。
大正7年の方は、大正には明六社みたいのがないので、これは「能率手帖」の元号・西暦・年齢・十二支対照表を見ると、1918年。 「ひどくいい名(1917)」のロシア革命の1917年の翌年。 明治6年が明六社で、大正6年がロシア革命と覚えておくと換算しやすいかもしれませんね。 昭和6年は「ひどく災(1931)」の満州事変。
ついでに、1985年は昭和60年で阪神タイガース優勝日本一。これ、覚えやすいですよ。きりのいい数字であるとともに、巨人なんてしょっちゅう優勝してるのに対して、阪神が優勝したのは私が物心がついてから星野で1回・岡田で1回と合わせて3回だけで、日本シリーズでも勝ったのなんて、この吉田監督で当時、常勝 西武を破っての日本一の1985年・・・昭和60年 しかありませんもの。ほんと、わかりやすい♪ 〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登 》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕 しかし、たいして優勝せんわりに、それでも応援してくれるファンがいっぱいいるて、昔、オマリーが「阪神ファンは一番やあ」と言ったことがあったと思うが、ほんま、ええファンやな・・・・。
新しそうに見えますが、明治の後半から大正にかけて造られた建物なので、古くはないとしても、ごく最近の建物ではないようです。 日露戦争から第一次世界大戦までの間に建てられた建物、と理解していいでしょうか。
よくわからないのは、普通、本堂て、正面から入りませんか? この本堂て、もともとはどこから入るようにできているのでしょうか。 今、大庫裏から靴を脱いで上がって渡り廊下を通って入っていますが、それは、観光目的の人とかを対象とした仮のものだと思うのです。 で、本来はどこから入るように、この本堂は作られているのでしょうか。 なんか、ようわからん本堂です。
西から東に流れる小川がある谷の北側に半僧坊がありますが、↓
(↑ 旗マークが、現在の「本堂」、その西に「開山堂」、さらに西に「半僧坊」。)
最初に半僧坊が作られた頃はこの谷を渡る亀背橋なんて鉄骨造の橋を作る技術はなかったはずであり、谷の南側の椎河龍王や七尊堂・稲荷社は北側の半僧坊とともに存在した別個のもので、「本堂」なんてもともとはなかったのではないか。あったとしても半僧坊に附属の小さなものがあっただけであったのが、明治維新後に権力・財力にすり寄ることででっかい「本堂」他をでっちあげた・・・なんてことないか???
本堂の右手にある大庫裏から、中に入らせてもらうことができます。 深奥山方広寺に入る際に、山門の手前で拝観料を求められますが、大庫裏から中に入る際に新たに別に料金を求められるということはありません。
↑ (手前)鐘楼。 (その左奥)大庫裏。 (右奥)円明閣。
「円明閣」は、「方広寺・半僧坊 拝観コース」によると、≪ 平成2年6月竣工した宿坊 収容人員100名≫だそうです。 平成2年は1990年。 昭和と西暦は5を足したり引いたりだが、平成と西暦は、西暦に2を足すと平成、平成から2を引くと西暦。
で、本堂の足元、上に「深奥山」と山岡鉄舟が書いたという額がかかっているあたりの下に、↓があるわけです。
↑ 「一体 20万円」。 やっぱり、なんちゅうても、世の中、カネや。ホトケの沙汰もカネ次第!!! ・・・・てことでっかいなあ~あ・・・・・?↑↓
で、ここをもう少し下に下って行ったあたりに、↓
↑ なんて書いてあるわけや。
はごろも缶詰株式会社 金500万円
静岡新聞 静岡放送 金400万円 ・・・・
「はごろも缶詰」に恨みがあったわけでも恩があったわけでもない。 たまたま、目についた有名会社が「はごろも缶詰」やっただけのことやが。 やっぱり、世の中、なんちゅうても、カネやいうことか・・・・・。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ と書いたものは見つからんかった。 どこかにあるのかないのか知らんけど。あったら、蹴り飛ばしたい気持ちになる人間、けっこうおるのとちゃうかと思うが・・・・。
そう言えば、静岡放送というと、 (株)一条工務店が、東京とかの営業所の人間には、「一条工務店は、テレビ広告といったもんは一切やらないようにして、その分の費用を建てていただくお客様の建物の方にかけようという方針でやってきた会社なんです」などと「研修」で嘘を教えた上で、静岡県西部・愛知県の人間だけ得することならどんなことでも「やらまいか」という「やらまいか精神」を発揮して、静岡県西部と愛知県にだけは、ドカンと一発、テレビ広告やりまくり〔⇒《YouTube-真心ブラザーズ / どか~ん 》https://www.youtube.com/watch?v=hI40tHlHcxM 〕、かつ、テレビの番組のスポンサーもやるということをしていたが、そのテレビ局が、静岡放送ではなかったか。杉山英男先生が出演したりしていた住宅についての番組も、(株)一条工務店 提供で、たしか、静岡放送がやっていたのではなかったか・・・、その静岡県西部・愛知県だけドカンドカンとテレビ広告やったカネが、めぐりめぐってここに来ているのか、さらに言えば、東京の新橋駅のすぐ北に、丹下健三設計のひょっとこみたいな静岡新聞・静岡放送のビルが建っているが、あれも、(株)一条工務店が全国に平等に広告やテレビ番組の提供をやるのではなく、静岡県・愛知県だけ限定でドカンと一発テレビ広告やってかけたカネが、それが丹下健三設計のビルに化けたということか? とか思ったが、インターネットで検索すると、《ウィキペディア―静岡放送》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%94%BE%E9%80%81 には、≪静岡放送株式会社(しずおかほうそう、Shizuoka Broadcasting System Co., Ltd.)は、静岡県を放送対象地域とするラテ兼営の特定地上基幹放送事業者である。略称はSBS。ラジオ(中波放送(AM放送))はJRNとNRNのクロスネット局。テレビはJNNに加盟。テレビのリモコンキーIDは「6」。 ≫と書いてあるが、他にも静岡県のテレビ局はあるので、それかどうかはよくわからない・・・・が、新橋の丹下健三設計の静岡放送・静岡新聞ビルは、斬新なデザインと言っても1967年竣工のものなので、その頃、(株)一条工務店はまっだなかったはずだから、(株)一条工務店がテレビ広告に払った広告代が化けたのは新橋の静岡新聞・静岡放送ビル↓ではなさそうだ。 どか~ん!
〔↑ 静岡新聞・静岡放送ビル (東京 新橋。 設計:丹下健三 1967年) 〕
次回、 【11】上天台舎利殿・観音堂 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
(2017.7.9.)
☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? 〔今回〕
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
※ 《一条工務店の白旗山メガソーラー乱開発の説明会 日本共産党嘉飯地区委員会》http://jcp-kahan.info/archives/194
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