深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由侵害【12】開山堂・半僧坊真殿。本人が希望しないお守りは害がある
[第556回] 会社と営業の話(129)
お寺に参拝する場合、総門をくぐり、山門をくぐったら、鐘楼の所を通り、手水舎で両手と口をすすいで本堂に参拝、というのが基本的な進路で、その後、本堂以外を訪ねることになると思います。 その点で、深奥山方広寺が「方広寺・半僧坊 拝観コース」として矢印で地図に指定している順路は、もしも、正月か何かそういう時にもんのすごく混んでいるという時があって、「順路」として決めた経路の順番にまわってもらわないと進めないというような事情があるとか、何かそういうことがないならば、総門としての黒門をくぐった後、赤い山門をくぐり、その後、鐘楼・本堂の方へ向かうのではなく、先に、椎河龍王へ行き、三重塔へ行き、七尊堂へ行き、半僧坊へ行き、それから本堂というのは、本来の寺の参拝順路とは異なるように思います。
で、とりあえず、前回、本堂とその背後の上天台舎利殿、本堂の脇の観音堂をとりあげましたので、今回は、本堂の左隣の開山堂について述べます。
「開基」と「開山」はどう違うかというと、「開基」はその寺を造るための費用を出した人で、「開山」はその寺の最初の坊さん、ということみたい。 深奥山方広寺では、奥山さんというこの地の豪族が「開基」で、無文元選という建仁寺で出家したという、後醍醐天皇の皇子だとされているけれども、南北朝の争乱の時、後醍醐天皇は自分の皇子を各地に派遣して各地の豪族の支持をとりつけようとし、そして、南朝・大覚寺統の側では、楠木正行などは、後醍醐天皇の息子でも親戚でもないにもかかわらず、命をかけて戦っていたまさにそういう時に、「出家」したり中国にお勉強に行ったりというのは、なんだか・・・、ちょっと、勝手ちゃうのん? て感じがしないでもないのですが、本当に後醍醐の息子だったのか? 後醍醐が崩御した翌年に京都の建仁寺で出家したというが、その頃の京都と言えば、足利・北朝・持明院統が支配していた土地であり、南朝・大覚寺統の皇子がそんな所で出家できたのか? とか疑問に感じるところが出てきたりもします・・・・が、とりあえず、その無文元選さんが「開山」ですから、無文元選さんを祀っているのでしょう。↓
〔↑(手前)勅使門。 (奥)開山堂。〕
〔↑ 本堂から見た開山堂 〕
〔↑ 半僧坊 真殿の前から見た 開山堂 〕
ところで、ちょっとばかし、疑問を感じませんか? なぜ、「勅使門」がこの位置にあるのか?・・・・と。 「勅使」というのは、天皇へーか のお使いのことですよね。 ですから、そういう門というのは、ちょっとばかし、ゴージャスにできているのが普通で、私らのような、「び~んぼうやからな」の「日陰の月見草」はそういう門は通らせてもらえないのが普通です。 ま、別に通らせてもらわなくてもいいですけれども、ね。
20歳の時でしたが、父が、大阪の宗衛門町の「高級料亭」のHに連れて行ってやると言うので、別に行きたくないと言ってもきかないので、しかたなしに行ったところ、「この店はなあ、わしのようなエライえらいエライえらい人間だけが入ることを許される店でなあ、あんたみたいなもん、ここに来て、食べさせてくださいなんて言おうものなら、つまみだされるぞお~お。 わかっとんのんか。おまえなんか、この店には入ってはならんねんぞ。この店はわしのようなエライ人間だけが立ち入ることを許される店やねんぞ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか」と何度も何度も言うので、別に、そんな感じの悪い店なんて、入りたくもないわ・・・・と思ったことがありました。 船場吉兆とか、そういう類の店、いわゆる「高級料亭」とかいうのは、たいてい、「そんなもん」なのでしょうね。 「ここは、エライえらいエライえらい人だけが入ることを許された店やねんぞ」ということにしてあげれば、そこで出す料理なんて、賞味期限切れでも犬の肉でもミミズでも段ボールでも何でも、大喜びするような、そういう人の店なのでしょう。 そんなもんで、「勅使門」なんてのも、別にそんな所を通りたいとも思いませんが、とりあえず、「やんごとないお方」の使者が通るから「勅使門」のはずです・・・・けれども、普通、勅使門て、開山堂の前にあるものではなく、お寺そのものに入る入口がいくつかあって、そのうちの1つが「勅使門」となっていませんか? この位置の勅使門て、なんか変・・・・て思いません?
推測するに、普通、勅使門というのは、その寺に入る入口をいくつか設ける際に、その1つとして他の入口より豪華な造りで作るのがもので、京都の曼殊院なんかでは勅使門に紫の布がかかっていたと思います。 紫というのは、ルキノ=ヴィスコンティ監督のイタリア映画の『ロッコとその兄弟』(日本では『若者のすべて』)で、ボクサーとしてデビューした5人兄弟の2人目が紫色のトランクスを着用すると、先輩のボクサーが、紫の色を「チャンピオンか女の色だ」と話す場面があったと思いますが、紫という色は、たしかに、最高位を示すか、もしくは女性の色として使われることが多い色で、使い方によっては美しいものの、失敗する危険性も他の色よりも大きい色だと思います。 深奥山方広寺では勅使門に紫の布はかかっていませんが、全体の雰囲気は他の建物よりゴージャスな雰囲気を漂わせています。 本来なら、寺に入るという所に設けたいところだったのでしょう。
しかし、深奥山方広寺というのは、大阪府箕面市の箕面山滝安寺とか千葉県の鋸山日本寺なんかと同じように、山岳系の寺です。 街中の寺と違って、山岳系の寺というのは、いったい、どこからどこまでが寺の敷地か、今は登記簿に記載があるかもしれませんが、もともと、そんなもの、どこからどこまでなんて、はっきりしていないわけです。 大阪府箕面市の箕面山滝安寺なんてのは、滝安寺と名称に「滝」とつくように、もともと、箕面大滝のそばにあったという話があり、箕面大滝の所で、役行者が修行をして、弁財天の助けを得て悟りを開いたという話の寺ですが、そういう話があるなら箕面大滝も滝安寺の敷地であるべきなのかというと、滝で修行したい人間なんて他にもいたかもしれないわけで、ともかく、滝で修行したからそこはわしのもん! なんて主張しても、人が認めてくれるという保証はないわけです。 千葉県の鋸山なんて、南側は日本寺でも、北側は今はハイキングコースであり、西側からはロープウェイがついているわけで、いったいどこからどこまでが寺なのかなんて、はっきりしないわけです。 深奥山方広寺にしても、どこからどこまでが寺の敷地と考えるべきか、というのは難しいわけで、どうも、この寺は権力寄りの姿勢をとることによって、広めの敷地を確保したのとちゃうのんかいなあという印象があるのですが、それにしても、どこからどこまでというのは判断が難しいのです。 だから、勅使門というのを設けようと思っても、どこに設けたものか、設ける場所に困ったのではないでしょうか。 総門から山門を経て本堂に至る道というのは、谷間ですから、広くありませんし、山門の隣に作っても、なんか、たいして格好よくありませんし。 それでも、勅使門を造りたいと思う人があったのではないでしょうか。
もしも、本堂の前が相当広くて、かつ、本堂の正面に本堂の入口らしい入口があったなら、勅使門は本堂の前あたりに作ったのではないかと思いますが、何分、ここの本堂は前がそれほど広くない。 しかも、ここの本堂は、いったい、どこから入るものなのか、前の入口には地面からどうやって登るのか定かではない。 そういう本堂の前に勅使門を造っても、なんか変、ということで。 かつ、半僧坊はけっこう大衆的になっているので、半僧坊の前に造るわけにもいかない、ということで、勅使門を造るなら開山堂の前に、ということになったのではないでしょうか。 なんか、無理無理作ったみたいな勅使門ですが、権力寄りの寺としては、勅使門を作りたかったということと違いますか。
拝観受付でもらった由緒書には、≪ 開山 円明大師の尊像を安置し左右両壇には歴代天皇の尊牌を奉安しています。≫と書かれている。天皇の位牌を「奉安している」ということから、ここに勅使門がある論拠になるのでしょうけれども、それにしても、普通、勅使門というのは、外界と寺との境目の位置に造る方が普通と違いますか。 ≪開山 円明大師の尊像を・・・≫て、円明大師は無文元選とは違うのかというと、《ウィキペディア―無文元選》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%85%83%E9%81%B8 には、≪勅諡号は聖鑑国師・円明大師。≫と出ており、無文元選(むもんげんせん)と円明大師とは同一人物のようです。 もうひとつ、今は、開山堂に、本堂から渡り廊下を通って入ることができるのですが、それは本来の経路ではないと思うのです。本来、こういうお堂は正面から参拝するのが基本のはずですが、その際、勅使は勅使門から通るとして、勅使でない者の通る経路てどこなんですか? 普通、寺には、勅使門がある場合、勅使門とそうでない門があるものですが、開山堂について、勅使門でない門てどこか? ないのと違いますか。そのあたりが、どうも変。
いよいよ、です。開山堂の左に位置するのが、一番人気の半僧坊です。半分は僧で、半分は妖怪・小人・天狗・海坊主・妖精・・・? もしかして、ムーミン? というのが、半僧坊らしい。なんか、半分だけ妖怪で半分は人間の血がまざっているて、それ、ネズミ男みたい・・・・。 水木しげるの『墓場鬼太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』では、「まったく、ネズミ男というのは、あいつは半分人間の血がまざっているからろくなことをしない」と言われます。 鬼太郎にしても、普段は、「払えるカネがないんだが」という場面で、「鬼太郎さんならタダよお」、「え、鬼太郎というのは、人間のために命がけで妖怪と戦って、カネもとらんのか?」「アホやな」・・・とか言われ、「とりあえず、鬼太郎に頼もう。なにしろ、鬼太郎はタダやからな」とか言われるようなことをやっている鬼太郎が妖怪との戦いで傷ついて輸血が必要だという時に、妖怪の血がないからということで人間の血を輸血すると、とたんに、「人間のために、妖怪と戦っていいことあんのかあ~あ」とか言い出すようになったりします。 半分人間てのは、すべて妖怪に比べて、根性が座っていないみたい。
その半分は妖怪で半分は人間という半僧坊というのが、なかなかの人気。 というのか、山岳系の禅寺では、けっこうそういうのが祀られていますよね。 村上重良『日本の宗教』(1981.3.20.岩波ジュニア新書)には、≪ (江戸時代)、曹洞宗では、永平寺と総持寺は二大本山として抗争をつづけましたが、天狗になったとされる道了薩埵(どうりょうさった)(道了尊 どうりょうそん)をまつる相模国の最乗寺(さいじょうじ)、現世利益信仰をあつめた三河国の豊川稲荷(妙厳寺)などが栄えました。・・・≫と出ていますが、最乗寺の道了尊とか、豊川稲荷の稲荷とか、曹洞宗というの開祖の道元は、日本の仏教の中では、もっとも本来的な仏教であったはずで、天狗とか稲荷とかとは本来は縁がなかったはずではあるのですが、曹洞宗は道元の死後に宗派を拡張していくために、そういう天狗とか稲荷とかとのコラボレーションに力を入れたようで、曹洞宗の寺はそういう妖怪系と手を組んでいるケースが少なくないみたいです。臨済宗は曹洞宗に比べると、権力志向で、京都五山とか鎌倉五山とか、あるいは、甲府五山とかいったように、臨済宗の寺は武家の支配者と手を組むことが多かったことから、曹洞宗のように、妖怪とのコラボで民衆の人気を獲得しようとする必要はなかったはずですが、深奥山方広寺の場合は、開基の奥山さんは徳川家の家臣の井伊家と縁戚関係を結んだとはいえ、井伊家そのものではなかったわけですし、井伊家といっても徳川の陪臣であって徳川家そのものではなかったわけで、「しょせんは田舎の豪族」というような言い方をすると、遠州人は怒るかもしれませんが、それほど、強力な豪族ではなかったのかもしれない。 又、何宗かとは別に、「山岳系」ですから、その点で、そういう天狗とか稲荷とか龍王とかとのコラボをやる傾向があったのかもしれません。
〔 ↑ 半僧坊 真殿。 〕
〔 ↑ 半僧坊 真殿。 左手から見たもの。 〕
〔 ↑ 半僧坊 真殿 の彫刻 〕
( ↑ 半僧坊 真殿 )
半僧坊 真殿の左脇から山を少し登った所に、奥の院があるらしいのですが、今回は時間がなく行けませんでした。 「マムシに注意」なんて書かれています。 マムシは勘弁してほしいですね。ましてや、熊なんて、出ないだろうな・・・・・。
( ↑ 半僧坊 真殿の左脇から登る 奥の院への道 )
半僧坊は、鎌倉五山第1位の建長寺でも、その奥に祀られています。 建長寺の場合、半僧坊を祀るお堂は最も山の高い所にあって、そこから裏手の山はハイキングコースになっています。 建長寺では、半僧坊の裏手辺りまで行くと、リスを見かけることがありますが、ロンドンのハイドパークのリスは人を見ると近寄ってきますが、鎌倉のリスは人を見ると逃げます。
さて。 1998年、(株)一条工務店では、掛川営業所の所長として勤めてきた近藤雅雄(正雄? 正夫?)が、営業部長になったとかで、「座禅研修」なるものを従業員に強制しようとしたのです。 「しようとした」ではありません。 「強制した」のです。 私は、近藤から、はっきりと、「座禅研修にも、強制的に絶対に参加してもらうからな」と言われたのです。 なんとも、思いあがった傲慢な男です。
近藤雅雄(正雄? 正夫?)が「通算契約棟数 全国1位」ということになっていたのは、それは明らかに八百長です。 近藤まさおがいた、静岡県掛川市を含む遠州地方は、私が入社した1992年頃、(株)一条工務店の主力であった「セゾン275S1」は、東京都では坪55万円で売らされていたものを、坪48万円でダンピング販売していたのです。経済学上の「需要曲線」を考えてみてください。 同じものを高い値段で売るのと安い値段で売るのと、どちらが売りやすいか、どちらが売りにくいか、考えてみてください。 かつ、東京や千葉・埼玉・神奈川などではテレビ広告は一切やっていなかったのに対して、静岡県西部・愛知県ではドカンドカンとテレビ広告をやっていたのです。 そして、掛川を含む静岡県西部では「地元の会社」という「売り」があった。 近藤まさお が、少々、多く売ったとしても、そんなものは、東京や千葉やで営業やっていた人間との比較で言うのならば、それは、ラグビーの得点と野球の得点を比較しているようなものです。ラグビーやっている人間が野球やっている人間よりも多く得点したからといって、それが何だというのです。当たり前のことじゃないですか。
「工場見学会」をやるための工場も浜松にありましたし。一条工務店の家は静岡県西部・愛知県向けに作られた商品でしたし、ね。1992年に私が入社した時、東京営業所では、「工場見学会」を新幹線で浜松まで見込客を連れて行っていたのです。これは、地元に見せるための工場がある浜松の営業に比べて、その分だけ不利であるのは間違いなかったのです。 営業成績の評価においては、その分を補正して考えてもらわないとたまりません。 ところが、中途入社の新入社員研修が浜松の本社で2回あった際、同時期に入社した浜松の営業の秋なんとか(当時、30代)が、私に、「東京の営業は、新幹線で浜松までお客さんを連れて行ってるなんて、電車賃がもったいないのと違いますか。 新幹線代を出して、ほとんどのお客さんが契約になってるんですか。 どうして、そんなもったいないことするんですか」と文句を言って来たのです。こいつ、いったい、何を言ってるんだ、と思いました。 浜松の営業こそ、自分たちの所に「見せるための工場」を作って利用していたのであり、東京の営業が見込客を新幹線で浜松に連れていっていたとしても、その新幹線代は「東京の見込客と東京の営業が使った」のではなく、浜松に工場がなく東京圏に工場があったならば、浜松の見込客と浜松の営業が新幹線代を使ったところであり、浜松の営業が新幹線代を使っていないのとは意味は違うのです。 浜松の営業というのは、なんともどあつかましい人間だなとあきれました。
1992年、私が入社した時、中途入社の新入社員研修が、浜松で2回ありましたが、その2回とも遅刻してきた男が1人だけいました。 東京の営業は東京から東海道新幹線で浜松まで行きましたが、東北方面の営業は東北新幹線で東京まで来て東京で東海道新幹線に乗りかえて浜松まで行っていました。 九州から来ていた人間もいました。 それらの人間は浜松で泊まって研修に参加しますから宿泊用の衣類なども準備して来ています。それに対して、↑の浜松の秋なんとかいう男(当時、30代なかば)は、自宅から研修会場に通えたのです。 その男、1人だけが、2回とも遅刻してきたのです。 普通、遅刻してきたら、入室する際に、「すいません。遅れました」くらい言うものではないかと思いますが、その浜松の営業の秋なんとかは黙って入ってきました。2回とも。 何、こいつ! と思いましたが、浜松の営業というのは、「そんなもの」のようです。 遅刻してきて、遠くから来ている営業が早めに来て待っていても、「すいません」とも言いませんでした。遠くから来る者が遅れないように気を配って来ているのに一番近い所から来る者が2回とも遅刻してくるというのは失礼ですし、そのあたりに気づくことができないというのは営業としてマイナスの評価を受けるのは当然ですが、そういう男でした。本来、研修に遅刻してきた者が黙って入室して着席しようとしたならば、講師役の人間は「◇◇さん、遅刻してきたのなら、『すいません。遅れました』くらい、言ったらどうですか」くらい言うべきではないかと思ったのですが、なぜか、講師役の人間は、そういう言葉はまったく口にせず、むしろ、その秋なんとかを理由もなく持ち上げようとしたということがありました。 彼がひとりだけ遅刻したおかげで、「まだ、全員、そろっていませんね」と講師役の人間が言って、すでに研修開始時刻を過ぎているのに、遠くから来ている人間何人もが待たされたのですから、彼は、自分の席の周囲の人間にだけでも、「すいませんでした」くらい言うのが普通ではないかと思ったのですが、彼は「すいませんでした」も何も言わず、ふんぞり返っていた。遠州人全般がそういうものかどうかはわからないが、「一条工務店の遠州人」にはそういう人間が多いというのは間違いないことである。「一条工務店の遠州人」「一条工務店の静岡県西部・愛知県の営業」はそれ以外の地域に対して自分たちは特権があるのが当然という意識を持っていた。
近藤まさお さんは「所長」になっていたわけで、(株)一条工務店の「所長」というのは、一般の営業が苦労してひねりだした有望見込客を横取りするのが常と言われてきたのです。 普通、「所長」なら、一般の営業が苦労してひねりだした有望見込客なら、それをその営業が契約に結びつけることができるように協力するものではないのか、と思うのですが、(株)一条工務店の「所長」は人にもよるようですが、そうではないようです。 いわば、「所長」というのは、トランプの大貧民ゲームの「大富豪」、一般の営業から有望見込客を2枚横取りした上でゲームをするような立場であったのです。 トランプの大貧民ゲームでは、自分が「大富豪」である時に勝てるかどうかと「大貧民」である時に勝てるかどうかでは、全体として見ると、「大富豪」の時の方が勝ちやすいのは間違いないのですが、このゲームの面白いところとして、「大富豪」と言えども常に絶対に勝てるわけではなく、負ける時だってあるわけで、いったん、負けると次は「大富豪」ではなくなるのです。だから、「大富豪」である時に勝ちやすいかどうかと「大貧民」である時に勝ちやすいかどうかを比較すると、「大富豪」である時の方が勝ちやすいのは間違いないとしても、永遠に「大富豪」であるわけではなく「大富豪」が「大貧民」になることだってあるので、だから、ゲームの参加者は不公平ではないのです。 ところが、(株)一条工務店では違います。(株)一条工務店では「営業所長」というのは、常に「大富豪」なのです。 近藤まさお は、「大富豪」として「大貧民」「貧民」「平民」よりも有利な条件で営業をしてきたはずなのです。 それで、「大富豪」の立場で仕事をした者が「大貧民」「貧民」「平民」として仕事をした者より多くの契約をあげた、としても、だから、何なの? てことになります。
(株)一条工務店の静岡県西部・愛知県の営業は卑怯です。 自分たちの所の価格を他よりも安く設定することで売ろうとする態度。 自分たちの所だけ、テレビ広告をおこなうことで売ろうとする態度。 インテリア館なんてのも、その頃、浜松と栃木県とにだけ、ありました。
そういった状況を考えると、近藤まさお さんが「通算契約棟数 全国1位」なんて言っても、それは、明らかに八百長! いかさま! と言わざるをえません。
しかし、私は、近藤まさお さんについては、営業としては、比較的評価していたのです。 それは、「通算契約棟数」なんてものは、それは八百長、いかさまであるのは明らかですが、しかし、私は営業の能力を判断するのに、「通算契約棟数」とか「過去3年間の契約棟数」「前年契約棟数」とかそういった数字だけで判断するのではなく、その人がどういうことを言うか、その人が営業としてどういう動き方をするか、といったことと数字との両方を合わせて判断するようにしてきました。 たとえば、1998年に、栃木県佐野市の営業所に赴任した時に、佐野市の営業所にいたK岡くん(男。当時、40代前半)などは、その頃、在籍年数は6年半ほどの私の半分くらいの在籍年数、ですから、3年ほどでしたが、「営業の姿勢や発言する内容と比較して、通算契約棟数がどう考えても多すぎる」と思いました。 それは、彼が入社してすぐの時期は、佐野展示場は相当状態が良かったようで、その時に数字を稼いだようです。彼は、その時、前年契約棟数ゼロ棟でしたが、前年、ゼロ棟のわりにその自覚がない。営業姿勢が甘い。うまくいかなかった時、客のせいにする。その他、彼の営業としての動き方や発言する内容から考えて残っている数字が多すぎた。その人の営業としての動き方、営業についてどういう発言をするかという点と残っている数字と合わせてその人の営業力を判断するというのは、間違っていないと私は思っています。その点で、私は近藤まさお さんの「通算契約棟数全国1位」という棟数の方はあんまり信用していませんが、しかし、研修に講師役で来た時に彼が話した内容については、すでに述べてきたように私は高く評価していたし、「静岡県西部・愛知県地域の一条オリジナル営業の中では比較的まともな方」という評価をしていたのです。
ですから、近藤まさお さんの「通算契約棟数全国1位」についてはいかさま、と評価しましたが、しかし、それは別として、営業としては評価していたし、ある程度以上、評価していいのではないかと私は思っていたのです。 しかし、たとえ、営業として営業能力についてはある程度以上評価するとしても、だからと言って、ひとの「信教の自由」を侵害していいというものではないのは明らかです。 それを「嫌だと言っても絶対に強制的に参加してもらうからな」とか、こちらとしては、「座禅研修」と称する深奥山方広寺の「青壮年研修所」のあまり賢明とは言えない、宗教というものについての基礎がわかっていないボーズどもによる勝手な「研修」への参加の強制は、とうてい許されるものではありません。
但し、当初、「座禅研修」という名目だったのです。 座禅というものは、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗といった仏教の中でも禅宗の宗派でおこなうものという印象がありますが、もともとは、心を落ち着け、体を整える健康法としてインドで考えられたものであり、日本では禅宗の寺でおこなっていても、特に、仏教と関係なく、おこなっても悪いものではありませんし、キリスト教徒・イスラム教徒が座禅をおこなって悪いことはないはずなのです。 ですから、たとえ、座禅は禅宗や仏教に固有のものではなく、禅宗の宗派の信者でなくても、仏教徒でなくてもおこなってよいものであるとしても、それでも、「寺」でおこなうものについては、決して強制するようなことはあってはならないし、又、それらは、会社がおこなうべきものではないはずであり、(株)一条工務店が、自社の建物についての内容を従業員に周知させるための研修とか、営業能力を向上させるための研修とかであれば、業務命令として参加を求めることはできても、たとえ、座禅というものが、健康法としていかにすばらしいものであったとしても、たとえ、会社として企画したとしても、それへの参加は自由参加とするべきもので、業務命令として参加を求めることはできないし、求めてはならないもののはずでした。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」のボーズはそのあたりを理解できていない人間のようでしたが、まず、その「青壮年研修所」の「所長」の男こそ、このあたりについての「研修」をどこかで受けて、社会人としてのまともな社会常識を身につける必要があります。
本来ならば、そのような「信教の自由の侵害」である「研修」への参加は拒否するのが日本国民としての義務であり、何ら抵抗することなく参加する者は、それは「スト破り」とでもいうべき卑怯者・裏切者の態度です。 しかし、近藤まさお さんが、あまりにも強く要求するので、私としては、できる限り、会社ともめたくない、他の従業員とももめたくない、遠州人とももめたくない、という気持ちから、「座禅」という健康法の研修なら、まあ、許容してもいいだろうということにしたのです。本来なら、根源的な理屈から考えるならば、たとえ、それでも参加するべきではありませんし、拒否するのは日本国民の義務ですが、もめたくないという気持ちから、踏絵を踏んだのです。
ところが、参加すると、そこに行くまでには聞いていなかった、「人間には9つの性格というものがある」とかいう「心理学もどき」の講座に参加させられ、さらには、「心理テスト」まで受けさせられてしまった。 もっとも、その「心理テスト」は、「自分に強くあてはまると思われる項目にチャックしてください」と言われたので、私は「強くあてはまる」ものにチェックするべく、検討すると、「強く」はあてはまらないと思えるものばかりで、そのうち、「強くあてはまる」ものがあるのだろうと思って待っていたら、結局、「強くあてはまる」ものは1つもないままで、質問項目は終わってしまいました。 私は、そういう「心理テスト」というものを受けさせられたくないのです。そういう「心理テスト」というものを受けさせられる筋合いはないのです。 これは、私は、もともと、心理学・心身医学・精神医学を学ぼうという者であって、学びかけたところ、どうも、現在の「心理学」「精神医学」は胡散臭いということに気づいたのです。そういう「心理学」「精神医学」の胡散臭さに気づかないことから、そういう「心理学もどき」の講師やっているような人というのも、世の中にはいます。深奥山方広寺の「座禅研修」に来ていた人もそれでしょう。「心理テスト」というのを答えてくださいと「講師」というにいちゃんが言い出した時、私は、その日の朝、来ていた(株)一条工務店の人事教育部署の人間を探したのです。私はそういうものを受けさせられるという話は聞いていませんよ、そういものを従業員に本人の意志を無視して受けさせるというのは、それは人権侵害ですよ、と指摘するつもりで探したのですが、見当たらなかったのです。しかたなしに、浜松の本社にその部署の人間がいるはずですので、それで、公衆電話を探したのですが、それも見当たらなかったのです。 それで、やむなく、受けさせられてしまいました。 そういう人をだます方法により、「心理テスト」を受けさせたりするという、そういういやり口は「フェアではない」ものであり、深奥山方広寺は、そのあたりを見ても、質のいい寺とは言えません。
そして、般若心経を配布し、それについての講釈を「青壮年研修所」の「所長」が始めたりしましたが、そういうものは、本人の意思を無視しておこなっていいものではないはずなのです。
さらに、あきれたことに、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」だと称するボーズは、「これから、皆さんでお守りを作ろうと思います。 普通、お守りは授与所で、拝まれたものを購入しますが、今回はそうではなく、皆さんが自分で自分のお守りを半僧坊に拝んだ上で持っていただくということにします」と言い出したのです。 まず、仏教関係でも、「お経」というのは、もともとは、ひとつの本です。 『歎異抄』ですとか、このブログでも引用した『正法眼蔵随聞記』ですとか、そういうものは、「ひとつの本」として読もうと思う人が読むのはけっこうだと思います。「般若心経」もそうです。しかし、「お守り」というのは、それは本来の仏教とは必ずしも結びつきませんし、それは「現世利益」志向のものであるとともに、霊的な性質のもので、当然のことながら、本人の意思を無視して持たせるようなことがあってはなりませんし、ましてや、本人の意思を無視して、「自分自身で半僧坊に拝んでお守りを作る」などということは絶対におこなわれてはならないことです。「半僧坊」にしても、本来の仏教にそういうものはありません。道元、あるいは、親鸞が、今、生きておれば、当然、それらを肯定しないでしょう。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」というボーズは、こういった宗教の基礎の基礎、基本の基本、基本の「き」が理解できていない非常識な男でした。 思い上がりも甚だしい。あの男、一度、頭を剃って出直したどうか・・・といっても、すでに頭は剃っていたのですが、ひとに「研修」しようとするよりも、自分自身が「研修」される必要があります。
私は、寺や神社を訪問するのは好きなのですが、「おみくじ」というものはひかないことにしています。 まず、基本的には、寺や神社というものは、建築の仕事をしていますと、寺や神社の建築というものを無視するわけにいきませんので、まったく行かないというわけにもいきません。 宗教施設である以上、その宗教というものがどういうものかという理解をせずに、工学的性質だけを考えるというわけにもいきません。 又、寺や神社というものは、庭園がよくできていたり、自然環境が良かったりする場合もあります。 「おみくじ」なんて、特に信じてもいなかったのですが、おみくじは、たとえば、「辛抱して続ければ願いはいつかはかなう」とか、「あきらめずに努力すれば報われる」とか、当たり前といえば当たり前みたいだけれども、その文句を信じたいと思う人が読んで信じたとして、特に害はない文句が書かれているものだろうと思っていたのですが、1990年代の終わり、栃木県の岩倉町の岩倉地蔵尊でだったように思うのですが、そこで、何気なしに引いたおみくじの文句が、何であったかもう忘れてしまいましたが、その時の私にとって受け入れがたい文句であったということがあり、それ以来、おみくじは、引かないことにしました。
「お守り」というのは、私が浪人中に、父の勤め先の部下の人Mさんが「拝み屋さん」を父に紹介し、その人が、父「これを息子さんに持たせなさい」と言って渡したということがあり、神社でも寺でも、本人が、何かいいことあったらいいけれど・・・と思って「幸せ守り」を購入する、いい人とめぐりあえますようにと思って「恋愛成就のお守り」を購入する、入学試験に向けてせいいっぱい努力したが、最後の気持ちとして「合格祈願のお守り」を購入する、というのは、それは本人が購入して持ちたいと思って持つのはいいと思いますが、本人が希望していないのに、これを持ちなさいと本人以外の人間が気が進まない人間に持たせるものではないはずで、私が希望していないどういう性質の人間かわからない拝み屋さんの「お守り」を持たされるというのが実に嫌でした。 本人が希望していないような「お守り」は、そのお守りそのものがいいものであるかどうかにかかわらず、本人が希望していないものであるという点において、好ましいものではないと考えるべきです。
私は、本来ならば、「座禅研修」でも参加を強制される筋合いはないし、日本国民として本来ならば参加は拒否する義務があるものですが、勤め先の会社の(株)一条工務店が「未成熟」な会社であり、本来ならば営業所長にはならないような人が営業所長になっている会社ですので、そういう人ともつきあっていかないといけないし、そういう人はきっちりと説明してあげても理解できない人がおり、説明してあげると怒る人もいますし、会社としてはそんな人でも使ってあげないといけませんので、それで、「座禅研修」の範囲まではやむをえず踏絵を踏むことにしましたが、だからと言って、「お守り」などというものまでは、いくらなんでも、作らされるわけにはいきませんし、また、単に授与所で買ってかえるのではなく、半僧坊真殿に行って半僧坊さまに拝んでもらいますと深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」は言うのですが、そこまでやっては、これは神の戒めに反するものであり、とうてい許されることではありません。
それで、私は、「青壮年研修所」の「所長」と若い坊さんと引退後のおじいさんの坊さんの3人が担当していたうちの、おじいさんの坊さんに話したのです。 「私は、この近所に住んでいるわけではなく、お守りを持っても、普通、お守りというものは1年くらい持てば、それをお返しするもののはずですが、お返しにここに来ようと思っても来れない可能性がありますので、この『お守りを作る』というのは、遠慮させていただきたいと思うのです」と、そういう言い回しにより、婉曲表現によって、「お守りを作る」「有無を言わさず、(株)一条工務店の従業員にその人間がどういう宗教の信者であるかないかにかかわらず、半僧坊への信仰を強制する」という行為をお断りしたい、と述べたのです。 ところが、般若心経を書いた紙は、「どうしても欲しいという方は持ち帰っていただいてもかまいませんが、そうでなければ、持ち帰っても粗末にいたしますので、お返しください」と言って、般若心経を書いた紙については返却を求めたおじいさんの坊さんが、私が、「お守りを作っても粗末にするとよくありませんから」と言っているのに、「それは難しく考えていただく必要はありません。 もしも、1年後にお守りを返したいと言う事に成った時には、近所のお寺に持って行ってもらえがいいですから」とそう言うのです。十分、わかるように話したはずですが、深奥山方広寺のボーズは理解しないのです。 私は、近所の寺に持って行くとか持って行かないとかそんな話をしているのではないのです。 持ちたくもない「お守り」を自分の意思に反して持たされるのはお断りしたいと言っているのです。 半僧坊を拝むという行為は、拝みたいと思う人が拝むのはかまわないけれども、それは明らかに宗教儀式であり、人は誰しも、自分が望まない宗教の儀式に参加させられることはないものであり、決して、本人が望まない宗教儀式への参加を強制してはならないものであり、そういう行為はさせられたくない、と言っているのです。 ところが、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」もおじいさんの坊さんも、絶対にそれを理解しようとしないのです。 言っても言っても、絶対に理解しようとしない。
彼らは明らかに宗教者としては最低のレベルより落ちてしまっています。 宗教者であれば、「信教の自由」は守られないといけない、本人が望まない宗教儀式への参加を決して強制してはならない、強制されてはならにと認識するはずなのです。 それを認識できていないし認識しようとしない。 深奥山方広寺は、仏教と言うに値しない。 深奥山方広寺は宗教としても最低のレベル以下の宗教であり、「信教の自由」という国民の最も大事な人権を侵害する反社会的勢力である。
半僧坊がいいとか悪いとかいう問題ではないのです。 半僧坊への信仰を本人の意思を土足で踏みにじって強制するという深奥山方広寺とそこのボーズども、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」ら、自分たちこそ「研修」される必要がある愚か者どもの宗教を冒涜する態度が許せないのです。
私が、お断りしてもおかまいなしに、「自分自身で拝んでお守りを作る」という作業をさせるために、「半僧坊へ行きましょう」と言って行かされたのが、↑の半僧坊 真殿 であったはずです。 ↑は、宗教を冒涜する施設であることになります。 もし、真面目な宗教者であるならば、本人の意思を無視して、本人が信仰していない神を拝ませる行為を強制するようなことはしないはずです。 ところが、深奥山方広寺のボーズども、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」だというボーズはそれをさせようという強い強い意志を持っているのです。相当悪質です。 彼らは宗教者ではありません。彼らは宗教者と呼ぶ価値はありません。彼らは仏教徒ではありません。彼らはホトケの教えを土足で踏みにじる仏法の敵です。
明智憲三郎 原案・藤堂裕 漫画『信長を殺した男 1』(2017.6.1.秋田書店)では、比叡山延暦寺の横暴・非行を許しがたいと思った明智光秀は、織田信長に比叡山延暦寺の「焼き討ち」を進言した、ということになっています。 深奥山方広寺では、明治の時代に火災で焼けた建物がけっこうあったようですが、もしかして、この「寺」は仏教と呼ぶに値しない、この「寺」は仏教の敵である。 この「寺」はホトケの道に反する存在である、と認識して、「焼き討ち」を試みた人がいたのでしょうか。 もし、「焼き討ち」を実行しようとしても、うまく火がつくかどうかわかりませんし、うまく火がついたなら、放火の罪に問われることになってしまいますから、だから、「焼き討ち」にしてやる必要があると思っても、そう簡単に実行はできません。 しかし、「焼き討ち」にしてやりたいと思う人がいたとすれば、その気持ちは大いにもっともなものであり、人間の最も重要な権利である「信教の自由」を土足で踏みにじらないとおれない深奥山方広寺は、宗教の施設ではなく宗教を冒涜する施設であり、反社会的勢力であり、「焼き討ち」を試みる者と、宗教を冒涜する深奥山方広寺とでは、宗教を冒涜する深奥山方広寺の方が、より悪質であるのは間違いないことです。
次回、「七尊堂」と「稲荷社」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
(2017.7.9.)
お寺に参拝する場合、総門をくぐり、山門をくぐったら、鐘楼の所を通り、手水舎で両手と口をすすいで本堂に参拝、というのが基本的な進路で、その後、本堂以外を訪ねることになると思います。 その点で、深奥山方広寺が「方広寺・半僧坊 拝観コース」として矢印で地図に指定している順路は、もしも、正月か何かそういう時にもんのすごく混んでいるという時があって、「順路」として決めた経路の順番にまわってもらわないと進めないというような事情があるとか、何かそういうことがないならば、総門としての黒門をくぐった後、赤い山門をくぐり、その後、鐘楼・本堂の方へ向かうのではなく、先に、椎河龍王へ行き、三重塔へ行き、七尊堂へ行き、半僧坊へ行き、それから本堂というのは、本来の寺の参拝順路とは異なるように思います。
で、とりあえず、前回、本堂とその背後の上天台舎利殿、本堂の脇の観音堂をとりあげましたので、今回は、本堂の左隣の開山堂について述べます。
「開基」と「開山」はどう違うかというと、「開基」はその寺を造るための費用を出した人で、「開山」はその寺の最初の坊さん、ということみたい。 深奥山方広寺では、奥山さんというこの地の豪族が「開基」で、無文元選という建仁寺で出家したという、後醍醐天皇の皇子だとされているけれども、南北朝の争乱の時、後醍醐天皇は自分の皇子を各地に派遣して各地の豪族の支持をとりつけようとし、そして、南朝・大覚寺統の側では、楠木正行などは、後醍醐天皇の息子でも親戚でもないにもかかわらず、命をかけて戦っていたまさにそういう時に、「出家」したり中国にお勉強に行ったりというのは、なんだか・・・、ちょっと、勝手ちゃうのん? て感じがしないでもないのですが、本当に後醍醐の息子だったのか? 後醍醐が崩御した翌年に京都の建仁寺で出家したというが、その頃の京都と言えば、足利・北朝・持明院統が支配していた土地であり、南朝・大覚寺統の皇子がそんな所で出家できたのか? とか疑問に感じるところが出てきたりもします・・・・が、とりあえず、その無文元選さんが「開山」ですから、無文元選さんを祀っているのでしょう。↓
〔↑(手前)勅使門。 (奥)開山堂。〕
〔↑ 本堂から見た開山堂 〕
〔↑ 半僧坊 真殿の前から見た 開山堂 〕
ところで、ちょっとばかし、疑問を感じませんか? なぜ、「勅使門」がこの位置にあるのか?・・・・と。 「勅使」というのは、天皇へーか のお使いのことですよね。 ですから、そういう門というのは、ちょっとばかし、ゴージャスにできているのが普通で、私らのような、「び~んぼうやからな」の「日陰の月見草」はそういう門は通らせてもらえないのが普通です。 ま、別に通らせてもらわなくてもいいですけれども、ね。
20歳の時でしたが、父が、大阪の宗衛門町の「高級料亭」のHに連れて行ってやると言うので、別に行きたくないと言ってもきかないので、しかたなしに行ったところ、「この店はなあ、わしのようなエライえらいエライえらい人間だけが入ることを許される店でなあ、あんたみたいなもん、ここに来て、食べさせてくださいなんて言おうものなら、つまみだされるぞお~お。 わかっとんのんか。おまえなんか、この店には入ってはならんねんぞ。この店はわしのようなエライ人間だけが立ち入ることを許される店やねんぞ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか」と何度も何度も言うので、別に、そんな感じの悪い店なんて、入りたくもないわ・・・・と思ったことがありました。 船場吉兆とか、そういう類の店、いわゆる「高級料亭」とかいうのは、たいてい、「そんなもん」なのでしょうね。 「ここは、エライえらいエライえらい人だけが入ることを許された店やねんぞ」ということにしてあげれば、そこで出す料理なんて、賞味期限切れでも犬の肉でもミミズでも段ボールでも何でも、大喜びするような、そういう人の店なのでしょう。 そんなもんで、「勅使門」なんてのも、別にそんな所を通りたいとも思いませんが、とりあえず、「やんごとないお方」の使者が通るから「勅使門」のはずです・・・・けれども、普通、勅使門て、開山堂の前にあるものではなく、お寺そのものに入る入口がいくつかあって、そのうちの1つが「勅使門」となっていませんか? この位置の勅使門て、なんか変・・・・て思いません?
推測するに、普通、勅使門というのは、その寺に入る入口をいくつか設ける際に、その1つとして他の入口より豪華な造りで作るのがもので、京都の曼殊院なんかでは勅使門に紫の布がかかっていたと思います。 紫というのは、ルキノ=ヴィスコンティ監督のイタリア映画の『ロッコとその兄弟』(日本では『若者のすべて』)で、ボクサーとしてデビューした5人兄弟の2人目が紫色のトランクスを着用すると、先輩のボクサーが、紫の色を「チャンピオンか女の色だ」と話す場面があったと思いますが、紫という色は、たしかに、最高位を示すか、もしくは女性の色として使われることが多い色で、使い方によっては美しいものの、失敗する危険性も他の色よりも大きい色だと思います。 深奥山方広寺では勅使門に紫の布はかかっていませんが、全体の雰囲気は他の建物よりゴージャスな雰囲気を漂わせています。 本来なら、寺に入るという所に設けたいところだったのでしょう。
しかし、深奥山方広寺というのは、大阪府箕面市の箕面山滝安寺とか千葉県の鋸山日本寺なんかと同じように、山岳系の寺です。 街中の寺と違って、山岳系の寺というのは、いったい、どこからどこまでが寺の敷地か、今は登記簿に記載があるかもしれませんが、もともと、そんなもの、どこからどこまでなんて、はっきりしていないわけです。 大阪府箕面市の箕面山滝安寺なんてのは、滝安寺と名称に「滝」とつくように、もともと、箕面大滝のそばにあったという話があり、箕面大滝の所で、役行者が修行をして、弁財天の助けを得て悟りを開いたという話の寺ですが、そういう話があるなら箕面大滝も滝安寺の敷地であるべきなのかというと、滝で修行したい人間なんて他にもいたかもしれないわけで、ともかく、滝で修行したからそこはわしのもん! なんて主張しても、人が認めてくれるという保証はないわけです。 千葉県の鋸山なんて、南側は日本寺でも、北側は今はハイキングコースであり、西側からはロープウェイがついているわけで、いったいどこからどこまでが寺なのかなんて、はっきりしないわけです。 深奥山方広寺にしても、どこからどこまでが寺の敷地と考えるべきか、というのは難しいわけで、どうも、この寺は権力寄りの姿勢をとることによって、広めの敷地を確保したのとちゃうのんかいなあという印象があるのですが、それにしても、どこからどこまでというのは判断が難しいのです。 だから、勅使門というのを設けようと思っても、どこに設けたものか、設ける場所に困ったのではないでしょうか。 総門から山門を経て本堂に至る道というのは、谷間ですから、広くありませんし、山門の隣に作っても、なんか、たいして格好よくありませんし。 それでも、勅使門を造りたいと思う人があったのではないでしょうか。
もしも、本堂の前が相当広くて、かつ、本堂の正面に本堂の入口らしい入口があったなら、勅使門は本堂の前あたりに作ったのではないかと思いますが、何分、ここの本堂は前がそれほど広くない。 しかも、ここの本堂は、いったい、どこから入るものなのか、前の入口には地面からどうやって登るのか定かではない。 そういう本堂の前に勅使門を造っても、なんか変、ということで。 かつ、半僧坊はけっこう大衆的になっているので、半僧坊の前に造るわけにもいかない、ということで、勅使門を造るなら開山堂の前に、ということになったのではないでしょうか。 なんか、無理無理作ったみたいな勅使門ですが、権力寄りの寺としては、勅使門を作りたかったということと違いますか。
拝観受付でもらった由緒書には、≪ 開山 円明大師の尊像を安置し左右両壇には歴代天皇の尊牌を奉安しています。≫と書かれている。天皇の位牌を「奉安している」ということから、ここに勅使門がある論拠になるのでしょうけれども、それにしても、普通、勅使門というのは、外界と寺との境目の位置に造る方が普通と違いますか。 ≪開山 円明大師の尊像を・・・≫て、円明大師は無文元選とは違うのかというと、《ウィキペディア―無文元選》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%85%83%E9%81%B8 には、≪勅諡号は聖鑑国師・円明大師。≫と出ており、無文元選(むもんげんせん)と円明大師とは同一人物のようです。 もうひとつ、今は、開山堂に、本堂から渡り廊下を通って入ることができるのですが、それは本来の経路ではないと思うのです。本来、こういうお堂は正面から参拝するのが基本のはずですが、その際、勅使は勅使門から通るとして、勅使でない者の通る経路てどこなんですか? 普通、寺には、勅使門がある場合、勅使門とそうでない門があるものですが、開山堂について、勅使門でない門てどこか? ないのと違いますか。そのあたりが、どうも変。
いよいよ、です。開山堂の左に位置するのが、一番人気の半僧坊です。半分は僧で、半分は妖怪・小人・天狗・海坊主・妖精・・・? もしかして、ムーミン? というのが、半僧坊らしい。なんか、半分だけ妖怪で半分は人間の血がまざっているて、それ、ネズミ男みたい・・・・。 水木しげるの『墓場鬼太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』では、「まったく、ネズミ男というのは、あいつは半分人間の血がまざっているからろくなことをしない」と言われます。 鬼太郎にしても、普段は、「払えるカネがないんだが」という場面で、「鬼太郎さんならタダよお」、「え、鬼太郎というのは、人間のために命がけで妖怪と戦って、カネもとらんのか?」「アホやな」・・・とか言われ、「とりあえず、鬼太郎に頼もう。なにしろ、鬼太郎はタダやからな」とか言われるようなことをやっている鬼太郎が妖怪との戦いで傷ついて輸血が必要だという時に、妖怪の血がないからということで人間の血を輸血すると、とたんに、「人間のために、妖怪と戦っていいことあんのかあ~あ」とか言い出すようになったりします。 半分人間てのは、すべて妖怪に比べて、根性が座っていないみたい。
その半分は妖怪で半分は人間という半僧坊というのが、なかなかの人気。 というのか、山岳系の禅寺では、けっこうそういうのが祀られていますよね。 村上重良『日本の宗教』(1981.3.20.岩波ジュニア新書)には、≪ (江戸時代)、曹洞宗では、永平寺と総持寺は二大本山として抗争をつづけましたが、天狗になったとされる道了薩埵(どうりょうさった)(道了尊 どうりょうそん)をまつる相模国の最乗寺(さいじょうじ)、現世利益信仰をあつめた三河国の豊川稲荷(妙厳寺)などが栄えました。・・・≫と出ていますが、最乗寺の道了尊とか、豊川稲荷の稲荷とか、曹洞宗というの開祖の道元は、日本の仏教の中では、もっとも本来的な仏教であったはずで、天狗とか稲荷とかとは本来は縁がなかったはずではあるのですが、曹洞宗は道元の死後に宗派を拡張していくために、そういう天狗とか稲荷とかとのコラボレーションに力を入れたようで、曹洞宗の寺はそういう妖怪系と手を組んでいるケースが少なくないみたいです。臨済宗は曹洞宗に比べると、権力志向で、京都五山とか鎌倉五山とか、あるいは、甲府五山とかいったように、臨済宗の寺は武家の支配者と手を組むことが多かったことから、曹洞宗のように、妖怪とのコラボで民衆の人気を獲得しようとする必要はなかったはずですが、深奥山方広寺の場合は、開基の奥山さんは徳川家の家臣の井伊家と縁戚関係を結んだとはいえ、井伊家そのものではなかったわけですし、井伊家といっても徳川の陪臣であって徳川家そのものではなかったわけで、「しょせんは田舎の豪族」というような言い方をすると、遠州人は怒るかもしれませんが、それほど、強力な豪族ではなかったのかもしれない。 又、何宗かとは別に、「山岳系」ですから、その点で、そういう天狗とか稲荷とか龍王とかとのコラボをやる傾向があったのかもしれません。
〔 ↑ 半僧坊 真殿。 〕
〔 ↑ 半僧坊 真殿。 左手から見たもの。 〕
〔 ↑ 半僧坊 真殿 の彫刻 〕
( ↑ 半僧坊 真殿 )
半僧坊 真殿の左脇から山を少し登った所に、奥の院があるらしいのですが、今回は時間がなく行けませんでした。 「マムシに注意」なんて書かれています。 マムシは勘弁してほしいですね。ましてや、熊なんて、出ないだろうな・・・・・。
( ↑ 半僧坊 真殿の左脇から登る 奥の院への道 )
半僧坊は、鎌倉五山第1位の建長寺でも、その奥に祀られています。 建長寺の場合、半僧坊を祀るお堂は最も山の高い所にあって、そこから裏手の山はハイキングコースになっています。 建長寺では、半僧坊の裏手辺りまで行くと、リスを見かけることがありますが、ロンドンのハイドパークのリスは人を見ると近寄ってきますが、鎌倉のリスは人を見ると逃げます。
さて。 1998年、(株)一条工務店では、掛川営業所の所長として勤めてきた近藤雅雄(正雄? 正夫?)が、営業部長になったとかで、「座禅研修」なるものを従業員に強制しようとしたのです。 「しようとした」ではありません。 「強制した」のです。 私は、近藤から、はっきりと、「座禅研修にも、強制的に絶対に参加してもらうからな」と言われたのです。 なんとも、思いあがった傲慢な男です。
近藤雅雄(正雄? 正夫?)が「通算契約棟数 全国1位」ということになっていたのは、それは明らかに八百長です。 近藤まさおがいた、静岡県掛川市を含む遠州地方は、私が入社した1992年頃、(株)一条工務店の主力であった「セゾン275S1」は、東京都では坪55万円で売らされていたものを、坪48万円でダンピング販売していたのです。経済学上の「需要曲線」を考えてみてください。 同じものを高い値段で売るのと安い値段で売るのと、どちらが売りやすいか、どちらが売りにくいか、考えてみてください。 かつ、東京や千葉・埼玉・神奈川などではテレビ広告は一切やっていなかったのに対して、静岡県西部・愛知県ではドカンドカンとテレビ広告をやっていたのです。 そして、掛川を含む静岡県西部では「地元の会社」という「売り」があった。 近藤まさお が、少々、多く売ったとしても、そんなものは、東京や千葉やで営業やっていた人間との比較で言うのならば、それは、ラグビーの得点と野球の得点を比較しているようなものです。ラグビーやっている人間が野球やっている人間よりも多く得点したからといって、それが何だというのです。当たり前のことじゃないですか。
「工場見学会」をやるための工場も浜松にありましたし。一条工務店の家は静岡県西部・愛知県向けに作られた商品でしたし、ね。1992年に私が入社した時、東京営業所では、「工場見学会」を新幹線で浜松まで見込客を連れて行っていたのです。これは、地元に見せるための工場がある浜松の営業に比べて、その分だけ不利であるのは間違いなかったのです。 営業成績の評価においては、その分を補正して考えてもらわないとたまりません。 ところが、中途入社の新入社員研修が浜松の本社で2回あった際、同時期に入社した浜松の営業の秋なんとか(当時、30代)が、私に、「東京の営業は、新幹線で浜松までお客さんを連れて行ってるなんて、電車賃がもったいないのと違いますか。 新幹線代を出して、ほとんどのお客さんが契約になってるんですか。 どうして、そんなもったいないことするんですか」と文句を言って来たのです。こいつ、いったい、何を言ってるんだ、と思いました。 浜松の営業こそ、自分たちの所に「見せるための工場」を作って利用していたのであり、東京の営業が見込客を新幹線で浜松に連れていっていたとしても、その新幹線代は「東京の見込客と東京の営業が使った」のではなく、浜松に工場がなく東京圏に工場があったならば、浜松の見込客と浜松の営業が新幹線代を使ったところであり、浜松の営業が新幹線代を使っていないのとは意味は違うのです。 浜松の営業というのは、なんともどあつかましい人間だなとあきれました。
1992年、私が入社した時、中途入社の新入社員研修が、浜松で2回ありましたが、その2回とも遅刻してきた男が1人だけいました。 東京の営業は東京から東海道新幹線で浜松まで行きましたが、東北方面の営業は東北新幹線で東京まで来て東京で東海道新幹線に乗りかえて浜松まで行っていました。 九州から来ていた人間もいました。 それらの人間は浜松で泊まって研修に参加しますから宿泊用の衣類なども準備して来ています。それに対して、↑の浜松の秋なんとかいう男(当時、30代なかば)は、自宅から研修会場に通えたのです。 その男、1人だけが、2回とも遅刻してきたのです。 普通、遅刻してきたら、入室する際に、「すいません。遅れました」くらい言うものではないかと思いますが、その浜松の営業の秋なんとかは黙って入ってきました。2回とも。 何、こいつ! と思いましたが、浜松の営業というのは、「そんなもの」のようです。 遅刻してきて、遠くから来ている営業が早めに来て待っていても、「すいません」とも言いませんでした。遠くから来る者が遅れないように気を配って来ているのに一番近い所から来る者が2回とも遅刻してくるというのは失礼ですし、そのあたりに気づくことができないというのは営業としてマイナスの評価を受けるのは当然ですが、そういう男でした。本来、研修に遅刻してきた者が黙って入室して着席しようとしたならば、講師役の人間は「◇◇さん、遅刻してきたのなら、『すいません。遅れました』くらい、言ったらどうですか」くらい言うべきではないかと思ったのですが、なぜか、講師役の人間は、そういう言葉はまったく口にせず、むしろ、その秋なんとかを理由もなく持ち上げようとしたということがありました。 彼がひとりだけ遅刻したおかげで、「まだ、全員、そろっていませんね」と講師役の人間が言って、すでに研修開始時刻を過ぎているのに、遠くから来ている人間何人もが待たされたのですから、彼は、自分の席の周囲の人間にだけでも、「すいませんでした」くらい言うのが普通ではないかと思ったのですが、彼は「すいませんでした」も何も言わず、ふんぞり返っていた。遠州人全般がそういうものかどうかはわからないが、「一条工務店の遠州人」にはそういう人間が多いというのは間違いないことである。「一条工務店の遠州人」「一条工務店の静岡県西部・愛知県の営業」はそれ以外の地域に対して自分たちは特権があるのが当然という意識を持っていた。
近藤まさお さんは「所長」になっていたわけで、(株)一条工務店の「所長」というのは、一般の営業が苦労してひねりだした有望見込客を横取りするのが常と言われてきたのです。 普通、「所長」なら、一般の営業が苦労してひねりだした有望見込客なら、それをその営業が契約に結びつけることができるように協力するものではないのか、と思うのですが、(株)一条工務店の「所長」は人にもよるようですが、そうではないようです。 いわば、「所長」というのは、トランプの大貧民ゲームの「大富豪」、一般の営業から有望見込客を2枚横取りした上でゲームをするような立場であったのです。 トランプの大貧民ゲームでは、自分が「大富豪」である時に勝てるかどうかと「大貧民」である時に勝てるかどうかでは、全体として見ると、「大富豪」の時の方が勝ちやすいのは間違いないのですが、このゲームの面白いところとして、「大富豪」と言えども常に絶対に勝てるわけではなく、負ける時だってあるわけで、いったん、負けると次は「大富豪」ではなくなるのです。だから、「大富豪」である時に勝ちやすいかどうかと「大貧民」である時に勝ちやすいかどうかを比較すると、「大富豪」である時の方が勝ちやすいのは間違いないとしても、永遠に「大富豪」であるわけではなく「大富豪」が「大貧民」になることだってあるので、だから、ゲームの参加者は不公平ではないのです。 ところが、(株)一条工務店では違います。(株)一条工務店では「営業所長」というのは、常に「大富豪」なのです。 近藤まさお は、「大富豪」として「大貧民」「貧民」「平民」よりも有利な条件で営業をしてきたはずなのです。 それで、「大富豪」の立場で仕事をした者が「大貧民」「貧民」「平民」として仕事をした者より多くの契約をあげた、としても、だから、何なの? てことになります。
(株)一条工務店の静岡県西部・愛知県の営業は卑怯です。 自分たちの所の価格を他よりも安く設定することで売ろうとする態度。 自分たちの所だけ、テレビ広告をおこなうことで売ろうとする態度。 インテリア館なんてのも、その頃、浜松と栃木県とにだけ、ありました。
そういった状況を考えると、近藤まさお さんが「通算契約棟数 全国1位」なんて言っても、それは、明らかに八百長! いかさま! と言わざるをえません。
しかし、私は、近藤まさお さんについては、営業としては、比較的評価していたのです。 それは、「通算契約棟数」なんてものは、それは八百長、いかさまであるのは明らかですが、しかし、私は営業の能力を判断するのに、「通算契約棟数」とか「過去3年間の契約棟数」「前年契約棟数」とかそういった数字だけで判断するのではなく、その人がどういうことを言うか、その人が営業としてどういう動き方をするか、といったことと数字との両方を合わせて判断するようにしてきました。 たとえば、1998年に、栃木県佐野市の営業所に赴任した時に、佐野市の営業所にいたK岡くん(男。当時、40代前半)などは、その頃、在籍年数は6年半ほどの私の半分くらいの在籍年数、ですから、3年ほどでしたが、「営業の姿勢や発言する内容と比較して、通算契約棟数がどう考えても多すぎる」と思いました。 それは、彼が入社してすぐの時期は、佐野展示場は相当状態が良かったようで、その時に数字を稼いだようです。彼は、その時、前年契約棟数ゼロ棟でしたが、前年、ゼロ棟のわりにその自覚がない。営業姿勢が甘い。うまくいかなかった時、客のせいにする。その他、彼の営業としての動き方や発言する内容から考えて残っている数字が多すぎた。その人の営業としての動き方、営業についてどういう発言をするかという点と残っている数字と合わせてその人の営業力を判断するというのは、間違っていないと私は思っています。その点で、私は近藤まさお さんの「通算契約棟数全国1位」という棟数の方はあんまり信用していませんが、しかし、研修に講師役で来た時に彼が話した内容については、すでに述べてきたように私は高く評価していたし、「静岡県西部・愛知県地域の一条オリジナル営業の中では比較的まともな方」という評価をしていたのです。
ですから、近藤まさお さんの「通算契約棟数全国1位」についてはいかさま、と評価しましたが、しかし、それは別として、営業としては評価していたし、ある程度以上、評価していいのではないかと私は思っていたのです。 しかし、たとえ、営業として営業能力についてはある程度以上評価するとしても、だからと言って、ひとの「信教の自由」を侵害していいというものではないのは明らかです。 それを「嫌だと言っても絶対に強制的に参加してもらうからな」とか、こちらとしては、「座禅研修」と称する深奥山方広寺の「青壮年研修所」のあまり賢明とは言えない、宗教というものについての基礎がわかっていないボーズどもによる勝手な「研修」への参加の強制は、とうてい許されるものではありません。
但し、当初、「座禅研修」という名目だったのです。 座禅というものは、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗といった仏教の中でも禅宗の宗派でおこなうものという印象がありますが、もともとは、心を落ち着け、体を整える健康法としてインドで考えられたものであり、日本では禅宗の寺でおこなっていても、特に、仏教と関係なく、おこなっても悪いものではありませんし、キリスト教徒・イスラム教徒が座禅をおこなって悪いことはないはずなのです。 ですから、たとえ、座禅は禅宗や仏教に固有のものではなく、禅宗の宗派の信者でなくても、仏教徒でなくてもおこなってよいものであるとしても、それでも、「寺」でおこなうものについては、決して強制するようなことはあってはならないし、又、それらは、会社がおこなうべきものではないはずであり、(株)一条工務店が、自社の建物についての内容を従業員に周知させるための研修とか、営業能力を向上させるための研修とかであれば、業務命令として参加を求めることはできても、たとえ、座禅というものが、健康法としていかにすばらしいものであったとしても、たとえ、会社として企画したとしても、それへの参加は自由参加とするべきもので、業務命令として参加を求めることはできないし、求めてはならないもののはずでした。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」のボーズはそのあたりを理解できていない人間のようでしたが、まず、その「青壮年研修所」の「所長」の男こそ、このあたりについての「研修」をどこかで受けて、社会人としてのまともな社会常識を身につける必要があります。
本来ならば、そのような「信教の自由の侵害」である「研修」への参加は拒否するのが日本国民としての義務であり、何ら抵抗することなく参加する者は、それは「スト破り」とでもいうべき卑怯者・裏切者の態度です。 しかし、近藤まさお さんが、あまりにも強く要求するので、私としては、できる限り、会社ともめたくない、他の従業員とももめたくない、遠州人とももめたくない、という気持ちから、「座禅」という健康法の研修なら、まあ、許容してもいいだろうということにしたのです。本来なら、根源的な理屈から考えるならば、たとえ、それでも参加するべきではありませんし、拒否するのは日本国民の義務ですが、もめたくないという気持ちから、踏絵を踏んだのです。
ところが、参加すると、そこに行くまでには聞いていなかった、「人間には9つの性格というものがある」とかいう「心理学もどき」の講座に参加させられ、さらには、「心理テスト」まで受けさせられてしまった。 もっとも、その「心理テスト」は、「自分に強くあてはまると思われる項目にチャックしてください」と言われたので、私は「強くあてはまる」ものにチェックするべく、検討すると、「強く」はあてはまらないと思えるものばかりで、そのうち、「強くあてはまる」ものがあるのだろうと思って待っていたら、結局、「強くあてはまる」ものは1つもないままで、質問項目は終わってしまいました。 私は、そういう「心理テスト」というものを受けさせられたくないのです。そういう「心理テスト」というものを受けさせられる筋合いはないのです。 これは、私は、もともと、心理学・心身医学・精神医学を学ぼうという者であって、学びかけたところ、どうも、現在の「心理学」「精神医学」は胡散臭いということに気づいたのです。そういう「心理学」「精神医学」の胡散臭さに気づかないことから、そういう「心理学もどき」の講師やっているような人というのも、世の中にはいます。深奥山方広寺の「座禅研修」に来ていた人もそれでしょう。「心理テスト」というのを答えてくださいと「講師」というにいちゃんが言い出した時、私は、その日の朝、来ていた(株)一条工務店の人事教育部署の人間を探したのです。私はそういうものを受けさせられるという話は聞いていませんよ、そういものを従業員に本人の意志を無視して受けさせるというのは、それは人権侵害ですよ、と指摘するつもりで探したのですが、見当たらなかったのです。しかたなしに、浜松の本社にその部署の人間がいるはずですので、それで、公衆電話を探したのですが、それも見当たらなかったのです。 それで、やむなく、受けさせられてしまいました。 そういう人をだます方法により、「心理テスト」を受けさせたりするという、そういういやり口は「フェアではない」ものであり、深奥山方広寺は、そのあたりを見ても、質のいい寺とは言えません。
そして、般若心経を配布し、それについての講釈を「青壮年研修所」の「所長」が始めたりしましたが、そういうものは、本人の意思を無視しておこなっていいものではないはずなのです。
さらに、あきれたことに、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」だと称するボーズは、「これから、皆さんでお守りを作ろうと思います。 普通、お守りは授与所で、拝まれたものを購入しますが、今回はそうではなく、皆さんが自分で自分のお守りを半僧坊に拝んだ上で持っていただくということにします」と言い出したのです。 まず、仏教関係でも、「お経」というのは、もともとは、ひとつの本です。 『歎異抄』ですとか、このブログでも引用した『正法眼蔵随聞記』ですとか、そういうものは、「ひとつの本」として読もうと思う人が読むのはけっこうだと思います。「般若心経」もそうです。しかし、「お守り」というのは、それは本来の仏教とは必ずしも結びつきませんし、それは「現世利益」志向のものであるとともに、霊的な性質のもので、当然のことながら、本人の意思を無視して持たせるようなことがあってはなりませんし、ましてや、本人の意思を無視して、「自分自身で半僧坊に拝んでお守りを作る」などということは絶対におこなわれてはならないことです。「半僧坊」にしても、本来の仏教にそういうものはありません。道元、あるいは、親鸞が、今、生きておれば、当然、それらを肯定しないでしょう。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」というボーズは、こういった宗教の基礎の基礎、基本の基本、基本の「き」が理解できていない非常識な男でした。 思い上がりも甚だしい。あの男、一度、頭を剃って出直したどうか・・・といっても、すでに頭は剃っていたのですが、ひとに「研修」しようとするよりも、自分自身が「研修」される必要があります。
私は、寺や神社を訪問するのは好きなのですが、「おみくじ」というものはひかないことにしています。 まず、基本的には、寺や神社というものは、建築の仕事をしていますと、寺や神社の建築というものを無視するわけにいきませんので、まったく行かないというわけにもいきません。 宗教施設である以上、その宗教というものがどういうものかという理解をせずに、工学的性質だけを考えるというわけにもいきません。 又、寺や神社というものは、庭園がよくできていたり、自然環境が良かったりする場合もあります。 「おみくじ」なんて、特に信じてもいなかったのですが、おみくじは、たとえば、「辛抱して続ければ願いはいつかはかなう」とか、「あきらめずに努力すれば報われる」とか、当たり前といえば当たり前みたいだけれども、その文句を信じたいと思う人が読んで信じたとして、特に害はない文句が書かれているものだろうと思っていたのですが、1990年代の終わり、栃木県の岩倉町の岩倉地蔵尊でだったように思うのですが、そこで、何気なしに引いたおみくじの文句が、何であったかもう忘れてしまいましたが、その時の私にとって受け入れがたい文句であったということがあり、それ以来、おみくじは、引かないことにしました。
「お守り」というのは、私が浪人中に、父の勤め先の部下の人Mさんが「拝み屋さん」を父に紹介し、その人が、父「これを息子さんに持たせなさい」と言って渡したということがあり、神社でも寺でも、本人が、何かいいことあったらいいけれど・・・と思って「幸せ守り」を購入する、いい人とめぐりあえますようにと思って「恋愛成就のお守り」を購入する、入学試験に向けてせいいっぱい努力したが、最後の気持ちとして「合格祈願のお守り」を購入する、というのは、それは本人が購入して持ちたいと思って持つのはいいと思いますが、本人が希望していないのに、これを持ちなさいと本人以外の人間が気が進まない人間に持たせるものではないはずで、私が希望していないどういう性質の人間かわからない拝み屋さんの「お守り」を持たされるというのが実に嫌でした。 本人が希望していないような「お守り」は、そのお守りそのものがいいものであるかどうかにかかわらず、本人が希望していないものであるという点において、好ましいものではないと考えるべきです。
私は、本来ならば、「座禅研修」でも参加を強制される筋合いはないし、日本国民として本来ならば参加は拒否する義務があるものですが、勤め先の会社の(株)一条工務店が「未成熟」な会社であり、本来ならば営業所長にはならないような人が営業所長になっている会社ですので、そういう人ともつきあっていかないといけないし、そういう人はきっちりと説明してあげても理解できない人がおり、説明してあげると怒る人もいますし、会社としてはそんな人でも使ってあげないといけませんので、それで、「座禅研修」の範囲まではやむをえず踏絵を踏むことにしましたが、だからと言って、「お守り」などというものまでは、いくらなんでも、作らされるわけにはいきませんし、また、単に授与所で買ってかえるのではなく、半僧坊真殿に行って半僧坊さまに拝んでもらいますと深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」は言うのですが、そこまでやっては、これは神の戒めに反するものであり、とうてい許されることではありません。
それで、私は、「青壮年研修所」の「所長」と若い坊さんと引退後のおじいさんの坊さんの3人が担当していたうちの、おじいさんの坊さんに話したのです。 「私は、この近所に住んでいるわけではなく、お守りを持っても、普通、お守りというものは1年くらい持てば、それをお返しするもののはずですが、お返しにここに来ようと思っても来れない可能性がありますので、この『お守りを作る』というのは、遠慮させていただきたいと思うのです」と、そういう言い回しにより、婉曲表現によって、「お守りを作る」「有無を言わさず、(株)一条工務店の従業員にその人間がどういう宗教の信者であるかないかにかかわらず、半僧坊への信仰を強制する」という行為をお断りしたい、と述べたのです。 ところが、般若心経を書いた紙は、「どうしても欲しいという方は持ち帰っていただいてもかまいませんが、そうでなければ、持ち帰っても粗末にいたしますので、お返しください」と言って、般若心経を書いた紙については返却を求めたおじいさんの坊さんが、私が、「お守りを作っても粗末にするとよくありませんから」と言っているのに、「それは難しく考えていただく必要はありません。 もしも、1年後にお守りを返したいと言う事に成った時には、近所のお寺に持って行ってもらえがいいですから」とそう言うのです。十分、わかるように話したはずですが、深奥山方広寺のボーズは理解しないのです。 私は、近所の寺に持って行くとか持って行かないとかそんな話をしているのではないのです。 持ちたくもない「お守り」を自分の意思に反して持たされるのはお断りしたいと言っているのです。 半僧坊を拝むという行為は、拝みたいと思う人が拝むのはかまわないけれども、それは明らかに宗教儀式であり、人は誰しも、自分が望まない宗教の儀式に参加させられることはないものであり、決して、本人が望まない宗教儀式への参加を強制してはならないものであり、そういう行為はさせられたくない、と言っているのです。 ところが、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」もおじいさんの坊さんも、絶対にそれを理解しようとしないのです。 言っても言っても、絶対に理解しようとしない。
彼らは明らかに宗教者としては最低のレベルより落ちてしまっています。 宗教者であれば、「信教の自由」は守られないといけない、本人が望まない宗教儀式への参加を決して強制してはならない、強制されてはならにと認識するはずなのです。 それを認識できていないし認識しようとしない。 深奥山方広寺は、仏教と言うに値しない。 深奥山方広寺は宗教としても最低のレベル以下の宗教であり、「信教の自由」という国民の最も大事な人権を侵害する反社会的勢力である。
半僧坊がいいとか悪いとかいう問題ではないのです。 半僧坊への信仰を本人の意思を土足で踏みにじって強制するという深奥山方広寺とそこのボーズども、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」ら、自分たちこそ「研修」される必要がある愚か者どもの宗教を冒涜する態度が許せないのです。
私が、お断りしてもおかまいなしに、「自分自身で拝んでお守りを作る」という作業をさせるために、「半僧坊へ行きましょう」と言って行かされたのが、↑の半僧坊 真殿 であったはずです。 ↑は、宗教を冒涜する施設であることになります。 もし、真面目な宗教者であるならば、本人の意思を無視して、本人が信仰していない神を拝ませる行為を強制するようなことはしないはずです。 ところが、深奥山方広寺のボーズども、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」だというボーズはそれをさせようという強い強い意志を持っているのです。相当悪質です。 彼らは宗教者ではありません。彼らは宗教者と呼ぶ価値はありません。彼らは仏教徒ではありません。彼らはホトケの教えを土足で踏みにじる仏法の敵です。
明智憲三郎 原案・藤堂裕 漫画『信長を殺した男 1』(2017.6.1.秋田書店)では、比叡山延暦寺の横暴・非行を許しがたいと思った明智光秀は、織田信長に比叡山延暦寺の「焼き討ち」を進言した、ということになっています。 深奥山方広寺では、明治の時代に火災で焼けた建物がけっこうあったようですが、もしかして、この「寺」は仏教と呼ぶに値しない、この「寺」は仏教の敵である。 この「寺」はホトケの道に反する存在である、と認識して、「焼き討ち」を試みた人がいたのでしょうか。 もし、「焼き討ち」を実行しようとしても、うまく火がつくかどうかわかりませんし、うまく火がついたなら、放火の罪に問われることになってしまいますから、だから、「焼き討ち」にしてやる必要があると思っても、そう簡単に実行はできません。 しかし、「焼き討ち」にしてやりたいと思う人がいたとすれば、その気持ちは大いにもっともなものであり、人間の最も重要な権利である「信教の自由」を土足で踏みにじらないとおれない深奥山方広寺は、宗教の施設ではなく宗教を冒涜する施設であり、反社会的勢力であり、「焼き討ち」を試みる者と、宗教を冒涜する深奥山方広寺とでは、宗教を冒涜する深奥山方広寺の方が、より悪質であるのは間違いないことです。
次回、「七尊堂」と「稲荷社」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
(2017.7.9.)
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