深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由侵害【15】給料へつった金が方広寺門前のじいさんの小遣いに化けた

[第559回] 会社と営業の話(131)
  1998年、静岡県浜松市北区引佐町奥山(かつては、静岡県引佐郡引佐町奥山 であった)の深奥山方広寺で、「座禅研修」と称した「信教の自由」を侵害する「研修」を、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ により強制的に受けさせられた。 掛川営業所の「所長」であった近藤まさお が主導したと伝えられていたが、その通りかどうかはわからないが、私は近藤まさお から、「座禅研修にも、絶対に強制的に参加してもらうからな。 嫌だと言っても絶対に認めないからな」と、はっきりと言われたので、彼が主導したという話がそのままであるかどうかはわからないが、彼がその問題に加わっていたのは間違いないことである。 これは、「信教の自由の侵害」と評価されるものであり、「信教の自由」というものは、人間としての根幹、人間としての存在に関わる問題であり、許しがたいものである。
    深奥山方広寺(浜松市北区)は、「黒門」、別名「総門」という黒い門があって、それをくぐって入ると、右手に拝観受付があり、その左手に弁天堂があり、その向こうに赤い「山門」がある。 拝観受付と山門の間くらいの右手に、急斜面を登る階段があり、その階段を登って行った上に、「青壮年研修所」と称する、国民の「信教の自由」を侵害することをもっぱらの目的とした反社会的な施設があった。

    そこで、「信仰の自由」という人間にとって大変大事な権利を侵害され、さらに、奥の方の半僧坊 真殿において、意思に反して、半僧坊への参拝を強制され、半僧坊を拝んでお守りを作るという作業を強制された。 半僧坊は、まともな宗教であれば、このような行為をおこなう不埒者どもをこらしめなければならない。
    この「座禅研修」を終えた後、浜松駅にバスで帰った、と思う。 (株)一条工務店の事実上の本社は浜松市倉松町4040 という海に近い場所にあったが、本社へ、いったん、帰ったか、浜松駅に帰ったか、記憶がはっきりとしないが、駅の方であったと思う。
    いずれであれ、黒い総門を出てからしばらく、両側に商店が並んでいるあまり広くない道を歩いて行き、交差点に出て、そこから歩いた所の駐車場までバスが来ていて、そこからバスに乗ったと思う。

    さて、この黒門(総門)から、県道までの参道であるが、黒門(総門)を出てすぐの位置から見たものが、↓である。
画像





( 「旗」マークの位置あたりから、↑の写真は撮影した。)
↑ ここを歩きだしたところ、この道の左側の家の前に、見たことのある顔のじいさんが孫らしい子供を抱いて立っていたのだ。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」は、「所長」だという40代後半か50前後くらいかと思われるボーズと、若いにいちゃんのボーズと、それにおじいさんのボーズの3人が担当していたのだが、そのおじいさんのボーズがそこに孫を抱いて立っていたのだ。
   坊さんというのは、頭の毛がないので、年齢がわかりにくいが、じいさんの場合は、歳をいってはげたのとたいして変わらないので、じいさんはじいさんて感じであるが、坊さんの格好をしていると、やはり、坊さんに見えるのだが、孫を抱いて立っていると、単なるじいさんである。
   彼は、「所長」が、「半僧坊に、自分自身で拝んだ上でお守りを作り、それを持つようにします」と、明らかに信教の自由を侵害する不法・不当な発言・要求を言い出した時に、私が、「お守りというものは、1年くらい持ったら、お返しにくるのが本来だと言われますが、私はこの近くに住んでいるわけでもありませんし、お返しに来ることもできないと思いますので、そういうお守りを作っても、粗末にすることになることが考えられますが、お守りというものは、粗末な扱いをするべきものではないと思いますので、これは辞退させていただきたいと思います」と、婉曲表現で、はっきりと、きっちりと、こういう行為はお断りしたい旨を言ったにもかかわらず、言っても言っても理解せずに、「ここに返しに来ることができないという時には、近所のお寺に持っていただけばそれでかまいません」などと言い、私が「我が家は、父の代で、キリスト教の洗礼を受けてキリスト教の方式で父の葬式もおこない、檀家としてのお寺とのつきあいもありませんので、懇意にしているお寺というものも特にないのです」とそこまで言っても、それでも、「特につきあいのあるお寺がなくても、近くのお寺に持って行ってもらえれば」などと、アホなことを言って、きかない、という、その人でした。
    実際のところ、僧と言うに値しないのではないか。 まがりなりにも、僧であれば、信教の自由という点から、そういう宗教儀式の強制はお断りしたい、と婉曲表現で何度も何度も言っている、ということくらい、理解できて当然のはずであるが、彼はそれを理解しなかったのです。

    そのおじいさんの坊さんの家がそこだったようです。 そもそも、こういう山岳系の寺の場合、寺の敷地がどこからどこまでなのかというのは、なかなか、明確でない場合が多く、今現在は法務局で土地の所有権は登記されているといっても、その登記に至る経緯は、なんともいいかげんである場合が多い。 かつ、寺や神社の周囲の土地に住んでいる人たちというのは、実は寺や神社の住職や宮司の縁戚だったりするケースもあり、その寺や神社の土地なのか、その人の土地なのか、よくわからないというケースもあるみたい。
    そのおじいさんの家がどうであったのかはわからない。 ともかく、その参道沿いにそのおじいさんの坊さんの家があって、勤務時間外に孫を抱いてそこに立っていたのだ。 で、あれ? と思ってお互いに顔を見たのだった。

    さて。 なんとも、あつかましい話である。 世間一般には、すでに引退した年齢であろう。 世間一般には引退した年齢であっても、働きたいと思い、雇ってくれるという所があれば、勤めて悪いということはない、というのは一般論。  そのおじいさんの勤務というのは、(株)一条工務店の従業員から、従業員の給料をへつったカネを「研修料」として、深奥山方広寺へ支払った、そのカネから、そのおじいさんの給料は出ているわけだ。 私にしても、(株)一条工務店の従業員・元従業員にしても、いったい、何歳まで雇って使ってもらえるか、わかったものではない。 そのおじいさんは、坊さんの格好をしておれば年齢もわかりにくいが、けっこう、歳いっていたと思う。 その年齢の人が、「青壮年研修所」の職員ということで、給料もらっていたわけだ。 その人が給料をもらうために、(株)一条工務店の従業員は給料をへつられて、それを「研修料」に充てられたわけだ。 私にしても、他の(株)一条工務店の従業員・元従業員にしても、そのおじいさんの年齢まで雇ってもらえないという可能性は低くない。 (株)一条工務店は従業員が高齢になった時の生活の保障なんかする意思はないにもかかわらず、自分の会社の従業員の生活なんか考えずに、深奥山方広寺のじいさんのために、「年金」払ってやっていた、というのか、高齢者に「給料」をくれてやり、そのために、自社の従業員の高齢になってからの生活、壮年の時代の生活を削り取っていたわけだ。(株)一条工務店の従業員の給料をへつったカネがあのじいさんの給料に化けて、それがあの孫の小遣いに化けるということか。
    私たちが、一般的な「定年」まで雇ってもらえる保証はないにもかかわらず、すでに「定年」を過ぎて引退していていい年齢の人に、壮年世代の給料を削り取って渡していたわけだ。 理屈から考えると、そういうことになるはずである。
    なんで、こんなことされないといけないの?   そのおじいさんは、にこやかな顔をして、孫を抱きながら手を振っていたかどうかはっきりしないが、手を振るような感じで我々の方を見ていたのだけれども、こっちとしては、にこやかな顔なんか、およそ、できるものではなかった。

    会社の利益は、誰が生み出したのか。 何が生み出したのか。 当然のことながら、労働が生み出したものである。 会社の経営者・使用者の判断がまずくて利益が少なくなった、赤字が出たとかいうことがあったなら、その時には従業員の給料をへつればいいだけのこと! みたいに思っている経営者・使用者・オーナーが生み出したものではない。
    その会社のカネを、深奥山方広寺の近所の家のじいさんが、引退後の勤めとして、深奥山方広寺が「青壮年研修所」と称して、国民の信教の自由を侵害するべくおこなっている「研修」の係として勤めているものの、給料として、(株)一条工務店の経営者は、くれてやっていたのである。
    ばからしいこと、このうえない。  あほくさいこと、このうえない。  腹立たしいこと、このうえない。

   さらに言えば。 深奥山方広寺の「青壮年研修所」というのは、「所長」だという40代か50代くらいの男と、20代の仏教系の大学を出てきたばかりかと思われる若いにーちゃんと、それとこのおじいさんの3人が担当していたのだが、坊さんの格好をしているから、坊さんだと思っていたのだけれども。 最近、大工でも、こんなん、大工と言えるのかあ~あ・・・みたいな人も中にいるわけだ。 かつては、大工というのは若い頃から大工の棟梁に弟子入りして修行してなるもので、そういう修業をしていない人間が大工の手伝いをすることがあっても大工とは言わなかったはずだが、最近では、機械プレカットで建てるのが主になってきて、ノミが使えなくても大工の仕事ができてしまう、工具も電動工具を使うことが多くなり、インパクトドライバーは使えても手で回す昔からのドライバー(ねじ回し)は使えない、というような自称「大工」も出てきており、さらに、「人材紹介会社」によっては、ホームレスを集めて大工の格好をさせて、大工だと言って派遣するような会社まであるとかいう話を耳にしたことがある。 坊さんというのは、普通、転勤があるみたいなのだ。栃木県佐野市から青森県の下北半島の恐山に行った時、恐山菩提寺の坊さんに、「佐野からここまで来るのに、来るだけで1日かかりましたよ」と話したら、「そうでしょ。俺、前は太田(群馬県太田市)にいたから」と言い、意気投合したことがあったが、その人は、群馬県太田市の寺から転勤で青森県むつ市の恐山菩提寺に行ったらしく、その後、どこか別の所に行くこともあるようだった。自分の家の寺を継いだ人の場合は、そこから動くことはないだろうけれども、そうでない場合は、坊さんは転勤があるようなのだ。だから、大本山とかいう寺の近所に住んでいる人が坊主になったからといって、その寺に勤められるとは限らないし、「地域限定社員」みたいにはいかないのではないか? それが、そのじいさんが、勤務時間外だかお寺の職員の休日だかに、深奥山方広寺の門前の家で孫を抱いて立ってるということは、もしかして、深奥山方広寺の「青壮年研修所」というのは、あの「所長」だという40代か50代のボーズと補助者として仏教系の私立大学を出たばかりのにーちゃんと、近所の家のじいさんを「パートタイマー」、もしくは「嘱託」で雇って、坊主の格好をさせて世話係をさせていた??? もともと、じいさんは歳いってはげてるから、あらためて頭そる必要もないから、こりぁ、なんとも具合がええわ・・・てとこだった? 坊主の格好しているから坊さんかと思い込んでいたが、もしかすると、もしかして、単に、歳をいってはげてきただけのじいさんを「パートタイマー」か「嘱託」かなんかそういうもので雇って坊主の格好させて世話係やらせていただけだったのか???

   それが、この↑の写真の道の左側、深奥山方広寺の方を向くと右側のどこかの家だった。 「焼き討ち」なんてやって、放火の罪で処罰されては困る。 しかし、「焼き討ち」にでもしてやりたいくらい! ということを、次から次へとやる深奥山方広寺というのは、何なんだ、この「寺」は。
   「焼き討ち」にでもしてやりたいくらい、といっても、放火するわけにもいかないが、そのくらいの気持ちであるから、そのおじいさんが孫を抱いて立っていた家というのが、参拝者向けの商店であったか、商売をしていない家であったかはわからないが、いずれであったとしても、気分が悪いから、だから、ここの道沿いの店では、食堂で食事はしない、土産物店では何も買わない、特に理由がない限り立ち寄らない、ことにした。
   この道沿いの家のおじいさんの老後の小遣い稼ぎに協力させられたわけだが、私の老後の生活にこの道沿いの家の住人が、なんらかの協力をしてくれるのか、というと、してくれないのではないか。 そう考えると、あほくさいから、ここの道沿いの店では何も買わない。

    ・・・・・なんとも、むかつく、「研修」を、(株)一条工務店 と 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山)はやってくれたものである。

    (株)一条工務店 掛川営業所 所長 近藤まさお の「通算契約棟数全国1位」は、いかさま であり、八百長である。 そもそも、1990年代、東京都・神奈川県で坪55万円、千葉県で坪52万円で販売していた「セゾン275S1」を、浜松・掛川では坪48万円、名古屋では坪49万5千円で販売、かつ、東京都では「ピンコロ」の束石を「マンホールの蓋みたいなでっかい束石」で施工していたのであり、(さらに、全国で使用していたカタログには「マンホールの蓋みたいな束石」の方の写真を掲載していたのであり、) ここまでいくと、浜松・掛川・名古屋で(株)一条工務店で家を建てた人は、東京都・神奈川県・千葉県で(株)一条工務店と契約した人が払ったカネで家を建てたようなものである。浜松・掛川・名古屋の営業は、ダンピング販売とテレビ広告で売ってきた卑怯者である。
    しかし、そんなことよりも、近藤まさお の「通算契約棟数全国1位」なるものが、八百長であろうがなかろうが、近藤に他の従業員に対して、宗教を強制する権利など存在しない。 近藤まさお は思い上がりも甚だしい。この行為は神の怒りにふれる行為であり、許されてはならないものである。
    従業員に宗教を強制する株式会社一条工務店は傲慢であり、深奥山方広寺(浜松市北区)もまた傲慢である。深奥山方広寺のボーズどもは、宗教者と言うに値しない。彼らは宗教の敵であり、彼らは仏教の敵である。“仏敵” 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)は許すべきではない。

    深奥山方広寺は、明治の時代に火災で焼失した建物があるというのだが、「焼き討ち」にしてやりたいと思った人がいたのかもしれない。 自然環境はいい所であり、自然は守りたいと思うが、深奥山方広寺は守りたいとは思わないし、守ってはならない。 深奥山方広寺を守るということは、国民の信教の自由を侵害することになる、国民の信教の自由が守られないということになる。 それは、ホトケの心、禅の精神が守られないということでもある。


※ 深奥山方広寺HP http://www.houkouji.or.jp/
《ウィキペディア―方広寺(浜松市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA_(%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82)

   (2017.7.9.)

   患者を薬漬け・検査漬け・毒盛したカネで、デザインにこった豪勢な病棟を建てる「病院」とか、ありますよね。そのデザインが優れていたとしても、建築屋としては、デザインに優れた建築というのは、そこの部分は評価したくはなりますが、「一将功なりて万骨枯る」と言うように、その病棟が出来るためにいったい何人の「患者」が苦しめられたことかと考えると、人間として喜べない。 「世界の磯崎」とかいう磯崎新設計の岡山西警察署の建物が、建築の本にはよく登場して、これはエントランスにどういう工夫があってなんちゃらかんちゃらとか◇◇大学建築学科教授とかいう肩書の人が書いていたりしますが、警察てそんなお金持ちなの? とか思いませんか? そのカネ、どこから出てきたの? なんて思いませんか?  深奥山方広寺の谷を挟んで両側に配置されたお堂と三重塔、その谷を渡る亀背橋は、少し離れた所から見ると、そのデザインはなかなかのものと思え、それを考えた設計者のデザイン感覚は悪くないと思えますが、そのカネがどこから出てきたのか、そのカネができるために、この「寺」が不良経営者と組んで従業員の人権を侵害してきた、という事実を考えると、とうてい称賛してよいものとは思えません。
   宗教者であるならば、仏教徒であるならば、「信教の自由」は守ろうとするものであり、深奥山方広寺のボーズどものように、自ら、「信教の自由」を侵害する者は、その者は宗教者でなければ、仏教徒でもありません。仏教徒と言うに値しない人間が、髪の毛を剃って袈裟を着てボーズもどきの格好をしたとしても、そのような者を僧とは言えませんし、そんなボーズもどきがカネだけ集めて建物だけ増やしたような施設を寺とは言えません。 
   (2017.7.17.)

☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた 〔今回〕

※ 《一条工務店の白旗山メガソーラー乱開発の説明会 日本共産党嘉飯地区委員会》http://jcp-kahan.info/archives/194 


憲法講話 (岩波新書)
岩波書店
宮沢 俊義

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 憲法講話 (岩波新書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



憲法読本〈上・下〉 (1965年) (岩波新書)
岩波書店

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 憲法読本〈上・下〉 (1965年) (岩波新書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



権利のための闘争 (岩波文庫)
岩波書店
イェーリング

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 権利のための闘争 (岩波文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル




この記事へのコメント

この記事へのトラックバック