「LANCEL」のパチモンのスリッパ「SAISON」は可なの?+会社の為を想っても想いがいのない会社

[第560回] 営業と会社の話(132)
   インターネットのニュースを見ていたら、自社で開発した商品のデザインを模倣をされた商品を販売された、ということから、長崎県の白山陶器という会社が、百円ショップの大創産業に抗議文を送付したらしい。↓
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波佐見焼白山陶器 ダイソーに抗議 「デザイン模倣」 販売中止、在庫破棄求める
(YAHOO!ニュース) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170714-00010001-nagasaki-l42
7/14(金) 10:40配信
長崎新聞
  波佐見焼の人気窯元、白山陶器(長崎県東彼波佐見町、松尾慶一社長)が、自社のデザインを模倣されたとして、100円ショップ「ザ・ダイソー」を全国展開する大創産業(広島県東広島市)に抗議文を送付したことが13日、分かった。模倣品の販売中止と在庫の破棄を求めている。
  白山陶器によると、問題視している商品は、ザ・ダイソーで販売されている扇子。 「陶器柄」として扇子に印刷されている柄が、白山陶器が2009年から販売する「ブルーム」柄に酷似している、と指摘している。   ブルームは植物をモチーフにした手書きの柄で、同社の「顔」ともいえる存在。デザインの保全に取り組む「日本陶磁器意匠センター」(名古屋市)に登録しているが、法的な拘束力はないという。
  白山陶器は、01年にもしょうゆ差しの形状を模倣されたとして、大創産業に抗議。これを受け販売を中止し在庫を破棄している。
  抗議文は10日付。この中で松尾社長は「ブルームを8年かけて人気シリーズに成長させてきたが、扇子柄への転用により、ブランドイメージが損なわれ、売り上げにダメージを受けるリスクに直面している」と批判している。大創産業は取材に対し「抗議内容を確認した上で対応を検討する」とした。
長崎新聞社
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   なるほど・・・・。
   さて、「ブランドもん」を、デザインそのまんまで、用途もそのまんまで、書かれている名称だけ変えたとしたら、それはいいか? ・・・・たぶん、だめじゃないのかと思うのだが、そういうのを見たことがある。 どこで見たかというと、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の展示場で見たことがある。

   ハウスメーカーは、住宅展示場の来場客に履いてもらうためのスリッパを用意している。 1992年、私が(株)一条工務店に入社した時、(株)一条工務店の住宅展示場には、「LANCEL」と書かれたスリッパが置かれていた。「LANCEL」(「ランセル」)と書かれているからには、畏れ多くも、「ランセル」ブランドのスリッパだったのだろう・・・・と思っていた。 しかし、同社の展示場でも、いつまでも、同じスリッパを長く使用していると、いかに、「ブランドむお~ん♪」であったとしても、きちゃないきちゃないスリッパ~ になってしまっている展示場もあった。 1993年に福島県の展示場に赴任してから、そこでは、私が「備品係」として、くたびれてきた時には、本社に発注して新しいものを送ってもらうようにした。 各展示場の営業社員は、それぞれ、役割を分担していたのだが、「備品係」になった人間が、スリッパを本社に発注して、くたびれてきた時には、きっちりと取り換えているかどうかによって、来場客にきれいなスリッパを履いてもらえるか、きちゃないきちゃない履くのは気持ち悪いようなスリッパになるかが変る。 住宅展示場の照明も、きれてつかない展示場とかもあったが、私が「備品係」をしていた展示場では、電球は常につくように気を配っていた。 電球・蛍光灯なんてどこでも売ってると思ったらそうではない。住宅展示場の照明器具には、「そのへんのスーパー」「そのへんのホームセンター」では売っていないものを使用している場合がある。 福島県いわき市の場合、いわき特殊照明 という店があったと思う。いわき市の平(たいら)地区にあったはずで、私は何度も行ったのだが、今、インターネットで「いわき特殊照明」と入れて検索すると、小名浜地区にあるように出ているので、引っ越したのか、支店が出ているのか・・・。
   そのあたり、世の中、「捨てる神あれば、拾う神あり」とか「どこかで誰かが必ず見ている」とか、なんか、そういうことが、「会社人の人生論」みたいな本にはよく書いてあるのだが、きちゃないきちゃないスリッパを置いている展示場があり、照明器具の電球が切れた展示場があったが、私がいた展示場ではそういうことはほとんどなかった。照明器具は、電球が切れるとすぐに交換していた。それは私がやっていた。「必ず、誰かがどこかで見てくれている」などと「会社員の人生訓」みたいな本には書いてあるのだが、(株)一条工務店では、そういうのは経営者は見てくれていなかったようだ。むしろ、そうやって努力する人間がいると、こりぁ便利でええわ、今後も便利使いにしてやれ・・・とか思うことがあるようだった。 その程度の経営者の会社に10年超勤めて、「永年勤続表彰」として腕時計をもらったというのは、エライかアホかというと・・・・、どっちかというと、アホちゃうかという気がするのだが、そうはいっても、よく頑張ったなと思う。エライというのではないかもしれないが、しかし、そんな会社でよく頑張ったなと思う。
   日曜・祭日に、住宅展示場の入口にいて、総合住宅展示場の来場客に入場を呼びかけ、また、入口で芳名帳に記名を促すという仕事をしてもらうため、市内の大学の女子学生にアルバイトに来てもらっていたことがあった。 アルバイト代はその日の終わりに渡すということにしていて、そのおカネは、それぞれの地域ごとにいる「小口現金の係」から「備品係」が預かって来て、アルバイトの人に渡すことにしていた。 ところが、いわき市では、2カ所の総合住宅展示場に2店ずつ、4か所の展示場があったのだが、私がいたいわき市平尼子町の総合住宅展示場(その後、無くなって、スーパー 「マルト」の平尼子町店になった。「マルト」の「店舗情報」http://www.maruto-gp.co.jp/shop/ を見ると、今もあるようだ)、には、2店舗、出展していたのだが、私がいた展示場でない方の展示場の備品係が、きっちりとそのおカネを小口現金の係から預かってこない時があった。 その際、同じ大学の友達同士で2人で来ているのに、アルバイト代を片方に渡して片方に渡さないというわけにもいかない。そんなことよりも、商人というものは、こういうことをしてくれたら、これこれの金額を、いつ、渡しますと言ったからには、その金額をその時に渡さないといけない。 個人と個人の約束であれば、「ごめん、忘れてた」というのも時としてありうることかもしれないが、会社が、まがりなりにも、全国展開している会社が、アルバイトの人間に、その日の終わりに払いますと言って来させて、それを払わないというのは会社の恥である。アルバイトの人間というのは、従業員であるとともに、その仕事をやめたならやめた時から見込客でもあるはずである。いわき のような人口36万人(とその頃は言っていたが、2011年の福島第一原発事故の直後には、34万人とでていることが多かった)の市と言っても、なんだか、「友達の友達は皆友達だ」みたいな街で、誰もが「友達の同僚の組内の親戚の友達」みたいな街においては、しょーもないことすると、それは伝わっていく。「一条工務店て大きな会社かと思ったら、バイト代もまともに払わない変な会社だったわ」と。そうなると、住宅建築業の営業活動においても、それはマイナスになるはずだ。だから、私は、もうひとつの展示場の人に、「バイト代を預かって来てないんですか。そのくらい、預かってくるようにしてくださいよ」と控えめに言うとともに、アルバイトで来ていた人には、「私が立て替えて払っておきます」と言って払おうとしたが、その時、アルバイトに来ていた人は、「〇〇さんに出してもらうことありません」と言って受け取らなかった、ということがあった。 もし、私が会社の経営者であったなら、そういうところで、きっちりとアルバイト代を預かって来て渡し、そして、預かってこない展示場に来ていた人には、会社のためを思って、自分が立て替えてでも払おうとする従業員がいたならば、そういう人には、その分だけ、プラスの評価をする。 また、たいして高い給料を払っているわけでもない従業員が、個人で立て替えて払うということがないように、会社として配慮しようとする。 ところが。 「『C級サラリーマン講座』みたいな会社」においては、そうではなかった。
   2001年、総務部長の天野雅弘と話す機会があった時、このことを話し、(株)一条工務店は、アルバイト代もまともに払えないというのは、会社の恥ですよ、と、私が個人としてそれを補おうと思っても個人の能力には限界があるので、会社としてそういうことがないように気を配るべきであることを話し、又、栃木県佐野市の営業所においては、佐野展示場に在籍していた営業の中で最も在籍年数が長く、かつ、年齢も高いT木Y夫のおっさん(男。当時、50代)が、新聞屋が集金に来ると、自分が集金屋から最も近い場所にいたにもかかわらず、「あっ、財布、クルマの中に置いてきた。 立て替えられる?」などとくさい文句を私に言って私に立て替えさせ、それで、「どうも、申し訳ない」とでも言うならわかるが、「おっ、さすがは独身貴族。カネある~う」などという口をきいたので、そういう行為をする人間、そういう口をきく人間が営業所にひとりでもいる以上は、立て替えることはできないし、立て替えてはならない、と判断した、その後、新聞屋の集金の女性が来店しても、たかだか何千円の新聞代を「おカネ、ありません」と言って払わず、何度も何度も集金に来させることになったが、こういうのは、(株)一条工務店として、会社として、みっともないことで、会社としてそうならないように対処するべきです、と進言した。 総務部長とはいえ天野雅弘はオーナーの一族であるから総務部長になっている人間で、学歴は高卒であったとしても、それでも、ともかく、総務部長なのだから、当然のことながら、アルバイトに来た人には払うと言った時にきっちりとそのアルバイト代は払わないといけない、それを払わないようでは会社の恥であり、会社の評判を落とさないようにと個人で立て替えてでも払おうとした人間には、「申しわけない」「ありがとう」くらい言うもので、新聞屋が集金に来ると、「あっ、財布、クルマの中に置いてきた」などと、くっさい芝居をして、たかだか、何千円のカネを立て替えずに他の従業員に立て替えさせようとするしょーもないおっさん、そういうおっさんに苦労させられてきた人間には、「申しわけない」「高木のおっさんにも困ったもんだ。まあ、そんな人だから、我慢しろとは言わないけれども、その程度の人なんだよ。ごめんね」くらい言うものだと思ったのだ。ところが。総務部長の天野雅弘は、こう言ったのだ。「なんだ。高木のおっさんが立て替えないから、おまえが立て替えたのかと思ったら、高木のおっさんが言ったことが気に入らないから立て替えないのか。 おまえが立て替えればいいだろうが。なんで、立て替えないんだ。おまえが何でも立て替えて払えばいいだろうが。何、考えとるんじゃ、おまえは」と、そう言ったのだ。 高木のおっさんの暴言に対して、あの人、なんとかしてもらえませんかと言っているのに、総務部長がそういう返事をするというのは、それは会社として「保護義務違反」であるとともに、総務部長として非常識である。 たいして、給料もらっていない従業員に、アルバイトに来ている人に払うカネを立て替えて払え、新聞屋が集金に来たら、立て替えたくないと「あっ、財布、クルマの中に置いてきた」などと、しょーもない芝居やるアホの代わりに立て替えて払ったら、「おっ、さすが、独身貴族。カネ持ち!」などと暴言を吐いた男が営業所にいる以上は、もう立て替えることはできないし、立て替えてはならないと判断するのは当然であり、それでその後も立て替えて払ったらアホであり、それを、「なんだ、立て替えないのか。高木のおっさんが立て替えないのなら、おまえが高木のおっさんの分まで立て替えて払えばいいだろうが。なんで、払わないんだ。何、考えてんだ、おまえは」と、総務部長がそういう口をきいたのだ。こんな人が総務部長になっているのか、こんな人を総務部長にここの会社はしているのかと、今さらながら思った。
   野村克也『壁―試練だけが人を成長させる』(2017.3.30.KKベストセラーズ ワニ文庫)には、
≪ 私は南海ホークスの選手兼任監督を解任になった時点で、もう監督就任要請が来ることはないと思っていた。
   野球業がダメでの解任ではなく、私生活に関する評判がもとでの解任劇であったので、物凄く悔いが残った。もし監督を次にやる機会があれば、プレーイングマネージャーではなく、監督一本で打ち込みたい、という願望があったことも確かである。
   当時、縁も所縁(ゆかり)もなかったヤクルトの相馬社長が、周囲の反対を押し切って監督就任要請をしてくださった。これは、非常にありがたかった。
   その際、私が思い起こしたのは、先に触れた草柳さんが教えてくれた、「見捨てる人も千人いれば、見ていてくださる人も必ず千人いる」という格言であった。≫
と書いてあるのだが・・・・・・、(株)一条工務店では、総務部長になっている男が、そんなことを言うのだった。そんなことを言う男が総務部長になっていた、そんなことを言う男を総務部長にならせていたのだった。(株)一条工務店の経営者に「見ていてくださる人」を期待しても、それは「八百屋で魚を求めるもの」みたいなもののようだった。
   (株)一条工務店では、私が会社のためを思ってこれだけやっているのに、私が会社のためを思ってこれだけ我慢しているのに、と思うことが何度も何度もあったが、そうやって会社のためを思う従業員を粗末にする会社であり、アホばっかり大事にする会社だった。 まず、新聞屋の集金人が来たという時に、自分はその営業所で最も古手であり年齢も最も高いというおっさんが、「あっ、財布、クルマの中に置いてきた」などというくっさい芝居をする・・・という、そういうおっさんを見ると、なんだかなあ~あ・・・と思い、この人はこういうことをする人なんだ、とあきれるし、そういうことをする人を見ると、この人はこの程度の人なんだな、この人は程度の低い人なんだなと評価するしかないことになる・・・・はずだが、(株)一条工務店はそう評価しない会社だった。そうではなく、私に「高木のおっさんが払わないなら、おまえが払えばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえは」と、総務部長がそう言う会社だったのだ。父は、毎日毎日、家で、「会社のために、会社のために。すべてを会社のために、捧げつく~す。とってちってたあ~あ」と叫んでいる人間だったが、そういう会社において、「会社のために」と思っても、「会社のために」と尽くしても、「会社のために」犠牲になっても、「会社のために」我慢をしても、それは無駄だったようだ。

    その(株)一条工務店において、1990年代のちょうど半ば頃、それまで、住宅展示場の来場客用のスリッパを新しいものを本社に発注すると、「LANCEL」と書かれたベージュ色のスリッパが送られてきたのが、ある時から、今まで「LANCEL」(「ランセル」)と書かれたいた場所に「SAISON」(「セゾン」)と書かれ、それ以外はデザインも色もまったく同じ、というスリッパが送られてくるようになった。 ・・・・・これって、もしかして、ランセルのパチモン???

    (株)一条工務店では、「オリジナル」のシステムキッチンを使用していた。 「オリジナル」とは何なのか? システムキッチンというのは、キッチンメーカーが作るものと違うのか? ・・・というと、よくわからんのだが、住宅建築業の会社、ハウスメーカーの「オリジナル」のシステムキッチンを作っている会社というのがあるらしく、片倉明和だったか、高倉明和だったか、なんかそういう名前の会社が(株)一条工務店の「オリジナル」のシステムキッチンを作っていたようだ。 それはどういう会社かと言っても、一般世間に対しては無名の会社だったが、ミサワホームの「オリジナル」のシステムキッチンもそこが作っていたようだった。 だから、「一条オリジナル」のシステムキッチンと「ミサワホーム オリジナル」のシステムキッチンは似ていても不思議はないのだが、これは、どっちが「パチモン」とかいうものでもないだろう。ミサワホームと一条工務店では、一条工務店の方が後発の会社で、当初は知名度はミサワホームの方が上だったので、「ミサワのキッチン」などと言う人が(株)一条工務店の営業にも中にはいたようだが、ミサワホームという会社は、料理屋にたとえれば高級料理ではなく大衆料理店であり、「ミサワのキッチン」と言っても特にプラスの評価にはならないと思ったこともあり、私はそういう言い方はしなかった。
    楽器の会社であるヤマハは、家具も作っており、ヤマハのドアというのは高い評価を得ているようだが、(株)一条工務店のドアというのは、1990年代の初めにおいては、「ヤマハのドアを作っている会社」の製品というようなことを聞いた。 「ヤマハのドアを作っている会社」て何なんだ? ヤマハとは違うのか? というと、世の中、「作る会社」と「売る会社」が別のケースというのが、けっこうあるらしい。 「ヤマハのドア」というのも、そうだったのか、框の部分がマトアという木のムク材で、中央部はセンの突板合板でできた、フラッシュ戸より高級なドアを、(株)一条工務店では「標準仕様」で入れているというのが「売り」だった。
   「フラッシュ戸」というのは、平らな扉という意味で、枠の両側に合板を貼って内部ががらんどうになっている扉である。 フラッシュ戸と「一条オリジナル」の框ムク扉とでは、「一条オリジナル」の框ムク扉の方が高級品であるのは確かであり、一般には、その方がいいと思われる。 しかし、(株)一条工務店の「浜松オリジナル」の営業は、「そんなもの、ムクがいいに決まってる」と言うのだが、そして、そういう「研修」された「一条オリジナル営業」は、そのまんま、顧客に話すのだが、これは正しくない・・・・のだが、それを言うと、「一条オリジナル営業」「浜松オリジナル営業」は怒るのだ・・・・が、正しくないものは正しくないのだ。 私より少し年下だが(株)一条工務店には私より少し先に入社していたいわき市の営業所にいた営業のHさんが、いわき市で自分が担当で引き渡した入居者宅に一緒に連れて行ってくれたことがあったのだが、その際、お客様はその家のできばえには喜んでおられ、営業担当のHさんにも高い評価をされていたのだが、ひとつだけ、階段を上がり切ったところに取りつけた引戸が、引いて開ける時に大きな音がする、ということを言われていた。 引戸もまた、(株)一条工務店では、「黙って座れば」、「框ムク」のもの、四方の框の部分はマトアのムク材で中央部はセンの突板合板のものを使っていたのだが、確かに、フラッシュ戸と比較すると、引戸の場合も、「框ムク」のものの方が「フラッシュ戸」よりも高級品であるのはたしかで、見た目もいいだろうけれども、框ムクだけあって、フラッシュ戸よりも重いので、引いて開け閉めする時もまた、重い物と軽い物であれば、重い物の方が音も大きい音がすることになるのだった。だから、階段を上がり切ったという場所で、特に、夜など、開閉する時に大きな音がするのが気になる、というのが、そこだけが、なんとかならなかったのかなという点だったようだが、そういう場合は、高級品ではなくても、あえて、軽いフラッシュ戸を使用するという選択肢もあったかと思った。Hさんも入社してすぐの担当客の家であり、そこまで考える余裕はなかった時のものであったかもしれないが、フラッシュ戸と框ムク戸では、常に框ムクの方がいいとは限らない例である。 東京都小金井市の江戸東京たてもの園http://www.tatemonoen.jp/ に今はある前川國男自邸では、玄関を入って框をあがってすぐの所からリビングルームに入る所に、大きな回転扉がある。それも、中央に軸があるのではなく、大きな扉の中央から片側にずれた所に軸を作って回転するようになっている。 1989年、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕の松戸展示場では、玄関扉をそういう大きな回転扉で中央からずれた所に軸を持って回転するようになったものを設置していたが、来場客には好評でったが、玄関扉のメーカーのカタログをどんなに見ても、カタログにその回転扉は見つからなかったのだが、あれは、前川國男自邸の室内の回転扉を見て参考にして特注で作って玄関扉にしたものではないか? という気がする。 その小堀住研(株)の松戸展示場の回転扉はけっこう厚い板でできていたが、前川國男自邸の玄関ホールからリビングルームへの回転扉の方は、開閉が楽なように、軽く開閉できるようにと、意図的にフラッシュ戸にされていた。 建築費を節約するためではなく、前川圀男は、大きな回転扉は、軽いものにした方が回転させるのに軽く楽であるということから、フラッシュ戸にしたらしく、江戸東京たてもの園に訪問した際、「ボランティア」のおじさんがそう説明をしてくれた。 だから、框ムク戸は、一般には、フラッシュ戸よりも高級品で、高級感があっていいのだけれども、「そんなもの、ムクのものが、どこでもいつでも、いいに決まってる」という「一条オリジナル」「浜松オリジナル」の人の言うことは、それは違う。適材適所というように、その場所によって、どちらがいいかは違ってくるもので、それを適切にアドバイスできる営業がいい営業ではないか、と私は思う・・・・・と言うと、「一条オリジナル」「浜松オリジナル」の人は怒るので、いちいち相手にするとうるさいから、黙ってよか・・・・ということになる。
   その後、(株)一条工務店は、フィリピンに自社で工場を持ったりしたりして、どこからその扉を手に入れるかは変わってきたようだが、1990年代の初めにおいては、「ヤマハのドアを作っている会社」が作っていたように聞いたのだが、そうすると、それは「ヤマハのドアのパチモン」なのか? ・・・・というと、そもそも、框ムク戸というのは、ヤマハが発明したわけでもないし、框ムク戸はヤマハ以外のドアのメーカーでも作っているわけだし、マトアという框の部分に使っている木もインドネシアのボルネオ島からニューギニア島・ソロモン諸島といったあたりにかけて採れる木らしく、別に、ヤマハがどこかにせっせと植えて育てた木でもないし、「ヤマハのドア」と言うと「パチモン」になるだろうけれども、そうでなければ、「パチモン」とか言う性質のものでもないだろう。微妙な感じがしないでもないが、セーフじゃないか。(カリモク家具(株)http://www.karimoku.co.jp/が、マトアのことを「ソロモンマホガニー」と言い、(株)一条工務店もそれを踏襲して「ソロモンマホガニー」などと言っていたが、マトアとマホガニーは種類も異なるまったく別の木であり、「ソロモンマホガニー」はマホガニーの「パチモン」・・・というより、別物である。)

   それで。 展示場用のスリッパに入っていた「SAISON」という名前はどういう名前かというと、(株)一条工務店では、1990年代、和風の家を「百年 275S1」、一般風の家を「セゾン275S1」と名づけていたのだ。「275」は1階の天井高が2メートル75センチありますというのが「売り」だったが、しかし、2メートル75センチも天井高をとると3尺(910mm)の幅の所に入れた筋交いは耐力壁として認められないのではないのか・・・・と口に出すと怒られるから黙っているとしても(実は、そのあたり、わかっている従業員、わかっている大工が時々いて、ぽろっと口にしていたのだが)、構造計算の時には認められないはずなので、それで、構造計算が必要とされる3階建では天井高は2m40cmにしていたようだ。 「S」は「スタンダード」の「S」ではないかと思う。「サディズム」の「S」ではない・・・・と思う・・・、たぶん。もしかすると、真面目に努力する従業員を苛めるのに快感を感じる経営者の会社だからサディズムの「S」・・・なんて、もしかして、ないことないみたいな気もしないでもないが。 和風の方は、「地方」の「農家型和風」と言うと、(株)一条工務店の経営者は怒るのだが、なんで怒るのかようわからん。実際、そうじゃないか。伝統的な民家と言っても、農家と武家と商店(町屋)とでは違いがある。(株)一条工務店が「百年」と名づけていた「和風」の家というのは、「地方」の「農家」の家をいくらか垢ぬけたようにしたもの、「地方」の「農家」をいくらか現代的にしたもの、であった。かつて、小堀住研(株)が、「新 桂」「和のかたち」という名前で作っていた和風住宅は、桂離宮であるとかそういった名建築を参考にした上で、「伝統を重んじながらも、現代に・主として都市部において建てる和風」という前提で考えられたものであったのに対して、(株)一条工務店の和風「百年」というのは、「地方の・農家の建物をいくらか現代風にしたもの」というものだった。「和風」でも、どちらがいいとか悪いとかいうことではなくタイプが違ったのだ。 だから、東京などの都市部の人間で都会風の和風を求める人からすると、(株)一条工務店の和風「百年」は、「田舎くせえ~え」と感じたはずだが、「地方」の住人からすれば、その場所においては、かなり垢ぬけた・都会的な和風・現代的な和風になっていたはずである。そういう建物であり、そういう建物であるから、「地方」の「農家」であるか、自分自身は「農家」でなくても「農家」とつながりがあって、「農家」が多い地域においては好評であったのだ。怒ることはないと思う。「住友林業の家なんて、プレハブみたい」と言う人が、いわき市や福島県浜通り地方ではけっこういたのだが、それは、住友林業の家と一条工務店の家では、一条工務店の家の方が、「地方」を客層として想定して作られたもので、住友林業の家は少なくとも一条工務店の家よりも都市部を念頭に作られたものであるから、だから、そういう評判になったものである。それぞれの地域によって好みは異なるし、その場所に調和するデザインも異なる。「一条オリジナル」「浜松オリジナル」の人間と話すと、時々、怒る必要のないところで怒り出すので、つきあいずらい。
   で、「セゾン」の方だが、私のような「ポテンシャル営業」ではなく「一条オリジナル営業」は、これを「洋風」と言っていたのだが、都会の人間が見ると、「洋風」には見えなかったのだ。実際問題として、東京都江東区潮見にあった東京展示場に来場された人から、「うわっ、イナカの家みたい!」「うわっ、イナカくせ!」と何度も言われたものであり、「浜松では、こんな家が建てられてるんですかあ」と、まるで、縄文時代の竪穴住居を見るような言われ方をしてこともあった・・・・のだが、それを「浜松オリジナル」の人に言うと、「そういうことを言うからいかんのだあ」とか言って怒り出すのだが、怒るのなら私に怒るのではなく、実際にそう言った来場客に怒ってもらいたいもので、言われた人間に怒るのはやめてもらいたいと思うのだが、「浜松オリジナル」の人というのは、言った来場客に怒らず、言われた人間に向かって怒るのが特徴だった。それが「浜松流」で「一条オリジナル」らしいのだ。
   その「セゾン」という「西武みたいな名前」は、何語でどういう意味かというと、
≪ saison  (女性名詞)1.季節;時期、シーズン;収穫期、旬、猟期(漁期)。 2.湯治(の時期)。≫
(大賀正喜監修・田桐正彦編著『ポケットプログレッシブ仏和・和仏辞典 第2版』1999.1.1.小学館)
ということで、フランス語。 英語のseason にあたるようで、季節、時期と言う意味。
   な~んにも、「西武みたいな名前」にしなくても、他にもつけて良さそうな名前はあるだろうに・・・・と、1992年に私が入社した頃、東京では思えたし、従業員でもそう言う人がいたし、「一条工務店」という会社名の認知度が低い時代の東京圏において、「西武ではないのに『西武みたいな名前を名のっている会社』」というのは、大企業と似た名称をつけることでひとを信じさせてイカサマ商売をする怪しい会社? というイメージがあり、亀戸の展示場では、「ここは・・・、西武なのか?・・・」と言って入りかけて、「おい、違うぞ。ここ、西武じゃねえぞ。一条工務店なんて書いてあるぞ。こんな所、入っちゃだめだ、早く出ろ出ろ。入っちゃだめだ、こんな所。」と言った人があった、という話も聞いた。「一条工務店」という名前の認知度が低く、「西武セゾングループ」の知名度が高い場所で、「セゾン」などと言う商品名をつけると、そうなる。だから、あえて、「西武みたいな名前」をつけなくても他につけていい名前はあるはずだ、と東京圏の住人なら思うし、又、どこの住人であっても、全国規模で考える思考の人間ならそう考えると思うが、「浜松では」そうは考えなかったようだ。 「いい名前は、どこもつけたがるものだ」とか、「お客様相談室」の田中義昭が言っていたが、それが「浜松の人間の発想」「浜松の人間の意識」のようだ。「浜松こそ宇宙の中心」と思っている人間、「太陽、月、星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転している」と信じている人に、「そうではないですよ。太陽のまわりを地球がまわっていて、地球のまわりを月がまわっていて、浜松は地球の中の日本の中の一地域なんですよ」とわからせようと思っても、これはその人が生まれた時から信じてきた信仰を否定することであり、簡単ではない。疲れる。 東京にいると、「西武のパチモンと思われる名前」であるものが、浜松では「西武セゾングループ」の印象が東京でほどはなく、浜松では「いい名前」と思えたようだ。 その浜松では「誰もがいいと思う、いい名前」で、東京では「『西武と関係あるのですか』と質問されていちいち言い訳しないといけない名前」であった「SAISON」(「セゾン」)が、「浜松の洋風」「田舎の洋風」の建物の名称としてつけられていた。「田舎の洋風」と言うと、遠州人は怒るのだが、怒るようだが、実際、そうじゃねえかよお、てところだった。浜松でこの「セゾン」という建物が建っているのを見ると、その土地によく調和しているのだが、ところが、東京の住宅地で建つ場合を考えると、「イナカくせえ~え」て感じで、「洋風」にあんまり見えなかったのだ・・・・が、それを言うと遠州人は怒るので、怒る人に、説明しても、「浜松オリジナル」の人というのは、何と言っても頑固で理解能力がないので、どうしようもなかった・・・・が、たとえば、名古屋の方の営業所長になっていた近藤路夫さんなんかは「浜松でいいものは東京でも大阪でもどこでもいいに決まってるんだ。そんなこともわからんのか」などと絶叫されたが、こういう「浜松の中のカエル」はどうしようもないと思ったし、こんな人を(株)一条工務店は営業所長にならせているのかとあきれたが、(株)一条工務店の所長にならせてもらっていたような人でも誰もがわかっていなかったわけではなく、神奈川県の藤沢営業所の所長になっていたT葉さんは、自分自身も浜松の出身の人だったらしいが、(株)一条工務店が神奈川県で最初の展示場を茅ケ崎に作る時、「『こんなイナカくさい建物じゃだめだ。浜松ではこのデザインでもよくても、神奈川県ではこれではだめだ』と言ってやったんだ」と本人から聞いたので、デザインの好みや間取りの志向はその地域によって違うという私なら当たり前のこととして気づくことを気づくことができる人も、(株)一条工務店にまったくいないわけではなく、中にはいたようだ・・・・・が、「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ、と言うならそれは正しいが、空の広さは浜松の広さと同じだ、と言うならそれは間違っている」と言うと怒る会社、怒る経営者の会社であり、「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でも、八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ。20坪の家でも30坪の土地でも、二間続きの和室は絶対に必要なんだ。こんなこともわからんのかあ」と叫ぶ近藤路夫さんみたいな、なんというのか「ほとんどビョーキ」みたいな人を喜ぶ経営者の会社だった。だから、近藤路夫さんみたいな人を見て、この程度の人、こんな程度の低い人が営業所長になっている会社なら、私はこの会社にとって貴重なはずだ・・・と思ったのは間違いで、会社にとって貴重でも、自分自身も「浜松の中のカエル」であるオーナー経営者にとっては、「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でも、八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ。20坪の家でも30坪の土地でも、二間続きの和室は絶対に必要なんだ。こんなこともわからんのかあ」と叫ぶ人というのが「いい従業員」で、「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ、と言うならそれは正しいが、空の広さは浜松の広さと同じだ、と言うならそれは間違っている」と言う者というのは、許せん、けしからん!と感じるようだった。そういう会社に、まあ、よく11年余も勤めたものだと思う。エライかアホかというと、エライの方ではないような気がするのだが、まあ、よく頑張ったと思う。
   それから、英語の「SEASON」(シーズン)ではなく、ロシア語でもなくデンマーク語でもなくスウェーデン語でもなくスペイン語でもなく、フランス語を名称にしたがるというあたりも、なんか、イナカくせえ~え! いかにも、「イナカモンのやりたがること」て感じがする・・・・・と言うと怒ると思うので、怒るとわかっていることは黙っていた方がいいと判断して黙っていたが、別に自分がフランス語ができるわけでもなくフランス文学に造詣があるわけでもないのに、フランス語を使いたがるというあたり、「イナカくせえ~え」「いかにも、アタマが浜松て感じ」と言うと怒るので、「王様の耳はロバの耳」と穴でも掘って言っておくしかない・・・会社というのは困ったもんだ。「浜松の中のカエル」「アタマが浜松」の中卒か高卒の人間ばっかりかわいがって、それが会社のためなのか? と言うと怒るだろうから、「王様の耳はロバの耳」と穴に向かって言うしかない・・・という会社だった。 (株)一条工務店から防潮堤の費用だとして300億円のカネ(要するに、従業員に給料として払っていたよかったはずのものを削ってためこんだカネ)を寄付してもらって大喜びした浜松市長の鈴木康友は慶應大学の法学部卒らしく、「慶應の法学部には不定冠詞のaがつく」と昔から言われてきたのだが、同様に、「『フランス』という言葉は、日本ではイナカモンの間では丁寧語の『お』がつく」と言われてきたが、それだろう。
   その「SAISON」と商品名がスリッパに書かれていたのだわ。「LANCEL」のスリッパと、まったく同じガラで、まったく同じ色のスリッパに。 ・・・・いわゆるひとつの「パチモン」?????

   「ヤマハのドア」と同じ品質のドアでも、別に、框ムク戸はヤマハの特許でもなければ、ヤマハが考案したものでもないのだから、「一条オリジナル」にしても、悪いことはないだろ・・・・と思うけれども、しかし、「LANCEL」と書かれたスリッパというのは、まさか、それが「LANCEL」のパチモンだったわけではないだろうから、そのランセルのデザインと色で、書かれている文字だけが、「LANCEL」だったのが「SAISON」に変わった、というスリッパ・・・・て、それ、もしかして、アウトとちゃうのん??? とか思ったが、1990年代のちょうど半ばくらいから、浜松の本社に展示場用備品として「スリッパ」を発注すると送られてくるようになった・・・・のだが、いいのか、あんなん???・・・というのが、今回のお話。今も、その「SAISON」ブランドのスリッパを(株)一条工務店が展示場で使っているかどうかはわからないが、あれ、いいの????

   (2017.7.14.)

※ 《ウィキペディア―ランセル》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB
 



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