深奥山 方広寺(浜松市)と「信教の自由」の侵害【2】商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。

[第546回] 会社と営業の話(119)
   かつては、引佐郡引佐町奥山・・・という住所だったが今は浜松市北区引佐町奥山・・・という住所になった深奥山方広寺というのは、けっこう由緒がある方の寺のようで、全国的には「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で有名な京都の方広寺の方が知名度は高いし、臨済宗の寺としては、鎌倉五山第一位の建長寺とか国宝の舎利殿があって夏目漱石の『門』にも登場する第二位の円覚寺とか、茶道と茶室の寺として有名な大徳寺とか、祇園にある栄西の建仁寺とかと嵐山の京福電鉄「嵐山」駅の目の前にある京都五山第一位の天龍寺とか、京都五山第二位相国寺、第四位東福寺、「別格」の南禅寺などと比べれば知名度は低いが、地元では、単に「方広寺」とだけ言っても話は通る知名度の寺のようなのだが、いかんせん、「青壮年研修所」などといういかさまを作り、実際に行って見ると、企業の社長とかからの寄付をわんさと集めて作ったというものがあちらこちらにある、というあたり、問題がないとはとうてい言えない。 どこそこの社長から寄付をもらって作ったなんじゃらとかそういうものを集めるのが寺の役目だという認識は、それが仏教か、それが禅かというと、ちょっと違うように思うのだ。
   大学生であった時、父は「大学生なんて暇や」と言って絶対に譲らず、「アルバイトせんといかん、甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては。アルバイトを嫌がる者はモラトリアム人間(病)という病気にかかっている人間だと慶應大学の小此木啓吾先生もおっしゃってる。あるばいとお、アルバイトォ、あるばいとぉ、アルバイトォ~オ」と言いまくり、しかたなしにアルバイト漬けの生活を送り、なんで、俺だけがこんなにアルバイトばっかりやらないといけないのだろうか、と情けなく思い、また、行った先、行った先で、「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお~お」と言われたものだった。夏休み2カ月間、最初から最後まで、箱根の保養所に「雑務」という職種で泊りがけのアルバイトに行った時も、玉川大の学生から「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお」と言われ、夏休みの後、少人数の授業で、助教授から夏休みに何やってたかときかれて、箱根の保養所で「雑務」のアルバイトを泊まりでやっていたと話すと、「きみ、そんな保養所の下男なんてやっていたのでは、勉強できんだろう」と言われたものだが、実際、そうだった。大学に行けばやりたい勉強をできると中学生の頃や高校に入学した頃は思っていたが、それは幻覚だった。なんで、自分だけが・・・と何度も思ったが、我が家はそういう家だった。 しかし、そのおかげで、「箱根」というと、箱根でも宮城野橋の周りには保養所があるだけ、バス停の近くに八百屋が1軒あり、バス停の向こう側に寄木細工の店が1軒あっただけで、なぜか、「箱根トルコ」というかつてのトルコ風呂、今で言うソープランドが1軒あった(今は、ソープランドではなくなり、その施設を利用して一般向けの入浴施設になっているらしい)、という場所を思い浮かべる。「いったい、どこから入れたのか」と有名な「芦ノ湖の遊覧船」が出る元箱根でもなし、箱根の関所があるあたりでもなし、高級避暑地とされる強羅でもなし、富士屋ホテルのある宮ノ下でもなし、風光明媚な仙石原でもなし、な~んもない宮城野橋が私にとっての「箱根」の一番の印象である。それも、会社の保養所に「保養」に来る客の立場でではなく、下男として住み込みで6畳の部屋に3人泊まって働いた経験が私にとっての「箱根」である。そういう「箱根」観を持っている人間は、慶應の教授なんかやってるような人間にはあまりないだろう。それこそ、小此木啓吾なんぞは、宮ノ下とか強羅とかは知っていても宮城野橋なんて知らんだろうが、私にとっては宮城野橋が第一印象の箱根であり、それも風呂掃除やったり布団あげたりする下男が箱根だった。
   同様に、静岡県浜松市の深奥山方広寺という寺だが、全国的にはそれほど知名度はないが、浜松市限定では、けっこう知名度がある寺らしい。(株)一条工務店が「研修」などと称して、従業員に本来なら払っていていいはずのカネをその寺に渡しておこなうだけあって、「浜松では」比較的有名という、何かと「浜松では」と口にする出羽一門が好みそうな寺であるが、「浜松では」有名な寺であっても、私にとっては、人間にとって根幹にかかわる問題、人間の存在にかかわる問題である「信教の自由」を侵害された、許しがたい「反社会的勢力」の宗教団体という位置づけである。 そのあたりを理解できない深奥山方広寺のボーズどもというのは、その時点で、すでに宗教者としては失格であり、宗教者という価値はないと考えるべきものであろう。 私にとっては強羅や宮ノ下ではなく宮城野橋が箱根であるのと同様、私にとっては浜松市の方広寺は「地元では有名な寺」ではなく、人間にとって根幹にかかわる存在である「信教の自由の侵害」をする「反社会的勢力」という存在である。
画像

↑ 私にとっての浜松市の深奥山方広寺とは、↑のことである。「信教の自由の侵害」をされ、それを阻止しようと試みるも、侵害者の攻勢を防ぐことができなかった屈辱の場所である。石階段の右途中に「青壮年研修所」と書かれた石碑が建っているので、この奥だったとわかった。
今はロープが階段の下の位置に引かれており、使用されている様子はない。方広寺HP には「団体様向け宿泊研修のご案内」http://www.houkouji.or.jp/shukuhaku.html などという項目があり、「研修施設紹介」 には「大慈閣」「円明閣」などという施設があると出ており、入口でもらった境内案内図には、本堂の右手前の位置の建物について、「(24) 円明閣―研修利用」「平成2年6月竣工した宿坊 収容人員100名」と書かれています。「大慈閣」は境内案内図には出ていません。 かつてよりも豪勢な施設ができたか、もしくは、前からあった施設でより豪勢な建物をそういう「信教の自由の侵害」のために割り当てたか・・・・。

    その「座禅研修」と称して、宗教者としては明らかに失格のボーズが勝手な講釈をし、「人には9つの性格のタイプがある」とかいう「心理学もどき」を押しつける、明らかに「信教の自由の侵害」であり、その「心理学もどき」はまともに心理学・心身医学・「精神医学」を学んできた者からすれば、「程度が低い」と思われるいかさまであり、当然のことながら、従業員はそのような「心理テスト」だの受けさせられる筋合いはないのだが、(株)一条工務店 で、そういう「研修」を従業員に強制しようとしたのは、静岡県掛川市の掛川展示場で長く「所長」になってきた「通算契約棟数全国1位」ということになっていた近藤雅雄だった、というのが従業員の間では言われていた。 「従業員の間では言われていた」話というのが間違いなく正しいかどうかはケースバイケースで、(株)一条工務店では私なども私がまったく言ってもいないことを私から言われたと広められて迷惑したことがあるが、近藤雅雄の場合は、私自身が彼から、直接、「座禅研修も、絶対に強制的に参加してもらうからな。嫌だと言っても絶対に認めないからな」と言われたことがあるので、彼が主犯かどうかはさておき、彼が主要責任者の1人であるのは間違いないであろう。 私は、彼は、もうちょっとまともかと思っていたが、買いかぶっていたようだ。

画像

↑  県道68号、右に行くと方広寺という交差点。
画像

↑  上の交差点の脇に立つ、「半僧坊・方広寺青壮年研修所」と書かれた看板。
なんとも、愚かな寺であり、愚かなボーズどもである。

   「信教の自由の侵害」をおこなうための「研修」を浜松市の深奥山方広寺で実施しようとした掛川営業所長で実力もないのに「営業部長」になってしまった近藤雅雄(正雄? 正夫?)は、営業としては私は同社の「研修に講師として来る人間の中では悪くない方の人間」と評価していた。 もっとも、この評価は、橋下徹が「政治家の中では最もイケメン」と言われた時に、「『ウ○コの中では最も形のいいウ○コ』と言われたみたいでうれしくない」と発言したことがあったが、それと似たようなところがあって、あんまりほめたことにならないかもしれないが。
   彼が研修の「講師」役として来て発言したもので、まともと思えたものが3つある。
≪1≫ (株)一条工務店に入社する前、前職は自営業だったらしいのですが、取引先の会社に訪問した際、担当者と合うと、担当者がいかにも不愉快だという顔で、「おまえ、今、いったい、何やった」と言うので、いったい、何を良くないことをやっただろうかと考えたが、その会社の門から事務所までの間で、その会社の商品を作るための金属の板が置いてあったが、踏んで壊れるようなものではなかったが、通る際に、それを踏んで通ってきてしまった。 それがその会社の人間としては、極めて不愉快であったらしい。
≪2≫ 「売るためには、ローン・税金・家相のいずれかについて詳しく知るようにしてもらいたい」という発言、
≪3≫ 「財布には常に10万円以上、入れておくようにしてもらいたい。 もし、10万円が無理なら5万円以上でもいいから。 最低5万円以上財布に入れておくというようにしてもらいたい」という発言。
この3つは、実際に、(株)一条工務店で実行して、もっともだと思うようになったものです。
まともでないものが1つある。
≪A≫  「掛川市の人口は4万人・・・・」  ウソです。掛川市の人口は、その頃の地図帳の後ろの資料で8万人少々、今、ウィキペディアで見ると、11万何千人。 人口の数値が異なることよりも、掛川市の周囲に人が住んでいないわけではなく、そういうことを言って、実際には、全国の他の地域に比べて条件は悪くない方の場所で仕事をしてきたにもかかわらず、自分が条件が良くない所で良い成績をあげたかのように言いたい、という姑息な態度。
   私が受講したものではないが、同じ営業所に私よりも後から入社した人が受講した「研修」で彼が言ったということで、まともなものが1つある。
≪4≫  「ひととおり、契約を取ったら、そこから先は自分で考えてやるしかないですね」
私より後から入社したWさんが受講した「研修」で近藤雅雄が言ったということで、これはいかがなものかと思ったものが1つある。
≪B≫  「皆さんは売れる人ですから」と言われた、と言うのです。
これら、プラスに評価できるもの、≪1≫~≪3≫と、マイナスの評価となるもの、≪A≫≪B≫について述べます。

≪1≫ 近藤雅雄は、(株)一条工務店に入社する前、自営業としてやっていたらしく、その際、取引先の会社に訪問して、相手と会った時に、「おまえ、今、いったい何やった?」といかにも不愉快だという調子で言われたことがあった、という。 「いったい何をした」と言われても、特別なことはしていないと思ったのだが、思い返してみると、そこの会社の門から事務所まで入ってくる途中に、そこの工場で加工している金属の材料が置いてあって、それを踏んで通ってきていた。 これから加工する材料であって、踏んだからといってそれでどうなるものでもないのだが、その会社の人からすれば、それで自分の会社の商品を作る大事な材料を踏みつけにしやがった、という印象を受けたらしい。たとえ、踏んで通ったからといっても、これから加工する材料であり、踏んだからといって壊れるわけでもない物であっても、大事な商品を作る材料を土足で踏むとは何事か、ということだった。 こういうことは気をつけないといけないと思いました、と彼は話したのだが、その時、なるほど、そういうこともあるかと思って聞いていたが、その後、実際に、私自身が、その思いをする経験を持つことになった。
〔ア〕   (株)一条工務店では、同社の在来木造住宅の構造材を機械プレカットする工場と住宅設備機器を各メーカーから購入してそれを各工事現場に配送する配送部門を担当する工場について、日本産業(株)という名称をつけていた。 山梨県上野原市、ここもかつては上野原町だったが「平成の大合併」で隣接の町村を合併して上野原市になったが、そこに「西東京工場」があった。 山梨県にあるのに「西東京工場」とは、これ如何に? て感じだが、「山梨工場」とか「上野原工場」とか言うよりも「西東京工場」と言った方が聞こえがいいと思ってそういう名前にしたのだろうけれども、それなら、なぜ、東京都にも工場用地はあるのに山梨県に工場を作るのかというと、山梨県の方が土地が安かった、かつ、都道府県ごとに設定される最低賃金も山梨県の方が東京都・神奈川県よりも安く、人件費も安く抑えることができると考えたからであろうけれども、東京都・神奈川県・山梨県の境目付近の山梨県の工業団地の工場というのは、坂があって冬は雪が降る、午前に雪が降ると東京都では夕方になると溶けるのに対して山梨県では夕方になると凍る、いったん凍ると春まで溶けない、東京都では雪が凍ったものはハンマーで叩けば割れるしお湯をかけると溶けるが、山梨県で雪が凍ったものはハンマーで叩いても割れないしお湯をかけたりしたのではかけたお湯が凍ってしまう。 土地代が安くても、それだけ、条件が悪い場所だったが、そのあたりも考えた上で、工場の場所は選定するべきであるが、そのあたり、私に相談してくれれば力を発揮したはずだが、アホにばっかり相談する会社だった。 私が入社した直後、営業本部長の天野隆夫が「○○くんが応募してきた時はびっくりしたなあ~あ。うちの会社に慶應大学の人が来てくれるのかと驚いた」と言って喜んでくれたのだが、それだけ喜んでくれるのなら悪くないだろう、それだけ喜んでくれる会社に貢献したいと思ったものだが、せっかく、そういう人間を採用できても、絶対にそれを生かしてなるものか!という強い強い信念を持っている経営者の会社だった。
    その(株)一条工務店の工場部門である日本産業(株)の山梨県上野原市にある「西東京工場」に、2001年、「木材の乾燥の検査」と称して、「東京大学の先生と学生」が来た。 そして、そいつらが何をやったか。 木材の機会プレカット工場に来るのに、ゴムまりを持って来た。 ゴムまりは木材の乾燥の検査において、何に使うのか? 何に使ったと思いますか?  工場の防火材として吹き付けていた鉱物繊維が崩れて落ちてきていたのだが、そこにめがけてゴムまりを投げつけてキャッチボール。 さらに、(株)一条工務店で家を建ててくださるお施主様の工事現場に送るためにパレットに載せてまとめてある住宅設備機器に投げつけてキャッチボール。 こいつら、いったい、何しに来てるんだ?  しかも、アホ学生がそういうことをしているのに、指導者らしい教授なのか准教授なのかはひとこととして注意もしない。 こいつら、いったい、どこのアホ大学なのか、というと、「東京大学」というアホ大学だったようだ。 工場の防火材として吹き付けてあった耐火材の鉱物繊維は、何もしなくても剥落してきていて、剥落してしまうと、その部分に防火材がないことになり、防火性能に問題があることになるし、又、(株)日本産業の上野原市の工場で鉄骨の構造材吹き付けていた鉱物繊維は、石綿(アスベスト)〔蛇紋岩からとられる天然鉱物繊維〕ではなく代替品のロックウール(岩綿)ではないかと思われるが、工場長になっていた主任で2級建築士だという渡邊は「これ、石綿じゃないから吸い込んでも大丈夫です」などと暴言を吐いたが、それは間違いで、石綿(アスベスト)は、吸い込むと、石綿(アスベスト)の繊維が肺の壁に突き刺さり、肺がん・中脾腫の原因になるとされて今では使用禁止になっているようだが、代替品として使用されるようになったロックウール(岩綿)〔玄武岩からとられる人工鉱物繊維〕もまた、石綿(アスベスト)よりは危険性は低いとしても、まったく問題がないわけではないとして、代替材の問題が言われるようになってきた、というものである。そもそも、「普通のほこり」であっても吸い込んで健康にいいものではないはずである。 工場に訪問して、わざわざ、物をぶつけると剥落が進むと思われる鉄骨の構造材に吹き付けた鉱物繊維にゴムまりをぶつけるというのは非常識である。 そして、これからお施主様の工事現場に送るという住宅設備機器にゴムまりを投げつけるというのは、その神経を疑うものである。 ゴムまりをぶつけたからといって、その住宅設備機器が壊れるというものではない、としても、(株)一条工務店で契約して建ててくださる方のお家にとりつけるものではないか。 それにめがけてゴムまり投げつけるというのは、何を考えてるのか。 そもそも、「東京大学」というアホ大学のアホ学生がゴムまりを投げつけた住宅設備機器をとりつけることになる工事現場のお施主様のその契約をいただくために、営業の人間はどれだけの苦労をしたか。 たとえ、全国で最も少ない契約しかもらえなかった営業であっても、そのちびっとの契約をいただくためにどれだけ大変な苦労をしたと思ってるのか。そのお客様の家に送る住宅設備機器にめがけてゴムまり投げつけるアホウをなにゆえそこに連れてこなければならないのか?!?!硬球と違ってゴムまりをぶつけても壊れないかもしれない。しかし、壊れなければいいというものではないだろうが。そもそも、「木材の乾燥の検査」に来る人間が、なにゆえ、ゴムまり持ってくるんだ? そして、そのアホ学生に対して、ひとこととして注意しないバカ教授なのかバカ准教授なのか。そのバカ教員、建築・住宅に関する研究はやめたらどうか!?! そんな人間に、まともな「研究」ができるとは思えないのだが。 そもそも、どのような仕事にしろ、ひとが働いている工場にやってきて、ひとが働いている横で、ゴムまりを投げつけて遊ぶアホを連れて来る教員というのは何だろうか。 そのアホ教員に対して、「帰れ!」と言ってあげるべきだったであろうか。実際、帰ってもらった方が本人のためだったのではないのか、と今も思っている。
〔イ〕    「ともかく安い」という価格帯で、かつ、「ともかく安い」という価格帯ではあるが、最低限のレベルのものを作ろうという努力もしていて、その点で高い評価を受けている住宅建築会社のアイダ設計(株) という会社がある。 アイダ設計(株)の家は、「ともかく安い」という価格帯の建物としては、なかなか工夫がされていて、また、販売のための工夫もされており、その点ではいいと思うのだが、この会社では建てたくないなあと思う点もある。2014年のことだが、同社は総合住宅展示場に出展している営業所もあるがそうではなく街中に不動産屋のような外観の店舗を出店している所の方が多い。最近では請負で建てるものの方が多くなったが、もともとは建売・建築条件付きの方の比重が多かった会社だからということがあるかもしれない。アイダ設計(株)の千葉県市川市の行徳店で店長になっていたO川くん(男。当時、20代?)が、浦安市内で建築中であったお宅について、「見ればわかると思いますが、常識で考えて、土足で上がって悪い所はないはずですから」と言うので、あきれたことがあった。 アイダ設計(株)はこんな人を「店長」にならせているのかと思った。 そのお宅、浦安市富士見のマルエツの近くだが、すでに1階・2階とも、下地材の合板を床に貼っていたのであり、O川くんも当然のことながらそれを知っていたのだ。知っていて、そこまで工事が進んでいる家について、「見ればわかることですが」「常識で考えて」、「土足で上がって悪い所はないはず」と言い切ったのだ。 私の「常識で考え」れば、「見ればわかることですが」、そこまで工事が進んでいる家に上がる際には上履きに履き替えるのは当然である。 1992年に(株)一条工務店に入社した年、(株)一条工務店の東京圏である程度以上長く仕事をしてきた大工さんSさんに質問したことがある。 「どのくらいまで工事が進めば、上履きに履き替えるのようにするべきでしょうか」と。上棟の作業の時には、大工も土台の上に土足であがっている。そこで上履きに履き替えろと言われても、それでは作業はできない。 仕上げの床まで貼ったら、たとえ、養生していても、屋内に入る時、框を上がる時には上履きに履き替えるべきでしょう。 その境目はどのあたりか。 その大工さんSさんは「根太(ねだ)を貼ったら、従業員は上履きに履き替えてほしいな」と、そう言ったのだ。 「お客さんは、根太くらいの時は土足で上がってもしかたがないと思うけどね。」と。 そして、「お客さんでも、たとえ、下地の床でも床を貼ったら上履きに履き替えるようにしてほしいな」と。 さらに、1990年代後半、茨城県北茨城市だったかで他の営業が担当で建築中の家に工事中に訪ねたところ、その現場の大工から、「この間はひどい目にあった。 雨がどしゃぶりのところを、ここの施主さんが来て、もう、仕上げの床を貼ってるのに、泥だらけの靴でそのまま上がったんだよ。 自分の家じゃないかと思うのだけれども、それを平気で仕上げの床の上に泥だらけの靴で上がるんだ。 その後、大変な拭き掃除をさせられたよ。 自分の家なのに、仕上げの床の上に泥だらけの靴で上がるということに平気なんだろうかねえ」と。もし、泥だらけの靴のままで仕上げの床の上に上がったとしても、引渡しまでに工事担当が補修するかもしれない。しかし、たとえ、そうであっても、仕上げの床の上に泥だらけの靴で上がるというのは、常識で考えて適切ではないだろう。 1992年に教えてくれた大工さんの認識が妥当ではないかと私は思う。 従業員なら根太(ねだ)を貼れば、そこからは上履きに履き替えるべきで、お客さんは根太を貼ったくらいの段階では土足で上がる人があってもしかたがないが、お客さんでも、仕上げの床材ではなく下地材でも床を貼ったならば、そこからは上履きに履き替えてもらいたいし、土足で上がろうとする人がいたならば、営業担当・工事担当は、上履きに履き替えていただくようにお願いするべきだ、と私は思う。 それを、アイダ設計(株)では、若造とはいえ、「店長」にならせてもらっていた人間が、仕上げ材ではなく下地材とはいえ、すでに床板を貼った段階の家に、「見ればわかると思いますが」、「常識で考えて」、「土足で上がって悪い所はないはずだとわかるはずです」と、そう言ったのだ。アイダ設計(株)はそんな認識の男を「店長」にならせていたのだ。 O川くんの場合、父親が私より5歳ほど年下で、その男がアイダ設計(株)で土木部長になっていたそうで、土木部長になっていた男の息子だからということで、いくらか他の人間よりも優遇されていたということがあったかもしれないし、弟もアイダ設計(株)に勤めていたようで、実際問題として、彼らに逆らうと「3人がかり」で相手にしないといけないということから、又、亀田3兄弟みたいな雰囲気で「うちの家系は血の気が多いんだ」とその父親が自分で言っていたらしいこともあり、従業員から恐れられていたところがあったようだが、そうであったとしても、まがりなりにも「店長」にならせてもらっていたということは、入社したばかりということではないはずだ。 在来木造で建てている会社の従業員が、根太どころか、すでに1階・2階とも下地材とはいえ床を貼った建物に、「見ればわかると思いますが」、「常識で考えて」、「土足で上がって悪い所はどこにもないはずです」とそういうことを言ったのだ。アイダ設計(株)自体がそんな認識の会社であるのか、O川くん個人がそんな非常識な認識の人間なのか。 もし、それは彼個人の認識であったのなら、アイダ設計(株)はそういう非常識な人間を「店長」にしている会社ということになる。土木部長になっていた男の息子だから特別扱いであったということもあったのかもしれないが、それなら、今度は、アイダ設計(株)はそんな男を土木部長にしている会社、ということになる。 合板を下地材として床に貼った所に土足で上がったとしても、その後、箒で埃をはけば、実際問題として特別に問題は出ないかもしれない。しかし、たとえ、そうであったとしても、仕上げ材ではなく下地材であったとしても、床をすでに貼った建物に土足のまま上がるというその神経は、住宅建築業の会社の従業員としてはいかがなものかと思う。 それはその家を大事にしたいという心が不足しているからそういう行動に出るのだと思う。 営業の仕事をしてきた人間ならば、自分が担当の家については、職人さんにも工事担当者にも、大事に扱っていい家を作ってほしいと考えるものだ。 営業が土足で上がって、それで、職人さんに靴を上履きに履き替えてくださいと言えるか? 営業が土足で上がっておいて、お客さんに、靴を上履きに履き替えてくださいと言えるか?  下地材とはいえ床を貼った建物に、「見ればわかると思いますが」、「常識で考えて」、「土足で上がって困る所はどこもないとわかるはずです」という小川くんの発言が、アイダ設計(株)の会社としての認識なのか、小川くん個人の認識なのか、どちらなのかはっきりとしないが、いずれにしても、そういう認識の人間を「店長」にならせていた会社、そういう認識の人間の父親が土木部長になっていた会社というのは、私が見込客の立場なら、そういう会社で家は建てたくない、と考える。 (株)一条工務店の掛川営業所の「所長」になっていた近藤雅雄が、前職の時に、取引先の会社に訪問した時、門から事務所までの間に、そこの会社で加工していたものの材料の金属の板が置かれていたのを踏んで通った時、その会社の人間は、「おまえ、今、いったい何やった!?!」と怒った、というが、アイダ設計(株)の小川くんには怒ってくれる人が必要だったのではないかと思うが、父親は土木部長にならせてもらっていたというわりに、息子にその程度の指導もできない男だったようだ。かつ、土木部長になっていたらしい父親は「うちの家系はみんな血の気が多いんだ」と他の従業員に社内で言ったりする男だそうで、小川くんの弟までアイダ設計(株)に勤めていたようだったが、父と息子2人の3人で亀田3兄弟みたいに幅をきかせていたらしい。亀田3兄弟みたいな態度を会社でとる人間というのがいいか? 私はよくないと思う。そういう男が土木部長になっている会社という点から考えると、アイダ設計(株)というのは、なんとか一定の水準を保ちながらなんとか低価格で建てることができるようにと相当の努力と工夫をしている会社でその点は評価でき、又、販売においても売るための工夫もしている会社だとは思ったが、見込客の立場に立つと、契約したくない会社、そこに頼みたくない会社ということになる。

≪2≫  「契約をあげるために、ローンと税金、それに家相のどれかについて、お客様と話ができるように十分に知識を蓄えておくようにしてください」と、近藤雅雄は「研修」に「講師」役できて言ったのだが、これはもっともだと私は思う。 但し、「一条の営業のやり方」には反するかもしれない。 小堀住研(株)では、「営業は、知識と営業技術と意欲の3つのうち、最低2つあると、なんとか売れる。 1つでは売れない」と研修で言われ、「とりあえず、知識を身につけるように、住宅・建築について学習してください」と新卒社員研修の時に言われた。「君らの中で、頭下げるのが好きという人間、どれだけいる? ちょっと、手をあげてみてくれるか」と研修を担当したTQC推進本部営業部会の課長だったMさんが言うと、誰も手をあげなかった。 「ということは、きみら、頭下げるのは好きじゃないということだな。 それなら、勉強して住宅の知識を身につけんといかんな。 住宅についての知識を身につけて、アドバイザー・コンサルタントになれば、お客さんはコンサルタントに頭下げてもらおうとはしなくなるもんや。 それを、何を話してもな~んも知りよれへん、となると、ペコペコペコペコ頭下げるペコペコ営業やるしかないことになる」と言われたものだ。 これは、戸建住宅建築業の会社においては、どこにおいても共通するものだろうと私は思ったのだが、(株)一条工務店においては、営業本部長の天野隆夫が、「営業に知識なんて、ちっとも関係ないでえ」と言うのだった。 そうかあ~あ? と思ったのだが、天野隆夫は、でまかせ・でたらめを言う嘘つき営業が好きだったようだ。 但し、天野隆夫は営業本部長であり、あくまでも、営業本部長として、嘘つき営業が好き♪ だったということであり、お客様が嘘つき営業が好きだということではないので、営業本部長の好みのタイプになれば売れるというものでもないのだが、好みでないタイプになると条件の悪い営業所に配属されたりするようだ。 私なんかは、「好みのタイプ」ではなかったようで、終始、条件の悪い所にばかり、行かされた。 営業本部長の天野隆夫は、「営業に知識なんて関係ないでえ」と言う人間で、住宅の知識を身につけようという努力をせず、デタラメを言いまくる営業が好きだったようだが、掛川営業所の「所長」になっていた近藤雅雄は、この点については天野隆夫とは認識が違ったようだ。 そうすると、天野隆夫は自分が考えることを「一条のやり方」と言うので、近藤雅雄はこの点で「一条のやり方」に反することをやっていたことになるし、研修で「講師」として呼ばれて来て「一条のやり方」に反することをやれと指導したことになるのだが、そもそも、「一条のやり方」とは何か、一条工務店において特に反社会的なことをやらずに多く売ることができるやり方が「一条のやり方」と違うのか、という視点から考えるとオーナーの義理の弟として20代の頃にちょろっと創業の地の浜松で営業やっただけの営業本部長の天野隆夫のやり方というのは「一条のやり方」ではないことになってくる。
〔ア〕   但し、近藤雅雄が言った「ローンと税金と家相について、そのどれかについて詳しくなってください」というのは間違いではないと思うのだが、しかし、私も、詳しくなろうとはしたものの、実際のところ、「税金は、税金の本を読んでもなかなかよくわからない」という面がある。 私が経験の浅い人とは違うという自信がある部分は、建物の不動産取得税では、自分が住む家の不動産取得税は控除があるのだが、延べ床面積が一定面積を越えるとその対象外になる、という点、これを知らない人がいるのだが、私は、(株)一条工務店に在籍後半においては、私の担当客にはその点をきっちりと説明してあげたので、経験の浅い営業が担当であったり、デタラメ営業が担当であったりした人とはその点で違いがあったと思う・・・・が、私がなぜこの点について絶対にきっちりと説明するようになったかというと、在籍前半において、よくわかっていなくて、十分に説明することなく建てていただき、高い不動産取得税を払わせることになってしまった担当客があったからである。 失敗の経験を経て認識したものであった。
〔イ〕   ローンについても、経済情勢を見てアドバイスできれば、といったことも考えたが、経済学部・商学部系統の学部卒だといっても、「経済の見通し」なんて、簡単にわかるものではないのだ。 だから、これも、わかればいいけれども、なかなか、わかるものではない。但し、ローンという「借りる方」だけではなく、「預ける方」と「借りる方」の両方について、考えてみる、いくらかなりともそういったものについての知識を持つことができれば、顧客とも、そういう人と話ができる、ということはあるはずだ。 佐藤ゆかり が、「株価が上がったといっても、株を持っていない人はどうすればいいでしょうか」と言われて、「買えばいいのと違いますか」と言ったという話がインターネット上に出ていたが、実際問題として、「株」というのは上場企業で筆頭株主になるくらいの株を持つのは相当のカネがないと持てないだろうけれども、1単位株持つということなら、何十万円で持つことはできるのだが、ところが、そういう取引をしたことがない人にとっては、まず、証券屋とつきあうということからして、大変な問題となる。 住宅の営業は、1単位株くらいはどこかの上場企業の株を持っておくべきで、株・投資信託・貴金属、そして、土地建物といったものについての投資を自分自身も他人事としてではなく自分自身の問題として考えてみるべきである。 考えて、常に成功するかというと、なかなかそうもいかないとしても、そういった問題を自分自身のこととして考える人間は、そういう顧客との話ができることになり、顧客の幅が広がる、特にそういう客層の顧客を獲得できる可能性が広がるということであり、証券屋とも信託銀行とも関わったことがないなどということではいけない・・・はずだ・・・・が、サラ金とばっかりつきあったことがあるらしい人というのも(株)一条工務店にはいたが、そんなレベルの低いことでは、そういう「ブラック」な客層とつきあうことはできても、カネのある客層とのつきあいができなくなるのではないか。又、そういう問題を考えていると、実際にはカネがあるかないかの問題ではなく、そういう問題を考えようという姿勢があるかないかの問題であるのに、「おっ、金持ち」とか自分が努力しないだけであるのに勝手なことを言うヤカラが出てきたりするので、そういう連中には話さないようにするとかいった工夫も必要であると知るようになる。 そういうことを考えると、ローンに限らず、「借りる方」と「預ける方」についての知識は蓄えるべきであろう。
   似た問題として、どの新聞を購読するかという問題がある。新聞はその地域のことをよく理解するためにということで他地域から行った人間が地方新聞を意図的に読むということはありだと思うが(私はそう思って、1993年、福島県いわき市の営業所に赴任した時には「福島民報」を購読したが、あんまりにも福島県ローカルすぎて(なにしろ、一面が「栃東、勝ち越した」なんての・・・)で、しばらくして、毎日に変えた。 1998年、栃木県佐野市に赴任した時は、栃木県には「下野新聞」という地方紙があったが、実際の購読者数では佐野市付近では圧倒的に読売が多く、下野新聞の読者はそれほど多くないようだったので、朝日にした)、そうでないならば、「朝日と日経」を読まないといけない、「読売とスポーツ」読んでたのでは、そのレベルの客層しか契約はもらえないことになる。『憂国のラスプーチン』という元外務省 佐藤優氏がモデルの漫画で、佐藤氏がモデルの憂木護が拘置所に入れられた際、隣の部屋の住人が、どこか他の人と違うと感じることがあり、見ていると、「朝日新聞を読んでいる」ということから憂木護(佐藤優氏がモデル)は「インテリなんだ」と感じる場面があるが(その人物は元連合赤軍 坂口弘氏だった)、その逆に我が家の近所で、古紙回収の時に表に出している新聞を見かけて、「読売新聞を出している」、ここのおっさん、前からアホやと思うてたら、やっぱり、読売よんどった、やっぱり、アホやった・・・・てことがある。 「読売とスポーツ」読んでる人間と「朝日と日経」読んでる人間と、違いは、出る!
〔ウ〕   家相については「モロ刃の剣」のようなところがある。 家相というのは、もともとは、「住まいを建てる際の知恵」であったはずなのだが、時代を経るに従い、こじつけみたいなものとか、特定の場所にのみあてはまるものがどこにおいても尊重しなければならないかのように広まったものとか、そんなものを律儀に守っていたのでは家は建たなくなる、というようなものまで出てきた。 だから、これは「知っておればいい」というものではなく、「家相」の場合、獲得した知識をそのまま無警戒に話すと、何も話さないよりかえって問題が発生する場合すらある。知識を獲得するのは基本的にはいいことだが、どのような知識でもともかく知っていることを話すのと、顧客が求めていることに対して的確な内容を程度の量と深さを、適切なタイミングで話すのとでは効果は違うのだが、たいていの知識は、あくまで、効果が大きいか小さいかなのだが、「家相」については、対応のしかたによってはまったく話さないよりマイナスになる場合もありうる。 「家相については、尊重して悪いことはないのですが、どこまで尊重してどこは妥協するかということも同時に考えないと、住める家にならなくなってしまうこともあります。ですから、どこまで尊重するのかということも考えないといけません」と言うと、たいていの人は「そうですね。うちもそう思います」と言われるのだが、そう言われる以上はそう認識してもらいたいと思うのだが、無茶苦茶、家相にこだわり、あちらこちらから家相の「情報」を仕入れてきて、「これ、どうしたらいいの」とその数多くの家相についての「情報」を盛り込んだ家を設計してくれと要求してくる人がいる。住宅建築業の会社の営業は魔術師ではないので、それを仕事にしていないお客様よりもいくらか智慧を働かせるということは時としてできても、不可能を可能にするようなことはできない。延床面積20坪の家に延床面積60坪の家と同等の間取りを作れと言われても、そんなことできたら、私が建ててほしいわと言いたくなる。家相について、うかつに深入りすると、いわば、そんな要求をしてくる人がいる。ある程度広い土地とある程度以上の予算のある人が、自分自身でもどこは家相を守ってどこは「割り切る」か考えながら検討してもらえればいいのですが、土地も狭く予算もない人が、家相の「情報」だけ大量に集められて、「これ、どうすればいいの」とどうすればいいかを住宅会社の営業に求められても、魔術師でもない者には、それはどうもできることではないがそのどうもできないことを要求されてしまう場合がある。だから、家相については、その知識を獲得すればいいというものではなく、その上で、顧客に対して、それをどのように話すのか、話さないのか、という判断が必要になってくる。この点で、私は(株)一条工務店を辞める頃、及び、辞めた後においては、相当の自信があった。(「相当の自信があった」といっても、他の営業との比較では、他の「設計」との比較ではであって、魔術師になったのではない。) 東海住宅(株)http://www.10kai.co.jp/ の千葉県佐倉市上志津の分譲地に来られた年配の女性から家相についての話をされた際なども、それにきっちりと応じて話をしたところ、「よく知ってられますね」と言われて喜ばれたが、住宅建築業の会社の従業員でも、特に東海住宅(株)のような不動産屋系の従業員にはそのあたりがわかっていない人間が多いのではないかと思うが、そういう人とは違うと話をしてわかってもらえたようだった。 (株)一条工務店では、1992年、東京展示場(江東区潮見)にいた、同年に新卒入社したF原(男。 当時、20代前半。明治大卒と聞いた)は、浜松の本社の研修で、「家相を気にしたら家は建ちませんよ」と見込客・契約客には言うものだと教えられてきていたようで、東京展示場で担当した見込客には必ず、「家相を気にしたら家は絶対に建ちませんよ」と言っていたようだったが、それは違うと思った。 同社は在来木造の会社であり、在来木造で建てる人というのは、鉄骨系ハウスメーカーやツーバイフォー工法で建てる人などに比べて家相を重視する人の割合が多いはずで、特に、その後、私が赴任した福島県いわき市などでは、都会か「地方」かと言えば間違いなく「地方」型の土地柄であり、「家相なんか気にしたら家は建ちませんよ」などとF原みたいなことを言ったのでは、それこそ「家は建ちませんよ」という土地柄だった。たとえ、施主が家相や日取りについて特にこだわりはなくても、親戚や近隣の人間はいいとは言わない。 餅撒きするのが普通の場所では餅を用意しなければならないし、三隣亡に家を建てると「3軒隣まで亡びる」なんて言われると、日取りを重視する土地柄の場所で、「いいんだ、いいんだ」と言って三隣亡に上棟なんてすると、近所から恨まれる。そういう場所において、どういう対応をするか。まず、家相においては、「使いやすい間取りの家は、その点において、吉相の家。使いにくい間取りの家は、その点において、凶相の家」であるということを認識した上で、個々にどう対処するか考えていくしかない。それをF原のように「家相を気にしたのでは家は建ちませんよ」などと非常識なことを言ったのでは嫌われるでしょうし、ましてや、「『家相を気にしたのでは家は建ちませんよ』ときっちりと言ってありますから」と、「きっちりと言ってある」などという認識をしている、そういう認識を浜松で教えられてきた、というのは、これは、その研修はおかしいと言わざるをえない。その点、近藤雅雄は、家相についても、「売るためには、詳しくなってもらいたい」と「研修」で「講師」として発言したわけで、F原が新卒社員研修で浜松で教えられたこととは正反対のことを教えていたのだが、この点については、近藤雅雄の方が正しいと私は思ったし、今もそう認識している。 私が見込客・施主でも〔1992年に(株)一条工務店の東京展示場にいたF原のように〕私立大学出てきたばっかりの20代の若造に「家相を気にしたのでは家は建ちませんよ」などと「きっちりと」言われたあかつきには、この不真面目な男は何だ! と思い、間違いなくその若造にマイナスのポイントがつくことになるだろう。
   特に、家相については、家相について書かれた本は書店で売られており、そういうものを読んで学ぶことはできるのだが、それを顧客にどのように話すか話さないかというのは、これは、実際に営業の仕事をして経験して身につけるしかない。本を読んだだけでは身につけることは難しいと思う。 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、千葉市中央区鵜の森町。 2013年11月に倒産〕で、「工事責任者」と自称していたわりに工事現場を見に行かない、見に行こうにもクルマを運転しないU草A二が「ぼく、営業、やったことないですけど、営業できますから」と、あつかましい文句を何度も何度も大きな声でふてぶてしくも言っていたが、「やったことない」ようでは、特に、家相について、どのように話すか話さないかという判断力はつかないはずだ。 そもそも、「やったことないですけど、できますから」などと、そういうあつかましい文句をふてぶてしくも簡単に口にする体はブタのくせに頭の中身は軽い軽薄な男に頼むというのは、そのことこそ、「家相上、よくない」、「凶相である」ということになるのではないか。

   (2017.7.9.)

   次回、 【3】払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html 

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック