深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【4】黒門。営業は自分で考える物+協力を求め契約になるなら
[第548回] 会社と営業の話(121)
私が受講したものではないが、私より後で入社したWさんが受講した「研修」で「講師」役できた近藤雅雄(正雄? 正夫?)が話したというもので、もっともなものが1つある。
≪4≫ 「ひととおり、契約を取ったら、そこから先は自分で考えてやるしかないですね」
私が入社した1992年と違って、その後、1990年代後半に入った頃は、入社直後とそれから何か月か経った時と中途入社の新入社員研修を2回おこなっていたように記憶しています。 2回目は、それまでに1棟以上契約が出た人とゼロ棟の人とであったか、2棟以上契約が出た人と1棟以下の人とであったかに分けておこなっていたように思います。 それに、「契約が出た人」の方に参加した福島県の営業所で入社したWさんが参加した時に、講師役できた、その時は掛川営業所長であった近藤雅雄が、「ひととおり、契約がとれたら、そこからは、もう、自分で考えてやっていくしかないですね」と話した、というのです。
これは、誤解を招くおそれもある発言ではあるのですが、まともな発言で、言えない人が少なくない発言です。そのあたりを聞いて、私は、近藤雅雄さんという人については、(株)一条工務店という会社では、静岡県西部・愛知県地域でずっと営業をやってきた人には「浜松の中のカエル」みたいな人が多いが、この人は、そういう面がまったくないかどうかはさておき、なかなか、まともなことが言える人だという印象を受けていたのです。
「誤解を招くおそれもある発言」というのは、それは、「ひととおり、契約を取った」としても、住宅については学ぶものは多いし、1年やそこらですべて習得できるとか、ましてや、長年やってきた人間と同じになるということではありません。 知識面についてだけでなく、営業技術についても、これは、何年かやって、つらい思いを何度かして身につけていくものであって、「ひととおり、契約を取った」ら、それで、一人前、それでOKというものでもありません。 1980年代の後半、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕に入社した直後の入社式の後の立食パーティーで、3人いた「常務」のうちの1人だけ銀行出身でない実際に同社の営業の仕事をしてきたKさんが、私に「住宅の営業の仕事は、2回、壁にぶつかる」と話してくれたことがあり、それを聞いて、誰であったかわからなかったのですが、横にいた人が、「2回ですか。ぼくは3回だと思いますけれども」と話した、ということがありました。 これは、他の会社においても、状況は似ているのではないかと思います。 「ひととおり、契約をとった」とすれば、それはけっこうなことではありますが、それで、もう、住宅の営業の仕事を習得したみたいに思われては困ります。 近藤雅雄さんは、「ひととおり、契約をとった」ら、それで、もう、住宅の仕事を習得できたみたいに思っていいという意味で言ったのではないと思います。「ひととおり、契約をとった」ら、その後、壁にぶつかることはないという意味で言ったのではないでしょう。 そうではなく、その後の言葉、「そこから先は自分で考えてやるしかないですね」という、そちらの方が主でしょう。 「ひととおり、契約をと」るというところまでは、会社は指導するべきです。 しかし、そこから先は、「基本的には、営業は自分で考えてやるもの」だ、と、それを言いたかったのではないか。
(A) 実際、(株)一条工務店でも、相当長年勤めている人のはずなのに、なんか、新人みたいなことを言う人が時としているのです。 「新人みたいな」というのは、「新人みたい」に謙虚というのなら悪くありません。 そうではなく、 もう、在籍している営業の中ではベテランの方に属するはずなのに、新人みたいに営業のやり方を「教えてもらおう」とする人がおり、営業の仕事において応援する側か応援してもらう側かというと在籍年数・経験から考えて応援する側のはずと思える人で応援してもらおうという意識の人がいるのです。
(B) (ア) これも、相当のベテランであっても苦手な部分というのはあるわけで、その部分について得意な人に頭を下げて「教えてもらおう」というのなら悪いことはないと思います。 私自身の経験から言えば、1990年代後半、福島県いわき市の営業所にいた時、私は、比較的広い家の契約が多いとして、工事担当者や大工さんからはその点で喜ばれていたのですが、一方で、延べ床面積20坪くらいの小さい家を建てようという人だってあるわけですが、そういう契約を取ろうと思っても取れなかったのです。ある時、その延べ床面積20坪くらいで建てるかどうしようかという見込客があり、同じ営業所(展示場)に、「20坪キラー」と言われる、小さい家の契約を取るのが得意のKさんがいたのです。Kさんは、お願いすると嫌がらずに他の営業の仕事に協力してくれる人でしたし、私は、Kさんにお願いして、「上役だ」という設定にしてでも、あるいは、「同僚だ」という設定ででも、私に同行してその見込客のところに行って、私のために、その延べ床面積20坪くらいで建てるかどうしようかという人の契約をとってもらえませんかとお願いしようかと考えたのですが、ここは自分の力で契約を取ろうと考えて自分でやりました。その結果、契約いただくことはできませんでした。他社で契約されたのではなく、延床面積20坪の家を建てるのはやめようということになったのです。話がなくなって、「しまった」と思ったのです。Kさんに頭を下げて「昼飯おごりますから」とでも言ってお願いして、Kさんに協力してもらえば、あの見込み客は契約できたのではないか、と。
他の営業の担当の家を見てまわると、その営業ごとに、できる家が似ているようなところがあります。 Kさんが担当した延べ床面積50坪代の家を見て、「なんだか、延べ床面積20坪の家みたいな延べ床面積50坪代の家だな」と思った時がありました。 延べ床面積20坪の家を得意としている人が担当すると、そうなってしまうようなところがあるのかもしれません。 その点、延べ床面積50坪代から60坪代の家を何軒も担当させてもらった私が担当した家は、延べ床面積60坪の家は、「延べ床面積60坪の家のような延べ床面積60坪の家」になっていたと思います。 しかし、私は延べ床面積20坪の見込み客の契約を取れなかった。 その後、栃木県佐野市の営業所に赴任した時、ある見込客から、「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言ってもらったことがあったのですが、ほめていただいたようではあるのですが、結果として、契約いただけなかったわけですから、喜べないのです。
ひとつには、会社の経営者がアホである面もあります。 栃木県でも県庁所在地の宇都宮などと比較して佐野市近辺の住人の年収は高くない場合が多い。、「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言われるような営業は、比較的年収の多い人が多い地域の営業所に配属するべきで、小さい家を得意とする人は狭小地で建てる人が多い場所に配属するとか、経営者は考えるべきですが、それを考えるアタマが経営者にない会社が(株)一条工務店でした。
私の場合は、「慶應大学の商学部の卒業生として入社」したつもりでいましたので、営業担当としての成績は「人並みを上回ればいい」と考えていて、それよりも、「会社全体の状況を把握すること」の方が大事だと認識していましたので、営業としての自分が得意とする客層が多いとは言えない地域に配属されたとしても、それも勉強であり、そういう経験から会社の状況を把握できればいい、とは考えていました。 もっとも、退職する直前に、総務部長の天野雅弘から「そんなもの、人事とか総務とかなんて、一族でもないようなものにさせるわけないだろうが。何、考えとるんじゃ」と言われたことがありました。1992年に入社した直後、(株)一条工務店の総務は、「総務の責任者」というのは、オーナー社長の大澄賢二郎の義理の弟で営業本部長(その頃の肩書は「次長」)の天野隆夫の嫁の天野順子で、総務には他に「主任」という肩書をもらって「デモシカ総務デモさせておくシカない」デモシカ総務の2乗の山本というヌケタがいた他は、高卒の女性が何人かいただけ、浜松地方の工務店ならともかく、全国展開しようという会社の総務としては、やはり、私のような旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の社会科学系学部で労務管理論・労働法・労働経済学や心理学などを学んできたような人間をひとりは配属しないとやっていけないのではないか、と思える状況であり、ある程度、営業の経験を持った上で、総務をやってくれないか、人事をやってくれないかという話があるかもしれないと思ったのですが、そういう考えを持てないオーナーの会社のようでした。入社2年目に営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取得してもらいたいと言われ、会社の上役から言われるのであれば、なんとしても取らないといけないと考え、そして、会社という所においては、10のことをしてくれと言われても8しかできない人もあれば、10のことをしてくれと言われると12か13のことをする人もあると考えて、インテリアコーディネーターを取得してくれと言われたので、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得しました。私は、もともと、「文武両道型の文治派」であり、そして、「文理両道型」人間で社会科学系学部卒の人間でした。「文理両道型」人間で、大学受験の際も理系学部に行こうかということも考えた人間であり、理系学部に行った人間と比較しても、高校の成績でも数学や物理などは劣らない成績を取っていましたから、思考は「文理両道型」思考の人間であり、社会科学系学部卒といっても「理系分野」のことがまったくできない人間ではありません。しかし、日本ハムファイターズの大谷選手の「二刀流」がいいか悪いかなんて、ちまたで言われたりもしますが、「どちらでもできる」と「両方できる」は同じではないのです。プロ野球に入団する時点で投手としても打者としても高い評価を得ていた選手というと、私は何といってもPL学園から巨人に入った桑田選手を思い浮かべます。PL学園の時のあの勝負強いバッティングを考えると、野手の方がいいのではとも思えたりもしましたが、本人と巨人の球団は投手の方を選びました。それが良かったのか悪かったのかはわからない。運動選手に限らず、一般の会社員においても、「こちらはできても、あちらはできない」人と「どちらでもできる」人がいると思いますが、若い時に「どちらでもできる」可能性のある人でも、それは「両方できる」とは意味は違うのです。私は「文理両道型」の人間でしたが、結局、社会科学系学部を卒業して就職しました。 思考においては「理系思考」のところがありますが、就職後、住宅建築業の会社に勤めて、宅地建物取引主任者の試験にも合格しました。社会科学系学部でも卒業したのは商学部でしたが、もともと、社会科学系学部に行くのなら経済学部・商学部よりも法学部の方がいいと思っていた、経済学部・商学部型思考か法学部法律学科型思考かというと、法律学科型思考の方の人間でしたので、会社で法的な問題に対応しなければならないというような場合に、実際に裁判をおこなうとなると、弁護士に訴訟代理人を依頼することになるでしょうけれども、会社でその弁護士と対応する係の人間というのは、会社の内容もある程度以上わかり、かつ、法律についても、弁護士と同等ではないとしてもある程度はわかる人間でないといけないはずで、それを考えると、上の方の役職の人間は中卒か高卒の人間ばっかりであった(株)一条工務店においては、私などは、そういう係をしてもらおうということになっておかしくないはずでしたし、そういう使い方をすれば、私は相当役立ったと思えます・・・・が、そういう使い方はしたくないオーナーだったようです。私は、もともとは「文理両道型」でしたが、社会科学系学部を卒業しており、入社時、すでに30歳を超えていましたので、今さら「理系」に戻るわけにもいかないと思っていたのです。特に、住宅・建築関連の資格試験の勉強でも知識面はいいとしても、今さら、製図の試験を受けて通れというのはきつい、という印象でした。しかし、入社2年目に、営業本部長が、インテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言うので、苦労して努力して工夫して学科だけでなく製図の試験があるインテリアコーディネーターの試験に通り、やはり、学科とともに製図の試験があるキッチンスペシャリストの試験にも通りました。そして、「慶應大学卒の人ですから、他の人と違っていろいろな場所を経験してもらおうと思って」ということで福島県いわき市の営業所に赴任して、県民性も異なるそれまで住んだことがない場所での営業も経験しました。ということは、人事・総務などや法務関係ではなく、複数地域での実際の営業の経験とインテリアコーディネーターなどの資格を取得する過程で学ぶ知識・技術と、慶應大学の商学部で学んできたマーケティング的発想・経済学的発想と(株)一条工務店の従業員との比較で考えれば優れている語学力とを生かして、商品開発や新規出店計画などを担当させようということか、と考えました。 そういう使い方をしたならば、私は相当役立ったと思います・・・・が、使いたくないオーナーの会社でした。
1992年に(株)一条工務店に入社した時、同社には、「東大出のプロゴルファー志望」という義なんとかいう男と「東大出の弁護士志望」という男の2名を、仕事をしていないにもかかわらず、社員扱いにして給料をくれてやるということをしていました。なんで、そんなことするかなあ~あ・・・と思いました。 「東大出の弁護士志望」なんて、東大でたはいいけれども司法試験は合格できないなんて、そんな人間、世の中、掃いて捨てるほどいるでしょう。 ましてや、「東大にいればゴルフの腕は東大生の中では優秀でも、プロゴルファー一般との比較ではたいしたことない」なんて、そういう人間は「東大出の」の方で仕事につき、その上で、ゴルフも「おつきあい」の上で生かすなら生かせばいい、というものと違いますか。東大におれば東大生なんていくらでもいて、ゴルフの腕が優秀な人間は多くないかもしれないが、「プロゴルファー志望」の集団に入れば「東大出の」の人間の方が少なくて「プロゴルファー志望」なんていっぱいいるわけです。自分が「東大出の」の方に費やした労力とゴルフに費やした労力とどちらが大きいか落ち着いてよく考えてみるべきです。 「東大出の女」なんてそんなアホな職業が通じるのは菊川怜で最後ですよ。 あほくさい。「東大出のAV女優」とかの類のキワモノ系がうれしいのか? 《「東大出の」とつけなければたいしたことない「プロゴルファー志望」》なんて、そんなもの、なんか意味あるのか? てところです。私がその「東大出のプロゴルファー志望」の義なんとかくんの兄であれば、「おまえ、アホなことやめろよ」と忠告するところでした。 むしろ、「一流大学」卒の人間の能力が欲しいと考えるが、なかなか、東大・京大や早慶の卒業生を採用できないというくらいの会社が、世間一般では、「2年遅れまで」としている会社が多いが、その「2年遅れまで」というのは別に法律でもないわけで、採用する会社がいいと思えばいいわけであり、もしも、だめだというのなら、中途採用扱いでとればいいわけであり、東大・京大や早慶の卒業生を採用したいがなかなか採用できないというくらいの会社で、「3年以上遅れ」の人を採用するという会社はあります。そういう会社に勤めていいか悪いかはケースバイケースだと思います。もし、(株)一条工務店がそういうことをするのならわからないことはありません。 しかし、たとえ、東大出であろうが、そこの会社で仕事をする気がないような人間を従業員扱いにして給料払ってやっても、しかたがないでしょう。 ところが、「うちの会社にも東大出の人間いるんですよ」と言うことだけのために、「東大出のプロゴルファー志望」と「東大出の弁護士志望」という東大出でなくても在学中に(旧型)司法試験に合格する人間はけっこういるのに東大でても合格できないやつ、別の表現をすると、東大法学部卒の人の場合、裁判官・検察官になると昇進する人が多いが弁護士になると、「東大法学部卒の弁護士にろくなのいない」などと『弁護士の頼みかた』みたいな題名の本に書いてあったりする「東大出の弁護士志望」なんて、そんなもの。
私が(株)一条工務店に入社してすぐの時、営業本部長の天野隆夫が「○○くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるのかと思った」と言って喜んでくれたはずでした。ですから、そこまで喜んでくれるのならここの会社に勤めて悪くないのではないかと思いました・・・・が、結局、彼はその人間をどういう使い方をしたかというと、インテリアコーディネーターの資格を取れというから苦労して取っても、「よかったね。さっすがやなあ~あ。おめでとう」と言うだけ、「慶應大学の卒業生として入社」したからには、全国社員・総合職としての採用をされているはずなので、転勤はできませんなどと言うわけにはいかないと思って居住地の変更が必要な転勤にも応じてきましたが、そうすると、こいつは転勤してくれと言えばいくらでも転勤する人間だと思い込んでしまい、普通は、「全国社員」「総合職」として入社した人間と「地域限定社員」「一般職」として入社した人間なら、「全国社員」「総合職」として入社した人間は転勤を拒否できないし、一般職の人間がしないような苦労も我慢もせざるをえない時があるが、私には転勤はさせる、高卒の人間がしないような我慢も苦労もさせまくる、それでいて、なんらかの役職につけるのは中卒・高卒の人間を優先する、という、「やらずぶったくり」のようなものであり、これでは、「バカにしてんのか」ということになる。そういう扱いを(株)一条工務店の経営者は私にしました。
東大を高く評価する人にも、実際に東大にいいところがあると考えて評価する人と、そうではなく、《「学歴コンプレックスの裏返し」としての「東大崇拝」》みたいな人とがいます。(株)一条工務店が、「東大出のプロゴルファー志望」と「東大出の弁護士志望」を社員だということにして仕事をしていないにもかかわらずカネをくれてやるというアホみたいなことをやっていたのは、それは、「学識のある人間を使いたい」ということではなく「うちの会社にも東大出の人間いてるんですよお」と言いたいという「アホみたい」なことをやりたい、ということだったようで、「学歴コンプレッス」と学識の無さがそこに出ていると判断するべきことかもしれません。 結局、「慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるのかあとびっくりした」と言って採用しても、それを生かすことができない・・・ならまだしも、生かしてたまるもんかあ! という強い信念を持っているかのような態度・対応だった。
そういう会社でしたので、「ベンチがアホやから、野球ができん!」と「歴史的名文句」を言いたくなることは何度もありましたが、会社員というものは、ともかく、いったん、勤めたら、たとえ、「ベンチがアホやから、野球ができん」と思うことがあっても、それは心にとどめて、ベンチがアホであるかどうかにかかわらず、自分は自分の仕事をするもので、そうやって努力して苦労して勤めれば、いつかは、必ず、それを見てくれている人が評価してくれるであろうと考えて勤めました・・・・・が、今から考えると、「ベンチがアホやから、野球ができん」とさっさと転職した方が、「ベンチがアホ」の会社のために滅私奉公を続けるより良かったのかもしれません。
「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言ってくださった方は1人ではなく、何人もの方から言っていただいたことっがあるのですが、ほめていただいたと喜んでいいのかというと、契約になっていない以上、営業の仕事をしている者としては少なくとも百パーセント喜ぶわけにはいきません。 後から考えて思ったのですが、この表現の「土地があってお金がある人なら」という部分なのですが、「土地があってお金がある人なら」喜んでもらえるような営業をやっていた、ということはないか? という疑いもあるのです。 それなら、「20坪キラー」がいいのか? というと、それもどうかとも思いますが。 で、ある程度、経験を持った営業でも、得意不得意というのがどうしてもありますから、不得意分野の時に、そのタイプの見込客を得意とする営業に、「◇◇さん、ちょっと、協力してください」と頭を下げてお願いするというのは悪くないと思うのです。 そこで頭を下げてお願いすることで、1棟の契約が取れるなら、頭の下げがいもあるというものです。
(イ) 栃木県佐野営業所に在籍した時、2000年の秋のことでしたが、足利市で、結果としては建てていただくことができましたが、これだけやった、相当のことをやった、この人は(株)一条工務店で契約するのが他の会社で契約するよりもいいはずだし、なぜ、いけないのか、なぜ、契約してもらえないのか・・・・と最後まで頭をかかえた見込客があり、その際、この人は俺には契約できないのだろうかと考え、もし、(株)一条工務店の営業で、この人を契約できるとすると誰だろうか、とか考えました。 先に述べた福島県いわき市の営業所にいた時に、Kさんに頭を下げて協力してもらえば、おそらく、その延べ床面積20坪の見込客は契約いただくことができたのではないかという経験があり、もしも、誰かに協力してもらえば1棟の契約が取れるというのならば、その「誰か」に頭を下げても頭の下げがいがある、と考え、それは誰だろう? ・・・・・ということを考えました。思い浮かんだのは、1992年に東京営業所に入社した時、私より2カ月ほど前に入社して、その年、東京営業所では誰もが苦戦していたにもかかわらず、1人だけ売っていたHでした。 彼は、その足利市の見込客に私が苦労していた時、茨城県つくば市のあたりの営業所にいました。 彼に電話して頼んでみようかということも考えましたが、しかし、締日前の大安・友引というと、誰もが自分自身の見込客へのクロージングに忙しいはずで、それは頼めないかと思って諦め、もし、彼ならどうするだろうかといったことも考えた上で、自分でやり、なんとか、契約いただくことはできました・・・が、自分で進めて、どうも、契約になかなかならないという時に、この人間なら契約できるかもしれないと思える人間がもしもいたとするならば、そういう時に相手が協力する余裕がある場合に協力を頼むというのは、これはある程度以上の経験がある営業がやっても悪いことはないと私は思います。
(ウ) その足利市の方ですが、契約前、いくらなんでも、そこまでのサービスはできませんというのを、どうも、ねばられてしまい、そこで、「上役が顔を出して、『☆☆さん、私どもの会社では、他の方と比較いたしましても、ここまででせいいっぱいなんです。どうか、ご理解いただけませんか。 ○○は決してサービスできるものをしていないわけではありません。 ご契約いただければ、間違いなくいいものを造らせていただきますから』」と言うという儀式をおこなうことで前に進める、という作戦を考えました。 その場合、「上役」「営業所長」として、「私はエライ人なんですが」という役をすることができる俳優として、(株)一条工務店にいる人間でそれができる人として思い浮かんだのは、栃木県地域の営業所長をしていた五十嵐さんです。 それで、五十嵐さんに同行をお願いして、その役をしてもらおうと考えて、その見込客宅で、「一条工務店としては、ここまででせいいっぱいなんです。他の方にもこれ以上のことはしておりませんし、同業他社と比較しても、他社でこれ以上のことはしないはずです」ということを説明した上で、「もし、私が信用できないということでしたら、今度、上役の営業所長を連れてきますから、所長に直接話してみてください。申し訳ありませんが、所長でも、これ以上のことはできません。あくまで、確認するだけになりますが、所長を連れてきますから」ということにして帰り、五十嵐さんに電話して、同行して行って、私が所長なんですということを話した上で、この☆☆さんにこのように話していただけませんか、とお願いしたのです。 ところが、私は五十嵐さんを非遠州地域で自分自身が努力して営業してきた人としてけっこう高く評価していたし、五十嵐さんと私とは(株)一条工務店の営業についての認識については共通点が多いと思っていたのですが、なぜか、彼は私に対して苦手意識を持っていたようで、[1]どうせ、栃木県にいて、足利市まで1回行くくらいたいして手間がかかるわけでもないと思うのですが、又、[2]私が1棟多く契約をあげれば所長の五十嵐さんにとっても1棟分プラスの評価になるはずであってマイナスの評価になるわけではないはずでしたが、それを嫌がったのです。そして、「高木さんじゃだめなの?」と佐野営業所にいた創価学会員のじいさん(当時、50代)にその役をやってもらえと言うのでした。「だめとは言いませんが」と本当は高木さんではその役はできないだろうと思いながらも、同僚をだめと言うわけにもいかないとかばって言いましたが、五十嵐さんはそのくらい協力してくれてもいいと思うのに、断固として協力を断り、「高木さんについていってもらって」とミスキャストの相手を指名したのでした。五十嵐さんと高木のおっさんではキャラクターが違うのです。今から思うと、ミスキャストの相手を指名したりするあたり、五十嵐さんは、その部分において能力不足であり、私は五十嵐さんを買いかぶっていたのかもしれません。映画監督が、ある映画を、ある大物俳優を主役として作ろうとしてストーリーを考えて計画したものの、映画監督と大物俳優とが喧嘩して別の俳優をその映画の主役にした結果、なんかしっくりしない映画になった・・・なんて話のある映画があったりしますよね。私が、五十嵐さんならその役ができると思って、契約へのストーリーを考えて配役を決めてきたものを、その役は無理と思える俳優にその役をやってもらえと「大物俳優」に言われてしまったその結果、どうなったかというと、大根役者は私がこう言ってくれ、絶対にこういうことは言わないでくれとあらかじめ念を押していたにもかかわらず、客宅で、私が絶対にこういうことは言わないでくれと念をおしたことを言いやがった! アホを客宅に連れて行くと、そういうことになるようだった。高木のおっさんのでは無理だと思っていたが、やっぱり、無理だった。
いわき市の営業所にいた時、延床面積20坪の見込客に「20坪キラー」のKさんに頭を下げて一緒に行ってもらえば契約できたのに、しまった!と思った経験から、ここでは、「私が所長なのですが」とエライ人の顔をして見せた上で、ひとこと言うという役は、五十嵐さんをその配役として考えたストーリーであり、高木のおっさんなんかをその役をやる俳優として考えたストーリーではなかったのです。 なんで、協力してくれないかなあ~あ・・・と思いました。野村克也がどこかで書いていたが、野村は選手の時、鶴岡監督がテスト生で入った野村をとりたてて一軍で使ってくれたが、三冠王をとるなどして主力選手になってからは、広瀬・杉浦・小池・国貞らに比べて、どうも、好かれていなかったらしい・・・が、「どうも、好かれていなかった」としても、だから、使わないのではなく、それでも、鶴岡は使ってくれた、というのだ。私は五十嵐さんを(株)一条工務店で「所長」になっていた人の中では比較的高く評価していたし、営業としての能力も評価していたつもりだったし、(株)一条工務店の営業についての認識は私と五十嵐さんとでは共通するものが多いと感じていたが、五十嵐さんの方では、どうも、私に対して苦手意識を持っていたようだが、しかし、たとえ、そうでも、私が1棟多く契約を上げれば、営業所長としての五十嵐さんの評価も1棟分上がるはずなのに、なんで、嫌がるかなあ~あ、と思いました。
「一条工務店の『所長』は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と総務部長の天野雅弘からはっきりと聞いており、(株)一条工務店の「所長」というのは、一般の会社とは違って、管理するのは仕事ではなく、指導するのも仕事ではなく、相撲の「横綱」「大関」「関脇」「小結」というのがそれぞれの肩書があっても、土俵の上でやることは平幕となんら変わらないのと同じく、「所長」と言っても名刺に「所長」と書かれているだけで、平幕とやる仕事は何ら変わらない、単に名刺に「所長」と書いてあるだけで「売る」ことが所長の仕事と言われたのですが、五十嵐さんの場合、もともとは「売る」ことをしていた人だったはずですが、1998年に私が栃木県南部に赴任した時には、「所長」でありながら「売る」ことは仕事としていない人でした。となると、(株)一条工務店の「所長」ですから、管理するのは仕事ではなく指導するのも仕事ではないはずですから、営業が契約までのストーリーを描いてそのストーリーに登場する役者として一場面で登場してくれてもよさそうですが、それも嫌だと断るとなると、この人、いったい、何が仕事なの? 仕事ないのと違うの? 私のように4年制大学の社会科学系学部を卒業しているわけでもなく高卒の人で、4年制大学の社会科学系学部で扱っているような内容についての知識・認識はない人で、実際問題として「頂点でない方の大学」を新卒入社してきた20代のおにいちゃんから「アタマ、悪いなあ」とバカにされていた人であり、そういう人が「売る」こともしない、管理すること、指導することは仕事ではない、経験がある方・在籍が長い方の営業が契約までのストーリーを描いてその一場面にある役を演じる役者として登場してもらいたいとお願いしても嫌がる、となると、結局、所長の給料を取っているだけで、仕事ないのとちがうのか。「役に立たん男だなあ」と思いました。
いわき市で延床面積20坪の見込客に「20坪キラー」のKさんに頭を下げてお願いすればよかった、しまった、と思った時でも、私は、その頃、Kさんよりも多くの契約をいただいていた営業でしたし、全体としては私の方が営業成績はKさんよりも上だったのです。 しかし、野球のたとえをここで言いますと、全体としての打率は上の選手でも、その投手は苦手で、その打者より打率が下の選手でもその投手には対戦成績が上という選手はいますよね。そんなもので、延床面積20坪程度という見込客は私は何度か契約を試みたことがあったものの取れなかったのに対して、Kさんは全体の契約棟数は多く採っていなかった人でしたが、20坪程度で建てる人の契約をすいすいと取る人だったのです。 だから、意地をはって自力でやろうとせずに、そこは頭を下げて教えを乞い、頭を下げて協力をお願いすれば、それで、1棟の契約が取れた、と思えるのです。 足利市の見込客については、「私が所長なんです」とエライ人の顔をして出て行った上での演技というのは、それは、五十嵐さんでこそその役はできるというストーリーだったのであり、高木のおっさんではミスキャストも甚だしいものでした。 将棋で、ここに金を打てば勝てると思って金を打とうとすると、金が「ぼく、そこに打たれるの、嫌や。桂馬じゃあかんの」と言うのでしかたなしに桂馬を打ったら、ぐちゃぐちゃになった、みたいなもの。 高木のおっさんは、私がこう言ってくれ、こういうことは間違っても絶対に言わないでくれとはっきりと指示したにもかかわらず、私がこういうことは間違っても絶対に言わないでくれと言ったことをわざわざ言いやがったのですが、それでも、ともかく、労力は払ったわけですから、労力は払った人には、言うなと言うことをわざわざ言いやがったとしても、責めるわけにはいかない(桂馬に、「まっすぐ進んでくれ」と念を押して話していたのに、まっすぐ進まずに斜め前に行きやがったとしても、それは桂馬にまっすぐ進めと言った方が悪いのですから、しょせん、桂馬はまっすぐ進めと言われても進めないのですから)、そんな人に頼んだのが間違いだったのですが、ある程度以上、経験のある営業が、ここからのストーリーはと契約までのストーリーを考えて、ここでこういう人物が登場してこう言えばとこの俳優ならこの役ができるだろうということを考えて、特定の人間に特定の役を頼むというのは、これは悪くないと私は思っています。 むしろ、ある人に頭を下げてお願いすれば、それで、1棟の契約が取れるのならば、いくらでも、頭は下げればいいじゃないか、と思います。 父の勤め先の会社の社長が、「わしが頭を下げればそれで解決するなら、いくらでも、頭下げたるでえ。 それで、物事が解決するなら安いものや」と言ったことがあると聞きました。頭を下げてお願いすれば、それで1棟の契約が取れるのならば、下げればいいじゃないか、と考えるのは、それは「営業力がある」のであって、ないのではないはずです。 せっかく、ストーリーを考えて役を頼んでるのに、それを嫌がる「大物俳優」には困ったもんだと思いましたが、嫌がられるということは、嫌がられないように「根回し」ができなかった私が悪かったのか、やっぱり、所長なら、せっかく、そういうストーリーを考えて役を頼まれて、嫌がることないじゃないか、とか思いますが、いずれにしても、「契約までのストーリー」を考えた上で、ここで、こういう俳優に登場させてこの役をさせれば前に進む、ということで協力を誰かに求めるというのは悪くないはずです。
(エ) 他の人のケースで言うと、先のいわき市のWさんは、(株)一条工務店に入社する前、(株)一条工務店で自宅を建てた人でしたが、その際のことを話してくれたのですが、担当営業のK井さんは、「不動産に詳しい」ということでSさんを同行させたが、Sさんは見込客であった時のWさん宅に行くと、担当営業のKさんが「・・・・なんです」と説明した上で、「Sさん、それでいいね」とSさんに話をふると、Sさんは何を言っても「うん」と言ってうなづくばかりだったので、見込客だったWさんは、Sさんというのは、よっぽどエライ人かと思った、というのですが・・・・・、自分自身が(株)一条工務店に入社してみると・・・、な~んだ、あんなじいさんだったじゃないか、やられた! と。 でも、きっちりとその家は建ちましたし、別に担当営業のKさんも「不動産に詳しい」というフレーズで同行したSさんも嘘は何もついていないし、Sさんは実際に(株)一条工務店に入社する前には不動産屋に勤めていた経験がある人で宅地建物取引主任者の資格も持っていた人で「不動産に詳しい」というのも嘘ではないし、Sさんを実際以上にしっかりしている人、実際以上にエライ人と思い込んだのは、見込客であった時のWさんが勝手に思い込んだというだけだったのです。 但し、「だけ」とは言っても、そういう「だけ」になることを可能性として想定して連れていっていたと思いますけれども。
私は、同様に、「契約までのストーリー」のひとつとして登場する役者の1人として五十嵐さんならその役ができると、その時に考えられる最高の俳優に依頼したつもりでしたが、なんで、嫌がるかなあ~あ、その部分で高く評価しているから頼んでいるのに、なんで、嫌がるかなあ~あ・・・と思うのですが、嫌がられたのです。
(オ) 1990年代半ば過ぎ、福島県いわき市で私と同じ営業所にいたK井さんが、所長のK野さんに協力してもらって、その協力がなければ契約できなかった見込客を契約できた、というケースも聞きました。 展示場に来場され、営業担当のK井さんが、建築予定地を見に行くと、どう頑張っても、総2階で延床面積20坪くらいの家しか建てられない場所しかない。そこに建てられるような図面を作って持って行っても、その見込客は納得しない。その後、その見込客はいわき市の別の展示場に行き、そこで会った所長のK野さんに、「愛想もくそもない図面を作ってきやがって」「あんな間取りの家なんか、建てられるかあ」とぼやいたというのです。所長のK野さんは、K井さんに電話をして、客がそう言っているから、担当を降りて、その見込客を自分に渡せと言ったらしいのですが、K井さんとしては、ここで簡単に所長に見込客を取り上げられたのでは、メシの種の見込客はなくなってしまう、そうはいくものかと頑張り、所長のK野さんに、「そう言われるのなら、所長、私と同行してお客さんの土地に行って、一緒に話をしてくださいよ」と言い、K野さんに見込客を渡すというのではなく、所長のK野さんが担当営業のK井さんに同行して行くというように持って行ったのです。その後、どうなったか。さすがは所長だなあ、と感動したとK井さんは話してくれたのですが、その話には私も感動しました。農家で全体の土地はけっこうあるが、空いている土地に建てようとすると、総2階で延床面積20坪程度の家しか建てようがない。しかし、その見込客はそれでは納得できない。所長のK野さんは、そこで周囲を見回して、隣にある納屋を見て、「◇◇さん、これ、どんなもんだろうねえ。この納屋だけど、見たところ、まだ、新しくて、これを取り壊してしまうのは、何とももったいないように思うのだけれども、もし、この納屋を取り壊して、この納屋が建っている所とここの土地と合わせて、両方の土地を使って建てたとしたら、けっこういい家ができると思うんだけれども、どうだろうねえ」と、そう言ったそうです。そのお客さんはそれを聞いて感動して、「今まで、何社もの会社の何人もの営業がここに来たけれども、それを言ってくれたのはK野さん、あなた、ひとりだけだ」と、そう言ったという。それで、話は進み、もう、競合なんかない。その所長のK野さんの協力でK井さんは1棟の契約を取得できた。意地を張って協力を頼まないのではなく、頭を下げて協力を頼んで1棟、契約を多く取れるものなら、頭を下げて協力を求めた方がいい、と判断するのは営業力のひとつ、ではないか。
本筋からいくらか離れた話が長くなってしまいましたが、その本筋からいくらか離れた話で述べたように、「すでにある程度以上の経験がある営業が、他の営業に協力を求める」というのも、
(1)得意不得意があり、その見込客のようなケースついて得意としている営業に協力を求める、というケース〔↑の(ア)のケースなど〕、
(2)「契約までのストーリー」を描いた上で、そこに登場する役を演じる俳優として、その役を演じるのに適していると思われる人、この人ならその役を演じることができると思える人に役者として登場してもらうようにお願いするとうケース〔↑の(ウ)(エ)のケースなど〕、
この2つは、すでにある程度以上の経験がある営業がやったとして、悪いことは何もないと思うのです。
それに対して、いつまでもいつまでも。自分は指導される側だという意識の人というのがいると思います。近藤雅雄さんが「研修」で、「ひととおり、契約をもらえたら、そこからは自分で考えてやるしかないですね」と言ったというのは、経験が豊富な人と経験が浅い人、良い営業成績を残している人とそうでもない人というのはあるとしても、一通り、契約をもらえたら、そこからは自分より経験がある営業、自分より実績を残している営業でも、あくまでも「横の関係」である、指導者と被指導者の関係ではない、ということを言いたかったのではないか。そういう意味で言ったとしたなら、それは、もっともなことで、わかっている人には当たり前でも、わかっていない人がけっこういることをきっちりと述べたもの、と考えました。そういう意味で近藤まさおさんが言ったのかどうか、はっきりとはわかりませんが、そういう意味で言ったのならその通りであると私は思います。
↑ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山 )、参道から見た「黒門」(総門)。
(2017.7.9.)
次回、【5】うかつに「売れる人」と言うな https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 〔今回〕
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
私が受講したものではないが、私より後で入社したWさんが受講した「研修」で「講師」役できた近藤雅雄(正雄? 正夫?)が話したというもので、もっともなものが1つある。
≪4≫ 「ひととおり、契約を取ったら、そこから先は自分で考えてやるしかないですね」
私が入社した1992年と違って、その後、1990年代後半に入った頃は、入社直後とそれから何か月か経った時と中途入社の新入社員研修を2回おこなっていたように記憶しています。 2回目は、それまでに1棟以上契約が出た人とゼロ棟の人とであったか、2棟以上契約が出た人と1棟以下の人とであったかに分けておこなっていたように思います。 それに、「契約が出た人」の方に参加した福島県の営業所で入社したWさんが参加した時に、講師役できた、その時は掛川営業所長であった近藤雅雄が、「ひととおり、契約がとれたら、そこからは、もう、自分で考えてやっていくしかないですね」と話した、というのです。
これは、誤解を招くおそれもある発言ではあるのですが、まともな発言で、言えない人が少なくない発言です。そのあたりを聞いて、私は、近藤雅雄さんという人については、(株)一条工務店という会社では、静岡県西部・愛知県地域でずっと営業をやってきた人には「浜松の中のカエル」みたいな人が多いが、この人は、そういう面がまったくないかどうかはさておき、なかなか、まともなことが言える人だという印象を受けていたのです。
「誤解を招くおそれもある発言」というのは、それは、「ひととおり、契約を取った」としても、住宅については学ぶものは多いし、1年やそこらですべて習得できるとか、ましてや、長年やってきた人間と同じになるということではありません。 知識面についてだけでなく、営業技術についても、これは、何年かやって、つらい思いを何度かして身につけていくものであって、「ひととおり、契約を取った」ら、それで、一人前、それでOKというものでもありません。 1980年代の後半、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕に入社した直後の入社式の後の立食パーティーで、3人いた「常務」のうちの1人だけ銀行出身でない実際に同社の営業の仕事をしてきたKさんが、私に「住宅の営業の仕事は、2回、壁にぶつかる」と話してくれたことがあり、それを聞いて、誰であったかわからなかったのですが、横にいた人が、「2回ですか。ぼくは3回だと思いますけれども」と話した、ということがありました。 これは、他の会社においても、状況は似ているのではないかと思います。 「ひととおり、契約をとった」とすれば、それはけっこうなことではありますが、それで、もう、住宅の営業の仕事を習得したみたいに思われては困ります。 近藤雅雄さんは、「ひととおり、契約をとった」ら、それで、もう、住宅の仕事を習得できたみたいに思っていいという意味で言ったのではないと思います。「ひととおり、契約をとった」ら、その後、壁にぶつかることはないという意味で言ったのではないでしょう。 そうではなく、その後の言葉、「そこから先は自分で考えてやるしかないですね」という、そちらの方が主でしょう。 「ひととおり、契約をと」るというところまでは、会社は指導するべきです。 しかし、そこから先は、「基本的には、営業は自分で考えてやるもの」だ、と、それを言いたかったのではないか。
(A) 実際、(株)一条工務店でも、相当長年勤めている人のはずなのに、なんか、新人みたいなことを言う人が時としているのです。 「新人みたいな」というのは、「新人みたい」に謙虚というのなら悪くありません。 そうではなく、 もう、在籍している営業の中ではベテランの方に属するはずなのに、新人みたいに営業のやり方を「教えてもらおう」とする人がおり、営業の仕事において応援する側か応援してもらう側かというと在籍年数・経験から考えて応援する側のはずと思える人で応援してもらおうという意識の人がいるのです。
(B) (ア) これも、相当のベテランであっても苦手な部分というのはあるわけで、その部分について得意な人に頭を下げて「教えてもらおう」というのなら悪いことはないと思います。 私自身の経験から言えば、1990年代後半、福島県いわき市の営業所にいた時、私は、比較的広い家の契約が多いとして、工事担当者や大工さんからはその点で喜ばれていたのですが、一方で、延べ床面積20坪くらいの小さい家を建てようという人だってあるわけですが、そういう契約を取ろうと思っても取れなかったのです。ある時、その延べ床面積20坪くらいで建てるかどうしようかという見込客があり、同じ営業所(展示場)に、「20坪キラー」と言われる、小さい家の契約を取るのが得意のKさんがいたのです。Kさんは、お願いすると嫌がらずに他の営業の仕事に協力してくれる人でしたし、私は、Kさんにお願いして、「上役だ」という設定にしてでも、あるいは、「同僚だ」という設定ででも、私に同行してその見込客のところに行って、私のために、その延べ床面積20坪くらいで建てるかどうしようかという人の契約をとってもらえませんかとお願いしようかと考えたのですが、ここは自分の力で契約を取ろうと考えて自分でやりました。その結果、契約いただくことはできませんでした。他社で契約されたのではなく、延床面積20坪の家を建てるのはやめようということになったのです。話がなくなって、「しまった」と思ったのです。Kさんに頭を下げて「昼飯おごりますから」とでも言ってお願いして、Kさんに協力してもらえば、あの見込み客は契約できたのではないか、と。
他の営業の担当の家を見てまわると、その営業ごとに、できる家が似ているようなところがあります。 Kさんが担当した延べ床面積50坪代の家を見て、「なんだか、延べ床面積20坪の家みたいな延べ床面積50坪代の家だな」と思った時がありました。 延べ床面積20坪の家を得意としている人が担当すると、そうなってしまうようなところがあるのかもしれません。 その点、延べ床面積50坪代から60坪代の家を何軒も担当させてもらった私が担当した家は、延べ床面積60坪の家は、「延べ床面積60坪の家のような延べ床面積60坪の家」になっていたと思います。 しかし、私は延べ床面積20坪の見込み客の契約を取れなかった。 その後、栃木県佐野市の営業所に赴任した時、ある見込客から、「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言ってもらったことがあったのですが、ほめていただいたようではあるのですが、結果として、契約いただけなかったわけですから、喜べないのです。
ひとつには、会社の経営者がアホである面もあります。 栃木県でも県庁所在地の宇都宮などと比較して佐野市近辺の住人の年収は高くない場合が多い。、「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言われるような営業は、比較的年収の多い人が多い地域の営業所に配属するべきで、小さい家を得意とする人は狭小地で建てる人が多い場所に配属するとか、経営者は考えるべきですが、それを考えるアタマが経営者にない会社が(株)一条工務店でした。
私の場合は、「慶應大学の商学部の卒業生として入社」したつもりでいましたので、営業担当としての成績は「人並みを上回ればいい」と考えていて、それよりも、「会社全体の状況を把握すること」の方が大事だと認識していましたので、営業としての自分が得意とする客層が多いとは言えない地域に配属されたとしても、それも勉強であり、そういう経験から会社の状況を把握できればいい、とは考えていました。 もっとも、退職する直前に、総務部長の天野雅弘から「そんなもの、人事とか総務とかなんて、一族でもないようなものにさせるわけないだろうが。何、考えとるんじゃ」と言われたことがありました。1992年に入社した直後、(株)一条工務店の総務は、「総務の責任者」というのは、オーナー社長の大澄賢二郎の義理の弟で営業本部長(その頃の肩書は「次長」)の天野隆夫の嫁の天野順子で、総務には他に「主任」という肩書をもらって「デモシカ総務デモさせておくシカない」デモシカ総務の2乗の山本というヌケタがいた他は、高卒の女性が何人かいただけ、浜松地方の工務店ならともかく、全国展開しようという会社の総務としては、やはり、私のような旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の社会科学系学部で労務管理論・労働法・労働経済学や心理学などを学んできたような人間をひとりは配属しないとやっていけないのではないか、と思える状況であり、ある程度、営業の経験を持った上で、総務をやってくれないか、人事をやってくれないかという話があるかもしれないと思ったのですが、そういう考えを持てないオーナーの会社のようでした。入社2年目に営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取得してもらいたいと言われ、会社の上役から言われるのであれば、なんとしても取らないといけないと考え、そして、会社という所においては、10のことをしてくれと言われても8しかできない人もあれば、10のことをしてくれと言われると12か13のことをする人もあると考えて、インテリアコーディネーターを取得してくれと言われたので、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得しました。私は、もともと、「文武両道型の文治派」であり、そして、「文理両道型」人間で社会科学系学部卒の人間でした。「文理両道型」人間で、大学受験の際も理系学部に行こうかということも考えた人間であり、理系学部に行った人間と比較しても、高校の成績でも数学や物理などは劣らない成績を取っていましたから、思考は「文理両道型」思考の人間であり、社会科学系学部卒といっても「理系分野」のことがまったくできない人間ではありません。しかし、日本ハムファイターズの大谷選手の「二刀流」がいいか悪いかなんて、ちまたで言われたりもしますが、「どちらでもできる」と「両方できる」は同じではないのです。プロ野球に入団する時点で投手としても打者としても高い評価を得ていた選手というと、私は何といってもPL学園から巨人に入った桑田選手を思い浮かべます。PL学園の時のあの勝負強いバッティングを考えると、野手の方がいいのではとも思えたりもしましたが、本人と巨人の球団は投手の方を選びました。それが良かったのか悪かったのかはわからない。運動選手に限らず、一般の会社員においても、「こちらはできても、あちらはできない」人と「どちらでもできる」人がいると思いますが、若い時に「どちらでもできる」可能性のある人でも、それは「両方できる」とは意味は違うのです。私は「文理両道型」の人間でしたが、結局、社会科学系学部を卒業して就職しました。 思考においては「理系思考」のところがありますが、就職後、住宅建築業の会社に勤めて、宅地建物取引主任者の試験にも合格しました。社会科学系学部でも卒業したのは商学部でしたが、もともと、社会科学系学部に行くのなら経済学部・商学部よりも法学部の方がいいと思っていた、経済学部・商学部型思考か法学部法律学科型思考かというと、法律学科型思考の方の人間でしたので、会社で法的な問題に対応しなければならないというような場合に、実際に裁判をおこなうとなると、弁護士に訴訟代理人を依頼することになるでしょうけれども、会社でその弁護士と対応する係の人間というのは、会社の内容もある程度以上わかり、かつ、法律についても、弁護士と同等ではないとしてもある程度はわかる人間でないといけないはずで、それを考えると、上の方の役職の人間は中卒か高卒の人間ばっかりであった(株)一条工務店においては、私などは、そういう係をしてもらおうということになっておかしくないはずでしたし、そういう使い方をすれば、私は相当役立ったと思えます・・・・が、そういう使い方はしたくないオーナーだったようです。私は、もともとは「文理両道型」でしたが、社会科学系学部を卒業しており、入社時、すでに30歳を超えていましたので、今さら「理系」に戻るわけにもいかないと思っていたのです。特に、住宅・建築関連の資格試験の勉強でも知識面はいいとしても、今さら、製図の試験を受けて通れというのはきつい、という印象でした。しかし、入社2年目に、営業本部長が、インテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言うので、苦労して努力して工夫して学科だけでなく製図の試験があるインテリアコーディネーターの試験に通り、やはり、学科とともに製図の試験があるキッチンスペシャリストの試験にも通りました。そして、「慶應大学卒の人ですから、他の人と違っていろいろな場所を経験してもらおうと思って」ということで福島県いわき市の営業所に赴任して、県民性も異なるそれまで住んだことがない場所での営業も経験しました。ということは、人事・総務などや法務関係ではなく、複数地域での実際の営業の経験とインテリアコーディネーターなどの資格を取得する過程で学ぶ知識・技術と、慶應大学の商学部で学んできたマーケティング的発想・経済学的発想と(株)一条工務店の従業員との比較で考えれば優れている語学力とを生かして、商品開発や新規出店計画などを担当させようということか、と考えました。 そういう使い方をしたならば、私は相当役立ったと思います・・・・が、使いたくないオーナーの会社でした。
1992年に(株)一条工務店に入社した時、同社には、「東大出のプロゴルファー志望」という義なんとかいう男と「東大出の弁護士志望」という男の2名を、仕事をしていないにもかかわらず、社員扱いにして給料をくれてやるということをしていました。なんで、そんなことするかなあ~あ・・・と思いました。 「東大出の弁護士志望」なんて、東大でたはいいけれども司法試験は合格できないなんて、そんな人間、世の中、掃いて捨てるほどいるでしょう。 ましてや、「東大にいればゴルフの腕は東大生の中では優秀でも、プロゴルファー一般との比較ではたいしたことない」なんて、そういう人間は「東大出の」の方で仕事につき、その上で、ゴルフも「おつきあい」の上で生かすなら生かせばいい、というものと違いますか。東大におれば東大生なんていくらでもいて、ゴルフの腕が優秀な人間は多くないかもしれないが、「プロゴルファー志望」の集団に入れば「東大出の」の人間の方が少なくて「プロゴルファー志望」なんていっぱいいるわけです。自分が「東大出の」の方に費やした労力とゴルフに費やした労力とどちらが大きいか落ち着いてよく考えてみるべきです。 「東大出の女」なんてそんなアホな職業が通じるのは菊川怜で最後ですよ。 あほくさい。「東大出のAV女優」とかの類のキワモノ系がうれしいのか? 《「東大出の」とつけなければたいしたことない「プロゴルファー志望」》なんて、そんなもの、なんか意味あるのか? てところです。私がその「東大出のプロゴルファー志望」の義なんとかくんの兄であれば、「おまえ、アホなことやめろよ」と忠告するところでした。 むしろ、「一流大学」卒の人間の能力が欲しいと考えるが、なかなか、東大・京大や早慶の卒業生を採用できないというくらいの会社が、世間一般では、「2年遅れまで」としている会社が多いが、その「2年遅れまで」というのは別に法律でもないわけで、採用する会社がいいと思えばいいわけであり、もしも、だめだというのなら、中途採用扱いでとればいいわけであり、東大・京大や早慶の卒業生を採用したいがなかなか採用できないというくらいの会社で、「3年以上遅れ」の人を採用するという会社はあります。そういう会社に勤めていいか悪いかはケースバイケースだと思います。もし、(株)一条工務店がそういうことをするのならわからないことはありません。 しかし、たとえ、東大出であろうが、そこの会社で仕事をする気がないような人間を従業員扱いにして給料払ってやっても、しかたがないでしょう。 ところが、「うちの会社にも東大出の人間いるんですよ」と言うことだけのために、「東大出のプロゴルファー志望」と「東大出の弁護士志望」という東大出でなくても在学中に(旧型)司法試験に合格する人間はけっこういるのに東大でても合格できないやつ、別の表現をすると、東大法学部卒の人の場合、裁判官・検察官になると昇進する人が多いが弁護士になると、「東大法学部卒の弁護士にろくなのいない」などと『弁護士の頼みかた』みたいな題名の本に書いてあったりする「東大出の弁護士志望」なんて、そんなもの。
私が(株)一条工務店に入社してすぐの時、営業本部長の天野隆夫が「○○くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるのかと思った」と言って喜んでくれたはずでした。ですから、そこまで喜んでくれるのならここの会社に勤めて悪くないのではないかと思いました・・・・が、結局、彼はその人間をどういう使い方をしたかというと、インテリアコーディネーターの資格を取れというから苦労して取っても、「よかったね。さっすがやなあ~あ。おめでとう」と言うだけ、「慶應大学の卒業生として入社」したからには、全国社員・総合職としての採用をされているはずなので、転勤はできませんなどと言うわけにはいかないと思って居住地の変更が必要な転勤にも応じてきましたが、そうすると、こいつは転勤してくれと言えばいくらでも転勤する人間だと思い込んでしまい、普通は、「全国社員」「総合職」として入社した人間と「地域限定社員」「一般職」として入社した人間なら、「全国社員」「総合職」として入社した人間は転勤を拒否できないし、一般職の人間がしないような苦労も我慢もせざるをえない時があるが、私には転勤はさせる、高卒の人間がしないような我慢も苦労もさせまくる、それでいて、なんらかの役職につけるのは中卒・高卒の人間を優先する、という、「やらずぶったくり」のようなものであり、これでは、「バカにしてんのか」ということになる。そういう扱いを(株)一条工務店の経営者は私にしました。
東大を高く評価する人にも、実際に東大にいいところがあると考えて評価する人と、そうではなく、《「学歴コンプレックスの裏返し」としての「東大崇拝」》みたいな人とがいます。(株)一条工務店が、「東大出のプロゴルファー志望」と「東大出の弁護士志望」を社員だということにして仕事をしていないにもかかわらずカネをくれてやるというアホみたいなことをやっていたのは、それは、「学識のある人間を使いたい」ということではなく「うちの会社にも東大出の人間いてるんですよお」と言いたいという「アホみたい」なことをやりたい、ということだったようで、「学歴コンプレッス」と学識の無さがそこに出ていると判断するべきことかもしれません。 結局、「慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるのかあとびっくりした」と言って採用しても、それを生かすことができない・・・ならまだしも、生かしてたまるもんかあ! という強い信念を持っているかのような態度・対応だった。
そういう会社でしたので、「ベンチがアホやから、野球ができん!」と「歴史的名文句」を言いたくなることは何度もありましたが、会社員というものは、ともかく、いったん、勤めたら、たとえ、「ベンチがアホやから、野球ができん」と思うことがあっても、それは心にとどめて、ベンチがアホであるかどうかにかかわらず、自分は自分の仕事をするもので、そうやって努力して苦労して勤めれば、いつかは、必ず、それを見てくれている人が評価してくれるであろうと考えて勤めました・・・・・が、今から考えると、「ベンチがアホやから、野球ができん」とさっさと転職した方が、「ベンチがアホ」の会社のために滅私奉公を続けるより良かったのかもしれません。
「○○さんのような営業さんに担当してもらえば、いい家ができると思うのです。本当なら○○さんに担当して建ててもらいたいのです。でも、うちはお金がないから、一条さんで建てることは無理です。○○さんは本当にいい営業さんだと思います。土地があってお金がある人なら、○○さんに担当してもらえば、他の営業さんに担当されるより絶対にいいと思います」と言ってくださった方は1人ではなく、何人もの方から言っていただいたことっがあるのですが、ほめていただいたと喜んでいいのかというと、契約になっていない以上、営業の仕事をしている者としては少なくとも百パーセント喜ぶわけにはいきません。 後から考えて思ったのですが、この表現の「土地があってお金がある人なら」という部分なのですが、「土地があってお金がある人なら」喜んでもらえるような営業をやっていた、ということはないか? という疑いもあるのです。 それなら、「20坪キラー」がいいのか? というと、それもどうかとも思いますが。 で、ある程度、経験を持った営業でも、得意不得意というのがどうしてもありますから、不得意分野の時に、そのタイプの見込客を得意とする営業に、「◇◇さん、ちょっと、協力してください」と頭を下げてお願いするというのは悪くないと思うのです。 そこで頭を下げてお願いすることで、1棟の契約が取れるなら、頭の下げがいもあるというものです。
(イ) 栃木県佐野営業所に在籍した時、2000年の秋のことでしたが、足利市で、結果としては建てていただくことができましたが、これだけやった、相当のことをやった、この人は(株)一条工務店で契約するのが他の会社で契約するよりもいいはずだし、なぜ、いけないのか、なぜ、契約してもらえないのか・・・・と最後まで頭をかかえた見込客があり、その際、この人は俺には契約できないのだろうかと考え、もし、(株)一条工務店の営業で、この人を契約できるとすると誰だろうか、とか考えました。 先に述べた福島県いわき市の営業所にいた時に、Kさんに頭を下げて協力してもらえば、おそらく、その延べ床面積20坪の見込客は契約いただくことができたのではないかという経験があり、もしも、誰かに協力してもらえば1棟の契約が取れるというのならば、その「誰か」に頭を下げても頭の下げがいがある、と考え、それは誰だろう? ・・・・・ということを考えました。思い浮かんだのは、1992年に東京営業所に入社した時、私より2カ月ほど前に入社して、その年、東京営業所では誰もが苦戦していたにもかかわらず、1人だけ売っていたHでした。 彼は、その足利市の見込客に私が苦労していた時、茨城県つくば市のあたりの営業所にいました。 彼に電話して頼んでみようかということも考えましたが、しかし、締日前の大安・友引というと、誰もが自分自身の見込客へのクロージングに忙しいはずで、それは頼めないかと思って諦め、もし、彼ならどうするだろうかといったことも考えた上で、自分でやり、なんとか、契約いただくことはできました・・・が、自分で進めて、どうも、契約になかなかならないという時に、この人間なら契約できるかもしれないと思える人間がもしもいたとするならば、そういう時に相手が協力する余裕がある場合に協力を頼むというのは、これはある程度以上の経験がある営業がやっても悪いことはないと私は思います。
(ウ) その足利市の方ですが、契約前、いくらなんでも、そこまでのサービスはできませんというのを、どうも、ねばられてしまい、そこで、「上役が顔を出して、『☆☆さん、私どもの会社では、他の方と比較いたしましても、ここまででせいいっぱいなんです。どうか、ご理解いただけませんか。 ○○は決してサービスできるものをしていないわけではありません。 ご契約いただければ、間違いなくいいものを造らせていただきますから』」と言うという儀式をおこなうことで前に進める、という作戦を考えました。 その場合、「上役」「営業所長」として、「私はエライ人なんですが」という役をすることができる俳優として、(株)一条工務店にいる人間でそれができる人として思い浮かんだのは、栃木県地域の営業所長をしていた五十嵐さんです。 それで、五十嵐さんに同行をお願いして、その役をしてもらおうと考えて、その見込客宅で、「一条工務店としては、ここまででせいいっぱいなんです。他の方にもこれ以上のことはしておりませんし、同業他社と比較しても、他社でこれ以上のことはしないはずです」ということを説明した上で、「もし、私が信用できないということでしたら、今度、上役の営業所長を連れてきますから、所長に直接話してみてください。申し訳ありませんが、所長でも、これ以上のことはできません。あくまで、確認するだけになりますが、所長を連れてきますから」ということにして帰り、五十嵐さんに電話して、同行して行って、私が所長なんですということを話した上で、この☆☆さんにこのように話していただけませんか、とお願いしたのです。 ところが、私は五十嵐さんを非遠州地域で自分自身が努力して営業してきた人としてけっこう高く評価していたし、五十嵐さんと私とは(株)一条工務店の営業についての認識については共通点が多いと思っていたのですが、なぜか、彼は私に対して苦手意識を持っていたようで、[1]どうせ、栃木県にいて、足利市まで1回行くくらいたいして手間がかかるわけでもないと思うのですが、又、[2]私が1棟多く契約をあげれば所長の五十嵐さんにとっても1棟分プラスの評価になるはずであってマイナスの評価になるわけではないはずでしたが、それを嫌がったのです。そして、「高木さんじゃだめなの?」と佐野営業所にいた創価学会員のじいさん(当時、50代)にその役をやってもらえと言うのでした。「だめとは言いませんが」と本当は高木さんではその役はできないだろうと思いながらも、同僚をだめと言うわけにもいかないとかばって言いましたが、五十嵐さんはそのくらい協力してくれてもいいと思うのに、断固として協力を断り、「高木さんについていってもらって」とミスキャストの相手を指名したのでした。五十嵐さんと高木のおっさんではキャラクターが違うのです。今から思うと、ミスキャストの相手を指名したりするあたり、五十嵐さんは、その部分において能力不足であり、私は五十嵐さんを買いかぶっていたのかもしれません。映画監督が、ある映画を、ある大物俳優を主役として作ろうとしてストーリーを考えて計画したものの、映画監督と大物俳優とが喧嘩して別の俳優をその映画の主役にした結果、なんかしっくりしない映画になった・・・なんて話のある映画があったりしますよね。私が、五十嵐さんならその役ができると思って、契約へのストーリーを考えて配役を決めてきたものを、その役は無理と思える俳優にその役をやってもらえと「大物俳優」に言われてしまったその結果、どうなったかというと、大根役者は私がこう言ってくれ、絶対にこういうことは言わないでくれとあらかじめ念を押していたにもかかわらず、客宅で、私が絶対にこういうことは言わないでくれと念をおしたことを言いやがった! アホを客宅に連れて行くと、そういうことになるようだった。高木のおっさんのでは無理だと思っていたが、やっぱり、無理だった。
いわき市の営業所にいた時、延床面積20坪の見込客に「20坪キラー」のKさんに頭を下げて一緒に行ってもらえば契約できたのに、しまった!と思った経験から、ここでは、「私が所長なのですが」とエライ人の顔をして見せた上で、ひとこと言うという役は、五十嵐さんをその配役として考えたストーリーであり、高木のおっさんなんかをその役をやる俳優として考えたストーリーではなかったのです。 なんで、協力してくれないかなあ~あ・・・と思いました。野村克也がどこかで書いていたが、野村は選手の時、鶴岡監督がテスト生で入った野村をとりたてて一軍で使ってくれたが、三冠王をとるなどして主力選手になってからは、広瀬・杉浦・小池・国貞らに比べて、どうも、好かれていなかったらしい・・・が、「どうも、好かれていなかった」としても、だから、使わないのではなく、それでも、鶴岡は使ってくれた、というのだ。私は五十嵐さんを(株)一条工務店で「所長」になっていた人の中では比較的高く評価していたし、営業としての能力も評価していたつもりだったし、(株)一条工務店の営業についての認識は私と五十嵐さんとでは共通するものが多いと感じていたが、五十嵐さんの方では、どうも、私に対して苦手意識を持っていたようだが、しかし、たとえ、そうでも、私が1棟多く契約を上げれば、営業所長としての五十嵐さんの評価も1棟分上がるはずなのに、なんで、嫌がるかなあ~あ、と思いました。
「一条工務店の『所長』は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と総務部長の天野雅弘からはっきりと聞いており、(株)一条工務店の「所長」というのは、一般の会社とは違って、管理するのは仕事ではなく、指導するのも仕事ではなく、相撲の「横綱」「大関」「関脇」「小結」というのがそれぞれの肩書があっても、土俵の上でやることは平幕となんら変わらないのと同じく、「所長」と言っても名刺に「所長」と書かれているだけで、平幕とやる仕事は何ら変わらない、単に名刺に「所長」と書いてあるだけで「売る」ことが所長の仕事と言われたのですが、五十嵐さんの場合、もともとは「売る」ことをしていた人だったはずですが、1998年に私が栃木県南部に赴任した時には、「所長」でありながら「売る」ことは仕事としていない人でした。となると、(株)一条工務店の「所長」ですから、管理するのは仕事ではなく指導するのも仕事ではないはずですから、営業が契約までのストーリーを描いてそのストーリーに登場する役者として一場面で登場してくれてもよさそうですが、それも嫌だと断るとなると、この人、いったい、何が仕事なの? 仕事ないのと違うの? 私のように4年制大学の社会科学系学部を卒業しているわけでもなく高卒の人で、4年制大学の社会科学系学部で扱っているような内容についての知識・認識はない人で、実際問題として「頂点でない方の大学」を新卒入社してきた20代のおにいちゃんから「アタマ、悪いなあ」とバカにされていた人であり、そういう人が「売る」こともしない、管理すること、指導することは仕事ではない、経験がある方・在籍が長い方の営業が契約までのストーリーを描いてその一場面にある役を演じる役者として登場してもらいたいとお願いしても嫌がる、となると、結局、所長の給料を取っているだけで、仕事ないのとちがうのか。「役に立たん男だなあ」と思いました。
いわき市で延床面積20坪の見込客に「20坪キラー」のKさんに頭を下げてお願いすればよかった、しまった、と思った時でも、私は、その頃、Kさんよりも多くの契約をいただいていた営業でしたし、全体としては私の方が営業成績はKさんよりも上だったのです。 しかし、野球のたとえをここで言いますと、全体としての打率は上の選手でも、その投手は苦手で、その打者より打率が下の選手でもその投手には対戦成績が上という選手はいますよね。そんなもので、延床面積20坪程度という見込客は私は何度か契約を試みたことがあったものの取れなかったのに対して、Kさんは全体の契約棟数は多く採っていなかった人でしたが、20坪程度で建てる人の契約をすいすいと取る人だったのです。 だから、意地をはって自力でやろうとせずに、そこは頭を下げて教えを乞い、頭を下げて協力をお願いすれば、それで、1棟の契約が取れた、と思えるのです。 足利市の見込客については、「私が所長なんです」とエライ人の顔をして出て行った上での演技というのは、それは、五十嵐さんでこそその役はできるというストーリーだったのであり、高木のおっさんではミスキャストも甚だしいものでした。 将棋で、ここに金を打てば勝てると思って金を打とうとすると、金が「ぼく、そこに打たれるの、嫌や。桂馬じゃあかんの」と言うのでしかたなしに桂馬を打ったら、ぐちゃぐちゃになった、みたいなもの。 高木のおっさんは、私がこう言ってくれ、こういうことは間違っても絶対に言わないでくれとはっきりと指示したにもかかわらず、私がこういうことは間違っても絶対に言わないでくれと言ったことをわざわざ言いやがったのですが、それでも、ともかく、労力は払ったわけですから、労力は払った人には、言うなと言うことをわざわざ言いやがったとしても、責めるわけにはいかない(桂馬に、「まっすぐ進んでくれ」と念を押して話していたのに、まっすぐ進まずに斜め前に行きやがったとしても、それは桂馬にまっすぐ進めと言った方が悪いのですから、しょせん、桂馬はまっすぐ進めと言われても進めないのですから)、そんな人に頼んだのが間違いだったのですが、ある程度以上、経験のある営業が、ここからのストーリーはと契約までのストーリーを考えて、ここでこういう人物が登場してこう言えばとこの俳優ならこの役ができるだろうということを考えて、特定の人間に特定の役を頼むというのは、これは悪くないと私は思っています。 むしろ、ある人に頭を下げてお願いすれば、それで、1棟の契約が取れるのならば、いくらでも、頭は下げればいいじゃないか、と思います。 父の勤め先の会社の社長が、「わしが頭を下げればそれで解決するなら、いくらでも、頭下げたるでえ。 それで、物事が解決するなら安いものや」と言ったことがあると聞きました。頭を下げてお願いすれば、それで1棟の契約が取れるのならば、下げればいいじゃないか、と考えるのは、それは「営業力がある」のであって、ないのではないはずです。 せっかく、ストーリーを考えて役を頼んでるのに、それを嫌がる「大物俳優」には困ったもんだと思いましたが、嫌がられるということは、嫌がられないように「根回し」ができなかった私が悪かったのか、やっぱり、所長なら、せっかく、そういうストーリーを考えて役を頼まれて、嫌がることないじゃないか、とか思いますが、いずれにしても、「契約までのストーリー」を考えた上で、ここで、こういう俳優に登場させてこの役をさせれば前に進む、ということで協力を誰かに求めるというのは悪くないはずです。
(エ) 他の人のケースで言うと、先のいわき市のWさんは、(株)一条工務店に入社する前、(株)一条工務店で自宅を建てた人でしたが、その際のことを話してくれたのですが、担当営業のK井さんは、「不動産に詳しい」ということでSさんを同行させたが、Sさんは見込客であった時のWさん宅に行くと、担当営業のKさんが「・・・・なんです」と説明した上で、「Sさん、それでいいね」とSさんに話をふると、Sさんは何を言っても「うん」と言ってうなづくばかりだったので、見込客だったWさんは、Sさんというのは、よっぽどエライ人かと思った、というのですが・・・・・、自分自身が(株)一条工務店に入社してみると・・・、な~んだ、あんなじいさんだったじゃないか、やられた! と。 でも、きっちりとその家は建ちましたし、別に担当営業のKさんも「不動産に詳しい」というフレーズで同行したSさんも嘘は何もついていないし、Sさんは実際に(株)一条工務店に入社する前には不動産屋に勤めていた経験がある人で宅地建物取引主任者の資格も持っていた人で「不動産に詳しい」というのも嘘ではないし、Sさんを実際以上にしっかりしている人、実際以上にエライ人と思い込んだのは、見込客であった時のWさんが勝手に思い込んだというだけだったのです。 但し、「だけ」とは言っても、そういう「だけ」になることを可能性として想定して連れていっていたと思いますけれども。
私は、同様に、「契約までのストーリー」のひとつとして登場する役者の1人として五十嵐さんならその役ができると、その時に考えられる最高の俳優に依頼したつもりでしたが、なんで、嫌がるかなあ~あ、その部分で高く評価しているから頼んでいるのに、なんで、嫌がるかなあ~あ・・・と思うのですが、嫌がられたのです。
(オ) 1990年代半ば過ぎ、福島県いわき市で私と同じ営業所にいたK井さんが、所長のK野さんに協力してもらって、その協力がなければ契約できなかった見込客を契約できた、というケースも聞きました。 展示場に来場され、営業担当のK井さんが、建築予定地を見に行くと、どう頑張っても、総2階で延床面積20坪くらいの家しか建てられない場所しかない。そこに建てられるような図面を作って持って行っても、その見込客は納得しない。その後、その見込客はいわき市の別の展示場に行き、そこで会った所長のK野さんに、「愛想もくそもない図面を作ってきやがって」「あんな間取りの家なんか、建てられるかあ」とぼやいたというのです。所長のK野さんは、K井さんに電話をして、客がそう言っているから、担当を降りて、その見込客を自分に渡せと言ったらしいのですが、K井さんとしては、ここで簡単に所長に見込客を取り上げられたのでは、メシの種の見込客はなくなってしまう、そうはいくものかと頑張り、所長のK野さんに、「そう言われるのなら、所長、私と同行してお客さんの土地に行って、一緒に話をしてくださいよ」と言い、K野さんに見込客を渡すというのではなく、所長のK野さんが担当営業のK井さんに同行して行くというように持って行ったのです。その後、どうなったか。さすがは所長だなあ、と感動したとK井さんは話してくれたのですが、その話には私も感動しました。農家で全体の土地はけっこうあるが、空いている土地に建てようとすると、総2階で延床面積20坪程度の家しか建てようがない。しかし、その見込客はそれでは納得できない。所長のK野さんは、そこで周囲を見回して、隣にある納屋を見て、「◇◇さん、これ、どんなもんだろうねえ。この納屋だけど、見たところ、まだ、新しくて、これを取り壊してしまうのは、何とももったいないように思うのだけれども、もし、この納屋を取り壊して、この納屋が建っている所とここの土地と合わせて、両方の土地を使って建てたとしたら、けっこういい家ができると思うんだけれども、どうだろうねえ」と、そう言ったそうです。そのお客さんはそれを聞いて感動して、「今まで、何社もの会社の何人もの営業がここに来たけれども、それを言ってくれたのはK野さん、あなた、ひとりだけだ」と、そう言ったという。それで、話は進み、もう、競合なんかない。その所長のK野さんの協力でK井さんは1棟の契約を取得できた。意地を張って協力を頼まないのではなく、頭を下げて協力を頼んで1棟、契約を多く取れるものなら、頭を下げて協力を求めた方がいい、と判断するのは営業力のひとつ、ではないか。
本筋からいくらか離れた話が長くなってしまいましたが、その本筋からいくらか離れた話で述べたように、「すでにある程度以上の経験がある営業が、他の営業に協力を求める」というのも、
(1)得意不得意があり、その見込客のようなケースついて得意としている営業に協力を求める、というケース〔↑の(ア)のケースなど〕、
(2)「契約までのストーリー」を描いた上で、そこに登場する役を演じる俳優として、その役を演じるのに適していると思われる人、この人ならその役を演じることができると思える人に役者として登場してもらうようにお願いするとうケース〔↑の(ウ)(エ)のケースなど〕、
この2つは、すでにある程度以上の経験がある営業がやったとして、悪いことは何もないと思うのです。
それに対して、いつまでもいつまでも。自分は指導される側だという意識の人というのがいると思います。近藤雅雄さんが「研修」で、「ひととおり、契約をもらえたら、そこからは自分で考えてやるしかないですね」と言ったというのは、経験が豊富な人と経験が浅い人、良い営業成績を残している人とそうでもない人というのはあるとしても、一通り、契約をもらえたら、そこからは自分より経験がある営業、自分より実績を残している営業でも、あくまでも「横の関係」である、指導者と被指導者の関係ではない、ということを言いたかったのではないか。そういう意味で言ったとしたなら、それは、もっともなことで、わかっている人には当たり前でも、わかっていない人がけっこういることをきっちりと述べたもの、と考えました。そういう意味で近藤まさおさんが言ったのかどうか、はっきりとはわかりませんが、そういう意味で言ったのならその通りであると私は思います。
↑ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山 )、参道から見た「黒門」(総門)。
(2017.7.9.)
次回、【5】うかつに「売れる人」と言うな https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 〔今回〕
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
この記事へのコメント