「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【13】人の手当てを横領・仕事中に「遊びの計画」する痴漢支店長
[第583回] 会社と営業の話(137)‐13
増田和二は、最後、「私は忙しい」などとけったいな捨て台詞を残して帰りましたが、増田和二が「忙しい」わけないのです。もしも、自分が「忙しい」人間であるならば、わざわざ締め日直前に、突然前日の夜終業時刻を過ぎた時刻に電話を入れて、わざわざ始業時刻よりも前に労基法違反の犯罪を犯した上で人を呼びつけにして、しかも、「今、『千葉支店の成績がいいのは、すべて渡邊支店長が優秀だからです』と言われましたが、どういうところを『優秀』と考えられるのでしょうか」と言われても答えることができない、即ち、増田和二自身が渡邊士直を「優秀」だとは別段思っていないにもかかわらず、 「千葉支店の成績がいいのは、すべて渡邊支店長が優秀だからです」などと内容空虚で、かつ、千葉支店所属従業員に喧嘩うるような文句を言いにくるなどということはしないはずです。せめて、締め日の後にしようといったことくらいは考えるはずです。 自分が暇な人間であるから、わざわざ、締め日直前に人を呼びつけにして営業妨害するのです。正真正銘忙しい人間の仕事の邪魔をしておいて、「私は忙しい」とはよく言ったものです。彼を見ていると、富士銀行の人間というのは、よっぽどバカなのじゃないかという感じがします。
小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕の千葉支店の支店長に1989年7月1日より任命されたにもかかわらず、7月の下旬になってやっと千葉支店に来た渡邊士直(私などは、会社がどこに行ってくれと言えば、従業員は〇日からと言われればその日から赴任するものだと思い、1990年4月に東京支店に行ってくれと非常識に突然前日に言われた時も無理をして行ったものだが)は、1989年度、9月頃だったでしょうか、これも、締め日前、「仕事も一緒、遊びも一緒」と書いた紙を営業所に、FAXで送りつけていたか、もしくは、コピーして、千葉支店の各営業所行きの箱に入れておいたかしたのです。 これにはむかつきました。
締め日前、その支店の従業員、特に営業社員は、締め日までに何棟契約をもらえるか、粗利益としていくらくらいの契約をもらえるか・・・ということで頭はいっぱいで、毎日、長時間労働でへとへとになって働いているのです。 その時期に、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと記載した紙を送りつけてくる。 要するに、就業日だけ、勤務時間だけでなく、休日までも痴漢人間の渡邊士直とつきあえということです。 それを、渡邊以外の従業員は、締め日の前、締め日までに何棟契約もらえるか、粗利益としていくら契約をあげられるかといったことで必死になっているまさにその時期に、この男は、ひとり、遊びの計画、おのれの遊びに他の従業員を協力させようとして計画をねっていたのです。
どうも、つぶれる会社には共通点があるようです。 2011年前半、新華ハウジング(有)〔建設業。本社:千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に倒産〕で、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)が、会社事務所で、机に向かって、ひとり、『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)の本を広げて、「さあ、みんなにどんな遊びをやらせてやろうかなあ~あ」とつぶやいて見ていたのです。 この人、いったい、何、言ってんの? ・・・どう考えても、ちょっと、ずれとるな・・・・いや、相当、ずれとるな・・・・と思いました。 従業員からすれば、社長に、他の従業員が働いている最中に、一生懸命、『地球の歩き方』広げて「遊びの研究」をやってもらわなくても、十分に給料を払ってもらって十分に休みをとらせてもらえれば、何をやって遊ぶかなどというものは、それぞれの従業員が自分で考えるのです。 それよりも、社長以外の従業員が働いている最中に、会社で『地球の歩き方』を広げて「遊びの研究」やってる社長て・・・・、なんかちょっと、ずれとる・・・大分ずれとる・・・・と思いましたが、そうすると・・・・その後、それほど経たないうちに、倒産した。
小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕でも、締め日前の忙しい時期に、「大卒しか採らない会社」であるはずの会社で、高卒の人間であるのに、特に大卒の人間に劣らないと判断できるものがあったわけでもないのになぜか支店長にならせてもらった高卒の痴漢人間のおっさんが、ひとり、遊びの計画を立てとる・・・・・て、まったく、アホちゃうか・・・というより、アホはどうしようもないな! そういうことをやって、従業員としてうれしい気持ちになるか? もっと必死になって働きたいという気持ちになるか?・・・・というと、ならないと思うのだ。 ましてや、締め日が過ぎて、ほっとした時に、ま~だ、渡邊のために実質働かされなければならないのか? ということになると、こいつ、いいかげんにしろよ! ということになります。 そういう一般従業員が働いている最中に、「遊びの研究」をしている社長の会社、「遊びの計画」を立てている支店長の会社というのは、どうなるかというと・・・・小堀住研(株)は新華ハウジング(有)よりは規模が大きかったので、つぶれるまでに時間はかかったけれども ・・・・つぶれた! 今、後継会社として「ヤマダエスバイエルホーム(株)」という会社があるけれども、あれは、つぶれた会 社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取ったものであって、「小堀住研(株)」と初代社長の小堀林衛の名前が入った「小堀住研(株)」という会社名から「メカケの子」か「メカケの娘の婿」だからしい2代目の社長の中島昭午が「小堀」という名前を削り取った「エスバイエル(株)」は、実質、つぶれた。 締め日前、一般従業員が何棟契約もらえるかと必死になっているまさにその時に、支店長が「遊びの計画」を立てている会社、締め日直前に、前日の夜の終業時刻をすでに過ぎた時刻に突然電話を入れて、始業時刻前に労基法違反の犯罪を犯して呼びつけにした上で、「東部営業本部長」が「千葉支店の成績がいいのはすべて渡邊支店長のおかげです」などと千葉支店所属の従業員に喧嘩うるような発言をおこなう会社・・・というのは、結論として・・・→つぶれた。 なるほど・・・ということか。
まず、その「仕事も一緒、遊びも一緒」という文句。 渡邊士直はおかしな文句を書いているという自覚はなかったであろうけれども、要するに「私は独立自尊の精神が欠けています」と表明していることと変わらない。この男、「独立自尊の精神の欠如」、まったく、知能程度が低いなあとあきれた。 仕事に尽力して締め日が過ぎたならば、「遊び」をするにしても、渡邊と「遊び」をするのではなく、考えのあう友人と遊びたいものだ。 その「考えの合う友人」が会社の従業員である場合もあるだろうけれども、そうでない場合もある。 いずれにせよ、締め日過ぎてまで、渡邊に拘束されるのはかんべん願いたいものである。 特に、《「信念もってやってる」社内痴漢》の渡邊とつきあわされるのは。
渡邊士直は、1990年の1月末であったか2月末であったか、「いたって酒の好きな人間が、酒を飲まないわけないだろうが。この馬鹿たれがあ」と私に怒鳴りつけた。渡邊士直が、1989年7月、千葉支店に赴任早々、自分自身の歓迎会の席上、千葉支店所属の女性社員の尻を「男性がさわりたいと思うお尻をしているというのは大変いいことだねえ」と言いながらなでまわした時、渡邊士直はほとんど酒は飲んでいなかったのだ。私は彼の正面の席に座っていて、彼をずっと見ていたのだ。彼は、シラフで「男性がさわりたいと思うお尻をしているというのは大変いいことだねえ」と言いながら、会社の女性社員の尻をなでまわしたのだ。ところが、1990年の1月末であったか2月末であったか、渡邊士直は、「酒の場のことだろうが。この馬鹿たれがあ~あ!」と言って、私に怒鳴りつけたのだが、「酒の場」であったら会社の女性社員の体をさわっていいというものでもないはずであるが、その時、渡邊士直自身はほとんど酒を飲んでいなかったのだ。 その時だけではない。彼は自分で自分のことを「いたって酒の好きな男が酒を飲んでないことはありえんだろうが」と言うのだが、実際にはほとんど飲んでいないのだ。彼が好きなのは酒ではなく、「酒の場のことだろうが」と言って、会社の女性社員の体をさわることである。しかも、「信念もってやってる」のだ。 これは、「ほとんどビョーキ」というよりも、「病気」であろう。「治療」するには、精神安定剤の大量投与によって精神を朦朧とさせる「化学療法」か、電気ショックでも加える、もしくは、ロボトミーなど「精神外科」手術によって大脳皮質をけずりとる、もしくは、「精神病院」に「入院」させて世間から隔離する「入院療法」か、そうでなければ、植木の剪定ばさみで、ち〇ぽ を切断した上で水洗トイレに流すという“切断療法”でもおこなうなりするしか、この顔にち〇ぽがついてるみたいな男の「治療」の方法はないのではないかと思われる。渡邊が、私たち千葉支店所属の従業員が、締め日前に忙しくへとへとになるまで働いていたまさにその時に、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと書いた紙を送りつけて、「遊びの計画」を練っていたのは、要するに、泊りがけでどこかへ行き、またもや、「酒の場のことだろうがあ」と言って女性社員の尻をなでてやろうという計画を練っていたということである。1990年1月末であったか2月末であったか、「東部営業本部長」の増田和二は、私に「あなたは、渡邊支店長が何をしたと言うのですか」などとびっくらこっこする発言をしたのであるが、↑のようなことをしていることを「東部営業本部長」が知らないというのはおかしい、知らないような男が「東部営業本部長」としての給料を盗っているというのはおかしい。 何より、そんなことは、「あなたは、渡邊支店長が何をしたと言うのですか」などと私に尋ねて教えてもらうものと違うだろうが!
「ち~が~う~だ~ろ! このボケぇ~え!!!」
というところである。
そもそも、他の従業員が、なんとか契約をあげなければと必死になり、へとへとになるまで働いているまさにその時、ひとりだけ、支店で「遊びの計画」練っている支店長て、それ、いったい何?!?!?!? ・・・と思いませんか?
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「営業系」の応募資格は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というものであったのに、渡邊士直は高卒であるだけでなく「高卒の痴漢人間」であったのだが、やっぱり、「大卒しか採らない会社」の支店長を「高卒の痴漢人間」にさせるのは、ドダイ、無理!・・・・ということではないか・・・・。
小堀住研(株)では、営業社員は「(基本給〔年齢給〕+職能給)+歩合給」という給与制度であったが(厳密には、それに一級建築士、二級建築士、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の資格を保有している者には一級建築士には月5000円、二級建築士と宅地建物取引主任者には月2000円でしかないが資格手当が支給されていた)、個人への歩合給と別に、各営業課ごとの成績に応じて各営業課への歩合給というのか報奨金というのかが支払われていた。 これは、営業の成績は、その営業課で協力して成績をあげるべきものだという考え方によるもので、就業規則に明記されていたものであるが、ところが、渡邊士直は、松戸営業課その他、この営業課ごとの歩合給というのか報奨金というのかを、勝手に自分のものにしてしまって、それを渡邊のための千葉支店の従業員を随行させての旅行の費用に使ってしまった。 これでは、泥棒もいいところである。
「それは、みんなで使うために会社が出しているものなのだから」と言う人もいたが、「みんなで使うためのもの」であれば、渡邊士直が使い方をひとりで決めるものではないはずだ。渡邊が決めたものに松戸営業課の報奨金や他の営業課の報奨金を使われる筋合いはない。 「みんなで使う」としても、千葉支店で「みんなで使う」のならば、就業規則においても各支店ごとに支給されるべく記載されているはずであるが、就業規則の規定はそうではなく、各営業課ごとに支給される旨が明記されていたのである。 そうである以上は、各営業課ごとに支給されて、営業所ごとにどう使うか議論した上で使用するべきものである。 松戸営業課に支給されるべきであったものは、松戸営業課に支給してもらって松戸営業所の従業員全員のために使わせてもらう権利が松戸営業課の従業員にはあったはずである。 私がこの件を指摘したところ、「残ってたから」と意味不明なことを石井が言って、松戸営業課の支給額を3等分した金額を私にだけ渡したが、私にだけ渡せばいいというものではない。各営業課に支給すると就業規則に明記されているものは、就業規則の条文に従い、各営業課に支給しないといけない。それを渡邊が使ってしまったならば、渡邊に対して会社は返還請求をするべきである。 渡邊が横から手を出してそれをおのれのものにするというのは筋が通らないし、事実上、渡邊士直は泥棒である。
私が慶應義塾大学の商学部に在籍した時のことだが、「社会保障論」だったか「労働問題」だったか、どちらかの講義の際、教授が話されたことだが、「アメリカ合衆国で、ある会社の寮で、食堂の脇に何にも使われていない空いたスペースがあったので、『ここに卓球台でも置けば、社員で、卓球でもやって楽しめるのに、どうして置かないのですか』と言ったところ、『とんでもない』と言われた。 そんなことしたら、卓球やらされたので、卓球やったことに対して賃金を払えと言われることになる・・・と。 日本では、卓球台が食堂の脇に置いてあったから、だから、卓球やったことに対して手当を払えなんて、普通は言わないでしょ。 それをアメリカ(合衆国)ではそういうことを言うらしいんだ」と。
そのあたりについて、日本の労働者とアメリカ合衆国の労働者の感覚の違いというものをそこで話されたのであるが、「一般的には」日本では、寮の食堂の脇に空いているスペースがあるという時に、卓球台を置いたとすると、それは、あくまでも「福利厚生のためのもの」ということで、その卓球台を使って卓球をやって遊びたい人は使えばいいし、やりたくなければやらなければいいだけのこと・・・・と理解されるが、しかし、それはあくまでも「一般的には」であって、「一般的」でないケースというのもある、ということを、小堀住研(株)の千葉支店で、1989年の7月1日から千葉支店長に任命されたにもかかわらず、7月の終わりになってやっと赴任した渡邊士直を見て思った。
実際のところ、「信念もってやってる」社内痴漢の渡邊士直が女性社員の体をさわるための「飲み会」であるとか「旅行」であるとかに参加させられた場合、それに対しての報酬は、渡邊からか小堀住研(株)からか、どちらから支払われるべきかはさておき、当然、支払われるべきであろう。そのような苦痛をともなく作業に参加させられた以上、それに対しての手当ては支給されないといけないはずである。これは、「アメリカ合衆国では出てくる発想であるが日本では普通は言われない」などというものではなく、日本でも、主張されるべきものであるはずである。実際、千葉支店でも、渡邊士直が女性社員の体をさわる点についてはたいして抵抗を感じない人もいたし、その人自身が渡邊ほどではないとしても、その点においてはいくらか品性の近い人もいたのであるが、しかし、そういう人であっても、渡邊があまりにも頻繁に「飲み会」だの「旅行」だのを実施し、しかも、それらをすべて渡邊にとって都合がいい千葉市中央区の千葉支店(と渡邊の住居)の近くでおこなうため、けっこう面積が広い千葉県の千葉市中央区から遠い場所の営業所に勤務している人間としては、「いいかげんにしてくれ」と思うことになるようだった。松戸営業課の課長になっていた石井もまた、「まったく、何度も何度も、千葉まで呼びつけにされて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやいていたし、 「まあ、あの人(渡邊士直)は、いつまで経っても、あれでは千葉支店の従業員からは誰からも親しまれないだろうし、あの人はいつまでいても千葉支店に馴染むことはないだろうなあ」と見解を述べていたし、実際そうであったと思う。渡邊に同調していたのは、最初は船橋営業所(展示場)に所属していたが船橋営業所(展示場)が閉鎖されて千葉市稲毛区の天台に新しくオープンした千葉北営業課(展示場)の勤務に変わった「営業補助職」の女性のT湖内くらいのもので、T湖内は自分が「営業補助職」という補助的な立場の職種であるのであり、「営業補助職」というのは営業が営業活動をおこなう補助をする立場の職種であったはずで、営業の職種の従業員が、渡邊があまりにもしばしば千葉まで呼びつけにして「飲み会」だ「旅行」だと渡邊だけが喜んでいる企画を強行することで多くの従業員が嫌がっていた以上、渡邊に同調してさらにそういうものを増やそうとして営業の業務を妨害するようなことはあってはならない立場であったが、そのやってはならないことをやらないとおれない人であり、その点で、「補助職」の立場をわきまえていない女であり、困った人であった。 そういう人には、「あなたは飲み会が好きかもしれないけれども、営業社員は仕事で忙しくて、それほど飲み会を持つ余裕がないのだから、あなたが飲み会を持ちたかったら、会社として実施するのではなく、あなたが個人的に飲みに行ってください」と支店長などの立場の人間は指導するべきもののはずであったが指導できないだけでなく自分がその困った人間である渡邊士直が支店長になっていた。やっぱり、「大卒しか採らない会社」の支店長に高卒であるだけでなく「高卒の痴漢人間」である渡邊士直をならせるのは無理であったと思われる。支店長に本来なら支店長にならないような人がなっていた以上、T湖内が所属した船橋営業所→千葉北営業所の営業課長であった馬場(男。当時、30代なかば?)がT湖内に注意しないといけないのであるが、小堀住研(株)では営業課長は、営業として「ある程度の在籍年数と契約実績を残した人」という条件でだけなっており管理者的能力を評価されてなっていたわけではなく、馬場もまた「営業補助職であるのに営業の仕事を妨害するような行動をとる人」に注意・指導できる能力はない人だった。船橋→千葉北営業課の松田と高橋にも責任はある。
T湖内は1989年の6月頃に入社したが、その時、面接して採用を決めたのは、6月まで千葉支店業務課長で7月から東京支店業務課長になった江間だった。なんで、あんな人を採用するかなあ~あと思ったが、もちろん、そう思ったとしても、自分もまた誰かからそう思われる可能性はないとは言えないわけで、他人事として自分は対象外みたいに思うべきではないだろう。もう20年以上前だが、「産経新聞」に掲載されていた話だが、「リストラ」「不当解雇」といった問題において、自分は関係ないと思っている人がおり、「あいつは仕事ができないが自分は仕事ができるから解雇されることはない」とか「自分は・・・の資格を持っているから解雇されることはない」とか、あるいは「あいつは何かにつけて逆らう人間だが、自分は常に上長に従順だから解雇される心配はない」とか、逆に「あいつは何でも言いなりになる人間だから辞めさせられるが、自分は何でも言いなりになったりしないから大丈夫だ」とか、そういうことを本気で思っている人がいるが、「産経新聞」が取材した「労働コンサルタント」が言うには、「こっけいでしかありませんね」ということで、そんなもの、まったく関係ない。すべての人が「リストラ」「不当解雇」の対象になりうる・・・・という。 だから、自分は関係ないなどとノー天気なことは思わない方がいいし、そんなこと思っているなら、そんなことを思っているという点において認識が甘い、ということになるのではないかと思う・・・・が、それはそれとして、なんでこんな人、採用したかなあと私が思った際、その採用において、面接して採用を決めた江間は何を見て、何を理由に判断して決めたのか・・・、そこが問題だ!・・・が、江間は何を見て何を理由に判断したのかというと・・・、結論として、「な~んも考えとれへん!」ということだ。「業務課」とは不明確な名称であるが、各支店における「業務課」とは本社で言うところの「人事 兼 総務 兼 経理」 ということのようだが、そういう立場の「長」にしては江間は能力不足と言わざるをえない。
1989年5月、私が江間と最初に会った時、江間は、私が尋ねもしないのに、「法政大学 法学部を出た」と「ちょっと自慢」みたいなニュアンスで言った・・・・が、放精の呆学部を出たなんて「ちょっと自慢」に思う人間なんてあるわけないだろうから、だから、それは単なる自己紹介であって「ちょっと自慢」みたいにも聞こえたのは「気のせい」か・・・・と思ったのだが、しかし、やはり、幾分、そういうニュアンスがあった。世の中、普通は自慢になるわけないようなものを自慢に思う人というのもいるわけだから、彼がそういう意識でいたのかもしれない。 私が卒業した北野高校は、私が卒業する頃、「現役で大学に進学する者と1浪で行く者が半々くらいで、2浪以上がいくらかいる」という状況で、「大学は現役で行くのが基本」という認識であった。だから、クラブに浪人中のOBが顔を出した時などは、「恥ずかしながら、ただ今、笠張をしております」と言ったり、1浪で大学に合格・入学した人は「1年浪人をしてしましたが、なんとか合格できました」といった言い方をしたもので、1浪というのは「恥ずかしながら」だった。現役と浪人との間に壁というのか溝というのかがあって、1浪と2浪との間では、どのみち、浪人してしまったのだからということで、現役と浪人との間の壁というのか溝というのかほどは大きな壁・溝はなかった。 それに対して、底辺の方の高校から大学進学を目指す人の場合、「1浪が普通」という高校があるらしいということを、高校生時代は2年も浪人する人間なんてどうかしてるのじゃないかと思っていたその2浪をしてしまったあげく、そこなら高校卒業時に行けたと思える慶應大商学部なんてものに結果として2年浪人の後に行かされるはめになってしまって知った。千葉市の千葉北高校だったか千葉南高校だったか千葉西高校だったか千葉東高校だったかそのいずれか、本人が言うところによると不良の学校らしいのだが、そこを卒業して1年浪人の上、試験科目は数学と英語だけで、しかも、いずれもたいして難しくない慶應大の文学部に数学と英語だけちょろっと学習して他の科目は義務教育レベルも学ばずに入ったT永がいて、T永は私より1歳年下だったのだが、そういう不良高校から1浪で慶應大に入ったなどという不良にとっては、自分よりも格上の高校卒で年齢も自分より年上の人間が自分と同じ大学で自分よりも下の学年にいるというのが、もう、なんとも、うれしくって楽しくってたまんない♪ ようだった。Tは私にこう言ったのだ。「俺なんかは、きっちりと1浪で通ったんだけど、おまえ、なんで、2浪なんてするんだ! おかしいんじゃないのか。おい! なんで、2浪なんかするんだよお、こらあ! 答えろよ、ごらあ」・・・彼はそう言ったのだ。ここで、その善悪を述べだすと話がここでの話題から脇にそれるので、それはまたの機会にまわすとして、そこで私が驚いたのは「俺なんかは、きっちりと1浪で通ったんだけど」という言葉であった。「きっちりと1浪で通った」などという日本語があるとは私は夢にも思わなかった。私は大学というものは現役で行くものだと思っていたので、浪人して行った者はその点においては、「笠張をいたしましたが、なんとか、合格できました」とか言うものだと思い込んでいた。で、2浪した人というのは、それは何か事情があったということだ。「何か」は人によって違うだろうけれども、「何か」あったのだ。そして、ともかくも、浪人した人間にとっては、現役と浪人との間で、「しかるべく通った人間」と「笠張をした者」という差はあっても、1浪と2浪との差というのはあんまりない・・というのか、予備校に行くと、なぜか、自分が高校1年の時に3年だった人がそこにいた! なんてことがあったりもしたが、その人にはその人で何か事情があったのだろうが、「アホや、アホやあ~あ・・・」なんてたとえ言おうと思っても、自分だってアホなんだから、目くそ鼻くそを笑うの類なので言いようがない・・・・と私は思っていたのだ・・・・が、千葉クロマティ高校卒で1浪で慶應大文学部に行ったT永なんかの感覚ではそうではなく、「俺なんかは、きっちりと1浪で入った」と本人は思っていたらしいだけでなく、はっきりと口にだして言ったのだ。 そんな日本語があるのか? それ、まず、日本語の用法として間違ってるのじゃないのか? と私は思ったが、クロマティ高校卒の男にとっては間違っていないらしかった。まあ、「世の中、いろいろ」なのだろう。 で、小堀住研(株)の千葉支店業務課長→東京支店業務課長 になった江間が、「法政大学 法学部」ときかれもしないのに自分から言った言い方に、「ちょっと自慢」みたいなニュアンスを感じたのは、「気のせい」かとも思ったのだが、今、考えてみると、千葉支店の松戸営業一課の某さんとか松戸営業二課の某さんも、「ぼくは、◇◇大学に1浪して行って卒業して小堀には入って今年で〇年目なんですけど・・・」とか教えてくれたのだが、それらの人の話には「ちょっと自慢」みたいなニュアンスはまったくなかった・・・・ということは、江間の「法政大学 法学部」には、「はっきりと、自慢しとる」というほどのものではないが、やっぱり、「ちょっと自慢」という傾向が「ニュアンス」として感じられるかどうか・・・くらいにあった! ということだと思う。で、そんなもん、自慢するようなヤツだから、だから、営業補助職の女性を採用する際にも、「な~んも考えとれへん」採用をするということだ。
今から考えると、江間に言ってやればよかったかと思ったりもする。「すごいですねえ~え♪ すごい、すごい! さっすがですよ、さっすが♪ さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすが、さすが、さすが! すごい、すごい、すごいですよお~お♪ すごい、すごい、すごい! さすがです、さすが~あ!!!」と。 但し、この手法は、1989年の時点で私は習得していなかった。 後に習得したものだ。
我が家は、父が「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」という家庭だった。「勉強する所とは違う」ということは何する所かというと、父の認識としてはアルバイトする所らしい。それで、アルバイトばっかりさせられた。そして、行った先、行った先で、「なんで、慶應の学生が、こんな所にアルバイトに来るのお~お」と言われ、夏休みの後、少人数の授業の時、担当の助教授から「きみ、そんなアルバイトやってたのでは、勉強できんだろお」と言われたが、「よそはよそ、うちはうち」というのが我が家の考えで、「てってこっこ、てっててってらったらったらったらあ~あ! アルバイト、あるばいと、アルバイトぉ~お!」ということで、!同じ高校の卒業生で東大や京大や阪大やに行った人間、慶應大の学生が勉強している時に、アルバイトばっかりさせられた。なんで、自分だけが・・・と何度も思ったが、我が家はそういう家庭だった。 夏休みの2カ月間、最初から最後まで、箱根の三井系の保養所で「雑務」(・・・要するに、下男)のアルバイトを住み込みでやった時、食堂の配膳をやっていた時、保養所に来た客のおっさんから、「おい、にーちゃん。大学どこだ」と馬鹿にしたような口のきき方をされたことがある。嫌だった。答えようがなかったので黙っていたのだが、後で、玉川大の学生で同じアルバイトに来ていた男から、「愛想ふりまいて答えなきゃだめじゃない」などと言われたのだが、「玉川大です」とかなら答えてよかったのだろうけれども、見た感じ、法政大かそんなところ卒て感じのおっさんが、保養所のアルバイトみたいなもん夏休みにやってるようなヤツなんて、ろくな大学行ってないだろう! て感じで言ってるものに対して、「慶應義塾大学」なんて大学の名前を言うわけにいかないので言えなかった・・・・・のだが。 やはり、同じ「雑務」のアルバイトに来ていた神奈川大の学生が、大学の名前をきかれた時は「東横線沿いのK大学」と答えると言っていたので、そう言えばよかったかと後から思った。神奈川大学というのは東急東横線の「反町(たんまち)」駅から遠くない場所にあるらしいのだが、慶應大の教養課程も東急東横線の「日吉」駅の前にある。「東横線沿いのK大学です」と言うと、「東横線沿いのK大学って、神奈川大か!?!」とおっさんは言うだろうから、「まあ、そんなところです」とでも言っておけばよかった。 そして、「御主人さん、どちらの大学を出てられるんですか」と言ってやって、「俺か。俺は法政だ」とでも言うだろうから、その時には「さっすがですねえ~え。さすが、さすが、さっすっが♪ さすがですよお、すごい、すごい、すごい♪ さすがですねえ~え! さ、す、がっですよお、さすが♪ さすがです、さすが。私なんか、そんな大学、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。さすがですよ、さすが♪ すごい、すごい、さっすっが!!!」と言ってやれば良かった。「私なんか、そんな大学、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。」というのは嘘じゃない。高校卒業する年に東大に落ちた後、父からは「高校は義務教育じゃないのに、おまえは高校行きおってからに。おまえなんか、高校行ったのや余計じゃ」と鼻の頭を指さされて何度も何度も耳鳴りがするくらいに言われたものだ。また、「東大なら下宿してでも行く価値はあるが、そんなもん、しょーもない私立大学に行くのに下宿してまで行くことあらへん。私立大学なら家から通えるところで十分や」とも父は私には言っていた。だから、そんなもん、法政みたいなもん、行きたいなんてとんでもない。行きたいなどとはもちろん思わなかったが、たとえ、法政に行きたいなんて言ったとすると、「ふざけんな!」と言われるのは目に見えていた。そんなもの、法政なんて絶対に行かせてもらえなかった。 だから、「たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよ」というのは嘘じゃない。 ↑のように言ってやればよかった。たぶん、ほめられたと思ってその三井系の会社のおっさんは喜んだだろう。
「さっすがですねえ~え。さすが、さすが、さっすっが♪ さすがですよお、すごい、すごい、すごい♪ さすがですねえ~え! さ、す、がっですよお、さすが♪ ・・・さすがですよ、さすが♪ すごい、すごい、さっすっが!!!」というのは、この後、2006年に(株)エイブルに勤めた時、千葉支店で次長にならせてもらっていた門倉(男。当時、30代後半?)が得意技としてしばしば口にしていた文句だった。千葉工大に息子が入学したらしく、そのバカ息子が自宅から通える大学なのにアパート暮らしをしたいと言うからと母親が息子と一緒にアパートを探しに海浜幕張店に来たことがあり、「そんなもん、千葉工大やなんてそんな学校に行くようなバカ息子を、自宅が千葉工大のすぐ近くなのに、わざわざ、アパートに住ませてやろうとして親が息子と一緒に探しに来るなんて、どうかしてんじゃないのか」と私は心の中では思ったのだが(最近、そういう息子・娘とバカ親がなぜか多い)、門倉は「千葉工大ですか、さすがですねえ、さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすがですよ、すごい、すごい、すごい♪ さすがですね、さすが、すごい、すごい♪」などと言い、その客も門倉も帰った後で、店長のOが私に「東大にでも行ったというのならまだしも、千葉工大みたいなもんに行ったやつを『さすが、さすが』て・・・」と私に言ったのだが、東大に行った学生でも、あの言い方はほめているのではなく、茶化しているのであり、馬鹿にしているのであり、「あんなこと、言われてうれしい人あるのかなあ」と思ったのだ。そして、それを(株)エイブルの同僚に言うと、たいていの人間が「そうですよね」と言うのだった。私が、門倉の物マネをして見せると、「〇〇さん、完全に習得してるじゃないですか。さすがですよ、さ、す、が」などと言うので、「完全に習得したって、こんな技なんて、使い道ないでしょ。 こんなもの、誰かに言ったって嫌がられるだけでしょ」と言ったのだが、今、それが使い道があることに気づいた。 小堀住研(株)の江間みたいなやつが、きかれもせんのに、「法政大学 法学部」と自分から「ちょっと自慢」みたいなニュアンスで言った時、「ほほお~お。さすがですねえ、さすがですよ、さすがさすがさっすっが♪ すごい、すごい、すごい! すごいですよお、すごいすごい。 さすがですよ、さすがさすがさすがっ! すごいすごい♪」と「門倉の手法」を使ってやれば良かった・・・・。なるほど、この手法はこういう時に使えるのだ(^^♪ で、放精の呆学部みたいなもんを「ちょっと自慢」みたいに言うやつというのは、「さすがですよお、さすがさすが、さっすっがっ♪ すごいすごいすごい! すごいですよお、さすがさすがさっすっが♪」と言ってやれば、ほめられたみたいに思う可能性が高いので、1回ではなく少なくとも3回くらいはこの「手法」が使えるだろうから、「さすがですよ、さすがさすがさすがあ~あ♪ すごいすごい!」と言ってやって、上がる所まで上がらせて、一番高い所まで上がった頃を見て梯子をはずしてやる♪ というのも面白いかもしれない・・・・・かな? 程度低いか・・・?
小堀住研(株)が、その手当を支払いたくないのであれば、渡邊士直が渡邊が女性社員の体をさわるための「飲み会」だの「旅行」だのをひとりで決めて強行するのを注意する必要がある。「東部営業本部長」というのは、当然のことながら、そういうことについて配慮するのが仕事であり、その配慮ができない人間なら、「東部営業本部長」といった役職は退くべきである・・・・はずであるが、銀行から出向で来た人間の場合、その役職にふさわしい態度・対応ができない人間でも、絶対にその役職を退くことはない、という絶望的な状況が小堀住研(株)にはあった。 そういう銀行から来た能無しが横暴を働いている、しかも、その銀行から出向できている人間の人数が決して少なくない・・・という状況を考えると、この会社はその時点で、「おまえはすでに死んでいる!」という状態であったのかもしれない。 〔 ⇒《YouTube-[Fist of the North Star] お前はもう死んでいる (You are already dead)》 https://www.youtube.com/watch?v=-kPII561-GY 〕
他の従業員が働いているさなかに、社長だけ「遊びの研究」をやっている会社、支店長だけ「遊びの計画」を練っている会社・・・というのは、それは、「つぶれる兆候」であると判断していいのではないか・・・。
又、そういう支店長のことを「あなたは、◇◇支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと言うような「▽部営業本部長」を銀行が送りつけてきている会社というのも、それは「つぶれつつある会社の特徴」と考えるべきであろう。
私の父の勤め先の会社は、アトピー性皮膚炎について、大学医学部・製薬会社・衣料メーカー・洗剤メーカー・電気掃除機の電気器具メーカーなどでの合同研究会を設けましょうという話があった際に、住宅建築業の会社にも1社入ってもらいましょうという話になり、すでに自分の方からうちを入れてくださいとアピールしてきている大手の住宅建築業の会社があったのにそれを待ってもらって小堀住研究(株)に話をしたにもかかわらず、千葉支店長の渡邊士直と東部営業本部長の増田和二により、小堀住研(株)はせっかく便宜をはかってくれた相手に対して、せっかく好意をはらってくれた相手に対して、わざわざ足で砂かけるような態度・対応をとったのだが、又、小堀住研(株)のおかげで小堀住研(株)の入居者でもあった父は顔をつぶされたのですが、そして、増田和二は千葉支店に来たのなら、やっぱり、私に「あの件は大変申し訳なかった。どうか、お父さんによく謝っておいてほしい」とでも、まがりなりにも「東部営業本部長」であるならば、そのくらいのことは言うものであろうと思ったが、増田和二はあきれたことに、「あなたは渡邊支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと暴言をはいた。「あなたは渡邊支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと私に質問して教えてもらうことと違うだろうが、言うことが「ち~が~う~だ~ろ、このボケェ~え!」という言動を取ったのだが、それで終わりではない。小堀住研(株)に便宜をはかったことにより、渡邊士直・増田和二らから逆に足で砂をかけるような態度をとられた、迷惑を蒙った相手のところに、1990年7月初め、今度は人事部長の高田が押しかけていって、1990年1月末であったか2月末であったか、私が増田和二に質問したことで支店長の渡邊士直の顔をつぶしたと文句を言いに行った。これには父もあきれたようであるし、又、高田の態度には怒ったようである。、
「ち~が~う~だ~ろお! このハゲぇ~え!!!」 ・・・という態度を高田はとったようだ。
せっかく、小堀住研(株)のために便宜をはかったのに、その相手にわざわざ足で砂かけるような態度をとった人間のことを、会社として謝りに行くのならともかく、逆に、その足で砂かけるような態度をとった人間の「顔をつぶされた」と文句を言いに行くというのは、私も、小堀住研(株)の人事部長になっていた高田(男。当時、40代後半くらい?)を、
「私はこの人のことを前から『特別に賢い』とかいうようなことは思っていなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった」。
そういうことをやっている会社はどうなったかというと・・・・・→おかしな人間を役員に送り込んでいた富士銀行が、そのうち、「破産管財人」みたいな人間を社長に送り込み、大阪駅前の一等地に持っていた本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけ取って去った」。1989年の入社式の後、太陽神戸銀行から出向できていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から役員が来ているのは、小堀住研(株)が借金をしているからではないのです。人材が不足しているから来ているんです」などと言っていたが、そのわりに、富士銀行から来た「破産管財人」みたいな社長が本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけ取って去った」あと、それまで、取締役の半数・監査役の半数を銀行から来た人間が占めていたのが、銀行出身の人間があっと言う間にいなくなった・・・ということは、やっぱり、「人材が不足しているから」来ていたのではなく、形式が「借金」であったかそれ以外のものであったかは別として、やっぱり、銀行に対して何らかの負い目があるから来ていたのであろう。
小堀住研(株)は「人材が不足している」というのは、それは入社してみて実際にそうだと思ったし、特に一線の仕事をしている人間よりも上の方の人間に「人材が不足している」と思ったし、人事部長の高田にしても、私は人事部長というものは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か、文学部心理学科・教育学部教育心理学科で心理学・教育心理学などを学んできた人間が入社後に経験を積んでなるものかと思い込んでいたのだが、高田なんかどう考えてもおよそそんな人間ではなかったが、それなら銀行には「人材」があり余っているのかというとそうではないはずであるし、もしも、銀行には「優秀な人材」がけっこういたとしても、「優秀な人材」がけっこういるからとしても、だから、それをよその会社に「おすそわけ♪」しようなどと考えるかというと、普通は考えないものではないか。 万一、「優秀な人材」が余っておれば、それを利用して何か自分の所で事業をやるだろう。又、銀行として優秀な人材であったとしても、銀行と住宅建築業は内容が全然違うのであり、銀行として優秀な人であっても、ただちに住宅建築業でも優秀であるとは限らないはずである・・・・し、もしも、銀行で優秀な人間は他業界においても優秀であったとしても、出向先の会社で、出向先の会社と出向元の銀行では出向元の銀行に対しての方が忠誠心があるような人間というのは、出向されている側の会社にとって「優秀な人材」であるかどうかというと、疑問である。小堀住研(株)に在籍した時の私のようにその会社のために努力したい尽力したいという気持ちのある人間と銀行に対しての方に忠誠心がある人間とでは、もとの能力が同じであっても、その会社にとっての実質的能力は異なるはずである。 銀行から人が来ている、それも役員の半分、監査役の半分も銀行出身であり、それより下の役職でもおり、どう考えてもその人の本来の役職よりも高いと思われる役職についている人が多い、そして、「破産管財人」型社長が「取れるだけ取って去った」あと、銀行から来た取締役・監査役があっと言う間にいなくなった・・・ということは、何をかいわんやである・・・が、それにしても、自社が相手に対して無礼な態度をとり相手の顔をつぶしておいて、その相手の所にわざわざ出かけていって、顔をつぶすような行為をはたらいた人間のことを「顔をつぶされた」と文句を言いに行くというあたりは、高田という男は、アホのくせしてずいぶんといい心臓している。こういう“心臓男”は、野球のたとえで言うならば、「最終回、1点差のリードでノーアウト満塁のピンチ・・・とかいうような場面で登場するリリーフエース」とか、「ここでヒットを打つかどうかで試合が決まるという場面で登場する代打の切り札」とかに向いているのではないか。
もうすぐ、父の命日なのだが、父も、息子がそこに勤めているからということで、小堀住研(株)に便宜をはかってあげてほしいと担当の取締役に頼んで、それで、便宜をはかった小堀住研(株)から足で砂をかけるような態度をとられるとは夢にも思わなかったようであったし、ましてや、そうやって自分の顔をつぶした会社の部長が押しかけてきて、「渡邊支店長の顔をつぶした」などと文句を言うとは夢にも思わなかったようである。 「その会社がどの程度の会社かは、営業を見るよりも人事や総務の人間を見た方がわかる」といったことを父は言っていた。なぜなら、営業が良かったとしても、それは何人かいる営業のうちでその担当の営業の人間が良いというだけであるという場合があるのに対して、人事・総務の場合はそうではないというのだ。私もそういう面はあると思う。人事・総務がアホの会社というのは「その程度の会社」ということはある。そして、実際、「その程度の会社」というのは日本にはけっこう多いのであるが、それにしても、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕は「その程度の会社」だった。 最初に千葉支店松戸営業一課に配属された時、営業課長のUさんが「おめえは、本当に優秀だなあ」とにやにやしながら「少なくとも6割は冗談」みたいな言い方で言うことがあったのだが、その意味は、私が入社する前、Uさんが営業課長であった松戸営業課に中途採用ではいって在籍した某さんよりは優秀だという意味だったそうで、その某さんは、私は直接会ったことがないので詳しいことはわからないが、Uさんはお客さんからその某さんのことを「あれはアホですよ。あの人、客の前に出したら会社の恥ですよ。あれはアホですから、客の前に出さない方がいいですよ」と言われたというのだ・・・・が、その某さんよりも、むしろ、人事部長の高田こそ、「あれはアホですよ」「社外の人間の前に出したら会社の恥ですよ。」という印象を私は受けた。慶應大学に在学中、「人事の人間というものは優秀で、人を見抜く力とか洞察力はちょっとやそっとでは太刀打ちできない」とか言う人が慶應大学にの学生にいたが、そういう人事も世の中にはいるのかもしれないが、そうではない人事もいる。「あれはアホですよ」という人事の会社もけっこうある。そういう会社は日本にはけっこう多い。
(2017.9.21.)
増田和二は、最後、「私は忙しい」などとけったいな捨て台詞を残して帰りましたが、増田和二が「忙しい」わけないのです。もしも、自分が「忙しい」人間であるならば、わざわざ締め日直前に、突然前日の夜終業時刻を過ぎた時刻に電話を入れて、わざわざ始業時刻よりも前に労基法違反の犯罪を犯した上で人を呼びつけにして、しかも、「今、『千葉支店の成績がいいのは、すべて渡邊支店長が優秀だからです』と言われましたが、どういうところを『優秀』と考えられるのでしょうか」と言われても答えることができない、即ち、増田和二自身が渡邊士直を「優秀」だとは別段思っていないにもかかわらず、 「千葉支店の成績がいいのは、すべて渡邊支店長が優秀だからです」などと内容空虚で、かつ、千葉支店所属従業員に喧嘩うるような文句を言いにくるなどということはしないはずです。せめて、締め日の後にしようといったことくらいは考えるはずです。 自分が暇な人間であるから、わざわざ、締め日直前に人を呼びつけにして営業妨害するのです。正真正銘忙しい人間の仕事の邪魔をしておいて、「私は忙しい」とはよく言ったものです。彼を見ていると、富士銀行の人間というのは、よっぽどバカなのじゃないかという感じがします。
小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕の千葉支店の支店長に1989年7月1日より任命されたにもかかわらず、7月の下旬になってやっと千葉支店に来た渡邊士直(私などは、会社がどこに行ってくれと言えば、従業員は〇日からと言われればその日から赴任するものだと思い、1990年4月に東京支店に行ってくれと非常識に突然前日に言われた時も無理をして行ったものだが)は、1989年度、9月頃だったでしょうか、これも、締め日前、「仕事も一緒、遊びも一緒」と書いた紙を営業所に、FAXで送りつけていたか、もしくは、コピーして、千葉支店の各営業所行きの箱に入れておいたかしたのです。 これにはむかつきました。
締め日前、その支店の従業員、特に営業社員は、締め日までに何棟契約をもらえるか、粗利益としていくらくらいの契約をもらえるか・・・ということで頭はいっぱいで、毎日、長時間労働でへとへとになって働いているのです。 その時期に、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと記載した紙を送りつけてくる。 要するに、就業日だけ、勤務時間だけでなく、休日までも痴漢人間の渡邊士直とつきあえということです。 それを、渡邊以外の従業員は、締め日の前、締め日までに何棟契約もらえるか、粗利益としていくら契約をあげられるかといったことで必死になっているまさにその時期に、この男は、ひとり、遊びの計画、おのれの遊びに他の従業員を協力させようとして計画をねっていたのです。
どうも、つぶれる会社には共通点があるようです。 2011年前半、新華ハウジング(有)〔建設業。本社:千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に倒産〕で、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)が、会社事務所で、机に向かって、ひとり、『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)の本を広げて、「さあ、みんなにどんな遊びをやらせてやろうかなあ~あ」とつぶやいて見ていたのです。 この人、いったい、何、言ってんの? ・・・どう考えても、ちょっと、ずれとるな・・・・いや、相当、ずれとるな・・・・と思いました。 従業員からすれば、社長に、他の従業員が働いている最中に、一生懸命、『地球の歩き方』広げて「遊びの研究」をやってもらわなくても、十分に給料を払ってもらって十分に休みをとらせてもらえれば、何をやって遊ぶかなどというものは、それぞれの従業員が自分で考えるのです。 それよりも、社長以外の従業員が働いている最中に、会社で『地球の歩き方』を広げて「遊びの研究」やってる社長て・・・・、なんかちょっと、ずれとる・・・大分ずれとる・・・・と思いましたが、そうすると・・・・その後、それほど経たないうちに、倒産した。
小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕でも、締め日前の忙しい時期に、「大卒しか採らない会社」であるはずの会社で、高卒の人間であるのに、特に大卒の人間に劣らないと判断できるものがあったわけでもないのになぜか支店長にならせてもらった高卒の痴漢人間のおっさんが、ひとり、遊びの計画を立てとる・・・・・て、まったく、アホちゃうか・・・というより、アホはどうしようもないな! そういうことをやって、従業員としてうれしい気持ちになるか? もっと必死になって働きたいという気持ちになるか?・・・・というと、ならないと思うのだ。 ましてや、締め日が過ぎて、ほっとした時に、ま~だ、渡邊のために実質働かされなければならないのか? ということになると、こいつ、いいかげんにしろよ! ということになります。 そういう一般従業員が働いている最中に、「遊びの研究」をしている社長の会社、「遊びの計画」を立てている支店長の会社というのは、どうなるかというと・・・・小堀住研(株)は新華ハウジング(有)よりは規模が大きかったので、つぶれるまでに時間はかかったけれども ・・・・つぶれた! 今、後継会社として「ヤマダエスバイエルホーム(株)」という会社があるけれども、あれは、つぶれた会 社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取ったものであって、「小堀住研(株)」と初代社長の小堀林衛の名前が入った「小堀住研(株)」という会社名から「メカケの子」か「メカケの娘の婿」だからしい2代目の社長の中島昭午が「小堀」という名前を削り取った「エスバイエル(株)」は、実質、つぶれた。 締め日前、一般従業員が何棟契約もらえるかと必死になっているまさにその時に、支店長が「遊びの計画」を立てている会社、締め日直前に、前日の夜の終業時刻をすでに過ぎた時刻に突然電話を入れて、始業時刻前に労基法違反の犯罪を犯して呼びつけにした上で、「東部営業本部長」が「千葉支店の成績がいいのはすべて渡邊支店長のおかげです」などと千葉支店所属の従業員に喧嘩うるような発言をおこなう会社・・・というのは、結論として・・・→つぶれた。 なるほど・・・ということか。
まず、その「仕事も一緒、遊びも一緒」という文句。 渡邊士直はおかしな文句を書いているという自覚はなかったであろうけれども、要するに「私は独立自尊の精神が欠けています」と表明していることと変わらない。この男、「独立自尊の精神の欠如」、まったく、知能程度が低いなあとあきれた。 仕事に尽力して締め日が過ぎたならば、「遊び」をするにしても、渡邊と「遊び」をするのではなく、考えのあう友人と遊びたいものだ。 その「考えの合う友人」が会社の従業員である場合もあるだろうけれども、そうでない場合もある。 いずれにせよ、締め日過ぎてまで、渡邊に拘束されるのはかんべん願いたいものである。 特に、《「信念もってやってる」社内痴漢》の渡邊とつきあわされるのは。
渡邊士直は、1990年の1月末であったか2月末であったか、「いたって酒の好きな人間が、酒を飲まないわけないだろうが。この馬鹿たれがあ」と私に怒鳴りつけた。渡邊士直が、1989年7月、千葉支店に赴任早々、自分自身の歓迎会の席上、千葉支店所属の女性社員の尻を「男性がさわりたいと思うお尻をしているというのは大変いいことだねえ」と言いながらなでまわした時、渡邊士直はほとんど酒は飲んでいなかったのだ。私は彼の正面の席に座っていて、彼をずっと見ていたのだ。彼は、シラフで「男性がさわりたいと思うお尻をしているというのは大変いいことだねえ」と言いながら、会社の女性社員の尻をなでまわしたのだ。ところが、1990年の1月末であったか2月末であったか、渡邊士直は、「酒の場のことだろうが。この馬鹿たれがあ~あ!」と言って、私に怒鳴りつけたのだが、「酒の場」であったら会社の女性社員の体をさわっていいというものでもないはずであるが、その時、渡邊士直自身はほとんど酒を飲んでいなかったのだ。 その時だけではない。彼は自分で自分のことを「いたって酒の好きな男が酒を飲んでないことはありえんだろうが」と言うのだが、実際にはほとんど飲んでいないのだ。彼が好きなのは酒ではなく、「酒の場のことだろうが」と言って、会社の女性社員の体をさわることである。しかも、「信念もってやってる」のだ。 これは、「ほとんどビョーキ」というよりも、「病気」であろう。「治療」するには、精神安定剤の大量投与によって精神を朦朧とさせる「化学療法」か、電気ショックでも加える、もしくは、ロボトミーなど「精神外科」手術によって大脳皮質をけずりとる、もしくは、「精神病院」に「入院」させて世間から隔離する「入院療法」か、そうでなければ、植木の剪定ばさみで、ち〇ぽ を切断した上で水洗トイレに流すという“切断療法”でもおこなうなりするしか、この顔にち〇ぽがついてるみたいな男の「治療」の方法はないのではないかと思われる。渡邊が、私たち千葉支店所属の従業員が、締め日前に忙しくへとへとになるまで働いていたまさにその時に、「仕事も一緒、遊びも一緒」などと書いた紙を送りつけて、「遊びの計画」を練っていたのは、要するに、泊りがけでどこかへ行き、またもや、「酒の場のことだろうがあ」と言って女性社員の尻をなでてやろうという計画を練っていたということである。1990年1月末であったか2月末であったか、「東部営業本部長」の増田和二は、私に「あなたは、渡邊支店長が何をしたと言うのですか」などとびっくらこっこする発言をしたのであるが、↑のようなことをしていることを「東部営業本部長」が知らないというのはおかしい、知らないような男が「東部営業本部長」としての給料を盗っているというのはおかしい。 何より、そんなことは、「あなたは、渡邊支店長が何をしたと言うのですか」などと私に尋ねて教えてもらうものと違うだろうが!
「ち~が~う~だ~ろ! このボケぇ~え!!!」
というところである。
そもそも、他の従業員が、なんとか契約をあげなければと必死になり、へとへとになるまで働いているまさにその時、ひとりだけ、支店で「遊びの計画」練っている支店長て、それ、いったい何?!?!?!? ・・・と思いませんか?
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「営業系」の応募資格は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というものであったのに、渡邊士直は高卒であるだけでなく「高卒の痴漢人間」であったのだが、やっぱり、「大卒しか採らない会社」の支店長を「高卒の痴漢人間」にさせるのは、ドダイ、無理!・・・・ということではないか・・・・。
小堀住研(株)では、営業社員は「(基本給〔年齢給〕+職能給)+歩合給」という給与制度であったが(厳密には、それに一級建築士、二級建築士、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の資格を保有している者には一級建築士には月5000円、二級建築士と宅地建物取引主任者には月2000円でしかないが資格手当が支給されていた)、個人への歩合給と別に、各営業課ごとの成績に応じて各営業課への歩合給というのか報奨金というのかが支払われていた。 これは、営業の成績は、その営業課で協力して成績をあげるべきものだという考え方によるもので、就業規則に明記されていたものであるが、ところが、渡邊士直は、松戸営業課その他、この営業課ごとの歩合給というのか報奨金というのかを、勝手に自分のものにしてしまって、それを渡邊のための千葉支店の従業員を随行させての旅行の費用に使ってしまった。 これでは、泥棒もいいところである。
「それは、みんなで使うために会社が出しているものなのだから」と言う人もいたが、「みんなで使うためのもの」であれば、渡邊士直が使い方をひとりで決めるものではないはずだ。渡邊が決めたものに松戸営業課の報奨金や他の営業課の報奨金を使われる筋合いはない。 「みんなで使う」としても、千葉支店で「みんなで使う」のならば、就業規則においても各支店ごとに支給されるべく記載されているはずであるが、就業規則の規定はそうではなく、各営業課ごとに支給される旨が明記されていたのである。 そうである以上は、各営業課ごとに支給されて、営業所ごとにどう使うか議論した上で使用するべきものである。 松戸営業課に支給されるべきであったものは、松戸営業課に支給してもらって松戸営業所の従業員全員のために使わせてもらう権利が松戸営業課の従業員にはあったはずである。 私がこの件を指摘したところ、「残ってたから」と意味不明なことを石井が言って、松戸営業課の支給額を3等分した金額を私にだけ渡したが、私にだけ渡せばいいというものではない。各営業課に支給すると就業規則に明記されているものは、就業規則の条文に従い、各営業課に支給しないといけない。それを渡邊が使ってしまったならば、渡邊に対して会社は返還請求をするべきである。 渡邊が横から手を出してそれをおのれのものにするというのは筋が通らないし、事実上、渡邊士直は泥棒である。
私が慶應義塾大学の商学部に在籍した時のことだが、「社会保障論」だったか「労働問題」だったか、どちらかの講義の際、教授が話されたことだが、「アメリカ合衆国で、ある会社の寮で、食堂の脇に何にも使われていない空いたスペースがあったので、『ここに卓球台でも置けば、社員で、卓球でもやって楽しめるのに、どうして置かないのですか』と言ったところ、『とんでもない』と言われた。 そんなことしたら、卓球やらされたので、卓球やったことに対して賃金を払えと言われることになる・・・と。 日本では、卓球台が食堂の脇に置いてあったから、だから、卓球やったことに対して手当を払えなんて、普通は言わないでしょ。 それをアメリカ(合衆国)ではそういうことを言うらしいんだ」と。
そのあたりについて、日本の労働者とアメリカ合衆国の労働者の感覚の違いというものをそこで話されたのであるが、「一般的には」日本では、寮の食堂の脇に空いているスペースがあるという時に、卓球台を置いたとすると、それは、あくまでも「福利厚生のためのもの」ということで、その卓球台を使って卓球をやって遊びたい人は使えばいいし、やりたくなければやらなければいいだけのこと・・・・と理解されるが、しかし、それはあくまでも「一般的には」であって、「一般的」でないケースというのもある、ということを、小堀住研(株)の千葉支店で、1989年の7月1日から千葉支店長に任命されたにもかかわらず、7月の終わりになってやっと赴任した渡邊士直を見て思った。
実際のところ、「信念もってやってる」社内痴漢の渡邊士直が女性社員の体をさわるための「飲み会」であるとか「旅行」であるとかに参加させられた場合、それに対しての報酬は、渡邊からか小堀住研(株)からか、どちらから支払われるべきかはさておき、当然、支払われるべきであろう。そのような苦痛をともなく作業に参加させられた以上、それに対しての手当ては支給されないといけないはずである。これは、「アメリカ合衆国では出てくる発想であるが日本では普通は言われない」などというものではなく、日本でも、主張されるべきものであるはずである。実際、千葉支店でも、渡邊士直が女性社員の体をさわる点についてはたいして抵抗を感じない人もいたし、その人自身が渡邊ほどではないとしても、その点においてはいくらか品性の近い人もいたのであるが、しかし、そういう人であっても、渡邊があまりにも頻繁に「飲み会」だの「旅行」だのを実施し、しかも、それらをすべて渡邊にとって都合がいい千葉市中央区の千葉支店(と渡邊の住居)の近くでおこなうため、けっこう面積が広い千葉県の千葉市中央区から遠い場所の営業所に勤務している人間としては、「いいかげんにしてくれ」と思うことになるようだった。松戸営業課の課長になっていた石井もまた、「まったく、何度も何度も、千葉まで呼びつけにされて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやいていたし、 「まあ、あの人(渡邊士直)は、いつまで経っても、あれでは千葉支店の従業員からは誰からも親しまれないだろうし、あの人はいつまでいても千葉支店に馴染むことはないだろうなあ」と見解を述べていたし、実際そうであったと思う。渡邊に同調していたのは、最初は船橋営業所(展示場)に所属していたが船橋営業所(展示場)が閉鎖されて千葉市稲毛区の天台に新しくオープンした千葉北営業課(展示場)の勤務に変わった「営業補助職」の女性のT湖内くらいのもので、T湖内は自分が「営業補助職」という補助的な立場の職種であるのであり、「営業補助職」というのは営業が営業活動をおこなう補助をする立場の職種であったはずで、営業の職種の従業員が、渡邊があまりにもしばしば千葉まで呼びつけにして「飲み会」だ「旅行」だと渡邊だけが喜んでいる企画を強行することで多くの従業員が嫌がっていた以上、渡邊に同調してさらにそういうものを増やそうとして営業の業務を妨害するようなことはあってはならない立場であったが、そのやってはならないことをやらないとおれない人であり、その点で、「補助職」の立場をわきまえていない女であり、困った人であった。 そういう人には、「あなたは飲み会が好きかもしれないけれども、営業社員は仕事で忙しくて、それほど飲み会を持つ余裕がないのだから、あなたが飲み会を持ちたかったら、会社として実施するのではなく、あなたが個人的に飲みに行ってください」と支店長などの立場の人間は指導するべきもののはずであったが指導できないだけでなく自分がその困った人間である渡邊士直が支店長になっていた。やっぱり、「大卒しか採らない会社」の支店長に高卒であるだけでなく「高卒の痴漢人間」である渡邊士直をならせるのは無理であったと思われる。支店長に本来なら支店長にならないような人がなっていた以上、T湖内が所属した船橋営業所→千葉北営業所の営業課長であった馬場(男。当時、30代なかば?)がT湖内に注意しないといけないのであるが、小堀住研(株)では営業課長は、営業として「ある程度の在籍年数と契約実績を残した人」という条件でだけなっており管理者的能力を評価されてなっていたわけではなく、馬場もまた「営業補助職であるのに営業の仕事を妨害するような行動をとる人」に注意・指導できる能力はない人だった。船橋→千葉北営業課の松田と高橋にも責任はある。
T湖内は1989年の6月頃に入社したが、その時、面接して採用を決めたのは、6月まで千葉支店業務課長で7月から東京支店業務課長になった江間だった。なんで、あんな人を採用するかなあ~あと思ったが、もちろん、そう思ったとしても、自分もまた誰かからそう思われる可能性はないとは言えないわけで、他人事として自分は対象外みたいに思うべきではないだろう。もう20年以上前だが、「産経新聞」に掲載されていた話だが、「リストラ」「不当解雇」といった問題において、自分は関係ないと思っている人がおり、「あいつは仕事ができないが自分は仕事ができるから解雇されることはない」とか「自分は・・・の資格を持っているから解雇されることはない」とか、あるいは「あいつは何かにつけて逆らう人間だが、自分は常に上長に従順だから解雇される心配はない」とか、逆に「あいつは何でも言いなりになる人間だから辞めさせられるが、自分は何でも言いなりになったりしないから大丈夫だ」とか、そういうことを本気で思っている人がいるが、「産経新聞」が取材した「労働コンサルタント」が言うには、「こっけいでしかありませんね」ということで、そんなもの、まったく関係ない。すべての人が「リストラ」「不当解雇」の対象になりうる・・・・という。 だから、自分は関係ないなどとノー天気なことは思わない方がいいし、そんなこと思っているなら、そんなことを思っているという点において認識が甘い、ということになるのではないかと思う・・・・が、それはそれとして、なんでこんな人、採用したかなあと私が思った際、その採用において、面接して採用を決めた江間は何を見て、何を理由に判断して決めたのか・・・、そこが問題だ!・・・が、江間は何を見て何を理由に判断したのかというと・・・、結論として、「な~んも考えとれへん!」ということだ。「業務課」とは不明確な名称であるが、各支店における「業務課」とは本社で言うところの「人事 兼 総務 兼 経理」 ということのようだが、そういう立場の「長」にしては江間は能力不足と言わざるをえない。
1989年5月、私が江間と最初に会った時、江間は、私が尋ねもしないのに、「法政大学 法学部を出た」と「ちょっと自慢」みたいなニュアンスで言った・・・・が、放精の呆学部を出たなんて「ちょっと自慢」に思う人間なんてあるわけないだろうから、だから、それは単なる自己紹介であって「ちょっと自慢」みたいにも聞こえたのは「気のせい」か・・・・と思ったのだが、しかし、やはり、幾分、そういうニュアンスがあった。世の中、普通は自慢になるわけないようなものを自慢に思う人というのもいるわけだから、彼がそういう意識でいたのかもしれない。 私が卒業した北野高校は、私が卒業する頃、「現役で大学に進学する者と1浪で行く者が半々くらいで、2浪以上がいくらかいる」という状況で、「大学は現役で行くのが基本」という認識であった。だから、クラブに浪人中のOBが顔を出した時などは、「恥ずかしながら、ただ今、笠張をしております」と言ったり、1浪で大学に合格・入学した人は「1年浪人をしてしましたが、なんとか合格できました」といった言い方をしたもので、1浪というのは「恥ずかしながら」だった。現役と浪人との間に壁というのか溝というのかがあって、1浪と2浪との間では、どのみち、浪人してしまったのだからということで、現役と浪人との間の壁というのか溝というのかほどは大きな壁・溝はなかった。 それに対して、底辺の方の高校から大学進学を目指す人の場合、「1浪が普通」という高校があるらしいということを、高校生時代は2年も浪人する人間なんてどうかしてるのじゃないかと思っていたその2浪をしてしまったあげく、そこなら高校卒業時に行けたと思える慶應大商学部なんてものに結果として2年浪人の後に行かされるはめになってしまって知った。千葉市の千葉北高校だったか千葉南高校だったか千葉西高校だったか千葉東高校だったかそのいずれか、本人が言うところによると不良の学校らしいのだが、そこを卒業して1年浪人の上、試験科目は数学と英語だけで、しかも、いずれもたいして難しくない慶應大の文学部に数学と英語だけちょろっと学習して他の科目は義務教育レベルも学ばずに入ったT永がいて、T永は私より1歳年下だったのだが、そういう不良高校から1浪で慶應大に入ったなどという不良にとっては、自分よりも格上の高校卒で年齢も自分より年上の人間が自分と同じ大学で自分よりも下の学年にいるというのが、もう、なんとも、うれしくって楽しくってたまんない♪ ようだった。Tは私にこう言ったのだ。「俺なんかは、きっちりと1浪で通ったんだけど、おまえ、なんで、2浪なんてするんだ! おかしいんじゃないのか。おい! なんで、2浪なんかするんだよお、こらあ! 答えろよ、ごらあ」・・・彼はそう言ったのだ。ここで、その善悪を述べだすと話がここでの話題から脇にそれるので、それはまたの機会にまわすとして、そこで私が驚いたのは「俺なんかは、きっちりと1浪で通ったんだけど」という言葉であった。「きっちりと1浪で通った」などという日本語があるとは私は夢にも思わなかった。私は大学というものは現役で行くものだと思っていたので、浪人して行った者はその点においては、「笠張をいたしましたが、なんとか、合格できました」とか言うものだと思い込んでいた。で、2浪した人というのは、それは何か事情があったということだ。「何か」は人によって違うだろうけれども、「何か」あったのだ。そして、ともかくも、浪人した人間にとっては、現役と浪人との間で、「しかるべく通った人間」と「笠張をした者」という差はあっても、1浪と2浪との差というのはあんまりない・・というのか、予備校に行くと、なぜか、自分が高校1年の時に3年だった人がそこにいた! なんてことがあったりもしたが、その人にはその人で何か事情があったのだろうが、「アホや、アホやあ~あ・・・」なんてたとえ言おうと思っても、自分だってアホなんだから、目くそ鼻くそを笑うの類なので言いようがない・・・・と私は思っていたのだ・・・・が、千葉クロマティ高校卒で1浪で慶應大文学部に行ったT永なんかの感覚ではそうではなく、「俺なんかは、きっちりと1浪で入った」と本人は思っていたらしいだけでなく、はっきりと口にだして言ったのだ。 そんな日本語があるのか? それ、まず、日本語の用法として間違ってるのじゃないのか? と私は思ったが、クロマティ高校卒の男にとっては間違っていないらしかった。まあ、「世の中、いろいろ」なのだろう。 で、小堀住研(株)の千葉支店業務課長→東京支店業務課長 になった江間が、「法政大学 法学部」ときかれもしないのに自分から言った言い方に、「ちょっと自慢」みたいなニュアンスを感じたのは、「気のせい」かとも思ったのだが、今、考えてみると、千葉支店の松戸営業一課の某さんとか松戸営業二課の某さんも、「ぼくは、◇◇大学に1浪して行って卒業して小堀には入って今年で〇年目なんですけど・・・」とか教えてくれたのだが、それらの人の話には「ちょっと自慢」みたいなニュアンスはまったくなかった・・・・ということは、江間の「法政大学 法学部」には、「はっきりと、自慢しとる」というほどのものではないが、やっぱり、「ちょっと自慢」という傾向が「ニュアンス」として感じられるかどうか・・・くらいにあった! ということだと思う。で、そんなもん、自慢するようなヤツだから、だから、営業補助職の女性を採用する際にも、「な~んも考えとれへん」採用をするということだ。
今から考えると、江間に言ってやればよかったかと思ったりもする。「すごいですねえ~え♪ すごい、すごい! さっすがですよ、さっすが♪ さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすが、さすが、さすが! すごい、すごい、すごいですよお~お♪ すごい、すごい、すごい! さすがです、さすが~あ!!!」と。 但し、この手法は、1989年の時点で私は習得していなかった。 後に習得したものだ。
我が家は、父が「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」という家庭だった。「勉強する所とは違う」ということは何する所かというと、父の認識としてはアルバイトする所らしい。それで、アルバイトばっかりさせられた。そして、行った先、行った先で、「なんで、慶應の学生が、こんな所にアルバイトに来るのお~お」と言われ、夏休みの後、少人数の授業の時、担当の助教授から「きみ、そんなアルバイトやってたのでは、勉強できんだろお」と言われたが、「よそはよそ、うちはうち」というのが我が家の考えで、「てってこっこ、てっててってらったらったらったらあ~あ! アルバイト、あるばいと、アルバイトぉ~お!」ということで、!同じ高校の卒業生で東大や京大や阪大やに行った人間、慶應大の学生が勉強している時に、アルバイトばっかりさせられた。なんで、自分だけが・・・と何度も思ったが、我が家はそういう家庭だった。 夏休みの2カ月間、最初から最後まで、箱根の三井系の保養所で「雑務」(・・・要するに、下男)のアルバイトを住み込みでやった時、食堂の配膳をやっていた時、保養所に来た客のおっさんから、「おい、にーちゃん。大学どこだ」と馬鹿にしたような口のきき方をされたことがある。嫌だった。答えようがなかったので黙っていたのだが、後で、玉川大の学生で同じアルバイトに来ていた男から、「愛想ふりまいて答えなきゃだめじゃない」などと言われたのだが、「玉川大です」とかなら答えてよかったのだろうけれども、見た感じ、法政大かそんなところ卒て感じのおっさんが、保養所のアルバイトみたいなもん夏休みにやってるようなヤツなんて、ろくな大学行ってないだろう! て感じで言ってるものに対して、「慶應義塾大学」なんて大学の名前を言うわけにいかないので言えなかった・・・・・のだが。 やはり、同じ「雑務」のアルバイトに来ていた神奈川大の学生が、大学の名前をきかれた時は「東横線沿いのK大学」と答えると言っていたので、そう言えばよかったかと後から思った。神奈川大学というのは東急東横線の「反町(たんまち)」駅から遠くない場所にあるらしいのだが、慶應大の教養課程も東急東横線の「日吉」駅の前にある。「東横線沿いのK大学です」と言うと、「東横線沿いのK大学って、神奈川大か!?!」とおっさんは言うだろうから、「まあ、そんなところです」とでも言っておけばよかった。 そして、「御主人さん、どちらの大学を出てられるんですか」と言ってやって、「俺か。俺は法政だ」とでも言うだろうから、その時には「さっすがですねえ~え。さすが、さすが、さっすっが♪ さすがですよお、すごい、すごい、すごい♪ さすがですねえ~え! さ、す、がっですよお、さすが♪ さすがです、さすが。私なんか、そんな大学、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。さすがですよ、さすが♪ すごい、すごい、さっすっが!!!」と言ってやれば良かった。「私なんか、そんな大学、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。」というのは嘘じゃない。高校卒業する年に東大に落ちた後、父からは「高校は義務教育じゃないのに、おまえは高校行きおってからに。おまえなんか、高校行ったのや余計じゃ」と鼻の頭を指さされて何度も何度も耳鳴りがするくらいに言われたものだ。また、「東大なら下宿してでも行く価値はあるが、そんなもん、しょーもない私立大学に行くのに下宿してまで行くことあらへん。私立大学なら家から通えるところで十分や」とも父は私には言っていた。だから、そんなもん、法政みたいなもん、行きたいなんてとんでもない。行きたいなどとはもちろん思わなかったが、たとえ、法政に行きたいなんて言ったとすると、「ふざけんな!」と言われるのは目に見えていた。そんなもの、法政なんて絶対に行かせてもらえなかった。 だから、「たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよ」というのは嘘じゃない。 ↑のように言ってやればよかった。たぶん、ほめられたと思ってその三井系の会社のおっさんは喜んだだろう。
「さっすがですねえ~え。さすが、さすが、さっすっが♪ さすがですよお、すごい、すごい、すごい♪ さすがですねえ~え! さ、す、がっですよお、さすが♪ ・・・さすがですよ、さすが♪ すごい、すごい、さっすっが!!!」というのは、この後、2006年に(株)エイブルに勤めた時、千葉支店で次長にならせてもらっていた門倉(男。当時、30代後半?)が得意技としてしばしば口にしていた文句だった。千葉工大に息子が入学したらしく、そのバカ息子が自宅から通える大学なのにアパート暮らしをしたいと言うからと母親が息子と一緒にアパートを探しに海浜幕張店に来たことがあり、「そんなもん、千葉工大やなんてそんな学校に行くようなバカ息子を、自宅が千葉工大のすぐ近くなのに、わざわざ、アパートに住ませてやろうとして親が息子と一緒に探しに来るなんて、どうかしてんじゃないのか」と私は心の中では思ったのだが(最近、そういう息子・娘とバカ親がなぜか多い)、門倉は「千葉工大ですか、さすがですねえ、さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすがですよ、すごい、すごい、すごい♪ さすがですね、さすが、すごい、すごい♪」などと言い、その客も門倉も帰った後で、店長のOが私に「東大にでも行ったというのならまだしも、千葉工大みたいなもんに行ったやつを『さすが、さすが』て・・・」と私に言ったのだが、東大に行った学生でも、あの言い方はほめているのではなく、茶化しているのであり、馬鹿にしているのであり、「あんなこと、言われてうれしい人あるのかなあ」と思ったのだ。そして、それを(株)エイブルの同僚に言うと、たいていの人間が「そうですよね」と言うのだった。私が、門倉の物マネをして見せると、「〇〇さん、完全に習得してるじゃないですか。さすがですよ、さ、す、が」などと言うので、「完全に習得したって、こんな技なんて、使い道ないでしょ。 こんなもの、誰かに言ったって嫌がられるだけでしょ」と言ったのだが、今、それが使い道があることに気づいた。 小堀住研(株)の江間みたいなやつが、きかれもせんのに、「法政大学 法学部」と自分から「ちょっと自慢」みたいなニュアンスで言った時、「ほほお~お。さすがですねえ、さすがですよ、さすがさすがさっすっが♪ すごい、すごい、すごい! すごいですよお、すごいすごい。 さすがですよ、さすがさすがさすがっ! すごいすごい♪」と「門倉の手法」を使ってやれば良かった・・・・。なるほど、この手法はこういう時に使えるのだ(^^♪ で、放精の呆学部みたいなもんを「ちょっと自慢」みたいに言うやつというのは、「さすがですよお、さすがさすが、さっすっがっ♪ すごいすごいすごい! すごいですよお、さすがさすがさっすっが♪」と言ってやれば、ほめられたみたいに思う可能性が高いので、1回ではなく少なくとも3回くらいはこの「手法」が使えるだろうから、「さすがですよ、さすがさすがさすがあ~あ♪ すごいすごい!」と言ってやって、上がる所まで上がらせて、一番高い所まで上がった頃を見て梯子をはずしてやる♪ というのも面白いかもしれない・・・・・かな? 程度低いか・・・?
小堀住研(株)が、その手当を支払いたくないのであれば、渡邊士直が渡邊が女性社員の体をさわるための「飲み会」だの「旅行」だのをひとりで決めて強行するのを注意する必要がある。「東部営業本部長」というのは、当然のことながら、そういうことについて配慮するのが仕事であり、その配慮ができない人間なら、「東部営業本部長」といった役職は退くべきである・・・・はずであるが、銀行から出向で来た人間の場合、その役職にふさわしい態度・対応ができない人間でも、絶対にその役職を退くことはない、という絶望的な状況が小堀住研(株)にはあった。 そういう銀行から来た能無しが横暴を働いている、しかも、その銀行から出向できている人間の人数が決して少なくない・・・という状況を考えると、この会社はその時点で、「おまえはすでに死んでいる!」という状態であったのかもしれない。 〔 ⇒《YouTube-[Fist of the North Star] お前はもう死んでいる (You are already dead)》 https://www.youtube.com/watch?v=-kPII561-GY 〕
他の従業員が働いているさなかに、社長だけ「遊びの研究」をやっている会社、支店長だけ「遊びの計画」を練っている会社・・・というのは、それは、「つぶれる兆候」であると判断していいのではないか・・・。
又、そういう支店長のことを「あなたは、◇◇支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと言うような「▽部営業本部長」を銀行が送りつけてきている会社というのも、それは「つぶれつつある会社の特徴」と考えるべきであろう。
私の父の勤め先の会社は、アトピー性皮膚炎について、大学医学部・製薬会社・衣料メーカー・洗剤メーカー・電気掃除機の電気器具メーカーなどでの合同研究会を設けましょうという話があった際に、住宅建築業の会社にも1社入ってもらいましょうという話になり、すでに自分の方からうちを入れてくださいとアピールしてきている大手の住宅建築業の会社があったのにそれを待ってもらって小堀住研究(株)に話をしたにもかかわらず、千葉支店長の渡邊士直と東部営業本部長の増田和二により、小堀住研(株)はせっかく便宜をはかってくれた相手に対して、せっかく好意をはらってくれた相手に対して、わざわざ足で砂かけるような態度・対応をとったのだが、又、小堀住研(株)のおかげで小堀住研(株)の入居者でもあった父は顔をつぶされたのですが、そして、増田和二は千葉支店に来たのなら、やっぱり、私に「あの件は大変申し訳なかった。どうか、お父さんによく謝っておいてほしい」とでも、まがりなりにも「東部営業本部長」であるならば、そのくらいのことは言うものであろうと思ったが、増田和二はあきれたことに、「あなたは渡邊支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと暴言をはいた。「あなたは渡邊支店長がいったい何をやったと言うのですか」などと私に質問して教えてもらうことと違うだろうが、言うことが「ち~が~う~だ~ろ、このボケェ~え!」という言動を取ったのだが、それで終わりではない。小堀住研(株)に便宜をはかったことにより、渡邊士直・増田和二らから逆に足で砂をかけるような態度をとられた、迷惑を蒙った相手のところに、1990年7月初め、今度は人事部長の高田が押しかけていって、1990年1月末であったか2月末であったか、私が増田和二に質問したことで支店長の渡邊士直の顔をつぶしたと文句を言いに行った。これには父もあきれたようであるし、又、高田の態度には怒ったようである。、
「ち~が~う~だ~ろお! このハゲぇ~え!!!」 ・・・という態度を高田はとったようだ。
せっかく、小堀住研(株)のために便宜をはかったのに、その相手にわざわざ足で砂かけるような態度をとった人間のことを、会社として謝りに行くのならともかく、逆に、その足で砂かけるような態度をとった人間の「顔をつぶされた」と文句を言いに行くというのは、私も、小堀住研(株)の人事部長になっていた高田(男。当時、40代後半くらい?)を、
「私はこの人のことを前から『特別に賢い』とかいうようなことは思っていなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった」。
そういうことをやっている会社はどうなったかというと・・・・・→おかしな人間を役員に送り込んでいた富士銀行が、そのうち、「破産管財人」みたいな人間を社長に送り込み、大阪駅前の一等地に持っていた本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけ取って去った」。1989年の入社式の後、太陽神戸銀行から出向できていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から役員が来ているのは、小堀住研(株)が借金をしているからではないのです。人材が不足しているから来ているんです」などと言っていたが、そのわりに、富士銀行から来た「破産管財人」みたいな社長が本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけ取って去った」あと、それまで、取締役の半数・監査役の半数を銀行から来た人間が占めていたのが、銀行出身の人間があっと言う間にいなくなった・・・ということは、やっぱり、「人材が不足しているから」来ていたのではなく、形式が「借金」であったかそれ以外のものであったかは別として、やっぱり、銀行に対して何らかの負い目があるから来ていたのであろう。
小堀住研(株)は「人材が不足している」というのは、それは入社してみて実際にそうだと思ったし、特に一線の仕事をしている人間よりも上の方の人間に「人材が不足している」と思ったし、人事部長の高田にしても、私は人事部長というものは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か、文学部心理学科・教育学部教育心理学科で心理学・教育心理学などを学んできた人間が入社後に経験を積んでなるものかと思い込んでいたのだが、高田なんかどう考えてもおよそそんな人間ではなかったが、それなら銀行には「人材」があり余っているのかというとそうではないはずであるし、もしも、銀行には「優秀な人材」がけっこういたとしても、「優秀な人材」がけっこういるからとしても、だから、それをよその会社に「おすそわけ♪」しようなどと考えるかというと、普通は考えないものではないか。 万一、「優秀な人材」が余っておれば、それを利用して何か自分の所で事業をやるだろう。又、銀行として優秀な人材であったとしても、銀行と住宅建築業は内容が全然違うのであり、銀行として優秀な人であっても、ただちに住宅建築業でも優秀であるとは限らないはずである・・・・し、もしも、銀行で優秀な人間は他業界においても優秀であったとしても、出向先の会社で、出向先の会社と出向元の銀行では出向元の銀行に対しての方が忠誠心があるような人間というのは、出向されている側の会社にとって「優秀な人材」であるかどうかというと、疑問である。小堀住研(株)に在籍した時の私のようにその会社のために努力したい尽力したいという気持ちのある人間と銀行に対しての方に忠誠心がある人間とでは、もとの能力が同じであっても、その会社にとっての実質的能力は異なるはずである。 銀行から人が来ている、それも役員の半分、監査役の半分も銀行出身であり、それより下の役職でもおり、どう考えてもその人の本来の役職よりも高いと思われる役職についている人が多い、そして、「破産管財人」型社長が「取れるだけ取って去った」あと、銀行から来た取締役・監査役があっと言う間にいなくなった・・・ということは、何をかいわんやである・・・が、それにしても、自社が相手に対して無礼な態度をとり相手の顔をつぶしておいて、その相手の所にわざわざ出かけていって、顔をつぶすような行為をはたらいた人間のことを「顔をつぶされた」と文句を言いに行くというあたりは、高田という男は、アホのくせしてずいぶんといい心臓している。こういう“心臓男”は、野球のたとえで言うならば、「最終回、1点差のリードでノーアウト満塁のピンチ・・・とかいうような場面で登場するリリーフエース」とか、「ここでヒットを打つかどうかで試合が決まるという場面で登場する代打の切り札」とかに向いているのではないか。
もうすぐ、父の命日なのだが、父も、息子がそこに勤めているからということで、小堀住研(株)に便宜をはかってあげてほしいと担当の取締役に頼んで、それで、便宜をはかった小堀住研(株)から足で砂をかけるような態度をとられるとは夢にも思わなかったようであったし、ましてや、そうやって自分の顔をつぶした会社の部長が押しかけてきて、「渡邊支店長の顔をつぶした」などと文句を言うとは夢にも思わなかったようである。 「その会社がどの程度の会社かは、営業を見るよりも人事や総務の人間を見た方がわかる」といったことを父は言っていた。なぜなら、営業が良かったとしても、それは何人かいる営業のうちでその担当の営業の人間が良いというだけであるという場合があるのに対して、人事・総務の場合はそうではないというのだ。私もそういう面はあると思う。人事・総務がアホの会社というのは「その程度の会社」ということはある。そして、実際、「その程度の会社」というのは日本にはけっこう多いのであるが、それにしても、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕は「その程度の会社」だった。 最初に千葉支店松戸営業一課に配属された時、営業課長のUさんが「おめえは、本当に優秀だなあ」とにやにやしながら「少なくとも6割は冗談」みたいな言い方で言うことがあったのだが、その意味は、私が入社する前、Uさんが営業課長であった松戸営業課に中途採用ではいって在籍した某さんよりは優秀だという意味だったそうで、その某さんは、私は直接会ったことがないので詳しいことはわからないが、Uさんはお客さんからその某さんのことを「あれはアホですよ。あの人、客の前に出したら会社の恥ですよ。あれはアホですから、客の前に出さない方がいいですよ」と言われたというのだ・・・・が、その某さんよりも、むしろ、人事部長の高田こそ、「あれはアホですよ」「社外の人間の前に出したら会社の恥ですよ。」という印象を私は受けた。慶應大学に在学中、「人事の人間というものは優秀で、人を見抜く力とか洞察力はちょっとやそっとでは太刀打ちできない」とか言う人が慶應大学にの学生にいたが、そういう人事も世の中にはいるのかもしれないが、そうではない人事もいる。「あれはアホですよ」という人事の会社もけっこうある。そういう会社は日本にはけっこう多い。
(2017.9.21.)
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