「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【3】勤務時間中にハイキングする銀行からきたおっさん
[第573回] 会社と営業の話(137)‐3
職場における「パワハラ(パワーハラスメント)」について、罰則を含めた法規制を定めることに政府が着手した、というニュースが出ていた。
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(YAHOO!ニュース)
パワハラに罰則含め法規制 政府検討 対象の線引きに課題
8/27(日) 7:55配信
産経新聞 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000041-san-soci
パワハラに罰則含め法規制 政府検討 対象の線引きに課題
職場におけるいじめや嫌がらせなどのパワーハラスメント(パワハラ)に対し、政府が罰則を含めた法規制の検討に着手したことが26日、分かった。パワハラを原因とする「心の病」が増えており、最悪の場合には自殺に至る恐れもあることから、労働者側から規制導入の声があった。ただ、どのような行為が規制対象になるかは線引きが難しく、導入に向けて紆余(うよ)曲折が予想される。
厚生労働省によると、パワハラは労働者の生産性や意欲の低下を招き、個人にとっても会社側にも「大きな損失」と認識。これまでも対策マニュアルを作成したり、ポスターの掲示やセミナーの開催などで啓発に努めてきた。
しかし、パワハラの悩みは年々、深刻化している。都道府県の労働局に寄せられたパワハラ相談は平成14年度に6600件ほどだったが、21年度に3万5759件、28年度は7万917件と、認知度の高まりとともに急増。28年度に精神疾患にかかり労災認定された498件のうち、原因で最も多かったのが「嫌がらせやいじめ、暴行」(74件)だった。
27年末に過労自殺した電通の新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=も、「君の残業時間は無駄だ」などと上司のパワハラをうかがわせるメッセージを残していた。
現状では、労働基準監督署には会社に対し改善を促す強制力が与えられておらず、具体的な取り組みは会社側の自主的努力に委ねられている。
このため、政府は拘束力のある法規制の導入を検討しているが、厚労省によると、人によりパワハラの受け止め方が異なり、業務上の「指導」とみられるケースもあることから、会社側の責任を明確に問うのは難しいという。
むしろ事前予防の方が重要で、事後的な「制裁」という形になると、社内に監視カメラを設置したり、互いの疑心暗鬼を生む結果になりかねないことを危惧している。
すでにセクハラ(性的嫌がらせ)やマタハラ(妊娠・出産を理由とする嫌がらせ)は法律で定義され、企業には防止策や体制整備が義務付けられている。また英国、フランス、ベルギーなどには、パワハラに刑事罰を科したり、防止策を義務化したりするなどの法制度がある。
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一時期は、けっこう調子がよかった小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕がつぶれた(ヤマダエスバイエルホーム(株)という会社はあるが、それは、つぶれた会社をヤマダ電機株が「いぬき」で買い取ったもの、飲食店でもつぶれた店を「いぬき」で買い取って同系統の店がその場所で営業することがあると思いますが、その類であって、小堀住研(株)自体はつぶれたし、大阪の人間が、「あそこに会社がある以上は大丈夫じゃないか」と見ていた大阪駅のすぐ前のビルも売り飛ばした、というよりも、富士銀行が売り飛ばしておのれだけが取れるだけ取って去ったようだ)のは、誰が悪いかというと、ひとつには、銀行が悪い。

(↑ かつては、こんないい場所に本社があったのにねえ・・・。 今は、「コフレ梅田」というビルに建替えられたようです。)
『築地魚河岸三代目』という漫画では、乾物屋の主人が「銀行なんて。晴れている日に傘を貸して、雨が降ってくると取り上げるような、そんな連中だ」と言う場面があった。そうなのかもしれない。 で、1980年代後半に私が小堀住研(株)に入社した時、なんだか、銀行出身の役員が多い会社だなあと思った。 入社式の後の立食パーティーで、太陽神戸銀行から派遣されてきて、いきなり、「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野という人が、「小堀住研(株)は無借金経営です。 私たちが銀行から来ているのは、人材が不足しているからで、借金しているからではありません」と私に、私が尋ねてもいないのに言ったのだが、きかれもしないのにそういうことを言うということは、普段から、銀行から派遣された人間で取締役や監査役になっている人間が多いということは、相当、銀行に借金があるのではないかといったことを言われることがあったのではないか。 かつ、自分は小堀住研(株)が銀行に借金があるから来ている人間ではなく、「人材が不足しているから」来ている優秀な人間なんだと言いたい・・・てところもあったのかもしれませんが・・・、しかし、たしかに、「高卒の痴漢人間」なんてのを「支店長」にならせていたというあたりを見ると、「人材が不足している」というのは、そりぁ、不足しているわなあとも思えてきますが、しかし、「人材が不足している」から、他の会社で上役とうまくいっていないようなのをスカウトして採ろうとしているとか、あるいは、旧帝大系国立大学や早慶の出身者を採用しようと思ってもなかなか採用できないので、いったん、他の会社に勤めて30前後くらいになったという人間でそういう人を採用するとか、世間一般には大企業の場合、新卒入社は2年遅れまでとしている会社があるが、3年以上遅れの人間でも採ろうとかいうのならわからないことはありませんが、しかし、小堀住研(株)が取締役や監査役にいきなりならせていたのは、銀行から来た人間ばっかりであり、銀行と住宅建築業とでは業界が違い、仕事の内容も違い、銀行として優秀な人材であっても住宅建築業でそのまま通じるかというと別問題のはずですし、銀行て、そんなに「優秀な人材」があり余っているのか?・・・というと違うように思いえますし、実際問題として、銀行から来ていた人間が優秀かというとそうではなかったわけです。 そもそも、銀行だって、もし、本当に優秀な人材なら、自分の所に置いておきませんか? もし、「優秀な人材」があり余っていたとしても、あり余っていたなら、その「優秀な人材」を自分の所で使いませんか? だから、やっぱり、借金があったか何かでしょう。
「無借金経営ですから」と太陽神戸銀行から出向できていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が言った時、私が思ったのは、「会計帳簿というものは、そのつけかたによって、利益が出ているのに出ていないように見せることもできれば、利益が出ていないのに出ているように見せることもできる」という話を慶應義塾大学の「会計学総論」という講義の中で教授が言われた話でした。 だから、「無借金経営」といっても、そう見せているだけ・・・という可能性はありうることだと思ったのです。次に思ったのは、「転換社債」というものです。転換社債は、社債ですから、会社が一般の人間に借金したというものですが、満期が来た時、それをお金で受け取るのではなく、その会社の株で受け取るということができるのです。株というのは自己資本か他人資本かというと自己資本になります。ということは、会社は借金しても、まったくその借金を返していないにもかかわらず、それが「自己資本」になるわけです。なんか、手品みたいですよね。 そして、その「自己資本」としての株を持つ人間が、「普通の人間」が5単位だとか6単位だとかの株を持つのならいいのですが、銀行がまとまって株を持ったとすると、その会社は銀行に支配されることになります。 そして、『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)を見ると、その頃の小堀住研(株)の大株主として上位に名前が出ていた者として、2代目社長の中島昭午の名前もありましたが、銀行の名前がいくつも出ていたのです。たしかに、株は「借金」という扱いではありませんが、考えようによっては、銀行に大株主になられるということは、借金よりも、もっと問題が大きいかもしれません。
「こういう人材が必要なので、お願いして来てもらっている」というケースは実際にあります。外資系銀行の日本での支店には、日本でその外資系銀行がやっていけるように日本の銀行から顧問として人を呼ぶことがあるらしい。 これは、その外資系銀行が日本の銀行から借金しているとかいうことが原因ではありません。 私は人より年齢をいって大学を卒業したので、就職に際して、外資系の会社ならどうかということを考え、東京駅の前にあった中国銀行の東京支店に訪問したことがあります。その際、会っていただいた方は、慶應大学の経済学部を卒業して三井銀行に勤めた方で、三井銀行から「顧問」として中国銀行の東京支店に行かれていた方でした。同じ大学の出身ということもあり、直接、関係のないようなお話も聞かせていただいたのですが、過去には、他のドイツ系だったかフランス系だったかの銀行の日本での支店に「顧問」として行ったこともあるとうかがいました。 それは、そのドイツ系だったかフランス系だったかの外資系銀行、中華人民共和国系の中国銀行が三井銀行からカネを借りているからとか、何か負い目があるから人を送り込まれているのではなく、外資系の銀行が日本でやっていくために、日本の状況を指導してもらうための人材として三井銀行にお願いして来てもらっていたというものだったようです。 かなり、高齢の方でしたが、大変、しっかりとしておられ、こういう人の下で働くと働きやすいだろうなあとも思いました。その方などは、実際に、日本での銀行経営について指導してもらうためにということでの人材として外資系の銀行がお願いして三井銀行から呼んだ人であったのですが、小堀住研(株)に銀行から来ていた人たちというのは、そういう人とはまったく違いました。 小堀住研(株)の従業員の間では、「ま~た、銀行から何もわかってないやつが役員にくるのか」と言われ、特に、富士銀行から来て、いきなり、「常務取締役」「東部営業本部長」になっていた増田和二については「営業本部長、アタマ、ぼけてる」と従業員の間で言われていました。 総務部に所属ということで新宿センタービルに入っていた東京支店に駐在していた太陽神戸銀行から来て、いきなり、次長にならせてもらっていた前野和彦なども、あれは、そのまま、銀行におればヒラのままで、定年の直前頃に主任くらいにならせてもらえるかなという程度の人間であり、そういう人が、小堀住研(株)に来ると、いきなり、「次長」になっていた・・・・といっても、小堀住研(株)の「次長」などというものは、しょせん、「普通の会社なら主任か副主任程度」でしかないのですが・・・、そういう感じでした。 「借金」という形式であったのかどうかわかりませんが、小堀住研(株)は、やっぱり、実質的に借金に該当するような負い目が銀行にあったから、銀行からあんまり役に立たないようなのを送り込まれていたのでしょう。
1989年、新宿の新宿センタービルの中の東京支店に普段は勤務している総務部の前野和彦(男。当時、40代後半くらい?)が、千葉県松戸市の松戸展示場に来たことがあったのですが、その頃の松戸展示場は松戸市和名ヶ谷にあって、最寄のバス停から歩くのが一般的な行き方で、最寄りのバス停まで、JR・新京成の「松戸」駅からバスが出ていました。

(↑ かつて、「ハウジングプラザ松戸」があり、その中に小堀住研(株)松戸展示場があった場所。)
どう行くのかは、松戸展示場に電話をして松戸展示場に在籍している従業員に尋ねるか、松戸展示場に在籍している従業員でなくても千葉支店の従業員に尋ねれば教えてもらえたはずです。そうでなくても、普通に、松戸市の市街地図、もしくは、千葉県の松戸付近の道路地図を見れば、バス停があるのが記載されていますからわかります。但し、鉄道の場合は駅の場所だけでなく、どこから走っているか、線路も地図に記載されていますが、バスの場合は、バス停は地図に書かれていても、そのバスがどこから出ているかは記載されていません。 しかし、どのみち、新宿から行くのなら、都営新宿線で「小川町」駅まで行き、「新お茶の水」駅から東京メトロ千代田線に乗って、そのまま相互乗り入れしているJR常磐線の「松戸」駅で降りるか、JR中央線に新宿から乗って「御茶ノ水」駅で降りて、「新お茶の水」駅から東京メトロ千代田線に乗って相互乗り入れしているJR常磐線「松戸」駅まで行くかするのが一般的ですから、松戸駅に着いた時点で、松戸駅で駅員さんかバス乗り場でバスの係員か運転手かに尋ねれば教えてもらえたでしょうし、そうでなくても、松戸駅のバス乗り場で行き先表示を見れば、このバスに乗れば松戸展示場の最寄りのバス停に行けるというのがわかったはずなのです。 ところが、この総務部の前野和彦というおっさんは何をしたかというと、松戸駅から新京成電鉄に乗って2つ目の駅の「松戸新田」駅で降りて、そこからえっちらおっちらと、勤務時間中にハイキングのごとく40分以上歩いてきた・・・と言うのです。あんまり、そんなことする人ないと思うがねえ~え・・・。 本人が言ったことですから、間違いなくそうしたのでしょう。小堀住研(株)の総務の人間て、なんか、変わったことしはりますなあ・・・と思い、「それは大変でしたね」と私は前野に言ったのですが、これは半分は皮肉です・・・が、前野は皮肉を言われたということも理解できなかったようです。 私たち、営業の人間は、できるだけ効率的に動こうとして工夫しているのです。私は松戸の京成バス・新京成バスの案内所に行って、バスの路線図をもらってきて、時間がある時にそれを見て動き方を工夫し、どこに行くにはどこから行けばいいかといったことを考えて動いていました。そうやって工夫して動いても、それでも、時間が足らず、長時間残業をしてなんとか勤めてきたのです。 それを、なんともご苦労さんというのか、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じで、勤務時間中にえんえんと40分以上も歩いてきた・・・・て、なんか、銀行から出向で来る人間て、おもしろいことするね!!! なんか、銀行の人間てユニークなことするね!!!
※ 《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM
前野和彦が新京成電鉄「松戸新田」駅から勤務時間中に40分以上も歩いてくるというハイキングやった時、私は前野が太陽神戸銀行から出向できている人間だということを知らなかったので、小堀の総務もレベル低いなあと思ったし、それは、それまでのこの会社の総務の人の対応を見てもそう思っていたのですが、後に、前野自身の口から太陽神戸銀行から来ていることを聞いて、太陽神戸銀行のレベルが低いのか、それとも、太陽神戸銀行は、自分の会社には要らない人間を小堀住研(株)に出向で行かせていたのか、どちらか、もしくは両方かもしれませんが、この男を見る限り、銀行から来ている人間というのは「人材が不足しているから来ているんです」などという、やはり、太陽神戸銀行から小堀住研(株)に出向で来ていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が言った文句は、ちゃんちゃらおかしい! ということになります。 人事部の課長であったGさんと1990年4月に東京支店で会った時、Gさんは「忙しい、忙しい。きのうも夜11時まで残業してへとへとなんだ」と言っていたのですが、Gさんはそうかもしれませんが、前野なんてのは、ずいぶんと暇で、ずいぶんと余裕があったみたいでした。 余裕がなければ、わざわざ物好きに、勤務時間中に「松戸新田」駅から40分以上もハイキングなんて普通やりませんでしょ( 一一)
銀行の人間て、そういうものなのか? ・・・・そうでもないのじゃないかと思うのです。我が家でも、銀行の人に来てもらうことはありましたが、その際に、来てもらった人というのは、前野みたいな感じじゃないですよ。勤務時間中に、松戸新田駅からえっちらおっちら40分以上もハイキングやったりしませんよ( 一一)
太陽神戸銀行というのは、都市銀行の1つみたいな感じがしていましたが、実際は、太陽銀行という二流の銀行と神戸銀行という都市銀行とはいっても地方銀行みたいな都市銀行が合併した銀行であり、それが「三井の殿さん」と言われ、「三井銀行の人間は、領民どもが『どうか、お願いですから私どものお金を預かっていただけませんでしょうか』と頭を下げて頼みに来るのを待っとる!」・・・などというお話があった(実際にそうかどうかは知らんが)三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行→さくら銀行 になったが、さくら銀行が住友銀行と合併した際、ある週刊誌に掲載されていた話によると、なぜ、合併するかというと、銀行の実績は単純に足し算して、銀行員は3分の2に減らせば利益は上がる・・・という理屈での合併だというが、さくら銀行の行員は「要するに、さくら銀行の行員を半分やめさせるということか。うちの頭取はいったい何を考えてるんだ」と言って住友銀行との合併を嫌がったそうで、さくら銀行の経営者は「さくら銀行の行員に辞めてもらうということではありません。優秀な人に残ってもらいます」と言ったというのですが、さくら銀行の行員は「『優秀な人に残ってもらう』というのなら、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀なのはわかりきっているのだから、結局、さくら銀行の行員を半分辞めさせると言ってるのと一緒じゃないか」と言ったというのです。そして、合併後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をすると、元住友銀行の行員が「よく、そんなんでやったはりましたなあ」「よう、そんなんで商売できまんなあ」ということを言ったというのです。これは、あくまでも、何だったか忘れたが週刊誌に載っていた話ですが、私は、太陽神戸銀行から出向できていた前野和彦のハイキングを見て、また、それを恥ずかしそうに言うのではなく大変なことやってきたみたいに言う前野の態度を見て、その後、前野が太陽神戸銀行から出向できていたということを前野和彦自身の口から聞いて、太陽神戸銀行というのは「よう、そんなんでやっていけますなあ」「よう、そんなんで、商売できまんなあ」と思った。
富士銀行(→みずほ銀行)から出向できて、いきなり「常務取締役」「東部営業本部長」になった増田和二は、富士銀行では、どこかの支点の支店長を2年ほど、ちょろっとやっただけの人だったようですが、それが、小堀住研(株)に来ると、いきなり、「常務取締役」で「東部営業本部長」になったのです。 なんか、そのあたりを見ると、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株) <・・・→ヤマダエスバイエルホーム(株)>〕で出世しようとすると、最初から小堀住研(株)に入社するよりも、どこかの銀行に入って銀行から出向で行った方が得みたい!!! 最初から小堀住研(株)に入社したのではバカ見さされるみたいな感じ!!! 私が大学の4年の時、慶應義塾大学の就職部で話を聞いた時、日立◇◇・東芝▽▽・NEC〇〇・・・といった名前の日立・東芝・NECの子亀会社に勤めると、せっかく、一生懸命、努力して昇進しても、そのうち、自分より歳も下で大学の卒業年も後の人間が、日立製作所・東芝・NECの親亀会社からやってきて、自分より上の役職につく! ということがありうる・・・という話を聞いたことがありました。 その点、小堀住研(株)は、まがりなりにも一部上場の会社で、日立・東芝・NECといった会社の子亀ではなく、自分自身が親亀ですから、親亀会社から、自分より歳も下で大学の卒業年も後の人間がやってきて、自分より上の役職につく・・・なんてことはないからいいのではないか・・なんてことを思ったりもしたのですが、親亀会社からは人は来なくても、銀行から「ま~た、銀行から何もわからんヤツが来て役員になるのか」と従業員から言われる人間とか松戸新田駅から勤務時間中に40分以上もハイキングするおっさんとかが来る会社だったようです。
増田和二ですが、「常務取締役」の方はまだいいとしましょう。 問題が多いのは「東部営業本部長」の方です。 「東部」というのは、日本を「東部」「中部」「西部」の3つに分けて、おおむね箱根から東あたりが「東部」だったのですが、銀行と戸建住宅建築業は仕事が違うのですが、それまで、銀行で優秀であったかなかったかにかかわらず、銀行にしか勤めたことがない人が、いきなり、戸建住宅建築業の「(東部)営業本部長」なんて、できると思いますか? ・・・・結論として、できなかったのです。増田さんには。だから、会社をつぶしたのです、小堀住研(株)を。
増田和二は、東北大学の法学部しか出ていない男で、東北大学というのは、旧帝大系国立大学だということで、東大・京大・阪大の仲間か・・なんて勘違いする人がいますが、実は、旧帝大系国立大学でも東北大と北海道大は、東大・京大・阪大の仲間ではなく、青森大・秋田大・岩手大・山形大・福島大・会津大・茨城大の仲間なのです。 で、増田和二は私の親よりは若かったのですが、けっこう歳いって銀行屋としては引退した後、「二度のお勤め」として隠居所みたいに小堀住研(株)に「常務取締役」「東部営業本部長」という肩書をもらって来たのです。
元外務省の佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』という漫画で、佐藤優氏がモデルの憂木護という男性の上役であった西郷さんという男性が、「有能でやる気がある人、有能だがやる気のない人、無能でやる気のない人、無能だがやる気のある人。 この4つの中で、職場で最も害があるのはどれだと思う?」と憂木に尋ね、「無能でやる気のない人 ですか?」と答えた憂木に対して、「ブ~」と言い、「無能なヤツはやる気を出さないでくれた方がありがたいんだよ。 一番、害があるのは、無能のくせしてやる気のある人間なんだ」と言う場面がありました。 増田和二はそれに該当します。 銀行とのつながりから、富士銀行から富士銀行が富士銀行では要りませんという人を小堀住研(株)に送り込んで来たのですから、ともかく、出社して、何もせず、1日、役員室でテレビで水戸黄門の再放送でも見ていてくれれば、もしくは、役員室で哲学書でもエロ本でも見ていてくれれば、その方が従業員は助かるのですが・・・・、なんかやりたくなる時があるみたいでした・・・・。 迷惑です。
※ 《YouTube-水戸黄門第14部オープニング 里見浩太朗 伊吹吾朗 》https://www.youtube.com/watch?v=01mOvhkELJI
1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「現代国語」の講師にきていた人が話してくれたことですが、その講師の方・・というのは、禿げていたので禿げた人というのは歳いって見えるところがあったけれども、私の親などよりは若かったのではないかと思うのですが、その方は東大の文学部を卒業した方だったようですが、「私くらいの年代の人間で、『最近の若い者は』とかえらそうな口きく人間いますけれども、そんなの気にする必要ないですからね」と言われ、「大学入試については、今とは状況が違って、私らの頃は全般に入りやすかったんですよ。特に、法科万能主義といって、文系で難しいのは法学部で、経済学部とか文学部とかは入りやすかったんですよ。私は東大の文学部を卒業しましたけれども、旧帝大でも文学部で試験で落ちる人間がいたのは東大と京大だけで九州大だの東北大だのなんて落ちる人間なかったんですよ。京大は試験で落ちる人間いたといっても、文学部で難しいのは東大くらいで、京大は易しかったんですよ。 法学部はそうではなかったけれども、それでも、難しいのは東大と京大くらいで、法学部でも九州大だの東北大だのなんて、本当に入りやすかったんですよ」と。 増田和二が卒業した東北大の法学部というのは、その「本当に入りやすかった」という時代の「本当に入りやすかった」東北大法学部だったのです。 私が慶應大にいやいや行った時、宮城県出身の男と福島県出身の女がいて、この2人が顔を合わすと東北大の悪口を言っていた。「東北大なんて、本当に入りやすいバカの行く大学なのに、東北のイナカモンは、そのバカの行く大学の東北大をよっぽど優秀な大学みたいに思ってからに・・」と、そう言っていたのです。彼らの場合、どうも、東北のイナカモンは、慶應より東北大の方を高く評価するというのが気分が悪い、ということがあったようですけれども。
日本の高校生で、大学を卒業した後、会社づとめをしようと考えている人では、大学は法学部でも経済学部でもいい、模擬試験の成績を見て、成績が伸びれば合格最低点が高い方を受けるが、思い通りに成績が伸びなければ合格最低点が低いとされる方を受ける・・・という選択をする人が時々いるようですが、しかし、実際には、法学部と経済学部と商学部・経営学部は相当内容は違います。
まず、経済学部と商学部と経営学部はどう違うのか。これをわかっていない人がけっこういるので、簡単に説明しましょう。 東大の場合は、文科二類 として入学した者が2年から3年になる時に、経済学部経済学科か経済学部経営学科のどちらかに進むことになるようです。 京大の場合は、経済学部として入学し、専門課程に進むときに 経済学科と経営学科に分かれるのではないかと思います。阪大も同様でしょう。 慶應は経済学部と商学部の2つがあり、一橋大もそうです。関学も経済学部と商学部があるようです。 神戸大は経済学部と経営学部の2つに分かれています。早稲田大は政治経済学部経済学科と商学部の2つがあります。 大阪市大の場合は、経済学部と商学部と経営学部があったと思います。 東大や京大では経済学部だけあることから、他の大学で商学部とか経営学部とかあるのは、第2経済学部なのか・・・? みたいな感じで、国立大学で試験科目が一緒の場合、どちらかというと、経済学部よりも商学部や経営学部の方が入試の難易度はわずかに易しい大学が少なくないようです。 慶應の場合、もともとは「理財科」と言っていたものを、国立大学の学部名に学部名を合わさないと大学と認めてもらえないという時期があって、その時に「経済学部」と名称を改めたものを、戦後、学部の定員を増やそうという話が出た時に、それなら、いっそのこと、学部を2つに分けようということになって、経済学もやるけれども、経営学・商業学・会計学など経済学以外の分野に力を入れる学部と「商学部」として、経営学・商業学・会計学などもやるけれども経済学に力を入れてやる学部をそれまでと同じ名前の「経済学部」にした、そうです。 「理財科」→「経済学部」として歩んできた学部を2つに分けて、「経済学部」と「商学部」にしたもので、慶應の商学部はそれまで何もない所に突然作った学部ではないと慶應の商学部の先生は言われるのですが、しかし、昔からあるものを2つに分けて、片方に昔からの名前をそのままつけて、他方に新しい別の名前をつけると、どうも、昔からある名前をつけている方が値打ちがあるかのように見えてしまう場合があるようで、だから、慶應でも内部進学の人は「名前を欲しがる」ところがあるので、経済学部に行きたがる人が多いようです。東大の場合、オーナー社長の息子が東大の文科二類に進学した場合、その後、経済学部経済学科よりも経済学部経営学科に行く人が多いのに対して、慶應では内部進学の人などオーナー社長の息子は商学部よりも経済学部に行きたがるというのは、内容よりも名前を取ることによるという面があるようですが、それとともに、慶應の場合、内部進学の人の割合が一番多い学部が経済学部で、慶應の学部の中では内部進学の人の割合が少ないのが商学部で、かつ、進級のためのノルマは経済学部よりも商学部の方が厳しいらしく、だから、内部進学の人は商学部には行きたがらない、とも聞いています。 かつては、慶應の経済学部卒の人と商学部卒の人では社長の出身学部を見ると経済学部の方がずっと多かったのですが、最近では商学部卒の人もけっこう出てきているようです。 経済学もやるけれども商業学・経営学・会計学などを力を入れてやる学部が商学部で、商業学・経営学・会計学もやるけれども経済学の方に力を入れてやる学部が経済学部というのは、一橋大も同じではないでしょうか。 神戸大の場合、慶應・一橋の商学部が経営学部に該当するということだと思います。大阪市大の場合、経済学部・商学部・経営学部と3つに分かれているというのは、経済学を中心にやる学部と商業学を中心にやる学部と経営学を中心にやる学部ということかな・・と思います。 大阪市大は実際に行ってないので、その通りかどうかわかりませんが、そんなものではないかと思います。 「名前を取る」ということで選ぶなら、昔からある学部を2つに分けて、片方に昔からある名前をつけて他方に新しく別の名前をつけると、昔からある名前をつけているものの方がいいかのように見えてしまう・・・ということから、慶應で経済学部に行きたがる人がいますし、経済学部と商学部の両方を受けて経済学部に落ちて商学部に通って商学部に入ったなどという人には入学後に経済学部に転部したがる人というのもいるようですが、実際にやっていることを考えると、商学部の方が力を入れているものには、けっこう、会社という所において役立つものが少なくないと思います。むしろ、経済学部より商学部の方が役立つものがあるのではないかと思えるくらいです。
藤田正勝『西田幾多郎―生きることと哲学』(岩浪新書)によると、西田幾多郎は、数学科に進むか哲学科に進むか思案して哲学科に進んだというのですが、世の中には、大学の学部を「文系」と「理系」に分けたがる人というのがいますが、その分け方は仮のものとしてならともかく、あまり、絶対的に考えると害があると思います。京大や東大では理科に分類される数学科と文科に部類される哲学科はけっこう共通点があります。 近代経済学は数学を多用すると言われ、それゆえ、数学科と経済学部は共通点があるように言う人もいますが、数学はその時代の政治の動きに最も左右されにくい最も学問的な学問であるのに対し、経済学は政治学とともにその時代の社会の動きの影響を受けやすい学問であり、数学科と経済学部ではその点で大きな違いがあります。 商業学・マーケティングなんてのは、これは、資本制経済をとる国の企業がいかにして販売するかという学問であるから、経済学よりも、なお、資本制経済を擁護する側に加担する学問か・・・という感じがしないでもないのですが、実際には、マーケティングというのは、別段、資本制経済を擁護するとか打倒するとかいうものではなく、社会主義の国においてもマーケティングというのはありえます。 経営学というのは、いかにも、ひひじじいの学問・・・みたいな印象を高校生くらいのころの私は受けていたのですが、実際はそうでもありません。いかにして、従業員が本来的な状態で勤務することができるか、人間関係論であるとか、マグレガーの「Y理論」であるとか、そういったものを学んできた人が経営の立場に立つのと、そういったものを学んでいない者が経営者・管理者になるのとでは差があると思います。 マックス=ウェーバーは「経営」を相当広い範囲でとらえており、非営利団体の「経営」、役所の「経営」、労働組合の「経営」、社会主義国の「経営」といったものも「経営」のひとつです。経営学は決して、いかにして従業員をいじめるかという学問ではありません。
増田和二は東北大学法学部卒だということでしたが、たとえ、法学部卒でも、会社という所に勤めたならば、経済学部的発想・商学部的発想というものも持って当然と私は思ってきたのですが、ところが、増田はそうではなかった。 東北大は、「旧帝大」とはいえ、実際問題として、東大・京大・阪大の仲間ではなく、岩手大・山形大・福島大・茨城大の仲間であるということもあるかもしれないが、法学部卒だから経済学部・商学部的発想がなくてもいいというものではないはずだが、増田はなかった・・・・という話を、字数制限の為、次回に述べることとします。
(2017.9.20.)
次回、 《「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【4】チラシは会社・商品のイメージがどうなるか考えて入れるもの》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_4.html
☆ 「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか
1. セクシュアルハラスメントには「精神適応」か改善要求か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_1.html
2. 応募条件にはずれた人を会社は採用してよいか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_2.html
3. 勤務時間中にハイキングする銀行からきたおっさん 〔今回〕
4. チラシは会社・商品のイメージがどうなるか考えて入れるもの https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_4.html
5. 労働時間制限違反は犯罪。遵法精神の欠落した「法学士」。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_5.html
6. 会社としてのマナー欠落の富士銀行出身役員 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_6.html
7. 何の為の法学士?何の為の銀行元支店長? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_7.html
8. 高卒1年目と大卒1年目を同じ処遇?経済学部しかという認識 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_8.html
9. 営業妨害 富士銀行は営業の基本の「き」を知らない https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_9.html
10. 締め日前に押しかけてきて営業妨害する富士銀行系役員 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_10.html
11. 狂犬痴漢支店長と富士銀行系不良役員のコラボ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_11.html
12. 密室で3人で1人を取り囲み恫喝(暴行)富士銀行系役員 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_12.html
13. 人の手当てを横領・仕事中に「遊びの計画」する痴漢支店長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_13.html
職場における「パワハラ(パワーハラスメント)」について、罰則を含めた法規制を定めることに政府が着手した、というニュースが出ていた。
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(YAHOO!ニュース)
パワハラに罰則含め法規制 政府検討 対象の線引きに課題
8/27(日) 7:55配信
産経新聞 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000041-san-soci
パワハラに罰則含め法規制 政府検討 対象の線引きに課題
職場におけるいじめや嫌がらせなどのパワーハラスメント(パワハラ)に対し、政府が罰則を含めた法規制の検討に着手したことが26日、分かった。パワハラを原因とする「心の病」が増えており、最悪の場合には自殺に至る恐れもあることから、労働者側から規制導入の声があった。ただ、どのような行為が規制対象になるかは線引きが難しく、導入に向けて紆余(うよ)曲折が予想される。
厚生労働省によると、パワハラは労働者の生産性や意欲の低下を招き、個人にとっても会社側にも「大きな損失」と認識。これまでも対策マニュアルを作成したり、ポスターの掲示やセミナーの開催などで啓発に努めてきた。
しかし、パワハラの悩みは年々、深刻化している。都道府県の労働局に寄せられたパワハラ相談は平成14年度に6600件ほどだったが、21年度に3万5759件、28年度は7万917件と、認知度の高まりとともに急増。28年度に精神疾患にかかり労災認定された498件のうち、原因で最も多かったのが「嫌がらせやいじめ、暴行」(74件)だった。
27年末に過労自殺した電通の新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=も、「君の残業時間は無駄だ」などと上司のパワハラをうかがわせるメッセージを残していた。
現状では、労働基準監督署には会社に対し改善を促す強制力が与えられておらず、具体的な取り組みは会社側の自主的努力に委ねられている。
このため、政府は拘束力のある法規制の導入を検討しているが、厚労省によると、人によりパワハラの受け止め方が異なり、業務上の「指導」とみられるケースもあることから、会社側の責任を明確に問うのは難しいという。
むしろ事前予防の方が重要で、事後的な「制裁」という形になると、社内に監視カメラを設置したり、互いの疑心暗鬼を生む結果になりかねないことを危惧している。
すでにセクハラ(性的嫌がらせ)やマタハラ(妊娠・出産を理由とする嫌がらせ)は法律で定義され、企業には防止策や体制整備が義務付けられている。また英国、フランス、ベルギーなどには、パワハラに刑事罰を科したり、防止策を義務化したりするなどの法制度がある。
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一時期は、けっこう調子がよかった小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕がつぶれた(ヤマダエスバイエルホーム(株)という会社はあるが、それは、つぶれた会社をヤマダ電機株が「いぬき」で買い取ったもの、飲食店でもつぶれた店を「いぬき」で買い取って同系統の店がその場所で営業することがあると思いますが、その類であって、小堀住研(株)自体はつぶれたし、大阪の人間が、「あそこに会社がある以上は大丈夫じゃないか」と見ていた大阪駅のすぐ前のビルも売り飛ばした、というよりも、富士銀行が売り飛ばしておのれだけが取れるだけ取って去ったようだ)のは、誰が悪いかというと、ひとつには、銀行が悪い。
(↑ かつては、こんないい場所に本社があったのにねえ・・・。 今は、「コフレ梅田」というビルに建替えられたようです。)
『築地魚河岸三代目』という漫画では、乾物屋の主人が「銀行なんて。晴れている日に傘を貸して、雨が降ってくると取り上げるような、そんな連中だ」と言う場面があった。そうなのかもしれない。 で、1980年代後半に私が小堀住研(株)に入社した時、なんだか、銀行出身の役員が多い会社だなあと思った。 入社式の後の立食パーティーで、太陽神戸銀行から派遣されてきて、いきなり、「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野という人が、「小堀住研(株)は無借金経営です。 私たちが銀行から来ているのは、人材が不足しているからで、借金しているからではありません」と私に、私が尋ねてもいないのに言ったのだが、きかれもしないのにそういうことを言うということは、普段から、銀行から派遣された人間で取締役や監査役になっている人間が多いということは、相当、銀行に借金があるのではないかといったことを言われることがあったのではないか。 かつ、自分は小堀住研(株)が銀行に借金があるから来ている人間ではなく、「人材が不足しているから」来ている優秀な人間なんだと言いたい・・・てところもあったのかもしれませんが・・・、しかし、たしかに、「高卒の痴漢人間」なんてのを「支店長」にならせていたというあたりを見ると、「人材が不足している」というのは、そりぁ、不足しているわなあとも思えてきますが、しかし、「人材が不足している」から、他の会社で上役とうまくいっていないようなのをスカウトして採ろうとしているとか、あるいは、旧帝大系国立大学や早慶の出身者を採用しようと思ってもなかなか採用できないので、いったん、他の会社に勤めて30前後くらいになったという人間でそういう人を採用するとか、世間一般には大企業の場合、新卒入社は2年遅れまでとしている会社があるが、3年以上遅れの人間でも採ろうとかいうのならわからないことはありませんが、しかし、小堀住研(株)が取締役や監査役にいきなりならせていたのは、銀行から来た人間ばっかりであり、銀行と住宅建築業とでは業界が違い、仕事の内容も違い、銀行として優秀な人材であっても住宅建築業でそのまま通じるかというと別問題のはずですし、銀行て、そんなに「優秀な人材」があり余っているのか?・・・というと違うように思いえますし、実際問題として、銀行から来ていた人間が優秀かというとそうではなかったわけです。 そもそも、銀行だって、もし、本当に優秀な人材なら、自分の所に置いておきませんか? もし、「優秀な人材」があり余っていたとしても、あり余っていたなら、その「優秀な人材」を自分の所で使いませんか? だから、やっぱり、借金があったか何かでしょう。
「無借金経営ですから」と太陽神戸銀行から出向できていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が言った時、私が思ったのは、「会計帳簿というものは、そのつけかたによって、利益が出ているのに出ていないように見せることもできれば、利益が出ていないのに出ているように見せることもできる」という話を慶應義塾大学の「会計学総論」という講義の中で教授が言われた話でした。 だから、「無借金経営」といっても、そう見せているだけ・・・という可能性はありうることだと思ったのです。次に思ったのは、「転換社債」というものです。転換社債は、社債ですから、会社が一般の人間に借金したというものですが、満期が来た時、それをお金で受け取るのではなく、その会社の株で受け取るということができるのです。株というのは自己資本か他人資本かというと自己資本になります。ということは、会社は借金しても、まったくその借金を返していないにもかかわらず、それが「自己資本」になるわけです。なんか、手品みたいですよね。 そして、その「自己資本」としての株を持つ人間が、「普通の人間」が5単位だとか6単位だとかの株を持つのならいいのですが、銀行がまとまって株を持ったとすると、その会社は銀行に支配されることになります。 そして、『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)を見ると、その頃の小堀住研(株)の大株主として上位に名前が出ていた者として、2代目社長の中島昭午の名前もありましたが、銀行の名前がいくつも出ていたのです。たしかに、株は「借金」という扱いではありませんが、考えようによっては、銀行に大株主になられるということは、借金よりも、もっと問題が大きいかもしれません。
「こういう人材が必要なので、お願いして来てもらっている」というケースは実際にあります。外資系銀行の日本での支店には、日本でその外資系銀行がやっていけるように日本の銀行から顧問として人を呼ぶことがあるらしい。 これは、その外資系銀行が日本の銀行から借金しているとかいうことが原因ではありません。 私は人より年齢をいって大学を卒業したので、就職に際して、外資系の会社ならどうかということを考え、東京駅の前にあった中国銀行の東京支店に訪問したことがあります。その際、会っていただいた方は、慶應大学の経済学部を卒業して三井銀行に勤めた方で、三井銀行から「顧問」として中国銀行の東京支店に行かれていた方でした。同じ大学の出身ということもあり、直接、関係のないようなお話も聞かせていただいたのですが、過去には、他のドイツ系だったかフランス系だったかの銀行の日本での支店に「顧問」として行ったこともあるとうかがいました。 それは、そのドイツ系だったかフランス系だったかの外資系銀行、中華人民共和国系の中国銀行が三井銀行からカネを借りているからとか、何か負い目があるから人を送り込まれているのではなく、外資系の銀行が日本でやっていくために、日本の状況を指導してもらうための人材として三井銀行にお願いして来てもらっていたというものだったようです。 かなり、高齢の方でしたが、大変、しっかりとしておられ、こういう人の下で働くと働きやすいだろうなあとも思いました。その方などは、実際に、日本での銀行経営について指導してもらうためにということでの人材として外資系の銀行がお願いして三井銀行から呼んだ人であったのですが、小堀住研(株)に銀行から来ていた人たちというのは、そういう人とはまったく違いました。 小堀住研(株)の従業員の間では、「ま~た、銀行から何もわかってないやつが役員にくるのか」と言われ、特に、富士銀行から来て、いきなり、「常務取締役」「東部営業本部長」になっていた増田和二については「営業本部長、アタマ、ぼけてる」と従業員の間で言われていました。 総務部に所属ということで新宿センタービルに入っていた東京支店に駐在していた太陽神戸銀行から来て、いきなり、次長にならせてもらっていた前野和彦なども、あれは、そのまま、銀行におればヒラのままで、定年の直前頃に主任くらいにならせてもらえるかなという程度の人間であり、そういう人が、小堀住研(株)に来ると、いきなり、「次長」になっていた・・・・といっても、小堀住研(株)の「次長」などというものは、しょせん、「普通の会社なら主任か副主任程度」でしかないのですが・・・、そういう感じでした。 「借金」という形式であったのかどうかわかりませんが、小堀住研(株)は、やっぱり、実質的に借金に該当するような負い目が銀行にあったから、銀行からあんまり役に立たないようなのを送り込まれていたのでしょう。
1989年、新宿の新宿センタービルの中の東京支店に普段は勤務している総務部の前野和彦(男。当時、40代後半くらい?)が、千葉県松戸市の松戸展示場に来たことがあったのですが、その頃の松戸展示場は松戸市和名ヶ谷にあって、最寄のバス停から歩くのが一般的な行き方で、最寄りのバス停まで、JR・新京成の「松戸」駅からバスが出ていました。
(↑ かつて、「ハウジングプラザ松戸」があり、その中に小堀住研(株)松戸展示場があった場所。)
どう行くのかは、松戸展示場に電話をして松戸展示場に在籍している従業員に尋ねるか、松戸展示場に在籍している従業員でなくても千葉支店の従業員に尋ねれば教えてもらえたはずです。そうでなくても、普通に、松戸市の市街地図、もしくは、千葉県の松戸付近の道路地図を見れば、バス停があるのが記載されていますからわかります。但し、鉄道の場合は駅の場所だけでなく、どこから走っているか、線路も地図に記載されていますが、バスの場合は、バス停は地図に書かれていても、そのバスがどこから出ているかは記載されていません。 しかし、どのみち、新宿から行くのなら、都営新宿線で「小川町」駅まで行き、「新お茶の水」駅から東京メトロ千代田線に乗って、そのまま相互乗り入れしているJR常磐線の「松戸」駅で降りるか、JR中央線に新宿から乗って「御茶ノ水」駅で降りて、「新お茶の水」駅から東京メトロ千代田線に乗って相互乗り入れしているJR常磐線「松戸」駅まで行くかするのが一般的ですから、松戸駅に着いた時点で、松戸駅で駅員さんかバス乗り場でバスの係員か運転手かに尋ねれば教えてもらえたでしょうし、そうでなくても、松戸駅のバス乗り場で行き先表示を見れば、このバスに乗れば松戸展示場の最寄りのバス停に行けるというのがわかったはずなのです。 ところが、この総務部の前野和彦というおっさんは何をしたかというと、松戸駅から新京成電鉄に乗って2つ目の駅の「松戸新田」駅で降りて、そこからえっちらおっちらと、勤務時間中にハイキングのごとく40分以上歩いてきた・・・と言うのです。あんまり、そんなことする人ないと思うがねえ~え・・・。 本人が言ったことですから、間違いなくそうしたのでしょう。小堀住研(株)の総務の人間て、なんか、変わったことしはりますなあ・・・と思い、「それは大変でしたね」と私は前野に言ったのですが、これは半分は皮肉です・・・が、前野は皮肉を言われたということも理解できなかったようです。 私たち、営業の人間は、できるだけ効率的に動こうとして工夫しているのです。私は松戸の京成バス・新京成バスの案内所に行って、バスの路線図をもらってきて、時間がある時にそれを見て動き方を工夫し、どこに行くにはどこから行けばいいかといったことを考えて動いていました。そうやって工夫して動いても、それでも、時間が足らず、長時間残業をしてなんとか勤めてきたのです。 それを、なんともご苦労さんというのか、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じで、勤務時間中にえんえんと40分以上も歩いてきた・・・・て、なんか、銀行から出向で来る人間て、おもしろいことするね!!! なんか、銀行の人間てユニークなことするね!!!
※ 《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM
前野和彦が新京成電鉄「松戸新田」駅から勤務時間中に40分以上も歩いてくるというハイキングやった時、私は前野が太陽神戸銀行から出向できている人間だということを知らなかったので、小堀の総務もレベル低いなあと思ったし、それは、それまでのこの会社の総務の人の対応を見てもそう思っていたのですが、後に、前野自身の口から太陽神戸銀行から来ていることを聞いて、太陽神戸銀行のレベルが低いのか、それとも、太陽神戸銀行は、自分の会社には要らない人間を小堀住研(株)に出向で行かせていたのか、どちらか、もしくは両方かもしれませんが、この男を見る限り、銀行から来ている人間というのは「人材が不足しているから来ているんです」などという、やはり、太陽神戸銀行から小堀住研(株)に出向で来ていきなり「常務取締役」「西部営業本部長」になった大野が言った文句は、ちゃんちゃらおかしい! ということになります。 人事部の課長であったGさんと1990年4月に東京支店で会った時、Gさんは「忙しい、忙しい。きのうも夜11時まで残業してへとへとなんだ」と言っていたのですが、Gさんはそうかもしれませんが、前野なんてのは、ずいぶんと暇で、ずいぶんと余裕があったみたいでした。 余裕がなければ、わざわざ物好きに、勤務時間中に「松戸新田」駅から40分以上もハイキングなんて普通やりませんでしょ( 一一)
銀行の人間て、そういうものなのか? ・・・・そうでもないのじゃないかと思うのです。我が家でも、銀行の人に来てもらうことはありましたが、その際に、来てもらった人というのは、前野みたいな感じじゃないですよ。勤務時間中に、松戸新田駅からえっちらおっちら40分以上もハイキングやったりしませんよ( 一一)
太陽神戸銀行というのは、都市銀行の1つみたいな感じがしていましたが、実際は、太陽銀行という二流の銀行と神戸銀行という都市銀行とはいっても地方銀行みたいな都市銀行が合併した銀行であり、それが「三井の殿さん」と言われ、「三井銀行の人間は、領民どもが『どうか、お願いですから私どものお金を預かっていただけませんでしょうか』と頭を下げて頼みに来るのを待っとる!」・・・などというお話があった(実際にそうかどうかは知らんが)三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行→さくら銀行 になったが、さくら銀行が住友銀行と合併した際、ある週刊誌に掲載されていた話によると、なぜ、合併するかというと、銀行の実績は単純に足し算して、銀行員は3分の2に減らせば利益は上がる・・・という理屈での合併だというが、さくら銀行の行員は「要するに、さくら銀行の行員を半分やめさせるということか。うちの頭取はいったい何を考えてるんだ」と言って住友銀行との合併を嫌がったそうで、さくら銀行の経営者は「さくら銀行の行員に辞めてもらうということではありません。優秀な人に残ってもらいます」と言ったというのですが、さくら銀行の行員は「『優秀な人に残ってもらう』というのなら、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀なのはわかりきっているのだから、結局、さくら銀行の行員を半分辞めさせると言ってるのと一緒じゃないか」と言ったというのです。そして、合併後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をすると、元住友銀行の行員が「よく、そんなんでやったはりましたなあ」「よう、そんなんで商売できまんなあ」ということを言ったというのです。これは、あくまでも、何だったか忘れたが週刊誌に載っていた話ですが、私は、太陽神戸銀行から出向できていた前野和彦のハイキングを見て、また、それを恥ずかしそうに言うのではなく大変なことやってきたみたいに言う前野の態度を見て、その後、前野が太陽神戸銀行から出向できていたということを前野和彦自身の口から聞いて、太陽神戸銀行というのは「よう、そんなんでやっていけますなあ」「よう、そんなんで、商売できまんなあ」と思った。
富士銀行(→みずほ銀行)から出向できて、いきなり「常務取締役」「東部営業本部長」になった増田和二は、富士銀行では、どこかの支点の支店長を2年ほど、ちょろっとやっただけの人だったようですが、それが、小堀住研(株)に来ると、いきなり、「常務取締役」で「東部営業本部長」になったのです。 なんか、そのあたりを見ると、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株) <・・・→ヤマダエスバイエルホーム(株)>〕で出世しようとすると、最初から小堀住研(株)に入社するよりも、どこかの銀行に入って銀行から出向で行った方が得みたい!!! 最初から小堀住研(株)に入社したのではバカ見さされるみたいな感じ!!! 私が大学の4年の時、慶應義塾大学の就職部で話を聞いた時、日立◇◇・東芝▽▽・NEC〇〇・・・といった名前の日立・東芝・NECの子亀会社に勤めると、せっかく、一生懸命、努力して昇進しても、そのうち、自分より歳も下で大学の卒業年も後の人間が、日立製作所・東芝・NECの親亀会社からやってきて、自分より上の役職につく! ということがありうる・・・という話を聞いたことがありました。 その点、小堀住研(株)は、まがりなりにも一部上場の会社で、日立・東芝・NECといった会社の子亀ではなく、自分自身が親亀ですから、親亀会社から、自分より歳も下で大学の卒業年も後の人間がやってきて、自分より上の役職につく・・・なんてことはないからいいのではないか・・なんてことを思ったりもしたのですが、親亀会社からは人は来なくても、銀行から「ま~た、銀行から何もわからんヤツが来て役員になるのか」と従業員から言われる人間とか松戸新田駅から勤務時間中に40分以上もハイキングするおっさんとかが来る会社だったようです。
増田和二ですが、「常務取締役」の方はまだいいとしましょう。 問題が多いのは「東部営業本部長」の方です。 「東部」というのは、日本を「東部」「中部」「西部」の3つに分けて、おおむね箱根から東あたりが「東部」だったのですが、銀行と戸建住宅建築業は仕事が違うのですが、それまで、銀行で優秀であったかなかったかにかかわらず、銀行にしか勤めたことがない人が、いきなり、戸建住宅建築業の「(東部)営業本部長」なんて、できると思いますか? ・・・・結論として、できなかったのです。増田さんには。だから、会社をつぶしたのです、小堀住研(株)を。
増田和二は、東北大学の法学部しか出ていない男で、東北大学というのは、旧帝大系国立大学だということで、東大・京大・阪大の仲間か・・なんて勘違いする人がいますが、実は、旧帝大系国立大学でも東北大と北海道大は、東大・京大・阪大の仲間ではなく、青森大・秋田大・岩手大・山形大・福島大・会津大・茨城大の仲間なのです。 で、増田和二は私の親よりは若かったのですが、けっこう歳いって銀行屋としては引退した後、「二度のお勤め」として隠居所みたいに小堀住研(株)に「常務取締役」「東部営業本部長」という肩書をもらって来たのです。
元外務省の佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』という漫画で、佐藤優氏がモデルの憂木護という男性の上役であった西郷さんという男性が、「有能でやる気がある人、有能だがやる気のない人、無能でやる気のない人、無能だがやる気のある人。 この4つの中で、職場で最も害があるのはどれだと思う?」と憂木に尋ね、「無能でやる気のない人 ですか?」と答えた憂木に対して、「ブ~」と言い、「無能なヤツはやる気を出さないでくれた方がありがたいんだよ。 一番、害があるのは、無能のくせしてやる気のある人間なんだ」と言う場面がありました。 増田和二はそれに該当します。 銀行とのつながりから、富士銀行から富士銀行が富士銀行では要りませんという人を小堀住研(株)に送り込んで来たのですから、ともかく、出社して、何もせず、1日、役員室でテレビで水戸黄門の再放送でも見ていてくれれば、もしくは、役員室で哲学書でもエロ本でも見ていてくれれば、その方が従業員は助かるのですが・・・・、なんかやりたくなる時があるみたいでした・・・・。 迷惑です。
※ 《YouTube-水戸黄門第14部オープニング 里見浩太朗 伊吹吾朗 》https://www.youtube.com/watch?v=01mOvhkELJI
1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「現代国語」の講師にきていた人が話してくれたことですが、その講師の方・・というのは、禿げていたので禿げた人というのは歳いって見えるところがあったけれども、私の親などよりは若かったのではないかと思うのですが、その方は東大の文学部を卒業した方だったようですが、「私くらいの年代の人間で、『最近の若い者は』とかえらそうな口きく人間いますけれども、そんなの気にする必要ないですからね」と言われ、「大学入試については、今とは状況が違って、私らの頃は全般に入りやすかったんですよ。特に、法科万能主義といって、文系で難しいのは法学部で、経済学部とか文学部とかは入りやすかったんですよ。私は東大の文学部を卒業しましたけれども、旧帝大でも文学部で試験で落ちる人間がいたのは東大と京大だけで九州大だの東北大だのなんて落ちる人間なかったんですよ。京大は試験で落ちる人間いたといっても、文学部で難しいのは東大くらいで、京大は易しかったんですよ。 法学部はそうではなかったけれども、それでも、難しいのは東大と京大くらいで、法学部でも九州大だの東北大だのなんて、本当に入りやすかったんですよ」と。 増田和二が卒業した東北大の法学部というのは、その「本当に入りやすかった」という時代の「本当に入りやすかった」東北大法学部だったのです。 私が慶應大にいやいや行った時、宮城県出身の男と福島県出身の女がいて、この2人が顔を合わすと東北大の悪口を言っていた。「東北大なんて、本当に入りやすいバカの行く大学なのに、東北のイナカモンは、そのバカの行く大学の東北大をよっぽど優秀な大学みたいに思ってからに・・」と、そう言っていたのです。彼らの場合、どうも、東北のイナカモンは、慶應より東北大の方を高く評価するというのが気分が悪い、ということがあったようですけれども。
日本の高校生で、大学を卒業した後、会社づとめをしようと考えている人では、大学は法学部でも経済学部でもいい、模擬試験の成績を見て、成績が伸びれば合格最低点が高い方を受けるが、思い通りに成績が伸びなければ合格最低点が低いとされる方を受ける・・・という選択をする人が時々いるようですが、しかし、実際には、法学部と経済学部と商学部・経営学部は相当内容は違います。
まず、経済学部と商学部と経営学部はどう違うのか。これをわかっていない人がけっこういるので、簡単に説明しましょう。 東大の場合は、文科二類 として入学した者が2年から3年になる時に、経済学部経済学科か経済学部経営学科のどちらかに進むことになるようです。 京大の場合は、経済学部として入学し、専門課程に進むときに 経済学科と経営学科に分かれるのではないかと思います。阪大も同様でしょう。 慶應は経済学部と商学部の2つがあり、一橋大もそうです。関学も経済学部と商学部があるようです。 神戸大は経済学部と経営学部の2つに分かれています。早稲田大は政治経済学部経済学科と商学部の2つがあります。 大阪市大の場合は、経済学部と商学部と経営学部があったと思います。 東大や京大では経済学部だけあることから、他の大学で商学部とか経営学部とかあるのは、第2経済学部なのか・・・? みたいな感じで、国立大学で試験科目が一緒の場合、どちらかというと、経済学部よりも商学部や経営学部の方が入試の難易度はわずかに易しい大学が少なくないようです。 慶應の場合、もともとは「理財科」と言っていたものを、国立大学の学部名に学部名を合わさないと大学と認めてもらえないという時期があって、その時に「経済学部」と名称を改めたものを、戦後、学部の定員を増やそうという話が出た時に、それなら、いっそのこと、学部を2つに分けようということになって、経済学もやるけれども、経営学・商業学・会計学など経済学以外の分野に力を入れる学部と「商学部」として、経営学・商業学・会計学などもやるけれども経済学に力を入れてやる学部をそれまでと同じ名前の「経済学部」にした、そうです。 「理財科」→「経済学部」として歩んできた学部を2つに分けて、「経済学部」と「商学部」にしたもので、慶應の商学部はそれまで何もない所に突然作った学部ではないと慶應の商学部の先生は言われるのですが、しかし、昔からあるものを2つに分けて、片方に昔からの名前をそのままつけて、他方に新しい別の名前をつけると、どうも、昔からある名前をつけている方が値打ちがあるかのように見えてしまう場合があるようで、だから、慶應でも内部進学の人は「名前を欲しがる」ところがあるので、経済学部に行きたがる人が多いようです。東大の場合、オーナー社長の息子が東大の文科二類に進学した場合、その後、経済学部経済学科よりも経済学部経営学科に行く人が多いのに対して、慶應では内部進学の人などオーナー社長の息子は商学部よりも経済学部に行きたがるというのは、内容よりも名前を取ることによるという面があるようですが、それとともに、慶應の場合、内部進学の人の割合が一番多い学部が経済学部で、慶應の学部の中では内部進学の人の割合が少ないのが商学部で、かつ、進級のためのノルマは経済学部よりも商学部の方が厳しいらしく、だから、内部進学の人は商学部には行きたがらない、とも聞いています。 かつては、慶應の経済学部卒の人と商学部卒の人では社長の出身学部を見ると経済学部の方がずっと多かったのですが、最近では商学部卒の人もけっこう出てきているようです。 経済学もやるけれども商業学・経営学・会計学などを力を入れてやる学部が商学部で、商業学・経営学・会計学もやるけれども経済学の方に力を入れてやる学部が経済学部というのは、一橋大も同じではないでしょうか。 神戸大の場合、慶應・一橋の商学部が経営学部に該当するということだと思います。大阪市大の場合、経済学部・商学部・経営学部と3つに分かれているというのは、経済学を中心にやる学部と商業学を中心にやる学部と経営学を中心にやる学部ということかな・・と思います。 大阪市大は実際に行ってないので、その通りかどうかわかりませんが、そんなものではないかと思います。 「名前を取る」ということで選ぶなら、昔からある学部を2つに分けて、片方に昔からある名前をつけて他方に新しく別の名前をつけると、昔からある名前をつけているものの方がいいかのように見えてしまう・・・ということから、慶應で経済学部に行きたがる人がいますし、経済学部と商学部の両方を受けて経済学部に落ちて商学部に通って商学部に入ったなどという人には入学後に経済学部に転部したがる人というのもいるようですが、実際にやっていることを考えると、商学部の方が力を入れているものには、けっこう、会社という所において役立つものが少なくないと思います。むしろ、経済学部より商学部の方が役立つものがあるのではないかと思えるくらいです。
藤田正勝『西田幾多郎―生きることと哲学』(岩浪新書)によると、西田幾多郎は、数学科に進むか哲学科に進むか思案して哲学科に進んだというのですが、世の中には、大学の学部を「文系」と「理系」に分けたがる人というのがいますが、その分け方は仮のものとしてならともかく、あまり、絶対的に考えると害があると思います。京大や東大では理科に分類される数学科と文科に部類される哲学科はけっこう共通点があります。 近代経済学は数学を多用すると言われ、それゆえ、数学科と経済学部は共通点があるように言う人もいますが、数学はその時代の政治の動きに最も左右されにくい最も学問的な学問であるのに対し、経済学は政治学とともにその時代の社会の動きの影響を受けやすい学問であり、数学科と経済学部ではその点で大きな違いがあります。 商業学・マーケティングなんてのは、これは、資本制経済をとる国の企業がいかにして販売するかという学問であるから、経済学よりも、なお、資本制経済を擁護する側に加担する学問か・・・という感じがしないでもないのですが、実際には、マーケティングというのは、別段、資本制経済を擁護するとか打倒するとかいうものではなく、社会主義の国においてもマーケティングというのはありえます。 経営学というのは、いかにも、ひひじじいの学問・・・みたいな印象を高校生くらいのころの私は受けていたのですが、実際はそうでもありません。いかにして、従業員が本来的な状態で勤務することができるか、人間関係論であるとか、マグレガーの「Y理論」であるとか、そういったものを学んできた人が経営の立場に立つのと、そういったものを学んでいない者が経営者・管理者になるのとでは差があると思います。 マックス=ウェーバーは「経営」を相当広い範囲でとらえており、非営利団体の「経営」、役所の「経営」、労働組合の「経営」、社会主義国の「経営」といったものも「経営」のひとつです。経営学は決して、いかにして従業員をいじめるかという学問ではありません。
増田和二は東北大学法学部卒だということでしたが、たとえ、法学部卒でも、会社という所に勤めたならば、経済学部的発想・商学部的発想というものも持って当然と私は思ってきたのですが、ところが、増田はそうではなかった。 東北大は、「旧帝大」とはいえ、実際問題として、東大・京大・阪大の仲間ではなく、岩手大・山形大・福島大・茨城大の仲間であるということもあるかもしれないが、法学部卒だから経済学部・商学部的発想がなくてもいいというものではないはずだが、増田はなかった・・・・という話を、字数制限の為、次回に述べることとします。
(2017.9.20.)
次回、 《「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【4】チラシは会社・商品のイメージがどうなるか考えて入れるもの》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_4.html
☆ 「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか
1. セクシュアルハラスメントには「精神適応」か改善要求か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_1.html
2. 応募条件にはずれた人を会社は採用してよいか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_2.html
3. 勤務時間中にハイキングする銀行からきたおっさん 〔今回〕
4. チラシは会社・商品のイメージがどうなるか考えて入れるもの https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_4.html
5. 労働時間制限違反は犯罪。遵法精神の欠落した「法学士」。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_5.html
6. 会社としてのマナー欠落の富士銀行出身役員 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_6.html
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