飛騨民俗館(飛騨民俗村) 旧 新宮村の郷倉・「管理人室」-高山シリーズ第5回【6/15】

[第595回] 高山シリーズ第5回【6/15】
   飛騨民俗館(飛騨民俗村)の旧 野首(のくび)家住宅 の 右後ろの位置に、小さい建物があります。 野首家の物置か別棟かという感じですが、「郷倉(ごうくら)」と言い、高山市内からですが、野首家とは別の場所から移築された建物のようです。↓
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≪ 高山市新宮町から移築した江戸後期の郷倉。  各郷ごとに備蓄米・年貢米を貯蔵した倉庫だ。≫
(『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.3.1. JTB るるぶ)
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↑ 旧 野首家住宅 と同じく「板葺き石置き屋根」のようです。 10月下旬の後半、高山の紅葉はとてもきれいです。




( ↑ グーグルの地図では、「旧 野首家」と「郷倉」の左上の建物を「山岳資料館」と書いていますが、山岳資料館は「旧 野首家」「郷倉」の下(南)にある建物で、グーグルが「山岳資料館」と書いているのは、山岳資料館ではなく別の建物のはずです。 ヤフーの地図では、実際の山岳資料館を「山岳資料館」と書いて示しています。)
  ここにも、木製の説明書きの札が出ていますが、
≪ 新宮村の郷倉が記録の上に見えるのは、天保11年(1840年)で、・・・・は、凶年手当として、毎年 万石につき、金  両一分づづ徴収 米穀を購入し郷倉に貯蔵・・・・仕法を立てたとあります。 (・・・五粒法と呼んだ。)
  この郷倉は天保13年(1842)には米を入れず 徴収金を貸付金とし、その利息をもって建築費にあてたといわれます。
  安政末年には百万五粒法の制も れ  三年(1867)には百石壱分の割で徴収されました。
  明治初年、郷倉が廃止となってから、新宮神社の境内に移し、道具倉として使用されていたものを同町より民族館に寄贈され この地に移築されました。≫
≪ 新宮村(現在 高山市新宮町)
  新宮の地名は永禄年間 松倉城主 三木自綱が紀州熊野新宮を勧請して・・・氏神にしたことによると伝えられています。
  元禄8年の検地水帳には田畑合わせて  
    二百十八石余
  嘉永六年・・・・
    三百二十七石余
    家数  百六軒  百十五人
  江戸時代は大野郡川上郷新宮村 明治に入って上枝村に属し、大字新宮と呼ばれました。≫
と、なんとか読めたが、読めない部分がけっこうある。 隣に管理人室の建物↓ があり、朝、扉を開けて照明をつけてもらえるのだから、かすれて読めなくなった部分だけでも補修してほしい。
  「上枝(ほずえ)村に属し・・・」というと、JR高山本線の高山のひとつ富山側の駅が「上枝(ほずえ)」駅だが、その付近だろうか・・・・と思ったが、地図を見るとそうではない。








( ↑ 高山市新宮町。 新宮神社。 )
JR「高山」駅のすぐ南の跨線橋を西に進む県道158号(白川街道)を西に行くと、南に入ると、この飛騨民俗館(飛騨民俗村)や飛騨の里、飛騨高山美術館などがある。 それを南に入らず、そのまま西に進むと上岡本町・山田町を過ぎて新宮町に至るようだ。 新宮神社は今も存在するようで、地図に出ている。

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↑ 「郷倉」の内部。
   現在は、内部に、様々な「わらじ」が展示されている。 牛のわらじ馬のわらじ も展示されていた。 牛や馬は人間と違って、「ひづめ」があるので、人間よりも素足でも悪路を歩くことができるのではないかと思うが、さすがに雪道は「ひづめ」があっても大変だから、牛や馬にもわらじをはかせてあげたということなのだろうか。


   旧 野首家住宅 の北側にある↓ は何だろう・・・・・
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「旧 野首家住宅」や「旧 新宮村 郷倉」と同じように、板葺き石置き屋根 でできているが・・・・、「管理人室」と書かれた木札が貼られている・・・・が、年代物のような感じの建物であり、「旧 ◇◇家」と明示していないが、これもどこかから移築した建物だろうか。


   さらに、その北に↓ がある。
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↑ これも、どこかから移築してきた建物か? という感じがするのだが、表示はない・・・・ということは、もともと、この場所で使用されている建物なのか・・・、やっぱり、年代物のような感じがするが、表示はない。
   今となっては20年近く前、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時のこと。いわき市の営業所のメンバーと一緒に、福島県でも会津地方の大内宿http://ouchi-juku.com/ に行ったことがあったのだが、ところが、いわき市の地元の人間には、「こんなの見てもしようがねえ。うちの家と一緒だあ」と言う人があったのだ。 東京や大阪から行った人間にとっては珍しいものでも、福島県の昔からの住人にとっては、自分が今現在住んでいる家とたいして変わらないという人がいたようなのだ。 なるほど、そうか・・・・と思った。 福島県の浜通り地域の人の家におじゃまして商談させていただくと、実際、古民家園に移築されてもおかしくないような家に住まれている方もあったのだ。 はたして、こんな家、解体して建て替えてしまっていいのだろうか・・なんて思ったりすることもあったが、建てられた時代においてはいい家でも、今の生活には不便という場合もあったようだ。 で、都会の生まれの人間から見ると、この建物というのは今も現役で使用されているものなのか、それとも、過去のものを展示用に保存しているものなのか、なんか、よくわからない時がある。 地元の人に尋ねてみようかと思う時もあるのだが、尋ね方によっては失礼になる場合もあると思うのだ。 あまりにも前時代的なものを、今もそこで使っているのだろうと思いこんで言ったりすると、バカにすんなてことにもなりかねないように思うのだが、同時に、今も普通にその地域の人が使用しているものを、「江戸時代のものを移築してきて展示してるんですかあ?」などと言っては、これも失礼だと思うのだ。
・・・・で、↑は、やっぱり、展示用にどこかから移築してきたもの・・・・のような気がするのだが、しかし、水車には水が流れ込んで稼働しているので、それを見ると、この場所に最初からあったものか・・・・。 表示しておいてほしいな・・・、もしくは、都会もんがアホなことを言っても怒らない説明係の人にいてほしい。

   そう言えば、1992年、東京都江東区潮見 に、ウッディランド東京 という林野庁が運営している木材の展示場があって、そこに国産材を使用していることが条件の木造住宅展示場があり、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ も出展していたのだが、そこに勤務していると、来場された人から、「はあ~あ、浜松ではこういう家を建てているんですかあ~あ」「田舎の家というのは、こういうつくりなんですねえ」と、まるで、エスキモーの家かアラビア遊牧民の家でも見学している人みたいな、もしくは、縄文時代の竪穴住居を見学している人みたいなことを何度も言われたものだ。 実際、「親戚中が集まった時も対応できる二間続きの和室」だの「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるキッチン」だの、「多くの人が集まった時に補助いすのかわりにできるベイウインドウ」だとか、八寸角の大黒柱だとか、そういうのを「売り」にされると、東京の住人からすると、「うち、浜松で家 建てるんじゃないよお」「いったい、お宅は何時代の人なのお?」て感じに思うだろう。 そして、そう言われるのだ。 ところが、言われたことを言われたと言うと、遠州人は怒るのだ。「そういうことを言うからいかんのだああ~あ!」と。 そんなこと言ったって、言ったのは俺じゃないんだよ。俺はあくまでも、「言われた」のであって、俺が言ったんじゃないんだよ! てとこだが、しかし、遠州人、この場合、あくまでも「一条工務店の遠州人」であって、遠州人一般ではないのだがは、「そういうことを言うからいかんのだあ。 二間続きの和室は東京でも大阪でもいいに決まってんだあ」とか「八寸角の大黒柱は東京でも大阪でもいいに決まってんだあ。こんなこともわからんのかあ」とか言って怒り出すのだ。しかし、浜松と違って、東京あたりで建てる人間にとっては土地の値段も高いし、それほど広い家を建てることができるわけではないという人間にとっては、「八寸角の大黒柱」なんて、「こんなもんあったら、邪魔ですよねえ~え」ということになるのだ。そして、そう言われるのだ。そう言われたのだ。すると、またもや、遠州人は怒るのだ。「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と。しかし、それもまた、私が言ったのではないのだ。私は「言われた」のだ。来場者から。 「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるキッチン」に至っては、「今、こういうのを喜ぶ人って、東京ではあんまりないんですよねえ」などと言おうものなら、「そういうことを言うバカ嫁は言ってきかせてやらんといか~ん!」とか叫び出すのだ。 なんか、もう、「一条オリジナル」の人間て、「ほとんどビョーキ!」て感じ・・・・・だが、そう言うと、またもや、激怒するわけだが・・・・、なんか・・、「一条オリジナル」の人間と関わると疲れるわ・・・。
    私は、「二間続きの和室」が絶対に悪いとか言うつもりはないのだ。東京圏で「二間続きの和室」を作る人がないというわけではない。しかし、それは、延べ床面積が相当広い家を作る人か、比較的広めの家で和風好みの人かであり、並みのサラリーマンが一生懸命頑張って建てる家では、優先順位を考えた時、二間続きの和室はなかなか作れないことが多い。 それに対して、1993年、福島県いわき市の展示場に赴任した時、(株)一条工務店の展示場の向かいにパナホームの展示場があったのだが、一条工務店の場合は、「浜松でいいものは、東京でも大阪でもいいに決まってるんだあ」という浜松絶対主義で展示場は作られるので、東京の展示場でも浜松仕様でできていたのだが、パナホームはそうではなかった。パナホームでは、東京圏の展示場で「二間続きの和室」を設けている展示場はあまりなかったはずだが、ところが、福島県いわき市の展示場では、きっちりと「二間続きの和室」が設けられていたのだ。パナホームは、さすが、そのあたりは浜松中心主義・浜松絶対主義の一条工務店とは違って、東京には東京向けの家、福島県には福島県向けの家ということを考えて展示場も作っていたのだ。たぶん、パナホームでは「バカ嫁を言ってきかせてやらんといか~ん!」などとは言わないと思う。たぶん。
   で、岐阜県の高山にもパナホームはあって、[第475回]《高山市の分譲地で見た片流れ屋根のモデルハウス。 理由があって片流れ屋根にする業者と理由なくする業者》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html で写真入りで公開したように、パナホームが建物を建てる分譲地では、高山では、高山向け、高山仕様というのか、片流れ屋根で、金属系の屋根材を使い、屋根に積もった雪が落ちる場合も自分の敷地に落ちるように作っていたのを見た。 さすが、浜松絶対主義・浜松中心主義・浜松中心天動説の一条工務店とは違って、パナホームはなかなかやるではないか・・・・と思ったが、「なかなか、やるではないか」というより、それが普通と違うんかい? て感じがするのだが、それを言うとまた、(株)一条工務店の遠州人は激怒するわけだ。 なんか、「一条オリジナル」の人間には逆らうとうるさいから逆らわん方がええのかもしれんが・・・・というか、別に「逆らっている」つもりはないのだけれどもねえ。普通のことを言ってるだけだと思うのだが、浜松絶対主義・浜松中心主義・浜松中心天動説の人には、それでも「逆らっている」と受け取られるようだ。 で、国道41号を歩いていると、パナホームの店舗があった。↓
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↑ 「パナホーム愛岐 高山営業所」と書いてあるところを見ると、パナホームの建物は、この地域では、愛知県・岐阜県地域の代理店が建てているということだろう。 戸建住宅建築業の会社には、その会社の商品を考案するところから、設計・積算・施工まで自分の会社でやるというシステムの会社と、自動車メーカーのように、都道府県ごと、もしくは、愛知と岐阜のように2県くらいを、別の代理店が担当して施工するというシステムの会社がある。 私の場合、入社直後は一線の営業をやっても、いつまでも営業をやっているつもりはなかったので、代理店(ディーラー)の会社に入るつもりはなかったのだが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、自社ですべてやるので、それだけ責任をもった対応ができます・・・というようなことを言っていたのだけれども、しかし、(株)一条工務店の浜松中心主義、「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだあ。こんなこともわからんのかあ!」という「ほとんどビョーキ!」の人を見て、片方で、代理店制のパナホームの場合、その地域に合った家を建てようという姿勢が福島県でも岐阜県でも見られることを考えると、会社の体力と知力があまりない会社の場合、全国を対象としてやろうとしても能力的・体力的に難しいので、そういう会社の場合は、代理店制にした方がいいのかもしれない・・・などと考えた。 もっとも、能力的という点においては、(株)一条工務店は、そういったことを考えることができる私を採用していたのだから、そういう人間をしかるべく使えばよかったのだが、浜松中心天動説・浜松絶対主義・遠州人至上主義を1ミリでも動かしたくないというオーナーとその取り巻きが支配する会社においては、全国的視野と総合的思考のできる人間というのは、かえって、「腹が立つ」ということだったようだ。 しょーもない会社!!! と思うが、よくもまあ、そんな会社に11年もいたものだが、そんな会社でよく頑張った! と自分をほめてあげたい・・・気もするが、アホやな・・・という気もしないでもない。 せっかく、会社のために滅私奉公しても、それに報いてくれない会社のために死ぬほど働き、死ぬほど尽くすバカが私だった。つくづく、アホやな・・・と思う・・・・が、そういう人間を粗末にする会社使用者もまた、あんまり、賢くないと思うよ・・・・などと言うと、「だ~から、言ってるでしょ。一条工務店の経営者なんて、バカだって。今まで知らなかったんですか。いったい、何年、この会社にいるんですか。いいかげん、理解しなきゃ」なんて言われたものだった・・・・。

   「管理人室」というのは、「旧 野首家」と「郷倉」の管理人の室かなと思ったのだが、おそらく、山岳資料館も含めての管理人ではないかと思う。

   飛騨民俗村(飛騨民俗館) 「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」には、↓
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↑ 「木彫匠工房」 と 「村山群鳳彫房」 の間の道を入っていくとすぐ。
   「村山群鳳彫房」の隣に 「松倉山荘」 がある。↓
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↑ 『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)には、
≪ 「茶房 和雑貨 松倉山荘」  山野草が咲き乱れる庭が自慢のみやげ店 兼 和風喫茶。 手染めのタペストリーなどの作家ものの和小物が充実している。 併設の喫茶室では、焼き餅が入った特製田舎ぜんざい600円や、飛騨牛カレーセット700円などの軽食が味わえる。≫と書かれているが、訪問時は、休店中。

   次回、山岳資料館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html  

   (2017.10.31.)


☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html 
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村の郷倉 ほか 〔今回〕
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、「飛騨民俗村」とは・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html  
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]駅西口からの導入路 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下] 玄関が出た家、「苦労」は「売り」にするものか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html

☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆☆☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝1上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同3浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html 
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html


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