飛騨民俗館(飛騨民俗村) 山岳資料館(旧高山測候所)、飛騨民俗村とは-高山シリーズ第5回【7/15】
[第596回] 高山シリーズ第5回【7/15】
旧 野首家住宅・旧 新宮村 郷倉 のさらに山側(南側)に、 「山岳資料館」(旧 高山測候所) があります。↓
≪ 木造洋館の高山測候所を移築したもの。館内には登山靴、ピッケル、スキー板などを展示。 また、中部山岳地帯の動物のはく製、植物の標本、気象・地学に関する資料もある。・・・ ≫
( るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.3.1. JTB )
それにしても、10月下旬の後半、山岳資料館の付近もそうですが、高山では紅葉は本当にきれい。
↑≪「 山岳資料館 」
この建物は明治36年(1903年)、大野郡灘村(現 高山市桐生町)に建設されたもので、高山測候所として使用されていました。 昭和45年(1970年)、測候所が改築されたのを機会にこの地に移築されました。そして昭和46年(1971年)11月1日、飛騨山岳会と市民の方々の積極的な協力を得て、「山岳資料館」として開館しました。 中には北アルプスを中心とした登山・スキー用具、飛騨を中心とした登山の歴史、地学、気象、動植物などの資料を展示しています。
平成12年(2000年)10月20日、特色のある近代建築として文化庁の登録有形文化財に登録されました。≫
≪ 登録有形文化財 第21-0032号 この建物は貴重な国民的財産です 文化庁≫
と書かれている。
1903年(明治36年)というと、「ロシアへ、行くを知(1904)ってか兵隊さん」の日露戦争の前年。1970年(昭和45年)は、「せんきゅう~ひゃくうななじゅう~うねんのお、こ~んにいちいわあ~あ♪」の大阪万博(大阪万国博覧会)の年〔 《YouTube-「世界の国からこんにちは」》https://www.youtube.com/watch?v=XrBnFCwJSUk 〕。測候所としては、67年間、使用されたということらしい。
桐生町というと、新宿から高山までの高速バスが「松之木町西」の三叉路で北に進み、「三福寺町」のT字路で曲がって、かつて、久美愛病院があって今はケーサツ署庁舎を建築中の前を通り、万人橋で宮川を渡って、左折して南に向きを変えて高山駅に向かうその交差点が「桐生町西」交差点だったはずで、あんな所に測候所なんてあったのか・・・・て感じがします。 もっとも、「桐生町西」交差点というのは、高山市桐生町の南西の端に位置し、桐生町は「桐生町西」交差点より北東側に広がっています。
『都市地図 高山市・飛騨市』(2016年2版 昭文社)を見ると、高山測候所 は今も桐生町2丁目に存在し、前に「測候所前」というバス停もあるよう・・・に見えるのですが、ところが、グーグル地図で見ても、ヤフー地図で見ても、それらしきものが見当たらないのです。↓
↑
な~んでだ? ・・・・と思って、インターネットで検索し、《ウィキペディア-岐阜地方気象台》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%8F%B0 を見ると、≪管轄していた測候所が高山市に存在していたが、2005年(平成17年)に無人化されて高山特別地域気象観測所となっている。≫と出ていた。 そういうことだったのか・・・・。
↑ 山岳資料館(旧 高山測候所) 内部。
「測候所」というのは、山の上とかにあるものかと思っていたら、地図を見てみると、「普通の場所」のようです。「普通の場所」で観測しているのですね。
山岳資料館の内部には、『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.JTB)に出ているように、熊とか猪とかイヌワシとかのはく製が展示され、スキー用具なども展示されています。スキーのストックは2本というのが普通だと思っていたらそうでもないらしく、日本では最初は1本だったそうで、それが後に外国に影響を受けて2本になったらしい。 スキー板にも種類があるらしく、その変遷を実物を展示されていたのですが、それほど、スキーができるわけでもない人間にとっては、ちょっと見てもどこが違うのかよくわかりません。 植物や山岳地帯の魚類なども展示されていましたが、魚は保存するためにやむをえないのかもしれませんが、普段、横を向いている魚が縦になって漬けられているのは、どうも、違和感があります。
るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)では、「飛騨民俗館」として、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の3つがあげられており、≪ 江戸時代の農家の生活と中部山岳地帯の動植物や登山の歴史にふれることができる。≫と書かれているのですが、 ≪江戸時代の農家の生活≫は「旧 野首家」と「(旧 新宮村) 郷倉」で、≪中部山岳地帯の動植物や登山の歴史≫は「山岳資料館(旧 高山測候所)」のことのようです。
るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)では、「飛騨民俗館」と記載しているのですが、いくつかの本やインターネットなどを見ると、「飛騨民俗館」と書いているものと、「飛騨民俗村」と書いているものがあります。
さらに、この「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の建っているところから北に出た比較的広い道を少しだけ東に行ったあたりの北側に、林野庁中部森林管理局 飛騨森林管理署 というのがあって、けっこう広い駐車場もあります。↓
( ↑ 向こう側の小山の上に「飛騨高山美術館」が見えます。)
エディマート 編集『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.8.昭文社)には、そのあたりに「飛騨高山思い出体験館」というのがあると出ているのですが、どうも、現地で見まわしてもどれかよくわからなかったのです。 そして、るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)には、その営林署の前に「思い出体験館前」というバス停があると出ており、エディマート 編集『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.8.昭文社)にもその付近に「思い出体験館前」というバス停があるように掲載の地図に出ているのです。 ところが、小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)を見ると、「飛騨高山 思い出体験館」は、この飛騨森林管理署(営林署)の付近ではなく、これより坂の上の方にある「飛騨の里」の北向かいあたりにあって、営林署の付近のバス停の名称は「思い出体験館前」ではなく、「友好の丘」となっているのです。
いったい、どうなっとんじゃい・・・て感じですが、 飛騨高山 思い出体験館HP http://www.omoidetaiken.jp/ に出ている 高山市上岡本町1-436 をグーグル地図に入れて「検索」すると、↓
↑ 「飛騨の里」の前であって、営林署の付近ではないようです。「飛騨高山思い出体験館」は「飛騨の里」の前に引っ越して、営林署の付近のバス停は「思い出体験館前」という名称をつけていたが、その「思い出体験館」が他の場所に行ってしまったためにバス停の名称を「友好の丘」という名前に変えた・・・ということなのでしょうか。
それで、「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の建物が「飛騨民俗村」なのか「飛騨民俗館」なのか。 るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)には、この3つが「飛騨民俗館」と出ているのです。
ところが、さらに、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)を見ると、
「合掌造りと工芸集団 民俗村」
という題の稿があり、
≪高山の西郊・松倉山のふもとに、民俗村と呼ばれる一角がある。古い民家が移築・保存されていたり、民芸品を作る人の店が集まっていたりの静かな里である。≫
と書かれており、そこに掲載の地図と写真を見ると、それは「飛騨の里」のことではなく、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」のあたりのことのようなのです。 そこには、前回、掲載した↓
↑ の建物とか、
↑ の左側の 村上群鳳彫房 と右の 木彫匠工房 の写真が掲載されているのです。
そして、≪ 一位細工の店が3軒あって、仕事をしているところが見られる。一位(いちい)とは、イチイ科の常緑喬木で櫟(いちい)とも書く。また、アララギともオンコともいう。高山では、その細かく美しい木目を生かした細工が盛んで、主に面や置物などを作っている。 これを一位一刀彫といい、春慶塗りと並ぶ高山の伝統工芸品になっている。
3軒の中に、村山群鳳さんの仕事場もある。村山家は、この道の名門である。祖父の民次郎、父の先代群鳳、いずれも高山祭りの屋台の改修に選ばれて腕をふるった。当代の群鳳さんも、その血を受けついだ手で、毎日ノミとツチをふるいながら彫刻に執念をもやしつづけている。
民俗村の工芸としては、このほかに、陶器の小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。 ・・・・≫
と書かれている。 ということは、ここで言う「民俗村」というのは、「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の無料で見学できる3つの建物のことだけを言うのではなく、付近の村山群鳳彫房とか木彫匠工房とか、さらに、≪民俗村の工芸としては、このほかに、小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。≫と書かれているということは、「小糸焼窯元(こいとやきかまもと)」↓というのも、「民俗村」に属するということなのか。
≪ 「小糸焼」 江戸時代初期に小糸坂付近で始められた小糸焼は、高山では最古の窯。 その後、2度の廃絶を経て戦後に復興された。 伊羅保釉(いらぼゆう)と呼ばれる伝統的な釉薬を使用し、深くて淡い色合いが特徴。近年は顔料を加えた小糸焼独自の青伊羅保釉を使用したコバルトブルーの焼物も誕生し、多くの焼物ファンの注目を集めている。 ≫
≪ 「小糸焼窯元(こいとやきかまもと)」 飛騨で最も古い窯元。 青イラボと呼ばれる淡いコバルトブルーの釉薬が特徴。ミニ花瓶1050円、珈琲碗2625円などが並ぶ直売店の脇に工房があり、見学自由。・・・・≫
(小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)
↑ 「小糸焼窯元」の向こう側の右に折れる道を行くと、飛騨高山美術館。
「小糸焼窯元」の向かいに、「竜鉄也慕情館」という看板が見える。竜鉄也て誰なんだ? というと、≪ 1936年1月1日 - 2010年12月28日)は奈良県吉野郡生まれの歌手。・・・3歳の頃に岐阜県吉城郡上宝村(現在の高山市)に引越し、中学2年生の頃に失明する。その後手術を受け、視力回復に務める傍ら、マッサージの勉強をする。1961年2月、満25歳で再び失明。その頃より独学で学んだアコーディオンを抱え、流しとして出発する。以後岐阜県の奥飛騨・高山地方を中心に演歌師を続ける傍ら、作詞・作曲も手がける。40歳前に郡上八幡で歌謡酒場をひらくが、1979年に火事で全焼する。1980年、デビュー曲「奥飛騨慕情」(トリオレコード)がロング・ヒット、ミリオンセラーを記録した。翌1981年には第32回NHK紅白歌合戦に生涯唯一の初出場を果たす。・・・≫(《ウィキペディア-竜鉄也》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%89%84%E4%B9%9F )という人らしい。
※ 《YouTube-竜 鉄也 / 奥飛騨慕情 》https://www.youtube.com/watch?v=y_g0Zs_sR0A
「竜鉄也慕情館」という看板はここに出ていて、そこにあるということも地図に出ているのですが、その内容について記載している本がなく、インターネットで見てもホームページなど見つからず、見つかったのは、《YAHOO!知恵袋-高山市の「竜鉄也慕情館」には、何が展示されているのですか?》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154527729?__ysp=56uc6YmE5Lmf5oWV5oOF6aSo で、その回答者の方は≪彼の育った地元の評判が悪い≫と述べておられます。
↑の写真の水車がある建物は、吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)の「民俗村」にも写真が掲載されており、≪村の中は静かだ。水車がまわり、シシおどしが時々澄んだ音をひびかせる。≫と出ているので、やはり、民俗村を構成する建物のひとつなのでしょう。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社) には、「合掌造り と 工芸集団」と書かれているのですが、合掌造りの建物は、これより坂の上の方にある「飛騨の里」にはあっても、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」や「小糸焼窯元」「村山群鳳彫房」「木彫匠工房」の付近には見当たりません。
同書には、≪ 民俗村の中心は、なんといっても合掌造りの若山家(高山市立飛騨民俗館)である。 若山家は、もと白川郷の荘川村にあったもの。荘川村に残る合掌造りとしては唯一のものだったが、昭和34年(1959年)、みぼろダム建設にともなって湖底に沈む運命になったため、高山市が譲り受けて移築した。
間口17メートル、奥行き18メートル、高さ16.5m、建坪330平方メートルで4階建て(一部5階建て)という和製ビルである。・・・・ ≫
と書かれている。 合掌造りの「若山家」が存在し、かつ、それが「高山市立飛騨民俗館」だというのですが、この付近には、合掌造りの「若山家」は存在しない。 ↑の水車のある建物や村山群鳳彫房などの写真が掲載され、村山群鳳彫房についての記事があるだけではなく、
≪ 若山家のほか、高山市郊外の野首(のくび)家、川相村の下通家、白川村の遠山家隠居所、新宮村の郷倉(ごうくら)が移築されている。・・・・≫
と書かれており、「野首家」「新宮村の郷倉」の名前が出ている以上、この付近のことを吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)は述べているはずだ。
小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)では、この付近よりも坂を登って行った上のあたりにある「飛騨の里」と別に、この付近のことを「飛騨の里通りを歩く」として述べ、「飛騨の里通り」としています。
そして、この付近よりも坂を登って行った上にある「飛騨の里」の中に、「若山家」が移築されている旨が掲載されています。
≪ 「旧 若山家」 飛騨の里のシンボルといわれる合掌造りの家屋で、寛政9年(1797)築。 巨大な4階建ての養蚕農家で、1階は居住空間、2階以上が養蚕の場であった。1階と2階が見学できる。 ≫
≪ 国の重要文化財に指定された貴重な建物。≫
(小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)
「旧 若山家」は、荘川村から「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがある付近に移築されたはずなのに、なぜ、これより坂の上の方にある「飛騨の里」にあるのだろう。
《ウィキペディア-飛騨民俗村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E6%9D%91 を見ると、≪ 案内には「飛騨民俗村・飛騨の里」と表記される場合が多い。正確には昭和34年(1959年)開館の飛騨民俗館(現・民俗村)と昭和46年(1971年)開館の飛騨の里を合わせた施設を「飛騨民俗村」という。 ≫ と出ており、
1959年(昭和34年)〔1953年の朝鮮戦争停戦の6年後、1959~1960年の60年安保闘争の頃〕 「飛騨民俗村」「民俗村」という、現在、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがある区域ができたが、
1971年(昭和46年)〔1970年の大阪万博の次の年。 70年安保の次の年。1969年の東大の入試が中止になった年の翌翌年。1972年の浅間山荘事件の前年。・・・まあ、そんな頃、〕 「飛騨の里」が開館し、
この2つの部分が、今は「飛騨民俗村 飛騨の里」として存在している、ということらしい。
そして、「旧 若山家」は、≪ 昭和34年(1959年)に移築され、「飛騨民俗館」の最初の建物として公開された。平成11年(1999年)に現在地に再移築された。移築の際の解体時に建築年が判明している。・・・≫と出ているので、1959年(昭和34年)に「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがあるあたりにいったん移築されたが、1999年(平成11年)に「飛騨の里」に再移築されたということらしい。
「飛騨民俗村 飛騨の里」HP の「飛騨民俗村マップ」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html を見ると、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」の「民俗村」と「飛騨の里」との両方が「飛騨民俗村」という書き方をしているようです。
で、「川相村の下通家」、「白川村の遠山家隠居所」はどうなったのだろう。 ↑の水車のある建物と、「管理人室」と札が出ている建物↓
↑ も年代物のようだが、「・・・家」という表示がないのだが、もしかすると、この2軒がそれなのだろうか。しかし、「管理人室」と札が出ている建物の方は、隠居屋と言われればそうかなとも思うが、水車がある建物の方は、あくまで、水車小屋か水車のある倉庫かであって、「××家住宅」という感じのものではないように思うのだが、どうだろう。 となると、「川相村の下通家」はどうなったのだろう。
↑の水車がある建物はどういう由緒のものなのだろうか。
≪ 一位細工の店が3軒あって、≫と吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には書いてあるのですが、村山群鳳彫房と木彫匠工房と、あと1軒はどこだろう?
村山群鳳彫房の坂の下側の隣に「松倉山荘」があるが、↓
↑ は、 ≪ 「茶房・和雑貨 松倉山荘」 山野草が咲き乱れる庭が自慢のみやげ店 兼 和風喫茶。 手染めのタペストリーなどの作家ものの和小物が充実している。併設の喫茶室では、焼き餅が入った特製田舎ぜんざい600円や飛騨牛カレーセット700円などの軽食が味わえる。・・・≫
( 小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング )
というもので、「茶房・和雑貨」「みやげ店 兼 和風喫茶」のようだから、一位細工の店というわけではなさそうだが。
1970年に発行された吉野準『飛騨への旅』(創元社)には≪ 民俗村の工芸としては、このほかに、陶器の小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。今後は、春慶塗り、金工なども加えて、一大工芸集団にしようという構想のようである。≫と書かれているが、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」から「小糸焼窯元」にかけてのあたりは、今、そういう具合にはなっていないようで、「飛騨の里」の方が大規模な施設になっている。もっとも、駅付近から中途半端に遠いようなところがある。駅に西口を作って東西の自由通路を設けたのも、西側の施設へより行きやすくするためというのもあるのかもしれない。
「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」と「山岳資料館(旧 高山測候所)」の間の道を山の方に歩いていくと、 「文学散歩道」と名づけられた山道に進む。
次回、「飛騨合掌苑」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
※ 岐阜県 旧高山測候所 http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/toroku-yukei/hidasangaku.html
(2017.11.1.)
☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・ 〔今回〕
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆ 高山シリーズ第2回
(1)国府町村山天神参拝1上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同3浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
旧 野首家住宅・旧 新宮村 郷倉 のさらに山側(南側)に、 「山岳資料館」(旧 高山測候所) があります。↓
≪ 木造洋館の高山測候所を移築したもの。館内には登山靴、ピッケル、スキー板などを展示。 また、中部山岳地帯の動物のはく製、植物の標本、気象・地学に関する資料もある。・・・ ≫
( るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.3.1. JTB )
それにしても、10月下旬の後半、山岳資料館の付近もそうですが、高山では紅葉は本当にきれい。
↑≪「 山岳資料館 」
この建物は明治36年(1903年)、大野郡灘村(現 高山市桐生町)に建設されたもので、高山測候所として使用されていました。 昭和45年(1970年)、測候所が改築されたのを機会にこの地に移築されました。そして昭和46年(1971年)11月1日、飛騨山岳会と市民の方々の積極的な協力を得て、「山岳資料館」として開館しました。 中には北アルプスを中心とした登山・スキー用具、飛騨を中心とした登山の歴史、地学、気象、動植物などの資料を展示しています。
平成12年(2000年)10月20日、特色のある近代建築として文化庁の登録有形文化財に登録されました。≫
≪ 登録有形文化財 第21-0032号 この建物は貴重な国民的財産です 文化庁≫
と書かれている。
1903年(明治36年)というと、「ロシアへ、行くを知(1904)ってか兵隊さん」の日露戦争の前年。1970年(昭和45年)は、「せんきゅう~ひゃくうななじゅう~うねんのお、こ~んにいちいわあ~あ♪」の大阪万博(大阪万国博覧会)の年〔 《YouTube-「世界の国からこんにちは」》https://www.youtube.com/watch?v=XrBnFCwJSUk 〕。測候所としては、67年間、使用されたということらしい。
桐生町というと、新宿から高山までの高速バスが「松之木町西」の三叉路で北に進み、「三福寺町」のT字路で曲がって、かつて、久美愛病院があって今はケーサツ署庁舎を建築中の前を通り、万人橋で宮川を渡って、左折して南に向きを変えて高山駅に向かうその交差点が「桐生町西」交差点だったはずで、あんな所に測候所なんてあったのか・・・・て感じがします。 もっとも、「桐生町西」交差点というのは、高山市桐生町の南西の端に位置し、桐生町は「桐生町西」交差点より北東側に広がっています。
『都市地図 高山市・飛騨市』(2016年2版 昭文社)を見ると、高山測候所 は今も桐生町2丁目に存在し、前に「測候所前」というバス停もあるよう・・・に見えるのですが、ところが、グーグル地図で見ても、ヤフー地図で見ても、それらしきものが見当たらないのです。↓
↑
な~んでだ? ・・・・と思って、インターネットで検索し、《ウィキペディア-岐阜地方気象台》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%9C%B0%E6%96%B9%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%8F%B0 を見ると、≪管轄していた測候所が高山市に存在していたが、2005年(平成17年)に無人化されて高山特別地域気象観測所となっている。≫と出ていた。 そういうことだったのか・・・・。
↑ 山岳資料館(旧 高山測候所) 内部。
「測候所」というのは、山の上とかにあるものかと思っていたら、地図を見てみると、「普通の場所」のようです。「普通の場所」で観測しているのですね。
山岳資料館の内部には、『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.JTB)に出ているように、熊とか猪とかイヌワシとかのはく製が展示され、スキー用具なども展示されています。スキーのストックは2本というのが普通だと思っていたらそうでもないらしく、日本では最初は1本だったそうで、それが後に外国に影響を受けて2本になったらしい。 スキー板にも種類があるらしく、その変遷を実物を展示されていたのですが、それほど、スキーができるわけでもない人間にとっては、ちょっと見てもどこが違うのかよくわかりません。 植物や山岳地帯の魚類なども展示されていましたが、魚は保存するためにやむをえないのかもしれませんが、普段、横を向いている魚が縦になって漬けられているのは、どうも、違和感があります。
るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)では、「飛騨民俗館」として、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の3つがあげられており、≪ 江戸時代の農家の生活と中部山岳地帯の動植物や登山の歴史にふれることができる。≫と書かれているのですが、 ≪江戸時代の農家の生活≫は「旧 野首家」と「(旧 新宮村) 郷倉」で、≪中部山岳地帯の動植物や登山の歴史≫は「山岳資料館(旧 高山測候所)」のことのようです。
るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)では、「飛騨民俗館」と記載しているのですが、いくつかの本やインターネットなどを見ると、「飛騨民俗館」と書いているものと、「飛騨民俗村」と書いているものがあります。
さらに、この「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の建っているところから北に出た比較的広い道を少しだけ東に行ったあたりの北側に、林野庁中部森林管理局 飛騨森林管理署 というのがあって、けっこう広い駐車場もあります。↓
( ↑ 向こう側の小山の上に「飛騨高山美術館」が見えます。)
エディマート 編集『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.8.昭文社)には、そのあたりに「飛騨高山思い出体験館」というのがあると出ているのですが、どうも、現地で見まわしてもどれかよくわからなかったのです。 そして、るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)には、その営林署の前に「思い出体験館前」というバス停があると出ており、エディマート 編集『ことりっぷ 高山 白川郷』(2008.8.昭文社)にもその付近に「思い出体験館前」というバス停があるように掲載の地図に出ているのです。 ところが、小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)を見ると、「飛騨高山 思い出体験館」は、この飛騨森林管理署(営林署)の付近ではなく、これより坂の上の方にある「飛騨の里」の北向かいあたりにあって、営林署の付近のバス停の名称は「思い出体験館前」ではなく、「友好の丘」となっているのです。
いったい、どうなっとんじゃい・・・て感じですが、 飛騨高山 思い出体験館HP http://www.omoidetaiken.jp/ に出ている 高山市上岡本町1-436 をグーグル地図に入れて「検索」すると、↓
↑ 「飛騨の里」の前であって、営林署の付近ではないようです。「飛騨高山思い出体験館」は「飛騨の里」の前に引っ越して、営林署の付近のバス停は「思い出体験館前」という名称をつけていたが、その「思い出体験館」が他の場所に行ってしまったためにバス停の名称を「友好の丘」という名前に変えた・・・ということなのでしょうか。
それで、「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の建物が「飛騨民俗村」なのか「飛騨民俗館」なのか。 るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1. JTB)には、この3つが「飛騨民俗館」と出ているのです。
ところが、さらに、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)を見ると、
「合掌造りと工芸集団 民俗村」
という題の稿があり、
≪高山の西郊・松倉山のふもとに、民俗村と呼ばれる一角がある。古い民家が移築・保存されていたり、民芸品を作る人の店が集まっていたりの静かな里である。≫
と書かれており、そこに掲載の地図と写真を見ると、それは「飛騨の里」のことではなく、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」のあたりのことのようなのです。 そこには、前回、掲載した↓
↑ の建物とか、
↑ の左側の 村上群鳳彫房 と右の 木彫匠工房 の写真が掲載されているのです。
そして、≪ 一位細工の店が3軒あって、仕事をしているところが見られる。一位(いちい)とは、イチイ科の常緑喬木で櫟(いちい)とも書く。また、アララギともオンコともいう。高山では、その細かく美しい木目を生かした細工が盛んで、主に面や置物などを作っている。 これを一位一刀彫といい、春慶塗りと並ぶ高山の伝統工芸品になっている。
3軒の中に、村山群鳳さんの仕事場もある。村山家は、この道の名門である。祖父の民次郎、父の先代群鳳、いずれも高山祭りの屋台の改修に選ばれて腕をふるった。当代の群鳳さんも、その血を受けついだ手で、毎日ノミとツチをふるいながら彫刻に執念をもやしつづけている。
民俗村の工芸としては、このほかに、陶器の小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。 ・・・・≫
と書かれている。 ということは、ここで言う「民俗村」というのは、「旧 野首家」「(旧 新宮村)郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の無料で見学できる3つの建物のことだけを言うのではなく、付近の村山群鳳彫房とか木彫匠工房とか、さらに、≪民俗村の工芸としては、このほかに、小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。≫と書かれているということは、「小糸焼窯元(こいとやきかまもと)」↓というのも、「民俗村」に属するということなのか。
≪ 「小糸焼」 江戸時代初期に小糸坂付近で始められた小糸焼は、高山では最古の窯。 その後、2度の廃絶を経て戦後に復興された。 伊羅保釉(いらぼゆう)と呼ばれる伝統的な釉薬を使用し、深くて淡い色合いが特徴。近年は顔料を加えた小糸焼独自の青伊羅保釉を使用したコバルトブルーの焼物も誕生し、多くの焼物ファンの注目を集めている。 ≫
≪ 「小糸焼窯元(こいとやきかまもと)」 飛騨で最も古い窯元。 青イラボと呼ばれる淡いコバルトブルーの釉薬が特徴。ミニ花瓶1050円、珈琲碗2625円などが並ぶ直売店の脇に工房があり、見学自由。・・・・≫
(小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)
↑ 「小糸焼窯元」の向こう側の右に折れる道を行くと、飛騨高山美術館。
「小糸焼窯元」の向かいに、「竜鉄也慕情館」という看板が見える。竜鉄也て誰なんだ? というと、≪ 1936年1月1日 - 2010年12月28日)は奈良県吉野郡生まれの歌手。・・・3歳の頃に岐阜県吉城郡上宝村(現在の高山市)に引越し、中学2年生の頃に失明する。その後手術を受け、視力回復に務める傍ら、マッサージの勉強をする。1961年2月、満25歳で再び失明。その頃より独学で学んだアコーディオンを抱え、流しとして出発する。以後岐阜県の奥飛騨・高山地方を中心に演歌師を続ける傍ら、作詞・作曲も手がける。40歳前に郡上八幡で歌謡酒場をひらくが、1979年に火事で全焼する。1980年、デビュー曲「奥飛騨慕情」(トリオレコード)がロング・ヒット、ミリオンセラーを記録した。翌1981年には第32回NHK紅白歌合戦に生涯唯一の初出場を果たす。・・・≫(《ウィキペディア-竜鉄也》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%89%84%E4%B9%9F )という人らしい。
※ 《YouTube-竜 鉄也 / 奥飛騨慕情 》https://www.youtube.com/watch?v=y_g0Zs_sR0A
「竜鉄也慕情館」という看板はここに出ていて、そこにあるということも地図に出ているのですが、その内容について記載している本がなく、インターネットで見てもホームページなど見つからず、見つかったのは、《YAHOO!知恵袋-高山市の「竜鉄也慕情館」には、何が展示されているのですか?》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154527729?__ysp=56uc6YmE5Lmf5oWV5oOF6aSo で、その回答者の方は≪彼の育った地元の評判が悪い≫と述べておられます。
↑の写真の水車がある建物は、吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)の「民俗村」にも写真が掲載されており、≪村の中は静かだ。水車がまわり、シシおどしが時々澄んだ音をひびかせる。≫と出ているので、やはり、民俗村を構成する建物のひとつなのでしょう。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社) には、「合掌造り と 工芸集団」と書かれているのですが、合掌造りの建物は、これより坂の上の方にある「飛騨の里」にはあっても、「旧 野首家」「(旧 新宮村) 郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」や「小糸焼窯元」「村山群鳳彫房」「木彫匠工房」の付近には見当たりません。
同書には、≪ 民俗村の中心は、なんといっても合掌造りの若山家(高山市立飛騨民俗館)である。 若山家は、もと白川郷の荘川村にあったもの。荘川村に残る合掌造りとしては唯一のものだったが、昭和34年(1959年)、みぼろダム建設にともなって湖底に沈む運命になったため、高山市が譲り受けて移築した。
間口17メートル、奥行き18メートル、高さ16.5m、建坪330平方メートルで4階建て(一部5階建て)という和製ビルである。・・・・ ≫
と書かれている。 合掌造りの「若山家」が存在し、かつ、それが「高山市立飛騨民俗館」だというのですが、この付近には、合掌造りの「若山家」は存在しない。 ↑の水車のある建物や村山群鳳彫房などの写真が掲載され、村山群鳳彫房についての記事があるだけではなく、
≪ 若山家のほか、高山市郊外の野首(のくび)家、川相村の下通家、白川村の遠山家隠居所、新宮村の郷倉(ごうくら)が移築されている。・・・・≫
と書かれており、「野首家」「新宮村の郷倉」の名前が出ている以上、この付近のことを吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)は述べているはずだ。
小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)では、この付近よりも坂を登って行った上のあたりにある「飛騨の里」と別に、この付近のことを「飛騨の里通りを歩く」として述べ、「飛騨の里通り」としています。
そして、この付近よりも坂を登って行った上にある「飛騨の里」の中に、「若山家」が移築されている旨が掲載されています。
≪ 「旧 若山家」 飛騨の里のシンボルといわれる合掌造りの家屋で、寛政9年(1797)築。 巨大な4階建ての養蚕農家で、1階は居住空間、2階以上が養蚕の場であった。1階と2階が見学できる。 ≫
≪ 国の重要文化財に指定された貴重な建物。≫
(小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)
「旧 若山家」は、荘川村から「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがある付近に移築されたはずなのに、なぜ、これより坂の上の方にある「飛騨の里」にあるのだろう。
《ウィキペディア-飛騨民俗村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E6%9D%91 を見ると、≪ 案内には「飛騨民俗村・飛騨の里」と表記される場合が多い。正確には昭和34年(1959年)開館の飛騨民俗館(現・民俗村)と昭和46年(1971年)開館の飛騨の里を合わせた施設を「飛騨民俗村」という。 ≫ と出ており、
1959年(昭和34年)〔1953年の朝鮮戦争停戦の6年後、1959~1960年の60年安保闘争の頃〕 「飛騨民俗村」「民俗村」という、現在、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがある区域ができたが、
1971年(昭和46年)〔1970年の大阪万博の次の年。 70年安保の次の年。1969年の東大の入試が中止になった年の翌翌年。1972年の浅間山荘事件の前年。・・・まあ、そんな頃、〕 「飛騨の里」が開館し、
この2つの部分が、今は「飛騨民俗村 飛騨の里」として存在している、ということらしい。
そして、「旧 若山家」は、≪ 昭和34年(1959年)に移築され、「飛騨民俗館」の最初の建物として公開された。平成11年(1999年)に現在地に再移築された。移築の際の解体時に建築年が判明している。・・・≫と出ているので、1959年(昭和34年)に「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」などがあるあたりにいったん移築されたが、1999年(平成11年)に「飛騨の里」に再移築されたということらしい。
「飛騨民俗村 飛騨の里」HP の「飛騨民俗村マップ」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html を見ると、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」の「民俗村」と「飛騨の里」との両方が「飛騨民俗村」という書き方をしているようです。
で、「川相村の下通家」、「白川村の遠山家隠居所」はどうなったのだろう。 ↑の水車のある建物と、「管理人室」と札が出ている建物↓
↑ も年代物のようだが、「・・・家」という表示がないのだが、もしかすると、この2軒がそれなのだろうか。しかし、「管理人室」と札が出ている建物の方は、隠居屋と言われればそうかなとも思うが、水車がある建物の方は、あくまで、水車小屋か水車のある倉庫かであって、「××家住宅」という感じのものではないように思うのだが、どうだろう。 となると、「川相村の下通家」はどうなったのだろう。
↑の水車がある建物はどういう由緒のものなのだろうか。
≪ 一位細工の店が3軒あって、≫と吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には書いてあるのですが、村山群鳳彫房と木彫匠工房と、あと1軒はどこだろう?
村山群鳳彫房の坂の下側の隣に「松倉山荘」があるが、↓
↑ は、 ≪ 「茶房・和雑貨 松倉山荘」 山野草が咲き乱れる庭が自慢のみやげ店 兼 和風喫茶。 手染めのタペストリーなどの作家ものの和小物が充実している。併設の喫茶室では、焼き餅が入った特製田舎ぜんざい600円や飛騨牛カレーセット700円などの軽食が味わえる。・・・≫
( 小野田哲郎 編集『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング )
というもので、「茶房・和雑貨」「みやげ店 兼 和風喫茶」のようだから、一位細工の店というわけではなさそうだが。
1970年に発行された吉野準『飛騨への旅』(創元社)には≪ 民俗村の工芸としては、このほかに、陶器の小糸焼、春慶塗りの木地を作る仕事などがある。今後は、春慶塗り、金工なども加えて、一大工芸集団にしようという構想のようである。≫と書かれているが、「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館」から「小糸焼窯元」にかけてのあたりは、今、そういう具合にはなっていないようで、「飛騨の里」の方が大規模な施設になっている。もっとも、駅付近から中途半端に遠いようなところがある。駅に西口を作って東西の自由通路を設けたのも、西側の施設へより行きやすくするためというのもあるのかもしれない。
「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」と「山岳資料館(旧 高山測候所)」の間の道を山の方に歩いていくと、 「文学散歩道」と名づけられた山道に進む。
次回、「飛騨合掌苑」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
※ 岐阜県 旧高山測候所 http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/toroku-yukei/hidasangaku.html
(2017.11.1.)
☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・ 〔今回〕
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆ 高山シリーズ第2回
(1)国府町村山天神参拝1上枝駅から宮川沿い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同3浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅・宮地家住宅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅・平田記念館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆ 高山シリーズ第1回
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
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