「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か?-看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票【1/3】
[第566回] 会社と営業の話(138)-1
募集内容に偽りがある予備校と、求人募集の内容に虚偽がある求人票を大学に出していた会社の話を述べます。
[A] 看板に偽りのある予備校-1 「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と主張する、目の前の「進学校の生徒」に敵意を持ってる高校教諭
1979年、5月頃、産経新聞に掲載されていた話ですが、大阪市のある予備校に行った人で、その予備校の内容がひどすぎた、その為、、大学受験に失敗し、2浪することになってしまったと言って、親と協力して裁判を起こしたという人の記事が出ていました。
その記事を見て、私こそ、YMCA予備校を訴えたいと思ったものです。 1年浪人した後、大学入試が順調にいかず、北野高校http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/ の3年の時の担任であったOにそれについて、「うまくいかなかった原因として、予備校が合わなかった、という点がありました」と話したところ、O谷は何と言ったかというと、「予備校というものは、高校や大学と違って正規の学校ではないから、合わないのは誰でもですよ」と言ったのです・・・・が、その時は、北野高校の教諭がそう言うのなら、そういうこともあるのだろうか、などと考えたのですが、それから、しばらく経って考えてみて、あの男、よくもいいかげんなことを言いやがったな! とあきれた。 私の失敗として、北野高校の教諭、特に、3年の時の担任だったO(男。当時、40代。担当:日本史。出身大学:不詳)と、2年の時の担任だった旧姓S野(女。当時、20代。担当:国語。 北野高校→神戸大文学部卒)の2人を実際よりもあまりにも買いかぶっていたという点があった。

Oは、遠山啓『競争原理を越えて』(太郎次郎社)から引用したりして、学問というものは、人を序列づけるためのものであってはならないとか、大学入試に合格できたかどうかで人間としてエライかどうかが決まるというのはおかしいとか、そういうことを矢鱈と言う男で、私は、3年に在学中は、そういう話を聞いて、なるほど、それはその通りだと思っていたのです。 しかし、後から考えみると、一般論として否定できないものであっても、その時その場で言うにおいては適切ではない場合もあるのです。O谷は「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言っていたのです。それは、高校というものは大学入試のためだけにあるのではない、高校は、まず、人間として誠実な人間と育つようにという目的であり、その次にそれぞれの科目について一通りの認識を身につけるために存在するのであり、大学入試に成功するか失敗するかはそれより後の問題であって、大学入試が第一で、入試に通りさえすれば、人間としておかしな人間になってもいいとか、入試には通ったけれども、高校で学ぶべきものは身についていないというのではいけない、というそういう意味で言っていると私は思いこんでいたのです・・・が、違った。
1浪の時、高校3年の担任であったO谷に相談に乗ってもらえないかと思って、北野高校に行ったことがあったのです。O谷は社会科系教諭の教員室にいましたが、私の顔を見ると、「おお、来たのか」と言い、「ちょっと待ってくれ」と言うので、その時、何かやっている用事があるのだろうと思って、しばらく待ちました。ところが、しばらくすると、「お! 出ようか」と言い出し、相談に乗ってもらおうと思って行った私に、けっこう待たせた私に、席を立たせて外に出ようと促すので、どこか、外の喫茶店にでも連れて行ってくれて、そこで話を聞こうということなのか? と思ってO谷の後について高校の外に出ましたが、ところが、外に出るとO谷は、さっささっさとかなりの速足で阪急の十三(じゅうそう)駅の方に向かって歩くのです。私も後に続いて歩きましたが、今まで、社会科系教員室では、のそのそと動いていた男が、そこまで、さっささっさと歩くというのに、この人はこういう歩き方なのだろうかと思いながらも、連れがいるのなら連れのことも考えながら歩くものではないのかと思いました。そうこうするうちに、十三駅の西側の商店街に入り、どこかの喫茶店にでも入ろうと言うのかと思っていたら、そういったことも言わず、とうとう、十三駅の改札まで行きました。そして、大谷は、「おう、じゃあな」と言って改札から定期券を使って中に入ってしまいました。その時、私も定期券を持っていましたが、「じゃあな」とはいったい何なのか? 「ちょっと、待ってくれ」と彼は私に言ったので、それでわたしはしばらく待ったのです。待たせた人間に席を立たせた上で、「じゃあ、行こうか」と言って駅まで行き、さっさと自分だけで帰ってしまった、というのは、この態度は何なのか? もしかして、俺はO谷に特に嫌われていたわけではないと思っていたが、そうだからこそ、相談に乗ってもらえないかと思って行ったのだが、実はそうではなく、嫌われていたのだろうか・・・・と思ったら、同じYMCA予備校高槻校の別のクラスに行っていた男某が、「なんか、最近、O谷、冷たいねん。行っても相手になってくれへんねん。なんでやろなあ。どうしてんやろ」と言うので、あれは俺に対してだけではなかったんだ、と思いました。 O谷が「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と常々言っていたのは、あれは、高校の教師の仕事は、高校生が人間として誠実で内容のある人間に育つことを援助することが第一で、その次に、それぞれの科目について、高校生として学んでおくべきものをきっちりと身につけるようにすることで、大学入試に成功するかどうかは三番目以降のものであるという意味だ・・・と私は勝手に思い込んでいたのですが、実は違ったのです。大谷は「受験指導は高校の教師の仕事と違う」と言って、浪人中の人間から相談を受けることを全面的に拒絶したのです。 それは正しいか? 違うと思いますよ。私は住宅建築業の営業の仕事をしましたが、戸建住宅建築業の営業の仕事をしますと、会社によっても違いがあるかもしれませんが、「設計」とか「工事課」「工務課」とかいった職種の人間は、自分の担当の仕事はここからここまでと決めてそれ以外については「◇◇課の仕事と違いますから」と言ってやらないのです。特に、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ などはそうでした。そう言われると、営業だって、「それは営業の仕事と違う」と言いたいところはあったのですが、それを言ってしまうと、自分を担当として契約してくれたお客さんの家が建たなくなってしまうのです。だから、これは営業の仕事と違うと思うがと思いながらも、時間外労働でサービス残業でやったのです。クルマの損害保険で、「示談交渉代行」という項目が入っているものと入っていないものがあるのですが、実際には、入っていようがいまいが、事故があった場合、保険屋が代行して話をしている場合が多いと思うのですが、あれは、本来、契約項目に入っていない場合は、保険屋はやらなくていいものなのだろうかと思い、元保険屋の代理店をやっていた人に尋ねたことがあるのですが、「『それなら、次から他の保険屋に頼むこともできますよ』と言われればやらないわけにいかないから」と言っていました。“本来なら”「仕事と違う」部分でも、やらないわけにもいかないというケースはあります。 「◇◇は高校の教師の仕事と違う」て、なんか、殿様商売みたいなことをおっしゃいますが、そんなことでやっていけまんのんかいなあ?・・・・というと、北野高校は大阪府立ですから、親方日の丸! だから、だいじょ~おぶ♪ ・・・て調子だったのかもしれませんが、そう思っていると、北野高校の進学成績はどんどんと低下していき、それまで進学校でもなんでもなかった私立高校の進学成績が上がって行きましたが、それはわかるように思いました。
実は、私の母方の今は亡くなった伯父が大阪府立の商業高校の教諭をやっていたのです。伯父が教諭をやっていた高校は、大阪府では北野高校とは逆の「底辺」の方の高校で、伯父は常々、「北野高校の先生なんかはうらやましい」と言っていたのです。 北野高校の教諭は「教えてればいいのだから」と言うのです。 それなら、伯父は勤務していた高校で「教える」以外に何をやっていたのかというと、「喧嘩して警察につかまったからといって、身元引受人として警察に行ったり」「女の子が妊娠したと言って、病院に行ったり」ということをやっていたそうで、「こんなん、高校の教師の仕事と違うと思う」と言っていたのですが、「高校の教師の仕事と違う」と言いながらも、警察につかまったヤツは、本来、身元引受人は親が行くべきはずですが、親が行かないような家庭の息子は、高校の教師でも行ってやらないと身元引受人になる者がいない、自分が妊娠させたわけでもないのに、なんで、妊娠したからと言われて病院に行かなきゃならんのかと思っても、誰も行ってやる人間がいないのではかわいそうだということで、伯父は行ったそうです。その際、「警察に行くのは高校の教師の仕事と違う」とか「病院に行くのは高校の教師の仕事と違う」とは言わなかったようです。 「こんなん、高校の教師と違うで」と心の中では思いながらも、その文句は母(伯父からすると妹)には言ったようですが、生徒には言わずに、行ってあげたようです。 そして、そういう「勉強しないやつの学校」は、大学に進学する人間は最初からほとんどないので、大学受験の指導なんて、やろうと思ってもやることはないのですが、そのかわり、就職の問題が出てきます。そういう時、「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」とは伯父は言わなかったようです。 学校に求人募集が来ることもあるようですが、教諭であった伯父が個人的な知り合いに頼んだりもしたようです。父にも、「うちの生徒を、おたくの会社で雇ってやってもらえないだろうか」と頼んだりもしていたようです。 「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」とは言わなかったようです。北野高校のO谷を見て、 「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言うような人というのは、進学校の教諭ではなく、ほとんどの生徒が高校を卒業した後は進学せずに就職するような高校の教諭になった方が向いているのではないかと思ったのですが・・・、しかし、もし、そういう高校の教諭になったなら、進学校の教諭になって「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言う人というのは、おそらく、「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」と言うでしょう。 要するに、そういう人なんですよ。
O谷の日本史の授業は、市民教養講座みたいな授業で、「あなたは、これについて、どう思いますか」と順番にあてて、それぞれについて意見を言わせるという方法をとっていたのですが、たとえば、「邪馬台国は北九州だったのか、近畿だったのか、あなたはどう思いますか」、「そう思う理由はなんですか」と質問して考えさせるというのは、これは、歴史の学び方としては本来的なものだと思います。 しかし、高校を卒業した後、就職するのでなければ、大学に進学するわけです。そうなると、進学する大学の入試に出る問題を無視するわけにはいかないはずなのです。 大谷の市民教養講座みたいな日本史について、「あれは、いいわあ」と言って喜ぶ生徒もいました。たしかに、日本史の魅力をかきたてるような授業ではあります。 その上で、「邪馬台国は九州だったのか近畿だったのか」と「考えることによって覚える」ことになり、「苦痛を感じずに覚える」ことができます。その結果として、共通一次試験より前の京大・阪大などの日本史の試験は、「記述式」とは言っても、事件の名称とか地名とか人名とかを記述するという記述式ですから、大谷流市民教養講座型の授業を中心として学習して対応できたのです。共通一次試験の場合は、それより前の試験と比較して、それぞれの科目そのものの勉強と試験対策とで試験対策についてどれだけやったかの影響が大きい試験だと思いましたので、試験の内容として共通一次試験以前よりいいとは思えませんでしたが、共通一次試験も解けないということはないでしょう。
しかし、東大の二次試験の日本史は、「・・・・について、800字以内で述べよ」とかそういう問題が出たのです。最近、書店に行って、教学社から出ている「大学入試シリーズ 東大文科」というのを見てみると、私が受けた頃の東大の試験とはずいぶんと出題傾向が変っているのを見て驚きましたが、私が受けた1970年代終わりから1980年代にかけては、「・・・・について、700字以内で述べよ」といった問題が出題されたのです。 こんな問題についての問題集なんて書店で売ってません。あったのは教学社から出ていた『東大 日本史 過去問集』と河合塾が発行していた『東大オープン 過去問集』くらいです。 かつ、事件の名称とか人名・地名を「記述」せよという問題なら、解答を見れば、正解か不正解かわかりますが、「・・・・について700字以内で述べよ」とかいう問題に対して、ともかく書いたとしても、はたして、自分が書いたものが、何点くらい評価されるのか、わからないのです。 私は、他の科目は別として、社会科については、入試で受けた日本史・世界史についても、試験科目にない倫理社会・政治経済・地理Aについても、北野高校の中間考査・期末考査の成績は悪くなかったし、入試で受けた日本史・世界史について、北野高校の3年の時の模擬試験での成績も悪くなかったのです。しつこいようですが、他の科目がどうかは別として。 3年の時の日本史の成績も、5段階絶対評価で「5」でしたし。大阪府で一番の高校の模擬試験で悪くない成績で、通知表に載ったその学年通しての成績も5段階絶対評価で「5」だったということは、全国の高校生の中で見ても悪くない方のはずですが、ところが、京大・阪大型の「記述式」試験では悪くない方の成績が取れたのですが、東大型の「論述式」試験は、どうも、うまく書けなかったのです。 北野高校は昔から京大合格者が多い高校で、東大に進学する人はそれほど多くない高校でしたが、それでも、東大に進学する人はあったのです。 そうなると、試験問題に対する対策というものも必要になってくるのではないか。 大谷は言ったのです。「勉強のしかたなんて、自分で考えるものですよ」と。 これも、ズルイのです。 「勉強のしかたなんて、自分で考えるもの」というのは、それは、「基本的には」正しい、「一般論としては」正しい。しかし、高校の3年を教えている教諭が言うこととして、正しいでしょうか? 資格試験受験の経験から言いましょう。私は宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の試験は独学で通りました。もっとも、受験対策をおこなっている東京リーガルマインドhttp://www.lec-jp.com/ とかそういった所が出版している本を買って読んだり、東京リーガルマインドが無料でくれた受験対策の講師による講演テープをもらって聞いたりしたして対策を練りましたので、そういうものをなんら利用していないわけではありません。 インテリアコーディネーターの1次試験(学科)とキッチンスペシャリストの学科試験も独学で通りました。 これは自分自身で工夫して何とか通りました。 しかし、インテリアコーディネーターの2次(製図・論文)と、キッチンスペシャリストの製図試験は、書店で製図の本を買って独学で学んでも、なかなかできないのです。それで、ハウジングエージェンシーhttp://www.housing-a.co.jp/ の主催するインテリアコーディネーター2次対策講座に出て、講師の先生がこういう練習をやってくださいと言われたことを言われた通りやって、それで、インテリアコーディネーターの2次試験になんとか通りました。 キッチンスペシャリストの製図試験も、ハウジングエージェンシーの主催するキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て、講師の方が、こういう練習をしてくださいと言われたことを言われた通りやって、なんとか通りました。 その講座に出なかったら、絶対に通らないということはないかもしれないけれども、合格できるまでにもっと年数がかかったでしょう。 CADについての検定試験に、建築CAD検定というものと、CAD利用技術者検定というものがありますが、私は建築CAD検定の2級と3級に合格しましたが、これは、ウィンスクールhttp://www.winschool.jp/ というパソコン教室に通って、建築CAD検定の試験対策講座に通って、講師の方が、こういうように書いてください、こういう手順でやってください、こういう練習を何度もやってくださいと言われたことを言われた通りやって、なんとか通りました。 建築CAD検定も、ウィンスクールに行かずに独学で学習していたなら、絶対に通らなかったかというと、絶対に通らないということはないでしょうけれども、合格できるまでに、もっと長く期間がかかったのではないかと思います。 資格試験の場合は「浪人」とかいう考え方はありませんから、早く通るか合格までに時間がかかるかですが、大学入試は、あまり何年も浪人すると、卒業してから不利になりますから、資格試験なら「合格するまでに期間がかかる」というものが大学入試なら「合格できない」という結果になります。 大学入試について、指導できる教諭が入試にある科目の担当で、担任である場合と、指導する能力がない人が、試験科目の担当で、「入試の指導は高校の教師の仕事と違う」とかのたまって市民教養講座みたいな授業をやり、「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」、「勉強のしかたなんて、自分で考えてやるもんですよ」なんて言う男が担任である場合とでは、それで、合格か不合格か差がついたりもします。
北野高校の音楽のN先生が、「私は1年生の担任をやってくれと言われればやりますが、3年の担任をやってくれと言われたら、断ります。 ここの学校の生徒は京大とか阪大とかに行こうという人ですから、私は、もしも、芸大に行きたいとかいう人なら、自分自身の経験など話してあげて協力することもできますが、京大や阪大とかそういった大学の受験の経験がありませんから、そういう人の受験については、自分自身が京大・阪大・東大といった大学を受けた経験のある先生が担任を持たれた方がいいと思います。」と言われたことがあった。その認識は良心的だと思う。 しかし、O谷は日本史が担当で、その頃の北野高校では日本史は3年に配置されていたので、それで、大谷は、3年で担任を持つ年と日本史の授業は受け持つが担任は持たない年を交互にしていたようだが、彼は大学入試の試験科目にある日本史を担当していたとはいえ、自分自身は京大・阪大や東大などの大学を出た人間ではないようで、それで、「大学はどこでも一緒や」とか「今の日本の大学入試は、決められたことを学ぶのが得意という人間が有利にできていると遠山啓が言っている」とか何とかそんなことばっかり、ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言って、結局、担任を受け持った生徒で浪人する人間だっていることだからということで、担任を受け持った次の年は授業は担当しても担任は持たないというように高校が配慮していたにもかかわらず、1浪の時に、相談に乗ってもらえないかと訪ねて行った人間に対して、「お、出よか」と言って席を立って、さっささっさと速足で歩いて十三駅まで行き、「じゃあな」と言って、相手を残して帰ってしまうというそういう人間だったわけで、東大の入試の科目が何かも知らなかった男であり、大学入試の試験科目にある日本史が担当とはいえ、そんな人間に担任を持たれるくらいなら、音楽や体育の先生に担任を持たれた方がまだしもだったと、今は思う。少なくとも、私が高校の教諭になっていたならば、大学入試の試験科目にある科目の担当であっても、入試の試験科目にない音楽か美術か体育かの担当であっても、自分が大学入試についてわかるかわからないかにかかわらず、自分を頼って訪ねてきた前年度の担任の生徒に対して、「お、出よか」と言って席を立ってさっさと速足で歩いて駅まで行って、「じゃあな」と言って自分だけ帰ってしまうという、いくらなんでも、そういうことはしないと思う。
高校の教諭が、自分が担当の生徒を、東大なり京大なりにより多く合格させたとしても、そのこと自体は、別段、世のため人のためになることをやったわけでもありません。 そこで、1人通れば、どこかで誰かが1人落ちているというだけですから。 しかし、 「どこの大学に通ったかで人の値打ちが決まるものではない」とかO谷は言うのですが、それは一般論としては間違っていないでしょうけれども、その一般論として間違っていない理屈を利用して、目の前にいる進学校の高校生に対して、その文句を押しつけて、入試の科目に何があって、どういう配点で、どういう出題傾向の問題がでて、それに対してはどういう対策をとれば高成績がとれるかといったことを考えた上で、「試験にでる」部分を「出る順」にという指導をしてくれる教員が担当してくれれば、京大なり東大なりに合格できた可能性がある生徒を、関関同立くらいに行かせて、「大学はどこに行ったかで人間の値打ちが決まるものではない。 良かったじゃないか」なんて言われても・・・・、「良かった」か? そういうのを「良かった」と言うべきか? 違うのではないか? 高校の教諭が自分が担任した生徒を、東大なり京大なりにより多く合格させたとしても、そのこと自体、別段、世のため人のためになっているわけでもない・・・・としても、それでも、目の前にいる生徒を、なんとか、合格させてやりたいと思うのが、それが人情ではないのか? 「試験に出る」部分を「出る順」に学ぶ、自分が行きたいと思う大学の試験科目について「傾向と対策」を考えて、合格できるような勉強法をとれば、東大なり京大なりに合格できる可能性がある生徒に、市民教養講座みたいな授業をやって、入学試験の点数アップにつながらないような勉強ばっかり大量にやらせて、「どこの大学に通ったかで人の値打ちが決まるのではない。このくらいのことはわかっておいてもらわないとな。」とか言われても、それは、ちょっと違うのではないか?
「浪人の功・浪人の罰」「2浪の功・2浪の罰」といったことが新聞に出ていたことがありました。ある2浪して大学に行ったという人が、「2浪の功」として、「英語力が伸びる」と書かれていたのですが、英語のような語学は、高校卒業時を含めて3回受けて、もしも、その3回の成績がまったく同じであった、試験の点数は維持するだけしかできなかったとしても、旧帝大系国立大学くらいに行こうとした人が、「現状維持」した場合、試験の点数は同じでも、同じことを3年やった場合、1回しかやらなかった人間に比べて、忘れにくくなっていると思います。 その点で、「2浪の功」として「英語力がつく」というのをあげることができるかもしれません・・・・が、そんなことよりも、もっと大きいものがあります。
私は2年も浪人してしまい、結局、東大に合格できず、そこなら高校卒業時に通ったのではないかと思える慶應大商学部にいやいや行きました。 2浪の年の終わりの3月、高校2年の時のクラス会があったのですが、2年の時に同じクラスで3年の時も同じクラスだった女性が、私に「O谷先生、どうしてられました?」と尋ねたのです。 彼女は浪人などせずに大学に進学しましたので、高校を卒業してから3年の時の担任の大谷と会うことはなかったのに対し、私は2年も浪人してしまったので、卒業後も顔を合わすことはあった、好むと好まざるとにかかわらず、内申書というのか通知書というのかをもらわないと大学を受けることはできませんので、そのためにだけでも顔を合わせますし、高校の模擬試験を浪人中も受けることができましたから、その際にも高校に行くことがあり、顔を合わせましたので、それで、「大谷先生、どうしてられます」といった言葉がでたのでしょう。しかし、私はそれを聞いて、「え?」と思ったのです。 O谷なんて、あんなヤツのことを、なんで、あんた、気にしてあげるの? 「どうしてられました?」なんて、なんで、あんなヤツのことを、そんなこと思うの? と不思議に思いました・・・・が、高校卒業してすぐに大学に入った人間、浪人してO谷の本性を知ることがなかった人間の感覚はそんなものだった、それが浪人してあの男の本性を知った人間と気づかずに大学に進んだ人間との違いだったのでしょう。
10年程前でしょうか。 北野高校の同窓会から、O谷が退職するので卒業生みんなで送別会をおこないましょうという通知が来ました。 へ~え! あんなヤツに送別会をやってあげようなんてアホなことを考える人間がいるんだあ~あ・・と思いました。 大谷は、はっきりと言ったのです。「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と。 高校の教師の仕事は、高校生が誠実で成熟した暖かい人間性の持ち主として育つことを援助することが第一で、高校のそれぞれの科目について、高校卒業生として恥ずかしくないだけの内容を身につけることを助けることが第二で、大学入試の指導はそれ以降の問題であって、「(第一の)仕事と違う」という意味で言っていると、私は高校3年の時には思っていたのですが、そうではなかったのです。 あの男は、私が1浪中に、相談に乗ってもらえないかと思って訪ねた時、「おう、来たか。ちょっと待ってくれ」といってけっこう待たせた上で、「お、行こか」と言って高校を出た上で、さっささっさと歩いて十三駅まで行き、「じゃあな」と言って自分だけ改札の中に入って帰ってしまったのです。 そういう男だったのです。その時の情けない思いは今も忘れません。
さらに、2浪の時、内申書をもらいにいった時、ほんの少し話した時に、「(東大の文科の)試験の科目は何があるんや?」と、大谷はそう言ったのです。 はあ? 大阪府で一番の進学校の教諭で3年の担任をしていた男が、東大の試験科目を知らなかったのです! はあ? 俺は今まで、こんな男を相手に話をしてきたのか・・・と思いました。
「浪人の功」として、相談に乗ってもらえないかと思って北野高校の3年の時の担任の大谷を訪ねたところ、「おう、来たか、ちょっと待ってくれ」と言われて待たされ、待たされたあげく、「お、行こか」と言って学校を出てさっささっさと歩いて、阪急「十三(じゅうそう)」駅まで行って、「じゃあな」と言ってひとりだけ改札から入って帰ってしまった、ひとりだけそこに置いていかれた、そういう経験をして、あの男がそういう人間だったと知りました。そんなヤツに、なんで、送別会なんてやってやらなきゃならんのか?!? 「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と彼は言ったわけで、言うだけではなく、相談に乗ってもらいたいと思って行った人間に対してそういう酷い態度をとって完全に拒絶したのです。 そんなヤツになんで送別会なんてやってやらないといけませんのですか?!? 「送別会は卒業生の仕事と違う」でしょ。 『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、著者の柴田孝之が、能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、多くの人間が思っているよりもはるかに少ない、と書いていたが、私もそう思う・・・が、O谷はいくらなんでもひどすぎないか。 「2浪の功」として、高校の3年の時の同じクラスの人間でも、現役で大学に行った人間、1浪で行った人間は、気づいていない人間が多いのではないかと思うが、O谷は私に「東大の文科の試験は何があるんだ?」と、そう言ったのです。 はあ?・・・・北野高校には、3年の時、担任による「進路懇談」というものがあったのです。生徒の側ではその「進路懇談」というものを拒否はできなかったのです。当然のようにその「進路懇談」に出て、大谷は高校3年の担任教諭として、なんだかんだ言っていたわけです。東大の文科の試験科目が何かも知らない男が。 大学入試に成功するように、どれだけ優秀かとか、あるいは、入試に集中したような授業のしかたがいいか悪いかとか、そういう問題はさておきまして、大阪府で一番の進学校で3年の担任を受け持っていた男が、東大の文科の試験科目を知らなかったのですよ! それを、「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」とか「どこの大学に通ったかで人間の値打ちが決まるのではない。このくらいのことはわかっておいてもらわないとな」とか、ぐじゃぐじゃ勝手なこと言いまくって、おのれの職務怠慢を正当化しようとしてきたのです。大谷は。そういう男に、なんで、送別会なんてやってやらないといけないのでしょうか。
北野高校を卒業して2年目の終わり、私の場合は2浪の終わりの3月、中学校の同窓会がありましたが、その時、中学校の3年の時の担任の先生から「おい、どうしてたんだ。ちっとも、俺の所に顔を出さないじゃないか」と言われたので、「2年も浪人してましたもので」と言うと、「何を言ってるんだ。 浪人していたとか、そういう時こそ、担任じゃないか。 担任というのは在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだ。 うまくいかない時こそ、俺の所に顔をだすもんだ」と、中学校の3年の時の担任の先生はそう言ったのです。少々、酒が入っていたかもしれませんが。又、高校入試ならともかく、大学入試で浪人している者にとっては中学校の先生は役に立つものはないかもしれませんが。それでも、その先生は「担任というものは在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだ」と、そう言ったのです。 その先生は、どうも、女性の人気が悪い人で、自分でも自覚があるみたいで、女生徒に対して苦手意識があるみたいで、「男子はいいですね」とか口にしてしまうので、余計に女性から不人気になるという面があったみたいでしたが・・・、ともかく、「担任は在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだよ。俺のところに顔を出せよ」とそう言ってくれたのです。 そう言ってくれた人になら、特別に優秀な先生であるかないかなんて関係ない、送別会はさせてもらっていいと思うのです。 しかし、北野高校のO谷のように、「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言い、そして、実際に、相談に乗ってもらいたいと思って頼って行った人間に、「じゃあな」と言って帰ってしまった男、そういう男に、なんで、送別会なんてやってやらにゃならんの? そう思いませんか? 「送別会は、卒業生の仕事と違う」でしょ。 相談に乗ってほしいと思って訪ねてきた者に、しばらく待たせた上で、「お、出よか」と言ってさっささっさと歩いて十三駅まで行って、「じゃあな」と言って、私を「置いてけぼり」にした男に対しては、「辞めるのか。 じゃあな!」とでも言ってやれば十分である。 違うか?
大学は現役できっちりと通った方がいいに決まっている。私が高校3年の時、「1年の浪人はいいぞお~お」とかおのれが1浪したものだから、高校3年の人間に会うたびに、現役で合格できる可能性がある人間を浪人させてやろうとして言うクラブのOBの阪大生Sがいたのだが、さらに、高校1年の時には、「運動部に入っていて京大とか阪大とか通ったという人間はみんな浪人や。 現役で通るためには、運動部なんか入ってはいけません」と私に言った父は、高校3年の時、私に「現役で大学に行った人間よりも、浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言ったのだが、私が親なら、なんとか現役で通ろうと努力している息子に「あんた、浪人しなさい」なんて、そんなかわいそうなこと言えないが、うちの父親はそれを言う男だったが、実際、浪人して学ぶものもないわけではないとしても、現役できっちり通った方がいいか浪人した方がいいかというと、現役できっちり通った方がいいに決まっている・・・・が、北野高校の3年の時に同じクラスにいた人間でも、現役で大学に行った人間は、大谷に相談に乗ってもらいたいと思って訪ねて、「ちょっと待ってくれ」と言って待たされた上で、「お、行こか」とO谷が言って学校を出てさっささっさと歩いて十三駅まで行って、「じゃあな」と大谷が言ってひとり帰ってしまい、「置いてけぼり」にされた、という経験はないはずだ。 2浪したからこそ、私は大谷が、東大の文科の試験科目が何かも知らずに、「進路懇談」で何だかんだ言っていたということを知ったのであって、もし、現役で京大なり東大なりに行っていたならば、気づかなかっただろう。 「大学によって人を序列づけするというのはおかしい」「学問というものは人を平等にするものであって差別するものではないはずだ」とか、単にその文句だけ聞いていると、「けっこうなお話」みたいに聞こえることを言いまくって、実際には、相談に乗ってほしいと思って訪ねた相手に、そういうことをする男だということを、現役でさっさと京大なり東大なり、あるいは阪大なりに通った人間は、知らないはずだ。 十三駅で大谷から「置いてけぼり」にされた時は、なんとも、つらい思いをしたが、今から考えると、「いい経験」だったのか、私はそこで「お勉強」させていただいた。 O谷は、けっこうな講釈たれるばっかりで、「底辺」の方の高校の教諭をやっていた私の伯父が、警察から呼び出されたり、病院から呼び出されたりした時に、「こんなもの、高校の教師の仕事と違う」と思っても、「他に行ってやる者がいないんだから、行ってやらなきゃ、かわいそうじゃないか」と言って行ったのと違って、「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言って、その文句を遠慮なくそのまんま実行した人間だ、高校3年の時にと気づかなかった私はアホだったのかもしれないが、つらい目にあわされたおかげで、その分だけ、少しだけ、賢くなった。
そういえば、私が北野高校に入学した年、校長先生が新任で来られた数学のS先生を、「S先生は、本校を卒業されて大阪大学の理学部数学科に行かれ、大阪大学理学部数学科の大学院修士課程に進まれて、今年、修士課程を修了されて、本校に赴任していただくことになりました」と紹介され、大手前高校から転任された化学のM先生については「M先生は、奈良女子大学の理学部化学科を卒業されて大手前高校で勤務されていましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」と紹介され、私が高校3年になる時に赴任された英語のなんとか先生については「◇◇先生は、本校を卒業されて大阪外大の英語科に進まれ、今年、卒業されて本校に赴任していただくことになりました」という紹介のしかたであったのに対して、O谷だけは「O谷先生は、大手前高校で日本史を教えてこられましたが、今年から本校に来ていただくことになりました」というもので、O谷だけ卒業した大学の名前がなかった。 O谷は、私などと話す時に、「ぼくが、大学で京都に行っていた時、・・・・」とかいう言い方をしたことがあったので、「大学で京都に行っていた時、・・・」ということは京大の史学科でも出た人なのかな? とその時は思ったのだが、しかし、彼は「大学で京都に行っていた」という言い方をしたのであって、「京都大学」とは言っていないのだ。 高校生くらいの頃、私はそのあたりがよくわかっていなかったが、「会社っちゅうところ」に勤めてみると、「しょーもないこと言い」がいっぱいいるわけだ。 「会社っちゅうところ」に勤めてみると、それも、私みたいに三流以下企業にばっかり勤めてみると、学歴詐称するヤツとかそういうのはゴマンといるわけだ。 だいたい、「京都の大学」とか「大学で京都に行っていた」とか言うヤツというのは、それは「京都大学」ではなく「京都の大学」であり、龍谷大学とか大谷大学とか京都産業大学とかそういうのが多い。 自分が京大とか東大とか受けたことがないから、だから、「どの大学に行ったかで人の値打ちが決まるのではない」とか「学問でひとを差別してはならない」とかなんとかかんとかそういうことをぐっちゃらぐっちゃら言いまくり、あげくのはてに、浪人して相談に乗ってもらいたいと思って訪ねて行った人間には、「じゃあな」と言って帰ってしまう、そういう男だったのだ。
母の叔母の息子、要するに いとこ は、天王寺高校から1年浪人して東大の文科2類に進学したのだが、高校を卒業した年、東大の試験に落ちた時、そのお父さんが落ちたというのを聞いて、布団を頭からかぶって泣かれたという。 「勉強せん者が落ちるのはしかたがない。しかし、あれだけ、勉強した者が落ちるのはかわいそうだ」と言って。 本人はそうは思わなかったらしい。 私も、自分が高校を卒業する頃は、落ちたとしても、「かわいそう」とかいうようには思わなかった。 落ちるのが嫌なら、間違いなく通るような所を受ければ通ったのだ。 ボクシングで、世界チャンピオンに挑戦すれば、負けるかもしれない。負けるのが嫌なら弱い相手とだけ対戦すれば勝てるだろう。 しかし、そうではなく、強い相手と戦いたかったのだから、強い相手と戦えば、勝つこともあれば負けることだってあるだろう。 相手の方が強かったのだから、しかたがない。「かわいそう」なんて言ってもらう必要はない・・・・と自分が高校を卒業する頃は思ったが、しかし、自分が高校生の親であってもおかしくない年齢になると、感じ方が変わった。 菊川怜とか東大とか京大とかを出て芸能人になったり運動選手になったりする人って、ときどきありますね。 そういう人を「エライ」とか言う人がいますが、私はそうは思わないのです。もしも、東大なり京大なりを卒業した人間が就くような職業につきたいという気持ちがないのなら、行かないでくれたら、受けないでくれたらよかったのに。 そうすれば、かわりに、本当にそこで学んだものを生かすような仕事に就こうと言う人間が、1人か2人そこに行けたのに、と思うのです。 落ちた人間が悪いんだというのは、自分が受ける時に思ったことで、親であってもおかしくない年齢になると、そうではなく、1点差で落ちた人間がということではなく、10点差で落ちた人間でも、20点差で落ちた人間でも、京大とか東大とかに行こうとした人間というのは、相当努力していると思うのです。 それを考えると、そこで学んだものを生かす仕事に就こうという気持ちがないならば、「東大出の女」などというわけのわからん職業につきたいなどというアホが受けないでほしいのです。そうすれば、誰かが1人かわりに通ったはずなのです。 母の叔父が、息子が東大に落ちた時、「かわいそうだ」と言って泣いた気持ちが今はわかります。 そして、同時に、浪人中に、相談にのってほしいと訪ねてきた前年に担任であった生徒に対して、「お、行こか」と言ってさっささっさと歩いて駅まで行って、「じゃあな」と言って「置いてけぼり」にしてひとり帰るヤツ・・・というのは、人間性を疑います・・・し、そんなヤツが「どこの大学に行ったかで人間の値打ちが決まるなどと考えてはいけない」だの「学問は人を平等にするものであって、学問で人を差別してはならない」だの何だのかんだのと、けっこうな講釈たれたところで、この野郎、何を勝手なこと言ってやがるという気になります。
小学校の先生をやっていた母の叔父(叔母のつれあい)は、息子(母のいとこ)が天王寺高校を卒業した歳に東大を落ちた時、「勉強せん者が落ちるのはしかたがないが、勉強する者が落ちるのはかわいそうだ」と言って布団をかぶって泣いたというのですが、大谷の場合はそうではなく、「勉強せん者」で「大学」に行った者が、「勉強する者」と「差別」されるのは許せないという主張をするわけです。考え方が逆立ちしていると思いますが、それが「『京都大学』ではなく『京都の大学』」に行った人間の思想なのかもしれません。
O谷が言った、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」という文句は、それは「話のすり替え」です。 私は、「あのろくでもない予備校と、ろくでもない『主事』のおかげで、えらい目にあわされた」と思っていたが、それを婉曲表現で「合わなかった」と言ったのです。、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」とかそういう問題を言っているのとは違うのです。 O谷郁三がわかっていて「話のすり替え」を言ったのか、わからずに言ったのか。おそらく、「話のすり替え」をしようと意図して言ったと思われますが、どちらにしても、「その程度の男」だったのでしょう。YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」が「看板に偽りあり」であったのは、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」とか、そういう問題とは別のものです。 それを今回述べるつもりでしたが、前段の前段が長くなってしまいましたので、次回に、述べます。
(2017.11.17.)
☆看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か?〔今回〕
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_12.html
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_13.html
募集内容に偽りがある予備校と、求人募集の内容に虚偽がある求人票を大学に出していた会社の話を述べます。
[A] 看板に偽りのある予備校-1 「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と主張する、目の前の「進学校の生徒」に敵意を持ってる高校教諭
1979年、5月頃、産経新聞に掲載されていた話ですが、大阪市のある予備校に行った人で、その予備校の内容がひどすぎた、その為、、大学受験に失敗し、2浪することになってしまったと言って、親と協力して裁判を起こしたという人の記事が出ていました。
その記事を見て、私こそ、YMCA予備校を訴えたいと思ったものです。 1年浪人した後、大学入試が順調にいかず、北野高校http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/ の3年の時の担任であったOにそれについて、「うまくいかなかった原因として、予備校が合わなかった、という点がありました」と話したところ、O谷は何と言ったかというと、「予備校というものは、高校や大学と違って正規の学校ではないから、合わないのは誰でもですよ」と言ったのです・・・・が、その時は、北野高校の教諭がそう言うのなら、そういうこともあるのだろうか、などと考えたのですが、それから、しばらく経って考えてみて、あの男、よくもいいかげんなことを言いやがったな! とあきれた。 私の失敗として、北野高校の教諭、特に、3年の時の担任だったO(男。当時、40代。担当:日本史。出身大学:不詳)と、2年の時の担任だった旧姓S野(女。当時、20代。担当:国語。 北野高校→神戸大文学部卒)の2人を実際よりもあまりにも買いかぶっていたという点があった。
Oは、遠山啓『競争原理を越えて』(太郎次郎社)から引用したりして、学問というものは、人を序列づけるためのものであってはならないとか、大学入試に合格できたかどうかで人間としてエライかどうかが決まるというのはおかしいとか、そういうことを矢鱈と言う男で、私は、3年に在学中は、そういう話を聞いて、なるほど、それはその通りだと思っていたのです。 しかし、後から考えみると、一般論として否定できないものであっても、その時その場で言うにおいては適切ではない場合もあるのです。O谷は「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言っていたのです。それは、高校というものは大学入試のためだけにあるのではない、高校は、まず、人間として誠実な人間と育つようにという目的であり、その次にそれぞれの科目について一通りの認識を身につけるために存在するのであり、大学入試に成功するか失敗するかはそれより後の問題であって、大学入試が第一で、入試に通りさえすれば、人間としておかしな人間になってもいいとか、入試には通ったけれども、高校で学ぶべきものは身についていないというのではいけない、というそういう意味で言っていると私は思いこんでいたのです・・・が、違った。
1浪の時、高校3年の担任であったO谷に相談に乗ってもらえないかと思って、北野高校に行ったことがあったのです。O谷は社会科系教諭の教員室にいましたが、私の顔を見ると、「おお、来たのか」と言い、「ちょっと待ってくれ」と言うので、その時、何かやっている用事があるのだろうと思って、しばらく待ちました。ところが、しばらくすると、「お! 出ようか」と言い出し、相談に乗ってもらおうと思って行った私に、けっこう待たせた私に、席を立たせて外に出ようと促すので、どこか、外の喫茶店にでも連れて行ってくれて、そこで話を聞こうということなのか? と思ってO谷の後について高校の外に出ましたが、ところが、外に出るとO谷は、さっささっさとかなりの速足で阪急の十三(じゅうそう)駅の方に向かって歩くのです。私も後に続いて歩きましたが、今まで、社会科系教員室では、のそのそと動いていた男が、そこまで、さっささっさと歩くというのに、この人はこういう歩き方なのだろうかと思いながらも、連れがいるのなら連れのことも考えながら歩くものではないのかと思いました。そうこうするうちに、十三駅の西側の商店街に入り、どこかの喫茶店にでも入ろうと言うのかと思っていたら、そういったことも言わず、とうとう、十三駅の改札まで行きました。そして、大谷は、「おう、じゃあな」と言って改札から定期券を使って中に入ってしまいました。その時、私も定期券を持っていましたが、「じゃあな」とはいったい何なのか? 「ちょっと、待ってくれ」と彼は私に言ったので、それでわたしはしばらく待ったのです。待たせた人間に席を立たせた上で、「じゃあ、行こうか」と言って駅まで行き、さっさと自分だけで帰ってしまった、というのは、この態度は何なのか? もしかして、俺はO谷に特に嫌われていたわけではないと思っていたが、そうだからこそ、相談に乗ってもらえないかと思って行ったのだが、実はそうではなく、嫌われていたのだろうか・・・・と思ったら、同じYMCA予備校高槻校の別のクラスに行っていた男某が、「なんか、最近、O谷、冷たいねん。行っても相手になってくれへんねん。なんでやろなあ。どうしてんやろ」と言うので、あれは俺に対してだけではなかったんだ、と思いました。 O谷が「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と常々言っていたのは、あれは、高校の教師の仕事は、高校生が人間として誠実で内容のある人間に育つことを援助することが第一で、その次に、それぞれの科目について、高校生として学んでおくべきものをきっちりと身につけるようにすることで、大学入試に成功するかどうかは三番目以降のものであるという意味だ・・・と私は勝手に思い込んでいたのですが、実は違ったのです。大谷は「受験指導は高校の教師の仕事と違う」と言って、浪人中の人間から相談を受けることを全面的に拒絶したのです。 それは正しいか? 違うと思いますよ。私は住宅建築業の営業の仕事をしましたが、戸建住宅建築業の営業の仕事をしますと、会社によっても違いがあるかもしれませんが、「設計」とか「工事課」「工務課」とかいった職種の人間は、自分の担当の仕事はここからここまでと決めてそれ以外については「◇◇課の仕事と違いますから」と言ってやらないのです。特に、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ などはそうでした。そう言われると、営業だって、「それは営業の仕事と違う」と言いたいところはあったのですが、それを言ってしまうと、自分を担当として契約してくれたお客さんの家が建たなくなってしまうのです。だから、これは営業の仕事と違うと思うがと思いながらも、時間外労働でサービス残業でやったのです。クルマの損害保険で、「示談交渉代行」という項目が入っているものと入っていないものがあるのですが、実際には、入っていようがいまいが、事故があった場合、保険屋が代行して話をしている場合が多いと思うのですが、あれは、本来、契約項目に入っていない場合は、保険屋はやらなくていいものなのだろうかと思い、元保険屋の代理店をやっていた人に尋ねたことがあるのですが、「『それなら、次から他の保険屋に頼むこともできますよ』と言われればやらないわけにいかないから」と言っていました。“本来なら”「仕事と違う」部分でも、やらないわけにもいかないというケースはあります。 「◇◇は高校の教師の仕事と違う」て、なんか、殿様商売みたいなことをおっしゃいますが、そんなことでやっていけまんのんかいなあ?・・・・というと、北野高校は大阪府立ですから、親方日の丸! だから、だいじょ~おぶ♪ ・・・て調子だったのかもしれませんが、そう思っていると、北野高校の進学成績はどんどんと低下していき、それまで進学校でもなんでもなかった私立高校の進学成績が上がって行きましたが、それはわかるように思いました。
実は、私の母方の今は亡くなった伯父が大阪府立の商業高校の教諭をやっていたのです。伯父が教諭をやっていた高校は、大阪府では北野高校とは逆の「底辺」の方の高校で、伯父は常々、「北野高校の先生なんかはうらやましい」と言っていたのです。 北野高校の教諭は「教えてればいいのだから」と言うのです。 それなら、伯父は勤務していた高校で「教える」以外に何をやっていたのかというと、「喧嘩して警察につかまったからといって、身元引受人として警察に行ったり」「女の子が妊娠したと言って、病院に行ったり」ということをやっていたそうで、「こんなん、高校の教師の仕事と違うと思う」と言っていたのですが、「高校の教師の仕事と違う」と言いながらも、警察につかまったヤツは、本来、身元引受人は親が行くべきはずですが、親が行かないような家庭の息子は、高校の教師でも行ってやらないと身元引受人になる者がいない、自分が妊娠させたわけでもないのに、なんで、妊娠したからと言われて病院に行かなきゃならんのかと思っても、誰も行ってやる人間がいないのではかわいそうだということで、伯父は行ったそうです。その際、「警察に行くのは高校の教師の仕事と違う」とか「病院に行くのは高校の教師の仕事と違う」とは言わなかったようです。 「こんなん、高校の教師と違うで」と心の中では思いながらも、その文句は母(伯父からすると妹)には言ったようですが、生徒には言わずに、行ってあげたようです。 そして、そういう「勉強しないやつの学校」は、大学に進学する人間は最初からほとんどないので、大学受験の指導なんて、やろうと思ってもやることはないのですが、そのかわり、就職の問題が出てきます。そういう時、「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」とは伯父は言わなかったようです。 学校に求人募集が来ることもあるようですが、教諭であった伯父が個人的な知り合いに頼んだりもしたようです。父にも、「うちの生徒を、おたくの会社で雇ってやってもらえないだろうか」と頼んだりもしていたようです。 「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」とは言わなかったようです。北野高校のO谷を見て、 「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言うような人というのは、進学校の教諭ではなく、ほとんどの生徒が高校を卒業した後は進学せずに就職するような高校の教諭になった方が向いているのではないかと思ったのですが・・・、しかし、もし、そういう高校の教諭になったなら、進学校の教諭になって「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言う人というのは、おそらく、「就職の世話は高校の教師の仕事と違う」と言うでしょう。 要するに、そういう人なんですよ。
O谷の日本史の授業は、市民教養講座みたいな授業で、「あなたは、これについて、どう思いますか」と順番にあてて、それぞれについて意見を言わせるという方法をとっていたのですが、たとえば、「邪馬台国は北九州だったのか、近畿だったのか、あなたはどう思いますか」、「そう思う理由はなんですか」と質問して考えさせるというのは、これは、歴史の学び方としては本来的なものだと思います。 しかし、高校を卒業した後、就職するのでなければ、大学に進学するわけです。そうなると、進学する大学の入試に出る問題を無視するわけにはいかないはずなのです。 大谷の市民教養講座みたいな日本史について、「あれは、いいわあ」と言って喜ぶ生徒もいました。たしかに、日本史の魅力をかきたてるような授業ではあります。 その上で、「邪馬台国は九州だったのか近畿だったのか」と「考えることによって覚える」ことになり、「苦痛を感じずに覚える」ことができます。その結果として、共通一次試験より前の京大・阪大などの日本史の試験は、「記述式」とは言っても、事件の名称とか地名とか人名とかを記述するという記述式ですから、大谷流市民教養講座型の授業を中心として学習して対応できたのです。共通一次試験の場合は、それより前の試験と比較して、それぞれの科目そのものの勉強と試験対策とで試験対策についてどれだけやったかの影響が大きい試験だと思いましたので、試験の内容として共通一次試験以前よりいいとは思えませんでしたが、共通一次試験も解けないということはないでしょう。
しかし、東大の二次試験の日本史は、「・・・・について、800字以内で述べよ」とかそういう問題が出たのです。最近、書店に行って、教学社から出ている「大学入試シリーズ 東大文科」というのを見てみると、私が受けた頃の東大の試験とはずいぶんと出題傾向が変っているのを見て驚きましたが、私が受けた1970年代終わりから1980年代にかけては、「・・・・について、700字以内で述べよ」といった問題が出題されたのです。 こんな問題についての問題集なんて書店で売ってません。あったのは教学社から出ていた『東大 日本史 過去問集』と河合塾が発行していた『東大オープン 過去問集』くらいです。 かつ、事件の名称とか人名・地名を「記述」せよという問題なら、解答を見れば、正解か不正解かわかりますが、「・・・・について700字以内で述べよ」とかいう問題に対して、ともかく書いたとしても、はたして、自分が書いたものが、何点くらい評価されるのか、わからないのです。 私は、他の科目は別として、社会科については、入試で受けた日本史・世界史についても、試験科目にない倫理社会・政治経済・地理Aについても、北野高校の中間考査・期末考査の成績は悪くなかったし、入試で受けた日本史・世界史について、北野高校の3年の時の模擬試験での成績も悪くなかったのです。しつこいようですが、他の科目がどうかは別として。 3年の時の日本史の成績も、5段階絶対評価で「5」でしたし。大阪府で一番の高校の模擬試験で悪くない成績で、通知表に載ったその学年通しての成績も5段階絶対評価で「5」だったということは、全国の高校生の中で見ても悪くない方のはずですが、ところが、京大・阪大型の「記述式」試験では悪くない方の成績が取れたのですが、東大型の「論述式」試験は、どうも、うまく書けなかったのです。 北野高校は昔から京大合格者が多い高校で、東大に進学する人はそれほど多くない高校でしたが、それでも、東大に進学する人はあったのです。 そうなると、試験問題に対する対策というものも必要になってくるのではないか。 大谷は言ったのです。「勉強のしかたなんて、自分で考えるものですよ」と。 これも、ズルイのです。 「勉強のしかたなんて、自分で考えるもの」というのは、それは、「基本的には」正しい、「一般論としては」正しい。しかし、高校の3年を教えている教諭が言うこととして、正しいでしょうか? 資格試験受験の経験から言いましょう。私は宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の試験は独学で通りました。もっとも、受験対策をおこなっている東京リーガルマインドhttp://www.lec-jp.com/ とかそういった所が出版している本を買って読んだり、東京リーガルマインドが無料でくれた受験対策の講師による講演テープをもらって聞いたりしたして対策を練りましたので、そういうものをなんら利用していないわけではありません。 インテリアコーディネーターの1次試験(学科)とキッチンスペシャリストの学科試験も独学で通りました。 これは自分自身で工夫して何とか通りました。 しかし、インテリアコーディネーターの2次(製図・論文)と、キッチンスペシャリストの製図試験は、書店で製図の本を買って独学で学んでも、なかなかできないのです。それで、ハウジングエージェンシーhttp://www.housing-a.co.jp/ の主催するインテリアコーディネーター2次対策講座に出て、講師の先生がこういう練習をやってくださいと言われたことを言われた通りやって、それで、インテリアコーディネーターの2次試験になんとか通りました。 キッチンスペシャリストの製図試験も、ハウジングエージェンシーの主催するキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て、講師の方が、こういう練習をしてくださいと言われたことを言われた通りやって、なんとか通りました。 その講座に出なかったら、絶対に通らないということはないかもしれないけれども、合格できるまでにもっと年数がかかったでしょう。 CADについての検定試験に、建築CAD検定というものと、CAD利用技術者検定というものがありますが、私は建築CAD検定の2級と3級に合格しましたが、これは、ウィンスクールhttp://www.winschool.jp/ というパソコン教室に通って、建築CAD検定の試験対策講座に通って、講師の方が、こういうように書いてください、こういう手順でやってください、こういう練習を何度もやってくださいと言われたことを言われた通りやって、なんとか通りました。 建築CAD検定も、ウィンスクールに行かずに独学で学習していたなら、絶対に通らなかったかというと、絶対に通らないということはないでしょうけれども、合格できるまでに、もっと長く期間がかかったのではないかと思います。 資格試験の場合は「浪人」とかいう考え方はありませんから、早く通るか合格までに時間がかかるかですが、大学入試は、あまり何年も浪人すると、卒業してから不利になりますから、資格試験なら「合格するまでに期間がかかる」というものが大学入試なら「合格できない」という結果になります。 大学入試について、指導できる教諭が入試にある科目の担当で、担任である場合と、指導する能力がない人が、試験科目の担当で、「入試の指導は高校の教師の仕事と違う」とかのたまって市民教養講座みたいな授業をやり、「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」、「勉強のしかたなんて、自分で考えてやるもんですよ」なんて言う男が担任である場合とでは、それで、合格か不合格か差がついたりもします。
北野高校の音楽のN先生が、「私は1年生の担任をやってくれと言われればやりますが、3年の担任をやってくれと言われたら、断ります。 ここの学校の生徒は京大とか阪大とかに行こうという人ですから、私は、もしも、芸大に行きたいとかいう人なら、自分自身の経験など話してあげて協力することもできますが、京大や阪大とかそういった大学の受験の経験がありませんから、そういう人の受験については、自分自身が京大・阪大・東大といった大学を受けた経験のある先生が担任を持たれた方がいいと思います。」と言われたことがあった。その認識は良心的だと思う。 しかし、O谷は日本史が担当で、その頃の北野高校では日本史は3年に配置されていたので、それで、大谷は、3年で担任を持つ年と日本史の授業は受け持つが担任は持たない年を交互にしていたようだが、彼は大学入試の試験科目にある日本史を担当していたとはいえ、自分自身は京大・阪大や東大などの大学を出た人間ではないようで、それで、「大学はどこでも一緒や」とか「今の日本の大学入試は、決められたことを学ぶのが得意という人間が有利にできていると遠山啓が言っている」とか何とかそんなことばっかり、ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言って、結局、担任を受け持った生徒で浪人する人間だっていることだからということで、担任を受け持った次の年は授業は担当しても担任は持たないというように高校が配慮していたにもかかわらず、1浪の時に、相談に乗ってもらえないかと訪ねて行った人間に対して、「お、出よか」と言って席を立って、さっささっさと速足で歩いて十三駅まで行き、「じゃあな」と言って、相手を残して帰ってしまうというそういう人間だったわけで、東大の入試の科目が何かも知らなかった男であり、大学入試の試験科目にある日本史が担当とはいえ、そんな人間に担任を持たれるくらいなら、音楽や体育の先生に担任を持たれた方がまだしもだったと、今は思う。少なくとも、私が高校の教諭になっていたならば、大学入試の試験科目にある科目の担当であっても、入試の試験科目にない音楽か美術か体育かの担当であっても、自分が大学入試についてわかるかわからないかにかかわらず、自分を頼って訪ねてきた前年度の担任の生徒に対して、「お、出よか」と言って席を立ってさっさと速足で歩いて駅まで行って、「じゃあな」と言って自分だけ帰ってしまうという、いくらなんでも、そういうことはしないと思う。
高校の教諭が、自分が担当の生徒を、東大なり京大なりにより多く合格させたとしても、そのこと自体は、別段、世のため人のためになることをやったわけでもありません。 そこで、1人通れば、どこかで誰かが1人落ちているというだけですから。 しかし、 「どこの大学に通ったかで人の値打ちが決まるものではない」とかO谷は言うのですが、それは一般論としては間違っていないでしょうけれども、その一般論として間違っていない理屈を利用して、目の前にいる進学校の高校生に対して、その文句を押しつけて、入試の科目に何があって、どういう配点で、どういう出題傾向の問題がでて、それに対してはどういう対策をとれば高成績がとれるかといったことを考えた上で、「試験にでる」部分を「出る順」にという指導をしてくれる教員が担当してくれれば、京大なり東大なりに合格できた可能性がある生徒を、関関同立くらいに行かせて、「大学はどこに行ったかで人間の値打ちが決まるものではない。 良かったじゃないか」なんて言われても・・・・、「良かった」か? そういうのを「良かった」と言うべきか? 違うのではないか? 高校の教諭が自分が担任した生徒を、東大なり京大なりにより多く合格させたとしても、そのこと自体、別段、世のため人のためになっているわけでもない・・・・としても、それでも、目の前にいる生徒を、なんとか、合格させてやりたいと思うのが、それが人情ではないのか? 「試験に出る」部分を「出る順」に学ぶ、自分が行きたいと思う大学の試験科目について「傾向と対策」を考えて、合格できるような勉強法をとれば、東大なり京大なりに合格できる可能性がある生徒に、市民教養講座みたいな授業をやって、入学試験の点数アップにつながらないような勉強ばっかり大量にやらせて、「どこの大学に通ったかで人の値打ちが決まるのではない。このくらいのことはわかっておいてもらわないとな。」とか言われても、それは、ちょっと違うのではないか?
「浪人の功・浪人の罰」「2浪の功・2浪の罰」といったことが新聞に出ていたことがありました。ある2浪して大学に行ったという人が、「2浪の功」として、「英語力が伸びる」と書かれていたのですが、英語のような語学は、高校卒業時を含めて3回受けて、もしも、その3回の成績がまったく同じであった、試験の点数は維持するだけしかできなかったとしても、旧帝大系国立大学くらいに行こうとした人が、「現状維持」した場合、試験の点数は同じでも、同じことを3年やった場合、1回しかやらなかった人間に比べて、忘れにくくなっていると思います。 その点で、「2浪の功」として「英語力がつく」というのをあげることができるかもしれません・・・・が、そんなことよりも、もっと大きいものがあります。
私は2年も浪人してしまい、結局、東大に合格できず、そこなら高校卒業時に通ったのではないかと思える慶應大商学部にいやいや行きました。 2浪の年の終わりの3月、高校2年の時のクラス会があったのですが、2年の時に同じクラスで3年の時も同じクラスだった女性が、私に「O谷先生、どうしてられました?」と尋ねたのです。 彼女は浪人などせずに大学に進学しましたので、高校を卒業してから3年の時の担任の大谷と会うことはなかったのに対し、私は2年も浪人してしまったので、卒業後も顔を合わすことはあった、好むと好まざるとにかかわらず、内申書というのか通知書というのかをもらわないと大学を受けることはできませんので、そのためにだけでも顔を合わせますし、高校の模擬試験を浪人中も受けることができましたから、その際にも高校に行くことがあり、顔を合わせましたので、それで、「大谷先生、どうしてられます」といった言葉がでたのでしょう。しかし、私はそれを聞いて、「え?」と思ったのです。 O谷なんて、あんなヤツのことを、なんで、あんた、気にしてあげるの? 「どうしてられました?」なんて、なんで、あんなヤツのことを、そんなこと思うの? と不思議に思いました・・・・が、高校卒業してすぐに大学に入った人間、浪人してO谷の本性を知ることがなかった人間の感覚はそんなものだった、それが浪人してあの男の本性を知った人間と気づかずに大学に進んだ人間との違いだったのでしょう。
10年程前でしょうか。 北野高校の同窓会から、O谷が退職するので卒業生みんなで送別会をおこないましょうという通知が来ました。 へ~え! あんなヤツに送別会をやってあげようなんてアホなことを考える人間がいるんだあ~あ・・と思いました。 大谷は、はっきりと言ったのです。「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と。 高校の教師の仕事は、高校生が誠実で成熟した暖かい人間性の持ち主として育つことを援助することが第一で、高校のそれぞれの科目について、高校卒業生として恥ずかしくないだけの内容を身につけることを助けることが第二で、大学入試の指導はそれ以降の問題であって、「(第一の)仕事と違う」という意味で言っていると、私は高校3年の時には思っていたのですが、そうではなかったのです。 あの男は、私が1浪中に、相談に乗ってもらえないかと思って訪ねた時、「おう、来たか。ちょっと待ってくれ」といってけっこう待たせた上で、「お、行こか」と言って高校を出た上で、さっささっさと歩いて十三駅まで行き、「じゃあな」と言って自分だけ改札の中に入って帰ってしまったのです。 そういう男だったのです。その時の情けない思いは今も忘れません。
さらに、2浪の時、内申書をもらいにいった時、ほんの少し話した時に、「(東大の文科の)試験の科目は何があるんや?」と、大谷はそう言ったのです。 はあ? 大阪府で一番の進学校の教諭で3年の担任をしていた男が、東大の試験科目を知らなかったのです! はあ? 俺は今まで、こんな男を相手に話をしてきたのか・・・と思いました。
「浪人の功」として、相談に乗ってもらえないかと思って北野高校の3年の時の担任の大谷を訪ねたところ、「おう、来たか、ちょっと待ってくれ」と言われて待たされ、待たされたあげく、「お、行こか」と言って学校を出てさっささっさと歩いて、阪急「十三(じゅうそう)」駅まで行って、「じゃあな」と言ってひとりだけ改札から入って帰ってしまった、ひとりだけそこに置いていかれた、そういう経験をして、あの男がそういう人間だったと知りました。そんなヤツに、なんで、送別会なんてやってやらなきゃならんのか?!? 「大学入試の指導は高校の教師の仕事と違う」と彼は言ったわけで、言うだけではなく、相談に乗ってもらいたいと思って行った人間に対してそういう酷い態度をとって完全に拒絶したのです。 そんなヤツになんで送別会なんてやってやらないといけませんのですか?!? 「送別会は卒業生の仕事と違う」でしょ。 『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、著者の柴田孝之が、能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、多くの人間が思っているよりもはるかに少ない、と書いていたが、私もそう思う・・・が、O谷はいくらなんでもひどすぎないか。 「2浪の功」として、高校の3年の時の同じクラスの人間でも、現役で大学に行った人間、1浪で行った人間は、気づいていない人間が多いのではないかと思うが、O谷は私に「東大の文科の試験は何があるんだ?」と、そう言ったのです。 はあ?・・・・北野高校には、3年の時、担任による「進路懇談」というものがあったのです。生徒の側ではその「進路懇談」というものを拒否はできなかったのです。当然のようにその「進路懇談」に出て、大谷は高校3年の担任教諭として、なんだかんだ言っていたわけです。東大の文科の試験科目が何かも知らない男が。 大学入試に成功するように、どれだけ優秀かとか、あるいは、入試に集中したような授業のしかたがいいか悪いかとか、そういう問題はさておきまして、大阪府で一番の進学校で3年の担任を受け持っていた男が、東大の文科の試験科目を知らなかったのですよ! それを、「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」とか「どこの大学に通ったかで人間の値打ちが決まるのではない。このくらいのことはわかっておいてもらわないとな」とか、ぐじゃぐじゃ勝手なこと言いまくって、おのれの職務怠慢を正当化しようとしてきたのです。大谷は。そういう男に、なんで、送別会なんてやってやらないといけないのでしょうか。
北野高校を卒業して2年目の終わり、私の場合は2浪の終わりの3月、中学校の同窓会がありましたが、その時、中学校の3年の時の担任の先生から「おい、どうしてたんだ。ちっとも、俺の所に顔を出さないじゃないか」と言われたので、「2年も浪人してましたもので」と言うと、「何を言ってるんだ。 浪人していたとか、そういう時こそ、担任じゃないか。 担任というのは在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだ。 うまくいかない時こそ、俺の所に顔をだすもんだ」と、中学校の3年の時の担任の先生はそう言ったのです。少々、酒が入っていたかもしれませんが。又、高校入試ならともかく、大学入試で浪人している者にとっては中学校の先生は役に立つものはないかもしれませんが。それでも、その先生は「担任というものは在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだ」と、そう言ったのです。 その先生は、どうも、女性の人気が悪い人で、自分でも自覚があるみたいで、女生徒に対して苦手意識があるみたいで、「男子はいいですね」とか口にしてしまうので、余計に女性から不人気になるという面があったみたいでしたが・・・、ともかく、「担任は在学中だけが担任じゃないんだ。卒業したって担任なんだよ。俺のところに顔を出せよ」とそう言ってくれたのです。 そう言ってくれた人になら、特別に優秀な先生であるかないかなんて関係ない、送別会はさせてもらっていいと思うのです。 しかし、北野高校のO谷のように、「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言い、そして、実際に、相談に乗ってもらいたいと思って頼って行った人間に、「じゃあな」と言って帰ってしまった男、そういう男に、なんで、送別会なんてやってやらにゃならんの? そう思いませんか? 「送別会は、卒業生の仕事と違う」でしょ。 相談に乗ってほしいと思って訪ねてきた者に、しばらく待たせた上で、「お、出よか」と言ってさっささっさと歩いて十三駅まで行って、「じゃあな」と言って、私を「置いてけぼり」にした男に対しては、「辞めるのか。 じゃあな!」とでも言ってやれば十分である。 違うか?
大学は現役できっちりと通った方がいいに決まっている。私が高校3年の時、「1年の浪人はいいぞお~お」とかおのれが1浪したものだから、高校3年の人間に会うたびに、現役で合格できる可能性がある人間を浪人させてやろうとして言うクラブのOBの阪大生Sがいたのだが、さらに、高校1年の時には、「運動部に入っていて京大とか阪大とか通ったという人間はみんな浪人や。 現役で通るためには、運動部なんか入ってはいけません」と私に言った父は、高校3年の時、私に「現役で大学に行った人間よりも、浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言ったのだが、私が親なら、なんとか現役で通ろうと努力している息子に「あんた、浪人しなさい」なんて、そんなかわいそうなこと言えないが、うちの父親はそれを言う男だったが、実際、浪人して学ぶものもないわけではないとしても、現役できっちり通った方がいいか浪人した方がいいかというと、現役できっちり通った方がいいに決まっている・・・・が、北野高校の3年の時に同じクラスにいた人間でも、現役で大学に行った人間は、大谷に相談に乗ってもらいたいと思って訪ねて、「ちょっと待ってくれ」と言って待たされた上で、「お、行こか」とO谷が言って学校を出てさっささっさと歩いて十三駅まで行って、「じゃあな」と大谷が言ってひとり帰ってしまい、「置いてけぼり」にされた、という経験はないはずだ。 2浪したからこそ、私は大谷が、東大の文科の試験科目が何かも知らずに、「進路懇談」で何だかんだ言っていたということを知ったのであって、もし、現役で京大なり東大なりに行っていたならば、気づかなかっただろう。 「大学によって人を序列づけするというのはおかしい」「学問というものは人を平等にするものであって差別するものではないはずだ」とか、単にその文句だけ聞いていると、「けっこうなお話」みたいに聞こえることを言いまくって、実際には、相談に乗ってほしいと思って訪ねた相手に、そういうことをする男だということを、現役でさっさと京大なり東大なり、あるいは阪大なりに通った人間は、知らないはずだ。 十三駅で大谷から「置いてけぼり」にされた時は、なんとも、つらい思いをしたが、今から考えると、「いい経験」だったのか、私はそこで「お勉強」させていただいた。 O谷は、けっこうな講釈たれるばっかりで、「底辺」の方の高校の教諭をやっていた私の伯父が、警察から呼び出されたり、病院から呼び出されたりした時に、「こんなもの、高校の教師の仕事と違う」と思っても、「他に行ってやる者がいないんだから、行ってやらなきゃ、かわいそうじゃないか」と言って行ったのと違って、「進学指導は高校の教師の仕事と違う」と言って、その文句を遠慮なくそのまんま実行した人間だ、高校3年の時にと気づかなかった私はアホだったのかもしれないが、つらい目にあわされたおかげで、その分だけ、少しだけ、賢くなった。
そういえば、私が北野高校に入学した年、校長先生が新任で来られた数学のS先生を、「S先生は、本校を卒業されて大阪大学の理学部数学科に行かれ、大阪大学理学部数学科の大学院修士課程に進まれて、今年、修士課程を修了されて、本校に赴任していただくことになりました」と紹介され、大手前高校から転任された化学のM先生については「M先生は、奈良女子大学の理学部化学科を卒業されて大手前高校で勤務されていましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」と紹介され、私が高校3年になる時に赴任された英語のなんとか先生については「◇◇先生は、本校を卒業されて大阪外大の英語科に進まれ、今年、卒業されて本校に赴任していただくことになりました」という紹介のしかたであったのに対して、O谷だけは「O谷先生は、大手前高校で日本史を教えてこられましたが、今年から本校に来ていただくことになりました」というもので、O谷だけ卒業した大学の名前がなかった。 O谷は、私などと話す時に、「ぼくが、大学で京都に行っていた時、・・・・」とかいう言い方をしたことがあったので、「大学で京都に行っていた時、・・・」ということは京大の史学科でも出た人なのかな? とその時は思ったのだが、しかし、彼は「大学で京都に行っていた」という言い方をしたのであって、「京都大学」とは言っていないのだ。 高校生くらいの頃、私はそのあたりがよくわかっていなかったが、「会社っちゅうところ」に勤めてみると、「しょーもないこと言い」がいっぱいいるわけだ。 「会社っちゅうところ」に勤めてみると、それも、私みたいに三流以下企業にばっかり勤めてみると、学歴詐称するヤツとかそういうのはゴマンといるわけだ。 だいたい、「京都の大学」とか「大学で京都に行っていた」とか言うヤツというのは、それは「京都大学」ではなく「京都の大学」であり、龍谷大学とか大谷大学とか京都産業大学とかそういうのが多い。 自分が京大とか東大とか受けたことがないから、だから、「どの大学に行ったかで人の値打ちが決まるのではない」とか「学問でひとを差別してはならない」とかなんとかかんとかそういうことをぐっちゃらぐっちゃら言いまくり、あげくのはてに、浪人して相談に乗ってもらいたいと思って訪ねて行った人間には、「じゃあな」と言って帰ってしまう、そういう男だったのだ。
母の叔母の息子、要するに いとこ は、天王寺高校から1年浪人して東大の文科2類に進学したのだが、高校を卒業した年、東大の試験に落ちた時、そのお父さんが落ちたというのを聞いて、布団を頭からかぶって泣かれたという。 「勉強せん者が落ちるのはしかたがない。しかし、あれだけ、勉強した者が落ちるのはかわいそうだ」と言って。 本人はそうは思わなかったらしい。 私も、自分が高校を卒業する頃は、落ちたとしても、「かわいそう」とかいうようには思わなかった。 落ちるのが嫌なら、間違いなく通るような所を受ければ通ったのだ。 ボクシングで、世界チャンピオンに挑戦すれば、負けるかもしれない。負けるのが嫌なら弱い相手とだけ対戦すれば勝てるだろう。 しかし、そうではなく、強い相手と戦いたかったのだから、強い相手と戦えば、勝つこともあれば負けることだってあるだろう。 相手の方が強かったのだから、しかたがない。「かわいそう」なんて言ってもらう必要はない・・・・と自分が高校を卒業する頃は思ったが、しかし、自分が高校生の親であってもおかしくない年齢になると、感じ方が変わった。 菊川怜とか東大とか京大とかを出て芸能人になったり運動選手になったりする人って、ときどきありますね。 そういう人を「エライ」とか言う人がいますが、私はそうは思わないのです。もしも、東大なり京大なりを卒業した人間が就くような職業につきたいという気持ちがないのなら、行かないでくれたら、受けないでくれたらよかったのに。 そうすれば、かわりに、本当にそこで学んだものを生かすような仕事に就こうと言う人間が、1人か2人そこに行けたのに、と思うのです。 落ちた人間が悪いんだというのは、自分が受ける時に思ったことで、親であってもおかしくない年齢になると、そうではなく、1点差で落ちた人間がということではなく、10点差で落ちた人間でも、20点差で落ちた人間でも、京大とか東大とかに行こうとした人間というのは、相当努力していると思うのです。 それを考えると、そこで学んだものを生かす仕事に就こうという気持ちがないならば、「東大出の女」などというわけのわからん職業につきたいなどというアホが受けないでほしいのです。そうすれば、誰かが1人かわりに通ったはずなのです。 母の叔父が、息子が東大に落ちた時、「かわいそうだ」と言って泣いた気持ちが今はわかります。 そして、同時に、浪人中に、相談にのってほしいと訪ねてきた前年に担任であった生徒に対して、「お、行こか」と言ってさっささっさと歩いて駅まで行って、「じゃあな」と言って「置いてけぼり」にしてひとり帰るヤツ・・・というのは、人間性を疑います・・・し、そんなヤツが「どこの大学に行ったかで人間の値打ちが決まるなどと考えてはいけない」だの「学問は人を平等にするものであって、学問で人を差別してはならない」だの何だのかんだのと、けっこうな講釈たれたところで、この野郎、何を勝手なこと言ってやがるという気になります。
小学校の先生をやっていた母の叔父(叔母のつれあい)は、息子(母のいとこ)が天王寺高校を卒業した歳に東大を落ちた時、「勉強せん者が落ちるのはしかたがないが、勉強する者が落ちるのはかわいそうだ」と言って布団をかぶって泣いたというのですが、大谷の場合はそうではなく、「勉強せん者」で「大学」に行った者が、「勉強する者」と「差別」されるのは許せないという主張をするわけです。考え方が逆立ちしていると思いますが、それが「『京都大学』ではなく『京都の大学』」に行った人間の思想なのかもしれません。
O谷が言った、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」という文句は、それは「話のすり替え」です。 私は、「あのろくでもない予備校と、ろくでもない『主事』のおかげで、えらい目にあわされた」と思っていたが、それを婉曲表現で「合わなかった」と言ったのです。、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」とかそういう問題を言っているのとは違うのです。 O谷郁三がわかっていて「話のすり替え」を言ったのか、わからずに言ったのか。おそらく、「話のすり替え」をしようと意図して言ったと思われますが、どちらにしても、「その程度の男」だったのでしょう。YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」が「看板に偽りあり」であったのは、「予備校というものは、高校とか大学とは違って正規の学校ではないのだから、合わないのは誰でもでしょ」とか、そういう問題とは別のものです。 それを今回述べるつもりでしたが、前段の前段が長くなってしまいましたので、次回に、述べます。
(2017.11.17.)
☆看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か?〔今回〕
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_12.html
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_13.html
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