京大東大文系入試に対応しない京大東大文系クラス-看板に偽りある予備校・内容に虚偽ある求人票【2/3】
[第567回] 会社と営業の話(138)-2
[A]-2 「看板に偽りあり」の予備校 -2 京大・東大文科入試に対応しない「京大東大文系クラス」
かつて、大阪にYMCA予備校というものがありました。YMCAとは、ヤングメンズ クリスチャン アソシエーションの頭文字をとったもので、カトリックとかプロテスタントとか固定されたものではなく、ともかく、キリスト教の青年組織みたいなものらしいのですが、予備校としてのYMCAは、片方で「クリスチャン」を売り物にしながら、キリスト教の心を離れた団体でした。
1970年代後半くらいまで、関西で比較的レベルの高い大学を目指す人の行く予備校は、京都の近畿予備校とその頃できた駿台予備校の京都校、大阪のYMCA予備校、神戸の大道学園でしたが、最近、インターネットで検索すると、大道学園は無くなり、YMCA予備校も、土佐堀・阿倍野(天王寺)・豊中・堺・高槻と大阪府に5校あって、横浜市にも菊名と関内にあったのですが、天王寺校1校だけが残り、逆に、天王寺にYMCAなんとかいう高校ができたようでしたが、さらにしばらくして検索すると、天王寺校もなくなったみたい。近畿予備校は今もあるようですが、かつては京大を目指す人の予備校だったのが、駿台などとの競争に負けたのか、私立医大とかを目指す人の予備校に変わってしまったようです。
YMCA予備校が衰退したのは「そりぁ、当然だわな」・・・と思います。あんな商売やっていて伸びたらおかしい!
YMCA予備校は、昔は土佐堀校と天王寺校(鉄道の駅も、JRは「天王寺」で道を隔てた向かいの近鉄は「阿部野橋」であるのと同様、「天王寺校」という名称だったか「阿倍野校」だったかどちらか忘れた)がいいと言われていたが、高校も1965年くらいは京大合格者数1位は天王寺高校だったのが1975年には北野高校に変わったように、大阪市南部より北摂地区の方が進学熱心な層が多くなったこともあり、土佐堀校と豊中校の評価が高くなったが、その際、豊中校に「医進クラス」というのを作った。これは豊中校の評価を上げるためという性質があったようだ。1978年に高槻校を作ってそこに「京大・東大文系クラス」というのを作ったが、今回の話は、この「京大・東大文系クラス」について、特に、「京大・東大文系クラス」と名づけて募集しておきながら、その実態が少しも「京大・東大文系クラス」ではないという点について述べます。
YMCA予備校はつぶれるべくしてつぶれた。かつて、YMCA高槻校があった敷地と建物は、今は、大阪医大の「本部北西キャンパス」となっています。1970年代後半、私が高校を卒業した頃、関西には、駿台予備校が京都にあり、大阪には、教文研ゼミナールという代々木ゼミナールと提携らしい予備校が中津あたりにできましたが、代々木ゼミナール自体は関西にはなく、河合塾も大阪駅の東のあたりに事務所があったと思うのですが、予備校自体はなかった。今は、中津に河合塾があり、江坂あたりでしたでしょうか、駿台予備校も大阪にできました。最近は、東京中心の傾向が大きくなり、関西の経済的地盤沈下は著しいと言われるのですが、YMCA予備校が衰退したのは、駿台や河合塾や代ゼミが東京系だからではなく、YMCA予備校が良心的ではないからでした。そもそも、河合塾は「東京系」ではなく「名古屋系」ですしね。
科目ごとに見ますと、大道学園は、もともと数学の先生が作った予備校だということで数学に力を入れた予備校で、YMCAは欧米系だからなのか英語に力を入れた予備校だという話がありました。英語についてですが、「京大・東大文系クラス」のみ、英語の特別授業の講師としてきた、1浪で京大の文学部に行ったというにいちゃんが講師としてきて言ったのは、「ぼくの経験から言うと、他の科目は別として、英語に関してはYMCAでやっていることを一通りきっちりやれば、どこの大学でも通ると思う。あくまで、英語に関してであって他の科目は知らんで」と言ったのですが、大学入試においては、その科目自体についての学習と、実際に受ける大学学部の問題に対する対策の2つでどれだけの点数をとれるか決まりますが、前者については、量的な問題としてはYMCAのテキストだけでも英語に関しては十分な量だという意見で、これはそうだと私は思います。
テキストとしてYMCAが用意したものは、「訳1」「訳2」「訳3」「英文法」「英作文」と「Idioms」「英作文の鍵」の7つですが、これは、テキストを作成した人は、ある程度、考えて作ったと思うのです。「訳1」は、英文解釈の過去問を集めたもので、実際に、「以下の英文を和訳せよ」というような問題が出た場合に対応します。「訳2」はそうではなく、英文が出て、それに対して、「下記の英文を読んで、選択肢より、英文の内容に一致しないものを選べ」とか、訳せという問題でも、全体を訳せというのではなく、部分だけだったり、その一部分について空欄があって、そこを適切な単語を入れて埋めよとか、そういった問題を集めたものです。実際の大学入試の英語の試験においても、こういった問題がでますから、その対策のつもりでしょう。「訳3」は長文です。なんだかんだ言っても、語学は単語を覚えないといけませんが、単語集は「ある程度、覚えたものを整理するためのもの」で、最初に単語を覚えるのは、「読み物」というのか「サイドリーダー」というのか、ある程度長い文章を読んでいくことで覚えるので、その為というのと、短い文章を読んでそれを日本語にする能力と、ある程度、長文を読んでその大意を理解する能力は別ですから、その後者の能力を身につけようというテキストだと考えてよいでしょう。
しかし、ここからが問題です。YMCA予備校は、講師は大部分が「バイト」なのです。そして、「主事」というよく意味がわからない名称の職種の事務員のおっさんが支配しているのです。人間、大学を卒業して仕事について何年か経つと、見た目で判断しようとしても、学校についてわかりにくくなっていきますが、大学を出たばかりの時というのは、どの程度の大学を出てきた人か、わかりやすい。特に、高校を卒業したばかりの人間で、京大・東大くらいに行こうとしたくらいの人間から見ると、すぐにわかる時があります。YMCA予備校高槻校には、3人の「主事」がいたのですが、一番若いH野くんなどは、言っちゃ悪いが、「見るからに私立五流大学を出たばかり」というのがすぐにわかりました。あの人は事務員さんなんだろうなあと思っていたのです。他の仕事なら、大学はいい大学を出ていないけれども、会社では頑張って実績を残したとかいう人もいるかもしれませんが、予備校というのは大学受験が仕事ですから、京大や東大に行こうという人を指導するのなら、そういう大学に行った人か、行こうとしたけれども思うように成績が伸びずにそれに準ずるくらいの大学に行った人、もしくは、京大や東大を受けたけれども合格できずに早慶くらいに行ったという人でないと、指導なんてできないはずなのです。自動車の運転ができる人は運転できない人よりエライとかいう問題ではないと思いますが、自動車学校の講師は自動車の運転のできる人であるべきだと思いませんか? 「どこの大学がいいとか悪いなんて言ってはいけない」とかYMCA予備校の「主事」のF井は、それが「クリスチャン」みたいに言うのでしたが、そんな教えは聖書にない。聖書にない「教え」を人に強制しようとする人が「クリスチャン」には時々いるのですが、彼もそのタイプでした。実際、「一流大学」と言われる大学を出たらしいわりにたいしたことない人というのもいるかもしれませんし、あまり「一流大学」でない学校しか出ていない人でも、活躍する人もいるかもしれませんけれども、それは一般の職場の話であって、京大や東大に合格しようという人の行く予備校に、私立五流大学しか出てない人が「主事」だとして勤務して、すでに一度は京大なり東大なりを受けて、自分なりに学習法について一家言もっている人間に口出して指導しようとしても、それは「余計なこと」というのか、「害がある」のですが、F井にしても、自分が害がある存在だという事実を認める謙虚さに欠けました。F井は、「クリスチャン」だと称して、「クリスチャン」の「教え」だと、「どこの大学を出たかで人を評価するものではない」と片方で言いながら、他方において、「ぼくは早稲田の政経を出てるんだけどな」と一日に最低3度は言わないと気がすまない男で、同時に「その地域によって大学の評価に差がある」と、「ぼくは早稲田の政経出てるんだけどな」と一日に最低3度は言わないと気がすまないというそのおのれの態度を評価してもらえないというのを、「地域によって大学の評価に差がある」ことからだと言いたいようでしたが、彼が評価されないのは、彼が評価されない言動をとっていたからで、早稲田大学という大学の評価が、関西においては東京圏におけるよりも低いからという問題ではないのでしたが、彼はその事実を事実として認める謙虚さに欠けました。東京圏に住めば、そのへんに早稲田大学の学生もおれば早稲田大卒の人もいますし、東京圏で会社に勤めると「ぼくは早稲田でてる」と称する学歴詐称のおっさんがゴマンといるというのも身をもって知りますし、「早稲田の政経」というのは「学歴詐称の定番」ですから、東京圏で「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないアホを見ると、「ああ、また、しょーもない学歴詐称のおっさんが出てきた」と思うところですが、関西では早稲田大学の学生はそのへんにそれほどいませんし、早稲田大卒の人もいないわけではないとしても、東京圏におけるよりも少ないですから、だから、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないおっさんを見ると、東京圏の住人なら「また、学歴詐称のアホがいたか」と思うところを、そうではなく、「早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあ」と思ったのでした・・・が、その後、会社に勤める経験を経ますと、「早稲田の政経」は「学歴詐称の定番」ですし、学歴詐称するおっさんなんてゴマンといるわけで、「ぼくは早稲田の政経出てるんだけどな」と何度も何度も言われても、「ああ、そうですか」と言うしかないのですが、YMCA予備校ではいいかげん、うんざりしました。「ウンコまみれのザリガニ」で「うんざり」・・・。
YMCA予備校の「主事」だという藤井という「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないというおっさんが言うには、「YMCAでは英語は『書く』ということになっています。」と言い、英文解釈として、「下記の英文を日本語に訳せ」という問題を集めた「訳1」だけでなく、ある程度長い英文が出て、「訳せ」という問題ではなく、その英文を踏まえて、いくつかの問いが出題されるという問題までも、その英文を訳して書けというのでしたが、これは学習法として間違っています。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で書いていましたが、もしも、英文が出て、訳せではなく、その英文を踏まえて、「上記の英文の内容に一致するのは下記の英文の中でどれか」「上記の英文の内容に一致しないのは、下記の日本語の文章のうちどれか」とかそういった問題にまで、いちいち、英文を日本語に訳して、しかも、それをノートに書いていたのでは、実際の試験の時にも、そういう問題が出題された時に、いちいち、全文を日本語に訳して、しかも、それを紙に書かないと解けなくなってしまう。それでは、そういうタイプの問題を解答する時間がかかり過ぎて、落ちてしまうと書いていましたが、私もそう思います。藤井は実際は早稲田ではなく、亜拓大東帝国(亜細亜大・拓殖大・大東文化大・帝京大・国士館大)くらいの私立大学しか出ていない人間ですから(と思いますよ、東京圏の大学に行って、実際の早稲田大学の学生を見て、会社に勤めて早稲田大卒の人と会ってみると、「いくらなんでも、あんな早稲田ないわな」と思いました)、わからないのです。わからないものだから、だから、ともかく、「スパルタ式」で労力がかかることをさせればいい、労力がかかることをさせれば「親は喜ぶ」と思ったようですが、それは迷惑です。「訳3」は、基本的には「サイドリーダー」「読み物」で、長い文章をできるだけ早く読むという趣旨のもので、その中で単語・熟語の語彙を増やしていくというものですから、全体の意味がわかればいいのであって、それを、いちいち、日本語に訳して、しかも、ノートに書いていったのでは効率が悪いし、そもそも、それは、そのテキストを作った人の考えに反するはずなのですが、藤井はテキストを作った人の考えに反することを「YMCAのやり方」と主張したのでしたが、実際は「YMCAのやり方」ではなく藤井のやり方だったと思います。
授業の進め方にしても、「訳1」「訳2」にしても、「単なる答えあわせ」みたいな授業であり、あれでは、解説が詳しい英語の問題集を買ってきて自習した方が効率的でしょう。柴田孝之が、自習するのと授業を受けるのと、どちらが効率的かというと、問題集のようなものをやる場合には、基本的には自習した方が効率的だと書いていましたが、これも柴田が言うのが正しいでしょう。
「英作文」ですが、YMCAの英作文のテキストは、日本語を英語に訳せという問題を集めただけで、授業は「単なる答え合わせ」でしかない。講師は、どこかの私立大学の教授なのか助教授なのか助手なのかのバイトで、いかにして合格させるかといった熱意なんかない。そういう人のそういう授業です。
大きな問題として、隅という「主事」が、「入学式」で「聖書には、ロトがソドムの街から逃亡する時、天使がロトに『決して後ろを振り返ってはならない』と話したように、浪人中、後ろを振り返ってはならない」などと言ったのですが、これは正しくない。浪人生が現役生に比べて有利な点は、「一度、経験している」という点で、前年、受けてどうだったか、何点取ったかよりも、自分はどういうところができてどういうところが不足していたか、どういう点を補充すれば点数をアップさせることができるか、といったことを考えることができる点だと思います。現役生は受けた経験がないのですから、浪人生に比べてこの点が不利です。そこを生かさない法はないはずですが、ところが、「後ろを振り返ってはならない」などとアホなことを言うのです。神はそんなこと教えてないはずなのですが、「クリスチャン」というのは聖書の文句を自分の勝手な主張に合わせて引用するのが得意です。
私が、東大の試験を実際に受けた経験、及び、前年、代ゼミの東大模試を受けた経験から考えて、英作文については、東大の問題は、他の大学の問題よりも長い問題が出題された、という点に特徴がありました。もし、東大の試験に通ろうと思ったなら、英作文については、長い文章についての英作文ができるようにならないといけない。この対策を取らないといけない。ところが、YMCAのテキストはそういうものではないのです。又、講師はバイトで、その時間そこに来て「答え合わせ」みたいな授業をすれば給料をもらえるという講師で、その対策を何かやろうなどという気概はない。英作文で長い文章というのは、無茶苦茶難しいのかというと、実はそうでもなくて、長い文章でも、短い文章が集まったものが長い文章ですから、長いからといって特別無茶苦茶難しいというものでもないのですが、しかし、そういうものを書く練習をある程度やらないと試験会場で面食らいます。それをやるべきだと思ったのですが、YMCAの「英作文」はそうではないのです。なぜ、そうではないかというと、YMCAの授業は、「京大・東大文系クラス」と名前をつけても、テキストは、全国の大学一般版ですから、「東大の問題を解く」という視点が欠落しているのです。
数学についても、量的にはYMCAの数学の授業とテキストは「十分な量」だったと思いますが、量が多ければいいというものではないのです。予備校でやるものの量が多ければ、その分だけ、自分で工夫して学習する時間が奪われてしまうのです。その「量」がなければ、もっと、自分で工夫してできてものが、できなくなってしまうという面があったのです。
東大の数学と京大の数学はどこが違うか。まず、京大は問題数が多いのに対して、東大は文科は4問だけでした。 問題数が多いということは、数学がある程度以上できる受験生にとっては、失敗が少ない。数学は、もしも、出題が1問だけなら、失敗すると0点になる可能性があります。東大の試験は4問と出題数が少ないので、失敗するとダメージが大きいのに対して、京大の数学は問題数が多いため、1問、失敗しても、全体から考えるとダメージは小さい。東大の文科は、今はどうなっているか知りませんが、1970年代後半から1980年代にかけて、共通一次試験より前においては、二次試験は440点満点で、英語・国語・社会が120点、社会は日本史・世界史・政治経済から2科目選択で、それぞれ60点ずつ、数学が数学1・2Bで80点。この数学の80点について、4問の出題ですから、1問あたり20点ということです。合格最低点は、共通一次試験より前においては、文科1類で250点くらい、文科3類でちょうど半分の220点くらい、文科2類はその真ん中だったと思います。 共通一次試験後は、共通一次試験の1000点満点を110点に換算して、それを二次試験の440点満点のものに加算して合計点で判断するというものですが、1000点満点のものが110点に換算されるということは、共通一次試験で100点の差をつけられても二次においては11点でしかない。100点の差をつけても二次においては11点のリードでしかない、と考えると、「たいしたことない」ような感じもするのですが、差をつけた場合はともかく、差をつけられた時、他の受験生のレベルが高くなければ二次で挽回するのは難しくないかもしれませんが、東大くらいを受ける受験生は他の受験生だってそれなりに点数を取りますから、100点の差が11点に換算されたとした時、その差をつけた場合もつけられた場合も、「たかが11点、されど11点」みたいなところがありました。 まず、数学は、解ける問題と解けない問題があるのです。4問すべて正解できれば一番いいのですが、基本的には大学入試の数学の問題でも、森毅『数学受験術指南』だったか『元気がでる教育の話』だったか(いずれも、中公新書)によると、京大や東大の問題は、「全問正解する人間なんかいるわけがない」という前提の問題を出題しているらしい。だから、全問正解する必要はないし、全問正解できないからとショックを受けるなんてばかばかしい。で、どれだけ取れるかが問題。文科の3つの中で最も合格最低点が低い文科3類でも、共通一次試験から換算される分については誰もが同じ点数だった場合、二次の440点満点で半分は取らないといけないのですから、数学も最低2問は解かないといけない。できれば3問、60点とりたいが、2問プラス部分点で50点とれればいいと考え、逆に、致命傷を防ぐという視点で見るならば、1問プラスアルファは取らないと、たとえ、他の科目で挽回できたとしても、挽回しきれない。数学の問題では、必ず、微分・積分の分野から1題は出題される。数列などは解ける場合もあれば解けない場合もあるが、微分・積分は時間さえかければ解ける場合が多い・・・が、他の分野の問題よりも時間がかかる場合が多い。となると、とりあえず、4問を見まわして、数列などの問題が解けそうならそちらをやるが、解けそうでないなら、微分積分の方をやって、ともかく、「致命傷だけは防ぐ」という方を選ぶ・・・とこういったことを私は自分で考えたんですよ。本来、予備校なら、特に「京大・東大文系クラス」と名前をつけているクラスなら、その「京大・東大文系クラス」の講師がこういったことを説明するべきと違うのか、と思うのですが、「答え合わせ」の授業しかできない講師で、YMCAは京大・阪大の院生のバイトの講師よりも亜拓大東帝国出身の「主事」の方が力を持っていた職場でしたからだめです。
それから。YMCAの「主事」の藤井は、「ガイダンス」で、「きみらは、地方の国立大学なら易しいと思うかもしれんが、地方の大学はその地方の優秀な生徒が受けるんだから地方の国立大学は易しいなんてことはないんだぞ。 地方の人間は根性があるから、きみらみたいな都会の受験生と違って、数学の問題でも、泥臭い書き方であっても、根性で解いたりするんだからな」などとアホなことを言ったことがあったのですが、「地方の人間」というのは「根性」があるて、その理屈はいったいどこから出てきたのでしょうね? 家が農家なら「根性がつく」のですか? 我が家は、私が小学校の4年の時に大阪市内から北摂地区に引越して、その頃、田舎だった場所に引っ越したので、大阪市内に住んでいた時よりも庭が広かったため、私の親はその庭で、キュウリとか茄子とかトマトとか貝割菜とか栽培したのはいいが、そのおかげで、私は小学校の高学年から中学校にかけて、他の同級生が自転車に乗って遊びに行ったり野球やったりしていた時に、土日は朝から夕方までひたすら農作業させられたもので、今から考えてみると、うちは農家でもないのに、なんで、あんなことやらなきゃならなかったのだろうか・・・なんて思います。考えてみると、あの時、我が家は、広い意味で「兼業農家」だったのではないか。父は、「わしがあんたのためにやってやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、わしはあんたにやってもろうたものは何一つないんやからな。何ひと~つ」とか私が20代の頃何度も何度も言っていましたが、私が農作業やって収穫したトマトとか茄子とかキュウリとか、あんた、食っただろうが! と思いましたが、そんな感じで、私はけっこう「農作業」やりましたから、YMCAの藤井の説に従えば私なんかも相当に「根性」がついたはずですが、「農作業」やったら「根性」がついて大学入試で数学の勉強やらなくても「根性」で高得点取れるのか? ・・・・というと、それは「ち~が~う~だ~ろ。」。
その「泥臭い解き方」というものですが、柴田孝之が『東大機械的合格法』で述べていたのですが、「大学への数学」(東京出版)という月刊誌があって、増刊号としての単行本もあったのですが、「大学への数学」に出ている解き方というのは、柴田の表現によると「エレガントな表現」だというのです。私、高校3年の12月に代ゼミの東大模試を受けて、採点されて返送されてきた答案とともに送られて来た正答集を見て、今まで、高校の授業でやってきた解き方や『傾向と対策』(旺文社)とかに出ていた解答の解き方とは違った表現がされていて、東大の数学はこういう解き方をしないといけないのだろうか? などと悩んだことがあったのですが、そうではないのです。数学の問題集の正答とか模擬試験の正答として書かれている解き方・表現は、その問題集の出版社や模擬試験の実施者によって、いくらかずつ違ったりするのです。たしかに、柴田が言うように、「大学への数学」に出ていたのは「エレガント」な感じがする表現でした。「エレガントな感じ」であれ「泥臭い感じ」であれ、ともかく、一通り、解ければいいのですが、数学の解き方で「泥臭い解き方」であるか「エレガントな解き方」であるかは、都会の人間か地方の人間かによりません。予備校の人間は、こういったことを受験生に説明してあげるべきであって、「地方の人間は根性があるんだから、数学の問題でも泥臭い解き方でも根性で解くんだからな」などとトンチンカンなことを言って、受験生の頭を混乱させるようなことはやめるべきです。
何より、社会科。私は、東大の試験を、社会科は、日本史と世界史の2つで受けたのですが、他の科目は別として、私は社会科は北野高校の中間試験・期末試験においても、北野高校の模擬試験においても悪くなかったのです。ところが、京大・阪大型の社会科の試験ではある程度以上の点数を取れたのに、東大の社会科の試験はできなかったのです。ところが、YMCAの「主事」の藤井は、「そんなことあるか。YMCAの模擬試験でできる人間はどこの大学の試験でもできて、YMCAの模擬試験でできない人間はどこの大学の試験でもできないんだ。」と言ってきかないのです。こいつ、絶対、アホや!と思いました。共通一次試験より前の京大や阪大の日本史・世界史の問題は「記述式」と言っても記述するのは事件の名称とか人名・地名・その事件の発生年とかを記述せよというもので、「・・・・について、800字以内で述べよ」と言った東大の日本史・世界史のような問題は出なかったのです。東大の日本史・世界史の問題を「論述式」と表現していた問題集・受験ガイドブックもあれば、「論文式」と書いていたものもありましたが、私はその「論文式」という表現を見て、論文を書かないといけないのかと思ったのですが、そうではないのです。文章でまとめて表現しろということで、大学の史学科の先生に張り合ってそれに劣らない論文を書けという問題ではないのです。そのあたりを認識できるかということと、その上で、700字以内とか800字以内とかで書く練習をしないといけません。 そして、何より、「書く練習」と言っても、どんな練習すればいいんだ・・・・・となるのです。私は、そこを「京大・東大文系クラス」と言うからには、そういった対策講座を実施してくれるのではないかと期待したのです。 普通、期待しませんか?
私は、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)とインテリアコーディネーター試験1次(学科)・キッチンスペシャリスト試験 学科試験は独学で通ったが、インテリアコーディネーターの2次試験(製図・論文)は、ハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター2次対策講座に出て講師の先生がこれをやってくださいと言われた課題を必死になってやったことで通り、キッチンスペシャリストの製図試験にハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て講師の先生がこういう練習をしてくださいと言われたことをやって通り、建築CAD検定の3級と2級はウィンスクールのCAD検定講座に出て、講師の先生から、こういうように書いてください、この練習をしてくださいと言われたことをやって、それで合格できた。そういった講座に出ずに独学でやったとしたら、通らないか合格までにもっと時間がかかったでしょう。高校の中間・期末考査の問題や共通一次試験の前の京大・阪大型の日本史・世界史の問題なら私は他の受験生より高い点数をとれたにもかかわらず、東大型の日本史・世界史の問題はいろいろなことをやったもののなかなかできなかったので、「京大東大文系クラス」なら、そういった指導をしてもらえるだろうと期待した・・が完全に裏切られた。
それで、YMCA予備校「京大東大文系クラス」に入ると、最初に何を言われたかというと、「主事」だという藤井は「今年度から共通一次試験が実施されることになりまして、今まで、理系の人は社会科は1科目で良かったのが理系の人も2科目受けないといけないことになったため、社会科の先生が不足しましたので、皆さんは、社会科の授業は1科目だけで、もう1科目については、教科書を読んでいただければできますから」と、そいう口をききやがったのです。それで、「京大東大文系クラス」と言えるか? 言えないだろ、それでは。 そして、日本史か世界史のどちらか1科目と言われて「世界史」の方を選択して、授業に出てみましたが、その授業は、東大の「700字以内で論述せよ」とかいった問題に、どうすれば書けるようになるかといった授業ではなく。単に世界史を教科書の前から順、年代順に話していくだけで、その授業なら、自分で本を読んで学ぶのと特に変わりはない。しかし、「教科書を読めばできます」などとYMCA予備校の「主事」の藤井は暴論を大きなツラして言ったのですが、「教科書を読む」などということは、私はすでに何度もやったのです。それ以上のことをしてきたのです。それでも、京大・阪大型の日本史・世界史の問題は解答できたけれども、東大型の問題はどうもできなかったのです。どういう練習をするとできるようになるのか、そこを指導してもらいたかったのですが、講師の人は、指導できるような人と違いました。これでは「京大東大文系クラス」と違います。
「京大・東大文系クラス」と言って募集するなら、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部の試験問題と、東大の文科1類・文科2類・文科3類の試験問題を解けるように指導できるスタッフをそろえてから、「京大・東大文系クラス」と言うべきで、指導できるスタッフなんかそろえていないしそろえる気もないのに、そういう看板だけ掲げるというのは、その態度が良心的であるわけないのであり、「看板に偽りあり」と言わざるをえませんし、受講生の間では「看板に偽りありだな」という言葉は出ていました。
京大の院生のバイトらしい理科の「生物」の講師は、講談社のブルーバックスの生物に関する本を読んでその感想を書いてくださいと言い出し、他の受講生から「そんなの、書く?」ときかれたことがありました。彼は勘違いしている。彼が言っているのは、それは中学生か高校1年くらいで、生物学に興味をもてないという人に興味を持ってもらう方法です。「京大東大文系クラス」で大事なのは、目の前の試験で何点とれるかで、生物学に興味を持つとかどうかと違うのです。
京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部、東大の文科1類・文科2類・文科3類を目指す人に対しての理科(物理学・化学・生物・地学)の講師は、YMCA予備校では京大の理学部の大学院生とかがなっていたのですが、理学部に行って生物とか勉強して大学院まで行ったなんて人てのは、その科目が好きでたまらんという人が多く、そういう人というのは、自分の学習時間の半分以上もその科目に費やして、その結果、その科目についてはもんのすごくできるなんて人が少なくないのです・・・が、そんな勉強法なんて、その学科に進むわけではない人間、特に、理科は共通一次試験でしかない、二次試験では理科はないという大学学部を受ける人間にとっては役に立たないのです。むしろ、京大東大文系クラスの理科については、京大か東大の文科に進学した人が担当した方がいいのではないか、自分はこうやって合格したというのがある人の方がいいのではないのかと思うくらいです。問題集をやるとします。その答えは、「先生」に教えてもらわなくても、たいてい、本に解答が書いてある。だから、「答え合わせ」みたいな授業をしてくれる理学部の大学院生の「先生」がいた方がいいのか、自分自身が京大東大の文科に合格した経験がある人がいた方がいいのかというと、自分が受けて通ったか、もしくは通ろうとしたがうまくいかなかったという人のどちらかの方がいいと思います。浪人までして、講談社のブルーバックス読んでる時間ないよ。1冊読んだら落ちるというものでもないが、読むのなら「受験対策として考えると、それは漫画の本を読んでいるのと一緒」と認識して読まないといけない。それを読んだら点数があがるなんて思って読んだら、「なんで、これだけやってるのに点数があがらないんだろ」と馬鹿馬鹿しいことを悩まないといけないことになる。
何より、YMCA予備校の「主事」の藤井は「YMCA予備校の試験で高得点を取ったものはどこの大学の試験問題でもできて、YMCA予備校の試験問題でできない者はどこの大学の問題でもできないんだ」と主張したので、私は「それは違うと思います」と言ったのです。私自身が経験したこととして、共通一次試験実施より前の前年、12月に代ゼミの東大模試を受けた時、1次については、文科で一番難しい文科1類でA判定、それもAでもけっこう上の方のA判定だったのです。もし、東大の入試が1次だけで合否を判断されて、しかも、その代ゼミの模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験だったとしたら、ゆうゆうと文科1類に合格、おめでとう~お♪ てところです。ところが、二次の方はそうではなかった。特に、北野高校の中間試験・期末試験や北野高校の模擬試験では、他の科目はともかく、社会科(日本史・世界史)については悪くなかったにもかかわらず、代ゼミの東大模試では、二次試験でできなかった。一次試験でも日本史・世界史はあって、そちらは他の受験生と比較しても悪くないのですよ。だから、同じ科目名がついていても、その問題によって、できたりできなかったりすることがあるのです。私は高校を卒業する年に受けた本番の試験と模擬試験との経験から、その科目そのものの勉強だけでなく、受けようとする大学学部の問題についての対策を考えないといけないし、ある大学学部の問題ならできるが別の大学学部の問題ならできないという場合もある、ということを認識したのです。ところが、YMCA予備校の「主事」だという藤井は「そんなことは絶対にない。YMCA予備校の試験でできる者はどこでもできる。YMCA予備校の試験でできない者はどこでもできない」と言ってきかない。それだけでなく、「きみみたいに、逆らう人間は会社員としてやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはいけない。きみは人間性に問題があるから、そういう学部はやめた方がいい」とまで言い、ついに「人間性」まで否定されてしまったのです。おまえの方がよっぽど人間性に問題があるのではないか、と思いました。
1973年、プロ野球のパリーグで、前後期制が実施され、前期優勝チームと後期優勝チームがプレーオフをやって勝った方がシーズン通しての優勝、という制度になり、5戦のうち、先に3つ勝った方が勝ちというプレーオフで、前期優勝の南海が、その頃のパリーグにおいては圧倒的に強かった後期優勝の阪急を3勝2敗で破って勝ったのには感動した・・が、「最近の若い人」なんて言う年齢になってしまったのかと情けないが、最近の若い人はこの話を知らないみたいだが、前期優勝の南海は、後期、阪急に対して、なんと、1分け12敗。1勝もできなかった。年間通しての成績は、阪急が1位で南海は3位、2位はロッテで南海は2位ですらない。後期は日本ハムと同率3位とはいえ、5割も切った成績。新聞のスポーツ欄には、阪急が圧倒的に有利とどこにも書かれていた。しかし、プレーオフでは南海が勝った。南海の監督だった野村克也は今でもあっちやらこっちやらにその時のことを書いているが、前期を終わった時点で、「後期は、阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」と思ったと。「阪急に3つ勝てば」というのは、プレーオフ5戦のうち3つ勝てば、ということだ。 そして、わざと負けたのではないらしいが、後期の公式戦では、南海は阪急に1分け12敗とひとつも勝てなかったのだ・・・・が、プレーオフでは3勝2敗で、南海の優勝。前後期通算すると3位であって2位でもないチームが1位のチームを3勝2敗で破った。大学入試は、これと似たようなところがあると私は思っているのだ。 大学入試の模擬試験には「実力テスト型の模擬試験」と「模擬試験型の模擬試験」がある。資格試験の模擬試験というものもあるのだが、資格試験の模擬試験は「模擬試験型の模擬試験」で「実力テスト型の模擬試験」というものはない。「実力テスト型の模擬試験」というのは、「全国総合模試」とかそういった名称のもので、特定の大学学部の試験問題そっくりではない問題を出題して、全般的学力を見るというものである。それに対して、「模擬試験型の模擬試験」というのは、今もあるのかないのか知らないが、私が高校を卒業した頃なら、河合塾が実施していた「東大オープン」「京大オープン」とか駿台予備校が実施していた東大模試・京大模試、代ゼミが実施していた東大模試などがそれに該当する。模擬試験型の模擬試験は実際の試験との相関性はある程度高いが、実力テスト型の模擬試験というものはそれほどではない。私は、2浪もして、結局、東大に通らなかったのだが、2浪の時の9月に受けた河合塾の「全国総合模試」で、東大の文科3類で、「判定」は「B]だったのだが、2浪もしてBかあと思ったが、上の方の「B」だったので、もし、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら「上の方のB」ということは合格だが、私の場合、「模擬試験型の模擬試験」においても、社会科(日本史・世界史)は悪くない成績を取れていたのだが、東大の二次試験の日本史・世界史の問題がどうもうまく書けなかったので、模擬試験型の模擬試験で「もし、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら合格」という点数を取れても、それでも、「合格の可能性が高い」とまで考えていいとは思わなかった。
最近、城崎温泉竜太郎と右翼橋下徹とともに、アクビのみどり として北野高校の知名度アップに貢献なさった 松嶋みどりさんは、1浪で東大に合格したそうだが、「フライデー」に出ていた話によると、『東大入試合格作戦』(エール出版社)に合格体験記を書いたのはいいが、そこに、「早稲田大学を落ちてしまった時、私は絶対に東大に合格して、この早稲田大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」とか書いていたため、この女、そういう人間なんだとか、そんな感じで「フライデー」には書かれていた・・・のだが、あの『東大入試合格作戦』とかその他『〇大入試合格作戦』て合格体験記、うかつに書くと、それから何十年か経ってから自分で自分の文章を見て、ギャッ! と言ってひっくり返るので気をつけた方がいいと思います・・・が、松嶋さんにしても、東大は通ったけれども、早稲田は落ちたのです。一般に、東大と早稲田なら、東大の方が評価は上だと思いますが、東大に通っても早稲田大に落ちるということは、これは特に珍しいことでもないのです。私は、京大に通って慶應に落ちたという人も知っていますし、慶應に通って関学に落ちたという人も知っています。それは、「あること」であって、珍しいことではありません。インターネットで見ていたら、橋下徹は、早稲田大学の政治経済学部経済学科卒らしいのですが、彼は、早稲田大学を複数学部受けて、「全勝ち」だった、すごい! みたいに書いていた人がいましたが、彼は国公立大志向の北野高校の出身で、1浪して早稲田大に行っているわけですから、高校卒業時も1浪してからも国立大学は落ちたということでしょうからその点では「あんまりエライことない」かもしれませんが、早稲田大の他に受けた学部がどうかなんて、ひとから「他の学部は通ったんですかあ?」なんてきかれても、真面目に答えないといけない義務も義理もないし、「通りましたよお」くらいに言っておけばいいことで、実際にどうかわかりませんが、一般に、早稲田大学は、理工学部以外、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部は試験科目も配点も出題傾向も同じで、合格難易度もそれほど大きく違いませんから(1980年代の話。今は知らんで)、複数学部を受けた場合、「全勝ち」か「全負け」になる可能性は小さくありません。彼は早稲田大の政治経済学部経済学科卒だということですから、早稲田大の中では難易度が難し目の政治経済学部に通ったからには、ほかの学部も受けていたならば、「全勝ち」した可能性は十分あるでしょう。「全負け」すると気分も悪いし、しょげるかもしれませんが、これも「あること」です。今は私が高校を卒業した頃と制度が同じか違うか知りませんが、1970年代後半、早稲田大学の政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部・教育学部は、英語・国語と社会科1科目(日本史か世界史)の3科目で受けることができたのですから、文科でも数学1・2B、理科2科目、社会科も1科目ではなく2科目、勉強しないといけない東大や京大の受験生が、その半分未満の試験科目だけを集中して勉強した人間との競争に敗れたとしても、ありえない話ではないのです。早稲田大学は「私学の東大」とか言い、それをほめ言葉と思っている人がいますが、半分は「私学のくせして東大の後ばっかり追いかける独立自尊の精神に欠ける大学だ」というけなし言葉です・・が、それだけに東大に行きたかったが行けかったという人が行った場合には、慶應よりも早稲田の方が違和感を感じずに進むかもしれませんが、入試については、東大や京大を第一に考えて受けた人の場合、早稲田はけっこう落ちやすくて、入試科目に数学があった慶應の方が国立大落ちの人は通りやすかったところがあります。
大学入試は、1973年のパリーグのプレーオフみたいなところがあります。「学力テスト型模擬試験」では3位くらいでも、本番の試験では1位になれる可能性は十分にある。逆に、実際に受ける大学学部の試験とは問題が違う模擬試験で少々成績が良くても、それで通るとは言えない。このあたりを考えて受験の対策をとるべきです。「後期は、阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢で、南海はプレーオフで阪急に3勝2敗で勝ち越した。プレーオフで勝ち越すのも、それも、3勝0敗である必要はないのです。3勝2敗でいいの。大学入試も、一番で通らなくても合格最低点よりも高い点数を取ったら合格です。
「I D野球」「弱者の戦術」として「戦力の集中」をはかることにより、ここに行きたいと思うところの問題を集中してやり、その問題をとけるようにという対策を集中してやることで、他の特に行きたいわけでもない大学の問題を解けなかったとしても、そんなことはどうでもいい、「後期は阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢からいくならば、東大に行こうとする人にとっては、早稲田に落ちたとしても、もし、東大に通るなら、早稲田に落ちたなんてことはどうでもいいことになります。(そんなこと言ってたら、両方落ちたり・・・なんてこともありますが。)ですから、「YMCAの試験でいい成績を取れば、どこの大学でも通り、YMCAの試験でいい成績がとれなかったら、どこの大学でも落ちる」なんてナンセンス、というより、アホの言うことです。大学入試がわかっていない人間の言うことです。
YMCA予備校の古文の講師で、「北野高校卒、京大文学部卒、元天王寺高校教師」という山之内とかいうおっさんが、「最低で京大、うまくいけば東大、さらに行けば亜細亜大だ~あ」とか言ってましたが、亜細亜大は「しょーもない冗談」として、「最低で京大、うまくいけば東大」という考え方は、それは大学受験の考え方として、間違いです。東大は「スーパー京大」ではありません。古文の山之内のおっさんは「主事」の藤井と違って「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教師」というのは詐称ではないと思いますが、そのあたりの認識は適切ではありません。私は、建築CAD検定の3級と2級に合格したのですが、CADの検定試験としては、もうひとつ、CAD利用技術者試験というのがあります。ほかにもCADについての検定試験はあったと思いますが、この2つのどちらかに合格しておれば、建築業界に就職しようとする場合に「CADができる人」と見てもらえる可能性があります。片方で相当に高得点を取ることができれば、他方に必ず通るかというとそうではありません。同じCADの試験ですが、出題される内容が違いますので、片方に通っても他方に落ちることは十分あります。京大の入試と東大の入試はそういうものと考えた方がいい。模擬試験で、過去に京大を受けた人が、通った人5人・落ちた人5人という成績なら、その成績は、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら、合格最低点ぎりぎりの点数を取ったということで、それより少しでも高い点数を取れたなら合格という意味になりますが、「京大オープン」とか「京大模試」とか、私が行っていた頃の北野高校の模擬試験のように京大に相関関係が強い模擬試験で、京大に通った人5人・落ちた人5人の成績なら京大に合格できるかどうかぎりぎりで、東大に行こうとすると、京大に通った人5人・落ちた人5人の成績ではなく、京大に通った人7人・落ちた人3人の成績をとる必要があるということか? 京大に通った人7人・落ちた人3人という成績を取れば東大に通るのか? というと、そういうことではないと思います。「学力テスト型模擬試験」では「3位くらい」の成績でも、東大の試験で「1位の成績」(合格の成績)をとるということは「ありうること」です。考え方として、「後期は阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という考え方をとるか、「最低で京大、うまくいけば東大」などという考え方をとるのか。前者の考え方をとれば、その分だけ通りやすく、後者の考え方を取ると、その分だけうまくいかない。「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教師」でも、そのあたりを山之内さんは理解できていなかった。
「どこの学校に行ったかで決まるのではなく、どれだけ勉強したかで合否は決まるの。駿台や代ゼミに行ったからといって合格するのと違うの」などと、古文講師の山之内さんは言われたが、そういう文句を予備校の講師に言ってもらいたくないね。駿台や代ゼミの方が自分の所よりいいと自分から認めたみたいな言い方は、予備校の講師の口から言われたくない。
YMCA予備校は「作文の試験」をやって、文章構成ではなく内容を批判していたが、京大にも東大にも、方向修正して受ける可能性がある阪大・神戸大や併願の可能性がある早慶や関関同立にも作文の試験なんてないのですから、作文の練習は無用。YMCAの「作文の試験」はあれは思想調査でした。
YMCA予備校高槻校は、京大・東大の文系学部へ進学するためのスタッフをそろえていないのに、なぜ「京大東大文系クラス」などと名のったのかというと、そう名のることで高水準の受験生を集めて、京大を落ちた受験生に翌年阪大を受けさせて「YMCAから阪大に合格」と称すれば予備校としての評価が上がって予備校商売に成功すると考えたのでしょう。そんな「看板に偽りあり」のYMCA予備校はどうなったかというと・・・→ つぶれた。
(2017.11.17.)
☆看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_11.html
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」〔今回〕
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_13.html
[A]-2 「看板に偽りあり」の予備校 -2 京大・東大文科入試に対応しない「京大東大文系クラス」
かつて、大阪にYMCA予備校というものがありました。YMCAとは、ヤングメンズ クリスチャン アソシエーションの頭文字をとったもので、カトリックとかプロテスタントとか固定されたものではなく、ともかく、キリスト教の青年組織みたいなものらしいのですが、予備校としてのYMCAは、片方で「クリスチャン」を売り物にしながら、キリスト教の心を離れた団体でした。
1970年代後半くらいまで、関西で比較的レベルの高い大学を目指す人の行く予備校は、京都の近畿予備校とその頃できた駿台予備校の京都校、大阪のYMCA予備校、神戸の大道学園でしたが、最近、インターネットで検索すると、大道学園は無くなり、YMCA予備校も、土佐堀・阿倍野(天王寺)・豊中・堺・高槻と大阪府に5校あって、横浜市にも菊名と関内にあったのですが、天王寺校1校だけが残り、逆に、天王寺にYMCAなんとかいう高校ができたようでしたが、さらにしばらくして検索すると、天王寺校もなくなったみたい。近畿予備校は今もあるようですが、かつては京大を目指す人の予備校だったのが、駿台などとの競争に負けたのか、私立医大とかを目指す人の予備校に変わってしまったようです。
YMCA予備校が衰退したのは「そりぁ、当然だわな」・・・と思います。あんな商売やっていて伸びたらおかしい!
YMCA予備校は、昔は土佐堀校と天王寺校(鉄道の駅も、JRは「天王寺」で道を隔てた向かいの近鉄は「阿部野橋」であるのと同様、「天王寺校」という名称だったか「阿倍野校」だったかどちらか忘れた)がいいと言われていたが、高校も1965年くらいは京大合格者数1位は天王寺高校だったのが1975年には北野高校に変わったように、大阪市南部より北摂地区の方が進学熱心な層が多くなったこともあり、土佐堀校と豊中校の評価が高くなったが、その際、豊中校に「医進クラス」というのを作った。これは豊中校の評価を上げるためという性質があったようだ。1978年に高槻校を作ってそこに「京大・東大文系クラス」というのを作ったが、今回の話は、この「京大・東大文系クラス」について、特に、「京大・東大文系クラス」と名づけて募集しておきながら、その実態が少しも「京大・東大文系クラス」ではないという点について述べます。
YMCA予備校はつぶれるべくしてつぶれた。かつて、YMCA高槻校があった敷地と建物は、今は、大阪医大の「本部北西キャンパス」となっています。1970年代後半、私が高校を卒業した頃、関西には、駿台予備校が京都にあり、大阪には、教文研ゼミナールという代々木ゼミナールと提携らしい予備校が中津あたりにできましたが、代々木ゼミナール自体は関西にはなく、河合塾も大阪駅の東のあたりに事務所があったと思うのですが、予備校自体はなかった。今は、中津に河合塾があり、江坂あたりでしたでしょうか、駿台予備校も大阪にできました。最近は、東京中心の傾向が大きくなり、関西の経済的地盤沈下は著しいと言われるのですが、YMCA予備校が衰退したのは、駿台や河合塾や代ゼミが東京系だからではなく、YMCA予備校が良心的ではないからでした。そもそも、河合塾は「東京系」ではなく「名古屋系」ですしね。
科目ごとに見ますと、大道学園は、もともと数学の先生が作った予備校だということで数学に力を入れた予備校で、YMCAは欧米系だからなのか英語に力を入れた予備校だという話がありました。英語についてですが、「京大・東大文系クラス」のみ、英語の特別授業の講師としてきた、1浪で京大の文学部に行ったというにいちゃんが講師としてきて言ったのは、「ぼくの経験から言うと、他の科目は別として、英語に関してはYMCAでやっていることを一通りきっちりやれば、どこの大学でも通ると思う。あくまで、英語に関してであって他の科目は知らんで」と言ったのですが、大学入試においては、その科目自体についての学習と、実際に受ける大学学部の問題に対する対策の2つでどれだけの点数をとれるか決まりますが、前者については、量的な問題としてはYMCAのテキストだけでも英語に関しては十分な量だという意見で、これはそうだと私は思います。
テキストとしてYMCAが用意したものは、「訳1」「訳2」「訳3」「英文法」「英作文」と「Idioms」「英作文の鍵」の7つですが、これは、テキストを作成した人は、ある程度、考えて作ったと思うのです。「訳1」は、英文解釈の過去問を集めたもので、実際に、「以下の英文を和訳せよ」というような問題が出た場合に対応します。「訳2」はそうではなく、英文が出て、それに対して、「下記の英文を読んで、選択肢より、英文の内容に一致しないものを選べ」とか、訳せという問題でも、全体を訳せというのではなく、部分だけだったり、その一部分について空欄があって、そこを適切な単語を入れて埋めよとか、そういった問題を集めたものです。実際の大学入試の英語の試験においても、こういった問題がでますから、その対策のつもりでしょう。「訳3」は長文です。なんだかんだ言っても、語学は単語を覚えないといけませんが、単語集は「ある程度、覚えたものを整理するためのもの」で、最初に単語を覚えるのは、「読み物」というのか「サイドリーダー」というのか、ある程度長い文章を読んでいくことで覚えるので、その為というのと、短い文章を読んでそれを日本語にする能力と、ある程度、長文を読んでその大意を理解する能力は別ですから、その後者の能力を身につけようというテキストだと考えてよいでしょう。
しかし、ここからが問題です。YMCA予備校は、講師は大部分が「バイト」なのです。そして、「主事」というよく意味がわからない名称の職種の事務員のおっさんが支配しているのです。人間、大学を卒業して仕事について何年か経つと、見た目で判断しようとしても、学校についてわかりにくくなっていきますが、大学を出たばかりの時というのは、どの程度の大学を出てきた人か、わかりやすい。特に、高校を卒業したばかりの人間で、京大・東大くらいに行こうとしたくらいの人間から見ると、すぐにわかる時があります。YMCA予備校高槻校には、3人の「主事」がいたのですが、一番若いH野くんなどは、言っちゃ悪いが、「見るからに私立五流大学を出たばかり」というのがすぐにわかりました。あの人は事務員さんなんだろうなあと思っていたのです。他の仕事なら、大学はいい大学を出ていないけれども、会社では頑張って実績を残したとかいう人もいるかもしれませんが、予備校というのは大学受験が仕事ですから、京大や東大に行こうという人を指導するのなら、そういう大学に行った人か、行こうとしたけれども思うように成績が伸びずにそれに準ずるくらいの大学に行った人、もしくは、京大や東大を受けたけれども合格できずに早慶くらいに行ったという人でないと、指導なんてできないはずなのです。自動車の運転ができる人は運転できない人よりエライとかいう問題ではないと思いますが、自動車学校の講師は自動車の運転のできる人であるべきだと思いませんか? 「どこの大学がいいとか悪いなんて言ってはいけない」とかYMCA予備校の「主事」のF井は、それが「クリスチャン」みたいに言うのでしたが、そんな教えは聖書にない。聖書にない「教え」を人に強制しようとする人が「クリスチャン」には時々いるのですが、彼もそのタイプでした。実際、「一流大学」と言われる大学を出たらしいわりにたいしたことない人というのもいるかもしれませんし、あまり「一流大学」でない学校しか出ていない人でも、活躍する人もいるかもしれませんけれども、それは一般の職場の話であって、京大や東大に合格しようという人の行く予備校に、私立五流大学しか出てない人が「主事」だとして勤務して、すでに一度は京大なり東大なりを受けて、自分なりに学習法について一家言もっている人間に口出して指導しようとしても、それは「余計なこと」というのか、「害がある」のですが、F井にしても、自分が害がある存在だという事実を認める謙虚さに欠けました。F井は、「クリスチャン」だと称して、「クリスチャン」の「教え」だと、「どこの大学を出たかで人を評価するものではない」と片方で言いながら、他方において、「ぼくは早稲田の政経を出てるんだけどな」と一日に最低3度は言わないと気がすまない男で、同時に「その地域によって大学の評価に差がある」と、「ぼくは早稲田の政経出てるんだけどな」と一日に最低3度は言わないと気がすまないというそのおのれの態度を評価してもらえないというのを、「地域によって大学の評価に差がある」ことからだと言いたいようでしたが、彼が評価されないのは、彼が評価されない言動をとっていたからで、早稲田大学という大学の評価が、関西においては東京圏におけるよりも低いからという問題ではないのでしたが、彼はその事実を事実として認める謙虚さに欠けました。東京圏に住めば、そのへんに早稲田大学の学生もおれば早稲田大卒の人もいますし、東京圏で会社に勤めると「ぼくは早稲田でてる」と称する学歴詐称のおっさんがゴマンといるというのも身をもって知りますし、「早稲田の政経」というのは「学歴詐称の定番」ですから、東京圏で「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないアホを見ると、「ああ、また、しょーもない学歴詐称のおっさんが出てきた」と思うところですが、関西では早稲田大学の学生はそのへんにそれほどいませんし、早稲田大卒の人もいないわけではないとしても、東京圏におけるよりも少ないですから、だから、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないおっさんを見ると、東京圏の住人なら「また、学歴詐称のアホがいたか」と思うところを、そうではなく、「早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあ」と思ったのでした・・・が、その後、会社に勤める経験を経ますと、「早稲田の政経」は「学歴詐称の定番」ですし、学歴詐称するおっさんなんてゴマンといるわけで、「ぼくは早稲田の政経出てるんだけどな」と何度も何度も言われても、「ああ、そうですか」と言うしかないのですが、YMCA予備校ではいいかげん、うんざりしました。「ウンコまみれのザリガニ」で「うんざり」・・・。
YMCA予備校の「主事」だという藤井という「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3度は言わないと気がすまないというおっさんが言うには、「YMCAでは英語は『書く』ということになっています。」と言い、英文解釈として、「下記の英文を日本語に訳せ」という問題を集めた「訳1」だけでなく、ある程度長い英文が出て、「訳せ」という問題ではなく、その英文を踏まえて、いくつかの問いが出題されるという問題までも、その英文を訳して書けというのでしたが、これは学習法として間違っています。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で書いていましたが、もしも、英文が出て、訳せではなく、その英文を踏まえて、「上記の英文の内容に一致するのは下記の英文の中でどれか」「上記の英文の内容に一致しないのは、下記の日本語の文章のうちどれか」とかそういった問題にまで、いちいち、英文を日本語に訳して、しかも、それをノートに書いていたのでは、実際の試験の時にも、そういう問題が出題された時に、いちいち、全文を日本語に訳して、しかも、それを紙に書かないと解けなくなってしまう。それでは、そういうタイプの問題を解答する時間がかかり過ぎて、落ちてしまうと書いていましたが、私もそう思います。藤井は実際は早稲田ではなく、亜拓大東帝国(亜細亜大・拓殖大・大東文化大・帝京大・国士館大)くらいの私立大学しか出ていない人間ですから(と思いますよ、東京圏の大学に行って、実際の早稲田大学の学生を見て、会社に勤めて早稲田大卒の人と会ってみると、「いくらなんでも、あんな早稲田ないわな」と思いました)、わからないのです。わからないものだから、だから、ともかく、「スパルタ式」で労力がかかることをさせればいい、労力がかかることをさせれば「親は喜ぶ」と思ったようですが、それは迷惑です。「訳3」は、基本的には「サイドリーダー」「読み物」で、長い文章をできるだけ早く読むという趣旨のもので、その中で単語・熟語の語彙を増やしていくというものですから、全体の意味がわかればいいのであって、それを、いちいち、日本語に訳して、しかも、ノートに書いていったのでは効率が悪いし、そもそも、それは、そのテキストを作った人の考えに反するはずなのですが、藤井はテキストを作った人の考えに反することを「YMCAのやり方」と主張したのでしたが、実際は「YMCAのやり方」ではなく藤井のやり方だったと思います。
授業の進め方にしても、「訳1」「訳2」にしても、「単なる答えあわせ」みたいな授業であり、あれでは、解説が詳しい英語の問題集を買ってきて自習した方が効率的でしょう。柴田孝之が、自習するのと授業を受けるのと、どちらが効率的かというと、問題集のようなものをやる場合には、基本的には自習した方が効率的だと書いていましたが、これも柴田が言うのが正しいでしょう。
「英作文」ですが、YMCAの英作文のテキストは、日本語を英語に訳せという問題を集めただけで、授業は「単なる答え合わせ」でしかない。講師は、どこかの私立大学の教授なのか助教授なのか助手なのかのバイトで、いかにして合格させるかといった熱意なんかない。そういう人のそういう授業です。
大きな問題として、隅という「主事」が、「入学式」で「聖書には、ロトがソドムの街から逃亡する時、天使がロトに『決して後ろを振り返ってはならない』と話したように、浪人中、後ろを振り返ってはならない」などと言ったのですが、これは正しくない。浪人生が現役生に比べて有利な点は、「一度、経験している」という点で、前年、受けてどうだったか、何点取ったかよりも、自分はどういうところができてどういうところが不足していたか、どういう点を補充すれば点数をアップさせることができるか、といったことを考えることができる点だと思います。現役生は受けた経験がないのですから、浪人生に比べてこの点が不利です。そこを生かさない法はないはずですが、ところが、「後ろを振り返ってはならない」などとアホなことを言うのです。神はそんなこと教えてないはずなのですが、「クリスチャン」というのは聖書の文句を自分の勝手な主張に合わせて引用するのが得意です。
私が、東大の試験を実際に受けた経験、及び、前年、代ゼミの東大模試を受けた経験から考えて、英作文については、東大の問題は、他の大学の問題よりも長い問題が出題された、という点に特徴がありました。もし、東大の試験に通ろうと思ったなら、英作文については、長い文章についての英作文ができるようにならないといけない。この対策を取らないといけない。ところが、YMCAのテキストはそういうものではないのです。又、講師はバイトで、その時間そこに来て「答え合わせ」みたいな授業をすれば給料をもらえるという講師で、その対策を何かやろうなどという気概はない。英作文で長い文章というのは、無茶苦茶難しいのかというと、実はそうでもなくて、長い文章でも、短い文章が集まったものが長い文章ですから、長いからといって特別無茶苦茶難しいというものでもないのですが、しかし、そういうものを書く練習をある程度やらないと試験会場で面食らいます。それをやるべきだと思ったのですが、YMCAの「英作文」はそうではないのです。なぜ、そうではないかというと、YMCAの授業は、「京大・東大文系クラス」と名前をつけても、テキストは、全国の大学一般版ですから、「東大の問題を解く」という視点が欠落しているのです。
数学についても、量的にはYMCAの数学の授業とテキストは「十分な量」だったと思いますが、量が多ければいいというものではないのです。予備校でやるものの量が多ければ、その分だけ、自分で工夫して学習する時間が奪われてしまうのです。その「量」がなければ、もっと、自分で工夫してできてものが、できなくなってしまうという面があったのです。
東大の数学と京大の数学はどこが違うか。まず、京大は問題数が多いのに対して、東大は文科は4問だけでした。 問題数が多いということは、数学がある程度以上できる受験生にとっては、失敗が少ない。数学は、もしも、出題が1問だけなら、失敗すると0点になる可能性があります。東大の試験は4問と出題数が少ないので、失敗するとダメージが大きいのに対して、京大の数学は問題数が多いため、1問、失敗しても、全体から考えるとダメージは小さい。東大の文科は、今はどうなっているか知りませんが、1970年代後半から1980年代にかけて、共通一次試験より前においては、二次試験は440点満点で、英語・国語・社会が120点、社会は日本史・世界史・政治経済から2科目選択で、それぞれ60点ずつ、数学が数学1・2Bで80点。この数学の80点について、4問の出題ですから、1問あたり20点ということです。合格最低点は、共通一次試験より前においては、文科1類で250点くらい、文科3類でちょうど半分の220点くらい、文科2類はその真ん中だったと思います。 共通一次試験後は、共通一次試験の1000点満点を110点に換算して、それを二次試験の440点満点のものに加算して合計点で判断するというものですが、1000点満点のものが110点に換算されるということは、共通一次試験で100点の差をつけられても二次においては11点でしかない。100点の差をつけても二次においては11点のリードでしかない、と考えると、「たいしたことない」ような感じもするのですが、差をつけた場合はともかく、差をつけられた時、他の受験生のレベルが高くなければ二次で挽回するのは難しくないかもしれませんが、東大くらいを受ける受験生は他の受験生だってそれなりに点数を取りますから、100点の差が11点に換算されたとした時、その差をつけた場合もつけられた場合も、「たかが11点、されど11点」みたいなところがありました。 まず、数学は、解ける問題と解けない問題があるのです。4問すべて正解できれば一番いいのですが、基本的には大学入試の数学の問題でも、森毅『数学受験術指南』だったか『元気がでる教育の話』だったか(いずれも、中公新書)によると、京大や東大の問題は、「全問正解する人間なんかいるわけがない」という前提の問題を出題しているらしい。だから、全問正解する必要はないし、全問正解できないからとショックを受けるなんてばかばかしい。で、どれだけ取れるかが問題。文科の3つの中で最も合格最低点が低い文科3類でも、共通一次試験から換算される分については誰もが同じ点数だった場合、二次の440点満点で半分は取らないといけないのですから、数学も最低2問は解かないといけない。できれば3問、60点とりたいが、2問プラス部分点で50点とれればいいと考え、逆に、致命傷を防ぐという視点で見るならば、1問プラスアルファは取らないと、たとえ、他の科目で挽回できたとしても、挽回しきれない。数学の問題では、必ず、微分・積分の分野から1題は出題される。数列などは解ける場合もあれば解けない場合もあるが、微分・積分は時間さえかければ解ける場合が多い・・・が、他の分野の問題よりも時間がかかる場合が多い。となると、とりあえず、4問を見まわして、数列などの問題が解けそうならそちらをやるが、解けそうでないなら、微分積分の方をやって、ともかく、「致命傷だけは防ぐ」という方を選ぶ・・・とこういったことを私は自分で考えたんですよ。本来、予備校なら、特に「京大・東大文系クラス」と名前をつけているクラスなら、その「京大・東大文系クラス」の講師がこういったことを説明するべきと違うのか、と思うのですが、「答え合わせ」の授業しかできない講師で、YMCAは京大・阪大の院生のバイトの講師よりも亜拓大東帝国出身の「主事」の方が力を持っていた職場でしたからだめです。
それから。YMCAの「主事」の藤井は、「ガイダンス」で、「きみらは、地方の国立大学なら易しいと思うかもしれんが、地方の大学はその地方の優秀な生徒が受けるんだから地方の国立大学は易しいなんてことはないんだぞ。 地方の人間は根性があるから、きみらみたいな都会の受験生と違って、数学の問題でも、泥臭い書き方であっても、根性で解いたりするんだからな」などとアホなことを言ったことがあったのですが、「地方の人間」というのは「根性」があるて、その理屈はいったいどこから出てきたのでしょうね? 家が農家なら「根性がつく」のですか? 我が家は、私が小学校の4年の時に大阪市内から北摂地区に引越して、その頃、田舎だった場所に引っ越したので、大阪市内に住んでいた時よりも庭が広かったため、私の親はその庭で、キュウリとか茄子とかトマトとか貝割菜とか栽培したのはいいが、そのおかげで、私は小学校の高学年から中学校にかけて、他の同級生が自転車に乗って遊びに行ったり野球やったりしていた時に、土日は朝から夕方までひたすら農作業させられたもので、今から考えてみると、うちは農家でもないのに、なんで、あんなことやらなきゃならなかったのだろうか・・・なんて思います。考えてみると、あの時、我が家は、広い意味で「兼業農家」だったのではないか。父は、「わしがあんたのためにやってやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、わしはあんたにやってもろうたものは何一つないんやからな。何ひと~つ」とか私が20代の頃何度も何度も言っていましたが、私が農作業やって収穫したトマトとか茄子とかキュウリとか、あんた、食っただろうが! と思いましたが、そんな感じで、私はけっこう「農作業」やりましたから、YMCAの藤井の説に従えば私なんかも相当に「根性」がついたはずですが、「農作業」やったら「根性」がついて大学入試で数学の勉強やらなくても「根性」で高得点取れるのか? ・・・・というと、それは「ち~が~う~だ~ろ。」。
その「泥臭い解き方」というものですが、柴田孝之が『東大機械的合格法』で述べていたのですが、「大学への数学」(東京出版)という月刊誌があって、増刊号としての単行本もあったのですが、「大学への数学」に出ている解き方というのは、柴田の表現によると「エレガントな表現」だというのです。私、高校3年の12月に代ゼミの東大模試を受けて、採点されて返送されてきた答案とともに送られて来た正答集を見て、今まで、高校の授業でやってきた解き方や『傾向と対策』(旺文社)とかに出ていた解答の解き方とは違った表現がされていて、東大の数学はこういう解き方をしないといけないのだろうか? などと悩んだことがあったのですが、そうではないのです。数学の問題集の正答とか模擬試験の正答として書かれている解き方・表現は、その問題集の出版社や模擬試験の実施者によって、いくらかずつ違ったりするのです。たしかに、柴田が言うように、「大学への数学」に出ていたのは「エレガント」な感じがする表現でした。「エレガントな感じ」であれ「泥臭い感じ」であれ、ともかく、一通り、解ければいいのですが、数学の解き方で「泥臭い解き方」であるか「エレガントな解き方」であるかは、都会の人間か地方の人間かによりません。予備校の人間は、こういったことを受験生に説明してあげるべきであって、「地方の人間は根性があるんだから、数学の問題でも泥臭い解き方でも根性で解くんだからな」などとトンチンカンなことを言って、受験生の頭を混乱させるようなことはやめるべきです。
何より、社会科。私は、東大の試験を、社会科は、日本史と世界史の2つで受けたのですが、他の科目は別として、私は社会科は北野高校の中間試験・期末試験においても、北野高校の模擬試験においても悪くなかったのです。ところが、京大・阪大型の社会科の試験ではある程度以上の点数を取れたのに、東大の社会科の試験はできなかったのです。ところが、YMCAの「主事」の藤井は、「そんなことあるか。YMCAの模擬試験でできる人間はどこの大学の試験でもできて、YMCAの模擬試験でできない人間はどこの大学の試験でもできないんだ。」と言ってきかないのです。こいつ、絶対、アホや!と思いました。共通一次試験より前の京大や阪大の日本史・世界史の問題は「記述式」と言っても記述するのは事件の名称とか人名・地名・その事件の発生年とかを記述せよというもので、「・・・・について、800字以内で述べよ」と言った東大の日本史・世界史のような問題は出なかったのです。東大の日本史・世界史の問題を「論述式」と表現していた問題集・受験ガイドブックもあれば、「論文式」と書いていたものもありましたが、私はその「論文式」という表現を見て、論文を書かないといけないのかと思ったのですが、そうではないのです。文章でまとめて表現しろということで、大学の史学科の先生に張り合ってそれに劣らない論文を書けという問題ではないのです。そのあたりを認識できるかということと、その上で、700字以内とか800字以内とかで書く練習をしないといけません。 そして、何より、「書く練習」と言っても、どんな練習すればいいんだ・・・・・となるのです。私は、そこを「京大・東大文系クラス」と言うからには、そういった対策講座を実施してくれるのではないかと期待したのです。 普通、期待しませんか?
私は、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)とインテリアコーディネーター試験1次(学科)・キッチンスペシャリスト試験 学科試験は独学で通ったが、インテリアコーディネーターの2次試験(製図・論文)は、ハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター2次対策講座に出て講師の先生がこれをやってくださいと言われた課題を必死になってやったことで通り、キッチンスペシャリストの製図試験にハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て講師の先生がこういう練習をしてくださいと言われたことをやって通り、建築CAD検定の3級と2級はウィンスクールのCAD検定講座に出て、講師の先生から、こういうように書いてください、この練習をしてくださいと言われたことをやって、それで合格できた。そういった講座に出ずに独学でやったとしたら、通らないか合格までにもっと時間がかかったでしょう。高校の中間・期末考査の問題や共通一次試験の前の京大・阪大型の日本史・世界史の問題なら私は他の受験生より高い点数をとれたにもかかわらず、東大型の日本史・世界史の問題はいろいろなことをやったもののなかなかできなかったので、「京大東大文系クラス」なら、そういった指導をしてもらえるだろうと期待した・・が完全に裏切られた。
それで、YMCA予備校「京大東大文系クラス」に入ると、最初に何を言われたかというと、「主事」だという藤井は「今年度から共通一次試験が実施されることになりまして、今まで、理系の人は社会科は1科目で良かったのが理系の人も2科目受けないといけないことになったため、社会科の先生が不足しましたので、皆さんは、社会科の授業は1科目だけで、もう1科目については、教科書を読んでいただければできますから」と、そいう口をききやがったのです。それで、「京大東大文系クラス」と言えるか? 言えないだろ、それでは。 そして、日本史か世界史のどちらか1科目と言われて「世界史」の方を選択して、授業に出てみましたが、その授業は、東大の「700字以内で論述せよ」とかいった問題に、どうすれば書けるようになるかといった授業ではなく。単に世界史を教科書の前から順、年代順に話していくだけで、その授業なら、自分で本を読んで学ぶのと特に変わりはない。しかし、「教科書を読めばできます」などとYMCA予備校の「主事」の藤井は暴論を大きなツラして言ったのですが、「教科書を読む」などということは、私はすでに何度もやったのです。それ以上のことをしてきたのです。それでも、京大・阪大型の日本史・世界史の問題は解答できたけれども、東大型の問題はどうもできなかったのです。どういう練習をするとできるようになるのか、そこを指導してもらいたかったのですが、講師の人は、指導できるような人と違いました。これでは「京大東大文系クラス」と違います。
「京大・東大文系クラス」と言って募集するなら、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部の試験問題と、東大の文科1類・文科2類・文科3類の試験問題を解けるように指導できるスタッフをそろえてから、「京大・東大文系クラス」と言うべきで、指導できるスタッフなんかそろえていないしそろえる気もないのに、そういう看板だけ掲げるというのは、その態度が良心的であるわけないのであり、「看板に偽りあり」と言わざるをえませんし、受講生の間では「看板に偽りありだな」という言葉は出ていました。
京大の院生のバイトらしい理科の「生物」の講師は、講談社のブルーバックスの生物に関する本を読んでその感想を書いてくださいと言い出し、他の受講生から「そんなの、書く?」ときかれたことがありました。彼は勘違いしている。彼が言っているのは、それは中学生か高校1年くらいで、生物学に興味をもてないという人に興味を持ってもらう方法です。「京大東大文系クラス」で大事なのは、目の前の試験で何点とれるかで、生物学に興味を持つとかどうかと違うのです。
京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部、東大の文科1類・文科2類・文科3類を目指す人に対しての理科(物理学・化学・生物・地学)の講師は、YMCA予備校では京大の理学部の大学院生とかがなっていたのですが、理学部に行って生物とか勉強して大学院まで行ったなんて人てのは、その科目が好きでたまらんという人が多く、そういう人というのは、自分の学習時間の半分以上もその科目に費やして、その結果、その科目についてはもんのすごくできるなんて人が少なくないのです・・・が、そんな勉強法なんて、その学科に進むわけではない人間、特に、理科は共通一次試験でしかない、二次試験では理科はないという大学学部を受ける人間にとっては役に立たないのです。むしろ、京大東大文系クラスの理科については、京大か東大の文科に進学した人が担当した方がいいのではないか、自分はこうやって合格したというのがある人の方がいいのではないのかと思うくらいです。問題集をやるとします。その答えは、「先生」に教えてもらわなくても、たいてい、本に解答が書いてある。だから、「答え合わせ」みたいな授業をしてくれる理学部の大学院生の「先生」がいた方がいいのか、自分自身が京大東大の文科に合格した経験がある人がいた方がいいのかというと、自分が受けて通ったか、もしくは通ろうとしたがうまくいかなかったという人のどちらかの方がいいと思います。浪人までして、講談社のブルーバックス読んでる時間ないよ。1冊読んだら落ちるというものでもないが、読むのなら「受験対策として考えると、それは漫画の本を読んでいるのと一緒」と認識して読まないといけない。それを読んだら点数があがるなんて思って読んだら、「なんで、これだけやってるのに点数があがらないんだろ」と馬鹿馬鹿しいことを悩まないといけないことになる。
何より、YMCA予備校の「主事」の藤井は「YMCA予備校の試験で高得点を取ったものはどこの大学の試験問題でもできて、YMCA予備校の試験問題でできない者はどこの大学の問題でもできないんだ」と主張したので、私は「それは違うと思います」と言ったのです。私自身が経験したこととして、共通一次試験実施より前の前年、12月に代ゼミの東大模試を受けた時、1次については、文科で一番難しい文科1類でA判定、それもAでもけっこう上の方のA判定だったのです。もし、東大の入試が1次だけで合否を判断されて、しかも、その代ゼミの模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験だったとしたら、ゆうゆうと文科1類に合格、おめでとう~お♪ てところです。ところが、二次の方はそうではなかった。特に、北野高校の中間試験・期末試験や北野高校の模擬試験では、他の科目はともかく、社会科(日本史・世界史)については悪くなかったにもかかわらず、代ゼミの東大模試では、二次試験でできなかった。一次試験でも日本史・世界史はあって、そちらは他の受験生と比較しても悪くないのですよ。だから、同じ科目名がついていても、その問題によって、できたりできなかったりすることがあるのです。私は高校を卒業する年に受けた本番の試験と模擬試験との経験から、その科目そのものの勉強だけでなく、受けようとする大学学部の問題についての対策を考えないといけないし、ある大学学部の問題ならできるが別の大学学部の問題ならできないという場合もある、ということを認識したのです。ところが、YMCA予備校の「主事」だという藤井は「そんなことは絶対にない。YMCA予備校の試験でできる者はどこでもできる。YMCA予備校の試験でできない者はどこでもできない」と言ってきかない。それだけでなく、「きみみたいに、逆らう人間は会社員としてやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはいけない。きみは人間性に問題があるから、そういう学部はやめた方がいい」とまで言い、ついに「人間性」まで否定されてしまったのです。おまえの方がよっぽど人間性に問題があるのではないか、と思いました。
1973年、プロ野球のパリーグで、前後期制が実施され、前期優勝チームと後期優勝チームがプレーオフをやって勝った方がシーズン通しての優勝、という制度になり、5戦のうち、先に3つ勝った方が勝ちというプレーオフで、前期優勝の南海が、その頃のパリーグにおいては圧倒的に強かった後期優勝の阪急を3勝2敗で破って勝ったのには感動した・・が、「最近の若い人」なんて言う年齢になってしまったのかと情けないが、最近の若い人はこの話を知らないみたいだが、前期優勝の南海は、後期、阪急に対して、なんと、1分け12敗。1勝もできなかった。年間通しての成績は、阪急が1位で南海は3位、2位はロッテで南海は2位ですらない。後期は日本ハムと同率3位とはいえ、5割も切った成績。新聞のスポーツ欄には、阪急が圧倒的に有利とどこにも書かれていた。しかし、プレーオフでは南海が勝った。南海の監督だった野村克也は今でもあっちやらこっちやらにその時のことを書いているが、前期を終わった時点で、「後期は、阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」と思ったと。「阪急に3つ勝てば」というのは、プレーオフ5戦のうち3つ勝てば、ということだ。 そして、わざと負けたのではないらしいが、後期の公式戦では、南海は阪急に1分け12敗とひとつも勝てなかったのだ・・・・が、プレーオフでは3勝2敗で、南海の優勝。前後期通算すると3位であって2位でもないチームが1位のチームを3勝2敗で破った。大学入試は、これと似たようなところがあると私は思っているのだ。 大学入試の模擬試験には「実力テスト型の模擬試験」と「模擬試験型の模擬試験」がある。資格試験の模擬試験というものもあるのだが、資格試験の模擬試験は「模擬試験型の模擬試験」で「実力テスト型の模擬試験」というものはない。「実力テスト型の模擬試験」というのは、「全国総合模試」とかそういった名称のもので、特定の大学学部の試験問題そっくりではない問題を出題して、全般的学力を見るというものである。それに対して、「模擬試験型の模擬試験」というのは、今もあるのかないのか知らないが、私が高校を卒業した頃なら、河合塾が実施していた「東大オープン」「京大オープン」とか駿台予備校が実施していた東大模試・京大模試、代ゼミが実施していた東大模試などがそれに該当する。模擬試験型の模擬試験は実際の試験との相関性はある程度高いが、実力テスト型の模擬試験というものはそれほどではない。私は、2浪もして、結局、東大に通らなかったのだが、2浪の時の9月に受けた河合塾の「全国総合模試」で、東大の文科3類で、「判定」は「B]だったのだが、2浪もしてBかあと思ったが、上の方の「B」だったので、もし、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら「上の方のB」ということは合格だが、私の場合、「模擬試験型の模擬試験」においても、社会科(日本史・世界史)は悪くない成績を取れていたのだが、東大の二次試験の日本史・世界史の問題がどうもうまく書けなかったので、模擬試験型の模擬試験で「もし、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら合格」という点数を取れても、それでも、「合格の可能性が高い」とまで考えていいとは思わなかった。
最近、城崎温泉竜太郎と右翼橋下徹とともに、アクビのみどり として北野高校の知名度アップに貢献なさった 松嶋みどりさんは、1浪で東大に合格したそうだが、「フライデー」に出ていた話によると、『東大入試合格作戦』(エール出版社)に合格体験記を書いたのはいいが、そこに、「早稲田大学を落ちてしまった時、私は絶対に東大に合格して、この早稲田大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」とか書いていたため、この女、そういう人間なんだとか、そんな感じで「フライデー」には書かれていた・・・のだが、あの『東大入試合格作戦』とかその他『〇大入試合格作戦』て合格体験記、うかつに書くと、それから何十年か経ってから自分で自分の文章を見て、ギャッ! と言ってひっくり返るので気をつけた方がいいと思います・・・が、松嶋さんにしても、東大は通ったけれども、早稲田は落ちたのです。一般に、東大と早稲田なら、東大の方が評価は上だと思いますが、東大に通っても早稲田大に落ちるということは、これは特に珍しいことでもないのです。私は、京大に通って慶應に落ちたという人も知っていますし、慶應に通って関学に落ちたという人も知っています。それは、「あること」であって、珍しいことではありません。インターネットで見ていたら、橋下徹は、早稲田大学の政治経済学部経済学科卒らしいのですが、彼は、早稲田大学を複数学部受けて、「全勝ち」だった、すごい! みたいに書いていた人がいましたが、彼は国公立大志向の北野高校の出身で、1浪して早稲田大に行っているわけですから、高校卒業時も1浪してからも国立大学は落ちたということでしょうからその点では「あんまりエライことない」かもしれませんが、早稲田大の他に受けた学部がどうかなんて、ひとから「他の学部は通ったんですかあ?」なんてきかれても、真面目に答えないといけない義務も義理もないし、「通りましたよお」くらいに言っておけばいいことで、実際にどうかわかりませんが、一般に、早稲田大学は、理工学部以外、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部は試験科目も配点も出題傾向も同じで、合格難易度もそれほど大きく違いませんから(1980年代の話。今は知らんで)、複数学部を受けた場合、「全勝ち」か「全負け」になる可能性は小さくありません。彼は早稲田大の政治経済学部経済学科卒だということですから、早稲田大の中では難易度が難し目の政治経済学部に通ったからには、ほかの学部も受けていたならば、「全勝ち」した可能性は十分あるでしょう。「全負け」すると気分も悪いし、しょげるかもしれませんが、これも「あること」です。今は私が高校を卒業した頃と制度が同じか違うか知りませんが、1970年代後半、早稲田大学の政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部・教育学部は、英語・国語と社会科1科目(日本史か世界史)の3科目で受けることができたのですから、文科でも数学1・2B、理科2科目、社会科も1科目ではなく2科目、勉強しないといけない東大や京大の受験生が、その半分未満の試験科目だけを集中して勉強した人間との競争に敗れたとしても、ありえない話ではないのです。早稲田大学は「私学の東大」とか言い、それをほめ言葉と思っている人がいますが、半分は「私学のくせして東大の後ばっかり追いかける独立自尊の精神に欠ける大学だ」というけなし言葉です・・が、それだけに東大に行きたかったが行けかったという人が行った場合には、慶應よりも早稲田の方が違和感を感じずに進むかもしれませんが、入試については、東大や京大を第一に考えて受けた人の場合、早稲田はけっこう落ちやすくて、入試科目に数学があった慶應の方が国立大落ちの人は通りやすかったところがあります。
大学入試は、1973年のパリーグのプレーオフみたいなところがあります。「学力テスト型模擬試験」では3位くらいでも、本番の試験では1位になれる可能性は十分にある。逆に、実際に受ける大学学部の試験とは問題が違う模擬試験で少々成績が良くても、それで通るとは言えない。このあたりを考えて受験の対策をとるべきです。「後期は、阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢で、南海はプレーオフで阪急に3勝2敗で勝ち越した。プレーオフで勝ち越すのも、それも、3勝0敗である必要はないのです。3勝2敗でいいの。大学入試も、一番で通らなくても合格最低点よりも高い点数を取ったら合格です。
「I D野球」「弱者の戦術」として「戦力の集中」をはかることにより、ここに行きたいと思うところの問題を集中してやり、その問題をとけるようにという対策を集中してやることで、他の特に行きたいわけでもない大学の問題を解けなかったとしても、そんなことはどうでもいい、「後期は阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢からいくならば、東大に行こうとする人にとっては、早稲田に落ちたとしても、もし、東大に通るなら、早稲田に落ちたなんてことはどうでもいいことになります。(そんなこと言ってたら、両方落ちたり・・・なんてこともありますが。)ですから、「YMCAの試験でいい成績を取れば、どこの大学でも通り、YMCAの試験でいい成績がとれなかったら、どこの大学でも落ちる」なんてナンセンス、というより、アホの言うことです。大学入試がわかっていない人間の言うことです。
YMCA予備校の古文の講師で、「北野高校卒、京大文学部卒、元天王寺高校教師」という山之内とかいうおっさんが、「最低で京大、うまくいけば東大、さらに行けば亜細亜大だ~あ」とか言ってましたが、亜細亜大は「しょーもない冗談」として、「最低で京大、うまくいけば東大」という考え方は、それは大学受験の考え方として、間違いです。東大は「スーパー京大」ではありません。古文の山之内のおっさんは「主事」の藤井と違って「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教師」というのは詐称ではないと思いますが、そのあたりの認識は適切ではありません。私は、建築CAD検定の3級と2級に合格したのですが、CADの検定試験としては、もうひとつ、CAD利用技術者試験というのがあります。ほかにもCADについての検定試験はあったと思いますが、この2つのどちらかに合格しておれば、建築業界に就職しようとする場合に「CADができる人」と見てもらえる可能性があります。片方で相当に高得点を取ることができれば、他方に必ず通るかというとそうではありません。同じCADの試験ですが、出題される内容が違いますので、片方に通っても他方に落ちることは十分あります。京大の入試と東大の入試はそういうものと考えた方がいい。模擬試験で、過去に京大を受けた人が、通った人5人・落ちた人5人という成績なら、その成績は、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験なら、合格最低点ぎりぎりの点数を取ったということで、それより少しでも高い点数を取れたなら合格という意味になりますが、「京大オープン」とか「京大模試」とか、私が行っていた頃の北野高校の模擬試験のように京大に相関関係が強い模擬試験で、京大に通った人5人・落ちた人5人の成績なら京大に合格できるかどうかぎりぎりで、東大に行こうとすると、京大に通った人5人・落ちた人5人の成績ではなく、京大に通った人7人・落ちた人3人の成績をとる必要があるということか? 京大に通った人7人・落ちた人3人という成績を取れば東大に通るのか? というと、そういうことではないと思います。「学力テスト型模擬試験」では「3位くらい」の成績でも、東大の試験で「1位の成績」(合格の成績)をとるということは「ありうること」です。考え方として、「後期は阪急に3つ勝てば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という考え方をとるか、「最低で京大、うまくいけば東大」などという考え方をとるのか。前者の考え方をとれば、その分だけ通りやすく、後者の考え方を取ると、その分だけうまくいかない。「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教師」でも、そのあたりを山之内さんは理解できていなかった。
「どこの学校に行ったかで決まるのではなく、どれだけ勉強したかで合否は決まるの。駿台や代ゼミに行ったからといって合格するのと違うの」などと、古文講師の山之内さんは言われたが、そういう文句を予備校の講師に言ってもらいたくないね。駿台や代ゼミの方が自分の所よりいいと自分から認めたみたいな言い方は、予備校の講師の口から言われたくない。
YMCA予備校は「作文の試験」をやって、文章構成ではなく内容を批判していたが、京大にも東大にも、方向修正して受ける可能性がある阪大・神戸大や併願の可能性がある早慶や関関同立にも作文の試験なんてないのですから、作文の練習は無用。YMCAの「作文の試験」はあれは思想調査でした。
YMCA予備校高槻校は、京大・東大の文系学部へ進学するためのスタッフをそろえていないのに、なぜ「京大東大文系クラス」などと名のったのかというと、そう名のることで高水準の受験生を集めて、京大を落ちた受験生に翌年阪大を受けさせて「YMCAから阪大に合格」と称すれば予備校としての評価が上がって予備校商売に成功すると考えたのでしょう。そんな「看板に偽りあり」のYMCA予備校はどうなったかというと・・・→ つぶれた。
(2017.11.17.)
☆看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_11.html
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」〔今回〕
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_13.html
この記事へのコメント
私も藤井英世主事と折り合いが悪かった者ですが、本当に「きざ」で貴殿のおっしゃる通りの嫌味な方だと思います。藤井主事が絶対に二浪や仮面浪人は認めませんでしたしので、泣く泣く早稲田に行きましたが、高校の担任だった先生のすすめで、すぐに仮面浪人を始めてなんとか合格しました。YMCA予備校に一年遅れの合格挨拶に行けば嫌味の一言を言われると思ったので、全く無視しました。京大入学後にキャンパスでかってのYMCA予備校の同期生で私の合格を知らない方々と出会ったときに「○○さんは早稲田でしょ。今日は京大に旅行で遊びに来られたのですか。」と聞かれたのが思い出になっています。