看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票【3/3】「4年制大学法・経済・商学部卒」を高卒以下扱い
[第568回] 営業と会社の話(138)-3
[B] 「看板に偽りあり」の求人票
1980年代の終わり、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に私が入社した時、慶應義塾大学に小堀住研(株)が出していた求人票には、「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で、「技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」と記載されていた。私はそれに応募して入社した。
慶應義塾大学の場合、同大学に入学した人間は、「内部進学」と「私立受験校卒」「公立伝統校卒」と「進学校でない高校卒」、それに「スポーツ入学」「帰国子女入学」があり、私立なので「裏口入学」もいくらかはあったのではないか。内部進学の教授は「我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ。おまえらは自分たちは優秀だとか思ってるんだろ。そんなものは何の価値もあるものか。小学校から高校までの勉強は害があるんだ。わかってんのかあ。その点、我々内部進学の人間は『塾風』というものを身につけているんだ。内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ」と講義の最中に教壇で叫ばれますが、「塾風」ていったい何やねん? というと、まあ、「やまとだましい」みたいなもので、「内部進学の人が持っているらしい何か」ということでしょう。内部進学の教授が言われるところの「(慶應義塾の)外部の者」である私は「内部進学の人が持っている何か」という「塾風」なるウイルスか病原菌かみたいなものは身につけていないということになりますが、小学校から高校までに身につけた学識、慶應の内部進学の教授としては「害がある」と言われるものを身につけてきています。内部進学の学生や教授が「(慶應義塾の)外部の者」と言うところの、大学から入学した人間の場合、慶應大学に入学できるように、慶應の入試科目だけ勉強して合格したという人と、多くの試験科目がある国立大学を受けて合格できずに慶應大学に入ったという者がおり、国立大学を受けた者でも、数学と英語だけが試験科目であった慶應の経済学部に入った人間で、「一橋の経済を受けた」と称する者というのは、たいていが「オリンピック」、参加することに意義がある、受けることに意義がある、というもの。最初から合格するつもりはなく、国立大学もどこか受けるだけ経験として受けておこうというものであった連中、「人生経験」で受けただけの連中で、通ろうとして受けたのではない。私は、慶應に行ければと思って慶應の試験科目だけ勉強して慶應の経済学部とか文学部に入った人、国立大学を「受けた」といってもオリンピックでしかない人と違って、国立大学に行くつもりで勉強してきた人間であり、それも、理系学部に行くことも考えた人間なので、たとえ、建築学科・土木学科卒の人間といえども、「しょーもない私立大学」の建築学科・土木学科卒の人間よりも、高校までの学習については、数学にしても、物理・化学・生物などにしても、私の方がよっぽど学習してきたはずである。
私が高校を卒業した年、東大の試験に落ちた後、父からは、受験料がいくらで予備校の学費がいくらで、定期代がいくらで、入学願書を取り寄せるための封筒代がいくらで、切手代がいくらで、東大を受ける時のホテル代がいくらで、交通費がいくらで・・・と、「でんたく、電卓、デンタク、でんたっく」と言って電卓で計算して、「・・・円の損」「あんたが浪人したおかげで、わしは、〇〇円の損をさせられた」と毎日毎日耳鳴りがするくらいに言われたものだし、「高校は義務教育じゃないんだから、おまえみたいなもん、高校行ったのは余計じゃ。チャンコロ。おまえは高校行く必要はなかったんじゃ。余計なものを行きおってからに、チャンコロ。反省しろよ、チャンコロ。おまえは高校行く必要ないんじゃ、チャンコロ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたが、実際、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム〕は、入社式とその後の新卒社員研修に大阪駅の前の本社で受けるために、東京から大阪まで行く際の交通費を、千葉工大のヤツには新幹線に乗車した金額を払いながら、私には普通運賃しか払ってくれなかったが、千葉工大に行くヤツ・行ったヤツなんて、実際のところ、高校行く必要はないし、義務教育であろうがなかろうが、高校行ったのは余計じゃ! と思う。実際のところ、慶應の教授なんか見ていると、「おまえみたいなもん、高校行ったのは余計じゃ!」と言ってやりたい人間だらけであるが、彼らはちっともそんな意識はないようだった。私なんかは、父から「うちは工学部みたいなもんに行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われてきたもので、国立大学なら工学部でも法学部でも経済学部でも学費は同じなので、そう言ったところ、母から「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。たとえ、国立大学なら工学部でも同じ学費でも、100%通るとは限らないでしょうがあ。100%通ると限らないのだから、落ちる可能性だって0じゃないんだから、工学部みたいなもん、受けてはいかんでしょうがあ。何を甘ったれてますのん、あんたはあ」と言われたものだ。だから、千葉工大みたいなものに甘ったれて甘ったれて行くようなヤツというのは、見ただけで虫唾が走る・・・が、小堀住研(株)は、その虫唾が走るヤツには新幹線に乗った場合の交通費を支給し、私には普通運賃だけしか払ってくれなかったが、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」という条件が、もしも、「高校までの学習について、数学や物理・化学・生物などを人並み以上に学習した上で、大学で建築学科・土木学科で履修することになっている内容を学んできた人」という意味ならば、小堀住研(株)に「技術系」で入社した「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の大部分の人間よりも、前の部分、「高校までの学習について、数学や物理・化学・生物などを人並み以上に学習した上で」の部分については、私の方がずっと上のはずだった。
しかし、「4年制大学の建築学科」か「4年制大学の土木学科」を卒業しないと、「技術系」での採用はされないということだったので、私は「営業系」で応募した。又、私は、会社という所に勤めるならば、人事総務関係の仕事をしたいとその頃は思っていたので、「営業・人事・総務・経理」の仕事である「営業系」の応募した。
ところが、入社してみると、同じ時期に入社した人間で、「4年制大学の建築学科卒の人」が応募条件であるコースに、立命館大学の理工学部建築学科卒の男がいたのですが、当人にきいてみると、「建築学科卒だけれども、営業の方の仕事をしたいと思って応募したら採用してもらえた」と言っていたので、会社へ応募する際には、募集していない会社・募集していない職種に応募して悪いことはないわけで、募集していない職種へ応募する人があった時に採用するかしないかはその会社が個々に判断すればいいことであり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という応募条件に「4年制大学の建築学科卒の人」が応募した場合も、その希望をきいて採用するか不採用とするかはそれもその会社が個々に判断すればいいことであり、彼は、「個々に判断」されて採用されたということのようだ。ところが、「技術系」の方だが、「応募資格」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」であったはずなのに、なぜか、建築関係の「短大卒」という人(男性)がいたのだ。 入社式の後の新卒社員研修においても、「小堀住研は、昔から、一貫して、大卒しかとらない会社としてやってきました」と研修の講師役できた人が発言していたにもかかわらず。 そういう人というのは、「コースが違う」ということかなと思ったのです。 たとえば、霞ヶ関の官庁でも、4年制大学を卒業して国家公務員1種試験に合格して入省する人もあれば、2種合格で入る人もあり、そういった試験に合格せずに「どさくさにまぎれて入る」人もあるみたいで、守衛や運転手として入る人もあるようでした。国家公務員1種試験合格で入る人の場合、霞ヶ関の官庁では、東大法学部卒で入らないと、九州大だの名古屋大だの早稲田だ慶應だ中央だとかいう大学卒で入ったのでは1種に通っていてもだ~めだよ! 犬か猫と一緒の扱いだよ、と法務省の警備員の仕事をアルバイトでやった時に守衛さんが話してくれたことがありました。但し、法務省だけは別で、国家公務員1種試験ではなく司法試験合格で検事として入らないとだめらしく、その場合、東大法学部卒だけでなく京大法学部卒でもいいらしい。それから、公安調査庁とかあまり人気のない省庁の場合は、東大・京大でなく慶應大卒とかでもいいそうで、「今、そこ、通った人、あの人、慶應大卒なんだけど、公安庁でけっこう出世してる人なんだよ」と教えてもらったが、すでにその人は通り過ぎて向こうの方に行っていたので、どんな顔の人だったかもわからない・・・・が、官庁でも、東大法学部卒で1種試験合格で入る人間がいる一方で、守衛で入る人もおれば、運転手で入る人もいるように、「大卒しかとらない会社」の小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム 〕でも、短大卒の人を採用した場合、別のコースで採用したということなのだろうと考えた。「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件だったわけだから、高校までの数学や物理・化学などの学習内容については小堀住研(株)の「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」よりずっと上の私でも、その条件なら「技術系」では採用されないということだなと判断したのだから、建築系の短大とはいえ、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件である「技術系」に応募できるわけないのだから、「技術系」とは別のコースで採用された人なのだろう、と考えた。実際、短大卒で入社した女性社員が何人かいたが、そういう人は、「営業系」「技術系」で入社した男性社員とは別のコースになっていた。
ところが。 配属されてみると、どうも、おかしい。「営業」という職種についている人間は、新卒入社した人間は、たしかに、大部分が「4年制大学卒」の人間で、その多くは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるが、中途採用で入社した人の場合、「営業」の職種で「高卒」の人がけっこういたのだ。
又、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」で、設計・工事・工務・アフターサービスの仕事ではなく、営業の仕事についている人もいたのだ。これも、新卒社員研修の「営業系」の合宿研修の際、研修の担当であったTQC推進本部営業部会の課長であったMさんが「ぼくは関西大学の工学部を卒業して入社して、最初、工事課の仕事をしていたのだけれども、営業をやってくれと言われて、嫌でしかたがなかったけれども、しかたなしにやって、それで、成績を残して、まあ、営業やってよかったかなと今では思っている」ということを言われたことがあったので、そういうこともあるのだろうと思った。入社のしかたとしては「技術系」で入社したが、入社してからの仕事として「営業」の仕事をすることもあるだろう。逆に、「営業系」で入社したが、「技術系」の仕事をしてもらいたいという場合もあるかもしれない。又、いくらかはそういう人がいた方が、会社においては、従業員同士の理解が深まって良いかもしれない。
しかし、どうも、「建築学科・土木学科卒の人」で営業の仕事についている人の数が多いように思えたが、東京支店自由が丘営業課の課長になっていた高橋賢一郎などは、「4年制大学の建築学科卒」とはいえ、東京電機大学などという「大学」なので、東京大学の建築学科とか京都大学の建築学科とかを卒業した人なら、営業ではなく「技術系」として使うところだが、東京電機大学の建築学科などというものは、建築学科というほどのものではないし、千葉支店松戸営業課の課長になっていた石井さんなどは、最終学歴は高卒というのか、「建築の専門学校」卒というのかだったが、資格として一級建築士の資格を取得していたようだが、高橋の場合は、すでに30代の半ばを過ぎていたにもかかわらず、一級建築士を取得できないのはもちろんのこととして、二級建築士も取得しておらず、「技術系」というほどの「技術系」ではないし、同時に「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の条件に該当するわけでもなく、「4年制大学の法学部卒の人」のような法律の知識も法的認識もなく、「4年制大学の経済学部・商学部卒の人」のような経済学的判断力・商業学的判断力があるわけでもなく、「4年制大学の商学部・経営学部卒の人」が持つような経営学的判断能力があるわけでもなく、一線の営業として働いてもらえるなら採用しようかという基準での採用かと思われたが、しかし、中途採用の場合は、営業の職種の場合は、普通自動車運転免許というものの取得者が採用条件のはずであったように思うのだが、高橋は普通自動車運転免許も持たず、それでいて、営業課長にならせてもらい、本来、新卒新人が配属された場合には、クルマで移動しないとできないような仕事は、営業課長が営業課長のクルマにに新人を乗せて仕事をするということになっていたはずで、そういうこともするからということで、「課長の役職手当」が支給されていたのだが、ところが、高橋は、普通自動車運転免許を持たず、自動車も持たず、逆に、自分の営業課の課長でない営業社員に高橋が担当のお客さんの仕事をするために、課長でない営業社員のクルマに乗せてもらい、クルマを運転してもらいしていたが、これはおかしいのではないかと私は思った。課長の役職手当というのは、まだ、クルマを運転できない営業社員がいた場合に自分のクルマに乗せて仕事をするということも含めての課長の役職手当であるから、これでは、課長の役職手当をもらう人間が逆のはずである。
1989年7月1日からという辞令で、「高卒の痴漢人間」の渡邊士直(男。当時、40代。最終学歴:熊本県の底辺の高校卒)が、千葉支店の支店長に任命されてしまった。なんだ、こりぁ! 普通、7月1日から赴任してくださいという辞令が出たならば、さっさと赴任するもののはずであるが、ところが、「高卒の痴漢人間」の渡邊士直(男。当時、40代。最終学歴:熊本県の底辺の高校卒)は、7月の下旬になって、やあっと来た。これはおかしい。私は1990年3月31日に、松戸営業課長の石井(男。当時、30代なかば。最終学歴:千葉県の外房の方の高校卒)から、「〇〇くん、あしたから東京支店自由が丘営業所に転勤」と言われて、「ええ?」と言い返した。「『あしたから』ですか、『あしたから』?」と。石井は「うん。あしたから」と言うので驚いた。石井は最終学歴は高卒とはいえ、まがりなりにも営業課長なのであるから、自分の営業課の人間に対して、今現在の居住地からでは通えない場所への転勤を「あしたから」などと言われて、「はい、そうですか」と子供の使いみたいに受け取ってくるというのは、課長としておかしい。 まがりなりにも、課長という役職に任命されていて、課長の役職手当を受け取っているならば、「たとえば、松戸から柏とか、柏から松戸とか、船橋から市川とか市川から船橋とかの転勤なら、きょう言ってあしたからということもありうるかもしれませんが、今現在の居住地からでは通えない場所への転勤をしてくれという場合には、最低でも2週間前以上前には言うべきもの、できれば1ヶ月くらい前に言うべきものと違いますか。きょう言ってあしたからというのはそれは無理で、無茶でしょう。会社としてそういう対応はおかしいのと違いますか」と言うべきであり、それを言えないのでは、課長としての値打ちがないことになる。 ところが、石井は「でも、あしたからだから」と言うので、私は「『あしたからだから』て、あしたから、いったい、どうやって通えと言われるのですか」と言いましたが、石井は「そんなこと言っても、あしたからだから、あしたから自由が丘営業所に行って」と言うのです。「だから、どうすればいいのですか」と言うと、石井は「あしたから自由が丘営業所(展示場)に勤務して」と言うのです。「渡邊さんが千葉支店に来られた時、7月1日からの辞令だったはずですが、あの人が千葉支店に来られたのは7月も終わりでしたよねえ。渡邊さんにはそういう転勤のさせ方をして、私には、きょう言ってあしたから通勤できない場所に行けと言われるのですか」と言いましたところ、石井は「うん。そう。だって、しかたないじゃん」と言うのです。私は「どうして、『しかたない』のですか。会社なら、『小堀住研は一部上場ですからねえ』と言っている会社で、こんな転勤のしかたをしろというのはおかしいでしょ」と言いましたが、石井は「でも、そういうことだから、あしたから自由が丘営業所に勤務して」と言うのでした。通勤できない場所に、きょう言って明日から赴任しろというのは、このような転勤は人権侵害であり、民法上「信義則違反」であり、又、渡邊の転勤のしかたと比較して明らかに「公平性の欠如」と言えます。石井は営業課長としての職責を果たしていたとは言えません。千葉支店の支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長である越智(おち)は職務怠慢・無能・無責任であると評価せざるをえません。こんなおかしな転勤をさせて、それに何ら対処しない業務課長はおかしい。赴任元の千葉支店の業務課長の越智もそうですが、赴任先の東京支店の業務課長の江間(男。最終学歴:ア法政大学ア法学部卒)もまた、職務怠慢・無能・無責任と評価されるものでしょう。
「痴漢人間の渡邊士直」は、1989年に千葉支店に赴任して最初にやったのは、何人もの人間が見ている前で「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」と言いながら会社の女性社員の尻を撫でまわしたということです。電車の中で混雑している中でこそっとさわるというのでもいいことはないでしょうけれども、それならまだわからないこともないのですが、何人もが見ている目の前で、「こそっと」ではなく、堂々と、「ちょっぴり」ではなく「撫でまわした」のです。びっくりしました。この男、頭、おかしいのではないかと思いました。「渡邊さんの場合は信念もってやってる」と、その後、比較的古くからいる人から聞きましたが、「信念もってやる」のなら、もうちょっと、社会的に意義があることを「信念もって」やっていただきたいものです。
渡邊が無理矢理女性社員の体をさわるというのは、その時限りのことではなく、その後もあったのですが、渡邊は、私に「この俺は、中島(昭午)社長(男。最終学歴:滋賀県立長浜北高校卒http://www.nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ )から、渡邊は会社の女である限り、誰であれ、いつでも好きなだけ、尻でもどこでもなでまわしてもかまわん、と許可されとるんじゃ。俺は今後とも間違いなく絶対に会社の女の尻をなでまわすが、この俺が会社の女の尻をなでまわすのがいかんなどと言うようなヤツは、中島社長がそういうヤツは絶対にお許しにはならんのじゃあ。おらあ、会社やめろ、ごらあ。この俺は会社の女である限り、誰でもいつでも尻をなでまわす権利があるんじゃあ。中島社長(長浜北高校卒)がそうお決めになっておるんじゃあ。この俺が会社の女の尻をなでまわすのいかんと言うようなヤツは、会社を辞めんといかんと中島社長(長浜北高校卒)がそうおっしゃっておるんじゃあ。ごらあ。会社やめろ、おらあ、ごらあ。地面に手をついてドゲザして謝れえ。『支店長が女性社員の尻をなでまわしたのをいかんなどと申しまして申し訳ございませんでした。今後は、支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんなどとは決して申しませんので、どうか、お許しくださいませ』と言って、地面に頭すりつけてドゲザして謝れ、ごらあああ! ドゲザしろお。ごらああ」と、「高卒の痴漢人間」のい渡邊士直と富士銀行(現 みずほ銀行https://www.mizuhobank.co.jp/index.html )から送り込まれて「常務取締役」「東部営業本部長」になっていた増田和二(男。最終学歴:東北大ア法学部卒)、それに松戸営業課長の石井(男。最終学歴:千葉県の外房の方の高校卒)の3人に密室に連れ込まれ、1人を3人で取り囲んだ上で、長時間に渡ってえんえんと怒鳴りつけられたのです。これは、暴行罪に該当する犯罪です。
渡邊士直が千葉支店に赴任して、女性社員の尻を撫でまわした後、次にやったのは、各期間ごとの営業成績により、営業課ごとに支給すると就業規則で定められていたものを、それを横取りして、そして、渡邊のための旅行に使った、ということです。これは横領罪に該当します。 びっくりしました。会社の就業規則に明記されているものが支給されず、それを渡邊が勝手に使ってしまったのですから。しかも、それを支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長の越智(おち)が何も言わずにさせたのですから。
さらに、千葉市中央区のJR千葉駅の前のビルにある千葉支店に、松戸・柏・市川・船橋の営業所に勤務している午前10時00分が始業時刻の従業員に、しばしば、午前9時00分に来いと要求したというのも、あきれました。同時に、支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長である越智が、渡邊に、「そういうことをすると、時間外手当を支給しないといけないことになりますし、小堀住研の就業時間は労基法の就業時間制限ぎりぎりに規定されているので、支店長という役職の人間が、早出残業をしろと命令すると、それは労基法違反の犯罪になってしまいますから、無暗にそういうことをするのはやめてください」と言うべきであるのに、何も言わないというのも驚きました。労基法違反は犯罪ですからね。 軽く考えてもらっては困ります。
なぜ、渡邊が、松戸・柏・市川・船橋の営業所に勤務する人間で午前10時が始業時刻で終業時刻は千葉支店に勤務の渡邊より1時間遅い者に、千葉支店に早出残業で来いと言ったかというと、それは、嫌がらせでしょう。渡邊は、自分が松戸や柏の営業所に来る時は、必ず、午後に来るのです。なぜなら、渡邊の始業時刻は午前9時00分ですが、松戸営業所の営業社員の始業時刻は午前10時00分とそれより1時間遅いのですが、千葉から松戸まで1時間では行けませんから、だから、渡邊は午前9時より少し前に千葉支店に顔を出して、「出勤したという実績」を残した上で、勤務時間中に千葉から松戸、千葉から柏に移動するのです。千葉に住んでいる人間が、松戸や柏に始業時刻より前に行くのは大変ですから、だから、そうするのです。渡邊は、千葉に住んでいる人間が、始業時刻が午前9時の人間が松戸や柏に午前10時より前にでも行くのは大変だということを知っているから、だから、松戸や柏の営業所に勤務の人間で始業時刻が午前10時の人間に、千葉に午前9時に来させようとするのでした。
こういったことを渡邊がするというのは、それは商学部・経営学部的認識が欠如しているからです。まず、支店長といった役職の者は、その会社の勤務時間が午前10時からで勤務場所が松戸であったり柏であったりする者に、千葉に午前9時に来させると、それは早出残業であり、その分に時間外手当を支払わないといけないものだ、ということくらい理解でいないといけませんし、そういったことを理解できる者が支店長などはなるべきで、渡邊のような、理解させようとしても不可能な人にならせるべきではありません。
松戸営業課の営業課長であった石井は、渡邊のことを「営業系の支店長」と言っていたのですが、渡邊は「営業系の支店長」ではないはずです。 「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」であるのに対し、「営業系」というのは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のことで、渡邊士直は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく、「高卒の人」であり、それも「底辺の方の高卒の人」であり、「高卒の痴漢人間の人」です。もし、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であったなら、「渡邊は会社の女である限り、誰でも、いつでもどこででも好きなだけ尻でもどこでも撫でまわしてもかまわんと中島(昭午)社長からこの俺は許可されとるんじゃ」などとは言わない、言えないはずです。社長の中島にそのような「許可」をする権利も権限もないということくらい、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」なら理解できるはずであり、理解できないような人間を「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」とは言いません。
渡邊は理解不能なことをするところがあり、それまで、各展示場に勤務していた「営業補助」という職種の女性社員が時間外に働いても時間外手当を支給していなかったのですが、ところが、渡邊が千葉支店に来ると、それを支給しろと指示したのです。「働き人がその生活の糧を得るのは当たり前である」と聖書にも書いてあるわけで、時間外に働けば働いた分だけ時間外手当は支給されるべきではあるのですが、各展示場に「営業補助」として勤務していた女性の場合、その勤務時間中だけ、展示場にいてもらうという仕事であり、事務仕事をしてもらうとしても、それは勤務時間中におこなえる範囲のものをやってもらうということで、時間外労働をしてまでやってもらうようなものはないはずで、時間外にまでやってもらうことは会社として考えていなかったはずなのです。ですから、もし、勤務時間外に働いていたとすると、各営業所の営業課長に、勤務時間内だけ働いてもらうという前提の人に、なぜ、時間外に働かせているのか、時間外にやってもらわないといけないものがあったなら、「営業補助」の女性ではなく、「営業」の男性社員がやるという前提で会社は考えていたはずなのに、なぜ、「営業補助」の女性社員が時間外労働をしているのか、といったことを確認するべきです。ところが、渡邊はそれをしないし、できない。女性社員の尻を撫でまわすのが習性の男ですから、片方で今まで払っていなかった時間外手当を払って女性の機嫌を取ろうとした、ということでしょう。このあたり、森川英正『日本経営史』(日経文庫)において、管理者的能力は学識者がある程度の一線の仕事を経験して身につけていくもので、一線の仕事でならともかく、管理者的能力は一線の仕事の経験だけでは身につかないものだという指摘がされていますが、実際、そうだと思います。渡邊さんには管理者は無理です。
そして、各展示場の「営業補助」の女性社員というのは、「お留守番」が仕事のひとつですから、展示場にいないといけないのです。ところが、渡邊は、それまで、月に2回、千葉支店で営業会議をおこない、午前10時が始業時刻で松戸・柏の営業所が勤務場所の営業社員まで、午前9時に千葉支店の「朝礼」に参加させられていたのを、毎週、要するに月に4回ないし5回、千葉支店まで来させるように命令し、同時に、それまで、千葉支店の朝礼には参加していなかった各展示場の「営業補助」の女性まで千葉支店に来させるようにしたのです。これでは、「営業補助」の人は「お留守番」をできないことになり、「営業補助」の人が勤務している意味がなくなってきます。そして、片方で、終業時刻よりも後で時間外に働いたという場合には、それまで支払っていなかった時間外手当を払うようにしておきながら、早出残業で千葉支店に呼びつけにしたものについては時間外手当を支給しなかったようなのです。これはおかしいのですが、「営業系」「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく「高卒の人」である渡邊はそういうことを理解できないのです。 そもそも、女性社員というのは、渡邊が尻を撫でまわすために会社が雇っているのではないのですが、渡邊はそれを理解できないのです。
10月頃だと思いますが、渡邊は、千葉県内に、「大安売り」みたいな調子のチラシを新聞折り込みで入れました。 しかし、これはおかしいと思い、私は松戸営業課長の石井に言いましたが、石井は「あれは、営業本部の許可を得てやっているんだから、いいんだよ」と言うのですが、「営業本部の許可」というのは、富士銀行から突然やってきて、住宅建築業の経験も能力もないのに「常務取締役」「東部営業本部長」にならせてもらった増田和二のことで、増田和二は自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていないし、それだけしか考えることのできない男であり、そんな男の「許可」など意味がありません。又、増田は東北大しか出てない男ですが、それも法学部です。増田和二の顔を立ててもらったかどうかで判断するのではなく、この地域にこういう内容のチラシを継続的に入れると、どういう印象をその地域の住人に与えることになり、その後の販売戦略にどういう影響を与えることになるか。プラスの面はどういうもので、マイナスの面はどういうものか、といったことを考えて、そのチラシは入れていいか悪いかということを判断しないといけません。そして、こういうのは、法学部的能力ではなく、商学部的能力です。東北大のア法学部しか出てない増田に、それも、自分の顔を立ててくれたかどうかしか考える能のない男に、忠誠心があるのは富士銀行にであって、小堀住研(株)がどうなろうが富士銀行が良ければそれでいいみたいに思っているような男に判断できるものと違うのです。
小堀住研(株)は、1960年代から1970年代、関西地方を中心に、「高級住宅の小堀」「小堀の家」として売り出し、阪急沿線を中心とした関西圏を中心に、「小堀で家を建てた」というのは、「中より上くらいのサラリーマン」などにとっては、ひとつのステータスになっていたのです。その後、「高品質低価格」という建設省・通産省のプロジェクトである「ハウス55」を出して、「高級住宅」タイプと「高品質低価格」タイプの2本立てになりましたが、「高級住宅」があるから、「高級住宅の小堀」が立てる「高品質低価格住宅」の「ハウス55」が評価されたのです。もし、「高級住宅の小堀」でなくなったなら、「高品質低価格住宅」の価値も低下するでしょう。 又、もともとは在来木造の会社だったのが、1970年代の途中から、木質パネル構法にシフトしたのですが、この「小堀の木質パネル構法」というのは、「在来木造とツーバイフォー工法の両方を参考にして、それぞれの欠点を克服し、長所を集めた構法」という趣旨のものであったはずで、そうである以上、安売りをしてはいけないはずなのです。安売りをしてしまうと、「安物のプレハブ」になってしまって、高級住宅は売れなくなってしまうとともに、「高品質低価格」のものもありがたみがなくなってしまい、売れなくなる可能性が考えられます。
そうであるのに、なぜ、渡邊は「大安売り」と、「高級住宅タイプ」と「高品質低価格タイプ」の2系統あるものを、「高級住宅タイプ」ではなく「高品質低価格タイプ」のチラシを、それも「高品質低価格タイプ」のものを「ともかく安い」「安物住宅」というアピールをするチラシにして入れたがったかというと、それは「自分に合わせた」のでしょう。彼はそういうものの方が売りやすい人間なのです。小堀住研(株)に入社してすぐの「営業系」合宿研修の際、「精神面が貧困なヤツは高額物件は売れない」「精神面が貧困なヤツは安物しか売れない」と言われたことがありましたが、実際、そういうことはあると思います。「高卒の痴漢人間」の渡邊は、それに該当します。彼は「安物しか売れない」のです。だから、渡邊は自分に合わせて、会社の商品を「安物化」したかったのです。 「この俺は、会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きな場所で尻を撫でまわす権利があるんじゃあ。中島社長から俺はそう許可されとるんじゃあ」と言うような程度の低い男には「安物」しか売れないし、「安物」が似合っているのです。
(↑久部緑郎 作・河合単 画・石神秀幸 協力『(My First Wide) らーめん才遊記 (5)ラーメンの未来』2017.8.1.小学館 「第八十九杯 最後に生き残るのは」 )
一般に、需要曲線から考えると、商品は高い値段で売るのと安い値段で売るのとでは、安い値段の方が買いたいと考える人は多いはずであり、安い値段で売った方が売りやすい・売れやすいということになるのですが、そういう需要曲線から考えるという経済学的観点とは別に、その商品がどういうイメージを与えるかという商業学的観点からすると、必ずしも、安い値段をつけた方が売りやすい・売れやすいとは限らないのです。「大安売り」「ともかく安い」と本来なら「高品質低価格」のタイプの商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではないものをアピールしてしまうと、その会社とその会社の商品のイメージそのものが「ともかく安い」になってしまって、「安物」しか売れなくなってしまう。「高品質低価格」タイプの商品を「ともかく安い」という価格しか売れなくなってしまう。そうなると、利益が出ないか利益が相当薄くなってしまうことになり、それだけ、会社の利益は減ることになります。こういったことを考えて、チラシ入れないといけませんが、「高卒の痴漢人間」にはそういったことが理解できないのです。又、「銀行からきたご隠居さん」増田和二にも理解できないようでした。
実際問題として、こういったことを考えるのが「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事であり、「高卒の痴漢人間」の仕事ではないはずなのです。実際、「高卒の痴漢人間」には無理です。
それから、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でも、私の場合は商学部卒とはいえ、(法学部+商学部+哲学・心理学)÷3 のような感じで卒業した商学士ですが、その3分野についてはある程度以上のものを学んできたという自負があり矜持がありますが、それに対して、たとえば、1989年の6月まで千葉支店にいて、1969年の7月から東京支店の業務課長に転勤した法政大学法学部卒だという江間などは、「『大学卒』という肩書を取得するためだけに大学を出たというその程度の人間」であり、「法学部卒」だからといって、人並みに法律や法学的認識を身につけている人間ではないのであり、私のような人間からすれば、そんな人間と、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という文言で考えると一緒だからということで、そんな人間と一緒にされたくないですね。 法学部卒・経済学部卒・商学部卒と言える何かを持って卒業した者と、ともかく「大卒」という肩書を取得しただけでしかない「法学部卒」を一緒にしてはいかんのではないか、と思うのですが、どうでしょう。
「底辺の高校卒の人」の渡邊士直と「銀行から出向してきた何もわからないボケ老人」の増田和二は、私の父が、小堀住研(株)に、便宜をはかった際にも、わざわざ、好意を払った相手に足で砂をかけるような対応をして顔をつぶしたが、そのあたりも、「高卒の痴漢人間」だの「銀行からきた認知症」だのには会社間のマナーにのっとった対応など期待しても期待する方がアホだということでしょう。
一番の問題として、1990年4月に先に述べた人権侵害の転勤をさせられて東京支店自由が丘営業課に転勤した際、東京支店長の高倉から聞いたのだが、渡邊士直は私のことを「使いにくいやつだ」などと誹謗中傷していたようなのだが、何を言ってやがるんだと思ったのだが、私は渡邊に使われる筋合いはないはずなのだ。「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社」であり、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のことで、「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」のことであり、「ミサワホームなどは高卒の営業の会社」であるのに対して、「小堀住研(株)は大卒の営業の会社」であり、「小堀住研とミサワホームとでは、営業という職種の社会的位置づけが違う」はずだったのです。小堀住研(株)はそう言いまくってきたのであり、そういう内容で求人票を記載して募集したはずなのです。
「底辺の高校卒の人」で「高卒で痴漢人間の人」の渡邊士直が「使いにくいやつだ」とか私について言っていたと聞いてびっくりしたのですが、私は彼に使われる筋合いはないはずなのです。 霞ヶ関の官庁でも、「大卒に該当する」という国家公務員1種試験合格で入った人がいる一方で、「守衛」で入った人もおれば、「運転手」で入った人もいたのですが、「大卒に該当する」で入った人が「守衛」で入った人や「運転手」で入った人に、「使いにくいやつだ」だのと言われる筋合いはないわけで、それと同じことで、私は「底辺の高校卒の人」で「高卒で痴漢人間の人」である渡邊にそういう口をきかれる筋合いはないのです。私は渡邊と同じコースで入社していないし、小堀住研(株)は、渡邊士直と同じコースの募集だとして求人票に記載はしていなかったはずなのです。守衛か運転手、もしくは便所掃除のコースに入社した人に使われる理由はないのです。ましてや、「女性社員の尻を撫でまわす役」というコースに入社した人に使われる筋合いがあるとは思えない。
「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに底辺の「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」を入れていいかという問題もあります。クルマの運転が必要条件の仕事に運転免許も持たずクルマも持たずに、課長でない営業担当にクルマに乗せてもらっていたにもかかわらず自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎など見ると、やっぱり、そういう人を入れると、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていこうという構想が崩れると思えた。「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」を絶対に入れてはならないとまでいかないとしても、自分は特別扱いでその職種に入れてもらっているという自覚がなく、建築学科卒だから法学部・経済学部・商学部卒の人間より上だとして優遇されるものだなどという意識を持っている人が増えると、それだけ、会社のレベルが低下する。
時々、高卒の人間でも大卒の人間以上のことができる者はそのように評価しないといけないだろうがとか言う人がいるのだが、↑に述べた内容を見ても、「高卒でも底辺の高卒の人」「高卒であるとともに痴漢人間の人」が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同等のことができていますか? できていませんでしょ。 それよりも、小堀住研(株)は、求人票に「応募資格」として「技術系 4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」「営業系 高卒以上」と記載して募集していたのではないのです。「営業系 4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と記載して募集していたのです。ですから、応募した人間、新卒入社で入社した人間は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の勤め先に応募したのであって、「高卒の痴漢人間」の勤め先に応募したのではないのです。
「小堀住研は大卒しか採らない会社」と言い、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるとして募集しておきながら、入社すると、実はそうではなく、「底辺の高校卒の人」「高卒でも痴漢人間の人」のコースである・・・というならば、それは、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」が「京大東大文系クラス」だと言いながら、実際には京大東大の文科・文系学部に合格するための学習を指導することのできるスタッフを用意していない、京大東大の文系学部に合格できるためのカリキュラムではない予備校が、「看板に偽りあり」で募集したもので、その魂胆は、「京大東大文系クラス」という表現により、高水準の受験生を集めて、前年、京大を受けて落ちた人間に1年後に阪大を受けさせて合格させ、「YMCA予備校から阪大に合格」と言えば、YMCA予備校の評価が上がるだろうというあさはかな考えによるもので、実際には、そういう対応をしたYMCA予備校は、そういう対応の予備校であるという実態が広まり、結果、・・・→つぶれた ・・・のと同じく、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部の人」のコースに来て下さいとアピールした求人票を出して大卒を採用しておきながら、「底辺の高校卒の人」「高卒で痴漢人間の人」のコースの扱いにした会社 小堀住研(株)はどうなったかというと→ つぶれた。
〔今、後継会社として、(株)ヤマダエスバイエルホーム があるが、小堀住研(株)がエスバイエル(株)に変わったのは、小堀住研(株)の初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際はメカケの子だかメカケの娘の婿だからしい中島昭午が、会社名から「小堀」を取り除きたいと思ったからか、その時、相談役だった初代の小堀林衛が他界した1989年の翌年の1990年に名称変更したもので、会社の実態としては継続性があったが、エスバイエル(株)が(株)ヤマダエスバイエルホームに変わったのは、いったん、つぶれた会社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取って《「ヤマダ」エスバイエル「ホーム」》にしたというものであり、「小堀住研(株)→エスバイエル(株)」は、ともかく、いったん、つぶれた。〕
やっぱり、「看板に偽りあり」は、やっちゃいかんのだ。
小堀住研(株)については、もうひとつ。「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社です」と昔から言いまくってきたはずなのだ。しかし、社長は初代も二代目も高卒だったのだ。 よく、「松下幸之助は小学校しか出ていない人だったが、一流大学卒の人間を集めて使った」と言われ、その点で松下幸之助はえらい! と言われてきたが、自分が高卒であろうが小学校しかでていないであろうが、一流大学卒の人間を集めて使うというのは、それは当たり前ではないのかと私は思っていたのだ。しかし、それは、私が「一流大学」と評価するだけ内容が一流であるかどうかはさておき、そのくらいの大学に行った人間だからそう思うことで、高卒の人間はそうは思っていなかったようなのだ。 小堀住研(株)が「小堀は大卒しか採らない会社です」と昔から言いまくってきたのは、初代の小堀林衛は、自分は高卒でも一流大学卒の人間を集めて使っていこうという気持ちがあったのかもしれない。しかし、二代目の中島昭午は、最初、私が応募する時には、社長の中島は高卒であるというのは『役員四季報』などを見て知っていたが、それはパナソニックでも松下幸之助は小学校しか出ていない人であっても「社長は特別」であったのと同様のものだと思い込んでいたが、又、田中角栄は大学を出ていない人間であっても、大臣になった時には、霞ヶ関の担当省庁に行くと、「私は小学校しか出ていない人間で、皆さんは一流大学を卒業した優秀な方であり、私は皆さんを尊敬しております」とか言って役人を立てて、自分のために働いてもらおうとしたとかいうお話(実際にそうであったのかどうかは知らん)があったように、社長は高卒であっても、だから、高卒の人間を優遇するのではなく、社長には、「社長は特別」であるという自覚はあるはずだと思い込んでいたが、小堀住研(株)の二代目 中島昭午にはそういう認識はなかったようで、自分が高卒であるから「高卒の人間の方がいい」という意識で、「高卒の人間」を優遇し、会社そのものを「高卒の人間の会社」にしてしまって、そして・・・・→ つぶした。
私は、東大を受けたが、結局、2浪しても合格できずに慶應大に行ってしまったが、もし、自分の部下に東大卒の人間が配属されても、京大卒の人間が配属されても、何ら問題なく使ってみせるという気持ちできたし、それが当たり前だと思ってきた。 ところが、高卒の人というのは、人にもよるのだろうけれども、そういうように考えられない人が多いようだ。 結局、中島昭午にとって使いやすい人間というのは「底辺の方の高卒の人」「高卒で痴漢人間の人」であったようで、そういう人をまわりに集めたようだ。その結果、どうなったかというと・・・・→ つぶれた。
「会社をつぶした二代目」というのは、けっこういるのだが、長浜北高校の応援部のブログhttp://kitakou.pokebras.jp/e306447.html を見ると、コメント欄に「卒業生」という人が「痴漢人間の守護者」で「会社つぶした二代目」の中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などと書いていたのであきれた。長浜北高校というのは「その程度の高校」なのか? そうでなければ、「痴漢人間の守護者」の中島昭午を「錚々たるメンバー」などとは「バカ言ってんじゃないわ♪」てところである。
※ 「バカ言ってんじゃないわ♪」⇒
《YouTube-三年目の浮気》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM
(2017.11.16.)
☆ 看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_11.html
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_12.html
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 〔今回〕
[B] 「看板に偽りあり」の求人票
1980年代の終わり、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に私が入社した時、慶應義塾大学に小堀住研(株)が出していた求人票には、「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で、「技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」と記載されていた。私はそれに応募して入社した。
慶應義塾大学の場合、同大学に入学した人間は、「内部進学」と「私立受験校卒」「公立伝統校卒」と「進学校でない高校卒」、それに「スポーツ入学」「帰国子女入学」があり、私立なので「裏口入学」もいくらかはあったのではないか。内部進学の教授は「我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ。おまえらは自分たちは優秀だとか思ってるんだろ。そんなものは何の価値もあるものか。小学校から高校までの勉強は害があるんだ。わかってんのかあ。その点、我々内部進学の人間は『塾風』というものを身につけているんだ。内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ」と講義の最中に教壇で叫ばれますが、「塾風」ていったい何やねん? というと、まあ、「やまとだましい」みたいなもので、「内部進学の人が持っているらしい何か」ということでしょう。内部進学の教授が言われるところの「(慶應義塾の)外部の者」である私は「内部進学の人が持っている何か」という「塾風」なるウイルスか病原菌かみたいなものは身につけていないということになりますが、小学校から高校までに身につけた学識、慶應の内部進学の教授としては「害がある」と言われるものを身につけてきています。内部進学の学生や教授が「(慶應義塾の)外部の者」と言うところの、大学から入学した人間の場合、慶應大学に入学できるように、慶應の入試科目だけ勉強して合格したという人と、多くの試験科目がある国立大学を受けて合格できずに慶應大学に入ったという者がおり、国立大学を受けた者でも、数学と英語だけが試験科目であった慶應の経済学部に入った人間で、「一橋の経済を受けた」と称する者というのは、たいていが「オリンピック」、参加することに意義がある、受けることに意義がある、というもの。最初から合格するつもりはなく、国立大学もどこか受けるだけ経験として受けておこうというものであった連中、「人生経験」で受けただけの連中で、通ろうとして受けたのではない。私は、慶應に行ければと思って慶應の試験科目だけ勉強して慶應の経済学部とか文学部に入った人、国立大学を「受けた」といってもオリンピックでしかない人と違って、国立大学に行くつもりで勉強してきた人間であり、それも、理系学部に行くことも考えた人間なので、たとえ、建築学科・土木学科卒の人間といえども、「しょーもない私立大学」の建築学科・土木学科卒の人間よりも、高校までの学習については、数学にしても、物理・化学・生物などにしても、私の方がよっぽど学習してきたはずである。
私が高校を卒業した年、東大の試験に落ちた後、父からは、受験料がいくらで予備校の学費がいくらで、定期代がいくらで、入学願書を取り寄せるための封筒代がいくらで、切手代がいくらで、東大を受ける時のホテル代がいくらで、交通費がいくらで・・・と、「でんたく、電卓、デンタク、でんたっく」と言って電卓で計算して、「・・・円の損」「あんたが浪人したおかげで、わしは、〇〇円の損をさせられた」と毎日毎日耳鳴りがするくらいに言われたものだし、「高校は義務教育じゃないんだから、おまえみたいなもん、高校行ったのは余計じゃ。チャンコロ。おまえは高校行く必要はなかったんじゃ。余計なものを行きおってからに、チャンコロ。反省しろよ、チャンコロ。おまえは高校行く必要ないんじゃ、チャンコロ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたが、実際、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム〕は、入社式とその後の新卒社員研修に大阪駅の前の本社で受けるために、東京から大阪まで行く際の交通費を、千葉工大のヤツには新幹線に乗車した金額を払いながら、私には普通運賃しか払ってくれなかったが、千葉工大に行くヤツ・行ったヤツなんて、実際のところ、高校行く必要はないし、義務教育であろうがなかろうが、高校行ったのは余計じゃ! と思う。実際のところ、慶應の教授なんか見ていると、「おまえみたいなもん、高校行ったのは余計じゃ!」と言ってやりたい人間だらけであるが、彼らはちっともそんな意識はないようだった。私なんかは、父から「うちは工学部みたいなもんに行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われてきたもので、国立大学なら工学部でも法学部でも経済学部でも学費は同じなので、そう言ったところ、母から「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。たとえ、国立大学なら工学部でも同じ学費でも、100%通るとは限らないでしょうがあ。100%通ると限らないのだから、落ちる可能性だって0じゃないんだから、工学部みたいなもん、受けてはいかんでしょうがあ。何を甘ったれてますのん、あんたはあ」と言われたものだ。だから、千葉工大みたいなものに甘ったれて甘ったれて行くようなヤツというのは、見ただけで虫唾が走る・・・が、小堀住研(株)は、その虫唾が走るヤツには新幹線に乗った場合の交通費を支給し、私には普通運賃だけしか払ってくれなかったが、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」という条件が、もしも、「高校までの学習について、数学や物理・化学・生物などを人並み以上に学習した上で、大学で建築学科・土木学科で履修することになっている内容を学んできた人」という意味ならば、小堀住研(株)に「技術系」で入社した「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の大部分の人間よりも、前の部分、「高校までの学習について、数学や物理・化学・生物などを人並み以上に学習した上で」の部分については、私の方がずっと上のはずだった。
しかし、「4年制大学の建築学科」か「4年制大学の土木学科」を卒業しないと、「技術系」での採用はされないということだったので、私は「営業系」で応募した。又、私は、会社という所に勤めるならば、人事総務関係の仕事をしたいとその頃は思っていたので、「営業・人事・総務・経理」の仕事である「営業系」の応募した。
ところが、入社してみると、同じ時期に入社した人間で、「4年制大学の建築学科卒の人」が応募条件であるコースに、立命館大学の理工学部建築学科卒の男がいたのですが、当人にきいてみると、「建築学科卒だけれども、営業の方の仕事をしたいと思って応募したら採用してもらえた」と言っていたので、会社へ応募する際には、募集していない会社・募集していない職種に応募して悪いことはないわけで、募集していない職種へ応募する人があった時に採用するかしないかはその会社が個々に判断すればいいことであり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という応募条件に「4年制大学の建築学科卒の人」が応募した場合も、その希望をきいて採用するか不採用とするかはそれもその会社が個々に判断すればいいことであり、彼は、「個々に判断」されて採用されたということのようだ。ところが、「技術系」の方だが、「応募資格」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」であったはずなのに、なぜか、建築関係の「短大卒」という人(男性)がいたのだ。 入社式の後の新卒社員研修においても、「小堀住研は、昔から、一貫して、大卒しかとらない会社としてやってきました」と研修の講師役できた人が発言していたにもかかわらず。 そういう人というのは、「コースが違う」ということかなと思ったのです。 たとえば、霞ヶ関の官庁でも、4年制大学を卒業して国家公務員1種試験に合格して入省する人もあれば、2種合格で入る人もあり、そういった試験に合格せずに「どさくさにまぎれて入る」人もあるみたいで、守衛や運転手として入る人もあるようでした。国家公務員1種試験合格で入る人の場合、霞ヶ関の官庁では、東大法学部卒で入らないと、九州大だの名古屋大だの早稲田だ慶應だ中央だとかいう大学卒で入ったのでは1種に通っていてもだ~めだよ! 犬か猫と一緒の扱いだよ、と法務省の警備員の仕事をアルバイトでやった時に守衛さんが話してくれたことがありました。但し、法務省だけは別で、国家公務員1種試験ではなく司法試験合格で検事として入らないとだめらしく、その場合、東大法学部卒だけでなく京大法学部卒でもいいらしい。それから、公安調査庁とかあまり人気のない省庁の場合は、東大・京大でなく慶應大卒とかでもいいそうで、「今、そこ、通った人、あの人、慶應大卒なんだけど、公安庁でけっこう出世してる人なんだよ」と教えてもらったが、すでにその人は通り過ぎて向こうの方に行っていたので、どんな顔の人だったかもわからない・・・・が、官庁でも、東大法学部卒で1種試験合格で入る人間がいる一方で、守衛で入る人もおれば、運転手で入る人もいるように、「大卒しかとらない会社」の小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム 〕でも、短大卒の人を採用した場合、別のコースで採用したということなのだろうと考えた。「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件だったわけだから、高校までの数学や物理・化学などの学習内容については小堀住研(株)の「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」よりずっと上の私でも、その条件なら「技術系」では採用されないということだなと判断したのだから、建築系の短大とはいえ、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件である「技術系」に応募できるわけないのだから、「技術系」とは別のコースで採用された人なのだろう、と考えた。実際、短大卒で入社した女性社員が何人かいたが、そういう人は、「営業系」「技術系」で入社した男性社員とは別のコースになっていた。
ところが。 配属されてみると、どうも、おかしい。「営業」という職種についている人間は、新卒入社した人間は、たしかに、大部分が「4年制大学卒」の人間で、その多くは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるが、中途採用で入社した人の場合、「営業」の職種で「高卒」の人がけっこういたのだ。
又、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」で、設計・工事・工務・アフターサービスの仕事ではなく、営業の仕事についている人もいたのだ。これも、新卒社員研修の「営業系」の合宿研修の際、研修の担当であったTQC推進本部営業部会の課長であったMさんが「ぼくは関西大学の工学部を卒業して入社して、最初、工事課の仕事をしていたのだけれども、営業をやってくれと言われて、嫌でしかたがなかったけれども、しかたなしにやって、それで、成績を残して、まあ、営業やってよかったかなと今では思っている」ということを言われたことがあったので、そういうこともあるのだろうと思った。入社のしかたとしては「技術系」で入社したが、入社してからの仕事として「営業」の仕事をすることもあるだろう。逆に、「営業系」で入社したが、「技術系」の仕事をしてもらいたいという場合もあるかもしれない。又、いくらかはそういう人がいた方が、会社においては、従業員同士の理解が深まって良いかもしれない。
しかし、どうも、「建築学科・土木学科卒の人」で営業の仕事についている人の数が多いように思えたが、東京支店自由が丘営業課の課長になっていた高橋賢一郎などは、「4年制大学の建築学科卒」とはいえ、東京電機大学などという「大学」なので、東京大学の建築学科とか京都大学の建築学科とかを卒業した人なら、営業ではなく「技術系」として使うところだが、東京電機大学の建築学科などというものは、建築学科というほどのものではないし、千葉支店松戸営業課の課長になっていた石井さんなどは、最終学歴は高卒というのか、「建築の専門学校」卒というのかだったが、資格として一級建築士の資格を取得していたようだが、高橋の場合は、すでに30代の半ばを過ぎていたにもかかわらず、一級建築士を取得できないのはもちろんのこととして、二級建築士も取得しておらず、「技術系」というほどの「技術系」ではないし、同時に「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の条件に該当するわけでもなく、「4年制大学の法学部卒の人」のような法律の知識も法的認識もなく、「4年制大学の経済学部・商学部卒の人」のような経済学的判断力・商業学的判断力があるわけでもなく、「4年制大学の商学部・経営学部卒の人」が持つような経営学的判断能力があるわけでもなく、一線の営業として働いてもらえるなら採用しようかという基準での採用かと思われたが、しかし、中途採用の場合は、営業の職種の場合は、普通自動車運転免許というものの取得者が採用条件のはずであったように思うのだが、高橋は普通自動車運転免許も持たず、それでいて、営業課長にならせてもらい、本来、新卒新人が配属された場合には、クルマで移動しないとできないような仕事は、営業課長が営業課長のクルマにに新人を乗せて仕事をするということになっていたはずで、そういうこともするからということで、「課長の役職手当」が支給されていたのだが、ところが、高橋は、普通自動車運転免許を持たず、自動車も持たず、逆に、自分の営業課の課長でない営業社員に高橋が担当のお客さんの仕事をするために、課長でない営業社員のクルマに乗せてもらい、クルマを運転してもらいしていたが、これはおかしいのではないかと私は思った。課長の役職手当というのは、まだ、クルマを運転できない営業社員がいた場合に自分のクルマに乗せて仕事をするということも含めての課長の役職手当であるから、これでは、課長の役職手当をもらう人間が逆のはずである。
1989年7月1日からという辞令で、「高卒の痴漢人間」の渡邊士直(男。当時、40代。最終学歴:熊本県の底辺の高校卒)が、千葉支店の支店長に任命されてしまった。なんだ、こりぁ! 普通、7月1日から赴任してくださいという辞令が出たならば、さっさと赴任するもののはずであるが、ところが、「高卒の痴漢人間」の渡邊士直(男。当時、40代。最終学歴:熊本県の底辺の高校卒)は、7月の下旬になって、やあっと来た。これはおかしい。私は1990年3月31日に、松戸営業課長の石井(男。当時、30代なかば。最終学歴:千葉県の外房の方の高校卒)から、「〇〇くん、あしたから東京支店自由が丘営業所に転勤」と言われて、「ええ?」と言い返した。「『あしたから』ですか、『あしたから』?」と。石井は「うん。あしたから」と言うので驚いた。石井は最終学歴は高卒とはいえ、まがりなりにも営業課長なのであるから、自分の営業課の人間に対して、今現在の居住地からでは通えない場所への転勤を「あしたから」などと言われて、「はい、そうですか」と子供の使いみたいに受け取ってくるというのは、課長としておかしい。 まがりなりにも、課長という役職に任命されていて、課長の役職手当を受け取っているならば、「たとえば、松戸から柏とか、柏から松戸とか、船橋から市川とか市川から船橋とかの転勤なら、きょう言ってあしたからということもありうるかもしれませんが、今現在の居住地からでは通えない場所への転勤をしてくれという場合には、最低でも2週間前以上前には言うべきもの、できれば1ヶ月くらい前に言うべきものと違いますか。きょう言ってあしたからというのはそれは無理で、無茶でしょう。会社としてそういう対応はおかしいのと違いますか」と言うべきであり、それを言えないのでは、課長としての値打ちがないことになる。 ところが、石井は「でも、あしたからだから」と言うので、私は「『あしたからだから』て、あしたから、いったい、どうやって通えと言われるのですか」と言いましたが、石井は「そんなこと言っても、あしたからだから、あしたから自由が丘営業所に行って」と言うのです。「だから、どうすればいいのですか」と言うと、石井は「あしたから自由が丘営業所(展示場)に勤務して」と言うのです。「渡邊さんが千葉支店に来られた時、7月1日からの辞令だったはずですが、あの人が千葉支店に来られたのは7月も終わりでしたよねえ。渡邊さんにはそういう転勤のさせ方をして、私には、きょう言ってあしたから通勤できない場所に行けと言われるのですか」と言いましたところ、石井は「うん。そう。だって、しかたないじゃん」と言うのです。私は「どうして、『しかたない』のですか。会社なら、『小堀住研は一部上場ですからねえ』と言っている会社で、こんな転勤のしかたをしろというのはおかしいでしょ」と言いましたが、石井は「でも、そういうことだから、あしたから自由が丘営業所に勤務して」と言うのでした。通勤できない場所に、きょう言って明日から赴任しろというのは、このような転勤は人権侵害であり、民法上「信義則違反」であり、又、渡邊の転勤のしかたと比較して明らかに「公平性の欠如」と言えます。石井は営業課長としての職責を果たしていたとは言えません。千葉支店の支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長である越智(おち)は職務怠慢・無能・無責任であると評価せざるをえません。こんなおかしな転勤をさせて、それに何ら対処しない業務課長はおかしい。赴任元の千葉支店の業務課長の越智もそうですが、赴任先の東京支店の業務課長の江間(男。最終学歴:ア法政大学ア法学部卒)もまた、職務怠慢・無能・無責任と評価されるものでしょう。
「痴漢人間の渡邊士直」は、1989年に千葉支店に赴任して最初にやったのは、何人もの人間が見ている前で「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」と言いながら会社の女性社員の尻を撫でまわしたということです。電車の中で混雑している中でこそっとさわるというのでもいいことはないでしょうけれども、それならまだわからないこともないのですが、何人もが見ている目の前で、「こそっと」ではなく、堂々と、「ちょっぴり」ではなく「撫でまわした」のです。びっくりしました。この男、頭、おかしいのではないかと思いました。「渡邊さんの場合は信念もってやってる」と、その後、比較的古くからいる人から聞きましたが、「信念もってやる」のなら、もうちょっと、社会的に意義があることを「信念もって」やっていただきたいものです。
渡邊が無理矢理女性社員の体をさわるというのは、その時限りのことではなく、その後もあったのですが、渡邊は、私に「この俺は、中島(昭午)社長(男。最終学歴:滋賀県立長浜北高校卒http://www.nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ )から、渡邊は会社の女である限り、誰であれ、いつでも好きなだけ、尻でもどこでもなでまわしてもかまわん、と許可されとるんじゃ。俺は今後とも間違いなく絶対に会社の女の尻をなでまわすが、この俺が会社の女の尻をなでまわすのがいかんなどと言うようなヤツは、中島社長がそういうヤツは絶対にお許しにはならんのじゃあ。おらあ、会社やめろ、ごらあ。この俺は会社の女である限り、誰でもいつでも尻をなでまわす権利があるんじゃあ。中島社長(長浜北高校卒)がそうお決めになっておるんじゃあ。この俺が会社の女の尻をなでまわすのいかんと言うようなヤツは、会社を辞めんといかんと中島社長(長浜北高校卒)がそうおっしゃっておるんじゃあ。ごらあ。会社やめろ、おらあ、ごらあ。地面に手をついてドゲザして謝れえ。『支店長が女性社員の尻をなでまわしたのをいかんなどと申しまして申し訳ございませんでした。今後は、支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんなどとは決して申しませんので、どうか、お許しくださいませ』と言って、地面に頭すりつけてドゲザして謝れ、ごらあああ! ドゲザしろお。ごらああ」と、「高卒の痴漢人間」のい渡邊士直と富士銀行(現 みずほ銀行https://www.mizuhobank.co.jp/index.html )から送り込まれて「常務取締役」「東部営業本部長」になっていた増田和二(男。最終学歴:東北大ア法学部卒)、それに松戸営業課長の石井(男。最終学歴:千葉県の外房の方の高校卒)の3人に密室に連れ込まれ、1人を3人で取り囲んだ上で、長時間に渡ってえんえんと怒鳴りつけられたのです。これは、暴行罪に該当する犯罪です。
渡邊士直が千葉支店に赴任して、女性社員の尻を撫でまわした後、次にやったのは、各期間ごとの営業成績により、営業課ごとに支給すると就業規則で定められていたものを、それを横取りして、そして、渡邊のための旅行に使った、ということです。これは横領罪に該当します。 びっくりしました。会社の就業規則に明記されているものが支給されず、それを渡邊が勝手に使ってしまったのですから。しかも、それを支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長の越智(おち)が何も言わずにさせたのですから。
さらに、千葉市中央区のJR千葉駅の前のビルにある千葉支店に、松戸・柏・市川・船橋の営業所に勤務している午前10時00分が始業時刻の従業員に、しばしば、午前9時00分に来いと要求したというのも、あきれました。同時に、支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長である越智が、渡邊に、「そういうことをすると、時間外手当を支給しないといけないことになりますし、小堀住研の就業時間は労基法の就業時間制限ぎりぎりに規定されているので、支店長という役職の人間が、早出残業をしろと命令すると、それは労基法違反の犯罪になってしまいますから、無暗にそういうことをするのはやめてください」と言うべきであるのに、何も言わないというのも驚きました。労基法違反は犯罪ですからね。 軽く考えてもらっては困ります。
なぜ、渡邊が、松戸・柏・市川・船橋の営業所に勤務する人間で午前10時が始業時刻で終業時刻は千葉支店に勤務の渡邊より1時間遅い者に、千葉支店に早出残業で来いと言ったかというと、それは、嫌がらせでしょう。渡邊は、自分が松戸や柏の営業所に来る時は、必ず、午後に来るのです。なぜなら、渡邊の始業時刻は午前9時00分ですが、松戸営業所の営業社員の始業時刻は午前10時00分とそれより1時間遅いのですが、千葉から松戸まで1時間では行けませんから、だから、渡邊は午前9時より少し前に千葉支店に顔を出して、「出勤したという実績」を残した上で、勤務時間中に千葉から松戸、千葉から柏に移動するのです。千葉に住んでいる人間が、松戸や柏に始業時刻より前に行くのは大変ですから、だから、そうするのです。渡邊は、千葉に住んでいる人間が、始業時刻が午前9時の人間が松戸や柏に午前10時より前にでも行くのは大変だということを知っているから、だから、松戸や柏の営業所に勤務の人間で始業時刻が午前10時の人間に、千葉に午前9時に来させようとするのでした。
こういったことを渡邊がするというのは、それは商学部・経営学部的認識が欠如しているからです。まず、支店長といった役職の者は、その会社の勤務時間が午前10時からで勤務場所が松戸であったり柏であったりする者に、千葉に午前9時に来させると、それは早出残業であり、その分に時間外手当を支払わないといけないものだ、ということくらい理解でいないといけませんし、そういったことを理解できる者が支店長などはなるべきで、渡邊のような、理解させようとしても不可能な人にならせるべきではありません。
松戸営業課の営業課長であった石井は、渡邊のことを「営業系の支店長」と言っていたのですが、渡邊は「営業系の支店長」ではないはずです。 「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」であるのに対し、「営業系」というのは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のことで、渡邊士直は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく、「高卒の人」であり、それも「底辺の方の高卒の人」であり、「高卒の痴漢人間の人」です。もし、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であったなら、「渡邊は会社の女である限り、誰でも、いつでもどこででも好きなだけ尻でもどこでも撫でまわしてもかまわんと中島(昭午)社長からこの俺は許可されとるんじゃ」などとは言わない、言えないはずです。社長の中島にそのような「許可」をする権利も権限もないということくらい、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」なら理解できるはずであり、理解できないような人間を「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」とは言いません。
渡邊は理解不能なことをするところがあり、それまで、各展示場に勤務していた「営業補助」という職種の女性社員が時間外に働いても時間外手当を支給していなかったのですが、ところが、渡邊が千葉支店に来ると、それを支給しろと指示したのです。「働き人がその生活の糧を得るのは当たり前である」と聖書にも書いてあるわけで、時間外に働けば働いた分だけ時間外手当は支給されるべきではあるのですが、各展示場に「営業補助」として勤務していた女性の場合、その勤務時間中だけ、展示場にいてもらうという仕事であり、事務仕事をしてもらうとしても、それは勤務時間中におこなえる範囲のものをやってもらうということで、時間外労働をしてまでやってもらうようなものはないはずで、時間外にまでやってもらうことは会社として考えていなかったはずなのです。ですから、もし、勤務時間外に働いていたとすると、各営業所の営業課長に、勤務時間内だけ働いてもらうという前提の人に、なぜ、時間外に働かせているのか、時間外にやってもらわないといけないものがあったなら、「営業補助」の女性ではなく、「営業」の男性社員がやるという前提で会社は考えていたはずなのに、なぜ、「営業補助」の女性社員が時間外労働をしているのか、といったことを確認するべきです。ところが、渡邊はそれをしないし、できない。女性社員の尻を撫でまわすのが習性の男ですから、片方で今まで払っていなかった時間外手当を払って女性の機嫌を取ろうとした、ということでしょう。このあたり、森川英正『日本経営史』(日経文庫)において、管理者的能力は学識者がある程度の一線の仕事を経験して身につけていくもので、一線の仕事でならともかく、管理者的能力は一線の仕事の経験だけでは身につかないものだという指摘がされていますが、実際、そうだと思います。渡邊さんには管理者は無理です。
そして、各展示場の「営業補助」の女性社員というのは、「お留守番」が仕事のひとつですから、展示場にいないといけないのです。ところが、渡邊は、それまで、月に2回、千葉支店で営業会議をおこない、午前10時が始業時刻で松戸・柏の営業所が勤務場所の営業社員まで、午前9時に千葉支店の「朝礼」に参加させられていたのを、毎週、要するに月に4回ないし5回、千葉支店まで来させるように命令し、同時に、それまで、千葉支店の朝礼には参加していなかった各展示場の「営業補助」の女性まで千葉支店に来させるようにしたのです。これでは、「営業補助」の人は「お留守番」をできないことになり、「営業補助」の人が勤務している意味がなくなってきます。そして、片方で、終業時刻よりも後で時間外に働いたという場合には、それまで支払っていなかった時間外手当を払うようにしておきながら、早出残業で千葉支店に呼びつけにしたものについては時間外手当を支給しなかったようなのです。これはおかしいのですが、「営業系」「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく「高卒の人」である渡邊はそういうことを理解できないのです。 そもそも、女性社員というのは、渡邊が尻を撫でまわすために会社が雇っているのではないのですが、渡邊はそれを理解できないのです。
10月頃だと思いますが、渡邊は、千葉県内に、「大安売り」みたいな調子のチラシを新聞折り込みで入れました。 しかし、これはおかしいと思い、私は松戸営業課長の石井に言いましたが、石井は「あれは、営業本部の許可を得てやっているんだから、いいんだよ」と言うのですが、「営業本部の許可」というのは、富士銀行から突然やってきて、住宅建築業の経験も能力もないのに「常務取締役」「東部営業本部長」にならせてもらった増田和二のことで、増田和二は自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていないし、それだけしか考えることのできない男であり、そんな男の「許可」など意味がありません。又、増田は東北大しか出てない男ですが、それも法学部です。増田和二の顔を立ててもらったかどうかで判断するのではなく、この地域にこういう内容のチラシを継続的に入れると、どういう印象をその地域の住人に与えることになり、その後の販売戦略にどういう影響を与えることになるか。プラスの面はどういうもので、マイナスの面はどういうものか、といったことを考えて、そのチラシは入れていいか悪いかということを判断しないといけません。そして、こういうのは、法学部的能力ではなく、商学部的能力です。東北大のア法学部しか出てない増田に、それも、自分の顔を立ててくれたかどうかしか考える能のない男に、忠誠心があるのは富士銀行にであって、小堀住研(株)がどうなろうが富士銀行が良ければそれでいいみたいに思っているような男に判断できるものと違うのです。
小堀住研(株)は、1960年代から1970年代、関西地方を中心に、「高級住宅の小堀」「小堀の家」として売り出し、阪急沿線を中心とした関西圏を中心に、「小堀で家を建てた」というのは、「中より上くらいのサラリーマン」などにとっては、ひとつのステータスになっていたのです。その後、「高品質低価格」という建設省・通産省のプロジェクトである「ハウス55」を出して、「高級住宅」タイプと「高品質低価格」タイプの2本立てになりましたが、「高級住宅」があるから、「高級住宅の小堀」が立てる「高品質低価格住宅」の「ハウス55」が評価されたのです。もし、「高級住宅の小堀」でなくなったなら、「高品質低価格住宅」の価値も低下するでしょう。 又、もともとは在来木造の会社だったのが、1970年代の途中から、木質パネル構法にシフトしたのですが、この「小堀の木質パネル構法」というのは、「在来木造とツーバイフォー工法の両方を参考にして、それぞれの欠点を克服し、長所を集めた構法」という趣旨のものであったはずで、そうである以上、安売りをしてはいけないはずなのです。安売りをしてしまうと、「安物のプレハブ」になってしまって、高級住宅は売れなくなってしまうとともに、「高品質低価格」のものもありがたみがなくなってしまい、売れなくなる可能性が考えられます。
そうであるのに、なぜ、渡邊は「大安売り」と、「高級住宅タイプ」と「高品質低価格タイプ」の2系統あるものを、「高級住宅タイプ」ではなく「高品質低価格タイプ」のチラシを、それも「高品質低価格タイプ」のものを「ともかく安い」「安物住宅」というアピールをするチラシにして入れたがったかというと、それは「自分に合わせた」のでしょう。彼はそういうものの方が売りやすい人間なのです。小堀住研(株)に入社してすぐの「営業系」合宿研修の際、「精神面が貧困なヤツは高額物件は売れない」「精神面が貧困なヤツは安物しか売れない」と言われたことがありましたが、実際、そういうことはあると思います。「高卒の痴漢人間」の渡邊は、それに該当します。彼は「安物しか売れない」のです。だから、渡邊は自分に合わせて、会社の商品を「安物化」したかったのです。 「この俺は、会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きな場所で尻を撫でまわす権利があるんじゃあ。中島社長から俺はそう許可されとるんじゃあ」と言うような程度の低い男には「安物」しか売れないし、「安物」が似合っているのです。
(↑久部緑郎 作・河合単 画・石神秀幸 協力『(My First Wide) らーめん才遊記 (5)ラーメンの未来』2017.8.1.小学館 「第八十九杯 最後に生き残るのは」 )
一般に、需要曲線から考えると、商品は高い値段で売るのと安い値段で売るのとでは、安い値段の方が買いたいと考える人は多いはずであり、安い値段で売った方が売りやすい・売れやすいということになるのですが、そういう需要曲線から考えるという経済学的観点とは別に、その商品がどういうイメージを与えるかという商業学的観点からすると、必ずしも、安い値段をつけた方が売りやすい・売れやすいとは限らないのです。「大安売り」「ともかく安い」と本来なら「高品質低価格」のタイプの商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではないものをアピールしてしまうと、その会社とその会社の商品のイメージそのものが「ともかく安い」になってしまって、「安物」しか売れなくなってしまう。「高品質低価格」タイプの商品を「ともかく安い」という価格しか売れなくなってしまう。そうなると、利益が出ないか利益が相当薄くなってしまうことになり、それだけ、会社の利益は減ることになります。こういったことを考えて、チラシ入れないといけませんが、「高卒の痴漢人間」にはそういったことが理解できないのです。又、「銀行からきたご隠居さん」増田和二にも理解できないようでした。
実際問題として、こういったことを考えるのが「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事であり、「高卒の痴漢人間」の仕事ではないはずなのです。実際、「高卒の痴漢人間」には無理です。
それから、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でも、私の場合は商学部卒とはいえ、(法学部+商学部+哲学・心理学)÷3 のような感じで卒業した商学士ですが、その3分野についてはある程度以上のものを学んできたという自負があり矜持がありますが、それに対して、たとえば、1989年の6月まで千葉支店にいて、1969年の7月から東京支店の業務課長に転勤した法政大学法学部卒だという江間などは、「『大学卒』という肩書を取得するためだけに大学を出たというその程度の人間」であり、「法学部卒」だからといって、人並みに法律や法学的認識を身につけている人間ではないのであり、私のような人間からすれば、そんな人間と、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という文言で考えると一緒だからということで、そんな人間と一緒にされたくないですね。 法学部卒・経済学部卒・商学部卒と言える何かを持って卒業した者と、ともかく「大卒」という肩書を取得しただけでしかない「法学部卒」を一緒にしてはいかんのではないか、と思うのですが、どうでしょう。
「底辺の高校卒の人」の渡邊士直と「銀行から出向してきた何もわからないボケ老人」の増田和二は、私の父が、小堀住研(株)に、便宜をはかった際にも、わざわざ、好意を払った相手に足で砂をかけるような対応をして顔をつぶしたが、そのあたりも、「高卒の痴漢人間」だの「銀行からきた認知症」だのには会社間のマナーにのっとった対応など期待しても期待する方がアホだということでしょう。
一番の問題として、1990年4月に先に述べた人権侵害の転勤をさせられて東京支店自由が丘営業課に転勤した際、東京支店長の高倉から聞いたのだが、渡邊士直は私のことを「使いにくいやつだ」などと誹謗中傷していたようなのだが、何を言ってやがるんだと思ったのだが、私は渡邊に使われる筋合いはないはずなのだ。「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社」であり、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のことで、「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」のことであり、「ミサワホームなどは高卒の営業の会社」であるのに対して、「小堀住研(株)は大卒の営業の会社」であり、「小堀住研とミサワホームとでは、営業という職種の社会的位置づけが違う」はずだったのです。小堀住研(株)はそう言いまくってきたのであり、そういう内容で求人票を記載して募集したはずなのです。
「底辺の高校卒の人」で「高卒で痴漢人間の人」の渡邊士直が「使いにくいやつだ」とか私について言っていたと聞いてびっくりしたのですが、私は彼に使われる筋合いはないはずなのです。 霞ヶ関の官庁でも、「大卒に該当する」という国家公務員1種試験合格で入った人がいる一方で、「守衛」で入った人もおれば、「運転手」で入った人もいたのですが、「大卒に該当する」で入った人が「守衛」で入った人や「運転手」で入った人に、「使いにくいやつだ」だのと言われる筋合いはないわけで、それと同じことで、私は「底辺の高校卒の人」で「高卒で痴漢人間の人」である渡邊にそういう口をきかれる筋合いはないのです。私は渡邊と同じコースで入社していないし、小堀住研(株)は、渡邊士直と同じコースの募集だとして求人票に記載はしていなかったはずなのです。守衛か運転手、もしくは便所掃除のコースに入社した人に使われる理由はないのです。ましてや、「女性社員の尻を撫でまわす役」というコースに入社した人に使われる筋合いがあるとは思えない。
「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに底辺の「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」を入れていいかという問題もあります。クルマの運転が必要条件の仕事に運転免許も持たずクルマも持たずに、課長でない営業担当にクルマに乗せてもらっていたにもかかわらず自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎など見ると、やっぱり、そういう人を入れると、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていこうという構想が崩れると思えた。「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」を絶対に入れてはならないとまでいかないとしても、自分は特別扱いでその職種に入れてもらっているという自覚がなく、建築学科卒だから法学部・経済学部・商学部卒の人間より上だとして優遇されるものだなどという意識を持っている人が増えると、それだけ、会社のレベルが低下する。
時々、高卒の人間でも大卒の人間以上のことができる者はそのように評価しないといけないだろうがとか言う人がいるのだが、↑に述べた内容を見ても、「高卒でも底辺の高卒の人」「高卒であるとともに痴漢人間の人」が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同等のことができていますか? できていませんでしょ。 それよりも、小堀住研(株)は、求人票に「応募資格」として「技術系 4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」「営業系 高卒以上」と記載して募集していたのではないのです。「営業系 4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と記載して募集していたのです。ですから、応募した人間、新卒入社で入社した人間は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の勤め先に応募したのであって、「高卒の痴漢人間」の勤め先に応募したのではないのです。
「小堀住研は大卒しか採らない会社」と言い、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるとして募集しておきながら、入社すると、実はそうではなく、「底辺の高校卒の人」「高卒でも痴漢人間の人」のコースである・・・というならば、それは、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」が「京大東大文系クラス」だと言いながら、実際には京大東大の文科・文系学部に合格するための学習を指導することのできるスタッフを用意していない、京大東大の文系学部に合格できるためのカリキュラムではない予備校が、「看板に偽りあり」で募集したもので、その魂胆は、「京大東大文系クラス」という表現により、高水準の受験生を集めて、前年、京大を受けて落ちた人間に1年後に阪大を受けさせて合格させ、「YMCA予備校から阪大に合格」と言えば、YMCA予備校の評価が上がるだろうというあさはかな考えによるもので、実際には、そういう対応をしたYMCA予備校は、そういう対応の予備校であるという実態が広まり、結果、・・・→つぶれた ・・・のと同じく、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部の人」のコースに来て下さいとアピールした求人票を出して大卒を採用しておきながら、「底辺の高校卒の人」「高卒で痴漢人間の人」のコースの扱いにした会社 小堀住研(株)はどうなったかというと→ つぶれた。
〔今、後継会社として、(株)ヤマダエスバイエルホーム があるが、小堀住研(株)がエスバイエル(株)に変わったのは、小堀住研(株)の初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際はメカケの子だかメカケの娘の婿だからしい中島昭午が、会社名から「小堀」を取り除きたいと思ったからか、その時、相談役だった初代の小堀林衛が他界した1989年の翌年の1990年に名称変更したもので、会社の実態としては継続性があったが、エスバイエル(株)が(株)ヤマダエスバイエルホームに変わったのは、いったん、つぶれた会社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取って《「ヤマダ」エスバイエル「ホーム」》にしたというものであり、「小堀住研(株)→エスバイエル(株)」は、ともかく、いったん、つぶれた。〕
やっぱり、「看板に偽りあり」は、やっちゃいかんのだ。
小堀住研(株)については、もうひとつ。「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社です」と昔から言いまくってきたはずなのだ。しかし、社長は初代も二代目も高卒だったのだ。 よく、「松下幸之助は小学校しか出ていない人だったが、一流大学卒の人間を集めて使った」と言われ、その点で松下幸之助はえらい! と言われてきたが、自分が高卒であろうが小学校しかでていないであろうが、一流大学卒の人間を集めて使うというのは、それは当たり前ではないのかと私は思っていたのだ。しかし、それは、私が「一流大学」と評価するだけ内容が一流であるかどうかはさておき、そのくらいの大学に行った人間だからそう思うことで、高卒の人間はそうは思っていなかったようなのだ。 小堀住研(株)が「小堀は大卒しか採らない会社です」と昔から言いまくってきたのは、初代の小堀林衛は、自分は高卒でも一流大学卒の人間を集めて使っていこうという気持ちがあったのかもしれない。しかし、二代目の中島昭午は、最初、私が応募する時には、社長の中島は高卒であるというのは『役員四季報』などを見て知っていたが、それはパナソニックでも松下幸之助は小学校しか出ていない人であっても「社長は特別」であったのと同様のものだと思い込んでいたが、又、田中角栄は大学を出ていない人間であっても、大臣になった時には、霞ヶ関の担当省庁に行くと、「私は小学校しか出ていない人間で、皆さんは一流大学を卒業した優秀な方であり、私は皆さんを尊敬しております」とか言って役人を立てて、自分のために働いてもらおうとしたとかいうお話(実際にそうであったのかどうかは知らん)があったように、社長は高卒であっても、だから、高卒の人間を優遇するのではなく、社長には、「社長は特別」であるという自覚はあるはずだと思い込んでいたが、小堀住研(株)の二代目 中島昭午にはそういう認識はなかったようで、自分が高卒であるから「高卒の人間の方がいい」という意識で、「高卒の人間」を優遇し、会社そのものを「高卒の人間の会社」にしてしまって、そして・・・・→ つぶした。
私は、東大を受けたが、結局、2浪しても合格できずに慶應大に行ってしまったが、もし、自分の部下に東大卒の人間が配属されても、京大卒の人間が配属されても、何ら問題なく使ってみせるという気持ちできたし、それが当たり前だと思ってきた。 ところが、高卒の人というのは、人にもよるのだろうけれども、そういうように考えられない人が多いようだ。 結局、中島昭午にとって使いやすい人間というのは「底辺の方の高卒の人」「高卒で痴漢人間の人」であったようで、そういう人をまわりに集めたようだ。その結果、どうなったかというと・・・・→ つぶれた。
「会社をつぶした二代目」というのは、けっこういるのだが、長浜北高校の応援部のブログhttp://kitakou.pokebras.jp/e306447.html を見ると、コメント欄に「卒業生」という人が「痴漢人間の守護者」で「会社つぶした二代目」の中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などと書いていたのであきれた。長浜北高校というのは「その程度の高校」なのか? そうでなければ、「痴漢人間の守護者」の中島昭午を「錚々たるメンバー」などとは「バカ言ってんじゃないわ♪」てところである。
※ 「バカ言ってんじゃないわ♪」⇒
《YouTube-三年目の浮気》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM
(2017.11.16.)
☆ 看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_11.html
2.京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_12.html
3.4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の者を高卒以下扱いの会社 〔今回〕
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