「飛騨民俗村 文学散歩道」と早船ちよ・井上靖・田中澄江 他の石碑-高山シリーズ第5回【9/15】

[第598回] 高山シリーズ第5回【9/15】
   飛騨合掌苑の方を向いて飛騨合掌苑の左手前、飛騨合掌苑とその駐車場との間に細いあぜ道というのか山道というのかが伸びているが、よく見ないとわからない。 小野田哲郎編『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)にも、るるぶ国内編集局 企画編集『アイジャパン 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1.JTB)にも、「飛騨合掌苑」と「旅館むら山」の付近から「旧 野首家住宅」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の付近まで「文学散歩道」という名称がつけられた道があることが掲載の地図に書かれている。 ところが、こういった観光ガイドブックに掲載の地図に載っている道路というのは、広い道のように見えて実はそうではないということがある。 今は昔、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、福島市まで行く用事があって、いわき市から福島市まで行くにはどう行けばいいか地図で見たところ、国道399号というのがあって、これを走ると、いわき市から福島市まで最短の距離で行けそうに思え、国道というからには確かな道だろうと思って走り出すと、そのうち、山道になり、さらには農道みたいな道になり、さらにそのうち、川のすぐそばを走り出して、クルマのすぐ脇を水が流れている、川原をクルマで走ってるみたいな状態になって、なんじゃこりぁあ~あ、このまま行くと川の中に突っ込むぞお、俺のクルマは水陸両用車じゃねえぞお、もしかして、生きて帰れるのだろうか・・・・・なんて思ったことがあり、いわき市の地元生まれの人にそれを話すと、「3桁の国道なんてそんなもんだ」と言われたということがあった。 「文学散歩道」はクルマで通るのではなく、歩いて行くのだから、わからなければわかるまで探せばいいし、どうしても通れないようならその時点で断念して引き返せばいいこと・・・と思って行ったのだが、しかし、「飛騨高山テディベアエコビレッジ」と「リトルベア カフェ&ショップ」の間から飛騨合掌苑までの道は坂だけれども広くてクルマも通れる舗装された道なのだが、飛騨合掌苑から「元 野首家」「元 新宮村の郷倉」「山岳資料館」の方へ行く道は、「飛騨高山テディベアエコビレッジ」の横から「飛騨合掌苑」の前まで来る道と同じような道があるのかと思って探しても見つからない。 もしかして、これのこと? と思って見たのが↓
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↑ これって、あぜ道か山道か・・・、ひと様の土地の中の通行路じゃないのか、黙って入ると怒られないか・・・とか思ったが、その「あぜ道」の両側は、飛騨合掌苑と飛騨合掌苑の駐車場だったから、今回、私は飛騨合掌苑の宿泊客だったから、もし、それが「文学散歩道」でなかった場合でも、「『すんません』ですんだら警察はいらんわい」ではなく「『すんません』ですむのではないか」と思って行ってみた。
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(↑ クリックすると大きくなります。)
↑は、「山岳資料館」の前あたり、「早船ちよ 文学碑」に近い場所、↑の地図の「現在地」と書かれた場所に立っていたものだが、私は、↑の地図の「現在地」の方からではなく、逆の右側から「現在地」に向かって進んだ。 この地図がある所まで来て見た人なら、この地図を見て行ってみようと思うかもしれないが、まず、「旧 野首家」「山岳資料館」が主要な道から中に入り込んでいてわかりにくい。 そして、この地図はその山岳資料館よりさらに山側にあり、この「文学散歩道」というものの存在がわかりにくいし、高山市として、みんなで歩いて楽しんでもらおうとして整備した小径なのか、それとも人さまの所有地のあぜ道なのか、どちらなのかわかりずらい。 ↑の地図で、左寄りの部分は舗装されているが、右よりの部分は↑の写真でも見えるように土の道で、飛騨合掌苑の前から「文学散歩道」に入る所にも、「文学散歩道 ここから」といった表示などまったくない。これではわかりづらく、そこを散策する人も増えず、荒れていくおそれがある。 高山駅の駅前の観光案内書にも「東山遊歩道」のリーフレットは置かれていたが、この「飛騨高山文学散歩道」のリーフレットなどは見当たらない。もう少し、そのあたりを整備しないと、このままではせっかくの「散歩道」がすたれていってしまうのではないかと思った。

   途中、6人の文学者が高山について述べた文章を刻んだ石碑が建っていることから、「飛騨民俗村 文学散歩道」と名づけられているようだ。 私が歩いた↑の図の右側(西側)から、
井上靖 ⇒ 滝井孝作 ⇒ 江夏美好 ⇒ 田中澄江 ⇒ 江間修 ⇒ 早船ちよ  と6人の石碑が建っている。
   [第469回]《煥章館(高山市図書館・近代文学館)(高山市)と煥章館2階から見た東山-高山シリーズ第4回≪13≫ 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html でも述べましたが、飛騨たかやま町の博物館の東の通り、真宗大谷派高山別院の南のあたりにある煥章館の2階に「近代文学館」があって、そこに高山にゆかりのある文学者4人についての展示がされていましたが、それは、瀧井孝作、江馬修、福田夕咲、早船ちよ の4人でした。 その4人のうち、この「飛騨民俗村 文学散歩道」には、瀧井孝作・江馬修・早船ちよ の3人の石碑があります。
   江夏美好は、《ウィキペディア-江夏美好》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%A4%8F%E7%BE%8E%E5%A5%BD によると、現在は飛騨市の一部になった神岡町の生まれで、高山高等女学校(現 高山県立飛騨高等学校)中退らしく、地元の文学者。
   石碑のある6人のうち、全国的に最も有名な文学者というと、『天平の甍』などの作品がある井上靖だと思う。井上靖は静岡県の伊豆の湯ヶ島の生まれで、湯ヶ島で育った時代の話を『しろばんば』に書き、旧制 沼津中学校に通った頃の話を『夏草冬濤』に書き、旧制沼津中学校から旧制4高(現 金沢大 教養課程)に行く過程の話を『北の海』に書いた文学者ですが、『あすなろ物語』では大阪や神戸を舞台にした話もあったと思います。高山に住んだとかいったことがあるわけではないようですが、『氷壁』という小説があり、『氷壁』の舞台は今では岐阜県高山市と長野県松本市の境目付近となった前穂高。最初、登場人物の魚津と小坂は長野県側から穂高に登り、途中、ナイロン製ザイルが切れて小坂が墜落死するが、不公平のないようにということでもないだろうけれども、最後、魚津は、飛騨古川で高山本線を降りて、今では高山市になった栃尾に移動し、岐阜県側から穂高に登って長野県側に降りようとして落石で負傷して死亡する。 《ウィキペディア-氷壁》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%A3%81 によると、『氷壁』は映画やテレビドラマにもなったらしい。
   田中澄江は、文学者というよりも脚本家のようですが、《ウィキペディア-田中澄江》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%BE%84%E6%B1%9F 東京都の生まれで、高山に住んだというわけでもないようですが、登山が好きだった女性らしい。
※ 《ウィキペディア-瀧井孝作》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E4%BA%95%E5%AD%9D%E4%BD%9C
《ウィキペディア-江馬修》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A6%AC%E4%BF%AE
《ウィキペディア-早船ちよ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E8%88%B9%E3%81%A1%E3%82%88
福田夕咲は、高山出身で、自由詩社を作った詩人らしい。( 《レファレンス協同データベース 福田夕咲》http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000108750 )
   
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  ↑ 「飛騨高山 文学散歩道」からの眺めはなかなかいい。
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  ↑ 「飛騨高山 文学散歩道」から見える 「飛騨合掌苑」の「茶室」棟。
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  ↑ 南側が山で、北側が開けているが、南側の山は桧の林。 建築屋だから、他の木はともかく、桧と杉くらいは、わかる(^^♪
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  ↑ 紅葉がきれい♪
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↑ 「飛騨の高山に人々は何を求めてゆくのか。 木で造られた町の姿のよさ。 それが古びてなお存在する美しさ。 そこには日本の遠い昔からの伝統的建築様式がある丈でなく、そこに住みついた人間の心の歴史もまた積み重なっている。  1997年 元旦。 田中澄江 88才 」 と書かれている。
   1997年ということは、それほど、古いものではない。まだ20年というのか、もう20年というのかわからないが、私の感覚では「最近」のうちだと思う。 そのわりに、この「民俗村 文学散歩道」はいまひとつ、認知されていないように思うし、活用されていないようにも思う。 ひとつには、石碑を設置するのは悪いことはないが、その設置の仕方に今一つ工夫があっていいのではないかと思うのだが、どうだろう。
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  ↑ 江夏美好と江間修 の石碑は、散歩道の南側に北を向いて建っており、日中でも、暗くて読みにくい。
又、「散歩道」である以上、文学者の文章を読むことそのものが目的ではなく、文学者の言葉を味わいながら、その小径を歩くことが楽しみとしてのもののはずなので、それを考えると、石碑の文章は、全般に長い。もう少し、短い文章の方がいいのではないかと思った。
  実際のその文学者が書いた字を石に刻んだのかもしれないが、誰のというのではなく全般に読みにくい字もあり、また、彫られた線が細いものもある。 外で必ずしも光が十分にあたらない場合もある場所に設置する以上、字は大き目の字で、また、作者の字を尊重しつつも、読みやすい字にして刻むようにした方がいいのではないかと思った。 字を刻んだ時に読みやすい色合いの石を選択するという問題もあるのではないか。 墓石でも、生前に墓を建てた場合に赤い色を名前に入れたりするが、刻んだ字のところに色を入れるということだってできると思うのだ。 読みやすいように石の色合いと異なる色を掘った字のところに入れるとかも考えてよかったのではないかと思う。 この散歩道は、景色もよく、単に通り過ぎるだけではなく、そこで時間を過ごすようにしていい所だと思う。 途中にベンチのひとつ(できれば屋根つき)でもあっても悪くないようにも思ったがどうだろうか。
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  ↑ 「飛騨民俗村 文学散歩道」の途中から。 向こうに見えるのは「崇光まひかり」・・・だが、望遠レンズをいくらか使用した上での撮影なので、肉眼で↑のように見えるわけではない。 崇光まひかり はこれがいいと思って造ったのだろうけれども・・・、この位置から見た景色としては、ない方がいい・・・て感じもしないではない。 じゃま! とまで言うと、崇光まひかり は怒るかもしれんが、あんまりいいとは思わない。
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  ↑ 途中の標識。 左に行くと飛騨民俗村、右に行くと飛騨の里  と、この「飛騨民俗村 文学散歩道」の途中に書くのは悪いことはないが、それよりも、飛騨合掌苑の前(↑の地図の旗マークの所)と、村山群鳳彫房と木彫匠工房との間の道に入る所(↓)、




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( ↑ ここ! )
それに飛騨テディベアエコビレッジとリトルベアカフェ&ショップの間から入る道の所(↓)




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( ↑ ここ! )
の3か所に、「文学散歩道 ⇒」というわかりやすく大き目の字で書いた標識が欲しい。
   それと、もうひとつ。 「飛騨民俗村」という用語の使い方がまちまち。 「飛騨の里」と「旧 野首家住宅」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」の3つの建物とを合わせたものが「飛騨民俗村」なのか、「旧 野首家住宅」と「旧 新宮村の郷倉」と「山岳資料館(旧 高山測候所)」の3つの建物のこをと「飛騨民俗村」と言っているのか、「文学散歩道」は「飛騨民俗村」の一部なのか別なのか、「村山群鳳彫房」「木彫匠工房」や「松倉山荘」「小糸焼窯元」は「飛騨民俗村」の中なのか別なのか、「飛騨高山美術館」も「飛騨民俗村」に含まれるのか別なのか、「飛騨合掌苑」も「飛騨民俗村」に含まれるのか含まれないのか、「飛騨民俗村」というのは施設の名称なのか、その付近についての名称なのか、そのあたり、用語の使い方がまちまちで、飛騨民俗村は左・・と言われても、その「飛騨民俗村」というのがどれのことを指しているのかわからない。 そのあたりをきっちりした方がいいと思う。
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  ↑「文学散歩道」からの景色はきれい。 高山は秋から冬にかけては寒くなるし、夏場の方が訪問者は多いようだが、10月下旬の後半、紅葉がとてもきれいなので、少々、寒くても、この時期、それを上回るものはあると思う。
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↑「峠に立つと 見えなかった風景がひらけてくる。 川沿いの村、森、遠い町・・・
そこへいく、ひとすじの道。 
峠に立つと、見えなかった山やまがあらわれる。
そのさきにも峠、またそのさきにも。
そして、未知の世界が呼びかける。
峠をこえておいでー と。
――小説『峠』の序詞 
  早船ちよ 」
右下に見える屋根は、「旧 野首家住宅」の板葺石置屋根。 後ろの木が何の木かわからないが、紅葉がとてもきれい。 

    この「飛騨民俗村 文学散歩道」は、飛騨合掌苑の側(西側)は土の道で、ところどころ、ぬかるんで水たまりがあったり、山の上から流れてくる水が小さい小川みたいになっていたりしていて歩きにくい所もある。それに対して、「旧 野首家」「山岳資料館」より(東側)は舗装されている。 しかし、舗装されている側の方が歩きやすいかというとそうでもない。 ハイヒールはいたおねーちゃんが歩くのなら・・・・というより、こういう場所を歩くのにハイヒールで歩く必要ないだろうが! 軽登山靴とまで言わんがスニーカー・ズック靴か、せめて底が厚めでぺったんこのカジュアルシューズくらい履いて来いよ! てとこで、ハイヒールで歩きたいならもっと街中の平地の道を歩けばいいことなのですが、それでも、ハイヒールで歩きたい人にとっては舗装された道の方が歩きやすいでしょうけれども、そうでなければ、舗装された部分というのは、こういう場所の場合、落ち葉が舗装された所にたまってしまい、いつまでも残るのです。 土の部分であれば、長いうちにはそこに落ちた落ち葉は腐葉土になっていくでしょうし、土の上に落ち葉が落ちた所というのは、雨でぬれていなければ、その上を歩くのは別に苦痛でも何でもないのです。だから、こういった山道の場合、雨の後でもなければ、土の道の方がいいくらいだと思います。

   この「文学散歩道」が今一つ、活用されていないし整備されていないし、工夫も今一つ足らないように思えたのは、1959年(昭和34年)に「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」などの「飛騨民俗村」ができたけれども、1971年(昭和46年)に「飛騨の里」ができたので、「飛騨の里」の中は散歩道もいくらでもあるので、それで、もうこの「飛騨民俗村 文学散歩道」の必要性はなくなってきたと設置者は考えたのか・・・? とか思ったのですが、それにしては、田中澄江の石碑の田中澄江の文章は1997年の作だと彫られていますし、《文学散歩道》http://www.takayama-bunka.org/newpage/kyokai/bungakuhi/index.html には、福田夕咲の石碑は2011年(平成23年)に他の場所にあったものを「文学散歩道」に移設されたと出ていますから、「飛騨の里」ができたから、もう、この「文学散歩道」はどうでもいいやあ・・・て考えではないようです・・・ので、それなら、もうちょっと、なんか工夫してもいいのじゃないか・・・て思います。 これって、高山市が設置者でしょうか。もし、高山市役所の方、このブログを見られることがあれば、そのあたり、検討いただくとどうかと思います。・・・

  (2017.11.3.)

   次回、飛騨高山美術館https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html

☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html 
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村の郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、「飛騨民俗村」とは・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html  
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」 〔今回〕
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨の里へ[上] 駅西口からの導入路 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下] 玄関だけ前にでた家は・・。「苦労」は「売り」にするものか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html

☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆☆☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.・・・・

峠 (1966年)
理論社
早船 ちよ

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  早船ちよ は、高山の生まれらしいが、有名な作品である『キューポラのある街』は飛騨地方ではなく、埼玉県の川口が舞台だが、飛騨地方についても書いた作品もあるようだ。↑

氷壁 (新潮文庫)
新潮社
井上 靖

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≪ 魚津は古川駅からバスで栃尾に出た。栃尾から三時間歩いて、蒲田川に沿った山間(やまあい)の一軒家である新穂高温泉に到着したのは十一日の暮方だった。川べりに湧いている温泉に体を浸し、その晩はすぐ床にはいった。・・・
  蒲田川に沿って、左岸の樹林地帯の道を行く。・・・
  出合に到着、ザックを肩からおろして、ひと休みする。・・・・
  出合からピッチを早め三十分程で雄滝の下に辿りつく。・・・
  魚津は再び登り始めた。あとは右にトラバース(横断)ぎみに大きなダケカンバに頼って登って行く。そして三十分後にようやくにして雄滝の上に出る。・・・・
  雪渓をニ十分ほど歩く。やがて滑滝の下に出る。滑滝はいくつかの滝が続いている感じで、むしろ滝というより、流れが急傾斜の岩壁の肌をすごい勢いで走り落ちていると言った方がいい。・・・
  ガスは相変らず流れたり、切れたりしている。ガスが切れると、右手に迫っている涸沢岳の西尾根と、左手に迫っている第五尾根の、何とも言えない気難しい表情の山容が、少し青味を帯びた色彩で聳え立っているのが見える。これから踏み込もうとするD沢は、この二つの、それぞれ岩石を積み上げたような巨大な岩山の間に、細く伸びているのである。・・・ ≫
(井上靖『氷壁』新潮文庫 ↑)




( ↑「旗」マークが、新穂高温泉。 )

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