飛騨高山美術館-窓からの風景と建物は調和も、遠景としては・・・-高山シリーズ第5回【10/15】

[第599回] 高山シリーズ第5回【10/15】
   高山に飛騨高山美術館http://www.htm-museum.co.jp/ があって、そこに、ルイス=コンフォート=ティファニー エミール=ガレ、ルネ=ラリックなどのガラス工芸品、マッキントッシュなどの家具、ミュシャのポスターなどの世界的作品が所蔵・展示されている。 日本にも、欧米の世界的美術品を所蔵している美術館はあるけれども、そういった美術館というのは、東京か大阪か京都か、そうでなければ、名古屋かそういった所にある美術館で、「地方」にある美術館というのは、その土地の工芸品などで優れたものを所蔵・展示していることはあっても、世界的美術品を所蔵・展示していることは少ないのではないかと思ったのだが、ところが、高山にある飛騨高山美術館はそうではなく、相当のものを所蔵・展示しているのだ。↓
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( ↑ 飛騨高山美術館。 正面。 )
   飛騨高山美術館でティファニーなど、アール=ヌーボーの作家の作品を所蔵しているのを知ったのは、2001年に東京都美術館http://www.tobikan.jp/ で開催された『アール=ヌーボー展』 だった。 飛騨高山美術館所蔵のものが何点か出展されていたのだが、ルイス=コンフォート=ティファニーの「リリーランプ」が出展されていたのをはっきりと記憶しており、リリーランプの絵ハガキを買って帰って今も我が家にある。 飛騨高山美術館とともに、諏訪にある北澤美術館 と清里にある美術館から出展があって、「地方」の美術館でもそういうものを所蔵している美術館があるんだと思ったものだ。

   ところで、アール=ヌーボーの作家のルイス=コンフォート=ティファニー と 宝石屋のティファニー と トルーマン=カポティー『ティファニーで朝食を』 の ティファニー は関係があるのか別なのか、ご存知ですか? ついでに、アメリカ合衆国のカリフォルニア州にあるグリーン兄弟の設計によるギャンブル邸と洗剤屋のプロクター&ギャンブルとばくち打ちのギャンブルは関係があるのかないのか、ご存知ですか?
   トルーマン=カポティーの小説『ティファニーで朝食を』というのがあることを、私は中学生の時に、新潮文庫の目録で見て知ったのだが、朝食を食べる所だから、ティファニーというのは、朝からやってる食堂かモーニングサービスやってる喫茶店か何かの名前かと思っていた・・・・が、そうではないのだ。 ニューヨークの宝石屋の名前で、オードリー=ヘプバーンが主演した映画では、冒頭、ヘンリー=マンシーニの音楽をバックミュージックとしながら、オードリー=ヘプバーンが演じる高級売春婦?が宝石屋のティファニーの外から陳列ケースを眺めながら、クロワッサンをかじるという場面があるが、ティファニーで売られているものを欲しいなあと思いつつ、クロワッサンをかじるというそういう場面のことを「ティファニーで朝食を」と言っていたらしく、ティファニーは吉野家でもなければすき家でもなかったのだ。
※ 《YouTube-ムーンリバー 「ティファニーで朝食を」》https://www.youtube.com/watch?v=6hTLrz7uzVs
   それでは、ルイス=コンフォート=ティファニーはというと、牛丼屋のオヤジではなく、ガラス作品を中心としたアール=ヌーボーの作家で、アール=ヌーボーでも、佐野敬彦「ティファニーとアメリカとアール・ヌーヴォー」 (『アール・ヌーボーの世界5 ティファニーとニューヨーク/ガウディ 光彩の魅惑』1987.10.23.学習研究社 所収)には、 ≪ アメリカのアール・ヌーボーを代表するのはガラス作品のルイス・C・ティファニー、建築のルイス・サリヴァン、そしてポスター作家のウィリアム・ブラッドリーの三人といえる。彼らの作品はヨーロッパで言われるアール・ヌーボーの様式のものとは必ずしも一致しないので、あるいは奇異に思われる人があるかもしれない。しかしアール・ヌーボーを植物的な曲線のみられるものと狭くみるのではなく、幾何学的な形を強く出しているヨーゼフ・ホフマンやマッキントッシュ、魔術的な動勢を建築にみせたガウディを含めた19世紀末から20世紀初めにかけての新しい造形をすすめた運動と理解すれば、彼ら三人もあきらかにアール・ヌーボーの芸術家であった。ヨーロッパとは異なった形をみせたアメリカの、そしてアメリカらしいアール・ヌーボーであった。≫ と出ている。
   宝石屋のティファニーとどういう関係があるのかというと、≪ ルイス・C・ティファニーの父のチャールズ・ティファニーが創業したティファニー宝石店(ティファニー&カンパニー)には日本人のデザイナーや多数の職人が働いていた。サミュエル・ビングは『芸術のアメリカ』(1897年設立)にもはじめは日本の影響が強く、日本人デザイナーが少なくとも1人いたことが知られている。 ・・・≫ ( 佐野敬彦「ティファニーとアメリカとアール・ヌーヴォー」 〔『アール・ヌーボーの世界5 ティファニーとニューヨーク/ガウディ 光彩の魅惑』1987.10.23.学習研究社 所収〕 )ということで、ティファニー宝石店というのは、ガラス工芸品と中心としたアール=ヌーボーの作家であったルイス=コンフォート=ティファニーのお父ちゃんのチャールズ=ティファニーが始めた店らしい。
   アール=ヌーボーの作家でも、家具も作れば建築もやるといった人もいたわけだが、ルイス=コンフォート=ティファニーはガラスを中心とした工芸品がほとんどだが、唯一、自邸を設計したらしく、≪芸術家として名声を博したティファニーはロングアイランドにみずから自邸を設計した。イスラム風のデザインが特徴的である。建物は1957年に焼失したが、玄関のみはまぬがれて、現在メトロポリタン美術館に再建されている。≫ということで、その「ローレルトン・ホール玄関および同柱頭部分」〔1905年頃 旧オイスターベイ(ロングアイランド)〕の写真が『アール・ヌーボーの世界5 ティファニーとニューヨーク/ガウディ 光彩の魅惑』(1987.10.23.学習研究社)に掲載されている。
   カリフォルニア州にあるグリーン兄弟の設計による「ギャンブル邸」はというと、 ≪パサディナはカリフォルニアのアーツ・アンド・クラフト様式、そしてカリフォルニアバンガローの元祖である。グリーン兄弟の本拠地で、多くの住宅が現存している。中でも特に、石鹸会社を経営する一族の別荘、ギャンブル邸(1906)は、その精緻なディテールや、徹底したデザインにより、同時代のヨーロッパの建築作品に劣らぬ質の高さを持っている。外観こそ多少日本の木造建築を思わせるが、室内の重厚感は西欧的である。≫(八木幸二・田中厚子『アメリカ木造住宅の旅 (建築探訪 3)』(1992.1.丸善)ということで、「全温度チアー」で有名なプロクター&ギャンブルのオーナーの別荘だったわけで、ギャンブラーは関係ないみたい。

    飛騨高山美術館への行き方だが、
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↑ この写真の三叉路。 向こうに進むと「飛騨の里」。その途中に「飛騨高山テディベア エコビレッジ」「リトルベア カフェ&ショップ」が左側にあり、そこを左に曲がって進むと「飛騨合掌苑」。 右手前の道を戻ると国道158号(白川街道)に出る。 左側の道を戻ると国道41号に出る。 ↑の写真で見ると、右手前の道の方が広そうだが、左手前の道へ進む方に道路の端の位置に白の破線が引いてあり、右手前の道に一旦停止の標識が出ている。 紛らわしいのだが、「優先道路」というのは交差点の部分で道路の真ん中の位置で白線が引いてあるのが「優先道路」で、道路の端の位置に白の破線が引いてあるのは、これは、保険屋にきいても警察にきいても、「優先的な道路」であって「優先道路」ではないらしい。 で、なんで、そんなややこしいことすんのかとも思うのだが、全国的にそうみたいで、ここでは、左手前の方の道が「優先的な道路」になっている。 バスも左手前の方から奥の「飛騨の里」へ行くようで、「飛騨高山美術館」に行くバスもある。 左手前の道を少しだけ戻った所の左側に「村山群鳳彫房」と「木彫匠工房」「松倉山荘」があり、そこを左に入っていくと「旧 野首家」「旧 新宮村の郷倉」「山岳資料館(旧 高山測候所)」がある。右側の上のあたりに飛騨高山美術館は位置しているが、この三叉路を奥に少し行った所↓を右に曲がって進む。
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(↑ 右手前の建物が「小糸焼窯元」。 その向こうを右に曲がって進むと、飛騨高山美術館。)
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(↑ 「小糸焼窯元」から「飛騨高山美術館」へ曲がる道の「歩道」。右の建物が「小糸焼窯元」。この道を直進すると「飛騨高山美術館」に至る。)
↑これが私は嫌いなのだ!  このあたり、特別に土地の値段が高い場所ではないと思うのだ。又、高山の昔からの既成市街地なら、道を広げようと思っても、両側の家だって都合があるし、簡単ではないということはあると思う。 しかし、この道なんて、小山であった所に飛騨高山美術館を作って、そこへ行くための道を作ったというもののはずだ。 そうであれば、何も、U字溝の上に蓋を載せて、そんなものを「歩道」だなどと強弁しなくてもいいと思うのだ。 もしも、U字溝の上を道にしたいなら、道路の中央を高く両側を低くして両側にU字溝を作るのではなく、むしろ、道路の中央部を低めにして車道のど真ん中にU字溝を作って頑丈な蓋をして、その部分を中央分離帯か中央部の白線を引く場所とすればいいと思う。
   なぜ、U字溝の上に蓋を載せて、そんなものを「歩道」だと言い張りたいのか。 昔、小学生の頃、「人は右、クルマは左」と先生に教えられたものだが、同時に、面白がって、下校時にU字溝(蓋なし)の上を歩いたりすると、「溝の上を歩かないで道を歩くようにしましょう」と先生から指導されたものだ。 それを、なぜ、人に溝の上を歩かそうとするのか。 蓋があるからいいじゃないか、というならその考え方は間違いだ。 蓋があろうがなかろうが、「人は道」を歩くものだ。 溝の上を歩くものじゃない。 既成市街地で、クルマの通行量が多くなり、クルマを通すなというわけにもいかず、歩道を別に作ることもできないという場所で、「やむをえず」「しかたなしに」、今まで蓋がなかったU字溝に蓋をして、その上を「歩道」ということにしようというのなら、決して理想的ではないが、やむをえない場合もあるかもしれない。 しかし、新たに作る道において、わざわざ、U字溝の上を歩道にする必要はないだろう。又、↑の道は登って行ってもあるのは飛騨高山美術館だけであり、もしも、溝の上でない場所に歩道を作って残ったスペースてを車道としたとしても、クルマの通行量が多くて、クルマの通行に支障がでるというような場所でもないと思うのだ。
   母が長生きしてくれたおかげで、年寄の事情がわかるようになった。母は年齢を行くとともに坂道の登りは苦手になったがそれでも歩いていた。70を過ぎた頃から、鉄製の屋外階段で蹴込板がない階段は「怖い」と言って昇り降りを嫌がるようになった。駅などの階段では、最初は登りにエスカレーターを欲しがったが、そのうち、登りよりも下りにエスカレーターを欲しがるようになった。 なぜなら、最初は登りの方が体力が要るから登りにエスカレーターを欲しがったのだが、そのうち、階段を下るのが怖いと思うようになり、登りの方がまだいいが下りにエスカレーターかエレベーターを欲しがるようになった。 エスカレーターとエレベーターは最初はどちらでもよかったのだが、そのうち、エレベーターは乗ったあと、操作をきっちりとできるかどうか分からない為、閉じ込められてしまうおそれがあるので、エレベーターよりもエスカレーターの方がいいと言い出した。さらにその後、エスカレーターは乗る時と降りるときに不安があることから、エレベーターの方がいいと言うようになった。もうひとつ、エスカレーターは、「エスカレーターに乗る時は急ぐ人のために、右側を開けてお乗りください」などと言う所があり、高齢者にはそれは危険なのだ。母は、エスカレーターに乗る場合、私が片手を持ってもう片方の手を手摺に置いて乗ることでやっと乗ることができるのであり、乗る際、降りる際、隣にいて片方の手を持ってあげないと乗ることも降りることもできないのだ。 「お急ぎの方のために、エスカレーターは右側をあけてお乗りください」などとアナウンスする場所で、そんなエスカレーターを「高齢者・身障者にやさしい」などと称している所があるが、それは考え違いも甚だしい。 母は60才の時に足を捻挫してしがらく歩けないという時があった。それだけ、足腰が弱ってきたということかと思ったのだが、その後、買い物に行った時など、U字溝の上に蓋をした所などを歩こうとするので、「年寄は怪我すると治るのに時間がかかるんだから、そんな所を歩かないで、もっと広い所を歩いたらどうなの」と言っても、「こっちの方が近い」と言ってU字溝の上に蓋を載せた上を通って「近道」しようとすることがあった。少々の危険よりも歩く距離を短くしたいと思ったようだ。 ところが、80代になると、U字溝の上に蓋を載せた「歩道」の上というのは、「怖い」と言って歩けないのだ。高齢者は、乗るとぐらぐらするU字溝の蓋の上、蓋と蓋の間に蓋を開けるための隙間があってそこにつま先をつっ込みそうで、つっ込むと足を捻挫するか骨折する危険があるU字溝の蓋の上を「歩道」だと強弁しても、年寄は怖くて歩けない。 ↑の「歩道」を作った人、年寄のそういう事情・気持ちを考えたことがあるか? 飛騨高山美術館は「地方」にしては立派な所蔵品をおいており、デザインもおしゃれなデザインの美術館だと思うが、このあたりについての配慮がないならば、一流とは言えない。ぜひ、そのあたりを考えてほしい。
   2014年、埼玉県川口市の「あたりまえを大切に」しない川口土木建築工業(株)http://www.kawado.co.jp/ の工事現場で、足を骨折させられた。右足の甲を骨折したことで、しばらく、松葉杖生活をしたが、松葉杖で歩く場合、通常よりも広い幅が必要であり、それとともに、歩道などでも、U字溝の上に蓋をしたというような場所は、松葉杖をつく際に不安である。 車椅子の場合、自分で輪をまわして進むのと誰かに後ろから押してもらうのとでは事情は異なり、自分で輪をまわして進む場合は、勾配が緩やかでないと坂道は後ろにひっくり返る。 ↑の坂は自分で輪をまわして進む場合は最初から無理である。 ↑の坂を登った所に広い駐車場があるので、そこまでクルマで行った場合には、そこから進むことはできるかもしれないが、ともかく、松葉杖使用者にとっては、U字溝の上に蓋をした状態のものを「歩道」と強弁されても、それは大変不安である。又、自転車は車道を走るものか歩道を走るものかという議論があるが、どっちだと言っても現実に歩道を走る人はいるわけで、松葉杖をついて歩いている時に、向こうから自転車で走ってこられると、よけるのに苦労する。そういう場合も、半分がU字溝の上に蓋をしたもので半分はそうではないという「歩道」の場合、自転車で走る人は自分の方が蓋の上でない所を走ろうとするので、松葉杖で移動する者はU字溝の蓋の上によけなければならないことになるが、これはかなり不安であるし、蓋と蓋の間に蓋を開けるために手を入れる穴が開いている場合があり、そこに松葉杖の先をつっこんでしまう時がある。
   体の具合が悪くなくても、後ろの部分が槍みたいになったハイヒールを履いてコツコツ歩く女性にとっては、U字溝の蓋と蓋の間に穴がある部分というのは、その穴の箇所にハイヒールのかかとを突っ込む危険があって歩きにくいはずである。 グレイチングという金属製の蓋の場合は、その金属の目が細かいものと粗いものがあり、細かいものはけっこう値段が高いらしく、目が粗いものだと、ハイヒールではまず歩けないはずだ。 [第97回]《「男の気持ちを理解できる女性営業」・「女の気持ちを理解できる男性営業」~会社と営業の話(24)》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201205article_3.html の【B】〔2〕 で、2010年~2011年、千葉県千葉市中央区鵜の森町にあった新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に倒産〕にいた上代(かじろ)(男。当時、40代前半)が、「ハイヒールなんて履かなきゃいいじゃん」と言い、「だから、女性の気持ちとして履きたいんですよ」と言って教えてあげても、頑固に理解しないということがあって、「この男は(住宅屋の)営業じゃないな」とあきれたことがあったことを述べた。 さすがに、高山でも平地の「さんまち」とか鍛冶橋付近とかならハイヒールで歩く女性もいるかもしれないが、飛騨高山美術館のあたりはもともとが山地だし、既成市街地と違って「郊外」の方なので、軽登山靴まで履かないにしてもローファーか何か歩きやすい靴で来場するもの、もしくは、歩きにくい靴を履いているなら、美術館のすぐ前までバスかタクシーに乗るようにするものではないかと思うけれども、ハイヒールの女性はともかく、松葉杖がないと歩けないとか、足を骨折したとかではないが、体力が弱ってきたとか脳出血なり脳梗塞なりをしたことがあって体がふらつくために杖をつきながらでないと歩けないという年寄のことを考えると、U字溝の上に蓋をしたという状態のものを「歩道」だと言い張るのはやめた方がいいと思う。 杖をつきながらなら歩けるという年寄の場合、杖を「つかなきゃいいじゃん」などと言われたのでは歩けないし、U字溝の蓋と蓋の間の穴に杖を入れなければいいじゃんと言われても、運動神経のにぶった年寄は入れてしまうものである。 2011年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)〔いずれも、2013年11月に倒産〕にいた自称「工事責任者」の植草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん」と大きな声で何度も何度もあつかましくも叫んだことがあったのだが、この男、長生きするだろうなあと思ったが、私は母と歩く時にも↑で述べたようなことを経験して、高齢者はどういう状況に困るのかといった知識・認識を蓄積して、住宅建築業の営業としての能力・認識をも深めてきたのである。男性の営業は女性の気持ちを理解できてこそ営業であり、そのため、私は住宅屋の営業の仕事に就いて以来、こういうものについてどう思うかといったことを、会社の女性社員や自分の女性の家族、そして、入居者の奥さんや娘などに無礼のないように気をつけながら尋ねて、どう思うか教えてもらい、そういうものを少しずつ少しずつ蓄積してきた。姉は私と同じだけ母と一緒に歩く経験をしていないので、↑のようなことを知らない。ましてや、そういった経験をまったくせず、片方で会社のカネを横領してフィリピーナに貢ぐという経験は十分にした植草A二(男。当時、2011年現在、30代なかば)なんぞにわかるわけがない。あつかましいのにもほどがあるが、そういう男なのだろう。「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん」とは「よく言うわ!」とあきれる。〔⇒《YouTube-三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕 よくもまあ、ヌケヌケブタブタとあつかましい文句を何度も口にできるものだとあきれる。 飛騨高山美術館は小山の上にあるので、ハイヒールではなくもうちょっと歩きやすい靴で行くようにした方がいいと思うが、そうであっても、U字溝の上に蓋をしいたものを「歩道」だなどというマヤカシの歩道は感心しない。 改善を希望したい。
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  ↑ 階段の両側の紅葉がきれい。 
  最初の写真↓
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(↑のこの人工池というのか「プール」というのかの奥が入口。)
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(↑ 上の方の写真の右手前の建物が↑の下の写真。 )
  正面の建物を、入口を入って右の階段を登って2階に行くと、2階に「ルネ・ラリック噴水ホール」「アールデコ・現代ガラス」「展望ギャラリー」「アール・ヌーヴォーのガラス」の展示場があり、右手前に移動して、右手前の建物の2階に「マジョレルの部屋」「ガレの部屋」「マッキントッシュの部屋」「ウィーン文理はの部屋」と配置され、階段で1階に降りると、そこに「マッキントッシュ・ティールーム」と「ミュージアム・ストア」があります。
  左側の棟の1階は、企画展示室ですが、飛騨高山美術館では結婚式場としての利用も受け付けているようで、訪問時は企画展示室で結婚式がおこなわれており、企画展示はありませんでした。
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   入口まで至る間に人工池というのか「プール」というのかがあり、その間を通って入口に行きます。 日本建築学会 編『空間デザイン事典』(2006.7.20.井上書院) 林田和人「14 浮かす」には、建築デザインの手法として「浮かす」、特に、「水に浮かす」というデザインの手法があげられており、≪ 建築は比重からみても水に浮くはずもない。かたや自然界のゆらぎを優しくたたえる水面に対し、建築は儚くも重く、硬く、浮かんで見えるよう「偽装」するしかないのであるが、それをして「水に浮かす」とは、すなわち浮上のシンボリズムを得るが故である。巨大なボリュームをなす建築の場合、その足元に水面を引き込むことで量感を低減することに至る。・・・・≫とあり、例として、金沢市民芸術村・長野県信濃美術館東山魁夷館・岡崎市美術博物館・安曇野高橋節郎記念美術館などがあげられています。 ↑の写真で見られるように、飛騨高山美術館もその手法を取り入れたものと考えることができるかと思うのですが、申し訳ないけれども、この点については、飛騨高山美術館については、「余計なこと」という印象を私は受けました。
   まず、その建物の立地との関係だが、川のほとりとか、そういった場所ならば、池の中央を渡って入口に至るというのもいいとは思うのだ。しかし、飛騨山美術館は、高山でもそういう立地ではなく、小山の上なのだ。 そういう場所において、池の中央を渡って入口に至るというのは、言っちゃなんだが、「余計なこと」という印象を私は受けた。 むしろ、小山の上であるが、その周囲にはそれよりさらに高い山があり、今回の訪問時においては紅葉の季節であり、紅葉が大変きれいであったが、他の季節には他の季節で周囲の自然を楽しめる立地だと思うのだ。 そういったことを考えた時、この場所でアピールするのは池の中央を渡ることでの「水」のアピールではなく、他のものがあると思うのだ。 だから、他の場所でならまた別だが、この立地においては、↑の池の中央を渡って入口に至るという建築デザイン手法は、私はあまりいいとは思わない。

   飛騨高山美術館は、けっこう昔からあって、けっこう大規模な美術館かと思っていたのですが、実は、≪ガラス工芸と世紀末芸術を中心に収蔵する飛騨高山美術館は1997年に開館した私立美術館です。≫(「飛騨高山美術館」HP 「飛騨高山美術館のなりたち」http://www.htm-museum.co.jp/about.php )と、まだ開館して20年しか経たない比較的新しい美術館で、高山市か岐阜県かがやっているのかと思ったらそうではなく、個人が設立した美術館らしい。もちろん、「個人」たって、私なんかそんなもの作れるわけないのだから、「個人」といっても私なんかよりよっぽど金持ちの「個人」だろうけれども。
   ≪ 「美はトータルなものである。」という館長自らの哲学のもと、 収蔵作品や建築、そして庭木の一本一本にまでも気が配られています。≫(飛騨高山美術館HP 「飛騨高山美術館の成り立ち」http://www.htm-museum.co.jp/about.php )という考えで建てられ、現地の説明書きにも、「ランドスケープと建物が一体となった美しさを目指す」という考え方で建てられた・・・とありました。 その考え方は大いに結構だと思いますし、そして、その考え方で建てられている面もあると思うのです・・・が、それが成功している部分とそうでもない部分があるように思ってしまったのです。 もちろん、設立されてまだ長くない美術館ですから、まだまだ、発展途上のものであるからという面もあるとは思いますが。
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↑ 東側、国道41号から見た「飛騨高山美術館」。 小山の上にあります。 「ランドスケープと建物が一体となった美しさ」というのは、たしかに、2階の「展望ギャラリー」から屋外を見たところ↓ などはそうなっていると思うのです。
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(↑ 飛騨高山美術館 2階「展望ギャラリー」。 )
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(↑ 飛騨高山美術館 2階「展望ギャラリー」から見た屋外)
そのあたりは考えて作られた建物だと思います。
あるいは、美術館の北側の本棟と南東の棟を結ぶ廊下2階の窓から見た東側の庭↓
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美術館の窓、受付の横の窓から見た北側の庭↓
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など、たしかに、「建築とランドスケープが一体となった美しさ」を志向したもので、それはある程度以上、成功していると思います。
(  方角がどちらがどちらかわかりにくいかと思いますが、飛騨高山美術館は、営林署のあたりから飛騨の里に向かう道を、「小糸焼窯元」の所から北に行く道を進み、登った所を階段で東に行き、階段を上がった広場の北側にある建物に、南から北に進んで入館することになります。↓




   )
   しかし、↑の 国道41号から見たところなどは、必ずしもそうではないのではないか。
   自然のままが美しいか、そこに建物が加わったものが美しいか。それはなんとも言えない、ケースバイケースだと思います。 建物をそこに加えることで美しさを出そうとしたものとしては、シドニー湾の岬に建てられたヨルン=ウッソン設計の「シドニーオペラハウス」と「ハーバーブリッジ」があると思います。 周囲の環境を尊重するために建築はあえて意図的に控えめにしながらもよく見ると工夫がこらされているというものには前川國男設計の熊本県立美術館があると思います。 江の島のサムエル=コッキング苑の展望灯台は愛知産業大学のM先生は灯台としてはあれがいいと思われたようですが、私は江の島のサムエル=コッキング苑の灯台はいいとは思いませんでした。むしろ、「ない方がいい」と思ったのです。デザインについては、感じ方は人それぞれなので、絶対にどちらが正しいとか正しくないとかいうものはないと思いますが、私などは、もともとは「建築家」ではなく「人間としては哲学徒」ですから、そういう「もともとは人文科学系人間」と「最初から建築学徒」の方とですと、文学・哲学系人間の方が「自然のまま」を喜ぶ傾向があって、「最初から建築学徒」の方は建築が加わった美しさの方を選ぶ傾向がいくらかあるようにも思います。 愛知産業大のM先生と私とはけっこう建築についての見方に共通するものがあったと思っているのですが、江の島のサムエル=コッキング苑の灯台についての感想が異なったのは、そのあたりに原因があるかもしれないと思っています。
   さて、↑の国道41号から見た 飛騨高山美術館とそれが位置する小山の外観デザイン。 どうでしょうか。 いいか悪いかの前に、そのあたりについて、考えて設計されているでしょうか。 あくまでも、建物の内部の窓から見た屋外について、「ランドスケープと建築が一体としての美しさ」を志向していると思いますし、それはある程度以上成功していると思うのですが、国道41号から見た飛騨高山美術館とそれが位置する小山との見え方といったものについては、あまり、配慮されていないのではないか。
   高圧電線の鉄塔が無粋だというのは、これは、ひとつの私立美術館だけでどうこうできるものではないかもしれない。 しかし、だから、その点はどうしようもないと考えるのは設計者のすることではない。建築家のすることではないのではないか。 まがりなりにも、建築家なら、すばらしい景観の所に自分の建物を加えてさらにすばらしいものにするというだけではなく、何らかのマイナスの要素もある場所でも、それを補う、あるいは、そのマイナスをできるだけ軽減する工夫をしてすばらしい建築を実現するものではないのか。 そもそも、建築は絵画や彫刻と違って、構造と機能とその場所の条件という3つの制約を踏まえた上で、なおかつ美しいものを実現しようというもののはずなのです。 エアコンの室外機ですとか、ダクトですとか、あるいは、火災の場合の消防士の進入経路を示す▼マークとか、そういったものがあるのが建築で、そういったものをどうするのか。そういったものを、むしろ、デザインの一部にするのか。他に視線を誘導することで気にならないようにするのか。 そういったことを考えるのが「建築家」のはずですから、無粋な高圧電線の鉄塔があるからいいデザインができないと言い張るなら、それは一流の「建築家」ではないでしょう。
   飛騨高山美術館HPの「飛騨高山美術館のなりたち」http://www.htm-museum.co.jp/about.php を見ると、
≪建築・設計・施工
●建築・設計/鹿島デザイン 
●施工/鹿島建設株式会社ランドスケープ
●設計/プレイスメディア
●施工/鹿島建設株式会社・株式会社岐阜造園グラフィックデザイン
●イガラシ・デザイン・ステュディオ  ≫
と出ています。 鹿島建設系の設計者のようですが、建物の内部のデザインと窓から見える自然との調和といったことは考えられていると思いますが、↑の写真で見られるように、国道41号から見た飛騨高山美術館とその位置する小山がどう見えるか、それが、美術館の建物ともとからの小山とが合わさって良く見えるかそうでないか・・・といったことはあんまり考えられていないのではないか、という感じがします。(むしろ、崇高真光の方が遠くからの外観について、いいか悪いかは別としてアピールしている。)
   もうひとつは、高山は「古い町並み」を「売り」にしている街ですが、それは駅より東、それも宮川付近から東のあたりを中心としてです。 一方、この飛騨高山美術館がある小山の下のあたりは1959年から「飛騨民俗村」として、高山市や飛越(飛騨と越中)の古くからの民家を移築して、高山の地元の工芸家の店を集めた地域で、坂を登って行った先には「飛騨の里」という広大な敷地に、飛越地方の古民家が集められています。 そういう飛越地方の古民家と工芸が集まった場所において、内部にはアール=ヌーボーなどの「洋」の展示をおこないながらも、周囲は「和」の建物が並ぶ場所において、さて、飛騨高山美術館はどういう外観を選択するべきなのか。「理由のないことをするな」という指針で考えて、この建物のデザインの選択はいいでしょうか。周囲は「和」の建物が並んでいる場所において、内部は「洋」の展示をおこなう美術館で、外観デザインはどうしたものか・・・・、そういったことを考えて選択されたデザインかどうか・・・。 あんまり、考えられていないのではないか。 最初の方で指摘したように、「水に浮かす」というデザイン手法も、その手法自体が悪いということではありませんが、この場所に似合わないのではないか。

   さて、
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( ↑ クリックすると大きくなります。)
  ↑は、飛騨高山美術館の駐車場、美術館の出口を出てすぐの場所から見たものです。 この写真を見てどう思われますか。
  10月の下旬の後半、紅葉が大変きれいです。
  しかし、なんとも、無粋な高圧電線です。 高圧電線の問題点として、
1. 高圧電線の周囲には、強力な電磁波が発生し、付近の住人には、癌・白血病などの罹災者が出ることが考えられる。
2. 電波障害が発生し、ラジオなど受信しにくくなる。
3. 落雷の危険が発生する。 〔 もっとも、(株)一条工務店に在籍時、東京電力に勤めていた人に建てていただいたおりに聞いたのですが、高圧電線はより高圧であるほど落雷を受けやすいというものでもなく、「中途半端」なものが一番受けやすく、相当高圧のものは、むしろ、落雷しにくい、ということもある、という話を聞いたことがあります。 〕
4. 高圧電線の下で建築しようというような場合、レッカー車で作業をおこなうと、レッカー車のアームが高圧電線に接触すると大変危険であり、レッカー車での作業ができない場合がある。 それゆえ、手作業で建てるとなると、それだけ、手間・労力がかかり、結果として費用がかかることがある。
5. 凧揚げなどしようとした場合、高圧電線にタコ糸が引っかかったりすると大変危険であり、その付近では凧揚げなどはできない。
6. 美観を損なう。
・・・・といったことがあげられます。 今回、飛騨高山美術館の前から↑の状況を見て、それだけではなく、山間部を高圧電線を通した場合、付近の住民の被害というものは都市部に比べれば少ないと思われるものの、逆に、山の部分を通すために、せっかく美しい森林を高圧で電線の周囲を「かりあげ」状態にしなければならなくなっているのです。
   高圧電線の問題として、こういうこともあるのですね。
   原子力発電の問題として、発電地と消費地が離れていることから、高圧電線で長距離、電気を運ばないといけないため、途中で電気を損耗し、効率的ではないことが言われますが、途中、山間部を通す場合に、↑の写真のように、せっかくの森林を「かりあげ」にしないといけないという問題もあるようです。高山の場合、高圧電線で運んでいる電気は原発ではなく、水力発電によるものかな・・と思いますが、発電地と消費地が離れている場合の問題として、↑のような森林の「かりあげ」状態という問題もあると認識しました。

   問題点もあるとしても、それでも周囲は美しい森林です。そういう場所においてアピールするのは「水に浮く」デザインではなく、「森林とともに生きる美術館」ではないでしょうか。他の場所なら悪いことはないとしても、この場所に必ずしも適していると言いがたい外観デザインではないのか。 量は多くないけれども、質として都市圏に劣らない所蔵・展示の美術館であるだけに、そのあたりも考えてもらえていたらと思ったのです。

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   ↑は、ルネ=ラリックが設計した噴水。 ルネ=ラリックというのは香水瓶など小さいものが専門かと思っていたら、↑のような大きなものも設計していたようです。これだけでも見に行く価値はあります。

   (2017.11.4.)

  次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html 

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