名古屋から高山への車窓、「ワイドビュー飛騨」はワイドビュー -高山シリーズ第5回【11/15】

[第560回] 高山シリーズ第5回【11/15】
    作成者は、在東京圏関西人、「日本とは東京のことだ」という信念を持っている東京もん の認識からすれば、「在日関西人」である。「在日関西人」は母国 関西への想いを胸に東京もん の関西敵視に臥薪嘗胆の思いで耐えながら生きている・・・・がそれはさておいて・・・・・。 大阪に住んでいた中学生の時、同級生と一緒に岐阜から名古屋・中津川にかけて旅行したことがあったのだが、その際、大阪から岐阜まで行くのに、「急行 たかやま」というのに乗った。 「急行 たかやま」は岐阜から高山本線で美濃太田から高山まで行く気動車の急行だったが、一度、「急行 たかやま」に乗って高山まで行ってみたいとそれ以来ずっと思ってきたが、ふと気づくと、「急行 たかやま」はなくなっていた。 時刻表を見ると、大阪から高山まで直通の列車がなくなったということではなく、かつては、高山本線には、特急と急行が走っていて、大阪から高山まで直通の列車は、「急行 たかやま」だったが、今は急行が全国的に少なくなり、ほとんどが特急になって、「特急 ワイドビュー 飛騨」という特急が名古屋から1時間おきくらいに出ているのだが、大阪からの「特急 ワイドビュー 飛騨」も出ていて、岐阜で名古屋から来た「特急 ワイドビュー 飛騨」と連結して高山まで行くらしい。 中央西線にも、名古屋から「特急 しなの」というのが出ていたとともに大阪発の「特急 しなの2号」というのが出ていたが、これはいつしかなくなった。名古屋まで新幹線で行って乗りかえた方がずっと早いので、大阪発の意味がそれほどなくなったのではないか。高山本線の方に行くには、新幹線は岐阜まで行かないので、岐阜に行こうとすると米原か岐阜羽島か名古屋かで乗り換えないといけないことになるので、今も大阪発の「特急 ワイドビュー 飛騨」が走っているのだろう。大阪からの「急行 たかやま」は無くなったのではなく「特急 ワイドビュー飛騨」として存続しているようだ。
   東京からは、長野県には、長野には信越線、松本には中央線の特急で行けたが、高山には名古屋乗りかえになるので、かつては直通では行きにくかったが、今では新幹線で名古屋まで行って名古屋から「特急 ワイドビュー 飛騨」に乗ると、東京から名古屋まで約1時間40分、名古屋から高山まで約2時間20~30分、乗り換えの時間を合わせても4時間半ほどで行ける。今は、高速バスで大阪・京都から高山までのバスが走っているようだ。名古屋・岐阜からも高速バスが出ているみたい。
   高山から東京に行く際には、「のぞみ」は通勤電車並みに出ているので時刻を調べなくても乗れるが、東京から高山に行く場合は、「特急 ワイドビュー飛騨」は約1時間おきなので、発車時刻を調べずに乗ると最大で1時間ほど名古屋で待つことになる。 高山と松本の間には乗鞍岳とかの山岳があり、登山をする人なら行くかもしれないが、そうでなければ、高山と松本は直線距離では近くても別の世界ではないかと思っていた。 しかし、宮地家住宅を見学に行った際に展示されていたものを見ると、昔から、高山から峠を越えて松本まで商売に行く人があったそうで、富山湾で獲れた魚を高山で日持ちがするように調理したものを峠を越えて松本まで売りに行き、松本の人間はその魚を高山の産物と思いこんでいたことがあるなどと書かれていたので、地図だけ見て、乗鞍岳なんてあんな山の所を乗り越えて行く人なんてないだろうなどと思いこむと、そうでもなかったようだ。
   今は、高山と松本の間を走るバスがあり、東京からも中央自動車道を走って松本インターで降りて、そこから西に進んで高山までの直通のバスがある。濃飛バスと京王バスが運行していて、新宿のバスタ新宿から高山の「濃飛バスセンター」といってもJR高山駅のすぐ横まで約5時間半で行ける。 所要時間では、新幹線+高山本線特急 の方が1時間ほど短いが、値段はバスの方が安い。 値段の差を考えると、貧乏人としてはバスを選ぶことになるので、私は今まで高山に行く際にはバスで行ってきた。
   高山から富山までは高山本線が走っており、けっこう早くいけるようだが、こちらも今は高速道路が白川郷経由で通っていてバスの便がある。高山から金沢へも白川郷経由のバスに乗るとけっこう早く行ける。白川郷はかつては、秘境みたいな感じだったが、今ではずいぶんと便利だし、外国人がいっぱいいて、今、私が住んでいる千葉県の船橋市なんかよりよっぽど外国人の来訪者が多い「国際都市」になっている。 かつては、高山と白川郷は飛騨地方でも別の地域という感じで、白川郷に行くには、時刻表で調べると、高山からではなく、越美南線(現 長良川鉄道)の美濃白鳥まで行ってそこからバス・・・・て、なんか、大変やな・・・て感じだったが、今は高山から白川郷までトンネルだらけの自動車専用道ができて、それほどかからずに行ける。高山も白川郷も外国人がずいぶんと多く、高山のコンビニでは店員が英語を話す。なんか、すごい・・・・。

   無茶苦茶所要時間が違うならともかく、約4時間半と約5時間半なら、運賃が安い約5時間半の高速バスを選ぶことが多いが、これは地図上の感覚の問題もあるのではないかと思う。 高速バスの経路の方が直線的で、名古屋まわりだと迂回していくような感じなのだ。 だから、実際の所要時間は、新幹線+高山本線特急 の方が早くても、高速バスの方が早そうな気がしてみたりするのだ。 で、計算してみると、新幹線+高山本線特急の方が約1時間早いのだが、それは名古屋での接続が比較的うまくいった場合のことで、接続がうまくいかなければ高速バスとほとんど同じくらいの所要時間になる。 となると、バスにしようかということになる。
   しかし、高山駅で停車中の「特急 ワイドビュー 高山」を見ると、なんか、乗ってみたくなるものだし、一度は名古屋-岐阜経由で高山に行ってみたい気もする。 『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)にも、≪高山本線は山間を走るためカーブが多く、スピードは出ないが、風景は◎≫と書いてある。
   で、乗ってみた。↓
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↑ 名古屋駅 停車中の「特急 ワイドビュー 飛騨」 。
↑ これ、前なのか後ろなのか・・・、横から見てもよくわからない。 座席が向いている方が前かと思って座っていると、今度、発車すると後ろに向かって進むので面食らう。 名古屋から岐阜まで東海道本線で進み、岐阜から高山本線に入る際に、列車の向きが変るため、かつ、名古屋から岐阜までは20分ほどなので、岐阜から高山方面に合わせた座席の向きにしてあるため、名古屋から岐阜の間は座ると後ろに向かって進むことになるらしい。
   いつも、気になるのだが、こういう際、使用する用語は、「列車」なのか「汽車」なのか「電車」なのか「気動車」「ディーゼルカー」なのか。 「列車」というのは、動力がない客車が何両か連なっていて、それを電気機関車とかディーゼル機関車とか蒸気機関車とかが引っ張るのを言うはずで、「汽車」というのは蒸気機関車、もしくは、蒸気機関車が引っ張る列車のことを言い、電車は東京の山手線・京浜東北線、大阪の大阪環状線・阪和線みたいな電車、もしくは、新幹線とか東海道線とか山陽線とかを走っているほとんどの車両に動力があって全体が動き、電気を動力とするものを言うはずで、ディーゼルカーは「電車」ではないはずなのだ。 高山本線は電化されていないので、「電車」ではないし、蒸気機関車ではないので「汽車」でもない。「特急 ワイドビュー 飛騨」はディーゼル機関車が車両を引っ張る方式でもないので「列車」でもないはずだ。 「気動車」とか「ディーゼルカー」と言うのが正しいのだろうけれども、「電車の乗る」「汽車に乗る」「列車に乗る」は一般的でも、「気動車に乗る」とか「ディーゼルカーに乗る」とかいう表現は一般的ではないように思うのだ。かつて、(株)一条工務店の松戸営業所にいた時、宮崎県出身の男が、山手線のことを「汽車」と言ったので、山手線を「汽車」と言うなよなあ・・・と思ったが、彼の話では、宮崎県では「電車」なんて言わないというのだ。東京に来ると、「あ、そうだ、ここでは『汽車』と言ってはいけないんだ」と思い、宮崎県に行くと、「そうだ。ここでは『電車』と言ってはいけないんだ」と思うのだそうだ。彼の用語に従うならば、高山本線は電化されていないので、「汽車」ということになるのかもしれないが、しかし、どうも、「汽車」と言うのは言いにくいので、やむをえず、「列車」にしておく。
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↑ は、「特急 ワイドビュー飛騨」が岐阜駅に到着する直前の窓からの風景です。

   名古屋駅での自動券売機では、特急券は指定席券・自由席券のいずれも購入できるのですが、今は、自動券売機で、座席も、A・B・C・Dと、窓側・通路側、そして、東側か西側かを選択して購入することができます。しかし、東側か西側かですが、岐阜で向きが変るため、Aが東側なのかDが東側なのかよくわからない。その為、岐阜から高山まで進行方向に向かって右(岐阜から美濃太田付近まで南側、美濃太田付近から東側)の座席を購入したつもりで、そうではなく、岐阜からの進行方向に向かって左(岐阜から美濃太田付近まで北側、美濃太田付近から西側)を購入したようでした。
  、≪高山本線は山間を走るためカーブが多く、スピードは出ないが、風景は◎≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)に書かれているように、たしかに、車窓の景色はすばらしい・・・のですが、左右の窓から同じものが見えるわけではないのです。 まず、岐阜から美濃太田までは、進行方向に向かって右側(南側)〔D席〕から、木曽川が見え、途中、犬山城も見えます。 そのあたりの木曽川を、ドイツのライン川に似ている・・・と思った人がいたらしく、「日本ライン」と呼んでいます・・と車内放送がされるのですが、私が座った進行方向に向かって左側〔A席〕からは、向こう側の窓を通して見えることは見えるのですが、自分のすぐ脇の窓からはそういうものは見えません。 そのうち、木曽川は美濃太田駅に着くまで、一貫して、高山方向に向かって右側(南側)に位置します。なんか、同じ代金払ってるのに、なんか、不公平だな・・・て感じですが、そのうち、美濃太田からは、こちらの方の景色が良くなるかもしれないし・・・なんて思ってますと・・・。
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↑  今は昔、1970年代前半、中学校の1年の時、同級生と越美南線の郡上八幡に行ったことがあり、越美南線の列車で美濃太田から名古屋まで行きましたが、その頃とはなんだか美濃太田駅も雰囲気が変わりました。
   
   岐阜~美濃太田駅~高山~富山 が高山本線ですが、美濃太田からかつての越美南線、今は長良川鉄道と言われるようになった線が北西に伸び、太多線が南東に伸びており、長良川鉄道・太多線と別れて、ひたすら、高山から富山を目指して走るようになってからこそ、高山本線て感じがしてきます。
   美濃太田から多治見までの線を「太多線」と書き、これを「おおたせん」と読むのかと思っていたのですが、車内放送によると、「だいた せん」と読むようです。
   (株)一条工務店 におりました時、東京もんのおっさんKさんが、「東海道本線というのは、東京と神戸を結ぶための鉄道であって、大阪なんてどうでもよかったんですよ。知ってますか。東海道本線は東京と大阪を結ぶ鉄道じゃないんですよ。あくまで、東京と神戸を結ぶための鉄道であって、大阪なんかに駅を作る必要はなかったんですよ」などと言ったことがあったのですが、東京もん というのは、そういうことを言うのが大好きですが、これは事実に反します。 まず、日本で最初に鉄道が開通したのは、東京の「新橋」(但し、今の新橋駅ではなくそれより海よりです)と「横浜」(これも今の横浜駅ではなく、初代の横浜駅は今の「桜木町」駅で、次いで今の「高島町」付近に二代目の横浜駅ができ、今の横浜駅は三代目の横浜駅です。)を結ぶ鉄道が敷かれ、次いで、大阪と神戸を結ぶ鉄道が敷かれました。この時、大阪駅は今の大阪駅よりもう少し西の「福島」駅に近い所だったらしい。そして、その翌年に、大阪と京都を結ぶ鉄道が敷かれ、東京から横浜を結ぶ鉄道が東にあり、京都-大阪-神戸を結ぶ鉄道が西にできて、そのあたりから、東京と関西を結ぶ鉄道を敷設しようという考えが出てきたらしい。 当初、そのルートは旧 東海道ではなく旧 中山道のルートで敷設を考えたようで、西は京都から東山の南を迂回して膳所から浜大津に至る。このルートは現在の奈良線の京都よりの部分らしい。浜大津から琵琶湖を船で長浜まで行き、長浜から岐阜県の関ケ原付近まで行ってそこから現在の東海道本線のルートで岐阜まで行ったらしい。 東は現在の高崎線のルートで高崎まで行き、そこから信越本線のルートで安中から西に向かったが、その頃の技術では碓氷峠をどうしても超えることができなかったらしい。 その為、東京から名古屋までのルートを旧 東海道のルートに変更して東京から名古屋を経て岐阜まで結ぶようになったという。 だから、東海道新幹線は最初から東京-名古屋-京都-大阪を結ぶ路線として建設されたが、東海道本線の場合はそうではなく、新橋-横浜と、京都-大阪-神戸の路線ができて、その後、その2つを結ぶように敷設された路線であり、そのために、東海道本線と山陽本線(旧 山陽鉄道)との境目は大阪駅ではなく神戸駅であるらしく、「東海道本線というのは、あくまで、東京と神戸を結ぶための鉄道であって、大阪なんてどうでもよかったのであって、大阪に駅なんて作る必要なかったんですよ。」という東京もんが大好きな主張は間違いだったのです。これは『歴史でめぐる鉄道全路線 東海道本線』(朝日新聞社)に載っていた記事によります。 それにしても、東京もん のおっさんというのは、こういうことを言うのが大好きです。特に相手が関西出身だと知ると、なんとしてもこういうことを言ってやろうという気持ちになるようです・・・・が、あんまり、いいかげんなことは言わない方がいいと思います・・・が、そういういいかげんなことを言うのが大好きという人が東京もんのおっさんには多い。
   あともうひとつ、東京もんのおっさんがよく言うのが、「大阪なんて、なあんにもない所だ。大阪なんて飛田新地と釜ヶ崎と鶴橋しかない。大阪は在日韓国人の町だ、大阪は在日韓国人しか住んでない町だ」とか言うのです。私ら、大阪で生まれ育った人間ですが、飛田新地なんて一度も行ったことないのですが、東京もんのおっさんというのは飛田新地が大好きです。自分が、大阪で生まれ育った人間が一度も行ったことがないような所に東京からわざわざピンポイントでそこだけ行っておいて、その上で、「大阪なんて飛田新地しかない町だ」とか言うのです、東京もんのおっさんというのは。むかつきますよ、ほんと・・・というより、相手が関西人だと思うと、むかつかせてやろうと思って言うのかもしれませんけれども。
   美濃太田から太多線で多治見、多治見から中央西線で塩尻、塩尻から篠ノ井線で松本から篠ノ井・長野と行くと、それが、かつての中山道で、当初、中山道ルートで東京と関西を結ぶ鉄道を敷設しようとしたルートのようです。もしかして、高山本線の岐阜から美濃太田間と太多線というのは、東京と関西を結ぶ予定で敷設した西側の鉄道だったのでしょうか。

   むかつくおっさんのことはちょっと置いておいて・・・・。 岐阜から美濃太田まで、右側(南側)の窓の外に見えた川は「木曽川」でしたが、木曽川は、美濃太田駅の東のあたりで、中津川・恵那峡のあたりから流れてきた木曽川と下呂・飛騨金山の方から流れてきた飛騨川が合流し、そこから下流は中津川の方から流れてきた木曽川の名前を名のって下流も木曽川と言うようです。 美濃太田は駅の名称は「美濃太田」ですが、行政区画としては美濃加茂市。 さて、岐阜から美濃太田まで、進行方向に向かって右側(南側)の窓から「日本ライン」や犬山城が見えたのに対して、進行方向に向かって左側(北側)は普通の景色でしたから、美濃太田を過ぎると、そろそろ、不公平のないように左側(西側)(A席側)にも飛騨側の渓谷が見えてもよさそう・・・・なんて思うと、そうではなく、美濃太田を過ぎてもまた、飛騨川の渓谷は右側(東側)(D席側)に見えるのです。

   美濃太田から飛騨金山までの間に「白川口」という駅があるが、合掌造りで有名な白川郷とはずいぶん離れている。岐阜県には大野郡白川村と加茂郡白川町があるようで、高山本線の「白川口」は加茂郡白川町の方への入口のようだ。 加茂郡の白川町の方が「町」だが、全国的知名度としては「ユネスコ世界遺産」の大野郡白川村の方が有名で、加茂郡白川町は知名度で張り合おうと思っても、残念ながらこれは勝負にならない。

   美濃太田を過ぎて、その後しばらく、「飛水峡(ひすいきょう)」と呼ばれる名所・・・・が右側(東側)(D席側)にずっと見えます。 左側(西側)(A席側)は一貫して「悪いとは言わんが、普通の景色」です。↓
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↑ こんなん、不公平やんけ・・・・とか思いませんか?  三浦綾子『氷点(上・下)』『続氷点(上・下)』(朝日文庫)に、北海道の旭川在住の登場人物が、神奈川県の茅ケ崎に行って、旭川みたいな寒い所に住んでる人間と茅ヶ崎みたいな暖かい所に住んでる人間と、税金が一緒というのはなんか不公平みたいな気がする・・と話す場面がありましたが、旭川と茅ヶ崎の違いよりも、「日本ライン」もD席側、「飛水峡」もD席側・・・て、それで同じ金額て不公平やんけ・・・・・とか思いたくなってきます・・・・・が、さすがは・・というのかどうかわからんが、そのうち、今度は進行方向に向かって左側(西側)(A席側)に飛騨側の渓谷が見えるようになってきます。 「飛騨金山」から「下呂」までの間の飛騨側の渓谷を「中山七里」と言うそうです。 ↓
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   「飛騨金山」から「下呂」までの「中山七里」のあたりでは、「不公平のないように」なのか、ほとんどが、飛騨側の渓谷は高山の方に向かって左側(A席側)に広がります(^^♪
   「下呂温泉」は「日本三大温泉」だか「日本三大名泉」だか言っているようで、下呂温泉・有馬温泉・草津温泉で3大温泉だという主張らしいのですが、しかし、福島県いわき市のいわき湯本温泉では、いわき湯本温泉と有馬温泉・道後温泉で日本三大名泉と言っており、宮城県出身の人と話すと、宮城県の鳴子温泉でも似たようなことを言っていたというので、まあ、「日本三大なんとか」てのは、あんまり、真剣に考えない方がいいみたい・・・・。
   「げろ温泉」て、なんで、「げろ」て言うのだろう? もともとは、梅毒の療養に訪れる人が多い温泉だったという話があるので、梅毒になるようなことをするような下郎が訪ねる温泉だということで、それで「下郎(げろう)温泉」と言われたものが、「下郎(げろう)」ではいくらなんでも・・・ということで、「下呂(げろ)温泉」にした・・・ということでもあったのかな・・・・などと思ったが、そうでもないようだ。
   松尾一『岐阜 「地理・地名・地図」の謎-意外と知らない岐阜県の歴史を読み解く!』(2015.1.15.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)には、≪ 林羅山はこの地を湯島と呼んでいる。はじめは「下呂」ではなかったのだ。 平安時代、現在の下呂温泉から4キロメートルほど離れた、湯が峰という火山の山頂から湯が湧き出し、「湯之島」と呼ばれていた。ところが、鎌倉時代に突然温泉が枯れ、現在の飛騨(益田)川のほとりで再発見された。・・・・≫ ≪ 古代、東山道飛騨支路の下留(しものとまり)駅という宿場があった。現在の下呂市金山町の西には菅田駅、萩原町には伴有(とまり)駅があったようだが、両駅の間が長く、道が険しかったので、中間駅として設けられたのが下留駅だ。やがて、下留が「げる」と呼ばれるようになり、そこから「下呂」の字があてられるようになったという。飛騨川の上流には上留中留という地名があったが、こちらも上呂中呂という地名で残っている。 やがて、飛騨街道の宿場町の地名であった「下呂」が、飛騨南地方の市名に採用されることになった。・・・・≫ と出ている。

   西村京太郎の推理小説で、高山本線の車内で人が刺されたが誰も見ていなかった、いったい、どうして誰も見ていなかったのか?・・・・という目撃者がいない原因として、下呂温泉の河原で湧出する露天風呂から、20代の女性が裸で列車の窓に向かって手を振ったことで、乗客はみんながそちらを見ていて、そのため、その間に車内で人が刺されたということがあっても誰も見ていなかった・・・という話があり、コミック版で読んだが・・・・、それはないだろと思った。 普通に考えて、女性が列車の窓の向こうから裸で手をふったとしても、列車の乗客は男ばかりではないし、男性でも子供連れは子供の相手をしていたら、裸の女性の方なんて見ないだろうし、ひとりで乗っていても、誰もがそちらを見るとは限らない。 見る人間がいるかもしれないが、見ない人間もいるはずだ。 だから、殺人事件を実行するためのトリックとしては成り立たない。 そんなことで殺人をおこなおうというなら、あまりにも稚拙な方法だと言うべきだろう。
   で、その西村京太郎の推理小説で列車に向かって裸の女性が手を振ったという露天風呂だが、松尾一『岐阜 「地理・地名・地図」の謎-意外と知らない岐阜県の歴史を読み解く!』(2015.1.15.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)には、≪ 名物の飛騨(益田)川の河原に湧き出す温泉は無料で、河原には脱衣所も仕切りもない。開放的なロケーションのため、かつては素っ裸で入る人が多かったが、現在は水着の着用が義務づけられている。≫と出ており、《ウィキペディア-下呂温泉》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%91%82%E6%B8%A9%E6%B3%89 にも、≪下呂市街を突っ切るように流れる益田川の河原に、下呂温泉のシンボルとも呼べる噴泉池と言う露天風呂がある。脱衣所・風呂を仕切る壁もなく、混浴であり、入浴は無料となっている。利用にあたっては、2010年(平成22年)2月1日から男女とも水着の着用が義務付けられている。≫と出ている。 2010年1月までは、素っ裸で入って列車の窓に向かって手を振ることだって、やる気になればできたのかもしれないが、≪高山本線は山間を走るためカーブが多く、スピードは出ないが、風景は◎≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)に書かれているけれども、実際に乗ってみると、高山本線は非電化区間で単線だが、途中、何か所かですれ違いのための停車というのがあるけれども、「特急 ワイドビュー飛騨」はけっこうスピードを出して走っており、≪スピードは出ないが≫と言うことはないと思う。 西村京太郎の推理小説に出ていた露天風呂は下呂駅を発車してすぐ右(東)あたりではないかと思うのだが、下呂駅を発車してすぐでもけっこうスピードを出して走っているので、たとえ、裸の女性が列車の窓に向かって手を振っても、一瞬のことで、「え、あれ、何?」と気づく人間がいたとしても、すぐにもう通り越しているというくらいで、気づかない人間もいるはずで、トリックとしては使えないと思われる。
   下呂駅では、観光旅館の男性従業員が旗というのか幟というのかを持って、駅の改札のすぐ外で何人か並んで待っているのが見えた。 湯治客の出迎えなのか、かつて、テレビでも放送された花登筐原作の『細うで繁盛記』、原作の名称は『銭の花』で、伊豆の熱川で、バスが停留所に到着する際、多くの旅館がバス停まで旅館の名前を書いた幟というのか旗というのかを持って出迎えに行き、宿泊の旅館が決まっていない人に、「ぜひ、うちに泊まって下さい」と言って呼びかけるということをしているのに、山水館ではそれをやっていないのを見て、山水館に嫁に来た加代が、ぜひ山水館もやるべきだと言うと、「余計なことしなくていいずら」と小姑から怒られるという場面があったが、ああいったバス停までの出迎えは今はやらないものかと思ったが、下呂温泉では、下呂駅に特急の到着時刻の前に旅館の男性が来て待っているようだ。
※ 《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館 》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
   千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕は、2010年5月、私が面接に行った時、社長の長谷川は、すでに戸建住宅建築業の会社としてある程度以上、軌道にのってやっているような話だったが、2010年6月下旬に入社すると、それまで、大東建託や新昭和の木工事の部分の下請けをしてきただけで、戸建住宅建築業として自社で契約をとってやっていくということはまったく実績がなかった。 住宅建築業の営業というのは、会社の評価・商品の評価に営業の能力・努力が加わって、それで契約になったりならなかったりする仕事であり、会社として売ろうという姿勢・努力がある程度以上ある会社なら、その会社でその場所にいる営業の中で、「少なくとも平均を上回る」成績くらいは残せるであろうと思って入社したが、会社として売ろうという努力をまったくしない会社が営業の努力だけで売ろうとしても、それは簡単に売れるものではないのであり、そういう会社に勤めるつもりはなかったのであり、話が違うのだが、それでも、たとえ騙されてでも入社してしまった以上、なんとかしようとして、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半。)に、こうしてみたらどうですかという提案をずいぶんとしたし、また、「住宅の営業というものは、会社に対する評価、商品に対する評価と営業に対する評価が合わさって契約になったりならなかったりする仕事で、もしも、会社と商品に対する評価が4対6くらいでリードされていたとしても、営業の努力でなんとか挽回するということは、これは可能性としてないことはないと思いますが、しかし、0対10のものをひっくり返すというのは、これは決して簡単なことではありませんよ」と、そんなこと、言わなくてもわかるだろうがということを、それを噛んで含めるように話してあげたものだが、それでも、社長の長谷川新二は理解できなかったようで、こうしたらどうですかということをいくら言っても、「余計なことしなくていいずら」とは言わなかったが、「考えさせてください」と言うばかりで、考えてどうなったかといったことをまったく言わないばかりか、また、同じことを「どうしたらいいか、考えてください」などと言い出すという状態で、まったくどうもせず、「働いてばっかりいてもしかたがないから」と言って、従業員は働いている期間に、社長と社長の嫁と子供だけ年に半分くらいもハワイにバカンスに出かけたりしていた。これではなあ・・・と思ったが、思っているうちに・・・→ 2013年11月、倒産した。債権者会議に行くと、社長の長谷川は倒産して、従業員の給料を踏み倒す男にしてはいい服を着てきて、「すいません」「申し訳ありません」といった言葉を一言も言わず、終始、にやにやにやにやしていた・・・・・・。長谷川は「私は社長ですから、従業員みたいに働いたりはしませんよ。勘違いしないでくださいね」といったことも言っていたようだが、そんなことでは・・・・どうなるかというと・・・→ つぶれた・・。

  ↑ 上の写真を見ると、川の幅が広く深い所と、そうではなく浅くて川原の石ころが見えている所があるが、それは、飛騨川にその場所によって両方の所があるということではなく、ところどころに、堰というのかダムというのかがあって、堰の上の所では川幅も広ければ水深も深く、堰の下、あるいは堰の上でも堰から遠ざかると水深が浅くなり、石ころが転がっているのが見えるようになる、ということだ。 けっこう、堰というのかダムというのかが何か所もあるのが見えた。

   高山では、宮川や苔川・大八賀川・江名子川は北に向かって流れているが、美濃太田から飛騨金山・下呂を経てずっと、飛騨川は南に向かって流れている。 北に向かって流れる川と南に向かって流れる川は、どこに境目があるのかというと、JR高山本線の「高山」の南側の駅は、「飛騨一宮」、その南が「久々野(くぐの)」で、飛騨一宮では宮川が北に流れていて、久々野では飛騨川が南に流れており、飛騨一宮と久々野の間でわかれているようだ。 飛騨一宮に水無神社というのがあるが、そのあたりに命名の根拠があるのだろうか。

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↑ 高山駅に到着した「特急 ワイドビュー飛騨 13号」。
   実は、名古屋駅を14時48分に出る「ワイドビュー飛騨 13号」にするか、15時43分に出る「ワイドビュー飛騨 15号」にするか迷ったのだが、13号にして良かった。 13号だと高山駅に17時10分につくが、10月下旬の後半、午後5時を過ぎると暮れてきて車外の風景も見えなくなってくる。 15号に乗っていたら、飛騨金山のあたりからほとんど見えなくなっていただろう。

   名古屋-高山間の所要時間は、私が乗った13号の場合、停車駅は、名古屋-岐阜-美濃太田-下呂-高山・・・と最も停車駅が少ない列車だったので、2時間22分。 尾張一宮・鵜沼・白川口・飛騨金山・飛騨萩原といった駅に停車する列車もあり、停車駅の多い列車はその分だけ時間はかかるが 時刻表を見ると、鵜沼・白川口・飛騨金山・飛騨萩原に停車する15号でも2時間25分で着く。 名古屋-高山間のバスをJR東海バス・名鉄バス・濃飛バスが運行している(http://www.jrtbinm.co.jp/timetable/hida_takayama/ )が、所要2時間30分かかるようだ。 ≪高山本線は山間を走るためカーブが多く、スピードは出ないが、風景は◎≫と『楽楽 飛騨高山 白川郷・上高地』(2014.5.1.JTBパブリッシング)に出ているので、バスの方が早いのかと思うと、そうでもないようだが、バスの方が安いかもしれない・・・が、たしかに、高山本線は≪風景は◎≫で、岐阜から飛騨金山あたりまでは高山に向かって右側の方がいいが、飛騨金山から高山までは左側の方がよく、名古屋から高山まで乗れば不公平はない。

   私は、自由席でもいいかとも思ったが初めての乗車なので万一座れないと苦しいと思い、高山に向かって左の窓側の席(A席)の指定券を買ったのだが、たいてい、指定席は窓側を買うようで、通路側の席は空いている席が多かった・・のだが、私の隣の通路側の席にはおばさんが最初から座っていた。 このおばさん、こんな風景のいい路線で、なんで、窓側じゃなくて通路側の席を指定したんだろうと思ったのだが、外来者は窓からの風景を見たいところだが、地元の人で何度も乗っている人にとっては珍しくもなく、むしろ、窓から日差しが入ってきてまぶしいが、外来者は少々まぶしくても車窓を楽しみたいのでカーテンを閉めるわけにもいかない為、地元の人で何度も乗っている人にとっては通路側の方がいいということか・・・と思った・・・のだが。
   もしかすると、そうではないのかもしれない。車掌が「切符の拝見」と途中で2回来たのだが、隣のおばさんは2回とも寝ているのだ。車内放送で「切符の拝見に車掌がうかがいます」と放送されても寝ている。窓側席の私が前で切符を見せれば気づいてよさそうだがそれでも寝ている。車掌が2度目に来てじっと見ながら前に立っていてもそれでも寝ている。それでいて、高山に着くと見事に起きる。若い車掌はおばさんが寝ていると、起こして「切符の拝見」とよう言わんみたいで、2回来ても、寝ているとそのまま行ってしまった。バスだと入口で切符を見せないと乗せてくれない。電車は新幹線なら特急券がないと新幹線のホームに入れないが、在来線だと普通乗車券だけで入場できて、普通乗車券だけで退出できる。何度も乗っていると、窓側は指定席券を購入して乗る人間が多いが、通路側は空いていることが多いので、それで、普通乗車券だけ買って通路側に座り、終始、寝ておれば、若い男の車掌はおばさんには何も言えないから、普通乗車券だけで特急に乗れる・・・・と、そういう方法だったのか? なんてふと思ったが、おばさんのやることは男にはわからん。男ならまずできないことをおばさんはやるから、なんといっても、おばさんは天下無敵! というのは全国共通みたいだし、

   特急の愛称だが、単に「飛騨」ではなく「ワイドビュー飛騨」と言っているように、窓が広くて車窓が見やすい。 たしかに、「ワイドビュー」にする意義はある路線だと思った。もし、特急券買って乗ったら寝るのはもったいない。

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 ↑ 高山駅の階段。 木の国 飛騨 だけあって、天井も木製。
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 ↑  「左 飛騨の里 高山文化会館」「右 さんまち 高山城址」とかならわかるが、「左 白山口」「右 乗鞍口」というのは、どうも、違和感がある。乗鞍とか白山て、ずいぶん離れてるんだけど、なんか、豪快な表示・・・





   (2017.11.5.)

☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2.(2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html 
3.(3)高山の郊外にあるK病院https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4.(4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館、飛騨民俗村とは・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html 
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.文学散歩道https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ 〔今回〕
12.高山駅から飛騨の里[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13.同[下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.旧吉城郡細江村の民家 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html 




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