高山駅から飛騨民俗村まで[下]ー高山5回【13/15】玄関が出た家は変か? 苦労は売りにするものか?
[第562回] 高山シリーズ第5回【13/15】
国道158号(白川街道)を北に玄興寺、南にグリーンホテルと飛騨物産館がある所を西に進むと、川を渡ります。 宮川と同じく、この川も北に向かって流れていますが、「苔川」と言う川で、橋は「玄興寺橋」と言うようです。↓ 玄興寺のそばにある橋だから玄興寺橋なのでしょう。
(↑ 「玄興寺橋」から「苔川」を北に見る。)
(↑ 「玄興寺橋」から「苔川」を南に見る。)
この玄興寺橋を渡ってすぐの所を南西に進む道を行けば、飛騨合掌苑へは最短だったようですが、宿泊した日は、ここを通った時、↓ な感じでしたので、
(↑ 日没後、「玄興寺橋」から「苔川」を南に見ると・・・)
↑ 西に直進して、そして、迷うことになりました。 今から考えてみると、迷うほど難しい場所ではなかったのですが。
玄興寺橋を渡って国道158号(白川街道)をそのまま西へ直進しますと、南北の通りである国道41号(バイパス)とぶつかります。 「上岡本町南」交差点というようです。 北西のカドにファミリーマートがあります。
しかし、歩行者はここで迷います。 国道41号を東西に横断する信号・横断歩道がここにはないのです。 東京や大阪ならともかく、飛騨とか高山とかいう所に、地下を通る歩行者専用地下道なんてあるとは思いませんでしたが、あるんです。 高山は、高山駅から東側、大雄寺の前あたりまでの範囲では、ドライバーはものすごい安全運転をしてくれますが、ところが、それより周辺部に行くと、けっこうスピードを出して走ります。 だから、こんな所で、信号も横断歩道もなく、歩行者専用地下道なんてのがある所で、無理につっきって死んでも誰もほめてくれませんから、車道をつっきるのはやめて・・・・、しかし、「飛騨高山」なんて所に来て、東京の街中みたいに道路を横断するために地下を通るなんて、なんか、無粋だよなあという気持ちになります。 それに、東京あたりでは、夜のこういった地下の歩行者専用道というのは、ホモのたまり場だったりとかいうお話があったりしますし、私の場合、もともとは「武断派」ではなく「文治派」なもので、なんか、こういう地下歩行者道なんてのを見ますと、うかつにはいって行くと、「不良高校」の生徒がたむろして煙草吸っていて、通してもらおうとすると、なんか、因縁つけられたり、カツアゲされたりしそうで、「安全第一」「君子、危うきに近寄らず」ということで、そういう所は避けた方がよさそう・・・て感じがしてくるのです。高山ではそういうことはないかもしれませんけれども。 それで、他に通れる所ないかいなあと思って見まわすと、南側、それほど距離のない所に信号があるのが見えます。 ↓
↑ 「西之一色町北」交差点と言うようですです。 もうひとつ、南側の信号の所は「西之一色町」交差点のようです。
「西之一色町北」交差点を横断して西側正面の道は南西の方に進んでいます。 もし、「飛騨民俗村」「旧 野首家」「山岳資料館」「小糸焼窯元」などの方へ行きたいと思えば、この「西之一色町北」の信号で横断した上で、ほんの少しだけ北側に戻って、そこから西にまっすぐ進めば、そのうち、左側(南側)に、「松倉山荘」「村山群鳳彫房」「木彫匠工房」があり、↓
( ↑ 「松倉山荘」 )
( ↑ [左]村山群鳳彫房、 [右]木彫匠工房。 )
右(北)に営林署があり、「村山群鳳彫房」と「木彫匠工房」の間の道を南に行くと「旧 野首家」「山岳資料館」など、そのまま進むと、三叉路にあたり、↓
三叉路を登りかけると、左に竜達也慕情館、右に小糸焼窯元。↓
三叉路の手前あたりから顔を上に上げると、飛騨高山美術館が小山の上にあるのが昼間ならわかります・・↓
小糸焼窯元の向こう側を右折して進むと飛騨高山美術館。
右折せずにそのまま坂を登っていくと、左に、「リトルベアカフェ&ショップ」と「飛騨高山テディベアエコビレッジ」↓
その2つの間の道↓ を南に行くと、飛騨合掌苑。
「リトルベア カフェ&ショップ」「飛騨高山テディベアエコビレッジ」の前の道をそのまま登っていくと、左側に「飛騨の里」がある。 右側に「思い出体験館」があるはずです。
「西の一色町北」交差点より国道41号を少し北に行った西に進むと松倉山荘・木彫匠工房・小糸焼窯元などがある道のあたりから西を見ると、昼間なら↓
↑のように見えます。 向こうの小山の上にあるのが飛騨高山美術館ですから、そのあたりに行きたいと思えば、とりあえず、その方向に進む道を歩いていけば近づくことができるはずです・・・・が、日没後は、↑の小山がわからないし、ましてや、そこに飛騨高山美術館があるのもわかりません。
「西之一色町北」交差点の信号で国道41号を西側に渡ったところまではよかったのですが、そこから少し北側に戻って西に進めばよかったのですが、そうではなく、「西之一色町北」交差点から南に進んで、「西の一色町」交差点から西に入って直進したところ・・・・・、ありぁ? ・・・、なぜか、国道158号に出ちゃった・・・・。↓
・・・・・・、後から考えると、それほど難しい道でもないのですが、高山駅から東側ですと、街灯もついていますし、周囲に通行人はいくらでもいますし、日没後だって飲食店や土産物屋は開いていますしするのですが、このあたりにくると、人家はありますが、道を歩いている人なんてあんまりないし、街灯もないし、昼間歩くといい場所でも、日没後、歩くと、特に、たいしたことなくても道に迷って行きたい所にたどりつかないとなると、別に治安の悪い所でもないけれども・・・・・、クマ!・・・なんて、まさか出ないだろうなあ・・・・、タヌキなら出てもいいけれども、クマなんて出たら、クマってしまうなあ、もう~・・・なんて言ってる余裕はないわけです。
飛騨合掌苑までたどりついた時はほっとしたのですが、一度、その近くまで行ったことがあるから夜でも行けるだろう・・・なんて思ってると、昼と日没後とでは感じが違うということもあります。 昼間にその近くまで行ったことがあったとしても、日没後に行く時は、地図をよくよく確認して、どこでどう曲がってというのをきっちりと把握して行くべきでした。そうでなければ、日が暮れるまでに着くようにするべきでした。
↑は、一般のお家なので、写真を掲載していいかどうか迷ったのですが、立派なお宅であり、写真を出されて困るようなお家でもないと思いましたので、あまり、近接しないで撮った写真を掲載させていただこうと思います。 一般のお家なので、詳細な場所は述べません。 「飛騨民俗村」の付近です。
左奥のお家ですが、どの点を述べたいかというと、玄関なのです。 玄関の部分だけ、3尺ほど出ていますね。 一般に、「家相」においては、玄関は出ているのが吉相で引っ込んでいるのは凶相とされます。
≪ 玄関は、少々張り出すほうが吉相であり、「欠け」がある玄関は凶相であるとされています。
といっても、北海道など豪雪地域は、雪の関係で玄関がくぼんだ形になっているところが多く、さらに玄関外に雪よけの屋根がついています。
ちなみに屋根を支える柱がある場合は、欠けの作用があまり出ません。・・・・
しかし、単純に玄関をくぼませて作ってあるなら、やはり欠けと判断でき、欠けは玄関から入ってくる幸運度をドロップさせてしまいます。加えて玄関のある方位のエネルギーも下げてしまうのです。・・・・≫
(小林祥晃『小林祥晃の 家相 我が家の秘伝集』1993.7.15.廣済堂ブックス)
ですから、このお家などは、玄関が前に出ていますからその点で吉相なのです。実際には、玄関は出ている方が吉相といっても、片方で凹凸の多い家は凶という主張もあるわけですし、南東の「張り」が吉相と言われるものの、南東側が出っ張った家というのはその陰になる部分が出てくるわけで、南東が「欠け」になっている家は凶相だと言われるけれども、むしろ、南東が引っ込んでいる方が、太陽があたる部屋が多くなるという面もあります。 それで、ここのお家を見て私が思ったのは、1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市の契約客で、玄関を前に出したいと言われる方がけっこうあったのですが、「設計」のH田 靖(男。当時、20代前半からなかば。自称、東洋大学建築学科卒。)が、そのたびに、「玄関を前に出したのでは変だ」と言ってきかなかったということがあったのですが、↑のお家など見ると、別に「変」じゃないでしょ。 「変じゃない」と思いませんか?
いわき市及び福島県双葉郡や茨城県北茨木市・高萩市などでは、玄関だけ前に出した家というのは、けっこう見ました。 見た目の印象がいいと思うか良くないと思うかは、これは人それぞれ感じ方は違うということもあるでしょうけれども、別に「変だ」ということはないと思うのです。
(株)一条工務店という会社は変わった会社で、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計の言うことには、どんなことでも服従しろ」と要求する会社だったのですが、これは人権侵害です。私立五流大学を出てきたばっかりの人間が勝手なことをするのに、すでに30を過ぎた人間が、「営業」だからということで「服従」しろと言われて奴隷のようにお仕えしなければならないというのは、これはおかしい。(株)一条工務店の「設計」の横暴をあげるときりがないのですが、たとえば、1993年4月に東京で入社したT(男。当時、20代なかば。自称、明治大建築学科卒、大成パルウッドで「設計」2年、住友不動産ホームで「営業」1年経験。)が、「ちょっと、そっち行って」と言うので、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と言うものですから、言う方にクルマで乗せていくと、彼はどこへ行ったかというと、パチンコ。 勤務時間中にパチンコするヤツを、クルマで送り迎えさせられ、「ちょっと、そこで待ってて」と言うので、お抱え運転手のように、彼がパチンコしている間、パチンコ屋の前でクルマの中で待っていたのです。なんで、勤務時間中にパチンコに行くヤツをお抱え運転手みたいにクルマで送り迎えなんてしなければならないのでしょうか?
いわき市の営業所にいたH田 靖(男。20代。東洋大建築学科卒)の場合、毎日毎日、会社に「佐藤さん」という女性から朝から晩まで何度も何度もひっきりなしに電話がかかってきたのですが、この男、どうかしてるのじゃないかと思いました。基本的には、会社の電話に私用でかけるものと違うのですが・・・なんて社会人としての常識だと思うのですが、H田 靖にとっては常識ではなかったようなのです。 私用でかけて良いのは、家族の誰それが交通事故にあったとか、急病で入院した、親戚の誰それが危篤であるとか、そういった事情がある時。もしくは、残業が多くて、夜、自宅に電話をかけてもつながらないというような時。そういう場合に限ります。私の母などは、夜はお客様宅に営業として行くため、アパートにかけても不在であり、そのため、親戚の結婚式に出ないといけないとか親戚の誰が亡くなったので葬式に出ないといけないとかそういう連絡でも会社に電話するのに気兼ねしていたのです。 ところが、H田 靖の場合、そうではなく、「佐藤さん」という女性は姉でも妹でもなく、嫁さんでもないのです。親兄弟でもなければ嫁でも娘でもない女が、男の勤め先に、毎日毎日、朝から晩まで何度も何度もひっきりなしに電話をしてくる。そして、それを毎度毎度、私はとらされてきたのです。普通、一度、そういう電話をかけてきたとしても、「電話は、勤務時間外に自宅にかけてくれ」と言うものですが、H田の場合、私と常識が異なるようで、毎日毎日、毎度毎度、ひっきりなしに朝から晩まで、会社に電話してきて、春田は電話をさせていたのです。 そして、普通、私用の電話をとりついてもらったなら、「どうも、すいません」と言うのが社会人としての最低限の礼儀であると思いますが、春田は「どうも、すいません」と言ったことが一度もない。あんまりいい家庭の出じゃないなあ、この男はと思い、この男の親というのは、いったい、何やってる人間なんだ? と思ったら、中学校の校長先生だと聞いたので、な~るほどなあ~あ・・と思ったものでした。しかし、片方で、学校の先生の息子というと、普通、東大とか京大とか行くものではないのかと思ったのですが、なぜか、不思議なことに、「とうだい」は「とうだい」でも東京大学ではなく東洋大学なんて行っているのです。なんでだろ? 学校の先生の息子というと、私の知っている学校の先生の息子とか娘というと、北野高校の物理のF先生の娘は天王寺高校から現役で京大の医学部に行ったようですし、父の知り合いの知り合いだった豊中高校のY先生の息子さんは北野高校から大阪大学の医学部に現役で行かれましたし、普通、そういうものかと思っていたら、中学校の校長先生の息子のわりに、東洋大・・・て、なんで?
H田 靖を見て思ったのは、「学歴はカネで買える」ということです。私などは、大学に進学する頃、父から「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「ブンケー」(経済学部、及び、商学部・経営学部のこと)だけは絶対に嫌だと思っていたのですが、「てってこっこてっててってらったらったらったらあ~あ! とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまではあ!」とか言われ、「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います」「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」・・・と言われて、結局、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に、暴力と脅迫で行かされて、しかたなしに卒業してしまいました。「うちは、工学部になんか行かすような金持とは違います」と父は言うので、それで、私は「国立大学なら、法学部でも経済学部でも工学部でも学費は一緒のはずだ」と言ったのですが、母は「何を甘ったれたこと言ってますのん、あんたはあ。絶対に国立大学に通ると決まってるわけじゃないんだから、私立に行くことになる可能性だってあるんだから、工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われ、又、母は「なんでも、お金をだす者に決める権利があるんでしょうがあ。大学の学費は親が出すんやから、親に決める権利があるのが当然でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われ、父は「世の中の人間はやなあ、自分ではやらずに人のやることを決める人間と、自分で自分のことを決めずにひとに決められて何でも何でもせっせせっせと決められた通りやるのが向いているの人間の2種類に分かれているんや。その2種類の人間がおってこそ、世の中は成り立つのであってやなあ、どっちか片方ではいかんのや。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかはひとに命令する民族。チャンコロは命令されるための民族。わしいはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。そんでもってやなあ、あんたあはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族。わしは自分ではやらずにひとに命令したり号令をかけたりするのが向いている民族で、あんたあは常に命令されたり号令をかけられたりして、せえっせせえっせとやるのが向いている民族なんや。即ち、あんたはチャンコロや。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ。ドイツ人はドイツ人らしく、チャンコロはチャンコロらしくするのが、世の中みんなのためになるんや。そやからやなあ、あんたあは、どこでも行けるだけの点数をとんなさい。そしたら、ドイツ人のわしが決めたろ。それがあんたにとっての幸せやねん。喜べよ、チャンコロ。どうじゃ、うれしいやろ、楽しいやろ、チャンコロ」と、そう言っていたのです。「ちゃんちゃんころころ、ちゃんころころ、ちゃんちゃんころころちゃんこ~ろころ」と、そう言っていたのです。 中学生の頃、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、どこでも行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、就きたいと思う仕事につけるようにと思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と私に言っていたので、そういうものかと思っていたのですが、それはウソでした。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」・・父は毎日のように私にそう言っていたのです。父は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の階級」「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」であり、私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の階級」「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族」だそうでした。〔⇒《YouTube-ウエストサイド物語~アメリカ(America)》https://www.youtube.com/watch?v=qFw6yyZD_i4 〕 だから、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の階級」「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」である父と父の親友の医者屋のMなどに「なんでもなんでもなんでもなんでも」決めてもらって決められたとお~りやるのが、それが「チャンコロにとっての幸せ」だそうでした。 東洋大なんて行きたいとも思わなかったし、行かせてやるなんて言われても行きたくなかったし、そんな所に行かなくても、東大に通ったか、京大に通ったかということになると、相手がある程度以上手ごわい以上、絶対に通る、絶対に通ったなどということはあり得ませんが、ともかくも、国立大学でさえあれば・・というくらいならば、建築学科でもどこか行ける所はあったはずです・・・・が、我が家は「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」ということで、それは「ドイツ人が決めたこと」でした。
私などは、東洋大なんて行きたいなどと思ったことはないけれども、もしも、行きたいなんて言っても、「あんた、頭おかしいのとちゃうかあ」と言われるのがオチで、そんなもの、絶対に行かせてもらえませんでした。ましてや、東洋大の工学部建築学科なんて、「アホか!」「甘ったれるな!」「あんた、頭おかしいのとちゃうかあ」というところでした。 ところが、中学校の校長先生というのは、相当給料が高いらしく、東洋大の建築学科しか行けないような人間が、それを行かせてもらえるのです。私は高校卒業する年に東大を落ちると、父は父の親友で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで息子を私立高校から関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に金権裏口入学させた医者屋のMと医者屋のMの同僚で息子をバカ大学に2つ行かせたKと3人で私を取り囲んで「高校は義務教育じゃないんだから、おまえなんか高校に行く必要はなかったんじゃ。おまえは高校行くのは余計じゃ」と何度も何度も言ったものでした。その基準から考えて、東洋大みたいなもん行くような人間が、なぜ、義務教育でもないのに高校に行くのか? 実際問題として、東洋大なんて学校に行くのに入学試験というものはあるのかもしれないけれども、どのみち、あってもないのと同じようなもので、落ちる方がどうかしているというような試験しかないはずで、要するに、カネさえあれば合格できる「大学」です。カネさえあれば合格できて、カネさえあれば卒業できる「大学」です。そんな学校を卒業して、そして、建築業界ではそういう人間が「ぼく、学校でてますから」とか言うのです。 建築業界というのは、考えようによっては、変な業界です。 私が福島県いわき市の営業所に赴任したのは中途入社で2年目、33歳の時、33歳の有名人といいますと、内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の浅見光彦が33歳ですが、その年齢でした。春田は、新卒入社で入って2年目だったか3年目だったかどちらかでした。3年目だったとして25歳。 東洋大みたいなもん出て2年目か3年目の若造が、30過ぎた人間に、毎度毎度、女からの私用の電話をとらせて、「どうも、すいません」の一言も言わない。私用の電話を会社にかけさせている、その電話を他の従業員にとらせて取り次がせているということは、その女は婚約者で近いうちに結婚するというつもりかと思っていたら、そうではなく、そのうち、その女と別れて、H田は他の女と結婚しました。「どうも、すいませんでした」の一言くらい言うのが人間としての常識ではないかと思いますが、H田はひとことも言わないだけでなく、「結婚式の二次会」に出てくださいと言ってきたので、断りました。いくらなんでも、出たらアホです。それで、「用事があるので」ということにして、出席できないと伝えたところ、「どうしてですか。欠席というのは〇〇さんだけなんですけど、どうしてですか」としつこく言ってきたので、こいつ、絶対にアホや! と思いました。 この女と結婚しますからということで、勤務時間中に何度も何度もその女からの私用電話を取らせた相手に対して、「すいませんでした」の一言もなしに、他の女と結婚しますから、結婚式に出てくださいなどと言われて、それで出たのでは「私はアホです」と言っているのと同じです。私はそこまで、アホと違います。普通、職場の電話に、妻でもない女が、私用の電話を毎日毎日、何度も何度もかけてくる、かけさせている、というのは、それは異常ですし、普通、親は息子に、そんなことするものじゃないぞと教育するものだと思うのですが、中学校の校長先生というのは一般の会社員とは「ちょっと違う」みたいですね。「親の顔が見たい」という気がしました・・・・が、こういうことを言うと、「見たいですか」とか言われて実物を見せられそうですが、しかし、実物を見せられてもどうしようもありません・・・が、「親の顔が見たい」という気がしました。
私は、個人的には「玄関だけ前に出た家」というのは、もしも、自分が自宅を建てるのであれば、「あんまり好きではない」のですが、そのように建てたいという人については、「別に悪くない」と思っているし、「別に変じゃない」と思っているのです。 (株)一条工務店が玄関だけ前に出た家というのをあまり建てたがらないのは、それは、玄関だけ前に出した時、玄関部分について、横方向の耐力壁をきっちりと取れないのではないかというその点からではないかと思います。 但し、前に出す度合ですが、3尺(909ミリ。最近のモデュールでは910ミリ)だけ前に出すのであれば、耐力壁線は3尺まではずれていても同じ耐力壁線と考えることができるはずでしたから、出せないことはないはずでした。 それを、H田が「玄関だけ前に出すのは変だ」と頑固に言い張ったのは、それはH田が未熟で勉強不足だったことによると思います。 建てる場所にもよるわけで、東京圏や関西圏の分譲地のような所で建てる場合なら、玄関だけ前に出した家というのは、敷地との関係でうまくいかない場合が多いと思いますが、「地方」で土地がある程度以上あるケースにおいては、そうするかどうかは別として、好みの問題もあるとしても、玄関だけ前に出すというのは、別に「変」じゃないと思います。 住宅建築業の会社においては、都市部においては「設計」の評価が高く、「地方」に行くと「大工さま」の評価が高いのですが、実際問題として、「設計」というのは、他の職種の人間と比べて、あまりわかってないと思います。 まず、H田もそうですが、建築現場に行ったとすると、工事課の人間や営業課の人間は、他の人間が重い物を運んでいたら、自分もお客さんじゃなくて従業員なら、何なとやるものだと考えますが、「設計」という職種につくと、私立五流大学をでてきたばかりの若造が、ふんぞり返って見物しますからね。カネさえあれば誰でも通って、カネさえあれば卒業できるような「大学」でてきた若造が、「設計士(さま)」とやらになったような気でいますからね。ふんぞり返って見物するヤツが何か身に着くかというと・・・・・、まあ、そんなものでしょ。
↑のお家、もう一度、見てください。外観のデザインについては、「好みの問題」もあるとは思いますが、別に「変」ではないと思います。
小糸焼窯元の向かいのあたりに「竜鉄也慕情館」というのがあります。↑に掲載した写真に看板だけ写っています。↓
竜鉄也というのは、《ウィキペディア-竜鉄也》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%89%84%E4%B9%9F によると、1936年(日中戦争開始、盧溝橋事件〔いくさ 長(1937)引く日中戦争〕の1年前)に奈良県で生まれ、中学生の時に失明し、その後、視力回復に努めるが、1961年、25歳で再び、失明。 演歌歌手として、1981年、「奥飛騨慕情」でヒットしたが、2010年にくも幕下出血で、高山市の高山厚生病院にて他界したという人らしく、40歳の頃、郡上八幡で歌謡酒場を開いたほか、飛騨・高山付近で演歌師を続けたという人らしい。
※ 《YouTube-奥飛騨慕情/竜鉄也【公式】》https://www.youtube.com/watch?v=c_qKXOFVOI0
《YouTube-竜 鉄也 / 奥飛騨慕情 》https://www.youtube.com/watch?v=y_g0Zs_sR0A
インターネットで検索すると、《YAHOO! 知恵袋-高山市の「竜鉄也慕情館」には、何が展示されているのですか?》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154527729?__ysp=56uc6YGU5Lmf5oWV5oOF6aSo には、「私自身 彼に良いイメージが無い(彼の育った地元の評判が悪い)」と書かれていましたが、私は会ったこともないので、どんな人か知りません・・・・が、↑YouTube の下の方ですが、「この人くらい、風説に耐え苦労してヒット曲を出した演歌歌手はいないはずです・・・・」とかいうアナウンサーの文句は、あんまりいいと思いませんね。
その人が苦労したとしても、それは私が苦労させたのですか? 「ち~が~う~だ~ろ!」 失明したというのは大変だったとしても、苦労なんて、人間、ある程度、生きれば、誰だって多かれ少なかれしてるんですよ。 体が悪いといっても、失明までしなくても、私だって、小学校の5年から近視になってしまったし、最近では情けないことに老眼まで出てきたし、近視と老眼とどちらか片方ならまだいいけれども、両方ですから、せめて、どちらか片方ならと思いますよ。、 腰は悪いは膝は悪いはで、あっちやらこっちやら悪い所がありますが、そんなこと、ひとに言ってもしかたがないからいちいち言いませんが、誰だって体の悪いところのひとつやふたつあるんですよ。 失明は、人並みではなく特別に大変だったかもしれませんが、たとえ、そうであっても、「苦労」なんて、そんなもの「売り」にするものでしょうか? YouTube でのアナウンサーの文句を聞いて、「小林幸子みたいなヤツ」という印象を受けたのです。 だいたい、小林幸子って、なんで、「苦労」なんてそんなもの、「売り」にするんですかあ? 売りにするなら、もうちょっと、何かほかのもの、もうちょっと気が利いたものを「売り」にしたらどうかと思いませんかあ??? 〔ちなみに、千代大海は、大関に昇進した頃、「親孝行」を「得意技」にしていて、こいつ、相撲取りなら、「親孝行」なんて得意技にするのではなく、相撲の技を得意技にしたらどうなんだいと思ったものですが、そのうち、上半身は突っ張りをして前に出る動きをしながら腰から下は自分から後ろに下がってわざと負ける「千代大海のムーンウォーク」と言われる技を「売り」にするようになったそうな。人間というのは腰から上と腰から下で逆の動きをするのは難しいのだが、千代大海はそれを見事にやってのけるということで、「千代大海のムーンウォーク」と呼んで、「誰もが尊敬している」と (^^♪ 〕
大学入試って、苦労した人なら合格にしてもらえますかあ? 「ち~が~う~だ~ろ!」。 合格最低点を上まわった人間が合格でしょ。 ボクシングの世界タイトル戦て、苦労した人間なら勝たせてもらえますか? 「ち~が~う~だ~ろ!」。
よく言いますでしょ。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」て。私なんかも、20代の頃は、親から耳鳴りがするほど言われましたよ。その結果、相当買いました。相当買いこみましたので、そろそろ、その「苦労」てのを売ってやろうかと思ったのですが、ところが、誰も買ってくれません。 アホくさ! そんな売れない商品、買うのじゃなかった! 買うなら、もうちょっと、売れる商品を買うんだった。「苦労」なんて、そんな売れない商品買うのじゃなかった・・・。
で、個人的な知り合いに、「私も、・・・・なことがあって、けっこう苦労したんですよお」とつぶやくなら、つぶやいてもいいと思いますが、「苦労」を「売り」にするなんて、そんなもの、プロのすることじゃないと思います。↑のYouTubeの女性アナウンサーの文句は好きになれませんね。
北野高校の2年の時の担任の旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)が、「わたしなんかは両親が離婚したから」と、「両親が離婚した」というのを「売り」にしていたのです。 そして、「S野先生は両親が離婚されたから、しっかりしている」と言ってヨイショしようとする他の教諭先生もおられたのです。それを聞いて、最初は私も、はあん、そうかいなあ・・・とか思いかけたのです・・・・が、違うと思うのです、それは。
人間は、結婚する時、この人と一生一緒にやっていこうということで結婚するものですが、これは人それぞれで、とりあえず、結婚するが、結婚してだめならすぐ別れようという気持ちで結婚する人がいたとしても、当事者がそれでいいと言うのなら、他人がどうこう言ってもしかたがないことで、当事者が良ければいいことです。 結婚してだめならすぐに別れればいいと思って結婚して別れた人にせよ、一生一緒にやっていこうと思って結婚したけれども、どうしても一緒にやっていけないということで、やむなく離婚した人にせよ、その人にはその人で事情があったのでしょうから、それをいいだの悪いだのと他人がどうこう言ってもしかたがないことであり、他人がどうこう言う必要のないことだと思います・・・・が、しかし、逆に、それを自慢するとなると、ちょっと、違うんじゃないのか。 「ち~が~う~だ~ろ。 このボケぇ~え!」て思えてくるのです。 違いますか? 「両親が離婚した」て、そんなこと、自慢することですか? 「両親が離婚した」ら、なんか、エライのですか? 「ち~が~う~だ~ろ!」 と思いませんか。
だいたい、「私なんかは両親が離婚したから」と言われても、もし、私が原因で離婚させたというのなら、「えらい、すんまへんなあ」とでも言った方がいいかもしれませんが、「ち~が~う~だ~ろ!」・・・・・
両親がいるから苦労することだってあるはずなのですが、「私なんかは両親が離婚したから」と、それを何より自慢しているような高校教諭というのは、それを絶対に理解しようとしないのです。その点、旧制S野は高校教諭としてはその点で無能だということです。今から考えると、あんまり、質の高い高校教諭じゃないですね。
その 旧姓S野R子 で、私はもう、あきあきしたんです。「苦労」したとかを「売り」にするヤツに。 あんただけが「苦労」したとでも思ってんのお? て言いたいですね。 「あんたが『苦労』したとして、だから、何なんだよ。」「私だって、苦労したけれども、苦労したからという理由で、何か優遇してもらえたなんてことないぞ」と言いたいですね。 だから、その点では、あんまりいいようには思わないですね。 ↑のYouTube で言っているのは、「言わせている」可能性もあるとしても、あくまで、女性アナウンサーが言っているのであって本人が言っているのではないかもしれませんが。
↑ たしか、右側は「松倉山荘」のあたりだったと思うのですが、左側は一般のお家だったと思うので、できるだけ、建物が写らないように撮ったのですが、10月下旬、紅葉と紅葉していない樹木の葉の両方が合わさり、とても、きれいです。
(2017.11.6.)
☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨の里へ[上]高山駅西口から飛騨の里への導入路 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下] 玄関が前にでた家、「苦労」は「売り」にするものか?〔今回〕
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
国道158号(白川街道)を北に玄興寺、南にグリーンホテルと飛騨物産館がある所を西に進むと、川を渡ります。 宮川と同じく、この川も北に向かって流れていますが、「苔川」と言う川で、橋は「玄興寺橋」と言うようです。↓ 玄興寺のそばにある橋だから玄興寺橋なのでしょう。
(↑ 「玄興寺橋」から「苔川」を北に見る。)
(↑ 「玄興寺橋」から「苔川」を南に見る。)
この玄興寺橋を渡ってすぐの所を南西に進む道を行けば、飛騨合掌苑へは最短だったようですが、宿泊した日は、ここを通った時、↓ な感じでしたので、
(↑ 日没後、「玄興寺橋」から「苔川」を南に見ると・・・)
↑ 西に直進して、そして、迷うことになりました。 今から考えてみると、迷うほど難しい場所ではなかったのですが。
玄興寺橋を渡って国道158号(白川街道)をそのまま西へ直進しますと、南北の通りである国道41号(バイパス)とぶつかります。 「上岡本町南」交差点というようです。 北西のカドにファミリーマートがあります。
しかし、歩行者はここで迷います。 国道41号を東西に横断する信号・横断歩道がここにはないのです。 東京や大阪ならともかく、飛騨とか高山とかいう所に、地下を通る歩行者専用地下道なんてあるとは思いませんでしたが、あるんです。 高山は、高山駅から東側、大雄寺の前あたりまでの範囲では、ドライバーはものすごい安全運転をしてくれますが、ところが、それより周辺部に行くと、けっこうスピードを出して走ります。 だから、こんな所で、信号も横断歩道もなく、歩行者専用地下道なんてのがある所で、無理につっきって死んでも誰もほめてくれませんから、車道をつっきるのはやめて・・・・、しかし、「飛騨高山」なんて所に来て、東京の街中みたいに道路を横断するために地下を通るなんて、なんか、無粋だよなあという気持ちになります。 それに、東京あたりでは、夜のこういった地下の歩行者専用道というのは、ホモのたまり場だったりとかいうお話があったりしますし、私の場合、もともとは「武断派」ではなく「文治派」なもので、なんか、こういう地下歩行者道なんてのを見ますと、うかつにはいって行くと、「不良高校」の生徒がたむろして煙草吸っていて、通してもらおうとすると、なんか、因縁つけられたり、カツアゲされたりしそうで、「安全第一」「君子、危うきに近寄らず」ということで、そういう所は避けた方がよさそう・・・て感じがしてくるのです。高山ではそういうことはないかもしれませんけれども。 それで、他に通れる所ないかいなあと思って見まわすと、南側、それほど距離のない所に信号があるのが見えます。 ↓
↑ 「西之一色町北」交差点と言うようですです。 もうひとつ、南側の信号の所は「西之一色町」交差点のようです。
「西之一色町北」交差点を横断して西側正面の道は南西の方に進んでいます。 もし、「飛騨民俗村」「旧 野首家」「山岳資料館」「小糸焼窯元」などの方へ行きたいと思えば、この「西之一色町北」の信号で横断した上で、ほんの少しだけ北側に戻って、そこから西にまっすぐ進めば、そのうち、左側(南側)に、「松倉山荘」「村山群鳳彫房」「木彫匠工房」があり、↓
( ↑ 「松倉山荘」 )
( ↑ [左]村山群鳳彫房、 [右]木彫匠工房。 )
右(北)に営林署があり、「村山群鳳彫房」と「木彫匠工房」の間の道を南に行くと「旧 野首家」「山岳資料館」など、そのまま進むと、三叉路にあたり、↓
三叉路を登りかけると、左に竜達也慕情館、右に小糸焼窯元。↓
三叉路の手前あたりから顔を上に上げると、飛騨高山美術館が小山の上にあるのが昼間ならわかります・・↓
小糸焼窯元の向こう側を右折して進むと飛騨高山美術館。
右折せずにそのまま坂を登っていくと、左に、「リトルベアカフェ&ショップ」と「飛騨高山テディベアエコビレッジ」↓
その2つの間の道↓ を南に行くと、飛騨合掌苑。
「リトルベア カフェ&ショップ」「飛騨高山テディベアエコビレッジ」の前の道をそのまま登っていくと、左側に「飛騨の里」がある。 右側に「思い出体験館」があるはずです。
「西の一色町北」交差点より国道41号を少し北に行った西に進むと松倉山荘・木彫匠工房・小糸焼窯元などがある道のあたりから西を見ると、昼間なら↓
↑のように見えます。 向こうの小山の上にあるのが飛騨高山美術館ですから、そのあたりに行きたいと思えば、とりあえず、その方向に進む道を歩いていけば近づくことができるはずです・・・・が、日没後は、↑の小山がわからないし、ましてや、そこに飛騨高山美術館があるのもわかりません。
「西之一色町北」交差点の信号で国道41号を西側に渡ったところまではよかったのですが、そこから少し北側に戻って西に進めばよかったのですが、そうではなく、「西之一色町北」交差点から南に進んで、「西の一色町」交差点から西に入って直進したところ・・・・・、ありぁ? ・・・、なぜか、国道158号に出ちゃった・・・・。↓
・・・・・・、後から考えると、それほど難しい道でもないのですが、高山駅から東側ですと、街灯もついていますし、周囲に通行人はいくらでもいますし、日没後だって飲食店や土産物屋は開いていますしするのですが、このあたりにくると、人家はありますが、道を歩いている人なんてあんまりないし、街灯もないし、昼間歩くといい場所でも、日没後、歩くと、特に、たいしたことなくても道に迷って行きたい所にたどりつかないとなると、別に治安の悪い所でもないけれども・・・・・、クマ!・・・なんて、まさか出ないだろうなあ・・・・、タヌキなら出てもいいけれども、クマなんて出たら、クマってしまうなあ、もう~・・・なんて言ってる余裕はないわけです。
飛騨合掌苑までたどりついた時はほっとしたのですが、一度、その近くまで行ったことがあるから夜でも行けるだろう・・・なんて思ってると、昼と日没後とでは感じが違うということもあります。 昼間にその近くまで行ったことがあったとしても、日没後に行く時は、地図をよくよく確認して、どこでどう曲がってというのをきっちりと把握して行くべきでした。そうでなければ、日が暮れるまでに着くようにするべきでした。
↑は、一般のお家なので、写真を掲載していいかどうか迷ったのですが、立派なお宅であり、写真を出されて困るようなお家でもないと思いましたので、あまり、近接しないで撮った写真を掲載させていただこうと思います。 一般のお家なので、詳細な場所は述べません。 「飛騨民俗村」の付近です。
左奥のお家ですが、どの点を述べたいかというと、玄関なのです。 玄関の部分だけ、3尺ほど出ていますね。 一般に、「家相」においては、玄関は出ているのが吉相で引っ込んでいるのは凶相とされます。
≪ 玄関は、少々張り出すほうが吉相であり、「欠け」がある玄関は凶相であるとされています。
といっても、北海道など豪雪地域は、雪の関係で玄関がくぼんだ形になっているところが多く、さらに玄関外に雪よけの屋根がついています。
ちなみに屋根を支える柱がある場合は、欠けの作用があまり出ません。・・・・
しかし、単純に玄関をくぼませて作ってあるなら、やはり欠けと判断でき、欠けは玄関から入ってくる幸運度をドロップさせてしまいます。加えて玄関のある方位のエネルギーも下げてしまうのです。・・・・≫
(小林祥晃『小林祥晃の 家相 我が家の秘伝集』1993.7.15.廣済堂ブックス)
ですから、このお家などは、玄関が前に出ていますからその点で吉相なのです。実際には、玄関は出ている方が吉相といっても、片方で凹凸の多い家は凶という主張もあるわけですし、南東の「張り」が吉相と言われるものの、南東側が出っ張った家というのはその陰になる部分が出てくるわけで、南東が「欠け」になっている家は凶相だと言われるけれども、むしろ、南東が引っ込んでいる方が、太陽があたる部屋が多くなるという面もあります。 それで、ここのお家を見て私が思ったのは、1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市の契約客で、玄関を前に出したいと言われる方がけっこうあったのですが、「設計」のH田 靖(男。当時、20代前半からなかば。自称、東洋大学建築学科卒。)が、そのたびに、「玄関を前に出したのでは変だ」と言ってきかなかったということがあったのですが、↑のお家など見ると、別に「変」じゃないでしょ。 「変じゃない」と思いませんか?
いわき市及び福島県双葉郡や茨城県北茨木市・高萩市などでは、玄関だけ前に出した家というのは、けっこう見ました。 見た目の印象がいいと思うか良くないと思うかは、これは人それぞれ感じ方は違うということもあるでしょうけれども、別に「変だ」ということはないと思うのです。
(株)一条工務店という会社は変わった会社で、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計の言うことには、どんなことでも服従しろ」と要求する会社だったのですが、これは人権侵害です。私立五流大学を出てきたばっかりの人間が勝手なことをするのに、すでに30を過ぎた人間が、「営業」だからということで「服従」しろと言われて奴隷のようにお仕えしなければならないというのは、これはおかしい。(株)一条工務店の「設計」の横暴をあげるときりがないのですが、たとえば、1993年4月に東京で入社したT(男。当時、20代なかば。自称、明治大建築学科卒、大成パルウッドで「設計」2年、住友不動産ホームで「営業」1年経験。)が、「ちょっと、そっち行って」と言うので、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と言うものですから、言う方にクルマで乗せていくと、彼はどこへ行ったかというと、パチンコ。 勤務時間中にパチンコするヤツを、クルマで送り迎えさせられ、「ちょっと、そこで待ってて」と言うので、お抱え運転手のように、彼がパチンコしている間、パチンコ屋の前でクルマの中で待っていたのです。なんで、勤務時間中にパチンコに行くヤツをお抱え運転手みたいにクルマで送り迎えなんてしなければならないのでしょうか?
いわき市の営業所にいたH田 靖(男。20代。東洋大建築学科卒)の場合、毎日毎日、会社に「佐藤さん」という女性から朝から晩まで何度も何度もひっきりなしに電話がかかってきたのですが、この男、どうかしてるのじゃないかと思いました。基本的には、会社の電話に私用でかけるものと違うのですが・・・なんて社会人としての常識だと思うのですが、H田 靖にとっては常識ではなかったようなのです。 私用でかけて良いのは、家族の誰それが交通事故にあったとか、急病で入院した、親戚の誰それが危篤であるとか、そういった事情がある時。もしくは、残業が多くて、夜、自宅に電話をかけてもつながらないというような時。そういう場合に限ります。私の母などは、夜はお客様宅に営業として行くため、アパートにかけても不在であり、そのため、親戚の結婚式に出ないといけないとか親戚の誰が亡くなったので葬式に出ないといけないとかそういう連絡でも会社に電話するのに気兼ねしていたのです。 ところが、H田 靖の場合、そうではなく、「佐藤さん」という女性は姉でも妹でもなく、嫁さんでもないのです。親兄弟でもなければ嫁でも娘でもない女が、男の勤め先に、毎日毎日、朝から晩まで何度も何度もひっきりなしに電話をしてくる。そして、それを毎度毎度、私はとらされてきたのです。普通、一度、そういう電話をかけてきたとしても、「電話は、勤務時間外に自宅にかけてくれ」と言うものですが、H田の場合、私と常識が異なるようで、毎日毎日、毎度毎度、ひっきりなしに朝から晩まで、会社に電話してきて、春田は電話をさせていたのです。 そして、普通、私用の電話をとりついてもらったなら、「どうも、すいません」と言うのが社会人としての最低限の礼儀であると思いますが、春田は「どうも、すいません」と言ったことが一度もない。あんまりいい家庭の出じゃないなあ、この男はと思い、この男の親というのは、いったい、何やってる人間なんだ? と思ったら、中学校の校長先生だと聞いたので、な~るほどなあ~あ・・と思ったものでした。しかし、片方で、学校の先生の息子というと、普通、東大とか京大とか行くものではないのかと思ったのですが、なぜか、不思議なことに、「とうだい」は「とうだい」でも東京大学ではなく東洋大学なんて行っているのです。なんでだろ? 学校の先生の息子というと、私の知っている学校の先生の息子とか娘というと、北野高校の物理のF先生の娘は天王寺高校から現役で京大の医学部に行ったようですし、父の知り合いの知り合いだった豊中高校のY先生の息子さんは北野高校から大阪大学の医学部に現役で行かれましたし、普通、そういうものかと思っていたら、中学校の校長先生の息子のわりに、東洋大・・・て、なんで?
H田 靖を見て思ったのは、「学歴はカネで買える」ということです。私などは、大学に進学する頃、父から「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「ブンケー」(経済学部、及び、商学部・経営学部のこと)だけは絶対に嫌だと思っていたのですが、「てってこっこてっててってらったらったらったらあ~あ! とってちってたあ~あ! 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまではあ!」とか言われ、「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います」「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」・・・と言われて、結局、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に、暴力と脅迫で行かされて、しかたなしに卒業してしまいました。「うちは、工学部になんか行かすような金持とは違います」と父は言うので、それで、私は「国立大学なら、法学部でも経済学部でも工学部でも学費は一緒のはずだ」と言ったのですが、母は「何を甘ったれたこと言ってますのん、あんたはあ。絶対に国立大学に通ると決まってるわけじゃないんだから、私立に行くことになる可能性だってあるんだから、工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われ、又、母は「なんでも、お金をだす者に決める権利があるんでしょうがあ。大学の学費は親が出すんやから、親に決める権利があるのが当然でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われ、父は「世の中の人間はやなあ、自分ではやらずに人のやることを決める人間と、自分で自分のことを決めずにひとに決められて何でも何でもせっせせっせと決められた通りやるのが向いているの人間の2種類に分かれているんや。その2種類の人間がおってこそ、世の中は成り立つのであってやなあ、どっちか片方ではいかんのや。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかはひとに命令する民族。チャンコロは命令されるための民族。わしいはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。そんでもってやなあ、あんたあはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族。わしは自分ではやらずにひとに命令したり号令をかけたりするのが向いている民族で、あんたあは常に命令されたり号令をかけられたりして、せえっせせえっせとやるのが向いている民族なんや。即ち、あんたはチャンコロや。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ。ドイツ人はドイツ人らしく、チャンコロはチャンコロらしくするのが、世の中みんなのためになるんや。そやからやなあ、あんたあは、どこでも行けるだけの点数をとんなさい。そしたら、ドイツ人のわしが決めたろ。それがあんたにとっての幸せやねん。喜べよ、チャンコロ。どうじゃ、うれしいやろ、楽しいやろ、チャンコロ」と、そう言っていたのです。「ちゃんちゃんころころ、ちゃんころころ、ちゃんちゃんころころちゃんこ~ろころ」と、そう言っていたのです。 中学生の頃、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、どこでも行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、就きたいと思う仕事につけるようにと思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と私に言っていたので、そういうものかと思っていたのですが、それはウソでした。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」・・父は毎日のように私にそう言っていたのです。父は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の階級」「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」であり、私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の階級」「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族」だそうでした。〔⇒《YouTube-ウエストサイド物語~アメリカ(America)》https://www.youtube.com/watch?v=qFw6yyZD_i4 〕 だから、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の階級」「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」である父と父の親友の医者屋のMなどに「なんでもなんでもなんでもなんでも」決めてもらって決められたとお~りやるのが、それが「チャンコロにとっての幸せ」だそうでした。 東洋大なんて行きたいとも思わなかったし、行かせてやるなんて言われても行きたくなかったし、そんな所に行かなくても、東大に通ったか、京大に通ったかということになると、相手がある程度以上手ごわい以上、絶対に通る、絶対に通ったなどということはあり得ませんが、ともかくも、国立大学でさえあれば・・というくらいならば、建築学科でもどこか行ける所はあったはずです・・・・が、我が家は「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」ということで、それは「ドイツ人が決めたこと」でした。
私などは、東洋大なんて行きたいなどと思ったことはないけれども、もしも、行きたいなんて言っても、「あんた、頭おかしいのとちゃうかあ」と言われるのがオチで、そんなもの、絶対に行かせてもらえませんでした。ましてや、東洋大の工学部建築学科なんて、「アホか!」「甘ったれるな!」「あんた、頭おかしいのとちゃうかあ」というところでした。 ところが、中学校の校長先生というのは、相当給料が高いらしく、東洋大の建築学科しか行けないような人間が、それを行かせてもらえるのです。私は高校卒業する年に東大を落ちると、父は父の親友で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで息子を私立高校から関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に金権裏口入学させた医者屋のMと医者屋のMの同僚で息子をバカ大学に2つ行かせたKと3人で私を取り囲んで「高校は義務教育じゃないんだから、おまえなんか高校に行く必要はなかったんじゃ。おまえは高校行くのは余計じゃ」と何度も何度も言ったものでした。その基準から考えて、東洋大みたいなもん行くような人間が、なぜ、義務教育でもないのに高校に行くのか? 実際問題として、東洋大なんて学校に行くのに入学試験というものはあるのかもしれないけれども、どのみち、あってもないのと同じようなもので、落ちる方がどうかしているというような試験しかないはずで、要するに、カネさえあれば合格できる「大学」です。カネさえあれば合格できて、カネさえあれば卒業できる「大学」です。そんな学校を卒業して、そして、建築業界ではそういう人間が「ぼく、学校でてますから」とか言うのです。 建築業界というのは、考えようによっては、変な業界です。 私が福島県いわき市の営業所に赴任したのは中途入社で2年目、33歳の時、33歳の有名人といいますと、内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の浅見光彦が33歳ですが、その年齢でした。春田は、新卒入社で入って2年目だったか3年目だったかどちらかでした。3年目だったとして25歳。 東洋大みたいなもん出て2年目か3年目の若造が、30過ぎた人間に、毎度毎度、女からの私用の電話をとらせて、「どうも、すいません」の一言も言わない。私用の電話を会社にかけさせている、その電話を他の従業員にとらせて取り次がせているということは、その女は婚約者で近いうちに結婚するというつもりかと思っていたら、そうではなく、そのうち、その女と別れて、H田は他の女と結婚しました。「どうも、すいませんでした」の一言くらい言うのが人間としての常識ではないかと思いますが、H田はひとことも言わないだけでなく、「結婚式の二次会」に出てくださいと言ってきたので、断りました。いくらなんでも、出たらアホです。それで、「用事があるので」ということにして、出席できないと伝えたところ、「どうしてですか。欠席というのは〇〇さんだけなんですけど、どうしてですか」としつこく言ってきたので、こいつ、絶対にアホや! と思いました。 この女と結婚しますからということで、勤務時間中に何度も何度もその女からの私用電話を取らせた相手に対して、「すいませんでした」の一言もなしに、他の女と結婚しますから、結婚式に出てくださいなどと言われて、それで出たのでは「私はアホです」と言っているのと同じです。私はそこまで、アホと違います。普通、職場の電話に、妻でもない女が、私用の電話を毎日毎日、何度も何度もかけてくる、かけさせている、というのは、それは異常ですし、普通、親は息子に、そんなことするものじゃないぞと教育するものだと思うのですが、中学校の校長先生というのは一般の会社員とは「ちょっと違う」みたいですね。「親の顔が見たい」という気がしました・・・・が、こういうことを言うと、「見たいですか」とか言われて実物を見せられそうですが、しかし、実物を見せられてもどうしようもありません・・・が、「親の顔が見たい」という気がしました。
私は、個人的には「玄関だけ前に出た家」というのは、もしも、自分が自宅を建てるのであれば、「あんまり好きではない」のですが、そのように建てたいという人については、「別に悪くない」と思っているし、「別に変じゃない」と思っているのです。 (株)一条工務店が玄関だけ前に出た家というのをあまり建てたがらないのは、それは、玄関だけ前に出した時、玄関部分について、横方向の耐力壁をきっちりと取れないのではないかというその点からではないかと思います。 但し、前に出す度合ですが、3尺(909ミリ。最近のモデュールでは910ミリ)だけ前に出すのであれば、耐力壁線は3尺まではずれていても同じ耐力壁線と考えることができるはずでしたから、出せないことはないはずでした。 それを、H田が「玄関だけ前に出すのは変だ」と頑固に言い張ったのは、それはH田が未熟で勉強不足だったことによると思います。 建てる場所にもよるわけで、東京圏や関西圏の分譲地のような所で建てる場合なら、玄関だけ前に出した家というのは、敷地との関係でうまくいかない場合が多いと思いますが、「地方」で土地がある程度以上あるケースにおいては、そうするかどうかは別として、好みの問題もあるとしても、玄関だけ前に出すというのは、別に「変」じゃないと思います。 住宅建築業の会社においては、都市部においては「設計」の評価が高く、「地方」に行くと「大工さま」の評価が高いのですが、実際問題として、「設計」というのは、他の職種の人間と比べて、あまりわかってないと思います。 まず、H田もそうですが、建築現場に行ったとすると、工事課の人間や営業課の人間は、他の人間が重い物を運んでいたら、自分もお客さんじゃなくて従業員なら、何なとやるものだと考えますが、「設計」という職種につくと、私立五流大学をでてきたばかりの若造が、ふんぞり返って見物しますからね。カネさえあれば誰でも通って、カネさえあれば卒業できるような「大学」でてきた若造が、「設計士(さま)」とやらになったような気でいますからね。ふんぞり返って見物するヤツが何か身に着くかというと・・・・・、まあ、そんなものでしょ。
↑のお家、もう一度、見てください。外観のデザインについては、「好みの問題」もあるとは思いますが、別に「変」ではないと思います。
小糸焼窯元の向かいのあたりに「竜鉄也慕情館」というのがあります。↑に掲載した写真に看板だけ写っています。↓
竜鉄也というのは、《ウィキペディア-竜鉄也》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%89%84%E4%B9%9F によると、1936年(日中戦争開始、盧溝橋事件〔いくさ 長(1937)引く日中戦争〕の1年前)に奈良県で生まれ、中学生の時に失明し、その後、視力回復に努めるが、1961年、25歳で再び、失明。 演歌歌手として、1981年、「奥飛騨慕情」でヒットしたが、2010年にくも幕下出血で、高山市の高山厚生病院にて他界したという人らしく、40歳の頃、郡上八幡で歌謡酒場を開いたほか、飛騨・高山付近で演歌師を続けたという人らしい。
※ 《YouTube-奥飛騨慕情/竜鉄也【公式】》https://www.youtube.com/watch?v=c_qKXOFVOI0
《YouTube-竜 鉄也 / 奥飛騨慕情 》https://www.youtube.com/watch?v=y_g0Zs_sR0A
インターネットで検索すると、《YAHOO! 知恵袋-高山市の「竜鉄也慕情館」には、何が展示されているのですか?》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154527729?__ysp=56uc6YGU5Lmf5oWV5oOF6aSo には、「私自身 彼に良いイメージが無い(彼の育った地元の評判が悪い)」と書かれていましたが、私は会ったこともないので、どんな人か知りません・・・・が、↑YouTube の下の方ですが、「この人くらい、風説に耐え苦労してヒット曲を出した演歌歌手はいないはずです・・・・」とかいうアナウンサーの文句は、あんまりいいと思いませんね。
その人が苦労したとしても、それは私が苦労させたのですか? 「ち~が~う~だ~ろ!」 失明したというのは大変だったとしても、苦労なんて、人間、ある程度、生きれば、誰だって多かれ少なかれしてるんですよ。 体が悪いといっても、失明までしなくても、私だって、小学校の5年から近視になってしまったし、最近では情けないことに老眼まで出てきたし、近視と老眼とどちらか片方ならまだいいけれども、両方ですから、せめて、どちらか片方ならと思いますよ。、 腰は悪いは膝は悪いはで、あっちやらこっちやら悪い所がありますが、そんなこと、ひとに言ってもしかたがないからいちいち言いませんが、誰だって体の悪いところのひとつやふたつあるんですよ。 失明は、人並みではなく特別に大変だったかもしれませんが、たとえ、そうであっても、「苦労」なんて、そんなもの「売り」にするものでしょうか? YouTube でのアナウンサーの文句を聞いて、「小林幸子みたいなヤツ」という印象を受けたのです。 だいたい、小林幸子って、なんで、「苦労」なんてそんなもの、「売り」にするんですかあ? 売りにするなら、もうちょっと、何かほかのもの、もうちょっと気が利いたものを「売り」にしたらどうかと思いませんかあ??? 〔ちなみに、千代大海は、大関に昇進した頃、「親孝行」を「得意技」にしていて、こいつ、相撲取りなら、「親孝行」なんて得意技にするのではなく、相撲の技を得意技にしたらどうなんだいと思ったものですが、そのうち、上半身は突っ張りをして前に出る動きをしながら腰から下は自分から後ろに下がってわざと負ける「千代大海のムーンウォーク」と言われる技を「売り」にするようになったそうな。人間というのは腰から上と腰から下で逆の動きをするのは難しいのだが、千代大海はそれを見事にやってのけるということで、「千代大海のムーンウォーク」と呼んで、「誰もが尊敬している」と (^^♪ 〕
大学入試って、苦労した人なら合格にしてもらえますかあ? 「ち~が~う~だ~ろ!」。 合格最低点を上まわった人間が合格でしょ。 ボクシングの世界タイトル戦て、苦労した人間なら勝たせてもらえますか? 「ち~が~う~だ~ろ!」。
よく言いますでしょ。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」て。私なんかも、20代の頃は、親から耳鳴りがするほど言われましたよ。その結果、相当買いました。相当買いこみましたので、そろそろ、その「苦労」てのを売ってやろうかと思ったのですが、ところが、誰も買ってくれません。 アホくさ! そんな売れない商品、買うのじゃなかった! 買うなら、もうちょっと、売れる商品を買うんだった。「苦労」なんて、そんな売れない商品買うのじゃなかった・・・。
で、個人的な知り合いに、「私も、・・・・なことがあって、けっこう苦労したんですよお」とつぶやくなら、つぶやいてもいいと思いますが、「苦労」を「売り」にするなんて、そんなもの、プロのすることじゃないと思います。↑のYouTubeの女性アナウンサーの文句は好きになれませんね。
北野高校の2年の時の担任の旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)が、「わたしなんかは両親が離婚したから」と、「両親が離婚した」というのを「売り」にしていたのです。 そして、「S野先生は両親が離婚されたから、しっかりしている」と言ってヨイショしようとする他の教諭先生もおられたのです。それを聞いて、最初は私も、はあん、そうかいなあ・・・とか思いかけたのです・・・・が、違うと思うのです、それは。
人間は、結婚する時、この人と一生一緒にやっていこうということで結婚するものですが、これは人それぞれで、とりあえず、結婚するが、結婚してだめならすぐ別れようという気持ちで結婚する人がいたとしても、当事者がそれでいいと言うのなら、他人がどうこう言ってもしかたがないことで、当事者が良ければいいことです。 結婚してだめならすぐに別れればいいと思って結婚して別れた人にせよ、一生一緒にやっていこうと思って結婚したけれども、どうしても一緒にやっていけないということで、やむなく離婚した人にせよ、その人にはその人で事情があったのでしょうから、それをいいだの悪いだのと他人がどうこう言ってもしかたがないことであり、他人がどうこう言う必要のないことだと思います・・・・が、しかし、逆に、それを自慢するとなると、ちょっと、違うんじゃないのか。 「ち~が~う~だ~ろ。 このボケぇ~え!」て思えてくるのです。 違いますか? 「両親が離婚した」て、そんなこと、自慢することですか? 「両親が離婚した」ら、なんか、エライのですか? 「ち~が~う~だ~ろ!」 と思いませんか。
だいたい、「私なんかは両親が離婚したから」と言われても、もし、私が原因で離婚させたというのなら、「えらい、すんまへんなあ」とでも言った方がいいかもしれませんが、「ち~が~う~だ~ろ!」・・・・・
両親がいるから苦労することだってあるはずなのですが、「私なんかは両親が離婚したから」と、それを何より自慢しているような高校教諭というのは、それを絶対に理解しようとしないのです。その点、旧制S野は高校教諭としてはその点で無能だということです。今から考えると、あんまり、質の高い高校教諭じゃないですね。
その 旧姓S野R子 で、私はもう、あきあきしたんです。「苦労」したとかを「売り」にするヤツに。 あんただけが「苦労」したとでも思ってんのお? て言いたいですね。 「あんたが『苦労』したとして、だから、何なんだよ。」「私だって、苦労したけれども、苦労したからという理由で、何か優遇してもらえたなんてことないぞ」と言いたいですね。 だから、その点では、あんまりいいようには思わないですね。 ↑のYouTube で言っているのは、「言わせている」可能性もあるとしても、あくまで、女性アナウンサーが言っているのであって本人が言っているのではないかもしれませんが。
↑ たしか、右側は「松倉山荘」のあたりだったと思うのですが、左側は一般のお家だったと思うので、できるだけ、建物が写らないように撮ったのですが、10月下旬、紅葉と紅葉していない樹木の葉の両方が合わさり、とても、きれいです。
(2017.11.6.)
☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨の里へ[上]高山駅西口から飛騨の里への導入路 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下] 玄関が前にでた家、「苦労」は「売り」にするものか?〔今回〕
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
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