三福寺町から松之木町西(新上野橋から三福寺橋)-高山第5回【14/15】+山小屋はなぜ洋風なんだろ?
[第563回] 高山シリーズ第5回【14/15】
今は昔、1969年、小学生だった時、姉が勤めた会社に、滋賀県の長浜の琵琶湖畔に保養所があり、母と姉と3人で泊めてもらったことがあった。 その帰り、今は、長浜-米原-京都-大阪-姫路-播州赤穂 なんて区間の新快速が走っているようだが、その頃はそういう新快速はなく、長浜からは特急・急行でなければ、北陸本線は米原とまりで、米原からは新幹線「こだま」に乗るのでなければ、東海道本線では、「急行 比叡」というのが名古屋-大阪間で走っていたことは走っていたが、1日に2本かそこらだったはずで、滋賀県から大阪までくらいで新幹線になんか乗りたくないとなると、東海道本線の「快速」しかなかった。「快速」と言ってもそれは東は京都までの話で、京都から東側はすべての駅に停車する「普通」だった。
少し、時間があったので、途中、どこかに寄ってみようということになり、私は、東海道本線と北陸本線の分岐駅である米原という所はどういう所なのだろうと思い、駅の周囲でも歩いてみたいと思ったのだが、そう言うと、父が「そんなもん、米原なんて、『見る所』なんて、な~んもない所だ」と言って否定して、私の計画は無しになった。 その際、父の、国家なのか権威者なのかそういう存在に「見る所」を規定されて、それを忠実に守る男、「見る所」と国家なり権威者なりに指定された所には行くが、そうでない所には行かないという、いかにも、ケーサツが喜びそうな人格、いわば、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」とでもいったものに、いや~な印象を受けたことがある。
その点、私は「文学・哲学徒」であり、たとえば、遠藤周作はさすがに文学者であり、ここが「観光名所」ですよお、ここに行きなさいよおと、観光ガイドブックなどで指定された場所に行ってもしかたがない、そうでない所に自分なりに行って歩いてこそ価値があるといったことを、たしか、『走馬燈』(新潮文庫)だったか『切支丹の里』(中公文庫)だったかどちらかに書いていたと思ったのだが、今、その2つを見ても、その記述が見つからないので、他の本だったかもしれない。
庄司薫『バクの飼い主めざして』(講談社文庫)では、≪ぼくは散歩が大好きだ。・・・いつか京都で、「哲学の道」というのを教えてもらった。かつては、京都大学の教授や学生が静かに語り合いながら逍遥したその道も、いまや増えた車のおかげで歩きにくくなった、と。トキを筆頭とする鳥や獣が、各種公害のために絶滅の危機を迎えている話がよく伝えられるけれど、現代の哲学(または哲学者?)の危機は、いくぶんかはこの「哲学の道」の危機、おちおち考えることもできない散歩道の危機によるのかもしれない。・・・ところでぼくの散歩だけれど、これは、そもそもこの東京には古典的な「哲学の道」などない、という大前提から出発しているのかもしれない。・・・・≫といった話が出ており、庄司薫もまた、ここが歩くべき場所ですよお、ここを歩きなさいよおと国家なりケーサツなりに決められた場所を歩くという行為を否定し、自分が歩きたい所を歩くという主張をしている。但し、≪もっとも時々、誘拐魔や痴漢の事件が連続的に新聞をにぎわせたりすると、中学校以下の学校の校庭などを用もなくブラブラのぞいたりするのは気がひけたりする。≫ということを述べている。庄司薫の場合、「学校」がけっこう好きだが、中学校以下の学校ではまずいというので、大学なら問題ないだろうと東大の合格発表の日なんかに東大に行くと、30代の庄司薫が合格者と間違えられて「おめでとうございます」なんてサークルの勧誘やってる学生から言われたりしたという話を書いていた。そういえば、私も30になるかならんかの頃、3月、慶應大の日吉に行く用事がなんだったかあって、日吉のキャンパスを歩くと、「新入生の方ですか」とサークルの勧誘やってるにいちゃんから誘われたことがあったが、2,3年前、日吉に行ってみると、さすがに、50過ぎたら誘ってもらえなかった・・・。千葉県船橋市の我が家の近所にも「痴漢 注意」なんて書いた看板をケーサツが立てた所があるのだが、そういう場所をうかつに散歩すると、痴漢だと因縁をつけられて逮捕・送検・有罪にされる危険があるということで、そういうやり口によって、市民が自分が行きたいと思う場所への自由な出歩きを妨げよう、あくまでも、国家なりケーサツなりが、ここが観光地ですよお、ここに行きなさいよおと指定した所にだけ行かすようにして、そうでない所に自主的に行こうとする者は、「反社会的勢力」とか「痴漢」とか認定して取り締まろうという考えだということではないか。(普通に考えても、そんなに痴漢がよく出没する所なら、ケーサツはそんな看板だすよりも、さっさとつかまえればいいだろうが・・・て思いませんか?)
「『若さは力である』と知る時は、自分が『若さ』を失った時である」とどこかに書いてあったのだが、どこに書いてあったか忘れた。 で、私なんかも、その「若さ」という「力」を幾分失ってしまったかなとか思うこともあるのだが、それでも、ここに行きなさいよお、ほかの場所には行ってはいけませんよおと国家なりケーサツなりに指定されると・・・・、なんでやねん、なんでほかの場所に行ったらいかんねん! なんで、ここに行きなさいよおと指定された場所になんか、行かんといかんねん! と思う人間なので、その点では今も「若さ」を失っていないということだ。
その点、父は、「米原なんて、『見る所』なんてあらへん」と口にしたように、国家なりケーサツなりに「ここが『見る所』ですよお」と指定された「見る所」には行き、そうでない所には行かないという人間、いわば、「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」の人間で、まあ、ケーサツなんかが喜ぶ人間であり、私なんかはその逆なので、それだけでも、「反社会的勢力」とか決めつけられる危険がある。お~、こわ。
( ↑ 大八賀川。 新上野橋 から北西側〔下流側〕をみる。 )
( ↑ 大八賀川。 新上野橋 から南東側〔上流側〕を見る。 )
北小学校の北側、かつて久美愛病院があって今は警察署庁舎を建てるべく工事中の所の南を東西に走る県道458号(町方高山線)を東に行くと、「三福寺町」交差点というT字路に出る。 新宿から高山への高速バスは、「松之木町西」という三叉路で北西に向きを変えて進むと、「三福寺町」交差点の三叉路で県道458号を西に進み、「桐生町西」交差点で左に曲がって南に進んで高山駅まで行く。 その「三福寺」交差点から県道458号を西に行きかけたあたりで、大八賀川という川を越えるが、その橋が「新上野橋」と言うらしい。 大八賀川は、大八賀神社がある山の南西の方から大八賀神社の北を通って新上野橋に至り、新上野橋から北西に進んで宮川に合流する。 宮川・苔川と同じく、南から北に向かって流れる。
「松之木町西」交差点から「三福寺町」交差点までの道は、「三福寺町」交差点に近い半分では大八賀川より北東側だが、「松之木町西」交差点に近い半分は大八賀川より南西側を通っている。 その「松之木町西」交差点から「三福寺町」交差点の中間付近で大八賀川を渡る橋が「三福寺橋」↓。
( ↑ 大八賀川。 三福寺橋より南西〔下流側〕を見る。 紅葉がきれいですね。)
( ↑ 大八賀川。 三福寺橋より北東〔上流側〕を見る。 )
大八賀川は宮川や苔川と同じく、基本的には南から北に流れる川だが、この三福寺橋付近ではS型に曲がっており、三福寺橋の所では、上流が北東、下流が南西になる。
『都市地図 高山・飛騨市』(昭文社)を見ると、高山市三福寺町には、三福神社という神社があり、山の上に三福寺城址があるように出ているが、歓喜寺という寺はあるようだが、三福寺という寺の記載は見当たらない。
で、この三福寺橋の南東のあたりから、県道158号、大雄寺、素玄寺のあたりに、「松之木町西」交差点を経由せずに短距離で行こうと進むと、何があったかというと、↓
↑ ケーサツ官舎。 ・・・怖いから、あんまり、近寄らんとこ・・・。
こういうの、ある程度、見るとわかるようになりますね。 企業の社宅の場合、会社名がどこかに書かれていることが多いのに対して、ケーサツ官舎というのは、やましいところがあるからか、ケーサツとは書かれていない・・・が近所の人は知っている。 「◇◇荘」とか「ハイツ☆☆」とか「▽▽コーポ」とか何も書いていないが・・・・で、多くは白系の外壁で・・・て、ケーサツ官舎が多いですよね・・・。たまに、「・・・ハイム」とかいう名前がついているけれども、ケーサツ官舎てのもあるみたいですけれども。そういうのは、外壁も白系じゃない建物で、それは、一般の家主が持っているアパートを1棟まるごと、ケーサツが借りたのかもしれませんね。
今は昔、1990年4月に、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕で、千葉県からいきなり東京都目黒区の自由が丘展示場に明日から転勤してくれと言われ、「松戸から柏とか柏から松戸とか、船橋から市川とか市川から船橋とかの移動なら、きょう言ってあしたからというのもあり得ると思いますが、今の住居からはどう考えても通えない場所に、突然、言って、『明日から』というのは無茶でしょ」と言いましたが、「でも、あしたから」と松戸営業課長の石井から言われ、翌日から、東急東横線の「都立大学」「自由が丘」「大岡山」「緑ヶ丘」の4つの駅の真ん中あたり(要するに、その4つの駅のどこからでも近くない)所にあった自由が丘展示場に勤務し、しばらく、JR常磐線の「南柏」駅から歩いて14分ほどのアパートから通いました。小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム 〕は、私には常磐線「南柏」駅から歩いて14分ほどのアパートから地獄の苦しみをともなく通勤で東急東横線「自由が丘」から歩いて20分ほどの自由が丘展示場に言って翌日から勤務させておいて、片方で、1989年7月1日から千葉支店 支店長に命じられた「高卒の痴漢人間」の渡邊士直には、実際に赴任するのは7月の下旬過ぎにやっと赴任したというのを認めたのですから、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→・・〕は、どう考えても、従業員に対する公平性が欠けています。「公平性の欠如」がはっきりと見られ、そのあたりについて、会社の対応、会社の運営は適切と言えません。
その際、自由が丘は「この漫才で田園調布に家が建つ」という言葉がある田園調布のひとつ隣の駅なので、自由が丘が最寄の駅ではアパート代は高いだろうから私なんかには無理だろうと考え、そのもうひとつ隣の「都立大学」駅の近所の不動産屋で、できるだけ安めのアパートで駐車場がある所をという条件で尋ねたところ、その不動産屋のおばはんが、「小堀住研なんて、そんな会社に勤めてる人なんて、大家さんが嫌がると思うわ」と、そう言ったのです。そう言われたのです。 「それなら、どういう所に勤めている人がいいのですか」と言うと、「そりぁ、なんと言っても大企業に勤めている人がいいわ」と言うので、「うちの会社、一部上場ですし、従業員も千人を超えている会社ですけれども、いけませんか」と言うと、「知らないわねえ。聞いたことないわ、小堀住研なんて。建売でもやってんのお」とそう言ったのでした。 ともかくも、慶應義塾の経済学部や商学部の卒業生なら、一部上場くらいの会社については、「名前くらいは知っている方が基本」であり、一部上場の会社でも会社はいっぱいあるので、知らない会社も中にはあるとしても、それでも、一部上場くらいの会社を、この不動産屋みたいに、「知らないわねえ」だの「まったく聞いたことない」だのと言ったのでは、そういうことを言う人間が恥であり、「慶應義塾の経済学部(商学部)を卒業しながら、そんなことを言っているのか」ということになるのですが、「不動産屋のおばはん」のレベルではそういうもののようでした。「ともかくも、一部上場で、その業界では、施工棟数で見ても上位何位という会社を『聞いたことない』というのはおかしいのではないか」と言いたい気持ちもないではなかったのですが、それは慶應義塾の社会科学系学部出身者ならそうでしょうけれども、 「不動産屋のおばはん」に、そんなこと言っても「レベル的に無理」だわなあ・・と思いましたが、それにしても、なんだか、「不動産屋のおばはん」にそういう口をきかれなければならないという、なんとも情けなくなる転勤をさせられました。小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム〕は、その頃、従業員の間では、「まったく、つくづく、見てくればっかりいい会社」「外見ばっかりいい会社」とか言われたりもしていましたが、それにしても、そこまで「人事総務の弱い会社」と思いませんでしたが、実際、相当「人事総務の弱い会社」、即ち、「一部上場とはいえ、あまり程度の高くない会社」でした。・・そして、「高卒の痴漢人間」には優遇して、私に対しては、きょう言って明日から通勤できない営業所に勤務しろと人権侵害、法的には「信義則違反」(民法第1条第2項)の転勤命令を出し滅私奉公で尽くしてきた私に無茶苦茶な扱いをした会社は、何年か後、つぶれました。〔今も、(株)ヤマダエスバイエルホームという名前の後継会社がありますが、それは、いったん、つぶれたものをヤマダ電機が「いぬき」で買い取って続けているものです。〕
その時に言われたのが、家主から嫌がられる職業として、「不動産屋に勤めてる人なんて大家さんが嫌がるわ」とそのおばさんが(自分こそ不動産屋のくせに)言ったので、「小堀住研(株)は不動産屋じゃないですよ。住宅建築業の会社ですよ」と言ったのですが、「不動産屋のおばはん」はいったん不動産屋だと決めたが最後、「建売でもやってんでしょ」と言ってきかない、「小堀住研は請負だけの会社で、建売はやってませんよ」と言ってもきかないということがありました。その後、他の不動産屋にも行き、他の店では、小堀住研(株)は建築屋であって不動産屋ではないとわかってくれたのですが、その他の店で言われたのは、家主が嫌がる職業として、「建築の方はいいですけれども、私らみたいな不動産屋は嫌がられることが多いんです」と言われたことがありました。 弁護士なんてのはいいのかというと、「弁護士も嫌がられます」と言われたのですが、要するに、退去の際に、敷金からいくらもらうとか、この部分の補修費用を出してくれとかいう話になった時、借主が不動産屋であったり弁護士であったりすると、交渉に強いということで、そういう相手は避けたいということではないかと思います。
小堀住研(株)はグループ会社で小堀住宅流通(株)という「不動産屋」を持っていることは持っていましたが、小堀住研(株)自体は建築屋であって不動産屋ではなかったのですが、その後、正真正銘に不動産屋である(株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ に勤めたことがあり、(株)エイブルで仲介していたアパートの家主さんで、外国人は嫌だという人があり、なぜ、嫌なのかというと、普段は日本語を話して、友達を部屋に呼んできて日本語で騒いでいるくせに、家主がこういうことはやってもらっては困りますといったことを言うと、突然、「ワタシ、日本語、ワカリマセ~ン」と言い出すフィリピン人がいたというのです。なんか、笑い話みたいですが、そういうことがあったらしい。 さらに、借りようとしてきたブラジル人のおっさんが、「外国人がいるアパートは嫌だ」と言うことがあったので、あんたも外国人でしょうがと思ったことがあったのですが、営業の担当がそう言うと、「外国人でも、フィリピン人は嫌だ」と言い、なんか、ブラジル人はフィリピン人より上だみたいな言い方をする、そんなこと思うとるのんかいみたいなおっさんがいました。
不動産屋と弁護士には貸したくないという家主がいるという話を、1990年に自由が丘近辺の不動産屋で聞いたのですが、同様の理由で、ケーサツ漢にも貸したくないと思う家主がいても不思議ではないですね。まあ、公共の費用でいい官舎を用意してくれるから、私らみたいな三流以下企業にばっかり勤めて、無茶苦茶な転勤ばっかりさせられてきた人間と違って、住む所に苦労はせんでしょ・・・・。
ケーサツ官舎を通り過ぎると、左手に立っていらっしゃるのが歩きスマホの二宮尊徳さん。↓
落ち着いて考えてみると、荷物を背負って歩きながら本を読むよりも、さっさと早く歩いて帰って、それから、本を読んだ方が効率的と違うんかい・・・て感じがしないでもないのですが、揺れる電車中で本を読んだら乱視になるからやめた方がいいと言われても、それでも、電車中で漫画読まんとおれんみたいな・・・そんな感じ??? なんて言うと怒られるか・・・・・・。
二宮尊徳さんが立っていらっしゃる以上、そこは小学校か? と思うとその通り、高山市立東小学校 ↓。
( ↑「旗」マークのあたりに、歩きスマホの二宮尊徳さん がいらっしゃいます。 )
東小学校の裏あたりを南に進むと、国道158号(白川街道)に出ます。
そのあたりで見かけたのですが、↓
↑ 店舗かと思ったら、そうではなく住宅らしいので、詳細な場所は述べません。 国道158号沿いの日の出町か長坂町のあたりです。あまり「高山的」でない「山小屋風洋風」。
高山というと、「さんまち」あたりの「古い町並み」の町家建築のイメージがあり、飛騨というと白川郷などの合掌造りのイメージが強いのですが、今では、高山市は大阪府や香川県よりも面積の広い市になり、新しい建物になった高山駅では、改札の所に、「→乗鞍口」なんて書いてあるわけで、矢印の方に向かって歩いて行くと乗鞍岳に行くのか・・・・というと、たしかに何日もかければ行くかもしれないけれども、相当離れているのですが、その乗鞍岳とかそのあたりの中部山岳地帯というと、登山家の利用する山小屋のイメージが出てくるのです。で、山小屋というと、なんで、洋風なんだろ・・・・? なんでだろ・・・て思いませんか?
高山にある合掌造りの建物というのは、多くが白川村とか富山県の五箇荘とかから移築した建物で、高山に昔からあったものではないと思うのです。 時々、他の地域の人間には誤解している人がいるのですが、飛騨地方でも高山と白川郷ではけっこう違うと思います。 しかし、どっちにしても、「和」か「洋」かというと、「和」が主体の街だと思ってきたのですが、ところが、乗鞍岳まで高山市になってくると、今度は、 「山小屋風洋風」もまた、高山市の建築スタイルのひとつ?・・・てことになってきそうな感じですが・・・・、山小屋て、なんで、「洋風」なんだろな・・・? で、町家建築と合掌造りは適度なところで折り合いをつけて共存共栄もできるのではないかと思うのですが、「山小屋風洋風」と町家建築、「山小屋風洋風」と合掌造りというのは、折り合いをつけるのは簡単ではないような気もするのですが、どうでしょう。どうしたものでしょう・・・。
県道158号(白川街道)を西に進むと、大雄寺の前あたりから西を「安川通り」、鍛冶橋付近から西を「国分寺通り」と言うようで、高山駅の西に行くと、そのあたりから西は、また、「白川街道」になるみたい。
↑ 飛騨国分寺の三重塔です。
何回目かに高山に来て思ったのですが、「塔」というと、なんと言っても、京都の「東寺の五重塔」というのが、私なんかは印象に強いのですが、そうでなければ、法隆寺の五重塔とか、四天王寺の五重塔とか、千葉県市川市の中山法華経寺の五重塔とか、五重塔が一般的・・・て印象があったのですが、しかし、↑の飛騨国分寺の三重塔なんかを見ると、三重塔もいいですね・・・・。 五重塔は東寺の五重塔なども新幹線の窓からでも見えるように、ある程度、離れた所からでも見える、ある程度、離れた所から見た感じがいい・・・というところがありますが、近くから見るには、むしろ、三重塔の方がいいようなところもあるのではないかと思いました。
(2017.11.7.)
☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.大八賀川に沿って、新上野橋から三福寺橋。 「山小屋風洋風」は高山と調和できるか。〔今回〕
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
今は昔、1969年、小学生だった時、姉が勤めた会社に、滋賀県の長浜の琵琶湖畔に保養所があり、母と姉と3人で泊めてもらったことがあった。 その帰り、今は、長浜-米原-京都-大阪-姫路-播州赤穂 なんて区間の新快速が走っているようだが、その頃はそういう新快速はなく、長浜からは特急・急行でなければ、北陸本線は米原とまりで、米原からは新幹線「こだま」に乗るのでなければ、東海道本線では、「急行 比叡」というのが名古屋-大阪間で走っていたことは走っていたが、1日に2本かそこらだったはずで、滋賀県から大阪までくらいで新幹線になんか乗りたくないとなると、東海道本線の「快速」しかなかった。「快速」と言ってもそれは東は京都までの話で、京都から東側はすべての駅に停車する「普通」だった。
少し、時間があったので、途中、どこかに寄ってみようということになり、私は、東海道本線と北陸本線の分岐駅である米原という所はどういう所なのだろうと思い、駅の周囲でも歩いてみたいと思ったのだが、そう言うと、父が「そんなもん、米原なんて、『見る所』なんて、な~んもない所だ」と言って否定して、私の計画は無しになった。 その際、父の、国家なのか権威者なのかそういう存在に「見る所」を規定されて、それを忠実に守る男、「見る所」と国家なり権威者なりに指定された所には行くが、そうでない所には行かないという、いかにも、ケーサツが喜びそうな人格、いわば、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」とでもいったものに、いや~な印象を受けたことがある。
その点、私は「文学・哲学徒」であり、たとえば、遠藤周作はさすがに文学者であり、ここが「観光名所」ですよお、ここに行きなさいよおと、観光ガイドブックなどで指定された場所に行ってもしかたがない、そうでない所に自分なりに行って歩いてこそ価値があるといったことを、たしか、『走馬燈』(新潮文庫)だったか『切支丹の里』(中公文庫)だったかどちらかに書いていたと思ったのだが、今、その2つを見ても、その記述が見つからないので、他の本だったかもしれない。
庄司薫『バクの飼い主めざして』(講談社文庫)では、≪ぼくは散歩が大好きだ。・・・いつか京都で、「哲学の道」というのを教えてもらった。かつては、京都大学の教授や学生が静かに語り合いながら逍遥したその道も、いまや増えた車のおかげで歩きにくくなった、と。トキを筆頭とする鳥や獣が、各種公害のために絶滅の危機を迎えている話がよく伝えられるけれど、現代の哲学(または哲学者?)の危機は、いくぶんかはこの「哲学の道」の危機、おちおち考えることもできない散歩道の危機によるのかもしれない。・・・ところでぼくの散歩だけれど、これは、そもそもこの東京には古典的な「哲学の道」などない、という大前提から出発しているのかもしれない。・・・・≫といった話が出ており、庄司薫もまた、ここが歩くべき場所ですよお、ここを歩きなさいよおと国家なりケーサツなりに決められた場所を歩くという行為を否定し、自分が歩きたい所を歩くという主張をしている。但し、≪もっとも時々、誘拐魔や痴漢の事件が連続的に新聞をにぎわせたりすると、中学校以下の学校の校庭などを用もなくブラブラのぞいたりするのは気がひけたりする。≫ということを述べている。庄司薫の場合、「学校」がけっこう好きだが、中学校以下の学校ではまずいというので、大学なら問題ないだろうと東大の合格発表の日なんかに東大に行くと、30代の庄司薫が合格者と間違えられて「おめでとうございます」なんてサークルの勧誘やってる学生から言われたりしたという話を書いていた。そういえば、私も30になるかならんかの頃、3月、慶應大の日吉に行く用事がなんだったかあって、日吉のキャンパスを歩くと、「新入生の方ですか」とサークルの勧誘やってるにいちゃんから誘われたことがあったが、2,3年前、日吉に行ってみると、さすがに、50過ぎたら誘ってもらえなかった・・・。千葉県船橋市の我が家の近所にも「痴漢 注意」なんて書いた看板をケーサツが立てた所があるのだが、そういう場所をうかつに散歩すると、痴漢だと因縁をつけられて逮捕・送検・有罪にされる危険があるということで、そういうやり口によって、市民が自分が行きたいと思う場所への自由な出歩きを妨げよう、あくまでも、国家なりケーサツなりが、ここが観光地ですよお、ここに行きなさいよおと指定した所にだけ行かすようにして、そうでない所に自主的に行こうとする者は、「反社会的勢力」とか「痴漢」とか認定して取り締まろうという考えだということではないか。(普通に考えても、そんなに痴漢がよく出没する所なら、ケーサツはそんな看板だすよりも、さっさとつかまえればいいだろうが・・・て思いませんか?)
「『若さは力である』と知る時は、自分が『若さ』を失った時である」とどこかに書いてあったのだが、どこに書いてあったか忘れた。 で、私なんかも、その「若さ」という「力」を幾分失ってしまったかなとか思うこともあるのだが、それでも、ここに行きなさいよお、ほかの場所には行ってはいけませんよおと国家なりケーサツなりに指定されると・・・・、なんでやねん、なんでほかの場所に行ったらいかんねん! なんで、ここに行きなさいよおと指定された場所になんか、行かんといかんねん! と思う人間なので、その点では今も「若さ」を失っていないということだ。
その点、父は、「米原なんて、『見る所』なんてあらへん」と口にしたように、国家なりケーサツなりに「ここが『見る所』ですよお」と指定された「見る所」には行き、そうでない所には行かないという人間、いわば、「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」の人間で、まあ、ケーサツなんかが喜ぶ人間であり、私なんかはその逆なので、それだけでも、「反社会的勢力」とか決めつけられる危険がある。お~、こわ。
( ↑ 大八賀川。 新上野橋 から北西側〔下流側〕をみる。 )
( ↑ 大八賀川。 新上野橋 から南東側〔上流側〕を見る。 )
北小学校の北側、かつて久美愛病院があって今は警察署庁舎を建てるべく工事中の所の南を東西に走る県道458号(町方高山線)を東に行くと、「三福寺町」交差点というT字路に出る。 新宿から高山への高速バスは、「松之木町西」という三叉路で北西に向きを変えて進むと、「三福寺町」交差点の三叉路で県道458号を西に進み、「桐生町西」交差点で左に曲がって南に進んで高山駅まで行く。 その「三福寺」交差点から県道458号を西に行きかけたあたりで、大八賀川という川を越えるが、その橋が「新上野橋」と言うらしい。 大八賀川は、大八賀神社がある山の南西の方から大八賀神社の北を通って新上野橋に至り、新上野橋から北西に進んで宮川に合流する。 宮川・苔川と同じく、南から北に向かって流れる。
「松之木町西」交差点から「三福寺町」交差点までの道は、「三福寺町」交差点に近い半分では大八賀川より北東側だが、「松之木町西」交差点に近い半分は大八賀川より南西側を通っている。 その「松之木町西」交差点から「三福寺町」交差点の中間付近で大八賀川を渡る橋が「三福寺橋」↓。
( ↑ 大八賀川。 三福寺橋より南西〔下流側〕を見る。 紅葉がきれいですね。)
( ↑ 大八賀川。 三福寺橋より北東〔上流側〕を見る。 )
大八賀川は宮川や苔川と同じく、基本的には南から北に流れる川だが、この三福寺橋付近ではS型に曲がっており、三福寺橋の所では、上流が北東、下流が南西になる。
『都市地図 高山・飛騨市』(昭文社)を見ると、高山市三福寺町には、三福神社という神社があり、山の上に三福寺城址があるように出ているが、歓喜寺という寺はあるようだが、三福寺という寺の記載は見当たらない。
で、この三福寺橋の南東のあたりから、県道158号、大雄寺、素玄寺のあたりに、「松之木町西」交差点を経由せずに短距離で行こうと進むと、何があったかというと、↓
↑ ケーサツ官舎。 ・・・怖いから、あんまり、近寄らんとこ・・・。
こういうの、ある程度、見るとわかるようになりますね。 企業の社宅の場合、会社名がどこかに書かれていることが多いのに対して、ケーサツ官舎というのは、やましいところがあるからか、ケーサツとは書かれていない・・・が近所の人は知っている。 「◇◇荘」とか「ハイツ☆☆」とか「▽▽コーポ」とか何も書いていないが・・・・で、多くは白系の外壁で・・・て、ケーサツ官舎が多いですよね・・・。たまに、「・・・ハイム」とかいう名前がついているけれども、ケーサツ官舎てのもあるみたいですけれども。そういうのは、外壁も白系じゃない建物で、それは、一般の家主が持っているアパートを1棟まるごと、ケーサツが借りたのかもしれませんね。
今は昔、1990年4月に、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕で、千葉県からいきなり東京都目黒区の自由が丘展示場に明日から転勤してくれと言われ、「松戸から柏とか柏から松戸とか、船橋から市川とか市川から船橋とかの移動なら、きょう言ってあしたからというのもあり得ると思いますが、今の住居からはどう考えても通えない場所に、突然、言って、『明日から』というのは無茶でしょ」と言いましたが、「でも、あしたから」と松戸営業課長の石井から言われ、翌日から、東急東横線の「都立大学」「自由が丘」「大岡山」「緑ヶ丘」の4つの駅の真ん中あたり(要するに、その4つの駅のどこからでも近くない)所にあった自由が丘展示場に勤務し、しばらく、JR常磐線の「南柏」駅から歩いて14分ほどのアパートから通いました。小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム 〕は、私には常磐線「南柏」駅から歩いて14分ほどのアパートから地獄の苦しみをともなく通勤で東急東横線「自由が丘」から歩いて20分ほどの自由が丘展示場に言って翌日から勤務させておいて、片方で、1989年7月1日から千葉支店 支店長に命じられた「高卒の痴漢人間」の渡邊士直には、実際に赴任するのは7月の下旬過ぎにやっと赴任したというのを認めたのですから、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→・・〕は、どう考えても、従業員に対する公平性が欠けています。「公平性の欠如」がはっきりと見られ、そのあたりについて、会社の対応、会社の運営は適切と言えません。
その際、自由が丘は「この漫才で田園調布に家が建つ」という言葉がある田園調布のひとつ隣の駅なので、自由が丘が最寄の駅ではアパート代は高いだろうから私なんかには無理だろうと考え、そのもうひとつ隣の「都立大学」駅の近所の不動産屋で、できるだけ安めのアパートで駐車場がある所をという条件で尋ねたところ、その不動産屋のおばはんが、「小堀住研なんて、そんな会社に勤めてる人なんて、大家さんが嫌がると思うわ」と、そう言ったのです。そう言われたのです。 「それなら、どういう所に勤めている人がいいのですか」と言うと、「そりぁ、なんと言っても大企業に勤めている人がいいわ」と言うので、「うちの会社、一部上場ですし、従業員も千人を超えている会社ですけれども、いけませんか」と言うと、「知らないわねえ。聞いたことないわ、小堀住研なんて。建売でもやってんのお」とそう言ったのでした。 ともかくも、慶應義塾の経済学部や商学部の卒業生なら、一部上場くらいの会社については、「名前くらいは知っている方が基本」であり、一部上場の会社でも会社はいっぱいあるので、知らない会社も中にはあるとしても、それでも、一部上場くらいの会社を、この不動産屋みたいに、「知らないわねえ」だの「まったく聞いたことない」だのと言ったのでは、そういうことを言う人間が恥であり、「慶應義塾の経済学部(商学部)を卒業しながら、そんなことを言っているのか」ということになるのですが、「不動産屋のおばはん」のレベルではそういうもののようでした。「ともかくも、一部上場で、その業界では、施工棟数で見ても上位何位という会社を『聞いたことない』というのはおかしいのではないか」と言いたい気持ちもないではなかったのですが、それは慶應義塾の社会科学系学部出身者ならそうでしょうけれども、 「不動産屋のおばはん」に、そんなこと言っても「レベル的に無理」だわなあ・・と思いましたが、それにしても、なんだか、「不動産屋のおばはん」にそういう口をきかれなければならないという、なんとも情けなくなる転勤をさせられました。小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム〕は、その頃、従業員の間では、「まったく、つくづく、見てくればっかりいい会社」「外見ばっかりいい会社」とか言われたりもしていましたが、それにしても、そこまで「人事総務の弱い会社」と思いませんでしたが、実際、相当「人事総務の弱い会社」、即ち、「一部上場とはいえ、あまり程度の高くない会社」でした。・・そして、「高卒の痴漢人間」には優遇して、私に対しては、きょう言って明日から通勤できない営業所に勤務しろと人権侵害、法的には「信義則違反」(民法第1条第2項)の転勤命令を出し滅私奉公で尽くしてきた私に無茶苦茶な扱いをした会社は、何年か後、つぶれました。〔今も、(株)ヤマダエスバイエルホームという名前の後継会社がありますが、それは、いったん、つぶれたものをヤマダ電機が「いぬき」で買い取って続けているものです。〕
その時に言われたのが、家主から嫌がられる職業として、「不動産屋に勤めてる人なんて大家さんが嫌がるわ」とそのおばさんが(自分こそ不動産屋のくせに)言ったので、「小堀住研(株)は不動産屋じゃないですよ。住宅建築業の会社ですよ」と言ったのですが、「不動産屋のおばはん」はいったん不動産屋だと決めたが最後、「建売でもやってんでしょ」と言ってきかない、「小堀住研は請負だけの会社で、建売はやってませんよ」と言ってもきかないということがありました。その後、他の不動産屋にも行き、他の店では、小堀住研(株)は建築屋であって不動産屋ではないとわかってくれたのですが、その他の店で言われたのは、家主が嫌がる職業として、「建築の方はいいですけれども、私らみたいな不動産屋は嫌がられることが多いんです」と言われたことがありました。 弁護士なんてのはいいのかというと、「弁護士も嫌がられます」と言われたのですが、要するに、退去の際に、敷金からいくらもらうとか、この部分の補修費用を出してくれとかいう話になった時、借主が不動産屋であったり弁護士であったりすると、交渉に強いということで、そういう相手は避けたいということではないかと思います。
小堀住研(株)はグループ会社で小堀住宅流通(株)という「不動産屋」を持っていることは持っていましたが、小堀住研(株)自体は建築屋であって不動産屋ではなかったのですが、その後、正真正銘に不動産屋である(株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ に勤めたことがあり、(株)エイブルで仲介していたアパートの家主さんで、外国人は嫌だという人があり、なぜ、嫌なのかというと、普段は日本語を話して、友達を部屋に呼んできて日本語で騒いでいるくせに、家主がこういうことはやってもらっては困りますといったことを言うと、突然、「ワタシ、日本語、ワカリマセ~ン」と言い出すフィリピン人がいたというのです。なんか、笑い話みたいですが、そういうことがあったらしい。 さらに、借りようとしてきたブラジル人のおっさんが、「外国人がいるアパートは嫌だ」と言うことがあったので、あんたも外国人でしょうがと思ったことがあったのですが、営業の担当がそう言うと、「外国人でも、フィリピン人は嫌だ」と言い、なんか、ブラジル人はフィリピン人より上だみたいな言い方をする、そんなこと思うとるのんかいみたいなおっさんがいました。
不動産屋と弁護士には貸したくないという家主がいるという話を、1990年に自由が丘近辺の不動産屋で聞いたのですが、同様の理由で、ケーサツ漢にも貸したくないと思う家主がいても不思議ではないですね。まあ、公共の費用でいい官舎を用意してくれるから、私らみたいな三流以下企業にばっかり勤めて、無茶苦茶な転勤ばっかりさせられてきた人間と違って、住む所に苦労はせんでしょ・・・・。
ケーサツ官舎を通り過ぎると、左手に立っていらっしゃるのが歩きスマホの二宮尊徳さん。↓
落ち着いて考えてみると、荷物を背負って歩きながら本を読むよりも、さっさと早く歩いて帰って、それから、本を読んだ方が効率的と違うんかい・・・て感じがしないでもないのですが、揺れる電車中で本を読んだら乱視になるからやめた方がいいと言われても、それでも、電車中で漫画読まんとおれんみたいな・・・そんな感じ??? なんて言うと怒られるか・・・・・・。
二宮尊徳さんが立っていらっしゃる以上、そこは小学校か? と思うとその通り、高山市立東小学校 ↓。
( ↑「旗」マークのあたりに、歩きスマホの二宮尊徳さん がいらっしゃいます。 )
東小学校の裏あたりを南に進むと、国道158号(白川街道)に出ます。
そのあたりで見かけたのですが、↓
↑ 店舗かと思ったら、そうではなく住宅らしいので、詳細な場所は述べません。 国道158号沿いの日の出町か長坂町のあたりです。あまり「高山的」でない「山小屋風洋風」。
高山というと、「さんまち」あたりの「古い町並み」の町家建築のイメージがあり、飛騨というと白川郷などの合掌造りのイメージが強いのですが、今では、高山市は大阪府や香川県よりも面積の広い市になり、新しい建物になった高山駅では、改札の所に、「→乗鞍口」なんて書いてあるわけで、矢印の方に向かって歩いて行くと乗鞍岳に行くのか・・・・というと、たしかに何日もかければ行くかもしれないけれども、相当離れているのですが、その乗鞍岳とかそのあたりの中部山岳地帯というと、登山家の利用する山小屋のイメージが出てくるのです。で、山小屋というと、なんで、洋風なんだろ・・・・? なんでだろ・・・て思いませんか?
高山にある合掌造りの建物というのは、多くが白川村とか富山県の五箇荘とかから移築した建物で、高山に昔からあったものではないと思うのです。 時々、他の地域の人間には誤解している人がいるのですが、飛騨地方でも高山と白川郷ではけっこう違うと思います。 しかし、どっちにしても、「和」か「洋」かというと、「和」が主体の街だと思ってきたのですが、ところが、乗鞍岳まで高山市になってくると、今度は、 「山小屋風洋風」もまた、高山市の建築スタイルのひとつ?・・・てことになってきそうな感じですが・・・・、山小屋て、なんで、「洋風」なんだろな・・・? で、町家建築と合掌造りは適度なところで折り合いをつけて共存共栄もできるのではないかと思うのですが、「山小屋風洋風」と町家建築、「山小屋風洋風」と合掌造りというのは、折り合いをつけるのは簡単ではないような気もするのですが、どうでしょう。どうしたものでしょう・・・。
県道158号(白川街道)を西に進むと、大雄寺の前あたりから西を「安川通り」、鍛冶橋付近から西を「国分寺通り」と言うようで、高山駅の西に行くと、そのあたりから西は、また、「白川街道」になるみたい。
↑ 飛騨国分寺の三重塔です。
何回目かに高山に来て思ったのですが、「塔」というと、なんと言っても、京都の「東寺の五重塔」というのが、私なんかは印象に強いのですが、そうでなければ、法隆寺の五重塔とか、四天王寺の五重塔とか、千葉県市川市の中山法華経寺の五重塔とか、五重塔が一般的・・・て印象があったのですが、しかし、↑の飛騨国分寺の三重塔なんかを見ると、三重塔もいいですね・・・・。 五重塔は東寺の五重塔なども新幹線の窓からでも見えるように、ある程度、離れた所からでも見える、ある程度、離れた所から見た感じがいい・・・というところがありますが、近くから見るには、むしろ、三重塔の方がいいようなところもあるのではないかと思いました。
(2017.11.7.)
☆☆☆☆☆高山シリーズ第5回
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「高山の郊外にあるK病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは・・
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.大八賀川に沿って、新上野橋から三福寺橋。 「山小屋風洋風」は高山と調和できるか。〔今回〕
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html
☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
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