光明寺(鎌倉市)参拝【5/11】開山堂。網引地蔵。「地蔵」とは。戦没者碑。
[第592回] 鎌倉シリーズ(3)-5
大殿(本堂)に向かって左側に、開山堂があります。↓
開山堂の内部には、本堂の前で靴を脱いで、本堂の前から渡り廊下で開山堂の方に行って入らせてもらうことができます。 ここまで、拝観料は払わずに入らせてもらえたので、なんだか、悪いなあ・・・なんて思ったのです。 まあ、「大本山」なんてお寺に行きますと、どこがとは言いませんが、いい檀家がついてるのか、なんだか、このお寺、カネ余ってんのと違うのかあ・・・みたいな感じのするお寺とかあります。 光明寺がどうなのかは知りませんが、浄土宗の「大本山」であり、関東地方では東京都港区の増上寺とともに代表的な寺ですから、そんなに「経営が苦しい」なんてことはないでしょうから気を使うことはないのかもしれませんが、お賽銭は入れたとしても、拝観料も払わずに、本堂の中・開山堂の中まで入らせてもらって、「伝小堀遠州作」という庭園も見せてもらって、いいのかな、なんか悪いなあ・・・なんて思っていますと、開山堂の西よりに、宝物展が開催されているスペースがあります。 開山堂に入ったからには見学しなければならないというものでもないのですが、ある程度、遠方から来た者は、ここまで来たからには、見学させてもらおう・・て気になりますよね。 300円。 御朱印をいただきますと、300円。 合計しますと、宝物展300円+御朱印300円+山門参拝500円+お賽銭 なにがしか=1100円+α てことで、拝観料払わなくても入らせてもらえるんだあ、「伝小堀遠州作」の庭園も拝観料を払わなくても見せてもらえるんだあ~あ・・・なんて思って、帰りにふと気づくと、1100円+α 払っていたわけで・・・・、あれ? ・・・・。 ご近所の人が境内を通ることもあるしするので、境内に入ること自体には拝観料をいちいち徴収しないけれども、「観光客」はいくらか払っていってくれてもいいのと違いますか・・・て、そんな感じ・・・かな。
大殿(本堂)は重要文化財に指定されていて、1698年建立。関ケ原の戦いの1600年の98年後、大阪夏の陣の1615年の83年後。「権利の色吐く(1689)権利章典」の1689年の「権利章典」の9年後。 山門・鐘楼は1847年、「一番よわ(1848)いぞ、団結せよ」の マルクス・エンゲルス『共産党宣言』の1年前、セーレン=キルケゴール『死に至る病』の2年前の建立。 それに対して、開山堂は、内部に入らせてもらって、白木の構造材を見ると、けっこうきれいで新しそうです。 ≪ かつては現本堂を祖師堂と称していました。 大正12年(1923年)の関東大震災で倒潰した阿弥陀堂の本尊を旧開山堂へ遷座して本堂とし、開山堂は翌13年、古材を使用して新たに建てられました。 平成14年(2002年)、老朽のため再建されました。≫( 光明寺HP 「境内のご案内」http://komyoji-kamakura.or.jp/%e5%a2%83%e5%86%85%e3%81%ae%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85/ ) と出ています。 今の開山堂↑は2002年(平成14年)築のものということですから、まだ、築16年ですね。
※ 「人、苦に満(1923)つ」 関東大震災。
↑ 開山堂の東面の窓も火灯窓。
大殿(本堂)の右に、「網引地蔵尊」 「延命地蔵尊」↓ が祀られています。
( ↑ 左の石碑に「網引地蔵尊」、左の木札に「延命地蔵尊」、右の木札に「網引地蔵尊」 と書かれています。)
↑ 墨田区のJR「両国」駅の北のあたり、両国国技館の東のあたりに、横網公園というのがあります。 場所柄、横綱公園かと思って、よく見ると、「横綱」ではなく「横網」です。 住居表示も「横綱」ではなく「横網」です。 ここのお地蔵さんも、「綱引」かと思ってよく見ると「網引」でした。
「地蔵」とはどういう存在なのか。 竹中信常 監修・本文画 右近れい子・浅野としあき・表紙画 磯田和一『教育まんが おじぞうさま』(大道社)所収の 竹中信常「地蔵さまのおはなし」には、
≪ 仏教の中心人物は仏さまですが、そのつぎに大切なのは菩薩さまです。 菩薩というのは仏になるための修行をしている方がたのことで、観音、勢至(せいし)、文殊、普賢(ふげん)などたくさんおいでになります。
阿弥陀仏、大日如来、薬師如来なども以前は菩薩として修業し、いろいろの約束(誓願)を果たして仏になったのであります。菩薩もめいめいが誓いを立ててそれを果たして、仏になろうと修業しているのです。 たとえば、観音さまは人びとの苦しみを救おうという誓い、文殊さまは人びとが正しい知恵を持つように誓っております。
ところが地蔵さまは、この世の中のすべての人を極楽に送り届けるということを仏になるためにお約束されました。しかし、この地上には次から次へと人間が生まれてくるので、いつまでたってもこれを全部救うことはできません。ですから、ほかの菩薩がめいめいの誓いを果たして仏になってしまっても、地蔵さまだけはこの世に人間が生まれてくる限り、永久に仏になることができないわけです。ほかの菩薩たちが頭に冠をかぶり、胸に瓔珞(ようらく)(宝石をつなげた飾り)を下げたりしているのに、地蔵さまだけはただの坊さんのようなころもを着て袈裟をかけ、頭もまるめ、一切の飾りを身につけていないのは、いつまでもこの世で修行している気持をあらわしています。
地蔵さまがいつまでもこの世で大ぜいの人びとのために修業しているのにはもう一つのわけがあります。それは釈尊が亡くなってから、将来、弥勒仏がこの世に現れるまでの五十六億七千万年の間、この地上には仏が一人もいなくなるので、その間、この世に在って仏の代わりに人びとの面倒をみ、困ったものを助けてやってくれ、とお釈迦様に頼まれたからであります。 ・・・・≫
≪ 仏教はいうまでもなく今から約二千五百年前、インドで釈尊がお説きになった教えです。当時、インドでおこなわれていた宗教はバラ門教でした。釈尊は当時の人びとに自分の新しい教えを説くために、必要に応じてバラ門教の神々を引用いたしました。 大黒天、毘沙門天、吉祥天、辯財天など、仏教の神で「天」の字のつくのは大体バラ門教の神だったのを仏教の中にとり入れたものです。地蔵もその一つで、もとはバラ門教のプリテビ、つまり「地天」――大地の神だったのです。これが仏教にとり入れられて、インドの古い言葉、梵語(ぼんご)でクシチ・ガルブハという名になりました。クシチは「地」、ガルブハは「胎」または「子宮」という意味です。胎は子どもをはらむところ、つまりすべてのものをはぐくむ育てる働きがあります。ですからこれをつなげて「地蔵」――つまり大地のようにすべてのものをその中に包み込んで平等に育てるものという意味になりました。地蔵さまはその名前のとおり、母のように小さい子どもをいつくしみ育て、立派な人になるように守って下さる菩薩なのです。 このように地蔵さまと子どもとは切っても切れぬ間柄にあるのです。 子育て地蔵、子持ち地蔵、はらみ地蔵、腹帯地蔵、延命地蔵、世継ぎ地蔵など、みんな子どもに深いかかわりを持っています。とくに水子地蔵は近頃水子供養がさかんになってか、方々のお寺に建立されるようになりました。・・・・・≫
「延命地蔵」とは、お地蔵さんの中でもどういう地蔵さんか。 《コトバンク―延命地蔵》https://kotobank.jp/word/%E5%BB%B6%E5%91%BD%E5%9C%B0%E8%94%B5-448249 には、
≪ 延命・利生(りしょう)を誓願する地蔵尊。新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという。後世は、短命・若死にを免れるため信仰された。≫ と出ています。
私が小さい頃に住んでいた大阪市内の街にも、街角にお地蔵さんが立っていたところがありました。「お地蔵さん」というのは、ほかの菩薩さんとは少し違った扱いのところがあって、庶民的で、必ずしも、特定の寺と結びついていない場合があるようで、特定の寺と結びついていないとともに特定の宗派とも結びついていない、仏教ではあるのだろうけれども、かなり民俗宗教に近いような、身近なところがあります。 もっとも、お地蔵さんが祀られている所というのは、そこで何かの事件があって人が亡くなったとか、災害があって人がなくなったという場所にお地蔵さんが建てられる場合もあり、そのため、お地蔵さんが立っている所を見ると、ここで過去に何かあったのだろうか・・などと考えてみたりする場合もあります。いずれにしても、お地蔵さんというのは、金持ちを守る神仏ではなく、「弱い者の味方」のイメージがあります。
考えてみると、今まで勤めた会社において、「子供がある」と称する人が「子供」を名分に先に帰ったり休んだりした時など、ずいぶんと協力してあげてきたように思います・・・が、その「子供」は今はけっこう大きくなっているはずですが、私のために何もしてくれません。「子供」を大義名分にして自分の都合をきいてもらってひとに負担をかけたなら、別の機会にお返しを何らかの形でしないといけないはずなのですが、「子供」を大義名分に掲げる人には、「子供」を大義名分に掲げれば、その「子供」の親である自分は何でもやってもらう権利がある! みたいに思っている不心得者がけっこういます。 自分が結婚できて、子供もできたなら、自分が「子供」を名分に協力してもらっているのなら、まだ、ふさわしい相手とめぐり合うことができず結婚できずにいる男女、結婚はできたが子供に恵まれずにいる男女のために、何らかの協力をしても罰はあたらんと思うのですが、「子供」を大義名分にかかげれば、「子供」を水戸黄門の印籠みたいに表にだせば何でもまかり通る! と信念もっているような白痴の女と男というのがいます。そういう女と男に「婚活」の時間を奪われることがなければ、私にできたかもしれない子供を、それら「子供帝国主義」の女と男に殺されたようなものです。 「子供帝国主義」の女と男に殺されたようなものである、もしかすると、そいつらがいなければ生まれていたかもしれない、私の「水子」の無念を晴らしてください、とお地蔵様にお願いしてきました。
キリスト教の場合は「聖書」というものがあって、キリスト教だとして主張されているものがキリスト教として正しいかどうかは「聖書」を基準として考えることができますが、仏教の場合、「お経」というものはあっても、どの「お経」を尊重するのかという問題は宗派によって異なり、偽教と言われる「お経」もあり、偽教を後生大事にしている人もおれば、仏教の教えだとして言われている「伝説」にも、どこから出てきたのか由緒がはっきりしないものもある、という点が仏教の難しいところだと思います。内田康夫『佐渡伝説殺人事件』(徳間文庫 ほか)では、「賽の河原伝説」というものが、子を失った親の精神的なつらさにつけこんだけしからん主張だという浅見光彦の主張を載せていますが、たしかに、「賽の河原伝説」というのは、母などもああいうのが仏教は嫌なんだと言っていたことがありましたが、理屈から考えておかしいようにも思いますし、本来の仏教ではないのではない可能性もあるのではないかと思えます。
「網引地蔵」のさらに右に、「戦没者碑」が立っており↓、
↑ 右側に、弾? が置かれています。
(2018.4.10.)
次回、
6.天照山の展望台から見た山門・大殿と海、「廟所」、背後から見た大殿と大聖閣 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_6.html
☆ 鎌倉シリーズ(3) 光明寺(鎌倉市)参拝
1.光明寺は、浄土宗の鎮西派と西山派のうち、鎮西派。 菊と三つ葉葵の両方の紋が入った「総門」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_1.html
2.「山門」と桜。「羅漢」とは。 鐘楼。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_2.html
3.「大殿」(本堂)と桜。火灯窓。善導大師とは。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_3.html
4.「大聖閣」と「記主庭園」。景観に隠す建築と新たに創造する建築 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_4.html
5.「開山堂」。「網引地蔵」。地蔵とは。「戦没者碑」 〔今回〕
6.天照山の展望台から見た山門・大殿と海、「廟所」、背後から見た大殿と大聖閣 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_6.html
7.「鎌倉アカデミア」碑。 「『教育』する側」の論理・「される側」の論理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_7.html
8.2階追焚有浴室と耐力壁配置。自分の都合に合わせ構造基準を変える会社+光明寺前の海 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_8.html
9.コンパネはぬるま湯ではがれる? 釘と接着剤による接合の違い。建築専門学校は役立つか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_9.html
10.「集成材はムク材の1.5倍強い」て誰が言った? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_10.html
11.九品寺・日本基督教団鎌倉教会・「共産党建築」・「警察建築」・交番研究 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_11.html
鎌倉シリーズ
(1) 荏柄天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
(2) 山崎天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
≪ 「駒津氏の死因ですが、後頭部打撲というのは確定したのですか?」
「ええ、そのようです。けさ解剖したが、毒物のたぐいは一切、検出されなかったとか言ってまいした。やはり、浅見さんが持っていた漬物石が凶器であることは間違いないそうですな」
宮本は面白そうに言った。――おまえさんの容疑は、完全に晴れたわけじゃないのだよ――と、その顔は語っている。
「ぼくが現場へ通りかかった時には、そんな石は見当たらなかったと言ったんですが、そのことは聴いていませんか?」
「ああ、それだったら、ここの刑事課長から聴きましたよ。 しかし、あまり信憑性はないとも言ってましたな」
「それでは、ぼくが女に襲われたというのも、あまり信用されてないんでしょうね」
「そのとおり、正直に言って、どうも話が突飛すぎますな。もっとも、嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつく――という意味から言うと、ほんとうかもしれませんがね。しかし、あんたほどの智恵者ならば、その逆をいくってことも考えられます」
浅見は反論する気にもなれなかった。このテアイが一度思い込んだ「事実」を白紙に戻すのは、水に溶けたインクを分離するよりも難しい。≫
( 内田康夫『佐渡伝説殺人事件』1997. 徳間文庫 他)
≪「まさか、兄さん・・・・」
浅見は不意に思いついたように、圧(お)し殺したような声で訊いた。
「犯人は警察ではないでしょうね?」
「おい・・・・」
陽一郎は微笑を消して、険しい表情になった。
「たとえ冗談にしても、そういう不穏なことを言うなよ」
「いや、冗談じゃないですよ。だってそうでしょう、警察の犯行だと仮定すれば、すべて納得がいくじゃないですか。殺人事件を自殺や事故に・・・黒を白に言いくるめることなんか、お茶の子さいさいだもの」
・・・ ≫
( 内田康夫『鬼首(おにこうべ)殺人事件』2009.7.31.祥伝社文庫 ↑)
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(YAHOOニュース!)
4/12(木) 8:58配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00000520-san-soci
産経新聞
彦根警察官殺害 19歳巡査、配属2カ月…「交番で先輩を銃撃」背景に何が
「警察官が血を流して倒れている」。11日夜、滋賀県警に衝撃的な一報がもたらされた。事件現場は同県彦根市の交番。病院に搬送された男性巡査部長(41)は頭部を銃撃され、死亡が確認された。12日未明、身柄を確保され、殺人容疑で逮捕されたのは、同僚の19歳の巡査。拳銃を持ったままパトカーで逃走したとみられ、県警は付近住民に外出を控えるよう呼びかけ、厳戒態勢を敷いた。・・・・
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(YAHOO!ニュース)
ABCテレビ
彦根・警官射殺 死因は頭部への銃撃
4/13(金) 1:15配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180413-00010002-asahibcv-l25
(滋賀県)彦根市の交番で(2018年4月)11日夜、井本光巡査部長(41)の頭と背中を拳銃で撃ち殺害したとして19歳の男性巡査が逮捕されました。警察が交番内の防犯カメラ映像を解析したところ井本さんはまず頭を撃たれ、続いて背中を撃たれたことがわかりました。司法解剖の結果、井本さんの死因は背後から後頭部を撃たれ弾が貫通したことによりほぼ即死だったこともわかりました。
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(YAHOO!ニュース)
下着を盗み見ようと知人女性宅に侵入 20歳の巡査を停職6カ月の処分 岡山県警
KSB 瀬戸内放送
4/12(木) 18:13配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00010008-ksbv-l33
岡山県警は、下着を盗み見ようと知り合いの女性の部屋に侵入した20歳の巡査を停職6カ月の懲戒処分にしました。巡査は12日付で依願退職しました。
12日付で停職6カ月の懲戒処分を受けたのは倉敷警察署の20歳の巡査です。
岡山県警によりますと、巡査は去年8月と9月、津山市に住む、知り合いの20代の女性の家に下着を盗み見る目的で侵入しました。
巡査は、住居侵入の罪で去年11月に起訴され、12日、懲役8カ月、執行猶予3年の判決を受けました。
警察の調べに対し、巡査は「大変迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と話していて、12日付で依願退職しました。
KSB瀬戸内海放送
大殿(本堂)に向かって左側に、開山堂があります。↓
開山堂の内部には、本堂の前で靴を脱いで、本堂の前から渡り廊下で開山堂の方に行って入らせてもらうことができます。 ここまで、拝観料は払わずに入らせてもらえたので、なんだか、悪いなあ・・・なんて思ったのです。 まあ、「大本山」なんてお寺に行きますと、どこがとは言いませんが、いい檀家がついてるのか、なんだか、このお寺、カネ余ってんのと違うのかあ・・・みたいな感じのするお寺とかあります。 光明寺がどうなのかは知りませんが、浄土宗の「大本山」であり、関東地方では東京都港区の増上寺とともに代表的な寺ですから、そんなに「経営が苦しい」なんてことはないでしょうから気を使うことはないのかもしれませんが、お賽銭は入れたとしても、拝観料も払わずに、本堂の中・開山堂の中まで入らせてもらって、「伝小堀遠州作」という庭園も見せてもらって、いいのかな、なんか悪いなあ・・・なんて思っていますと、開山堂の西よりに、宝物展が開催されているスペースがあります。 開山堂に入ったからには見学しなければならないというものでもないのですが、ある程度、遠方から来た者は、ここまで来たからには、見学させてもらおう・・て気になりますよね。 300円。 御朱印をいただきますと、300円。 合計しますと、宝物展300円+御朱印300円+山門参拝500円+お賽銭 なにがしか=1100円+α てことで、拝観料払わなくても入らせてもらえるんだあ、「伝小堀遠州作」の庭園も拝観料を払わなくても見せてもらえるんだあ~あ・・・なんて思って、帰りにふと気づくと、1100円+α 払っていたわけで・・・・、あれ? ・・・・。 ご近所の人が境内を通ることもあるしするので、境内に入ること自体には拝観料をいちいち徴収しないけれども、「観光客」はいくらか払っていってくれてもいいのと違いますか・・・て、そんな感じ・・・かな。
大殿(本堂)は重要文化財に指定されていて、1698年建立。関ケ原の戦いの1600年の98年後、大阪夏の陣の1615年の83年後。「権利の色吐く(1689)権利章典」の1689年の「権利章典」の9年後。 山門・鐘楼は1847年、「一番よわ(1848)いぞ、団結せよ」の マルクス・エンゲルス『共産党宣言』の1年前、セーレン=キルケゴール『死に至る病』の2年前の建立。 それに対して、開山堂は、内部に入らせてもらって、白木の構造材を見ると、けっこうきれいで新しそうです。 ≪ かつては現本堂を祖師堂と称していました。 大正12年(1923年)の関東大震災で倒潰した阿弥陀堂の本尊を旧開山堂へ遷座して本堂とし、開山堂は翌13年、古材を使用して新たに建てられました。 平成14年(2002年)、老朽のため再建されました。≫( 光明寺HP 「境内のご案内」http://komyoji-kamakura.or.jp/%e5%a2%83%e5%86%85%e3%81%ae%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85/ ) と出ています。 今の開山堂↑は2002年(平成14年)築のものということですから、まだ、築16年ですね。
※ 「人、苦に満(1923)つ」 関東大震災。
↑ 開山堂の東面の窓も火灯窓。
大殿(本堂)の右に、「網引地蔵尊」 「延命地蔵尊」↓ が祀られています。
( ↑ 左の石碑に「網引地蔵尊」、左の木札に「延命地蔵尊」、右の木札に「網引地蔵尊」 と書かれています。)
↑ 墨田区のJR「両国」駅の北のあたり、両国国技館の東のあたりに、横網公園というのがあります。 場所柄、横綱公園かと思って、よく見ると、「横綱」ではなく「横網」です。 住居表示も「横綱」ではなく「横網」です。 ここのお地蔵さんも、「綱引」かと思ってよく見ると「網引」でした。
「地蔵」とはどういう存在なのか。 竹中信常 監修・本文画 右近れい子・浅野としあき・表紙画 磯田和一『教育まんが おじぞうさま』(大道社)所収の 竹中信常「地蔵さまのおはなし」には、
≪ 仏教の中心人物は仏さまですが、そのつぎに大切なのは菩薩さまです。 菩薩というのは仏になるための修行をしている方がたのことで、観音、勢至(せいし)、文殊、普賢(ふげん)などたくさんおいでになります。
阿弥陀仏、大日如来、薬師如来なども以前は菩薩として修業し、いろいろの約束(誓願)を果たして仏になったのであります。菩薩もめいめいが誓いを立ててそれを果たして、仏になろうと修業しているのです。 たとえば、観音さまは人びとの苦しみを救おうという誓い、文殊さまは人びとが正しい知恵を持つように誓っております。
ところが地蔵さまは、この世の中のすべての人を極楽に送り届けるということを仏になるためにお約束されました。しかし、この地上には次から次へと人間が生まれてくるので、いつまでたってもこれを全部救うことはできません。ですから、ほかの菩薩がめいめいの誓いを果たして仏になってしまっても、地蔵さまだけはこの世に人間が生まれてくる限り、永久に仏になることができないわけです。ほかの菩薩たちが頭に冠をかぶり、胸に瓔珞(ようらく)(宝石をつなげた飾り)を下げたりしているのに、地蔵さまだけはただの坊さんのようなころもを着て袈裟をかけ、頭もまるめ、一切の飾りを身につけていないのは、いつまでもこの世で修行している気持をあらわしています。
地蔵さまがいつまでもこの世で大ぜいの人びとのために修業しているのにはもう一つのわけがあります。それは釈尊が亡くなってから、将来、弥勒仏がこの世に現れるまでの五十六億七千万年の間、この地上には仏が一人もいなくなるので、その間、この世に在って仏の代わりに人びとの面倒をみ、困ったものを助けてやってくれ、とお釈迦様に頼まれたからであります。 ・・・・≫
≪ 仏教はいうまでもなく今から約二千五百年前、インドで釈尊がお説きになった教えです。当時、インドでおこなわれていた宗教はバラ門教でした。釈尊は当時の人びとに自分の新しい教えを説くために、必要に応じてバラ門教の神々を引用いたしました。 大黒天、毘沙門天、吉祥天、辯財天など、仏教の神で「天」の字のつくのは大体バラ門教の神だったのを仏教の中にとり入れたものです。地蔵もその一つで、もとはバラ門教のプリテビ、つまり「地天」――大地の神だったのです。これが仏教にとり入れられて、インドの古い言葉、梵語(ぼんご)でクシチ・ガルブハという名になりました。クシチは「地」、ガルブハは「胎」または「子宮」という意味です。胎は子どもをはらむところ、つまりすべてのものをはぐくむ育てる働きがあります。ですからこれをつなげて「地蔵」――つまり大地のようにすべてのものをその中に包み込んで平等に育てるものという意味になりました。地蔵さまはその名前のとおり、母のように小さい子どもをいつくしみ育て、立派な人になるように守って下さる菩薩なのです。 このように地蔵さまと子どもとは切っても切れぬ間柄にあるのです。 子育て地蔵、子持ち地蔵、はらみ地蔵、腹帯地蔵、延命地蔵、世継ぎ地蔵など、みんな子どもに深いかかわりを持っています。とくに水子地蔵は近頃水子供養がさかんになってか、方々のお寺に建立されるようになりました。・・・・・≫
「延命地蔵」とは、お地蔵さんの中でもどういう地蔵さんか。 《コトバンク―延命地蔵》https://kotobank.jp/word/%E5%BB%B6%E5%91%BD%E5%9C%B0%E8%94%B5-448249 には、
≪ 延命・利生(りしょう)を誓願する地蔵尊。新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという。後世は、短命・若死にを免れるため信仰された。≫ と出ています。
私が小さい頃に住んでいた大阪市内の街にも、街角にお地蔵さんが立っていたところがありました。「お地蔵さん」というのは、ほかの菩薩さんとは少し違った扱いのところがあって、庶民的で、必ずしも、特定の寺と結びついていない場合があるようで、特定の寺と結びついていないとともに特定の宗派とも結びついていない、仏教ではあるのだろうけれども、かなり民俗宗教に近いような、身近なところがあります。 もっとも、お地蔵さんが祀られている所というのは、そこで何かの事件があって人が亡くなったとか、災害があって人がなくなったという場所にお地蔵さんが建てられる場合もあり、そのため、お地蔵さんが立っている所を見ると、ここで過去に何かあったのだろうか・・などと考えてみたりする場合もあります。いずれにしても、お地蔵さんというのは、金持ちを守る神仏ではなく、「弱い者の味方」のイメージがあります。
考えてみると、今まで勤めた会社において、「子供がある」と称する人が「子供」を名分に先に帰ったり休んだりした時など、ずいぶんと協力してあげてきたように思います・・・が、その「子供」は今はけっこう大きくなっているはずですが、私のために何もしてくれません。「子供」を大義名分にして自分の都合をきいてもらってひとに負担をかけたなら、別の機会にお返しを何らかの形でしないといけないはずなのですが、「子供」を大義名分に掲げる人には、「子供」を大義名分に掲げれば、その「子供」の親である自分は何でもやってもらう権利がある! みたいに思っている不心得者がけっこういます。 自分が結婚できて、子供もできたなら、自分が「子供」を名分に協力してもらっているのなら、まだ、ふさわしい相手とめぐり合うことができず結婚できずにいる男女、結婚はできたが子供に恵まれずにいる男女のために、何らかの協力をしても罰はあたらんと思うのですが、「子供」を大義名分にかかげれば、「子供」を水戸黄門の印籠みたいに表にだせば何でもまかり通る! と信念もっているような白痴の女と男というのがいます。そういう女と男に「婚活」の時間を奪われることがなければ、私にできたかもしれない子供を、それら「子供帝国主義」の女と男に殺されたようなものです。 「子供帝国主義」の女と男に殺されたようなものである、もしかすると、そいつらがいなければ生まれていたかもしれない、私の「水子」の無念を晴らしてください、とお地蔵様にお願いしてきました。
キリスト教の場合は「聖書」というものがあって、キリスト教だとして主張されているものがキリスト教として正しいかどうかは「聖書」を基準として考えることができますが、仏教の場合、「お経」というものはあっても、どの「お経」を尊重するのかという問題は宗派によって異なり、偽教と言われる「お経」もあり、偽教を後生大事にしている人もおれば、仏教の教えだとして言われている「伝説」にも、どこから出てきたのか由緒がはっきりしないものもある、という点が仏教の難しいところだと思います。内田康夫『佐渡伝説殺人事件』(徳間文庫 ほか)では、「賽の河原伝説」というものが、子を失った親の精神的なつらさにつけこんだけしからん主張だという浅見光彦の主張を載せていますが、たしかに、「賽の河原伝説」というのは、母などもああいうのが仏教は嫌なんだと言っていたことがありましたが、理屈から考えておかしいようにも思いますし、本来の仏教ではないのではない可能性もあるのではないかと思えます。
「網引地蔵」のさらに右に、「戦没者碑」が立っており↓、
↑ 右側に、弾? が置かれています。
(2018.4.10.)
次回、
6.天照山の展望台から見た山門・大殿と海、「廟所」、背後から見た大殿と大聖閣 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_6.html
☆ 鎌倉シリーズ(3) 光明寺(鎌倉市)参拝
1.光明寺は、浄土宗の鎮西派と西山派のうち、鎮西派。 菊と三つ葉葵の両方の紋が入った「総門」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_1.html
2.「山門」と桜。「羅漢」とは。 鐘楼。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_2.html
3.「大殿」(本堂)と桜。火灯窓。善導大師とは。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_3.html
4.「大聖閣」と「記主庭園」。景観に隠す建築と新たに創造する建築 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_4.html
5.「開山堂」。「網引地蔵」。地蔵とは。「戦没者碑」 〔今回〕
6.天照山の展望台から見た山門・大殿と海、「廟所」、背後から見た大殿と大聖閣 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_6.html
7.「鎌倉アカデミア」碑。 「『教育』する側」の論理・「される側」の論理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_7.html
8.2階追焚有浴室と耐力壁配置。自分の都合に合わせ構造基準を変える会社+光明寺前の海 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_8.html
9.コンパネはぬるま湯ではがれる? 釘と接着剤による接合の違い。建築専門学校は役立つか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_9.html
10.「集成材はムク材の1.5倍強い」て誰が言った? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_10.html
11.九品寺・日本基督教団鎌倉教会・「共産党建築」・「警察建築」・交番研究 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201804article_11.html
鎌倉シリーズ
(1) 荏柄天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
(2) 山崎天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
≪ 「駒津氏の死因ですが、後頭部打撲というのは確定したのですか?」
「ええ、そのようです。けさ解剖したが、毒物のたぐいは一切、検出されなかったとか言ってまいした。やはり、浅見さんが持っていた漬物石が凶器であることは間違いないそうですな」
宮本は面白そうに言った。――おまえさんの容疑は、完全に晴れたわけじゃないのだよ――と、その顔は語っている。
「ぼくが現場へ通りかかった時には、そんな石は見当たらなかったと言ったんですが、そのことは聴いていませんか?」
「ああ、それだったら、ここの刑事課長から聴きましたよ。 しかし、あまり信憑性はないとも言ってましたな」
「それでは、ぼくが女に襲われたというのも、あまり信用されてないんでしょうね」
「そのとおり、正直に言って、どうも話が突飛すぎますな。もっとも、嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつく――という意味から言うと、ほんとうかもしれませんがね。しかし、あんたほどの智恵者ならば、その逆をいくってことも考えられます」
浅見は反論する気にもなれなかった。このテアイが一度思い込んだ「事実」を白紙に戻すのは、水に溶けたインクを分離するよりも難しい。≫
( 内田康夫『佐渡伝説殺人事件』1997. 徳間文庫 他)
≪「まさか、兄さん・・・・」
浅見は不意に思いついたように、圧(お)し殺したような声で訊いた。
「犯人は警察ではないでしょうね?」
「おい・・・・」
陽一郎は微笑を消して、険しい表情になった。
「たとえ冗談にしても、そういう不穏なことを言うなよ」
「いや、冗談じゃないですよ。だってそうでしょう、警察の犯行だと仮定すれば、すべて納得がいくじゃないですか。殺人事件を自殺や事故に・・・黒を白に言いくるめることなんか、お茶の子さいさいだもの」
・・・ ≫
( 内田康夫『鬼首(おにこうべ)殺人事件』2009.7.31.祥伝社文庫 ↑)
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(YAHOOニュース!)
4/12(木) 8:58配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00000520-san-soci
産経新聞
彦根警察官殺害 19歳巡査、配属2カ月…「交番で先輩を銃撃」背景に何が
「警察官が血を流して倒れている」。11日夜、滋賀県警に衝撃的な一報がもたらされた。事件現場は同県彦根市の交番。病院に搬送された男性巡査部長(41)は頭部を銃撃され、死亡が確認された。12日未明、身柄を確保され、殺人容疑で逮捕されたのは、同僚の19歳の巡査。拳銃を持ったままパトカーで逃走したとみられ、県警は付近住民に外出を控えるよう呼びかけ、厳戒態勢を敷いた。・・・・
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(YAHOO!ニュース)
ABCテレビ
彦根・警官射殺 死因は頭部への銃撃
4/13(金) 1:15配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180413-00010002-asahibcv-l25
(滋賀県)彦根市の交番で(2018年4月)11日夜、井本光巡査部長(41)の頭と背中を拳銃で撃ち殺害したとして19歳の男性巡査が逮捕されました。警察が交番内の防犯カメラ映像を解析したところ井本さんはまず頭を撃たれ、続いて背中を撃たれたことがわかりました。司法解剖の結果、井本さんの死因は背後から後頭部を撃たれ弾が貫通したことによりほぼ即死だったこともわかりました。
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(YAHOO!ニュース)
下着を盗み見ようと知人女性宅に侵入 20歳の巡査を停職6カ月の処分 岡山県警
KSB 瀬戸内放送
4/12(木) 18:13配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00010008-ksbv-l33
岡山県警は、下着を盗み見ようと知り合いの女性の部屋に侵入した20歳の巡査を停職6カ月の懲戒処分にしました。巡査は12日付で依願退職しました。
12日付で停職6カ月の懲戒処分を受けたのは倉敷警察署の20歳の巡査です。
岡山県警によりますと、巡査は去年8月と9月、津山市に住む、知り合いの20代の女性の家に下着を盗み見る目的で侵入しました。
巡査は、住居侵入の罪で去年11月に起訴され、12日、懲役8カ月、執行猶予3年の判決を受けました。
警察の調べに対し、巡査は「大変迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と話していて、12日付で依願退職しました。
KSB瀬戸内海放送
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