平塚神社内菅原神社(平塚天神社)・2つの稲荷社・石室神社(石室明神)-平塚神社と浅見光彦【8/15】

[第620回]
   浅見光彦が住んてきた所は、東京都北区西ヶ原。 よく似た地名に、北区西ヶ丘 があり、建設派遣業のアーキマインド(株) が 北区西ヶ丘 に「本社」を設けたいたことから、行ったことがあったのですが、最初、その北区西ヶ丘 が浅見光彦の住所地かと思い、東大法学部卒でキャリアで警察庁に勤めて警察庁刑事局長になっている「エリート」である浅見光彦の兄 陽一郎が当主で、お手伝いさんがいるような家のある所・・・と想像して行ってみると、別に悪いとは言わんが、あんまりそんな感じじゃなかった。 住宅地ではあるけれども、そんなに「高級住宅地」という感じではなかった。
   『熊野古道殺人事件』の中で浅見光彦が「内田康夫」のことを「アルツハイマーのケがある」と言ったりしているように、この作者は自分が前の作品で書いたことを時々忘れるらしく、内田康夫の作品に登場する浅見光彦は、その作品によって、「有名三流私大卒」だったり「駅弁大学卒」だったりするのですが、兄の陽一郎の方は終始一貫して東大法学部卒で1種試験合格で警察庁に入り同期の誰よりも出世したという人間だということになっているのですが、それなら、庁用車が毎日お迎えにくるのではないかという感じなのだが、別に悪いとは言わんが、北区西ヶ丘はそういう人の住む所という感じではなかった。 浅見光彦や浅見陽一郎の住む所は、北区西ヶ丘 ではなく、北区西ヶ原。 西ヶ丘は関係ない。
   内田康夫『佐渡伝説殺人事件』1997.10.15.徳間文庫 )には
≪ 時計を見ると、もうすぐ二時になろうとしていた。「下町」と称される部分が占める面積の多い東京・北区の中では、この辺りは、まあ高級な方に属するといってもいい、比較的静かな高台の街だ。この時間になると、少しばかりある店もシャッターを下ろし、街灯が点々とともる以外は、どの家も暗く、闇の底に眠っている。クーラーのモーターの音だけが、微かに響いていた。・・・・≫とある。 「下町」か「山手」かというと、JR京浜東北線の「上中里」駅は南西側(駒込、西ヶ原の側)からだとホームに降りるのに対して、北東側(尾久の側)階段かエレベーターで上がって改札の階に行くようになっており、どちらがいいとか悪いとかいう問題ではないが、京浜東北線が走っているラインを境に、崖のようになっていてはっきりと高さが違う。京浜東北線より浅見が住んでいる側、旧古河庭園のある側が「山手」(やっぱり、足尾銅山鉱毒事件なんか起こしながら儲けたからか、古河さんてのは「山手」の側に住んでたわけだ・・・)で、尾久操車場なんかがある側が「下町」であるわけです。
   しかし、「山手」とはいえ、そんなにものすごい「高級住宅地」て感じでもないがという感じでしたが、内田康夫も、≪「下町」と称される部分が占める面積の多い東京・北区の中では、この辺りは、まあ高級な方に属するといってもいい、比較的静かな高台の街だ。≫なんて書いているように、まあ、そういう所のようです。で、「浅見シリーズ」にしばしいば登場する平塚神社と平塚亭の隣の滝野川消防署や滝野川公園は住居表示としては北区西ヶ原になるようですが、平塚神社と平塚亭になると北区上中里 になるようなのです。


[13] 平塚神社 摂社 「菅原神社(平塚天神社)」「大門先・元稲荷神社」「御料稲荷神社」「石室神社」
 〔 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(47) 〕
   さて、平塚神社の拝殿に向かって左手前に、摂社というのか末社というのかの祠が4つ並んでいます。
   まず、「ご本社」の社殿に最も近い場所にあるのが、「菅原神社」「平塚天神社」です。↓
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〔 ↑「旗」マークが、菅原神社(平塚天神社) 〕
↑ 「御祭神  菅原道真命  大己貴命  豊島太郎近義命 」と現地の説明書きには書かれています。
   なぜ、ここに天神社があるのか?  もちろん、あって悪いことはないのです。神社には、境内に長屋みたいに摂社・末社が並んでいて、全国津々浦々の神さんの出張所みたいになっている棟がある神社は珍しくもありません。 しかし、ここでは、あるのは天神と稲荷のみなのです。 なぜ、天神と稲荷なのか?  天神と稲荷は仲が悪いというお話もあることはあるのですが、それはそういう仲が悪い場所もあるということで、そうでない所もあるのかもしれません。しかし、なぜ、天神と稲荷なのだろう?
   「天神」「天満」「菅原」「北野」といった名称の神社は菅原道真を祀っている場合が多いのですが、微妙に違いがあって、「天神」の場合、菅原道真ではなく、天候の神さまを祀っているものの場合があり、もともとは天候の神さまだったが「天神」つながりで菅原道真も祀るようになったという神社もあるみたい。
   「北野」は京都の北野天満宮からきた「北野」である場合が多いようですが、中には、その地域の市街地の「北の」方あった神社、お城の「北の」方にあった神社ということで「北の神社」から「北野神社」になり、さらに「北野」つながりで菅原道真も祀るようになった、という神社もあるのではないでしょうか。 もうひとつ考えられるのは、全国に「北野」という地名は「東野」「西野」「南野」に比べて多く存在すると思うのですが、それは京都の北野天満宮から分霊した神社が設けられたところから「北野」という地名がつけられたという所があり、「東野天満宮」「西野天満宮」「南野天満宮」はないので、その分だけ、「北野」が東・西・南よりも多いということもあるでしょうけれども、そうではなく、飢饉などで人の死骸が転がった野原ということで「飢餓野」、もしくは疫病が流行って人の死骸が転がった穢れた野原という意味で「汚野」から「きたの」という地名ができて、その「飢餓野」「汚野」を、それではあんまりだということで「喜多野」などに字を変えたが、さらにそのうち、もっと一般的で書きやすい覚えやすい読みやすい「北野」に変わった・・・・という可能性が考えられる「北野」もあるのではないか。そういう場所に、疫病退散・豊穣祈願といった願いをこめた神社ができて、そのうち、「北野」つながりで京都の北野天満宮と合わさって「北野神社」になり、京都の北野天満宮から分霊されてなんたらかんたらというお話もできた・・・・とかいう神社も、もしかするとあるのかもしれない。あくまでも、「もしかすると」であって、個々の神社がどうなのかはわかりませんよ。
   「菅原」の場合は、特に大阪府南部とか奈良県とかの「菅原神社」の場合、菅原道真よりも前からある「菅原神社」があって、それらは菅原氏の氏神、祖先神を祀る神社である場合が多いようです。これも、菅原道真は菅原氏ですから、道真もまた祀れるものの、もっぱら菅原道真を祀っているというものでもなく、道真も祀るけれども、菅原氏を祀るのが元という神社がある。 そして、「天神」の場合は、もともと、天候の神さまであって菅原道真とは関係ないという神社があるのに対し、「菅原」の場合は菅原氏と関係のない菅原神社は基本的にはない。菅原氏を祀るか菅原道真を祀るかしている神社だから「菅原神社」を名乗っている場合が多い。
   こういうことを考えた時、この平塚神社の摂社の「菅原神社(平塚天神社)」は、はっきりと「菅原」を名乗っているわけですから、菅原道真と関係のある神社だと考えていいのではないでしょうか。
   豊島近義とはどういう人かというと、平塚神社でもらってきた由緒書の「略縁起」には、
≪ 平塚神社の創立は平安後期 元永年中といわれている。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島近義に鎧一領を下賜された。 近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。 塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれた。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所明神として祀り一族の繁栄を願った。・・・・ ≫
と書かれており、源義家の時代のこの地域の領主で、塚を築き、社殿を建てて源義家らを祀った人ということのようです。ですから、祀った対象の源義家・源義綱・源義光の「平塚三所明神」を祀る「ご本社」に近い場所で、「ご本社」より控えた場所に祀られているというのは、その経緯から考えてわかります。
   で、その豊島近義を祀る祠が、源義家らを祀る「ご本社」のすぐ手前にあるのはわかるのですが、その祠に菅原道真が合祀されているというのは、どういう縁なのでしょう。 もしかすると、源義家の時代のこの地の領主は豊島近義で、その後しばらくは豊島氏の子孫がこの地域を統治して、豊島近義をご本社の手前に祀ったが、さらに時代を経て、菅原氏の子孫を名乗る者がこの地域の領主か代官かになることがあって、そのため、菅原氏を代表する人物である菅原道真を、源義家の時代の領主であった豊島近義とともに「ご本社」に最も近い場所で祀るようにした・・ということでもあったのでしょうか?  念のため、お断りしておきますが、これはあくまでも、もしかするとそういうことでもあったのだろうか? という仮説の1つでしかありません。
  平塚神社の前の本郷通りを南に進むと、「西ヶ原」(「滝野川会館前」)交差点~JR「駒込」駅~「本郷追分」(東大農学部前)(東大弥生キャンパスの西)を経て、東大本郷キャンパスの西側に行きますが、東大本郷キャンパスというのは、もともとは加賀前田家の屋敷だった場所で、加賀前田家は菅原道真の子孫を名乗っていたといいますが、もしかして、そのあたりが関係あるのでしょうか?
   で、よくわからないのが、オオナムチです。 日本の神社では、祀る神さんが2柱ではなく、3柱の方が好まれることがあり、そのため、無難な神さんをくっつけて3柱にしたのではないかという感じの神社だってあるので、その可能性もありますが、そうであったとしても、なぜ、オオナムチなのか?  どうも、そのあたりがよくわかりません。
   豊島近義が「ご本社」に最も近い社で祀られるとともに、菅原道真≒天神が「ご本社」に最も近い社で祀られているというのは、菅原氏が何らかの影響をこの神社かこの付近に持つ時代があったということなのでしょうか?

   「菅原神社(平塚天神社)」の手前に、双子のように同じくらいの大きさの祠が2つ建っています。↓
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右(「ご本社」に近い側)が「大門先・元稲荷神社」
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左(「ご本社」より遠い側。本郷通りの入口に近い側)が「御料稲荷神社」
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祠の大きさは同じくらいですが、よく見ると、祠の建物の形状は違います。↑
   「ご本社」に近い側の「大門先・元稲荷神社」も「ご本社」より遠い側の「御料稲荷神社」も、いずれも、
「御祭神  保食神
御神徳  豊作・商売繁盛 」
と現地の説明書きには書かれています。
   「保食神」とは何者なのか?  《ウィキペディア―保食神》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E によると、≪ 保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。神話での記述内容から、女神と考えられる。 ≫ ≪ 天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。 天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。≫と、どうも、食べ物を用意してくれる神さんのようですね。
   一般には、「稲荷」というと、
稲成り・・・稲の穀霊。
秦氏の氏神
『古事記』の ウカノミタマノカミ
インドの神のダキニテン
の4つが集合したものとされることが多いのですが、 この平塚神社の摂社なのか末社なのかの「大門先・元稲荷神社」「御料稲荷神社」で祀られている稲荷さんは、ウカノミタマノカミではなくウケモチノカミのようです。

    「ご本社」に近い場所から順に、「菅原神社(平塚天神社)」・「大門先・元稲荷神社」・「御料稲荷神社」とあって、その手前、本郷通りから入ってくると最も近い場所にあるのが「石室神社(石神明神)」です。↓
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↑ 「石室神社(石神明神)」は
「御祭神  蘓坂兵庫頭秀次命
御神徳  社守 天災除 病気平癒 」
と現地の説明書きには出ています。
「蘓坂」て何と読むのでしょう。 
≪ 豊島氏の後、平塚城主となった蘓坂兵庫頭秀次は平塚明神を篤く祀った。 秀次はみまかりて社の外側に葬られるが、以降 墳墓のあたりに毎年米が降るようになった。 村の長老は秀次の石墳を石神明神と崇めた。 石神明神は崇めれば必ず応えてくれ、水害や日照や疫病の除災に御神徳を顕したと伝えられる。 ≫
と出ています。
   東国に力を持った源氏の源義家とその弟2人とを祀ったこの地域の領主であった豊島近義を「ご本社」に近い手前に祀り、そのさらに手前に豊島氏の後、この地の領主になった蘓坂兵庫頭秀次を祀った、ということでしょうか。 で、菅原道真というのは、その蘓坂氏よりさらに後の領主か代官かになった者に菅原氏の子孫を名乗るものがいて、その領主か代官かが、今度は蘓坂兵庫頭秀次を祀る社のさらに手前に社を設けるのではなく、豊島近義を祀る社に菅原氏を代表する人物である菅原道真を合祀した・・・・ということ? ・・・・かな? ・・・
   で、「大門先・元稲荷神社」「御料稲荷神社」にしても食べ物の神さんで、「石室神社(石神明神)」は水害・日照・疫病の除災に神徳を発揮してくれる神、米を降らせた神とされるだけ、食糧確保が大事な問題だったということなのかもしれません。

   こういう解釈がいいのかどうかわかりませんが、可能性として考えられるのではないでしょうか。
   「大門先」とはどういう意味でしょう。 どこかに大きな門があって、その門の先に祀られていた稲荷社を移したのでしょうか。
   「御料」とは? 《コトバンク ブリタニカ国際大百科事典の解説 御料(ごりょう)》https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E6%96%99-66549 には、≪大日本帝国憲法下での皇室財産。そのうち特に御料所のみを御料と呼んだこともある。・・・≫と出ています。 皇室領地にあった稲荷社を移したということなのか?
   他から移したために、稲荷社が2つあるのか?
   石室神社も≪秀次はみまかりて社の外側に葬られるが、以降 墳墓のあたりに毎年米が降るようになった。≫と書かれているということは、他の場所に葬られたが、後に祠をここに移されたのか。
   だから、比較的古くから、「ご本社」の手前に設けられた豊島近義を祀る社の手前に、他から移した3つの社が設置された・・ということなのだろうか?


   平塚神社の境内を歩きますと、↓ なんてのが見えます。
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↑ 「誰か 見てるぞ」なんて言われると、平塚神社で拾った猫が子供を産んで、6匹のうち4匹が死産だったため、死産で産まれてしまった子猫の遺骸を平塚神社の境内に埋めたいと思って来た千賀は、びくついて、そのために、「たすけて・・・・」と言った男のために、親切で119番通報してあげたにもかかわらず、逃げまどうことになってしまうてことないか・・・・。
≪ 千賀は裏山を出た。神社の社務所へ行くつもりだった。ひょっとすると、まだ助かるかもしれないとも思った。
   社務所に人が住んでいるのかどうか、いままで考えてみたこともなかったけれど、そこに行けば誰かがいるだろう。
   しかし、社務所の明かりを見たとたん、気がついた。
(猫の死体を埋めたんだわ――)
 男の死に立ち会った状況を訊かれたら、そのことも話さなければならなくなる。
 千賀は踵を返して、石段を駆け下りた。駅前の電話ボックスに行き、そこから119番を回した。初めての経験だが、無我夢中だった。
「はい、こちら消防庁です。火事ですか? 救急ですか?」
 男性的なバリトンが、しっかりした口調で言った。
「平塚神社の裏山で人が死にました」
 千賀も負けずにはっきりと言った。
「平塚神社というと、上中里駅のそばの神社ですね? 分かりました、あなたのお名前と住所を言ってください」「わたしは・・・・」
 言いかけて、千賀は口を押えた。それから受話器をフックに引っ掛けると、大急ぎで外へ出た。住所を言ってしまったら、何のために逃げてきたのか分からないことになる。
 坂道をどんどん歩いた。遠くからサイレンの音が近づいて来た。消防署の対応は呆れるほどの素早さであった。
  救急車が見えた瞬間、千賀は左側の路地に曲がった。
「あ、いけない・・・・」
  その時になって、千賀は手に握っていたはずのスコップがないことに気がついた。裏山のどこか置き忘れて来たらしい。取返しのつかないことをした――という恐怖感が、千賀を襲ってきた。 ≫
≪ 滝野川警察署と警視庁は殺人事件と断定、滝野川署内に捜査本部を設け捜査を開始した。通報者の女性は電話のあと姿をくらませており、警察ではこの女性が事件となんらかの関係があるものと見て、行方を追っている。 
・・・・・
 (えらいことになった――)と千賀は後悔した。119番の電話をしたことももちろん悔やまれたが、それ以前に、子猫を埋めに行ったことも、さらには蘭を拾ってきたことにまで遡って、運が悪かったように思えてならなかった。≫
≪ 「どうしようかなあ――)
 テレビのニュースを見るたびに、胸がキュンキュン痛くなる。
 警察は電話の主である「消えた女」を探している。ここから平塚神社までは、直線距離にして1キロぐらい離れている。まだ当分はやって来ないだろうけれど、いずれ捜査の手が伸びてくることは間違いない。 ≫
≪ それにしても、親切心で119番したのに、どうしてこんなにビクビクしなきゃならないのよ――と、千賀は大いに不満だ。新聞なんかには、まるで「消えた女」が犯人かその一味か何かのように書いてある。
  事件に関係していたとしたら、わざわざ電話なんかするはずがないじゃないの――とも思う。 ・・・≫
≪ 「やだァ・・・・」
  千賀は思わず泣き声を発した。足跡だってスコップだって、千賀が現場に残してきたものだ。・・・・
  千賀は表通りに出て、それとなく様子を窺った。気のせいか、歩いている男の人が、どれも刑事のように見えてならない。
  はるか遠くの平塚亭の前辺りには、制服の警察官の姿も見える。刑事の聞込み捜査が、しだいしだいに近づいて来る気配を、ひしひしと感じた。 ・・・≫

   実際のところ、私も、1984年の2月ころだったか、川崎市幸区のアパートから真夜中にセブンイレブンに買い物に行こうとして、雪道で、財布が落ちているのを発見し、それがまた、セブンイレブンの向かいに交番があったもので、つい、出来心で届けてしまった・・・ということがあって、こちらは親切で届けたのに、交番の警察漢は、なんだか、まるで犯人に対するような態度をとり、あほくさい! せっかく親切で届けたのに、なんで、そんな態度とられにゃならんのだ! もう一度、もとあった場所に戻してきてやろうか、こんちくしょう! と思ったという経験をした。それを、[第94回]《落し物は届けるな、犯罪捜査に協力するな! ~ 警察の恐怖(1)―川崎市の警察と いわき市の警察》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201204article_7.html で述べました。
   そういえば、「浅見光彦シリーズ」で何度となく書かれていますね。「第一発見者を疑えというのは捜査の鉄則ですからな」という刑事の発言。それを言われて、せっかく親切で届けたのに・・・・と不快感を覚える「第一発見者」が何人も登場します。 考えてみれば、私が川崎市幸区のアパートの近所で、雪が積もった中で見つけた財布だって、「落とした」ものなのか、「盗られて、盗った人間が中のカネをある程度抜いて、残りを捨てた」ものなのか、もしくは、可能性としては「殺人事件の被害者が持っていた物だった」なんてことだって絶対にないとは言えないわけです・・・となると、「第一発見者を疑え」という鉄則を適用されてしまうと、犯人候補一番手・・・となってしまうではないですか・・・となると、あほくさい! そんなたかだか1000円か2000円しか入ってないような財布みたいなもん、バカ親切に届ける者はアホだ! そんな割のあわんこと、やってられるか!・・・ということになる。

   (2018.7.14.)

☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 〔今回〕
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html

☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社 菅原神社(平塚天神社) (北区) 〔今回〕

長崎殺人事件: 「浅見光彦×日本列島縦断」シリーズ (光文社文庫)
光文社
2011-10-12
内田 康夫

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≪ 「あなた、これはいったい、どういうことなんですか?」
 美奈子がとり縋って問い質す。
「まったくばかげたことだ・・・・」
 公一郎は力なく言った。
「何かの間違いなのでしょう?」
「ああ、間違いだ。しかし警察は分かってくれようとしない。わしが人を殺せるような人間かどうか、おまえたちがよく知っているだろう」
 警察官が横から「そのへんでいいでしょう」と催促した。言葉つきはそれほど横柄ではないが、容赦のないものが感じられた。
「そんな、もう少し説明をきかせてくださいよ」
 春香が叫んだ。
「いや、いろいろ取り調べの関係があるのんで、そうもいかないのです。どうぞ差し入れの物を渡してください」
・・・・ ≫
( 内田康夫『長崎殺人事件』2011.10.20. 光文社文庫 ↑)

≪ それから十分後、浅見は聡を連れて、同じコーヒー屋に戻って来た。聡はさすがにしょげ返って、目の下に隈ができている。
「まったく、警察なんて、話には聞いていたけど、ひどいもんですねえ。最初から犯人扱いで、こっちの言うことをまともに聞こうとしないんだから」 ≫
( 内田康夫『薔薇の殺人』1994.10.25.角川文庫 )

萩殺人事件 (光文社文庫)
光文社
2015-11-11
内田 康夫

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≪ 「なるほど、確かに証明してくれそうな人はいませんね。しかし、それでは逆に訊きますが、防府市の向島に僕が行っていたということは証明できるのですか?」
「いや、残念ながら証明はできていません。いまのところは、ですね。しかし、捜査が進めばどうなるか分かりませんよ」
「だったら、証明できるようになってから、出直してもらいたいですね。そうそう、断っておきますが、でっち上げなんかはしないようにお願いしますよ
「そのようなことは警察はせんっちゃ」
  片桐は感情を露(あらわ)にして、松田を睨み付けて言った。松田は内心(ふん――)と思った。警察がでっち上げや誘導尋問を行っているのは常識みたいなものだ。それでもって数々の冤罪事件を起こしている。盗人猛々しいと言いたいくらいなものである。・・・・ ≫
( 内田康夫『萩殺人事件』2015.11.20.光文社文庫 ↑)  

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