旧古河庭園(1)洋館と洋風庭園、つつじ園。陸奥と古河と大谷と田中―平塚神社と浅見光彦【10/15】

[第622回]
[17] 旧古河庭園(1)  洋館と洋風庭園。 つつじ園。
   東京メトロ南北線「西ヶ原」から東京メトロ南北線・JR山手線「駒込」までの中間あたりに旧古河庭園がある。 道路を隔てたその東側には、浅見光彦がかつて通ったという滝野川小学校がある。
≪ 滝野川小学校というのは北区でも歴史のある学校で、何年か前に創立百二十周年の祝賀会が行われた。
  かつて江戸から日光へ行く大名行列が通った「日光御成道」というのがあるが、校門はその街道の坂に面している。坂を挟んで反対側の「旧古河庭園」は、旧財閥の古河家が所有していた邸宅がある庭園で、現在はバラの名所として有名だ。 ・・・・ ≫
( 内田康夫『北の街物語』2016.8.25.中公文庫)
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( ↑「旗」マークが、旧古河庭園 の入口。 )




※ 東京都公園協会 旧古河庭園HP https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index034.html
《ウィキペディア―旧古河庭園》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E5%BA%AD%E5%9C%92
旧古河邸(大谷美術館)HP http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/

   「旧古河邸」と「旧古河庭園」はどう違うのかというと、旧古河庭園の中にある洋館が旧古河邸。では「旧古河邸」と「大谷美術館」はどう違うのかというと、洋館(旧古河邸)を公益財団法人 大谷美術館 が管理している、ということらしい。 「古河」というと、古河財閥の古河、かつて、足尾銅山の鉱毒で渡良瀬川流域に被害をもたらした、義人 田中正造翁の仇敵 である。 では、大谷さんて誰なんだ? というと、ホテルニューオータニの大谷さんらしい。
   私は、「旧古河庭園」と「旧古河邸」では旧古河邸の方を先に知った。たしか、「朝日新聞」の日曜版だったと思うのだが、「東京の洋館」として、文京区本郷の東大の南東のあたり、湯島天神の北のあたりにある、下山事件・鹿地亘事件でも関わったとされる「旧岩崎邸」(「本郷ハウス」)と、この足尾銅山・渡良瀬川鉱毒問題を引き起こした古河財閥の古河邸の2つが出ていたのだ。 いずれも、ジョサイヤ=コンドルという有名人が設計した建物で、いずれも、見学可能な建物として紹介されていた。 その記事を見て、ぜひ、見学したいと思って、岩崎邸は見学に行った。岩崎邸の場合は、見学時間とされている時間内であれば、予約なしに突然行っても見学できる。又、建物と庭園は区別されていない。 それに対して、旧古河邸の場合は、今回、庭園を散策し、洋館(旧古河邸)は外観だけ見せてもらったが、洋館(旧古河邸)の内部の見学は、あらかじめ、往復はがきで申し込むか、もしくは、予約なく行った場合、1日に3回のツアーがあるのだが、定員に空きがあった場合には見学できる、というものらしい。 入場料というのか見学料というのかは、岩崎邸は建物と庭園は分かれていない・・というのか、分けるほどものすごい庭園があるわけではない・・というのか庭園の部分の敷地はすでに隣接の施設が使用しているので建物は保存されているが庭園部分は建物に近い部分のみ残っているので、あえて分けていないのだが、古河邸の場合は、庭園の入場料は150円とこういう施設としては比較的安いのに対し、旧古河邸(大谷美術館)HP http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/ を見ると、旧古河邸(洋館)の内部の見学は、「旧古河邸 御利用案内」http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/information.html によると、1人800円と、けっこう高め。で、行ってみて思ったのだが、私が見た「朝日新聞」の日曜版だったと思うのだがでは、旧岩崎邸と旧古河邸がセットみたいに載っていたが、この2つは、東京の洋館でいずれもジョサイヤ=コンドルの設計という点では共通しているが、別にセットではなく、旧岩崎邸は旧岩崎邸、旧古河邸は旧古河邸である。
   「旧古河邸について」http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/about_summary.html によると、この旧古河庭園の土地は、陸奥宗光の邸宅があった場所らしい。なるほど、陸奥宗光の邸宅があった地域だと言われると、警察庁刑事局長 浅見陽一郎、及び、浅見陽一郎・浅見光彦の父の大蔵省で事務次官になる寸前までいったおっさんの邸宅があってもおかしくはない・・・かな?  で、陸奥宗光の次男 潤吉が古河家に養子に入り古河家2代目となったことから古河家の所有になったらしい。古河家3代目の古河虎之助が隣接する土地を買収して約1万坪の土地とし、本館建物(洋館)と洋風庭園をジョサイヤ=コンドルが設計して大正6年(1917年)、《「ひどくいいな(1917)」のロシア革命》の年に竣工。 池泉回遊式・・・て知らん人は知らんと思うので説明すると、池とかがあって、人がそこを回遊する、歩いて散策して楽しむようにできている庭園のことである。池泉舟遊式というのは池があってそこに舟を浮かべてその舟から楽しむというものらしい。だから、我が家みたいな狭い土地に建つ家のほんのわずかの隙間にでも、タライを置いて池だということにして、ホームセンターで人の膝くらいの高さの樹木の1本でも買ってきてその周囲に植えて、そのあたりを歩けば「池泉回遊式庭園」ということになる・・・かどうかよくわからんが、ともかく、室内から眺めて楽しむのが基本という庭園もあれば、舟で楽しむという庭園もあるのに対して、庭園の中の散策路を歩いて楽しむという庭園のことだ。 その池泉回遊式の日本庭園を造ったのは京都の庭師 小川治兵衛という人だそうで、大正8年(1919年)、「行く行く(1919)、ヴェルサイユ」とヴェルサイユ条約締結の年である。 ちなみに、この旧古河庭園の洋館(旧古河邸)の前にバラ園が作られているのだが、古河庭園が洋風庭園も日本庭園も完成したのはヴェルサイユ条約締結の1919年のことであることから、これを称して「ベルサイユの薔薇」と言う・・・・というのはウソ! ・・・
   で、ホテルニューオータニはどう関係あるのか。(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時のことだが、1993年、福島県いわき市の営業所に転勤して赴任したところ、いわき市の常磐地区、最寄駅はJR常磐線「湯本」、いわゆる「いわき湯本温泉」のある所に、「ホテル ニューオータニ」というのがあると地図にでておった。さすがはホテルニューオータニ、いわき湯本温泉にもあるんだあ~あ・・・・・・と感心したのだが、どうも、なんか変だ。いわき市生まれの人に「いわき にもニューオータニあるんですね」なんて言っても、なんか反応がおかしい。スパリゾートハワイアンズなら誰でも知ってるが、いわき のニューオータニと言っても知名度がいまひとつだし。 それで、だいたい、どういうことかわかったのだが、いわき市の湯本温泉で旅館をやっていた人で大谷さんという人がおられたらしいのだ。その大谷さんが建物を建て替えたのか何なのかよくわからんのだが、その際に、名称を「ホテル ニューオータニ」と名づけられたらしいのだ。 だから、いわき市の湯本温泉にも「ホテル ニューオータニ」はあったのだ・・・が、東京の四谷というのか赤坂見附というのか紀尾井町というのかにある「ホテル ニューオータニ」とは、別のものらしい。 福島第一原発事故が発生した福島県双葉郡双葉町には「テンウッド」という名前の家具屋があったはずだが、どうなっただろう。 双葉郡富岡町夜ノ森には「セビリヤ」という名前の理髪店があったが、あそこもどうなったのだろう。〔⇒《YouTube―セヴィリアの理髪師 私は町のなんでも屋 ヘルマン・プライ》https://www.youtube.com/watch?v=q9LT_REzX8Y 〕
   それで、四谷というのか赤坂見附というのか紀尾井町というのかのホテルニューオータニと旧古河邸はどうつながるのかというと、大谷米太郎(1881~1968)という人はホテル業だけやっていたわけではなく、≪ 鉄鋼業、観光業、流通業等多くを起業し、大谷重工業(株)、ホテルニューオータニ、(株)テーオーシー等の創業者として名を残した≫らしい。古河財閥が、戦後、財閥解体で、この屋敷を手放すことになり、大谷重工業(株)として古河家とつきあいがあった大谷さんに購入の話がでたらしい。 そういえば、四谷というのか赤坂見附というのか紀尾井町というのかのホテル ニューオータニだって、あそこは元は誰やらの屋敷だったかしたはずだから、旧古河邸は、四谷と赤坂見附のまん中の立地に比べると便利はよくないかもしれないが、これだけの土地を都内で手に入れようと考えたとすると悪い話ではないかもしれない。
   ≪ 大谷美術館は鉄鋼業・ホテルの経営で知られる大谷米太郎(1881~1968)が晩年に計画し、実現を見ずして世を去った事業である。≫と書かれているように、そのまんま実現はしなかったらしいが、戦後、進駐軍に接収されて≪イギリス大使館付き駐在武官の独身寮に6年ほど使用される≫ことがあった後、無人の状態が30年ほど続いた後、 ≪ 昭和57年(1982年)に文化財指定されたことをきっかけに本館建物も修復工事が始まり、6年の歳月を経て、平成元年より財団法人大谷美術館によって一般公開が開始された。 ≫ というもので、≪庭園内の洋館と茶室を(公財)大谷美術館が管理しています≫というものらしい。
   京都の桂離宮・修学院離宮てのも、宮内庁の管轄だそうで、京都の史跡でも、東寺とか平等院とか三十三間堂とかと違って、あらかじめ、予約しておかないと見学はできない・・・が、建築屋に勤めて、桂離宮と修学院離宮は何としても見学しておかないといけないと思って、頑張って申し込んで見学してきたが、実際に見学して見ると、それほど特別に大変な作業でもない。宮内庁の施設ということは、入口で日の丸の旗を渡されて、「ばんざ~い。ばんざ~い」と叫ばないと入れてもらえないとかあるのか、キリストかマリアが描かれた板を足下に出されて「踏めえ」とか言われて踏まないと入れてもらえず逆さ吊るしとかされるのか・・・というと、そんなことはまったくない。桂離宮や修学院離宮は今はインターネットでも申し込むことができる。旧古河邸の場合、残念ながらインターネットでの申し込みはできないようで、あくまで、往復はがきでの申し込みになるようだ。特別にものすごい大変なことではないようだが、それにしても、〇日、時間がとれるから行こうか・・というわけにもいかないので、その点では見学するための難易度は高いことになる。
   しかし、もう何年も前になったが、旧岩崎邸を見学に行った時のことだが、「誰でも見学できる」というのは基本的にはいいと思うのだけれども、見ていると、敷居を平気で踏むおばさんとかいたわけだ。やっぱり、敷居は踏むものではない・・というくらいはわきまえてもらいたいと思うのだ。 敷居というのは、ソフトウッド、柔らかい針葉樹を使用しており、踏むと傷みやすいし、汚れやすいものであるし、(株)一条工務店にいた時に私が担当して建てていただいたお宅の奥さんなどは「私らは、子供の頃、敷居を踏んだりすると、『おまえはそこの家の主の顔を踏みつけにするのか』と言ってものすごい怒られた」と話されたことがあったが、敷居というのは「その家の主の顔」だとか言って踏んではいけないとされてきたものだ・・・・が、「誰でも見学できる」とすると、平気で敷居を踏む人も見学することになる。そういうことを考えると、旧古河邸のように、「誰でも見学できる」けれども、自由に個人個人で見学できるのではなく、1日に3回、ツアーとして何人かずつ、見学してまわるという方式を取った方がいいのかもしれない、とも思える。 私は、洋館(旧古河邸)内部は、予約なしではまったく見学はできないものだとあきらめて庭園のみ見学してきたが、インターネットで《旧古河邸 よくあるご質問》http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/question.html を見ると、喫茶室があって、その部分は見学会に予約していなくても入室できるらしい。

  「洋館」(「旧古河邸」)↓
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( 「旗」マークの側、南西側から見たもの。 )
   「洋館」(「旧古河邸」)の南西側に、バラ園があり、その前にツツジ園がある・・が、バラは今は花が咲く季節ではないのでバラの花を見ることはできない。 ツツジはいくらか咲いているようだった。↓
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   「洋館」(「旧古河邸」)の南東側に芝生広場がある。 そちら側から見た外観が↓
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( 「旗」マークの側、南東側、芝生広場の側から見たもの。 )
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≪ 英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレートぶきレンガ造り。外壁は真鶴産の赤味をおびた新小松石(安山岩)で仕上げられており、雨にぬれると落ち着いた色調をかもしだします。≫
( 旧古河庭園 リーフレット )
   外観は純洋風なのだが、内部は、
≪ 本館の規模は延414坪 2階建地下1階。
主構造は煉瓦造小屋組と床梁は木造、一部鉄骨梁を使用。2階ホールにトップライトを設けている。
外壁は真鶴の新小松石(安山岩)の野面石積み、切妻屋根は天然スレート葺き、出窓や玄関ポーチ屋根は銅板瓦棒葺き。
素朴で重厚な外観はスコットランドの建築や英国の別荘建築に近い。≫
’( 「旧古河邸について」 http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/about_summary.html )
   私などが子供の頃、「ブーフーウー」(3匹の子ぶた)というテレビ番組があって、ブーは藁の家、フーは木の家、しっかり者のウーはレンガの家を作ったところ、狼がやってきて藁の家も木の家も吹き飛ばしてしまうが、ウーが作ったレンガの家は頑丈で吹き飛ばすことができなかった、というお話だったが、たしかに、煉瓦の組積造の建物は重いので、木よりも風で飛ばされたりはしにくいが、問題点として、真上からの荷重には強くても、床組みをしにくい点がある。だからか、この旧古河邸も、≪主構造は煉瓦造≫だが≪小屋組と床梁は木造、一部鉄骨梁を使用≫としているようだ。
※ 《 狼なんかこわくない Who's Afraid of the Big Bad Wolf 》https://www.youtube.com/watch?v=CuiadOwqyQ0

   外観は純洋風だが、内部は、
≪ 旧古河邸はコンドルの最晩年の設計で、洋館内部に和室を完全な形で取り込んだ極めて珍しいプランである。 1階がすべて洋室で主に接客のための空間なのに対し、2階の寝室を除いたすべての部屋が伝統的な和室である。・・・ ≫
( 「旧古河邸について」 http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/about_summary.html  )
という作りらしい。

   なかなか素敵なデザインの洋館ではあるが、どこからその費用は出てきたのか。古河財閥というと、足尾銅山など銅山経営で利益をあげた財閥。 特に、足尾銅山は、銅の精錬によって周囲の山林は被害を受け、渡良瀬川に流れ込んだ鉱毒は、渡良瀬川の周辺の土地に被害をもたらせ、さらに、鉱毒の被害を解消するためと称して谷中村は廃村にされ「渡良瀬川遊水池」となった。渡良瀬川鉱毒問題と闘った佐野市小中町の庄屋だった田中正造は明治天皇への直訴で有名だが、田中正造は、最後、亡くなる時、『福音書』とわずかな携帯品しか所有するものはなかったという。鉱毒でひとを苦しめて私服を肥やした古河市兵衛は古河財閥を築き、↑のような洋館を子孫は建てた・・・・と考えると、なかなかデザインのいい建物ではあるけれども、もろ手を上げて称賛するわけにもいかない。

  (2018.7.16.)

  次回、【11/14】 旧古河庭園(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html


☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 〔今回〕
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html




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≪ 刑事はそういう聡を上目遣いに見つめた。芝居をしているのかどうか、疑っている目つきだ。
   聡は面と向かって刑事と話をしたことなど、生まれてはじめての経験だが、この目で睨まれただけで、背筋がゾクゾクして、何だか、ことによると自分は嘘をついているのではないか――という、落ち着かない気分になってきた。
「あんた、正直に話した方がいいよ」
 刑事はそういう聡の反応に満足したのか、自信たっぷりに煙草に火をつけた。
「僕は正直に話してますよ」
「ふーんそうですか。まあいいでしょう。しかしあれですよ。浜岡文江さんが死んだりしたら、大変なことになる」
「えーっ、彼女、病気なんですか?」
「ははは、そう言うだろうと思った」
「は?  それ、どういう意味ですか?」
「いや、われわれは先輩から、被疑者がとぼけるときの常套句として、そういう言い回しをするであろうから、注意するようにと教えられているもんでね」
「被疑者って、それ、僕のこと?・・・・ 冗談じゃないですよ。第一、僕はとぼけてなんかいませんて。
それより、その彼女がどうしたっていうんですか? ただの病気じゃないのですか?」
 聡が懸命になればなるほど、刑事は楽しそうにニヤニヤと薄笑いを浮かべる。
 若い方の刑事は対照的に、ニコリともしないで手帳を広げていた。・・・・ ≫
( 内田康夫『薔薇の殺人』1994.10.25. 角川文庫 ↑)  

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