旧古河庭園(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫、鳥居の奥は? ―平塚神社と浅見光彦【12/15】
[第624回]
[19] 旧古河庭園(3) 茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫、サービスセンター脇の鳥居の奥は・・・
旧古河庭園の日本庭園。 全般的になかなかのものですが、↓の「茶室」も、いかにも茶室て感じ・・・・。

( ↑「旗」マークが「茶室」 )
↑ 雪見灯篭の上、紅葉がきれい・・・・なんて↑の葉を見て思ったが、写真撮影日は7月上旬。紅葉の季節でもないはず・・・・だが、現実に赤っぽい色になった葉が見られる。
↑ 黒ボク石積。
≪ 富士山の溶岩で、軽く、加工もしやすい。
山の雰囲気が出るため、主に関東で石組みとして用いられることが多いが、石垣状のものは珍しい。≫
と現地での説明書きには書いてあります。
↑ 崩石積。
≪ 石を垂直に積む方法は数あるが、これは京都で発達した伝統的な工法である。
石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいと言われる。
当庭園においても小川治兵衛の力作となっている。 ≫
と現地には説明書きが出ています。
芝生広場から下に降りていくと、旧古河邸とは別の石の建物が見える。↓
↑ 「書庫」らしい。
↑ 「サービスセンター」の脇、奥に鳥居が見えるが、「立入禁止」になっている。 七社神社は≪明治時代以前には旧古河邸内に祀られていましたが、明治初年に一本杉(樹齢千年)神明宮の現在地に遷座しました。≫(『北区神社めぐり』) という「旧古河邸内」の祀られていたというのは、↑の鳥居の奥のことだろうか?
旧古河庭園でもらったリーフレットに、「都立文化財9庭園」なんて書いてあるので、9庭園とはどこのことだろうと思って見ると、
浜離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
小石川後楽園
六義園
旧岩崎庭園
向島百花園
清澄庭園
旧古河庭園
殿ヶ谷戸庭園
の9つらしい。 一度、行きたいと昔から思いながら行けずにいる所の名前が並んでいるのだが、このうち、殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index036.html はここで初めてみたが、JR中央線「国分寺」駅のすぐ南にあって、江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、岩崎家の別邸になり、東京都が買収して公開するようになったものらしい。
(2018.7.16.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 〔今回〕
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 1907年の恐慌のさいは、労働争議の件数と参加者は、従来の最高にたっし、とくに造船所、軍工廠、炭坑、鉱山に大争議がおこった。 中でも二月の足尾銅山争議は暴動となり、最後には軍隊三個中隊が出動して鎮圧した。この争議を指導した労働者南助松は、北海道夕張炭坑でストライキをおこして追われ、妻の臼井操とともに足尾に来たもので、社会主義者とも連絡していた。足尾が口火になり、四月には北海道幌内炭坑で、六月には四国の別子銅山で、賃上げ要求から暴動がおこり、別子では軍隊が出動した。・・・ ≫
( 井上 清『日本の歴史 下』1966.9.27.岩波新書 ↑)
≪ 「それからどうなされました?」
「こちらへ戻りましたが」
「レンさんの家に行かれたのではありませんか?」
「は?・・・・」
「いや、レンさんに会われたのではないか、とお訊きしているのです」
「ちょっと待ってくださいよ」
実加代は憤然として言った。大きな声だったので、フロントの者たちの目がいっせいにこっちを向いた。
「いったい何を言ってるんです。それじゃまるで訊問じゃありませんか。失礼ですよ」
「そういうわけではありません。警察としては、関係者の動向を詳しく訊くのは、ごく普通の仕事でして、いわば義務のようなものですので」
「それじゃ、こちらにはお断りする権利があります。それに、母はあまり精神的に安定している人じゃないし、疲れていますから、これで失礼します。」
実加代は立ち上がると、「行きましょう」と久美の腕をとった。
「ちょっと待ってください。木本さんとの関係を・・・・」
「関係ないって言ったでしょう」
実加代自身、こんな激しさがあるなんて、思いもよらなかった。心臓はドキドキ高鳴っていたけれど、旺盛な闘志のようなものが身内から溢れてくるのを感じた。相手が警察であろうと何であろうと、母や自分を迫害するようなことを許すわけにはいかないと思った。 ・・・・ ≫
( 内田康夫『津和野殺人事件』2007.5.15.徳間文庫 )
[19] 旧古河庭園(3) 茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫、サービスセンター脇の鳥居の奥は・・・
旧古河庭園の日本庭園。 全般的になかなかのものですが、↓の「茶室」も、いかにも茶室て感じ・・・・。
( ↑「旗」マークが「茶室」 )
↑ 雪見灯篭の上、紅葉がきれい・・・・なんて↑の葉を見て思ったが、写真撮影日は7月上旬。紅葉の季節でもないはず・・・・だが、現実に赤っぽい色になった葉が見られる。
↑ 黒ボク石積。
≪ 富士山の溶岩で、軽く、加工もしやすい。
山の雰囲気が出るため、主に関東で石組みとして用いられることが多いが、石垣状のものは珍しい。≫
と現地での説明書きには書いてあります。
↑ 崩石積。
≪ 石を垂直に積む方法は数あるが、これは京都で発達した伝統的な工法である。
石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいと言われる。
当庭園においても小川治兵衛の力作となっている。 ≫
と現地には説明書きが出ています。
芝生広場から下に降りていくと、旧古河邸とは別の石の建物が見える。↓
↑ 「書庫」らしい。
↑ 「サービスセンター」の脇、奥に鳥居が見えるが、「立入禁止」になっている。 七社神社は≪明治時代以前には旧古河邸内に祀られていましたが、明治初年に一本杉(樹齢千年)神明宮の現在地に遷座しました。≫(『北区神社めぐり』) という「旧古河邸内」の祀られていたというのは、↑の鳥居の奥のことだろうか?
旧古河庭園でもらったリーフレットに、「都立文化財9庭園」なんて書いてあるので、9庭園とはどこのことだろうと思って見ると、
浜離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
小石川後楽園
六義園
旧岩崎庭園
向島百花園
清澄庭園
旧古河庭園
殿ヶ谷戸庭園
の9つらしい。 一度、行きたいと昔から思いながら行けずにいる所の名前が並んでいるのだが、このうち、殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index036.html はここで初めてみたが、JR中央線「国分寺」駅のすぐ南にあって、江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、岩崎家の別邸になり、東京都が買収して公開するようになったものらしい。
(2018.7.16.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 〔今回〕
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 1907年の恐慌のさいは、労働争議の件数と参加者は、従来の最高にたっし、とくに造船所、軍工廠、炭坑、鉱山に大争議がおこった。 中でも二月の足尾銅山争議は暴動となり、最後には軍隊三個中隊が出動して鎮圧した。この争議を指導した労働者南助松は、北海道夕張炭坑でストライキをおこして追われ、妻の臼井操とともに足尾に来たもので、社会主義者とも連絡していた。足尾が口火になり、四月には北海道幌内炭坑で、六月には四国の別子銅山で、賃上げ要求から暴動がおこり、別子では軍隊が出動した。・・・ ≫
( 井上 清『日本の歴史 下』1966.9.27.岩波新書 ↑)
≪ 「それからどうなされました?」
「こちらへ戻りましたが」
「レンさんの家に行かれたのではありませんか?」
「は?・・・・」
「いや、レンさんに会われたのではないか、とお訊きしているのです」
「ちょっと待ってくださいよ」
実加代は憤然として言った。大きな声だったので、フロントの者たちの目がいっせいにこっちを向いた。
「いったい何を言ってるんです。それじゃまるで訊問じゃありませんか。失礼ですよ」
「そういうわけではありません。警察としては、関係者の動向を詳しく訊くのは、ごく普通の仕事でして、いわば義務のようなものですので」
「それじゃ、こちらにはお断りする権利があります。それに、母はあまり精神的に安定している人じゃないし、疲れていますから、これで失礼します。」
実加代は立ち上がると、「行きましょう」と久美の腕をとった。
「ちょっと待ってください。木本さんとの関係を・・・・」
「関係ないって言ったでしょう」
実加代自身、こんな激しさがあるなんて、思いもよらなかった。心臓はドキドキ高鳴っていたけれど、旺盛な闘志のようなものが身内から溢れてくるのを感じた。相手が警察であろうと何であろうと、母や自分を迫害するようなことを許すわけにはいかないと思った。 ・・・・ ≫
( 内田康夫『津和野殺人事件』2007.5.15.徳間文庫 )
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