浅見光彦の母校 滝野川小学校と「御子柴邸」(「彫刻アトリエ館」)―平塚神社と浅見光彦【13/15】
[第625回]
[20] 滝野川小学校と「御子柴邸」
旧古河庭園の本郷通りを隔てた向かい側に滝野川小学校という区立の小学校があり、内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の浅見光彦がかつて通った小学校で、かつ、作者 内田康夫もかつて通った小学校らしいのだが、その滝野川小学校があり、そして、その滝野川小学校の隣に御子柴先生という彫刻の先生が住んでいて、その御子柴先生の家の庭から「妖精」というブロンズ像が盗まれる・・・という事件が発生したというのが『北の街物語』(2016.8.25.中公文庫)の話である。巻末には≪この作品はフィクションで、実在の人物・団体には一切、関係がありません。≫と書いてあるが、そうはいっても、滝野川小学校は実在する。 もっとも、内田康夫の小説はよく取材して書かれており、そこに登場する場所でも、史跡とか市役所とか駅とか、そういったものは実在するものが書かれており、相当正確に書かれている。登場する人物は、もちろん、架空の人物のはずなのだが、≪一般的にいうと、作品の中に登場する人物は、むろん想像の産物ですが、ぼくはしばしば、取材先で出会った人のイメージを借用しては顰蹙をかっています。≫ と『長崎殺人事件』(2011.10.20.光文社文庫)の「自作解説」に書かれているように、小説の登場人物のような人がどこかにいる場合があるらしい。「人相の悪い男」として登場する刑事というのもモデルはあるのかもしれないが、「人相の悪い男」で性格がねじくれ曲がった刑事というのは、それはどこにでもいるかもしれない。
どこに書いてあったか忘れたが、浅見光彦の身体的特徴のモデルは廣済堂出版の編集部にいた某さんで、身長や体型、それに浅見が最初に登場した『後鳥羽伝説殺人事件』の時の年齢32歳、といったものがその某さんそのままだったそうだが、『歌枕殺人事件』の冒頭で、正月、浅見家の百人一首のカルタ大会で優勝する浅見光彦の姿はそれは若き日の内田康夫がモデルらしい。
※ 《ウィキペディア―内田康夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB
小説に登場する場所の方だが、『風の盆 幻想』(2013.6.15.実業之日本社文庫)は富山県の八尾が主舞台で副舞台が岐阜県の神尾と高山で、冒頭、高山の鍜治橋近くの喫茶店で登場人物が人と会う約束をしていたが会えなかったという場面があり、別の登場人物の勤め先が高山市役所とK病院ということだったので、高山に行った時に、実際にあるかどうか見に行ってみたのだが、高山市役所は当然、実在するし、K病院は『風の盆 幻想』の話からある程度以上の規模の病院のように思えて、イニシャルから考えると、久美愛病院か高山厚生病院かどちらかと思うが、これも実在する。で、喫茶店「ロフト」というのが鍜治橋の近くにあるという話になっているので捜してみたのだが、これはなかった。それを、
● 喫茶店「ロフト」・・・・[第590回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[1]喫茶店「ロスト」を探すー高山シリーズ第5回【1/15】 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
● ラーメン店・・・・[第591回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[2]高山ラーメンー高山シリーズ第5回【2/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
● K病院・・・・[第592回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[3]K病院(高山第5回【3/15】)+高圧電線下を勧める不動産屋》内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[3]K病院(高山第5回【3/15】)+高圧電線下を勧める不動産屋》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
● 高山市役所・・・・[第593回]《内田康夫『風の盆幻想』と巡る高山[4]高山市役所(高山5【4/15】)+銀行建物で見るデザインと立地 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
で述べた。 高山市役所は実在したし、K病院も久美愛病院があった場所は取り壊されて警察署がそこに建つ予定で建築工事がされていたが、別の場所に移転して久美愛病院は実在した。ラーメン屋は高山にはいっぱいあるがどこのことを『風の盆 幻想』の登場人物の「内田康夫」は言っているのかはわからない。で、喫茶店は鍜治橋付近には何軒かあるが「ロフト」はなかった。 本によって、たとえば、『伊香保殺人事件』(1994.6.20.光文社文庫)の巻末には、≪この作品はフィクションであり、文中に登場する人物、団体名は、実在するものとまったく関係ありません。≫の後に≪なお、風景や建造物など、現地の状況と多少異なっている点があることをご了承下さい。 (著者)≫と書いてあるのだが、なるほど、≪風景や建造物など、現地の状況と多少異なっている点があることをご了承下さい。≫というのは、そういうことか、「ロフト」の場合は、あくまで、そこで登場人物が待ち合わせをしていたというだけのことで、そこで人が殺されたとかいうことではないのだけれども、公共施設とか名所・旧跡とか駅とかなら、そこで人が殺されたという話にしても問題は特にないけれども、個人経営の小規模な店の場合、問題があるかもしれないので、そういう場合は架空のものが書かれているということか、と≪現地の状況と多少ことなっている≫例として、「ロフト」がなかったのを見て思ったのでした。
で、『北の街物語』(2016.8.25.中公文庫)に登場する滝野川小学校 というのを見てこようと考えた。それとともに、
≪「御子柴先生のお宅はどちらですか」
「西ヶ原一丁目、そうそう浅見さんの母校でもある滝野川小学校のすぐ隣ですよ。校庭にプールがあるでしょう、あそこから塀を越えるともう御子柴先生のお屋敷です」
滝野川小学校というのは北区でも歴史のある学校で、何年か前に創立百二十周年の祝賀会が行われた。
かつて江戸から日光へ行く大名行列が通った「日光御成道(おなりみち)」というのがあるが、校門はその街道に面している。坂を挟んで反対側の「旧古川庭園」は、旧財閥の古河家が所有していた邸宅がある庭園で、現在はバラの名所通ったとして有名だ。
プールの塀を越えたところというと、小学校時代、浅見はよく塀に上がって先生に叱られたことがあるから、お隣の庭の情景は記憶している。柿の木が枝を張っていて、手を伸ばすと取れた。ただし強烈な渋柿で、一度で懲りて二度と手を出さなくなった。
「ああ、あのお宅ですか」・・・・ ≫
と書かれている「彫刻の先生」という御子柴先生のお宅 というのが≪プールの塀を越えたところ≫にあるかというと、高山市の鍜治橋近くの喫茶店「ロフト」がなかったように、さすがにそれはないだろうと思って、ないのを確認してこようかと思って行ってみたのだ。
東京都北区立滝野川小学校 は実在する。ホームページもある。〔⇒https://www.city.kita.tokyo.jp/gakkoshien/kosodate/shogakko/gakkojoho/kuritsu/takinogawa/index.html 〕
≪ かつて江戸から日光へ行く大名行列が通った「日光御成道(おなりみち)」というのがあるが、校門はその街道に面している。 ≫(内田康夫『北の街物語』)という「校門」が↓
↑ 左の壁面と左下の壁面にプレートがついていて、上のプレートには「東京都北区立滝野川小学校」、下の方のプレートには「北区立滝野川小学校」と書かれている。
↑ クリックすると大きくなるのでクリックして見てください。警察署が作った標語、「いかのおすし」としたつもりらしいが、「お声を出す」てのは、ちと苦しい。 警察が作っただけあって、今一つ、センスがよくない。

( ↑「旗」マークが、滝野川小学校の「校門」 )
≪ 坂を挟んで反対側の「旧古川庭園」は、旧財閥の古河家が所有していた邸宅がある庭園で、現在はバラの名所通ったとして有名だ。 ≫(『北の街物語』) と出ている「旧古河邸」が、たしかに、向かいに見える。↓
滝野川小学校というのは、なぜか、道路に面している部分が少ない。 「滝野川会館前」交差点で、滝野川警察署・花と森の東京病院・平塚神社の前から来た本郷通りが、駒込から東大農学部の前の方に行く道と田端駅の西側に行く道とに分かれ、その2つの道に挟まれた位置に滝野川小学校はあるのだが、どういう経緯なのか、どちらの方の道にも道に接している部分はわずかで、それ以外は別の建物が建っている。
「滝野川会館前」交差点から田端駅の西口の方に行く道の方にも、「通用門」があるようだが、閉鎖されている。↓

( ↑「旗」マークが、滝野川小学校の「通用門」。 閉鎖中。)
「防犯カメラ稼働中」なんて書いてあるから、撮影しているこちらも撮影されているということなのだろう。怖い、怖い!!! そのうち、「人相の悪い男」とかがどこやらから寄って来て「ちょっと、いいですか」とか言ってくるかもしれん。お~、こわあ~あ!!!
≪ 警官は真っ直ぐ浅見に向かってきて、「ちょっとあんた」と言った。
「すみませんが、ちょっといいですか?」
一応、丁寧な口をきいているが、明らかに不審尋問である。
「ええ、どうぞ」
「ここではなんやし、ちょっと交番まで同行してもらいたいんやけど」
警察が頻発する「ちょっと」は便利な言葉だ。強要するようで、そうでもなく、時間的な長さや、拘束するのかしないのかも至極、あいまいなのである。
いずれにしても、抵抗すれば、公務執行妨害なんてことになりかねない。・・・・ ≫
( 内田康夫『砂冥宮』2011.10.15.実業之日本社文庫 )
≪ 尾行されている気配は感じなかったのだが、おそらく無線で連絡を取り合っているのだろう。駅前商店街に入ったとたん、左右からスッと、挟みつけるように、二人の男が寄ってきた。
二人はまるで親しい知人にでも話しかけるように、さり気なく手帳を見せて、「浅見さんですね?」と言った。
「ちょっと署まで同行願えませんか」
一応、願望を表明しているけれど、その言葉には強制力がある。 ≫
( 内田康夫『薔薇の殺人』1994.10.25.角川文庫 )
お~、こわあ~あ!!!
道に面した建物の間から校舎の建物は見えるのだが↑、校舎の建物が見えるわりに学校は道に面した部分が少ない。
で。その「人相の悪い男」の出張所、こわ~いのんのいる所というのが、滝野川小学校の近くにもある。↓

↑ 滝野川警察署 西ヶ原交番 http://www.police-map.com/tokyo/takinogawa-4.html
「滝野川小学校前交番」とか「旧古河庭園前交番」とかではなく、「西ヶ原交番」らしい。
「君子、危うきに近寄らず」と言うから、そういうこわ~いのんのいる所には、特に必要もない限り、「善良な市民」は近寄らない方がよろし。
↑昔ながらの「公衆便所的外観の交番」である。 本当は正面から撮影したかったのだが、こわ~いのん がいるから、正面から撮影して、「ちょっといいですか」とか言われても嫌なので、この角度になった。 「ちょっといいですか」なんて言われても、よくねえんだよ。市民の敵を相手にしたくないんだよ。
いつも、思うのだが、なんで、「KOBAN」なのだろうね。英語圏の外国人にわかるようにということなら、「POLICE」とか「PLICE STATION」とか書けばいいし、日本に長くいて日本語は日本人なみに話せるが漢字・ひらがな・カタカナとも読めないというフィリピーナのおばさんのためということなら、
「 _
KOBAN 」 と O の上にバーをつけるか、さもかくば、「KOUBAN」とするかするべきで、
「KOBAN」では、「猫に小判」の「小判」だと思うのだ。
まあ、「警察官の日本語」なんてそんなもんでっしゃろ、そんなもん・・・てところなのかもしれないし、逆らうと怖いから、まあ、逆らわずに遠巻きにして黙ってよ・・・。なにしろ、こわいからな、何しよるやらわからんからな、ほんまに・・・・・。 特に、「警察官に・・・ということをされました」と警察署に行って訴えても、「警察官はそんなことしません」と居直られるのがオチだし、むしろ、そういうことをすると、「ちょっといいですか」と言われて奥に引っ張られていく・・なんてなると、これはもう、ヤクザ事務所に単身乗り込むよりもなお怖い。
検察官なんてのは警察官と違って「一流大学を卒業して司法試験という難しい試験に通ったインテリなんだから、警察官みたいなゴロツキとは違うだろう」なんて空しい期待をして検察に訴えても、「そんなものはおまえが勝手に作った話だろう!」と怒鳴りつけられるのがオチだろう。さらに「虚偽告訴罪で起訴するぞ!」と脅迫罪の構成要件に該当し違法・有責な行為をされてしまうことになる。怖い、怖い、怖い、怖い! 第一、検察官は「一流大学を卒業して司法試験という難しい試験に合格したインテリだろう」なんて空しい希望的観測してると、実は違うんだな! 「副検事」てのがいて、これは「一流大学」なんて絶対に出てませんと顔に書いてあるし、司法試験に通って検察官になった「検事」と違って、司法試験に通ってないのになじかは知らねど、検察官になっている、いわば、国営裏口入学みたいなヤカラなんだわ。「副検事」なんてのは、「警察官並み」の程度の低いのがなってるんだわ。顔に書いてあるでしょ。「私は品性下劣、根性が腐っています。向上心もないし、モラルもヘチマもありません」と、顔にはっきり書いてあるでしょ、「副検事」なんてやつの顔には。だいたい、私なんかは、親から「うちは司法試験なんて受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日言われてきたものだが、また、「高校は義務教育とは違います。あんたなんか、高校行くのは余計です。甘ったれなさんな」と毎日言われてきたものだが、なんで、五流大学しか行けないような人間が、あつかましくも、「大学」に行って、司法試験も通ってないのに「副検事」なんて言って検察官になってるんだあ? どう考えてもおかしいと思わないかあ?
↑の西ヶ原交番の写真、クリックすると大きくなるから大きくして見てください。窓には格子が入ってますでしょ。そのくらいなら、雨戸のない窓に格子を入れる家はけっこうありますから、特別でもないかもしれませんが、隣家との境目、鉄条網(有刺鉄線)がはってあるでしょ。私ら、子供の頃、工事中現場に立入禁止なんてことで鉄条網が張ってあるところがあって、それで指を怪我して血を流したことありましたが、最近では工事現場に立入禁止のために鉄線を張ることはあっても鉄条網(有刺鉄線)なんて張りませんでしょ。ところが、交番では隣家との境に張ってるのです。 孔子さんでしたか、「仁こそ人の安宅なり」とおっしゃいまして、仁に基づいた生き方をすることこそ、安全な居宅である、仁義に反する生き方をする者は、どんなに頑丈な要塞を築いても安全ではないのであると教えられた、というのですが、警察を見ると、まさにそうでんなあ~あ、て感じしますね。
そもそも、有刺鉄線なんて、今どき、ホームセンターでも売ってないし、有刺鉄線なんて使うのは大仁田厚か警察くらいのもんでしょ。「警察癇御用達の店」なんてのが特注で作ってるのかもしれませんね・・・・。
で、問題の「御子柴邸」であるが、≪「・・・校庭にプールがあるでしょう、あそこから塀を越えるともう御子柴先生のお屋敷です」≫ということだが、ヤフー地図で見ると、プールは、「滝野川会館前」から駒込の方へ行く本郷通りからも、田端駅の西口の方へ行く道からも遠い側、広い通りから見ると裏手というのか、狭い道にしか接していない側にあるようですが、けっこう道が入り組んでいて行きにくいのだが、適当に小学校から遠ざからないようにと歩いていくと、プールはたしかにあった。↓
≪プールの塀を越えたところというと、小学校時代、浅見はよく塀に上がって先生に叱られたことがあるから、お隣の庭の情景は記憶している。≫という隣家もあるが、まさか、「御子柴」なんて表札は出てないわなあと思って見たが、「御子柴」という表札はなかった。 しかし、である。 御子柴先生という名前は仮名でも、誰か、彫刻家が、そこで「彫刻教室」やってるなんてことは・・・・、まさか、ないよなあ~あ・・・と思って見たところ・・・、なんと↓
↑ あったわ!♪! 「(仮称)彫刻アトリエ館」が(^^♪
「アトリエ館」というだけなら、そこで彫刻の指導がされているのかどうかわからないが、↓なんてのも・・
↑ 「彫刻教室(初級・中級)」
なんと、御子柴さんかどうかはわからないが、滝野川小学校のプールの塀を越えた隣家、本当に「彫刻教室」やってる家があったわ!♪!
で、見たところ、個人名の表札は見つからないが、普通の家みたいな建物なので、写真をここで公開したり、正確な場所を地図で示したりなんてするのはまずいわなあ・・・・と思ったのだけれども、なんと、ヤフー地図にもグーグル地図にも出てるんだわ、「(仮称)彫刻アトリエ館」と。 さらには、インターネットで検索すると、ホームページまであるんだわ! ・・・⇒《北区文化振興財団 (仮称)彫刻アトリエ館》http://www.kitabunka.or.jp/kitaku_info/rlink/work-atorie
ヤフー地図・グーグル地図に場所がはっきり載っていて、ホームページまであるとなると、外観写真だって、別に掲載させてもらっていいだろ・・と判断して、↓
↑ が、「御子柴邸」ではないが、「(仮称)彫刻アトリエ館」。
庭に「妖精」のブロンズ像があるかどうかは、わからん。それは見えなかった。

( ↑ 「旗」マークが、「(仮称)彫刻アトリエ館」 )
ここは、御子柴先生の居宅 兼 アトリエ 兼 彫刻教室 なのか?
《北区文化振興財団 (仮称)彫刻アトリエ館》http://www.kitabunka.or.jp/kitaku_info/rlink/work-atorie によると、御子柴先生ではないが、御子柴先生と同様に「北区名誉区民」だった彫刻家の北村治禮(きたむらはるよし)氏とその父で北区名誉区民だった北村西望(にしも)氏が彫刻研究所を設立して制作活動をした所だそうで、平成13年(2001年)8月に北村治禮氏が亡くなった後、平成14年(2002年)3月に遺族より北区に寄付された、というものだそうです。
内田康夫『北の街物語』は、2015年2月に中央公論新社より「C★ノベルズ」で発行されたそうで、内田康夫の「あとがき」は「2013年夏」と書かれていますから、北区名誉区民で彫刻家だった北村治禮氏は亡くなった後で書かれた小説のようです。
※ 《ウィキペディア―北村治禮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E6%B2%BB%E7%A6%A7
《ウィキペディア―北村西望》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E8%A5%BF%E6%9C%9B
「治禮」は「はるよし」と読むらしい。 北村治禮氏の父親の名前は西が苗字で望が名前で「にし のぞむ」「にし のぞみ」と読むのではなく、「北村 西望」という氏名で「きたむら にしも」と読むらしい。 長崎平和祈念像の作者・・と言うと、ああ、あれの作者か! と思う人は多いのではないか。
《ウィキペディア―平和祈念像》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%A5%88%E5%BF%B5%E5%83%8F
内田康夫『北の街物語』は、「あとがき」によると、≪ ある読者から「余所の土地ばかり書いて、浅見光彦の住む辺りを舞台にした作品がないのはおかしい」という指摘がありました。皆無というわけではなく、『上野谷中殺人事件』や『佐渡伝説殺人事件』『記憶の中の殺人』など、浅見家の近くで起きた事件をきっかけに展開してゆく作品もありますが、確かに浅見家の周辺や浅見光彦の日常の様子を語る内容は少なくないかもしれません。・・・
しかしご指摘があった以上、逃げて(?)ばかりはいられません。そこで書くことになったのが本書『北の街物語』です。・・・・ ≫ ということで書かれた作品らしい。
浅見光彦の住居地、東京都北区西ヶ原 の付近で事件が起きたものとしては、浅見の自宅近くで遺体が遺棄されて浅見光彦が滝野川警察署から犯人扱いされる『佐渡伝説殺人事件』の他に、まさに浅見光彦のホームグランドとも言うべき平塚神社で殺人事件があった『金沢殺人事件』、浅見光彦の母、雪江が染井霊園で人が倒れているのを見て通報したことから始まる『津和野殺人事件』があり、事件のからくりをつかめずにいた浅見光彦が平塚神社の裏の岡で男女が話しているのが聞こえて、犯人に思い当たるという『平家伝説殺人事件』などありますが、それらは、北区西ヶ原の浅見光彦の住居地周辺で事件があったり解決の糸口になることがあったりしても、他の都道府県とも関係があって、題名も「佐渡」「津和野」「金沢」となっていて、北区西ヶ原は、一歩退いた位置にあるのに対し〔ひとつには、「津和野」とか「金沢」とかは昔から「女性に好まれる」とされるブランド地名であり、逆に「西ヶ原」と言っても内田康夫の小説の読者でなければ知らないし(私も、最初、「西が丘」と「西ヶ原」を間違えていたし、「東十条」駅と「上中里」駅の雰囲気が似てるてこともあるけど)、「北区」については東京の北区より大阪の北区の方が大阪駅の付近で中心地であり知られているくらいだし、≪浅見家のある北区は東京二十三区の北部にあるという以外、あまりポピュラーな地域ではありません。有名なのは徳川吉宗の時代に桜の名所になった「飛鳥山」ぐらいのもので、取り上げても全国区で通じるところはごく僅かでしょう。≫(内田康夫『北の街物語「あとがき」』)ということもあったのでしょうけれども〕、『北の街物語』は、北区西ヶ原 が主舞台。 「北の街」とは青森とか北海道とか北陸とかのことではなく、東京都北区のことで、北区西ヶ原 を主舞台とした小説を書こうとしてできたもののようです。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html 、滝野川図書館などに行きます。
(2018.7.17.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 〔今回〕
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 〔今回〕
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 浅見は宮本に、山野稔が名古屋から能登まで旅をした時の同伴者が何者であるか、割り出す作業を急ぐべきだ――と進言した。
「ほう、その女が何か、事件に関係があるのですか?」
宮本は、気乗りがしない口調で言った。
「分かりませんが、とにかく、牛首紬の里にいたのですから、何かの結びつきがあるのかもしれません」
「なるほど、『オンナニ・・・ウシク・・・』ですからな。しかし、それは去年の夏の話ですなあ・・・かなり難しい作業になりそうですなあ」
宮本は渋っている。
「だけど、宮本さん、僕一人で、和倉温泉の加能屋旅館を割り出すことができたのですよ」
浅見は苛立って、きつい声を出した。・・・・ ≫
( 内田康夫『金沢殺人事件』2015.4.20. 祥伝社文庫 ↑)
[20] 滝野川小学校と「御子柴邸」
旧古河庭園の本郷通りを隔てた向かい側に滝野川小学校という区立の小学校があり、内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の浅見光彦がかつて通った小学校で、かつ、作者 内田康夫もかつて通った小学校らしいのだが、その滝野川小学校があり、そして、その滝野川小学校の隣に御子柴先生という彫刻の先生が住んでいて、その御子柴先生の家の庭から「妖精」というブロンズ像が盗まれる・・・という事件が発生したというのが『北の街物語』(2016.8.25.中公文庫)の話である。巻末には≪この作品はフィクションで、実在の人物・団体には一切、関係がありません。≫と書いてあるが、そうはいっても、滝野川小学校は実在する。 もっとも、内田康夫の小説はよく取材して書かれており、そこに登場する場所でも、史跡とか市役所とか駅とか、そういったものは実在するものが書かれており、相当正確に書かれている。登場する人物は、もちろん、架空の人物のはずなのだが、≪一般的にいうと、作品の中に登場する人物は、むろん想像の産物ですが、ぼくはしばしば、取材先で出会った人のイメージを借用しては顰蹙をかっています。≫ と『長崎殺人事件』(2011.10.20.光文社文庫)の「自作解説」に書かれているように、小説の登場人物のような人がどこかにいる場合があるらしい。「人相の悪い男」として登場する刑事というのもモデルはあるのかもしれないが、「人相の悪い男」で性格がねじくれ曲がった刑事というのは、それはどこにでもいるかもしれない。
どこに書いてあったか忘れたが、浅見光彦の身体的特徴のモデルは廣済堂出版の編集部にいた某さんで、身長や体型、それに浅見が最初に登場した『後鳥羽伝説殺人事件』の時の年齢32歳、といったものがその某さんそのままだったそうだが、『歌枕殺人事件』の冒頭で、正月、浅見家の百人一首のカルタ大会で優勝する浅見光彦の姿はそれは若き日の内田康夫がモデルらしい。
※ 《ウィキペディア―内田康夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB
小説に登場する場所の方だが、『風の盆 幻想』(2013.6.15.実業之日本社文庫)は富山県の八尾が主舞台で副舞台が岐阜県の神尾と高山で、冒頭、高山の鍜治橋近くの喫茶店で登場人物が人と会う約束をしていたが会えなかったという場面があり、別の登場人物の勤め先が高山市役所とK病院ということだったので、高山に行った時に、実際にあるかどうか見に行ってみたのだが、高山市役所は当然、実在するし、K病院は『風の盆 幻想』の話からある程度以上の規模の病院のように思えて、イニシャルから考えると、久美愛病院か高山厚生病院かどちらかと思うが、これも実在する。で、喫茶店「ロフト」というのが鍜治橋の近くにあるという話になっているので捜してみたのだが、これはなかった。それを、
● 喫茶店「ロフト」・・・・[第590回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[1]喫茶店「ロスト」を探すー高山シリーズ第5回【1/15】 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
● ラーメン店・・・・[第591回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[2]高山ラーメンー高山シリーズ第5回【2/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
● K病院・・・・[第592回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[3]K病院(高山第5回【3/15】)+高圧電線下を勧める不動産屋》内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[3]K病院(高山第5回【3/15】)+高圧電線下を勧める不動産屋》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
● 高山市役所・・・・[第593回]《内田康夫『風の盆幻想』と巡る高山[4]高山市役所(高山5【4/15】)+銀行建物で見るデザインと立地 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
で述べた。 高山市役所は実在したし、K病院も久美愛病院があった場所は取り壊されて警察署がそこに建つ予定で建築工事がされていたが、別の場所に移転して久美愛病院は実在した。ラーメン屋は高山にはいっぱいあるがどこのことを『風の盆 幻想』の登場人物の「内田康夫」は言っているのかはわからない。で、喫茶店は鍜治橋付近には何軒かあるが「ロフト」はなかった。 本によって、たとえば、『伊香保殺人事件』(1994.6.20.光文社文庫)の巻末には、≪この作品はフィクションであり、文中に登場する人物、団体名は、実在するものとまったく関係ありません。≫の後に≪なお、風景や建造物など、現地の状況と多少異なっている点があることをご了承下さい。 (著者)≫と書いてあるのだが、なるほど、≪風景や建造物など、現地の状況と多少異なっている点があることをご了承下さい。≫というのは、そういうことか、「ロフト」の場合は、あくまで、そこで登場人物が待ち合わせをしていたというだけのことで、そこで人が殺されたとかいうことではないのだけれども、公共施設とか名所・旧跡とか駅とかなら、そこで人が殺されたという話にしても問題は特にないけれども、個人経営の小規模な店の場合、問題があるかもしれないので、そういう場合は架空のものが書かれているということか、と≪現地の状況と多少ことなっている≫例として、「ロフト」がなかったのを見て思ったのでした。
で、『北の街物語』(2016.8.25.中公文庫)に登場する滝野川小学校 というのを見てこようと考えた。それとともに、
≪「御子柴先生のお宅はどちらですか」
「西ヶ原一丁目、そうそう浅見さんの母校でもある滝野川小学校のすぐ隣ですよ。校庭にプールがあるでしょう、あそこから塀を越えるともう御子柴先生のお屋敷です」
滝野川小学校というのは北区でも歴史のある学校で、何年か前に創立百二十周年の祝賀会が行われた。
かつて江戸から日光へ行く大名行列が通った「日光御成道(おなりみち)」というのがあるが、校門はその街道に面している。坂を挟んで反対側の「旧古川庭園」は、旧財閥の古河家が所有していた邸宅がある庭園で、現在はバラの名所通ったとして有名だ。
プールの塀を越えたところというと、小学校時代、浅見はよく塀に上がって先生に叱られたことがあるから、お隣の庭の情景は記憶している。柿の木が枝を張っていて、手を伸ばすと取れた。ただし強烈な渋柿で、一度で懲りて二度と手を出さなくなった。
「ああ、あのお宅ですか」・・・・ ≫
と書かれている「彫刻の先生」という御子柴先生のお宅 というのが≪プールの塀を越えたところ≫にあるかというと、高山市の鍜治橋近くの喫茶店「ロフト」がなかったように、さすがにそれはないだろうと思って、ないのを確認してこようかと思って行ってみたのだ。
東京都北区立滝野川小学校 は実在する。ホームページもある。〔⇒https://www.city.kita.tokyo.jp/gakkoshien/kosodate/shogakko/gakkojoho/kuritsu/takinogawa/index.html 〕
≪ かつて江戸から日光へ行く大名行列が通った「日光御成道(おなりみち)」というのがあるが、校門はその街道に面している。 ≫(内田康夫『北の街物語』)という「校門」が↓
↑ 左の壁面と左下の壁面にプレートがついていて、上のプレートには「東京都北区立滝野川小学校」、下の方のプレートには「北区立滝野川小学校」と書かれている。
↑ クリックすると大きくなるのでクリックして見てください。警察署が作った標語、「いかのおすし」としたつもりらしいが、「お声を出す」てのは、ちと苦しい。 警察が作っただけあって、今一つ、センスがよくない。
( ↑「旗」マークが、滝野川小学校の「校門」 )
≪ 坂を挟んで反対側の「旧古川庭園」は、旧財閥の古河家が所有していた邸宅がある庭園で、現在はバラの名所通ったとして有名だ。 ≫(『北の街物語』) と出ている「旧古河邸」が、たしかに、向かいに見える。↓
滝野川小学校というのは、なぜか、道路に面している部分が少ない。 「滝野川会館前」交差点で、滝野川警察署・花と森の東京病院・平塚神社の前から来た本郷通りが、駒込から東大農学部の前の方に行く道と田端駅の西側に行く道とに分かれ、その2つの道に挟まれた位置に滝野川小学校はあるのだが、どういう経緯なのか、どちらの方の道にも道に接している部分はわずかで、それ以外は別の建物が建っている。
「滝野川会館前」交差点から田端駅の西口の方に行く道の方にも、「通用門」があるようだが、閉鎖されている。↓
( ↑「旗」マークが、滝野川小学校の「通用門」。 閉鎖中。)
「防犯カメラ稼働中」なんて書いてあるから、撮影しているこちらも撮影されているということなのだろう。怖い、怖い!!! そのうち、「人相の悪い男」とかがどこやらから寄って来て「ちょっと、いいですか」とか言ってくるかもしれん。お~、こわあ~あ!!!
≪ 警官は真っ直ぐ浅見に向かってきて、「ちょっとあんた」と言った。
「すみませんが、ちょっといいですか?」
一応、丁寧な口をきいているが、明らかに不審尋問である。
「ええ、どうぞ」
「ここではなんやし、ちょっと交番まで同行してもらいたいんやけど」
警察が頻発する「ちょっと」は便利な言葉だ。強要するようで、そうでもなく、時間的な長さや、拘束するのかしないのかも至極、あいまいなのである。
いずれにしても、抵抗すれば、公務執行妨害なんてことになりかねない。・・・・ ≫
( 内田康夫『砂冥宮』2011.10.15.実業之日本社文庫 )
≪ 尾行されている気配は感じなかったのだが、おそらく無線で連絡を取り合っているのだろう。駅前商店街に入ったとたん、左右からスッと、挟みつけるように、二人の男が寄ってきた。
二人はまるで親しい知人にでも話しかけるように、さり気なく手帳を見せて、「浅見さんですね?」と言った。
「ちょっと署まで同行願えませんか」
一応、願望を表明しているけれど、その言葉には強制力がある。 ≫
( 内田康夫『薔薇の殺人』1994.10.25.角川文庫 )
お~、こわあ~あ!!!
道に面した建物の間から校舎の建物は見えるのだが↑、校舎の建物が見えるわりに学校は道に面した部分が少ない。
で。その「人相の悪い男」の出張所、こわ~いのんのいる所というのが、滝野川小学校の近くにもある。↓
↑ 滝野川警察署 西ヶ原交番 http://www.police-map.com/tokyo/takinogawa-4.html
「滝野川小学校前交番」とか「旧古河庭園前交番」とかではなく、「西ヶ原交番」らしい。
「君子、危うきに近寄らず」と言うから、そういうこわ~いのんのいる所には、特に必要もない限り、「善良な市民」は近寄らない方がよろし。
↑昔ながらの「公衆便所的外観の交番」である。 本当は正面から撮影したかったのだが、こわ~いのん がいるから、正面から撮影して、「ちょっといいですか」とか言われても嫌なので、この角度になった。 「ちょっといいですか」なんて言われても、よくねえんだよ。市民の敵を相手にしたくないんだよ。
いつも、思うのだが、なんで、「KOBAN」なのだろうね。英語圏の外国人にわかるようにということなら、「POLICE」とか「PLICE STATION」とか書けばいいし、日本に長くいて日本語は日本人なみに話せるが漢字・ひらがな・カタカナとも読めないというフィリピーナのおばさんのためということなら、
「 _
KOBAN 」 と O の上にバーをつけるか、さもかくば、「KOUBAN」とするかするべきで、
「KOBAN」では、「猫に小判」の「小判」だと思うのだ。
まあ、「警察官の日本語」なんてそんなもんでっしゃろ、そんなもん・・・てところなのかもしれないし、逆らうと怖いから、まあ、逆らわずに遠巻きにして黙ってよ・・・。なにしろ、こわいからな、何しよるやらわからんからな、ほんまに・・・・・。 特に、「警察官に・・・ということをされました」と警察署に行って訴えても、「警察官はそんなことしません」と居直られるのがオチだし、むしろ、そういうことをすると、「ちょっといいですか」と言われて奥に引っ張られていく・・なんてなると、これはもう、ヤクザ事務所に単身乗り込むよりもなお怖い。
検察官なんてのは警察官と違って「一流大学を卒業して司法試験という難しい試験に通ったインテリなんだから、警察官みたいなゴロツキとは違うだろう」なんて空しい期待をして検察に訴えても、「そんなものはおまえが勝手に作った話だろう!」と怒鳴りつけられるのがオチだろう。さらに「虚偽告訴罪で起訴するぞ!」と脅迫罪の構成要件に該当し違法・有責な行為をされてしまうことになる。怖い、怖い、怖い、怖い! 第一、検察官は「一流大学を卒業して司法試験という難しい試験に合格したインテリだろう」なんて空しい希望的観測してると、実は違うんだな! 「副検事」てのがいて、これは「一流大学」なんて絶対に出てませんと顔に書いてあるし、司法試験に通って検察官になった「検事」と違って、司法試験に通ってないのになじかは知らねど、検察官になっている、いわば、国営裏口入学みたいなヤカラなんだわ。「副検事」なんてのは、「警察官並み」の程度の低いのがなってるんだわ。顔に書いてあるでしょ。「私は品性下劣、根性が腐っています。向上心もないし、モラルもヘチマもありません」と、顔にはっきり書いてあるでしょ、「副検事」なんてやつの顔には。だいたい、私なんかは、親から「うちは司法試験なんて受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日言われてきたものだが、また、「高校は義務教育とは違います。あんたなんか、高校行くのは余計です。甘ったれなさんな」と毎日言われてきたものだが、なんで、五流大学しか行けないような人間が、あつかましくも、「大学」に行って、司法試験も通ってないのに「副検事」なんて言って検察官になってるんだあ? どう考えてもおかしいと思わないかあ?
↑の西ヶ原交番の写真、クリックすると大きくなるから大きくして見てください。窓には格子が入ってますでしょ。そのくらいなら、雨戸のない窓に格子を入れる家はけっこうありますから、特別でもないかもしれませんが、隣家との境目、鉄条網(有刺鉄線)がはってあるでしょ。私ら、子供の頃、工事中現場に立入禁止なんてことで鉄条網が張ってあるところがあって、それで指を怪我して血を流したことありましたが、最近では工事現場に立入禁止のために鉄線を張ることはあっても鉄条網(有刺鉄線)なんて張りませんでしょ。ところが、交番では隣家との境に張ってるのです。 孔子さんでしたか、「仁こそ人の安宅なり」とおっしゃいまして、仁に基づいた生き方をすることこそ、安全な居宅である、仁義に反する生き方をする者は、どんなに頑丈な要塞を築いても安全ではないのであると教えられた、というのですが、警察を見ると、まさにそうでんなあ~あ、て感じしますね。
そもそも、有刺鉄線なんて、今どき、ホームセンターでも売ってないし、有刺鉄線なんて使うのは大仁田厚か警察くらいのもんでしょ。「警察癇御用達の店」なんてのが特注で作ってるのかもしれませんね・・・・。
で、問題の「御子柴邸」であるが、≪「・・・校庭にプールがあるでしょう、あそこから塀を越えるともう御子柴先生のお屋敷です」≫ということだが、ヤフー地図で見ると、プールは、「滝野川会館前」から駒込の方へ行く本郷通りからも、田端駅の西口の方へ行く道からも遠い側、広い通りから見ると裏手というのか、狭い道にしか接していない側にあるようですが、けっこう道が入り組んでいて行きにくいのだが、適当に小学校から遠ざからないようにと歩いていくと、プールはたしかにあった。↓
≪プールの塀を越えたところというと、小学校時代、浅見はよく塀に上がって先生に叱られたことがあるから、お隣の庭の情景は記憶している。≫という隣家もあるが、まさか、「御子柴」なんて表札は出てないわなあと思って見たが、「御子柴」という表札はなかった。 しかし、である。 御子柴先生という名前は仮名でも、誰か、彫刻家が、そこで「彫刻教室」やってるなんてことは・・・・、まさか、ないよなあ~あ・・・と思って見たところ・・・、なんと↓
↑ あったわ!♪! 「(仮称)彫刻アトリエ館」が(^^♪
「アトリエ館」というだけなら、そこで彫刻の指導がされているのかどうかわからないが、↓なんてのも・・
↑ 「彫刻教室(初級・中級)」
なんと、御子柴さんかどうかはわからないが、滝野川小学校のプールの塀を越えた隣家、本当に「彫刻教室」やってる家があったわ!♪!
で、見たところ、個人名の表札は見つからないが、普通の家みたいな建物なので、写真をここで公開したり、正確な場所を地図で示したりなんてするのはまずいわなあ・・・・と思ったのだけれども、なんと、ヤフー地図にもグーグル地図にも出てるんだわ、「(仮称)彫刻アトリエ館」と。 さらには、インターネットで検索すると、ホームページまであるんだわ! ・・・⇒《北区文化振興財団 (仮称)彫刻アトリエ館》http://www.kitabunka.or.jp/kitaku_info/rlink/work-atorie
ヤフー地図・グーグル地図に場所がはっきり載っていて、ホームページまであるとなると、外観写真だって、別に掲載させてもらっていいだろ・・と判断して、↓
↑ が、「御子柴邸」ではないが、「(仮称)彫刻アトリエ館」。
庭に「妖精」のブロンズ像があるかどうかは、わからん。それは見えなかった。
( ↑ 「旗」マークが、「(仮称)彫刻アトリエ館」 )
ここは、御子柴先生の居宅 兼 アトリエ 兼 彫刻教室 なのか?
《北区文化振興財団 (仮称)彫刻アトリエ館》http://www.kitabunka.or.jp/kitaku_info/rlink/work-atorie によると、御子柴先生ではないが、御子柴先生と同様に「北区名誉区民」だった彫刻家の北村治禮(きたむらはるよし)氏とその父で北区名誉区民だった北村西望(にしも)氏が彫刻研究所を設立して制作活動をした所だそうで、平成13年(2001年)8月に北村治禮氏が亡くなった後、平成14年(2002年)3月に遺族より北区に寄付された、というものだそうです。
内田康夫『北の街物語』は、2015年2月に中央公論新社より「C★ノベルズ」で発行されたそうで、内田康夫の「あとがき」は「2013年夏」と書かれていますから、北区名誉区民で彫刻家だった北村治禮氏は亡くなった後で書かれた小説のようです。
※ 《ウィキペディア―北村治禮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E6%B2%BB%E7%A6%A7
《ウィキペディア―北村西望》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E8%A5%BF%E6%9C%9B
「治禮」は「はるよし」と読むらしい。 北村治禮氏の父親の名前は西が苗字で望が名前で「にし のぞむ」「にし のぞみ」と読むのではなく、「北村 西望」という氏名で「きたむら にしも」と読むらしい。 長崎平和祈念像の作者・・と言うと、ああ、あれの作者か! と思う人は多いのではないか。
《ウィキペディア―平和祈念像》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%A5%88%E5%BF%B5%E5%83%8F
内田康夫『北の街物語』は、「あとがき」によると、≪ ある読者から「余所の土地ばかり書いて、浅見光彦の住む辺りを舞台にした作品がないのはおかしい」という指摘がありました。皆無というわけではなく、『上野谷中殺人事件』や『佐渡伝説殺人事件』『記憶の中の殺人』など、浅見家の近くで起きた事件をきっかけに展開してゆく作品もありますが、確かに浅見家の周辺や浅見光彦の日常の様子を語る内容は少なくないかもしれません。・・・
しかしご指摘があった以上、逃げて(?)ばかりはいられません。そこで書くことになったのが本書『北の街物語』です。・・・・ ≫ ということで書かれた作品らしい。
浅見光彦の住居地、東京都北区西ヶ原 の付近で事件が起きたものとしては、浅見の自宅近くで遺体が遺棄されて浅見光彦が滝野川警察署から犯人扱いされる『佐渡伝説殺人事件』の他に、まさに浅見光彦のホームグランドとも言うべき平塚神社で殺人事件があった『金沢殺人事件』、浅見光彦の母、雪江が染井霊園で人が倒れているのを見て通報したことから始まる『津和野殺人事件』があり、事件のからくりをつかめずにいた浅見光彦が平塚神社の裏の岡で男女が話しているのが聞こえて、犯人に思い当たるという『平家伝説殺人事件』などありますが、それらは、北区西ヶ原の浅見光彦の住居地周辺で事件があったり解決の糸口になることがあったりしても、他の都道府県とも関係があって、題名も「佐渡」「津和野」「金沢」となっていて、北区西ヶ原は、一歩退いた位置にあるのに対し〔ひとつには、「津和野」とか「金沢」とかは昔から「女性に好まれる」とされるブランド地名であり、逆に「西ヶ原」と言っても内田康夫の小説の読者でなければ知らないし(私も、最初、「西が丘」と「西ヶ原」を間違えていたし、「東十条」駅と「上中里」駅の雰囲気が似てるてこともあるけど)、「北区」については東京の北区より大阪の北区の方が大阪駅の付近で中心地であり知られているくらいだし、≪浅見家のある北区は東京二十三区の北部にあるという以外、あまりポピュラーな地域ではありません。有名なのは徳川吉宗の時代に桜の名所になった「飛鳥山」ぐらいのもので、取り上げても全国区で通じるところはごく僅かでしょう。≫(内田康夫『北の街物語「あとがき」』)ということもあったのでしょうけれども〕、『北の街物語』は、北区西ヶ原 が主舞台。 「北の街」とは青森とか北海道とか北陸とかのことではなく、東京都北区のことで、北区西ヶ原 を主舞台とした小説を書こうとしてできたもののようです。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html 、滝野川図書館などに行きます。
(2018.7.17.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 〔今回〕
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 〔今回〕
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 浅見は宮本に、山野稔が名古屋から能登まで旅をした時の同伴者が何者であるか、割り出す作業を急ぐべきだ――と進言した。
「ほう、その女が何か、事件に関係があるのですか?」
宮本は、気乗りがしない口調で言った。
「分かりませんが、とにかく、牛首紬の里にいたのですから、何かの結びつきがあるのかもしれません」
「なるほど、『オンナニ・・・ウシク・・・』ですからな。しかし、それは去年の夏の話ですなあ・・・かなり難しい作業になりそうですなあ」
宮本は渋っている。
「だけど、宮本さん、僕一人で、和倉温泉の加能屋旅館を割り出すことができたのですよ」
浅見は苛立って、きつい声を出した。・・・・ ≫
( 内田康夫『金沢殺人事件』2015.4.20. 祥伝社文庫 ↑)
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