上中里駅、手摺のありよう。尾久操車場・田端機関区、。サウナと銭湯―平塚神社と浅見光彦【15/15】
[第627回]
JR京浜東北線の線路より南西側と北東側の間が崖のようになっていて地盤面に大きく違いがある。地形としては、これより高い側が「山手」で低い側が「下町」ということになるのだろう。最近では、江東区・墨田区・江戸川区あたりを「下町」と言い、又、「下町」と呼ぶのがふさわしいような雰囲気の街があるが、何新聞だったか新聞の特集で読んだのだが、もともと、江戸時代に「下町」と言ったのは、銀座、日本橋、京橋といったあたりで、本郷・小石川・青山などが「山手」で、江戸時代においては、「下町」の方があか抜けた地域で、「山手」はいなかくさいあか抜けない地域だったそうだ。 地形としては、日暮里のあたりから京浜東北線にそって、東側から見ると、崖のようになっていて地盤面がはっきりと違うのが見えるというのだ。 「上中里」駅付近もその延長上で高さが違うようだ。
上中里駅は、高い側に改札があって、そこから階段で降りた所にプラットホームがある。高い側は↓
( ↑ JR京浜東北線「上中里」駅。 高い側。 )
( ↑ 上中里駅前公衆トイレ と 上中里駅前ロータリー。 )
駅の改札口と同じ高さに京浜東北線の線路を越える陸橋があり、この陸橋を渡ると京浜東北線の北東側に行くことができる。 東北・上越新幹線の線路はこの陸橋よりさらに高い位置を走っているので、陸橋は京浜東北線をまたぐというのか超えるというのかだが、新幹線に対しては新幹線の高架をくぐるようになる。
そして、駅の北東側だが、線路を越えた所から階段とエレベーターがあって、階段で降りると2階分くらいあるかと思うくらい降りることになる。
↑ 上中里駅の北東側の階段。

↑の写真に写っている「波側」の階段手摺だが、ここで初めて見た。 最近、手摺も品質改善されてきたのか、背の高い人も背の低い人や子供も手摺を掴みやすいように、手摺を2段につけている階段を見ることがある。 なかなか、親切だと思う。 電車の吊皮も、長い吊皮と短い吊皮を交互に設けた電車を見ることがあるが、吊革の場合は、背の高い人が輪の部分を持ちにくいということなら、輪よりも上の「紐」の部分を掴めばいいことだから、交互につけなくてもいいかとも思うのだが、階段手摺は2段にあると、たしかに背の高い人も低い人や子供もつかめて便利だろう。 ここでは、波型になった手摺がついている。
波型手摺の長所が書かれた説明書きもあった。↓
↑ たしかに、上りでは、垂直に近い方を持ち、下りでは地面に平行に近い側を持てば体を支えやすいと思われる。これはなかなかの智恵ではないかとも思えた。 但し、はっきりと体を支える必要がある人にとってはこの波型はいいだろうけれども、常に手摺で体を支えるのではなく「そえる」程度に手摺があればいいという人にとっては、波型手摺だと、階段を移動しながら手をそえるにはそえにくいのではないか。 こちらがよければあちらはよくない、というのか、難しいところである。
戸建住宅建築業の会社に勤めてきて、玄関の框の部分の壁に手摺を設置しようという方がけっこう多いのだが、その場合、片側に下駄箱があると、手摺を設けるのは下駄箱と逆側、下駄箱は下から上までのものを全面につけると収納量も多くなるが、腰と胸の間くらいの高さまでのものにしておくと、下駄箱の上に、花瓶を置くとか、お気に入りの置物を設置するとかできるとともに、手摺かわりにもなる。 下駄箱と逆側に丸棒の手摺を設置する場合だが、はたして、縦の棒を設置するのが適しているのか、横の棒を設置するのが適しているのか、という問題があるのだ。 私は横棒が普通だと思っていたのだが、住宅雑誌を読むと、框の部分で靴を履くのに体を上下させるのでそれに合わせて高い位置から低い位置まで掴めるように縦棒が好ましい、と書いたものがあった。そういうことがあるか・・・・とも思ったのだが、しかし、体重が下方向にかかる際、縦棒よりも横棒の方が掴んだ時にやっぱり支えやすいのではないか。↑の波型手摺だと、下りの時、地面に平行に近い部分を掴んだ方が垂直に近い部分を掴むより体を支えやすいように、横棒の方が体重を支えやすいのではないか。どこのおえらい方が書かれたのか知らんが、私は横棒の方がいいと思ったのだ。
部材メーカーのカタログを見ていると、そこで折衷型というのか、L型手摺なんて商品も出ていたのだ。 住宅建築業の会社でも、カタログにL型手摺をお勧めみたいに載せるメーカーがあると思う。 縦棒の良さと横棒の良さの両方を発揮できるようにというのが、L型手摺らしい。 しかし、L型手摺を採用するとすると、L型の縦の部分はどの位置に設置するのか? 框の位置に縦の部分を設置するのなら、横の部分は框よりもどちら側につけるのか? 横の棒が框の両側にあるように設置するのなら縦の棒は框の上側(床側)になるようにつけるのか、框の下側(三和土の側)につけるのか? そういったことを考えると、L型ってあんまり意味ないのじゃないか。横棒でいいてことないか・・なんて思ったりもしたのだ。
階段の手摺の場合は、(波型でなければ)階段の勾配に合わせて斜めにつけるのだが、玄関の框の部分につけるのは、そこで靴を履いたり脱いだりする時のためなので、上から下にかかる体重を支えるためのものなので、斜めよりも地面に平行の方がいいのではないか。
もうひとつ。玄関の壁に手摺を設けるのは、何のためなのかという問題もある。 そんなの、体が弱ってきた高齢者の体を支えるために決まってるでしょ・・・とか言う人がいるかもしれないが、そうでもないのだ。 せっかく、新しく家を建てたとする。 家族は汚さないように、壁のクロスに手をついたりしない。クロス張りの壁ではなく木の壁でも何の壁でも、べえたあ~っと手形をつけることにならないようにと、家族は気をつける・・・・・が、ところが、親戚のじいさんでも来ると、玄関の框を上がる時、降りる時、もしも、体を支えるのにどこかに片手をつきたいのなら、横長の下駄箱を片側につけて下駄箱の上を手摺かわりにできるようにしているのだから、そちらに手をついてくれればいいだろう・・・・と思っていても、ところがどっこい、年寄というのはプライドが高くて自分を年寄と認めたくないというじいさんがけっこういるわけで、横長の下駄箱の上に手をつけるようにそちら側で靴を脱いだり履いたりするというのは「プライドが許さん」という人がいるわけだ。で、そのプライドを守るために、あえて、下駄箱がない側、横は壁の側で靴を脱いだり履いたりしようとするのだが、そうなるとどうなるかというと、壁に手をつくことになるのだ。 壁に手をつくと、白系統のクロスだとそのうち黒くなってくる。「手をつかないで」と言っても、「わかった、わかった」と言ってちっともわかってないじゃないか・・・・という年寄がけっこういるわけだ。
だから、玄関手摺を設置したいという人には、自分自身がその手摺を使うこともないわけではないけれども、それよりも、親戚のじいさんとか、言ってもきかない年寄に壁に手をつかれないようにするために手摺を設置したいという施主がけっこういるのだ。 2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)で自称「工事責任者」になっていたがそのわりに工事現場を見に行かない、工事の状況に責任を持たない植草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん!」と大きな声で何度も何度も言っていたのだが、私は実際にこういうことを営業の仕事をやって、施主から聞かせてもらって学んだのだ。実際に営業の仕事をやって自分が担当のお施主様を持ってそのお施主様から建築前、打合せの段階で話を聞かせてもらう経験、工事完了後、実際にその家に住んでみてどうだったかという話を聞かせてもらう経験なしに、「やったことないですけど、で~きますもお~ん」と無神経な文句を叫んでいるブタ肉マンにわかるか?・・・というと、わからんと思うぞ。
で、「やったことないですけど、で~きますもお~ん」と勝手に思っているようなあつかましい男(もしくは女)には、「そんなの、壁に手をつかれたくないなら、そう言えばいいでしょ」とか言うヤツがいるのだ。それなら、そう言ってみればあ~あ・・・・と思う。じいさんは言ってもきかんのだわ。また、相手によっては言いにくい相手もあるし。 そういう時に、壁に手をつこうとすると、そこに手摺があると、壁に手をつくのではなく手摺に手をつくようになるわけだ。 となると、手摺は縦棒だとある1箇所に上下にあるだけになるが、横棒だとけっこう広い範囲にあることになる。 そう考えると、框の部分の壁面につける手摺は縦棒よりも横棒がいいのではないかと思う。 ・・・しかし、敵もさるもの・・・というのか、たとえ、手摺があってもそれでも壁に手をつこうとするじいさんがおったりもするのだが・・・・、そういう場合を考えると、壁はクロスよりも木の板にした方がいいという考え方もある。木でも始終手をついていると影響は出るだろうけれどもクロスよりは影響は小さいのではないか。いっそ、壁面にタイルでも貼ったるか・・・といっても、和風の家の玄関の壁面にタイルはいまひとつ合わないのではないか。 妥当なところ、白系統のクロスの前に木製の横棒の手摺があれば、普通は壁に手をつかずに手摺をつかむだろうから、そのあたりにしておくか・・・・、というところか。
2000年頃のことだが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいた時だが、佐野営業所(展示場)にいた設計担当に、(株)一条工務店の本社の第一設計部からファックスが来ていて、「課題」として、「客を唸らせるるトーク」を考えてファックスで送れなどと書いてきていた。あきれた。まがりなりにも、「設計」ならば、考えるべきは「客をうならせる図面」であって、「客をうならせるトーク」ではないだろうが。(株)一条工務店の第一設計部は、客をあきれさせるヘボ図面を「客をうならせるトーク」でケムに巻いてごまかしてやろうとするヘボ設計をわざわざ育成しようとしているのか? (株)一条工務店の第一設計部の若造の考えることはどう考えてもちょっと変だ。住宅建築業の会社に勤めると、「地方」に行くと「大工さま」の評価が高く、都市部では「設計」(時として、 ″設計士さん″)の評価が高いのだが、その「設計士さん」とやらいう私立五流大学でてきたばっかりの若造、そういう「客をうならせるトーク」でごかましてやろうなんて根性してるようなやつに、↑で述べたようなことがわかるかというと、わからんと思うぞ。
東京都中央区に本社がある設計会社のフリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ は、営業と設計が分かれておらず、「営業 兼 設計」もしくは「設計 兼 営業」として仕事をしていた。(株)一条工務店の第一設計部の人間など見て、人にもよるとしても、一般に「設計」の人間というのは、「捕手」としての営業が苦労してリードしてやっと「打者をうちとれる」(客が納得する)図面を作れる人間であり、営業は「捕手」としての役割を果たさないといけないものであったが、「営業 兼 設計」として仕事をしてきた者ならば、「投手」の能力だけでなく「捕手」の能力も持ち合わせているのではないかといくらか期待したが、2015年、同社に勤めてみたわかったが、やっぱり、自分を「投手」(設計)だと思ってる者・・・ならまだしも、私立五流大学の建築学科とかカネさえあれば誰でも入れる建築の専門学校とか出て来てそれで自分を「設計士さま」だとか思っているようなヤカラというのは、「投手兼捕手」(設計兼営業)の仕事についても、「捕手」(営業)の能力は身に着かないものだとわかった。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士さま」というのは、「投手 兼 捕手」「捕手の能力もある投手」ではなく「捕手のいない投手」みたいなもの。 2017年、インターネットのニュースを見ていたら、中日の建山という捕手が若手の投手の小笠原投手だったかが、捕手のサインを無視して投手の好き放題投げまくる、9回までの投球の組み立てを考えずに自分が投げている回さえ押さえられればいいというピッチングをするというので、マウンドに行って怒って「おまえ、いったい、何やってんの。そんなことなら一人で全部やれよ」と言ったと出ていたが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士さま」というできそこないを見て、この人達は、「投手 兼 捕手」ではなく「捕手のいない投手」、「おまえ、いったい、何やってんの」と怒ってくれる捕手がいない投手なんだなとわかった。もちろん、人によっても違いはいくらかあるとは思うけれども。私立五流大学の建築学科とか誰でも入れる建築の専門学校とかを「卒業」してそれで「設計士さま」になったみたいに思ってるようなヤカラというのは、建築の授業で教えられたこと、建築の本に書いてあること、「設計」と称する先輩の言うことは聞いて学んでも、お客様から学ぼうとしない。営業がそれを教えてあげようとしても、建築の本や「設計課」の先輩社員の言うことは聞いても営業の言うことは聞いてはならないと信念もってるので学べない。「設計」がエライと思っている人というのが都市部においてはけっこういるが、そういうヤカラは↑のようなことなんて、知らないと思うぞ。建築の本に「玄関手摺は縦棒の方がいい」と書いてあったら本に書いてある以上はそうだ、「いっきゅうけんちくしい」と名のる人が本に書いている以上はそうだと信仰して「客をうならせるトーク」として話すだろう。
さて、上中里駅の北東側で階段もしくはエレベーターで地上まで降りると、平塚神社などがある側がずいぶん高い位置にあることがわかる。 下側は、そこから平塚神社などと逆方向に進むと東北本線や尾久操車場にぶつかる。 いわば、東北本線と京浜東北線に囲まれた場所である。 線路と線路に囲まれた場所なんて、あんまりいい場所じゃないのじゃないか・・・なんて思うかもしれないが、行ってみると、決して雰囲気は悪くない。人間にはその場所との相性みたいなものもあるのかもしれないが、私とは相性は悪くなさそうな場所である。
で、京浜東北線の線路と垂直方向に道を進んでいくと、尾久操車場というのか田端機関区というのかにぶつかる。↓
( ↑ 向こう側、走っている電車が、東北本線か高崎線の快速のようだ。 )
↑ この何本も線路が並んでいる「操車場」の北東側に東北本線の「尾久(おぐ)」駅があるはずだ。 「尾久操車場」「田端機関区」という名称だが、どこからどこまでを指すのか。 地図を見ると、東北本線の「尾久」駅の西側にくっついている部分と、京浜東北線の「田端」駅の東側にくっついている部分があり、その2つの間をつなぐ線路もあるようなのだが、この2つをまとめて呼ぶのか、それとも、それぞれに名称があるのか。 インターネットで検索してみても、どうも、明確に述べられたものが見つからない。
私は子供の頃、電車が好きな子供だった。 だから、大人になってからも、電車は嫌いではない。しかし。インターネットで検索すると、「田端機関区」というものを、いろいろな電車・電気機関車が見れて楽しい・・・・という調子で書いておられるものを見るが、そういう書き方は、ちょっとどんなものかと思ってみたりもするのだ。
雁屋哲 原作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』で、「究極のメニュー」「至高のメニュー」の一行がオーストラリアのシドニーに行った際に、オーストラリア人の通訳の女性、日本人と変わらないくらい日本語を話せるように日本語を学んだくらいもともと日本好きだった女性が、日本人はシドニーに観光に来て、シドニーオペラハウスの前などで記念写真を撮ってはしゃいでいるけれども、そこに観光に来る日本人は、そのシドニー湾には第二次世界大戦の時、日本の潜水艦がそこまで来てシドニー市街に向けて攻撃をして、シドニーの市民はその時は大変恐ろしかった・・といったことを少しも考えていない、第二次世界大戦の時にはオーストラリアは連合国の側で参戦していたのであり、連合国は日本を攻撃したのだから、日本が連合国を攻撃したとしてもそれはしかたがないとしても、日本は他の国と比較しても捕虜をほとんど生きて返さななかったという点をオーストラリア人は怒っているという、そういうことをオーストラリアに来る日本人は少しも考えない、と話す場面があった。観光に行って悪いということはないが、そういうことをまったく考えないという姿勢はどうかといったことが指摘される。 姪や甥がサイパンに観光に行った時、母は、サイパンなんて、よく観光に行く気持ちになるねえと言うのだったが、戦争中、そこで何があったかということを考えると、観光に行く気持ちにならないというのだ。
ところで。 「田端機関区」というと、それは、下山事件の時、常磐線の 北千住―綾瀬 間、東武の小菅―五反野 間の線路が常磐線を越える付近の北千住側のあたりだったはずだが、国鉄の下山総裁の遺体が線路に横たえられて機関車とその機関車が引っ張る貨物車に轢断された、その機関車と貨物が出発したのが「田端機関区」だったはずだ。 それが出発したのは、東北本線の西側にくっついた側か京浜東北線の東側にくっついた側なのか。 ともかく、「田端機関区」だったはずなのだ。 「大人になっても電車好き」というのは悪いということはないけれども、しかし、「田端機関区」と聞いて、「電車がいっぱい♪」とは考えても、下山事件の下山総裁を轢断した機関車が出発した「田端機関区」という認識がまったくない人というのは、大人としていかがなものかと思うのだが、どうだろうか・・・・。
下山事件の時の「鑑定」もまた考えさせられる。 最初、東大医学部の鑑定人は「死後轢断」、機関車にひかれた時点で、下山総裁はすでに死亡していたと「鑑定」。後に慶應大医学部の鑑定人は「生体轢断」、機関車にひかれた時点では下山総裁は生きていた、という「鑑定」をした。 後の慶應大医学部の「鑑定」は、下山総裁は、GHQの関係者を含む何人かによって殺された上で常磐線の線路に横たえられたという考え方を否定し、下山総裁は鉄道の線路に自ら横たわって自殺したのだという結論を導くためのものであったのに対し、最初の東大医学部の「鑑定」は、GHQの関係者を含む者たちによって下山総裁は殺されたのだという結論を支持するためのものではなく、そうではなく、共産党や労働組合左派の人間によって下山総裁は殺された、ということにするための「鑑定」だった可能性が高いと思われた。 だから、東大医学部の鑑定人も慶應大医学部の鑑定人もいずれも、純粋に医学上の「鑑定」をおこなったのではなかったようだ・・・・。 「田端機関区」と聞くと、下山事件とその際の「鑑定」の怪しさというものを思い浮かべる。「電車がいっぱい♪」なんて、そんなことばっかり思い浮かべる、そんなことしか考えないようでは、やっぱり、大人として日本人として情けないのではないか。
上中里駅の京浜東北線の北東側から尾久操車場までの道沿いに銭湯があった。「大黒湯」と言うらしい。

実は私はけっこう銭湯というのが好きなのだ。 1980年代、大学生だった時、毎日、銭湯に入りに行ったものだ。 休み、父の勤め先の工場に「アルバイトに行くことに、決めてきた!」などと言って父が「決めてきた」にしてしまい、行ったことがあったのだが、その際、工場長になっていた父の部下だったMさんが、「あんた、どのくらいの家賃のところに住んどんねん?」と言うので、「月1万2千円です」と正直に言ったところ、「嘘つくな!」とMさんは言うのだったが、嘘なんてついてないのに、なんで、「嘘つくな!」なんて言われなきゃならんのだ? と思ったのだが、Mさんは「そんなもん、東京で住むのに月1万2千円なんてそんなものあるわけないだろうが。うちの息子、同志社に行っとるんやが、うちの息子でも、住んでるの東京やのうて京都やけれども、それでも、家賃月6万5千円やで。東京の大学に行って、家賃が月1万2千円やなんて、ええかげんなこと言うな! 嘘ついてもわかるんやからな」と言うのだが、私は嘘なんてついてないし、川崎市幸区で本当に月1万2千円のアパートに住んでいたのだ。 Mさんは「あんたなんか、当然、風呂付の所に住んどんねやろ」と言うのだが、私が住んでいたのは、6帖の畳の部屋に1帖分の板張りのスペースにシンクとプロパンガスでのコンロがあって、それと1帖分の押入れがあって、トイレは共用、風呂は近くの銭湯を利用し、洗濯は銭湯の横にあるコインランドリーの洗濯機と乾燥機を使っていた。「風呂付」なんてとんでもない。しかし、Mさんは「同志社に行ってるうちの息子でも、風呂付の所に住んどるで。『風呂付の所でないと嫌じゃい』言いよるねん」と言うのだったが、そんな所に住むから月6万5千円もするのだ。 それに、Mさんは、「東京で住むのに月1万2千円なんてそんなとこ、あるわけないだろ! 嘘つくな」と言うのだったが、そもそも、私が住んでいたのは「東京都」ではなく「川崎市」であり、それも、内田康夫『鬼首(おにこうべ)殺人事件』の「ヒロイン」が住んでいた「麻生区」とかではなく、屋上にレーダーが載っかっていた東芝小向工場の近所、幸区であり、私が住んだ時はそうではなかったけれどもかつては「川崎ぜんそく」と言われて、朝、洗濯物を出すと夕方には真っ黒になったと言われた地域だった。「東京都」に住んでいたのではない。ましてや、白金台とか田園調布とかに住んでいたのではない。最寄駅は南武線の「鹿島田」でしかも駅から徒歩20分も歩くような場所に住んでいたのである。舞妓さんがコッポリ履いて「おいでやすう」とか言ってるようなブランド地名の「京都」なんて所と「川崎ぜんそくの川崎」とで、なんで、「舞妓さんがコッポリ」の方が安いと考えるのか、さっぱりわからん! で、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか、同志社しかよう行かんようなやつのくせして主張するようなやつてのは、銭湯に入り慣れてないから、「風呂付の所でないと嫌じゃい」と死ぬまで思ってるかもしれないけれども、私なんかは、大学生は「下宿」という所に住むにしても「アパート」という所に住むにしても、風呂は銭湯に行くものだと思っていたし、だいたい、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか言ってたっかい所に住んでる大学生というのを「うらやましい」とかは別に思わなかった。アホやなと思うことはあったけれども。 だって、銭湯の方が、わかさなくても行けばわいてるし。風呂の掃除しなくていいし。サウナだってあるし。なんで、そんなに「風呂付の所」に住みたがるのか、よくわからなかった。 「冬、銭湯に行った後、湯冷めする」とか言う人があるが、大学生の頃の私はそうではなく、むしろ、風呂帰りの夜道というのがけっこう好きだったのだ。 ・・・・ロシア民謡に「ドビヌーシカ」という歌がある。ヴォルガ川の船曳人夫の歌で、ドビヌーシカとは「棍棒」という意味であり、船曳人夫は樫の木の棍棒に縄を結びつけて舟を曳いたが、労働争議が実力行使に及ぶことになった時、その棍棒は労働者側の武器となった、というものである。ロシア民謡「ドビヌーシカ」は日本語訳では「仕事の歌」と訳され、歌われる歌詞の文章ももとのロシア語の内容とは異なったものになっている。「日本語訳」では、「イギリス人は利口だから、水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」という歌詞がある。 父は私によく言っていた。「人間は生まれながらに、人を支配するための民族と人に支配されるための民族とに神さまは人を分けてお造りになっておる。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族であって、人を支配しなければならない民族でR。 おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族でR。わしは人に号令かけるのが得意、あんたは人から号令かけられることに快感感じる人間! 民族の違いを忘れるな! チャンコロ!」と父は私の鼻の頭を指さして、毎日言っていた。だから、月6万円以上も家賃がかかる風呂付の所に親からカネだしてもらって住んでいた大学生というのは、いわば、行った大学は同志社でも「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」なのだろう。私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族」なので、月1万2千円の所に住んで、そして、銭湯に通い、「ドビヌーシカ」を歌っていたのだ。「ドイツ人は風呂付の所に住む。ロシア人は銭湯に通う♪」と。
※ 《YouTube-【ロシア音楽】仕事の歌 (Дубинушка ドゥビヌーシカ) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
1980年代初め、父が「いらいらっとしたから仕送り、送るのやめたってん」と言って、送金しなかった時、1週間ほど、何も食べずに水だけ飲んですごしたということがあった。空腹をかかえて、自動販売機の下あたりに硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街を下ばっかり見て歩き、ある自動販売機の下に50円玉が落ちていたのを見つけ、それに財布に残っていた10円玉2枚か3枚と合わせてメロンパンを買って食べたのだが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはなかった。その時、日吉台学生ハイツに住んでいた兵庫県の甲陽学院高校http://www.koyo.ac.jp/ 卒で1浪で東大法学部に行って国家公務員1種試験合格で外務省に就職した加藤という男(当時、20代前半)が、けっこう高かった私なんかはおよそそんな所で食事するなんて考えられなかった不二家のレストランから出て来るのを見た。「大学生」でも私とはずいぶんと生活が違った。「ロシア人」は自動販売機の下をあさって1週間ぶりにメロンパンを食って喜んでいた時、「ドイツ人」なのか「イギリス人」なのか「アメリカ人」なのかは不二家でメシ食っていた。 私の頭には、その時以来、「ドビヌーシカ」の歌がバックミュージックとして鳴るようになった。「ドイツ人は利口だから不二家でメシを食う。ロシア人は自動販売機の下をあさってメロンパンを食う」。 私が月1万2千円のアパートに住んで銭湯に通っていた時、「風呂つきの所でないと嫌じゃい」と言って月6万5千円のところに住んでいた男、私が自動販売機の下をあさってメロンパン食った時に不二家で食事していた男、彼ら、「ドイツ人」は、おそらく、私よりも「いい所」に勤めて、私よりも出世して私よりも高い給料をとって、きっと幸せな生活を送っていることだろう。結婚するならそういう男と結婚した方が女性にとっては幸せであるのは間違いない。でも、もしかすると、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか言ったような男、もしかすると、「特殊浴場」には入れても、銭湯にはようはいりよらんかもしれん。そういう人間が時々いる。
内田康夫『北の街物語』には、浅見光彦のかつての同級生の女性で銭湯の娘が登場する。今は銭湯といっても「番台」なんてないし、名前も「今風」になっているそうだ。
で、上中里駅の北東側の銭湯だが↓
↑ のような表示が出ていたのだ。 建築屋としては、気になったのは、「遠赤外線サウナ」と「乾式サウナ」はどう違うのだろう・・・・てところ。
インターネットで検索してみても、これや・・てのがなかなかないのだが、「フィンランド式」とか言って、サウナストーブがあって、高温になる所に座るのが「乾式サウナ」らしく、「遠赤外線サウナ」というのは「遠赤外線」が出るようになったサウナのことみたいだが、けっこうあいまいな言葉の使い方もされているらしい。
東京では京浜東北線を境にして地盤面に高さの違いがあり、基本的には高い側が「山手」で低い側が「下町」なのだが、北区の場合は、内田康夫も高い側も含めて「下町」的な感じの区であるように書いていたが、たしかにそんな感じがする・・・が、それでも低い側の方が「下町」っぽい感じはある。どちらがいいとか悪いとかいうことではないが。
↑が、上中里駅の改札口の階からプラットホームに降りる階段。 ここの階段手摺は金属製で、「波型」ではなく直線形。 ここでは、高齢者用よりも、通勤用の駅として速く移動することの方を重視したのかもしれない。けっこう手摺が太い。 戸建住宅の階段用の木製手摺にも、太さが2種類ある。我が家は太い方をつけていたが、私が担当したお宅で細い方をつけた方があって、掴んでみると、細い方の方が掴みやすい。大人の男の場合は、太い方でも掴めるが、年寄や手のヒラが大きくない女性にとっては細い方なら掴めるが太い方は掴みにくいという場合があるのではないかと思う。 但し、細い方は、細いからといって折れるわけでもないのだが、太い方に比べると掴んだ時、幾分、頼りない感じがする。
上中里駅の階段手摺は太い。 しっかりしているけれども、少々、掴みにくい。 これは、手摺といえば手摺だが、手摺を主たる目的として設置したものではなく上り用と下り用の境界として設置したものという性格があるからかもしれない。そのかわり、「境界」と逆側に2段に手摺が設置されている。
(2018.7.20.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 〔今回〕
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 〔今回〕
JR京浜東北線の線路より南西側と北東側の間が崖のようになっていて地盤面に大きく違いがある。地形としては、これより高い側が「山手」で低い側が「下町」ということになるのだろう。最近では、江東区・墨田区・江戸川区あたりを「下町」と言い、又、「下町」と呼ぶのがふさわしいような雰囲気の街があるが、何新聞だったか新聞の特集で読んだのだが、もともと、江戸時代に「下町」と言ったのは、銀座、日本橋、京橋といったあたりで、本郷・小石川・青山などが「山手」で、江戸時代においては、「下町」の方があか抜けた地域で、「山手」はいなかくさいあか抜けない地域だったそうだ。 地形としては、日暮里のあたりから京浜東北線にそって、東側から見ると、崖のようになっていて地盤面がはっきりと違うのが見えるというのだ。 「上中里」駅付近もその延長上で高さが違うようだ。
上中里駅は、高い側に改札があって、そこから階段で降りた所にプラットホームがある。高い側は↓
( ↑ JR京浜東北線「上中里」駅。 高い側。 )
( ↑ 上中里駅前公衆トイレ と 上中里駅前ロータリー。 )
駅の改札口と同じ高さに京浜東北線の線路を越える陸橋があり、この陸橋を渡ると京浜東北線の北東側に行くことができる。 東北・上越新幹線の線路はこの陸橋よりさらに高い位置を走っているので、陸橋は京浜東北線をまたぐというのか超えるというのかだが、新幹線に対しては新幹線の高架をくぐるようになる。
そして、駅の北東側だが、線路を越えた所から階段とエレベーターがあって、階段で降りると2階分くらいあるかと思うくらい降りることになる。
↑ 上中里駅の北東側の階段。
↑の写真に写っている「波側」の階段手摺だが、ここで初めて見た。 最近、手摺も品質改善されてきたのか、背の高い人も背の低い人や子供も手摺を掴みやすいように、手摺を2段につけている階段を見ることがある。 なかなか、親切だと思う。 電車の吊皮も、長い吊皮と短い吊皮を交互に設けた電車を見ることがあるが、吊革の場合は、背の高い人が輪の部分を持ちにくいということなら、輪よりも上の「紐」の部分を掴めばいいことだから、交互につけなくてもいいかとも思うのだが、階段手摺は2段にあると、たしかに背の高い人も低い人や子供もつかめて便利だろう。 ここでは、波型になった手摺がついている。
波型手摺の長所が書かれた説明書きもあった。↓
↑ たしかに、上りでは、垂直に近い方を持ち、下りでは地面に平行に近い側を持てば体を支えやすいと思われる。これはなかなかの智恵ではないかとも思えた。 但し、はっきりと体を支える必要がある人にとってはこの波型はいいだろうけれども、常に手摺で体を支えるのではなく「そえる」程度に手摺があればいいという人にとっては、波型手摺だと、階段を移動しながら手をそえるにはそえにくいのではないか。 こちらがよければあちらはよくない、というのか、難しいところである。
戸建住宅建築業の会社に勤めてきて、玄関の框の部分の壁に手摺を設置しようという方がけっこう多いのだが、その場合、片側に下駄箱があると、手摺を設けるのは下駄箱と逆側、下駄箱は下から上までのものを全面につけると収納量も多くなるが、腰と胸の間くらいの高さまでのものにしておくと、下駄箱の上に、花瓶を置くとか、お気に入りの置物を設置するとかできるとともに、手摺かわりにもなる。 下駄箱と逆側に丸棒の手摺を設置する場合だが、はたして、縦の棒を設置するのが適しているのか、横の棒を設置するのが適しているのか、という問題があるのだ。 私は横棒が普通だと思っていたのだが、住宅雑誌を読むと、框の部分で靴を履くのに体を上下させるのでそれに合わせて高い位置から低い位置まで掴めるように縦棒が好ましい、と書いたものがあった。そういうことがあるか・・・・とも思ったのだが、しかし、体重が下方向にかかる際、縦棒よりも横棒の方が掴んだ時にやっぱり支えやすいのではないか。↑の波型手摺だと、下りの時、地面に平行に近い部分を掴んだ方が垂直に近い部分を掴むより体を支えやすいように、横棒の方が体重を支えやすいのではないか。どこのおえらい方が書かれたのか知らんが、私は横棒の方がいいと思ったのだ。
部材メーカーのカタログを見ていると、そこで折衷型というのか、L型手摺なんて商品も出ていたのだ。 住宅建築業の会社でも、カタログにL型手摺をお勧めみたいに載せるメーカーがあると思う。 縦棒の良さと横棒の良さの両方を発揮できるようにというのが、L型手摺らしい。 しかし、L型手摺を採用するとすると、L型の縦の部分はどの位置に設置するのか? 框の位置に縦の部分を設置するのなら、横の部分は框よりもどちら側につけるのか? 横の棒が框の両側にあるように設置するのなら縦の棒は框の上側(床側)になるようにつけるのか、框の下側(三和土の側)につけるのか? そういったことを考えると、L型ってあんまり意味ないのじゃないか。横棒でいいてことないか・・なんて思ったりもしたのだ。
階段の手摺の場合は、(波型でなければ)階段の勾配に合わせて斜めにつけるのだが、玄関の框の部分につけるのは、そこで靴を履いたり脱いだりする時のためなので、上から下にかかる体重を支えるためのものなので、斜めよりも地面に平行の方がいいのではないか。
もうひとつ。玄関の壁に手摺を設けるのは、何のためなのかという問題もある。 そんなの、体が弱ってきた高齢者の体を支えるために決まってるでしょ・・・とか言う人がいるかもしれないが、そうでもないのだ。 せっかく、新しく家を建てたとする。 家族は汚さないように、壁のクロスに手をついたりしない。クロス張りの壁ではなく木の壁でも何の壁でも、べえたあ~っと手形をつけることにならないようにと、家族は気をつける・・・・・が、ところが、親戚のじいさんでも来ると、玄関の框を上がる時、降りる時、もしも、体を支えるのにどこかに片手をつきたいのなら、横長の下駄箱を片側につけて下駄箱の上を手摺かわりにできるようにしているのだから、そちらに手をついてくれればいいだろう・・・・と思っていても、ところがどっこい、年寄というのはプライドが高くて自分を年寄と認めたくないというじいさんがけっこういるわけで、横長の下駄箱の上に手をつけるようにそちら側で靴を脱いだり履いたりするというのは「プライドが許さん」という人がいるわけだ。で、そのプライドを守るために、あえて、下駄箱がない側、横は壁の側で靴を脱いだり履いたりしようとするのだが、そうなるとどうなるかというと、壁に手をつくことになるのだ。 壁に手をつくと、白系統のクロスだとそのうち黒くなってくる。「手をつかないで」と言っても、「わかった、わかった」と言ってちっともわかってないじゃないか・・・・という年寄がけっこういるわけだ。
だから、玄関手摺を設置したいという人には、自分自身がその手摺を使うこともないわけではないけれども、それよりも、親戚のじいさんとか、言ってもきかない年寄に壁に手をつかれないようにするために手摺を設置したいという施主がけっこういるのだ。 2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)で自称「工事責任者」になっていたがそのわりに工事現場を見に行かない、工事の状況に責任を持たない植草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん!」と大きな声で何度も何度も言っていたのだが、私は実際にこういうことを営業の仕事をやって、施主から聞かせてもらって学んだのだ。実際に営業の仕事をやって自分が担当のお施主様を持ってそのお施主様から建築前、打合せの段階で話を聞かせてもらう経験、工事完了後、実際にその家に住んでみてどうだったかという話を聞かせてもらう経験なしに、「やったことないですけど、で~きますもお~ん」と無神経な文句を叫んでいるブタ肉マンにわかるか?・・・というと、わからんと思うぞ。
で、「やったことないですけど、で~きますもお~ん」と勝手に思っているようなあつかましい男(もしくは女)には、「そんなの、壁に手をつかれたくないなら、そう言えばいいでしょ」とか言うヤツがいるのだ。それなら、そう言ってみればあ~あ・・・・と思う。じいさんは言ってもきかんのだわ。また、相手によっては言いにくい相手もあるし。 そういう時に、壁に手をつこうとすると、そこに手摺があると、壁に手をつくのではなく手摺に手をつくようになるわけだ。 となると、手摺は縦棒だとある1箇所に上下にあるだけになるが、横棒だとけっこう広い範囲にあることになる。 そう考えると、框の部分の壁面につける手摺は縦棒よりも横棒がいいのではないかと思う。 ・・・しかし、敵もさるもの・・・というのか、たとえ、手摺があってもそれでも壁に手をつこうとするじいさんがおったりもするのだが・・・・、そういう場合を考えると、壁はクロスよりも木の板にした方がいいという考え方もある。木でも始終手をついていると影響は出るだろうけれどもクロスよりは影響は小さいのではないか。いっそ、壁面にタイルでも貼ったるか・・・といっても、和風の家の玄関の壁面にタイルはいまひとつ合わないのではないか。 妥当なところ、白系統のクロスの前に木製の横棒の手摺があれば、普通は壁に手をつかずに手摺をつかむだろうから、そのあたりにしておくか・・・・、というところか。
2000年頃のことだが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいた時だが、佐野営業所(展示場)にいた設計担当に、(株)一条工務店の本社の第一設計部からファックスが来ていて、「課題」として、「客を唸らせるるトーク」を考えてファックスで送れなどと書いてきていた。あきれた。まがりなりにも、「設計」ならば、考えるべきは「客をうならせる図面」であって、「客をうならせるトーク」ではないだろうが。(株)一条工務店の第一設計部は、客をあきれさせるヘボ図面を「客をうならせるトーク」でケムに巻いてごまかしてやろうとするヘボ設計をわざわざ育成しようとしているのか? (株)一条工務店の第一設計部の若造の考えることはどう考えてもちょっと変だ。住宅建築業の会社に勤めると、「地方」に行くと「大工さま」の評価が高く、都市部では「設計」(時として、 ″設計士さん″)の評価が高いのだが、その「設計士さん」とやらいう私立五流大学でてきたばっかりの若造、そういう「客をうならせるトーク」でごかましてやろうなんて根性してるようなやつに、↑で述べたようなことがわかるかというと、わからんと思うぞ。
東京都中央区に本社がある設計会社のフリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ は、営業と設計が分かれておらず、「営業 兼 設計」もしくは「設計 兼 営業」として仕事をしていた。(株)一条工務店の第一設計部の人間など見て、人にもよるとしても、一般に「設計」の人間というのは、「捕手」としての営業が苦労してリードしてやっと「打者をうちとれる」(客が納得する)図面を作れる人間であり、営業は「捕手」としての役割を果たさないといけないものであったが、「営業 兼 設計」として仕事をしてきた者ならば、「投手」の能力だけでなく「捕手」の能力も持ち合わせているのではないかといくらか期待したが、2015年、同社に勤めてみたわかったが、やっぱり、自分を「投手」(設計)だと思ってる者・・・ならまだしも、私立五流大学の建築学科とかカネさえあれば誰でも入れる建築の専門学校とか出て来てそれで自分を「設計士さま」だとか思っているようなヤカラというのは、「投手兼捕手」(設計兼営業)の仕事についても、「捕手」(営業)の能力は身に着かないものだとわかった。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士さま」というのは、「投手 兼 捕手」「捕手の能力もある投手」ではなく「捕手のいない投手」みたいなもの。 2017年、インターネットのニュースを見ていたら、中日の建山という捕手が若手の投手の小笠原投手だったかが、捕手のサインを無視して投手の好き放題投げまくる、9回までの投球の組み立てを考えずに自分が投げている回さえ押さえられればいいというピッチングをするというので、マウンドに行って怒って「おまえ、いったい、何やってんの。そんなことなら一人で全部やれよ」と言ったと出ていたが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士さま」というできそこないを見て、この人達は、「投手 兼 捕手」ではなく「捕手のいない投手」、「おまえ、いったい、何やってんの」と怒ってくれる捕手がいない投手なんだなとわかった。もちろん、人によっても違いはいくらかあるとは思うけれども。私立五流大学の建築学科とか誰でも入れる建築の専門学校とかを「卒業」してそれで「設計士さま」になったみたいに思ってるようなヤカラというのは、建築の授業で教えられたこと、建築の本に書いてあること、「設計」と称する先輩の言うことは聞いて学んでも、お客様から学ぼうとしない。営業がそれを教えてあげようとしても、建築の本や「設計課」の先輩社員の言うことは聞いても営業の言うことは聞いてはならないと信念もってるので学べない。「設計」がエライと思っている人というのが都市部においてはけっこういるが、そういうヤカラは↑のようなことなんて、知らないと思うぞ。建築の本に「玄関手摺は縦棒の方がいい」と書いてあったら本に書いてある以上はそうだ、「いっきゅうけんちくしい」と名のる人が本に書いている以上はそうだと信仰して「客をうならせるトーク」として話すだろう。
さて、上中里駅の北東側で階段もしくはエレベーターで地上まで降りると、平塚神社などがある側がずいぶん高い位置にあることがわかる。 下側は、そこから平塚神社などと逆方向に進むと東北本線や尾久操車場にぶつかる。 いわば、東北本線と京浜東北線に囲まれた場所である。 線路と線路に囲まれた場所なんて、あんまりいい場所じゃないのじゃないか・・・なんて思うかもしれないが、行ってみると、決して雰囲気は悪くない。人間にはその場所との相性みたいなものもあるのかもしれないが、私とは相性は悪くなさそうな場所である。
で、京浜東北線の線路と垂直方向に道を進んでいくと、尾久操車場というのか田端機関区というのかにぶつかる。↓
( ↑ 向こう側、走っている電車が、東北本線か高崎線の快速のようだ。 )
↑ この何本も線路が並んでいる「操車場」の北東側に東北本線の「尾久(おぐ)」駅があるはずだ。 「尾久操車場」「田端機関区」という名称だが、どこからどこまでを指すのか。 地図を見ると、東北本線の「尾久」駅の西側にくっついている部分と、京浜東北線の「田端」駅の東側にくっついている部分があり、その2つの間をつなぐ線路もあるようなのだが、この2つをまとめて呼ぶのか、それとも、それぞれに名称があるのか。 インターネットで検索してみても、どうも、明確に述べられたものが見つからない。
私は子供の頃、電車が好きな子供だった。 だから、大人になってからも、電車は嫌いではない。しかし。インターネットで検索すると、「田端機関区」というものを、いろいろな電車・電気機関車が見れて楽しい・・・・という調子で書いておられるものを見るが、そういう書き方は、ちょっとどんなものかと思ってみたりもするのだ。
雁屋哲 原作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』で、「究極のメニュー」「至高のメニュー」の一行がオーストラリアのシドニーに行った際に、オーストラリア人の通訳の女性、日本人と変わらないくらい日本語を話せるように日本語を学んだくらいもともと日本好きだった女性が、日本人はシドニーに観光に来て、シドニーオペラハウスの前などで記念写真を撮ってはしゃいでいるけれども、そこに観光に来る日本人は、そのシドニー湾には第二次世界大戦の時、日本の潜水艦がそこまで来てシドニー市街に向けて攻撃をして、シドニーの市民はその時は大変恐ろしかった・・といったことを少しも考えていない、第二次世界大戦の時にはオーストラリアは連合国の側で参戦していたのであり、連合国は日本を攻撃したのだから、日本が連合国を攻撃したとしてもそれはしかたがないとしても、日本は他の国と比較しても捕虜をほとんど生きて返さななかったという点をオーストラリア人は怒っているという、そういうことをオーストラリアに来る日本人は少しも考えない、と話す場面があった。観光に行って悪いということはないが、そういうことをまったく考えないという姿勢はどうかといったことが指摘される。 姪や甥がサイパンに観光に行った時、母は、サイパンなんて、よく観光に行く気持ちになるねえと言うのだったが、戦争中、そこで何があったかということを考えると、観光に行く気持ちにならないというのだ。
ところで。 「田端機関区」というと、それは、下山事件の時、常磐線の 北千住―綾瀬 間、東武の小菅―五反野 間の線路が常磐線を越える付近の北千住側のあたりだったはずだが、国鉄の下山総裁の遺体が線路に横たえられて機関車とその機関車が引っ張る貨物車に轢断された、その機関車と貨物が出発したのが「田端機関区」だったはずだ。 それが出発したのは、東北本線の西側にくっついた側か京浜東北線の東側にくっついた側なのか。 ともかく、「田端機関区」だったはずなのだ。 「大人になっても電車好き」というのは悪いということはないけれども、しかし、「田端機関区」と聞いて、「電車がいっぱい♪」とは考えても、下山事件の下山総裁を轢断した機関車が出発した「田端機関区」という認識がまったくない人というのは、大人としていかがなものかと思うのだが、どうだろうか・・・・。
下山事件の時の「鑑定」もまた考えさせられる。 最初、東大医学部の鑑定人は「死後轢断」、機関車にひかれた時点で、下山総裁はすでに死亡していたと「鑑定」。後に慶應大医学部の鑑定人は「生体轢断」、機関車にひかれた時点では下山総裁は生きていた、という「鑑定」をした。 後の慶應大医学部の「鑑定」は、下山総裁は、GHQの関係者を含む何人かによって殺された上で常磐線の線路に横たえられたという考え方を否定し、下山総裁は鉄道の線路に自ら横たわって自殺したのだという結論を導くためのものであったのに対し、最初の東大医学部の「鑑定」は、GHQの関係者を含む者たちによって下山総裁は殺されたのだという結論を支持するためのものではなく、そうではなく、共産党や労働組合左派の人間によって下山総裁は殺された、ということにするための「鑑定」だった可能性が高いと思われた。 だから、東大医学部の鑑定人も慶應大医学部の鑑定人もいずれも、純粋に医学上の「鑑定」をおこなったのではなかったようだ・・・・。 「田端機関区」と聞くと、下山事件とその際の「鑑定」の怪しさというものを思い浮かべる。「電車がいっぱい♪」なんて、そんなことばっかり思い浮かべる、そんなことしか考えないようでは、やっぱり、大人として日本人として情けないのではないか。
上中里駅の京浜東北線の北東側から尾久操車場までの道沿いに銭湯があった。「大黒湯」と言うらしい。
実は私はけっこう銭湯というのが好きなのだ。 1980年代、大学生だった時、毎日、銭湯に入りに行ったものだ。 休み、父の勤め先の工場に「アルバイトに行くことに、決めてきた!」などと言って父が「決めてきた」にしてしまい、行ったことがあったのだが、その際、工場長になっていた父の部下だったMさんが、「あんた、どのくらいの家賃のところに住んどんねん?」と言うので、「月1万2千円です」と正直に言ったところ、「嘘つくな!」とMさんは言うのだったが、嘘なんてついてないのに、なんで、「嘘つくな!」なんて言われなきゃならんのだ? と思ったのだが、Mさんは「そんなもん、東京で住むのに月1万2千円なんてそんなものあるわけないだろうが。うちの息子、同志社に行っとるんやが、うちの息子でも、住んでるの東京やのうて京都やけれども、それでも、家賃月6万5千円やで。東京の大学に行って、家賃が月1万2千円やなんて、ええかげんなこと言うな! 嘘ついてもわかるんやからな」と言うのだが、私は嘘なんてついてないし、川崎市幸区で本当に月1万2千円のアパートに住んでいたのだ。 Mさんは「あんたなんか、当然、風呂付の所に住んどんねやろ」と言うのだが、私が住んでいたのは、6帖の畳の部屋に1帖分の板張りのスペースにシンクとプロパンガスでのコンロがあって、それと1帖分の押入れがあって、トイレは共用、風呂は近くの銭湯を利用し、洗濯は銭湯の横にあるコインランドリーの洗濯機と乾燥機を使っていた。「風呂付」なんてとんでもない。しかし、Mさんは「同志社に行ってるうちの息子でも、風呂付の所に住んどるで。『風呂付の所でないと嫌じゃい』言いよるねん」と言うのだったが、そんな所に住むから月6万5千円もするのだ。 それに、Mさんは、「東京で住むのに月1万2千円なんてそんなとこ、あるわけないだろ! 嘘つくな」と言うのだったが、そもそも、私が住んでいたのは「東京都」ではなく「川崎市」であり、それも、内田康夫『鬼首(おにこうべ)殺人事件』の「ヒロイン」が住んでいた「麻生区」とかではなく、屋上にレーダーが載っかっていた東芝小向工場の近所、幸区であり、私が住んだ時はそうではなかったけれどもかつては「川崎ぜんそく」と言われて、朝、洗濯物を出すと夕方には真っ黒になったと言われた地域だった。「東京都」に住んでいたのではない。ましてや、白金台とか田園調布とかに住んでいたのではない。最寄駅は南武線の「鹿島田」でしかも駅から徒歩20分も歩くような場所に住んでいたのである。舞妓さんがコッポリ履いて「おいでやすう」とか言ってるようなブランド地名の「京都」なんて所と「川崎ぜんそくの川崎」とで、なんで、「舞妓さんがコッポリ」の方が安いと考えるのか、さっぱりわからん! で、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか、同志社しかよう行かんようなやつのくせして主張するようなやつてのは、銭湯に入り慣れてないから、「風呂付の所でないと嫌じゃい」と死ぬまで思ってるかもしれないけれども、私なんかは、大学生は「下宿」という所に住むにしても「アパート」という所に住むにしても、風呂は銭湯に行くものだと思っていたし、だいたい、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか言ってたっかい所に住んでる大学生というのを「うらやましい」とかは別に思わなかった。アホやなと思うことはあったけれども。 だって、銭湯の方が、わかさなくても行けばわいてるし。風呂の掃除しなくていいし。サウナだってあるし。なんで、そんなに「風呂付の所」に住みたがるのか、よくわからなかった。 「冬、銭湯に行った後、湯冷めする」とか言う人があるが、大学生の頃の私はそうではなく、むしろ、風呂帰りの夜道というのがけっこう好きだったのだ。 ・・・・ロシア民謡に「ドビヌーシカ」という歌がある。ヴォルガ川の船曳人夫の歌で、ドビヌーシカとは「棍棒」という意味であり、船曳人夫は樫の木の棍棒に縄を結びつけて舟を曳いたが、労働争議が実力行使に及ぶことになった時、その棍棒は労働者側の武器となった、というものである。ロシア民謡「ドビヌーシカ」は日本語訳では「仕事の歌」と訳され、歌われる歌詞の文章ももとのロシア語の内容とは異なったものになっている。「日本語訳」では、「イギリス人は利口だから、水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」という歌詞がある。 父は私によく言っていた。「人間は生まれながらに、人を支配するための民族と人に支配されるための民族とに神さまは人を分けてお造りになっておる。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族であって、人を支配しなければならない民族でR。 おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族でR。わしは人に号令かけるのが得意、あんたは人から号令かけられることに快感感じる人間! 民族の違いを忘れるな! チャンコロ!」と父は私の鼻の頭を指さして、毎日言っていた。だから、月6万円以上も家賃がかかる風呂付の所に親からカネだしてもらって住んでいた大学生というのは、いわば、行った大学は同志社でも「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」なのだろう。私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族」なので、月1万2千円の所に住んで、そして、銭湯に通い、「ドビヌーシカ」を歌っていたのだ。「ドイツ人は風呂付の所に住む。ロシア人は銭湯に通う♪」と。
※ 《YouTube-【ロシア音楽】仕事の歌 (Дубинушка ドゥビヌーシカ) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
1980年代初め、父が「いらいらっとしたから仕送り、送るのやめたってん」と言って、送金しなかった時、1週間ほど、何も食べずに水だけ飲んですごしたということがあった。空腹をかかえて、自動販売機の下あたりに硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街を下ばっかり見て歩き、ある自動販売機の下に50円玉が落ちていたのを見つけ、それに財布に残っていた10円玉2枚か3枚と合わせてメロンパンを買って食べたのだが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはなかった。その時、日吉台学生ハイツに住んでいた兵庫県の甲陽学院高校http://www.koyo.ac.jp/ 卒で1浪で東大法学部に行って国家公務員1種試験合格で外務省に就職した加藤という男(当時、20代前半)が、けっこう高かった私なんかはおよそそんな所で食事するなんて考えられなかった不二家のレストランから出て来るのを見た。「大学生」でも私とはずいぶんと生活が違った。「ロシア人」は自動販売機の下をあさって1週間ぶりにメロンパンを食って喜んでいた時、「ドイツ人」なのか「イギリス人」なのか「アメリカ人」なのかは不二家でメシ食っていた。 私の頭には、その時以来、「ドビヌーシカ」の歌がバックミュージックとして鳴るようになった。「ドイツ人は利口だから不二家でメシを食う。ロシア人は自動販売機の下をあさってメロンパンを食う」。 私が月1万2千円のアパートに住んで銭湯に通っていた時、「風呂つきの所でないと嫌じゃい」と言って月6万5千円のところに住んでいた男、私が自動販売機の下をあさってメロンパン食った時に不二家で食事していた男、彼ら、「ドイツ人」は、おそらく、私よりも「いい所」に勤めて、私よりも出世して私よりも高い給料をとって、きっと幸せな生活を送っていることだろう。結婚するならそういう男と結婚した方が女性にとっては幸せであるのは間違いない。でも、もしかすると、「風呂付の所でないと嫌じゃい」とか言ったような男、もしかすると、「特殊浴場」には入れても、銭湯にはようはいりよらんかもしれん。そういう人間が時々いる。
内田康夫『北の街物語』には、浅見光彦のかつての同級生の女性で銭湯の娘が登場する。今は銭湯といっても「番台」なんてないし、名前も「今風」になっているそうだ。
で、上中里駅の北東側の銭湯だが↓
↑ のような表示が出ていたのだ。 建築屋としては、気になったのは、「遠赤外線サウナ」と「乾式サウナ」はどう違うのだろう・・・・てところ。
インターネットで検索してみても、これや・・てのがなかなかないのだが、「フィンランド式」とか言って、サウナストーブがあって、高温になる所に座るのが「乾式サウナ」らしく、「遠赤外線サウナ」というのは「遠赤外線」が出るようになったサウナのことみたいだが、けっこうあいまいな言葉の使い方もされているらしい。
東京では京浜東北線を境にして地盤面に高さの違いがあり、基本的には高い側が「山手」で低い側が「下町」なのだが、北区の場合は、内田康夫も高い側も含めて「下町」的な感じの区であるように書いていたが、たしかにそんな感じがする・・・が、それでも低い側の方が「下町」っぽい感じはある。どちらがいいとか悪いとかいうことではないが。
↑が、上中里駅の改札口の階からプラットホームに降りる階段。 ここの階段手摺は金属製で、「波型」ではなく直線形。 ここでは、高齢者用よりも、通勤用の駅として速く移動することの方を重視したのかもしれない。けっこう手摺が太い。 戸建住宅の階段用の木製手摺にも、太さが2種類ある。我が家は太い方をつけていたが、私が担当したお宅で細い方をつけた方があって、掴んでみると、細い方の方が掴みやすい。大人の男の場合は、太い方でも掴めるが、年寄や手のヒラが大きくない女性にとっては細い方なら掴めるが太い方は掴みにくいという場合があるのではないかと思う。 但し、細い方は、細いからといって折れるわけでもないのだが、太い方に比べると掴んだ時、幾分、頼りない感じがする。
上中里駅の階段手摺は太い。 しっかりしているけれども、少々、掴みにくい。 これは、手摺といえば手摺だが、手摺を主たる目的として設置したものではなく上り用と下り用の境界として設置したものという性格があるからかもしれない。そのかわり、「境界」と逆側に2段に手摺が設置されている。
(2018.7.20.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 〔今回〕
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 〔今回〕
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