裏口入学は嫌い。表から入ろう、平塚神社。西ヶ原駅―平塚神社・平塚天神社参拝と浅見光彦【1/15】
[第613回]
東京都北区上中里の平塚神社と摂社 平塚天神社 に参拝してきました。 最寄駅は東京メトロ南北線「西ヶ原」とJR京浜東北線「上中里」ですが、南北線「西ヶ原」で降りて行った方が平塚神社の正面から入ることが出来ます。 平塚神社は何で有名な神社かというと、皆さんご存知のように、内田康夫の小説に頻繁に登場する神社として有名です。 内田康夫の小説には「上中里」駅は登場しても、浅見光彦の住んでいる所として「北区西ヶ原」という地名は登場しても南北線の「西ケ原」駅は登場しませんが、これは南北線の開通が比較的最近だからで、小説が書かれた時点ではまだ南北線の「西ヶ原」駅はなかったからでしょう。
( ↑ 平塚神社 拝殿。 )

何度かブログでも述べましたが、私、神社でも寺でも裏から入るの嫌なんです。何としても表から入りたいんです。 世の中、何が嫌いと言いまして、裏口入学ほど嫌いなものはない。 やっぱり、何であれ表から入るべきですよ。 1980年代、東洋経済新報社から出ておりました『就職四季報』て本の端っこに、前年、大学を卒業して就職した人のミニ体験記が載っていまして、そこに、「もしも、コネがあったなら、『使わぬは一時の意地、使うは一生の得』なんて書いていた人がありましたが、就職の場合はそういうことだってあるかと思いますが、学校の場合は、高校であれ大学であれ、あるいは資格試験についても、裏口で入る・・・てのをやり出しますと、ね。 結果として、人生そのものが裏口みたいになってしまいますよ。 1980年前後、父の「親友」で医者屋のM川(男。当時、50代前半)が、ドバカ息子を金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢していたのです。「そのあたりが、わしの思考が柔軟なところなんじゃ」と言って。そんなに「思考が柔軟」なら、その「思考の柔軟さ」を生かして京都大学医学部とか東京大学理科三類とかにさっさと現役で実力で通ればいいのじゃないのかと思うのですが、「ところがそれがちがうんじゃい」と言うのです。
そして、「息子に『おまえが大学に行けたのはおまえが何か努力したからとは違うねんぞ。おまえは何ひとつ努力しとらんねんぞ。わしがエライから行けてんぞ。心得違い起こすなよ』と言うたりますねん」と言うのですが、まず、それが事実と違います。「わしがエライから行けてんぞ」と医者屋のM川は言うのですが、M川のドバカ息子が金権関西医大に行けたのは、M川から薬漬け・検査漬けにされてカネをむしり取るられたかわいそうな「患者」のおかげで行けたのであって、薬漬け・検査漬け・毒盛りした医者屋がエライからドバカ息子が入学できたのではありません。「心得違いを起こすなよ」という文句は医者屋のM川が言われなければならない文句であり、M川が言う文句ではありません。
金権関西医大のHPhttp://www.kmu.ac.jp/ には「まもなく創立90周年。未知をゆく、道の先へ」なんて文句が出ているのですが、関西医大のゆく「道の先」は、別段、「未知」じゃないですよ。「薬漬け・検査漬けと裏口入学の拡大再生産」でしょ。はっきりしてますよ。 薬漬け・検査漬け⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け⇒裏口入学・・・・と輪廻の輪は永遠に回り続ける。
内田康夫の小説にも、裏口の話は出ています。 『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫)には、
≪ 「それで、意外な事実が分かりました。あの人たちは、もちろん歯科医ではあるのですが、そればかりでなく、ほとんどの人が大学教授か、その経験者なのですよ」
「ほう、そうしますと、つまり、歯医者さんの中でも、きわめつけのエリートばかりだというわけですね」
「まあ、そうですね。しかも、彼らにはもう一つ共通している点がありまして、じつは、こっちのほうが重要な問題なのですが。どういうわけか、彼ら全員、歯科医の資格を取るために必要な歯科医師国家試験問題の作成委員か、その経験者なのです」
「えっ・・・・」
岩永の表情が、かすかに曇った。それは見ている片岡にも読み取れたが、その理由は、片岡には分らなかった。
「それと、もう一つ、これは必ずしも重要事項かどうかは不明ですが、そのほとんどの先生方には、一人か二人、息子さんがいて、すでに歯科医になっているか、歯科大学の在学中なのです」
「浅見さん・・・・」
岩永刑事課長は、掠れた声を発して、唾を飲みこんだ。 ・・・・ ≫
≪ 「歯科医になるためには、歯科大学を卒業して、資格認定の国家試験に合格しなければならないのです。ところが、大学によっては、国家試験の合格率が七十パーセントというところもある。実際にはもっと低いのではないか――という噂もあるくらいです。辛うじて合格率を高めているのは、何か、たとえば試験問題の漏洩があるのではないか――といった噂です」
「えっ、そんなことがあり得るのですかなあ?」
「残念ながら、あると考えるほうが常識的だと、僕は思います。じつに驚くべきことなのですが、試験問題を作成する委員は、ほとんどが各大学で教鞭をとる教授たちなのです。その先生たちに厚生省が問題作成を依頼するシステムです。これで公正な試験が行われると思うほうがどうかしているとは思いませんか? 教授は自分の教え子たちに有利になるように問題を作成するでしょうし、極端な場合は、問題そのものを教えてしまうかもしれない。少なくとも、傾向と対策ぐらいは講じてやるような情実があっても不思議はありません。入試予備校の教師が、目標校の試験答案を作るようなものです。こんなカラクリは子供だって分かります。いわばこれは、厚生省と大学と学生の馴れ合いの構図といっていいでしょう」
「なるほど、ひどいもんですなあ」 ・・・・ ≫
≪ 「だけど、真面目に大学で勉強すれば、合格できるんでないのですか? 試験問題ったって、司法試験みたいに、そんなに難しい問題じゃないのでしょうが」
「そう、真面目に勉強しさえすれば、ですね。実際、真面目に勉強して、立派な歯医者さんになっている人のほうが、圧倒的に多いでしょう。いや、そう信じたいですよね。しかし、中にはまったく勉強しない学生だっているのです。ことに歯科医院の子弟は経済的に恵まれていますから、ゴルフやヨットや・・・その他もろもろ、誘惑の多い大学生活を送って、気がついたら卒業――ということも多いのですよ」
「そんなもの、本人が悪い――と言っても、そうしようもねえのですかねえ」
「ええ、どうしようもないのは、どこの世界にもいるものです。・・・・」 ≫
「経済的に恵まれていますから」といっても、なぜ、「経済的に恵まれて」いるかというと、カネはらった「患者」がいるからですよ。そうでしょ。それも、要らない薬・要らない検査で徴収したカネ。不正請求なんてのもあるかもしれませんね。父は医者屋のM川から、「アリナミン、セデス、PL(もしくは、PG)、それから、睡眠薬。胃薬にうがい薬。こんなにいっぱいくれはった。みんな、タダでくれはってんで。ええ先生や。ほんまにええ先生や」とか言って喜んでいたのですが、父は、なんだか、M川のおっさんがカネ出して「タダでくれはった」みたいに思っていたようですが、そうではないのです。薬を受け取る時にカネを払っていなくても、M川は父の勤め先の健康保険組合に請求してカネはきっちりとっているのです。しかも、その頃は、本人は負担ゼロ、健康保険組合が10割支給しましたから、実際より多めに請求した可能性だってあります。父の勤め先の健康保険組合から、「ものすごい金額が請求されていますが、いったい、何の病気でかかっているのですか」と問合せがきたというのですが、そういうことをしおるわけです。
私は、言ってやったことがあるのです。「薬というものは、本当に必要な時に飲むものであって、特に飲む必要がない時は飲まない方がいいもののはずです。一般に、どんな病気でも薬を飲まずに体力と摂生で治せるものならその方がいいはずなのです」と。すると、医者屋のM川は「きみは思考が固いな。そういうのを『生兵法は大怪我のもと』と言うんじゃ。そうじゃのうて、普段から必要がなくても日常的に薬を飲んでおくようにしないと、いざ、大病をして薬を飲まないといけないという時に薬を飲むことができなくて、その結果、病気で死ぬことがある。普段から病気じゃ能力のうても薬を日常的に飲んでおくようにすると、いざ、大病をした時に、薬をいっぱい飲むことができる。きみみたいなことを言うておったのでは、大病をした時に、薬をいっぱい飲むことができずに死ぬことになるぞ」と言うのです。父はそう言われて、「そうや、そうや。M川先生はええこと言いはるわ。普段から必要なくても薬を飲むようにしておけば、いざ、大病をした時に薬をいっぱい飲むことができるんや。生兵法は大怪我の元や。ほんまや。ええ~え、こと言いはるわあ。さすがは名医♪ さすがは専門家!」と言って喜んでいたのです。それって、普段、必要でもないのに薬を日常的に飲んでいるから、いざ、大病をして本当に薬を飲んで治さないといけないという時に、耐性というのか免疫というのかができて、少量の薬では効かない、大量に飲まないと効かない状態になってしまったということと違うのか?
そして、M川は「たとえば、ホウレン草と同じ成分の薬があったなら、ホウレン草を食べずに薬を飲んだっていいじゃろう」と言うのです・・・が、もしも、ホウレン草と同じ成分の薬があったなら、本当に体が弱体化して食事を摂取することができないとかいうのなら別ですが、そうでないならば、薬を飲むのではなくホウレン草を食べた方がいいのと違いますか? 何をアホなこと言うとんねん、何を!
M川は私に「きみは、コーヒーと紅茶はどっちがカフェインが多いか知っとるか?」と言うので、世間では紅茶の方がカフェインは多いと言われているのですが、「医者」という立場の人間が、そういう特別でもないことをわざわざきくので、もしかして、コーヒーの方が最近の医学の研究では多かった、俗説は間違っていたというようなことでもあったのかと思って、「コーヒーなのですか?」と言うと、「ところが違うんじゃ。紅茶の方がカフェインは多いんじゃ。だから、勉強でもしていて眠気がして、寝てはいかんというような場合はコーヒーじゃのうて紅茶を飲んだ方がよくきくんじゃ。きみはそんなこともわからんのか。そんなこともわからんような者が、このわしのような特別にえらい聖人の医者に向かって生意気な口をきくとは、人間としての在り方を考えなおさんといかん。わしみたいなえらいえらいえらいえらい聖人の言うことは何でも何でもきかんといかんのじゃ。わしみたいなえらいえらい人間の言うことに文句を言うようではそういう傲慢な人間は人生に間違いなく破綻をきたすことになるんじゃ。そうならんようにするためには、わしのようなえらいえらい医者の言うことには絶対服従せんといかんのじゃ」と言うのでした・・・が、なんだ、世間で言われている話と同じことを言うだけなのかと思ったのですが、その後、テレビの番組でコーヒーと紅茶はどちらがカフェインを多く含んでいるのかという問題を話していたことがあり、なるほどと思ったのは、同じ質量のコーヒー豆と紅茶の葉では紅茶の葉の方がカフェインを多く含んでいるらしいのですが、しかし、同じ質量のコーヒー豆と紅茶の葉から実際に人間が飲む液体としてのコーヒー・紅茶を抽出すると、人間が飲む状態の液体としてのコーヒー・紅茶を比較するとコーヒーに方がカフェインを多く含んでいるらしいのです。コーヒー豆と紅茶の葉でどちらが多くカフェインを含んでいるのかというと紅茶の葉の方が多く含んでいるが、人間はコーヒー豆や紅茶の葉を食べるわけではなく、それを液体に抽出して飲むわけで、飲み物としてのコーヒーと紅茶ならコーヒーの方がカフェインを多く含んでいるらしいのです。M川は「紅茶を飲んだ方が眠気は覚めるということなんじゃ。こんなこともきみは知らんのか。こんなことも知らんような人間は、わしの言うことにはどんなことでも絶対服従しろ」などと私に言ったのですが、彼のコーヒーと紅茶についての認識は間違っていたのです。「医者」のくせして間違った認識をして間違ったことを得意がって吹いていたのです。
≪ 「だってそうじゃない、現実に世間なんて甘いもんじゃない。だから、ああいうインチキだって、厚生省も見て見ぬふりで、まかり通っているんだからさ」
「おい、そういうことを言うのはよせ。苦しまぎれにあんなことをやっているが、私をはじめ、心ある者たちは、罪の意識に苛まれているのだ」
「そんな、カッコつけないでよ。不正行為をやっているのは親たちなんだからね。そりゃ、直接恩恵を受けているのはおれたちみたいに見えるけどさ、じつはそうじゃないんだ。親たちが自分の築いた財産や地位を、息子に伝えたいというエゴから出た発想なんだ。いやだったらやめりぁいいんだからね。おれたちだって、何も好きこのんで歯科医になったわけじゃないんだ。一日じゅう、年寄の汚ねえ口の中を眺めてたって、面白くもなんともないもん」
「何ということを・・・・」 ≫
≪ 「だったら、もう少し診療に身をいれたらどうなのだ。おまえが会津に行って留守のあいだ、何人かの患者を診たが、みんなおまえに不満をもっているぞ。若先生でなく、私に治療してもらいたいと言っていた。実際、おまえの施した処置はお粗末なものだった。いったい、大学で何をやってきたのか、聞いてみたいものだ」
「だからァ、大学じゃ、たっぷり遊ばせてもらいましたよ。ちゃんとやってりぁ、なにも推進同盟なんかにお世話になることはないだろう」
「自慢するような言い方をするな!」
「そう怒りなさんなって。おれが下手でも、技工士がちゃんとやってくれるじゃないの。歯科医は看板、実務は技工士に任せておけばいいの」
「ばかな!・・・・」
良雄の顔から血の気が引き、唇がワナワナと震えた。
「おまえのようなやつを歯科医にしたのは、間違いどころか、犯罪だったな。世の中の人たちが、どの歯科医もおまえみたいなやつばかりだと思い込んだら・・・私は取り返しがつかないことをしたのかもしれん」
「そんなに深刻に落ち込まないでよ。いまのは半分は冗談なんだから」
継仁は哀れな父親を慰めてやった。
「おれだって、毎日仕事をつづけていれば、しぜんに上手くなるよ。パパが死ぬころまでには、立派な高梨歯科医院の院長さ。そうして、またあの推進同盟に頼んで、息子を歯医者にしてもらうさ」 ≫
( 内田康夫『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫)
↑ 内田康夫『風葬の城』に登場する歯医者の場合、父親はバカ息子を何とか歯医者にならせるために歯科医師国家試験に裏口合格させるべく苦心するものの、それに調子に乗っているのは息子であって、父親は「苦しまぎれにあんなことをやっているが、私をはじめ、心ある者たちは、罪の意識に苛まれているのだ」と息子に言うのですが、私の父の「親友」の医者屋のM川の場合は、父親の方が裏口大好き人間で、息子が裏口でないと高校も大学も行けない人間になってしまったというのは、「親の因果が子に報いた」結果であったと見るべきでしょう。M川は息子に「おまえが努力したから大学に行けたんとは違うんやぞ。わしがエライから行けたんやぞと言うたりますねん」と言っていたのだが、そうではなく、M川が裏口人間であったことから「親の因果が子に報いた」結果として、息子が裏口でしか学校に行けない人間になってしまった。むしろ、親を恨むべきものだった、と考えるべきでしょう。 父はのせられやすい性格だったのか、医者屋のM川からそんなことを吹き込まれて、それで、「ええ~えこと言いはる」とか感心していたようです。
人間、世の中、生きていく上において、常に正攻法で進めない時だってあるのかもしれませんが、それなら、常に裏口攻法で行くとうまくいくのかというと、そうでもないのではないでしょうか。むしろ、、それが身に着くと、普通に正攻法でやればうまくいくものまでも裏口攻法でやろうとして、ドツボにはまる・・・・・という結果になる可能性があるのではないか。M川はそれだ。会社というところに勤めると、学歴詐称する人・資格を詐称する人とかゴマンといるのですが、学歴は大学を行き直すというのは簡単ではないでしょうけれども、資格の方は特別に難関でもない資格なら詐称してウソをばれないようにごまかす方法を考える頭があるならその力でその資格試験の勉強して取ればいいと思うのですが、詐称をはじめた人というのはその思考パターン・行動パターンが骨身にしみてしまってその行動パターンから抜け出せなくなって、もともと能力があるかないかの問題ではなくそれが原因で資格試験には通らなくなるという人がけっこういます。裏口入学をM川のように「わしは息子を関西医大に裏口入学させたが、これはわしが思考が柔軟やちゅうことなんじゃ」とか自慢しだすと、そうなると、それが原因で正規合格できなくなっていくという面があるように思います。
M川が言っていたのだが、M川の息子はM川を「あんた」と呼ぶそうで、その気持ちはわかる。「あんた」は得意になって裏口人生おくってるが、その影響を受けて本来は裏口人生出ない正門人生を送りたかった息子までが裏口人生を送らされるはめになった。「あんた」はそれを理解せずに、逆に得意がってるが、「あんた」は「あんた」のおかげで裏口人生を歩まされた人間がどれだけ不快な思いで人生を生きているかわからんだろ・・・と言いたい気持ちから「あんた」と呼んでいたのではないのかな・・・と私はそれを聞いて思ったのだ。
私の父なんて、M川の話を聞いて、「なるほど、そう言えばええんや、そうや、わしもそない言うたろ」と考えたようで、私に「あんたはなあ、慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけどなあ。おまえが努力したから慶應大学に行けたのとは違うねんぞ。心得違いを起こすなよ。おまえはほんまは拓殖やねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。わかっとんのんか、チャンコロ。わしがエライからおまえは慶應に行けたのであって、おまえが努力したから行けたのとは違うねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。わかっとんのんか、チャンコロ!」と何度も言うのだったが、しかし、父には慶應に裏口で入れてもらえるようなコネもカネもないのであり、様々な妨害を受けた結果として、又、今から考えると作戦のミスもあって私は2浪しても東大の試験には落ちてしまったけれども、私は裏口入学で慶應大学に入れてもらったのとは違うのだ。私は一般入試の試験に合格して入ったのだ。さらに、父は「おまえはなあ、北野高校を卒業したと思うておるかもしれんけどなあ、ええか!おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。わしがエライから北野高校におまえは行けたのであって、おまえは何ひとつ努力しとらんねんぞ。わかっとんのんか、浪商! おまえは浪商じゃ! おまえは浪商であって、北野高校に行けたのはわしがエライからであっておまえが努力したからとは違うねんぞ。心得違いを起こすなよ、浪商! この浪商めが、よくも生まれてきおってからに。生まれなければ良かったのに、この浪商! このチャンコロ!」と私の鼻の頭を指さして毎日のように何度も何度も言っていたのだが、M川のドバカ息子は高校も私立高校に裏口入学したらしいのだが、しかし、私が行った北野高校というのは大阪府立であって、「進学校」「受験校」でもたとえば兵庫県の灘高校なんてのは私立なので、灘高校卒の人に聞いた話では、毎年、何人か「裏口やな」とはたから見てはっきりとわかる生徒が何人かいるというのだが、大阪府立の北野高校に裏口なんて、ない! そもそも、父に高校であれ大学であれ、裏口で入れてもらえるようなツテなんて持ってないし、まったく、よく言うよなあと思うのだが。バカ言ってんじゃないわ!〔⇒《YouTube-3年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=cRwYKs3fHlo 〕父は、「親友」で医者屋のM川の言い方を聞いて、「そうや。わしも、そない言うたろ」と思ったらしく、毎日のように言い続けたのだった。しかし、私は高校も大学も裏口でなんて入れてもらっていないし、そんな汚らわしいことするくらいなら行かない方がましだ! と思ってきたし、裏口で入学する選択肢なんてないと思ってきたし、そういう意識があるから正規に合格することができるのである。
昨日のような気がするが、それから、すでに40年近く経った。M川は私の父より年下だったがM川の息子は私より少し年上だったので、すでに一般の会社員なら定年になるかならないかの年齢のはずだ・・・ということは、今や、金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬けにして苦しめたカネで裏口入学したM川のドバカ息子は親になって、ドバカ息子のドバカ息子がまたもや金権関西医大に裏口入学して、今度はドバカ息子のドバカ息子のドバカ息子がさらにまたもや金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬けにして貯め込んだ卑しいカネで裏口入学してやろうと虎視眈々とねらっている・・・てところかもしれない。
・・・だから、私は「裏口」てのが嫌いなんだよ。世の中、何が嫌いと言って、「裏口」ほど嫌いなものはないのだ。 だから、神社でも寺でも、出る時はどこから出るかは特にこだわらないとしても、入る時は、最初に行った時については、正門から入るようにしたいのだ。 ・・で、平塚神社の場合、南側の地下を東京メトロ南北線が走っている本郷通りの側から入るのが正門側なので、そちらから入ることにしたのだ。 「上中里」駅から本郷通りまで平塚神社に沿った道があって「蝉坂」と言うらしいのだが、その「蝉坂」から階段を上って社殿の脇にひょいと出る経路があるが、神社の参拝としても、鳥居をくぐって参道を進んで・・・という方が、いきなり、社殿の脇にひょいと出るよりも風情があるとも思う。 蝉坂から階段を上った前に社務所がある。宮司さんなりが社務所から「上中里」駅方面に行く用事があった場合などに使用する勝手口みたいなものではないかもしれない。2回目からはそちらから入ってもいいが、初回は本郷通りの側から入るべきだ。本郷通りから入る鳥居の脇には「平塚亭」という内田康夫の「浅見光彦シリーズ」にしばしば登場する和菓子屋もあるし(今回は休業日だったけれども)。
[1] 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅
↓が、東京メトロ南北線「西ヶ原」駅のプラットホームと出入口。
( ↑ 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅。 左、電車が停車中の線が飯田橋・白金高輪・目黒・日吉方面。 右が赤羽・浦和美園方面。 )
( ↑ 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅。 東より出入口。)

東京メトロ南北線「西ヶ原」駅には地上との間に2ヵ所の出入り口があるが、↑は東より、平塚神社に近い側の出入口。 出入口の北西側(写真では左側)は看板が見えているように「国立印刷局 滝乃川工場」。 南東側(写真では右側)は、なんちゅうネーミングやねん・・て感じだが、「花と森の東京病院」。
千葉県のJR総武線沿線住人としては、「上中里」ならば、JR「秋葉原」駅で総武線から京浜東北線に乗りかえて「上中里」下車で行けるのに対し、「西ヶ原」で下車しようとすると、JR中央線「飯田橋」で東京メトロ南北線に乗りかえて「西ヶ原」下車という方法を取ることになり、JRで「上中里」に行く方が行きやすいのだが、「上中里」駅で降りてしまうと、正門からではなく「裏口」から入りたい誘惑にかられるので、だから、何としても正門から入らないといけないと考えて、「飯田橋」で東京メトロ南北線に乗りかえて「西ヶ原」駅で降りた。
次回は、西ヶ原駅周辺・・・
(2018.7.14.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 〔今回〕
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 「だめですよ浅見さん。高梨にはちゃんとしたアリバイがありますからね。・・・」
「そんなものはあとでどうでもぶち破れますよ。いまは、とにかく高梨氏の犯行であるとして、事件が成立する条件とシナリオを考えるのが先決です」
「そんな無茶な・・・・」
片岡は呆れた。
「そんなふうに、先に犯人を想定しておいて、あとから理由や証拠をくっつけようっていうのは、まるっきり警察の・・・」
片岡は「警察のやってることと同じ」と言いそうになって、慌てて言い換えた。
「・・・いや、つまり、まるっきり警察の捜査規範に合わないじゃねえですか。そういうのはまずいねえ」
浅見はニヤニヤ笑って、こっちを見ている。なんだか本音を見透かされたような気がして、片岡は気分がよくなかった。・・・ ≫
( 内田康夫『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫 ↑)
東京都北区上中里の平塚神社と摂社 平塚天神社 に参拝してきました。 最寄駅は東京メトロ南北線「西ヶ原」とJR京浜東北線「上中里」ですが、南北線「西ヶ原」で降りて行った方が平塚神社の正面から入ることが出来ます。 平塚神社は何で有名な神社かというと、皆さんご存知のように、内田康夫の小説に頻繁に登場する神社として有名です。 内田康夫の小説には「上中里」駅は登場しても、浅見光彦の住んでいる所として「北区西ヶ原」という地名は登場しても南北線の「西ケ原」駅は登場しませんが、これは南北線の開通が比較的最近だからで、小説が書かれた時点ではまだ南北線の「西ヶ原」駅はなかったからでしょう。
( ↑ 平塚神社 拝殿。 )
何度かブログでも述べましたが、私、神社でも寺でも裏から入るの嫌なんです。何としても表から入りたいんです。 世の中、何が嫌いと言いまして、裏口入学ほど嫌いなものはない。 やっぱり、何であれ表から入るべきですよ。 1980年代、東洋経済新報社から出ておりました『就職四季報』て本の端っこに、前年、大学を卒業して就職した人のミニ体験記が載っていまして、そこに、「もしも、コネがあったなら、『使わぬは一時の意地、使うは一生の得』なんて書いていた人がありましたが、就職の場合はそういうことだってあるかと思いますが、学校の場合は、高校であれ大学であれ、あるいは資格試験についても、裏口で入る・・・てのをやり出しますと、ね。 結果として、人生そのものが裏口みたいになってしまいますよ。 1980年前後、父の「親友」で医者屋のM川(男。当時、50代前半)が、ドバカ息子を金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢していたのです。「そのあたりが、わしの思考が柔軟なところなんじゃ」と言って。そんなに「思考が柔軟」なら、その「思考の柔軟さ」を生かして京都大学医学部とか東京大学理科三類とかにさっさと現役で実力で通ればいいのじゃないのかと思うのですが、「ところがそれがちがうんじゃい」と言うのです。
そして、「息子に『おまえが大学に行けたのはおまえが何か努力したからとは違うねんぞ。おまえは何ひとつ努力しとらんねんぞ。わしがエライから行けてんぞ。心得違い起こすなよ』と言うたりますねん」と言うのですが、まず、それが事実と違います。「わしがエライから行けてんぞ」と医者屋のM川は言うのですが、M川のドバカ息子が金権関西医大に行けたのは、M川から薬漬け・検査漬けにされてカネをむしり取るられたかわいそうな「患者」のおかげで行けたのであって、薬漬け・検査漬け・毒盛りした医者屋がエライからドバカ息子が入学できたのではありません。「心得違いを起こすなよ」という文句は医者屋のM川が言われなければならない文句であり、M川が言う文句ではありません。
金権関西医大のHPhttp://www.kmu.ac.jp/ には「まもなく創立90周年。未知をゆく、道の先へ」なんて文句が出ているのですが、関西医大のゆく「道の先」は、別段、「未知」じゃないですよ。「薬漬け・検査漬けと裏口入学の拡大再生産」でしょ。はっきりしてますよ。 薬漬け・検査漬け⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け⇒裏口入学・・・・と輪廻の輪は永遠に回り続ける。
内田康夫の小説にも、裏口の話は出ています。 『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫)には、
≪ 「それで、意外な事実が分かりました。あの人たちは、もちろん歯科医ではあるのですが、そればかりでなく、ほとんどの人が大学教授か、その経験者なのですよ」
「ほう、そうしますと、つまり、歯医者さんの中でも、きわめつけのエリートばかりだというわけですね」
「まあ、そうですね。しかも、彼らにはもう一つ共通している点がありまして、じつは、こっちのほうが重要な問題なのですが。どういうわけか、彼ら全員、歯科医の資格を取るために必要な歯科医師国家試験問題の作成委員か、その経験者なのです」
「えっ・・・・」
岩永の表情が、かすかに曇った。それは見ている片岡にも読み取れたが、その理由は、片岡には分らなかった。
「それと、もう一つ、これは必ずしも重要事項かどうかは不明ですが、そのほとんどの先生方には、一人か二人、息子さんがいて、すでに歯科医になっているか、歯科大学の在学中なのです」
「浅見さん・・・・」
岩永刑事課長は、掠れた声を発して、唾を飲みこんだ。 ・・・・ ≫
≪ 「歯科医になるためには、歯科大学を卒業して、資格認定の国家試験に合格しなければならないのです。ところが、大学によっては、国家試験の合格率が七十パーセントというところもある。実際にはもっと低いのではないか――という噂もあるくらいです。辛うじて合格率を高めているのは、何か、たとえば試験問題の漏洩があるのではないか――といった噂です」
「えっ、そんなことがあり得るのですかなあ?」
「残念ながら、あると考えるほうが常識的だと、僕は思います。じつに驚くべきことなのですが、試験問題を作成する委員は、ほとんどが各大学で教鞭をとる教授たちなのです。その先生たちに厚生省が問題作成を依頼するシステムです。これで公正な試験が行われると思うほうがどうかしているとは思いませんか? 教授は自分の教え子たちに有利になるように問題を作成するでしょうし、極端な場合は、問題そのものを教えてしまうかもしれない。少なくとも、傾向と対策ぐらいは講じてやるような情実があっても不思議はありません。入試予備校の教師が、目標校の試験答案を作るようなものです。こんなカラクリは子供だって分かります。いわばこれは、厚生省と大学と学生の馴れ合いの構図といっていいでしょう」
「なるほど、ひどいもんですなあ」 ・・・・ ≫
≪ 「だけど、真面目に大学で勉強すれば、合格できるんでないのですか? 試験問題ったって、司法試験みたいに、そんなに難しい問題じゃないのでしょうが」
「そう、真面目に勉強しさえすれば、ですね。実際、真面目に勉強して、立派な歯医者さんになっている人のほうが、圧倒的に多いでしょう。いや、そう信じたいですよね。しかし、中にはまったく勉強しない学生だっているのです。ことに歯科医院の子弟は経済的に恵まれていますから、ゴルフやヨットや・・・その他もろもろ、誘惑の多い大学生活を送って、気がついたら卒業――ということも多いのですよ」
「そんなもの、本人が悪い――と言っても、そうしようもねえのですかねえ」
「ええ、どうしようもないのは、どこの世界にもいるものです。・・・・」 ≫
「経済的に恵まれていますから」といっても、なぜ、「経済的に恵まれて」いるかというと、カネはらった「患者」がいるからですよ。そうでしょ。それも、要らない薬・要らない検査で徴収したカネ。不正請求なんてのもあるかもしれませんね。父は医者屋のM川から、「アリナミン、セデス、PL(もしくは、PG)、それから、睡眠薬。胃薬にうがい薬。こんなにいっぱいくれはった。みんな、タダでくれはってんで。ええ先生や。ほんまにええ先生や」とか言って喜んでいたのですが、父は、なんだか、M川のおっさんがカネ出して「タダでくれはった」みたいに思っていたようですが、そうではないのです。薬を受け取る時にカネを払っていなくても、M川は父の勤め先の健康保険組合に請求してカネはきっちりとっているのです。しかも、その頃は、本人は負担ゼロ、健康保険組合が10割支給しましたから、実際より多めに請求した可能性だってあります。父の勤め先の健康保険組合から、「ものすごい金額が請求されていますが、いったい、何の病気でかかっているのですか」と問合せがきたというのですが、そういうことをしおるわけです。
私は、言ってやったことがあるのです。「薬というものは、本当に必要な時に飲むものであって、特に飲む必要がない時は飲まない方がいいもののはずです。一般に、どんな病気でも薬を飲まずに体力と摂生で治せるものならその方がいいはずなのです」と。すると、医者屋のM川は「きみは思考が固いな。そういうのを『生兵法は大怪我のもと』と言うんじゃ。そうじゃのうて、普段から必要がなくても日常的に薬を飲んでおくようにしないと、いざ、大病をして薬を飲まないといけないという時に薬を飲むことができなくて、その結果、病気で死ぬことがある。普段から病気じゃ能力のうても薬を日常的に飲んでおくようにすると、いざ、大病をした時に、薬をいっぱい飲むことができる。きみみたいなことを言うておったのでは、大病をした時に、薬をいっぱい飲むことができずに死ぬことになるぞ」と言うのです。父はそう言われて、「そうや、そうや。M川先生はええこと言いはるわ。普段から必要なくても薬を飲むようにしておけば、いざ、大病をした時に薬をいっぱい飲むことができるんや。生兵法は大怪我の元や。ほんまや。ええ~え、こと言いはるわあ。さすがは名医♪ さすがは専門家!」と言って喜んでいたのです。それって、普段、必要でもないのに薬を日常的に飲んでいるから、いざ、大病をして本当に薬を飲んで治さないといけないという時に、耐性というのか免疫というのかができて、少量の薬では効かない、大量に飲まないと効かない状態になってしまったということと違うのか?
そして、M川は「たとえば、ホウレン草と同じ成分の薬があったなら、ホウレン草を食べずに薬を飲んだっていいじゃろう」と言うのです・・・が、もしも、ホウレン草と同じ成分の薬があったなら、本当に体が弱体化して食事を摂取することができないとかいうのなら別ですが、そうでないならば、薬を飲むのではなくホウレン草を食べた方がいいのと違いますか? 何をアホなこと言うとんねん、何を!
M川は私に「きみは、コーヒーと紅茶はどっちがカフェインが多いか知っとるか?」と言うので、世間では紅茶の方がカフェインは多いと言われているのですが、「医者」という立場の人間が、そういう特別でもないことをわざわざきくので、もしかして、コーヒーの方が最近の医学の研究では多かった、俗説は間違っていたというようなことでもあったのかと思って、「コーヒーなのですか?」と言うと、「ところが違うんじゃ。紅茶の方がカフェインは多いんじゃ。だから、勉強でもしていて眠気がして、寝てはいかんというような場合はコーヒーじゃのうて紅茶を飲んだ方がよくきくんじゃ。きみはそんなこともわからんのか。そんなこともわからんような者が、このわしのような特別にえらい聖人の医者に向かって生意気な口をきくとは、人間としての在り方を考えなおさんといかん。わしみたいなえらいえらいえらいえらい聖人の言うことは何でも何でもきかんといかんのじゃ。わしみたいなえらいえらい人間の言うことに文句を言うようではそういう傲慢な人間は人生に間違いなく破綻をきたすことになるんじゃ。そうならんようにするためには、わしのようなえらいえらい医者の言うことには絶対服従せんといかんのじゃ」と言うのでした・・・が、なんだ、世間で言われている話と同じことを言うだけなのかと思ったのですが、その後、テレビの番組でコーヒーと紅茶はどちらがカフェインを多く含んでいるのかという問題を話していたことがあり、なるほどと思ったのは、同じ質量のコーヒー豆と紅茶の葉では紅茶の葉の方がカフェインを多く含んでいるらしいのですが、しかし、同じ質量のコーヒー豆と紅茶の葉から実際に人間が飲む液体としてのコーヒー・紅茶を抽出すると、人間が飲む状態の液体としてのコーヒー・紅茶を比較するとコーヒーに方がカフェインを多く含んでいるらしいのです。コーヒー豆と紅茶の葉でどちらが多くカフェインを含んでいるのかというと紅茶の葉の方が多く含んでいるが、人間はコーヒー豆や紅茶の葉を食べるわけではなく、それを液体に抽出して飲むわけで、飲み物としてのコーヒーと紅茶ならコーヒーの方がカフェインを多く含んでいるらしいのです。M川は「紅茶を飲んだ方が眠気は覚めるということなんじゃ。こんなこともきみは知らんのか。こんなことも知らんような人間は、わしの言うことにはどんなことでも絶対服従しろ」などと私に言ったのですが、彼のコーヒーと紅茶についての認識は間違っていたのです。「医者」のくせして間違った認識をして間違ったことを得意がって吹いていたのです。
≪ 「だってそうじゃない、現実に世間なんて甘いもんじゃない。だから、ああいうインチキだって、厚生省も見て見ぬふりで、まかり通っているんだからさ」
「おい、そういうことを言うのはよせ。苦しまぎれにあんなことをやっているが、私をはじめ、心ある者たちは、罪の意識に苛まれているのだ」
「そんな、カッコつけないでよ。不正行為をやっているのは親たちなんだからね。そりゃ、直接恩恵を受けているのはおれたちみたいに見えるけどさ、じつはそうじゃないんだ。親たちが自分の築いた財産や地位を、息子に伝えたいというエゴから出た発想なんだ。いやだったらやめりぁいいんだからね。おれたちだって、何も好きこのんで歯科医になったわけじゃないんだ。一日じゅう、年寄の汚ねえ口の中を眺めてたって、面白くもなんともないもん」
「何ということを・・・・」 ≫
≪ 「だったら、もう少し診療に身をいれたらどうなのだ。おまえが会津に行って留守のあいだ、何人かの患者を診たが、みんなおまえに不満をもっているぞ。若先生でなく、私に治療してもらいたいと言っていた。実際、おまえの施した処置はお粗末なものだった。いったい、大学で何をやってきたのか、聞いてみたいものだ」
「だからァ、大学じゃ、たっぷり遊ばせてもらいましたよ。ちゃんとやってりぁ、なにも推進同盟なんかにお世話になることはないだろう」
「自慢するような言い方をするな!」
「そう怒りなさんなって。おれが下手でも、技工士がちゃんとやってくれるじゃないの。歯科医は看板、実務は技工士に任せておけばいいの」
「ばかな!・・・・」
良雄の顔から血の気が引き、唇がワナワナと震えた。
「おまえのようなやつを歯科医にしたのは、間違いどころか、犯罪だったな。世の中の人たちが、どの歯科医もおまえみたいなやつばかりだと思い込んだら・・・私は取り返しがつかないことをしたのかもしれん」
「そんなに深刻に落ち込まないでよ。いまのは半分は冗談なんだから」
継仁は哀れな父親を慰めてやった。
「おれだって、毎日仕事をつづけていれば、しぜんに上手くなるよ。パパが死ぬころまでには、立派な高梨歯科医院の院長さ。そうして、またあの推進同盟に頼んで、息子を歯医者にしてもらうさ」 ≫
( 内田康夫『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫)
↑ 内田康夫『風葬の城』に登場する歯医者の場合、父親はバカ息子を何とか歯医者にならせるために歯科医師国家試験に裏口合格させるべく苦心するものの、それに調子に乗っているのは息子であって、父親は「苦しまぎれにあんなことをやっているが、私をはじめ、心ある者たちは、罪の意識に苛まれているのだ」と息子に言うのですが、私の父の「親友」の医者屋のM川の場合は、父親の方が裏口大好き人間で、息子が裏口でないと高校も大学も行けない人間になってしまったというのは、「親の因果が子に報いた」結果であったと見るべきでしょう。M川は息子に「おまえが努力したから大学に行けたんとは違うんやぞ。わしがエライから行けたんやぞと言うたりますねん」と言っていたのだが、そうではなく、M川が裏口人間であったことから「親の因果が子に報いた」結果として、息子が裏口でしか学校に行けない人間になってしまった。むしろ、親を恨むべきものだった、と考えるべきでしょう。 父はのせられやすい性格だったのか、医者屋のM川からそんなことを吹き込まれて、それで、「ええ~えこと言いはる」とか感心していたようです。
人間、世の中、生きていく上において、常に正攻法で進めない時だってあるのかもしれませんが、それなら、常に裏口攻法で行くとうまくいくのかというと、そうでもないのではないでしょうか。むしろ、、それが身に着くと、普通に正攻法でやればうまくいくものまでも裏口攻法でやろうとして、ドツボにはまる・・・・・という結果になる可能性があるのではないか。M川はそれだ。会社というところに勤めると、学歴詐称する人・資格を詐称する人とかゴマンといるのですが、学歴は大学を行き直すというのは簡単ではないでしょうけれども、資格の方は特別に難関でもない資格なら詐称してウソをばれないようにごまかす方法を考える頭があるならその力でその資格試験の勉強して取ればいいと思うのですが、詐称をはじめた人というのはその思考パターン・行動パターンが骨身にしみてしまってその行動パターンから抜け出せなくなって、もともと能力があるかないかの問題ではなくそれが原因で資格試験には通らなくなるという人がけっこういます。裏口入学をM川のように「わしは息子を関西医大に裏口入学させたが、これはわしが思考が柔軟やちゅうことなんじゃ」とか自慢しだすと、そうなると、それが原因で正規合格できなくなっていくという面があるように思います。
M川が言っていたのだが、M川の息子はM川を「あんた」と呼ぶそうで、その気持ちはわかる。「あんた」は得意になって裏口人生おくってるが、その影響を受けて本来は裏口人生出ない正門人生を送りたかった息子までが裏口人生を送らされるはめになった。「あんた」はそれを理解せずに、逆に得意がってるが、「あんた」は「あんた」のおかげで裏口人生を歩まされた人間がどれだけ不快な思いで人生を生きているかわからんだろ・・・と言いたい気持ちから「あんた」と呼んでいたのではないのかな・・・と私はそれを聞いて思ったのだ。
私の父なんて、M川の話を聞いて、「なるほど、そう言えばええんや、そうや、わしもそない言うたろ」と考えたようで、私に「あんたはなあ、慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけどなあ。おまえが努力したから慶應大学に行けたのとは違うねんぞ。心得違いを起こすなよ。おまえはほんまは拓殖やねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。わかっとんのんか、チャンコロ。わしがエライからおまえは慶應に行けたのであって、おまえが努力したから行けたのとは違うねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。わかっとんのんか、チャンコロ!」と何度も言うのだったが、しかし、父には慶應に裏口で入れてもらえるようなコネもカネもないのであり、様々な妨害を受けた結果として、又、今から考えると作戦のミスもあって私は2浪しても東大の試験には落ちてしまったけれども、私は裏口入学で慶應大学に入れてもらったのとは違うのだ。私は一般入試の試験に合格して入ったのだ。さらに、父は「おまえはなあ、北野高校を卒業したと思うておるかもしれんけどなあ、ええか!おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。わしがエライから北野高校におまえは行けたのであって、おまえは何ひとつ努力しとらんねんぞ。わかっとんのんか、浪商! おまえは浪商じゃ! おまえは浪商であって、北野高校に行けたのはわしがエライからであっておまえが努力したからとは違うねんぞ。心得違いを起こすなよ、浪商! この浪商めが、よくも生まれてきおってからに。生まれなければ良かったのに、この浪商! このチャンコロ!」と私の鼻の頭を指さして毎日のように何度も何度も言っていたのだが、M川のドバカ息子は高校も私立高校に裏口入学したらしいのだが、しかし、私が行った北野高校というのは大阪府立であって、「進学校」「受験校」でもたとえば兵庫県の灘高校なんてのは私立なので、灘高校卒の人に聞いた話では、毎年、何人か「裏口やな」とはたから見てはっきりとわかる生徒が何人かいるというのだが、大阪府立の北野高校に裏口なんて、ない! そもそも、父に高校であれ大学であれ、裏口で入れてもらえるようなツテなんて持ってないし、まったく、よく言うよなあと思うのだが。バカ言ってんじゃないわ!〔⇒《YouTube-3年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=cRwYKs3fHlo 〕父は、「親友」で医者屋のM川の言い方を聞いて、「そうや。わしも、そない言うたろ」と思ったらしく、毎日のように言い続けたのだった。しかし、私は高校も大学も裏口でなんて入れてもらっていないし、そんな汚らわしいことするくらいなら行かない方がましだ! と思ってきたし、裏口で入学する選択肢なんてないと思ってきたし、そういう意識があるから正規に合格することができるのである。
昨日のような気がするが、それから、すでに40年近く経った。M川は私の父より年下だったがM川の息子は私より少し年上だったので、すでに一般の会社員なら定年になるかならないかの年齢のはずだ・・・ということは、今や、金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬けにして苦しめたカネで裏口入学したM川のドバカ息子は親になって、ドバカ息子のドバカ息子がまたもや金権関西医大に裏口入学して、今度はドバカ息子のドバカ息子のドバカ息子がさらにまたもや金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬けにして貯め込んだ卑しいカネで裏口入学してやろうと虎視眈々とねらっている・・・てところかもしれない。
・・・だから、私は「裏口」てのが嫌いなんだよ。世の中、何が嫌いと言って、「裏口」ほど嫌いなものはないのだ。 だから、神社でも寺でも、出る時はどこから出るかは特にこだわらないとしても、入る時は、最初に行った時については、正門から入るようにしたいのだ。 ・・で、平塚神社の場合、南側の地下を東京メトロ南北線が走っている本郷通りの側から入るのが正門側なので、そちらから入ることにしたのだ。 「上中里」駅から本郷通りまで平塚神社に沿った道があって「蝉坂」と言うらしいのだが、その「蝉坂」から階段を上って社殿の脇にひょいと出る経路があるが、神社の参拝としても、鳥居をくぐって参道を進んで・・・という方が、いきなり、社殿の脇にひょいと出るよりも風情があるとも思う。 蝉坂から階段を上った前に社務所がある。宮司さんなりが社務所から「上中里」駅方面に行く用事があった場合などに使用する勝手口みたいなものではないかもしれない。2回目からはそちらから入ってもいいが、初回は本郷通りの側から入るべきだ。本郷通りから入る鳥居の脇には「平塚亭」という内田康夫の「浅見光彦シリーズ」にしばしば登場する和菓子屋もあるし(今回は休業日だったけれども)。
[1] 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅
↓が、東京メトロ南北線「西ヶ原」駅のプラットホームと出入口。
( ↑ 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅。 左、電車が停車中の線が飯田橋・白金高輪・目黒・日吉方面。 右が赤羽・浦和美園方面。 )
( ↑ 東京メトロ南北線「西ヶ原」駅。 東より出入口。)
東京メトロ南北線「西ヶ原」駅には地上との間に2ヵ所の出入り口があるが、↑は東より、平塚神社に近い側の出入口。 出入口の北西側(写真では左側)は看板が見えているように「国立印刷局 滝乃川工場」。 南東側(写真では右側)は、なんちゅうネーミングやねん・・て感じだが、「花と森の東京病院」。
千葉県のJR総武線沿線住人としては、「上中里」ならば、JR「秋葉原」駅で総武線から京浜東北線に乗りかえて「上中里」下車で行けるのに対し、「西ヶ原」で下車しようとすると、JR中央線「飯田橋」で東京メトロ南北線に乗りかえて「西ヶ原」下車という方法を取ることになり、JRで「上中里」に行く方が行きやすいのだが、「上中里」駅で降りてしまうと、正門からではなく「裏口」から入りたい誘惑にかられるので、だから、何としても正門から入らないといけないと考えて、「飯田橋」で東京メトロ南北線に乗りかえて「西ヶ原」駅で降りた。
次回は、西ヶ原駅周辺・・・
(2018.7.14.)
☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 〔今回〕
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html
≪ 「だめですよ浅見さん。高梨にはちゃんとしたアリバイがありますからね。・・・」
「そんなものはあとでどうでもぶち破れますよ。いまは、とにかく高梨氏の犯行であるとして、事件が成立する条件とシナリオを考えるのが先決です」
「そんな無茶な・・・・」
片岡は呆れた。
「そんなふうに、先に犯人を想定しておいて、あとから理由や証拠をくっつけようっていうのは、まるっきり警察の・・・」
片岡は「警察のやってることと同じ」と言いそうになって、慌てて言い換えた。
「・・・いや、つまり、まるっきり警察の捜査規範に合わないじゃねえですか。そういうのはまずいねえ」
浅見はニヤニヤ笑って、こっちを見ている。なんだか本音を見透かされたような気がして、片岡は気分がよくなかった。・・・ ≫
( 内田康夫『風葬の城』(2004、7.30.祥伝社文庫 ↑)
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