平塚神社「魔王の森」の参道と拝殿・本殿、蝉坂からの石段-平塚神社と浅見光彦【5/15】

[第617回]
[10] 平塚神社(2)
   本郷通りに面した平塚神社の「門柱」の間を通って敷地内に入ると、右手に「郷社 平塚神社」と縦書きで書かれた大きな石碑が立っており、左手には平塚亭が見える。その石碑と平塚亭の間の参道を直進すると、両側に月極駐車場があって、左手に駐車場を管理しているおじさんのいる小屋があり、その小屋の前にも、「平塚神社」と書かれた石碑が立っている。↓
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↑ 神さんだって、なんやかんや言うても食べていかんといけまへんからな、駐車場経営してますねん・・・てことかどうか知らんが、月極駐車場の駐車スペースが参道の両側に並んでいる。 このあたりは、なんだかなあ~あ・・・て気もする。 内田康夫『金沢殺人事件』(2005.4.20.祥伝社文庫 )では、浅見光彦が平塚亭に団子を買いに来て、警察漢がそのあたりにうろちょろしているもので、団子を買うだけに駐車料金を払うのは気が進まないが、警察庁刑事局長の弟が自宅の近所で駐禁やられても困ると駐車料金を払って時間パーキングに停めるという場面がある。↓
≪ 平塚亭の前で車を停めて、ドアを開けかけた時に、サイレンの音を聞いた。まるで駐車違反を見張ってでもいたようなタイミングだ。
  浅見光彦は慌てて車を発進させ、神社の境内にある駐車場に車を入れることにした。駐車料金は一時間たったの二百円だが、平塚亭の団子を買うだけの目的で、わざわざ駐車場を利用するのは業腹な気がする。
  駐車場のおじさんに鍵を預けているところに、浅見のあとを追うようにしてパトカーが入って来た。いや、パトカーだけではない。パトカーが三台に鑑識係の車が一台、それと黒い乗用車が一台、ゾロゾロと乗り入れて来た。駐車違反の現行犯逮捕にしては大袈裟だ。
  四台はそのまま参道へ走り去ったが、パトカー一台が駐車場の入口を塞ぐように停まり、中から私服が一人と三人の制服警官が下りて、こっちへやって来る。
「何かあったんですか?」
浅見はおじさんに訊いた。・・・・・ ≫
( 内田康夫『金沢殺人事件』2005.4.20. 祥伝社文庫 )
   どうも、本郷通りに近いあたりが月極駐車場で、比較的奥のあたりに時間パーキングのスペースがあるみたいだ。↑の写真は、撮影する時点では、せっかくの石碑なのに背後に駐車場の管理小屋が写るのは無粋だと思って、できるだけ、駐車場の管理小屋が写らないように撮影したつもりだったのだが、↑の写真はクリックすると大きくなるので大きくして見ていただくとわかるのですが、管理小屋の左下のあたりに、月極の場合の料金が書かれていて、これは、上から普通乗用車・軽自動車・二輪の料金のことだったと思うのですが、右上の方に時間パーキングの場合の料金も書かれていて、内田康夫が≪駐車料金は一時間たったの二百円だが≫と書いているように、午後8時からは1時間200円、午後8時までは20分100円と書かれている。 ≪本作品はフィクションであり、実在の団体、企業、人物、事件などとはいっさい関係ありません。≫と『金沢殺人事件』(2005.4.20. 祥伝社文庫)の巻末には書かれているけれども、ところがどっこい、内田の記述はなかなか正確である・・・ようだが、厳密には1時間200円は夜間のことで、お団子買うだけの時間なら、午後4時頃なら20分100円、100円ですむのではないか。料金改定されたのだろうか?

   内田康夫『金沢殺人事件』(2005.4.20. 祥伝社文庫)では、
≪ 蘭が産んだ六匹の子猫のうち、四匹は死産であった。蘭がいくら舐めてやっても動かない物体を前に、千賀はしばらくは茫然として手を拱いていた。
   蘭はじきに諦めて、腹の下に擦り寄って来る二匹だけに神経を集中させた。その時になってようやく、千賀は善後策をこうじることのほうに頭が働きだした。
   ともかく死んだ子猫の処置をどうするか決めなければならない。・・・・ ≫
ということで、子猫4匹の遺体を平塚神社に埋めさせてもらおうと平塚神社を訪ねた千賀が、平塚神社の参道で、シューベルトの歌曲「魔王」の森のように感じたというのです。
≪  まだ4時まわったばかりだというのに、街にはすでに夕方のような気配が漂っていた。いまがいちばん日の短い頃である。学校は休みに入っているのだが、蘭の世話があるので、今年はなかなか帰省できなかった。・・・・
   平塚神社の境内は、高い木々に覆われて、真夏の昼間でも暗いほどだ。平塚亭から神殿までの長い参道はシューベルトの「魔王」の森を行くように心細かった。しかし埋葬という作業を行うにはうってつけの寂しさではある。
   参道では一人だけ、男と擦れ違った。千賀はドキンとした。猫とはいえ、ともかく死体遺棄にはちがいない。「死体」の入ったショッピングバッグを怪しまれないかと、千賀は無意識に顔を俯けて歩いた。・・・・ ≫
※ 《YouTube-シューベルト 魔王 》https://www.youtube.com/watch?v=66tuylnQt1s
  〔(バリトン)ディートリッヒ=フィッシャウディスカウ (ピアノ)ジェラルド=ムーア〕
※ 《 シューベルト 「魔王」 》https://www.youtube.com/watch?v=zCNDBNQj868
  〔(テノール) イアン・ボストリッジ、 (ピアノ) ジュリアス・ドレイク〕
   そんなに生い茂った森なのかと思って実際に行ってみると、両側が月極駐車場になっていて、私には「魔王の森」を歩いているのではなく、月極駐車場の通路を歩いているように思えた・・のだが、撮影してきた写真を見ると、けっこう樹木が生い茂っていて、「魔王の森」は大げさというのか、こっそりと子猫の遺骸を埋めに行く女性が心細さから感じたものなのだろうけれども、けっこう樹木が茂っているのはたしかなようです。
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↑ 「平塚神社前」交差点の「対岸」から見た 平塚神社 全景。
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( ↑ 左側の倉庫には、それぞれ、「▽▽自治会」「◇◇会」といった名前が書かれているのですが、ここには、山車か神輿かが収納されているのでしょうか・・・。)
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   7月の午後に訪問して歩くのと、『金沢殺人事件』で、千賀が≪いまが一番日の短いころ≫に子猫の遺骸を抱いて歩くのとでは感じ方は違うのかもしれません・・・が、普通に歩くとそんなに「魔王」が襲って来るみたいに恐ろしい場所ではありません。

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( ↑ 平塚神社 拝殿。 )





    内田康夫『平家伝説殺人事件』(1985.6.10.角川文庫 )には、
≪ ・・・生まれ育って三十年も見慣れた風景だが、浅見は、上中里から西ヶ原にかけての一帯が好きだ。おそらく、東京二十三区のどこよりも開発が立ち遅れていると思われるこの街には、旧い東京のたたずまいが色濃く残っている。上中里から。旧電車通りへ登ってゆくダラダラ坂の右側には、源頼朝を祀る平塚神社の宏大な境内が続く。境内入口の茶店『平塚亭』は江戸期からの歴史をもち、昔ながらの素朴な和菓子を商っている。・・・≫
と出ているのだけれども、しかし、平塚神社でいただいた由緒書によると、
祭神は、
八幡太郎 源義家
賀茂次郎 源義綱
新羅三郎 源義光
   この3人のうちで有名人は源義家で、この人は源氏の大将でも特に武芸に優れた人と言われる人だったはずです。 由緒書には≪「天下第一の武勇之士」と称えられ、全国の武士達が臣従した。その武威は物の怪ですら退散させたといわれ、義家公の弓矢は魔除け・病除けとして白河上皇に献上された。・・・ ≫とあります。
  源為朝も武芸に優れた人と言われましたが、為朝の方はどちらかというと怪力系であるのに対し、義家は技能派の武芸達者というイメージがあります。
※ (受験生のための日本史)
源義家・・・・1039~1106 八幡太郎ともいう。前九年の役に従軍。1083年陸奥守、鎮守府将軍となり、後三年の役を平定。私財で賞を与え、関東の武士の信望を高めた。
前九年の役・・・・1051~62 陸奥の土豪 安倍頼時が国司に反抗、朝廷の命で源頼義・義家が清原氏の援を得て平定。源氏の東国における勢力確立の緒となる。
後三年の役・・・・1083~87 清原氏の相続争いに陸奥守として赴任した源義家が介入、藤原清衡を援けて清原氏を滅ぼす。源氏の信望が東国に高まり武家の棟梁の地位を確立。
( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.2.28. 山川出版社 )

   由緒書によると、源義綱は義家の次弟で、源義光は三弟で武田氏・佐竹氏・小笠原氏の祖らしい。
「御神徳」として、立身出世・勝ち運・騎馬上達・武芸上達・病気平癒・開運厄除け・魔除け・心願成就・その他・・・とあるのですが、「勝ち運」は前九年の役・後三年の役で勝利の大将ですからわかります。騎馬上達・武芸上達は武芸の達者だったと言われる源義家にちなむものとして、これもわかるのですが、病気平癒・開運厄除け・魔除けはどこから来たのか、単にくっつけただけか・・というとそうではなく、≪その武威は物の怪ですら退散させたといわれ、義家公の弓矢は魔除け・病除けとして白河上皇に献上された。≫というところから来ているようですね。
   源義家は石清水八幡で元服したから「八幡太郎」、源義綱は賀茂神社で元服したので「賀茂次郎」はわかりましたが、源義光は新羅明神で元服したので新羅三郎・・・て、新羅明神てどこにあるんだあ~あ? ・・・て思いませんか?
   インターネットで検索すると、《ウィキペディア―新羅明神(しんらみょうじん)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E6%98%8E%E7%A5%9E  に、≪ 新羅明神(しんらみょうじん)は、園城寺の守護神。≫、≪元来は朝鮮半島からの渡来神ともこの地域の地主神であったともいう。≫と出ています。 ということは、新羅明神で元服したという「新羅明神」とは滋賀県大津市の園城寺(三井寺)のことなのでしょうか? 

   「祭神」として、平塚神社でいただいた由緒書には「源義家・源義綱・源義光」の3人が出ているのですが、「北区神社めぐり」では、この3人に「豊島近義命(とよしまちかよしのみこと)」が加わって4人が「御祭神」として出ています。 拝殿の左手前に摂社・末社の祠が4つあり、拝殿に一番近い位置にある祠が「平塚天神社」で、ここで祀られている祭神は、菅原道真だけではなく、菅原道真と大己貴命(オオナムチ)、それに豊島近義命(とよしま ちかよし)となっています。 豊島近義(とよしま ちかよし)とは誰なんだというと、源義家の時代のこの地域の領主らしい。 「北区神社めぐり」で「御祭神」として4人の名前がで出ているのは、「ご本社」に祀られている源義家・源義綱・源義光と平塚天神社に祀られている豊島近義を書いているということでしょうか。

   なぜ、この地に源義家とその弟2人が祀られているのかというと、由緒書によると、
≪ 平塚神社の創立は平安後期 元永年中といわれている。 八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ 領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜された。 近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。 塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれた。 さらに近義は社殿を建てて義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。・・・・ ≫
ということらしい。
   「北区神社めぐり」には、≪拝殿の裏手には源義家公の鎧が埋められている甲冑塚がある。(ただしご神体のため非公開)≫と書かれている。

  拝殿の少し離れた右前あたりから見ると、背後に本殿らしき建物が見える。 グーグル地図で見ると、本殿の後ろあたりに「平塚神社」の場所が示してあり、社務所の場所に「平塚城址」の場所が示してある・・・ということは、「平塚神社」は本殿の後ろの甲冑を埋めたと言われる塚のあたりを示していて、「平塚城址」は、現在の社務所のあたりに城の拠点があったということなのか?




↑ 「 i 」マークが拝殿。 「平塚神社」と書かれている場所は、現在は立入禁止になっている塚の場所で、「平塚城址」と書かれている所の建物は社務所・授与所の建物。
   拝殿とグーグル地図では「平塚城址」と書かれている部分の社務所の建物との間に、もう1つ建物があるのだが、別の何者かを祀っているのか、神楽殿なのか。 神楽殿にしては閉鎖的なので神楽殿ではなさそうに思うのだが、何だろうか。 授与所で尋ねてみればよかった、と帰ってから思ったが遅かった。
   この地域の領主であった豊島近義(とよしま ちかよし)が、源義家から鎧を受け取ってそれを塚に祀り源義家とその弟2人を祭神として祀ったというのだが、江戸時代、外様大名は徳川家康を神として祀る東照宮を領地に建てて祀ることで徳川政権に恭順の意を示したように、その時代に有力だった源氏に対して恭順の意を示し、かつ、周囲に自分は源義家の同盟者であると示した(日本てのは、実は安保条約でアメリカ合衆国さんと手を組んでるアメリカのメカケみたいなものなんだぞ! と示したようなもの?)・・・ということなのか、どうか・・・?

   ともかく、平塚神社の由緒書を見ても、「北区神社めぐり」を見ても、平塚神社HPhttp://hiratsuka-jinja.or.jp/ を見ても、《ウィキペディア―平塚神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE  を見ても、平塚神社の祭神は源義家とその弟の源義綱・源義光、もしくはその3人とこの地の領主であった豊島近義であって、源頼朝ではないので、その点で、内田康夫が『平家伝説殺人事件』(1985.6.10.角川文庫 )で≪源頼朝を祀る≫と書いているのは、チョンボだろう。 しかし、内田は『金沢殺人事件』(2015.4.20.祥伝社文庫)では、≪ 神社の祭神は源義家だとか聞いたことがある。いまどきの東京としてはかなりゆったりとした敷地を持つ神社だ。≫と書いている。 内田康夫の小説は単に推理だけの小説ではなく、それぞれの地域について実によく調べて書かれており、いいかげんな観光案内書などよりよっぽどいいとも言える。かつて、1990年代、福島県いわき市に住んでいて『福島民報』を購読していた時、同紙の日曜版に、西村京太郎の小説で福島県浜通り地区のどこだったかを舞台にした小説があったのだが、小説の場所としてとりあげてもらえるのはうれしいのだが、読んでみると、「単に時刻表を見ただけで書いたような小説」であって、地元についての記述はほとんどないのは残念だ、と書かれていたのだが、実際のところ、西村京太郎の推理小説というものは「時刻表を見ただけで書いたような小説」ばかりであり、それが好きだという人だっているのだと思うのだが、それぞれの地域の人が地元を取り上げてほしいという場合には、「時刻表を見ただけで書いたような小説」を得意とする西村京太郎にそうでないものを期待しても無理だと思う。それぞれの地域の「旅と歴史」を掘り下げて記述するのが得意なのは内田康夫であり浅見光彦である・・・が、時々、チョンボもある。「旅と歴史」の編集長の藤田も本によっては「副編集長」になっていたり、浅見の先祖のデショウも静岡県だったり山口県だったりと、この作者は自分が小説に書いたことを時々忘れるらしいのだ。なおかつ、「自作あとがき」を見ると、自分が何年か前に描いた小説を自分で読んで、登場人物がかわいそうだと泣いたりするらしい。『熊野古道殺人事件』(2010.4.25.角川文庫)では、
≪ ・・内田と一緒に浅見が行くと、三人は顔を見合わせた。
「この人は何ですか?」
 浅見を指さして言った。人を荷物か何かのような言い方だ。
「彼は浅見さん。僕の主治医です。僕は心臓が悪いもんでね、いつ発作を起こすか分からないのです」
「ほんとですか?」
 三人は疑わしい目を浅見に集めた。
「ほんとうですよ。心臓が悪い上に、低血圧で、糖尿で、痔疾で、おまけにアルツハイマーのケがあります」
 浅見は思いつくだけの病名を挙げた。・・・・≫
自分で、≪アルツハイマーのケがあります≫と小説中で浅見光彦に言わせているということは、自分が書いた小説で、前に書いたものと一致しないものが時々あるということに本人も気づいているということなのだろう。

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↑ 平塚神社  (左)拝殿 (その後ろ)本殿
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↑ 平塚神社  (左)拝殿 と(右)神楽殿なのか宝物殿なのか何なのか? とその間の渡り廊下。
背後に、本殿らしき建物が見える。
  この本殿の背後に源義家の鎧を埋めたという塚があって、それが「ご神体」だということなのだろう。

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↑  JR「上中里」駅から本郷通りに至る坂道、内田康夫『金沢殺人事件』では「ダラダラ坂」と書かれているが、現地の説明書きによると「蝉坂」と言うらしい坂道の途中から平塚神社に上がる階段と平塚神社。
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↑  蝉坂からの階段を上がると、階段の正面に社務所があり、左手に拝殿が見える。 2回目からはこの階段で登って入ってもいいとは思うが、初回は、やはり、本郷通りの方の門柱の間から参道を進みたい。 そのためには、やはり、初回についてはJR京浜東北線「上中里」から行くのではなく、東京メトロ南北線「西ヶ原」から行くか、さもなくば、少し歩くがJR山手線「駒込」から歩いて旧古河庭園の横を通っていくか、ともかく、初回は本郷通りの入口、平塚亭の横の入口から入って進みたい。
   内田康夫『金沢殺人事件』(2015.4.20.祥伝社文庫)には、この階段も登場する。
≪ 神社の脇の坂道を下ってゆくと、JR京浜東北線の上中里駅がある。坂は朝と夕方、通勤通学の人びとで賑わう。坂下から直接境内へ登る急な石段もある。千賀は美容と健康のために、駅からの帰りには、なるべく石段を登り、境内を通ることにしている。
   日曜日などには、参拝者や子供連れなど、境内を散策する人たちの姿もあるが、ふだんはひっそりとしたものだ。・・・ ≫
   巻末には≪・・・本作品はフィクションであり、実在の団体、企業、人物、事件などとはいっさい関係がありません。――編集部≫と書いてあるのだが、平塚神社の描写はなかなか正確である。

  (2018.7.14.)

☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 〔今回〕
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_8.html
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html

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≪ 「・・・その前に聞いておきたいのだが、岳野氏の事件について、さっきのテレビニュースでは、自殺か他殺か調べ中――みたいなことを言っていた。警察はどう判断したんだい?」
「最初は病死と断定したようです。しかし、僕が指摘して、毒物の有無を再検査させたら、胃の中からアルカロイド系の毒物が検出されたのだそうです。しかし、第三者によって毒物が投与された形跡もなければ、カプセルによって服用された痕跡もないので、結局、自殺だろうということで落ち着いたみたいですよ」
「ふーん、そうか、自殺ねえ・・・・・」
「ええ、警察の目は節穴ですからね
「ん? それはどういう意味だ?」
「決まっているじゃありませんか。あの事件はれっきとした殺人ですよ。犯人は渡海船の中に缶コーヒーを置いて・・・・」
「・・・・」
 内田は驚きの表情を見せ、口を開きかけたが、反論も質問もしなかった。・・・・ ≫
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