平塚神社拝殿前のユニークな狛犬。のし瓦の日に扇の紋。盗泉の水-平塚神社と浅見光彦【6/15】

[第618回]
[11] 平塚神社(3)
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  平塚神社の社殿で独特なのが、狛犬です。拝殿に向かって左側が↓
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拝殿に向かって右側が↓
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   狛犬が左右に台座に乗って間の参拝者の方に向いて鎮座するのではなく、岩山に狛犬がいて、しかも、左側は2匹いて、その2匹が対面していて、1匹は参拝者が通る場所とは逆を向いています。 これまでに訪問した神社で、こういう狛犬の配置がされている神社はここで初めてみました。 平塚神社を訪ねる方は、ぜひ、狛犬をよく見ていただきたいと思います。

   そして、拝殿の屋根の「のし瓦」についている「紋」? ですが、扇の形をしています。↓
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↑ 源義家にちなむものかと思うのですが。 扇を弓矢で貫いたというのは那須与一だったと思うので、源義家より後の時代の人ですね。 インターネットで検索すると、源義家の弟の源義光の子孫である佐竹氏の家紋が、「扇に日の丸」だというのですが、それなのでしょうか? 日の丸なのか、月丸なのか?
※ 《佐竹氏 五本骨扇に月丸》http://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/html/satake_k.html
《清和源氏の家紋から探る》http://www.harimaya.com/o_kamon1/saguru/genzi.html
  ↑の「のし瓦」についている扇の柄を見ると、月ではなく日ではないかと思えますが。

   拝殿と社務所の間に、その両方と渡り廊下でつながった建物があります。↓
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↑ (左)拝殿。  (右)拝殿と社務所の間、両方と渡り廊下でつながった建物。
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↑ 拝殿と社務所の間に両方と渡り廊下でつながった建物。
    ↑これは何なのか?  神楽殿なのか・・・?  神楽殿にしては閉鎖的というのか、四方を閉じられている。 宝物殿なのか? しかし、一般に宝物殿というと、直方体というのか、平面図で見ると長方形のものが多いような気がします。↑のような立方体に屋根が載ったような建物というのか、平面図で見ると正方形の宝物殿というのは多数派ではないように思いますし、立地として、拝殿と社務所の中間に宝物殿は持ってこないのではないか。 本殿と別に、他の神さんを祀っているのか? しかし、それなら、どこかに拝む場所があるのが普通ではないか?  ・・・ということで、どうも、よくわかりません。 授与所で訊けばよかったのですが、うっかりしました。平塚神社HPhttp://hiratsuka-jinja.or.jp/ にも、平塚神社に行くための上中里駅・西ケ原駅・駒込駅からの「地図」http://hiratsuka-jinja.or.jp/map/index.html は載っていますが、残念ながら、境内地図や建物の説明はありません。 ↑写真でも、右端に木の札が立っているのが見えるのですが、雨で流れてしまってまったく読めません。雨で字が流れて読めなくなってしまったとはいえ、木札が立っているということは、極秘の建物・・とかいうわけでもないのでしょうから、授与所で遠慮なく訊けばよかった、と今になって思います。
   内田康夫『萩殺人事件』(2012.光文社 2015.光文社文庫)の「エピローグ」には、
≪ 本来の参道ははるか先まで行って迂回してこなければならないのだが、坂道から石段を上ると、直接、平塚神社の拝殿の前に出てこられる。社殿はそれほど大きくはないが、神楽殿も備わった規模は立派なものだ。関東大震災でも太平洋戦争でも被害に遭わなかったという建物は、古色が備わって、由緒ありげな雰囲気を醸し出している。≫
と出ているので、神楽殿ということか。

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↑ 社務所に掲げられていた「生命(いのち)の言葉 平成30年7月」。
「渇しても盗泉の水を飲まず。 熱しても悪木の陰に憩わず。――陸機」
   折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』(1970.4.15.集英社)によると、
≪ 渇しても盗泉の水を飲まず
  〔意味〕 名が悪いだけでも避けるということで、どんなに困っても不義不正の金品はもらわないこと。説苑(ぜいえん)によると、孔子が世に用いられず諸国を遊説していたころ、ある日、歩み疲れて、ある山の麓にさしかかると泉が湧いていた。その泉の水はおいしいことで名高かったが、泉の名は盗泉と名づけられていた。弟子たちがかけよって、器にくんで、やつれた孔子にすすめると、孔子は「かりにも盗と名のついた泉の水は飲みたくない。たとえ名であっても賤しい名のついているものは避けたい。君子は道をはなれては生きる甲斐がない」といって、ついに一滴も飲まなかったという。
  かつて敗戦直後の日本で、法も秩序も乱れ徳義地に堕ち不義不正が横行したとき「法で禁じられた闇取引の米を食べたのでは申しわけない」といって、配給米だけに頼っていたため栄養失調に陥って死んだ裁判官がいた。当時肥えた豚たちは、その愚直をあざ笑ったが、痩せたソクラテスたちは「渇しても盗泉の水を飲まぬ」清廉に襟を正した。
[類言]悪木の陰に憩わず。 悪木盗泉。 ≫
と出ている。
   「陸機(りくき)」とは、人の名前なのか本の名前なのかと思い、谷山茂編『日本と世界の人名大辞典 縮刷版』(1971.4.1. むさし書房)をひいてみたが掲載はない。 新村出 編『広辞苑 第二版』(1969.5.16. 岩波書店)をひいても掲載はない。 ところが、インターネットてのはよくできたもので、「困った時にはウィキペディア」・・・載ってた。 ≪陸 機(りく き、261年 - 303年)は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。≫だそうだ。 ≪七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。幼い頃より並外れた才能があり、特に文学の才能は当世随一であったという。また、儒学の教養を身につけ、礼に外れる行為はしなかったという。≫という人だそうだ。( 《ウィキペディア―陸機》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E6%A9%9F )

   もっとも、折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』(1970.4.15.集英社)に出ている≪「法で禁じられた闇取引の米を食べたのでは申しわけない」といって、配給米だけに頼っていたため栄養失調に陥って死んだ裁判官がいた。≫という話については、「衣食足りて礼節を知る」という考え方もある。『別冊宝島Real♯006 困った裁判官』2001.1.1. 宝島社)に所収の 石松武雄(弁護士)・高橋繁行(ルポライター)「裁判官今昔物語 日本の裁判官はなぜ″血の通った″判決を書けなくなったのか!」では、
≪ それから刑事裁判官に限って言えば、今の裁判官と決定的に違うなとつくづく思うことがひとつあります。今の刑事裁判官って、被疑者を含めた被告人は自分たちとは違う人種だと思っているんですね。・・・
   でも、私の時代は違いました。復員して日本に帰ってきたものの家族は死んでいる。路頭に迷った挙句の強盗なんてざらにいました。私も人生をひとつ間違えたら、あの連中と同じだという意識がすごくあった。それは刑事裁判官としていちばん大事な基本的な考え方だと思うんです。 ・・・・
   ・・・でも当初、私は裁判官になるのは嫌でね。検事か弁護士になろうかなという気持ちでした。当時の検察は今と比べものにならないくらいリベラルだったしね。
   なぜ裁判官が嫌だったかというと、当時は食糧難の時代で闇米が横行したでしょう。私などもしょっちゅう米の運搬をしていました(笑)。 ところが裁判官というのは、闇米で捕まった人を食糧管理法違反で裁く側です。実際、闇の食糧を食べることを拒否して2人の裁判官が餓死するという事件がありました。一方で闇市という現実があるなかで、法を守り闇を罰する裁判官の仕事に就くのは、嫌やなあと思ったんです。
   ところが、ためらいながらも司法修習生となり、配属された大阪地方裁判所で、自分の人生を決定づける人に会いました。網田覚一という裁判官で、彼が代理裁判長として法廷指揮をする食糧統制違反の控訴裁判を傍聴したときのことです。起訴された零細の商店主や行商人を相手に、網田さんはこんなやりとりをしていたんです。
「おまえの同業者はみな闇をやっとるのか」
「はい、みなやっております」
「みな捕まるか」
「いえ、捕まったのは私だけであります」
「君、人づきあいが悪いのと違うか」
「そうでもないと思いますが」
「これからは、見つからんように闇をやれよ」
  網田さんは磊落な口調でね、こんな型破りな裁判官がいるなんて! 私はビックリしました。で、やりとりの後、網田さんの下した判決は、執行猶予付きの罰金刑というのが常でした。一見乱暴な言動をするものの、裁かれる側の痛みに実に敏感だった。私は網田さんの裁判を見て、ああこれなら闇米を食べながら裁判官ができると思ったんです(笑)。 ・・・ ≫
という話も載っています。

   ついでに言いますと、読売新聞の拡張員て矢鱈としつこい。ときどき、言いたくなるのです。「我が家は先祖代々、巨人とか読売とか名前のついた物は買ってはならないという家訓があるんです」と。 そこまでは言わないけれども、「申し訳ないけれども、うちは巨人は嫌いなんです。読売新聞のスポーツ欄を見ると、朝から不快指数が上昇するから読みたくないのです」と言ったことがあるのですが、ところがどっこい、敵もさるもの。「分かりました。それじゃ、野球がある季節は朝日さんとか毎日さんとかとってもらって、野球のない半年間、10月から3月までの6ヶ月、読売とってくださいよ」と、そう言うのです。「『渇しても読売の水を飲まず、熱しても巨人の陰に憩わず』と孔子だか陸機だかが言うてお~る!」と言いたい気持ちにもなるのですが、一度、言ってみたいような・・・。 とりあえず、読売撃退法ですが、「御主人さん、今、新聞は何をとっておられますか」と訊いてきた時に、「朝日ですが」と言うと、「朝日ですか。朝日はねえ。思想的に問題がありますね。朝日は左翼ですからね。御主人さんも朝日をとってるということは、そういう思想の持ち主なんですか」とか言ってきますから、だいたい、なんで、こいつに思想調査されなきゃならんのだ! 不愉快な。読売というのは新聞うってるのではなく思想調査をやりながら洗剤売ってるのと違うのか? 「この洗剤、◇◇。 ほんとに汚れがよく落ちる。真っ白! これ、〇箱、つけちゃう♪」とか言って、新聞屋が新聞を売り込まずに洗剤売り込みますからね、読売の拡張員は。 で、なぜ、朝日を購読するのかなんて、いちいち、読売の思想調査員に説明する筋合いはありませんから、大きなお世話なんですよ。 新聞販売店にも、日経新聞を読売とともに扱っている店がありまして、そういう店の営業だと、「わかりました。朝日を読まれるだけの方だと思いますよ。読売なんてあんなの、読む気しないですよねえ。読売なんて、あんなの、バカの読む新聞ですもんねえ~え」なんて言って、「でも、日経ならいいでしょ。日経とってくださいよ」と持っていくみたいなのですが、地域によって、今、私が住んでいる地域なんてのは、朝日の店・読売の店と毎日・産経・東京・日経の店とに分かれているのです。 となると、読売の拡張員は「読売なんて読む気しないですよねえ。日経ならいいでしょ」と持っていくことができない。 そういう場合、今、読んでいる新聞が朝日とか毎日とかだと読売に変えさせようとして、「朝日は左翼ですから」とか言い出すか、あるいは「記事のいいのは朝日、サービスのいいのが読売ですよ。ビール券つけますから」とか言うかするのですが、「今、日経新聞よんでるけど」と言うと、読売の拡張員はたいていあきらめるみたいです。 日経→朝日→読売→スポーツ という階層ができていますので、日経の読者を朝日に変える、朝日の読者を読売に変えるということはありえても、日経の読者を読売に変えさせるのは困難と判断するようです。 だから、日経を購読しているここしばらく、読売の拡張員はあまり来ませんし、来てもすぐあきらめます。でも、一回、言ってみたいような気もするのです。「渇しても、読売の水は飲まず。熱しても巨人の陰には憩わず」と・・・・(笑)。 「新聞は何をとってられますか」「なぜ、朝日をとるんですか」「朝日をとってるということは、御主人さんもそういう思想の持ち主なんでしょう。違うんですか。違うならどうして朝日をとってるんですか。朝日をとってるということは御主人さんもそういう人間なんでしょう。どうなんですか!」とか言ってまわっているような思想調査会社の発行している新聞みたいなもの、購読するのは日本国民として反社会的だと私は思うので、読売・報知はコンビニで買って読むことはあっても定期購読は絶対にしない。

   『金沢殺人事件』(2015.4.20.祥伝社文庫)では、捨て猫を拾ってアパートでこっそり飼いだしたところ、その猫が妊娠していて6匹も子猫を産んだものの、そのうちの4匹は死産で、その4匹の遺体をどうしたものかと思い、平塚神社の境内に埋めさせてもらおうと考えて埋めに来た千賀は、そこで、「たすけて・・・」という声を聞く。
≪  その時、岡の西側の方で何か人の声らしい物音を聞いたような気がした。
「たすけて・・・・」
 かすかだが、こんどは男の声ではっきり聞こえた。
・・・・
 脳溢血か心臓マヒか知らないけれど、とにかく、誰かに知らせなければならない。家族はさぞ驚くにちがいない。
 千賀は裏山を出た。神社の社務所へ行くつもりだった。ひょっとすると、まだ助かるかもしれないとも思った。
 社務所に人が住んでいるのかどうか、いままで考えたこともなかったけれど、そこに行けば誰かいるだろう。
 しかし、社務所の明かりを見たとたん、気がついた。
(猫の死体を埋めたんだわ――)
 男の死に立ち会った状況を訊かれたら、そのことも話さなければならなくなる。・・・・ ≫
   平塚神社の拝殿の前に、ご自由にお持ちくださいと置いてあったのでもらってきた「平塚神社 平成30年 水無月」(2018.6.15.発行)によると、宮司は遠藤康彦さんという方だそうです。 授与所ではお守りなどを販売しており、御朱印もいただけます。 授与所に人がいない時には、呼び鈴というのかブザーというのかがあって、御用の方はこちらを押してくださいと書いてあります。 そこに住んで夜もそこに寝泊りされているのかどうかは知りませんが、日曜日の昼、その方が宮司さんなのかどうかは分かりませんが社務所におられました。御朱印を書いてもらい、お守りも購入させてもらいましたから。 でも、平日の夕方4時頃におられるかどうかはわかりませんが。

   (2018.7.14.)

☆ 平塚神社・平塚天神社と浅見光彦
1.裏口は嫌い。西ケ原駅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_3.html
2.国立印刷局、滝野川警察署、七社神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_4.html
3.花森東京病院、滝野川公園、地震の科学館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_5.html
4.平塚神社全景、門柱、平塚亭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_6.html
5.平塚神社参道、社殿、蝉坂からの階段と社務所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_7.html
6.ユニークな狛犬、扇に日の丸の紋 〔今回〕
7.社殿の裏の岡。猫の死骸を「かわいそう」と思うか「気持ち悪い」と思うか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
8.菅原神社(平塚天神社)、大門先・元稲荷神社、御料稲荷神社、石室神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
9.城官寺、上中里駅、蝉坂、上中里不動尊、摩利支天 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_11.html
10.旧古河庭園(1)洋館、つつじ園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_12.html
11.(2)心字池、雪見灯篭、石橋、兜門、染井門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_13.html
12.(3)茶室、黒ボク石積、崩石積、書庫 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_14.html
13.滝野川小学校、「御子柴邸」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_15.html
14.滝野川会館。「一里塚」バス停から「上中里」駅まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_16.html
15.上中里駅陸橋、尾久操車場・田端機関区、銭湯 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_17.html







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≪ それから十分後、浅見は聡を連れて、同じコーヒー屋に戻って来た。聡はさすがにしょげ返って、目の下に隈ができている。
「まったく、警察なんて、話には聞いていたけど、ひどいもんですねえ。最初から犯人扱いで、こっちの言うことをまともに聞こうとしないんだから」 ≫
( 内田康夫『薔薇の殺人』1994.10.25.角川文庫 ↑) 

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