和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校+上宮天満宮参拝【9/10 】

[第637回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第48念-9
   YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」に、「京大東大文系クラス」のみにということで、週1コマ、英語を担当したYMCA予備校で浪人して京大の文学部に1浪で通ったという京大の大学院生が講師に来て、「俺の経験から言うと、英語に関して言うならば、YMCAの授業とテキストをすべてやっておけば、他は何もしなくてもどこの大学でも通ると思う。あくまで、『英語に関しては』ということやで。他の科目は知らんで」と発言した。 これは、彼は自分自身の経験から発言したものと思われるが、それは、「量的なもの」として間違いではないと思う。なによりその頃のYMCA予備校は「京大東大文系クラス」と言いながら、他の大学と出題される問題の形式が大きく異なる東大の社会科(日本史・世界史など)への対策がまったくなく、英語の授業時間が矢鱈と多い予備校だったので、「量的なもの」としては十分な量があると判断していいということだ。高校は1コマ50分だったのに対し、YMCA予備校は1コマ90分で、高校の授業の2コマ分がYMCA予備校の1コマであると考えると、英訳1・英訳2・英訳3・英文法・英作文と英語で5コマあって、それに「特別英語」という「京大東大文系クラス」だけの授業まで加えると、2コマ分×6コマ=12コマ、高校の授業でいえば、12コマあったことになる。それと別に自習用に「Idioms」「英作文の鍵」をいう熟語集を渡されたわけだから、確かに「他の科目は別として、英語に関しては量的には十分」だった。又、その講師のにーちゃんが言う以前に、世間では、関西の予備校では、兵庫県神戸市の御影にあった(今はなくなったらしい)大道学園は数学の先生が始めた予備校だっただけに数学に力を入れる予備校と言われていたのに対し、YMCA予備校は「キリスト教系」ということになっているだけに(その「キリスト教系」はかなり怪しい、「敬虔なクリスチャン」と称する「主事」が「聖書みたいなもん、あんなもん、読んでいいことなんて何ひとつとして書いてないんやから。聖書なんて読まんでも、洗礼うけて日曜ごとに教会にいって礼拝に出て献金はらっておけばそれでいいことなんや」と何度も何度も大威張りで言うというそういう「キリスト教」・・て、そういうのをキリスト教と言うのかどうか、極めて疑問だったが)英語に力を入れる予備校と言われていた。
   しかし、だからいいという意味ではない。 英語は訳1・訳2・訳3・英文法・英作文と5コマあって、訳1は英文解釈、訳2は、英文があって「訳せ」という問題ではなくその英文を踏まえた質問が下にあるような問題、訳3は長文。私は思うに、このテキストを作った人はそれなりに考えて作ったのではないかと思う。 まず、「下記の英文を日本語に訳せ」という問題に対応できるようにということで、訳1のテキストを作った。そして、「下記の英文を読んで、下の質問に答えよ」というような問題に対応できるように訳2のテキストを作った。そして、長文を読みながら英単語・英熟語の語彙を増やすことを目的に訳3を作った。英語の訳は書くべきか書かざるべきか、これは人により意見は異なるようだが、書かない方がいいという説は、これは語学というものはその言語のままで理解できるようになるべきもので、いちいち日本語に訳して意味を理解するべきものではないという考え方、又、いちいち日本語に訳して、しかも、紙に日本語を書いていたのでは、永遠にその言語そのままで理解できるようになれない、というのだ。私は1990年代、福島県いわき市に5年間、住んだが、後半はいわきの言葉で生活しいわきの言葉で物事を考えるようになった。・・・すごい♪ と思っても、カネにはならない。(株)一条工務店で、福島県いわき市に5年間、栃木県佐野市に3年半、山梨県に1年3ヶ月赴任したが、その結果、いわき弁を話せるようになりましたあ~あ・・・と言っても、次に就職しようという場合、誰もそれを評価してくれない。ミラノに5年間、パリに3年半、ロンドンに1年余りいましたあ~あ・・・というと、それは評価してもらえて「飯の種」になるのではないかと思うが、しょーもない会社に勤めてしょーもない使い方をされると、苦労ばっかりさせられて、あんまりええことないわ。で、いわき の人間がよく言っていたのは、「東京の映画が、いわき の映画館で上映される時には、下に『・・・だっぺえ』と字幕スーパーがつく」という冗談であったが、さすがにそれはないが、いわき の人間は東京もんと話をする時に、いちいち、「・・・・だっぺえ」と訳して、しかも、それを紙に書いた上で理解しているわけではないのだ。そして、5年間、いわきに住んだ私は、「・・・・だっぺえ」というのを「東京弁」か「標準語」かに訳して紙に書いた上で意味を理解していたのではないのだ。「・・・・だっぺえ」という言葉のままで意味を理解して、そのうち、自分でも「・・・・だっぺえ」と言うようになった。「だっぺ」が使えるようになった♪ と喜んだが、地元の人間から「おまえの話す『だっぺ』は、いわきのネイティブスピーカーからすれば本物の『だっぺ』じゃない」と怒られたのだが、「日本人が話す英語」みたいなものだったのかもしれない。 ところが、だ。 語学はいちいち日本語に訳して意味を理解するのではなくその語学のままで意味を理解するべきものだ、というのは確かなのだが、大学入試の英語などでは、「日本語に訳せ」という問題が出題され、これは、普段から日本語にして紙に書く練習をある程度以上しておかないと、意味がわかるのだから日本語にして書くくらいのことはできるに決まっていると思いこんでいると、いざ、書こうとした時にかけないことがある、というのが、書いてみるべきだという方の意見である。 この2つは対立する意見というよりも、語学の学習における2つの別の面について述べたものと考えるべきだと思う。YMCA予備校のテキストで言えば、訳1 が、この「次の英文を訳せ」という問題に対応し、これは、文章の内容を頭で理解するだけではなく、実際に日本語にして、かつ、紙にその日本語を書いてみるべきでしょう。 しかし、訳2については、これは、もともと、「訳せ」という問題ではないのですから、日本語にして紙に書く必要はない。むしろ、これは日本語にして紙に書かずに設問に答える練習をするべきものです。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(日本実業出版社)で、英文を「日本語に訳せ」という問題でないものまでも日本語に訳して書いていたのでは、書かないと解けなくなる、YMCA予備校のテキストでいえば訳2に該当する問題では、求められているのは、下記の設問、たとえば、「下記の英文のうち、上記の英文の内容に反する文章はどれか選べ」「下記の日本語の文章のうち、上記の英文の内容に一致する文章はどれか、選べ」といった問題、あるいは、一部分について、( )で空欄があり、「( )内に適切な英単語を入れよ」といった問題、そういう問題は全文を日本語に訳してそれをいちいち紙に書いた上で答えていたのでは試験時間が足らなくなることが多い。そういう問題を解けるようになるには、普段から、いちいち全文を訳して全文を日本語にして紙に書いていたのではだめで、日本語訳を書かずに答えることができるように練習しないといけない。 柴田孝之はそう書いているが、柴田が言わなくても私もそう思う。ところが、YMCA予備校高槻校の「主事」だという藤井(男。当時、50くらい?)が、「YMCA予備校では、昔から伝統として英語はすべて日本語にして書くというようにしていますので、訳1も訳2も訳3もすべて日本語に訳してノートに書いて来るようにしてください」と言うのだった。これはおかしい。結論として、藤井は「YMCA予備校では・・」という言い回しをしていたが、実際はそうではなく、亜拓大東帝国あたりしか出ていない藤井が考えたことだろう。この男は、普段から自分が思いついたことを「YMCA予備校では・・」という言い回しで言う癖のある男である。実は、前年の高校3年の時、YMCA予備校豊中校でやった夏期講習というのに2週間行った・・というのか「行かされた」というのかで行ったのだが、その際、別の「主事」という役職の男性が「YMCA予備校に来る時には、履物は革靴かズック靴を履いて来るようにしてください。サンダルを履いてくるのはやめてください。サンダルで廊下を歩くと、パッカパッカとうるさいですから」と言ったのだ。たしかに、予備校とはいえ学校であることを考えると、サンダル履きで行く所ではないだろう。ところが、その翌年、私が浪人してしまって行った時には、YMCA予備校高槻校で「主事」というのになっていた藤井は「YMCA予備校に来る時には、サンダル履きでは来ないようにしてください。前に、階段の所で、サンダルを履いて来た人を後ろの人が踏んでひっくりかえって大怪我をしたということがありましたから」と言ったのだ。いったい、どっちやねん?・・・・て思いませんか。 「パッカパッカとうるさいから」なのか、「階段で、後ろからサンダルを踏まれてひっくりかえって大怪我した人があったので、そういうことがないように」なのか。 結論を言うと、どちらでもなく、予備校といえども学校なので、サンダル履きで来るというのは不謹慎ではないかというのが理由ではないかと思う。別におかしなことではないと思うが、2人で別の理由付けをしているという点が、なんとも、おかしい。 しかも、藤井は自分が思いついた理由付けを「YMCA予備校では」とYMCA予備校としての見解みたいに言っているという点に問題がある。あくまで、自分が思いついただけのことなのに、それに「YMCA予備校では」という表現を使っている。 「YMCA予備校では、昔から伝統として英語はすべて日本語にして書くというようにしていますので、訳1も訳2も訳3もすべて日本語に訳してノートに書いて来るようにしてください」という発言の「YMCA予備校では」というのもその類で、おそらく、藤井の思いつき、亜拓大東帝国あたりしか出ていない男、自分は京大だの東大だのなんて受けたこともない男の思いつきであろう。
   英作文は短い文章の英訳の問題の羅列であったが、東大の英作文の問題は長い文章が出た。英作文は短いから簡単で長いから難しいとも限らない。 長い文章といっても、要するに短い文章の組み合わせが長い文章であるから、長いから難しいというものでもないのだが、それまで、短い文章しか英作文をやったことがない者が、いきなり、長い文章を目の前に出されると面食らう。だから、「京大東大文系クラス」においては、東大の英作文の問題を解けるようにするには、ある程度長い文章の英作文の練習をやるべきであったはずである・・・が、YMCA予備校の英作文のテキストにはそういう配慮がない。単なる「文系クラス」「理系クラス」と「京大東大文系クラス」で同じテキストである。受けようとするところの問題に即さないもので「量的には十分」だとすると、結果として、本当に自分が受けようとするところの問題の対策をとる時間を奪われてしまうことになる。
   YMCA予備校で1浪して京大の文学部に通ってYMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」の週1コマだけの「特別英語」の講座の講師に来たにーちゃんは、「俺の経験からいくと、英語に関しては、YMCAの授業とテキストをすべてやれば、他は何もしなくても、どこの大学でも通ると思う」と「俺の経験」から言ったようで、それは「俺の経験」からいけばそうであったのだろうけれども、それなら、YMCA予備校のテキストと授業が最適なものだったのかというと、そうではない。 彼は京大の文学部に合格することができたとしても、もしも、京大の文学部の合格最低点がもうひと回り高かったとしたならば、彼は不合格になっただろう。 逆に、不合格になった人間といっても、すべての面にわたって失敗だったわけではない。
   野村克也のじいさんが「失敗と書いて、成長と読む」とあっちこっちで書いていた。「人間は成功からは学ばんもんなんや」と。確かにそうだと思う。野村のじいさんが言うのは、人間は成功した時に、自分はどこが良かったから成功したのか・・なんて検討せんやろ。そうではなく、失敗した時こそ、なんであかんかったんや、どうしてうまくいかんかったんやと考えるものだ、というのだが、もうひとつ、成功した時に考える方向と失敗した時に考える方向は方向が違うと思うのだ。 エール出版社から『東大入試合格作戦』『東大入試英語合格作戦』『京大入試合格作戦』『医学部入試合格作戦』『早慶入試合格作戦』といった本が出ていた(今はどうなっているか知らん)が、そういうものを見ても、合格したヤツが書いていることというと、自分はこういうことをやったが、それが良かった・・・という良かったものばっかりと違うか。本人は良かったと思っているかもしれないが、それは、そいつが受けた時のそいつの成績よりも合格最低点が下だったから、だから、そいつは「良かった」と思っているだけのこと。もしも、そいつの取った成績よりも合格最低点がまだ高かったならば、「良かった」とは言えなかったはずである。 だから、「人間は成功からは学ばんもんなんや」というのは、成功した時は、ふりかえってどこが良かったか考えるということをあまりしないということもあるが、良かったか悪かったかわからない、どちらとも言えない、ある程度は成果が出たけれども、基準がもっと厳しかったなら失敗の方になったかもしれないものを、成功した場合、大学入試であれば合格した場合、「良かった」方に分類してしまう場合が多い、という点があると思うのだ。「失敗と書いて成長と読む」と野村のじいさんが言うておったように、失敗してこそ、どこがいかんかったんや、どうすればよかったんや・・といついつまでも考えるというところがある。

    今、100点満点で「普通にやったら60点とれる人間」がいたとする。 「普通にやったら60点とれる」人間だから、普通にやれば60点とれるはずだが、何らかの理由・事情で「普通にやる」ことができなかった、「普通にやる」ことができない環境に置かれたとすると、「普通にやったら60点とれる人間」でもそれより低い点数しか取れない。20点くらいしか取れないかもしれないし、0点に近い点数しか取れないかもしれない。なにしろ、「普通にやったら60点とれる人間」でも「普通にやる」ことができていないのだから。 そういう人間が点数アップするにはどうすればいいかというと、まず、「普通にやる」ことができる条件・環境を回復することである。そうすれば、「普通にやる」ことができる条件・環境を回復すれば、「普通にやったら60点とれる人間」は60点とれるだろう。しかし、合格最低点が65点だったとすると、「普通にやったら60点とれる人間」は普通にやったのでは合格できない。必死でやるしかない。「普通にやったら60点とれる人間」が必死でやったら70点とれるだろう。合格最低点が65点の試験に70点とれば合格である。めでたしめでたし(^^♪  ・・・しかし、「普通にやったら60点とれる人間」が「必死でやって70点とった」としても、合格最低点が75点であったなら、「必死でやった」にもかかわらず、不合格である。 それならどうするか。 ひとつの方法として、あきらめる、という選択肢がある。 70点とれたのなら、合格最低点が75点のところではなく65点のところを受けるようにすれば合格できる。 その上で、「(合格最低点が75点の)◇◇大学よりも(合格最低点が65点の)☆☆大学の方が・・・・の点でいいと思ったから◇◇大学でも通ったけれども☆☆大学にしたんだ」とか「(合格最低点が75点の)◇◇大学だと下宿して行かないといけないが、(合格最低点が65点の)☆☆大学なら自宅から通えたので、うちは家が貧乏やったから、だから自宅から通える☆☆大学にしたんや。◇◇大学に行くような人って、金持ちでいいねえ」とかいった“言い訳トーク”もしくは、◇◇大学に行った人間に対する“攻撃トーク”を開発する・・・・。 しかし、合格最低点が75点のところを目指してきた者が、「必死でやって70点とった」がまだ5点ほどたらない・・・という時、簡単にあきらめることができるだろうか。 あきらめることができるなら、本人の問題だからあきらめてもいいが、あきらめることができないならば、なんとか、75点を越える方法を考えないといけない。 「必死でやって70点とった」なら、さらに「ものすごい必死でやる」ようにすれば、77点とか78点とかとれるかもしれない・・・なんてこと言っても、「普通にやったら60点とれる人間」が「必死でやって70点とった」時、すでに相当必死でやっているのであり、これ以上「ものすごい必死でやって」なんていっても、もうすでにそこまでやってる。 そうなると、ID野球、「野球は頭でやるもんや」てなもので、「受験は頭でやるもんや」と、何か、これまでにやっていない工夫をすることになる。 「合格最低点より少し下」から「合格最低点より少し上」に上げるというのは、これは、けっこう大変である。仮に合格最低点が75点だとすると、0点から60点まで上げることはできても、70点から77点まで上げるというのは、0点から60点まで上げることとは別の大変さがある。
    こういうことを言うと、「ぼくなんかは、そんなこと全然考えなくても、悠々と通った」とか言うやつが出てきたりする。 そういう人間には3種類あると私は考えている。
1.・・・嘘つき。 これがけっこう多い。 1980年代初め、私が20代前半の時だが、東大病院に勤めていた医者屋の男F(当時、30歳)が、「この僕は東京大学理科三類に現役で悠々と通ったんだぞお。わかってんのかあ。おまえは、浪人しても東大に落ちた、それも文三すらも落ちた最低の落ちこぼれだろうが。おまえは何度も東大に落ちて慶應にしか行けなかった人間のカスだろうが! まさか、この僕が東大の理科三類にぎりぎり通ったとか思ってないだろうなあ。この僕は、東大の理科三類に現役で悠々と余裕をもって通ったんだぞお。僕とおまえとは能力も違えば人格も違うんだ。わかってんのかあ。おまえは、クズだ、カスだ、浪人しても東大に落ちて慶應にしか通らなかった最低のカスだ、と謙虚なこの僕が言ってやってんだぞお。わからないのか」と何度も怒鳴りつけられた。 ・・・で、最初は、東大病院(正確には、東京大学医学部付属病院)に医者屋として勤めていて、本人が東大医学部を出ていると言うのだからそうなのだろうと思っていたが、そのうち、なんか変だなと思うようになったのだ。
  どこが変かというと、まず、第一に、私は医学部というのは人間を扱うものであるので、数学・物理学・化学の思考も必要であるが、文学・哲学・歴史学・宗教学・人類学・社会学といった思考も必要で、中学校・高校の科目でいえば国語・社会科の素養・教養も必要ではないかと考えていた。だから、大学入試において慶應大医学部とか慈恵医大とかは試験科目は数学と理科2科目(物理・化学)と英語であったが旧帝大系国立大学では数学と理科2科目と英語だけでなく国語や社会科もまた試験科目にあり、数学と理科2科目と英語で入学できる医学部よりも数学と理科2科目と英語だけでなく国語や社会科もまた学習してきた者でないと入れない医学部卒の者の方が医者として良いのではないかと考えていたのだが、ところが、F山にはそういう人間という印象が感じられなかったのだ。
第二に、F山は私が知っている正真正銘の東大理科三類現役合格の人間なんかとは感じが違う。私が知っている東大理科三類現役合格の人間は、F山みたいな感じではない。
第三に、私自身が大学受験をした経験、特に、落ちて浪人して学んだものとして、「余裕を持って悠々と通った」かどうかなんて「どうでもええ」、大事なのは合格最低点を1点でも上回ることができるかどうかであって、それ以上高い点数をとったとしても、それがいったいナンボのもんや!?! てとこ。 野球でホームランとは外野のフェンスを越えたらホームラン、場外ホームランを打っても余計に2点入るわけでも3点入るわけでもない、大事なのは外野のフェンスを越えるかどうか、それだけ。入学試験はあくまでハードルであって棒高跳びではない。「場外ホームラン打ったる」とか言って大振りして空振りしたり内野ゴロ打ったのでは元も子もない。入試においても、「場外ホームラン」を打つ必要はない。本番の試験で合格最低点をいかにしてより高い確率で上回ることができるか、これだけである。この姿勢が勝負強さである。 だから、「余裕を持って悠々と」通る必要はないし、そんなものは自慢にも何にもなるものではないはずである・・・・が、Fはそれが自慢になると思いこんでいた。
第四に、Fは私より少し年上だったのだが、Fが大学を受験した時も私が受験した時も、京大・阪大・神戸大は合格した場合も不合格の場合も、高校に受けた時の点数を通知してくれたので、高校3年の時の担任の先生に訊きに行けば、合格した場合も不合格の場合も何点だったか知ることができたのですが、東大は点数を通知しなかったので、あくまで、通ったか落ちたかしかわからず、通った場合も落ちた場合も何点で通ったか何点で落ちたかはわからなかったのです。 それを、なぜ、Fは「この僕は東京大学の理科三類に現役で悠々と通ったんだぞお。この僕が理科三類にぎりぎり通ったとでも思ってるのかあ。この僕は理科三類に現役で悠々と余裕をもって優秀な成績で通ったんだぞお。おまえとは違うんだぞお。浪人しても慶應にしか行けない人間のカスとは違うんだ。わかってんのかあ」と、受けた時の点数を把握できているみたいに言うのでしょうか。東大は理科三類であろうが他の科類であろうが、通ろうが落ちようが点数は教えてくれないのですから、自分で、このくらいだったかなあと推測するくらいしかできないはずなのです。
・・・・で、F山はどうだったのかというと、結論として、学歴詐称。 Fは東大病院に医者屋として勤めていたけれども、卒業した大学は、東京大学医学部ではなく、帝京大学医学部だった。 なるほど、私立金権裏口医学部裏口入学のやつが言いそうなことだわ。 なるほど、なるほど。 こういう人間、けっこういますよね。 YMCA予備校の「主事」の藤井が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低三度は言わないと気がすまない、てのもそのくちでしょう。世の中、しょーもないこと言いが多くて、疲れます。 「世の中、バカが多くて疲れません?」 チョコラBBドリンクでも飲みたくなってきた・・・〔⇒《 世の中○○が多くて疲れません?? チョコラBB CM 桃井かおり 》https://www.youtube.com/watch?v=stPrSWJuibw 〕
2.  私が↑に述べたようなことを理解する前に通ってしまった人。 これはある程度以上いると思います。特に、東大に何人も進学する高校から東大に行った人や、北野高校のような京大志向もしくは「京大・阪大志向」の高校から京大・阪大に行った人の場合、自分でそれほど考えなくても、高校のカリキュラムや課題がその大学の試験について考えたものになっていると思われるので、それを着実にこなしておれば、最終的に通るかどうかはさておき、「通っておかしくない成績」くらいまでとれる可能性がある。 そして、受けて現役で通った人には、「通るものだ」という意識が定着した人というのがいるのではないかと思う。 「それは、たまたま通ったからそう思うのであって」などと言おうものなら、「僕はたまたま通ったのではない」とか言い出すのだが、たしかに、努力して通ったのであって「たまたま」だけで通ったということではないだろうけれども、それでも落ちる人間だっているということを理解する前に通ってしまったのは事実である。
3.  本当に、天才みたいな人。 別名、「長嶋みたいなやつ」。 こういう人というのは、実際には、それほどいない・・・・が、もし、いたとしても、そんな「長嶋みたいなやつ」なんて、どうでもいい。 なにしろ、「わしぁ、日陰の月見草や」からな・・・。

    YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」の「特別英語」の講師としてきた、YMCA予備校で1浪して京大の文学部に合格したという京大の大学院生というにーちゃんが、「英語に関してはYMCA予備校の授業とテキスト・課題だけやってれば、ほかは何もしなくてもどこの大学でも通ると思う」というのも、いわば、京大の文学部に通ることができたことから、「成功」と自分で考えてしまったものと言うこともできる。それで合格できたかもしれないが、もしも、合格最低点がもうひと回り高かったならば、どうなったかわからない。 そもそも、合格した人間でも、個々にやったものは、すべてが成功ではないはずであるし、不合格になった人間でも、すべて失敗であったわけではないはずである。 ところが、成功なのか失敗なのかどちらか微妙というようなものがある。そういうものについて、合格した人間は「成功」の方に分類しやすく、不合格になった人間は、合格した人間と同じことをしていて、その部分に関しては合格した人間と変わらない成果が出ていても、それでも、どこが悪かったんや、どうすれば良かったんや・・・と考えることになる場合が多いと思う。
    YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」の「特別英語」の講師に来た、YMCA予備校で1浪して京大の文学部に合格したという京大の大学院生のにーちゃんが言った「英語に関しては、YMCA予備校の授業とテキストと課題をやればほかは何もしなくてもどこの大学でも通る」というのは、その認識はいいのか悪いのかというと、絶対的に悪いというわけではないが、結論としては、正しくないと私は認識している。 それなら、私の「結論」はというと、「東大に行きたければ、東大の問題だけできればいい」「京大に行きたければ京大の問題だけできればいい」ということである。 受けもしない大学の試験問題なんて、やる必要ないのだ。 それを、YMCA予備校は、「京大東大文系クラス」でも単なる「文系クラス」でも「理系クラス」でも同じテキスト、全国の大学の過去問を集めただけのテキストを使用させていたが、「京大東大文系クラス」においては、過去問をやるのであれば、全国の大学の過去問を集めたものを大量にやる必要はない。 そうではなく、京大に行きたければ京大の問題を集中してやるべきである。 東大に行きたければ東大の問題を集中してやるべきである。 もしも、京大に行こうとしていたけれども、模擬試験の結果などを見て、京大なら「微妙」だが阪大なら通りそうというようなケースもあり、京大を目指していた人が阪大に受ける先を変更する場合もあるだろう。そういうことを考えると、「京大・東大文系クラス」であれば、京大・東大のほか、阪大・神戸大、及び、併願で受ける可能性が考えられる慶應・早稲田、関関同立あたりの試験問題だけ集中してやればいいことで、ほかは余計である。 1973年、前後期制のパリーグで、前期優勝の南海は、「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話ほかは全敗したっていい」という姿勢でプレーオフに臨み、3勝2敗、それも、最後の試合は、8回まで0-0、9回表に2死からホームラン2本で2点とったものの、9回裏にホームランで1点とられて1点差に迫られたものを逃げ切ったというもので、「ともかく勝てばええんや」という姿勢で勝ったプレーオフだった。 この「ともかく勝てばええんや」という姿勢こそ、勝負強さだと私は認識している。 この「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢で臨むのと、ともかく、力をつければ勝てる可能性が高くなるという姿勢で臨むのとでは、結果は違ってくる。 大学入試においても、東大に行きたいと思ったら、東大の試験の対策を中心に集中してやるべきで、京大に行きたいと思ったなら、京大の試験の対策を中心に臨むべきであり、ほかはどうでもええ、「極端な話、ほかは全敗したっていい」のである。「ほかは全敗したっていい」と言っても、さすがに本当に全敗するとこたえるかもしれないが、姿勢としては、この姿勢で臨んだ方が、ともかく、実力をつければ合格できるなどという姿勢、YMCA予備校がやっていた姿勢でやるよりも成果が出る可能性が大きい。
    野村のじいさんがどこかで書いていたのだが、プロの野球選手というのは、もともと、体力はある人間が野球選手になっているのだから、そこからは「野球は頭でやるもんや」とどれだけ頭を使うことができるかの勝負だというのだ。 だから、素振りは大いにやるべきではあるが、すでに相当やっている選手が、成果が出ないからと「野球は頭でやるもんや」と頭を使うのではなく、「清原が素振りを何千回やった」とか聞くと、「あんた、いったい何やってんの」と言いたくなる、と。 「京大東大文系クラス」といったところにきた受講生というのは、「素振り」に該当するようなことはすでにある程度以上やっているのである。それでも、高校を卒業する年は落ちたのだ。落ちたけれども、まったく何の努力もしてきていないわけではないし、何の実力もないわけではない。そうなると、そこからは、さらに「素振り」するのではなく、「野球は頭でやるもんや」と、工夫をして合格したいと思う大学の試験問題に対しての対策をとるべきなのだ。 それなのに、全国あちらこちらの大学の過去問を集めたような問題集を大量にさせるというのは、それは、「素振り」をさらに大量にさせようというようなものである。 「あんた、いったい、何やってんの」というようなことをYMCA予備校は受講生にさせようというしていたのである。
   母は私が嫌いで、他方、小学校から同じだったN口という男が好きだった。私は母に言ったことがあるのだ。「そんなにN口が好きなら、私を産まずにN口を産めばよかったのに」と。母は30年も経った今でも私に言うのだ、「あんたは落ちたけれども、N口は通ったやないか」と。母は息子としては私ではなくN口が欲しかったのだ。 母は私は要らなかったのだ。 父が他界した後、それまで離れて暮らしていたが、2人いるなら、片方が体調を悪くしても他方が救急車くらい呼ぶかもしれないが、1人だけ置いておくわけにはいかないと思い、それで、私が、母と一緒に住もうとして、大阪の会社で雇ってもらえるところを捜し、やっと、来てくださいと言ってもらえるところがあり、それを報告したところ、母は「へえ~え、そう。私はこれから東京に行って住むことに決めたわあ」と言うのだった。「私が大阪に行って一緒に住むということで、大阪での勤め先を捜して、来てくださいと言ってもらえるところがあったんじゃないの」と言うと、「ああ、そう。そんな会社なんてどうでもいいでしょうが。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言うのだった。「私はなあ、うちの子供の中では、Hちゃんが一番ええんや。あんたが一番要らんのや。あんたなんかおってもしかたがないでしょうがあ。あんたなんかいてもしかたがない人間でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたわあ」と言うのであった。 Hちゃんというのは、下の姉のダンナのことである。上の姉とそのダンナと下の姉とそのダンナと私のこの5人の中で、母は下の姉のダンナが一番良くて、私は要らんと言うのであった。「私はうちの子供の中ではHちゃんが一番ええんや、Hちゃんが。Hちゃんはあんたなんかと違うんや」と。 「要らない子供を、なんで産んだの」と言ったこともあるが、「あんたが産まれてきたのでしょうがあ」と言うのであった。父は「よくも、産まれなければよかったのに産まれおってからに、このチャンコロめが、このチャンコロ!」と私の顔を指さして毎日言っていたが、「産まなかったらよかったのと違うのですか」と言ったことがあったが、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロ。産まれなければよかったのにおまえが産まれたんじゃろうが、このチャンコロ。産まれなければよかったものを産んでやってやってやってやってやってやってやってやったったんじゃ、感謝しろ、このチャンコロ、このチャンコロ、産まれなければよかったのに」と言い続けた。
   たしかに、N口は1浪して京大の法学部に通った。「通った」といっても浪人したのだから、およそ、「自慢」なんてできるものではない。たとえ、現役で通ったとしても、それは「良かったね」というものであって、そのこと自体は世の為ひとの為に何かしたわけでもなく、「自慢」するものでもないのだけれども、ともかく、現役で通る方がよく、浪人して通った人間というのは「通った」とふんぞり返る性質のものではない。しかし、N口の場合は、そのあたりを勘違いしているようなところがある男だった。この男は、お母さんが自分の息子のことをいいようにいいようにスピーカーとなりアンプとなって叫びまくる人で、その点が自分の息子のことを悪いように悪いように言いまくる私の母と正反対であったことから、N口は母親から自分のことをいいようにいいように言われて自分でも自分はエライんだと思うようになった人間だった。そういう男が私の母は好きだったのだ。 まず、通った人間も落ちた人間も、有利な条件も不利な条件もあったはずで、1つや2つ有利な条件があっても、ほかのところで不利な条件がある場合もあり、逆もある。1つ不利な条件があっても、だから、必ず落ちると決まっていないし、1つ有利な条件があっても、だから、必ず通るとは決まっていない。YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」に来ていた人間には「看板に偽りありだな」と同クラスについて不満を口にする人間は複数いたけれども、それでも、通った者はいるし、落ちた者もいる。1つの条件だけですべて決まるわけではない。だから、同じクラスにいたとしても、私が落ちても通る人間がいたとしても、それは「ありうること」である。しかし、それよりも、親が京大や東大を出ている親、もしくは、親が京大や東大に行きたいと思ったけれども行けずに他の大学に行ったが息子・娘は京大なり東大なりに行かせてやりたいと思っているという親の息子・娘というのは、つくづくうらやましいと思ったものだった。親が、社会的に、比較的しっかりしている親の息子・娘の場合、YMCA予備校高槻校は変だと親の方が気づいて、それで、息子・娘に教えたはずなのだ。 ところが、我が家の場合、「主事」の藤井という男は「あの男は受験について何もわかっていない男だからあいつの言うことはきかないで」と私の方が教えても、それでも、父は「専門家の言うこと、せんもんか。専門家せんもんかセンモンカ、せえ~んむお~んくわあ~あ!」と言ってきかず、私が「あんなやつ、専門家じゃないよ」と言ってもそれでも、「専門家です、せんもんか、センモンカ専門家すえ~んむお~んくわあ~あ!!!」と言って理解せず、母は「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」と決めつけ、「あの人はクリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事になっているくらいだから、クリスチャンの中でも相当にえらいクリスチャンのはずや」と言ってきかなかった。「聖書みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんだから。あんなもの、読んでいいことなんて何ひとつとしてないんだ、あんなもの。聖書なんて読んではいかん。聖書なんて、読むものではないし、たとえ、読むにしても年齢がいってから読んで、『はあん、そんなものか』と思えばいいことであって、決して若い頃に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。聖書なんてあんなもの、読まなくても、洗礼を受けて、日曜ごとに教会に行って、礼拝に出て献金 払っておけばそれでいいことなんや。聖書なんて絶対に読んではいかん」と毎日のように胸はって言っていた男のことを、「あの人はクリスチャンはクリスチャンでも相当にえらいクリスチャンのはずや。絶対に悪い人ではない」と言って、私が「どうか、お願いだから、あいつの言うことはきかないで」と頼んでも拝んでもきいてくれなかった。この点が、親が京大や東大を出たような親の息子・娘と我が家とでは条件が大きく違った。私が「あいつは、あんまりまともじゃないし、受験のことなんて少しもわかっていない人間だし、自分自身が京大や東大を受けた経験のある人間でもないし、どうかお願いだから、藤井の言うことはきかないで」と母に懇願すると、なんと、驚いたことには、翌日にはそれが藤井に伝わっていたのだ。母は、私が懇願すると、その日のうちに、私が知らないうちにYMCA予備校に電話をして、「こんなこと言いますねん」と報告していたのである。母の方から電話したのか藤井の方から電話したのか、どちらかわからないが、受講生と親なら、ここの家は親の方が組みしやすいと判断すると、受講生に隠れて陰で親に電話しておかしな話を吹き込んでいたのである。YMCA予備校高槻校の藤井は、「どんな本、読んでるんだ。見せてみろ」などと言って、持ち物検査、思想調査してみたりもする特高野郎であったが、実際のところ、「クリスチャン」と称している人には、YMCA予備校の藤井が「聖書みたいなもん、あんなもの、いいことなんて何ひとつとして書いてないんだ、あんなもの。あんなもの、いいところなんて、何ひとつとしてないんだ、あんなもの。聖書なんて決して読んではいかん」と毎日のように言っていたように、実際には、聖書の思想には魅力も何も感じていない人間であって、実体は、反共、もしくは、反動、もしくは、特高であるという「クリスチャン」がいる。YMCA予備校高槻校の藤井はその類の人間であった。 N口の親は、少なくとも私の親のような反応をしない人間だった。私が、「あいつはまともじゃないし、受験のことなんて少しもわかっていない人間だから、どうか、お願いだから、藤井の言うことはきかないで。藤井に話さないで」と言っても、その日か翌日には藤井に電話したのか藤井から電話されたのかどちらかわからないが、ともかく、その日か翌日のうちには、「こんなことを言いますねん」と私が母に言ったことをそのまま伝えるという、母はそういう女だった。これはこたえた。今、考えるに、大学受験は、どう考えても公平じゃない。親の違いというのは相当大きい。父親が、あるいは母親が、京大なり東大なり出たような親である場合と、我が家のような、「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」とかいう「信仰」を持っている親とでは、条件はまったく違った。 もしも、30年前の自分というものは、今の自分と同じではなく、弟のようなものだと考えるならば、まあ、あんな条件の悪い中で、よく頑張ったものだ・・・と、別段ほめるものではないけれども、まあ、よく頑張ったなと言ってやりたい気持ちになったりもする。1年浪人したが京大の法学部に合格したN口は、その後、どうしたか知らないが、風のたよりに聞くには、当人は浪人したとはいえ京大に通ったが、弟はあまりお勉強はできなかったようで、巡査になったと聞く。なるほど、N口も巡査みたいな精神構造の人間だった。京大に行ったって「アタマが巡査」では、あんまり、京大に行った意味はなさそうな気もするが、京大に行ってもその程度の京大である。当人はそれを得意にしているだろうけれども。又、反共か反動か特高かの思想のことを「キリスト教」と思っているような「クリスチャン」が世の中にはいるわけだが、その類のYMCA予備校の藤井がN口を気に入っていたのも、そのあたりに原因があるようである。私は、予備校に行っていた時から、そのあたりに、はっきりと認識まではできなかったが、感覚的に少しは気づいていた。「巡査みたいな」京大と「巡査みたい」な自称「敬虔なクリスチャン」であった。N口と藤井は、けっこう似た者同士だったのかもしれない。
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↑  受講生と親ならこの家は親の方が騙されやすいと思うと、受講生に隠れて親に電話をしておかしな話を吹き込むといったことをする卑怯者の予備校 YMCA予備校高槻校は、ふと気づくとつぶれて、その場所は、大阪医大の本部北西部キャンパス になっていた。「いぬき」で大阪医大が買い取ったのか、建物はかつてのYMCA予備校高槻校の建物が今もある。3年程前にこの付近に行った時には、入口にYMCAの逆三角マークがはいった掲示ケースだけ残っていたが、今はそれもなくなったようだ。 あのYMCA予備校高槻校にはいい思いはないが、その場所には思い入れがある。

   そういえば、大阪医大で大学祭というのか学園祭というのかの際、女子学生が予備校の前に来て、「来てください」と言って私にチラシを渡そうとしたことがあり、こちらはなんといっても「ローニン」「笠貼り」の身分、「悔しかったら抜いてみろ」とか言われても刀は質に入れてさしているのは竹光だったりする身分であるし、だいたい、大阪医大みたいなもん、行くような甘ったれたやつが学園祭なんかやるなあ~あ! て気持ちがして、受け取り拒否したのだが、今から考えれば、せっかく、チラシを持ってきてくれたのだから、行くかどうかはともかく、受け取るくらい受け取れば良かったと思う。今から考えれば、けっこう魅力的な女性だったような気もしないでもないのだが、今は私なんかよりもずっと年収の多い男と結婚してお母さんになっているか、もしくは、おばあさんになっているかもしれない。映画『シャレード』で、登場人物の男が「男は、ある程度以上の年齢になると、『真面目』と言われると居心地が悪いものだ」と言う場面があったが、『シャレード』のDVDを見て、たしかにそうだなと思ったのだ。(私の父などは死ぬまで「・・は真面目だっさかいなあ」と皮肉みたいに言われてそれを皮肉と感じずに喜んでいたし、自分で「わしぁ真面目やねん」とか言っていたが、そのあたり、あのおっさん、絶対アホやなと思う。)今は「ローニン」の時と比べて「真面目」ではなくなったので、こんなこと言っている。
※ 《YouTube-映画「シャレード」 サウンドトラック・スコア ヘンリーマンシーニ楽団 》https://www.youtube.com/watch?v=LEiCb8i3i2Y

   YMCA予備校高槻校(現 大阪医大本部北西部キャンパス)の北側あたりに、JR(30年前は国鉄)の線路の折り返し線(小規模な車庫みたいなもの)があり、高槻でもこのあたりはそれほど開けた場所ではなかったが、今はそうでもなくなった。線路の北側には、関西大学の「高槻ミューズキャンパス」ができている。↓
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  次回、10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

  (2018.11.4.)

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