上宮天満宮(高槻市)参拝【3/10】竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿

[第631回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第48念-3
   上宮天満宮、「三柱門」をくぐって、左に神具室・絵馬堂・神輿庫、右に「社務所(祭式殿)・香梅殿 入口」・授与所・「御霊屋・神楽所」を見ながら直進し、「割拝殿」の「西拝殿」と「東拝殿」の間を通ると、その正面に本殿が見えます。右手前に牛の像がおり、その後ろあたりに、「どこそこに合格させてくれえ」という絵馬がかけられています。「そんな所くらい、おのれの実力で通らんか~い!」と書いて横にかけたろか~あ・・・とか、ふと思ったりもしますけどもお~お・・・・・。
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↑ (正面)本殿。 (その右手前)牛の像。 (その後ろ)絵馬かけどころ。
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↑ 本殿の右手前の 牛の像。 ずいぶんと新しそうな牛の石像である。 この牛は30年前にはいなかったと思う。比較的、最近、鎮座した牛であろう。
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↑ 本殿。




( ↑「鳥居」マークが本殿。 )
   上宮天満宮は、《ウィキペディア―上宮天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ると、
≪ もともと当地には『延喜式神名帳』に記載される「摂津国島上郡 野身神社」(現: 摂社・野身神社)があり、土師氏が氏神として祀っていたと考えられている。≫ とある。
上宮天満宮の「主祭神」は菅原道真で、「拝祀神」が武日照(たけひなてる) と 野見宿禰(のみのすくね) となっていますが、野見宿禰は菅原道真の先祖で相撲の神さん(反則相撲の神さん)として、武日照(たけひなてる)て誰やねん? というと、菅原道真の先祖の野見宿禰命(のみのすくねのみこと)のそのまた先祖の神さんというのが、アマテラスの勾玉をとってスサノオが生み出した5柱の男神の1柱の天穂日(あめのほひ)で、その子が武日照命(たけひなてる)らしく、≪ 上宮天満宮は「天神山(てんじんやま)」(「日神山〈ひるがみやま〉」)と呼ばれる丘陵上に鎮座し、社伝によれば太古に武日照命が当地に降臨して鎮座したという≫という「社伝」があるらしい。
≪ のち正暦4年(993年)、勅使・菅原為理が太宰府に下向して(菅原)道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。為理は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが上宮天満宮の始まりとする。≫
≪ 道真を祀る天満宮が創建され、野身神社がそれに吸収されたものと見られる。≫
という経緯の神社らしい。
  菅原為理とはどういう人か。菅原道真とはどういう関係か、『更級日記』の作者の「菅原孝標の女(むすめ)」とはどういう関係の人かというと、菅原道真の五男で「菅秀才」と呼ばれ、横浜市の上永谷に配流された〔⇒[第196回]《永谷天満宮(横浜市港南区)参拝~冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(11) 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html  参照。〕菅原敦茂(あつしげ)のひ孫らしい。 菅原道真の長男で土佐介に左遷された菅原高視(たかみ)の ひ孫が『更科日記』の作者である「菅原孝標の女(むすめ)」のお父ちゃんである菅原孝標らしい。 だから、『更級日記』の作者の「菅原孝標の女(むすめ)」は菅原道真の長男の高視(たかみ)の ひ孫の菅原孝標(たかすえ)の娘であるのに対して、大宰府に下向して菅原道真の墓に参拝して菅公の御霊代と自画像を持ち帰ろうとして上宮天満宮の所で牛車が動かなくなった・・という菅原為理は菅原道真の五男の淳茂(あつしげ)の ひ孫 ということらしい。 『文学史』の「教科書」など見ても、『更科日記』の作者を、昔から「菅原孝標の女」と表記しているが、「むすめ」と読んでほしければ「菅原孝標の娘」と書いたらどうなんだろう、「菅原孝標の女」ではメカケの1人みたいじゃないか・・・・て思いませんか? これ、けっこう思う人いるみたいで、高槻市のJR東海道本線のすぐ南にあったYMCA予備校高槻校で「古文」を教えていた「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教諭」だという山之内という古文の講師のおっさんもまた、「これ(「菅原孝標の女」という表記)、『すがわらのたかすえのスケ』・・・とちゅいますねん。『すがわらたかすえのむすめ』と読みますねん。メカケじゃなくてムスメですねん。間違えんように」と言うておったが、実際のところ、「すがわらたかすえのむすめ」と読んでほしいのになぜ「菅原孝標の娘」と表記せずに「菅原孝標の女」と表記するのか、今もってよくわからん・・・・・。
※ 《公卿 類別譜》http://www.geocities.jp/okugesan_com/sugawara.htm
《ウィキペディア―菅原高視》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%AB%98%E8%A6%96
《ウィキペディア―菅原淳茂》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B7%B3%E8%8C%82
   野見宿禰(ノミノスクネ)というと、これは有名な「相撲の神さん」のはずなのだが、どうもよくわからんのだが、「文治派」菅原道真の先祖が「マッチョ・体育会系」「武断派」のノミノスクネらしいのだわ。

   整理してみよう。
 天穂日(あめのほひ)-武日照(たけひなてる)・・・野見宿禰(のみのすくね)・・・菅原道真‐菅原高資(たかみ)・・・・菅原孝標(たかすえ)-「菅原孝標の女(むすめ)」

菅原道真‐菅原淳茂・・・・菅原為理

≪ 永禄11年(1568年)、芥川山城の三好討伐の際に織田信長が本陣を構えた。≫ということがあったが、
≪ 天正6年(1578年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放ったという。≫とある。戦国時代から安土桃山時代にかけて、大名でキリスト教に帰依した・・・とされる「切支丹大名」が何人かいたものの、その多くはキリスト教について十分に理解しておらず、あくまでも、宣教師が持ち込む西洋の文物を珍しがって、そちらに魅力を感じて「受洗」した者が多く、それゆえに、「切支丹弾圧」の世相になってくるとあっさりと棄教する者が多かったが、唯一、高山右近は心からキリスト教を信じた大名であり、キリスト教を棄てるか大名をやめるのかと迫られると、キリスト教を信じて大名をやめて外国へ追放された、真の信仰をもっていた大名とされ、カトリックでは「聖人」の1人と認定されているようではあるが、高槻市の神社では、この上宮天満宮だけではく、阪急「高槻市」駅より南側にある野見神社でも、≪ ・・・キリシタン大名高山右近が城主となると社領を没収し、時の神職が石清水八幡宮へ御神体を避難させたと言い伝えがあります。・・・・≫ と現地での説明書きに書かれており、「物珍しさからキリスト教にひかれただけ」の多くの「キリシタン大名」とは異なり本当にキリスト教の信仰はもっていたキリシタン大名であったとされるものの、片方において、既存の宗教に対して弾圧もしくは冷遇する姿勢があったのではないか・・・と思われるような記述が見られます。 『コーラン』(岩浪文庫)を読むと、マホメットは、イスラム教徒だけではなく、キリスト教・ユダヤ教の信者について「経典の民」と言い、最も優れた教えはイスラムの教えであるが、しかし、キリスト教・ユダヤ教の信者であっても、アブラハムからモーセに至る経典の教えを守り信仰の生活をおくる者は立派であるとしており、又、イスラム教徒では「他の宗教に対する寛容がイスラムの教え」であるとして、最も優れた教えはイスラムの教えであるけれども、それぞれの宗教の信者がその教えに従って生活するのは立派な態度であり、決して他の宗教を迫害するようなことはあってはならない・・・としていたはずであり、この基本姿勢についてはキリスト教もまた同様のはずであると思われることから考えると、はたして、高山右近というのは、本当にキリスト教についても理解できていたのだろうか・・・・・などと思ってみたりもします。

  ちなみに、阪急「高槻市」駅の南、高槻城址の北のあたり、カトリック高槻教会の南のあたりにあるのが「野見神社」で、JR「高槻」駅の北の上宮天満宮の摂社は「野身神社」、どちらも「のみじんじゃ」だが「み」の漢字が違う。

≪ 天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には、豊臣秀吉が参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、天正18年(1590年)、社地を寄進して社殿を修造した。 ≫とある。 30年前、ここに立ち寄った際、そんな由緒のある社殿だとは思わずに見過ごしていたが、1996年に放火により焼失したらしい。
≪ 1996年(平成8年)11月、放火により本殿(伝・1590年〈天正18年〉豊臣秀吉造営)を焼失。≫
そして、放火焼失の6年後の2002年、
≪ 2002年(平成14年)12月、本殿は日本初の竹製の本殿として再建された。 ≫ というその「竹製の本殿」というのが、↑の写真の今の本殿らしい。

【受験生のための日本史】
高山右近・・・・1552~1614。 キリシタン大名。洗礼名ジュスト。高槻城主。1614年の禁教令によりマニラに追放、病死。
山崎の戦い・・・・1582年、秀吉が明智光秀を山城の山崎天王山で破り、信長後継の地位を確立。
( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.新版 山川出版社)

  但し、「日本初の竹製の本殿」ということだが、どこまでが竹なのか・・・・・? ↓
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↑ の写真で見ると、正面の柱は木の集成材のようにも見えるが、現地の説明書きには、
≪ この建物は、柱・壁・屋根のほとんどが竹で作られております。≫と書かれている。
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↑ 外壁材が竹だということかと思うのだが、はたして、竹という素材になんらかの薬品処理を加えて平らにして壁用の化粧材として使うことができるのだろうか。
   木には針葉樹と広葉樹があり、それぞれがいくつもの科に分かれていて、さまざまな種類の木があるが、竹は竹じゃないか・・・なんて印象があったのだが、今里隆『これだけは知っておきたい建築用木材の知識』(1985.5.6. 鹿島出版会)を見ると、真竹(まだけ)・孟宗竹(もうそうちく)・淡竹(はちく)・女竹(めたけ)・寒竹(かんちく)・スダレヨシ・矢竹(やだけ) といったものがあり、産地も違えば用途も違うようだ。 ≪肌の仕上げを建築用に作った≫という「人工竹」もあり、晒竹(さらしだけ)・角竹(かくちく)(四方竹 しほうちく)・煤竹(すすだけ)・錆竹(さびだけ)・図面竹(ずめんだけ)といったものがあるようだ。
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↑  屋根材として竹を使用するというのはわかる。 昔から庭に竹を利用して水を引くことはあったわけであり、竹を使った「流しそーめん」なんてのもありましたから、そこから考えれば屋根材に竹を使うということもできて良さそうである。 現地の説明書きにも出ていたが、問題点として、はたして、どのくらいの耐久性を期待できるか という点がありそうだ。
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↑  本殿。 東面。
  現地の説明書きには、
≪ 弊社は2ヘクタール 8千本の竹林を持ち その整備と資源活用を通じて全国各分野の専門家集団と関わり世界で始めて(ママ)とされる竹による外部構造物を完成させ建築/行政/環境分野で反響を呼びました。
   10年をメドに屋根の葺替えが予定され耐用期間の長期化を計って(ママ)おります。 ≫ と書かれている。

   竹でもどの種類の竹を使用したのかは記載はない。 石段を登り切ったあたりの右手、摂社の野身神社の北あたりに、竹林があるのは見える。 ↓
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(↑ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。)




↑ 摂社 野身神社 の北側あたりの竹林。

※ 《ウィキペディア―上宮天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
高槻市HP 上宮天満宮 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/shaji/1327659405625.html
上宮天満宮HP http://jogu.jp/

   次回、 本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html

   (2018.11.4.)


★ 上宮天満宮(大阪府高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
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★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
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千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html

言ってはならない 日本のタブー100
宝島社
西岡 研介

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≪ 刑事警察は、実際に行われた犯罪を捜査し、凶器や目撃者証言などの客観的な証拠を積み重ねながら犯人に迫っていく。
   公安警察も、過激派のテロ事件などが発生すれば、これと同様の捜査を行う。ただ、公安警察はその前段としては、まだ犯罪が行われていない段階から、「怪しい」と思われる対象を監視するのだ。 問題は、何をもって「怪しい」と見なすかだ。日本は言論の自由の保障された民主主義国家であり、左翼であろうが右翼であろうが、どのような思想信条を掲げても、法を犯さない限りは活動に制限を受けないことになっている。
   ところが公安警察は、罪を犯したわけでもない個人や団体への盗聴や尾行を行なうなど、明らかにプライバシーの侵害に踏み込んでいる。
・・・・
   ・・外国語や外国文化のエキスパートを揃えているわけでもない公安警察が、どの程度、本当の脅威を防ぐことができるのか。罪なき人々のプライバシーを侵害して嫌われるより、多様な人々の協力を得たほうが「公安(公の安全)」の維持に有益ではないのか ――このような主張もまた、公安警察にとってみれば、警戒すべき「怪しい」対象となってしまうのである。
( 西岡研介・伊藤博敏・森功・鈴木智彦ほか『言ってはならない 日本の100』2017.7.10. 宝島社 ↑ 所収。 李策「日本のタブー35 公安警察」 )


だれも知らない都市伝説の真実: 世界は陰謀で動いている!!
学研プラス
並木 伸一郎

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≪ 2016年1月1日から運用が始まったマイナンバー制度。だが、その運用面やセキュリティ面を不安視する声は大きい。番号ひとつでさまざまな手続きができ、とても便利に思える一方、住所や勤務先情報、納税情報など、番号ひとつに個人の情報がすべて紐づけされることになり、裏を返せば個人のすべての情報が国に握られることを意味する。要するに、政府は番号ひとつで国民を一元的に管理できる、というわけだ。
・・・・・ アメリカの社会保障番号に代表されるように、すでに多くの国で国民に何らかの識別番号を付与する制度が導入されている。日本のマイナンバーもその一環だとしたら――。 バーコードやクレジットカードも広く普及しているが、実はこれも個人の監視・管理のために使われているのではないか・・・・・・。≫
( 並木信一郎『だれも知らない 都市伝説の真実』2016.10.4.学研プラス ↑ 所収。 「マイナンバー制度とベリチップの陰謀」 )

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