上宮天満宮(高槻市)参拝【5/10】摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢
[第633回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第48念-5
JR高槻駅から北に歩いてきて石段を登り切った右手のあたりに、上宮天満宮の 摂社 野身神社 があります。↓

( ↑ 赤に白抜きの「鳥居」マークが 摂社 野身神社 です。 その北あたりの、青の「鳥居」マークは上宮天満宮の社務所の場所です。 )
野身神社の祭神は、菅原氏の祖先と言われ相撲の神さんとされる ノミノスクネ だろうか。 しかし、ノミノスクネというと、「野見宿禰」と書くのではないだろうか。 高槻市でも、阪急「高槻市」駅の南、カトリック高槻教会のすぐ南、高槻城址のすぐ北のあたりにある「野見神社」は「野見」と書くようですが、こちらは「野身」。「野見」と「野身」は違うのだろうか。それとも、大事なのは読みの方であって、漢字は後から充てられたものであって、「野見」でも「野身」でもどちらでもいいのだろうか。

( ↑ 阪急「高槻市」駅の南、カトリック高槻教会の南、高槻城址の北の「野見神社」 )
菅原道真というと「学問の神さま」とされ、「お勉強派」・「文治派」であるのに対して、ノミノスクネというと、タイマノケハヤと「相撲」の勝負をして勝った「体育会系」「マッチョ系」「武断派」「武闘派」。 それも、相撲の勝負で相手の腰を蹴って殺したという、白鵬の肘撃ちとどっちが卑劣かて感じの反則技を使って相手を倒した〔⇒《YouTube-【白鳳ダメ】白鳳エルボー・カチアゲ炸裂集!<豪栄道・勢・栃煌山・妙義龍・朝青龍・安美錦・稀勢の里>【話題騒然チャンネル》https://www.youtube.com/watch?v=pTYajk_w3MU なぜ、白鵬の肘撃ちが暴行罪・傷害罪で処罰されないのか、不思議である。 又、ボクシングで肘撃ちをやれば反則で減点もしくは反則負けになるところなのに、なぜ、相撲で認められるのか、これも不思議。 特定の力士(白鵬)だけ反則をやっても咎められない、反則技での優勝を認めている相撲協会はおかしい。反則の「肘撃ち」「エルボー攻撃」を「かちあげ」などとナマ言って称賛しているNHK(日本白痴協会)のあほアナウンサーも問題がある。あれは「かちあげ」ではない! 「かちあげ」というのは手首から肘までの間の部分を平行にして相手の胸元の下から上にぶちあてて相手の体を起こそうとするもののことで、大鵬が力士として晩年によくやっていたのはそれであり、白鵬が「かちあげ」と称してやっているのは肘の先端の尖った部分を相手の顔やみぞおち・心臓の部分などの急所をねらってあてる、もしくは、左手で相手の顔を右に向けた上でそこを狙って右肘をぶつけるというものであり、あんな「かちあげ」はない。あんなものを「かちあげ」とは言わない。「気迫ですよ」などと言って称賛している北の富士もアホ! というより、元横綱・元力士・元親方として北の富士の発言・態度はおかしい。北天祐の弟に暴力をふるって後遺症が出るような傷害罪に該当する行為をおこなってそれでいけしゃあしゃあと国民栄誉賞もらった犯罪者 千代の富士の親方だけある、てところか。若ノ鵬の「張り手」は掌底で相手の顔を撃っており、あれは張り手と言えないのではないかと批判されたことがあったが、若ノ鵬なら批判されて、白鵬の肘撃ちはどう考えても反則なのに相撲協会は「公認」しているというのはおかしいのではないか。亀田三兄弟が「肘いれたれ」とか言ったのが問題になったが、白鵬なら言うのではなく何度も実行してもいいというのはおかしい。 「だめ押し」というのも、相手が土俵外に出るかどうか微妙な時にさらに押す、相手が倒れるかどうか微妙な時にさらに攻撃するのを「だめ押し」と言うならわかるが、すでにはっきりと土俵外に出た力士・すでにはっきりと土俵上に倒れた力士に攻撃するのはそれは反則であり、暴行罪・傷害罪の対象で、そんなものを「だめ押し」などとナマ言ってるのもおかしい。力士の中でも運動神経のいい白鵬が止められないわけがない。どう見ても、白鵬は「止めることができなかった」などというものではなく、意図的に勝負が決まった後に攻撃を加えている。ボクシングなら「ダウン後の加撃」は減点もしくは反則負けの対象であるのに、相撲の場合は朝青龍と白鵬だけ認められるというのはおかしい。 白鵬が、勝った後、毎度毎度、懸賞金をつかんで得意がってふりまわす、あのマナーの悪さ、相撲の作法を心得ない態度を注意しない親方もどうかしている。宮城野親方(元竹葉山)はテレビの解説者にでて、目の前で白鵬がそういう態度をとっても親方として謝罪する言葉を何も言わない、親方(竹葉山)も問題がある。最初、竹葉山は金親よりましかと思ったが、ちっともマシじゃない。朝潮(高砂親方)が元大関の親方だから横綱の朝青龍になめられてるのと違うかと批判されたが、竹葉山がなぜ同様の批判を受けないのかも不思議。竹葉山なんて親方と言うに値しない。〕、ブッチャーだって「反則技」「凶器攻撃」なんて言っても、使う凶器はフォークとかであって、ナイフや出刃包丁なんてのは使わないという「節度」を持っている、タイガー=ジェット=シンだってサーベル持って入場しても、凶器攻撃としてサーベル使う時は、あくまでもサーベルの柄の部分でコンコン叩くのであってサーベルの刃で突き刺したりは決してしないという節度を持っているのに対して、相撲の勝負で相手の腰を蹴って相手を殺したという卑劣な男、白鵬みたいなやつ。 ボクシングで相手を殴っても相撲で相手を投げても暴行罪・傷害罪にならないというのは、これは「正当業務行為」として「違法性」が「阻却」されるからであり、反則技は「正当業務行為」ではないので「違法性阻却事由」に該当しないことになり、タイソンがホリフィールドの耳に噛みついたのなんて、あれは傷害罪の対象になるし、白鵬の肘撃ちもあれも暴行罪・傷害罪の対象になるはずで、相撲の勝負で相手の腰を蹴って殺したてのは、これは殺人罪の対象として処罰されなきゃならんのじゃないか・・・・と思わないでもないのだが、ともかく、「神話の世界の登場人物」であるので、そこのところは、「まあいいことにする」として。 それにしても、「正直の神」とされた菅原道真の先祖て感じじゃない「反則技の神さん」。 蹴り技・「打撃系技」で相手を倒して勝つという、まさに本来は反則のはずの肘撃ちで相手を倒すのを得意にする白鵬みたいに卑劣なヤツ・・・・て感じで、「天神さんの先祖」というイメージではないのだが。
《上宮天満宮HP 境内案内図》http://jogu.jp/pdf/2015masya2.pdf を見ると、「野身神社」の「鎮座神」は「野身宿祢」で、「ご利益」は「体力・武力」と書かれている。 上宮天満宮の「ご本社」の「鎮座神」は「武日照命」・「野身宿禰命」・「菅原道真命」で、「野身宿禰命」の「ご利益」は「体力」、「ポイント」として「相撲の神さま」と書かれている。 「野身宿祢」と「野身宿禰命」は違うのか? 「禰」の略字が「祢」のはずだから、同じと考えてよいのではないか。
その相撲の神さんというのか、反則技の神さんというのかが、菅原氏の先祖だということらしいのだ。 『古事記』の中の話で、アマテラスの勾玉からスサノオが生み出した5人というのか5柱というのかの男の「神」の1人というのか1柱というのかのアメノホヒノミコトの末裔だというのがノミノスクネという相撲の神さん、もしくは反則技の神さんで、このノミノスクネが、かつて、天皇が死亡すると臣下は殉死して墳墓に埋められていたのを、埴輪で代用して殉死しなくてもすむようにしたということで、「土師(はじ)」という姓を得たが、のちに、「菅原」に変更した・・・・ということで、ノミノスクネは菅原道真の先祖だということになっているらしい。
※ 《ウィキペディア-菅原道真》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
《ウィキペディア-菅原氏》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F
《ウィキペディア-土師氏》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B8%AB%E6%B0%8F
《ウィキペディア-野見宿禰》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0
《ウィキペディア-当麻蹴速》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E9%BA%BB%E8%B9%B4%E9%80%9F
《コトバンク 大辞林 第三版の解説 野見宿禰・野見宿祢 (読み)のみのすくね》https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0%E3%83%BB%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A5%A2-354933
《ウィキペディア-上宮天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ると、≪ もともと当地には『延喜式神名帳』に記載される「摂津国島上郡 野身神社」(現: 摂社・野身神社)があり、土師氏が氏神として祀っていたと考えられている。それが後になって道真を祀る天満宮が創建され、野身神社がそれに吸収されたものと見られる。≫と出ている。 ≪野身神社は、野見宿禰の墳墓と伝わる小墳丘(宿禰塚古墳)の上にある。 ≫と出ている。 古墳の上に神社が建てられたものとしては、大阪市東住吉区の山阪神社〔 《ウィキペディア-山阪神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82) 〕 が、どうも、それらしいのだが、《ウィキペディア-山阪神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82) を見ると、山阪神社の祭神は、アメノホヒノミコトで、相殿として出ている4柱の神の1柱として、上宮天満宮の摂社 野身神社の祭神のノミノスクネが出ている。
それで、この小山になったこの墳墓がノミノスクネの墓なのかどうか・・・といっても、ノミノスクネという人物自体が伝説上の人物であるので、そうであるのかないのかと言ってもそれほど意味はないかもしれない。 高槻市には、この上宮天満宮の摂社の野身神社と阪急「高槻市」駅の南、高槻カトリック教会の南、高槻城址の北の野見神社と「のみ神社」が2つある・・・というあたりから考えても、この付近が、「のみ」一族とつながりのある土地であった可能性が考えられる。 高槻カトリック教会の南、高槻城址の北の野見神社は、上宮天満宮の摂社の野身神社とは異なり、古墳の上に作ったという感じではない。平地にある。
古墳の上に神社がある、という場合、その古墳に埋葬された人と神社で祀られている祭神とは、古墳に埋葬された人が祭神なのか、古墳に埋葬された人が祭神ではないが、ある程度以上深い関係があるのか、単に小山になっていたので神社を設置するにはいい地形であったことから神社が作られただけであって埋葬された人と神社の祭神とは特につながりはないのか。 上宮天満宮 摂社の野身神社はなんらかのつながりがありそうだ。 ・・・・青森県の新郷村の「キリストとその弟の墓」というのは、まず、違うだろう・・・、おそらく、昔のその地方の豪族か誰かの墓だったのではないか。
野身神社の北あたりに、竹林がある。↓
古墳といっても、円墳などは、こんもりした小山であって、気をつけて見ないと見過ごすくらいのものだ。中学校の時、「必修クラブ」というものがあって、「社会部」というもので、顧問の先生が箕面市の山手にあった円墳を案内して教えてくれたことがあったのだが、それなども教えてもらって初めてわかった。全国で、円墳は気づかないで、もしくは、気づいていても、造成工事などで相当のものが消えていったのではないかと思う。 それに対して、前方後円墳というと、大阪府堺市の大仙陵古墳、私が小学生から中学生くらいの頃、1960年代後半から1970年代においては「仁徳天皇陵」と言われていて、学校の「歴史」「日本史」の「教科書」にもそう出ていたので、教科書に書かれている以上は、「説が分かれている」とか「そうであるかどうか、はっきりしないが、その可能性がある」とかいう程度のものではなく、「まず、間違いない」というくらいのものが載っているのだろうと思いこんでいたら、なんだか、最近、雲行きが怪しくなってきて、仁徳天皇の陵墓であるのかどうかわからない・・・ということになってきたらしい、「ええんかいや、そんなんで」みたいな「日本最大の古墳」とか、大和川と石川が合流するあたり、道明寺や道明寺天満宮の近くにある「応神天皇陵」とか、奈良の「箸墓古墳」とかいった大規模なものが思い浮かぶ。 さらに言うと、円墳なんてのは、おそらく誰か「エライ人」のお墓だろうけれども、前方後円墳て、あれは本当にお墓だったのだろうか? あんな大規模なものを1人死ぬたびに作っていたのでは、お墓ばっかり作ってなきゃならないことにならないか。 堀が設けてあって、掘の内側は小山になってその上からは遠方も見える。もしかして、あれは、その一部分に「エライ人」を埋葬した墓地があったとしても全体としては城塞だった・・なんてことないか? ・・・なんて、白井新平『奴隷制としての天皇制』(三一書房)に出ていたが、その可能性はありそうな感じがしないでもない。応神天皇陵なんて、大和川と石川が合流する付近という「要所」にあるし。
よく気をつけて見ないと見過ごす可能性がある円墳は、けっこうあちらこちらにあるようで、近畿地方だけでなく関東地方にもあるようだが、前方後円墳となると、そうあちらこちらにでっかいのがあるわけではなく、主として大阪府南部、和泉地方か南河内地方、もしくは、奈良県の奈良盆地中南部といったあたりにあるものか・・・などと実は私は思っていたのだが、ところが、大阪府でも、摂津に属する地域、大阪府北部でも、この高槻市北部から茨木市北部にかけてあるようなのだ。
JR「高槻」駅の上の観光案内所でもらった「高槻散策マップ 今城塚」の地図を見ると、まず、その「今城塚(いましろづか)」、そして、「太田茶臼山古墳」という前方後円墳があるらしい。 さらに、内田康夫の中途で終わった小説『孤道』(毎日新聞社)に登場した巨大な古墳は阿武山古墳で、これはかなり山手にあり、京大地震観測所のそばなんて立地だが、藤原鎌足の墓ではないかと言われるらしい。
上宮天満宮 境内摂社の野身神社はノミノスクネの墳墓と言われる古墳の上にあるようだが、上宮天満宮の南東にも、「車塚古墳」がある。↓

↑ もっとも、この「車塚古墳」の場合は、掲示板や石碑がなければ、わからない。単なる空き地か、単なる山かと思って通り過ぎる可能性が小さくない。石碑には「昼神車塚古墳」と書かれているようだ。
↑の写真の部分が「車塚古墳」全体ということではなく、これでも「復元」されたもので、現地に出ていた図↓によると、
↑の写真の部分は、南北に長い古墳の北よりの一部分らしい。たとえ、全体を復元しようと思っても、すでに市街地になっており無理。
↑ 石段を登り切った所の石の鳥居は、何か所か割れており、鳥居の形に組んだ鉄骨で裏からそれを支えている。 坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)には、奈良の東大寺の南大門は、昭和初期の修理の際に、古くなって傷んだ大きな貫の代わりに鉄骨で貫を入れ、その鉄骨の両側にもとの貫を2枚に割って両側からはさむということをしていることや、大仏殿は明治40年の大修理の際に大仏の上をイギリス製の鉄骨のトラスで補強していることなどが書かれている。 木造建築において鉄骨を使って補強することの是非を言う人もあるけれども、≪これらの建物が創建当初から完璧であり、そのままの姿で現在まで健全に生き延びてきたかのようなほめ方がなされますが、事実はそんなきれいごとではないからです。 最初は不完全な、いわば欠陥建築で、しかもかならずしも長もちする建物ではなかったのです。だからといってわたしにはこの不完全さをとがめることができません。その時代の建物が後世から見れば不完全であったにすぎないのです。それよりも大事なことは、そのような不完全な建物が現在まで生き延びて、わたしたちもそれを見ることができるのは、建ってからのち、長年にわたってなされてきた修理や補強のたまものであるということです。≫ ≪ときにはなりふりかまわずつっかい棒を立て、ときには外国の手法と材料を使ってでも、修理と補強をしてくれたおかげで、わたしたちはこれらの古建築を見ることができるのです。・・・≫ ≪法隆寺を建てた大工は、1300年もつものをつくったのではなく、1300年もたせるに値する建物をつくったのです。≫と出ています。 鳥居にしても、傷んできたから撤去して新しいものに取り換える・・とするのではなく、背後から鉄骨で補強して昔からのものを残す・・というのはひとつの選択です・・・・けれども、木なら鉄骨で補強して・・という選択肢もあるとしても、石が割れたものを背後から鉄骨で支えてというのは、大丈夫かな・・・、石が落下してしまうてことないかな・・・とか、心配したりもしましたが、少なくとも、私が下をくぐった時には行きも帰りもそういうことはありませんでした。
↑ 石段上から見た南側、JR「高槻」駅方面。
次回、天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
(2018.11.4.)
★ 上宮天満宮(大阪府高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
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5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 〔今回〕
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
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★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
≪ 「私たちの裁判で20回以上 居眠りしていたんです」 猪野家の居間には、今も詩織さんの遺骨が置かれている。 父、憲一さんは言う。
「悔しさは、まだあるんです・・・・・」
・・・・・・
下山は「桶川ストーカー殺人」の刑事裁判での裁判官のひとりだった。そしてこの時も問題を起こしていた。
「 (桶川ストーカー事件において、裁判官 下山昌晴は)開廷するというすぐに眠そうに目を細めていたかと思うと、やがてずっとうつむいていました。最初の頃は手元の証拠資料を熱心に読んでいるのだとばかり思っていたのですが、そのうちヒジがガクッと崩れるので『あっ、寝てるんだ』とわかりました。それでも私たちは裁判のことは何も知らなかったので、しばらくは『やっぱり裁判官は激務なのかな? 仕方ないのかな?』と思って、ずいぶん我慢しました。それに直接声をかけたりすれば退廷させられるかもしれない。それよりも法廷での一言一句を聞き漏らしたくないと必死だったのです」
下山の席は裁判長の左側(右陪席)だった。そして遺族の傍聴席はその正面で、居眠りする姿は良く見えた。これは明確な犯罪の二次被害を遺族に与えたと言える。
「居眠りは毎回だったので、そのうち他の傍聴人や記者たちの不信も大きくなりました。中には『前からしょっちゅう寝てたんですよ』と教えてくれるHP遺品東京人もいましたね。それで各マスコミが浦和地裁の所長に『あんなに寝ていていいのか?』とコメントを求めたことで、大問題になって多くの人が知るところとなりました」
・・・・
「正直なところ、詩織が殺された後は警察には何も期待していませんでしたが、犯人が逮捕されて裁判が始まる時は、中立公正な裁判官によって正しい判決が下されると思っていました。ところが居眠りです。それでも下山がいなくなれば大丈夫だと考えていたのですが、判決には裏切られた思いでした。この二重のショックで目が覚めましてた。裁判官は公正ではありません」
・・・・ ≫
≪ 被害女性へのメールは下山の勝手な妄想だらけだった。
ひとつ紹介しよう。
――3月12日、午後10時33分。身体きれいに洗っておいてね~会いに行くからさあ。今日は、これから彼と会うのかな? それとも、もう会ってるのかな? あとで、彼に確かめよ~っと(笑) 写真を前にして、汗かいてる彼の姿想像してよ。もうすぐホワイトデーだけど、前日の13日からホテルでお泊りしよーか?――
猪野家の裁判でもこんな妄想に浸って居眠りをしていたのかと思うとヘドが出る。下山は57歳。人間として腐っているのだ。
「とんでもないですよ。詩織は殺される前に『警察なんて信じられないよ』とはっきり言いました。今は『やっぱり裁判官もそうだったでしょう』と言うと思います。・・・・・」 ≫
( 『日本のタブーX バカは知らない真相報道』2010.8.13.ミリオン出版 ↑ 所収、本田信一郎「前代未聞の“ストーカー判事”は「桶川ストーカー殺人事件」の裁判官だった!!」 )
※ 《ウィキペディア―下山芳晴》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E8%8A%B3%E6%99%B4
≪ 下山 芳晴(しもやま よしはる)は、日本の元裁判官。弾劾裁判により罷免の判決を受けた。
1953年大阪府生まれ。母は堺市の眼科医で・・・・
東京大学文科1類入学。
東京大学法学部卒業。
1981年、司法試験合格。
・・・・ ≫
※ 《ウィキペディア―桶川ストーカー殺人事件》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
JR高槻駅から北に歩いてきて石段を登り切った右手のあたりに、上宮天満宮の 摂社 野身神社 があります。↓
( ↑ 赤に白抜きの「鳥居」マークが 摂社 野身神社 です。 その北あたりの、青の「鳥居」マークは上宮天満宮の社務所の場所です。 )
野身神社の祭神は、菅原氏の祖先と言われ相撲の神さんとされる ノミノスクネ だろうか。 しかし、ノミノスクネというと、「野見宿禰」と書くのではないだろうか。 高槻市でも、阪急「高槻市」駅の南、カトリック高槻教会のすぐ南、高槻城址のすぐ北のあたりにある「野見神社」は「野見」と書くようですが、こちらは「野身」。「野見」と「野身」は違うのだろうか。それとも、大事なのは読みの方であって、漢字は後から充てられたものであって、「野見」でも「野身」でもどちらでもいいのだろうか。
( ↑ 阪急「高槻市」駅の南、カトリック高槻教会の南、高槻城址の北の「野見神社」 )
菅原道真というと「学問の神さま」とされ、「お勉強派」・「文治派」であるのに対して、ノミノスクネというと、タイマノケハヤと「相撲」の勝負をして勝った「体育会系」「マッチョ系」「武断派」「武闘派」。 それも、相撲の勝負で相手の腰を蹴って殺したという、白鵬の肘撃ちとどっちが卑劣かて感じの反則技を使って相手を倒した〔⇒《YouTube-【白鳳ダメ】白鳳エルボー・カチアゲ炸裂集!<豪栄道・勢・栃煌山・妙義龍・朝青龍・安美錦・稀勢の里>【話題騒然チャンネル》https://www.youtube.com/watch?v=pTYajk_w3MU なぜ、白鵬の肘撃ちが暴行罪・傷害罪で処罰されないのか、不思議である。 又、ボクシングで肘撃ちをやれば反則で減点もしくは反則負けになるところなのに、なぜ、相撲で認められるのか、これも不思議。 特定の力士(白鵬)だけ反則をやっても咎められない、反則技での優勝を認めている相撲協会はおかしい。反則の「肘撃ち」「エルボー攻撃」を「かちあげ」などとナマ言って称賛しているNHK(日本白痴協会)のあほアナウンサーも問題がある。あれは「かちあげ」ではない! 「かちあげ」というのは手首から肘までの間の部分を平行にして相手の胸元の下から上にぶちあてて相手の体を起こそうとするもののことで、大鵬が力士として晩年によくやっていたのはそれであり、白鵬が「かちあげ」と称してやっているのは肘の先端の尖った部分を相手の顔やみぞおち・心臓の部分などの急所をねらってあてる、もしくは、左手で相手の顔を右に向けた上でそこを狙って右肘をぶつけるというものであり、あんな「かちあげ」はない。あんなものを「かちあげ」とは言わない。「気迫ですよ」などと言って称賛している北の富士もアホ! というより、元横綱・元力士・元親方として北の富士の発言・態度はおかしい。北天祐の弟に暴力をふるって後遺症が出るような傷害罪に該当する行為をおこなってそれでいけしゃあしゃあと国民栄誉賞もらった犯罪者 千代の富士の親方だけある、てところか。若ノ鵬の「張り手」は掌底で相手の顔を撃っており、あれは張り手と言えないのではないかと批判されたことがあったが、若ノ鵬なら批判されて、白鵬の肘撃ちはどう考えても反則なのに相撲協会は「公認」しているというのはおかしいのではないか。亀田三兄弟が「肘いれたれ」とか言ったのが問題になったが、白鵬なら言うのではなく何度も実行してもいいというのはおかしい。 「だめ押し」というのも、相手が土俵外に出るかどうか微妙な時にさらに押す、相手が倒れるかどうか微妙な時にさらに攻撃するのを「だめ押し」と言うならわかるが、すでにはっきりと土俵外に出た力士・すでにはっきりと土俵上に倒れた力士に攻撃するのはそれは反則であり、暴行罪・傷害罪の対象で、そんなものを「だめ押し」などとナマ言ってるのもおかしい。力士の中でも運動神経のいい白鵬が止められないわけがない。どう見ても、白鵬は「止めることができなかった」などというものではなく、意図的に勝負が決まった後に攻撃を加えている。ボクシングなら「ダウン後の加撃」は減点もしくは反則負けの対象であるのに、相撲の場合は朝青龍と白鵬だけ認められるというのはおかしい。 白鵬が、勝った後、毎度毎度、懸賞金をつかんで得意がってふりまわす、あのマナーの悪さ、相撲の作法を心得ない態度を注意しない親方もどうかしている。宮城野親方(元竹葉山)はテレビの解説者にでて、目の前で白鵬がそういう態度をとっても親方として謝罪する言葉を何も言わない、親方(竹葉山)も問題がある。最初、竹葉山は金親よりましかと思ったが、ちっともマシじゃない。朝潮(高砂親方)が元大関の親方だから横綱の朝青龍になめられてるのと違うかと批判されたが、竹葉山がなぜ同様の批判を受けないのかも不思議。竹葉山なんて親方と言うに値しない。〕、ブッチャーだって「反則技」「凶器攻撃」なんて言っても、使う凶器はフォークとかであって、ナイフや出刃包丁なんてのは使わないという「節度」を持っている、タイガー=ジェット=シンだってサーベル持って入場しても、凶器攻撃としてサーベル使う時は、あくまでもサーベルの柄の部分でコンコン叩くのであってサーベルの刃で突き刺したりは決してしないという節度を持っているのに対して、相撲の勝負で相手の腰を蹴って相手を殺したという卑劣な男、白鵬みたいなやつ。 ボクシングで相手を殴っても相撲で相手を投げても暴行罪・傷害罪にならないというのは、これは「正当業務行為」として「違法性」が「阻却」されるからであり、反則技は「正当業務行為」ではないので「違法性阻却事由」に該当しないことになり、タイソンがホリフィールドの耳に噛みついたのなんて、あれは傷害罪の対象になるし、白鵬の肘撃ちもあれも暴行罪・傷害罪の対象になるはずで、相撲の勝負で相手の腰を蹴って殺したてのは、これは殺人罪の対象として処罰されなきゃならんのじゃないか・・・・と思わないでもないのだが、ともかく、「神話の世界の登場人物」であるので、そこのところは、「まあいいことにする」として。 それにしても、「正直の神」とされた菅原道真の先祖て感じじゃない「反則技の神さん」。 蹴り技・「打撃系技」で相手を倒して勝つという、まさに本来は反則のはずの肘撃ちで相手を倒すのを得意にする白鵬みたいに卑劣なヤツ・・・・て感じで、「天神さんの先祖」というイメージではないのだが。
《上宮天満宮HP 境内案内図》http://jogu.jp/pdf/2015masya2.pdf を見ると、「野身神社」の「鎮座神」は「野身宿祢」で、「ご利益」は「体力・武力」と書かれている。 上宮天満宮の「ご本社」の「鎮座神」は「武日照命」・「野身宿禰命」・「菅原道真命」で、「野身宿禰命」の「ご利益」は「体力」、「ポイント」として「相撲の神さま」と書かれている。 「野身宿祢」と「野身宿禰命」は違うのか? 「禰」の略字が「祢」のはずだから、同じと考えてよいのではないか。
その相撲の神さんというのか、反則技の神さんというのかが、菅原氏の先祖だということらしいのだ。 『古事記』の中の話で、アマテラスの勾玉からスサノオが生み出した5人というのか5柱というのかの男の「神」の1人というのか1柱というのかのアメノホヒノミコトの末裔だというのがノミノスクネという相撲の神さん、もしくは反則技の神さんで、このノミノスクネが、かつて、天皇が死亡すると臣下は殉死して墳墓に埋められていたのを、埴輪で代用して殉死しなくてもすむようにしたということで、「土師(はじ)」という姓を得たが、のちに、「菅原」に変更した・・・・ということで、ノミノスクネは菅原道真の先祖だということになっているらしい。
※ 《ウィキペディア-菅原道真》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
《ウィキペディア-菅原氏》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F
《ウィキペディア-土師氏》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B8%AB%E6%B0%8F
《ウィキペディア-野見宿禰》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0
《ウィキペディア-当麻蹴速》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E9%BA%BB%E8%B9%B4%E9%80%9F
《コトバンク 大辞林 第三版の解説 野見宿禰・野見宿祢 (読み)のみのすくね》https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0%E3%83%BB%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A5%A2-354933
《ウィキペディア-上宮天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ると、≪ もともと当地には『延喜式神名帳』に記載される「摂津国島上郡 野身神社」(現: 摂社・野身神社)があり、土師氏が氏神として祀っていたと考えられている。それが後になって道真を祀る天満宮が創建され、野身神社がそれに吸収されたものと見られる。≫と出ている。 ≪野身神社は、野見宿禰の墳墓と伝わる小墳丘(宿禰塚古墳)の上にある。 ≫と出ている。 古墳の上に神社が建てられたものとしては、大阪市東住吉区の山阪神社〔 《ウィキペディア-山阪神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82) 〕 が、どうも、それらしいのだが、《ウィキペディア-山阪神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82) を見ると、山阪神社の祭神は、アメノホヒノミコトで、相殿として出ている4柱の神の1柱として、上宮天満宮の摂社 野身神社の祭神のノミノスクネが出ている。
それで、この小山になったこの墳墓がノミノスクネの墓なのかどうか・・・といっても、ノミノスクネという人物自体が伝説上の人物であるので、そうであるのかないのかと言ってもそれほど意味はないかもしれない。 高槻市には、この上宮天満宮の摂社の野身神社と阪急「高槻市」駅の南、高槻カトリック教会の南、高槻城址の北の野見神社と「のみ神社」が2つある・・・というあたりから考えても、この付近が、「のみ」一族とつながりのある土地であった可能性が考えられる。 高槻カトリック教会の南、高槻城址の北の野見神社は、上宮天満宮の摂社の野身神社とは異なり、古墳の上に作ったという感じではない。平地にある。
古墳の上に神社がある、という場合、その古墳に埋葬された人と神社で祀られている祭神とは、古墳に埋葬された人が祭神なのか、古墳に埋葬された人が祭神ではないが、ある程度以上深い関係があるのか、単に小山になっていたので神社を設置するにはいい地形であったことから神社が作られただけであって埋葬された人と神社の祭神とは特につながりはないのか。 上宮天満宮 摂社の野身神社はなんらかのつながりがありそうだ。 ・・・・青森県の新郷村の「キリストとその弟の墓」というのは、まず、違うだろう・・・、おそらく、昔のその地方の豪族か誰かの墓だったのではないか。
野身神社の北あたりに、竹林がある。↓
古墳といっても、円墳などは、こんもりした小山であって、気をつけて見ないと見過ごすくらいのものだ。中学校の時、「必修クラブ」というものがあって、「社会部」というもので、顧問の先生が箕面市の山手にあった円墳を案内して教えてくれたことがあったのだが、それなども教えてもらって初めてわかった。全国で、円墳は気づかないで、もしくは、気づいていても、造成工事などで相当のものが消えていったのではないかと思う。 それに対して、前方後円墳というと、大阪府堺市の大仙陵古墳、私が小学生から中学生くらいの頃、1960年代後半から1970年代においては「仁徳天皇陵」と言われていて、学校の「歴史」「日本史」の「教科書」にもそう出ていたので、教科書に書かれている以上は、「説が分かれている」とか「そうであるかどうか、はっきりしないが、その可能性がある」とかいう程度のものではなく、「まず、間違いない」というくらいのものが載っているのだろうと思いこんでいたら、なんだか、最近、雲行きが怪しくなってきて、仁徳天皇の陵墓であるのかどうかわからない・・・ということになってきたらしい、「ええんかいや、そんなんで」みたいな「日本最大の古墳」とか、大和川と石川が合流するあたり、道明寺や道明寺天満宮の近くにある「応神天皇陵」とか、奈良の「箸墓古墳」とかいった大規模なものが思い浮かぶ。 さらに言うと、円墳なんてのは、おそらく誰か「エライ人」のお墓だろうけれども、前方後円墳て、あれは本当にお墓だったのだろうか? あんな大規模なものを1人死ぬたびに作っていたのでは、お墓ばっかり作ってなきゃならないことにならないか。 堀が設けてあって、掘の内側は小山になってその上からは遠方も見える。もしかして、あれは、その一部分に「エライ人」を埋葬した墓地があったとしても全体としては城塞だった・・なんてことないか? ・・・なんて、白井新平『奴隷制としての天皇制』(三一書房)に出ていたが、その可能性はありそうな感じがしないでもない。応神天皇陵なんて、大和川と石川が合流する付近という「要所」にあるし。
よく気をつけて見ないと見過ごす可能性がある円墳は、けっこうあちらこちらにあるようで、近畿地方だけでなく関東地方にもあるようだが、前方後円墳となると、そうあちらこちらにでっかいのがあるわけではなく、主として大阪府南部、和泉地方か南河内地方、もしくは、奈良県の奈良盆地中南部といったあたりにあるものか・・・などと実は私は思っていたのだが、ところが、大阪府でも、摂津に属する地域、大阪府北部でも、この高槻市北部から茨木市北部にかけてあるようなのだ。
JR「高槻」駅の上の観光案内所でもらった「高槻散策マップ 今城塚」の地図を見ると、まず、その「今城塚(いましろづか)」、そして、「太田茶臼山古墳」という前方後円墳があるらしい。 さらに、内田康夫の中途で終わった小説『孤道』(毎日新聞社)に登場した巨大な古墳は阿武山古墳で、これはかなり山手にあり、京大地震観測所のそばなんて立地だが、藤原鎌足の墓ではないかと言われるらしい。
上宮天満宮 境内摂社の野身神社はノミノスクネの墳墓と言われる古墳の上にあるようだが、上宮天満宮の南東にも、「車塚古墳」がある。↓
↑ もっとも、この「車塚古墳」の場合は、掲示板や石碑がなければ、わからない。単なる空き地か、単なる山かと思って通り過ぎる可能性が小さくない。石碑には「昼神車塚古墳」と書かれているようだ。
↑の写真の部分が「車塚古墳」全体ということではなく、これでも「復元」されたもので、現地に出ていた図↓によると、
↑の写真の部分は、南北に長い古墳の北よりの一部分らしい。たとえ、全体を復元しようと思っても、すでに市街地になっており無理。
↑ 石段を登り切った所の石の鳥居は、何か所か割れており、鳥居の形に組んだ鉄骨で裏からそれを支えている。 坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)には、奈良の東大寺の南大門は、昭和初期の修理の際に、古くなって傷んだ大きな貫の代わりに鉄骨で貫を入れ、その鉄骨の両側にもとの貫を2枚に割って両側からはさむということをしていることや、大仏殿は明治40年の大修理の際に大仏の上をイギリス製の鉄骨のトラスで補強していることなどが書かれている。 木造建築において鉄骨を使って補強することの是非を言う人もあるけれども、≪これらの建物が創建当初から完璧であり、そのままの姿で現在まで健全に生き延びてきたかのようなほめ方がなされますが、事実はそんなきれいごとではないからです。 最初は不完全な、いわば欠陥建築で、しかもかならずしも長もちする建物ではなかったのです。だからといってわたしにはこの不完全さをとがめることができません。その時代の建物が後世から見れば不完全であったにすぎないのです。それよりも大事なことは、そのような不完全な建物が現在まで生き延びて、わたしたちもそれを見ることができるのは、建ってからのち、長年にわたってなされてきた修理や補強のたまものであるということです。≫ ≪ときにはなりふりかまわずつっかい棒を立て、ときには外国の手法と材料を使ってでも、修理と補強をしてくれたおかげで、わたしたちはこれらの古建築を見ることができるのです。・・・≫ ≪法隆寺を建てた大工は、1300年もつものをつくったのではなく、1300年もたせるに値する建物をつくったのです。≫と出ています。 鳥居にしても、傷んできたから撤去して新しいものに取り換える・・とするのではなく、背後から鉄骨で補強して昔からのものを残す・・というのはひとつの選択です・・・・けれども、木なら鉄骨で補強して・・という選択肢もあるとしても、石が割れたものを背後から鉄骨で支えてというのは、大丈夫かな・・・、石が落下してしまうてことないかな・・・とか、心配したりもしましたが、少なくとも、私が下をくぐった時には行きも帰りもそういうことはありませんでした。
↑ 石段上から見た南側、JR「高槻」駅方面。
次回、天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
(2018.11.4.)
★ 上宮天満宮(大阪府高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 〔今回〕
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
≪ 「私たちの裁判で20回以上 居眠りしていたんです」 猪野家の居間には、今も詩織さんの遺骨が置かれている。 父、憲一さんは言う。
「悔しさは、まだあるんです・・・・・」
・・・・・・
下山は「桶川ストーカー殺人」の刑事裁判での裁判官のひとりだった。そしてこの時も問題を起こしていた。
「 (桶川ストーカー事件において、裁判官 下山昌晴は)開廷するというすぐに眠そうに目を細めていたかと思うと、やがてずっとうつむいていました。最初の頃は手元の証拠資料を熱心に読んでいるのだとばかり思っていたのですが、そのうちヒジがガクッと崩れるので『あっ、寝てるんだ』とわかりました。それでも私たちは裁判のことは何も知らなかったので、しばらくは『やっぱり裁判官は激務なのかな? 仕方ないのかな?』と思って、ずいぶん我慢しました。それに直接声をかけたりすれば退廷させられるかもしれない。それよりも法廷での一言一句を聞き漏らしたくないと必死だったのです」
下山の席は裁判長の左側(右陪席)だった。そして遺族の傍聴席はその正面で、居眠りする姿は良く見えた。これは明確な犯罪の二次被害を遺族に与えたと言える。
「居眠りは毎回だったので、そのうち他の傍聴人や記者たちの不信も大きくなりました。中には『前からしょっちゅう寝てたんですよ』と教えてくれるHP遺品東京人もいましたね。それで各マスコミが浦和地裁の所長に『あんなに寝ていていいのか?』とコメントを求めたことで、大問題になって多くの人が知るところとなりました」
・・・・
「正直なところ、詩織が殺された後は警察には何も期待していませんでしたが、犯人が逮捕されて裁判が始まる時は、中立公正な裁判官によって正しい判決が下されると思っていました。ところが居眠りです。それでも下山がいなくなれば大丈夫だと考えていたのですが、判決には裏切られた思いでした。この二重のショックで目が覚めましてた。裁判官は公正ではありません」
・・・・ ≫
≪ 被害女性へのメールは下山の勝手な妄想だらけだった。
ひとつ紹介しよう。
――3月12日、午後10時33分。身体きれいに洗っておいてね~会いに行くからさあ。今日は、これから彼と会うのかな? それとも、もう会ってるのかな? あとで、彼に確かめよ~っと(笑) 写真を前にして、汗かいてる彼の姿想像してよ。もうすぐホワイトデーだけど、前日の13日からホテルでお泊りしよーか?――
猪野家の裁判でもこんな妄想に浸って居眠りをしていたのかと思うとヘドが出る。下山は57歳。人間として腐っているのだ。
「とんでもないですよ。詩織は殺される前に『警察なんて信じられないよ』とはっきり言いました。今は『やっぱり裁判官もそうだったでしょう』と言うと思います。・・・・・」 ≫
( 『日本のタブーX バカは知らない真相報道』2010.8.13.ミリオン出版 ↑ 所収、本田信一郎「前代未聞の“ストーカー判事”は「桶川ストーカー殺人事件」の裁判官だった!!」 )
※ 《ウィキペディア―下山芳晴》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E8%8A%B3%E6%99%B4
≪ 下山 芳晴(しもやま よしはる)は、日本の元裁判官。弾劾裁判により罷免の判決を受けた。
1953年大阪府生まれ。母は堺市の眼科医で・・・・
東京大学文科1類入学。
東京大学法学部卒業。
1981年、司法試験合格。
・・・・ ≫
※ 《ウィキペディア―桶川ストーカー殺人事件》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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